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江戸時代の技術凄かったんですね。解説も心地よい語りで、聞きやすいです。
すごいですよね~いまから400年も前なのに。それは本当に嬉しいお言葉です!
線香に火を点して、夜間に傾斜を測量した!
河川にある土手(堤防)も江戸時代につくったらしいですね。凄いですね。子供の時は土手は自然にできたものだと思っていた。
タモリ倶楽部がなくなってしまってなかなかこういった情報ってふれる機会がないですが、面白くみさせてもらいました。🙇
私もタモリ倶楽部のような番組が好きだったので、そのような動画を作っており、そう言っていただけると大変嬉しいです!!ありがとうございます!
地理が大好きな人間です。こんなに面白くて為になる動画をアップして下さって本当にありがとうございます。旧玉川上水緑道という看板を見て凄く気になっていたのです。理由が分かってとても嬉しいです。ありがとうございました。
お茶の水から外堀を見下ろしたときにその深さにびっくりする。これを仙台藩が掘ったのかと考えると仙台出身者としては驚きとともに感慨深い気持ちになる
そうですよね~あれは恐怖を感じるくらいに深いですから、やはり土木の天才伊達家だからできる素晴らしいものだと思いますよ!!
貞山堀も、北上川沿岸の米を安全に江戸に輸送する目論見で掘られた。完成は遅かったけどね。仙台藩は、実高が六十万石以上はあり、江戸廻米で潤った。北上川を追波湾から主流を石巻に付け変えたりもした。
年少の頃に三鷹に住んでいたので玉川上水(当時はまだゴウゴウと流れていました)の話は懐かしくみさせていただきました
そうなんですね!ごうごうと流れるのを実際に見ておられたのは大変貴重なご経験ですね!!お役に立てたのであれば幸いです!
太宰治の終末の場所を見に行って、水流の少なさにビックリしたのですが、得心しました。
都市を形成するためのインフラ整備は昔からの大切な事業だったんですね。先祖様をありがたく思います。
溜池も一時使ったが、人口増で埋め立てた。今は名だけ残っている!
しかしながら江戸時代の土木技術すごいものありますね高低差など素晴らしかったです秀吉に関東の海水が陸地に浸食した土地与えられ人々が住む所に整地して城も建設する原動力は子供の頃からの今川家からの人質生活で培った事などから、大坂に及ばないようにしたと考えられますが都市に変えた思慮深い知恵が発揮されたと思います
中村哲医師が、アフガニスタンで、水路を作り、緑豊かな、食糧が取れる土地に変えたのも、日本の水路のやり方を学ばれて、アフガニスタンの人でも直すことが出来るようされたそうです。
中村哲医師の 医者井戸を掘る ですね。偉大な方を死なせてしまった 合掌
勉強になりました。
子供時代に玉川上水近くに住んでいました。現在の水量からすると太宰治の行動は考えられませんが、以前は凄まじい水量で危険でした。
ブルドーザもパワーショベルも無い時代にこんな長い水路よく作れましたよね。凄い話です。
この時代、人柱とかもあった…合掌…
毎日玉川上水駅利用しています。東京の上水歴史とそのインフラ技術大変参考なりました。治水対策は国の礎。ブラタモリファンとして貴重な歴史情報感謝です😂
生まれてからずっと都民だけど、吉祥寺の生い立ちは知りませんでした。勉強になりました。ちなみに神田川には現在、落合水再生センター(下水処理場)の処理水(再生水)が大量に流れ込んでいて、その同じ水が渋谷川・古川、目黒川、呑川にも清流復活事業として流されています。
すごいですね。初めて見たのですが、Google earthだけで案内を完結できるんですね。もの凄くわかりやすかったです。ありがとうございました♪
お褒めいただきありがとうございます!!わかりやすかったのであれば、本当に良かったです!!このときは動画を撮る装備が乏しかったので、苦肉の策だったのですが、喜んでいただけたのであれば幸いです!
小平市で上水沿いに住んでいて、玉川上水の事は割りと詳しいと思っていましたが地下水道で井戸になっていたのは初めて知り勉強になりました。玉川兄弟案は2度失敗し頓挫したところ、工事の総奉行である老中松平信綱の命を受けて計画を見直した安松金右衛門案で完成に至った説がありますが、兄弟は姓を許されたり上水の管理を世襲で任されたり後世でも偉人扱いで真実はどうだったのか興味深いんですよね。
重機なんかが全くない時代に、よくこれだけのものを作りましたよね。
息もつかせず畳み込む、凄いお話、有難う。若者よ知らずに生きてる日本を知れ、世界に類いない日本に 誇りを持て。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
初めてこのサイトを拝見しました。水を制する者は天下を制す、が実感をもって理解できました。へー!ほー!の連続。おもしろかったー❗️東京じゅうの人が毎日不自由なく水を使っていることは、単に自然に恵まれているだけでなく先人から続く努力の賜物なんですね。
江戸時代の土木事業ってか、測量技術の凄さよ。外国から来て一番驚いたのがこのような上水施設と江戸市中の人口と町中の奇麗さだったって言われてる。おまけに町人の子供達も寺子屋とかで勉強してたってことで「とんでもない国です」って本国に書き送ったって記録が残ってる。
江戸時代の治水工事の技術って凄いですね。わたしの住まいの近くにも〜茨城県水戸市ー那珂川から水を引いて稲作の耕作面積は江戸時代に完成した、と言われています。その水路の名前は、小場江用水と呼ばれています❤❤
井の頭の池は高校の時、彼女とデートでよく行ってました 当時三鷹台に住んでいて神田川や玉川上水を見ながら育ちましたのでとても懐かしく思いました あの頃一緒にボートに乗った彼女は今は私の妻です
素晴らしい思い出ですね~ボートに乗ったら別れるなんて伝説がありますが、それを乗り越えられたとは素晴らしい限りです!
くやしい❤@@TokyoTrivia
「水道育ち」と言うもはや死語となった言葉がありますが、この動画に拠り”三代続けて水道の水で産湯を使った”と言う江戸っ子の誇り、何か理解できたような気がします。
30年ほど前に玉川兄弟という本を読み、ただただやみくもに羽村迄たどった事があります。こんな知識があったら良かったのに、と思いながら興味深く拝見しました。ありがとうございました。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!確かに、知識を前提に持っていると、より楽しく歴史を見ることが出来て、面白いですよね~
ちょうど「家康、江戸を建てる」を読んだところだったので、大変興味深く視聴させていただきました。かつては湿地だった土地を埋め立て水を引くプロジェクト、凄いですね。
それはそれは、楽しんでいただけて光栄です!そうですね~重機も何もない時代に考えることが本当に壮大ですよね!
素晴らしい土木技術、徳川の時代からこれをやっていたんだからすごい。昔の人々の叡智とそれを利用する技術全く賞賛に値する。何と賢いことか😅😮。
初めて視聴しました渋くて良いお声ですネ
ご覧いただきありがとうございます!それは、恥ずかしくも大変うれしいお言葉です!
やっぱり家康は凄い人だったんだと、よく分かりました。
そうですね!天下を取るだけありますね~
旧武田家家臣には、そう言う土木工事に長けた人材が多かった。家康は武田の旧臣を多数抱えた。伊奈氏は四代に亙って、水利工事に従事した。河川工事には武田家の技術が各所に生かされている。
こんな完ぺきでは戦なんてばからしいわ、平和が続くわけだ
イケボでいらっしゃる^^終始「へぇぇー😮」 となりながら聞きました。コメント欄も含め、とても勉強になりました。(覚えていられるかは怪しいけど😅)息子と一緒にもっぺん見ます。動画ありがとうございました。
お褒めいただき光栄です!お役に立てると嬉しいですね~ご子息様とも見ていただけるとは、動画を作った甲斐があります!
