Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
学校では「ソ連では国民が何を作ったり買ったりするかを政府が決めていた」みたいによく説明されてて、具体的にどういうことやねんって全くイメージ湧かなかったのですごく助かりました!
共に産む
数年前に一人でモスクワに行きました。やはり当時の名残なのか、地下鉄や、食堂では平気で舌打ちをされたり、ムスッとされたりとなかなか日本では体験できぬことだらけでした。反面、強面な青年が、地下鉄で率先して障害を持つお年寄りに席を譲ったり、私が乗換を間違えて困っている時に、複数の方が声をかけてくださったりと、大変な時代を経験した故の助け合いの精神も垣間見ることができました。また、コロナが終息したらモスクワに行きたいです。大変興味深い回でした。
CA(客室乗務員)をしていたので、ソ連崩壊直前の89年〜90年にかけて数回モスクワに行きました。正にモスクワにマクドナルドが出来た頃で、私は行きませんでしたが、行列は目撃しましたね。モスクワに飛ぶ時は皆、食料やペットボトルの水を詰められるだけ詰めて、墓石のように重たいスーツケースを持って行っていました。食料の他にも普通なら持参しないバスタオルなんかも持って行っていました。何しろホテルの備品は粗末で使えたもんじゃなかったので💦 現地の人へのチップとして100円ライターが喜ばれていましたね。帰りはカニ缶やキャビアを買って帰るのが定番でした。モスクワ線は大変でしたが、今は良き思い出です。
古希を迎えた高齢者です。まりんぬさんの歴史ミステリーは全部といっていいほど目と耳を通しています。とても勉強になりますし、ドライブしながら声を聴いています。あと一点、えー、あーが無いのもとても聞きやすいです。これからも体をご自愛しながら頑張ってください。
@@あいみしか勝たん ううん……その際どいキーワードを控えるよりそういうダルいコメントしないように気をつける方が良くない…?極論あいみしか勝たんさんの理論だと騙される方が悪い理論と同じだと思うんだけど
@@あいみしか勝たん その難癖付けてるのがあなただと思いますけど。
@@6abpik445 ご心配下さりありがとうございます。確かに若い時に比べて動体視力など落ちていることは確かですね。その点は肝に銘じておきます。まりんぬさんの他に音楽も聴いていますw クラプトンやサンタナ、BSBなんか大すきで、でも家内と一緒にドライブしています。ホント運転は気を引き締めていきたいと思います。
@@あいみしか勝たん 確かに、めんどくさい人間ですね笑
古希って70でしょ?70なんて、まだまだ高齢者というには若いと思います~😄舘ひろしさん、池上彰さん、高田純次さん神田正輝さん…みんな70過ぎ
今が幸せです。まりんぬさんからいろんな話聞けて勉強になります。知らないことを知れるのは残酷な面もあるのですが、私は幸せだと捉えて毎日過ごしています。これからも応援しています。
85年に『チェコスロバキア』に旅行した事があります。紙は工場から文具店に送られるので、トイレットペーパーもそこで売ってました。ホントに全てが行列だったので、老若男女みんなエコバッグ持ってましたね。伝統系の職人にとってはノルマ無く好きなように仕事ができる上、生活も保障されていたので、今逆に生活できない人が多いようです。
「ソ連時代が最高に良かった」なんて何を思っていうんでしょうかね?誰かに言わされてる感がありますね。そして、『 「昔の方が良かった」と言ってはならない。そのように言うのは知恵のあることではないからだ。』という格言の真実さが感じました。
知り合いのポーランド人は実家が農家で、ソ連時代は政府から苗や肥料を支給されたり、農業の金銭的援助.技術支援などしてくれて、農産物をすべて買い取ってくれてたそうです。でもソ連崩壊後はすべて自力でやらないといけなくなってしまって大変なんですって。
気分はオー農(ノー)と思っているでしょう
@@塩ラーメン-j1y 😅😁😝ちなみにノーのポーランド語は「ニェット」
まあ純粋な資本主義が絶対的に成功しているかというと難しい問題だが(日本はかなり社会主義体制を実質的にとりいれている)wそもそも資本主義は粛清はされないがほぼ一点に富が集中し、格差が当然存在し、その日の食べ物がない地域も生まれうるそれを防ぐために無理やり食べ物の値段設定を下げ食料をつくる人間が困る一点に集中した力だけを映し良く見せている銀座や渋谷駅前を映し、田舎や郊外のシャッター街や商店街は「負け犬」としてスルーされる世界そういう地域格差を埋めるために東京都で主に得られる法人税を地方に補助金として配分する福祉国家と銘打ち、金持ちの納めた税金を生活○護に配分するここだけみると相対的な社会主義国家とも大差ないのだが人はそれを頑なに資本主義と呼び続けているw
今でもロシアでは国民の半数以上の人がソ連時代を懐かしんでいるとか。本当に理想郷ではなかったにしても、貧富の差が管理されてたっていうのは庶民にとっては暮らしやい面も大きかったんじゃないのかな。たぶん、資本主義の競争社会って社会を発展させるには正しい方法なんだろうけど、人間が幸福に暮らすのに正しい方法かってわかんないよね。
中国の文化革命時リアルタイムの時に全く知らなかったことを知った時と同じように、ソ連時代も知るタイミングを持たなかったなぁと反省します。まりんぬさんの動画って本当に興味のツボにハマるものを色々出してくださって、大好きです。
何方も、リアルタイム経験者の自分は、元自衛官還暦迎えて、東西冷戦時代に、現役時代此の手の勉強は、日常的に、殆ど毎日本や雑誌で、情報収集分析為て居ました物不足と行列は、当たり前国民の自家用車と考えたヒトラーと単なる独裁者スターリンでは、雲泥の差自国民を、大切に、扱うヒトラー自国民を、奴隷扱いのスターリン同じ世代でも、こうも違う?同じ独裁者呼ばわり為れているのに大量に、虐殺しているのに(怒)以上
怒り葡萄の下り笑ったwこういう雑学的でクスっと笑えるネタ、すごく好きです😃
イギリス専門だと思ってました、ソ連についての動画もの凄く嬉しいです!!!!ありがとうございます!!🥳💓💓💓
子供の頃にソ連が崩壊して授業などで聞いてたけど…こんな感じだったんだ…って勉強になりました!まりんぬさんの動画本当に面白いし勉強になります‼️
「通常兵器にも核で反撃」 プーチン氏、核戦略文書公表 2020年6月3日ロシアのプーチン大統領は2日、どのような場合に核兵器を使用するかを定めた文書「核抑止の国家政策の基本」に署名した。ロシアや同盟国に対して弾道ミサイルが発射されたと信じるに足る情報が入った時点で核兵器を使用。通常兵器による攻撃でも国の存在が脅かされる場合は核兵器で反撃できるとしている。文書は同国の核戦略の基本文書のひとつで、タス通信によると2010年に策定された同種の文書を更新する内容。10年版は公表されていなかった。
ソ連の生活について面白くて詳しく話して頂き、誠にありがとうございました。実は、ロシアのそれともソ連の生活について知っている日本人が少ないですから、そのビデオはとても役に立つと思います。私はロシア人です。ソ連に生まれた大勢の人々はその時の生活が絶対によかったと良く言われています。もう一度、ありがとうございました。ロシアの文化について話していただけませんか。
ロシア料理を作るのも食べるのも好きな私は、今回の動画うれしいです。「怒りの葡萄」考え深そうな話ですよね、学校の図書室で借りて来て、途中で読むの挫折したけど。笑顔に関するロシアの人の考え方は、私は少し共感する部分もあります。寒い所って、読書好きになるのかな~。それは以前、ドイツの児童文学作品を読んで、思いました。めちゃ凄いボリューム、そして深い! まりんぬさんの笑顔は、いつも自然でかわいいから好きです🐥
ロシアの古いホテルに泊まった時にトイレ&浴室などが2部屋共同になっていたのはかなり違和感ありました。それもこのソ連時代からの影響だと知って納得しました。ありがとうございます。PS:チェックイン時に部屋の鍵を二つ渡されて、一つ目は相部屋の方も持ってます。もう一つは寝室用で完全個室です。だけど女性1人だとかなり危ないと思いました。私の場合は相部屋が優しいロシア人男性で、プレゼントまでくれた凄くいい方でしたが…
「”袖振り合うも多生の縁”、トイレを共有したあなたともなにかの縁があったのでしょう~~」みたいな感じで、プレゼントをくれたんですか?^^。なんかほっこりですね。
モスクワ特派員の奥さん、鈴木俊子氏が執筆した『誰も書かなかったソ連』(1970年出版)がモスクワでの日常風景がリアルに描かれていて興味深かった。行列とサービスには辟易したとか。しかし自然の美しさは素晴らしかったらしい。
ソ連崩壊の一ヶ月前に行きました。なんの行列かわからないけれど、行列があれば一緒に並んでいました。アイスクリームの時だったりピロシキの時だったりしましたが大変美味しかったです。また並んでいる時、私たちにえがおで話しかけてくる人もいました。外国のことを知りたがっているようでした。その10年後バブル時代のロシアにまた行く機会がありました。先見の明のある人は富、行動を起こさなかった人たちは生活に困窮しているようでソ連時代を懐かしんでいました。ロシア人の顔には笑顔がありました。その更に10年後、3度目の訪露がありました。バブル時代に富を得た人たちはロシアから他の国へ移り、また国が主権を握っているように感じました。多くのロシア人の中に、長いこと感情を抑圧されて来たソ連時代の影響は長く残っているように思います。が、本当に美しい芸術の国です。私は大好きな国です。誰もに幸せになってほしいと思います。
アメリカの貧困層以下の暮らししてるって気づいたときは衝撃でしょうね。
ソ連時代ではありませんが、07-09年にかけて何度か短期でロシア留学していました。どこに行っても長時間ならばされた(銀行とか郵便局とか)を思い出します。『いつも笑ってるやつはバカか詐欺師だと思われる』ってロシア人の友人が言ってました。笑
2019年に2週間ほど一人でモスクワとサンクトペテルブルクに行きました。街はとっても綺麗だったしタバコがめちゃくちゃ安く喫煙者も多かったです。道がわからない時は沢山のロシア人に聞きましたが言葉が通じなくても優しく教えてくれようと皆んなとても親切でした。食べ物もすっごく美味しかったですよ。また近いうちに行こうと思ってます。
昔、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読みました。広瀬武夫中佐がロシア駐在武官であった時、ロシア軍人と家族ぐるみで親交を深め、お嬢さんと仲良くなったエピソードも書かれてあり、司馬は、ロシア人個人は人懐こく大変気持ちの良い人達であるが、ロシアと言う国になると恐ろしいという見方をしていたのを思い出しました。個人的な親交と、国がからむ場面ではしばしば違うのでしょうが。
@@kazumasaotu6016 そういえばロシアの最後の皇帝ニコライ2世も親日家だったとの記憶があります。私がロシアに一人で行った時も日本人だと言うと好意的に接してくれたロシア人の方々もいたくらいです。
