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戦国武将の遺骨からの推定は伊達政宗、徳川秀忠、石田三成など。医学が進化し、骨からの推定は、ミリ単位で可能でかなり精度が高いです。骨から将来の身長なども推定することも可能で医学の進歩には驚くばかりです。自分はもう伸びなくともキッチリ学べば子供などの身長も伸ばせる可能性もあります。興味のある方は深掘りしてみて下さい!
14:05 本多の「多」が「田」になっています
戦国武将の背丈って全然知らなかった!山県昌景が断トツの小兵…武田家の武将は軒並み小兵、よく言われる『甲斐の山猿』って、家臣団の背丈を揶揄する言葉だったりもしたのかな。
長谷川無双という「デカさこそ正義」がキャッチコピーの漫画で当時の武田家臣の身長などが描かれていたので、興味があれば調べてみて下さい!
たいへん興味深い内容でした、ありがとうございます!個人的には、島津四兄弟の身長が気になります。
例えば、島津義弘はネットでググると190cm以上と複数の場所で書かれていましたが、彼の鎧を見るとそこまで大きい人だとは思えないんですよね。また島津家は身長に関する伝承も見つからず、割愛しました。
石川五右衛門と、風魔小太郎は伝承の身長ではないですか?真柄さんは納得
伝承ですめ。特に風魔は忍者活動をする上で流したデマの可能性があり相当あやしい感覚はあります
ルイス・フロイスが生きていた時代のヨーロッパ圏の人たちの平均身長が160センチ程とされているのでフロイスが信長を背が高いと書いているのは割と参考になりますね。
一般的(ネット)には日本史で中くらいの身長と書かれていたとされています。ただ、例えば、歴史人6月号で歴史研究家の小和田先生は信長身長は高いと解釈しており、このような様々な文献から高かったと判断しています🙇
@@エノタカ-c4d先程他の所にも書きましたが恐らくフロイス目線の中くらいなのでポルトガルの貴族階級の中くらい或いは市民階級の中くらいだと思われますね、日本史が本国への報告書も兼ねているなら前者の可能性が高いかと。
剣豪将軍義輝や宮本武蔵とかは180cm納得だが、あの松永久秀も180cmあったとは驚き。
彼の甲冑は非常に大きく、180cm程と推定されています。ただネット上では彼の装備していた甲冑は見つけにくく、創作とも言われています
お市の方と淀殿は当時の男性の平均よりも10㎝以上高いので、周りの男たちはウチの姫様でけえと内心思っていたでしょうね
やっぱり内心でかいとは思いますよね。この前、190cm強くらいのロシア人女性を見たのですが高身長女性は男性よりも印象にも残りましたね
織田家の血なのか。秀頼もデカかったと聞くしね。
黄色人種は背が低い傾向にある。東南アジア系も。インド人が意外とデカい。
@@ごんごんちゃん-c3e ネットで検索するといくつかのサイトは174cmほどと記載されていましたが、多くの統計では2024年のインドの平均身長は166cmほどと言われていますね。実際のところどうなんですかねえ~
日本人18歳の身長が急伸したのは1970年代以降ですよ。ローマ時代の精強な市民軍も160cm程度
海外も昔は平均身長が低かったようですねえ
身長が低くても筋肉質で武器を持ち、バネがあれば互角以上に戦えたのかもしれない
2m越えの真柄さんと160cmほどの本多忠勝の一騎打ちや身長186cmの鬼小島弥太郎と140cmほどの山県さんの一騎打ちで互角の記録が残っていることからもそれはありそうですね
でかいってだけで見映えがして美丈夫として一目置かれただろうねぇ。
力もよりありそうにも見えますからねえ。長谷川無双という身長のデカさを活かして戦国時代を成り上がっていく面白い漫画があるので良かったら調べてみてください!
家康が秀頼を見てごつくて美味しいそうと言ったの聴いたことあるの~。
本多忠勝って信長より小さかったんだ
あれだけの猛者でデカい印象がありますが、鎧から計測すると160cmほどとされています
真田兄弟の身長差がすごい
母、父ともに同じだそうですが、別の妾から産まれたと勘ぐってしまいますね!w
犬伏の分かれの画はいい加減だったんだな。
藤堂高虎と加藤清正は高身長兄弟と云われる程仲良しだったので清正も高身長だったのでは。清正の死後幼君の後見を高虎は家康から依頼される。
清正の低身長説は鎧からの推定くらいで伝承などはデカかったものばかりでしたね
元親身長180-185で長髪とかめっちゃイケメンアニメキャラやんけ
今でいえば2m近くあって相当デカいですね。実際のところ大きく見せていた可能性もありそうです
政宗様は墓所を復元する際に発掘調査されたので、正確な身長が割り出せました。でも御老体での数値なので、若い頃はもっと背が高かったかも。
確かにそうですね。骨から身長だけでなく体型や顔まで復元されてて医学って凄いなと思いました!
