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歴史の教科書に載ってる昔の食事の写真見るの好きだった
わかる
家庭科の教科書でごはんの写真見てたタイプだろ君
@@make_me_sad 確かにレシピの載ってるページばかり見てましたね
まじわかる
めちゃくちゃ旨そうな和食いっぱいのってて好きだった
和菓子は結構兵糧が元になっていて、草餅は時間が経っても固くならないのと防腐としてヨモギを混ぜていたり、チマキのように笹を使って包む物も元は兵糧であることが多いです
仙台名物のずんだはもともと伊達政宗が兵糧として作らせたものという説がありますね
@@fukazu8812 伊達政宗が豆が苦手で克服の為に作られたって説もあるっすよ
豆打餅は、政宗が伊勢参りで赤福食べて感動して、仙台名物として豆打で赤福的な菓子を作ったのが始まりって説もあるよ。政宗は料理マニアで自分でも料理やっては家臣や友人に食わせたりしてたしねー
和菓子は唐菓子が発端だと言われてる。この唐菓子は元々はインドのお菓子。「精神を満たすための食べ物」が菓子だったんだけど、元々はフルーツだったのが、人工物で登場したのが斬新だった。この唐菓子の系統を今でも守ってるのが亀屋清長の清浄歓喜団って菓子があるんだけど、この菓子が和菓子の素とも言われてる。食べたらわかるけど、すんごいよ笑体が浄化される笑
そもそも菓子って言うのは備蓄品を美味しく食べられるように工夫して作ってるもので、だから栄養が偏ってるんだけどな現代でも市場に流れない(市場に出ても美味しくないから売れない)備蓄食糧を消費してくれるのは製菓メーカー
実は兵糧(米)はそれを調理する燃料(薪や炭)とセットになっている。このため、必要な燃料の算出も頭痛の種だった。一例として、野戦だと作り置きのカマドを使用できないため熱効率が低下し通常の倍近い燃料を必要とする。移動しながらの野戦の場合、この喪失分は馬鹿にならないレベルのマイナスを生み出してしまう。籠城戦で守る側に兵糧を送る場合、カマドを使用できるが今度は十分な燃料を供給しないと建材を燃やしてしまい城の防御力そのものが低下する恐れもあった。このため、必要十分な量の燃料を確保しておくことも重要な仕事だったのだ。
まるで自分が一から調べ上げたような言い方
@@teraikazuya829nishiaraieki 別にいいだろ…俺はへぇ〜ってなったぜ!
@@jace9836 そうだな。ごめんな。
普段見てる歴史系のチャンネルかと思いきや、まさかの食の雑学さん。
兵糧丸は平時の食事ではありえない固さと食えなくはない味でオススメ
まるでわざとまずく作った米軍のDレーションみたい。
いしいひさいちの四コママンガで、三年分の兵糧米がある城が落とされた理由が「おかずがなくなったから」と言うのがあった。
確かにおかずないときつい
米があっても戦はできぬ…か
実際なぁ…
確かにきついっすわ。
脚気になりそう
面白すぎる❣️いつもアップ⤴️ありがとうございます😭
こんな感じの雑学的な動画が一番好きだなぁ…
知ればしるほど信長が凄いと分かる
こういう知識に関しては信秀の教育の賜物やろうな
秀吉も三成も家康も猛将じゃなく知将タイプ。アメリカ軍士官学校の主席は戦闘部隊じゃなく後方支援部隊に配属される。兵站が戦争で一番重要な証拠だよね。
旧日本陸軍が兵站を軽視したのとえらい違いですね。
三成は兵站の達人だから秀吉に重用されたらしいですね。基本裏方なのに秀吉死後に家康に反発してトップに立とうとしたのが間違いの始まり。
@@qzp01467 いやまぁ人望あったらまだワンチャンあったから多少は…
@@真月遼 軽視はしていなかったけどそれ以上に物資がないからその少ない物資でやらざる得なくて強行したという話もあります。インパールのあの人だって閣下と呼ばれるまでなるくらいですから我々現代の一般人と同等以上の知識はあったはずです。なので自分の命令に無理があることは承知していたと思います。平和でフランクな今ならその弱点を認めて様子をみるべきとなりますが、当時はそれが弱気と判断され最悪強硬派に暗殺されるかもしれないという緊張感はあったと思います。では、どうすればよかったかですが、私には皆目見当がつきません。やはり物資がない時点でお手上げです。
@@bluekent 物資が豊富なら戦争してないしな
13:37 この事態は近現代戦でも起きている。比島にて終戦の為降伏した飢えた日本兵が、空腹に我慢できず米軍のキャンプから食糧を盗み出し、それを食べ、死んだ。ソースはレイテ戦記(下巻)
ゆっくり解説、今一番好きなチャンネル!毎回ネタが幅広くて、平坦な喋り口調がラジオみたいに流し聞きできて落ち着く~♡
とても良いお話しを聞けて勉強になりました。素晴らしいチャンネルです!
しんちゃんの「腹が減ってはいいクソは出ぬ!」が好きすぎて…
大量閉店系は結局コロナの影響が…となってワンパターンだし、他とテーマが被りまくってたからこういう方向のお話は面白かったです
「戦い」が「いくさい」なの好き
か を間に入れるとゾンビにされます
🦑…
一石さんとり も好き
イク葛西
教科書に載っていた兵糧を昼食前の4限目にみて腹を空かしていた
学生時代に教科書の食べ物はことごとく飯テロだったw
平安時代の貴族の飯旨そうだった
まだ良い方だよ、うちの学校から、ちょっと離れた所にお菓子工場あったのは地獄(-_\)
@@ハッケイ うぃー香りぃー
ここにもいるのか
てこ蔵さんの動画と合わせて観るとすごく勉強になる
飢餓状態で一気に食べると死ぬってのは日本人捕虜がロシアとかで強制労働させられていたときによくあったときいた
カムイ伝(漫画)ではわざと米を変色させて年貢として納められない様にされた米が家の中で溢れてて爺さんがこれ喰っていいのか?の後がっついてショック死してたの思い出した。
@@あぴよん-i5h 句読点つけようぜ
ガダルカナル島で運良く生き残り捕虜になったがガリガリにやせ細り捕虜収容所でたっぷり食事を支給されるもスープとかオートミールとかから徐々にしないといけないのにガツガツ喰うから胃腸が栄養を吸収出来なくて下痢してていつまでもやせ細ったままだったとか
リフィーディング症候群といって急激な栄養補給は飢餓状態で減少している血中の糖を代謝させるための物質をそこからさらに一気に減らしてしまう。この代謝に必要な物質は血中の酸素を運ぶ役目も持っているから結果的に呼吸不全や心不全を起こして命に関わるのだとか
なお兵糧丸は基本的にボソボソしてて味はいまいちな模様…ただ、上杉家の兵糧丸が後の笹団子の元となっているというのも聞いたことがありますな。
越後の笹団子。坊ちゃんが四国へ旅立つとき、お清は越後の笹団子が欲しいといった。東京のお清がなぜ越後新潟の笹団子?これは謎。どなたかご存じの方、お教えください。
大坂の陣では大坂方は餅を支給してたけど、すぐ食い飽きて手をつけなくなったから城中にモチがゴロゴロ転がっていたとかw昔は携行食としてモチはポピュラーで外出する人は一個はモチ歩いてたらしいです。
うまいw
モチ論、そのモチは誰かがちゃんと食べたんですよね?
