長篠の戦い 激闘につぐ激闘。勝利した側も大損害をこうむる!
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- Опубліковано 2 гру 2022
- 織田信長と徳川家康は長篠城の救援のために設楽原に布陣。
この情報を受けて、長篠城を包囲していた武田勝頼は、包囲を解いて設楽原に向かった。
そして、天正3年(1575年)5月21日、約3万5000人の織田・徳川連合軍と、約1万1000人の武田軍は、ぶつかることになった。
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参考文献:
甫庵信長記
信長記
長篠日記
長篠の戦い 藤本正行
武田勝頼 丸島和洋
戦国群雄伝
長篠合戦の史科学 金子拓
長篠の戦い 金子拓
検証長篠合戦 平山優
戦国争乱
武田勝頼のすべて 柴辻俊六 平山優
▼音声
VOICEVOX:波音リツ
VOICEVOX:玄野武宏
VOICEVOX:白上虎太郎
VOICEVOX:青山龍星
VOICEVOX:剣崎雌雄
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おもしろかったです。武田の3倍の兵でもこの損害。戦い方を間違えてたら恐ろしいことになっていたかも知れませんね。
今回の信長は冷静でかっこよかった
感動です❗「長篠の戦い」は武田家の一方的負け戦のようにえがかれがちですが、実際はかなりの激戦だったんです❗ありがとう御座います。
その後に勝頼が武田家最大版図を築いていますからね。
大河で描かれたみたいな一方的な虐殺ではなく、信長の心胆を寒からしめたほど武田も強かったと知って良かったです
武田勝頼も愚将ではないんだよなー。滅亡直前の実績だけ見れば、完全に信玄を上回ってる。信長でさえ、勝頼は並の武将ではない。信玄と同等かそれ以上と評してる。地元の山梨県では信玄を神格化して、勝頼は武田を滅ぼした大たわけ者で持ち上げることすら忌避してるのが残念。
さんざん苦しめられた武田を追撃戦で打ちのめしたい家康と、天下を見据えつつ冷静に戦おうとする信長とのギャップ、描写がリアルで惹きつけられました。
長篠の戦いは特に、両陣営の考えが時系列でどう変化したか整理しながら動きを追わないと、実像が見えない合戦だと思います。
戦後武田は東海道方面で後退しますが、勝頼は手切れとなった北条氏に攻勢をかけ関東方面で勢力拡大したといわれていますね。この動画はそうした史実とも整合が取れていて、バランスが良いと感じました。
家康は、三方原の戦いや長篠の戦いを教訓にして後の戦に活かしてますね。
長篠救出という賭けに勝ち、さらに綿密な作戦でこれだけ完璧な盤面を作り上げてもなお6千の損害を被るとは…
決戦においてどれほどの覚悟が必要かが改めてよくわかった
心理描写と絵師さんの表情描写がクセになりますね👏💯
まさに信玄のやりたかったキツツキ戦法が完全にハマった形なんだよなあ
武田勝頼の戦略も十分に練られていることがわかった。
酒井・金森隊の奇襲ルートの候補地の1つを山歩きした事があるけど、滅茶苦茶大変だった。
当時は具足や鉄砲を輸送する必要があった事を考えると、昔の人って凄いと思った。
面白かったし、信長のセリフには説得力がありました。確かに応援に来ただけなので損害を出したくないのはそりゃそうです。ただ単に鉄砲打ちまくって勝ったのではないことがよくわかりました。奇襲作戦って重要ですね。
奇襲策と云う類は成功すれば大きいのですが、実の処、大多数が失敗しており
僅かな成功例だけが喧伝されている為、実勢や必要以上に有効性が高いと誤認
される事象が多くなっております。
また、本動画が指摘しなかった点ですが「鳶ヶ巣砦奇襲」成功の一因としては
徳川軍に依る長篠城攻撃の際、酒井忠次自身が構築~在陣していた砦が武田に
再利用されたもので、奇襲隊の上層部や兵の相当数が現地の地理地勢を熟知
していた事実は大きいと思われます。
加えて「奇襲」と云う成功したから喧伝される事象よりも、もう一つの意味