道端の何気ない置物にも歴史や意味もちゃんとあるんだなぁ
とても面白かった。治水=民を治めるですね。家康は評価様々ですが暴れ川もなだめ、最大インフラの飲料水も提供できたしかも一年で工事を行ったのは伊達政宗にはとんでもない話だけどとにもかくにもやったのが凄い。ローマ時代も同じインフラで、お風呂文化も同じなのが面白い。江戸時代のリサイクルの徹底も凄い。日本は鎖国したいくらいですが・・・グローバルは窮屈と同じ意味らしいので。
この声安心する😊
すばらしい解説です。命の元となる飲料水の歴史と現状をじつに詳しく知ることができますね。Google Earchの3D画像も見事に同期されていてわかりやすいです。ナレーションも慣れておられ聴きやすいです。なお、玉川上水に関しては劇画で、忍者系統の職人が綿のようなものを川底に埋めて漏水を防ぎ、高低差を詳しく調べて工事を完成させたという説がありました。
このコメントの評価が、もっと高くなっても良いと思います。
粘土敷いた上に蓙やら枯れ草やらで河床を防水しています
最近物忘れや反応が遅くなっている高齢単身女子です。時間をかけ丁寧に調べ整理し、聞きやすい言葉での説明、感謝します。繰り返し聞き、分からない部分を考えたりして脳の老化予防にさせて頂きます。有り難う御座いました😅
為になる解説をありがとうございます。 さて、話は違いますが、東京都世田谷区二子玉川の辺り、多摩川の畔に「玉川村」という場所がありました。 その二子玉川から渋谷まで、路面電車が走っていて、「玉電」と呼ばれ親しまれていました。
その玉電の路線は、昭和35年頃(もうチョイ後?まで)は、多摩川を鉄橋で渡って、南武線(国鉄)の武蔵溝の口駅まで繋がってましたね。その鉄橋を渡るのが不安ながら、正月とお盆の年間2往復は、密かに大好きでした。
やっぱ声って重要👍機械音声は疲れる
スネークの中の人が喋ってるんで特別ですね。
この上水の事業を世代を継いで推進できたのがすごいことだ。利根川の上流から河川の流れを変えるのも、上水を整備するのも1代でできた仕事ではない。家康さんは、江戸、東京を作った偉人として称えたい。
利根川東遷の完成は、明治まで掛かりました。利根運河の開削で、東北大名による、江戸への米の輸送に大きく貢献した。
素晴らしい動画有難うございます地名の由来など大変興味深く拝見しました😊
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!喜んでいただけて光栄です!
江戸の命を支えた水の成り立ち、とても興味深かったです!
いい声ですね。こういうことを教えてもらえる機会はありませんでした。早速登録しました。これから楽しみです。
お褒めいただきありがとうございます!わかります。なかなか、教わる機会は少ない話題ですものね~ご期待に添えるように頑張ります!
貴重な情報の数々、大変参考になりました。これからも期待しております。有難うございました。
大変興味深い動画をありがとうございます。東京に来てから都内を引越しして来ていて、それぞれ全く縁のない場所ばかり住んで来た様な気がしていましたが、意外と上水に関係のある場所が多い事に気付きました!いやもうビックリです…。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!確かに、人が住みやす場所には必ず水が関係しますから、不思議に縁が繋がりますね!
確かに人が住みやすい場所には水が関係しますものね。玉川上水、井の頭公園、神田川、神田川浄水取水など、自宅か職場から常に10分圏内なのは個人的には本当に驚きでした。
玉川上水の分水の更に分水のほとりに、生家がありました。玉川上水の詳しい歴史を知ることができて、幸せです。
そうなんですね!それはお役に立てた嬉しいです!
面白かったです!川の終わりに住んでた人が始まりの場所に移住したというところにロマンを感じました!
ありがとうございます!そうですよね~私もこれにはロマンを感じます!
毎日使う京王線に桜上水という駅があります。なんでも近くに玉川上水の名残があったことで、命名したとか。
勉強になりました。ありがとうございました。
江戸の上水って、木管で引かれ地下に埋設、利用する場所に井戸という形で汲み上げ場を設けてそれを利用する形。雨水は側溝を設けて河川に流す。し尿とかは大きな甕に溜め、近郊の農家に売りつけて大家の副収入にしてたとか、いろいろ衛生管理に気を使った施策を展開してたかと。河川に直接し尿を流すような欧州のようなことはせずに、飲用水・生活用水と生活雑廃水を分離しているのが世界的にめずらしいようなことがあったような。。。ある意味江戸でローマ水道のようなことをやってるわけで、その知恵の出処が興味深い。
玉川上水、神田川なんとも懐かしいお話ありがとうございました。俯瞰して説明をお聞きするとよくわかりますね。かつて上水を追って羽村から太宰発見された地まで何度も歩いて辿れないところもありいらつきましたが、それよりも武蔵野を彷彿とする木々の間を歩けるのが楽しかったです。あの神田川の歌が流行った頃江戸川橋に住んでいて床上浸水に遭い、今から思えばいい思い出になりました。玉川上水駅のそばで分水されている野火止用水の脇に住んで木々に安らぎをもらってます。
ご覧いただきありがとうございます!素晴らしい経験をお持ちですね~私は自転車で都心から遡ったことがありますが、久我山から三鷹にかけて未舗装の泥道が多くて、断念した経験がありますね笑確かに、自然豊かな雰囲気はちょっとした山歩きのように楽しいですよね~時代ごとに思い出があって非常によろしいかと思います!
非常に興味深く拝見しました。お寺が無いのに何故吉祥寺なのかも分かってスッキリです。因みに私は渋谷区北部に住んでいて、玉川上水が完全に暗渠になる前の状態を覚えています。あと、太宰治の遺体を発見したのが私の同級生の親父さんだったそうです。
ご覧いただきましてありがとうございます!おお、暗渠になる前をご存知とは素晴らしいですね!太宰治に関してもそのようなつながり、非常に興味深いです!
大変勉強になりました
えっ…!?えぇ!?😮1年未満!?ヤバイ普通に声出る程びっくりした💦現代でも驚かされること多々あるけど昔から土木凄かったんだな〜🤔
玉川上水の止水以降の環境悪化は甚だしく悪臭や害虫の大量発生等がありました。土地が高かった小平付近では非常に深い空堀のようになっていました。近くの野火止用水も含めて清流復活はとても嬉しかったのを思い出しました。
貴重なお話ありがとうございます!水は流れているだけでなんだか豊かな気持ちになれますしいいものですよね~
@@TokyoTrivia 動画と内容は違いますが 江戸時代には料理えお作る際に調味料を計るのには何で計ったのでしょうか?
興味深い質問ですね!調べてみると、計量して料理をすることは明治以降のごく近代に始まったもので、それより前の時代においては味を確かめながら目分量で投入していたようですね~
とてもやさしく解りやすく説明していただきました。利根川東遷についてもお願いします。
とても興味深く楽しい動画をありがとうございます。勉強になります。木樋の話とかそこからの変遷とか水道に限っても話題に事欠きませんね。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!お役に立てて嬉しいです!確かに技術の一つ一つに注目するとほんとにいろんなことがあって面白いですよね~
今は住んでいませんが、実家が井の頭で、よく父母から、井の頭の名前の所縁(ゆかり)とお茶の水との関係を聞かされていました。そんなわけで、御茶ノ水の名前について聞けるかな、と期待していたのですがね。。 とにかくとても勉強になりましたよ。 感謝です。
実家が井の頭とは素晴らしいですね!!時々吉祥寺に行きますが、自然と都会が融合する地域で住心地が良さそうですね~こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
むかしの人はしっかり街づくり国づくりをしていたんだと感心しました東京に住んでいますがいろいろ知らないことが多いと気づかされました
すごく良かったです😂
褒めていただけると大変うれしいです!!ありがとうございます!
神田川の話をするなら平川の話もしてほしかったですな。神田上水開削以前に日比谷入江あたりに流れ込んでいた本来の神田川の流れね、まあ資料が少ないんで難しい話だと思うけど水歴史マニアににはとても興味のある話だと思うので。
とても面白かったです。以前、笹塚から幡ヶ谷近辺に住んでおり、玉川上水を散策した時に雰囲気がいいので興味を持ったことがあり、そのことを思い出しました。ありがとうございました。
喜んでいただけて大変うれしいです!!笹塚から幡ヶ谷あたりは幹線道路から少し外れると、非常に静かな住宅街が広がっていていいですよね~
羽村取水堰で取水された水の大半は、東京都羽村市羽東3-17付近から西に延びる地下導水管を通じて横田基地の地下を通り東京都武蔵村山市本町2-8付近まで流れ、さらに北東に進路を変えて多摩湖(村山貯水池)に注がれています。そこに貯水され、多摩湖自転車道の地下の送水管を通り東村山浄水場、境浄水場を経て、井の頭通りの地下を通って世田谷区の和田堀給水所にも送られているほか、朝霞浄水上などにも送水されます。また、羽村取水堰の上流の小作取水堰で取り込まれた水は、同様に地下の導水管を通って狭山湖(山口貯水池)に送られて貯水され、多摩湖の水と同様のルートで利用されています。多摩川から取水した水は東京都で使われる水道の2割弱を占めます。残りの大半は荒川、利根川から取水した水ですが、昭島市や東久留米市など一部地域では地下水を汲み上げて利用しています。南沢浄水所がある東久留米市の南沢付近は湧き水が豊富であり、落合川、黒目川、新河岸川を経て隅田川にも注いでいます。落合川の水は湧き水が主のため本当に綺麗で夏は子どもたちが水遊びをしています。
素晴らしい情報をありがとうございます!!