竹中半兵衛などは懐にいれていた餅に矢が当たったおかげで命拾いしたそうで、それくらい当時の人には身近な存在だったんですね。半兵衛はこのモチを家紋(餅紋)にして出世へのモチベーションを高めたそうです。
知り合いのレンジャーも餅で凌いでいた。
平時は腹持ちがいいということでお城の事務方が常食していたようです。
歴史好きだと「兵糧」って言葉だけで興奮しちゃう
分かります(*^^*)
わかる!!
ヒョロニー…あるとおもいます
分かる 俺は兵法とかも興奮する
ひょうりょうがんかな
教科書にない歴史の情報だから、楽しいです。色んな工夫で食事していたのですね。
この動画みると「信長のシェフ」での信長が戦の兵糧に何故力を入れていたか理解できた。今もミリ飯という名である意味、技術というか知識の継承もあるし、納得いく動画です。
大将レベルでも戦地では泥のついたたけのこや蓮根を食べたそうだから大変だ
食べられる縄とか壁とか、聞いたことはあったけど…戦で勝ち残るためにできることは全部やるっていう本気の気迫を感じました。
食べられる壁じゃなくて畳の間違いじゃね?壁食ってたのは飢饉とか黒田の朝鮮出兵の逸話とかだったと思うけど
@@ゴンゴン-d4s 熊本城の土壁はベントナイトという食べられる土が使われてたとか…乾パンの膨張剤にも使われるヤツです
城を包囲する場合は攻める側は守る側の数倍の兵力が必要になるうえに、近隣の村などからの現地調達もできない(村から無理やり奪おうにも人口の数倍の兵士を養い続けるほどの食料はないため、現地調達は基本的に移動しながらでないと無理)ため、兵糧攻めをしているほうの兵糧が先に尽きて撤退してしまうこともわりとよくある。
こういうのを見るたびにハンニバルくんの異次元っぷりがよくわかる
てこ蔵さんのところでこの辺り食べてたの思い出した
ドリフターズで信長が「サルの奴が飢えた人にいきなり食わせると〜」ってセリフは鳥取城の戦いのことを言っていたのか…。
農民出身で食うや食わずの時もあったでしょうし、経験的にリフィーディング症のこと知ってたのかもしれませんね
この動画では触れてないけど、兵糧攻めは排泄物の問題も酷かったらしい。その事を取り上げた動画も作って欲しい。「食の雑学」とは少しずれるけど興味あります。
算盤使いで有名な人だと、三国志の楊儀、戦国時代の石田三成かな両人ともやや人望がないところがあったけど、この動画を見ると、戦場で戦ってる人は「こっちは命をかけて戦ってるのに、お前ら後方で事務作業してるだけじゃんw」と思うけど、算盤使いからすると「はぁ?お前らが前線で戦えるのは兵糧の配給の計算とかやってる俺たちのおかげだぞ??脳筋は黙ってろよw」って感じで仲悪かったんだろうな・・・
アップありがとうございます!兵糧丸…材料きいたらとっても美味しそうなんだぜ作るのも簡単そうだ
当時の米なんて3分つきや5分つきが当たり前で白米なんて大変な贅沢ですからね。けどその結果米ぬかに含まれるビタミンやミネラルを摂取出来たから米だけでも充分栄養素摂取出来たんですよ。逆に江戸時代は精米技術が進歩したお陰で白米が庶民でも食えるようになったけど、米ぬかに含まれてたビタミンやミネラルが摂取できず「江戸患い」と呼ばれる脚気が蔓延してしまい帝国陸軍にまで影響する始末。
陸軍で脚気が流行した原因の1つがドイツで医学を学んだ森林太郎という幹部将校の存在…世間じゃ小説家「森鴎外」としてのほうが知られていますが
こうなると世界の兵站の歴史も見てみたくなる、特にデーン人襲来の時のバイキングの食糧事情とか対するイギリス側の兵糧など・・・
ローマ人以外は現地調達オンリーかもしれません。
@杉田庄一 良くできていますね、職住接近どころの話じゃないし。
コメントの何名かが返信していますが、「胃は痙攣を起こし、ショック死」というのは、本来の症状を正しく表していません。飢餓状態になると、通常の摂取した糖分の代謝系から体内に蓄積された脂肪やタンパク質の代謝に移り、生体システムに必要なミネラルが欠乏します。そして、再度栄養を摂取したとき、糖分がインシュリン分泌を誘発し、欠乏していたミネラルが更に必要となり、リン・カリウム・マグネシウムなどが枯渇し、全身の細胞システムが機能障害を起こし、特に心停止になります。飢餓状態からの離脱には、糖や糖の元になる物の摂取を少量にすることの他に、欠乏しているミネラルの補給が必要です。遭難したり、断食したりで、飢餓状態に陥った人に対処する場合に参考にしてください。
兵糧配給の話は映画にでもしてほしいなw色んなドラマがありそうw
籠城戦を見据えて建てた熊本城が250年以上後の西南戦争で真価を発揮するというロマン
石垣などある程度砲撃を想定した構造だったので援軍が来るまでなんとか持ちこたえたんですよね。要塞として通用した城を作った加藤清正はすごい
数あるゆっくりのなかでも掛け合いが上手い
ひょうりょう……↑はともあれ、とても興味深い動画でした!現代の保存食にも活かされている技術がありますね〜
山登りする時に兵糧の知識は参考になりましたね😙
ガチな奴で草
軽くてカロリー稼ごうとすると練乳、ピーナツバター、マヨネーズ、そのまま食べるのは苦行、、、でしたが、携行食考えるのも作るのも面倒くさいのでこれらをチュッチュしながら登ってました(10年前のJK登山部
チョコレートとカロリーメイトでいいんじゃね?
@@tiktokbest2984 甘いものばっかりだと飽きるのと、余計に水分欲しくなるんですよ、、、あと、同じ量で糖質より脂質の方がカロリー高いのです! 競技登山だと計画書にカロリー書いたり、計画書自体が評価されたりするので、いかに軽い装備で高いカロリーを確保しようとするか突き止めると脂質重視になったりします
歴史大好きだから嬉しいです!腰兵糧のなかで梅干しもあったから紹介してほしかった、、理由としては食べれる酸っぱさで唾液を出して喉をうるをしたその他もろもろ有ります!!一番好きな腰兵糧です!!
うむ!腰弁当だね!勿論知ってるよ!