当時の栄養状態で2m前後とか多分獣肉食ってたんだろうなと思うんですよどうですか真柄さん
体重も250kgあったとされています。あの彼の太郎太刀を見ると少なくとも180cmはあったと推測できますが、220cmはなあ・・・wと思ってしまう自分もいます
武将じゃ無いけど、茶人の千利休の180㎝はかなり大きいよなぁ
大きいですよね。一説によると彼の高身長をひがんだ秀吉にやられたともいわれているほどです
秀頼の背が高いのは母父の浅井長政から来てると考えればあり得そうなんだけど。
確かに高身長だったとされる長政の血をひいているとすれば可能性はありますね~
北条家とか今川家とかの身長も載せてください😌👍🏾
滅亡してしまって資料が少ないのか、身長に関する記載もあまり見られませんでした。ちなみに今川義元は150cmほどと言われていましたね。
自分の中では明智光秀、千利休、松永久秀は小さいイメージだったので、意外に大きい。
光秀の有名なよく見る岸和田市・本徳寺の肖像画からの推定で174cmなので信ぴょう性は低いかもしれません。一方、利休は鎧からの推定で異様にデカいことから本当に180cmほどあった可能性はあります
大河ドラマに唯一本人が登場した伊達政宗
まさかの本物の遺骨が登場したみたいですねえ。今では遺骨から顔も復元されていて色々とすごいです😱
大河(1987年)の直前、1979年に墓所を復元する為に発掘調査されたんですよ。
キムタクもこの当時なら身長鯖読みしなくてもよかったな
キムタクは本当の身長は170cm程度で別にチビじゃないのに、176cm等と鯖を読んだのか理解に苦しむ。全盛期のイケメン具合なら、平均身長(170)あれば十分じゃないか?…。そんなに身長ってコンプレックスになるものなのか?? 僕はチビだけど、ちゃんと努力してソコソコの地位に居るし、家庭も持ててるからチビをコンプレックスと思った事はない。「チビがどうの」って言う人は『平均以上の身長以外には取り柄の無い人』が言うものであって、キムタクレベルの人物が身長鯖読むのはなんか性格が小物っぽいと思う…。
意外なところでは豊臣秀頼がでかいんだっけ?
千利休や松永久秀なども意外とデカいと言われていますね
演じたキ◯タクより、信長公の方が背が高かった説
実際のところどうなんですかね
面白いなぁかっこいい❤️👍
同じ人物でも大柄、小柄説があったり全然違うので面白いですよね🐱
当時180cm以上の武将は馬(ポニー)に乗ることが難しかったのではないでしょうか?
そうですね。馬に乗った際、斎藤さんなどは両足が地面についていた逸話もあります!
武将じゃないけど二宮尊徳は180cmあったそう。
銅像の子供のイメージからすると小さい印象はあったのですが、大きいですね〜
上杉謙信とかはかなり小さかったと思う。勝手なイメージだけど
自分は謙信や信玄は最初デカいイメージを持っていたので意外でしたね
@@エノタカ-c4d そうですか?僕は謙信は小柄で細身のイメージ有りますよ。趣味も女性的で源氏物語とか読んでたらしいですから。なんなら女性ではなかったのかとすら思っています。風林火山という古い映画を見た事が有りますがあれに出てきた謙信はちょっとイメージが違います。それよりも天と地との謙信と信玄は凄く似合ってたと思います。
一番身長が低かったのは江戸時代だったらしいが。
そうみたいですね。明治時代以降の1900年代から急速に身長が伸びてきました
利休がデカかった、ってのも結構知られてますよね
実際の利休の鎧が残っていましてかなりデカくて少なくとも175cmはあると言われていますね
戦国時代の馬がモウコノウマ系(小柄で今ならポニー扱い)も納得。
当時の馬も現代よりも小さかったのであれば、人も小さかったのも納得できるところですね~
日本人の平均身長が一番低かったのは江戸末期から明治初期にかけてみたいです。飛鳥時代は戦国時代より高身長で、明治になるまで低くなっていき、明治になって高身長へ反転しました。明治で反転したのは、食生活が洋風になって乳製品や肉類を食べるようになっただけでなく、椅子も普及していったのも影響してると思います。明治期までは正座をして食事をしていたので、足腰への負担が大きかったみたいです。江戸時代までなかったのに、ナイフやフォーク、スプーンと違い、椅子には漢字で表記されてるのか不明ですが。
渡来人が日本にきて身長が伸びたのに江戸時代に平均身長が最低になったのは動物性のたんぱく質不足が主だと言われていますね。肉は仏教で禁じられていて、魚も動物性たんぱく質は豊富ですが、穀物中心の食事で特に魚などは庶民には高級品で食卓にのることも少なかったとか
>江戸時代までなかったのに、ナイフやフォーク、スプーンと違い、椅子には漢字で表記されてるのか不明ですが。椅子は中国の北方異民族王朝(五胡十六国)以降主流になっていたので、遣唐使の時代には椅子という道具・単語自体は既にあったと思います。日本では床几(いわゆる携帯椅子)くらいしか残らなかったですけど。スプーンは匙と言います。これは古代中国で麦飯を粥のような状態で食すため使用していました。つまり飯は匙、オカズは箸を使う訳です。日本では粥も箸で食すのですが、箸も使えないくらい衰弱した人に粥を食わせるために匙を使用していました(だから病人の治療を諦めることを「匙を投げる」というのです)。ナイフやフォークは、狩ったものを切り刻んで食べるという欧州狩猟民族の習慣の名残でして、東アジアでは儒教の考えで肉を切り刻むのは君子のやることではない野蛮な行為であるということで普及しなかったのです(だから肉を切り刻む行為は身分の低いものがやることなので「君子厨房に入らず」と言うのです)。なお現代漢語では小刀、叉子と言うようです。中華料理が大皿に切り分けられた肉が乗っているのはそのせいです。日本のトンカツも切り分けられて出てきますけど、欧州ならトンカツは切らずにそのまま出して、ナイフとフォークを持たせて食べる方がウケるのかもしれません。
幕末結構でかい人多いよね。
@@Nozy1978匙を投げる匙は薬匙ではないのでしょうか。
現在では2メートル超えの人がちらほらいるように、当時での大柄な部類、170台や180台は確かにいたと思う。ただ、2メートルを超えていたり、その近くまでいってしまうと眉唾なんだよね。秀頼の197なんてかなり盛っていると思う。秀吉の実子なら当然ありえないし、実子じゃないにしても父親がかなりの高身長となってしまう。それでもいいとこ180台な気がする。それでも当時なら山のような大男に見えるだろうし。
確かに自分も2mクラスはちょっとなあ・・・と思ってしまいます。ただ、現在の日本でも2m20cm超える人はネットレベルでも調べると数名は出てきますから必ずしもいないとは言い切れないのも事実です
八尺五寸かと思ったらやっぱり義龍だった
体重もすごかったみたいですが現代にいても相当デカいですよね
宇喜多直家の画像が宇喜多秀家になってるけど、直家で合ってるのかな?