時代劇で長屋で井戸端会議してるような光景が自分たちが知ってるただ深く掘って地下水得たものじゃなく玉川上水なりで人工的に水を引っ張ってきて作ってたのは驚きですね。ローマ水道に匹敵するインフラ整備ですね。
歌舞伎でも出てきますけど長屋では年に一度井戸さらえをしてたようです。たいてい7月7日だったらしい。住民総出でお掃除day
コンクリートも無いのにどうやってこんな四角い石を作ったんだ?
@@健久保田-x4k そりゃ「石から彫った」以外ないですよ石の井桁は戦国時代にはもう存在していましたし(地中部は石積みでしたが)
@@東郷紘一 人力で掘るんだから凄いよ。わざと柔らかい石選んでるとは思うけど
そう考えるとローマ水道すごいな
豊洲の裏路地で井戸を見つけて驚いた記憶があります。もう使われていない様子でしたが金属製の典型的なスタイルでキュコキュコするヤツです。場所は凄く曖昧で豊洲五丁目辺りだったかな~
確かにあのタイプの井戸ポンプは見つけるとワクワクしますよね~しかも5丁目辺りだと今はビルが立ち並ぶエリア。突然のノスタルジックな光景に心ざわつきますね!昭和の頃の下町では井戸はのむというより洗濯に使用していたようですが、全自動洗濯機が普及したこともあって、消火と園芸用くらいしか使わなくなっているみたいですね~
地盤沈下と、地下水汚染で飲用にしないようにと指導されています
神田川 神田上水 妙正寺川私の生家の井戸、父が電動モーターを付けて、水道と同じ様に使えるようにしました。工事の時、地下に粘土層や炭の層があるのが不思議でした。私の生家は昭和通りから30m位入った所にありました。井戸水は飲む事はできましたが微妙に鉄の匂いがしました。h.okuma
非常に貴重なお話ありがとうございます!すばらしい思い出ですね~
歴史の裏話、とても面白い話ばかりで勉強になりました😊
歴史を遡ると地名の由来も解明できる。面白いですね。「家康、江戸を建てる」門井慶喜著の本に江戸に上水道を初めて設置した話があります。その本を読んだ記憶を思い返して拝見しておりました。記憶が曖昧なのか、合点のいかないところがありましたので、また読み返したいと思います。実に興味深いお話をありがとうございます。これからも歴史を掘り下げてください!
おっしゃるとおり、歴史を知ると、地名が何を意味するかわかり、その分その場所に対する見え方が変わりますよね~おお!「家康、江戸を建てる」をお読みになったのですね!視聴者の方からも、本であったり、NHKでの番組で見たなどコメントを頂きますので、かなり人気の作品になっているようですね~こういった本が人気があると言うのは個人的には多くの人が歴史に関心を持っていると言うことで、非常にいいことだと思いますね~こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!!これからも、ご期待に添えるように頑張ります!!
オススメに出てきたんでちらりと見たら、ええ声すぎたので登録します(笑)睡眠学習させてもらいます♡
褒めていただけるとは、恥ずかしくもありますが、大変うれしいです!学習の一助になれば幸いです!
分かりやすく丁寧な説明ありがとうございます。
家康が作った水路が現在道路になっていると思うと家康ってすごいなと思ってしまいます。日本橋の上の高速を動かそうなんて話がありましたがどうなっているんでしょうかね。地下には地下鉄も下水管も色々埋め込まれているので何だかちょっと怖いです。地下の様子なんかもわかると面白いです。
高速道路の移設は現在進行中ですよ。😂今度は地下を走るような形にする様です。
多摩地区在住なので、もう最初から玉川上水しか頭に浮かびませんでしたwちなみに西武線・多摩モノレールの玉川上水駅は玉川上水の真上に建てられてます。
生まれは吉祥寺で、先祖のお墓は江戸川橋の近くです。ちなみに御先祖様は江戸城勤務の貧乏侍でした。父方の曽祖父は淀の浄水場勤務と聞いています。結婚してからは勤務先の関係で羽村の堰の近くに住んでいます。嘘のように聞こえるかもしれませんが本当の話です。自分の周囲の話ばかりで感慨深い内容でした。
それは、非常に興味深い縁がありますね!!そのようなお話を聞けて大変うれしいです!ご満足いただけたのであれば、動画制作の甲斐があります!
玉川上水も掘削失敗した区間が存在しますね。試験通水して、水が全量吸い込まれてしまう事から水喰土と呼んで、別の場所に掘りなおしています。場所はJR拝島駅の八高線と青梅線が分れているところに、水喰土公園と名付けられた公園があり、水路を掘った痕跡が残されています。公園になったのは比較的最近なんですが、青梅線から掘削跡らしき痕跡が見えていましたから、「掘削跡発見」の新聞記事が出て、今まで気づかれなかったのは何故なんだろうって疑問でしたね。地形から考えると、拝島駅構内まで掘削失敗した水路跡はあったのかも知れませんが、鉄道が敷設されて痕跡は存在しないようです。
勉強になりました、掘ってどこでも使える訳じゃないんですね。昔の人に感謝です。✨
すげえチャンネル見つけて嬉しい
コメントを読んでいるとこうした事を知る機会がどんどん無くなっていってるんだなと痛感させられます。昔(と言っても30年以上前ですが)だと古典落語とかで知る切っ掛けになってたんですけど、今はもうそういうのをたしなむ人も少ないんでしょうかね?
確かに、娯楽が多様化した落語や講談など全盛期に比べると聴く方も少ないですからね~私は六代目圓生や五代目 志ん生などの昭和の名人の枕をきいて、昭和の時代の世間について知る機会が多いですね~ただこの件でいうと、知っていた人はあえて知っているとコメントはしないので、その存在が隠れてしまう、いわゆる認知バイアスの一種なのかと思いますね~一応東京都の小学生は全員必須で玉川上水については学ぶので、知る機会はあるかと思いますが、小学生の頃なので忘れてしまうのです・・・笑
私が子供の頃の野火止用水や空堀川には青白い汚水が流れていたのを覚えている。それがいつの間にやら綺麗になって鯉が放流されるようになりましたね。野火止用水の添いの林でよく遊んでいたのを懐かしく思い出させていただき、ありがとうございます😊
こちらこそ、貴重なご記憶を共有いただきありがとうございます!
残堀川を除いて、玉川上水の北が荒川水系、南が多摩川水系というのが、感慨深いです。
すごい面白かった。
井戸ではなく引水だったとは驚き!!考えてみれば埋立地ですものね💦 目から鱗 勉強に成りました。皆様のコメントも又そのリコメも勉強になりました!!
凄く勉強になりました😊各地の治水のことも気になってきました🎉
近所に住んでいるのに知らない事ばかりでとても興味深かったです!
43kmをたった7ヶ月で完成させた、って凄くないですか? 上水。下水等、土木技術も完璧で、今でも役立っているなんて・・ 測量・灌漑技術の面で活躍した2兄弟の名が保存されていないのは、当時の身分制度により軽んじられたからでしょうか? その貢献度に対し、何も記録に無いというのが、あまりにも残念でなりません。
おっしゃるとおり!!すごいですよね~現代にも残された偉大なインフラだと思います!基本土木工事というのは、プロジェクト自体に知名度があったとしても担当者が有名にならない傾向があります。例えば、日本人誰しも東京タワーを知っていますが、建設のプロジェクトマネージャーが誰か知っている人は殆どいませんし、黒部ダム、瀬戸大橋、青函トンネル、東京スカイツリーといった日本の歴史に残る土木事業も、その当時の社長や政治家の名は残されても、現場レベルの責任者が歴史に名を刻むことはあまりないわけです。残念ながら、世間はプロジェクト自体に興味津々でも担当者にあまり興味を示しませんし、担当者も前に出たい人ばかりではないので、名を伏せることさえあります。なので、二人に関しても身分制度と言うより、単に上記の理由が強いと考えられます。ただ、二人は当時庶民がなかなか許されなかった名字を与えられているという点で、幕府からは格別褒め称えられてはいるので、現代の我々が思うより報われてはいるのかなと個人的には思います!
