【ミッドウェー海戦の真実】日本軍が大敗した知られざる理由
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#大東亜戦争#ミッドウェー海戦#小名木善行
1番残念なのは重巡利根の偵察機がカタパルトの故障で予定より遅れて発進し、その偵察範囲内にアメリカ機動部隊が居た事だと思います。利根機が予定通り索敵していれば結果は違ったと思います。あと、大和はアメリカ艦隊が出撃した情報を傍受し山本五十六大将は南雲艦隊へ報せてはどうかと幕僚に問いたが幕僚達は南雲部隊も傍受しているはずなので南雲部隊の位置を知らせる危険があります。と反対した事も敗因に繋がったと思います。様々なミスが重なった結果が敗因だと思います。
そういうことが現場で起きていたのかもしれませんが、そもそも作戦目的が米艦隊への攻撃かミッドウェー島の攻略かがはっきりしていなかったこと(上層部は米艦隊が出てくるのは日本がミッドウェーを攻略してからと勝手に考えていた)、索敵を軽視し十分な戦力を投入しなかったこと、後方の攻略部隊で敵空母の存在を疑わせる無線を傍受したのに無線封鎖にこだわって機動部隊へ通報しなかったこと、(戦後になって判明したことですが)海軍の暗号が解読されていたこと等きりが無いほど敗戦の理由が挙げられます。あたかも一機の偵察機乗員に責任があるかのような物言いは物事の本質を見誤らせる事になります。
さらにこのような大敗北を喫したにもかかわらず、山本長官、南雲中将はじめ誰も責任を問われず留任し続けています。このような上層部に甘く下に厳しい軍の体質も問題です。
以前は「運命の五分間」などあたかもわずかな差で敗れたような言説がまかり通っていましたが、近年いろいろな資料が明らかになるにつれあらゆる角度から考えて敗れて当然の戦いだったと思います。
❤❤
これは作戦概要入手した人は知っている、戦記物ばかり読んでいる人には、例えば大空のサムライ、悲惨な真実はわからない。
有名な淵田美津雄中佐も430に発進するはずの水偵が射出されていないのに気付いたとある。
筑摩で五番索敵線を飛ぶ予定の一号機機長、都間信大尉は五分遅れで発進した。
都間機に割り当てられた索敵コースは戦後、米機動部隊の航跡図と照合すると正に同時間帯直上付近を通過していた。
水偵の索敵は目視による為通常300~1000mの低高度でしかも雲下を飛行する事になっていた。
都間信大尉の回想では途中、米哨戒機と遭遇、空戦して一時索敵コースを外れたのが見落とす原因になったのかもしれないと。
その遭遇した米国哨戒機は同時刻である430にヨークタウンから発進したSBDドーントレスのベン・プレンストン少尉機と思われる。
都間信大尉は悪天候で索敵は不可能(事実引き返して索敵機あり)と判断して雲上飛行していた可能性あり、空戦してコース外れたら元に戻り索敵する必要性を軽じかつ米哨戒機と遭遇に米機動部隊の存在を予感して直ちに無電報告する必要義務も怠り無線封鎖を優先させた、このやらかし連続の海兵66期の将校は完全に勝利病に犯されていたが帰還しても上官から不問で、有名な発進が遅れた利根4号甘利機はなぜか(偏差修正ミス)与えられた索敵コースでは無く北側の都間信大尉機の索敵コースを飛んで米機動部隊を発見打電して怪我の功名であったが通信やり取りに合わない時間に帰投し消極的索敵を責められミドウェイ敗戦の全責任を押し付けられた感あり。
甘利氏は甲種予科練修生で兵であった為気の毒に思われる、将校と兵、キャリアとノンキャリで現在にも通じる。
神立尚紀氏がどなたかに取材された文でみかけたが、昭和20年沖縄上空で戦死された甘利洋司氏のお墓を戦後不届き者がミッドウェーの戦犯として甘利氏の墓の文字を削り取ったという話があった。そもそも、これだけの大海戦での歴史的敗北の責任を一索敵機に負わせるのはとんでもない事。2段索敵を1段にしたり、司令部の索敵軽視が大きな敗因の一つであったと感じる。エンタープライズ、ホーネットは最後まで発見できなかったし、ヨークタウンも飛龍攻撃隊が帰投するヨークタウン攻撃隊に偶然出くわさなければ発見できなかった。
その話は知りませんでした。外地学徒出陣し中国戦線で戦った父の話では違うことを言ってました。
空母の後ろにタンカーがいて何かの原因で送るでました送れてました。遅れを取り戻すために全速力で航行したので白波が立ってました。それを米国偵察機に発見され、先に空母がいると判断され雲の上から急降下して爆撃されたのです。急降下爆撃機にはインデアンしの視力の良い兵士がいて雲の合間からちらっと発見した空母を雲の中から隠れて近付いて行ったそうです。インデアン出身者は米軍の中では日陰の存在でしたが大活躍したことでその後評価が上がったそうです。
父がくどく言っていたのは日本軍は異能の才能を信用しない。例えば自分のように大陸生まれで中国人をよく知っていて彼らとサッカーをしたりケンカした経験があれば楽に勝てる。
海軍については終戦前に共同行動をしたが所詮戦い方を知らない素人たちだ。とにかく弁解が上手い。小さな手柄を大きな手柄にして言いまくる。だから彼らのいうことを絶対信用するな。
色々な見方があります。ですが歪曲して広めないでね。
小名木先生の今回のお話、尼崎の脱線事故を招いたJRの日勤教育と通じる気がしました。叱られるのが嫌だから制限速度を超える運転をしてしまって、100人を超える死者を招きました。敵偵察機を見逃すパイロットの心理と重なります。
大東亜戦争の分水嶺と言われるミッドウェー海戦は日本海軍の開戦以来の大敗北と言われています!暗号が読まれていたとか、雷爆転換、索敵不備、兵力分散と色々、言われていますが私自身は油断と驕慢に敗れたと思います!
