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ありがとうございます!
毎回ことごとく部下の進言が却下されるくだりが好きすぎる
新説では天王山奪取が勝敗の趨勢を決めた訳ではないんですね😮 勉強になりました😊
戦略・政略の点でも光秀に勝ち目はなかったと思いますが、戦術面で山崎を開けてしまったのは決定的ですね。私は東京出身ですが、以前京都に転勤して勤めていた時、大山崎一帯の地形をみて感動すら覚えました。どっからどう見ても「天下分け目の天王山」、戦略的要地です。大坂と京の間で戦うには、絶対に抑えなくてはならない地点であることは、現代にいたっても阪急・新幹線・東名・171号といった幹線道・鉄道が集中していることを見れば明らかです。
12:01主様の動画は普段から敵味方で互いのことを外道とか言い合ってるので説得力が増しましたw
光秀はすべてを行って負けた感がありますね。勝ち筋が見えない
変の直後に近江を攻めるか摂津を攻めるか。この二つが大きな転換点だったんだなと改めて気が付きましたわ。秀吉の行動を知っている我々から見たら摂津を攻める一択だけど、当時の光秀の立場で考えれば近江を狙うよなぁ。この選択肢以外で光秀が勝つ可能性はなかったし、それ以外の選択肢はすべて最善を選べていると思う。秀吉が凄すぎた。
5月29日には信孝の軍は摂津住吉に着陣し、また信澄・長秀勢は摂津大坂、頼隆勢は和泉岸和田に集結し、総勢1万4,000の軍が渡海に備えていた。これらの軍は6月2日に四国へ向けて出航する予定だった。これは本能寺の変2日前である。
ホンとこの辺り面白いですよね大河でもここをどう料理するかを期待してたのに…信長主人公じゃできない光秀の大河でなんで何も触れなかったんだろう
そこの部分を描く力量が脚本家や演出に無かったという事でしょう
大河ドラマが担う使命が違うからでは。光秀の人生を描いて『信長との終わり』で結ぶストーリーだったので、本能寺以降をやたら描くのは蛇足にもなってしまう…
沢尻のせいでしょ。撮り直しでそもそもの撮影スケジュールに無理が生じた。これで脚本や演出を責めるのは可哀想。役者の素行調査をしなかったNHKの責任。
待ってました!マジで戦国系で一番おもしろい!高評価不可避!
楽しみに待ってました!そして久しぶりの「外道」いただきました。
楽しみに待ってました😊
難しい熟語もでてきて勉強にもなるんよね😊
面白かったです!
待っていました!!
待ってました👍
この戦の興味深さは死傷者数のみなら明智軍が勝っていること兵力差が決定的になった後に明智軍に加勢した部隊がいたこと光秀を逃がすために必死で戦った部隊がいたこと何故か山崎村に陣を敷かなかったこと僅か数時間で勝敗が決したにしては一方的ではないところが記憶に残る
光秀のカードがどんどんなくなっていく感覚がすごいですね。これは焦るわ。それにも関わらず光秀は筒井順慶や柴田勝家に考慮した結果中途半端な布陣とせざるを得なかった。まさに窮すれば鈍す。
何か光秀の事後対応が悉く失敗していたのと別に、合戦に関して秀吉も天候と鉄砲を天秤にかけて慎重に勝ちを拾ったようで緊迫感ありました。このチャンネルは双方の思惑がぶつかり合いながら勝ちが転がり込んでくるまでの流れが面白いです
新作〜❤
早いですね🎉
待ってたよー
味方が増えない時点で勝敗が決まっているように思えたものの、最後の決定打は合戦当日が雨だったという話は面白かったですね。
しかし誰も本能寺にいる。信長にチクリ入れんかったのは⁉️光秀は、将兵に好かれていたんだな⁉️ワイが足軽なら速攻で本能寺の信長に密告するのに(笑)上手く行けば⁉️信長よくやった‼️ワイ足軽(笑)お前に光秀の居城 坂本城をやるワイ足軽へへえ‼️(笑)となる(笑)
浸透戦術ってゆっくり動画でちょっと一方的な秀吉側からの視点(光秀のおバカちゃん)で見たばかりだから光秀側から見た視点は凄く面白かった。戦国物では合戦歴史と浸透戦術だけが面白い
待ってました。できれば1週間に一度新作が見たい。
楽しみにしてました
新作あざす
動画内の、毛利と戦ってる秀吉が機内に戻るのに50日かかるという光秀の計算は間違ってなかったと思われる。ただ光秀がなりふり構わず信長を討った以上に、秀吉がなりふり構わず光秀を討つことに全力を注いだ、それが決定的な秀吉勝利、光秀敗北の理由だろう
真面目すぎなんよ……焼けた物でもよいからノブ親子のやって晒したりすれば…ワンチャン…摂津、大和は味方に…
「ホラを吹く」という言葉の語源は、順慶の洞ヶ峠からきていると思っていました。味方になるフリをしながら、結局は裏切るという意味から。調べたら違っていました。「法螺貝」からきているのですね。それにしても、光秀の詰んでる感が凄い…
法螺貝が語源であるのは常識かと…
タイトルのセンスにチクショーメー👍
光秀の謀反で一番の謎は、調整役をメインにこなし、織田家中で一番根回しの重要性を知っていたはずの光秀が、それらを一切せずにぶっつけ本番謀反に挑んだ点だな。良いクジ出るまでみくじを引き続け、事後になって細川親子に泣き落としのような手紙を出すなど、本当に明智光秀本人がやったのか疑わしさすら有る。
光秀、軽度の認知症になってた。なんて説もある。
@@hiron114闘いの途中でストレスで軽度認知症をついに発病
専門家はこの信長の京都御馬揃えを威圧とは考えず朝廷と信長の関係は良好であったと説く。しかし本能寺の変が起きたのはこの1年と2ヶ月後の事である。
この明智側のいかにも場当たり的で他力本願的な動きをみると本能寺の変がいかに突発的で無計画な行動だったのかが分かります。となると本能寺の変の黒幕?などいないのでは?と思ってしまいますね。。。
信長の油断がある意味では黒幕
@@konsi7594その発想は面白い!!
