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紫電改は10年程前に亡くなった父親が大好きだった戦闘機でした。というのも父は鶉野飛行場にあった川西航空機姫路工場に勤労動員され、そこで紫電改の部品(機銃砲)を製作していたからです。その工場で働く人達の間では「川西音頭」なる唄が流行っていて、「いいじゃありませんか川西は~」の出だしで始まるそうです。父曰く紫電改は飛行場の滑走路から滑り出してから離陸するまでの距離が非常に短く、あっという間に飛び立っていったそうです。そして紫電改は間違いなく世界一の戦闘機だと、戦闘機の事等何も分からない私に幾度となく自慢していました。後に私は大学の就活で、川西航空機の後進となる新明和工業の方とお話しする機会がありました。その時紫電改の話題となり、私は父が鶉野飛行場の川西航空機姫路工場で勤めていたと話すと、新明和工業の方達はキョトンとした顔で川西航空機の姫路工場は存在しないと仰られましたので、紫電改の話は父の記憶違いだったんだなあと思い続けていました。ところが2年程前、あるテレビ放送で鶉野飛行場の特集がされていました。川西航空機姫路工場は確かに鶉野飛行場の側にあり、紫電改もそこで生産されていたとの事でした。更にこの飛行場跡は滑走路や防空壕等の施設がほぼ完全な形で残っており、貴重な戦争遺産として社会見学等の超人気スポットとなっているそうです。私もそのテレビ放送を観た後直ぐに鶉野飛行場に行き、滑走路の端から端まで歩きました。父の青春がここに詰まっているんだと思うと感慨深い思いになりました。
姫路工場は京口あたりだったそうです。一度完成したらばらして、播但線で福崎駅まで運んで、福崎から鶉野飛行場までは、牛で運んで、鶉野飛行場で組み立てて戦地へ送り出していたらしいです。鶉野飛行場は戦闘機の倉庫みたいな物で、終戦時もまぁまぁ数残っていたのを知って加西の管理している部署になぜ、地元の空襲に応戦に来てくれなかったのかと聞いたら、鶉野飛行場は、ただの倉庫で戦闘パイロットは居なかったそうな。そしてのんびりした話だなと思ったのが、終戦時、米軍にラスト飛行を許され、大阪まで飛んで帰ってくるラスト飛行もしたような事を聞いた事があります。
戦闘機のノウハウろくにない川西らしく欠陥機だけどな。終戦間際で使ってるとこもほとんど343だけだから表に出ないまま撃墜されて消耗したけど相当やばいとおもうぜ。ゼロ戦に乗ってたら死ななかったようなパイロットがぼろぼろ死にまくりだし。
「日本軍機に対して厳しい」のではなく、お花畑満開な日本軍機マンセーな動画がはびこる中、なかなか中立的で理性的な現実を丸裸にしたよい動画だと思う、このシリーズは。
亡き母方の祖父が海軍のテストパイロットとして、バルやジョージ(99式艦爆と紫電及び紫電改)を操縦したことがあったと生前聴いたことがあります。ところが、「戦争期に乗った飛行機で一番良かったのは?」という子供の当方の質問に対する答えが…「敵さんから分捕ったB17だった。防弾性が高いから安心して操縦できる」との回答に少しがっくりした覚えが…
改って付いてるのがカッコよさをさらに増してる気が
杉田庄一 紫電改は戦闘機製造のノウハウがない川西だから保守的な設計ではなく当時の最新技術を注ぎ込んだハイテク機になったんだけどな紫電のドラムマガジンからベルト給弾方式にして弾数倍増、主翼はp-51にも採用されている層流翼、川西オリジナルの自動空戦フラップ、さらにこれまでの海軍機では考えられない完全防弾対策(主翼、胴体内の燃料タンクは防弾化、自動消化装置など)よく紫電改と比較される陸軍の四式戦は中島が設計したために特に代わり映えしない保守的な設計になった
@杉田庄一 キツイ評価だな
@杉田庄一 もうお前震電のアイコン剥がせw
@@赤穂浪士-r4e 操縦席背面の装甲板が間に合ってなくて木の板が貼ってあったとか、機体の表面仕上が悪いので層流翼の効果が発揮できてないとか、自動空戦フラップも不調とか、343空と戦った米軍の実際の損失数とか、昭和の頃の古~い資料ではわからなかった情報が今ではいろいろ明らかになり、紫電改の評価を下げてるわけですが
紫電が中翼の戦闘機というのは最近知った
去年愛媛へ唯一現存している紫電改を見に行きました。施設は比較的小さいものの、かなり良かったので皆さんも是非行ってみて下さい
祖母、母から聞いた話を書いておく。太平洋戦争中、祖父一家は松山市の道後に住んでいた。ある日、十代と思われる海軍兵が真っ青な顔で歩いており、見かねた祖母が声をかけた。聞くと松山航空隊で、翌日に特攻出撃とのこと。外出許可が出て動物園に来たと言っていたらしい。祖母はその青年を.家に招き入れ、家族とともに食卓を囲んだそうだ。祖父は基地に翌朝に帰隊ざせる旨、連絡を入れた。青年は泣きながら食事をし、翌朝すっきりした顔をして礼を述べ基地に帰っていった。しばらくした八月、母は北の空に強い光を見た。広島だった。青年は当然、戻ってくることはなかった。その代わり、しばらくして予科練に入っていて出撃直前だった長男(伯父)が帰ってきた。当然一家は帰宅を喜んだが、同時に悲しかったと言っていた。
動物園を選ぶあたり、その彼の心情を思うと涙が止まりませんでした。