ベテランパイロットが多くいたからとりあえず発艦して地上爆弾搭載でも敵にダメージ与えたと思う
ミッドウェー攻撃隊が帰ってきてるからそれをやったら全機海にご招待。
その上護衛戦闘機もつけられないから攻撃隊は大損害、多分史実より悪化する。
東條内閣で農林大臣だった井野さんが、戦後プリズンの中で東條さんと色々話したところ、なんと東條さんはミッドウェーの敗戦を海軍から知らされてなかったと。知ってたらその後の対応も違ってたと言ってたそうです。
それを聞いた井野さんは「海軍と陸軍で意志疎通が無いのは知ってたが、流石に総理大臣には正直に実状を報告してたろうと思いきやそうでなかった」と呆れてました。海軍が負けを恥じたせいかワザとなのかは知りませんが、そんなこっちゃ勝てるイクサも勝てません。
15:08大正初期に尾崎行雄が西郷さんについて演説してましたが、尾崎曰く「私は若い頃は西郷の偉さが全く分からなかった。当時の私は知恵があるとか腕があるとか才や学がある人が偉いと思っていたが、長ずるにつけそんなものは所詮小使いの仕事師に過ぎないと気付いた。
西郷隆盛の如きは腕も才も特に無いが、自分一身の事は考えず人の事国の事ばかり考えて働くから皆も西郷の為に働こうとなる。西郷の、あの人の為に一命を捧げようという同情心が皆に反射し、皆が西郷の為に一命を捧げようとなる。そのような人物こそが上に立つべき大人物である」との事。
後の乃木大山東郷さんらもそんな感じでしたな。
唯々、情報が遅く負けたと言う事は知っていましたが、今回の動画で大事な事を知りました。おっしゃる通り上官の教育が間違っていた為の敗戦だったと知りました。大事な教訓ですね。
松山の海軍航空隊に居た予科練のおじいちゃんが源田実さんを「こいつはミッドウェーの責任も取らずに、戦後はのうのうと自衛隊の幹部になりやがった。腹切って死ねばよかったのに」と言っていた別の意味が、この動画を見てわかりました。
本田稔さんですね、源田実というオトコは長崎に原爆を落としたB−29をけ
どうして大和や武蔵をミッドウェイの最前線に配備しなかったのでしょうかね。
そこら辺の情報も開設お願いしたいものです。
小名木さん
すいません。このお話の根拠となる資料って、何をみられたのでしょうか?お聞かせ願えたら幸いです。
根拠となる資料は、小名木先生の頭の皮の裏側に隠されているのです。
低レベル視聴者に受ける「日本カッコイー!」って妄想垂れ流しが、小名木先生のライフワークです。
一定のニーズがあるので「感動しました」なんてコメントが散見されますよ♪
以前の動画で本人の名誉の為に名前は明かせないとおっしゃってましたぞ。 オラも気になってる処だけど。 😊
バトル360エンタープライスを見てから言ってほしいなあ。UA-cam 動画でも見えるし。ビデオ化もされている。
アメリカ軍は日本軍のミッドウェー島攻撃の前日までにアメリカの潜水艦ノーチラス号によって発見されていた。日本軍の動きはその時から筒抜けであった。
南雲機動艦隊の航空戦力を指揮していたのが源田実中佐でこの人の判断ミスにより敗れた。山口多聞中将が機動艦隊の指揮官であればこれ程の大敗はしなかった、と思う。
「講釈師見てきたような嘘を言い」
この動画の中で出てくるのは、日本重巡「筑摩」の索敵1号機の機長・T(戦後K田に改姓)大尉=海軍兵学校66期出身)のお話ではないだろうかと思いました。
米国艦上爆撃機(偵察機ではないですね)隊と、「遭遇」し、「交戦」しておきながら、この重大な出来事を味方の機動部隊に知らせませんでした。
結局、米国機動部隊発見の知らせは、日本重巡「利根」の索敵4号機(機長はA飛曹[下士官]=海軍飛行予科練習生出身)の「敵ラシキモノ十隻見ユ 上空ニ飛行機アリ」という電信によってなされるわけですが、ミッドウェー海戦における索敵の不備は、「利根」の索敵4号機の搭乗員たち、とりわけ機長であったA飛曹が一身に負う形となってしまい、戦後もそのような状態が続きました。
(A飛曹は終戦近くに戦死されました。そして、その故郷のお墓には、ミッドウェーの索敵不手際の件を鵜呑みにしてしまった方達による嫌がらせが戦後も続いたそうです。)
ミッドウェー海戦の航空索敵の計画を練った、航空参謀、指揮官、そして既述した「筑摩」の索敵1号機の機長・T大尉には、何の咎めもありませんでした。
T大尉に至っては、戦後何事もなかったかのように航空自衛隊に入隊して、基地司令にまで栄進しましたが、戦後しばらくたってから、航空自衛隊にいたT氏にミッドウェー海戦に関してインタビューがなされた機会があったようです。
その時にT氏は、ミッドウェー海戦で、索敵中に米国艦上爆撃隊と遭遇して交戦した事実を認めたうえで、味方に連絡しなかった経緯については、
「その時、(敵と遭遇、交戦していながら)なぜ、味方に連絡しなかったのか自分でもわからない。慢心していたのだと思う」という旨を述べたと伝えられております。
是非実名を公表してください。この人物により日本が敗戦国となり、戦後80年、未だに日本人が苦しんでいる現実があります。そして、今後、このような行動を再発させぬよう組織改革が必要となりますので。
@@ski8846 さん、時系列で並べると、どのみち間に合わなかったので、責めるべきは個人ではなく困難極まりない作戦の実行を後方で見ていた責任者である連合艦隊司令長官山本五十六だと思いますよ。