玉川と言えば、カルテットを真っ先に、思い出しました😅
おまえは〜あほか〜
玉川上水は全て新設工事。神田川は確か自然河川に手を加え、現在の水道橋駅付近から南側江戸城へ向けて流れていたものを山を切り崩して東側神田方向へ流れを変えた。これにより江戸城北西の夏場の洪水が治った。
新宿御苑に復元された玉川上水はあまりに小さい川です。小金井辺りでは幅10mくらいはある深い川なのに江戸に入ったら小さな小川になつたとはとても考えられない。もしかしたら小川を含めたあの散策路全体が川だったのでしょうか。
確かに、新宿御苑の玉川上水はすごく小さいのでにわかに信じられませんよね~しかし、深さは昔のほうが断然深かったものの、幅に関しては基本的に復元された川より一回り大きいくらいだと思われます。理由として、新宿の文化服装学院前の広場に、現在も地下を通る玉川上水の暗渠のレンガトンネルの、ほぼ原寸大模型があるのですが、それがあまり大きくはないのです。基本二人の人間が並んで手を広げると、お互いがぶつかる程度です。そして、江戸時代の新宿御苑あたりの浮世絵を見ても、だいたい川はレンガトンネルの幅くらいしかありません。では、なぜ上流で大きな川なのに、下流で小さくなっているかというと、玉川上水は上水なので、基本的に他の川と合流しません。しかし、途中で分岐はしています。いわゆる分水ですね。なので、水の量は徐々に減っていきます。また、江戸中に水を行き渡らせるためには、相応の圧力が必要になりますから、江戸近辺では川幅を絞ることによって、水に勢いをつけているわけでなのです。なので、現在の御苑ではチョロチョロと流れる水ですが、かつてはかなりの水量が細い川を怒涛の勢いで流れており、これが三鷹付近も同様で太宰治の命を奪う原因となったわけです。
冒頭で江戸の水は? ンなもん誰でも知っとるヮ!! と思いつつ見て行くうちに、段々ほー、ほーってなってましたw動画構成も素晴らしい編集でした。またウンチクも感心しきりでした。 どうも有難うございました。
楽しんでいただけたのであれば、大変うれしいです!!こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
番町皿屋敷の井戸にも水道が通っていたのかな?
川シリーズで呑川をリクエストしたいですどこから湧いて来てるのか謎です
幼少期に吉祥寺に住んでたこともあり、井之頭公園や神田上水の話など、親しみ深い土地の話として、楽しくみました。水道橋や本駒込の吉祥寺も、よく知っている地域なので、吉祥寺にまつわる何かの縁を感じてしまいました! ナレーションの声も素晴らしいですね! どうもありがとうございました
そうなんですね!楽しんでいただけて嬉しいです!確かにそういうことがあると縁を感じてしまいますよね~褒めていただけて嬉しいです!こちらこそ、ありがとうございます!
何気なく見たのですが引き込まれました。今はこうやって映像で見られるのもいいですね。確かに小学生の時に社会科見学で玉川兄弟の像見た覚えがあります。実家の裏のドブ川がきれいになったのは東京都全体でやってたんですね、なるほど。
技術の発展というのはこういうところで恩恵がありますね!私も学校で見に行きましたよ! 多分都民の通過儀礼なんだと思います笑
めちゃくちゃ聞きやすい!
お褒めいただき嬉しいです!
玉川兄弟には感謝ですね
伊達政宗は仙台の街に上水道を敷設した実績があるんだよねってブラタモリで言ってた
玉川上水の終点である四谷の交差点は恐らくあの岡田有希子さんの事件があった場所ですね。驚きました。
おっしゃるとおりです。毎年ファンの方がいらっしゃいますね。
ありがとうございます。やはりそうでしたか。特にファンというわけでもなく事件で初めて彼女の事を知ったのですが、当時近くの会社に勤めており連日交差点に沢山のファンが来て悲しんでいたのが忘れられません。
四谷大木戸門ですね。会社が四谷4丁目なので、4丁目の交差点よく通ります。井戸の話とはずれますが、新宿伊勢丹の交差点(団子屋がある付近)は追分交差点と言われてますね。そこから分かれて甲州街道と青梅街道に分かれたためと言われています。内藤新宿と言われていた江戸時代ですね。深掘りありがとうございました。
ありがとうございます!そのような情報は大変興味深く助かります!とても便利な場所にお勤め先がありますね!交番があるところですよね~追分団子私は学生時代よく夏にかき氷食べに行きましたね~笑
とても興味深く、楽しく拝見させて頂きました。生まれてから住んでいる私の街にも玉川上水が流れており桜の季節はとても綺麗です。子供の頃、社会科見学で羽村の堰に行った覚えもあります。ありがとうございました。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!確かに、小学生の時社会科見学で行きましたね!都の小学生はみんな行くんでしょうかね~
御茶ノ水って将軍家が茶の湯につかう水をここで汲んで持って来たんですね。
初めて訪問しました。生粋の大阪人ですが、東京の土地の歴史、なかなか興味深いですね。
はじめまして!関西は歴史が長くて熟成された文化があって、私は好きですね!特に百貨店などは高島屋や阪急などの関西系のほうが私は好みです・・・笑東京は歴史が長くない反面、細かいところまで目が行くのが個人的には好みです!
@@TokyoTrivia京都は、歴史が長すぎて、何が“眠っているか”解らない怖さがありますね(苦笑)10年ほど前、横井小楠殉難の地を訪れた時、近くの下御霊神社の辺りで、足首を捻って腱を切る大怪我をしたことがあります。何かの祟りだったかも?😅JR大阪駅ビルに、「大阪三越伊勢丹」が入ったのですが、関西の水に合わなかったのか、潰れてしまいました。私も一度入ったことがありますが、店舗や商品の並びが、なんとはなしに「違う」気がした記憶があります。
渋谷区の甲州街道、玉川上水の近くに住んでいます、1970年代に玉川上水は暗渠化され公園になっています、建設機械がない江戸時代に人の力でわずか1年で作られたというのは驚きです。
そうなんですね!よくあの暗渠部分の公園散歩しますよ~何かあの辺りの雰囲気好きです笑
江戸時代の人がどのようにそんな短期間で玉川上水を作ったのか知りたいです。ピラミッド建造の謎並みに気になります。あと個人的にちょっとショックだったのは、後楽園駅近くに住んでいたことがあり、ラクーアにはしょっちゅう行っていたのに、小石川後楽園なんて公園の存在を今まで知りませんでした!!!もったいなかった!!!😱😱😱
基本的に人海戦術の賜物といったところでしょうかね~これが、完成することによって飲水だけでなく、流域地域に作物栽培のための水も供給できるので、昭和で言う黒部ダム並みの一大プロジェクトだったので、それが故になせた感じがありますね~ラクーア人気ですよね~確かに、結構気づかないことってありますよね~テレビなどで見たお店に行ってみようと思って調べたら、実は自分がいつも通勤途中に通り過ぎている場所だったとかもありがちですね笑
江戸時代にはすでに上下水が完備されていたと聞いていて不思議に思っていたので、大変勉強になりました。ありがとうございます。 東京の水害を防ぐために地下に大貯水槽を作っているという話とはつながらないのでしょうか? あの貯水槽は埼玉だった? 貯水槽にどこから水を取り込むのかと思って拝見していました。 ⇒春日部でしたね:首都圏外郭放水路
確かに、もっと後の時代に普及しそうなものがすでにあるって不思議ですよね~こちらこそ、楽しんでいただけて嬉しいです!放水路は東京都民を守る砦ですからね~素晴らしい施設だと思います!!
すごい学識ですね。浅学の私が僭越にも補足すると、お茶の水の絶壁は中国の赤壁をもじって小赤壁と呼ばれていたこと。水道橋には屋根がないが神田上水樋には屋根があったことくらいです。
とても嬉しいお言葉です!それは、素晴らしい補足ですね!そういう知識はとても好きです!ありがとうございます!
東村山の小学校に通ってましたので浄水場見学ありましたし玉川兄弟も、たしか国語?で習ったような記憶が懐かしい気持ちになりました👍
東村山市だと浄水場見学も有るのですね!!私は違う地域に住んでいたので、社会科見学で高速バスに乗って羽村取水堰を訪れましたが、川だ!としか感想がなかったので・・・笑 浄水場のほうが楽しそうですね!確かに、国語や社会で習いましたね~私も懐かしいです!
現在笹塚駅前の暗渠になっている辺りでよくザリガニとったなぁ。暗渠にならず残っている所は何故かあまり取れなかった。少し下ると取水される所があり空になっていた。
素晴らしい思い出をお持ちですね~当時の思い出をお聞きできるのは大変うれしいです!今は玉川上水に直接降りれる場所が全域を通して限られているので、そこで遊んだという思い出は非常に貴重ですね~
江戸時代の技術凄かったんですね。解説も心地よい語りで、聞きやすいです。
すごいですよね~
いまから400年も前なのに。
それは本当に嬉しいお言葉です!
線香に火を点して、夜間に傾斜を測量した!
