【山の手台地】~東京23区の地形に迫る~
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- Опубліковано 10 тра 2024
- 今回は東京23区の地形【山の手台地】について話していきます。
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※衛星写真はGoogle Mapを加工して、使用しています。
標高図は国土地理院(地図タイル)を加工して、使用しています。
地図はOpenStreetMapを加工して、使用しています。
※地形図等を重ねて、目視やなぞりながら地図を作成しています。
そのため河川や場所の位置等にズレがあるかもしれません。ご了承ください。
※個人制作となりますので読み間違い、誤字脱字等ありますことご了承ください。
※参考資料
貝塚爽平 『東京の自然史』 講談社学術文庫
文京区の崖の上に住んでたことあるけど
2階に住んでたけど10階くらいの眺めだった。
元々俺も台東区に住んでたけど結婚して子供産まれたから、地震に強い武蔵野台地に守られた練馬区に引っ越した。
懸命な判断!
都内を自転車で移動するようになり、坂を避けようとして地形にはすごく敏感になった。
東京には暗渠が多いので曖昧になっているけど、地形に敏感になるとハザードマップの必然性とかもわかってくる。
この手の谷筋の奥には水源があって、今でも小さな神社などが祀られていることが多いです。
昔の小川の流路を想像しながら、地形図とか見てると、時間を忘れてしまいますね。笑
みなさんが言ってるように、古地図と併せて見てみたいな。玉川上水とか江戸時代の町並みとか、見てて楽しいし。編集大変だけど、もし可能なら長編でもずっと見てられる。
13:20 旧街道(国道)が尾根筋、区界が谷筋にあるのは興味深いですね。東京のビルやアスファルトに隠された地形を楽しむのに自転車で巡るとすごく面白いですね。
確かに横浜も、六角橋とか橋とついているのに崖かと思うような山だらけだった
横浜は台地どころか丘陵に覆われてる。ハードモードな地勢を都市開発、住宅開発してきた歴史。他の中核政令都市と異なり、かなり特殊。
40年前、不忍通り沿い(文京区千駄木三丁目)に住んでいました。不忍池から反時計回りに不忍通りを進むと、
左に緩くカーブしながら、向かって左側は本郷・小石川の台地に向かって急な坂が続いて、右側は平たんな地形が続いてましたね。
この地形図はいいね。
サイクリングをしていると結構山あり谷ありで大変だったり。
気軽に走るのなら、下町低地側のが良さそうです。
こういうチャンネル大好き💞
北区の飛鳥山博物館で古代の王子駅周辺、JRの西側と東側の高低差について展示があったけど、その時は何だかよく分かりませんでした。
この動画で飛鳥山は台地の縁にあり、崖下をJRが走ってるのがよく分かりました!そう言えば線路脇が塀のような断崖になってましたね。
ありがとう👍
関東大震災の時、隅田川沿い(皇居の東側)は壊滅的な被害を受けたけど、
東京の西側(国分寺崖線にある田園調布など)は被害が少なかったので、
多くの富裕層が田園調布に移住して、それから田園調布が高級住宅街(富裕層が住む街)に
なったと聞いたことがあるけど、地盤は重要ですね。
当時は人口密度もだいぶ違ってたからね。下町は木造家屋が密集してたので地震そのものよりも火災で亡くなった人の方が多かった。一方西側は郊外で人口も少なかったため被害も少なかった。うちの実家は渋谷区だけど祖父母から聞いた話だと渋谷も戦前は駅のすぐ近くから住宅地になってて今みたいに商業施設は多くなく、ハチ公が上野教授の家から毎日渋谷駅に通えたのもそういう背景があったからだそう。今の渋谷じゃ無理だろうね。
台地と低地の説明、江戸城が台地の先端で守りに適した地形。→なるほど!
地名に「山」「台」や「谷」「橋」が。→なるほど!わかるぞ!
各都市の発展と台地の関係→なるほど!大阪も名古屋も同じような地形!わかるぞ!!おもしろい!!!
台地の地質、川の流れ→なるほど!わからん!脳が思考を停止した!!(白目)
久が原や田園調布等ミッションの宣教拠点が台地の地盤が強いところにあるのは、さすが。(w.)
すごい!!散歩が趣味だけどますます楽しくなる。石神井川は不忍池につながっていたと言われるのは王子からの谷端川のことだったのか
谷田川です。
渋谷新宿はともかく池袋より西の練馬や板橋区はむしろ台が付く町名は多いと思うんだが
練馬区:平和台、氷川台、桜台、三原台、富士見台、高野台、石神井台
板橋区:常盤台、中台、西台等
板橋区の中台や西台は、それぞれ「志村中台町」や「志村西台町」という住所だったそうです。
その名称は「志村城から南側を向いたとき」西にある台地を西台、手前に広がる平野を前野、その間にある台地を中台と呼んだことに由来すると聞いたことがあります。
すごくスケールの小さい意味合いだったようです。
こういう台地の先端に中世城郭の跡地が多いんだよな
日比谷入り江や江戸前島辺りの説明のとこは古地図を重ねた方が良かったかも
銀座、新橋付近が海の中で深川が海岸線、佃島が離れ小島だったのが判るし、
江戸城から海が見渡せた訳だからね
銀座は江戸前島です
下末吉/上末吉は、横浜市鶴見区にある地名ですが、これらの地名と、下末吉台/上末吉台の由来を教えてほしいです。
この地図では呑川のすぐ東側、品川用水と立会川がつながっている (17:08)が、実際は連続していない
赤羽台とか白山とか最強(東洋大)
東京区部出身でも分かるひとは少ない
川向こうの水色部分には住まない方がいいと誰もが思ってはいるが安いから災害リスクを諦めるんだよね
江戸時代に江戸っ子が住んだ地域と重なるのも面白い
本当の『下町』は城下町の『下町』なんだが昭和以降の自称『下町』は『水面下』の『下町』というオチ
23区はもう少し西側まで広がってますね。😂
誰に聞いても納得いく説明がないのは「赤羽のツノ」なんだけどねw
利根川、荒川、多摩川に海蝕も関わりますからね
@@user-jf5sx6zj4t多摩川は関係ないと
Googleマップの3Dは空撮写真ではなくね?
語尾は〜だぜ。にしてほしいな魔理沙