として押さえておきたいのは当時の用語で云う『中入り』戦法であります。
これは「別動隊派遣に依って敵陣営の急所/弱点を突き作戦全体を円滑にする」
一見すれば誰でも思いつく戦法でありながら失敗例が非常に多く、一方で
織田信長は生涯、この戦法を必要なタイミングで駆使して概ね成功させている
云わば「得意技~必殺技」に属するものであり、どうも鳶ヶ巣砦一連の戦闘は
コチラと捉えた方が正確な把握に近いかと存じます。
4月に出陣して、5月20日に8時間戦闘できる武田軍の体力すごいな。山間の整備されてない道を歩いて、諸城を攻めて、川を渡ったり、馬に乗らない(乗れない)人や小荷駄も多かっだろうに大変やなぁ
本当ここのチャンネルは毎回凄いと思います
陣城での防御戦以上に追撃‣包囲戦をメインに描くのがステキです。勝頼が当初の作戦予想に引きずられて状況把握、退却の判断が遅れるさま、信長が我慢して兵力の秘匿・予備兵力の温存に努めているのが効いている。鉄砲バンバン・騎馬兵バタバタの、柵前で戦いが決した、信長が奇策で勝ったかのような他の動画・ドラマなどの描かれ方にうんざりしてましたので。ホントは信長さんはまじめ・正攻法好みのようなので。とても見ごたえがあり納得できました。
信長は馬が使えない、じめじめした土地に陣をおいたので、騎馬隊は関係ないですね。
鳶が巣山砦を酒井忠次がおさえたので、勝頼は前進さぜるを得なかった。
長篠の戦いで武田方はかなりの数の重臣を失っているので、以前は勝頼の失策や武田勢の思い上がりによる敗戦と思っていましたが
逆にこれは重臣が最前線に出て戦わないといけないほどの激戦であり、そうせざるを得ない状況を作り出した信長の知略の凄まじさ、そして武田方は宿老であっても敵前で槍を振るう事をいとわない強兵であるということが理解できました。
それにしても信長は逆境であるほど縦横無尽に戦場を駆け回り知略が冴えわたりますね。自分の力で天下を取ったと言われるに値する英雄だと思います。
イラスト、BGM、スピード、合戦の再現力、すべてが満足です!
このときの信長が兵力の温存、秘匿、消耗の回避を慎重に企図していたことを強調しているのがいいですね。
年がら年中多方面で戦をしている信長にとって、雑兵はまだ何とかなるが「侍」の人材不足は常に消耗と補充に苦慮し、家臣にももっと人を雇えと激と飛ばしていて何より頭の痛い問題だったようです。
信長にとっても長篠は会心の戦だったのか『信長公記』でも珍しく饒舌で作戦の意図が述べられています。
また通説を逆張りしたいがためにいわゆる「武田の騎馬隊」を全否定する風潮がありますが、「馬一筋」「馬入り」といった表現で武田の武者が馬上戦闘に長けていることは織田・徳川の史料で述べられており、その点も取り入れられているのが好印象です。
23:42からの徳川3連発の顔で吹いたわw
エンタメでなく史実に基づいていて秀逸
とても詳しい動画をありがとうございます🙇
それぞれの名将の心の声が分かりすごくいいですね。ドキドキ緊張しながら見ました
長篠は夏休みに行き、
馬防柵も長篠城も、鳥居強右衛門の墓にも行きました。
先に見てから行けたらもっと良かったのになー
名作ありがとうございます🙇
戦後の信長は勝頼の性格を分析し
一方で激戦による損耗を顧みて
のちの第二次高天神城戦では
武力よりも権謀術数を活用して
武田家の内部崩壊を狙ったわけか
桶狭間、厳島ときたから、てっきり河越かと思ってたけど、
今回の長篠も面白かった。実はノッブ陣営も結構薄氷踏む勝利って感じだったんかね。
え?このチャンネル、マジ楽しい♥
戦術判断ストーリーが素晴らしい。信長が如何に優れた頭脳であったか。おそらく武田側も斥候を出して敵戦力を探ろうとしたのでしょうが成功しなかった、それも含めて発見されないように兵を隠しかつ斥候はことごとく討ち取られのでしょう。
心中の言葉や葛藤が面白いのよ😊
お見事。映画を見た思いです。
心理の描写が斬新で時系列が楽しいですね。
しかもこの敗戦から勝頼は武田軍の再建に質はともかくとして成功して、家康を驚かせていたらしいですね。
素晴らしい!!!