この一件は現代史の権威H氏が引用した米側の歴史本のミスに起因しています。60年代後半、空母ヨークタウンの
歴史を扱った本「ミッドウェーの会合」(フランクス&ハリントン共著)の中で、早朝の偵察隊(ショート大尉)
の1機(プレストン少尉)が単発の日本偵察機と遭遇、交戦したものの双方に被害なく別れたとする記述がありました、
これが「筑摩1号機」であったと推察したH氏は。存命中だったT氏にインタビューしました。しばしば問題とされ
る雲上飛行に加え、米側の偵察機との接触があったことをT氏は認めました。これが「筑摩1号機の怠慢問題」と
されることになりました。これが事実だったら大変な問題になります。
しかし、残念ながら事実は違うようです。近年の米側の研究・記述ではまったく取り扱われていません。
上記の「ミッドウェーの会合」の記述が誤った資料に基づいたものであると判断されたためです。60年代には
米側の戦闘詳報や行動調書などは解禁されておらず、著書たちは生存者たちの証言などに頼るしかなく、詳細は
明らかではありませんでした。プレストン少尉が日本偵察機と接触交戦したのが事実でしたが、早朝の偵察時で
はなく、二度目の索敵時のことだったのです。(「榛名」の偵察機)
では、T氏が認めた接触した「敵機」とはなんだったのか?氏の証言には「複数回」の接触のたびに機体の進路
を変更した」とあります。「単発機との一度だけの接触」ではありません。「筑摩機」(「利根機」と他の機も)
の進路はミッドウェーからの複数機のPBY機の進路と交錯してます。同機種との接触は当然に予測されたもので
日本側は、その存在を秘匿する必要があった時間でした。隠遁行動をとるのが当たり前な状況では「特に報告する
必要」は認めなかったのでしょう。
米側の研究者たちは「筑摩機」は「機動部隊の上空を通過」もしておらず、五〇海里以内にも接近した可能性も
低いとみています。レーダーに探知された明確な記録がないこともあります。
結局、「筑摩機の怠慢行動」は「雲上飛行」だけで、それもPBY機との接触を避けるための回避行動で
当初、予定された進路を維持することは困難だった可能性もあります。別段、T大尉の行動を擁護する
つもりはありません。ただ、事実は事実として、探求して過去からの教訓を導きだすべきだと思います。
ミッドウェー島攻略は近藤、高木中将の役割、敵機動部隊は南雲中将の役割、支援が栗田中将、警戒部隊が高須中将、先遣隊が小松中将そして主隊が山本大将となる。
山本大将の役割はこの6人の中将の部隊を連携させミッドウェー島を攻略する事が主目的で敵機動部隊が出てきたら南雲機動部隊が対応する事になっています。
しかし南雲機動部隊のみ2、3つのタスクを担い後6人の中将は遊び駒化してしまった。山本大将は無線封鎖を実行し連携はより困難になる。
大和艦内で大好きな将棋を指していたらしいが実戦で多くの遊び駒をつくり敗北。将棋を指しているかたなら遊び駒が多かったら勝てない事は知っています。
もう、映画の「連合艦隊」と「ミッドウェー」見て足して2で割った感想言ってるみたいですよね。
ミッドウェー海戦で最大のミスは主力艦隊と空母艦隊を離してしまったのがいけないことだと思います。後最初に叩くべきアメリカの空母部隊を先に倒すことを南雲さんがわかっていなかったのはダメな点だと思います。この艦隊の力なら空母部隊だけでなく戦艦や巡洋艦、駆逐艦など水雷戦隊をフルに使えばアメリカの空母部隊を安易に倒す事はできたと思います。
日本側の机上演習において、想定通りにアメリカの空母が出てきても赤城・加賀が撃沈されるという結果になっています。
山口司令官はこの時は少将であります!ミッドウェイ海戦で戦死後に中将に特進しました。ご存知とは思いますが念の為に申し上げます!
12年ではなくて16年でしょ!動画訂正してください。
おじいちゃん正確な資料覚えられないならyoutubeじゃなくて近所のバカと立ち話しの方が合ってるよ、波阿弥陀仏
作戦の本来の目的、作戦は「ミッドウェー海戦」ではなく「ミッドウェー島攻略作戦」であり、ミッドウェー島を攻略、占領しそこからミッドウェー島の基地と後続の攻撃艦隊と挟み撃ちで米機動部隊を壊滅させる事だった。
南雲忠一は空母は無視して雷撃機は出さずに護衛機で防空しつつミッドウェー島に集中するべきだった
後続艦隊もいたのだから
ここで『空母撃滅!」に舵を切ってしまった事で魚雷装填も間に合わず空母も撃滅出来ず、ミッドウェー島も取れず惨敗してしまった。
変な動画を見て頭がおかしくなったかな?運良く被弾を逃れた飛龍はミッドウェー島に第二次攻撃をすべきだったと言いたいのかな?
@@久就高嶋
「目から鱗!陸将から見たミッドウェー」という動画を見て、感化されてしまったのでしょう。コメント欄にもそのような人が大半でした。
なるほど、でも残念ながら負けのタイミングが遅れるだけなのかなあ。
都間信大尉だとかつて現代の記事で読んだ
まあ日本はレーダーがまだ実用化できてなかったが米軍は普通に使ってた
この差はでかい
米軍は飛竜からの攻撃隊をレーダーで捕捉してたからね
いつの時代でもそうですね。孫子の兵法が生まれた頃も将の器によりその軍の強さを測ったと言います。
ミッドウェー島攻略戦がミッドウェー海戦に…
三座水偵でどうやって撃ち落とせって?
