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サンマリノの時の、無線の反応を聞いてか涙に暮れるニューウェイの横顔が今でも忘れられません。急な規定変更の余波とは言え、自分が設計したマシンで悲劇が起きてしまう辛さは想像しきれません。もう30年近く経つのか、、、
扱いにくいマシンでもポールポジションを出し続けられるセナはやはり最速だったんですね。
父親の勤務先からチケットが入手できたので、パシフィックGPに連れて行って貰いました。セナがあっけなくリタイヤしてピットに歩いて戻っている時にスタンドの観客に応えてくれたのを覚えています。その時は鈴鹿にもいつか行きたいと思っていましたので、自分が直接見るセナの最後になるとは夢にも思いませんでした。当時のドライバーだとセナよりアレジやマンセルが好きでしたが、セナ無しには日本でのブームは無かったと思いますので影響大でした。
ホント、セナ様様だったと思います。当時のCMのキャッチフレーズも、「セナに逢いたい」と言うのがありましたね。私は息子に、セナと名付けました。
パシフィックGPが開催された岡山国際サーキット(当時の名称はTIサーキット英田)は、94年4月15日にアイルトン・セナがマークした1‘10.218が今でもコースレコードです。そこからもう30年が経とうとしていますが、相変わらず頂点に君臨していることの偉大さを改めて感じるとともに、アイルトン・セナが生きた証として、この記録が願わくば永遠に更新されないでほしいと思っています。
僕は92年、予選日の帰りに鈴鹿ピットから車に乗せられて上がってきて、停車している彼に握手してもらいました。他のファンに見つかり、追いかけ回されました。一人占め、手に触らせろ、卑怯ものとかやじられて、彼の凄さに驚いた。車が走り去り、あちらにいったぞと言うと、追いかけていきましたが、怖かった。たまたま見つけただけです。皆様方、係りに静止されてましたが、セナの人気はすごすぎる。
私は今更ですけど本当にマジで故セナと同じ利き腕なんです。左利きです。
そもそも、セナはウィリアムズの雰囲気にあったドライバーではなかったんだと思う。マクラーレンは「ここを直して」と言ったらその通りにしてくれるチームだけど、ウィリアムズはアクティブサスの下りといい「こっちの方が速いんだから自分で合わせろ」というチーム。そこにマクラーレンに慣れたセナが入ってFW16で無理をしたら...悲惨な結果になるよね。
ニューウェイ特有のピーキーなマシンになってしまって戦略もオーソドックス過ぎたそしてベネトンの給油機の改造セナが無理していたのは間違いない
大径ステアリングを要望してだけど没にされてたし。開幕から堅い表情で顔色悪かった。生き生きしてたのは古巣にお邪魔してる時だけ。もうそのまま乗り込む勢いだったね〜。
それを思うと92年以降からウィリアムズに乗るケースであってもセナはマクラーレンへ復帰したがっていたと思いませんか?
@@moririn-oq1qb マンセルにはいいね!あの人はセッティングが決まらない時もマシンに合わせる乗りことが可能。パトレーゼもハイテクデバイス外したこのマシンなら乗りこなせなかったはず。
一流ドライバーは複数チーム、エンジンでチャンピオンになっている。ピケ、プロストがそうだ。セナの3回のチャンピオンはマクラーレン・ホンダのパッケージのみ。速さは随一だが、一流ではなかったのだろう。
94年にハイテクデバイスが無くなるのも、FW16がピーキーだったのも、セナがサンマリノで旅立つのも全て運命だったとしか…そう思わないとやりきれない。セナが生きていたら、後何回勝っただろう、チャンピオンもあと数回獲れたかな。フェラーリ乗ったかな。引退してブラジル帰ったら大統領なったかな…色々想像してしまいます。F1を盛り上げてくれて、セナの犠牲でF1も安全になって、生きていてくれているのが一番でしたが、沢山ありがとうと言いたい。
ブラジルの現状を憂いていたセナがブラジル大統領に引退後もしなっていたら、ブラジルは今よりもはるかにいい国になっていたのではないか?本当に大きな損失でした😭
こんなマシンでもすべてのGPでポールポジション。やっぱりセナは別次元のドライバーでしたね。
FW16は元々電子デバイス搭載を念頭に置いて開発されたマシンだったので、それらが禁止になったのが一番大きかったと思います。特にアクティブサスペンションは繊細かつ敏感な空力特性を補っていたので、ダメージが大きかったかと。
パシフィックGPのリタイヤ後、憔悴しきったセナの顔がすべてを物語っていたような気がする…
セナのファンで当時のレースをテレビを観てました。開幕戦と2戦目はポール取るもののリタイヤ。若手ミハエルの強さに対して勝てない状況でセナに焦りを感じました。そして3戦目のサンマリノGP。セナは3選連続でポール取るが決勝では悲運な結果をテレビで観て泣いてしまいました。すごく悲しい事故でした。
確かに、開発費の高騰と、資金力のある上位チームと下位チームとの格差の拡大、それによるF1そのものの魅力低下に懸念を示すFIAの心境は分からなくはないが…急なレギュレーション変更で初期のFW16がこんなにもピーキーなマシンに仕上がっていたとは…セナの予言通り…と言うにはあまりにも悲しい…まさか本人が帰らぬ人となってしまうなんて…😢コンストラクターズは獲得できたものの、世界が悲しみに暮れたシーズンだったことは、僕の心にも深く刻まれています。
当時はビデオ録画して、次?の日の夜に結果見るタイプでした。弟より、セナが死んだと夜中に聞かされて、冗談はよせ、ハイハイ。本当だぞ、みたらいいと。見なかったが朝のテレビで放送されており、別人だろうと思った。92年には鈴鹿で握手してくれた。だから信じるわけにはいかなかった。だが現実に94年の鈴鹿には姉がやって来て、挨拶とそれまでの応援のお礼を述べにきた。皆様、兄を忘れないであげてくださいと。天国から見守っています。本当に日本に行くのか楽しみにしていましたと。
私も同じくセナのファンでした。
相手は不正マシンだろ😠
かつてイタリアでの裁判の結審のころ、この「事件」の記事をサーフィンしてたところ、英語版のウィキの記述を見つけてあっけにとられました。FW16はノーズの高さが一ミリ変化しただけでダウンフォースが600キロ前後変化したと当のニューウェイのコメントがあったんですね。それで走らせたほうも走らせたほうだし、乗って3戦すべてでポールとかとんでもないと思った記憶があります。これはyoutubeにありますが、fw16のシェイクダウンの動画が残っておりますが、一目でブレーキング時にオーバー傾向、アクセルオンでニュートラル方向、軽く戻しながらリアが流れながら立ち上がる危険な動きをしてるんですね。ニューウェイのコメントを見つけて観たまんまの空力特性だったんだと悲しく涙しました。
当時の色々な追悼本には、マクラーレン時代を「伝説の時代」と書いていたのに対してウィリアムズ時代を「蒼の時代」と書いてあって、もの悲しい雰囲気の写真と組み合わせてあったり、「94年、そこには見慣れないレーシングスーツを着たセナの姿があった」という書き出しや、パシフィックグランプリのあとの「でも、今年のバッド・ラック(不運)は出尽くしたよ、正しい方向に一生懸命努力していれば、おのずと結果はついてくる」で、手記が終わっていたのが印象的でした。「アイルトン・セナ選手がサン・マリノグランプリの決勝中に事故死しましたので、ここて手記を終わります…」の短い文章には泣けましたね。
なによりロスマンズカラーを見ると94年サンマリノを思い出すのが....なぁ...