オルガンティーノ「裏切り者には絶対に味方しちゃダメ」これ意外と効いた模様
三国志の呂布の事か
最近、腐れ外道が聞けなくて悲しい🤣
腐れ外道が足りてなーい
鼻水😢よだれ🤤腐れ外道なくて😭また 作ってください(._.)
見れば見るほど光秀の行き当たりばったりが謎。
よだれと外道の2パターンが欲しいです!
主君が悪政を強いているならともかく信長は悪政で民百姓を苦しめてもいない...大義なき主殺しに味方するメリットはないしむしろ悪評だけが拡大する
雨で勝った桶狭間と雨で負けた山崎の対比アツい
美濃・尾張も光秀の勢力下だった。明智光秀書状に、濃州、江州平均申し付け、覚悟に任せ候とある。羽柴秀吉書状に、尾張の光秀の勢力が大きかったことを記してる。
今とは違い巨椋池がでかいですねw
某歴史系番組でも、まずは摂津方面に進出して石山本願寺等を味方につける手もあったのではないかという指摘も出ていたけど、堅実な性格の光秀が近江方面や京周辺を固めたのも何ら不自然ではない。ただ、上手く秀吉に出し抜かれたのと、合戦の当日に雨が降ってて有効に鉄砲が使えなかったのと、左翼が突破されちゃったのが運のツキだったね。
忠義とかなかった時代と言われるけど、ここまでの不忠者は当時でもドン引きされてたんやろなぁ
3:08とか11:28とかセリフ量が多い所での字幕が消えてると、何を言っているのか分かりにくいので、字幕無しの時は「あの野郎め」とか一言ぐらいに収めてほしいです。
11:30や17:38 辺りセリフの字幕が無くなっているかと思われるので、対処していただけるとありがたいです。
外道いただきました
明智光秀は先に計画してから行動しているイメージがあるのですが、本能寺の変の後だけは行き当たりばったりの行動が目立ちます。
この行き当たりばったり感が、光秀単独犯説を補強してる印象。
@@hiron114現在では、四国遠征中止説が信憑性が高くなっていますね。
@@二見裕司-r6t ああ!そういえば、光秀は対長宗我部担当でしたね。山陰への出動を命じたのは、信長からしたら丹波丹後方面から山陰攻略を進めたかっただけなのに、光秀からしたら、対長宗我部氏担当を外されて、秀吉の対毛利に組み込まれたという形になり、光秀は面目を潰された形になるのか。
我々は本能寺の変は既に前提でその後の明智光秀を見てるけど、普通に考えたら信長を討つなんて事は滅茶苦茶困難なわけで本能寺の変そのものにほぼ全てのエネルギー、頭脳、運を使い切らないといけない。光秀にとってはこれを成功させることでほぼゴールだったんじゃないかなぁ。当主の織田信忠まで討ってるし大成功ですね。その後の判断ミスが何だったかとかはまあ仕方ないんじゃないかなと思います。
寝込みを襲っただけ織田軍には何のダメージも与えていないので大成功じゃ無くて戦略の段階で大失敗。
自分の命と引き替えに信長を葬ったとすれば、山崎の戦いの前に既に目的は果たしているのでしょうね
信長が武田を討ったことで強敵が減って秀吉が天下統一しやすくなったことと重なりますね@@HOSTAKA
@@to6198信長と信忠を討った段階でゴールだったって解釈もありって事でしょ…
ゴールはないでしょ。細川とかに協力要請してる時点でそれ以上を望んでるのは間違いないし。
面白かったです(^^)/
すげぇな、戦上手だ
現在の会社でも中途入社の社員がそつなくやっているように見えても人心を掌握するのは難しいですよね
久しぶりの投稿かと思ったら信長しんでしもた 今度は秀吉 家康サイドか?