勝頼は長篠ではなく高天神で信長と決戦したかっただろうな。2万5千という高天神を取るためだけにしては、多すぎる大軍にその思いが表れている。
信長と勝頼の鋭い読み合いと、信長の本音を考察して見ごたえある動画ありがとうごさいます。
おそらく武田軍も、それなりに鉄砲隊と弾薬も準備して侵攻したが、吉田城や長篠城を『1か月も』攻撃し続けたため、
用意した火縄銃の火薬と弾丸を 城攻めに使用して、補給しようにも『敵に塩を送る』ほど、物資の調達が難しい地域のため、
鉄砲の(輸入に頼った)火薬は残り少なく、遠征から2か月目以後の長篠の戦いの午前中には、火縄銃の弾丸を打ち尽くして、仕方なく、馬防柵へ歩兵・騎兵で突撃した可能性もありそうですね。
一方で、信長も、決戦の当日は晴れたが、季節的には雨が多い日も続いて、内心では心配して、鉄砲足軽の近くに弓兵を
用意し、槍足軽にも石を持たせて 石投げして鉄砲足軽を補助したのかもしれませんね。
面白かったです!最後の信長のセリフを聞いてスゥーッとしていいねボタン押しました。
最後の最後ですぅ〜っとする展開上手ですね!
いい仕事です!
(私は関西人)
現地を何度か訪れて思ったのは、連合軍の陣城の背後は小高い丘が連なっていて勝頼の側からは背後の兵は目視不可。
おそらく信長は柵を作って小勢をアピールするだけでなく「武田が怖い」とビビっていると言う流言蜚語をバラ撒いたと想像。
勝頼は事実誤認で術中にハマった。
それにしても三重の柵を突破して一部は家康の陣地に攻め込んだのは凄まじい。
徳川の記録では三十人くらいだったとあるが、その筆致は武田への畏怖が伝わる。
もし武田が総兵力で雪崩れ込んでいたら勝敗は分からなかっただろう。
信長の知略が素晴らしく天才的、軍勢を隠し全貌を見せず後方を奇襲して挟み撃ち、突撃しかない状態に追い込み、自軍は馬防柵から出ず、鉄砲や槍で迎え撃つ。さらに予備の大軍を追撃用に温存しておくなど見事なものです。勝頼さんは相手が悪かっただけで武田軍は相当強かったのがよく分かりました。
面白かった😀
信長の「武田は強すぎる」って言葉がたくさん出てくるところからも、武田の強さがよーくわかります。このシリーズは本当に勉強になります。素晴らしい動画
酒井忠次、金森長近の別働隊による鳥が巣山砦の奇襲とその勢いに乗じて長篠城一帯の武田軍を一掃できたことで、
武田方に悟られず隠していた予備軍(悟られていたらそもそも武田方は攻め込まなかった)と馬防柵&大量鉄砲→武田軍突撃に特化した防衛殲滅の陣構え が有効化(武田方は前進突破しか選択肢が無くなった)。酒井忠次らの殊勲の働きがなかったら、そもそもの計画はすべて台無しになっていた(武田勝頼は十分奇襲に備えて軍勢を残していたのに、それにも関わらず奇襲成功させた酒井忠次は超優秀)。
しかし、すごいのは織田徳川方が想定していた以上に武田方の攻撃力が凄まじかった点。信長の構想では、策にハマれば味方の損傷は軽微。策にハメたにも関わらず、予定外に味方が損傷した。勝つには勝ったが、改めて武田の強さを実感したはず。
武田勝頼も武田戦力で、その後の戦果を考えれば、一戦に挑むのはまったく無謀な賭けじゃなかった。実際、家康側の必死さが少し足りなかったら、右翼防御が突破されていてもおかしくない戦況もあった。そうなれば、家康、信長も命からがら戦場から逃げ落ちる展開もあり得た。勝頼、無能論は全然的はずれだと思う。大掛かりな軍勢同士の戦闘では、ほんの小さな要素で戦果はまったく違ったものになる。
(そもそも予想以上に石山本願寺攻略が早く終わってなかったら、大軍を信長は配置出来なかった。信長の運の良さが最強)
勝頼は「戦場に出れば」優秀だったというのは間違いない
ただ外交が下手すぎたのが致命傷になった。