あの日の事は覚えています。三宅アナと今宮純さんが泣いていましたね。
悲劇のマシンとして後世まで語り継がれるFW16および16Bですが、アイルトン・セナの事故死から弋立ち直ってコンストラクターズタイトルを獲得したのは立派です😊🏁👍セナ亡き後エースドライバーとなったデーモン・ヒルにとって転機となったのはマニクールでのナイジェル・マンセルのスポット参戦が大きな刺激になったと思います。雨の鈴鹿でもワンストップでタイヤのグリップもほとんど無い中でベネトンとミハエル・シューマッハを実力で破った優勝は素晴らしかったです✨余談ですが地上波で放送された総集編でエストリルでの表彰式のシーンで「それにしても誰が書いたかこのF1すごろく。強すぎる男は2回休み、お約束のデーモン・ヒルはしっかり2勝。お楽しみはこれから始まった。」というナレーションが印象的でした。長文失礼致しました。
ローノーズでスタイリッシュな造形のFW16はロスマンズカラーも相まって、歴代F1マシンの中でも屈指のとても美しい見た目だったと思う。当時チャンピオン獲得前とはいえ既に一線級になりつつあるヒルを以てしても、不安定なマシンに手を焼き、ベネトンシューマッハに周回遅れされたブラジル。リタイヤするまでついていけていたセナって改めて凄いドライバーだな、と。第2戦の英田のPPはセナの歴代予選ラップの中でも1番かもしれないし。34歳とベテランの域になりつつも依然として恐ろしい速さを見せていたセナと、未来の王者候補だったシューマッハとのガチバトル。あの悲劇がなければセナプロならぬセナシュー時代を94年以降数年に渡って見られたのかもしれないと思うと切ないですね…。
当時の英田(現岡山国際)のPPタイムは1"10.218あれから30年が経とうとしている現在においても4輪のコースレコードとして記録されていますね
英田の予選でセナもヒルも同じ場所でスピンしたのが象徴的なマシンだったし。再給油の戦略で上手くやれたのはシューマッハ、セナが再給油レースに慣れるには時間がかかったろうな、全周回ハードプッシュするレースなんてセナすら経験してないんだし。アイルトンがプロストみたいに『2位で6ポイント取れたら満足』って絶対にないわな、表彰台の隣でシューマッハがはしゃいでいたら絶対に気に食わないよ。
ヒルは前年のfw15cから乗っているだけあってハイテクを取り上げられたfw16の不安定感は露骨だったと思いますシューマッハは耐久レース上がりだけあって再給油レースのペース配分はセナよりも慣れていたでしょうね
同感ですね。私もセナプロ時代からのF1ファンで、結局は再給油のレースとセナの勝ちパターン・レースとの食い違いが、セナの焦りを生んだんだと確信しています。ミハイルは新人だったので、再給油レギュレーションに抵抗がなかった。当時のF1を総括するFIAでしたっけ?の目論見通り、セナの持つ選手権権利剥奪を事故という名で実行できたひどい有様です。
ベネトンは給油の際のフィルターをこっそり外して給油時間を短縮していた。それが露呈したのは確かフランスGP。ウイリアムズよりも燃費はよかっただろうけれど、ブラジルGPでセナが給油で逆転されたのはそういうこと。
@@森いっぽう ヨス・フェルスタッペンが飛び散ったガソリンが引火してマシン火災に。マシンに取り残されたが、幸い、軽い火傷で済んだ。「命をさらしてまで、何がエンターテイメントだ❗」とナレーション。以後、ピットマンは宇宙に行くような防護服で武装。ヨスはV8のスペシャリストとまで言われていた。息子が同じ世界を走るのは偶然かなんなのか?マンセル息子にも是非。
1994年のサンマリノGPでセナが亡くならずにFW16Bにセナが乗っていたらと思うと、、、😢
このマシンはもちろん、ロスマンズカラーはポルシェもNSRも格好いい。悲劇のマシンになって残念。
第1戦〜第3戦までポールポジションを獲得していたアイルトン・セナ(「セットアップのテスト」の意味も込めて)せめて第2戦パシフィックグランプリで完走していれば、イモラでは何かしら「結果」が違う事になっていたような気がする
なるほど、結果的にヒルのずば抜けた開発能力を見せつけるシーズンとなったわけですな。この後ヒルはウィリアムズでチャンピオン、アロウズでもあわや初優勝の活躍、ジョーダンの初優勝と、乗ったマシン全てに栄光を与え続けていました。
デーモンはアローズに行ってからも、ブリヂストンのタイヤ開発で卓越したアドバイスをしてましたからね。デーモンはサーキットを何週してもタイヤが新品のようにきれいだったと、と当時ブリヂストンのエンジニアが驚嘆していたぐらい運転が上手でした。
日本GPとオーストラリアGPのヒルの激走は素晴らしかったですね
チュンピオンへの意地?ベネトンの作戦を読んだパトリックヘッドさんは、34周目に満タン。最後まで走らせる決断。タイヤはそのまま。ベネトンのシューは10周刻みの軽量にするべき少量給油。ブリアトーレの焦った顔が面白かった。裏をかかれた。ヒルはもう最後まで走り続けるのでは。薄氷のタイム差で優勝。ラルースのマシンにややつまづいたシューだが負けは負け。だが最終戦では汚い運転でチャンピオンに。ヒルはシューがヨロヨロ走ったのが、自分からのプレッシャーだとわかり、唖然。シーズン中の欠場に焦りヒルを大したことないとか、遅いとか騒いだシュー。最後はヒルに完全に走りでは着いていけなかった。
FW16と16Bは歴代F1の中でもトップクラスに好きな見た目なんですけど同様にニューウェイデザインでピーキー過ぎて失敗したCG891を思い出しましたねヒルの開発力もあってシーズン後半最速マシンになった16Bにセナが乗っていたらと思いますね…
今思えばFw16B(というかウィリアムズ)躍進の鍵はデイモン・ヒルの(誰が乗っても速いマシンが作れる)開発能力だったが、当時そのポテンシャルに気づく者はいなかった。
ヒルのブラバムからのデビュー時での連続予選落ちの最中に、並行していたウィリアムズのテストドライバー時に、レギュラーのマンセル、パトレーゼに匹敵する速さを見せていたことで、その縁の下の力持ち的な苦労人ぶりから応援し始めました。90年代のウィリアムズは、ヒルとニューウェイがハード面でのベースを作っていたと言っても過言ではないという事が、のちのアロウズ・ヤマハの躍進、ヒル離脱後のウィリアムズの低迷が示していると思います。
ヒルの言い分がなかなか通らなかった。そんな折フランスグランプリでスポット参戦したマンセルがヒルの言い分と同じ問題点を指摘して、「ヒルの言うとおりにしろ」と一喝してから状況が好転したのは偶然ではないと思ってます。
そのヒルを追い出しだが為にニューエイの怒りを買う事に。そこから没落が始まりましたね。
電子制御の牙を抜かれまくったとはいえ、FW14から続くニューウェイの空力メソッドの結晶ともいえる、ひとつの時代の集大成マシン。美しくて素晴らしく格好良かったけれど、時代の象徴である稀有のチャンピオンのドライバー人生を奪い去ってしまった、本当に“ザ・ピリオド・マシン”でした。
逆にハイテク時代に大事故無かったのが奇跡ハイテクが誤作動してクラッシュする事は珍しく無かったしハイテク時代が続いていたとしてもいずれ大事故になってた思う
モナコ予選でのセナのアクティブサストラブルの映像は怖かったロボットが暴走したように見えた
セナだけでなく、バリチェロやラッツェンバーガー。この年のレギュレーション変更とマシンは危険だった。シューマッハの台頭に焦ったセナとの組み合わせは最悪の悲劇になった。
セナはシェイクダウンの時にすぐ「このマシン嫌い」と言ってたような?