秀家の間違いです!素で間違えました🙇 ご指摘ありがとうございます
大谷翔平みたいな秀頼で草生える
ほぼ間違いなく大谷さんをイメージしているかと思いますw
荒木村重の顔が張飛っぽい
ワイルドで荒々しい感じが張飛と似てますね。実際の村重の肖像画とも少し似てますね
ルイス・フロイスはキリスト教に対して弾圧した人保護した人で評価にかなりの差をつけていたようなので、ルイス・フロイスの評価はあてにならないと思っています。
確かにw それはありますねー,それにしても身長も気に入らなければ低くしてたんですかねえ?
@@エノタカ-c4dさん(切支丹弾圧した)秀吉に対する醜悪な容貌なんて悪意に満ちた言い方でしかないですから、どこまで信用出来るのか疑問です。ただ、見た目の評価はともかく身長に関しては、贔屓や嫌悪等でそこまで適当な評価はしないかもですね。
コーエーの画像かな?
そうです。ゲームの信長の野望の画像です
ドヤ顔でみんなミニモニクラスかと思うとちょっとホッコリするよな
確かに、少し可愛らしく感じますね
忍ぶ気がまったくない風魔小太郎
めっちゃ思いました😂 あえて大柄の噂を流して惑わしたり、恐れさせていたのかもしれませんね
もしくは、陽忍(あえて目立つことで注意を引きつけ、仲間の諜報活動を容易にする役目の忍者)だったのかもしれん。もっとも、そんな忍者が本当にいたかどうかは確証はないが。
斎藤義龍もでっかいよなあ2m近くだもんなあ
デカすぎて当時の馬(ポニークラス)に乗って足が地面についてしまったという話もあるくらいですかねえ
因みに豊臣秀頼に献上された馬である太平楽は発掘調査から体高170cmはあったと見られてます(今のサラブレッドでこの体高に匹敵するのはキタサンブラックの体高172cm体重544kgです、世に無きお太り様と言われた秀頼の重量に耐え得るにはこれくらいの巨大馬が必要と思われていたんでしょうね、ベースがおそらく木曽馬なのでサラブレッドと違い足も丈夫だったと思われます)
中世のヨーロッパ人や馬も小さかった。
馬もポニーサイズだったと伝わっていて驚きましたね
秀頼デカい
しかも体重も100kg以上あったみたいで大谷さんよりもビックサイズ!家康が秀頼とはじめて会見した時にビビった話も残っていますが、自分より40cm以上もデカきゃビビりますよね
真柄兄弟たかすぎい
2m20cmは伝承ですね。さすがにそこまではないだろうな~と思っていましたが、彼のバカでかい太刀などを見ると少なくとも180cm以上はあったんだろうなと思っています
八丈島に流刑になった源為朝は2メートル超え
デカかったみたいですね
石川ごえもん 2メートル7センチも あったの❗
伝承では207cmとされており、NHKの歴史への招待では186cmとされていました。ただどれも資料が明確ではなく、あくまでも言い伝え、伝言ゲームから来ている身長と思ってもらえると幸いです
170以上は稀だと思うけど
今でいうと180cm以上になりかなり稀ですね。実際よりも大きく見せることはよくあることでけっこう大きめになっているんじゃないですかねえ
前田利家の振れ幅w
山中鹿之介と共に振れ幅大きめです😉
秀頼その画像だと烏帽子取ったら175ちょっとになりそう
頭のデコ上がめっちゃ長い設定で補正してもらえるとありがたいです!🙇
弥助より柴田勝家がでかいシャン。
弥助の身長は安土桃山時代にいた徳川家忠の日記に六尺二分と書かれています。勝家に関しては185cm説が強いもののそれだけデカいのにデカさの逸話がほぼないので結構あやしい感じはしますね
武田家の面々が軒並み低身長なんですねえ 騎馬軍団がポニー軍団だったと思うと何だか悲しい様な微笑ましい様な…
とても複雑な気持ちです。
どういうわけか、、、少しほっこりしますね
今は身長170cm以下の人は人権がないという人がいますが、そうすると戦国時代の人達の大体がそうなってしまいますね。実際にイメージすると自分よりも背が高くなってしまいます
三成、政宗、秀忠など骨から推測されている戦国武将の推定身長は160以下が多いですね。170cmは当時は相当な高身長で、実際、170cm以上の身長はの戦国武将は書物などの伝承が多かったです
一色義龍の母親は180超の身長だったと言われてます一方父親の斎藤道三は160に届かなかったそうです義龍自身もとても大柄だったようなので遺伝ってすごいですね
@@オレのそばに近寄るなああーッ-v5g 中世のヨーロッパ圏の市民層も含めてそうなりますね(中世ヨーロッパ圏の平均身長は大体160から165の間くらいです)
過去にもどって確認したい
タイムマシンがあれば、、、
源平時代の人達の方が江戸や明治の人達よりも高身長だったと大学で聞きましたね。日本は昔から指揮官クラスの人間は軍の平均身長よりもチビばかりだとも…