@@RiachanD ながながすみません。日露戦争開戦は1904年ですが、ニコライ2世は1890年から世界旅行に出て、大津市で巡査にサーベルで頭部を切られ、後遺症も残りました。日本存亡の危機であると、明治天皇自ら見舞いに飛んでゆきますが、日本国民は皇太子に同情的な雰囲気であったもよう。ニコライ2世の皇后アレクサンドラは英国ヴィクトリア女王の孫ですね。現在のウクライナ情勢も、日本人がほぼ知らないロシア方面の歴史では、ルーシの民族が、ウクライナのキエフ公国で建国したのが始まりとすれば、ロシアやベラルーシは分家筋?結局、大陸系の民族と、島国で極端に同質性の高い日本人とはメンタリティが根本から違っているので、友となれても敵対しても、どういう気持ちであるのかは違う別種の人間だと思うしかないのか、と私は思います。なにせ、外国語を読んで和訳までは出来ても、外国人の家族の中に入って親しくなるのは、スパイ工作ではないかという不安感もあるので、日本政府なり日本企業の者として接するのでなければ、万一拘束事件でも起きたら、日本政府の対応は、いつもオロオロしてドンくさい感じがします。例えば、中国ビジネスに乗り出した日本の会社が、中国は契約書を守らないとかいろいろ違いを言いますが、中国で生きるためには、そのようになってしまうのでしょうね。日本の教科書による中国の理解では、北京あたりに強い皇帝が生まれ、福建省などの人々は圧迫されて華僑として世界に出て、各地でチャイナタウンを作って、結束が固い。外国も行政も恐いから、その反作用として個人として信頼関係となればそれも濃いと想像される。ちょうど北京オリンピックで、降雪しない北京で、無茶苦茶政治的な匂いのする運営もやっていて、昔(といってもいろいろですが)、バックパッカーとして世界をぶらぶら旅してまわる雰囲気ではない。(日本国内でも、一人で立ち入っては危険な場所もありますけどね)中国やロシアで、今の政治的トップについてどう思うかと聞いても、恐ろしいから誉めるしかない。しかし、中国やロシアで大金持ちになっても、資産没収、社会的地位はく奪のような目にあう事例も目にする。もちろん日本での抗争も激しいですが、社会的地位が高い人や大金持ちをいきなり懲役にしたりする感じはしない。私は、日本人でも外国生活の方が向く人がいるが、それは少数で、現在世界の軋轢も増えているので、日本人はどうしても海外では甘ちゃんになってしまう、と残念ながら思っています。ロシア、ソ連の民族迫害や、戦争の仕方とか、日本のそれとは人数の桁が違うのでダイナミックです。ロシアの永遠のライバル?と日本で教える、英米、フランスも、じっくり調べるとえぐいですね。
@@kazumasaotu6016 すごくお勉強になります、大変興味深いお話ありがとうございます!嬉しいです、こう言うお話が聞けて❣️
まりんぬさんの動画で特に中世ヨーロッパの勉強をしています。ありがとうございます! 今回はソ連がテーマなので、旧ソ連の国の一つ(ベラルーシ)に住んでいる私からコメントです。 私の夫(ソ連人)の話によると、手に入れるのに申し込むのは車だけではなく家もでした。(ベラルーシでは今でも家が国や市町村から支給される人がいます。)順番待ちは数年続くのが当たり前でしたが、軍人は優先されることが多かったそうです。第2次世界対戦やアフガニスタン侵攻などで軍功があった人や、オリンピックのメダリストは優先して、車や家がもらえました。(ベラルーシは今でもメダリストは家や車がもらえます。しかもオリンピックの後すぐ。) いよいよ車の受け取りの日が来ると、日時指定は一方的でしたが、その日、仕事の休みをもらえたり、早退もOKでした。部下「今日午後1時から車受け取りできるんです。早退させてください。」上司「そうか、おめでとう! 今日は君の家は祭りだな。もちろん早退してよし。」・・・という具合に仕事を休める理由になりました。 共産主義は宗教を否定していました。レーニン曰く「宗教はアヘンだ。」そのため、多くの教会が破壊され、神父やシスターが殺害されたり、生き埋めにされたケースもありました。建物自体は破壊をまぬがれても十字架は取り外され、中身は映画館に改装されたり、古文書庫扱いされ、ミサなど宗教行事はできなくなりました。(←ミンスクのケースです。) 日曜日に労働者が家族と教会に通っていましたというのは、ソ連人としては少数派で、しかも田舎に住んでいた人です。 ソ連人の読書時間が長かったのはやはり文学好きだったからですが、新聞の発行部数も世界一の量で、他にあまり娯楽もないからか、映画館は大人数を一度に収容できる巨大なものがたくさん建設されました。 肉のいい部分を買えたのは、行列で前に並んでいた人ではなく、店員でした。食料品店で働く店員の間で最も人気があったのは肉売り場で、そこの担当になると超ラッキーで、家族の誰かが肉売り場の店員に就職すると、幸福度がアップしたそうです。 外国からの輸入食品はなかなか売られておらず、オレンジは正月前にしか売られていませんでした。夫の子供時代はお正月とはオレンジを食べることができる日で、こんな前半生を送っていたせいか、年中オレンジが売られるようになってからは、反動でオレンジ中毒やバナナ中毒か?というぐらい食べまくるソ連人もいました。 だから、ソ連時代より今のほうがいいでしょ?と夫にきくと、ソ連もいいところがあったよ、移動の制限(と言うより引っ越しの自由がない)があったし、西側諸国には行けるチャンスはなかったが、地球の陸地の6分の1を占めていたソ連国内旅行はできたから、海外旅行ができないことに対する不満はなく、コーカサス地方で登山したことや、暑いウズベキスタンへ旅行したことや、バルト海や黒海で海水浴をしたことなど懐かしんでいます。
ああ私は島国の人間なのだ。大国の感覚で理解しないといけませんね。目から鱗。
思わずへぇー、と何回も言いながら読んでしまいました!シェアありがとうございます、とっても面白かったです!確かに肉屋は大人気になるよな、と納得でした。宗教もなるほど、、!確かに旅行は制限されても、広大なので国内で全然違った楽しみ方ができますよね。もう少しで春ですね、まだ寒いですがご自愛ください!旦那様も(^^)
あこがれのまりんぬさんにへぇーと驚かれてうれしいです。ソ連は消えた国なのですが、私が住んでいるベラルーシには今でも、引っ越しの自由はないし家の配給制度もあるし、その他国が国民を管理している「ソ連システム」が社会の中にあちこち残っている感じです。いい面も悪い面もあります。プーチン大統領はソ連を今から10年を目処に復活させようと計画しているらしいので、消えたソ連が少し名前を変えて2030年代に新しく生まれるかもしれません。これからもまりんぬさんの動画を楽しみにしています。ロンドンでお元気にお過ごしください。(^^)/
いつも聞いたことのない知られざる歴史について独特の切り口で面白く語ってくれるので楽しませてもらっています! 情報収集がうまいですね。あと喋り方もお上手です。今回もためになりました。「怒りの葡萄」また見たくなりました。
これだよua-cam.com/video/Pk7kPd_T9KU/v-deo.html
ソビエト連邦、強大でしたね、私は、元自衛官ですが、昭和の終わりまで、ソビエトを意識して、北海道が最前線部隊でしたね。冷戦時代でしたね、時代は代わり、中国が強大になり、今は南の沖縄が最前線部隊になりましたね。本当に世界が目まぐるしく変わりましたね。
自分も、北海道東部普通科部隊可成り近いですね?同年代に、在隊しています自分の勤務地は、北海道東部釧路駐屯地五十九年十月迄勤務為ていました此は、個人情報でも無いので、公表為ます爆笑当時の北海道東部は、最前線今は、アカ認知症シナ狂に、気を、取られて、西方重視以前、隊友会の講演会で、質問した事有ります北海道の自衛隊を、師団から旅団化為て大丈夫?旧満洲の二の前は、有りませんか?当時参院選に、出馬予定の防衛庁出身者は、答えれず爆笑懇親会では、多分、幹部だった年配者が、良い質問したねと言って来ました爆笑何か、懐かしい限りですお互い、年金迄、健康で過ごしましょう敬礼以上
ソ連時代1980年の夏、極東の街ナホトカで2週間ピオネールキャンプに参加したことがあります。当時子どもだった私はロシアの方々に大変親切にしていただき、良い思い出しかありません。ですので、今のウクライナの侵攻の惨状を見てどうしてもあの優しかった人たちと同じ国とは結びつきません。ロシア語の歌や踊りを教えてもらいました。具合悪くなったときにもあちらのドクターが親身に介抱してくれました。毎食ロシアンティーが出てきたのは美味しくて今でも鮮明に覚えてます。そういえば、乗用車が少なかったのはそういうことからだったのですね。笑顔はバカ…😅 ちなみにあの頃一緒に遊んだロシア人の子たちはいつも笑顔で迎えてくれましたよ。元気にしてるかなあ…と思い出しながら視聴しました。ソ連についてわかりやすいお話をありがとうございました。
日本がこれからも2600年以上続く国であってほしい
国が困った時に医療や資金で助けてくれる今の日本にはほどほどに満足してます。
ソ連時代の方がいいって感想は、ここ三十年の中で社会システムが激変したことについていけず、「ソ連時代の生活」と「現代の希望を見いだせない生活」とを比べたときに、まだソ連時代がよかったいう感想でしょうね。年配は資本主義についていけず、若者は職に就けずって現状があるらしいので。
X
ソ連が失敗した原因として「平等を追求し過ぎて経済が発展しなかったから」と言われるけど、実際は「国民の国家への貢献や能力で待遇差別される実力主義で、一部の勝ち組と特権階級が利益を独占する社会で、理想と違い過ぎたから」何だよね。しかし資本主義ならソ連時代より豊な生活遅れてるかと言うと、行き過ぎた市場化は一層の貧困格差を拡大させ続けてるのがロシアの現実。そういうギャップの問題もあるんでしょうな
@@alexa-lc2gx 知らなかったです。勉強になりました!
今プーチンのウクライナ侵攻を支持する人たちはソ連時代の生活にノスタルジーを求めている年配の方々と聞いています。
今日も面白かったです。毎回ちょこっと見る尺としてちょうどいいです!あとイギリスだけじゃなくてソ連の話もOKなんですね!ヨーロッパだと色々ゆる~い感じのオランダに興味ありますので機会があれば北欧近辺もお願いします。
物理には偶然が無いので、多分多元宇宙論が結論でしょうね。多元宇宙論だと偶然ではなく必然で上手くいった宇宙に我々が居るんでしょう。一説では宇宙の種類は 10×200乗あるらしいので、その中の1ケが我々の宇宙なら納得できます
CAをしていますが、ロシア線の接客時は笑顔をむやみやたらしすぎないように考えながら乗務してます😂
おお、今でもなんですね。私が知り合ったロシア人達は日本で知り合ったせいかフレンドリーでした。
@@コーヒー命-m6p オレのじいちゃん、ソ連軍にケツ穴掘られました。
@@コーヒー命-m6p 自分も、ソ連崩壊後、沢山のロシア人の女の子知って居ますはっきり言って、白人の一番汚い部分が、もろ出し当時は、未だ、崩壊直後で、ダンサーとシンガー名目の実質は、ホステス同じ店のフィリピン人やシナチクを、軽蔑していたはっきり言って傲慢、嘗めた態度長年日本に、住んでいるウクライナ人は、中々面白い現役時代に、ロシア語の出来る同期が、居て、スバシーバー(ありがとう)ダー(はい)を、教えて貰いましたが、此が、先程のロシア人の女の子に、意外と受けて、他の単語も、教わりました爆笑文化の違いは、郷には入れば郷に従うですね?以上
@@川村充昌 何故高齢者の文章は揃いも揃って散文なのでしょうか…
@@九井りょんりょん 認知症の中核症状、失語の類かもしれませんね。祖父にも似たような症状がありました。
とてもいいポイントを見せてくれていますね。この調子で頑張ってください。
おすすめ動画に出てきておもしろくて一気見しちゃいました!ふだんはゆっくり系をよく観るのですが声や話し方が心地よくて聞きやすいです。せっかくユニークで濃密な内容ですし概要欄に可能な範囲で参考資料や出典を載せていただけるとチャンネルの信頼度や品格がさらに高まると思います!