「摂津を掌握するほうが先だった」…あのとき家臣の言う事聞いとけばなあ…歴史は変わっていたかも…。「天王山と男山を結ぶ地に布陣すればよろしいでしょう」ってせっかくの家臣の進言も却下しちゃったんだよなあ…2度も折角の家臣の進言却下してんだからそりゃ負けは必定だったんだなあ…。頭良すぎるのも考え物なんですね…。
今回は出ないな外道という言葉
筒井が寝返るか寝返らないかも、雨が上がるか上がらないかも、同様に運なのに、前者をネガティブに、後者をポジティブに、根拠もなく判断しているのが支離滅裂すぎる。これなら光秀は負けるべくして負けた男というべきだったろう。参謀もやりにくかっただろうなぁ。
ヒトラー 〜最後の12日間〜この映画面白かった
光秀ってかなり優秀と評価されているけど、一連の動きを見た限りではかなり手抜かりが多いと思う。個人的には本能寺の変は何らかの偶発的な事故と思われ、光秀自身は関与していなかったのではないか?謀反を起こすにしても余りにも準備や根回しが足りていない。
陶晴賢の謀叛は三年は持ち堪えたが明智光秀は陶晴賢より謀叛が場当たりな
陶晴賢の場合は本来の生家説ある石見守護代の問田家(大内と仲良い吉見家と仲悪い)、「陶が謀反起こそうとしてる」と義隆に複数回警告するレベルに犬猿の仲だった豊前守護代の杉重矩を味方に付け、大友家へ大友晴英(大内義興の娘が母)の大内家督相続と大内親子排除を打診し、毛利元就とも同意を得てる(変時に金山城接収)徹底ぶり…まぁ陶も陶で大内の御所巻きないし押し込みを狙うはずがうっかり殺してしまったり場当たりなところもあるけど…
豊臣秀吉麾下の石田三成と一緒でトップになるよりでそつなく色々こなすタイプじゃないかな秀吉は大胆な即決即断できたけど光秀はわりかし無難な動き主君殺しも損得勘定の天秤が簡単に狙えるから傾いちゃったんじゃ関ヶ原も山崎も戦術として良策でも士気が低い味方への考慮が甘過ぎた
信長、信忠の首級見つかったとして畿内を固めることってできたんかな
自軍の方が数で優勢なら大抵の武将は布陣後にその場で一夜を過ごしたでしょう。奇を突いて雨天の薄暮攻撃を決行した秀吉に軍配が挙った。会社組織の中では有力な幹部でも、独立したら誰も付いて来なかったという現代でも良くある話。
明智光秀は、細川藤孝、筒井順慶、中川清秀、高山右近が味方になれば山崎の戦いで羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興、森長可、堀秀政、信孝を滅ぼしてたよね。
厳しいと思うよ。近畿の大名が味方しても兵力は互角で激戦になる。秀吉は姫路と、岡山城と逃げ道があるから打ち取れない。山崎の戦いの直後柴田は、滋賀県北部で山越え中。徳川は三重に向かってる。近畿が全部味方になっても、連戦連勝しないと……
その場合光秀が摂津を抑えているだろうから戦場が山崎になることはないんじゃないかな。摂津播磨の国境のどこかに戦場が変わってたろうね。
兵どもが夢の跡。
歴史上、こういうやり方が成功した試しはない。事前に準備をし多くの味方をつけて堂々と勝つというわかりやすいさがないと誰もが混乱して躊躇してしまう。戦い自体が強力な宣伝であるが、暗殺の宣伝効果はゼロである。
そんなもんただの結果論成功した裏切りは全部「乱」として評価され失敗したものは「変」として蔑まれてるだけ
↑逆じゃね?
信長と正面切って合戦をやった上で勝ったのなら成功したと思うが光秀が実力で信長に勝ったとは誰も思っていない。だから誰もついてこないのである。
主君殺しという点では鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏も同じだけど、尊氏には後醍醐天皇がいたし、それだけで大義名分には充分だった光秀にはそういうものが何もなかったから味方になっても危う過ぎるし当然と言えば当然だね
足利ら独立した御家人にとって、執権北条は幕府の代表ではあっても主君ではないからな。
主君殺しならまだ陶晴賢の方が3年持ち堪えるとか上手くやってたよな。
@@tike2435 大内家の実権を握っただけで、お飾りの殊勲(大友宗麟の弟)は立ててるからな。
果たして細川親子が光秀に付いても勝てたのだろうか🧐
戦いにはやはり大義名分が用意できるかどうか。光秀にはその用意ができなく、当初の目論見が外れ続けた。信長を殺さなければ立場がさらになくなって没落する憂き目に遭っていただろうが、進むも地獄、退くも地獄ならば、進む方を選んだということなんでしょう。
「御湯殿上日記」に、信長は二度目の馬揃えの後に誠仁親王の即位の時に官位を受けると明記されている。
筒井順慶は日和見したから、後で秀吉にしつこくパワハラされる。
タイトル、ヒトラー最後の12日間をオマージュしてますね笑
チクショーメ(ド外道が)
(洞が峠にて 藤田行政が光秀の陣営に復命しにくる)利三:羽柴軍は山陽道を尋常ならざる早さで東進、既に明石を発ち軍を膨張させつつ京に迫っています光秀:順慶殿が南側から側面を突けば大丈夫だ(互いに顔を見合わせる重臣と与力国人衆たち)利三:筒井殿は……行政:筒井殿は一旦は奈良を発しましたが国から出ずに居城へ戻っていきました(報告を聞いてわななく光秀)光秀:内蔵助(斎藤利三)、伝五(藤田行政)、庄兵衛(溝尾茂朝)の3名だけ残って他の諸将がたにはご休息願えるか?(陣幕から諸将が退出する)光秀:さっさと合流しろと言ったのに!! 下知に従わんとはけしからん その結果がこれだ(陣幕から聞こえる怒声に外で不安そうに互いに顔を見合わせる与力国人衆たち)光秀:皆言うことを聞かぬ、細川もだ 摂津衆に至っては恩知らずの卑怯者だ行政:殿、国人衆たちに聞こえ動揺を招きます光秀:順慶の説得に失敗しおって、この無能者めが行政:いくら殿といえども先代からお仕えしている某に言葉が過ぎますぞ光秀:畿内周辺の国人衆どもは日和見のくずどもだ チキショーメ 武士とは名ばかりで 平素行ってるのは 所領横領と旗色のいい方へのご機嫌伺だけ 連中はいつも足を引っ張りやがる あらゆる手を使って私の邪魔をし続ける 私もやるべきだった 追放や粛清を 信長のように 私は先祖伝来の土地を追われ流亡したが それでも独力で一軍の将にまで成り上がったぞ 裏切者どもめ 奴らは私を裏切りだまし続けた(オッパイブルンブルン) 乱世がいつまでたっても終わらない元凶だ だがみてるがいい その血で贖うときがくる 己の血で溺死するのだ 誰も私の言うことを聞きやしない こんな状態ではもはやまともな指揮はとれない 終わりだ この挙兵は失敗だ だが言っておく 秀吉に頭を下げるくらいなら 決戦して果てる 皆好きにしろ と、言う展開を妄想してました
才あるものは才に溺れる織田の重臣から懸賞首になった
上司と部下では戦力にならなかった。ましてや味方にならない部下の方が多いのだからこれは負け戦への布石。
僅かな供回りで信長が安土城を出たのは何故だろうか。誠仁親王は織田信忠と妙覚寺にいた。
粟田口が栗田口になってる?