秀吉などもそうですが、コンプレックスがあるから頑張れるという人もいるのでパワーが出て昇進など出世していく人も多いですね
上野の博物館で見た縄文人の骨がかなりデカかった
六文銭ロックでは秀頼は信繁【真田幸村】の子供って設定になってるな。
淀殿は日本三大悪女の一人と言われるくらいなので色々な戦国武将と噂になっていたんでしょうねえ
1番可能性が高いのは大野治長ですね、淀とは乳母子の間柄で噂になってました、或いは呪術を売り文句に種付けをした輩が処刑されているなんて話もあるのでそちらの種の可能性もあります。
織田信雄が怪しいと思ってた。従兄弟程度だし
いつも思う事だけど本多忠勝はいつも本田忠勝と間違えられる😢最近では書籍でも多々あるから気をつけて欲しい😢
ネットの普及で自動変換で字を書く習慣がなくなったのもあると思います。ご指摘ありがとうございます🙇
大谷やん
ですよね、秀頼の顔グラは大谷さんがイメージされていると思います🐱
身長の話しは割とセンシティブなので慎重に取り扱って下さい
ご指摘ありがとうございます
やっぱり長宗我部元親、信親は戦国最強の高身長、美男子親子であり長宗我部元親の夫人である水心も明智一族でかなりの美女で信長の野望でも大人気です戦国最強の夫婦で元親はわざわざ京都まで迎えに行き素晴らしいおしどり夫婦で前田利家に次ぐ子だくさんでした。
元親は彼女と4男4女を産んだとされていますねえ
私の手元に中公文庫版の『フロイス日本史』があるがそこでは信長の容姿について「彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯」と書かれている(同書第2巻100ページ)背が高いなどとどこにも書かれていない。戦国時代の平均身長を考えると170センチは飛び抜けている。信長を盛りまくるのはテレビ時代劇だけにしといた方がいい。
ご指摘ありがとうごさいます!
@@三原宿禰 中くらいと言っても基準がわからないですね、日本人から見ると平均身長と見れますがフロイスはポルトガルのスパイだった可能性も考慮しないといけません、そうなるとポルトガル基準で市民階級の中くらいの可能性もあれば貴族階級の中くらいの可能性もあります、本国への報告書も兼ねているなら後者の可能性も視野に入れなければならないと思います。
実物大で制作された大徳寺の信長の坐像や信長所用の物と伝わる甲冑のサイズから、実際に165〜170センチ程度の身長だった可能性は高いです。ルイス・フロイスの言う中くらいが何を基準に中くらいと言っていたのかは不明ですが、普通に考えれば当時のポルトガル人との比較になるのでは?
220センチ笑た😮
ほんまかいな!という感じですが、彼の使っていたとされる太郎太刀を見るとあるかも、、、と思ってしまいます😀
真柄は身長ひくかったような気がするが・・・・小柄で170cmの太郎太刀使ってたんじゃ
当時の2メートル超えはそうそうに考えられないので実際はもっと低かったかもしれませんね
私が江戸老中の家系で185、大きな二重の目、高くて形の良い鼻、松下由樹を美人にした顔😊😊ちなみに親戚の結婚式行ったら私の血筋は高身長で美男美女が何人かいたがやっぱり私が一番目立つ😅😅
弥助は何時武将になったの?人として嘘はいけないと思います。
信長の野望では戦国武将として扱われています!そこらへんは柔軟に考えてみてください
ウチの街のお殿様は190センチあったらしい
当時で190cmは今も大きな方ですし、戦国時代だとめちゃくちゃデカいですよね。真柄さんのようにバカでかい日本刀の太郎太刀や草履などの遺品が残っていれば、より確信に近づいたのですが🤔
戦国武将ではないが、沖縄は与那国島の女酋長、サンアイ・イソバは身長が230cmと言い伝えられている。そんなことはあるまい、と思いながらも、本当だったら面白いなあと思う。
三重県の方ですかね。
@@t-nakahiroあ、誰か分かりましたね!
当時の大柄過ぎる人物に関しては、「大袈裟に伝わった」例が殆どで、そうでない場合は脳下垂体性巨人症みたいな病気の人だと思う。ちゃんと遺体から身長を調べた例以外はあまり信じない方がいいと思う。
特に伝承などはちょっと大柄なものが多い気もしました。大まかなイメージとしてとらえている方も多いと思います。
関羽とか張飛、呂布も同じですね。わざわざ何尺、何丈とか書くくらいですから
@@nownowswanow 確かに。本当かどうかはわかりませんがある程度の目安にはなりそうですね
戦国武将の遺骨からの推定は伊達政宗、徳川秀忠、石田三成など。医学が進化し、骨からの推定は、ミリ単位で可能でかなり精度が高いです。骨から将来の身長なども推定することも可能で医学の進歩には驚くばかりです。自分はもう伸びなくともキッチリ学べば子供などの身長も伸ばせる可能性もあります。興味のある方は深掘りしてみて下さい!