まりんぬさんの動画ってわりと大学の講義レベルなこと多くてどんな人なのか気になる…良い資料にあたれる、それを上手に再構築して面白い動画にできるなんて、こんな先生がオンライン授業してくれたら最高だろうな。何を専攻して、修士なのか博士なのか、今でもアカデミーの世界でお仕事なさっているのか…いつか公開できる範囲でまりんぬさん自身の動画もあげてほしいな。
@@alexa-lc2gx 面白くて軽く勉強できる動画を学生じゃなくてガキジジに見させるくらいの面白さがすごいってことが言いたいんじゃねそんな細かいとこじゃなくてさ
はじめまして!いつも楽しく動画を拝見しております。まりんぬさんの歴史動画は今まで触れることのなかった「そういえばこれってどんな歴史だったんだろう」という好奇心を突いてくるので、本当に興味深いです。可能でしたら、動画作成の参考にした文献や資料館の情報などを記載いただけると、自分でもっと詳しく調べられると思いますので、ぜひご検討いただけると幸いです。これからも動画楽しみにしております。
結局、社会主義って分配する中央機関が豊かになっちゃってやりたい放題になっちゃう気がする、、、
うぉおお、テスト前にみれば良かった!!!!まとめかたがとても上手でとても面白い!
政府非公認の情報のような気もしないではないですが、どんなテストにでるんでしょうね。
まりんぬさんがこんな感じの情報をどんな方法で集めてるのかめっちゃ気になる…
確かに、気になる。色々な本読んでも知らないことあったし。すごい。
気になりますね。こういう話は、佐藤優さんや、鈴木宗男さんや、亡くなった米原万里さんの本で、面白いサワリの部分は触れられることがありますが、日本人にとっては秘話になってしまう。日本国は外国を正しく知るべきなのに、秘話扱い。首をつっこんだら恐いから止めとけという人も居る。まりんぬさんは、セキュリティも意識されておられると思いますけど、お気をつけて。 10年位前から世界がギスギスしてきて不安なので、大変ほんわかして嬉しいです。
単純に普通に検索して調べただけではちゃんと情報を集めようと思えば集まる
@@赤血球-o9e とても検索する能力が高いのかもしれないですね。
これやろua-cam.com/video/Pk7kPd_T9KU/v-deo.html
旧ソ連時代、ロシア語に興味持ち勉強した40代です。今回の動画拝見致しました。当時の車購入や共同住宅(コムナルカ: коммуналка)等が事実であったものの、内容は革命後から戦後スターリン時代の市民生活が中心、かつ一気に時代が飛んで'86年ペレストロイカ後の一部のみの紹介。ソ連時代に哀愁覚える多くの人々の現実や記憶に対し「何故そう感じてる人々が多いのか?」という点とのつながりに違和感が残るのが正直なところでした。なぜ哀愁覚えるのか、素朴で娯楽の少ない国だったからこそ、愉しみも存在した内容を伝えるのが最適だったかもしれませんね。中古本も見付かり難い絶版本かと危惧しますが、80年代後半出版された『モスクワの新人類たち ~誰も書かなかったソ連の高校生活~(主婦と生活社)』は非常に印象深く、当時の市民生活の息吹がかなり感じら面白いエッセー作品です。そちらを踏まえていくと上記ポイント及びロシア他旧ソ連圏の人々の性格も掴めるかと感じます。
日本在住のロシア人UA-camrのお母様が若い頃の旧ソ連時代の話をしたのを観たことがありますが、国内を旅行したり登山をしたりなど結構楽しかったと語っていらっしゃいました。そのUA-camrは、日本人はソ連(時代)を怖いとよく言いますが、そんなことはなかったんですよというようなことも言っていました。
新人類…マユリチカの本ですね。私も持っています。ソ連の人たちは、本を読み、時間を掛けて料理や日曜大工をして、学校休暇の時はサマーキャンプへ、アネクドートで笑って……物資や不便さはありましたが、精神的豊かさもありました。その辺りも動画に入れてもらえると良かったかな、と思います。
@ 風緒ふわり私も見た。ピロシキーズのかな?スターリンの時代じゃなかったみたいで割と自由だったけど物資は不足していたみたいで、靴を買ってもらって穴が開いても履いてたとか、日本の時計がすごい性能がいいのに驚いたとかおっしゃってましたね。
スターリン「日曜日って何?」ワタミ「ですよね」
ソ連に行ったと言えるのか微妙ですが、親の仕事の関係で子供の頃に何度かトランジットで崩壊直前のソ連に立ち寄ったことがあります。トランジットでも待ち時間は半日近く、ひどい時は2泊くらい宿泊をしなければならない時があったんですが、子供ながら漠然と「この国、なんか雰囲気が怖い…」と思っていたんですよね。この動画を見て理由が分かった気がします😅きっと笑顔を向けられなかったのが子供ながら怖かったんですね。今回の動画もとても興味深かったです!これからも楽しみにしています😊
はじめまして。私はソ連が崩壊して3日目の旧ソ連の空港でトランジットの経験をしました。機体の出口のすぐそばには大きな銃を持った兵士が立っていました。成田から中欧の国への途中のことでした。共同運行便だったためのトランジットでした。当時の空港内のインフラの部分も酷かったです(洗面所)。小一時間のことだったと思いますが、大人の私でも怖いと感じた独特の雰囲気は今でも忘れられません。出発後、目的地の空港上空の夜景を見て安堵しました。あの頃のことを共有出来る方がいたことに感謝します。
まりんぬさん、おはようございます。初めまして、ユーモアがあって分かりやすい動画を有り難うございました。とても分かりやすかったです、又視聴させていただきます。
まりんぬさんの動画はホント楽しくて勉強になり知的好奇心を満たしてくれます。これからも楽しみにしています。応援しています!!
パラダイスみてぇな国が作りてぇ
(クソボイス)
ばっちり脳内再生出来た自分が何か嫌ww
ぴよぴよぴよぴよー
どうしたんだ?
っティーンズパラダイス
確かに選択の自由や格差から発生する苦しみは無いですね。
面白い よく情報集められましたね何を買うのも行列でトイレットペーパーも固い紙を使ってるなんてちょっと生活キツイですね にもかかわらず70%の国民がこの頃は良かったと思っているとは驚きです
たまたま関連動画から拝見しましたが、めちゃくちゃ面白い!このチャンネルを見つけられて良かった!過去の動画もたくさん見ていきます☺️
ソ連時代というと、椎名誠さんの昔のドキュメンタリー番組を思い出します。トラックに乗って雪のシベリア横断だったかな。運転手さんは明るい人だったけど、商店のおばちゃんは無愛想。商品はカウンターの中で、しかもほとんどなくて、欲しい物を伝えると奥から出してくれるシステム。常に物資が不足している印象でした。でも貧困とは違う何か別なものを感じました。
私、最近はまりんぬさんの更新が楽しみで仕方がない!今回も楽しくて知識の増える動画をアップしていただいてありがとうございます!ソ連時代は良かった、で思い出したんですが、ソ連時代のアイスクリームは激ウマだったそうです。今ではもう味わえないとか・・・。
私の友人は秘密都市に両親と住んでいたようで、家で西側のポップスのレコードを聞いていたり、学校に世界中の子供たちがいたそうで、スターリン時代が一番華やかで活気があり、アンドポフ時代が最低だったと言ってました。
秘密都市って西と東の良いとこ取りみたいな所だったのでしょうかね。何だか楽しそう。
宇宙開発都市と言うものでしょう。
いつも貴重なお話ありがとうございます。非常にわかりやすい語り口で理解できました。ソ連はオリンピックでめちゃくちゃ強かった思い出があります。その背景もまた知りたいです。
とても面白かったです。ソ連時代の様子ってあんな感じなんですね。いちばんビックリしたのは行列を作っていたということでしょうか。ちゃんと並んで待つ国民性があったんですね!
じゃないとシベリア行き?
@@松竹梅-h1s さんめちゃくちゃあり得そうなのがイヤですねw
仕事のシフトに関しては言われた通り今の日本と変わんなくねって思ってしまった笑
めっちゃ、興味深い内容でした!
いつも楽しく勉強させていただいております!ありがとうございます!