Heinkelさんの解説は結構辛辣で厳しいもので、やっぱり自分もまだまだ未熟ですがミリタリー系(特に第二次大戦中の軍艦、飛行機)が好きなのでこれまでの思考回路適に「そんな言い方は無いだろう」と言う気持ちになってしまう時があります、だけど他の解説者さんとは違う妥協の無い解説の仕方と内容が好きなんです、実際事実の事だと思いますしそれを知れて単純に嬉しいです。今回の「紫電改」は自分も大好きな機体の一つなので詳しい事を教えてくださりありがとうございます!これからもどうかお体に気をつけつつ頑張って行ってください。約二年半前の動画から、しかも長文ですがありがとうございました。
知れば知るほど旧日本群やその兵器には残念な点が多いですね(どの国も一緒だとは思いますが)。現代でも賢い人ほどこの国に対して強烈な危機感を持っている場合が多いような気がします。
日本軍の少数精鋭みたいなイメージがね。。。
消耗戦の時点で、精鋭でも少数じゃどうにもならんのよね。
松山空戦以外部隊として戦っておらず、部隊として戦法の統一もとれずで、特攻護衛に鹿児島に進出したが、防空は縦深がなさすぎで優位な占位につけず、大村まで下がったガ、補給ままならずで、そのうち本土決戦待機となる。それでも、まとまった戦闘機隊があるのは意義があった。
愛媛県宇和島市には紫電改展示館といのがあって、宇和海から引き上げられた本物の紫電改が展示してあります。
世界に4機しか残ってない内の1つなんだっけ?サルベージ直後の仮設展示のと今の施設が出来てからの2回見たこと有ったな当時の写真等入れたアルバム回収し損なったのは痛かったな
ロマンに彩られた機体ではありますが、当時の日本の技術力や工業力がどの程度のものであったのか知れば知るほど、現実的にアメリカ製を上回る性能の戦闘機なんか作れたはずがないという切ない思いが強まります。せめて空力設計だけでも独創的で優れたものであって欲しかったですが、紹介されているように試作機段階で膨大な手直しを要するなどけっこう失敗しているんですよね…。
作ることはできるが維持できないからなあ。人はいても工作機械自体が劣ってるからしょうがない
虚飾を排した中立的な視点からの解説が聞ける、貴重な動画製作者さんだなと思って毎回見させてもらってます。「紫電改という語感、それが醸すロマン」、本当にその通りですね笑
私も非常に納得しました笑
蓋し名言ですね。語感とそのロマンだけで、数多のミリオタの目を曇らせたのは驚愕ですがwほんとに理想と浪漫だけでは戦はできないですよね。
やはり真実を知る為には色々な方向からのアプローチが必要ですね
こういう冷静な性能評価してる動画は為になるわ
空力的に洗練され、機能美を感じるものが多い日本機の中で、紫電、紫電改ほど"それなりに造ってみた"感が強い飛行機は珍しい。
紫電改はそこまで酷くないと思う。
@田中一郎 それ彩雲でよくない・・・?
@@user-mu5xc5wc8b 時期が時期だからね
四式戦はやたらエンジン、エンジン言われるのに、同じエンジンの紫電改や流星、彩雲はなぜかやたら名機というイメージが付いてしまってるのがよく分からん。
数が少ない分整備に余裕が有ったのでは
南方や中国戦線の外地に行かず、本土でわずかな期間、少数のみが運用されたからでしょう。台湾に進出した四式戦の誉は、本土との気温差だけで不調をきたしました。それでも紫電改やその他海軍機の誉エンジンは出力制限かかりっぱなしで、トラブルも頻発したようですが。もし艦上装備などをつけて海上運用などしていたら、さらなる性能低下の上、不具合が続出したと思われます。
陸軍無能論の影響もあるのかも知れませんね
@山田電気 カタログスペックですか?本当の性能ですか?
誉はハイオクガソリン仕様の特殊超合金製軽量エンジンでした。「南方を占領すれば石油でも錫でも天然ゴムでも何でも手に入る。だからいいものを作れ。」との軍部の号令で設計されました。しかし戦争末期になると戦略物資の不足により合金の強度不足と熟練工の不足による工作不具合が重なり、性能低下が著しく大馬力が出せなくなりました。資材が豊富なときにに制作された誉エンジンは整備の難しさはありましたが、優秀な性能を発揮するエンジンでした。
343空司令の源田実は強引に他の航空隊から宝石より貴重なベテランパイロットと整備員を引き抜いたので航空隊部隊から嫌われた。
じつはそこまでやったのにそれ程戦果を上げていなかったという…まあ、末期戦だから仕方ないといえば仕方ないんだけども。
@@太郎冠者-p9d パイロットの割合で海軍兵学校出身者より予科練や兵や下士官で他兵科から航空科に転科したのが多いのに海軍航空隊の上層部は兵学校出身のパイロットを優遇し叩き上げのパイロットを消耗品扱いにした。神風特攻隊で初めて戦果を挙げたのは海軍予備学生出身の人だったが海軍上層部の面子で海軍兵学校出身の関大尉を特攻隊戦果1号にした。
73 moto 帝国海軍は誰と戦っているのやら
キマイラ隊が出て来るジョニーライデンの帰還でも、エースパイロットを集めた部隊なんて非合理扱いでばっさりだし。
大本営から特攻大規模攻撃の為に、各航空隊から1人の隊員を強制除隊させる指令が来たが、343空は拒否。大本営参謀が来て一緒に特攻するなら、従うよ、と息巻いている隊員もいた。美談のように読めるが、「源田は秩序を乱しているという事」も示している。もちろん大本営からの命令に従わないのであれば、憲兵を派遣して命令不服従で逮捕、銃殺刑並みの犯罪で裁く事をする必要がある。が、大本営も腰抜けなので出来なかったのだ。343空では源田は神格化されており、源田を捕らえると何を仕出かすか分からない集団になっていたからだ。言わばもう独立国家のようになっていたのである。まるで地獄の黙示録のカーツ大佐だ。大本営は各航空隊の制御も出来なくなっていたのである。
何本もの毛根は救ってるから(震え声)