最後音でけえな
伊東家。島津に日向を追われた伊東祐兵は、このころには秀吉に仕えている。山崎の戦いで手柄を挙げて槍を賜ったとされている。500石ぐらいの木っ端武者なので、歴史的に有名な活躍はしていない。のちに、日向に戻り5万石の大名に返り咲く伊東家。このころが一番苦労していた時代かな。
本能寺の変(信長無警戒&軍団京皆無)の再現は二度とない機会ですが、細川親子に事前相談すればバレますし、事実丹後で謹慎牽制されてます。光秀がアドリブで最善尽くしているが故謎が増してますが、家康の饗応切上げて西国軍編成辺りで計画立てた感があり、動画もとっても楽しめました。
秀吉や勝家が戻ってくるまでに畿内を掌握出来るかが勝負なのに、寝技が少なすぎる。秀吉が万が一にも西進出来ないように手を打ってない。秀吉は摂津の諸将が動けないように信長生存のうわさを流す工作をしてるなか、光秀も自派に味方が殺到して軍が膨れ上がってるとか、摂津は光秀方についていて秀吉は西進すると毛利と挟み撃ちになってしまうとか、朝廷から信長誅殺の勅をもらったとか、もっと情報工作できたろうに。
確かに!今からでも遅く無いから光秀、これ見てたらこの通りにして!
羽柴秀吉の脅威の行軍黒田官兵衛の計画立案力石田三成の計画実施力
果たして本当にそうかな?本当に謀反かな?
夕方まで戦った合戦は沢山あるが、夕方から意図的に始まった合戦はこの山崎ぐらいしか知らないな。
細川親子の軍勢筒井の大和勢但馬国集中川ら元配下すべてが味方につけば軍勢3万は増えていたはずが…
多分、丹波と但馬と丹後を混同してるよね?
信長の妹を嫁がせても浅井に裏切られてるから、娘でも期待は出来ないよね。
筒井順慶といえば洞ヶ峠を決め込むだけど来ていたのは光秀という何とも無情な状況
百姓としては羽柴秀吉公の勝利は嬉しいですが 晴で戦ったら1万5千人の明智光秀公が倍以上を相手に勝てたかもしれない⚖️ 歴史のifは おもしろい🎵
生きてる光秀よりも、あの世の信長の方が、圧倒的に怖い。光秀の味方にはなりたくないよ。
信長の首はともかく、なぜ信忠の首も見つからなかったのか?
秀吉や官兵衛の中国大返しが成功したのと、味方をしてくれる武将が集まらなかったのがいたかった
自称(笑)明智光秀の子孫?の人が原作書いた漫画「信長を殺した男」では聖人君子の正義の名将(笑)明智光秀がいかに悪逆非道の下種(笑)羽柴秀吉に負けたのかを描いていますが、読めば人間的にはともかく(笑)戦国武将としては秀吉の方が圧倒的に光秀より上だと分かりやすく描かれている作品でした。
安土城で時間を使いすぎたことが敗因ともいわれているが、どうなのでしょう。
めちゃ妄想しておしゃべり好きの明智十兵衛だけのイメージ動画
京都28日(1581年4月1日)、織田信長が京都で行った。京都御馬揃え。信長の配下武将でも高位にあった羽柴秀吉も本来であれば参加しているはずであった。しかし、羽柴は当時、播磨国姫路城に在って中国地方での対陣中であったため、自身が配下武将を引き連れて参加することはできなかった。これを大変悔しがっていたと伝わり、長谷川秀一に宛てた書状では、せめて当日の内容や雰囲気だけでも知りたい、と書いている。
ヨダレ成分が欲しい…
部下の言う通りにしても秀吉の方が調略や人心掌握が上手いと思う。柴田勝家や徳川家康辺りが味方になればと思うが光秀じゃ無理やろな。
こんなに苦労するなら謀反なんかしなきゃよかった。明智光秀。。。
光秀善戦。
撤退する秀吉の軍が毛利に背後から追撃されていたら、歴史は変わっていたかもしれませんが……運も必要……
光秀は信長を討ち取った後のことはあまり考えてなかったのかな。🤔
光秀さんにとっては信長を討つことが全てだったわけで、その後のことは状況を見ながら判断するしかなく、計画を立てられなかった。本能寺の変を成し得た時点で、光秀の目標は成功したと同時に、この結末も定まっていたのかもしれませんね、、、
淀城から秀吉の側面を狙う隊は出撃しなかったのかな?
ありがとうございます!