河川にある土手(堤防)も江戸時代につくったらしいですね。凄いですね。子供の時は土手は自然にできたものだと思っていた。
タモリ倶楽部がなくなってしまってなかなかこういった情報ってふれる機会がないですが、面白くみさせてもらいました。🙇
私もタモリ倶楽部のような番組が好きだったので、そのような動画を作っており、そう言っていただけると大変嬉しいです!!
ありがとうございます!
地理が大好きな人間です。こんなに面白くて為になる動画をアップして下さって本当にありがとうございます。旧玉川上水緑道という看板を見て凄く気になっていたのです。理由が分かってとても嬉しいです。ありがとうございました。
お茶の水から外堀を見下ろしたときに
その深さにびっくりする。これを仙台藩が掘ったのかと考えると
仙台出身者としては驚きとともに感慨深い気持ちになる
そうですよね~
あれは恐怖を感じるくらいに深いですから、やはり土木の天才伊達家だからできる素晴らしいものだと思いますよ!!
貞山堀も、北上川沿岸の米を安全に江戸に輸送する目論見で掘られた。完成は遅かったけどね。仙台藩は、実高が六十万石以上はあり、江戸廻米で潤った。北上川を追波湾から主流を石巻に付け変えたりもした。
年少の頃に三鷹に住んでいたので玉川上水(当時はまだゴウゴウと流れていました)の話は懐かしくみさせていただきました
そうなんですね!
ごうごうと流れるのを実際に見ておられたのは大変貴重なご経験ですね!!
お役に立てたのであれば幸いです!
太宰治の終末の場所を見に行って、水流の少なさにビックリしたのですが、得心しました。
都市を形成するためのインフラ整備は昔からの大切な事業だったんですね。
先祖様をありがたく思います。
溜池も一時使ったが、人口増で埋め立てた。今は名だけ残っている!
しかしながら江戸時代の土木技術すごいものありますね
高低差など素晴らしかったです秀吉に関東の海水が陸地に浸食した土地与えられ人々が住む所に整地して城も建設する原動力は子供の頃からの今川家からの人質生活で培った事などから、大坂に及ばないようにしたと考えられますが
都市に変えた思慮深い知恵が発揮されたと思います
中村哲医師が、アフガニスタンで、水路を作り、緑豊かな、食糧が取れる土地に変えたのも、日本の水路のやり方を学ばれて、アフガニスタンの人でも直すことが出来るようされたそうです。
中村哲医師の 医者井戸を掘る ですね。偉大な方を死なせてしまった 合掌
勉強になりました。
子供時代に玉川上水近くに住んでいました。
現在の水量からすると太宰治の行動は考えられませんが、以前は凄まじい水量で危険でした。
ブルドーザもパワーショベルも無い時代にこんな長い水路よく作れましたよね。凄い話です。
この時代、人柱とかもあった…合掌…
毎日玉川上水駅利用しています。東京の上水歴史とそのインフラ技術大変参考なりました。治水対策は国の礎。ブラタモリファンとして貴重な歴史情報感謝です😂
生まれてからずっと都民だけど、吉祥寺の生い立ちは知りませんでした。
勉強になりました。
ちなみに神田川には現在、落合水再生センター(下水処理場)の処理水(再生水)が大量に流れ込んでいて、その同じ水が渋谷川・古川、目黒川、呑川にも清流復活事業として流されています。
すごいですね。初めて見たのですが、Google earthだけで案内を完結できるんですね。もの凄くわかりやすかったです。ありがとうございました♪
お褒めいただきありがとうございます!!
わかりやすかったのであれば、本当に良かったです!!
このときは動画を撮る装備が乏しかったので、苦肉の策だったのですが、喜んでいただけたのであれば幸いです!
小平市で上水沿いに住んでいて、玉川上水の事は割りと詳しいと思っていましたが地下水道で井戸になっていたのは初めて知り勉強になりました。
玉川兄弟案は2度失敗し頓挫したところ、工事の総奉行である老中松平信綱の命を受けて計画を見直した安松金右衛門案で完成に至った説がありますが、兄弟は姓を許されたり上水の管理を世襲で任されたり後世でも偉人扱いで真実はどうだったのか興味深いんですよね。
重機なんかが全くない時代に、よくこれだけのものを作りましたよね。
息もつかせず畳み込む、凄いお話、有難う。若者よ知らずに生きてる日本を知れ、世界に類いない日本に 誇りを持て。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
初めてこのサイトを拝見しました。水を制する者は天下を制す、が実感をもって理解できました。へー!ほー!の連続。おもしろかったー❗️
東京じゅうの人が毎日不自由なく水を使っていることは、単に自然に恵まれているだけでなく先人から続く努力の賜物なんですね。
江戸時代の土木事業ってか、測量技術の凄さよ。外国から来て一番驚いたのがこのような上水施設と
江戸市中の人口と町中の奇麗さだったって言われてる。おまけに町人の子供達も寺子屋とかで勉強
してたってことで「とんでもない国です」って本国に書き送ったって記録が残ってる。
江戸時代の治水工事の技術って凄いですね。わたしの住まいの近くにも〜茨城県水戸市ー那珂川から水を引いて稲作の耕作面積は江戸時代に完成した、と言われています。その水路の名前は、小場江用水と呼ばれています❤❤
井の頭の池は高校の時、彼女とデートでよく行ってました 当時三鷹台に住んでいて神田川や玉川上水を見ながら育ちましたのでとても懐かしく思いました
あの頃一緒にボートに乗った彼女は今は私の妻です
素晴らしい思い出ですね~
ボートに乗ったら別れるなんて伝説がありますが、それを乗り越えられたとは素晴らしい限りです!
くやしい❤@@TokyoTrivia
「水道育ち」と言うもはや死語となった言葉がありますが、この動画に拠り”三代続けて
水道の水で産湯を使った”と言う江戸っ子の誇り、何か理解できたような気がします。
30年ほど前に玉川兄弟という本を読み、ただただやみくもに羽村迄たどった事があります。こんな知識があったら良かったのに、と思いながら興味深く拝見しました。ありがとうございました。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
確かに、知識を前提に持っていると、より楽しく歴史を見ることが出来て、面白いですよね~
ちょうど「家康、江戸を建てる」を読んだところだったので、大変興味深く視聴させていただきました。かつては湿地だった土地を埋め立て水を引くプロジェクト、凄いですね。
それはそれは、楽しんでいただけて光栄です!
そうですね~重機も何もない時代に考えることが本当に壮大ですよね!
素晴らしい土木技術、徳川の時代からこれをやっていたんだからすごい。昔の人々の叡智とそれを利用する技術全く賞賛に値する。何と賢いことか😅😮。
初めて視聴しました
渋くて良いお声ですネ
ご覧いただきありがとうございます!
それは、恥ずかしくも大変うれしいお言葉です!
やっぱり家康は凄い人だったんだと、よく分かりました。
そうですね!
天下を取るだけありますね~
旧武田家家臣には、そう言う土木工事に長けた人材が多かった。家康は武田の旧臣を多数抱えた。伊奈氏は四代に亙って、水利工事に従事した。河川工事には武田家の技術が各所に生かされている。
こんな完ぺきでは戦なんてばからしいわ、平和が続くわけだ
イケボでいらっしゃる^^
終始「へぇぇー😮」 となりながら聞きました。
コメント欄も含め、とても勉強になりました。(覚えていられるかは怪しいけど😅)
息子と一緒にもっぺん見ます。動画ありがとうございました。
お褒めいただき光栄です!
お役に立てると嬉しいですね~
ご子息様とも見ていただけるとは、動画を作った甲斐があります!