昔お世話になったのは秘密です。
初めに紫電改の名を知ったのは育毛剤。
それは戦後のカネボウ製っすよ
pon mitsuyama うわぁ…
@@ステライト今はリアップ使ってます。
戦争は数だよ兄さん。
昔話だけど源田さん、あまり良い印象無いです。元部下の方や空自や防衛庁の方々から、随分な話聴いたので……343空の件も自己宣伝だと散々でした。終戦間際から指揮ほっぽって云々とか……。
慰霊祭によく脚を運んで、一席ぶっていた(講演)が、源田許さずという者も集まってきたのでよく一悶着を起こしたという。源田は対抗策として、右翼団体を引き連れるようになった、らしい。343空の実態や源田の言動の記録から推察するに、有り得る話だ。
参謀とか司令に向いてないタイプなんだよね指揮官なら優秀だけど参謀とかやらせるとマズイ人間が海軍に多すぎって問題
資源も不足する中で米軍相手にそれなりに善戦したというだけでもある意味奇跡ですね。
亡くなった親父が、百式偵で偵察任務をしてる陸軍大村基地にいる時海軍の飛行機が数十機三点着陸しながら降りて来て上手いなと思ったと私と酒を飲むと語っていたな。機種はと聞くと見たことない機種で分からなかったが戦後それが紫電改と分かった言っていたなぁ零戦は学徒出陣(自分より少し年下やけど階級は上)操縦が多く離着陸が精一杯やった、2、3日で南の多分、知覧へ飛び立って行った。これで沖縄や特攻に出撃しても辿り着くことは難しいやろなと思ったと悲しそうに言っていたなぁ。
ショックだったのは源田実が「撃墜されたときにパラシュートで脱出する奴はおれが20mm機関砲で撃ち殺す」って言ったこと。味方パイロットの命をなんだと思っているのか。源田実は特攻を考案したが自分は特攻せず、特攻作戦の責任を、じっさいには考案していない大西中将に押し付けて割腹自殺させている。
坂井三郎…「彼(源田を指す)は戦闘機パイロットと自称していたが、自分は彼が戦闘機に乗って飛んでるとこは見た事ないし、聞いた事もない。」源田や無駄口、富永は死んでも恥をかいてもらう。
@@kasinsatoru 開戦前、すでに航空艦隊参謀でしたので(当然、空戦歴はない)・・・ なお戦後はいろんなジェット戦闘機に乗ったとか
ふと思ったのですが、bf109やスピットファイア、P51等の主要な欧州機の解説がほとんど無いので、やってほしいです。
同感です。 日本人なのにガキの頃、一番のお気に入りはP-38ライトニングで個性的なスタイルと戦闘機なのに双発機というのに憧れてました(因みに山本五十六司令官搭乗機を撃墜した憎き機種というのは大人になって知った)後は同じ米軍機のP-51マスタングと英国のスピットファイアで、どちらもスタイルが好み。
以前、菅野直さんのお墓へ行ってきて靖国にある手帳も見てきました。終戦まで僅かな時に戦死は悔やまれますね
冷静かつ客観的な評価ですね。自動空戦フラップによる旋回半径の小ささと機動力が取り柄で、F4Uコルセアに十分対抗できると考えてたのですが。パイロットの練度もその性能を使いこなせるか否かに大きく影響するはずで、もうわずかしか残ってなかったのかなぁ?
いつも楽しく拝見しております、紫電改は亡き叔父が最後に乗っていた戦闘機でした。詳しく覚えてはおりませんが、学徒出陣した叔父が最初彗星艦爆のパイロットになりのちに錬成中だった紫電改の部隊で中隊長だったそうです。一番覚えている話は戦争末期ですから塗料が無くグラマンと間違えられて、訓練中に高射砲で撃たれたり陸軍機に迎撃されたと言っていました。ではでは、これからも楽しい動画を期待しております。
10:29 ここの菅野大尉の来歴の説明が笑えるw
某漫画ネタ🤣最近出た単行本での新撰組ネタはちょっと笑った
今までの零戦を筆頭に戦闘機のほとんどはエンジン性能に足を引っ張られてたのは辛すぎる。エンジンがよければ紫電改も傑作機になれたのかもしれない。後鶉野飛行場でみた紫電改は本当に美しいと思いました。その大きさを肌身で感じられる数少ないところだと思いました。
@shikakuman2 まぁそれを言ってしまうと枢軸、というか米帝様しか130~140という高オクタン価達成できてないわけですし(科学バカ一代のドイツも100オクタン)、多少はね?持たざるモノの限界ってのは悲しいですね。
@@かなしげ-n1x 本物はデコボコしていて、とても高速を出せるとは思えない
結局エンジンって基礎工業力の塊だから、エンジン開発が進まないって時点でもうね。
戦闘機ってほぼエンジン性能で決まりますからね。スピットファイアとマスタングのマーリン、メッサーシュミットのダイムラー、ヘルキャット、コルセア、サンダーボルトのダブルワスプなど。栄エンジンのおかげでゼロ戦や隼も名機になれた。初期のダブルワスプやB-29のデュプレックスサイクロンなんかも、誉に負けず劣らずトラブルには悩まされていたようですので、決して誉が特別ダメだったとは言えないと思います。もう少し時間があれば名エンジンになっていたことでしょう。戦闘機のエンジンを自国で開発できた国はほんのひとにぎりなのです。ただ、プロペラ制御装置が自国開発できなかった事実は、意外と知られていないかも。日本軍のプロペラは戦前のアメリカ製のライセンス生産ですから、1世代以上古いものだったので効率も悪く、エンジンの馬力の差以上に性能差は大きかったと思います。
2022年春には加西市に97艦攻のレプリカも作られます!今から楽しみで仕方ないです!
…実働機か!?🤨
宮野善治郎 実物大模型なので、実動機ではないと思います!実動機なら本当に夢がありますけどね!