14:05 本多の「多」が「田」になっています
戦国武将の背丈って全然知らなかった!
山県昌景が断トツの小兵…
武田家の武将は軒並み小兵、よく言われる『甲斐の山猿』って、家臣団の背丈を揶揄する言葉だったりもしたのかな。
長谷川無双という「デカさこそ正義」がキャッチコピーの漫画で当時の武田家臣の身長などが描かれていたので、興味があれば調べてみて下さい!
たいへん興味深い内容でした、ありがとうございます!
個人的には、島津四兄弟の身長が気になります。
例えば、島津義弘はネットでググると190cm以上と複数の場所で書かれていましたが、彼の鎧を見るとそこまで大きい人だとは思えないんですよね。また島津家は身長に関する伝承も見つからず、割愛しました。
石川五右衛門と、風魔小太郎は伝承の身長ではないですか?
真柄さんは納得
伝承ですめ。特に風魔は忍者活動をする上で流したデマの可能性があり相当あやしい感覚はあります
ルイス・フロイスが生きていた時代のヨーロッパ圏の人たちの平均身長が160センチ程とされているのでフロイスが信長を背が高いと書いているのは割と参考になりますね。
一般的(ネット)には日本史で中くらいの身長と書かれていたとされています。ただ、例えば、歴史人6月号で歴史研究家の小和田先生は信長身長は高いと解釈しており、このような様々な文献から高かったと判断しています🙇
@@エノタカ-c4d
先程他の所にも書きましたが恐らくフロイス目線の中くらいなのでポルトガルの貴族階級の中くらい或いは市民階級の中くらいだと思われますね、日本史が本国への報告書も兼ねているなら前者の可能性が高いかと。
剣豪将軍義輝や宮本武蔵とかは180cm納得だが、あの松永久秀も180cmあったとは驚き。
彼の甲冑は非常に大きく、180cm程と推定されています。ただネット上では彼の装備していた甲冑は見つけにくく、創作とも言われています
お市の方と淀殿は当時の男性の平均よりも10㎝以上高いので、
周りの男たちはウチの姫様でけえと内心思っていたでしょうね
やっぱり内心でかいとは思いますよね。この前、190cm強くらいのロシア人女性を見たのですが高身長女性は男性よりも印象にも残りましたね
織田家の血なのか。秀頼もデカかったと聞くしね。
黄色人種は背が低い傾向にある。東南アジア系も。
インド人が意外とデカい。
@@ごんごんちゃん-c3e ネットで検索するといくつかのサイトは174cmほどと記載されていましたが、多くの統計では2024年のインドの平均身長は166cmほどと言われていますね。実際のところどうなんですかねえ~
日本人18歳の身長が急伸したのは1970年代以降ですよ。ローマ時代の精強な市民軍も160cm程度
海外も昔は平均身長が低かったようですねえ
身長が低くても筋肉質で武器を持ち、バネがあれば互角以上に戦えたのかもしれない
2m越えの真柄さんと160cmほどの本多忠勝の一騎打ちや身長186cmの鬼小島弥太郎と140cmほどの山県さんの一騎打ちで互角の記録が残っていることからもそれはありそうですね
でかいってだけで見映えがして美丈夫として一目置かれただろうねぇ。
力もよりありそうにも見えますからねえ。長谷川無双という身長のデカさを活かして戦国時代を成り上がっていく面白い漫画があるので良かったら調べてみてください!
家康が秀頼を見てごつくて美味しいそうと言ったの聴いたことあるの~。
本多忠勝って信長より小さかったんだ
あれだけの猛者でデカい印象がありますが、鎧から計測すると160cmほどとされています
真田兄弟の身長差がすごい
母、父ともに同じだそうですが、別の妾から産まれたと勘ぐってしまいますね!w
犬伏の分かれの画はいい加減だったんだな。
藤堂高虎と加藤清正は高身長兄弟と云われる程仲良しだったので清正も高身長だったのでは。
清正の死後幼君の後見を高虎は家康から依頼される。
清正の低身長説は鎧からの推定くらいで伝承などはデカかったものばかりでしたね
元親身長180-185で長髪とかめっちゃイケメンアニメキャラやんけ
今でいえば2m近くあって相当デカいですね。実際のところ大きく見せていた可能性もありそうです
政宗様は墓所を復元する際に発掘調査されたので、正確な身長が割り出せました。
でも御老体での数値なので、若い頃はもっと背が高かったかも。
確かにそうですね。骨から身長だけでなく体型や顔まで復元されてて医学って凄いなと思いました!