@user-yj5xl8zy9y
その手があったか(笑)
東京空襲では少なくとも損害がありました(改装中の空母龍鳳に直撃)はミッドウェー攻略を巡る論争に終止符が打たれたのは確か。
その間、MO作戦(珊瑚海海戦)事実上失敗、K作戦中止はスルーですか、
残念。
ドゥーリットル隊の役割は、連合艦隊をインド洋に向かわせないための牽制であった。英国はインド洋を中心に戦時物資を調達しており、制海権が無くなれば、米国による対英輸出があっても大戦継続が困難な状況だった。
大本営は秋丸機関の報告書からこの事を導き出し、先に英国を屈服させる方針だったが、ドゥーリットル東京空襲により、政治的に太平洋に視線が向くようになってしまった。連合艦隊の主張するミッドウェー攻略、米空母撃滅が軍令部に認められ作戦強行となった。
ミッドウェー攻略作戦とは、実のところ米軍に誘き出されて罠にハマった戦いであったのである。
偵察機の問題もあるでしょう。しかし、戦場は刻々と変化する。根本的な帝国海軍の戦争のやり方を
考察すると、ミッドウェイ敗戦の理由、日本側は空母の周りに戦艦などを配置する輪形陣を取らず
対空能力が劣っていた。アメリカは当然空母を中心とした輪形陣。日本側は日本海海戦以来の縦陣。
この違いは大きい。
最初にデバステーター雷撃機が来た時、空母上空の直掩機零戦を全機海面に下げてしまった事。
米国雷撃機を全機落としたと、喜んでいた時、日本側空母上空は零戦が1機もいなかった。
その瞬間にアメリカSB2Cドーントレスに急降下爆撃された。回顧録で急降下爆撃機の隊長が全く直掩零戦が
いなかったから驚いたと証言している。だからドントレスは好きに爆撃できた、
輪形陣を取らない帝国海軍司令部の思想の問題。直掩機零戦を空母
上空に配置しておらず全機海面に下げる指揮をした南雲司令部航空参謀の源田実氏の指揮の問題。この
二つが最大の問題。海軍関係者が偵察機のせいにすることは敗戦の核心を捉えていないと思う。
あえて論点をずらしているかもしれない。
さらにいうならば帝国海軍の空母は格納庫が閉鎖構造であり壊れた航空機を海面に廃棄できない。
しかしアメリカは空母の格納庫はオープンだから壊れた航空機をすぐに海面に廃棄できる。帝国海軍が
空母の格納庫を閉鎖構造にした理由はわからない、多分高緯度地域の荒天作戦を念頭にした可能性がある。
全体的にアメリカ側の危機管理能力と合理的発想が優っていたのではないか。悔しいですが、
現代においても未だ存在する両国の差に通じるものがあるのではないかと思う。
アメリカの爆撃機の発進が、遅れた事が、アメリカ側に幸いした。アメリカの攻撃機が、先に、発進して、先に、日本空母 を、魚雷攻撃の際中、低空で、ゼロ戦と、格闘中、空母の上空は、ガラ空だった、そこへ、遅れて、きた、アメリカの爆撃が、到着して、防空戦闘機のない上空で、ゆいゆうと、爆弾を、加賀、赤城に、爆弾を投下して、大惨事を与えた。
日本軍はレーダーが実用化されてませんでしたからね
通常の航空無線もまともに使えなかった
まあようするにスマホと固定電話くらいの技術差があって負けて当然なんですよ
昭和12年ではない、16年です、
ヒ様のおっしゃる通り16年12月8日、真珠湾攻撃により大東亜戦争が勃発しました!新高山登れ!陸軍も同日未明、マレー半島奇襲上陸に成功!ヒノデハヤマガタです!
最初から間違ってますね😅
すいません質問ですが、急降下爆撃機が艦船に落とす爆弾て、陸用と違う爆弾なんですか?