道端の何気ない置物にも歴史や意味もちゃんとあるんだなぁ
とても面白かった。
治水=民を治めるですね。
家康は評価様々ですが暴れ川もなだめ、最大インフラの飲料水も提供できた
しかも一年で工事を行ったのは伊達政宗にはとんでもない話だけど
とにもかくにもやったのが凄い。
ローマ時代も同じインフラで、お風呂文化も同じなのが面白い。
江戸時代のリサイクルの徹底も凄い。
日本は鎖国したいくらいですが・・・グローバルは窮屈と同じ意味らしいので。
この声安心する😊
すばらしい解説です。命の元となる飲料水の歴史と現状をじつに詳しく知ることができますね。Google Earchの3D画像も見事に同期されていてわかりやすいです。
ナレーションも慣れておられ聴きやすいです。
なお、玉川上水に関しては劇画で、忍者系統の職人が綿のようなものを川底に埋めて漏水を防ぎ、高低差を詳しく調べて工事を完成させたという説がありました。
このコメントの評価が、もっと高くなっても良いと思います。
粘土敷いた上に蓙やら枯れ草やらで河床を防水しています
最近物忘れや反応が遅くなっている高齢単身女子です。
時間をかけ丁寧に調べ整理し、聞きやすい言葉での説明、感謝します。
繰り返し聞き、分からない部分を考えたりして脳の老化予防にさせて頂きます。
有り難う御座いました😅
為になる解説をありがとうございます。 さて、話は違いますが、東京都世田谷区二子玉川の辺り、多摩川の畔に「玉川村」という場所がありました。
その二子玉川から渋谷まで、路面電車が走っていて、「玉電」と呼ばれ親しまれていました。
その玉電の路線は、
昭和35年頃(もうチョイ後?まで)は、
多摩川を鉄橋で渡って、
南武線(国鉄)の武蔵溝の口駅まで
繋がってましたね。
その鉄橋を渡るのが不安ながら、
正月とお盆の年間2往復は、
密かに大好きでした。
やっぱ声って重要👍
機械音声は疲れる
スネークの中の人が喋ってるんで特別ですね。
この上水の事業を世代を継いで推進できたのがすごいことだ。利根川の上流から河川の流れを変えるのも、上水を整備するのも1代でできた仕事ではない。家康さんは、江戸、東京を作った偉人として称えたい。
利根川東遷の完成は、明治まで掛かりました。利根運河の開削で、東北大名による、江戸への米の輸送に大きく貢献した。
素晴らしい動画有難うございます
地名の由来など大変興味深く拝見しました😊
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
喜んでいただけて光栄です!
江戸の命を支えた水の成り立ち、とても興味深かったです!
いい声ですね。こういうことを教えてもらえる機会はありませんでした。早速登録しました。これから楽しみです。
お褒めいただきありがとうございます!
わかります。なかなか、教わる機会は少ない話題ですものね~
ご期待に添えるように頑張ります!
貴重な情報の数々、大変参考になりました。これからも期待しております。有難うございました。
大変興味深い動画をありがとうございます。東京に来てから都内を引越しして来ていて、それぞれ全く縁のない場所ばかり住んで来た様な気がしていましたが、意外と上水に関係のある場所が多い事に気付きました!いやもうビックリです…。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
確かに、人が住みやす場所には必ず水が関係しますから、不思議に縁が繋がりますね!
確かに人が住みやすい場所には水が関係しますものね。
玉川上水、井の頭公園、神田川、神田川浄水取水など、自宅か職場から常に10分圏内なのは個人的には本当に驚きでした。
玉川上水の分水の更に分水のほとりに、生家がありました。玉川上水の詳しい歴史を知ることができて、幸せです。
そうなんですね!
それはお役に立てた嬉しいです!
面白かったです!
川の終わりに住んでた人が始まりの場所に移住したというところにロマンを感じました!
ありがとうございます!
そうですよね~私もこれにはロマンを感じます!
毎日使う京王線に桜上水という駅があります。なんでも近くに玉川上水の名残があったことで、命名したとか。
勉強になりました。ありがとうございました。
江戸の上水って、木管で引かれ地下に埋設、利用する場所に井戸という形で汲み上げ場を設けてそれを利用する形。雨水は側溝を設けて河川に流す。し尿とかは大きな甕に溜め、近郊の農家に売りつけて大家の副収入にしてたとか、いろいろ衛生管理に気を使った施策を展開してたかと。
河川に直接し尿を流すような欧州のようなことはせずに、飲用水・生活用水と生活雑廃水を分離しているのが世界的にめずらしいようなことがあったような。。。
ある意味江戸でローマ水道のようなことをやってるわけで、その知恵の出処が興味深い。
玉川上水、神田川なんとも懐かしいお話ありがとうございました。俯瞰して説明をお聞きするとよくわかりますね。かつて上水を追って羽村から太宰発見された地まで何度も歩いて辿れないところもありいらつきましたが、それよりも武蔵野を彷彿とする木々の間を歩けるのが楽しかったです。
あの神田川の歌が流行った頃江戸川橋に住んでいて床上浸水に遭い、今から思えばいい思い出になりました。玉川上水駅のそばで分水されている野火止用水の脇に住んで木々に安らぎをもらってます。
ご覧いただきありがとうございます!
素晴らしい経験をお持ちですね~
私は自転車で都心から遡ったことがありますが、久我山から三鷹にかけて未舗装の泥道が多くて、断念した経験がありますね笑
確かに、自然豊かな雰囲気はちょっとした山歩きのように楽しいですよね~
時代ごとに思い出があって非常によろしいかと思います!
非常に興味深く拝見しました。
お寺が無いのに何故吉祥寺なのかも分かってスッキリです。
因みに私は渋谷区北部に住んでいて、玉川上水が完全に暗渠になる前の状態を覚えています。
あと、太宰治の遺体を発見したのが私の同級生の親父さんだったそうです。
ご覧いただきましてありがとうございます!
おお、暗渠になる前をご存知とは素晴らしいですね!
太宰治に関してもそのようなつながり、非常に興味深いです!
大変勉強になりました
えっ…!?えぇ!?😮1年未満!?
ヤバイ普通に声出る程びっくりした💦現代でも驚かされること多々あるけど昔から土木凄かったんだな〜🤔
玉川上水の止水以降の環境悪化は甚だしく悪臭や害虫の大量発生等がありました。土地が高かった小平付近では非常に深い空堀のようになっていました。近くの野火止用水も含めて清流復活はとても嬉しかったのを思い出しました。
貴重なお話ありがとうございます!
水は流れているだけでなんだか豊かな気持ちになれますしいいものですよね~
@@TokyoTrivia 動画と内容は違いますが 江戸時代には料理えお作る際に調味料を計るのには何で計ったのでしょうか?
興味深い質問ですね!
調べてみると、計量して料理をすることは明治以降のごく近代に始まったもので、それより前の時代においては味を確かめながら目分量で投入していたようですね~
とてもやさしく解りやすく説明していただきました。利根川東遷についてもお願いします。
とても興味深く楽しい動画をありがとうございます。
勉強になります。
木樋の話とかそこからの変遷とか
水道に限っても話題に事欠きませんね。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
お役に立てて嬉しいです!
確かに技術の一つ一つに注目するとほんとにいろんなことがあって面白いですよね~
今は住んでいませんが、実家が井の頭で、よく父母から、井の頭の名前の所縁(ゆかり)とお茶の水との関係を聞かされていました。そんなわけで、御茶ノ水の名前について聞けるかな、と期待していたのですがね。。 とにかくとても勉強になりましたよ。 感謝です。
実家が井の頭とは素晴らしいですね!!
時々吉祥寺に行きますが、自然と都会が融合する地域で住心地が良さそうですね~
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
むかしの人はしっかり街づくり国づくりをしていたんだと感心しました
東京に住んでいますがいろいろ知らないことが多いと気づかされました
すごく良かったです😂
褒めていただけると大変うれしいです!!
ありがとうございます!
神田川の話をするなら平川の話もしてほしかったですな。
神田上水開削以前に日比谷入江あたりに流れ込んでいた本来の神田川の流れね、まあ資料が少ないんで難しい話だと思うけど水歴史マニアににはとても興味のある話だと思うので。
とても面白かったです。
以前、笹塚から幡ヶ谷近辺に住んでおり、玉川上水を散策した時に雰囲気がいいので興味を持ったことがあり、そのことを思い出しました。
ありがとうございました。
喜んでいただけて大変うれしいです!!
笹塚から幡ヶ谷あたりは幹線道路から少し外れると、非常に静かな住宅街が広がっていていいですよね~
羽村取水堰で取水された水の大半は、東京都羽村市羽東3-17付近から西に延びる地下導水管を通じて横田基地の地下を通り東京都武蔵村山市本町2-8付近まで流れ、さらに北東に進路を変えて多摩湖(村山貯水池)に注がれています。そこに貯水され、多摩湖自転車道の地下の送水管を通り東村山浄水場、境浄水場を経て、井の頭通りの地下を通って世田谷区の和田堀給水所にも送られているほか、朝霞浄水上などにも送水されます。また、羽村取水堰の上流の小作取水堰で取り込まれた水は、同様に地下の導水管を通って狭山湖(山口貯水池)に送られて貯水され、多摩湖の水と同様のルートで利用されています。多摩川から取水した水は東京都で使われる水道の2割弱を占めます。残りの大半は荒川、利根川から取水した水ですが、昭島市や東久留米市など一部地域では地下水を汲み上げて利用しています。南沢浄水所がある東久留米市の南沢付近は湧き水が豊富であり、落合川、黒目川、新河岸川を経て隅田川にも注いでいます。落合川の水は湧き水が主のため本当に綺麗で夏は子どもたちが水遊びをしています。
素晴らしい情報をありがとうございます!!