毎回ことごとく部下の進言が却下されるくだりが好きすぎる
新説では
天王山奪取が勝敗の趨勢を決めた訳ではないんですね😮 勉強になりました😊
戦略・政略の点でも光秀に勝ち目はなかったと思いますが、戦術面で山崎を開けてしまったのは決定的ですね。私は東京出身ですが、以前京都に転勤して勤めていた時、大山崎一帯の地形をみて感動すら覚えました。どっからどう見ても「天下分け目の天王山」、戦略的要地です。大坂と京の間で戦うには、絶対に抑えなくてはならない地点であることは、現代にいたっても阪急・新幹線・東名・171号といった幹線道・鉄道が集中していることを見れば明らかです。
12:01
主様の動画は普段から
敵味方で互いのことを
外道とか言い合ってるので
説得力が増しましたw
光秀はすべてを行って負けた感がありますね。
勝ち筋が見えない
変の直後に近江を攻めるか摂津を攻めるか。この二つが大きな転換点だったんだなと改めて気が付きましたわ。
秀吉の行動を知っている我々から見たら摂津を攻める一択だけど、当時の光秀の立場で考えれば近江を狙うよなぁ。
この選択肢以外で光秀が勝つ可能性はなかったし、それ以外の選択肢はすべて最善を選べていると思う。秀吉が凄すぎた。
5月29日には信孝の軍は摂津住吉に着陣し、また信澄・長秀勢は摂津大坂、頼隆勢は和泉岸和田に集結し、総勢1万4,000の軍が渡海に備えていた。これらの軍は6月2日に四国へ向けて出航する予定だった。
これは本能寺の変2日前である。
ホンとこの辺り面白いですよね
大河でもここをどう料理するかを期待してたのに…
信長主人公じゃできない光秀の大河でなんで何も触れなかったんだろう
そこの部分を描く力量が脚本家や演出に無かったという事でしょう
大河ドラマが担う使命が違うからでは。光秀の人生を描いて『信長との終わり』で結ぶストーリーだったので、本能寺以降をやたら描くのは蛇足にもなってしまう…
沢尻のせいでしょ。撮り直しでそもそもの撮影スケジュールに無理が生じた。
これで脚本や演出を責めるのは可哀想。役者の素行調査をしなかったNHKの責任。
待ってました!マジで戦国系で一番おもしろい!高評価不可避!
楽しみに待ってました!そして久しぶりの「外道」いただきました。
楽しみに待ってました😊
難しい熟語もでてきて勉強にもなるんよね😊
面白かったです!
待っていました!!
待ってました👍
この戦の興味深さは
死傷者数のみなら明智軍が勝っていること
兵力差が決定的になった後に明智軍に加勢した部隊がいたこと
光秀を逃がすために必死で戦った部隊がいたこと
何故か山崎村に陣を敷かなかったこと
僅か数時間で勝敗が決したにしては一方的ではないところが記憶に残る
光秀のカードがどんどんなくなっていく感覚がすごいですね。これは焦るわ。それにも関わらず光秀は筒井順慶や柴田勝家に考慮した結果中途半端な布陣とせざるを得なかった。まさに窮すれば鈍す。
何か光秀の事後対応が悉く失敗していたのと別に、合戦に関して秀吉も天候と鉄砲を天秤にかけて慎重に勝ちを拾ったようで緊迫感ありました。このチャンネルは双方の思惑がぶつかり合いながら勝ちが転がり込んでくるまでの流れが面白いです
新作〜❤
早いですね🎉
待ってたよー
味方が増えない時点で勝敗が決まっているように思えたものの、最後の決定打は合戦当日が雨だったという話は面白かったですね。
しかし誰も本能寺にいる。信長にチクリ入れんかったのは⁉️
光秀は、将兵に好かれていたんだな⁉️
ワイが足軽なら速攻で本能寺の信長に密告するのに(笑)
上手く行けば⁉️
信長
よくやった‼️ワイ足軽(笑)お前に光秀の居城 坂本城をやる
ワイ足軽
へへえ‼️(笑)
となる(笑)
浸透戦術ってゆっくり動画でちょっと一方的な秀吉側からの視点(光秀のおバカちゃん)で見たばかりだから光秀側から見た視点は凄く面白かった。
戦国物では合戦歴史と浸透戦術だけが面白い
待ってました。できれば1週間に一度新作が見たい。
楽しみにしてました
新作あざす
動画内の、毛利と戦ってる秀吉が機内に戻るのに50日かかるという光秀の計算は間違ってなかったと思われる。ただ光秀がなりふり構わず信長を討った以上に、秀吉がなりふり構わず光秀を討つことに全力を注いだ、それが決定的な秀吉勝利、光秀敗北の理由だろう
真面目すぎなんよ……
焼けた物でもよいからノブ親子のやって晒したりすれば…ワンチャン…
摂津、大和は味方に…
「ホラを吹く」という言葉の語源は、順慶の洞ヶ峠からきていると思っていました。
味方になるフリをしながら、結局は裏切るという意味から。
調べたら違っていました。
「法螺貝」からきているのですね。
それにしても、光秀の詰んでる感が凄い…
法螺貝が語源であるのは常識かと…
タイトルのセンスにチクショーメー👍
光秀の謀反で一番の謎は、調整役をメインにこなし、織田家中で一番根回しの重要性を知っていたはずの光秀が、それらを一切せずにぶっつけ本番謀反に挑んだ点だな。良いクジ出るまでみくじを引き続け、事後になって細川親子に泣き落としのような手紙を出すなど、本当に明智光秀本人がやったのか疑わしさすら有る。
光秀、軽度の認知症になってた。なんて説もある。
@@hiron114闘いの途中でストレスで軽度認知症をついに発病
専門家はこの信長の京都御馬揃えを威圧とは考えず朝廷と信長の関係は良好であったと説く。
しかし本能寺の変が起きたのはこの1年と2ヶ月後の事である。
この明智側のいかにも場当たり的で他力本願的な動きをみると
本能寺の変がいかに突発的で無計画な行動だったのかが分かります。
となると本能寺の変の黒幕?などいないのでは?と思ってしまいますね。。。
信長の油断がある意味では黒幕
@@konsi7594
その発想は面白い!!