ソ連の事がよく分かって しかも勉強って感じじゃなくて 面白く紹介してくれたので すごい入ってきました(^^) これからも楽しい動画あげて下さい 応援してます
いつも楽しみにしています!今回も面白かったです!先入観かもしれませんが、あまり微笑んでいるイメージがないのもこういうことが背景の一部なのかもしれないですね。このバランス感でよくアメリカと張り合っていたものだなぁ。。
日本人は訳分からない笑顔で返事しますよね❗❗私も得意です❗😄😄✌✌✌👏👏
興味深いテーマでした。面白かったです☺️
2018年に北京からシベリア鉄道で入りロシアで3ヶ月過ごしました。Airbnbで一般家庭に泊まり、どこも建物の入り口、その階のアパートの入り口、それからさらに個室の入り口と鍵が3つありました。以前はフラットと言って一階全部が一軒の家だったのを小分けして1LDKにしたようでした。
そして入り口がまずわからないのはどの建物も通りに面していない裏が玄関だったからです。知らずにいつまでも表で待ってました。しかしモスクワの市街地は西洋と同じ表玄関でした。
おもしろかった~笑っちゃいましたよ。まりんぬサイコー
「え、大したことなくね」どころか、完全週休2日を国を挙げて保証してくれるなんて超絶ホワイトじゃんと思った
食事を買う為に半日潰れそうだし、休日は休めなかったんじゃないかと思います。ソ連の休日は日本人の休日とは全く違うんじゃないですかね独身でゴロゴロ、趣味をする、スマホで動画見るとかの休日は無さそう
@ほけきょほー 「頑張っても贅沢はできない栄養不足…便利な家電はないから、家事には時間がかり家に居ても休まらない」 これ現代資本主義社会でも普通の光景定期…。家電は進化しても、時間ができた分労働時間をさらに増やされるだけの社畜社会…。だから現代ロシア人の75%が「ソ連時代のがマシ」とか考えちゃう程、資本主義もまた行き詰まってるのよな…。
@ほけきょほー 日本はまだ比較的「平等」が良い意味で担保されてる方でしょうね。しかしより競走格差の激しい欧米の底辺層は。そして今の日本も欧米型の超格差社会に向かいつつありますからね。皆保険制度もいつ破壊されるやら。ソ連のような「頑張っても下々は報われない社会」は他人事では無くなりつつあると思います。後スマホ強調してますけど、それを「豊かさの象徴」とか思い込んでる自体、やばいのでは…。スマホくらい途上国でだって普及してますが、若者が家も車もまともに買えない社会にはなりつつあります
@港山 まあ寄付文化だから意外と公的に寄らない援助は多いが、そういう民間の自助が拡大する社会は、大概貧困が拡大固定化しつつあり、公的補助も作細る社会でもある。日本も子供食堂が急拡大してるニュースあるけど。あと貧困層向けの医療って大概質が低く予約に長い時間待たされたりと、日本の医療などとは比較にならないくらいサービス悪かったりする。建前上は皆等しくサービス受けられるが、質は平等ではない…特権層との格差…そういう所もソ連かよと…。
働くの好きアピールきも
歴史が大嫌い35歳。まりんぬさんのおかげで、楽しくなってきました😊知らない事ばかりの内容です。まりんぬさんとの出会いに感謝‼️
3年前にロシアに行きました。当時3歳の息子とモスクワの地下鉄をのりたおしていたのですが、立って息子抱っこしていると、ほぼ100%の確率で席を譲ってくれました(若者が座っていたら、その席どいてやれみたい目線を老人が送ってたこともありました笑)政府は今色々と言われてますが、国民には良い印象しかないです。ちなみに、モスクワ地下鉄のドアはギロチンと言われるくらい閉まるのが早かったです(電車が止まる前にドアが開いてたような。。。)
子供の頃、ラジオが好きでよく聞いていると確か赤のなんとかってソビエトの日本語の放送がありソビエトにはジュースの自販機が沢山あり、一杯10円で売ってるって聞いて羨ましかったな。プロパガンダだったんだね
ソ連について学んでいても、わからなかった事もあって面白かったです!これからもお体を大事にしながら頑張って下さい。
あのソ連が崩壊したって聞いた時は「なんの冗談や」って思ってめっちゃびっくりしたの覚えとる!アメリカと並んだ国ってイメージが強くて崩壊するなんて夢にも思わなかった
とても面白いので登録しちゃいましたぁ~ーー🎵
学生時代にアエロフロート航空で西ヨーロッパに旅をした時、モスクワのチェルメシチェーボ国際空港でトランシットホテルに1泊泊まる事になった時、まず驚いたのがホテルレストランが営業していなかった事でレストランのコックが済まなそうに片言の英語で「夕食は出せないがキャビアなら安く売るから買わないか?3ドルで良いよ」とキャビアの大びんを渡された時、安いから買っちゃえと3ドルを紙幣で渡したらコック大喜びだった事が印象的だった。多分、賃金が安すぎるから食材を宿泊客に横流しでもしたんだろうな。
素晴らしいビデオありがとうございます
確かにこれだけ並ぶなら、娯楽は時間をたっぷりかけられる本がいいですよね〜
私は、今、ロンドンの会社で働いています。同僚に、50代のラトビア人とリトアニア人の方がいます。彼女達は、2人で雑談する時、英語からロシア語に切り替えます。両者とも20歳頃にソ連邦が崩壊し、そのあと本来の母国がEUに加盟したため、英国に移住し仕事を得て、ロンドン市民としての生活を謳歌しています。決してソ連時代が良かったとは言わないですが、ソ連の教育制度は充実していて、現在の英国と比べても水準が高かったと感じると言っています。母国語とロシア語と英語を自由に話す彼女達を見ていると、日本人には知り得ない激動の歴史を生き抜いてきたんだなぁと感慨深いものがあります。昨年、英国はEUを離脱したので、これからも欧州の政治情勢は、人々の生活や人生に大きく影響を与えていくんだなぁと思います。戦後の日本は、バブル崩壊とかリーマンショックはあったけれど、総じて安定した国なんだなぁと感じます。
面白くていつも見ていますが、夜に動画を流したまま寝ることも多いです。声を聞いてると何故か安心します。
知人がロンドンでB&Bに宿泊した際。オーナーがロシア人でインテリアがめっちゃ独特でたじろいだところに、レセプションのロシア人女性から無表情で「ヘロー。キャナイヘルプユー」と言われめっちゃ怖かったとの事ですが、この動画を見て納得しました!ロシア(旧ソ連)的に笑顔はいけないんですね😳
動画面白いです。即登録しました。明日からまた、楽しみが増えました。
ロシア人ユーチューバーアシアさんの動画で、お母さんがソ連時代の思い出語るのがありました。牛を飼って美味しい牛乳飲んで手作りの服を着て楽しかったようです。
マックの「理由が無いのに笑うのはバカの印」笑ってしまった😄いつもありがとうございます💖
ありがとうございます。ソ連の庶民の生活が、よく分かりました。私は、趣味で執筆してるのですが、父が、ソ連に奴隷労働させられた事もこれから書く予定です。もちろん父はモデルです。今、満州赴任時のことを書いてます。それにしても今のロシア人がソ連邦時代を懐かしく思っているの聞いたときは、びっくり‼️です。
ソ連時代の悪ガキの悪戯の定番が「閉まってる店の前に並ぶ」というものソ連人は習性として列を見つけると「何か売ってもらえる」と思って列に並ぶからそれを見て楽しむんだとか
これはマジ。ロシア人ほんとに並んでるの見たら並ぼうとするのよ。
6:03ペーパーハウス好き
本当に、史学科の学生時代に勉強して忘れてた事を思い出せてくれる動画です😳❣️当時死にものぐるいで勉強したのに、社会人になって歴史に触れなくなると3年くらいで知識空っぽに😣💦また勉強の欲が出てきました🙏ありがとうございます🙏🙏
怒りの葡萄❗❗視ました❗多分半分位寝てた❗❗けど何だか感銘を受けた❗😄😄
ちょっと控えめな笑顔が可愛い❤️
ロシア人の友達も、ソ連時代が良かったと言っていました。父親が医者、母親が教師の家庭で「ソ連では中流」だったらしいけど。あと、1970年代制作の子供向けミュージカル映画を見せてもらいましたがオリンピック選手出演満載の超豪華な映画でした。「今は選手のギャラが高くてもうこんな映画は見られない」さすがソ連、という感じですね。
ということは、スポーツ選手って基本的に儲かる(一攫千金を含めて)お仕事なんですね。
@@ポイントポット さんそうなんですかね。ソ連時代は労働者でしたが。
@@natsukoy9909 さんギャラが高いということは現在ではそういう位置づけなのかと推測しました。
@@ポイントポット さん日本と同じような額かどうかはわかりませんが…今度友達に会ったら聞いておきます。
ソ連時代の車やバイクってなんかいい味出しているんだよなぁ
8:14 いらちってなんだろうって調べちゃいましたけど、せっかちって意味なんですね!私も並べそうにありません笑
ソ連は行ったことないですが今のロシアへ、アメリカと違い女性の美人が多く若い人々はほっそりしてた。近代的な所と古い部分の混ざっていると感じるが好感を持てた。
ウクライナ人の友人がいますが、彼女の少女時代~学生時代は勿論ソ連でした。学校では先生に触られるのは罰を受ける時だけだったそうです。それ以外、褒められる時すら触られる事は無かったそうです。だから今でも、ハグや肩を叩くなど、人から触られるのは恐怖があると言ってました。お子さんもいますが、子供にも愛情表現で触る事は苦手の様です。
私にとって、ソ連は謎の国でした。勉強になりました!有難うございます!
日本に生まれた事がいかにラッキーだったかと思いました
アラサーですが、小学校の授業で黒板に布製?の古い世界地図が貼られてて、先生が「あー、ココいまロシアねー。」とマッキーで「ソヴィエト連邦」の上から書いてた記憶があります。東西ドイツのところも書き直してました。
ソ連からの訪問団が日本に来ることになりました。ウラジオストックから新潟港に着いて新潟駅に行き日本国内の都市に行くのだが、20人くらいの団体だったが新潟港から新潟駅までみな荷物持って数キロ歩いて行きました、普通はバスを手配してるものだけど。ソ連時代なので日本の情報が無かったのか駐日ソ連大使館も世話する気がなかったのかソ連国内でもこれくらいの不便は当たり前なのだろうかと思いました。
旧ソ連のお話、とても興味深かったです。’消えた国’繋がりで、旧ユーゴの歴史や生活状況にも興味があります。もし機会があれば、教えていただけたら幸いです!よろしくお願いします!
大阪万博で 人気のアメリカ館(月の石)は 行列がすごくて 諦め、ソ連館に入りました。ソユーズ宇宙船や 大規模開発のジオラマなど面白かったです。
ロシアになってだいぶ経つのに、いまだにソ連って言っちゃう。イオンなのにダイエーって言っちゃう。きっと私もあの頃は良かったって言っちゃうタイプ。
笑いながら学べていつも楽しいです🤍
行列と言えばイギリス人は自分の順番が来るまで行儀良く待つのが得意と言われているけど、ソ連ではイギリスとは比べ物にならない程の行列を強いられたんだね。
おすすめ動画に上がってきたので、お!と登録しました。学校では決して教えてくれなかった歴史を、わかりやすく面白く、時に現代語を交えて解説してくれて、はまってます。マックの0円スマイル😆爆笑。
いつも分かり易い動画ありがとうございます。50過ぎても沢山知らないコトがあり丁寧な動画ありがとうございます
ソ連は行ったことないですが、5年程前、モスクワとサンクトペテルブルクに行きました。動画で、「意味なく笑うのはバカだ」という話がありましたが、これは当時でも残っていました。モスクワに着いて、国内線に乗り換えるのに時間があったので、受付のような所へ行き、「この建物内でタバコを吸える場所ってのはないのですかね」と聞くと、いかにもインテリっぽい顔をした男の人に、「ここはインフォメーションセンターではない!」と、怒られました。ま、ロシアは建物内では禁煙というルールを知らなかったこちらも悪いのですが、……町中のレストランのウエイトレス、スーパーの従業員も、怖い顔をしていました。一緒に行った人も、「綺麗な顔をしているんだから、ちょっとは愛想を振りまいたらもっと可愛いのにね」と言っていました。ホテルのスタッフは結構普通でした。
人が宇宙にいける技術よりトイレットペーパーの方が後にできた 極超音速ミサイルはできても自動車、半導体、スマホはできないノルマとかいう概念を作ってしまった
自分も古代西洋専門だと思ってました。資本主義の我が国も精神的に結構大変なので社会主義も精神的には良かったのかも?世界不思議発見のUA-cam版、今後も楽しみです。
学校では「ソ連では国民が何を作ったり買ったりするかを政府が決めていた」みたいによく説明されてて、具体的にどういうことやねんって全くイメージ湧かなかったのですごく助かりました!