ハイテク禁止で躍進したティレルが壊れず上位を掻き回してたらもっと混沌としてたでしょうね
ティレルは予算がないときほど成績が良い。ハイパワーエンジンよりフォード、イルモアの方がピッタリくる。
FWでチャンピオンになったマンセル、プロストはチャンピオン獲得のシーズンに移籍、引退してこのFW14B、FW15、そしてこのFW16も事故の不運もあり、結局チャンピオンNO,ゼッケン1を付けることはなかったマシンになりました。
モータースポーツの世界で栄光のカラーリングとして名高いロスマンズカラーのウィリアムズFW16。しかしハイテク禁止となった1994年のFW16は王者セナですら手を焼くピーキーなマシンだった。セナの事故死が無かったとしても1994年シーズンはベネトンB194を駆るシューマッハに対して苦戦を強いられた可能性は高い。
最後のオーストラリアGP、シューマッハとの接触後、長くコクピットから出てこなかったデーモンの姿が涙を誘いました。ラッツェンバーガーはトヨタで日本でも活躍していたので、本当に悲しかった。
川井一仁氏曰く「セナはこう言ってました。「このマシン大嫌い」って」初めてカラーリング観た時ロスマンズカラーのFW16はかっこいいと思ってましたがあの日以来このカラーリングがどうしてもあの悲劇を思い起こして(´;ω;`)
もうすぐ、あの忌まわしい事故から30年か。。。ラッツェンバーガー、セナ、どうか安らかに。
この事故を小学生の時に見て一旦F1をやめました、当時セナが居なきゃF1じゃないと当時思っていたから🥲
私はマンセル引退で見るのを辞めました。
リヤサスのアッパーアーム又はロワアームにドライブシャフトを通すやり方は今でこそポピュラーだけど、30年近く前にそれをやってのけたニューウェイはさすがと言うべきか…しかし、当時は素人目にもきちんとサスペンションジオメトリーが取れているのか不安になったものだ。動画にもあったように、案の定セナをもってしてもスピンを連発していた。あの形式のリヤサスはアクティブサス前提の設計だったように思うが、ハイテク禁止を受けて少しでもアドバンテージを保ちたいウィリアムズにとっては、やむを得ない選択だったのだろうか。
同意見です。あれはアクティブサスならではの物。生前のセナがとてもナーバスで、細かなセッティングが見いだせない。英田でセナ・ヒルが同じ場所で同じ挙動でスピン。車に何らかの問題があるんだよ。解決しないとならないねと言っている。サンマリノでは、ニューウェイさんが、私がマシンの空力面でめちゃくちゃにしてしまった。セナにも色々言われていたと。おそらく上下動に対するサスペンションストロークが足りないか、うまくうごかないかと。セナも手で上下にゼスチャーで示していたし。
3:30 この写真のマシンはロスマンズ・ウィリアムズ&セナ・ヒル体制お披露目の場でのFW15Dですね。レース距離305キロ2時間余り、すっ飛んでいかないよう速さを持続するには常に全神経を集中して格闘を強いるFW16ではセナの体力では勝てなかったでしょう。ウィリアムズチームの慎重なタイヤ交換給油作業の遅さもネックでしたね。綺麗なマシンで今でも好きな一台です。鈴鹿でのタイトル獲得を信じて岡山に見に行かなかったのは30年経った今でも後悔してます😢日本国内で所有されてるお店があると伺ってますので定年になったらこの目で見に行きたいです。そこで心でマシンと対話したいものです😌
マンセルには鈴鹿初完走になりました。4位でしたがそれまでは予選クラッシュ欠場に始まり、マシントラブル、コースアウトなど完走とは無縁だった。
鈴鹿ではいつも踏んだり蹴ったりだったマンセルが、唯一ちゃんと完走できた年でしたね。土砂降りの中、アレジを抜いてゴール!3位ゲットと思いきや2ヒートだったのを忘れててタイム不足で4位止まりだったものの、マジ輝いてたと思います。
性能は置いといてデザインだけを見ればボコっとして見えた15Cに比べたら16ってカッコいいんですよね。92年までのサイズの16が存在してたらジョーダン191みたいに名車になってた気がします。
今でもこのカラーリングのマシーン見るとなんかモヤモヤしてしまう
このマシンの開発でなんとか手当していったのはデイモンの力も大きかったでしょうそれなのに石もて放逐しちゃうんだもんなあ…まあアデレードでミハエルの捨て身タックルに引っかかってサスペンション曲げられたりレーサーとしてはちょっと甘かったんですけどね
ナイジェル・マンセルが代役でフランスGPよりも前にウィリアムズに戻って来たら、デイモン・ヒルはワールドチャンピオンに成れたかも。FW16B投入よりもマンセルが戻ったのが早かったら、マンセルが2度目のワールドチャンピオンだったり。ウィリアムズの対応力は開幕前の予想よりも低かった、セナの1件でF-1離れが始まった様な覚えが。
来年の5月でセナが天国に旅立ってから30周年ですね
来年の5月1日で30年になるんだね。当時は絶対的パワーから空力性能を突き詰めていくという流れの始まりで、何かが狂ったらバランスが崩れてしまうというパターンが他のチームでも見られる特徴だったかな
今ではサーキットのデモンストレーション走行で、昔にとても速いアイルトンセナという、ブラジル人ドライバーがいましてと放送されるほどに。その頃に産まれた人も30歳。お父さん、お母さんになっている人もいるでしょう。時代の流れを感じます。最近はF1に歓心がありません。日本のスーパーフォーミュラとか、GTとかクラブマンレースの方が見ていて楽しいです。
今見ても、FW16のコクピットの狭さは異常だなあ。大径の円形ステアリングを好むセナにとっては特に運転が難しかっただろうね。それでもFW16Bで立て直したウイリアムズの技術陣はさすがやね。
RB19の安定感、ニューウエイの長年の経験が活きているように思う
今は亡き今宮純さんが言っていた「ウィリアムズ 2年4年周期説」を崩した名車😌
この動画を見て、改めてデーモン・ヒルのウィキを読んだら、なんて良い人なんだろうと。性格良くて、開発調整能力が高くて、精密でスムーズな走りが身上で。惜しいのはミハイルの様な強欲さがなかったことでしょうね。彼をきちんと遇さなかったチームが本当に残念。フランクはその渋さもシビアさも持ってたからこそ歴史に名を残すチームが作れたのだろうけど、それが結果として凋落の原因にもなってしまったと。組織運営は難しいなぁ。このマシン、スタイリングはホントかっこよかったですよね。ロスマンズカラーはホントレーシングカーに合いますね。当時僕がファンだったセナの命を奪ってしまったクルマだったけど、それくらい追い込んだデザインだったのでしょう。
ヒルがワールドチャンピオンを取れて本当によかった。親子二代タイトルホルダーは金字塔。
ヒルなら鈴鹿の街中で遭遇したよ。サイン色紙持ってなくて惜しいことした。サングラスかけていたが彼だとわかった。
😲あの腹底のプレート95年からでなく。この年の途中からだったんですね〜しらなかったです👍👍👍👍👍👌
ほんと、タンブレロにせめてタイヤバリアだけでもあったら、と思う。
ありますよ。散らかった。
タンブレロコーナーにタイヤバリアはなかったはず。ベルガー曰く「タイヤバリアを置いたら、マシンが滑らなくなって余計に危険だ」と話していました(本人は89年にクラッシュしている。で、炎上したマシンに残されて火傷を負った)
1993年ウィリアムズ以外のチームでもアクティブサスペンション使っていましたが(一部に全くアクティブでは無くパッシブだったチームも有りましたが?)ミナルディ(現在アルファタウリの前身)が、電子制御も使わずやエンジンから油圧動力を貰わない簡単アクティブサスペンション(実質パッシブサスペンション)を使っていました。この簡易アクティブサスペンションは、費用コストも掛からず電子制御プログラムの必要も無いのでウィリアムズやマクラーレンなどトップチーム以外でも取り扱いが出来て簡単。結局FIAは、レース公平を名目盾に取って「アクティブ」と名の付くものは何でもかんでも否定禁止して技術進化の目を摘み取ってしまった。
かつて予選で1000馬力以上出てたターボマシンより扱いにくかったんですかね
フォーミカーはシーケンシャルギアのシフトが好きでしたエンジンブレーキやシフトの音が良かったです。
セナの最後のクルマが、ダサいデザインじゃなかったのは、せめてもの救いですかね。セナファンにバチクソ怒られそうだけど、FW16はロスマンズ・ウィリアムズの中で、トップクラスの格好良さでしたから。
只今 FW16 ブラモで製作中UA-camで沢山の人が製作動画を配信してるの参考にしつつ 外観重視でカウルの中身は素組のまま😊
FW16、非常に空力に敏感なマシン、と開幕前から囁かれてましたね。開幕前のテストでもセナ、ヒルどちらも不可解なスピンを繰り返してましたし、それは開幕してからも同じでした。この状況から、ウィリアムズのマシンは空力に敏感なマシンをアクティブサスで補っていたのだろうな、と感じました。そこを煮詰めていくのは相当大変だろうな、と。ただ、「空力に敏感」なのはウィリアムズのマシンだから、というより、パワーのあるルノーエンジンとシャシーとのマッチングを取る、ベストセッティングを見つけるのが難しかったのかもしれない、と後になってから感じます。翌年、ベネトン・ルノーも同じように過敏な挙動を示すマシンに手を焼いていたところを見ると。
忘れる事が出来ないシーズンでした。でもこの年にベネトンからデビューしたのがマックスの父であるヨス・フェルスタッペンですよね。ハンガリーで表彰台に立った事もあるドライバーでした。
セナのFW16のステアリングはヒルのステアリングより大きかった1994年のウィリアムズは、そんなセナの要求に対し、大変苦労したらしい
遂に悪夢の94年ですね。
「親愛なる友人アランに、特別なメッセージを送りたい。君がいなくて寂しいよ」プロストも言ってたけどアイルトンは僕を倒す事に闘志を燃やしてた。ステーティンググリッドでパトリックヘッドと話してセナは気だるそうにしてたのが印象的だった。マジでセナはモチベーションなかったんだなと思った。乗りこなせていないFW16をドライブして意地で3回ポールポジション取ったけど。決勝レース7週目 タンブレロでの事故を見た瞬間あっコレは逝ったなと思って泣いた。
この頃のF1では空力的に車体姿勢が安定するようにロールを規制させる方向性の「ノンロールサスペンション」が大流行していました。ティレルが左右車輪を1本だけのサスペンションで作動させる「モノショック」と呼ばれる過激なのも有りましたが、マクラーレンは冒険せずに従来の左右車輪が独立した「ツインショック」を使っていましたが、それでも試験的に左右のロッカーアームを連結して強制的にロールロックさせたものをベルガー車のMP4/6で試されましたが、セナはロールさせるセッティングが好みだったと聞いた事が有るのでロールロックさせたり1本だけのサスペンションは好きでは無かったようですね‼️🤗ハッキネンもノンロールサスペンションは好きでは無かったようです。
余所でも書いたが、セナとラッツェンバーガー殺したのはFIAだよ。
OPの背景のゲームってなんていうゲームですか?