@@aka-et1sq それでも、皆が忘れてはいない証として是非とも実現して欲しいですな…。貴重な情報を有り難う。👍
97艦攻は吊るすとか言ってた気がする。(不確かですが)加西市の実寸レプリカは僕も当日観に行きました。ちゃんと姫路航空隊の慰霊碑にも手を合わせましたよ。自分の利益じゃない、日本の為に戦ってくれた方々ですから。当日は色んな方とお話が出来て楽しかったです。ちょっと公共交通機関の便は悪いですがたくさんの方に見に来てほしいです。
全く個人的な感情ですが、源田実って人が凄く嫌いです。零戦を安全性無視で作らせて、F6Fが出て来て全く歯が立たなく為ってた時にはダンマリを決め込んで、陸軍の疾風が出て来ても陸軍に交渉もしなくて、搭乗員を見殺しにしてて、何とかモノに成った紫電改が出来たらまた、しゃしゃり出て来て熟練搭乗員と何とか使える搭乗員を全部他部隊から引き抜いて、優秀な整備員も引き抜いて最後に一矢報いたぜ!って顔で戦後の航空自衛隊も作ったぜ!って姑息な印象操作が上手い人にしか思えません。戦後の航空自衛隊はアメリカ軍の指導のお陰で源田実の功績は無いと思いますが英雄扱いされてるのが、凄く嫌です。
同感
同じく大嫌いです。山本五十六に一目置かれて、いい気になっていた節が見える。更に厄介なのは〇ルト指導者みたいな能力があった事。パイロットを高揚させるのが上手かった。坂井三郎は口だけ男と見抜いていたみたいだが。
軍港が攻撃されてるのに、源田司令は戦闘機を狙えって言ってたんだよな。
戦闘機が負けるから戦争に負けてると言ってたみたいだから、そういう作戦を取らせたのかも。
@@KEITARO0312 確かにそういう理想で言ってたんでしょうけど、松山の海軍航空隊が呉の軍港を守れなくっちゃ本末転倒だろうと思います。源田司令は現実が見えてなかったのではないかという気がします。
源田司令、これを真面目に言っていたとしたら相当ロマンチストですね。
攻撃機、爆撃機を狙うと戦力が分散するから戦闘機に集中するのは作戦としてアリと思います。
@@KEITARO0312 作戦というのは「目的を達成する」ことが成功と言えます。そのためどんなに戦果を上げようが目的を達成できなければそれは失敗(珊瑚海海戦などがその例)なんです。戦闘機隊の場合、迎撃任務であれば爆撃の阻止、護衛任務であれば護衛対象の任務完遂を支援すること。これらを達成してこそ成功と言えるのです。そのため敵戦闘機と交戦したからと言って必ずしも撃墜する必要はなく(もちろん撃墜できれば最高)、それはあくまで目的達成の手段に過ぎないのです。前置きが長くなりました笑 そのため上で述べられているように軍港を防衛しなければならない局面で爆撃機には目もくれるな! というのは端から目的達成を度外視した発言と受けとれます。噛み砕いて言うと試合に負けてもいいから勝負には勝て!さらに相手の立場からすれば護衛対象たる爆撃機を狙わずに護衛戦闘機に向かってくるのであれば、その時点で任務達成なんすね。ただまぁ現場の方の心情という面で考えるとわからなくもないし、実際に戦闘していれば不測の事態は常に起こるでしょうからね。しかしながらやっぱ海軍の中枢にいた方の発言とは信じたくないですな
wtで強風のフロートを地面にたたきつけて無理やり外して紫電にしてたなぁ
初めてやる時はミスって墜落するまでがテンプレ
紫電改は手堅くまとめられた良作機。雷電がもたつくので強風を陸上機かして売り込んだ紫電は経験不足がもろに出た出来の悪い飛行機だったが設計をやり直して大幅に完成度が上がったのが紫電改。烈風に変わって海軍主力戦闘機として大量生産計画されたがなされる前に終戦。一番何がだめかって海軍の次期戦闘機開発。雷電と烈風。
もう少し長引けば343も壊滅してというのがこの戦争のむごさよ・・
厚木は無駄に元気だったぞ。
@@ほえほえ-w3x 「丸」での連載見てたから凄い分かる。
菅野の説明で吹いたわ(^ω^)ドラゴンも撃墜数に含まれてるんだろうな
とにかく組織的な戦闘を行えたのはこの部隊が最後だったろう 🙏🙏🙏🇯🇵🇯🇵🇯🇵
今年の5月に愛媛県愛南町にある国内で唯一現存している紫電改を見に行ってきました。小さな博物館でしたが、紫電改の歴史や部品などを扱っており、非常に見る価値がありました。興味ある方はぜひ。
ぶっちゃけ戦闘機は陸軍機の方が性能が良い気がする。
大いなる和 零戦には制約はあっても雷電と紫電改にはないけどね
TIBER教育チャンネル 悲しいなぁ。
陸軍の方が割り切った運用コンセプトと、明確な設計コンセプトを持ってたというのが正しいかも知れん。海軍名物無い物ねだりを満たした零戦は、軽量化の穴あけ等含めて生産効率も芳しくないし、防弾装備の追加もままならなかった。(艦載機なので生産数が知れてる筈だったので、それでも本来は良かった)後の後継機にも煮詰めきれてない無い物ねだりをゴリ押しした結果、ひとまず形になった紫電頼りという皮肉ぶりというね。
面白かったです。ロマンを排した冷徹とも言える解説ですが、逆に言えば、戦いで大事なのは個々の兵器の性能差のみならず、レーダーや兵站のバックアップなどを含めた「戦い方」なのかなぁと思いました。ともあれ当時あの終末的状況の現場で任務を果たしていた人たちは、既に凡庸では無いと私は思います。
この動画の主は、対象をこき下ろして自分を優位に立たせる手法が好きだけど、与えられたもので任務を果たす人たちのことが何も考えられていないよね。まるで自分がこの世界で一番偉くなったかのように錯覚しているのだろうか。
@@hd580 評価内容が自身の思想に合わないと対象を扱き下ろすって表現になるんですね。当時の人間が頑張った!だけなら幼稚園児の感想文です。冷静に当時の状況を鑑みて彼我の差を考えた結果、そこにあるのは訓練時間の足りない新兵同然の即席パイロットの多数いる凡庸な飛行隊でしかありません。頑張った人を賞賛したいならいくらでも溢れてる日本賞賛動画でも見ればいいだけです。
@@hd580使い手含む日本軍全体の評価ならともかく、少なくとも兵器の設計・運用構想では運用者個人の努力の程度によらず成果を出さること(それを突き詰めると無人機とかになるのだろう)であることが求められるわけだから妥当な評価だと思うがね
この動画はカタログスペックで考えそうになった時に思考修正の時に使えて嬉しい…嬉しい…
というかいかにミリオタが数字だけ見てドクトリンや運用思想を見ていないかという好例だと思いますね。
@@quanhault879 あっ、その考えもありますねぇ
愛媛県愛南町にも当時撃墜された本物の紫電改があるよ!みんな見にきてね!