オルガンティーノ「裏切り者には絶対に味方しちゃダメ」
これ意外と効いた模様
三国志の呂布の事か
最近、腐れ外道が聞けなくて悲しい🤣
腐れ外道が足りてなーい
鼻水😢よだれ🤤腐れ外道なくて😭
また 作ってください(._.)
見れば見るほど光秀の行き当たりばったりが謎。
よだれと外道の2パターンが欲しいです!
主君が悪政を強いているならともかく信長は悪政で民百姓を苦しめてもいない...
大義なき主殺しに味方するメリットはないしむしろ悪評だけが拡大する
雨で勝った桶狭間と雨で負けた山崎の対比アツい
美濃・尾張も光秀の勢力下だった。明智光秀書状に、濃州、江州平均申し付け、覚悟に任せ候とある。羽柴秀吉書状に、尾張の光秀の勢力が大きかったことを記してる。
今とは違い巨椋池がでかいですねw
某歴史系番組でも、まずは摂津方面に進出して石山本願寺等を味方につける手もあったのではないかという指摘も出ていたけど、堅実な性格の光秀が近江方面や京周辺を固めたのも何ら不自然ではない。
ただ、上手く秀吉に出し抜かれたのと、合戦の当日に雨が降ってて有効に鉄砲が使えなかったのと、左翼が突破されちゃったのが運のツキだったね。
忠義とかなかった時代と言われるけど、
ここまでの不忠者は当時でもドン引きされてたんやろなぁ
3:08とか11:28とかセリフ量が多い所での字幕が消えてると、何を言っているのか分かりにくいので、字幕無しの時は「あの野郎め」とか一言ぐらいに収めてほしいです。
11:30や17:38 辺りセリフの字幕が無くなっているかと思われるので、対処していただけるとありがたいです。
外道いただきました
明智光秀は先に計画してから行動しているイメージがあるのですが、本能寺の変の後だけは行き当たりばったりの行動が目立ちます。
この行き当たりばったり感が、光秀単独犯説を補強してる印象。
@@hiron114現在では、四国遠征中止説が信憑性が高くなっていますね。
@@二見裕司-r6t
ああ!
そういえば、光秀は対長宗我部担当でしたね。
山陰への出動を命じたのは、信長からしたら丹波丹後方面から山陰攻略を進めたかっただけなのに、光秀からしたら、対長宗我部氏担当を外されて、秀吉の対毛利に組み込まれたという形になり、光秀は面目を潰された形になるのか。
我々は本能寺の変は既に前提でその後の明智光秀を見てるけど、普通に考えたら信長を討つなんて事は滅茶苦茶困難なわけで本能寺の変そのものにほぼ全てのエネルギー、頭脳、運を使い切らないといけない。光秀にとってはこれを成功させることでほぼゴールだったんじゃないかなぁ。当主の織田信忠まで討ってるし大成功ですね。その後の判断ミスが何だったかとかはまあ仕方ないんじゃないかなと思います。
寝込みを襲っただけ
織田軍には何のダメージも与えていないので大成功じゃ無くて戦略の段階で大失敗。
自分の命と引き替えに信長を葬ったとすれば、山崎の戦いの前に既に目的は果たしているのでしょうね
信長が武田を討ったことで強敵が減って秀吉が天下統一しやすくなったことと重なりますね@@HOSTAKA
@@to6198
信長と信忠を討った段階でゴールだったって解釈もありって事でしょ…
ゴールはないでしょ。細川とかに協力要請してる時点でそれ以上を望んでるのは間違いないし。
面白かったです(^^)/
すげぇな、戦上手だ
現在の会社でも中途入社の社員がそつなくやっているように見えても人心を掌握するのは難しいですよね
久しぶりの投稿かと思ったら信長しんでしもた 今度は秀吉 家康サイドか?
「摂津を掌握するほうが先だった」…
あのとき家臣の言う事聞いとけばなあ…
歴史は変わっていたかも…。
「天王山と男山を結ぶ地に布陣すればよろしいでしょう」
ってせっかくの家臣の進言も却下しちゃったんだよなあ…
2度も折角の家臣の進言却下してんだからそりゃ負けは必定だったんだなあ…。
頭良すぎるのも考え物なんですね…。
今回は出ないな
外道という言葉
筒井が寝返るか寝返らないかも、雨が上がるか上がらないかも、同様に運なのに、
前者をネガティブに、後者をポジティブに、根拠もなく判断しているのが支離滅裂すぎる。
これなら光秀は負けるべくして負けた男というべきだったろう。
参謀もやりにくかっただろうなぁ。
ヒトラー 〜最後の12日間〜
この映画面白かった
光秀ってかなり優秀と評価されているけど、一連の動きを見た限りではかなり手抜かりが多いと思う。
個人的には本能寺の変は何らかの偶発的な事故と思われ、光秀自身は関与していなかったのではないか?