電子デバイスの廃止は95年からにすれば、ラッツエンバガー・セナの悲惨な事故は無かったと思う。既にマシンデザインを決定した後で、電子デバイス廃止には無理があったとは今でも感じる。
コーナーに入るときは、アンダーコーナーに出るときはオーバーステアになるとチームに苦言をさしていたのを覚えてる、ヒルにも同様な車体の動きがありマシン内部に問題があることを察していた。
やっぱり、アクティブなどの恩恵を受け過ぎていたので低迷しましたね。給油解禁で常に予選モードで走りヤバいと、思っていて、イモラの悲劇が起き、あれからロスマンズカラーは嫌になりました。
確か、エストリルでFW16のシェイクダウンとロスマンズへのお披露目でセナがゆっくりと1周して戻って来るなり「このクルマ嫌い」と吐き捨てるように言っていたそうです。その2年前から、ウィリアムズのマシンに乗りたいと喉から手が出る程訴えていたのに…まさかあんな悲劇が起こるとは夢にも思って居ませんでした。
そうですね~。あの悪夢がなければね。もっと長生して欲しかった。
ええ、クソマシーンだが美しさは歴代F1の中でもトップクラスの造形とカラーリング。
ポルシェ956やら959より美しい。NSR500と肩を並べる。
プロスト本人がプロストが引退した時点でセナはモチベーションを失ってたって語ってたし、2戦でリタイヤ0ポイント、フリー走行、予選の2つの大事故といった精神的に弱ってしまうような出来事が重なっていたからな。去年のペレスみたいな心境になってたのかも。
個人的に兄が前年93年シーズン(兄は当時小5、自分は小2)からビデオ録画で観始めましたが、94年はウィリアムズがコンストラーズを獲得していたとはいえ、出来事が大きかっただけに`また事故が起きるのでは…´と鈴鹿まで一切録画をしなかった為、全く印象が残っておらず、また英田のあっけないリタイア等で精彩に欠ける印象でロスマンズをまとったセナに幼ながら違和感を感じて、2輪ではホンダワークスがWGPで80年代後半〜90年代初めまで栄光のカラーリングでしたが、F1に関しては、後にデーモン・ヒルやジャック・ヴィルヌーヴがチャンピオンになったものの、影を落としたカラーリングという感があります…。
神経質で扱いにくいマシンでも1周だけの速さを争う予選では何とかコントロール出来た。でもそれを2時間持続させるのはセナでも難しかった。そういう事だと思う。
シューマッハは、基本早いけど、卑怯な人間。同じ年生まれだけど。卑怯な事するチャンピオン。シューマッハは基本嫌い。
F1ドライバーが卑怯なのは皆一緒。FW14Bの最速セッティングをパトレーゼに秘密にしたマンセル、ライバルに特攻して王者を決めたセナプロ、マンセルに酷い悪口を言いまくったピケ。卑怯なぐらいじゃないとチャンピオンなんて獲れないんですよ。
@@Railton-bbさん確かにデイモン・ヒルやミカ・ハッキネンのような「良い人なのにチャンピオン」が異常だと思いますね。
@@suteki_na_obaka 何故だかシューマッハのライバルには「例外」のドライバーが多いんですよね。そのせいでシューマッハが相対的に卑怯に見えるというのはあると思います。
パッシブサスになりレイトンハウスのCG891や901位にまで低下した
セナにロスマンズカラーのウィリアムズは、違和感を感じた覚えが有った…
セナ、マクラーレンに残る気は無かったし、フェラーリは優勝とれるレベルじゃなかったし、この年は我慢の年だったのかもしれない…
このマシンのカラーリングは好きだけど、FW16は正直見たくないマシン。セナは私の脳内ではMP4/8で終わってます…
現在もそうですが、FIA は突然レギュレーションを変更しますよね。緊急を要する事案ならともかく、そうでない場合、先を見据えてマシンを開発してきたチームにとっては青天の霹靂のはず。いきなり、翌年の制度を変更されて対応できるものなのでしょうか。
まさにコンストラクターズはセナの置き土産になったわけですねぇ。
一気に色々禁止にするのはリスキーだった
アクティブサスで打ち消すじゃなくてごまかすだったからなあ。
FW16は素人目からしても気むずかしい車だというのが見て取れたわ!FIAは性急すぎたね、あのセナですらコントールしきれなかったんだから相当にナーバスだったたな!まさに混乱シーズンをお象徴する車だったわ!
セナがウィリアムズに93年のマシンだったなら今でも健在だったと思います。アクティブサス無しのウィリアムズのマシンは諸刃の剣が沢山あって後にセナを苦しめる状況に陥ってしまいました。開幕戦からサンマリノの予選のセナのアタックは暴れるマシンをセナのテクニックでポールを取っていたので最後のレースの悲劇はやり切れなかったです。
たしか ベネトンは 禁止されてたトラクッションコントロール搭載してたとかフラビオブリアトーレが やりそうなコトだと思った
セナらしい素敵な最期で😀
空力に全振りしてしまった結果、セナが他界する結果となってしまった。ステアリングステムが折れたにしても、アッパーアームにまで空力を意識したのは行き過ぎだったかと思う。見た目はスッキリしてカッコいいがあまりいい印象がない。セナが他界してちょうど30年。もしもセナが生きていたらというifは、30年経った今でも消えない。
私は本当にガチで故アイルトン・セナと同じ利き腕です。左利きです。
当時見てたけどお預け食らったイッヌがやっと餌与えられて嬉ションした後に実は不味くてションボリしてあぼーんした印象だなシューマッハに開幕からボコられた焦りから無茶しちゃったんだよな1年スパンで耐えれる忍耐力があればチャンプに慣れてたのにアホなヤツよ
セナは生贄になっただけだな・・・
セナ最期の愛機となったFW16の詳細を知る事が出来て勉強になりました、こんな結果になるならマクラーレン残留を選んでいれば命を落とさずに済んだと言わざるを得ません。><
強すぎるウイリアムズがマンセルを怒らせプロストを引退させてとうとうセナを亡き者にした。しゃくれあごのシューの運転マナーが最悪でこの年限りでF1を観ることはなくなった。
セナのイモラでの事故が無ければ、94年から97年までのドライバーズチャンピオンはセナが取っていたと思う。ミハエルとの熾烈な戦いを見たかったな。あとは、今どんな影響力のある人物になっていたのか興味はつきません。
セナの事故死に関してはステアリングシャフトを切断して溶接した部分に問題があったからだべよ。それを除けば、その後の記録からして、それ程酷いマシンではなかった事が解かる。
ハイテク禁止なんてやるから英雄を失った。
乱暴な言い方するとエンジンがハイパワーになったCG901Bみたいなもんだからそりゃあセナでも操縦に苦労する程ナーバスなマシンになるよ
何故ウイリアムズは、もしもハイテクNGになった時のBプランを考えなかったのか。セナはホンダ時代「ハイテクは嫌い」と発言したが、ハイテク乗りたかったのか。
単純にハイテク云々ではなく、勝てるマシンに乗りたかっただけでは無いですかね?それはセナに限らずどのドライバーも同じだと思う。
セナは事故が無ければ改良されたマシンで反撃したでしょうね。
セナは最悪なタイミングでウィリアムズに行ってしまったな
FW14で走れば良かったはずだ。
技術に関しては詳しくはないけど、F1で培われた技術が市販車に活かされるのでは?それがF1の存在意義だと思うのですが。それを何の圧力に負けたのかは知りませんが、ドライバーの技術を競う世界にしてしまってはF1の存在意義がない気がします。セナの死はF1の意義を理解できないFIAの責任だと思います。
ピーキーなFW16を、天才的なドライビングで乗りこなしたセナは本当に凄いと思います。そんなセナをFIAは(間接的に)殺した。僕を含め、そう思っているセナファンは、少なからず居ると思います。これまでこのチャンネルで紹介されてきたドライバーの事故死…FIAが絡んでいるものも多かった気がします。FIAって一体なんなんでしょうね…