対艦船用爆弾は徹甲弾と言って鉄鋼に食い込んでから爆発するもの、陸用爆弾は着弾してすぐに爆発するものです。
@@makoto7192 なるほど良くわかりました、どうもありがとうございました。
指揮官たるもの配下の全ての将兵の命を預かっているものと心得て行動しなければならない。
生きて帰れば再び体勢を整えて反撃できるじゃないか?いっときの感傷にながされて自滅に進むのではなく、大局を見据えて最善の策を講ずるのが指揮官の仕事である。
もの事は、完全、パーフェクトを求めると、ろくな事に、ならない。典型的な、例である。山口多聞中将の言う通りに、していたら、あの様な、大惨事に、ならなかったはずだ。
偵察機は、敵艦隊を見つけるのが目的で、敵偵察機を撃墜するのが目的ではないと思うのだが。敵偵察機はドントレスだと思うが、なかなか偵察機で落とせる敵ではない。逆に打ち落とされたら。。。。
基本知識がないです。この小名木という男。嘘つきです。最近はこういう愛国者のフリしたビジネスマンだらけ。
大東亜戦争の開戦日は、12月9日では無い。12月8日です。
偵察機の話初めて聞いた。マジかよ‥そいつw草🌱
この動画は、一番大切な情 19:16 報が欠けている。我が機動部隊は、八機の偵察機を発進させる予定だった。内7機は、予定通り索敵に出動したが、利根の索敵機が、トラブルのため出動が二時間近く遅れた。そして敵機動部隊は、正に利根の索敵機の索敵場所にいて、敵機動部隊発見の報は、二時間位、遅れた。そして運悪く、南雲中将は、敵機動部隊は付近にいないと判断し、攻撃隊全機の雷装を解き、ミッドウェー島爆撃の陸上爆弾を装幀させた。山口中将は、陸上爆弾でも敵空母の甲板に大穴を開けることが出来、敵空母を無力化できるので、ただちに攻撃隊を発進するよう進言したが、南雲は、受け入れず、全機の雷装を命じた。そして後五分で、全機が発進できると言われた時に、敵艦載機の攻撃を受けた。空母の甲板の上の攻撃機の魚雷が次々と誘爆し、我が空母、3隻が撃沈され、ミッドウェー海戦は、日本の大敗北に終わった。
そもそも真珠湾で航空戦力を用いて大戦果をあげているにも関わらずその後の大鑑巨砲主義らに向かうというのが訳わからんな。
大戦は昭和16年12月8日に始まりました。
日中戦争が昭和12年。
真珠湾攻撃は16年やからアメリカと開戦したのは16年ですよね。
ただ、「大東亜戦争」て事になるとまあ12年で良いとは思います。
ですが、先生の説明が所々チンプンカンプンなんで・・・
魔の5分と言われている
しかし、この作戦、島攻略作戦であらゆる部隊編成していた。南雲中将さんは6人各部隊の六分の一で艦隊に集中する作戦二股してしまった
そりゃ史上初の空母対空母の珊瑚海海戦の後に階級の別なく研究と徹底的な分析をした米海軍と新兵が多いにしてはよくやったで済ませた旧日本海軍の差でしょう。情報戦でも完敗していた。大和等の主力戦艦を囮にしてでも世界最強の機動部隊で空母にとどめをさせば良かったものをよね。
順番を間違えた。まずミッドウエイ島という不沈艦空母を手に入れたから、敵艦隊殲滅する命令だったが、敵空母艦を見て「最後の手柄」とばかり、突っ込んでしまったのが原因。また、戦艦攻撃は魚雷という謎のゲームルールを狂信していた。雲霞のごとき魚雷攻撃は100%防いでいたが、高高度から垂直降下する爆撃機は、想定外だったので、やられた。確かに米軍の爆撃は、日本の工場に対して行われたが、工場に命中した爆弾はほとんどなかった。→絨毯爆撃
私でも分かる誤りが多いですね。
山口さんは中将でなく、少将です。南雲さんは中将ですから、例え意見が違っても言うこと聞くのが軍隊です。
いろいろな内容が異なっていますので再度見直されたらどうでしょうか。。
おそらく戦死後に中将昇進なのでご存命中は少将ですよね。
先生は時系列を全く無視されてますから。
てか、把握されてない様ですね。
ミッドウエー海戦は山本五十六連合艦隊長官がこの作戦が認められなけれべ辞職すると言って策定された作戦です。
でこの杜撰さ
JR西日本の尼崎事故を彷彿させるすべて個人の責任に帰する海軍の風土が招いた敗戦であり、以後のガダルカナル、サイパン硫黄島、沖縄の悲劇を招く大きな要因であると考えます。
もし、ミッドウエーで大勝利しても戦闘勝利にであって
太平洋戦争の勝利ではない。
太平洋戦争の勝利とは何か?
なんだよ初っ端から間違ってるじゃねえかよ。
それにアメリカとの戦争だから大東亜戦争じゃねえだろうが。
終戦の時、それまで自分も後から行くからと特攻隊員を出撃させてきた上官が、終戦の報告を受けて真っ先に軍需物資を横流しして財をなして、戦後も生き残った。今の自民党議員のようだ、そんなもんだ。
自民党のようだとは聞き捨てなりませんな
@@秋月-h6p 正しく自民党的だ。
日本軍の暗号が全て解読されていて、あちらさんはミッドウエー島にいつ頃空母が来て、空爆が来るか知っていたそうですよ。
だからこの空襲で攻撃隊は大した戦果を挙げられなかった。F4Fが離陸して待ち伏せていたのです。
で、レーダーで空母位置はばれていたし、偵察機にも見つかってりゃ、空爆した後戻ったところを狙われるのは当然じゃないですかね。
翌年、山本がいつ頃どこに、ガスライターにのって、のこのこ慰問にくるか、時間まで知っていたようですし。
艦載機を全部出しても空母は沈められていたと思います
ほんとの話し?
そんな話しある?偵察機は、1機1人だけなの?
そんな重要なのに?
怒られるのが怖くて報告しない?帝国海軍が?
疑問だらけ?