共に産む
数年前に一人でモスクワに行きました。やはり当時の名残なのか、地下鉄や、食堂では平気で舌打ちをされたり、ムスッとされたりとなかなか日本では体験できぬことだらけでした。反面、強面な青年が、地下鉄で率先して障害を持つお年寄りに席を譲ったり、
私が乗換を間違えて困っている時に、複数の方が声をかけてくださったりと、大変な時代を経験した故の助け合いの精神も垣間見ることができました。また、コロナが終息したらモスクワに行きたいです。大変興味深い回でした。
CA(客室乗務員)をしていたので、ソ連崩壊直前の89年〜90年にかけて数回モスクワに行きました。
正にモスクワにマクドナルドが出来た頃で、私は行きませんでしたが、行列は目撃しましたね。
モスクワに飛ぶ時は皆、食料やペットボトルの水を詰められるだけ詰めて、墓石のように重たいスーツケースを持って行っていました。食料の他にも普通なら持参しないバスタオルなんかも持って行っていました。何しろホテルの備品は粗末で使えたもんじゃなかったので💦
現地の人へのチップとして100円ライターが喜ばれていましたね。
帰りはカニ缶やキャビアを買って帰るのが定番でした。
モスクワ線は大変でしたが、今は良き思い出です。
古希を迎えた高齢者です。まりんぬさんの歴史ミステリーは全部といっていいほど目と耳を通しています。とても勉強になりますし、ドライブしながら声を聴いています。あと一点、えー、あーが無いのもとても聞きやすいです。これからも体をご自愛しながら頑張ってください。
@@あいみしか勝たん ううん……
その際どいキーワードを控えるよりそういうダルいコメントしないように気をつける方が良くない…?極論あいみしか勝たんさんの理論だと騙される方が悪い理論と同じだと思うんだけど
@@あいみしか勝たん その難癖付けてるのがあなただと思いますけど。
@@6abpik445 ご心配下さりありがとうございます。確かに若い時に比べて動体視力など落ちていることは確かですね。その点は肝に銘じておきます。まりんぬさんの他に音楽も聴いていますw クラプトンやサンタナ、BSBなんか大すきで、でも家内と一緒にドライブしています。ホント運転は気を引き締めていきたいと思います。
@@あいみしか勝たん 確かに、めんどくさい人間ですね笑
古希って70でしょ?70なんて、まだまだ高齢者というには若いと思います~😄
舘ひろしさん、池上彰さん、高田純次さん神田正輝さん…みんな70過ぎ
今が幸せです。
まりんぬさんからいろんな話聞けて勉強になります。知らないことを知れるのは残酷な面もあるのですが、私は幸せだと捉えて毎日過ごしています。これからも応援しています。
85年に『チェコスロバキア』に旅行した事があります。
紙は工場から文具店に送られるので、トイレットペーパーもそこで売ってました。
ホントに全てが行列だったので、老若男女みんなエコバッグ持ってましたね。
伝統系の職人にとってはノルマ無く好きなように仕事ができる上、
生活も保障されていたので、今逆に生活できない人が多いようです。
「ソ連時代が最高に良かった」なんて何を思っていうんでしょうかね?誰かに言わされてる感がありますね。そして、『 「昔の方が良かった」と言ってはならない。そのように言うのは知恵のあることではないからだ。』という格言の真実さが感じました。
知り合いのポーランド人は実家が農家で、ソ連時代は政府から苗や肥料を支給されたり、農業の金銭的援助.技術支援などしてくれて、農産物をすべて買い取ってくれてたそうです。でもソ連崩壊後はすべて自力でやらないといけなくなってしまって大変なんですって。
気分はオー農(ノー)と思っているでしょう
@@塩ラーメン-j1y 😅😁😝
ちなみにノーのポーランド語は「ニェット」
まあ純粋な資本主義が絶対的に成功しているかというと難しい問題だが(日本はかなり社会主義体制を実質的にとりいれている)w
そもそも資本主義は粛清はされないがほぼ一点に富が集中し、格差が当然存在し、その日の食べ物がない地域も生まれうる
それを防ぐために無理やり食べ物の値段設定を下げ食料をつくる人間が困る
一点に集中した力だけを映し良く見せている
銀座や渋谷駅前を映し、田舎や郊外のシャッター街や商店街は「負け犬」としてスルーされる世界
そういう地域格差を埋めるために東京都で主に得られる法人税を地方に補助金として配分する
福祉国家と銘打ち、金持ちの納めた税金を生活○護に配分する
ここだけみると相対的な社会主義国家とも大差ないのだが
人はそれを頑なに資本主義と呼び続けているw
今でもロシアでは国民の半数以上の人がソ連時代を懐かしんでいるとか。本当に理想郷ではなかったにしても、貧富の差が管理されてたっていうのは庶民にとっては暮らしやい面も大きかったんじゃないのかな。たぶん、資本主義の競争社会って社会を発展させるには正しい方法なんだろうけど、人間が幸福に暮らすのに正しい方法かってわかんないよね。
中国の文化革命時リアルタイムの時に全く知らなかったことを知った時と同じように、ソ連時代も知るタイミングを持たなかったなぁと反省します。まりんぬさんの動画って本当に興味のツボにハマるものを色々出してくださって、大好きです。
何方も、リアルタイム経験者の自分は、元自衛官
還暦迎えて、東西冷戦時代に、現役時代
此の手の勉強は、日常的に、殆ど毎日本や雑誌で、情報収集分析為て居ました
物不足と行列は、当たり前
国民の自家用車と考えたヒトラーと単なる独裁者スターリンでは、雲泥の差
自国民を、大切に、扱うヒトラー
自国民を、奴隷扱いのスターリン
同じ世代でも、こうも違う?
同じ独裁者呼ばわり為れているのに
大量に、虐殺しているのに
(怒)
以上
怒り葡萄の下り笑ったw
こういう雑学的でクスっと笑えるネタ、すごく好きです😃
イギリス専門だと思ってました、ソ連についての動画もの凄く嬉しいです!!!!ありがとうございます!!🥳💓💓💓
子供の頃にソ連が崩壊して授業などで聞いてたけど…こんな感じだったんだ…って勉強になりました!まりんぬさんの動画本当に面白いし勉強になります‼️
「通常兵器にも核で反撃」 プーチン氏、核戦略文書公表 2020年6月3日
ロシアのプーチン大統領は2日、どのような場合に核兵器を使用するかを定めた文書
「核抑止の国家政策の基本」に署名した。ロシアや同盟国に対して弾道ミサイルが
発射されたと信じるに足る情報が入った時点で核兵器を使用。通常兵器による攻撃
でも国の存在が脅かされる場合は核兵器で反撃できるとしている。
文書は同国の核戦略の基本文書のひとつで、タス通信によると2010年に策定された
同種の文書を更新する内容。10年版は公表されていなかった。
ソ連の生活について面白くて詳しく話して頂き、誠にありがとうございました。実は、ロシアのそれともソ連の生活について知っている日本人が少ないですから、そのビデオはとても役に立つと思います。私はロシア人です。ソ連に生まれた大勢の人々はその時の生活が絶対によかったと良く言われています。もう一度、ありがとうございました。ロシアの文化について話していただけませんか。
ロシア料理を作るのも食べるのも好きな私は、今回の動画うれしいです。「怒りの葡萄」考え深そうな話ですよね、学校の図書室で借りて来て、途中で読むの挫折したけど。
笑顔に関するロシアの人の考え方は、私は少し共感する部分もあります。寒い所って、読書好きになるのかな~。それは以前、ドイツの児童文学作品を読んで、思いました。めちゃ凄いボリューム、そして深い! まりんぬさんの笑顔は、いつも自然でかわいいから好きです🐥
ロシアの古いホテルに泊まった時にトイレ&浴室などが2部屋共同になっていたのはかなり違和感ありました。
それもこのソ連時代からの影響だと知って納得しました。ありがとうございます。
PS:チェックイン時に部屋の鍵を二つ渡されて、一つ目は相部屋の方も持ってます。もう一つは寝室用で完全個室です。
だけど女性1人だとかなり危ないと思いました。
私の場合は相部屋が優しいロシア人男性で、プレゼントまでくれた凄くいい方でしたが…
「”袖振り合うも多生の縁”、トイレを共有したあなたともなにかの縁があったのでしょう~~」みたいな感じで、プレゼントをくれたんですか?^^。なんかほっこりですね。
モスクワ特派員の奥さん、鈴木俊子氏が執筆した『誰も書かなかったソ連』(1970年出版)が
モスクワでの日常風景がリアルに描かれていて興味深かった。
行列とサービスには辟易したとか。しかし自然の美しさは素晴らしかったらしい。
ソ連崩壊の一ヶ月前に行きました。
なんの行列かわからないけれど、行列があれば一緒に並んでいました。アイスクリームの時だったりピロシキの時だったりしましたが大変美味しかったです。
また並んでいる時、私たちにえがおで話しかけてくる人もいました。外国のことを知りたがっているようでした。
その10年後バブル時代のロシアにまた行く機会がありました。
先見の明のある人は富、行動を起こさなかった人たちは生活に困窮しているようでソ連時代を懐かしんでいました。
ロシア人の顔には笑顔がありました。
その更に10年後、3度目の訪露がありました。バブル時代に富を得た人たちはロシアから他の国へ移り、また国が主権を握っているように感じました。
多くのロシア人の中に、長いこと感情を抑圧されて来たソ連時代の影響は長く残っているように思います。
が、本当に美しい芸術の国です。
私は大好きな国です。
誰もに幸せになってほしいと思います。
アメリカの貧困層以下の暮らししてるって気づいたときは衝撃でしょうね。
ソ連時代ではありませんが、07-09年にかけて何度か短期でロシア留学していました。どこに行っても長時間ならばされた(銀行とか郵便局とか)を思い出します。
『いつも笑ってるやつはバカか詐欺師だと思われる』ってロシア人の友人が言ってました。笑
2019年に2週間ほど一人でモスクワとサンクトペテルブルクに行きました。街はとっても綺麗だったしタバコがめちゃくちゃ安く喫煙者も多かったです。
道がわからない時は沢山のロシア人に聞きましたが言葉が通じなくても優しく教えてくれようと皆んなとても親切でした。
食べ物もすっごく美味しかったですよ。
また近いうちに行こうと思ってます。
昔、司馬遼太郎の「坂の上の雲」を読みました。広瀬武夫中佐がロシア駐在武官であった時、ロシア軍人と家族ぐるみで親交を深め、お嬢さんと仲良くなったエピソードも書かれてあり、司馬は、ロシア人個人は人懐こく大変気持ちの良い人達であるが、ロシアと言う国になると恐ろしいという見方をしていたのを思い出しました。個人的な親交と、国がからむ場面ではしばしば違うのでしょうが。
@@kazumasaotu6016
そういえばロシアの最後の皇帝ニコライ2世も親日家だったとの記憶があります。
私がロシアに一人で行った時も日本人だと言うと好意的に接してくれたロシア人の方々もいたくらいです。
@@RiachanD
ながながすみません。
日露戦争開戦は1904年ですが、ニコライ2世は1890年から世界旅行に出て、大津市で巡査にサーベルで頭部を切られ、後遺症も残りました。日本存亡の危機であると、明治天皇自ら見舞いに飛んでゆきますが、日本国民は皇太子に同情的な雰囲気であったもよう。
ニコライ2世の皇后アレクサンドラは英国ヴィクトリア女王の孫ですね。現在のウクライナ情勢も、日本人がほぼ知らないロシア方面の歴史では、ルーシの民族が、ウクライナのキエフ公国で建国したのが始まりとすれば、ロシアやベラルーシは分家筋?