あの時死んでしまっては( ; ; )所詮は過去の事においやられてしまう
サンマリノの時の、無線の反応を聞いてか涙に暮れるニューウェイの横顔が今でも忘れられません。急な規定変更の余波とは言え、自分が設計したマシンで悲劇が起きてしまう辛さは想像しきれません。もう30年近く経つのか、、、
扱いにくいマシンでもポールポジションを出し続けられるセナはやはり最速だったんですね。
父親の勤務先からチケットが入手できたので、パシフィックGPに連れて行って貰いました。
セナがあっけなくリタイヤしてピットに歩いて戻っている時にスタンドの観客に応えてくれたのを覚えています。
その時は鈴鹿にもいつか行きたいと思っていましたので、自分が直接見るセナの最後になるとは夢にも思いませんでした。
当時のドライバーだとセナよりアレジやマンセルが好きでしたが、セナ無しには日本でのブームは無かったと思いますので影響大でした。
ホント、セナ様様だったと思います。
当時のCMのキャッチフレーズも、「セナに逢いたい」と言うのがありましたね。
私は息子に、セナと名付けました。
パシフィックGPが開催された岡山国際サーキット(当時の名称はTIサーキット英田)は、94年4月15日にアイルトン・セナがマークした1‘10.218が今でもコースレコードです。
そこからもう30年が経とうとしていますが、相変わらず頂点に君臨していることの偉大さを改めて感じるとともに、アイルトン・セナが生きた証として、この記録が願わくば永遠に更新されないでほしいと思っています。
僕は92年、予選日の帰りに鈴鹿ピットから車に乗せられて上がってきて、停車している彼に握手してもらいました。他のファンに見つかり、追いかけ回されました。一人占め、手に触らせろ、卑怯ものとかやじられて、彼の凄さに驚いた。車が走り去り、あちらにいったぞと言うと、追いかけていきましたが、怖かった。たまたま見つけただけです。皆様方、係りに静止されてましたが、セナの人気はすごすぎる。
私は今更ですけど
本当にマジで
故セナと同じ
利き腕なんです。
左利きです。
そもそも、セナはウィリアムズの雰囲気にあったドライバーではなかったんだと思う。マクラーレンは「ここを直して」と言ったらその通りにしてくれるチームだけど、ウィリアムズはアクティブサスの下りといい「こっちの方が速いんだから自分で合わせろ」というチーム。そこにマクラーレンに慣れたセナが入ってFW16で無理をしたら...悲惨な結果になるよね。
ニューウェイ特有のピーキーなマシンになってしまって
戦略もオーソドックス過ぎた
そしてベネトンの給油機の改造
セナが無理していたのは間違いない
大径ステアリングを要望してだけど没にされてたし。開幕から堅い表情で顔色悪かった。生き生きしてたのは古巣にお邪魔してる時だけ。もうそのまま乗り込む勢いだったね〜。
それを思うと92年以降からウィリアムズに乗るケースであってもセナはマクラーレンへ復帰したがっていたと思いませんか?
@@moririn-oq1qb マンセルにはいいね!あの人はセッティングが決まらない時もマシンに合わせる乗りことが可能。パトレーゼもハイテクデバイス外したこのマシンなら乗りこなせなかったはず。
一流ドライバーは複数チーム、エンジンでチャンピオンになっている。ピケ、プロストがそうだ。セナの3回のチャンピオンはマクラーレン・ホンダのパッケージのみ。
速さは随一だが、一流ではなかったのだろう。
94年にハイテクデバイスが無くなるのも、FW16がピーキーだったのも、セナがサンマリノで旅立つのも全て運命だったとしか…そう思わないとやりきれない。
セナが生きていたら、後何回勝っただろう、チャンピオンもあと数回獲れたかな。フェラーリ乗ったかな。引退してブラジル帰ったら大統領なったかな…色々想像してしまいます。
F1を盛り上げてくれて、セナの犠牲でF1も安全になって、生きていてくれているのが一番でしたが、沢山ありがとうと言いたい。
ブラジルの現状を憂いていたセナがブラジル大統領に引退後もしなっていたら、ブラジルは今よりもはるかにいい国になっていたのではないか?本当に大きな損失でした😭
こんなマシンでもすべてのGPでポールポジション。
やっぱりセナは別次元のドライバーでしたね。
FW16は元々電子デバイス搭載を念頭に置いて開発されたマシンだったので、それらが禁止になったのが一番大きかったと思います。
特にアクティブサスペンションは繊細かつ敏感な空力特性を補っていたので、ダメージが大きかったかと。
パシフィックGPのリタイヤ後、憔悴しきったセナの顔がすべてを物語っていたような気がする…
セナのファンで当時のレースをテレビを観てました。開幕戦と2戦目はポール取るもののリタイヤ。
若手ミハエルの強さに対して勝てない状況でセナに焦りを感じました。
そして3戦目のサンマリノGP。セナは3選連続でポール取るが決勝では悲運な結果をテレビで観て泣いてしまいました。すごく悲しい事故でした。
確かに、開発費の高騰と、資金力のある上位チームと下位チームとの格差の拡大、それによるF1そのものの魅力低下に懸念を示すFIAの心境は分からなくはないが…急なレギュレーション変更で初期のFW16がこんなにもピーキーなマシンに仕上がっていたとは…
セナの予言通り…と言うにはあまりにも悲しい…まさか本人が帰らぬ人となってしまうなんて…😢
コンストラクターズは獲得できたものの、世界が悲しみに暮れたシーズンだったことは、僕の心にも深く刻まれています。
当時はビデオ録画して、次?の日の夜に結果見るタイプでした。弟より、セナが死んだと夜中に聞かされて、冗談はよせ、ハイハイ。本当だぞ、みたらいいと。見なかったが朝のテレビで放送されており、別人だろうと思った。92年には鈴鹿で握手してくれた。だから信じるわけにはいかなかった。だが現実に94年の鈴鹿には姉がやって来て、挨拶とそれまでの応援のお礼を述べにきた。皆様、兄を忘れないであげてくださいと。天国から見守っています。本当に日本に行くのか楽しみにしていましたと。
私も同じくセナの
ファンでした。
相手は不正マシンだろ😠
かつてイタリアでの裁判の結審のころ、この「事件」の記事をサーフィンしてたところ、英語版のウィキの記述を見つけて
あっけにとられました。FW16はノーズの高さが一ミリ変化しただけでダウンフォースが600キロ前後変化したと当の
ニューウェイのコメントがあったんですね。それで走らせたほうも走らせたほうだし、乗って3戦すべてでポールとか
とんでもないと思った記憶があります。これはyoutubeにありますが、fw16のシェイクダウンの動画が残っておりますが、
一目でブレーキング時にオーバー傾向、アクセルオンでニュートラル方向、軽く戻しながらリアが流れながら立ち上がる
危険な動きをしてるんですね。ニューウェイのコメントを見つけて観たまんまの空力特性だったんだと悲しく涙しました。
当時の色々な追悼本には、マクラーレン時代を「伝説の時代」と書いていたのに対してウィリアムズ時代を「蒼の時代」と書いてあって、もの悲しい雰囲気の写真と組み合わせてあったり、「94年、そこには見慣れないレーシングスーツを着たセナの姿があった」という書き出しや、パシフィックグランプリのあとの「でも、今年のバッド・ラック(不運)は出尽くしたよ、正しい方向に一生懸命努力していれば、おのずと結果はついてくる」で、手記が終わっていたのが印象的でした。
「アイルトン・セナ選手がサン・マリノグランプリの決勝中に事故死しましたので、ここて手記を終わります…」の短い文章には泣けましたね。
なによりロスマンズカラーを見ると94年サンマリノを思い出すのが....なぁ...