怒られるのが怖くては真実かわかりませんが普通に実名でネット記事とかに上がってますよ
遭遇したのは米軍の偵察機じゃなくて爆撃機だそうですが
偵察機は本来低高度を飛ぶのに雲の上を飛んで天候不良で敵を発見できなかったと悪びれることもなく戦後語っていたそうです
検索すれば詳しい記事すぐ当たると思います
開戦、半年の快進撃って欧州の植民地の守備隊相手にでしょ。 まともな軍隊じゃないし、補給も増援もしにくいから、そりゃ勝つよね。
珊瑚海海戦で一旦進撃止められているんだよね。この教訓を!残念
そうでしたか、米軍レーダーを駆使して勝ったと言う意見が多かったけど、上下、の信頼が負けにつながったのですね、
大東亜戦争の始まりは、真珠湾奇襲による昭和16年12月8日と記憶していますが、先生のお話画面では、昭和12年12月9日と表示されていますが、誤りではないでしょうか?。又、床の間にある大小刀の置き方が逆にあり、刀が休む事ができない状況にあることを付け加えます。先生の御高説は、いつも興味深く拝聴しております。宜しくお願います。失礼しました。
ミッドウェー攻略部隊も別に編成されていたのでまず、そちらを島に向かわせるべき。艦隊決戦はいくぶん運の要素が強いので😐
山口多門氏は、少将ですよ。戦死後、中将に進級した筈です。
事実をキッチリと押さえて動画を作るべき。ミッドウェイ攻略作戦に日本が大損害を被ったことは事実ですが、いい加減なことが多い。
時系列が滅茶苦茶です。
話の内容も荒唐無稽と言わざるを得ません。
どう時系列が無茶苦茶なんでしょうか?興味あります。
戦艦伊勢にレーダーを設置してるが、せめて空母どれかに設置してればなぁ
理由は簡単
太平洋戦争開戦前から日本の暗号はとっくに解読されてたから(笑)
だから真珠湾にも空母はいなかった(笑)
これ本当の話(笑)
コメ主さんの言われてる事は
真珠湾攻撃 陰謀論の一種だと思いますね。。
日本の暗号…と単純化して括られておられますが
日本の暗号と言っても、組織ごとに異なったアルゴリズムの多数の暗号が使われていました。
戦前に解読されていた暗号として
外務省の機械式換字暗号(米側呼称パープル暗号)は、ある程度解読されてましたが
真珠湾攻撃を具体的に示した海軍の戦略暗号JN21は、まだ解読未完了でした。
まぁ、海軍の情報戦の認識は激アマだったんで、戦争が始まって以降は
かなり早く解読が進んでしまったんですが。。
動画見てないけれど・・・・基本的に、提督の能力の違いと軍として、提督が仕切る軍と惨坊がイキル軍、相手が死んでもも一度確かめるために殺しておく軍と、適当にこちらの被害拡大懸念でかくて手を引く軍、被害被りゃ、いさぎよくあきらめて沈んじゃう軍と、死に物狂いで生きる道探して、も一度相手を殴ってやろうって軍、など、”いずれ負けるほうがあの時に負けはじめた”ってだけ。
多聞丸のいうことを守っていたら全滅はなかったでしょう。空母戦はなんたるかを知らない南雲中将では?
南雲司令にはとっても優秀な航空参謀がついていたはず、のちの自衛隊で重責を担うような。
米軍の司令官のスプルアンス少将も水上部隊の出身で機動部隊を指揮したことはなかったそうですよ
南雲と大差なし
第58任務部隊こそが戦前懸念されていたもので、1940年の両洋艦隊法の子供達です。
帝国海軍としてはこれらが43年後半から続々就役して来て勝目がなくなることが分かっていたので開戦を急いだという一面が、あります。
ここで大事なのは、これが真珠湾攻撃より前に成案した計画の結果でしかない、と言うことです。
つまり米国をして戦時生産体制に踏み切らせたのが真珠湾攻撃でもミッドウェイでもなく開戦前年、40年6月フランス降伏を受けての計画だった、ということ。その他にも、陸軍800万の動員を定めた重要な、レインボープランは41年3月の策定でした。 真珠湾攻撃の前から、米国の大増産体制は既に始まっていた、との観点に注目頂ければと思います。
更に科学技術上の長足の進歩。 動画の通りではありますが、レーダーと無線通信を利用した完璧な防空システム。VT信管、2000馬力のF6Fヘルキャット、最新鋭の高速戦艦アイオワ、ソナー対潜網、Mk14魚雷。建造年度の古い帝国連合艦隊を遥かに凌駕する異次元の戦争マシーンであることは戦前には予測もつかなかったでしょう。せめて帝国海軍側に石油が十分にあれば、基地航空隊、母艦搭乗員共にもう少し練度を高めることも出来たかもしれませんが、焼け石に水か。
あと大事な観点として、本海戦で漸減邀撃作戦の課題が証明されてしまっていることです。 マリアナ海戦の直前、連合艦隊主力はニューギニア方面で敵の陽動作戦に引っかかり、渾こん作戦を発動。マリアナへの到着遅れ、石油不足などを生じています。つまり敵の出方を正確に読むことの困難さが露呈した。 この点は日本海海戦の頃から余り進歩が無く結局、展開の早い基地航空隊が単独で敵機動部隊に対処して、1000機が溶けて無くなるように消耗。連合艦隊は遅れて到着してこれも消耗と、各個撃破を喰らう形となりました。
ただ連合艦隊の負けっぷりの割に、主力艦隊は無事に帰投し、次のレイテを迎えられたと言う事実も重要で、ここからは、無理強いさえしなければ決定的な敗北を喫することはない、形勢不利となれば戦場から離脱すれば艦隊は温存出来る、と言った戦訓も見て取れます。つまり、日米両軍にとって、日本海海戦のような一方的勝利はもう望むべくもない、という事実です。
先のMI作戦において、アリューシャン方面の兵力が遊んでいた、とする指摘はこの点を見逃しています。あの兵力は敗残する太平洋艦隊の退路を断ち、包囲殲滅を完成する構想だったのです。大失敗でしたが。
そしてこれらの戦訓こそ、1941年の開戦前に兵棋演習で度々指摘されていた、漸減邀撃作戦のウィークポイントに他なりません。 ①敵出現の時間と場所が読めない、臨機応変に対処出来ない。②漸減の裏返しで各個に撃破を喰らう可能性③形勢不利と見た時点で退却されれば決戦として成立しない。
41年7月30日、軍令部 永野修身総長は天皇陛下に以下、奏上しています。「書類には持久戦でも勝算ありと書いてあるが、日本海海戦のような大勝はもちろん、勝てるかどうかも分かりません」 この言葉が当時の漸減邀撃作戦に対する見込みを良く表していると思います。そして、ハワイ作戦の妙はその点にあった、との側面が見えれば史実の展開が少しだけ、理解しやすくなると思うのです。
そして帝国海軍にとって、本来ことここに至る迄に太平洋艦隊は撃滅しておくのが前提でした。つまりここまで戦争を長引かせてしまったらもう勝ち目はない、ということは当の大本営幕僚全員に共通した認識だった筈。
ここで命を張って無条件降伏を唱えた人もいましたが、憲兵隊に手を回してこれを阻止しようとする動きもあった、そんな風に国内がバラバラでしたから、強力なリーダーシップ。ともすると独裁こそが求められた時代だった、
偵察機の報告が有ると無かろうと遅かれ早かれ敗戦してるし、連戦連勝を海軍がしてしまった為驕ったのも失敗、
南雲中将も歴史では悪く言われてますがそもそもが作戦ミス ミッドウエー島を取る作戦で出航して 途中で海戦になってしまったから武蔵や大和は後方に居たんでしょうから
日本が大東亜戦争に勝って戦勝国になってたら今の中国やロシアみたいな国になってたでしょう ある意味負けて良かったのかもしれない
ありがとうございます..ありがとうございます..ありがとうございます...