当時の栄養状態で2m前後とか
多分獣肉食ってたんだろうなと思うんですよどうですか真柄さん
体重も250kgあったとされています。あの彼の太郎太刀を見ると少なくとも180cmはあったと推測できますが、220cmはなあ・・・wと思ってしまう自分もいます
武将じゃ無いけど、茶人の千利休の180㎝はかなり大きいよなぁ
大きいですよね。一説によると彼の高身長をひがんだ秀吉にやられたともいわれているほどです
秀頼の背が高いのは母父の浅井長政から来てると考えればあり得そうなんだけど。
確かに高身長だったとされる長政の血をひいているとすれば可能性はありますね~
北条家とか今川家とかの身長も載せてください😌👍🏾
滅亡してしまって資料が少ないのか、身長に関する記載もあまり見られませんでした。ちなみに今川義元は150cmほどと言われていましたね。
自分の中では明智光秀、千利休、松永久秀は小さいイメージだったので、意外に大きい。
光秀の有名なよく見る岸和田市・本徳寺の肖像画からの推定で174cmなので信ぴょう性は低いかもしれません。一方、利休は鎧からの推定で異様にデカいことから本当に180cmほどあった可能性はあります
大河ドラマに唯一本人が登場した伊達政宗
まさかの本物の遺骨が登場したみたいですねえ。今では遺骨から顔も復元されていて色々とすごいです😱
大河(1987年)の直前、1979年に墓所を復元する為に発掘調査されたんですよ。
キムタクもこの当時なら身長鯖読みしなくてもよかったな
キムタクは本当の身長は170cm程度で別にチビじゃないのに、176cm等と鯖を読んだのか理解に苦しむ。
全盛期のイケメン具合なら、平均身長(170)あれば十分じゃないか?…。そんなに身長ってコンプレックスになるものなのか??
僕はチビだけど、ちゃんと努力してソコソコの地位に居るし、家庭も持ててるからチビをコンプレックスと思った事はない。
「チビがどうの」って言う人は『平均以上の身長以外には取り柄の無い人』が言うものであって、キムタクレベルの人物が身長鯖読むのはなんか性格が小物っぽいと思う…。
意外なところでは豊臣秀頼がでかいんだっけ?
千利休や松永久秀なども意外とデカいと言われていますね
演じたキ◯タクより、信長公の方が背が高かった説
実際のところどうなんですかね
面白いなぁかっこいい❤️👍
同じ人物でも大柄、小柄説があったり全然違うので面白いですよね🐱
当時180cm以上の武将は馬(ポニー)に乗ることが難しかったのではないでしょうか?
そうですね。馬に乗った際、斎藤さんなどは両足が地面についていた逸話もあります!
武将じゃないけど二宮尊徳は180cmあったそう。
銅像の子供のイメージからすると小さい印象はあったのですが、大きいですね〜
上杉謙信とかはかなり小さかったと思う。
勝手なイメージだけど
自分は謙信や信玄は最初デカいイメージを持っていたので意外でしたね
@@エノタカ-c4d
そうですか?僕は謙信は小柄で細身のイメージ有りますよ。
趣味も女性的で源氏物語とか読んでたらしいですから。
なんなら女性ではなかったのかとすら思っています。
風林火山という古い映画を見た事が有りますがあれに出てきた謙信はちょっとイメージが違います。
それよりも天と地との謙信と信玄は凄く似合ってたと思います。
一番身長が低かったのは江戸時代だったらしいが。
そうみたいですね。明治時代以降の1900年代から急速に身長が伸びてきました
利休がデカかった、ってのも結構知られてますよね
実際の利休の鎧が残っていましてかなりデカくて少なくとも175cmはあると言われていますね
戦国時代の馬がモウコノウマ系(小柄で今ならポニー扱い)も納得。
当時の馬も現代よりも小さかったのであれば、人も小さかったのも納得できるところですね~
日本人の平均身長が一番低かったのは江戸末期から明治初期にかけてみたいです。
飛鳥時代は戦国時代より高身長で、明治になるまで低くなっていき、明治になって高身長へ反転しました。
明治で反転したのは、食生活が洋風になって乳製品や肉類を食べるようになっただけでなく、椅子も普及していったのも影響してると思います。
明治期までは正座をして食事をしていたので、足腰への負担が大きかったみたいです。
江戸時代までなかったのに、ナイフやフォーク、スプーンと違い、椅子には漢字で表記されてるのか不明ですが。
渡来人が日本にきて身長が伸びたのに江戸時代に平均身長が最低になったのは動物性のたんぱく質不足が主だと言われていますね。肉は仏教で禁じられていて、魚も動物性たんぱく質は豊富ですが、穀物中心の食事で特に魚などは庶民には高級品で食卓にのることも少なかったとか
>江戸時代までなかったのに、ナイフやフォーク、スプーンと違い、椅子には漢字で表記されてるのか不明ですが。
椅子は中国の北方異民族王朝(五胡十六国)以降主流になっていたので、遣唐使の時代には椅子という道具・単語自体は既にあったと思います。日本では床几(いわゆる携帯椅子)くらいしか残らなかったですけど。
スプーンは匙と言います。これは古代中国で麦飯を粥のような状態で食すため使用していました。つまり飯は匙、オカズは箸を使う訳です。日本では粥も箸で食すのですが、箸も使えないくらい衰弱した人に粥を食わせるために匙を使用していました(だから病人の治療を諦めることを「匙を投げる」というのです)。
ナイフやフォークは、狩ったものを切り刻んで食べるという欧州狩猟民族の習慣の名残でして、東アジアでは儒教の考えで肉を切り刻むのは君子のやることではない野蛮な行為であるということで普及しなかったのです(だから肉を切り刻む行為は身分の低いものがやることなので「君子厨房に入らず」と言うのです)。なお現代漢語では小刀、叉子と言うようです。
中華料理が大皿に切り分けられた肉が乗っているのはそのせいです。日本のトンカツも切り分けられて出てきますけど、欧州ならトンカツは切らずにそのまま出して、ナイフとフォークを持たせて食べる方がウケるのかもしれません。
幕末結構でかい人多いよね。
@@Nozy1978匙を投げる匙は薬匙ではないのでしょうか。
現在では2メートル超えの人がちらほらいるように、当時での大柄な部類、170台や180台は確かにいたと思う。ただ、2メートルを超えていたり、その近くまでいってしまうと眉唾なんだよね。秀頼の197なんてかなり盛っていると思う。秀吉の実子なら当然ありえないし、実子じゃないにしても父親がかなりの高身長となってしまう。それでもいいとこ180台な気がする。それでも当時なら山のような大男に見えるだろうし。
確かに自分も2mクラスはちょっとなあ・・・と思ってしまいます。ただ、現在の日本でも2m20cm超える人はネットレベルでも調べると数名は出てきますから必ずしもいないとは言い切れないのも事実です
八尺五寸かと思ったらやっぱり義龍だった
体重もすごかったみたいですが現代にいても相当デカいですよね
宇喜多直家の画像が宇喜多秀家になってるけど、直家で合ってるのかな?