あの日の事は覚えています。三宅アナと今宮純さんが泣いていましたね。
悲劇のマシンとして後世まで語り継がれるFW16および16Bですが、アイルトン・セナの事故死から弋立ち直ってコンストラクターズタイトルを獲得したのは立派です😊🏁👍
セナ亡き後エースドライバーとなったデーモン・ヒルにとって転機となったのはマニクールでのナイジェル・マンセルのスポット参戦が大きな刺激になったと思います。
雨の鈴鹿でもワンストップでタイヤのグリップもほとんど無い中でベネトンとミハエル・シューマッハを実力で破った優勝は素晴らしかったです✨
余談ですが地上波で放送された総集編でエストリルでの表彰式のシーンで「それにしても誰が書いたかこのF1すごろく。強すぎる男は2回休み、お約束のデーモン・ヒルはしっかり2勝。お楽しみはこれから始まった。」というナレーションが印象的でした。
長文失礼致しました。
ローノーズでスタイリッシュな造形のFW16はロスマンズカラーも相まって、歴代F1マシンの中でも屈指のとても美しい見た目だったと思う。
当時チャンピオン獲得前とはいえ既に一線級になりつつあるヒルを以てしても、不安定なマシンに手を焼き、ベネトンシューマッハに周回遅れされたブラジル。リタイヤするまでついていけていたセナって改めて凄いドライバーだな、と。第2戦の英田のPPはセナの歴代予選ラップの中でも1番かもしれないし。
34歳とベテランの域になりつつも依然として恐ろしい速さを見せていたセナと、未来の王者候補だったシューマッハとのガチバトル。あの悲劇がなければセナプロならぬセナシュー時代を94年以降数年に渡って見られたのかもしれないと思うと切ないですね…。
当時の英田(現岡山国際)のPPタイムは1"10.218
あれから30年が経とうとしている現在においても4輪のコースレコードとして記録されていますね
英田の予選でセナもヒルも同じ場所でスピンしたのが象徴的なマシンだったし。
再給油の戦略で上手くやれたのはシューマッハ、セナが再給油レースに慣れるには時間がかかったろうな、全周回ハードプッシュするレースなんてセナすら経験してないんだし。アイルトンがプロストみたいに『2位で6ポイント取れたら満足』って絶対にないわな、表彰台の隣でシューマッハがはしゃいでいたら絶対に気に食わないよ。
ヒルは前年のfw15cから乗っているだけあってハイテクを取り上げられたfw16の不安定感は露骨だったと思います
シューマッハは耐久レース上がりだけあって再給油レースのペース配分はセナよりも慣れていたでしょうね
同感ですね。
私もセナプロ時代からのF1ファンで、結局は再給油のレースとセナの勝ちパターン・レースとの食い違いが、セナの焦りを生んだんだと確信しています。
ミハイルは新人だったので、再給油レギュレーションに抵抗がなかった。
当時のF1を総括するFIAでしたっけ?の目論見通り、セナの持つ選手権権利剥奪を事故という名で実行できたひどい有様です。
ベネトンは給油の際のフィルターをこっそり外して給油時間を短縮していた。それが露呈したのは確かフランスGP。
ウイリアムズよりも燃費はよかっただろうけれど、ブラジルGPでセナが給油で逆転されたのはそういうこと。
@@森いっぽう ヨス・フェルスタッペンが飛び散ったガソリンが引火してマシン火災に。マシンに取り残されたが、幸い、軽い火傷で済んだ。「命をさらしてまで、何がエンターテイメントだ❗」とナレーション。以後、ピットマンは宇宙に行くような防護服で武装。ヨスはV8のスペシャリストとまで言われていた。息子が同じ世界を走るのは偶然かなんなのか?マンセル息子にも是非。
1994年のサンマリノGPでセナが亡くならずにFW16Bにセナが乗っていたらと思うと、、、😢
このマシンはもちろん、ロスマンズカラーはポルシェもNSRも格好いい。悲劇のマシンになって残念。
第1戦〜第3戦までポールポジションを獲得していたアイルトン・セナ
(「セットアップのテスト」の意味も込めて)せめて第2戦パシフィックグランプリで完走していれば、イモラでは何かしら「結果」が違う事になっていたような気がする
なるほど、結果的にヒルのずば抜けた開発能力を見せつけるシーズンとなったわけですな。この後ヒルはウィリアムズでチャンピオン、アロウズでもあわや初優勝の活躍、ジョーダンの初優勝と、乗ったマシン全てに栄光を与え続けていました。
デーモンはアローズに行ってからも、ブリヂストンのタイヤ開発で卓越したアドバイスをしてましたからね。デーモンはサーキットを何週してもタイヤが新品のようにきれいだったと、と当時ブリヂストンのエンジニアが驚嘆していたぐらい運転が上手でした。
日本GPとオーストラリアGPのヒルの激走は素晴らしかったですね
チュンピオンへの意地?ベネトンの作戦を読んだパトリックヘッドさんは、34周目に満タン。最後まで走らせる決断。タイヤはそのまま。ベネトンのシューは10周刻みの軽量にするべき少量給油。ブリアトーレの焦った顔が面白かった。裏をかかれた。ヒルはもう最後まで走り続けるのでは。薄氷のタイム差で優勝。ラルースのマシンにややつまづいたシューだが負けは負け。だが最終戦では汚い運転でチャンピオンに。ヒルはシューがヨロヨロ走ったのが、自分からのプレッシャーだとわかり、唖然。シーズン中の欠場に焦りヒルを大したことないとか、遅いとか騒いだシュー。最後はヒルに完全に走りでは着いていけなかった。
FW16と16Bは歴代F1の中でもトップクラスに好きな見た目なんですけど同様にニューウェイデザインでピーキー過ぎて失敗したCG891を思い出しましたね
ヒルの開発力もあってシーズン後半最速マシンになった16Bにセナが乗っていたらと思いますね…
今思えばFw16B(というかウィリアムズ)躍進の鍵はデイモン・ヒルの(誰が乗っても速いマシンが作れる)開発能力だったが、当時そのポテンシャルに気づく者はいなかった。
ヒルのブラバムからのデビュー時での連続予選落ちの最中に、並行していたウィリアムズのテストドライバー時に、レギュラーのマンセル、パトレーゼに匹敵する速さを見せていたことで、その縁の下の力持ち的な苦労人ぶりから応援し始めました。
90年代のウィリアムズは、ヒルとニューウェイがハード面でのベースを作っていたと言っても過言ではないという事が、のちのアロウズ・ヤマハの躍進、ヒル離脱後のウィリアムズの低迷が示していると思います。
ヒルの言い分がなかなか通らなかった。そんな折フランスグランプリでスポット参戦したマンセルがヒルの言い分と同じ問題点を指摘して、「ヒルの言うとおりにしろ」と一喝してから状況が好転したのは偶然ではないと思ってます。
そのヒルを追い出しだが為にニューエイの怒りを買う事に。そこから没落が始まりましたね。
電子制御の牙を抜かれまくったとはいえ、FW14から続くニューウェイの空力メソッドの結晶ともいえる、ひとつの時代の集大成マシン。美しくて素晴らしく格好良かったけれど、時代の象徴である稀有のチャンピオンのドライバー人生を奪い去ってしまった、本当に“ザ・ピリオド・マシン”でした。
逆にハイテク時代に大事故無かったのが奇跡
ハイテクが誤作動してクラッシュする事は珍しく無かったし
ハイテク時代が続いていたとしてもいずれ大事故になってた思う
モナコ予選でのセナのアクティブサストラブルの映像は怖かったロボットが暴走したように見えた
セナだけでなく、バリチェロやラッツェンバーガー。この年のレギュレーション変更とマシンは危険だった。シューマッハの台頭に焦ったセナとの組み合わせは最悪の悲劇になった。
セナはシェイクダウンの時にすぐ「このマシン嫌い」と言ってたような?