信長の野望や三國志をやると兵糧は必ずと言ってもぐらい重要なステータスとして出てきますね。芋柄縄もおいしそうですが、実際お湯でふかした汁物は、とても薄味だとか
へうげもので縄を味噌汁に入れて食べてるシーンがあってしぶしぶ腹の足しにしてるもんだと思ってたけどいざという時に食べる用の縄だったのか
肥後ずいきという物がありまして、縄になったり食用になったり色んな用途が有りますよ。
@@ataki2642 いろんな(意味深)
戦国武士は、戦場に向かう前に縄を塩水で似て乾燥させて携帯した。現地で味噌汁を沸かして縄を投げ込んで塩分補給。
日本の場合味噌を確保するのが栄養的にも重要な意味があった。味噌玉や芋がら縄などで自前で持ってきた分と味噌の材料となる塩・麹・大豆なども確保しておかないといけない。味噌は肉を食べる習慣があまりない日本では重要なスタミナ源タンパク質を取る意味があった。西洋ファンタジー系でよくある。ビスケットと干し肉・塩漬けの肉と同じような感じ
どんな猛将も名将も、食べ物がなくては無力
フランスにも「軍隊は胃袋で動く」という言葉があるそうですね
@@fep2901 ナポレオンのその天才たる所以が、兵站の為には大陸軍を分散行軍させなければならないのに、開戦時にはピタリと終結し最大限の兵力集中ができるマジック。まだ電信も無かった時代に神憑りな能力でな。
瓶詰めはナポレオンが、アイデアを公募したりして世に出たんじゃなかったかな。
@@いぬわら 確かマーガリンもそうですね、バター不足で。
飢餓状態でも一気に食べると死ぬって中国戦線の日本兵の手記にも書いてありました。
籠城戦に備え、城内の土壁に大豆、豆類を練り込み、畳の中は藁では無くズイキ《芋がら》を織り込み、城内に井戸を掘り溜池を作り、瓦を*鉛葺きにしていた戦国武将がいた。*溶かして鉄砲玉にする。
なんか、学校で教科書見ながらこういう動画を授業で流したら、もっと勉強が楽しくなりそうな感じがする
鳥取の飢え殺しにあとに普通に食べて胃がマヒして死んだ人もいるくらい飢餓は危険・・・。だから大東亜戦争後の復員船では「猫の餌」とさえ言われるほどにドロドロにしたおかゆが復員には出されたとか。
復員船として使用されることになった日本海軍最後の空母「葛城」ではとくに細心の注意を払ってわざとドロドロの粥から初めて少しずつ食事の質を上げるということをしてたので、逆に兵隊たちからの評判は悪く、ついでに大型艦だからと大人数を乗せたので滅茶苦茶暑かったから「地獄葛城」と呼ばれたとか・・・・でもその配慮のおかげでショック死した兵隊はいなかったとのこと。
音だけで聞いていた僕6:08『魚粉』僕『魚糞?!?』
食の雑学なんだから俗っぽいのじゃなくて。こう言うのでいいんだよ…
スネーク「カロリーメイトがうますぎる!!」
敵兵「おぉ...レーションだ、助かるな...」敵兵「不味すぎる...」
二人は一帯共同体
秀吉なら確信犯で降伏した民をぶっ○した可能性さえある。
????「俺はフルーツ味しか食わん」
辛坊治郎さんは太平洋上でカロリーメイト食べてるらしい。小型軽量の栄養補給食カロリーメイト。
斃した敵兵の兵糧丸を強奪とかしてたのかな?てか、戦国時代に「万単位の兵の兵糧は現地調達できない」って知ってたのになぜインパール…
あれはフリードリヒ大王やハンニバルやスキピオやルイ=ニコラ・ダヴー元帥のような将軍に代表されるようなわかりやすい賭けでした。また英ディマプール方面33軍団最高司令官スタッフォード将軍は戦後、牟田口司令の指示通りディマプールを攻撃していたらインパール作戦は成功していた可能性が高かったことを認めています。しかし、この頃のビルマ戦線では雲南方面の状況については特殊情報班の活躍により通信を傍受解読していましたが、インド方面はインド国民軍の将兵を使って潜入させ情報収集していたものの成果はあがらなかったようで、牟田口司令官が情報を持っていたとは考えにくく、ディマプール進攻は繰り返しますが一種の博打のような性質のものだったと考えることができます。問題は牟田口司令の人望のなさでした。これが乃木大将であったなら勝っていたかもしれません。
日本は明治維新で過去の知識と遺産を捨てちゃったからね
大本営、方面軍、現地部隊などのエリートたち“上級国民”どもの「身内意識」「ナァナァ体質」でもって、現実や史実なんぞより虚栄心やメンツや将官どもの自己保身が勝った…という日本軍いやさ日本という国そのものの体質も有りましたが…。さらには当時の東條内閣が、連戦連敗を続ける戦局を、何とか糊塗しようとビルマの英軍の東洋支配拠点を叩くこの作戦に前のめりになった…という経緯も。功名心を満たそうと、勝算の無い「その場ウケネタ」のために、数千数万の民草の命や人権や尊厳を使い捨てにして何の痛痒もない。そして責任を取る気も一切なし。大日本帝国はたった今現在も現在進行中です。
当時日本の敗北は避けられないとシュミレーション結果が出ていたのに「現実は何が起きるか分からない」と押し切った話まであります…
これ考えると、松江城って城の中に井戸もあるし松も植えられてるし、すごいなぁ
秀吉は逆にカネに物を言わせて高値で買ったので敵の地元なのに敵が喜んで売ったんですよね。
「兵糧攻め」って今でも使う言葉だよ。
緊縮財政とかで、政府が国民を兵糧攻めしてござる(面白動画にこのコメは邪魔かもと思いつつ...)
城中には、実がなる木を進んで植えていたりもした。柿や銀杏とか。実際に籠城とかなったら、熟れるまで待てないがw
池の和鯉とかもそうだよね。
@@Seaza_Sr1 戦国時代は主に山城。なので水の確保が死命を分ける。だから鯉を放して水に毒が流されてないかを確認する。今でも浄水場に池を付随させ鯉や鮒を飼っている。
@@見えないクン 汚れを食べてくれるし、人間が食べても美味しいし便利な魚だよね🐱毎朝小さな神社に掛け上がってるけど、水道が無かったら本当に地獄だわ、昔はどうしてたんだろうね。
いや。柿なら干し柿にすれば良し。銀杏なら元々から何の支障もない。後は火薬弾薬が問題だな。
極度の飢えは精神を蝕む。栄養(カロリー)にならなくても腹に何かを入れなくては精神が持たない。喉を通れば何でもいい。そんな感じなんだろうね。
兵糧まとめて渡すと良くない話は、今の建築現場で資材を一気に渡すと職人が売り捌いてしまうから数日必要な分だけ出すってのに似てる笑
太平洋戦争の日本軍も同じ目に遭った兵士がいた。何日も水のない中での戦いで援軍に助けられた兵士が水を飲んだ途端に死んだらしい。
面白かったなぁ。戦いの中での食料は興味がありますね、今回は国内の話が主でしたが海外の中世の戦とかでは食べ物はどう扱われていたのでしょうか?
里芋の茎干した奴美味しいよね〜山形県だと納豆汁に入れて食べるよ
小学生の頃忍者の本に兵糧丸の作り方が載っていたから作ったけどマズイ記憶しかない。
戦国時代の食事取り上げてほしかったから嬉しい
米を小分けにしたのは、米を酒に交換するんじゃなくて酒に醸しちゃう(濁酒を自作しちゃう)からだったはず
瓶詰めもナポレオンが戦争の食料事情を解決するため賞金を出して募集した中から選ばれた方法だった。でも瓶は割れるので後に缶詰に。 戦争はすべきではないが戦争によって技術が進化したり道具が発明されたりと良いこともある訳で。
籠城は攻める側が圧倒的に不利。守る方は温かい城の中にいれば死ににくい。攻める側は何日にも渡って大兵力を維持しないといけないから無茶苦茶金はかかるし兵士も疲れる。だいたい農繁期が近づくと攻める側は帰っていく。上杉謙信はいい例。秀吉が4ヶ月も包囲できたのは織田領の中で兵農分離が進んでいたから。4ヶ月も耐えた方もおかしいが秀吉はもっとすごいのである。
兵糧(ひょうろう)って読んでたんだけどあってる?