みんなみたまそうおうにかいしんかいしんかわるかわる...みんなうれしたのししあわせありがたいとなるときがくる...ありがたいありがたい...
こ拝
アランチューリング1人に負けました。
山本五十六は間違ってはいなかった。
日露戦争と同じパターンになる筈だった。
しかし、数学者の価値を知らない日本民族は、暗号解読を考えられなかった。
ドイツのエニグマを解読をした英国の数学者の指導で、日本の暗号は解読された。
山本五十六は、後日、自身でケジメをつけた。
山本五十六ははるか後方の戦艦大和の一室で将棋をさしていたというのだから、わざと負けるための戦いでした… 。😢
同感です。山本はフランクリンルーズベルトのハーバードの同窓生で仲間です。
すべては運なんでしょうね。発見した部隊の上官が人徳者かどうか、それで今の日本があるわけで。いつの時代もそんないい上官がどこにでもいるわけじゃないですもんね。
真珠湾攻撃のあとミッドウェー島を攻撃しなかった。
これに尽きる。
してるけどね。
戦死されて山口将軍,現職少将ですね
遥か(ほるるか) 遥(うんこ) 呪(はるか)
ほるほるるるるるるるるるるほるほるほるるるるるる ほるほるるるるるるるるるるほるほるほるるるるるる
ミッドウエー攻略作戦
動画で話される事も理由の一つなのかもですが
しかし実際はそんな小さな理由でなく色々な要素で日本は負けていた。
分岐点が偶々ミッドウェーと言うだけでその前のインド侵攻の際も運が味方になっただけで検証すればかなりやばい話
ハワイだって裏話的にはアメリカは既に知っていたと言う事も言われてるし
小隊同士の戦いならウプ主的な事もあるかもだが国対国の戦いに一人の兵士失敗談で
あそこまでは誰が見ても負ける要素ない
あるとすれば誰かのせいにしたかったって話でしょう
海軍出身の祖父や叔父から聞いた話ですがね
人生で、最も貴重な瞬間、それは決断の時である。
そんなフレーズのアニメンタリーがありましたねぇ。
勝って奢るな、敗れて泣くな!!
男涙は見せぬもの。
大東亜戦争は我々に、生きる為の教訓を、数多く残していると思います。
当時の水上偵察機は、空中戦できないですよー。
あと、ミッドウェー海戦当時、戦艦武蔵はまだ就役してないです。
自称歴史家は変人が多い
零観ならともかく、索敵に出しているのは零式水上偵察機ですからね・・・。
索敵任務を放棄してフロートを付けて豆鉄砲でドーントレスに挑むなんてやる訳無いだろう。零戦だって落とされる事が有るのに。
敵偵察機を発見しても撃墜しないと報告できない。撃墜できないなら報告しない。そんな事実は知りませんでした。現代日本人にもありませんか。
優しさがないと組織内でも駄目でしょう。意思疎通の基盤は信頼ですね。
嘘ですよそれ。索敵機に戦う能力はありません。狙われれば終わりです。
そんな事実はありません。妄想老害の戯言です。
老害の妄想です。索敵機は戦う必要がありません。狙われれば逃げるだけです。
だから、「我ニ追イツクグラマン無シ」偵察機に高速性能が求められるのです。
老害の妄想です。索敵機は戦う必要ありません。狙われれば逃げます。
だから「我ニ追イツクグラマン無シ」偵察機に高速性能が求められるのです。
???「敵の偵察機を発見!」
幕末で言う坂本竜馬を暗殺者が幕府側で無く薩長側で新政府より認められ出世は認められだが日本偵察機は戦死してるはずでは🈁️が似た発想で面白いが微妙にズレがあって面白い
フランスと戦っていないです、オランダの間違いですね
軍マニア😢いざとなれば君は怖くてなにもしないでしょ❔
重箱の隅を突付くコメントはやめろ〜、大筋はこの通り、軍事オタクは細かい〜💢💢
0:56 昭和16年12月8日では?
間違え方が、心配になるレベルですね
頭かなり悪いので小木名は。こんなやつの話信じるのはバカしかいません
架空戦記だよね。ソースはあるのかな?
ご解説の点があったなら、敗因要因ですね!