結局、大陸系の民族と、島国で極端に同質性の高い日本人とはメンタリティが根本から違っているので、友となれても敵対しても、どういう気持ちであるのかは違う別種の人間だと思うしかないのか、と私は思います。なにせ、外国語を読んで和訳までは出来ても、外国人の家族の中に入って親しくなるのは、スパイ工作ではないかという不安感もあるので、日本政府なり日本企業の者として接するのでなければ、万一拘束事件でも起きたら、日本政府の対応は、いつもオロオロしてドンくさい感じがします。
例えば、中国ビジネスに乗り出した日本の会社が、中国は契約書を守らないとかいろいろ違いを言いますが、中国で生きるためには、そのようになってしまうのでしょうね。
日本の教科書による中国の理解では、北京あたりに強い皇帝が生まれ、福建省などの人々は圧迫されて華僑として世界に出て、各地でチャイナタウンを作って、結束が固い。
外国も行政も恐いから、その反作用として個人として信頼関係となればそれも濃いと想像される。
ちょうど北京オリンピックで、降雪しない北京で、無茶苦茶政治的な匂いのする運営もやっていて、
昔(といってもいろいろですが)、バックパッカーとして世界をぶらぶら旅してまわる雰囲気ではない。
(日本国内でも、一人で立ち入っては危険な場所もありますけどね)
中国やロシアで、今の政治的トップについてどう思うかと聞いても、恐ろしいから誉めるしかない。
しかし、中国やロシアで大金持ちになっても、資産没収、社会的地位はく奪のような目にあう事例も目にする。
もちろん日本での抗争も激しいですが、社会的地位が高い人や大金持ちをいきなり懲役にしたりする感じはしない。
私は、日本人でも外国生活の方が向く人がいるが、それは少数で、現在世界の軋轢も増えているので、
日本人はどうしても海外では甘ちゃんになってしまう、と残念ながら思っています。
ロシア、ソ連の民族迫害や、戦争の仕方とか、日本のそれとは人数の桁が違うのでダイナミックです。
ロシアの永遠のライバル?と日本で教える、英米、フランスも、じっくり調べるとえぐいですね。
@@kazumasaotu6016
すごくお勉強になります、大変興味深いお話ありがとうございます!
嬉しいです、こう言うお話が聞けて❣️
まりんぬさんの動画で特に中世ヨーロッパの勉強をしています。ありがとうございます! 今回はソ連がテーマなので、旧ソ連の国の一つ(ベラルーシ)に住んでいる私からコメントです。
私の夫(ソ連人)の話によると、手に入れるのに申し込むのは車だけではなく家もでした。(ベラルーシでは今でも家が国や市町村から支給される人がいます。)順番待ちは数年続くのが当たり前でしたが、軍人は優先されることが多かったそうです。第2次世界対戦やアフガニスタン侵攻などで軍功があった人や、オリンピックのメダリストは優先して、車や家がもらえました。(ベラルーシは今でもメダリストは家や車がもらえます。しかもオリンピックの後すぐ。)
いよいよ車の受け取りの日が来ると、日時指定は一方的でしたが、その日、仕事の休みをもらえたり、早退もOKでした。部下「今日午後1時から車受け取りできるんです。早退させてください。」上司「そうか、おめでとう! 今日は君の家は祭りだな。もちろん早退してよし。」・・・という具合に仕事を休める理由になりました。
共産主義は宗教を否定していました。レーニン曰く「宗教はアヘンだ。」そのため、多くの教会が破壊され、神父やシスターが殺害されたり、生き埋めにされたケースもありました。建物自体は破壊をまぬがれても十字架は取り外され、中身は映画館に改装されたり、古文書庫扱いされ、ミサなど宗教行事はできなくなりました。(←ミンスクのケースです。)
日曜日に労働者が家族と教会に通っていましたというのは、ソ連人としては少数派で、しかも田舎に住んでいた人です。
ソ連人の読書時間が長かったのはやはり文学好きだったからですが、新聞の発行部数も世界一の量で、他にあまり娯楽もないからか、映画館は大人数を一度に収容できる巨大なものがたくさん建設されました。
肉のいい部分を買えたのは、行列で前に並んでいた人ではなく、店員でした。食料品店で働く店員の間で最も人気があったのは肉売り場で、そこの担当になると超ラッキーで、家族の誰かが肉売り場の店員に就職すると、幸福度がアップしたそうです。
外国からの輸入食品はなかなか売られておらず、オレンジは正月前にしか売られていませんでした。夫の子供時代はお正月とはオレンジを食べることができる日で、こんな前半生を送っていたせいか、年中オレンジが売られるようになってからは、反動でオレンジ中毒やバナナ中毒か?というぐらい食べまくるソ連人もいました。
だから、ソ連時代より今のほうがいいでしょ?と夫にきくと、ソ連もいいところがあったよ、移動の制限(と言うより引っ越しの自由がない)があったし、西側諸国には行けるチャンスはなかったが、地球の陸地の6分の1を占めていたソ連国内旅行はできたから、海外旅行ができないことに対する不満はなく、コーカサス地方で登山したことや、暑いウズベキスタンへ旅行したことや、バルト海や黒海で海水浴をしたことなど懐かしんでいます。
ああ私は島国の人間なのだ。大国の感覚で理解しないといけませんね。目から鱗。
思わずへぇー、と何回も言いながら読んでしまいました!シェアありがとうございます、とっても面白かったです!
確かに肉屋は大人気になるよな、と納得でした。宗教もなるほど、、!確かに旅行は制限されても、広大なので国内で全然違った楽しみ方ができますよね。
もう少しで春ですね、まだ寒いですがご自愛ください!旦那様も(^^)
あこがれのまりんぬさんにへぇーと驚かれてうれしいです。ソ連は消えた国なのですが、私が住んでいるベラルーシには今でも、引っ越しの自由はないし家の配給制度もあるし、その他国が国民を管理している「ソ連システム」が社会の中にあちこち残っている感じです。いい面も悪い面もあります。
プーチン大統領はソ連を今から10年を目処に復活させようと計画しているらしいので、消えたソ連が少し名前を変えて2030年代に新しく生まれるかもしれません。
これからもまりんぬさんの動画を楽しみにしています。ロンドンでお元気にお過ごしください。(^^)/
いつも聞いたことのない知られざる歴史について独特の切り口で面白く語ってくれるので楽しませてもらっています! 情報収集がうまいですね。あと喋り方もお上手です。
今回もためになりました。「怒りの葡萄」また見たくなりました。
これだよua-cam.com/video/Pk7kPd_T9KU/v-deo.html
ソビエト連邦、強大でしたね、私は、元自衛官ですが、昭和の終わりまで、ソビエトを意識して、北海道が最前線部隊でしたね。冷戦時代でしたね、時代は代わり、中国が強大になり、今は南の沖縄が最前線部隊になりましたね。本当に世界が目まぐるしく変わりましたね。
自分も、北海道東部普通科部隊
可成り近いですね?
同年代に、在隊しています
自分の勤務地は、北海道東部釧路駐屯地
五十九年十月迄勤務為ていました
此は、個人情報でも無いので、公表為ます
爆笑
当時の北海道東部は、最前線
今は、アカ認知症シナ狂に、気を、取られて、西方重視
以前、隊友会の講演会で、質問した事有ります
北海道の自衛隊を、師団から旅団化為て大丈夫?
旧満洲の二の前は、有りませんか?
当時参院選に、出馬予定の防衛庁出身者は、答えれず
爆笑
懇親会では、多分、幹部だった年配者が、
良い質問したね
と言って来ました
爆笑
何か、懐かしい限りです
お互い、年金迄、健康で過ごしましょう
敬礼
以上
ソ連時代1980年の夏、極東の街ナホトカで2週間ピオネールキャンプに参加したことがあります。
当時子どもだった私はロシアの方々に大変親切にしていただき、良い思い出しかありません。
ですので、今のウクライナの侵攻の惨状を見てどうしてもあの優しかった人たちと同じ国とは結びつきません。
ロシア語の歌や踊りを教えてもらいました。具合悪くなったときにもあちらのドクターが親身に介抱してくれました。
毎食ロシアンティーが出てきたのは美味しくて今でも鮮明に覚えてます。
そういえば、乗用車が少なかったのはそういうことからだったのですね。
笑顔はバカ…😅 ちなみにあの頃一緒に遊んだロシア人の子たちはいつも笑顔で迎えてくれましたよ。元気にしてるかなあ…と思い出しながら視聴しました。
ソ連についてわかりやすいお話をありがとうございました。
日本がこれからも2600年以上続く国であってほしい
国が困った時に医療や資金で助けてくれる今の日本にはほどほどに満足してます。
ソ連時代の方がいいって感想は、ここ三十年の中で社会システムが激変したことについていけず、「ソ連時代の生活」と「現代の希望を見いだせない生活」とを比べたときに、まだソ連時代がよかったいう感想でしょうね。
年配は資本主義についていけず、若者は職に就けずって現状があるらしいので。
X
ソ連が失敗した原因として「平等を追求し過ぎて経済が発展しなかったから」と言われるけど、実際は「国民の国家への貢献や能力で待遇差別される実力主義で、一部の勝ち組と特権階級が利益を独占する社会で、理想と違い過ぎたから」何だよね。しかし資本主義ならソ連時代より豊な生活遅れてるかと言うと、行き過ぎた市場化は一層の貧困格差を拡大させ続けてるのがロシアの現実。そういうギャップの問題もあるんでしょうな
@@alexa-lc2gx 知らなかったです。勉強になりました!
今プーチンのウクライナ侵攻を支持する人たちはソ連時代の生活にノスタルジーを求めている年配の方々と聞いています。
今日も面白かったです。毎回ちょこっと見る尺としてちょうどいいです!あとイギリスだけじゃなくてソ連の話もOKなんですね!ヨーロッパだと色々ゆる~い感じのオランダに興味ありますので機会があれば北欧近辺もお願いします。
物理には偶然が無いので、多分多元宇宙論が結論でしょうね。多元宇宙論だと偶然ではなく必然で上手くいった宇宙に我々が居るんでしょう。一説では宇宙の種類は 10×200乗あるらしいので、その中の1ケが我々の宇宙なら納得できます
CAをしていますが、ロシア線の接客時は笑顔をむやみやたらしすぎないように考えながら乗務してます😂
おお、今でもなんですね。私が知り合ったロシア人達は日本で知り合ったせいかフレンドリーでした。
@@コーヒー命-m6p オレのじいちゃん、ソ連軍にケツ穴掘られました。
@@コーヒー命-m6p 自分も、ソ連崩壊後、沢山のロシア人の女の子知って居ます
はっきり言って、白人の一番汚い部分が、もろ出し
当時は、未だ、崩壊直後で、ダンサーとシンガー名目の実質は、ホステス
同じ店のフィリピン人やシナチクを、軽蔑していた
はっきり言って傲慢、嘗めた態度
長年日本に、住んでいるウクライナ人は、中々面白い
現役時代に、ロシア語の出来る同期が、居て、
スバシーバー(ありがとう)
ダー(はい)
を、教えて貰いましたが、此が、先程のロシア人の女の子に、意外と受けて、他の単語も、教わりました
爆笑
文化の違いは、郷には入れば郷に従う
ですね?