ソレで正解。
キングダムでは「ひょうろう」て読み仮名が振られてるね。
一般的にはその読み方ですね。
兵糧攻めで知った
見ている時が1番ピークの食べ物だな…実際に食べたら夢が壊れそう
1:36戦い(いくさい)でツボった
誤字多くない?一石三鳥(いっせきさんちょう)が いちいしさんとりとか
@@acrylic4227 ゆっくりに読ませると、違う読み方をすることが結構あるから、ご愛嬌ということで
秀吉軍が出兵して下関あたりについた時、兵士が下関のフグが美味いと聞いていたから、自分たちで釣りをしてさばいて食って何人も死者が出たから、あわててフグを食べることを禁止した…という話もあるなぁ。
そして解禁したのが下関に行った時に処罰覚悟で出されたフグを食べて旨さに感動した伊藤博文
フグと言っても何の魚かよくわからない地方の兵隊のためにわざわざ絵を描いて「この魚食うべからず」と御触れまでだしたらしいですな
@@xz6314 確か悪天候で他に出すのがなかったせいですよね。フグ出した件は。
そして男塾名物、大海島巡りに受け継がれる。。
@@Jtttcagn 男塾はたいした意味もなく死亡確認をするクズ漫画
食えずに戦えるかという話。75年前にも米の国に日本人が負けたのもこれが原因。
軍の上層部のハゲが食いもんが無くても戦うんだよ!とかほざいていたらしいな
兵糧で連想させるのは源義仲京へ登った時にその場凌ぎで確保してたから結局は飢えから掠奪まで発展した秀吉は播州征伐、鳥取の前に攻めたのが三木城で三木の干殺しと言われてる実は葡萄畑の中に竹中半兵衛のお墓もある
歴史の食事ネタは勉強になりますね。
松の木は実は全部が食べられるみたいですね、松葉サイダーっていって、松の木の葉っぱは砂糖水につけておくて数日でアミノ酸と反応して炭酸化してサイダーになるっていうのを見て今作ってる最中です
そういや幼い時戦国時代好きの親父にこれが兵糧丸だ‼️ってご飯と味噌と魚❓みたいなのをねっちねっち潰して丸めた正露丸みたいなやつおやつに食べさせられたけど秒で吐き出したの思い出した😌
>戦国時代は兵糧が重要だった第二次世界大戦の頃には重要さを忘れてとんでもない目にあった国がありましたね……
夏になるとNHKとかでよく再放送してたりしますね
海軍の戦争指導の誤りと長期戦にしたのが全ての間違いだね。ただ初戦の短期間でのフィリピン、インドシナ半島侵攻は兵站も含めて、軽視した状態では到底不可能だから、軽視していたわけではなく、海上護衛戦に代表されるように何よりも優先する事項と認識していなかった、重視していなかったが正しいのだろうね。そして後から気付いても既に遅いと。しかし日本海軍は完全に短期決戦の構えの組織だったのにわざわざ西に東に長距離侵攻しまくって絶賛長期戦になるって勝つ気あったのだろうか…
ガダルカナル・インパールの日本軍兵士の飢餓
@@ドミニオンパワー 中国南部でも各地を転戦しただけで餓死したそうだ
軽視してたというか重視してたら作戦そのものが立てられなかったというのが・・・無茶な戦争はするもんじゃないね。
この企画ハマりました。食で歴史を観る、戦争を考えるのも面白い。
兵の為に、年貢の取り立てが厳しくなったのか。
この方向性も良い!
後方支援は現代に於いても重要なもの。
アメリカ軍が世界最強なのは、その物量や最新鋭兵器だけではなく、その兵士・物量・兵器の消耗部品を維持できる兵坦にある。
あの時代にタンパク質炭水化物ミネラルとかの栄養学の概念がちゃんとあったのは驚き
長い経験則から来てるのでしょうね(昔の神秘の技術はだいたい経験則から発展してたり)
野菜食わなきゃ結構簡単に病気になりそうだしな。
@@一ヘンタイ通りすがりの 平安貴族は野菜を卑しいものとみなして口にしなかったので病気になる人が多かったそうです
ラノベの「傭兵団の料理番」を思い出しました。
熊本城は別名銀杏城とも呼ばれています。由来は、籠城戦に備えて場内に銀杏の木が植えられていたからです。
アルファ米とか、戦国時代の保存食は現代の災害対策にも非常に役立っててスゴイよね
お、おう……そのアイコンは……もしや?
今さらと思いますが、チャーハンと焼き飯の違いは調理方法の違いだと言われています。チャーハンは「炒飯」と書くように鍋で炒めるもの。焼き飯は鉄板焼きの裏メニュー的なものとして存在し、鉄板の上で焼いて提供していたそうです。使う食材についてはどちらもそれほど変わらないようです。
こういうの大好き
是非、今度は日本の食事の改革の始まりとなった出汁の誕生についてもお願い致します。
これが豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」か
戦国時代は好きだけど日常や戦場での足軽達の暮らしは、知らなかった。
戦国時代のお城は、戦時下の知恵が一杯詰まってるね。
世界史上で最高の兵站の天才といえば蕭 何だと思ってしまう
腹が減っては何にもできぬ。名(迷)言ですね🤗🤭
「戦は飢饉だと思え!」「雑兵物語」の言葉です。😅
結局は『腹が減っては戦が出来ぬ』が真理
現代人には、「腹が減っても戦は出来る」と教えてやりたい。
兵糧……ある意味戦国ミリ飯かな?戦国時代関係の書籍で各地域で独自の兵糧が有った…なんて紹介されてましたが、さしずめご当地ミリ飯かな?😊
UA-camで探したらこういう陣中食を作って食べてる人いるから実際見てみたい人はおすすめです
兵糧や兵站はゲームやってる人には馴染みがある。コーエーテクモ!
野望シリーズなどのシミュレーションゲームですかい(汗)
お城なんかは観光土産に兵糧丸売ったら楽しそうだね^^
兵糧丸ってあまり美味しくないから多少は味付けされるだろうね
まぁ兵糧丸って名前のお団子とかなら売れそうやな。お土産とかで
@@tetsuya3543 黒ごまでねらw
なおくっそまずい模様
不味くても当時を体験出来るならみんな買うっしょ
戦争では補給戦が一番大事である。日本では補給戦について書かれた本が一冊しかないのは、言ってはいけない話。
最近ゆっくりの読む漢字の読み付けるの雑になってきていないですか?