御館の乱でブレブレの対応をして北条氏を敵に回したのと、信長の外交戦にハマって高天神城を見捨てたという二つが大失策。
前者は、景虎に味方して速攻で解決し甲相越三国同盟を確立させるにしても、景勝に味方して北条を抑え込むにしても、
とにかく速攻で解決して、戦後対織田(景勝の場合はそれに加えて対北条)での盟友となるはずの上杉家の力を温存することが絶対条件だった。
それをだらだらブレブレやったもんだから、北条と手切れになり、盟友となった景勝もガタガタで武田の助けになれないという最悪の事態に。
後者も微妙に和睦して徳川との間を仲介してくれそうな態度を取る信長に振り回され、高天神で対決するという判断ができないまま陥落させられ
それをネタにして信長に内応作戦を進められ、内部崩壊につながった。
勝頼は戦場では「強すぎる大将」だったけど、外交では逆に優柔不断のブレブレで全部後手を引いていて、やはり為政者としては有能とは言い難かったと思う。
同じ国を衰退させたリーダーといっても、戦略レベルで負けている時点で、戦場の一発勝負で潰れただけの今川義元や龍造寺隆信よりも評価は低くならざるを得ない。
最大版図ってのも武田軍の物理的・戦術的な強さによってもたらされた一時的なもので、政治的・戦略的には到底維持できるものではなかった。
連続で見れるように再生リストを作ってほしいです
作戦が全て最高の形で上手くいって、やも織田・徳川方も大損害というのに武田軍の強さを改まって認識しました。単に同じ兵という枠組みと言えども質の違いはやはりあり大きいものなのですね。
最近見つけて1番楽しみにしてるチャンネル。
信長は野戦が得意で、この戦で家康が野戦の決戦のコツをつかんで、関ケ原(大垣城へ執着せず、西へ向かう姿勢を見せて、西軍の移動をおびき出した)に活用したのかもしれないと思いました。きわめて素晴らしい内容の動画でした。
数の有利はあれど、野戦最強の一角であろう武田の騎馬隊が、多くの死傷者を出してしまったこの戦いは、歴史の転換期みたいな感じがして、とても印象深い戦いですね
人の強さよりも兵器や戦術、内政への重要性がより一層濃くなっていくというか……
私は甲斐武田氏が好きなので、この動画を心にグサグサきながら観ましたが、30分以上にわたる大ボリューム動画とは思えないくらいの密度で、観終わった後の充足感が心地良かったです
素敵な動画、いつもありがとうございます😊
ヨーロッパの歴史を見てると鉄砲はまだまだ不安定なのがよく分かるので、ポーランドの歴史、特にフサリアを調べられるのがおすすめです
鉄砲隊や長槍部隊を正面から突破する重騎兵軍団が数百年もほぼ無敗で、損害も軽微なまま戦場をひっくり返し続けたなんて出鱈目みたいな事が実際起こってました
実は鉄砲の装填速度、狙いの正確さを考えると騎馬突撃はかなり有効であったりします(実際に検証もされています)
長篠の戦いで鉄砲隊が輝いたのは、武田軍を防御陣地に誘い込み、いわゆる攻城戦に持ち込ませた要因が大ではないでしょうか
馬防柵は気休めのように感じますが、その気休めでも相手が破壊、乗り越えるのに時間がかかれば、接近を許さず、間接的な攻撃を継続でき、かなり大きい効果を与えます
騎馬突撃は敵との距離を一気に詰める際は有効ですが、何かしら接近できない要因があると、的が大きくなる為、不利なのは自明であるでしょう
とても勉強になるコメント、ありがとうございます☺️
浅学ゆえ世界史までまだ手を伸ばせていないので、まずはそこら辺を足掛かりに漁ってみたいと思います✨
私が学生の頃学んでいた教科書等でも、この設楽原での戦いが主体で記されていましたが、本当は長篠城落城が大きな要因で、武田方が攻めざるを得ない状況を作り出した戦略が、勝利を決定づけたのかと思っています
さらに動画でもあったと思いますが、武田勝頼と信玄時代からの重臣達は馬が合わなかったみたいで。
