【ゆっくり解説】主婦想いなソビエト連邦の食事事情【歴史】
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- Опубліковано 5 лют 2025
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今回は、ソビエト連邦の食事について解説します。
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ソヴィエト時代のシベリア鉄道「ロシア号」は食堂車を2両連結していて、一方は外国人専用でしたね。形ばかりのメニューはあるが、実際はその都度停車駅で調達できた食材で作られる「定食」一種類が有無を言わさず配膳され、ボルシチも出たり出なかったり・・・酸っぱい黒パンとバターは毎回食べ切れないほど置かれて、これは癖になるほど美味しく、紅茶(のような色のついた何か)と角砂糖(らしきもの)は食堂車でも客車(寝台車)でも好きなだけ飲めました。
長時間停車ではホームの売り子からチュロスみたいなスティックドーナツを買ったり、硬くて小さいリンゴを調達したりもできました。
ゴルバチョフ時代は禁酒令が出て食堂車では呑めませんでしたが、ロシア人乗客たちは夜になると、大量に持ち込んだウォトカやアルメニャックやチョコレート(っぽいもの)を客車のデッキで飲み食いしていて、これは黙認。私も毎晩おごってもらいました。
食堂車の側面には「PECTPAH」の表記。キリル文字で「RESTRANT」の意ですが、同行の日本人はそのまま「ペクトパー」と読んでツボにはまっていました。
モスクワでパスポート見せて入ったペクトパーもといレストランは、豊富なメニューが選べて結構美味しく、特にデザートのアイスクリームは絶品でしたね。あるところにはあった、というソ連末期、37年前の思い出です。
因みにペプシコーラのソ連への輸入はペプシコーラ濃縮液とストリチナヤ(ウォッカ)との物々交換という形で行われていたらしい。
当時工場全体の人が同じアパートに住んでいて、工場長から工員の子供まで共同の食堂で同じ物を食べ同じ風呂に入った。暖房のボイラー係、調理係、掃除係も一緒に食事をし風呂に入った。当時のアパートを改造したホテルに泊まった事が有るが、ソ連の雰囲気が色濃く居残っていて有る意味いい感じだった。
子供の頃、ラジオでソビエトの日本語放送があって、ソビエトでは自動販売機で10円でソーダが飲めたって言っていたのが羨ましかったなぁ。
興味深く拝見させていただきました。あと、背景の航空機がマニアック過ぎて草
20年前にモスクワで学生してました。飯は美味いし、親切にしてもらったしで良い思い出しかありません。今の状況を寂しく思います。
自分が学校で学んだソビエト連邦は恐怖と嫌悪の対象でしかなかった。なのに食生活や食文化がテーマとなるとあら不思議、親近感というか人間味を感じて俄然興味が湧いてくる。歴史は二次元レベルの知識で終わることが多いけれど、その実体は何百何千万という人間がリアルに存在して必死に生きた三次元空間なんですよね。
大量調理での問題点は調理された食品が配膳されるまでに冷めるなどで質が低下すること。
そう考えると大量調理の方が効率良いアイス、サラミが高品質なのは納得できる。
アイスクリームはソ連時代の方が美味しかったとロシア人が言ってたよ。
業務スーパーのアリョンカ(赤いバブーシュカ被った女の子の絵)チョコとビスケットはソ連時代からある品。
お手軽価格な割に素朴で食べ飽きない味だよ。
旧ソ連時代、軍のエリート士官より労働者であるボイラーの罐炊き人足のほうが給料が高かったとか。でも軍の士官と家族は士官専用マーケットで豊富な食品を割安に買えた一方、罐炊き人足の家族はバターを買うだけで雪の中を二時間行列なんて有様。これだけ歪んだ階級社会など破綻して当然…。
玉ねぎとトマトとコンソメと適当な肉で作る簡易ボルシチはマジで美味しい
3:24
しかし日本でも生見銀山や伊勢の海女みたいに女が男と同じ危険な環境で労働していた時代は長かった。ヨイトマケの唄もそうだし。
戦後復興で機械が導入されてからある種の分断が始まった。
ソ連末期の1989年から90年にレニングラード(現サンクトペテルブルク)に留学してました。市内の公共交通の運転手に女性が多かったり、女性の塗装工もよく見たし、役所や大学で出世してる女性も多くて、男性が圧倒的に優位だった当時こ日本との違いに驚いた記憶があります。