それと、私は機動部隊に二正面作戦を課したのも敗因要因と思います。我が機動部隊には敵空母の殲滅に専念させ、ミッドウェイ島の攻略は大和の44㌅砲等に依る艦砲射撃で十分の筈。それに、旗艦大和他戦艦群が遠く離れていた事も解せない!
これらには、前述の島の攻略や空母の護衛に当る等、やる事は一杯あった筈です。空母に砲弾を取っ替え引っ替えしている等愚策の極みです。
大和は44インチ砲を装備しているんですか?すごいですね初耳です。
空母に砲弾を取っ替え引っ替えとはどういうことですか?
いい話しだな!
そう言う人物に会った事が、一度あるかないかである。
大概の日本人は、意地汚く、自分さえ良ければ良いとする人間が多いい。
意地汚い人間はどこまでも汚い。
同じ日本人にさえ嫌悪感を抱く。
しかしながら、通信簿はある科目は常に3であったが、ある先生から始めて5をもらった事がある。先生によると、お前はこの科目は人並みであるが、一生懸命にやっているお前をみて、いずれ5になると思い5をつけた、と言われた。
この先生の期待に沿うように一層頑張った。
今日あるは、この先生のおかげ!
この先生のお陰で、自分の中の日本人を嫌いにならずに生きている。
偵察機が発見出来なかったのは
おかしいな~なんか裏があるなー
と前から思ってましたがまさか
こんな間抜けことをしてたとは
そりゃ勝てませんわ
しかしその後自衛隊の幹部になってたとは
ふざけてますね
情報全て読まれていたし、山本五十六自体がアメリカの工作員、他にもたくさんのスバイ、全てはDSにハメられた、
そうです山本五十六はアメリカのスパイです。
また、話しを面白おかしくするために、史実のポイントがねじ曲がってます。
みなさん「 ミッドウェー海戦 」 っていつも 「 海戦 」 ってつきますけど、本来は、「 ミッドウエー攻略作戦 」 すなわち、上陸、占領する作戦だったのです。そもそもそこから間違っていたのです。真珠湾攻撃のように攻撃するだけの場合と全く戦術の順番が違います。小名木さんわかってますでしょうかねえ。
最初の日付も、12月9日っていってます。それ何が起こったのでしょうか。真珠湾攻撃は、日本時間12月8日未明ですよ、話しの最初から間違ってませんか?
しかも、「 大東亜戦争 」 は、真珠湾攻撃からはじまったと言われてます。全くのデタラメです。戦争をはじめた本人である、東條首相は、日中戦争も含めて、「 大東亜戦争 」 と言っています。← これって無視ですか?
散々中国人を叩き潰した日中戦争については、小名木さん隠したいでんすね。それなら、精々 「 対米戦争 」 というべきです。
まあこの方、講談師ですから。万葉集の爆笑解釈とか、出鱈目忠臣蔵、常にお笑いを提供してくれてます。
散華された英霊に、敬礼いたします。
運命の3分間ウソです。創作されたそうです。負けた、言い訳をつくらざるおえなかったそうです。それ以外は概ねおっしゃる通りとおもわれます。
これだけアンチコメントあるのに続ける貴方が凄すぎる😂デタラメ炎上商法なんだなぁ…
俺は戦争礼賛の保守は大嫌いだし、このおっちゃんのことはよくしらねーけど、そのメンタルだけはすげーよね。顔出しだし。
ミッドウェー開戦は燃料の問題、後ろにタンカーを連れて行くとタンカーの時速が遅い事。山口多聞中将は空母に乗るときに甲板で爆弾交換はなしの条件。後は南雲中将は真珠湾攻撃の二次攻撃をしなかつた焦り。燃料タンク、工場を爆撃しなかつた事かなぁ😢年功序列の軍部、南雲ではなく山口多聞だったら違ったかもねぇ😮😢
欲をかいた、爆弾で敵にすぐ発艦させる甲板で作戦行動出来なく、進言する人居なかった、聞く耳がない人だった、むつかし
レーダーの話が出ないのは 阿保話
この索敵機のパイロットがちゃんと報告していればミッドウェー海戦で敗けることはなかったというのは大きな間違いです。
他の方も指摘されている通り索敵機では敵機を撃墜出来ません。
ミッドウェー海戦については【地図で見る太平洋戦争】 ミッドウェー海戦で遥かに詳しく検証されています。
戦後の通説が一変されます。
でも、索敵機であろうと精神力で敵機撃墜するのが当時のメンタリティーではないかと思います。論理ではなく精神力。
もし、報告しなかった事が本当であればきっと「精神力が足らんと」上司の方の怒られたし、偵察機方も人間です。上司の方に怒られるのが嫌だったのでしょう。 今の会社等の世界でも起きうると思いまいます。
上司次第ですね。
また、与太話だね、こんな話聞いた事も無いよ。根拠もまともに出せん人はあてにしちゃダメよ(ああ、俺が聞いたかな)。逆に運命の5分間で無いとか、索敵機の1機が高度守らずとかなら聞いてるが。これなら神立さんの本当に各員に聞き取りしたレポ読んだ方が良いよ。
この人、常に日本サイコーの人だから仕方がない。当時の日本は神州不滅とかほざいてた頭のおかしい上層部と何も変わらない。こういう人がいる限り日本は不幸な道を辿り続ける。ときには冷静で客観的な視点が必要。
このオヤジはろくに知識も無い只のネトウヨですから。
歴史にifはないんだよ🙂↔️
ではなんで撃ち落とさなかった?
五十六が南雲(空母赤城)にUSがいる事を知らせてないのが怠惰だ。それに事前に暗号改正にも五十六は反対してる。アル中男は全く怠慢だわな。暗号改正をして
何が悪いんかな。準備に時間がかかったのかしらね。 🤔