謀反を起こすにしても余りにも準備や根回しが足りていない。
陶晴賢の謀叛は三年は持ち堪えたが明智光秀は陶晴賢より謀叛が場当たりな
陶晴賢の場合は本来の生家説ある石見守護代の問田家(大内と仲良い吉見家と仲悪い)、「陶が謀反起こそうとしてる」と義隆に複数回警告するレベルに犬猿の仲だった豊前守護代の杉重矩を味方に付け、大友家へ大友晴英(大内義興の娘が母)の大内家督相続と大内親子排除を打診し、毛利元就とも同意を得てる(変時に金山城接収)徹底ぶり…
まぁ陶も陶で大内の御所巻きないし押し込みを狙うはずがうっかり殺してしまったり場当たりなところもあるけど…
豊臣秀吉麾下の石田三成と一緒でトップになるよりでそつなく色々こなすタイプじゃないかな
秀吉は大胆な即決即断できたけど光秀はわりかし無難な動き
主君殺しも損得勘定の天秤が簡単に狙えるから傾いちゃったんじゃ
関ヶ原も山崎も戦術として良策でも士気が低い味方への考慮が甘過ぎた
信長、信忠の首級見つかったとして畿内を固めることってできたんかな
自軍の方が数で優勢なら大抵の武将は布陣後にその場で一夜を過ごしたでしょう。
奇を突いて雨天の薄暮攻撃を決行した秀吉に軍配が挙った。
会社組織の中では有力な幹部でも、独立したら誰も付いて来なかったという現代でも良くある話。
明智光秀は、細川藤孝、筒井順慶、中川清秀、高山右近が味方になれば山崎の戦いで羽柴秀吉、丹羽長秀、池田恒興、森長可、堀秀政、信孝を滅ぼしてたよね。
厳しいと思うよ。近畿の大名が味方しても兵力は互角で激戦になる。秀吉は姫路と、岡山城と逃げ道があるから打ち取れない。山崎の戦いの直後柴田は、滋賀県北部で山越え中。徳川は三重に向かってる。
近畿が全部味方になっても、連戦連勝しないと……
その場合光秀が摂津を抑えているだろうから戦場が山崎になることはないんじゃないかな。摂津播磨の国境のどこかに戦場が変わってたろうね。
兵どもが夢の跡。
歴史上、こういうやり方が成功した試しはない。
事前に準備をし多くの味方をつけて堂々と勝つというわかりやすいさがないと
誰もが混乱して躊躇してしまう。
戦い自体が強力な宣伝であるが、暗殺の宣伝効果はゼロである。
そんなもんただの結果論
成功した裏切りは全部「乱」として評価され
失敗したものは「変」として蔑まれてるだけ
↑逆じゃね?
信長と正面切って合戦をやった上で勝ったのなら成功したと思うが
光秀が実力で信長に勝ったとは誰も思っていない。
だから誰もついてこないのである。
主君殺しという点では鎌倉幕府を滅ぼした足利尊氏も同じだけど、尊氏には後醍醐天皇がいたし、それだけで大義名分には充分だった
光秀にはそういうものが何もなかったから味方になっても危う過ぎるし当然と言えば当然だね
足利ら独立した御家人にとって、執権北条は幕府の代表ではあっても主君ではないからな。
主君殺しならまだ陶晴賢の方が3年持ち堪えるとか上手くやってたよな。
@@tike2435
大内家の実権を握っただけで、お飾りの殊勲(大友宗麟の弟)は立ててるからな。
果たして細川親子が光秀に付いても勝てたのだろうか🧐
戦いにはやはり大義名分が用意できるかどうか。光秀にはその用意ができなく、当初の目論見が外れ続けた。信長を殺さなければ立場がさらになくなって没落する憂き目に遭っていただろうが、進むも地獄、退くも地獄ならば、進む方を選んだということなんでしょう。
「御湯殿上日記」に、信長は二度目の馬揃えの後に誠仁親王の即位の時に官位を受けると明記されている。
筒井順慶は日和見したから、後で秀吉にしつこくパワハラされる。
タイトル、ヒトラー最後の12日間をオマージュしてますね笑
チクショーメ(ド外道が)
(洞が峠にて 藤田行政が光秀の陣営に復命しにくる)
利三:羽柴軍は山陽道を尋常ならざる早さで東進、既に明石を発ち軍を膨張させつつ京に迫っています
光秀:順慶殿が南側から側面を突けば大丈夫だ
(互いに顔を見合わせる重臣と与力国人衆たち)
利三:筒井殿は……
行政:筒井殿は一旦は奈良を発しましたが国から出ずに居城へ戻っていきました
(報告を聞いてわななく光秀)
光秀:内蔵助(斎藤利三)、伝五(藤田行政)、庄兵衛(溝尾茂朝)の3名だけ残って他の諸将がたにはご休息願えるか?
(陣幕から諸将が退出する)
光秀:さっさと合流しろと言ったのに!!