海中で発見されて復元されたんでしたっけ?
自動空戦フラップにもっと突っ込んで欲しかった。
この機体の自動空戦フラップは日本機唯一の世界への自慢のタネですからね,これ以上の追及は日本最強を妄想する輩により誹謗中傷の嵐にさらされますからね。
須本さんの紫電改343はなかなか面白かったですね
学生の時に元343空の方が書いた本を読んで、ああ敗戦間際でも一部では日本が有利に戦っていたんだな、、と思っていたが米軍のデータ及びキルレシオを突きつけられると、ウリナラファンタジーの域を出ないことを思い知らされる
守勢で数度の戦いで壊滅しないは、零戦でも同じ感じやったけど。ただ元々ギリギリの運用してた部隊はすぐ疲弊してたけど。あと空襲は防げてないが。紫電改って性能的に零戦52型から飛躍的には変わってないんだよな。そこがね。物語ってるんだよね。
1万機以上製造してないと、戦闘機としては評価のしようがない、ってのが現実。
@TIBER教育チャンネル 知れば知るほど、アメリカ脅威過ぎよな…ムリやんあんなん
それでいけば、日本機はゼロ戦しか評価できませんね。
細かい点ですが、強風は『15試水上戦闘機』だったと思います。14試は『14試局地戦闘機』(雷電)の方では?
紫電改の速度に関しては動画内では全備重量で580キロというが、343空搭乗員複数の証言では最低でも600キロ以上は確実に出ていたという。練度に関しても意図的にフィリピンで実戦経験を積んだパイロットを集めたのでこの辺も単なる飛行時間だけでは読み取れないところ。
プラモ作って眺めながらロマンを感じる機体ではありますね。
ヌシ様は、やっぱり航空機ネタになるといい感じですね
川西の社章かっこよすぎ
まぁ米側の自損害もかなり控えめに報告されているので、互角ぐらいじゃないですかね。343航空隊に関しては源田実の回顧録がかなり誇張されてましたからね。紫電改は結局、誉の調子次第だったみたいですね。
@TIBER教育チャンネル 残念ですけどそうですよね。何せ物量が違いますからね。
米軍の損害過小報告のソースは?
@@イナゴ大福確かだいぶ前の歴史群像だったような。ラバウルとかビルマの航空戦でもお互い自軍の戦果は大きめ、被害は少なめでしたね。
@@イナゴ大福 現場を目撃した人しかわからんでしょ。
紫電もフィリピン決戦に飛行隊規模で間に合ったことを考えればもう少し評価してもいいかも
F6Fに対して優位に立っているのは20mm4門という火力くらいだろうって毎分発射速度、搭載弾数、ブローニングM2×6門のエネルギー総量考えたら99式2号4門が果たして火力でそんなに優位なのか疑問だけど・・・
エネルギー総量の考え方は抜きの話になっちゃうのですが、日本は反則生産量の米軍重爆達にも対抗せねばならないので、20mmは対戦闘機・対爆撃機をマルチにこなすためほぼ必須だったと言えると思います(M2ブローニングは確かに優秀だが対特攻作戦等における爆撃機阻止の場面において威力不足が指摘され、米艦戦も20mmを搭載する機体が製造されている)。汎用性(対応力)が高いのは20mmと言えると思うのですよ。
@@かなしげ-n1x 同じ20mm口径でもアメリカさんの20mmAN-M3はルーツを辿ると九九式20mmとおなじエリコンFFシリーズですが九九式二号はエリコンFFLというのがベースで銃身長1200mm、使用弾薬が20×101mmRB弾で弾頭重量128gの弾丸を銃口初速750m/s発射するのに対してAN-M3はエリコンFFSというのがルーツで銃身長1300mmで使用弾薬は20×110mmRB弾で弾頭重量131gの弾丸を銃口初速830m/sで発射するのでより強力であったと言えます。また、ドイツのMG151/20も使用弾薬は20×82mmで弾頭重量も92gですがこの弾薬は薄殻構造という薬莢も真鍮ではなく鉄を使用して当時のアメリカさんでも模倣をあきらめたプレス加工を用いて炸薬量を増やした特殊な弾薬を用いて1700mmもの銃身と組み合わせて弾種によっては800~900m/sを叩き出す強力な20mm機銃もあれば日本陸軍の二式20mm(ホ5)のようなブローニングM2をルーツに持ちながら各国の20mmクラスと比べると威力は低いがブローニングM2より本体重量は軽量で発射速度も悪くなく後世の評価は別に駄作でもなかったというような20mm機銃もあり、一概に20mm機関砲といってもそれぞれの設計思想や生まれたいきさつによって特色も多種多様で20mmでも12.7mm~15mmクラスに毛が生えたような威力もしくは同等と思われる20mmもあれば下手な短砲身の30mmに匹敵しうるパワー系の20mmまで色々あるのですが書いててめちゃ長くなって何が言いたかったんかよくわからなくなってきましたが多分20mmでも色々あるということが言いたかったのだと思います。