逆に昔と比べると少しはマシになった気がする。
雑学だけに雑なんでしょう
いくさいで笑った
歴史の教科書に載ってる昔の食事の写真見るの好きだった
わかる
家庭科の教科書でごはんの写真見てたタイプだろ君
@@make_me_sad 確かにレシピの載ってるページばかり見てましたね
まじわかる
めちゃくちゃ旨そうな和食いっぱいのってて好きだった
和菓子は結構兵糧が元になっていて、草餅は時間が経っても固くならないのと防腐としてヨモギを混ぜていたり、チマキのように笹を使って包む物も元は兵糧であることが多いです
仙台名物のずんだはもともと伊達政宗が兵糧として作らせたものという説がありますね
@@fukazu8812 伊達政宗が豆が苦手で克服の為に作られたって説もあるっすよ
豆打餅は、政宗が伊勢参りで赤福食べて感動して、仙台名物として豆打で赤福的な菓子を作ったのが始まりって説もあるよ。
政宗は料理マニアで自分でも料理やっては家臣や友人に食わせたりしてたしねー
和菓子は唐菓子が発端だと言われてる。この唐菓子は元々はインドのお菓子。
「精神を満たすための食べ物」が菓子だったんだけど、元々はフルーツだったのが、人工物で登場したのが斬新だった。
この唐菓子の系統を今でも守ってるのが亀屋清長の清浄歓喜団って菓子があるんだけど、この菓子が和菓子の素とも言われてる。
食べたらわかるけど、すんごいよ笑
体が浄化される笑
そもそも菓子って言うのは備蓄品を美味しく食べられるように工夫して作ってるもので、だから栄養が偏ってるんだけどな
現代でも市場に流れない(市場に出ても美味しくないから売れない)備蓄食糧を消費してくれるのは製菓メーカー
実は兵糧(米)はそれを調理する燃料(薪や炭)とセットになっている。このため、必要な燃料の算出も頭痛の種だった。一例として、野戦だと作り置きのカマドを使用できないため熱効率が低下し通常の倍近い燃料を必要とする。移動しながらの野戦の場合、この喪失分は馬鹿にならないレベルのマイナスを生み出してしまう。籠城戦で守る側に兵糧を送る場合、カマドを使用できるが今度は十分な燃料を供給しないと建材を燃やしてしまい城の防御力そのものが低下する恐れもあった。このため、必要十分な量の燃料を確保しておくことも重要な仕事だったのだ。
まるで自分が一から調べ上げたような言い方
@@teraikazuya829nishiaraieki 別にいいだろ…俺はへぇ〜ってなったぜ!
@@jace9836 そうだな。ごめんな。
普段見てる歴史系のチャンネルかと思いきや、まさかの食の雑学さん。
兵糧丸は平時の食事ではありえない固さと食えなくはない味でオススメ
まるでわざとまずく作った米軍のDレーションみたい。
いしいひさいちの四コママンガで、三年分の兵糧米がある城が落とされた理由が「おかずがなくなったから」と言うのがあった。
確かにおかずないときつい
米があっても戦はできぬ…か
実際なぁ…
確かにきついっすわ。
脚気になりそう
面白すぎる❣️
いつもアップ⤴️ありがとうございます😭
こんな感じの雑学的な動画が一番好きだなぁ…
知ればしるほど信長が凄いと分かる
こういう知識に関しては信秀の教育の賜物やろうな
秀吉も三成も家康も猛将じゃなく知将タイプ。
アメリカ軍士官学校の主席は戦闘部隊じゃなく後方支援部隊に配属される。
兵站が戦争で一番重要な証拠だよね。
旧日本陸軍が兵站を軽視したのとえらい違いですね。
三成は兵站の達人だから秀吉に重用されたらしいですね。
基本裏方なのに秀吉死後に家康に反発してトップに立とうとしたのが間違いの始まり。
@@qzp01467 いやまぁ人望あったらまだワンチャンあったから多少は…
@@真月遼 軽視はしていなかったけどそれ以上に物資がないからその少ない物資でやらざる得なくて強行したという話もあります。インパールのあの人だって閣下と呼ばれるまでなるくらいですから我々現代の一般人と同等以上の知識はあったはずです。なので自分の命令に無理があることは承知していたと思います。平和でフランクな今ならその弱点を認めて様子をみるべきとなりますが、当時はそれが弱気と判断され最悪強硬派に暗殺されるかもしれないという緊張感はあったと思います。では、どうすればよかったかですが、私には皆目見当がつきません。やはり物資がない時点でお手上げです。
@@bluekent 物資が豊富なら戦争してないしな
13:37 この事態は近現代戦でも起きている。比島にて終戦の為降伏した飢えた日本兵が、空腹に我慢できず米軍のキャンプから食糧を盗み出し、それを食べ、死んだ。ソースはレイテ戦記(下巻)
ゆっくり解説、今一番好きなチャンネル!
毎回ネタが幅広くて、平坦な喋り口調がラジオみたいに流し聞きできて落ち着く~♡
とても良いお話しを聞けて勉強になりました。
素晴らしいチャンネルです!
しんちゃんの「腹が減ってはいいクソは出ぬ!」が好きすぎて…
大量閉店系は結局コロナの影響が…となってワンパターンだし、他とテーマが被りまくってたからこういう方向のお話は面白かったです
「戦い」が「いくさい」なの好き
か を間に入れるとゾンビにされます
🦑…
一石さんとり も好き
イク葛西
教科書に載っていた兵糧を昼食前の4限目にみて腹を空かしていた
学生時代に教科書の食べ物はことごとく飯テロだったw
平安時代の貴族の飯旨そうだった
まだ良い方だよ、うちの学校から、ちょっと離れた所にお菓子工場あったのは地獄(-_\)
@@ハッケイ うぃー香りぃー
ここにもいるのか
てこ蔵さんの動画と合わせて観るとすごく勉強になる
飢餓状態で一気に食べると死ぬってのは日本人捕虜がロシアとかで強制労働させられていたときによくあったときいた
カムイ伝(漫画)ではわざと米を変色させて年貢として納められない様にされた米が家の中で溢れてて
爺さんがこれ喰っていいのか?の後がっついてショック死してたの思い出した。
@@あぴよん-i5h 句読点つけようぜ
ガダルカナル島で運良く生き残り捕虜になったがガリガリにやせ細り捕虜収容所でたっぷり食事を支給されるもスープとかオートミールとかから徐々にしないといけないのにガツガツ喰うから胃腸が栄養を吸収出来なくて下痢してていつまでもやせ細ったままだったとか
リフィーディング症候群といって急激な栄養補給は飢餓状態で減少している血中の糖を代謝させるための物質を
そこからさらに一気に減らしてしまう。この代謝に必要な物質は血中の酸素を運ぶ役目も持っているから
結果的に呼吸不全や心不全を起こして命に関わるのだとか
なお兵糧丸は基本的にボソボソしてて味はいまいちな模様…
ただ、上杉家の兵糧丸が後の笹団子の元となっているというのも聞いたことがありますな。
越後の笹団子。
坊ちゃんが四国へ旅立つとき、お清は越後の笹団子が欲しいといった。
東京のお清がなぜ越後新潟の笹団子?
これは謎。
どなたかご存じの方、お教えください。
大坂の陣では大坂方は餅を支給してたけど、すぐ食い飽きて手をつけなくなったから城中にモチがゴロゴロ転がっていたとかw
昔は携行食としてモチはポピュラーで外出する人は一個はモチ歩いてたらしいです。
うまいw
モチ論、そのモチは誰かがちゃんと食べたんですよね?