食事事情ですが、学食と街の公共食堂(動画の中のスタローヴァヤ)は店内のテーブルも床も食器もあまり衛生的でないし、料理は味が薄く画一的でした。黒パンと白パンとピロシキと動画中のキャベツスープのシチー(発音はシー)あるいは真っ赤なビーツスープであるボルシチ(ボルシュ)あるいはソーセージスープのサリャンカ、そしてメインのカトゥレツ(ひき肉や玉ねぎや米入りハンバーグ)と付け合せの茹で玄蕎麦の実かマッシュポテト、そしてレモネードで1~2ルーブルか、それ以下でした。ちなみに1ルーブルは、動画中では1.6円と言ってるけど、ソ連末期の公式レートはイギリスポンド連動で250円くらいだったので、安いけどまあまあの値段でした。実勢、つまり闇両替ではルーブルの価値は25分の1くらいでしたので1食10円~20円となります。
今日、とは言えウクライナに戦争仕掛ける前ではありますが、モスクワや他の都市の食堂やカフェやレストランでの最も定番なロシア料理のメニューは上に書いたのとあまり変わりませんが、お店の内外装も料理の味もサービスも洗練されて、食べる場所しだいのまっとうな値段(数百円から数万円)です。カフェやレストランでは10%から15%のチップも必須です。
『空腹を我慢する訓練』…
とんでもないブラックジョークだな…
米「我が国では酒を飲む事を禁止したのだ❗」
ソ「それがどうした!我が国では飯を食う事を禁止したのだ‼️」
こんなアネクドートがあったけど、それを踏まえたのかな?
ロシアには昔から、紅茶を飲む文化があります。サモワァルといふ紅茶を淹れる器具が有名です。
シチー≒豚汁(肉入りの具沢山スープ)と考えれば
豚汁定食何だから別に問題無いと思う。
マカロニがしょっぱくて冷えてるなら、お湯掛けて食べれば良いし。
江戸時代の日本人は朝まとめて炊いた冷えた飯にお湯を掛けて漬物で昼飯、夕飯を食べて暮らして来た。
ペプシ欲しさに軍艦で対価を払われて
ペプシが世界上位の海軍戦力を持つ時代もあったみたいですね
クレムリンの赤の広場を挟んで反対側にあるグム百貨店の3階に「57番食堂」と言うソ連スタイルのレストランがあります。
行く機会がある方はぜひどうぞ
ソビエト空軍のベレンコ中尉がミグ25で亡命してきた時、日本の警察が近所の定食屋の出前で用意したハンバーグ定食だったか親子丼だったかの美味しさに感動して「これは僕の為に特別に用意してくれたのか?」と聞いたというエピソードを思い出しました。当時のソ連軍人の待遇は食事面でも雑だった様です。
一時期ロシア文学に凝っていた時期があったので、「ウハー」は懐かしく感じた
ビールも酷すぎたと聞きます。
色は茶色ではなく緑色でゴミが浮いていて、味は薄くアルコール分は低く「馬の小便の方がマシ」と言われたとか
ペプシと言えば、飛行中のソ連の大型爆撃機ベアーの乗員がペプシ缶をアメリカのF4ファントムに見せてる写真ありましたね、随分昔の事ですが😄
ピロシキは、まるで肉まんの具が入ったカレーパンの様な揚げパンです。
しかし元々は揚げる調理法ではありませんでした。
ソビエト時代の安価な公営住宅の狭いキッチンでオーブンなどを使わずに作るために
油で揚げるようになったとか・・・
中国も最近公共食堂復活やってたような。最初は質が高かったけど後からダメになったとか。
食糧不足どころか計画的なホロモドールを思えばウクライナの人達は何時までも悪夢を忘れられないよ
コカ・コーラのソ連進出がうまくいかなかったのは、反共的だと見なされていたからではなく、ソ連に利益をもたらすのが不適切だと判断されたからですね。
そもそも、「反共的だからアメリカ国内から反対された」というのはロジックとしておかしいですよね。
機械化や大量生産ができておらず、女性も労働力として借り出しておきながら、結局深刻な物不足で破滅しているのだから踏んだり蹴ったりだな
燃料節約のために圧力釜の使用を政府が推奨してた、と聞いたような気がずる。
ソ連は外人が食う場所がない。ただ団体制限だからまとめて食堂行きだったから問題なかった。
ロシアになって入国が簡単になって個人で行けるようになって食うところがなかった。パンとラーメン必須
「ノスタルジア食堂 東欧旧社会主義国のレシピ63」って本が情報細かくて良かったですよ~
ゾルヤンカとかミルクヌードルとか色々ありますよね。
デェェェン!