時代劇で長屋で井戸端会議してるような光景が自分たちが知ってるただ深く掘って地下水得たものじゃなく玉川上水なりで人工的に水を引っ張ってきて作ってたのは驚きですね。ローマ水道に匹敵するインフラ整備ですね。
歌舞伎でも出てきますけど長屋では年に一度井戸さらえをしてたようです。たいてい7月7日だったらしい。住民総出でお掃除day
コンクリートも無いのにどうやってこんな四角い石を作ったんだ?
@@健久保田-x4k そりゃ「石から彫った」以外ないですよ
石の井桁は戦国時代にはもう存在していましたし(地中部は石積みでしたが)
@@東郷紘一 人力で掘るんだから凄いよ。わざと柔らかい石選んでるとは思うけど
そう考えるとローマ水道すごいな
豊洲の裏路地で井戸を見つけて驚いた記憶があります。もう使われていない様子でしたが金属製の典型的なスタイルでキュコキュコするヤツです。場所は凄く曖昧で豊洲五丁目辺りだったかな~
確かにあのタイプの井戸ポンプは見つけるとワクワクしますよね~
しかも5丁目辺りだと今はビルが立ち並ぶエリア。突然のノスタルジックな光景に心ざわつきますね!
昭和の頃の下町では井戸はのむというより洗濯に使用していたようですが、全自動洗濯機が普及したこともあって、消火と園芸用くらいしか使わなくなっているみたいですね~
地盤沈下と、地下水汚染で飲用にしないようにと指導されています
神田川 神田上水 妙正寺川
私の生家の井戸、父が電動モーターを付けて、水道と同じ様に使えるようにしました。工事の時、地下に粘土層や炭の層があるのが不思議でした。私の生家は昭和通りから30m位入った所にありました。井戸水は飲む事はできましたが微妙に鉄の匂いがしました。h.okuma
非常に貴重なお話ありがとうございます!
すばらしい思い出ですね~
歴史の裏話、とても面白い話ばかりで
勉強になりました😊
歴史を遡ると地名の由来も解明できる。面白いですね。
「家康、江戸を建てる」門井慶喜著の本に江戸に上水道を初めて設置した話があります。
その本を読んだ記憶を思い返して拝見しておりました。
記憶が曖昧なのか、合点のいかないところがありましたので、また読み返したいと思います。
実に興味深いお話をありがとうございます。
これからも歴史を掘り下げてください!
おっしゃるとおり、歴史を知ると、地名が何を意味するかわかり、その分その場所に対する見え方が変わりますよね~
おお!「家康、江戸を建てる」をお読みになったのですね!
視聴者の方からも、本であったり、NHKでの番組で見たなどコメントを頂きますので、かなり人気の作品になっているようですね~
こういった本が人気があると言うのは個人的には多くの人が歴史に関心を持っていると言うことで、非常にいいことだと思いますね~
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!!
これからも、ご期待に添えるように頑張ります!!
オススメに出てきたんでちらりと見たら、ええ声すぎたので登録します(笑)睡眠学習させてもらいます♡
褒めていただけるとは、恥ずかしくもありますが、大変うれしいです!
学習の一助になれば幸いです!
分かりやすく丁寧な説明ありがとうございます。
家康が作った水路が現在道路になっていると思うと家康ってすごいなと思ってしまいます。日本橋の上の高速を動かそうなんて話がありましたがどうなっているんでしょうかね。地下には地下鉄も下水管も色々埋め込まれているので何だかちょっと怖いです。地下の様子なんかもわかると面白いです。
高速道路の移設は現在進行中ですよ。😂
今度は地下を走るような形にする様です。
多摩地区在住なので、もう最初から玉川上水しか頭に浮かびませんでしたw
ちなみに西武線・多摩モノレールの玉川上水駅は玉川上水の真上に建てられてます。
生まれは吉祥寺で、先祖のお墓は江戸川橋の近くです。
ちなみに御先祖様は江戸城勤務の貧乏侍でした。
父方の曽祖父は淀の浄水場勤務と聞いています。
結婚してからは勤務先の関係で羽村の堰の近くに住んでいます。
嘘のように聞こえるかもしれませんが本当の話です。
自分の周囲の話ばかりで感慨深い内容でした。
それは、非常に興味深い縁がありますね!!
そのようなお話を聞けて大変うれしいです!
ご満足いただけたのであれば、動画制作の甲斐があります!
玉川上水も掘削失敗した区間が存在しますね。
試験通水して、水が全量吸い込まれてしまう事から水喰土と呼んで、別の場所に掘りなおしています。
場所はJR拝島駅の八高線と青梅線が分れているところに、水喰土公園と名付けられた公園があり、水路を掘った痕跡が残されています。
公園になったのは比較的最近なんですが、青梅線から掘削跡らしき痕跡が見えていましたから、「掘削跡発見」の新聞記事が出て、今まで気づかれなかったのは何故なんだろうって疑問でしたね。
地形から考えると、拝島駅構内まで掘削失敗した水路跡はあったのかも知れませんが、鉄道が敷設されて痕跡は存在しないようです。
勉強になりました、掘ってどこでも使える訳じゃないんですね。昔の人に感謝です。✨
すげえチャンネル見つけて嬉しい
コメントを読んでいるとこうした事を知る機会がどんどん無くなっていってるんだなと痛感させられます。昔(と言っても30年以上前ですが)だと古典落語とかで知る切っ掛けになってたんですけど、今はもうそういうのをたしなむ人も少ないんでしょうかね?
確かに、娯楽が多様化した落語や講談など全盛期に比べると聴く方も少ないですからね~
私は六代目圓生や五代目 志ん生などの昭和の名人の枕をきいて、昭和の時代の世間について知る機会が多いですね~
ただこの件でいうと、知っていた人はあえて知っているとコメントはしないので、その存在が隠れてしまう、いわゆる認知バイアスの一種なのかと思いますね~
一応東京都の小学生は全員必須で玉川上水については学ぶので、知る機会はあるかと思いますが、小学生の頃なので忘れてしまうのです・・・笑
私が子供の頃の野火止用水や空堀川には青白い汚水が流れていたのを覚えている。
それがいつの間にやら綺麗になって鯉が放流されるようになりましたね。
野火止用水の添いの林でよく遊んでいたのを懐かしく思い出させていただき、ありがとうございます😊
こちらこそ、貴重なご記憶を共有いただきありがとうございます!
残堀川を除いて、玉川上水の北が荒川水系、南が多摩川水系というのが、感慨深いです。
すごい面白かった。
井戸ではなく引水だったとは驚き!!考えてみれば埋立地ですものね💦 目から鱗 勉強に成りました。
皆様のコメントも又そのリコメも勉強になりました!!
凄く勉強になりました😊
各地の治水のことも気になってきました🎉
近所に住んでいるのに知らない事ばかりでとても興味深かったです!
43kmをたった7ヶ月で完成させた、って凄くないですか? 上水。下水等、土木技術も完璧で、今でも役立っているなんて・・ 測量・灌漑技術の面で活躍した2兄弟の名が保存されていないのは、当時の身分制度により軽んじられたからでしょうか? その貢献度に対し、何も記録に無いというのが、あまりにも残念でなりません。
おっしゃるとおり!!すごいですよね~
現代にも残された偉大なインフラだと思います!
基本土木工事というのは、プロジェクト自体に知名度があったとしても担当者が有名にならない傾向があります。
例えば、日本人誰しも東京タワーを知っていますが、建設のプロジェクトマネージャーが誰か知っている人は殆どいませんし、黒部ダム、瀬戸大橋、青函トンネル、東京スカイツリーといった日本の歴史に残る土木事業も、その当時の社長や政治家の名は残されても、現場レベルの責任者が歴史に名を刻むことはあまりないわけです。
残念ながら、世間はプロジェクト自体に興味津々でも担当者にあまり興味を示しませんし、担当者も前に出たい人ばかりではないので、名を伏せることさえあります。
なので、二人に関しても身分制度と言うより、単に上記の理由が強いと考えられます。
ただ、二人は当時庶民がなかなか許されなかった名字を与えられているという点で、幕府からは格別褒め称えられてはいるので、現代の我々が思うより報われてはいるのかなと個人的には思います!