秀家の間違いです!素で間違えました🙇 ご指摘ありがとうございます
大谷翔平みたいな秀頼で草生える
ほぼ間違いなく大谷さんをイメージしているかと思いますw
荒木村重の顔が張飛っぽい
ワイルドで荒々しい感じが張飛と似てますね。実際の村重の肖像画とも少し似てますね
ルイス・フロイスはキリスト教に対して弾圧した人保護した人で評価にかなりの差をつけていたようなので、ルイス・フロイスの評価はあてにならないと思っています。
確かにw それはありますねー,それにしても身長も気に入らなければ低くしてたんですかねえ?
@@エノタカ-c4dさん
(切支丹弾圧した)秀吉に対する醜悪な容貌なんて悪意に満ちた言い方でしかないですから、どこまで信用出来るのか疑問です。
ただ、見た目の評価はともかく身長に関しては、贔屓や嫌悪等でそこまで適当な評価はしないかもですね。
コーエーの画像かな?
そうです。ゲームの信長の野望の画像です
ドヤ顔でみんなミニモニクラスかと思うとちょっとホッコリするよな
確かに、少し可愛らしく感じますね
忍ぶ気がまったくない風魔小太郎
めっちゃ思いました😂 あえて大柄の噂を流して惑わしたり、恐れさせていたのかもしれませんね
もしくは、陽忍(あえて目立つことで注意を引きつけ、仲間の諜報活動を容易にする役目の忍者)だったのかもしれん。もっとも、そんな忍者が本当にいたかどうかは確証はないが。
斎藤義龍もでっかいよなあ2m近くだもんなあ
デカすぎて当時の馬(ポニークラス)に乗って足が地面についてしまったという話もあるくらいですかねえ
因みに豊臣秀頼に献上された馬である太平楽は発掘調査から体高170cmはあったと見られてます(今のサラブレッドでこの体高に匹敵するのはキタサンブラックの体高172cm体重544kgです、世に無きお太り様と言われた秀頼の重量に耐え得るにはこれくらいの巨大馬が必要と思われていたんでしょうね、ベースがおそらく木曽馬なのでサラブレッドと違い足も丈夫だったと思われます)
中世のヨーロッパ人や馬も小さかった。
馬もポニーサイズだったと伝わっていて驚きましたね
秀頼デカい
しかも体重も100kg以上あったみたいで大谷さんよりもビックサイズ!家康が秀頼とはじめて会見した時にビビった話も残っていますが、自分より40cm以上もデカきゃビビりますよね
真柄兄弟たかすぎい
2m20cmは伝承ですね。さすがにそこまではないだろうな~と思っていましたが、彼のバカでかい太刀などを見ると少なくとも180cm以上はあったんだろうなと思っています
八丈島に流刑になった源為朝は2メートル超え
デカかったみたいですね
石川ごえもん 2メートル7センチも あったの❗
伝承では207cmとされており、NHKの歴史への招待では186cmとされていました。ただどれも資料が明確ではなく、あくまでも言い伝え、伝言ゲームから来ている身長と思ってもらえると幸いです
170以上は稀だと思うけど
今でいうと180cm以上になりかなり稀ですね。実際よりも大きく見せることはよくあることでけっこう大きめになっているんじゃないですかねえ
前田利家の振れ幅w
山中鹿之介と共に振れ幅大きめです😉
秀頼その画像だと烏帽子取ったら175ちょっとになりそう
頭のデコ上がめっちゃ長い設定で補正してもらえるとありがたいです!🙇
弥助より柴田勝家がでかいシャン。
弥助の身長は安土桃山時代にいた徳川家忠の日記に六尺二分と書かれています。勝家に関しては185cm説が強いもののそれだけデカいのにデカさの逸話がほぼないので結構あやしい感じはしますね
武田家の面々が軒並み低身長なんですねえ 騎馬軍団がポニー軍団だったと思うと何だか悲しい様な微笑ましい様な…
とても複雑な気持ちです。
どういうわけか、、、少しほっこりしますね
今は身長170cm以下の人は人権がないという人がいますが、そうすると戦国時代の人達の大体がそうなってしまいますね。実際にイメージすると自分よりも背が高くなってしまいます
三成、政宗、秀忠など骨から推測されている戦国武将の推定身長は160以下が多いですね。170cmは当時は相当な高身長で、実際、170cm以上の身長はの戦国武将は書物などの伝承が多かったです
一色義龍の母親は180超の身長だったと言われてます
一方父親の斎藤道三は160に届かなかったそうです
義龍自身もとても大柄だったようなので遺伝ってすごいですね
@@オレのそばに近寄るなああーッ-v5g
中世のヨーロッパ圏の市民層も含めてそうなりますね(中世ヨーロッパ圏の平均身長は大体160から165の間くらいです)
過去にもどって確認したい