竹中半兵衛などは懐にいれていた餅に矢が当たったおかげで命拾いしたそうで、それくらい当時の人には身近な存在だったんですね。
半兵衛はこのモチを家紋(餅紋)にして出世へのモチベーションを高めたそうです。
知り合いのレンジャーも餅で凌いでいた。
平時は腹持ちがいいということでお城の事務方が常食していたようです。
歴史好きだと「兵糧」って言葉だけで興奮しちゃう
分かります(*^^*)
わかる!!
ヒョロニー…あるとおもいます
分かる 俺は兵法とかも興奮する
ひょうりょうがんかな
教科書にない歴史の情報だから、楽しいです。色んな工夫で食事していたのですね。
この動画みると「信長のシェフ」での信長が戦の兵糧に何故力を入れていたか理解できた。
今もミリ飯という名である意味、技術というか知識の継承もあるし、納得いく動画です。
大将レベルでも戦地では泥のついたたけのこや蓮根を食べたそうだから大変だ
食べられる縄とか壁とか、聞いたことはあったけど…戦で勝ち残るためにできることは全部やるっていう本気の気迫を感じました。
食べられる壁じゃなくて畳の間違いじゃね?壁食ってたのは飢饉とか黒田の朝鮮出兵の逸話とかだったと思うけど
@@ゴンゴン-d4s
熊本城の土壁はベントナイトという食べられる土が使われてたとか…乾パンの膨張剤にも使われるヤツです
城を包囲する場合は攻める側は守る側の数倍の兵力が必要になるうえに、近隣の村などからの現地調達もできない(村から無理やり奪おうにも人口の数倍の兵士を養い続けるほどの食料はないため、現地調達は基本的に移動しながらでないと無理)ため、兵糧攻めをしているほうの兵糧が先に尽きて撤退してしまうこともわりとよくある。
こういうのを見るたびにハンニバルくんの異次元っぷりがよくわかる
てこ蔵さんのところでこの辺り食べてたの思い出した
ドリフターズで信長が「サルの奴が飢えた人にいきなり食わせると〜」ってセリフは鳥取城の戦いのことを言っていたのか…。
農民出身で食うや食わずの時もあったでしょうし、経験的にリフィーディング症のこと知ってたのかもしれませんね
この動画では触れてないけど、兵糧攻めは排泄物の問題も酷かったらしい。その事を取り上げた動画も作って欲しい。「食の雑学」とは少しずれるけど興味あります。
算盤使いで有名な人だと、三国志の楊儀、戦国時代の石田三成かな
両人ともやや人望がないところがあったけど、この動画を見ると、戦場で戦ってる人は
「こっちは命をかけて戦ってるのに、お前ら後方で事務作業してるだけじゃんw」
と思うけど、算盤使いからすると
「はぁ?お前らが前線で戦えるのは兵糧の配給の計算とかやってる俺たちのおかげだぞ??脳筋は黙ってろよw」
って感じで仲悪かったんだろうな・・・
アップありがとうございます!
兵糧丸…材料きいたらとっても美味しそうなんだぜ
作るのも簡単そうだ
当時の米なんて3分つきや5分つきが当たり前で白米なんて大変な贅沢ですからね。
けどその結果米ぬかに含まれるビタミンやミネラルを摂取出来たから米だけでも充分栄養素摂取出来たんですよ。
逆に江戸時代は精米技術が進歩したお陰で白米が庶民でも食えるようになったけど、
米ぬかに含まれてたビタミンやミネラルが摂取できず「江戸患い」と呼ばれる脚気が蔓延してしまい帝国陸軍にまで影響する始末。
陸軍で脚気が流行した原因の1つがドイツで医学を学んだ森林太郎という幹部将校の存在…世間じゃ小説家「森鴎外」としてのほうが知られていますが
こうなると世界の兵站の歴史も見てみたくなる、特にデーン人襲来の時のバイキングの食糧事情とか
対するイギリス側の兵糧など・・・
ローマ人以外は現地調達オンリーかもしれません。
@杉田庄一 良くできていますね、職住接近どころの話じゃないし。
コメントの何名かが返信していますが、「胃は痙攣を起こし、ショック死」というのは、本来の症状を正しく表していません。
飢餓状態になると、通常の摂取した糖分の代謝系から体内に蓄積された脂肪やタンパク質の代謝に移り、生体システムに必要なミネラルが欠乏します。
そして、再度栄養を摂取したとき、糖分がインシュリン分泌を誘発し、欠乏していたミネラルが更に必要となり、リン・カリウム・マグネシウムなどが枯渇し、全身の細胞システムが機能障害を起こし、特に心停止になります。
飢餓状態からの離脱には、糖や糖の元になる物の摂取を少量にすることの他に、欠乏しているミネラルの補給が必要です。
遭難したり、断食したりで、飢餓状態に陥った人に対処する場合に参考にしてください。
兵糧配給の話は映画にでもしてほしいなw
色んなドラマがありそうw
籠城戦を見据えて建てた熊本城が250年以上後の西南戦争で真価を発揮するというロマン
石垣などある程度砲撃を想定した構造だったので援軍が来るまでなんとか持ちこたえたんですよね。要塞として通用した城を作った加藤清正はすごい
数あるゆっくりのなかでも掛け合いが上手い
ひょうりょう……
↑はともあれ、とても興味深い動画でした!
現代の保存食にも活かされている技術がありますね〜
山登りする時に兵糧の知識は参考になりましたね😙
ガチな奴で草
軽くてカロリー稼ごうとすると
練乳、ピーナツバター、マヨネーズ、そのまま食べるのは苦行、、、でしたが、携行食考えるのも作るのも面倒くさいのでこれらをチュッチュしながら登ってました(10年前のJK登山部
チョコレートとカロリーメイトでいいんじゃね?
@@tiktokbest2984
甘いものばっかりだと飽きるのと、余計に水分欲しくなるんですよ、、、
あと、同じ量で糖質より脂質の方がカロリー高いのです! 競技登山だと計画書にカロリー書いたり、計画書自体が評価されたりするので、いかに軽い装備で高いカロリーを確保しようとするか突き止めると脂質重視になったりします
歴史大好きだから嬉しいです!
腰兵糧のなかで梅干しもあったから紹介してほしかった、、
理由としては
食べれる
酸っぱさで唾液を出して喉をうるをした
その他もろもろ有ります!!
一番好きな腰兵糧です!!
うむ!腰弁当だね!勿論知ってるよ!