慎重な戦略をとる信玄の影響を間違いなく受けている筈の重臣達が、この不安要素の多過ぎる戦場で、騎馬特攻を仕掛けた理由がここにあるんじゃないかと。
そして、仰る通り、突撃した先には馬防柵、鉄砲隊、そしてそれらを守る弓や槍、、、。
負けるべくして負けた、と言えば簡単ですが、そんな絶望的な状況でも織田方に多数の犠牲を出させた武田方の覚悟が見えて、先人達には頭が上がらんなぁという思いです
いくら国や主の為とはいえ、鳴り響く発砲音に近づいていくなんて、私には出来そうにもありませんから、、、
私も、特に真田幸隆が好きなタチなのでかなり面白くこの動画を観ていました。
長篠城を砥石城を落としたように乗っ取り的にサラッと奪った上で、長期戦・ゲリラ戦に上手いこと持ち込めていればよかったのにな、と多少苦々しい感じになってしまいましたw
めっちゃおもろい
面白い✨
鉄砲3千挺、三段撃ちを動画に入れてないことは感心しました。いまだに、このことを信じている方多いですからね。ちゃんと調べてから編集されており、よい動画ですね。
歴史の本にある、長篠の戦の絵は、江戸時代に、書かれた物だからね。
本当のところは分からんですが、鉄砲がズラーっと並んでるところに無策で突っ込むわけないすよね。大大名の地位に上り詰めるまで戦争に勝ちまくった軍団が。
知らなかったー
熊本の健軍神社の記録が最も古く徳川家康を家康と呼び捨てにしており、
その記録では鉄砲千挺ばかりと有ります。
私は鉄砲隊に居ました十文目筒を使用していましたが習熟すると毎分3~5発は射撃出来ます。また射手1名に装填手を
2名置いて装填させましたら毎分8~10発射撃できます。ただ約20発射撃すると火薬滓で銃口が狭くなり弾丸の装填に
チカラが要りますので劣玉と言って弾丸の直径が約2ミリ小さい弾丸を装填していました。
大阪の泉南射場での実弾射撃では約100メートルで狙点(狙った所)から約5センチ下に命中しました。
それと当時の胴丸具足と言われる足軽の鎧は100メートルだと胴丸具足の前後を貫通しました。
待ってました
良い。極めて良い動画です。
大変参考になりました。ありがとうございます。
色々な観点で戦国史を調べていますが(ネットでだけど)、教科書の教える史実が100%正解ではないというのは間違いないでしょうね。
次は姉川の戦いをやって欲しいですね。 あくまでも手伝い戦に過ぎない徳川軍の奮戦で朝倉軍を倒した姿や、浅井軍に織田軍がやられかけた様子とか。
濃い。面白かったです。
徳川・織田連合の圧倒的な勝利でなく武田の兵の強さが語られていたのが良かった。
酒井忠次の戦果が評価されているのも納得ですね
信長や家康の声優さんがうまい!声に説得力を感じます。
ユキムラチャンネルとはまた違ったストーリ丁の歴史解説。
これはこれでメチャメチャいい。
しかも強気じゃない人間・織田信長がまたいい。
今後もぜひ続けてほしい。
多分、信長ってこの動画に近い性格の人だったんだと思うね。
相手より弱いうちはひさすら土下座。相手より強くなったらとことん強気。てか外交の基本ではあるよね。
ユキムラはくせがありすぎて好かんな。先入観ありすぎだもん。まあエンターテイメントなんだろうね。
信長は元々非常に臆病で慎重な性格です。秀吉が「一万の兵のうち9500人を討ち取ってもその中に信長は居ない」と評した程です。
ユキムラさんの動画はネタありきで面白い
初心者向けの動画だと思う
こっちは歴史に通じてる人向けかもね
どっちも好き😘
長篠城を力攻めで取っていたらな。
家康と信長の同盟にヒビが入ったし、多くの有力家臣と兵が生き残る事が出来た。
この戦の決断が運命の分かれ道。
おつかれさまでした!まってました 日本の戦!
長篠の戦!
信長の声がクセがない若い頃の若本規夫さんみたいで格好いいですね!