下知に従わんとはけしからん
その結果がこれだ
(陣幕から聞こえる怒声に外で不安そうに互いに顔を見合わせる与力国人衆たち)
光秀:皆言うことを聞かぬ、細川もだ 摂津衆に至っては恩知らずの卑怯者だ
行政:殿、国人衆たちに聞こえ動揺を招きます
光秀:順慶の説得に失敗しおって、この無能者めが
行政:いくら殿といえども先代からお仕えしている某に言葉が過ぎますぞ
光秀:畿内周辺の国人衆どもは日和見のくずどもだ
チキショーメ
武士とは名ばかりで
平素行ってるのは
所領横領と旗色のいい方へのご機嫌伺だけ
連中はいつも足を引っ張りやがる
あらゆる手を使って私の邪魔をし続ける
私もやるべきだった
追放や粛清を 信長のように
私は先祖伝来の土地を追われ流亡したが
それでも独力で一軍の将にまで成り上がったぞ
裏切者どもめ
奴らは私を裏切りだまし続けた(オッパイブルンブルン)
乱世がいつまでたっても終わらない元凶だ
だがみてるがいい
その血で贖うときがくる
己の血で溺死するのだ
誰も私の言うことを聞きやしない
こんな状態ではもはやまともな指揮はとれない
終わりだ
この挙兵は失敗だ
だが言っておく
秀吉に頭を下げるくらいなら
決戦して果てる
皆好きにしろ
と、言う展開を妄想してました
才あるものは才に溺れる
織田の重臣から懸賞首になった
上司と部下では戦力にならなかった。ましてや味方にならない部下の方が多いのだからこれは負け戦への布石。
僅かな供回りで信長が安土城を出たのは何故だろうか。誠仁親王は織田信忠と妙覚寺にいた。
粟田口が栗田口になってる?
最後音でけえな
伊東家。島津に日向を追われた伊東祐兵は、このころには秀吉に仕えている。山崎の戦いで手柄を挙げて槍を賜ったとされている。500石ぐらいの木っ端武者なので、歴史的に有名な活躍はしていない。のちに、日向に戻り5万石の大名に返り咲く伊東家。このころが一番苦労していた時代かな。
本能寺の変(信長無警戒&軍団京皆無)の再現は二度とない機会ですが、細川親子に事前相談すればバレますし、事実丹後で謹慎牽制されてます。光秀がアドリブで最善尽くしているが故謎が増してますが、家康の饗応切上げて西国軍編成辺りで計画立てた感があり、動画もとっても楽しめました。
秀吉や勝家が戻ってくるまでに畿内を掌握出来るかが勝負なのに、寝技が少なすぎる。秀吉が万が一にも西進出来ないように手を打ってない。
秀吉は摂津の諸将が動けないように信長生存のうわさを流す工作をしてるなか、光秀も自派に味方が殺到して軍が膨れ上がってるとか、摂津は光秀方についていて秀吉は西進すると毛利と挟み撃ちになってしまうとか、朝廷から信長誅殺の勅をもらったとか、もっと情報工作できたろうに。
確かに!今からでも遅く無いから光秀、これ見てたらこの通りにして!
羽柴秀吉の脅威の行軍
黒田官兵衛の計画立案力
石田三成の計画実施力
果たして本当にそうかな?
本当に謀反かな?
夕方まで戦った合戦は沢山あるが、夕方から意図的に始まった合戦はこの山崎ぐらいしか知らないな。
細川親子の軍勢
筒井の大和勢
但馬国集
中川ら元配下
すべてが味方につけば軍勢3万は増えていたはずが…
多分、丹波と但馬と丹後を混同してるよね?
信長の妹を嫁がせても浅井に裏切られてるから、娘でも期待は出来ないよね。
筒井順慶といえば洞ヶ峠を決め込むだけど
来ていたのは光秀という何とも無情な状況
百姓としては羽柴秀吉公の勝利は嬉しいですが 晴で戦ったら1万5千人の明智光秀公が倍以上を相手に勝てたかもしれない⚖️ 歴史のifは おもしろい🎵
生きてる光秀よりも、あの世の信長の方が、圧倒的に怖い。光秀の味方にはなりたくないよ。
信長の首はともかく、なぜ信忠の首も見つからなかったのか?
秀吉や官兵衛の中国大返しが成功したのと、味方をしてくれる武将が集まらなかったのがいたかった
自称(笑)明智光秀の子孫?の人が原作書いた漫画「信長を殺した男」では聖人君子の正義の名将(笑)明智光秀がいかに悪逆非道の下種(笑)羽柴秀吉に負けたのかを描いていますが、読めば人間的にはともかく(笑)戦国武将としては秀吉の方が圧倒的に光秀より上だと分かりやすく描かれている作品でした。
安土城で時間を使いすぎたことが敗因ともいわれているが、どうなのでしょう。
めちゃ妄想しておしゃべり好きの明智十兵衛だけのイメージ動画
京都28日(1581年4月1日)、織田信長が京都で行った。京都御馬揃え。
信長の配下武将でも高位にあった羽柴秀吉も本来であれば参加しているはずであった。しかし、羽柴は当時、播磨国姫路城に在って中国地方での対陣中であったため、自身が配下武将を引き連れて参加することはできなかった。これを大変悔しがっていたと伝わり、長谷川秀一に宛てた書状では、せめて当日の内容や雰囲気だけでも知りたい、と書いている。
ヨダレ成分が欲しい…
部下の言う通りにしても秀吉の方が調略や人心掌握が上手いと思う。
柴田勝家や徳川家康辺りが味方になればと思うが光秀じゃ無理やろな。
こんなに苦労するなら謀反なんかしなきゃよかった。
明智光秀。。。
光秀善戦。
撤退する秀吉の軍が毛利に背後から追撃されていたら、歴史は変わっていたかもしれませんが……運も必要……
光秀は信長を討ち取った後のことはあまり考えてなかったのかな。🤔
光秀さんにとっては信長を討つことが全てだったわけで、その後のことは状況を見ながら判断するしかなく、計画を立てられなかった。
本能寺の変を成し得た時点で、光秀の目標は成功したと同時に、この結末も定まっていたのかもしれませんね、、、
淀城から秀吉の側面を狙う隊は出撃しなかったのかな?