@@nkz_user1627 そうですね。一応そのへんの情報は頭に入っております!私の「日本は」という書き方が悪かったなと反省しております。話の流れとしては紫電改(プラス海軍機全般か)とF6Fの比較のため、20mmは99式二号銃を差すつもりでした。99式二号銃に関しては豊富な情報をお持ちなので長々書く必要ないと思うので、要点だけ。四型以降は間違いなく世界水準の20mm機関砲であり、まず優秀と言って差し支えないかと思います。これを四門搭載しているのは評価するべきところかなーと私的には思っております。まぁこの辺はあまり突っ込むと20mm機関砲対ブローニングM2という終わりのない論争になるので、私はこの辺で逃亡します!笑
@@かなしげ-n1x さすがに破壊力と正確な弾道が比例しないところが哀しいとこか…。対戦闘機戦だと余程接近しないと有効弾が当たらないしょんべん弾を使うか弾道の正確な豆鉄砲を数当てて仕留めるかは搭乗員によって判断は分かれてたからなぁ…。🤔弾幕の厚い対爆撃機には接近戦こそリスキーだが20ミリで有効弾を確実に与えるが為に急降下で弾幕の死角…コックピットを狙う戦法もあったぐらい。ただ、爆撃機よりも高度をとる必要もあり、零戦では厳しい展開だったろう事は想像に難くないね。🥴
@@宮野善治郎-h6z ションベン弾は2号銃になってある程度改善されとるで
投稿も早くて内容も最高!
ウチのジイさん元343空のパイロットだったそうな。皆さん凄腕だったって言ってた。
@TIBER教育チャンネル それあえて言う必要あるか?
@@チョムチョム-i8b そういう奴なんや、ガン無視でいいぜ
@@チョムチョム-i8b そういう奴はどこでもいる仕方ない……
@@アーカード-f3i そんなキツイ言葉あえて言う必要あるか?
愛称の紫電改はいいと思うんだけど、紫電2「1」型というのがよくわからんかったりする。実は紫電と呼ばれる紫電11型のエンジンは誉11型の1825HPなんだけど、紫電改は誉21型の1990HP(これは海軍数値、陸軍数値は2000HP)だったりするんだよなぁ・・・水偵の瑞雲も金星5Xから6Xに変えた時に12型にしたのにね。誉の21につられたんかね??
@TIBER教育チャンネル まぁ多分ハ43は命名に悩んだと思う。火星まではいいとして木星を英語にするとジュピターだし、それはライバル会社の中島が英国エンジンをライセンス生産したエンジンの名前だしねw土星はサターンだから名付けにくいでしょw
@TIBER教育チャンネル それもあったのかもねw
紫電改は、愛媛県愛南町に海から引き上げられた機体が唯一の現存機として展示されていますね。子供の頃に一度だけ見に行ったことがありますが、とてもかっこよく見えたことを覚えています。個人的には、あの機体をリバースエンジニアリングして飛べる新造機を作ってほしいな~なんて思っています。
日本の法律では作っても飛ばせませんなんてことは?
@@jx6004 アメリカに残る零戦が日本の空を飛んだこともありますし、現行法に合うように無線機などを搭載すれば飛ばすことは出来ると思います。
紫電改はフルに稼働した機体は80程度だったとか、末期は20あるかないかだった。
航空機20程度で替えがきかないとか小軍閥クラスやんけ。。。
343空ってムスタングの戦果0なんだよな。逆に撃墜されたのは10数機で完敗してる。
ムスタングを初めて撃墜したのが陸軍の戦闘機隼とは皮肉
むしろムスタング自体がその時代のレシプロ戦闘機を凌駕する性能だったし、ドイツでもp-38ライトニングを戦闘機の役割から爆撃等の支援攻撃に回しているぐらいだから完敗するのが想像つきやすいかと...
@杉田庄一 シミュレーターの操作感で実機のしかも空戦を評価するのは荒唐無稽が過ぎますよ。。。
横空の赤松中尉は雷電で低空に追い込んでP51を撃墜してる。その状況に持ち込むかが困難だと思うけど、機銃掃射に熱中してる間抜けを狙ったのかな?