ハイテク禁止で躍進したティレルが壊れず上位を掻き回してたらもっと混沌としてたでしょうね
ティレルは予算がないときほど成績が良い。ハイパワーエンジンよりフォード、イルモアの方がピッタリくる。
FWでチャンピオンになったマンセル、プロストはチャンピオン獲得のシーズンに移籍、引退してこのFW14B、FW15、そしてこのFW16も事故の不運もあり、結局チャンピオンNO,ゼッケン1を付けることはなかったマシンになりました。
モータースポーツの世界で栄光のカラーリングとして名高いロスマンズカラーのウィリアムズFW16。
しかしハイテク禁止となった1994年のFW16は王者セナですら手を焼くピーキーなマシンだった。セナの事故死が無かったとしても1994年シーズンはベネトンB194を駆るシューマッハに対して苦戦を強いられた可能性は高い。
最後のオーストラリアGP、シューマッハとの接触後、長くコクピットから出てこなかったデーモンの姿が涙を誘いました。
ラッツェンバーガーはトヨタで日本でも活躍していたので、本当に悲しかった。
川井一仁氏曰く「セナはこう言ってました。「このマシン大嫌い」って」
初めてカラーリング観た時ロスマンズカラーのFW16はかっこいいと思ってましたが
あの日以来このカラーリングがどうしてもあの悲劇を思い起こして(´;ω;`)
もうすぐ、あの忌まわしい事故から30年か。。。
ラッツェンバーガー、セナ、どうか安らかに。
この事故を小学生の時に見て一旦F1をやめました、当時セナが居なきゃF1じゃないと当時思っていたから🥲
私はマンセル引退で見るのを辞めました。
リヤサスのアッパーアーム又はロワアームにドライブシャフトを通すやり方は今でこそポピュラーだけど、30年近く前にそれをやってのけたニューウェイはさすがと言うべきか…
しかし、当時は素人目にもきちんとサスペンションジオメトリーが取れているのか不安になったものだ。
動画にもあったように、案の定セナをもってしてもスピンを連発していた。
あの形式のリヤサスはアクティブサス前提の設計だったように思うが、ハイテク禁止を受けて少しでもアドバンテージを保ちたいウィリアムズにとっては、やむを得ない選択だったのだろうか。
同意見です。あれはアクティブサスならではの物。生前のセナがとてもナーバスで、細かなセッティングが見いだせない。英田でセナ・ヒルが同じ場所で同じ挙動でスピン。車に何らかの問題があるんだよ。解決しないとならないねと言っている。サンマリノでは、ニューウェイさんが、私がマシンの空力面でめちゃくちゃにしてしまった。セナにも色々言われていたと。おそらく上下動に対するサスペンションストロークが足りないか、うまくうごかないかと。セナも手で上下にゼスチャーで示していたし。
3:30 この写真のマシンはロスマンズ・ウィリアムズ&セナ・ヒル体制お披露目の場でのFW15Dですね。レース距離305キロ2時間余り、すっ飛んでいかないよう速さを持続するには常に全神経を集中して格闘を強いるFW16ではセナの体力では勝てなかったでしょう。ウィリアムズチームの慎重なタイヤ交換給油作業の遅さもネックでしたね。
綺麗なマシンで今でも好きな一台です。
鈴鹿でのタイトル獲得を信じて岡山に見に行かなかったのは30年経った今でも後悔してます😢
日本国内で所有されてるお店があると伺ってますので定年になったらこの目で見に行きたいです。そこで心でマシンと対話したいものです😌
マンセルには鈴鹿初完走になりました。4位でしたがそれまでは予選クラッシュ欠場に始まり、マシントラブル、コースアウトなど完走とは無縁だった。
鈴鹿ではいつも踏んだり蹴ったりだったマンセルが、唯一ちゃんと完走できた年でしたね。
土砂降りの中、アレジを抜いてゴール!3位ゲットと思いきや
2ヒートだったのを忘れててタイム不足で4位止まりだったものの、マジ輝いてたと思います。
性能は置いといてデザインだけを見ればボコっとして見えた15Cに比べたら16ってカッコいいんですよね。92年までのサイズの16が存在してたらジョーダン191みたいに名車になってた気がします。
今でもこのカラーリングのマシーン見ると
なんかモヤモヤしてしまう
このマシンの開発でなんとか手当していったのはデイモンの力も大きかったでしょう
それなのに石もて放逐しちゃうんだもんなあ…まあアデレードでミハエルの捨て身タックルに引っかかってサスペンション曲げられたりレーサーとしてはちょっと甘かったんですけどね
ナイジェル・マンセルが代役でフランスGPよりも前にウィリアムズに戻って来たら、デイモン・ヒルはワールドチャンピオンに成れたかも。
FW16B投入よりもマンセルが戻ったのが早かったら、マンセルが2度目のワールドチャンピオンだったり。
ウィリアムズの対応力は開幕前の予想よりも低かった、セナの1件でF-1離れが始まった様な覚えが。
来年の5月でセナが天国に旅立ってから
30周年ですね
来年の5月1日で30年になるんだね。
当時は絶対的パワーから空力性能を突き詰めていくという流れの始まりで、何かが狂ったらバランスが崩れてしまうというパターンが他のチームでも見られる特徴だったかな
今ではサーキットのデモンストレーション走行で、昔にとても速いアイルトンセナという、ブラジル人ドライバーがいましてと放送されるほどに。その頃に産まれた人も30歳。お父さん、お母さんになっている人もいるでしょう。時代の流れを感じます。最近はF1に歓心がありません。日本のスーパーフォーミュラとか、GTとかクラブマンレースの方が見ていて楽しいです。
今見ても、FW16のコクピットの狭さは異常だなあ。大径の円形ステアリングを好むセナにとっては特に運転が難しかっただろうね。それでもFW16Bで立て直したウイリアムズの技術陣はさすがやね。
RB19の安定感、ニューウエイの長年の経験が活きているように思う
今は亡き今宮純さんが言っていた「ウィリアムズ 2年4年周期説」を崩した名車😌
この動画を見て、改めてデーモン・ヒルのウィキを読んだら、なんて良い人なんだろうと。性格良くて、開発調整能力が高くて、精密でスムーズな走りが身上で。惜しいのはミハイルの様な強欲さがなかったことでしょうね。彼をきちんと遇さなかったチームが本当に残念。フランクはその渋さもシビアさも持ってたからこそ歴史に名を残すチームが作れたのだろうけど、それが結果として凋落の原因にもなってしまったと。組織運営は難しいなぁ。
このマシン、スタイリングはホントかっこよかったですよね。ロスマンズカラーはホントレーシングカーに合いますね。当時僕がファンだったセナの命を奪ってしまったクルマだったけど、それくらい追い込んだデザインだったのでしょう。
ヒルがワールドチャンピオンを取れて本当によかった。親子二代タイトルホルダーは金字塔。
ヒルなら鈴鹿の街中で遭遇したよ。サイン色紙持ってなくて惜しいことした。サングラスかけていたが彼だとわかった。
😲あの腹底のプレート
95年からでなく。
この年の途中からだったんですね〜しらなかったです👍👍👍👍👍👌
ほんと、タンブレロにせめてタイヤバリアだけでもあったら、と思う。
ありますよ。散らかった。
タンブレロコーナーにタイヤバリアはなかったはず。ベルガー曰く「タイヤバリアを置いたら、マシンが滑らなくなって余計に危険だ」と話していました(本人は89年にクラッシュしている。で、炎上したマシンに残されて火傷を負った)
1993年ウィリアムズ以外のチームでもアクティブサスペンション使っていましたが(一部に全くアクティブでは無くパッシブだったチームも有りましたが?)
ミナルディ(現在アルファタウリの前身)が、電子制御も使わずやエンジンから油圧動力を貰わない簡単アクティブサスペンション(実質パッシブサスペンション)を使っていました。
この簡易アクティブサスペンションは、費用コストも掛からず電子制御プログラムの必要も無いのでウィリアムズやマクラーレンなどトップチーム以外でも取り扱いが出来て簡単。
結局FIAは、レース公平を名目盾に取って「アクティブ」と名の付くものは何でもかんでも否定禁止して技術進化の目を摘み取ってしまった。
かつて予選で
1000馬力以上出てたターボマシンより
扱いにくかったんですかね
フォーミカーはシーケンシャルギアのシフトが好きでしたエンジンブレーキやシフトの音が良かったです。
セナの最後のクルマが、ダサいデザインじゃなかったのは、せめてもの救いですかね。
セナファンにバチクソ怒られそうだけど、FW16はロスマンズ・ウィリアムズの中で、トップクラスの格好良さでしたから。
只今 FW16 ブラモで製作中
UA-camで沢山の人が製作動画を配信してるの参考にしつつ 外観重視で
カウルの中身は素組のまま😊
FW16、非常に空力に敏感なマシン、と開幕前から囁かれてましたね。開幕前のテストでもセナ、ヒルどちらも不可解なスピンを繰り返してましたし、それは開幕してからも同じでした。
この状況から、ウィリアムズのマシンは空力に敏感なマシンをアクティブサスで補っていたのだろうな、と感じました。
そこを煮詰めていくのは相当大変だろうな、と。
ただ、「空力に敏感」なのはウィリアムズのマシンだから、というより、パワーのあるルノーエンジンとシャシーとのマッチングを取る、ベストセッティングを見つけるのが難しかったのかもしれない、と後になってから感じます。
翌年、ベネトン・ルノーも同じように過敏な挙動を示すマシンに手を焼いていたところを見ると。
忘れる事が出来ないシーズンでした。
でもこの年にベネトンからデビューしたのがマックスの父であるヨス・フェルスタッペンですよね。
ハンガリーで表彰台に立った事もあるドライバーでした。
セナのFW16のステアリングは
ヒルのステアリングより大きかった
1994年のウィリアムズは、そんなセナの要求に対し、大変苦労したらしい
遂に悪夢の94年ですね。
「親愛なる友人アランに、特別なメッセージを送りたい。君がいなくて寂しいよ」
プロストも言ってたけどアイルトンは僕を倒す事に闘志を燃やしてた。
ステーティンググリッドでパトリックヘッドと話してセナは気だるそうにしてたのが印象的だった。
マジでセナはモチベーションなかったんだなと思った。
乗りこなせていないFW16をドライブして意地で3回ポールポジション取ったけど。
決勝レース7週目 タンブレロでの事故を
見た瞬間あっコレは逝ったなと思って泣いた。
この頃のF1では空力的に車体姿勢が安定するようにロールを規制させる方向性の「ノンロールサスペンション」が大流行していました。
ティレルが左右車輪を1本だけのサスペンションで作動させる「モノショック」と呼ばれる過激なのも有りましたが、マクラーレンは冒険せずに従来の左右車輪が独立した「ツインショック」を使っていましたが、それでも試験的に左右のロッカーアームを連結して強制的にロールロックさせたものをベルガー車のMP4/6で試されましたが、セナはロールさせるセッティングが好みだったと聞いた事が有るのでロールロックさせたり1本だけのサスペンションは好きでは無かったようですね‼️🤗
ハッキネンもノンロールサスペンションは好きでは無かったようです。
余所でも書いたが、セナとラッツェンバーガー殺したのはFIAだよ。
OPの背景のゲームってなんていうゲームですか?