信長の野望や三國志をやると兵糧は必ずと言ってもぐらい重要なステータスとして出てきますね。芋柄縄もおいしそうですが、実際お湯でふかした汁物は、とても薄味だとか
へうげもので縄を味噌汁に入れて食べてるシーンがあって
しぶしぶ腹の足しにしてるもんだと思ってたけど
いざという時に食べる用の縄だったのか
肥後ずいきという物がありまして、縄になったり食用になったり色んな用途が有りますよ。
@@ataki2642
いろんな(意味深)
戦国武士は、戦場に向かう前に縄を塩水で似て乾燥させて携帯した。
現地で味噌汁を沸かして縄を投げ込んで塩分補給。
日本の場合味噌を確保するのが栄養的にも重要な意味があった。味噌玉や芋がら縄などで自前で持ってきた分と味噌の材料となる塩・麹・大豆なども確保しておかないといけない。味噌は肉を食べる習慣があまりない日本では重要なスタミナ源タンパク質を取る意味があった。西洋ファンタジー系でよくある。ビスケットと干し肉・塩漬けの肉と同じような感じ
どんな猛将も名将も、食べ物がなくては無力
フランスにも「軍隊は胃袋で動く」という言葉があるそうですね
@@fep2901
ナポレオンのその天才たる所以が、
兵站の為には大陸軍を分散行軍させなければならないのに、
開戦時にはピタリと終結し最大限の兵力集中ができるマジック。
まだ電信も無かった時代に神憑りな能力でな。
瓶詰めはナポレオンが、アイデアを公募したりして世に出たんじゃなかったかな。
@@いぬわら
確かマーガリンもそうですね、バター不足で。
飢餓状態でも一気に食べると死ぬって中国戦線の日本兵の手記にも書いてありました。
籠城戦に備え、城内の土壁に大豆、豆類を練り込み、畳の中は藁では無くズイキ《芋がら》を織り込み、城内に井戸を掘り溜池を作り、瓦を*鉛葺きにしていた戦国武将がいた。
*溶かして鉄砲玉にする。
なんか、学校で教科書見ながらこういう動画を授業で流したら、もっと勉強が楽しくなりそうな感じがする
鳥取の飢え殺しにあとに普通に食べて胃がマヒして死んだ人もいるくらい飢餓は危険・・・。
だから大東亜戦争後の復員船では「猫の餌」とさえ言われるほどにドロドロにしたおかゆが復員には出されたとか。
復員船として使用されることになった日本海軍最後の空母「葛城」ではとくに細心の注意を払ってわざとドロドロの粥から初めて少しずつ食事の質を上げるということをしてたので、逆に兵隊たちからの評判は悪く、ついでに大型艦だからと大人数を乗せたので滅茶苦茶暑かったから「地獄葛城」と呼ばれたとか・・・・でもその配慮のおかげでショック死した兵隊はいなかったとのこと。
音だけで聞いていた僕
6:08『魚粉』
僕『魚糞?!?』
食の雑学なんだから俗っぽいのじゃなくて。こう言うのでいいんだよ…
スネーク「カロリーメイトがうますぎる!!」
敵兵「おぉ...レーションだ、助かるな...」
敵兵「不味すぎる...」
二人は一帯共同体
秀吉なら確信犯で降伏した民をぶっ○した可能性さえある。
????「俺はフルーツ味しか食わん」
辛坊治郎さんは太平洋上でカロリーメイト食べてるらしい。
小型軽量の栄養補給食カロリーメイト。
斃した敵兵の兵糧丸を強奪とかしてたのかな?
てか、戦国時代に「万単位の兵の兵糧は現地調達できない」って知ってたのに
なぜインパール…
あれはフリードリヒ大王やハンニバルやスキピオやルイ=ニコラ・ダヴー元帥のような将軍に代表されるようなわかりやすい賭けでした。また英ディマプール方面33軍団最高司令官スタッフォード将軍は戦後、牟田口司令の指示通りディマプールを攻撃していたらインパール作戦は成功していた可能性が高かったことを認めています。しかし、この頃のビルマ戦線では雲南方面の状況については特殊情報班の活躍により通信を傍受解読していましたが、インド方面はインド国民軍の将兵を使って潜入させ情報収集していたものの成果はあがらなかったようで、牟田口司令官が情報を持っていたとは考えにくく、ディマプール進攻は繰り返しますが一種の博打のような性質のものだったと考えることができます。問題は牟田口司令の人望のなさでした。これが乃木大将であったなら勝っていたかもしれません。
日本は明治維新で過去の知識と遺産を捨てちゃったからね
大本営、方面軍、現地部隊などのエリートたち“上級国民”どもの「身内意識」「ナァナァ体質」でもって、現実や史実なんぞより虚栄心やメンツや将官どもの自己保身が勝った…という日本軍いやさ日本という国そのものの体質も有りましたが…。
さらには当時の東條内閣が、連戦連敗を続ける戦局を、何とか糊塗しようとビルマの英軍の東洋支配拠点を叩くこの作戦に前のめりになった…という経緯も。
功名心を満たそうと、勝算の無い「その場ウケネタ」のために、数千数万の民草の命や人権や尊厳を使い捨てにして何の痛痒もない。そして責任を取る気も一切なし。
大日本帝国はたった今現在も現在進行中です。
当時日本の敗北は避けられないとシュミレーション結果が出ていたのに「現実は何が起きるか分からない」と押し切った話まであります…
これ考えると、松江城って城の中に井戸もあるし松も植えられてるし、すごいなぁ
秀吉は逆にカネに物を言わせて高値で買ったので敵の地元なのに敵が喜んで売ったんですよね。
「兵糧攻め」って今でも使う言葉だよ。
緊縮財政とかで、政府が国民を兵糧攻めしてござる
(面白動画にこのコメは邪魔かもと思いつつ...)
城中には、実がなる木を進んで植えていたりもした。柿や銀杏とか。
実際に籠城とかなったら、熟れるまで待てないがw
池の和鯉とかもそうだよね。
@@Seaza_Sr1
戦国時代は主に山城。
なので水の確保が死命を分ける。
だから鯉を放して水に毒が流されてないかを確認する。
今でも浄水場に池を付随させ鯉や鮒を飼っている。
@@見えないクン 汚れを食べてくれるし、人間が食べても美味しいし便利な魚だよね🐱
毎朝小さな神社に掛け上がってるけど、水道が無かったら本当に地獄だわ、昔はどうしてたんだろうね。
いや。柿なら干し柿にすれば良し。銀杏なら元々から何の支障もない。後は火薬弾薬が問題だな。
極度の飢えは精神を蝕む。
栄養(カロリー)にならなくても腹に何かを入れなくては精神が持たない。
喉を通れば何でもいい。
そんな感じなんだろうね。
兵糧まとめて渡すと良くない話は、今の建築現場で資材を一気に渡すと職人が売り捌いてしまうから数日必要な分だけ出すってのに似てる笑
太平洋戦争の日本軍も同じ目に遭った兵士がいた。何日も水のない中での戦いで援軍に助けられた兵士が水を飲んだ途端に死んだらしい。
面白かったなぁ。
戦いの中での食料は興味がありますね、今回は国内の話が主でしたが海外の中世の戦とかでは食べ物はどう扱われていたのでしょうか?
里芋の茎干した奴美味しいよね〜
山形県だと納豆汁に入れて食べるよ
小学生の頃忍者の本に兵糧丸の作り方が載っていたから作ったけどマズイ記憶しかない。
戦国時代の食事取り上げてほしかったから嬉しい
米を小分けにしたのは、米を酒に交換するんじゃなくて
酒に醸しちゃう(濁酒を自作しちゃう)からだったはず
瓶詰めもナポレオンが戦争の食料事情を解決するため賞金を出して募集した中から選ばれた方法だった。でも瓶は割れるので後に缶詰に。 戦争はすべきではないが戦争によって技術が進化したり道具が発明されたりと良いこともある訳で。
籠城は攻める側が圧倒的に不利。守る方は温かい城の中にいれば死ににくい。攻める側は何日にも渡って大兵力を維持しないといけないから無茶苦茶金はかかるし兵士も疲れる。だいたい農繁期が近づくと攻める側は帰っていく。上杉謙信はいい例。秀吉が4ヶ月も包囲できたのは織田領の中で兵農分離が進んでいたから。4ヶ月も耐えた方もおかしいが秀吉はもっとすごいのである。
兵糧(ひょうろう)って読んでたんだけどあってる?