以上
@@川村充昌 何故高齢者の文章は揃いも揃って散文なのでしょうか…
@@九井りょんりょん
認知症の中核症状、失語の類かもしれませんね。
祖父にも似たような症状がありました。
とてもいいポイントを見せてくれていますね。この調子で頑張ってください。
おすすめ動画に出てきておもしろくて一気見しちゃいました!
ふだんはゆっくり系をよく観るのですが声や話し方が心地よくて聞きやすいです。
せっかくユニークで濃密な内容ですし概要欄に可能な範囲で参考資料や出典を載せていただけるとチャンネルの信頼度や品格がさらに高まると思います!
まりんぬさんの動画ってわりと大学の講義レベルなこと多くてどんな人なのか気になる…良い資料にあたれる、それを上手に再構築して面白い動画にできるなんて、こんな先生がオンライン授業してくれたら最高だろうな。何を専攻して、修士なのか博士なのか、今でもアカデミーの世界でお仕事なさっているのか…いつか公開できる範囲でまりんぬさん自身の動画もあげてほしいな。
これだよua-cam.com/video/Pk7kPd_T9KU/v-deo.html
@@alexa-lc2gx 面白くて軽く勉強できる動画を学生じゃなくてガキジジに見させるくらいの面白さがすごいってことが言いたいんじゃね
そんな細かいとこじゃなくてさ
はじめまして!いつも楽しく動画を拝見しております。まりんぬさんの歴史動画は今まで触れることのなかった「そういえばこれってどんな歴史だったんだろう」という好奇心を突いてくるので、本当に興味深いです。
可能でしたら、動画作成の参考にした文献や資料館の情報などを記載いただけると、自分でもっと詳しく調べられると思いますので、ぜひご検討いただけると幸いです。これからも動画楽しみにしております。
結局、社会主義って分配する中央機関が豊かになっちゃってやりたい放題になっちゃう気がする、、、
うぉおお、テスト前にみれば良かった!!!!まとめかたがとても上手でとても面白い!
政府非公認の情報のような気もしないではないですが、どんなテストにでるんでしょうね。
まりんぬさんがこんな感じの情報をどんな方法で集めてるのかめっちゃ気になる…
確かに、気になる。色々な本読んでも知らないことあったし。すごい。
気になりますね。こういう話は、佐藤優さんや、鈴木宗男さんや、亡くなった米原万里さんの本で、面白いサワリの部分は触れられることがありますが、日本人にとっては秘話になってしまう。日本国は外国を正しく知るべきなのに、秘話扱い。首をつっこんだら恐いから止めとけという人も居る。まりんぬさんは、セキュリティも意識されておられると思いますけど、お気をつけて。 10年位前から世界がギスギスしてきて不安なので、大変ほんわかして嬉しいです。
単純に普通に検索して調べただけでは
ちゃんと情報を集めようと思えば集まる
@@赤血球-o9e とても検索する能力が高いのかもしれないですね。
これやろua-cam.com/video/Pk7kPd_T9KU/v-deo.html
旧ソ連時代、ロシア語に興味持ち勉強した40代です。今回の動画拝見致しました。当時の車購入や共同住宅(コムナルカ: коммуналка)等が事実であったものの、内容は革命後から戦後スターリン時代の市民生活が中心、かつ一気に時代が飛んで'86年ペレストロイカ後の一部のみの紹介。ソ連時代に哀愁覚える多くの人々の現実や記憶に対し「何故そう感じてる人々が多いのか?」という点とのつながりに違和感が残るのが正直なところでした。なぜ哀愁覚えるのか、素朴で娯楽の少ない国だったからこそ、愉しみも存在した内容を伝えるのが最適だったかもしれませんね。中古本も見付かり難い絶版本かと危惧しますが、80年代後半出版された『モスクワの新人類たち ~誰も書かなかったソ連の高校生活~(主婦と生活社)』は非常に印象深く、当時の市民生活の息吹がかなり感じら面白いエッセー作品です。そちらを踏まえていくと上記ポイント及びロシア他旧ソ連圏の人々の性格も掴めるかと感じます。
日本在住のロシア人UA-camrのお母様が若い頃の旧ソ連時代の話をしたのを観たことがありますが、国内を旅行したり登山をしたりなど結構楽しかったと語っていらっしゃいました。
そのUA-camrは、日本人はソ連(時代)を怖いとよく言いますが、そんなことはなかったんですよというようなことも言っていました。
新人類…マユリチカの本ですね。私も持っています。
ソ連の人たちは、本を読み、時間を掛けて料理や日曜大工をして、学校休暇の時はサマーキャンプへ、アネクドートで笑って……物資や不便さはありましたが、精神的豊かさもありました。
その辺りも動画に入れてもらえると良かったかな、と思います。
@ 風緒ふわり
私も見た。ピロシキーズのかな?
スターリンの時代じゃなかったみたいで割と自由だったけど物資は不足していたみたいで、靴を買ってもらって穴が開いても履いてたとか、日本の時計がすごい性能がいいのに驚いたとかおっしゃってましたね。
スターリン「日曜日って何?」ワタミ「ですよね」
ソ連に行ったと言えるのか微妙ですが、親の仕事の関係で子供の頃に何度かトランジットで崩壊直前のソ連に立ち寄ったことがあります。トランジットでも待ち時間は半日近く、ひどい時は2泊くらい宿泊をしなければならない時があったんですが、子供ながら漠然と「この国、なんか雰囲気が怖い…」と思っていたんですよね。この動画を見て理由が分かった気がします😅きっと笑顔を向けられなかったのが子供ながら怖かったんですね。
今回の動画もとても興味深かったです!これからも楽しみにしています😊
はじめまして。私はソ連が崩壊して3日目の旧ソ連の空港でトランジットの経験をしました。
機体の出口のすぐそばには大きな銃を持った兵士が立っていました。成田から中欧の国への途中のことでした。
共同運行便だったためのトランジットでした。
当時の空港内のインフラの部分も酷かったです(洗面所)。小一時間のことだったと思いますが、大人の私でも怖いと感じた独特の雰囲気は今でも忘れられません。出発後、目的地の空港上空の夜景を見て安堵しました。あの頃のことを共有出来る方がいたことに感謝します。
まりんぬさん、おはようございます。
初めまして、ユーモアがあって分かりやすい動画を有り難うございました。
とても分かりやすかったです、又視聴させていただきます。
まりんぬさんの動画はホント楽しくて勉強になり知的好奇心を満たしてくれます。
これからも楽しみにしています。
応援しています!!
パラダイスみてぇな国が作りてぇ
(クソボイス)
ばっちり脳内再生出来た自分が何か嫌ww
ぴよぴよぴよぴよー
どうしたんだ?
っティーンズパラダイス
確かに選択の自由や格差から発生する苦しみは無いですね。
面白い よく情報集められましたね
何を買うのも行列でトイレットペーパーも固い紙を使ってるなんてちょっと生活キツイですね
にもかかわらず70%の国民がこの頃は良かったと思っているとは驚きです
たまたま関連動画から拝見しましたが、めちゃくちゃ面白い!
このチャンネルを見つけられて良かった!過去の動画もたくさん見ていきます☺️
ソ連時代というと、椎名誠さんの昔のドキュメンタリー番組を思い出します。トラックに乗って雪のシベリア横断だったかな。運転手さんは明るい人だったけど、商店のおばちゃんは無愛想。商品はカウンターの中で、しかもほとんどなくて、欲しい物を伝えると奥から出してくれるシステム。常に物資が不足している印象でした。でも貧困とは違う何か別なものを感じました。
私、最近はまりんぬさんの更新が楽しみで仕方がない!
今回も楽しくて知識の増える動画をアップしていただいてありがとうございます!
ソ連時代は良かった、で思い出したんですが、ソ連時代のアイスクリームは激ウマだったそうです。
今ではもう味わえないとか・・・。
私の友人は秘密都市に両親と住んでいたようで、家で西側のポップスのレコードを聞いていたり、学校に世界中の子供たちがいたそうで、スターリン時代が一番華やかで活気があり、アンドポフ時代が最低だったと言ってました。
秘密都市って西と東の良いとこ取りみたいな所だったのでしょうかね。
何だか楽しそう。
宇宙開発都市と言うものでしょう。
いつも貴重なお話ありがとうございます。非常にわかりやすい語り口で理解できました。
ソ連はオリンピックでめちゃくちゃ強かった思い出があります。その背景もまた知りたいです。
とても面白かったです。ソ連時代の様子ってあんな感じなんですね。
いちばんビックリしたのは行列を作っていたということでしょうか。ちゃんと並んで待つ国民性があったんですね!
じゃないとシベリア行き?
@@松竹梅-h1s さん
めちゃくちゃあり得そうなのがイヤですねw
仕事のシフトに関しては言われた通り今の日本と変わんなくねって思ってしまった笑
めっちゃ、興味深い内容でした!
いつも楽しく勉強させていただいております!ありがとうございます!
ソ連の事がよく分かって しかも勉強って感じじゃなくて 面白く紹介してくれたので すごい入ってきました(^^) これからも楽しい動画あげて下さい 応援してます
いつも楽しみにしています!今回も面白かったです!