サユーズ ニェールシーヌィ リスプーブリック スヴァボードィフ♪
真の男女平等は完全に性差による差別をなくし、男と女が完全に同じ仕事をすること。素晴らしい。
重い荷物は男という差別のない社会は素晴らしい。
ロシアは寒冷で雨が少ないからトマトが出来そうだけどね
肉がないなら魚…弾丸がなければ銃剣があるじゃないかetc by牟田口閣下
国内で需要が高い、ニシン缶詰。利益重視で、輸出に回す方が多い。
<利益重視>で、内需度外視。する事が、資本主義国以上に資本主義的で草。
>高価な料理を出すレストラン。
旧ソ連圏にあったという、ドルショップ(西側通貨を持つ者専用)。その一つと、推察。
>飲食店側が、供給された食材を掠め取る。
以前観た、別チャンネルのソ連時代の経済動画。そこで解説されていた、店員の内職(横流し)を思い出した。私的利益の為、賄賂と引き換えに特定客に転売というもの。
コルホーズとソフホーズ?違う…。なんかそんなかんじ。国家運営の農場と地域の農場とか?今は、普通かもだけど、電車の運転士に女性がいて、その当時はびっくりした。
コカコーラは当時アメリカ政府とズブズブだったし、国内でのシェアはもう取ってたから、
ペプシはソビエトに進出したというわけ
でもお金での取引ができなかったから物々交換としてソビエト政府からは潜水艦をもらってたらしい
当時はガチの冷戦状態だったから、そんな状況で取引したペプシは国内でいろんな方面から怒られたんだとか
あの地獄のような兵員投入ぶりでも、帝政時代よりかは百姓にとってはマシだったという。
きっと時代遅れの国なんだろうな。
近代にあって中世、
現代令和にあって昭和とか大正って感覚なんだよ
70年代から80年代にかけての1ルーブルの換算レートは、大体340円位だよ
それでも安いけど
公共食堂っていいな。
部屋にソ連時代の当時物の本があるぞ。大学で貰った。
結局霊夢は何を作ったんだ?
女性を鉱山等の労働に従事させてたが陸軍や空軍のパイロットにも女性を動員してた。女性スナイパーも活躍したしね
なぜソ連は昆虫食を推進しなかったのだろうと、ふと思った。
ーコメ、ソビエト料理ってプロシキ
はつきり言って社会主義に階級自体が差別
終わり
資本主義は自由と人格あります
キエフカツレツなら自分で作ったな
コメントのレベルが高い
黒パンと塩汁で充分だろ
男と同等に働いてこそ真の平等よな
今の中●料理も中華街とか台湾の方が美味いのも、社会主義で味がクソになったんやろうな。
珍味の国やし四つ脚肉なら食う国が美食の国かよ。
元々東ヨーロッパ=スラブ系の人達はあのだだっ広い平原で気の遠く成る麦の刈り取りを老若男女が大鎌振るって居たから女性も大柄で腕の太い人々だから出来た。っと、思う❗m(_ _)m