これからも動画を楽しみにしています!(^-^)/
わかりやすい現代的紙芝居のようです。ナレーションが訛っているのも面白いです。
信玄に対して異常に慎重な信長と家康。よほど恐ろしいと見える❤
家康のイラ顔で笑いました
酒井忠次の動きがマジで渋いよな
当時の戦場の地形がそのまま残っているといわれる珍しい地
行ったことありますがかなり狭い場所での激戦で彼我多数の戦死者だしたというのはわかりました
いわゆる忌み地ですし地盤も弱いし湿気も酷い。だから開発されてないし人も住まないんですよね。
当時はもっと戦い難い難所だったかと想像します。
勝頼と宿老達の関係性が惜しまれる。
元々信玄にも噛みつくような人達だけど、信玄の死に際に勝頼が君主であると納得させる時間があれば。。。
歴史は本当に面白い。
信長の叱咤激励で家康がだんだん脱糞顔になっていくの草
オヌヌメに出てきた
絵は気持ち悪いけど
分かりやすくて面白かったよ
歴史の転換点で考え深いものがあります
味のあるイラスト(^_^)
天下統一を目指していたかはこの段階では定かではないが、多方面に敵を抱え、その後のことまで考えなければならない信長と、武田軍をなんとしてでも破って自身の名声と領国経営を考えたい戦国武将家康の考え方の違いが面白い。
徳川方が欲をかいて追撃戦をしてたら武田勝頼まで討ち取れたのか、それともまた手痛い目に遭ったのか…?
この戦、マジで8時間やってたんだよね
途中で馬場がぐるっと横から柵回避して回り込んだりとか色々とその場で試行錯誤やってる
もちろん8時間鉄砲の弾薬が生きてたかってのは微妙なところで、おそらくは長篠城奇襲の後ぐらいからはずっと白兵戦してたんじゃないかな
関ヶ原などの大戦でも合戦の時間はもっと短い。戦国時代の合戦で8時間はかなりの異例ですね。
当時の鉄砲が8時間も銃身持つとは思えないので、後半は白兵戦でしょうね。
ものすごく見ごたえがあったし、長篠=織田徳川の圧勝で楽勝という見方が変わったわ
長篠の戦いって日本史での授業では足軽鉄砲隊により武田の騎馬隊が壊滅して織田徳川の大勝利ってイメージでしたけど、全くそんなことなかったんですね
長篠合戦図屏風を教科書に載せて、江戸期や明治神宮前陸軍の教科書の記載に近い事を教えていたからかな?
武田も長篠城を攻め続けて設楽原で防御し徹してれば、戦略的に勝利できる可能性もあったのかね?
こうしてみると後方の安全を確保出来ないまま徳川の領地奥深くまで進軍事態まずいとしか言えないな
せっかく高天神城を取ったのだから、普通に遠江を東から侵攻すれば、と思いますが、何か理由があるのですかね。
この顔汁合戦シリーズ好きやわ
鼻水とよだれが垂れていないのが悲しいです🥹
普通に考えれば圧倒的に兵力で勝る織田徳川連合軍が有利と考えられますが、将兵の質にここまでの差があったが故に、陣城を築いての防衛戦に徹しざるを得なかったということですね。桶狭間での勝利が運に助けられたものと気付いていた信長だからこそ、慎重に徹して勝利を手繰り寄せたとも言えます。
桶狭間以降では信長は少数で大軍を翻弄する戦いはほとんど起こさず、必ず敵よりも大軍を用意して戦うよう心がけています
兵の質は下がったため、姉川でも本陣手前まで浅井軍の侵入を許すほど、損害を被りましたが
しっかり戦略で勝とうとする姿勢が信長包囲網も乗り切りる事に繋がったかと思います
@@aru4518
横から失礼します。
同意です。信長は合理主義的な性質が強いですし、桶狭間の件はラッキーパンチ的な要素があったことを薄々肝に命じていたのでしょうね。
ちなみに、島津家久は信長に匹敵するかそれ以上に頭が良い可能性がありますよね👍️
@@aru4518 信長の兵の質、ダメだったんですか?
@@zunbero8070 そもそも尾張兵は弱兵と呼ばれるほどだし、常備軍と良いながら、結局は傭兵の集まりなので士気は高くない
ヨーロッパの傭兵も全く同じですが、負け戦になりかけると、自らの命欲しさに、すぐ逃げ出す
強ければ美濃一国に7年もの月日をかけるのもおかしいでしょう
@@aru4518 なるほど。でも、桶狭間は寡兵で機動的な運用を成功させてますよね?