先入観かもしれませんが、あまり微笑んでいるイメージがないのもこういうことが背景の一部なのかもしれないですね。
このバランス感でよくアメリカと張り合っていたものだなぁ。。
日本人は訳分からない笑顔で返事しますよね❗❗私も得意です❗😄😄✌✌✌👏👏
興味深いテーマでした。面白かったです☺️
2018年に北京からシベリア鉄道で入りロシアで3ヶ月過ごしました。Airbnbで一般家庭に泊まり、どこも建物の入り口、その階のアパートの入り口、それからさらに個室の入り口と鍵が3つありました。以前はフラットと言って一階全部が一軒の家だったのを小分けして1LDKにしたようでした。
そして入り口がまずわからないのはどの建物も通りに面していない裏が玄関だったからです。知らずにいつまでも表で待ってました。しかしモスクワの市街地は西洋と同じ表玄関でした。
おもしろかった~笑っちゃいましたよ。まりんぬサイコー
「え、大したことなくね」どころか、完全週休2日を国を挙げて保証してくれるなんて超絶ホワイトじゃんと思った
食事を買う為に半日潰れそうだし、休日は休めなかったんじゃないかと思います。
ソ連の休日は日本人の休日とは全く違うんじゃないですかね
独身でゴロゴロ、趣味をする、スマホで動画見るとかの休日は無さそう
@ほけきょほー 「頑張っても贅沢はできない栄養不足…便利な家電はないから、家事には時間がかり家に居ても休まらない」 これ現代資本主義社会でも普通の光景定期…。家電は進化しても、時間ができた分労働時間をさらに増やされるだけの社畜社会…。だから現代ロシア人の75%が「ソ連時代のがマシ」とか考えちゃう程、資本主義もまた行き詰まってるのよな…。
@ほけきょほー 日本はまだ比較的「平等」が良い意味で担保されてる方でしょうね。しかしより競走格差の激しい欧米の底辺層は。そして今の日本も欧米型の超格差社会に向かいつつありますからね。皆保険制度もいつ破壊されるやら。ソ連のような「頑張っても下々は報われない社会」は他人事では無くなりつつあると思います。後スマホ強調してますけど、それを「豊かさの象徴」とか思い込んでる自体、やばいのでは…。スマホくらい途上国でだって普及してますが、若者が家も車もまともに買えない社会にはなりつつあります
@港山 まあ寄付文化だから意外と公的に寄らない援助は多いが、そういう民間の自助が拡大する社会は、大概貧困が拡大固定化しつつあり、公的補助も作細る社会でもある。日本も子供食堂が急拡大してるニュースあるけど。あと貧困層向けの医療って大概質が低く予約に長い時間待たされたりと、日本の医療などとは比較にならないくらいサービス悪かったりする。建前上は皆等しくサービス受けられるが、質は平等ではない…特権層との格差…そういう所もソ連かよと…。
働くの好きアピールきも
歴史が大嫌い35歳。まりんぬさんのおかげで、楽しくなってきました😊
知らない事ばかりの内容です。
まりんぬさんとの出会いに感謝‼️
3年前にロシアに行きました。
当時3歳の息子とモスクワの地下鉄をのりたおしていたのですが、立って息子抱っこしていると、ほぼ100%の確率で席を譲ってくれました(若者が座っていたら、その席どいてやれみたい目線を老人が送ってたこともありました笑)
政府は今色々と言われてますが、国民には良い印象しかないです。
ちなみに、モスクワ地下鉄のドアはギロチンと言われるくらい閉まるのが早かったです(電車が止まる前にドアが開いてたような。。。)
子供の頃、ラジオが好きでよく聞いていると確か赤のなんとかってソビエトの日本語の放送がありソビエトにはジュースの自販機が沢山あり、一杯10円で売ってるって聞いて羨ましかったな。
プロパガンダだったんだね
ソ連について学んでいても、わからなかった事もあって面白かったです!
これからもお体を大事にしながら頑張って下さい。
あのソ連が崩壊したって聞いた時は「なんの冗談や」って思ってめっちゃびっくりしたの覚えとる!
アメリカと並んだ国ってイメージが強くて崩壊するなんて夢にも思わなかった
とても面白いので登録しちゃいましたぁ~ーー🎵
学生時代にアエロフロート航空で西ヨーロッパに旅をした時、モスクワのチェルメシチェーボ国際空港でトランシットホテルに1泊泊まる事になった時、まず驚いたのがホテルレストランが営業していなかった事でレストランのコックが済まなそうに片言の英語で「夕食は出せないがキャビアなら安く売るから買わないか?3ドルで良いよ」とキャビアの大びんを渡された時、安いから買っちゃえと3ドルを紙幣で渡したらコック大喜びだった事が印象的だった。多分、賃金が安すぎるから食材を宿泊客に横流しでもしたんだろうな。
素晴らしいビデオありがとうございます
確かにこれだけ並ぶなら、娯楽は時間をたっぷりかけられる本がいいですよね〜
私は、今、ロンドンの会社で働いています。同僚に、50代のラトビア人とリトアニア人の方がいます。彼女達は、2人で雑談する時、英語からロシア語に切り替えます。
両者とも20歳頃にソ連邦が崩壊し、そのあと本来の母国がEUに加盟したため、英国に移住し仕事を得て、ロンドン市民としての生活を謳歌しています。決してソ連時代が良かったとは言わないですが、ソ連の教育制度は充実していて、現在の英国と比べても水準が高かったと感じると言っています。
母国語とロシア語と英語を自由に話す彼女達を見ていると、日本人には知り得ない激動の歴史を生き抜いてきたんだなぁと感慨深いものがあります。
昨年、英国はEUを離脱したので、これからも欧州の政治情勢は、人々の生活や人生に大きく影響を与えていくんだなぁと思います。
戦後の日本は、バブル崩壊とかリーマンショックはあったけれど、総じて安定した国なんだなぁと感じます。
面白くていつも見ていますが、
夜に動画を流したまま寝ることも多いです。
声を聞いてると何故か安心します。
知人がロンドンでB&Bに宿泊した際。
オーナーがロシア人でインテリアがめっちゃ独特でたじろいだところに、レセプションのロシア人女性から無表情で「ヘロー。キャナイヘルプユー」と言われめっちゃ怖かったとの事ですが、この動画を見て納得しました!
ロシア(旧ソ連)的に笑顔はいけないんですね😳
動画面白いです。即登録しました。明日からまた、楽しみが増えました。
ロシア人ユーチューバーアシアさんの動画で、お母さんがソ連時代の思い出語るのがありました。牛を飼って美味しい牛乳飲んで手作りの服を着て楽しかったようです。
マックの「理由が無いのに笑うのはバカの印」笑ってしまった😄いつもありがとうございます💖
ありがとうございます。ソ連の庶民の生活が、よく分かりました。私は、趣味で執筆してるのですが、父が、ソ連に奴隷労働させられた事もこれから書く予定です。もちろん父はモデルです。今、満州赴任時のことを書いてます。
それにしても今のロシア人がソ連邦時代を懐かしく思っているの聞いたときは、びっくり‼️です。
ソ連時代の悪ガキの悪戯の定番が
「閉まってる店の前に並ぶ」というもの
ソ連人は習性として列を見つけると「何か売ってもらえる」と思って列に並ぶからそれを見て楽しむんだとか
これはマジ。
ロシア人ほんとに並んでるの見たら並ぼうとするのよ。
6:03ペーパーハウス好き
本当に、史学科の学生時代に勉強して忘れてた事を思い出せてくれる動画です😳❣️
当時死にものぐるいで勉強したのに、社会人になって歴史に触れなくなると3年くらいで知識空っぽに😣💦
また勉強の欲が出てきました🙏ありがとうございます🙏🙏
怒りの葡萄❗❗視ました❗多分半分位寝てた❗❗けど何だか感銘を受けた❗😄😄
ちょっと控えめな笑顔が可愛い❤️
ロシア人の友達も、ソ連時代が良かったと言っていました。父親が医者、母親が教師の家庭で「ソ連では中流」だったらしいけど。
あと、1970年代制作の子供向けミュージカル映画を見せてもらいましたがオリンピック選手出演満載の超豪華な映画でした。
「今は選手のギャラが高くてもうこんな映画は見られない」さすがソ連、という感じですね。
ということは、スポーツ選手って基本的に儲かる(一攫千金を含めて)お仕事なんですね。
@@ポイントポット さん
そうなんですかね。ソ連時代は労働者でしたが。
@@natsukoy9909 さん
ギャラが高いということは現在ではそういう位置づけなのかと推測しました。
@@ポイントポット さん
日本と同じような額かどうかはわかりませんが…今度友達に会ったら聞いておきます。
ソ連時代の車やバイクってなんかいい味出しているんだよなぁ
8:14 いらちってなんだろうって調べちゃいましたけど、せっかちって意味なんですね!私も並べそうにありません笑
ソ連は行ったことないですが今のロシアへ、アメリカと違い女性の美人が多く若い人々はほっそりしてた。
近代的な所と古い部分の混ざっていると感じるが好感を持てた。
ウクライナ人の友人がいますが、彼女の少女時代~学生時代は勿論ソ連でした。
学校では先生に触られるのは罰を受ける時だけだったそうです。
それ以外、褒められる時すら触られる事は無かったそうです。
だから今でも、ハグや肩を叩くなど、人から触られるのは恐怖があると言ってました。
お子さんもいますが、子供にも愛情表現で触る事は苦手の様です。
私にとって、ソ連は謎の国でした。勉強になりました!
有難うございます!
日本に生まれた事がいかにラッキーだったかと思いました
アラサーですが、小学校の授業で黒板に布製?の古い世界地図が貼られてて、先生が「あー、ココいまロシアねー。」とマッキーで「ソヴィエト連邦」の上から書いてた記憶があります。東西ドイツのところも書き直してました。
ソ連からの訪問団が日本に来ることになりました。
ウラジオストックから新潟港に着いて新潟駅に行き日本国内の都市に行くのだが、20人くらいの団体だったが新潟港から新潟駅までみな荷物持って数キロ歩いて行きました、普通はバスを手配してるものだけど。
ソ連時代なので日本の情報が無かったのか駐日ソ連大使館も世話する気がなかったのかソ連国内でもこれくらいの不便は当たり前なのだろうかと思いました。
旧ソ連のお話、とても興味深かったです。’消えた国’繋がりで、旧ユーゴの歴史や生活状況にも興味があります。もし機会があれば、教えていただけたら幸いです!よろしくお願いします!
大阪万博で 人気のアメリカ館(月の石)は 行列がすごくて 諦め、ソ連館に入りました。ソユーズ宇宙船や 大規模開発のジオラマなど面白かったです。
ロシアになってだいぶ経つのに、いまだにソ連って言っちゃう。
イオンなのにダイエーって言っちゃう。
きっと私もあの頃は良かったって言っちゃうタイプ。
笑いながら学べていつも楽しいです🤍
行列と言えばイギリス人は自分の順番が来るまで行儀良く待つのが得意と言われているけど、ソ連ではイギリスとは比べ物にならない程の行列を強いられたんだね。
おすすめ動画に上がってきたので、お!と登録しました。
学校では決して教えてくれなかった歴史を、わかりやすく面白く、時に現代語を交えて解説してくれて、はまってます。
マックの0円スマイル😆爆笑。
いつも分かり易い動画ありがとうございます。
50過ぎても沢山知らないコトがあり
丁寧な動画ありがとうございます
ソ連は行ったことないですが、5年程前、モスクワとサンクトペテルブルクに行きました。
動画で、「意味なく笑うのはバカだ」という話がありましたが、これは当時でも残っていました。
モスクワに着いて、国内線に乗り換えるのに時間があったので、
受付のような所へ行き、「この建物内でタバコを吸える場所ってのはないのですかね」
と聞くと、いかにもインテリっぽい顔をした男の人に、「ここはインフォメーションセンターではない!」
と、怒られました。
ま、ロシアは建物内では禁煙というルールを知らなかったこちらも悪いのですが、……
町中のレストランのウエイトレス、スーパーの従業員も、怖い顔をしていました。
一緒に行った人も、「綺麗な顔をしているんだから、ちょっとは愛想を振りまいたらもっと可愛いのにね」と言っていました。
ホテルのスタッフは結構普通でした。
人が宇宙にいける技術よりトイレットペーパーの方が後にできた
極超音速ミサイルはできても自動車、半導体、スマホはできない
ノルマとかいう概念を作ってしまった
自分も古代西洋専門だと思ってました。資本主義の我が国も精神的に結構大変なので社会主義も精神的には良かったのかも?
世界不思議発見のUA-cam版、今後も楽しみです。