昭和50年後半4 映像資料 居酒屋駅[That's旅行・交通]

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  • Опубліковано 26 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 9

  • @みやのこだべ
    @みやのこだべ 5 років тому +4

    TVの首都圏のローカル情報番組に於いて、国鉄の赤字ローカル線特集が組まれる度に、木原線共々よく取り上げられてました。

  • @shisyamopan
    @shisyamopan 3 роки тому +4

    今こんなんあったら大人気店やろな。
    少なくとも酒好きの鉄道ファンだけで毎日いっぱいやろ。

  • @聖遺物の導く先
    @聖遺物の導く先 4 роки тому +6

    良い時代やな

  • @kokage72
    @kokage72 3 роки тому +3

    このサービスイイね!無人駅は、掃除や散水、簡単な建物を管理をしてもいいという地域の方へお願いすればよいと思います。電車の切符は車内で購入してもらい、建物の維持と管理、緊急連絡は受けてもらう。施設管理は全額貸主の鉄道会社持ち。月の光熱費は借主6割、家賃は鉄道会社と折半。コンビニ、学習塾、美容院はいかがだろうか?営業時間は終電まで、電車の時刻にあわせて予約客もうけられそう。鉄道に乗って駅で買い物する。鉄道に乗って帰る。地域の人に利用してもらいやすい駅にできたらよいと思います。

  • @user-od3er9uo3z
    @user-od3er9uo3z 4 роки тому +8

    3:06何かが線路を横切ったぞ!

  • @poronyumeno3904
    @poronyumeno3904 5 років тому +3

    真岡線って知ってる?そう、あのSLもおか号の走る真岡鐡道のことです。その路線にある駅の一つである寺内駅が、国鉄だった頃には焼き鳥屋さんをやってたなんて今じゃ信じられませんね。

  • @harudai5499
    @harudai5499 2 роки тому +4

    1:45
    当時の物価を考えると結構良い値段じゃない?(勿論当時を知らないけど)
    駅価格で割増かな?笑

  • @YasumasaKohakura
    @YasumasaKohakura 3 роки тому +1

    当時はまだ「公設民営」の概念というのがなかったが、そのきっかけともいえるものだな。
    ローカル線は多くは国鉄→JRから経営的には分離して、第三セクターの私鉄か、バス路線に転換したが、私鉄に転換してもなかなか経営が軌道に乗らずに、ギブアップになったところも少なくはないな

  • @能圓坊龍現
    @能圓坊龍現 4 роки тому +2

    居酒屋は閉店したようですが、月水木金週4日間の16:30~23:00のみ開店というラーメン🍜店が入居して営業しているそうですね。
    真岡鐵道寺内駅の
    無人駅舎の半分は
    「太」(たい)というラーメン店
    どうやら映像の居酒屋🏮と同様、駅事務所を中華そば屋に改築して駅の管理を委託しているようです。