ソレで正解。
キングダムでは「ひょうろう」て読み仮名が振られてるね。
一般的にはその読み方ですね。
兵糧攻めで知った
見ている時が1番ピークの食べ物だな…実際に食べたら夢が壊れそう
1:36
戦い(いくさい)でツボった
誤字多くない?
一石三鳥(いっせきさんちょう)
が いちいしさんとりとか
@@acrylic4227
ゆっくりに読ませると、違う読み方をすることが結構あるから、ご愛嬌ということで
秀吉軍が出兵して下関あたりについた時、兵士が下関のフグが美味いと聞いていたから、自分たちで釣りをしてさばいて食って何人も死者が出たから、あわててフグを食べることを禁止した…という話もあるなぁ。
そして解禁したのが下関に行った時に処罰覚悟で出されたフグを食べて旨さに感動した伊藤博文
フグと言っても何の魚かよくわからない地方の兵隊のためにわざわざ絵を描いて「この魚食うべからず」と御触れまでだしたらしいですな
@@xz6314
確か悪天候で他に出すのがなかったせいですよね。フグ出した件は。
そして男塾名物、大海島巡りに受け継がれる。。
@@Jtttcagn 男塾はたいした意味もなく死亡確認をするクズ漫画
食えずに戦えるかという話。75年前にも米の国に日本人が負けたのもこれが原因。
軍の上層部のハゲが食いもんが無くても戦うんだよ!とかほざいていたらしいな
兵糧で連想させるのは源義仲
京へ登った時にその場凌ぎで確保してたから結局は飢えから掠奪まで発展した
秀吉は播州征伐、鳥取の前に攻めたのが三木城で三木の干殺しと言われてる
実は葡萄畑の中に竹中半兵衛のお墓もある
歴史の食事ネタは勉強になりますね。
松の木は実は全部が食べられるみたいですね、松葉サイダーっていって、松の木の葉っぱは砂糖水につけておくて数日でアミノ酸と反応して炭酸化してサイダーになるっていうのを見て今作ってる最中です
そういや幼い時戦国時代好きの親父にこれが兵糧丸だ‼️ってご飯と味噌と魚❓みたいなのをねっちねっち潰して丸めた正露丸みたいなやつおやつに食べさせられたけど秒で吐き出したの思い出した😌
>戦国時代は兵糧が重要だった
第二次世界大戦の頃には重要さを忘れてとんでもない目にあった国がありましたね……
夏になるとNHKとかでよく再放送してたりしますね
海軍の戦争指導の誤りと長期戦にしたのが全ての間違いだね。
ただ初戦の短期間でのフィリピン、インドシナ半島侵攻は兵站も含めて、軽視した状態では到底不可能だから、軽視していたわけではなく、海上護衛戦に代表されるように何よりも優先する事項と認識していなかった、重視していなかったが正しいのだろうね。
そして後から気付いても既に遅いと。
しかし日本海軍は完全に短期決戦の構えの組織だったのにわざわざ西に東に長距離侵攻しまくって絶賛長期戦になるって勝つ気あったのだろうか…
ガダルカナル・インパールの日本軍兵士の飢餓
@@ドミニオンパワー 中国南部でも各地を転戦しただけで餓死したそうだ
軽視してたというか重視してたら作戦そのものが立てられなかったというのが・・・
無茶な戦争はするもんじゃないね。
この企画
ハマりました。
食で歴史を観る、戦争を考えるのも面白い。
兵の為に、年貢の取り立てが厳しくなったのか。
この方向性も良い!
後方支援は現代に於いても重要なもの。
アメリカ軍が世界最強なのは、
その物量や最新鋭兵器だけではなく、
その兵士・物量・兵器の消耗部品を維持できる兵坦にある。
あの時代にタンパク質炭水化物ミネラルとかの栄養学の概念がちゃんとあったのは驚き
長い経験則から来てるのでしょうね(昔の神秘の技術はだいたい経験則から発展してたり)
野菜食わなきゃ結構簡単に病気になりそうだしな。
@@一ヘンタイ通りすがりの
平安貴族は野菜を卑しいものとみなして口にしなかったので病気になる人が多かったそうです
ラノベの「傭兵団の料理番」を思い出しました。
熊本城は別名銀杏城とも呼ばれています。
由来は、籠城戦に備えて場内に銀杏の木が植えられていたからです。
アルファ米とか、戦国時代の保存食は現代の災害対策にも非常に役立っててスゴイよね
お、おう……そのアイコンは……もしや?
今さらと思いますが、チャーハンと焼き飯の違いは調理方法の違いだと言われています。
チャーハンは「炒飯」と書くように鍋で炒めるもの。
焼き飯は鉄板焼きの裏メニュー的なものとして存在し、鉄板の上で焼いて提供していたそうです。
使う食材についてはどちらもそれほど変わらないようです。
こういうの大好き
是非、今度は日本の食事の改革の始まりとなった出汁の誕生についてもお願い致します。
これが豊臣秀吉の「鳴かぬなら鳴かせてみせようホトトギス」か
戦国時代は好きだけど日常や戦場での足軽達の暮らしは、知らなかった。
戦国時代のお城は、戦時下の知恵が一杯詰まってるね。
世界史上で最高の兵站の天才といえば蕭 何だと思ってしまう
腹が減っては何にもできぬ。名(迷)言ですね🤗🤭
「戦は飢饉だと思え!」「雑兵物語」の言葉です。😅
結局は『腹が減っては戦が出来ぬ』が真理
現代人には、「腹が減っても戦は出来る」と教えてやりたい。
兵糧……ある意味戦国ミリ飯かな?戦国時代関係の書籍で各地域で独自の兵糧が有った…なんて紹介されてましたが、さしずめご当地ミリ飯かな?😊
UA-camで探したらこういう陣中食を作って食べてる人いるから実際見てみたい人はおすすめです
兵糧や兵站はゲームやってる人には馴染みがある。コーエーテクモ!
野望シリーズなどのシミュレーションゲームですかい(汗)
お城なんかは観光土産に兵糧丸売ったら楽しそうだね^^
兵糧丸ってあまり美味しくないから多少は味付けされるだろうね
まぁ兵糧丸って名前のお団子とかなら売れそうやな。お土産とかで
@@tetsuya3543 黒ごまでねらw
なおくっそまずい模様
不味くても当時を体験出来るならみんな買うっしょ
戦争では補給戦が一番大事である。日本では補給戦について書かれた本が一冊しかないのは、言ってはいけない話。
最近ゆっくりの読む漢字の読み付けるの雑になってきていないですか?
逆に昔と比べると少しはマシになった気がする。
雑学だけに雑なんでしょう
いくさいで笑った