玉川と言えば、カルテットを真っ先に、思い出しました😅
おまえは〜あほか〜
玉川上水は全て新設工事。神田川は確か自然河川に手を加え、現在の水道橋駅付近から南側江戸城へ向けて流れていたものを山を切り崩して東側神田方向へ流れを変えた。これにより江戸城北西の夏場の洪水が治った。
新宿御苑に復元された玉川上水はあまりに小さい川です。小金井辺りでは幅10mくらいはある深い川なのに江戸に入ったら小さな小川になつたとはとても考えられない。もしかしたら小川を含めたあの散策路全体が川だったのでしょうか。
確かに、新宿御苑の玉川上水はすごく小さいのでにわかに信じられませんよね~
しかし、深さは昔のほうが断然深かったものの、幅に関しては基本的に復元された川より一回り大きいくらいだと思われます。
理由として、新宿の文化服装学院前の広場に、現在も地下を通る玉川上水の暗渠のレンガトンネルの、ほぼ原寸大模型があるのですが、それがあまり大きくはないのです。基本二人の人間が並んで手を広げると、お互いがぶつかる程度です。
そして、江戸時代の新宿御苑あたりの浮世絵を見ても、だいたい川はレンガトンネルの幅くらいしかありません。
では、なぜ上流で大きな川なのに、下流で小さくなっているかというと、玉川上水は上水なので、基本的に他の川と合流しません。しかし、途中で分岐はしています。いわゆる分水ですね。なので、水の量は徐々に減っていきます。
また、江戸中に水を行き渡らせるためには、相応の圧力が必要になりますから、江戸近辺では川幅を絞ることによって、水に勢いをつけているわけでなのです。
なので、現在の御苑ではチョロチョロと流れる水ですが、かつてはかなりの水量が細い川を怒涛の勢いで流れており、これが三鷹付近も同様で太宰治の命を奪う原因となったわけです。
冒頭で江戸の水は? ンなもん誰でも知っとるヮ!! と思いつつ見て行くうちに、段々ほー、ほーってなってましたw
動画構成も素晴らしい編集でした。またウンチクも感心しきりでした。 どうも有難うございました。
楽しんでいただけたのであれば、大変うれしいです!!
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
番町皿屋敷の井戸にも水道が通っていたのかな?
川シリーズで呑川をリクエストしたいです
どこから湧いて来てるのか謎です
幼少期に吉祥寺に住んでたこともあり、井之頭公園や神田上水の話など、親しみ深い土地の話として、楽しくみました。水道橋や本駒込の吉祥寺も、よく知っている地域なので、吉祥寺にまつわる何かの縁を感じてしまいました! ナレーションの声も素晴らしいですね! どうもありがとうございました
そうなんですね!
楽しんでいただけて嬉しいです!
確かにそういうことがあると縁を感じてしまいますよね~
褒めていただけて嬉しいです!
こちらこそ、ありがとうございます!
何気なく見たのですが引き込まれました。今はこうやって映像で見られるのもいいですね。確かに小学生の時に社会科見学で玉川兄弟の像見た覚えがあります。実家の裏のドブ川がきれいになったのは東京都全体でやってたんですね、なるほど。
技術の発展というのはこういうところで恩恵がありますね!
私も学校で見に行きましたよ! 多分都民の通過儀礼なんだと思います笑
めちゃくちゃ聞きやすい!
お褒めいただき嬉しいです!
玉川兄弟には感謝ですね
伊達政宗は仙台の街に上水道を敷設した実績があるんだよね
ってブラタモリで言ってた
玉川上水の終点である四谷の交差点は恐らくあの岡田有希子さんの事件があった場所ですね。驚きました。
おっしゃるとおりです。
毎年ファンの方がいらっしゃいますね。
ありがとうございます。やはりそうでしたか。特にファンというわけでもなく事件で初めて彼女の事を知ったのですが、当時近くの会社に勤めており連日交差点に沢山のファンが来て悲しんでいたのが忘れられません。
四谷大木戸門ですね。会社が四谷4丁目なので、4丁目の交差点よく通ります。井戸の話とはずれますが、新宿伊勢丹の交差点(団子屋がある付近)は追分交差点と言われてますね。そこから分かれて甲州街道と青梅街道に分かれたためと言われています。内藤新宿と言われていた江戸時代ですね。深掘りありがとうございました。
ありがとうございます!
そのような情報は大変興味深く助かります!
とても便利な場所にお勤め先がありますね!
交番があるところですよね~
追分団子
私は学生時代よく夏にかき氷食べに行きましたね~笑
とても興味深く、楽しく拝見させて頂きました。
生まれてから住んでいる私の街にも玉川上水が流れており桜の季節はとても綺麗です。
子供の頃、社会科見学で羽村の堰に行った覚えもあります。
ありがとうございました。
こちらこそ、ご覧いただきありがとうございます!
確かに、小学生の時社会科見学で行きましたね!
都の小学生はみんな行くんでしょうかね~
御茶ノ水って将軍家が茶の湯につかう水をここで汲んで持って来たんですね。
初めて訪問しました。生粋の大阪人ですが、東京の土地の歴史、なかなか興味深いですね。
はじめまして!
関西は歴史が長くて熟成された文化があって、私は好きですね!
特に百貨店などは高島屋や阪急などの関西系のほうが私は好みです・・・笑
東京は歴史が長くない反面、細かいところまで目が行くのが個人的には好みです!
@@TokyoTrivia京都は、歴史が長すぎて、何が“眠っているか”解らない怖さがありますね(苦笑)10年ほど前、横井小楠殉難の地を訪れた時、近くの下御霊神社の辺りで、足首を捻って腱を切る大怪我をしたことがあります。何かの祟りだったかも?😅
JR大阪駅ビルに、「大阪三越伊勢丹」が入ったのですが、関西の水に合わなかったのか、潰れてしまいました。私も一度入ったことがありますが、店舗や商品の並びが、なんとはなしに「違う」気がした記憶があります。
渋谷区の甲州街道、玉川上水の近くに住んでいます、1970年代に玉川上水は暗渠化され公園になっています、建設機械がない江戸時代に人の力でわずか1年で作られたというのは驚きです。
そうなんですね!
よくあの暗渠部分の公園散歩しますよ~
何かあの辺りの雰囲気好きです笑
江戸時代の人がどのようにそんな短期間で玉川上水を作ったのか知りたいです。
ピラミッド建造の謎並みに気になります。
あと個人的にちょっとショックだったのは、後楽園駅近くに住んでいたことがあり、ラクーアにはしょっちゅう行っていたのに、小石川後楽園なんて公園の存在を今まで知りませんでした!!!
もったいなかった!!!😱😱😱
基本的に人海戦術の賜物といったところでしょうかね~
これが、完成することによって飲水だけでなく、流域地域に作物栽培のための水も供給できるので、昭和で言う黒部ダム並みの一大プロジェクトだったので、それが故になせた感じがありますね~
ラクーア人気ですよね~
確かに、結構気づかないことってありますよね~
テレビなどで見たお店に行ってみようと思って調べたら、実は自分がいつも通勤途中に通り過ぎている場所だったとかもありがちですね笑
江戸時代にはすでに上下水が完備されていたと聞いていて不思議に思っていたので、大変勉強になりました。ありがとうございます。
東京の水害を防ぐために地下に大貯水槽を作っているという話とはつながらないのでしょうか? あの貯水槽は埼玉だった? 貯水槽にどこから水を取り込むのかと思って拝見していました。
⇒春日部でしたね:首都圏外郭放水路
確かに、もっと後の時代に普及しそうなものがすでにあるって不思議ですよね~
こちらこそ、楽しんでいただけて嬉しいです!
放水路は東京都民を守る砦ですからね~
素晴らしい施設だと思います!!
すごい学識ですね。浅学の私が僭越にも補足すると、お茶の水の絶壁は中国の赤壁をもじって小赤壁と呼ばれていたこと。水道橋には屋根がないが神田上水樋には屋根があったことくらいです。
とても嬉しいお言葉です!
それは、素晴らしい補足ですね!
そういう知識はとても好きです!
ありがとうございます!
東村山の小学校に通ってましたので
浄水場見学ありましたし
玉川兄弟も、たしか国語?で習ったような記憶が
懐かしい気持ちになりました👍
東村山市だと浄水場見学も有るのですね!!
私は違う地域に住んでいたので、社会科見学で高速バスに乗って羽村取水堰を訪れましたが、川だ!としか感想がなかったので・・・笑 浄水場のほうが楽しそうですね!
確かに、国語や社会で習いましたね~私も懐かしいです!
現在笹塚駅前の暗渠になっている辺りでよくザリガニとったなぁ。暗渠にならず残っている所は何故かあまり取れなかった。少し下ると取水される所があり空になっていた。
素晴らしい思い出をお持ちですね~
当時の思い出をお聞きできるのは大変うれしいです!
今は玉川上水に直接降りれる場所が全域を通して限られているので、そこで遊んだという思い出は非常に貴重ですね~