電子デバイスの廃止は95年からにすれば、ラッツエンバガー・セナの悲惨な事故は無かったと思う。既にマシンデザインを決定した後で、電子デバイス廃止には無理があったとは今でも感じる。
コーナーに入るときは、アンダーコーナーに出るときはオーバーステアになる
とチームに苦言をさしていたのを覚えてる、ヒルにも同様な車体の動きがあり
マシン内部に問題があることを察していた。
やっぱり、アクティブなどの恩恵を受け過ぎていたので低迷しましたね。給油解禁で常に予選モードで走りヤバいと、思っていて、イモラの悲劇が起き、あれからロスマンズカラーは嫌になりました。
確か、エストリルでFW16のシェイクダウンとロスマンズへのお披露目でセナがゆっくりと1周して戻って来るなり
「このクルマ嫌い」と吐き捨てるように言っていたそうです。
その2年前から、ウィリアムズのマシンに乗りたいと喉から手が出る程訴えていたのに…まさかあんな悲劇が起こるとは夢にも思って居ませんでした。
そうですね~。
あの悪夢が
なければね。
もっと長生
して欲しかった。
ええ、クソマシーンだが美しさは歴代F1の中でもトップクラスの造形とカラーリング。
ポルシェ956やら959より美しい。NSR500と肩を並べる。
プロスト本人がプロストが引退した時点でセナはモチベーションを失ってたって語ってたし、2戦でリタイヤ0ポイント、フリー走行、予選の2つの大事故といった精神的に弱ってしまうような出来事が重なっていたからな。去年のペレスみたいな心境になってたのかも。
個人的に兄が前年93年シーズン(兄は当時小5、自分は小2)からビデオ録画で観始めましたが、94年はウィリアムズがコンストラーズを獲得していたとはいえ、出来事が大きかっただけに`また事故が起きるのでは…´と鈴鹿まで一切録画をしなかった為、全く印象が残っておらず、また英田のあっけないリタイア等で精彩に欠ける印象でロスマンズをまとったセナに幼ながら違和感を感じて、2輪ではホンダワークスがWGPで80年代後半〜90年代初めまで栄光のカラーリングでしたが、F1に関しては、後にデーモン・ヒルやジャック・ヴィルヌーヴがチャンピオンになったものの、影を落としたカラーリングという感があります…。
神経質で扱いにくいマシンでも1周だけの速さを争う予選では何とかコントロール出来た。でもそれを2時間持続させるのはセナでも難しかった。そういう事だと思う。
シューマッハは、基本早いけど、卑怯な人間。同じ年生まれだけど。
卑怯な事するチャンピオン。シューマッハは基本嫌い。
F1ドライバーが卑怯なのは皆一緒。FW14Bの最速セッティングをパトレーゼに秘密にしたマンセル、ライバルに特攻して王者を決めたセナプロ、マンセルに酷い悪口を言いまくったピケ。卑怯なぐらいじゃないとチャンピオンなんて獲れないんですよ。
@@Railton-bbさん
確かにデイモン・ヒルやミカ・ハッキネンのような「良い人なのにチャンピオン」が異常だと思いますね。
@@suteki_na_obaka 何故だかシューマッハのライバルには「例外」のドライバーが多いんですよね。そのせいでシューマッハが相対的に卑怯に見えるというのはあると思います。
パッシブサスになりレイトンハウスのCG891や901位にまで低下した
セナにロスマンズカラーのウィリアムズは、違和感を感じた覚えが有った…
セナ、マクラーレンに残る気は無かったし、フェラーリは優勝とれるレベルじゃなかったし、この年は我慢の年だったのかもしれない…
このマシンのカラーリングは好きだけど、FW16は正直見たくないマシン。
セナは私の脳内ではMP4/8で終わってます…
現在もそうですが、FIA は突然レギュレーションを変更しますよね。
緊急を要する事案ならともかく、そうでない場合、
先を見据えてマシンを開発してきたチームにとっては青天の霹靂のはず。
いきなり、翌年の制度を変更されて対応できるものなのでしょうか。
まさにコンストラクターズはセナの置き土産になったわけですねぇ。
一気に色々禁止にするのはリスキーだった
アクティブサスで打ち消すじゃなくてごまかすだったからなあ。
FW16は素人目からしても気むずかしい車だというのが見て取れたわ!FIAは性急すぎたね、あのセナですらコントールしきれなかったんだから
相当にナーバスだったたな!まさに混乱シーズンをお象徴する車だったわ!
セナがウィリアムズに93年のマシンだったなら今でも健在だったと思います。アクティブサス無しのウィリアムズのマシンは諸刃の剣が沢山あって後にセナを苦しめる状況に陥ってしまいました。
開幕戦からサンマリノの予選のセナのアタックは暴れるマシンをセナのテクニックでポールを取っていたので最後のレースの悲劇はやり切れなかったです。
たしか ベネトンは 禁止されてたトラクッションコントロール搭載してたとか
フラビオブリアトーレが やりそうなコトだと思った
セナらしい素敵な最期で😀
空力に全振りしてしまった結果、セナが他界する結果となってしまった。ステアリングステムが折れたにしても、アッパーアームにまで空力を意識したのは行き過ぎだったかと思う。
見た目はスッキリしてカッコいいがあまりいい印象がない。セナが他界してちょうど30年。もしもセナが生きていたらというifは、30年経った今でも消えない。
私は本当にガチで
故アイルトン・セナと同じ利き腕です。
左利きです。
当時見てたけどお預け食らったイッヌがやっと餌与えられて嬉ションした後に実は不味くてションボリしてあぼーんした印象だな
シューマッハに開幕からボコられた焦りから無茶しちゃったんだよな
1年スパンで耐えれる忍耐力があればチャンプに慣れてたのにアホなヤツよ
セナは生贄になっただけだな・・・
セナ最期の愛機となったFW16の詳細を知る事が出来て勉強になりました、こんな結果になるならマクラーレン残留を選んでいれば命を落とさずに済んだと言わざるを得ません。><
強すぎるウイリアムズがマンセルを怒らせプロストを引退させてとうとうセナを亡き者にした。しゃくれあごのシューの運転マナーが最悪でこの年限りでF1を観ることはなくなった。
セナのイモラでの事故が無ければ、94年から97年までのドライバーズチャンピオンはセナが取っていたと思う。ミハエルとの熾烈な戦いを見たかったな。あとは、今どんな影響力のある人物になっていたのか興味はつきません。
セナの事故死に関してはステアリングシャフトを切断して溶接した部分に問題があったからだべよ。それを除けば、その後の記録からして、それ程酷いマシンではなかった事が解かる。
ハイテク禁止なんてやるから英雄を失った。
乱暴な言い方するとエンジンがハイパワーになったCG901Bみたいなもんだから
そりゃあセナでも操縦に苦労する程ナーバスなマシンになるよ
何故ウイリアムズは、もしもハイテクNGになった時のBプランを考えなかったのか。
セナはホンダ時代「ハイテクは嫌い」と発言したが、ハイテク乗りたかったのか。
単純にハイテク云々ではなく、勝てるマシンに乗りたかっただけでは無いですかね?
それはセナに限らずどのドライバーも同じだと思う。
セナは事故が無ければ改良されたマシンで反撃したでしょうね。
セナは最悪なタイミングでウィリアムズに行ってしまったな
FW14で走れば良かったはずだ。
技術に関しては詳しくはないけど、F1で培われた技術が市販車に活かされるのでは?それがF1の存在意義だと思うのですが。それを何の圧力に負けたのかは知りませんが、ドライバーの技術を競う世界にしてしまってはF1の存在意義がない気がします。セナの死はF1の意義を理解できないFIAの責任だと思います。
ピーキーなFW16を、天才的なドライビングで乗りこなしたセナは本当に凄いと思います。
そんなセナをFIAは(間接的に)殺した。僕を含め、そう思っているセナファンは、少なからず居ると思います。
これまでこのチャンネルで紹介されてきたドライバーの事故死…FIAが絡んでいるものも多かった気がします。FIAって一体なんなんでしょうね…
あの時死んでしまっては( ; ; )
所詮は過去の事においやられてしまう