@@KEITARO0312 赤松氏は50機編隊のP-51相手に単機で空戦して1機撃墜して戻ってくる化け物だから…
そう言えば松本零士先生も紫電は良く描かれていたけど、紫電改は記憶にないな。源田実が嫌いだったのかな。
可能性は高いですね。とにかく好き嫌いが激しく、自身に憧れる者は仲良くして、嫌いな者には口も聞かない、という印象があります。戦後、慰霊祭に顔をよく出していたようですが、(相手は頭空っぽの反戦団体?)言い合いになって険悪な空気を醸し出すのもよくあったらしく、右翼団体から護衛を引き連れて参加していたようです。まるで〇クザですな。
まあ紫電改はギリ戦える戦闘機だったけど、壊滅日本軍の最後の輝きってとこかな。
急に思いついたけど、フランス人の第二次世界大戦オタク存在しない説
俺はF6Fが良いな…
この頃の日本の工業力は外国からの支援なしじゃ30年代の貯金を食い潰す感じだったんですね。組んだドイツとイタリーは技術は一流でも、あまりに距離(物理)が、、あり得ないけど何かの間違いでもし英米側で二次対戦に参加してたらどんな機体が見られたんだろう、と思ってしまう。
日本機あるある。完成があと1年遅い。それが日本の技術レベルの限界だったって事なんだろうな。
自動空戦フラップがついていたんだが、もう格闘戦の時代じゃなく成っていたのがな。大戦初期に自動空戦フラップができていたら、もっと活躍できたかもなあ。
雷電やな
もともと実戦でのドッグファイトは禁じ手、隼にも空戦フラップついていたけどほとんど使われていなかったらしい。
「紫電改のタカ」好きだったなあ。本機の高評価は源田実の政治力でしょう。仮に343が小薗司令だったら戦功はなかったことにされたのでは?また、南方よりシステムが充実した松山なら、零戦のみで編制されていても同等のスコアでしょう。
あまり戦記は読んでなかったのだけれど隼の話だったか、1日中戦い続けてやっと帰投して限界だから寝る、と思ったらまた敵襲で仕方なく飛んだとか。例えば敵が5倍いて、5交代で切れ目なく攻撃してこられたら、これはもう機体の性能どうこうじゃ勝てないなと思いました。キルレートで何対何とか言っても、全体で何対何で戦っていたのかまでは聞いたことがないですし。
秋山昌之さん信濃沈没寸前に艦上機型の紫電改が離陸したとの記録を観たことがありますが。
そして、特攻専用の桜花は救助資材になった。
前に信濃について記されている本を読んだが、着艦試験をやったのは間違いないらしい。ただその後どうなったか…が分からない。飛び去ったのなら、例の343空で使われていたはずだが、その記録はなさそうだ。そのまま信濃に搭載され、一緒に沈んだのかもしれない。桜花もその時に呉に運ぶ為に確か30発ぐらい運んでいたのは、記されていた。
どうせ空母も運用できないんだし疾風に統一しておけば、
陸軍と海軍仲良く出来たならそれも出来たと思うけど
アメリカ陸海軍が仲が悪かったのは有名です。でも、機銃などは共用ですし、国力が大きいアメリカなら互いに反目していても問題はないのかもしれません。しかしアメリカの1/100以下の国力しか無い日本は少なすぎるリソースを選択と集中しなければならないのに、全く真逆なことばかり。戦闘機など世界で最も多く種類を揃えました。だいたい零戦以降の海軍の戦闘機には世界水準より大幅に劣るものしかなかったわけで、空母を失った1944年以降、共用で疾風を使えば、もっと数を揃えられ、戦果も上がったでしょう。しかし、海軍の敵はアメリカよりも陸軍なもんで、そんな合理的なことができるはずもありませんね。少なくとも紫電のような世紀の駄作機を1000機も作るよりは疾風を1500機作った方が戦局に寄与したと思います。
@@DB-eq4hd どこで疾風を1500機も作るの?川西でライセンス生産ってか?紫電を開発してた頃の川西には、陸上機の生産設備も、テストのための滑走路すらなかったのに?
@@けん-b5o 三菱で良いのでは? 実際、雷電も烈風もやめて紫電改作れと言われたくらいだし。
愛媛に本物の紫電改があるから、コロナ終わったら見に行こうね!
見てきたぞ!
@@雫-j9k 結構デカいっすよね。次は飛燕とか見たい。確か岐阜だったかな
紫電改の名称と集中運用したことで凡庸な機体のイメージじゃなく高性能機のイメージになっちゃった感じでしょうか。
お疲れ様です。初放送時からガンダムのパイロットの中で甲斐紫電が一番好きでしたよ。富野さんがアニメックというアニメ雑誌の中で紫電改から名前をとったと言ってましたがどうでしたっけ?ミライ、セイラ、フラウの3サイズにも言及していたなかw
343は豊田譲氏の本を読んでから誇張されるすぎと思ってました。戦闘機に関して個人的に海軍はゼロ戦以外に評価するものはいですね。
キッカは橘花でしょうね。もしかしたらレツは烈風、ハヤトは疾風からだったりして…?
343航空については豊田譲氏の書いたものが面白かった。
活劇として読めば痛快なんですけどね。豊田穣という人物自体、「海軍兵学校サイコー、そこ出た俺スゲー」とでも云う様な海兵優越思想のみに凝り固まった感があり、ほとんどの作品の中でも、特務士官、学徒上がりの予備士官、下士官兵、陸軍を相当見下して描いている。下士官兵は完全に士官のお手伝い扱いで、月光戦闘機のエース遠藤大尉については「下士官上がりで安名司令との個人的繋がりから功に逸り過ぎた」と言わんばかりの評を書いたり、臆病風に吹かれた学徒上がりの予備士官が桜花特攻から不時着で数回生還したなんぞと云う話(そんなことできたんか!?) を書いてみせたり と、相当なものである。遠藤大尉が奮闘していた頃、豊田氏は敵の供する飯を食って生きていたわけだが、経歴詐称の特務士官を管理の米軍にチクった話をむしろ自慢げに「長良川」に記している。捕虜一号ながら態度が極めて立派で米軍からも重んじられたという酒巻少尉(豊田氏の同期)とも大分違う。松山空を描いた小説も、兵学校同期の鴛渕大尉、また菅野大尉の兵学校卒の活劇みたいな書き方だが、米軍相手に死闘を繰り返していた当の鴛渕大尉や菅野大尉らは、仮に豊田氏が敵線の向こうで敵の飯を食って生きていたのを知ったら、親しげに声なんかかけてくれたんですかね、と言いたい。捕虜から帰ったら黙ってろとは全く思わないが、同じ時期に敵味方見ているんなら、戦後に書くのが活劇メインというのはあんまりではないのか。(因みに、撃墜された豊田氏の機の同乗下士官は、戦後に自殺されている)末期の兵学校を割りに優等で出ても(これもご本人は自慢げに書いている)この程度なもんかと思っている。
某惑星でやっとこいつに乗れるようになったけど、なんか紫電改より紫電の方が扱いやすい気がするのは俺だけ?