タイムマシンがあれば、、、
源平時代の人達の方が江戸や明治の人達よりも高身長だったと大学で聞きましたね。
日本は昔から指揮官クラスの人間は軍の平均身長よりもチビばかりだとも…
秀吉などもそうですが、コンプレックスがあるから頑張れるという人もいるのでパワーが出て昇進など出世していく人も多いですね
上野の博物館で見た縄文人の骨がかなりデカかった
六文銭ロックでは秀頼は信繁【真田幸村】の子供って設定になってるな。
淀殿は日本三大悪女の一人と言われるくらいなので色々な戦国武将と噂になっていたんでしょうねえ
1番可能性が高いのは大野治長ですね、淀とは乳母子の間柄で噂になってました、或いは呪術を売り文句に種付けをした輩が処刑されているなんて話もあるのでそちらの種の可能性もあります。
織田信雄が怪しいと思ってた。
従兄弟程度だし
いつも思う事だけど本多忠勝はいつも本田忠勝と間違えられる😢
最近では書籍でも多々あるから気をつけて欲しい😢
ネットの普及で自動変換で字を書く習慣がなくなったのもあると思います。ご指摘ありがとうございます🙇
大谷やん
ですよね、秀頼の顔グラは大谷さんがイメージされていると思います🐱
身長の話しは割とセンシティブなので慎重に取り扱って下さい
ご指摘ありがとうございます
やっぱり長宗我部元親、信親は
戦国最強の高身長、美男子親子であり
長宗我部元親の夫人である
水心も明智一族でかなりの美女で
信長の野望でも大人気です
戦国最強の夫婦で元親はわざわざ
京都まで迎えに行き素晴らしい
おしどり夫婦で前田利家に次ぐ
子だくさんでした。
元親は彼女と4男4女を産んだとされていますねえ
私の手元に中公文庫版の『フロイス日本史』があるがそこでは信長の容姿について「彼は中くらいの背丈で、華奢な体躯」と書かれている(同書第2巻100ページ)
背が高いなどとどこにも書かれていない。戦国時代の平均身長を考えると170センチは飛び抜けている。信長を盛りまくるのはテレビ時代劇だけにしといた方がいい。
ご指摘ありがとうごさいます!
@@三原宿禰
中くらいと言っても基準がわからないですね、日本人から見ると平均身長と見れますがフロイスはポルトガルのスパイだった可能性も考慮しないといけません、そうなるとポルトガル基準で市民階級の中くらいの可能性もあれば貴族階級の中くらいの可能性もあります、本国への報告書も兼ねているなら後者の可能性も視野に入れなければならないと思います。
実物大で制作された大徳寺の信長の坐像や信長所用の物と伝わる甲冑のサイズから、実際に165〜170センチ程度の身長だった可能性は高いです。
ルイス・フロイスの言う中くらいが何を基準に中くらいと言っていたのかは不明ですが、普通に考えれば当時のポルトガル人との比較になるのでは?
220センチ笑た😮
ほんまかいな!という感じですが、彼の使っていたとされる太郎太刀を見るとあるかも、、、と思ってしまいます😀
真柄は身長ひくかったような気がするが・・・・小柄で170cmの太郎太刀使ってたんじゃ
当時の2メートル超えはそうそうに考えられないので実際はもっと低かったかもしれませんね
私が江戸老中の家系で185、大きな二重の目、高くて形の良い鼻、松下由樹を美人にした顔😊😊
ちなみに親戚の結婚式行ったら私の血筋は高身長で美男美女が何人かいたがやっぱり私が一番目立つ😅😅
弥助は何時武将になったの?人として嘘はいけないと思います。
信長の野望では戦国武将として扱われています!そこらへんは柔軟に考えてみてください
ウチの街のお殿様は190センチあったらしい
当時で190cmは今も大きな方ですし、戦国時代だとめちゃくちゃデカいですよね。真柄さんのようにバカでかい日本刀の太郎太刀や草履などの遺品が残っていれば、より確信に近づいたのですが🤔
戦国武将ではないが、
沖縄は与那国島の女酋長、サンアイ・イソバは身長が230cmと言い伝えられている。そんなことはあるまい、と思いながらも、本当だったら面白いなあと思う。
三重県の方ですかね。
@@t-nakahiroあ、誰か分かりましたね!
当時の大柄過ぎる人物に関しては、「大袈裟に伝わった」例が殆どで、そうでない場合は脳下垂体性巨人症みたいな病気の人だと思う。
ちゃんと遺体から身長を調べた例以外はあまり信じない方がいいと思う。
特に伝承などはちょっと大柄なものが多い気もしました。大まかなイメージとしてとらえている方も多いと思います。
関羽とか張飛、呂布も同じですね。わざわざ何尺、何丈とか書くくらいですから
@@nownowswanow 確かに。本当かどうかはわかりませんがある程度の目安にはなりそうですね