勝頼は家康の主力軍を撃破したかったが、逆に勝頼の主力軍を撃破したかった信長に逆にやられる形になった
動き方を間違えれば、信長はジリ貧の状況に陥ってもおかしくは無かった
戦は本当にどう転ぶかわからないものですね
「どうする家康」6月4日放送がこの辺りの話でした。
奥三河を何とかしたい家康の方が好戦的、兵庫と中国も支配したいので戦力を温存させたい信長。素晴らしい動画でした。
おもしろい
奥平が、徳川についた時
長篠城は、絶対に武田が落とすべきだった
熊本の健軍神社の記録が最も古く徳川家康を家康と呼び捨てにしており、
その記録では鉄砲千挺ばかりと有ります。
私は鉄砲隊に居ました十文目筒を使用していましたが習熟すると毎分3~5発は射撃出来ます。また射手1名に装填手を
2名置いて装填させましたら毎分8~10発射撃できます。ただ約20発射撃すると火薬滓で銃口が狭くなり弾丸の装填に
チカラが要りますので劣玉と言って弾丸の直径が約2ミリ小さい弾丸を装填していました。
大阪の泉南射場での実弾射撃では約100メートルで狙点(狙った所)から約5センチ下に命中しました。
それと当時の胴丸具足と言われる足軽の鎧は100メートルだと胴丸具足の前後を貫通しました。登録高評価を入れました、応援しています頑張って下さい。
関ヶ原より大きい野戦ってきいたことある。
面白い動画でした。
負け戦を数々経験している百戦錬磨の信長、家康ですから
勝ち誇っている勝頼なんかわ問題にならんでしょう。
正直武田軍が織田・徳川軍の兵力を知らないというのは考えにくいと思うけど(北側の山から見ようと思えば見えるし、進軍途中の経路に偵察を放つこともできるだろうし)。
信長の冷静な感じはよかった。
偵察部隊が事前に殺られちゃっていた状況だったっぽいですよ。その点では、勝頼殿はもっと冷静に分析検討するのが妥当だったと考えます。
長篠の戦いは、勝頼が敵を甘くみたこと、信長がじめじめした土地を選び馬が使えなかったこと。勝頼は最後の手を使ってしまい、大切な家臣を失った。武田軍も鉄砲を藻っていたが、弾がなかった。
信長は輸入していた弾を買っていた。勝敗の原因はそこにあると、小和田先生は言ってたます。
長篠の戦いって鉄砲の3段撃ちで武田を撃破したって習った記憶あるけどあれ創作なのね。3段の柵があっただけなのかw
こうやって地図で見ると 少数で侵略するのはまぁできるが そこを維持するのは不可能ということで信玄の時代は行われず 勝頼が信玄を超えた武力を見せた!ってことで そこから全面戦争からの滅亡なんだよな。
長篠城を攻め落としてからにすれば良かったのに
こうやって見ると信長にとって家康って面倒で危険な存在なんだな
23:39ここ好き
系列会社(家康)にパワハラする大企業(信長)
これが俗にいう三段撃ちか
これは凄かった。歴史にも、兵法にも煩いこの私が感服してしまった。オタクらはすごいの。
迂回奇襲を成功させ軍功第一だった酒井忠次を信長は高く評価(忠次の上奏によるものだったと言う逸話が本当ならもともとつながりがあった可能性もあるが)。忠次本人も徳川家内でも最大の親織田だと考えられえていた。また、この戦い以降はより強固な親織田勢力が婿に当たる徳川信康中心に形成されて行くことになる(信康は親武田だった説は近年はかなり懐疑的になって来ている)。
信康とその近習は失脚時またはその直前まで織田家とつながりが深いと見られていた忠次に期待を寄せていたが、最終的に忠次は家康を選び自身への信頼を軸に信長に介入する隙を与えず結果的に信康を見捨てた(家康死後の信康上げ、忠次下げの理由)。
長篠は戦闘としては決定的な勝利ではなかったが、徳川家の後継者問題と家臣団の内訌につながっていて、本能寺がなければ徳川家にとっては致命的なポイントになっていたのかもしれない。
レベル高! @@;
まさに兵は詭道なり
彼我両面の情報収集とその評価が、どれだけ重要であるのか、良く分かる事例でしたね。
>予想外の抵抗でひっくり返される
これも見逃せない。
お互いに兵力を把握していない事はないでしょう。
戦の流れがわかりやすかったけど、1点気になったのは、勝頼の顔の絵がよだれたらしていません?
現地で陣城を作るとなると、膨大な木材や工具などがいるが、持っていったのだろうか?
追撃戦は武田方の損害の方が大きいと思いますが、IFとしては面白いストーリーでした。
カエサルシリーズと同じ作者ですか?(音楽のチョイス)
馬防柵って当たり前のように出てくるけど長篠の戦い以外だと聞かないな
2代目に『うるさ型』でかたづけられる武田24将