大艦巨砲主義 達人(リンクスさん)によると実際今は紫電の方が性能が良いそうです。以前は同BR帯で無双出来たそうですが、アンチ日本機勢からのクレームが大きく弱体化されてしまったそうで。
Higashikan 紫電改はBRでヤル気が失せるし改修も大変。試されるのは紫電改への愛だよね。
@TIBER教育チャンネル ゲームの話ですから ハハハ
鶉野のレプリカも良いけど愛南の実機は感慨深い。7月24日の空戦で墜落した機体と判明していて、着水時の状態が良かったことから相当な腕前、座席が前寄りだったことから身長は高くないなど総合的に見て、かの武藤金義氏の機体だった可能性があるらしい。343空では他にも鴛淵、林、菅野の3隊長や杉田庄一氏と言った名だたる搭乗員を失っていて終戦間際の劣勢ぶりが計り知れる。国を護り最期まで全力で戦ってくれた英雄に敬意を表したい。
何年も前ですが愛南町のミュージアム訪問しました。おぉ、まさかそんな考証があったとは…!
杉田庄一 説得力があるね。
戦闘機乗りって、意外と小柄な人が多い気がするのですが・・・
源田はイメージ戦術では右に出るものなし・・・ただそれだけ。自分の手柄を100倍に宣伝して己の栄光にしか関心のない小人。
ソースは?
@@チョムチョム-i8b オレは戦闘機に乗って戦える指揮官だ!←坂井三郎氏…「彼(源田)はそう言っていたそうだが、私はその場面は見た事ないし、現実に聞いた事もない。」ホラ吹き男爵、ミュンヒハウゼンに近いな。
遅すぎた傑作機ってよく言われてるけど傑作機ですらないじゃないか...
仮に傑作機だったとしても今更感しか無いというのが
剣部隊·····かっこいいなぁ
老いぼれゼロを出すよりは間違いなくマシではあったろうしね…まあアメリカの戦果も日本の戦果も戦時中発表で、結局確実に信用できる情報なんてのは無いんだけど、日本海軍で一番可能性はあった戦闘機だった。
私見だが 「改」のネーミングは不滅だ。
@TIBER教育チャンネル 元が酷すぎたから間違いではない。
エンジンを火星(もしくはハ214)のままにした紫電を作っていたらどうなっていたんだろ?
todo bk 癖の悪い失速起こしそうですね
誉信者の旁には悪いけど、火星は大戦末期でも故障が少ないエンジン?だし、そのまんまの方が良さげだった気がします。 または金星も、5式戦に付けられて意外と飛んでたみたいですね?
【精鋭を集めたエリート部隊】「343空(2代目)」が戦後有名になったのは、「紫電改優先的配備」や「誇大戦果の鵜呑み」そして「源田実元司令官の宣伝の巧さ」が相まってのこと実際関東方面に展開した零戦部隊も343空と同等、時にはそれ以上に激しい邀撃戦を繰り返していたし、動画にあるように、343空を構成する搭乗員の練度は他部隊と変わりはなく精鋭と呼べるものでは決して無かったしかし基幹要員、指揮官クラスの搭乗員は比較的良い人材を揃え「継戦能力」を維持できたのが(他部隊に比べ)強味だったのかも知れないあくまでも海軍の一部隊であり、「もし」紫電改の量産が進んで他部隊にも配備が拡がれば「紫電改部隊」の特色は薄まるはずだったのが終戦により「あの時点」では「唯一」になってしまっただけの感がある第二次世界大戦に於いて【精鋭を集めたエリート部隊】と呼んで可笑しくないのは、ジェット戦闘機Me262を配備し鉄十字勲章佩用者を掻き集めた独空軍「第44戦闘団(JV44/Jagdverband 44)」くらいでは?と思う
隼君もお願いします!
343空の全戦果は米軍側の損失記録だと38機。逆に損失は96機。どう見ても負けてる。
どこにそれは書かれていましたか?
末期のキルレ20対1ってほんとえぐいよな。。それを3対1にまで持ってく練度よ。。
@@チョムチョム-i8b 「源田の剣 第三四三海軍航空隊―米軍が見た「紫電改」戦闘機隊」ミリオタには有名な本
開発経緯、性能、生産機数、評価、そしてその実際など、陸軍の五式戦とあらゆる意味で似ている機体ですね。あちらも「感状」出てますし紫電改との引き合いには四式戦闘機・疾風がよく出されますが、この機体が比定されるべきはあちらではないかと考えたりします。海軍には、陸軍の四式戦闘機に位置する機体が存在しなかった、とも言えますが
@TIBER教育チャンネル でも四式重爆「飛龍」は海軍が頭下げて借りたらしい。台湾沖航空戦での実績も残ってるし
海軍で疾風に相当するのは烈風のはずでした。隼が正式採用になった昭和16年の年末に疾風の開発が指示され、烈風も当初は零戦の正式採用の15年末に計画されていますから、疾風より1年早くできていてもおかしくなかった。烈風の開発をいったん断ったのは雷電に手こずっていたせいですから、雷電をさっさと見切り付けて紫電に賭けるか鐘馗を借りるかしていればあるいはというところでしょうか。
サムネ使われてますよua-cam.com/video/3UL0N_jSKt4/v-deo.html
昔、ドキュメント劇画で、343空の事を書いた『撃墜王』ってありました。菅野隊長機の、二番機の方が主人公だった。色んなエピソードが書かれていて心に響くものがあった…。
@TIBER教育チャンネル その有名な作品は、名前だけは聞いた事があります(^_^)。
剣部隊ですね
戦争末期でも海軍専用に拘った所はパイロット達には気の毒だったね。疾風も最善とは言えないけれど1800馬力でマズマズの性能だったから疾風の海軍版を作ってれば助かった海軍パイロットも多かったと思うな。
もう陸軍に頭下げて疾風でいいんじゃ
海軍でもキ84を導入してれば、もう少し善戦できたろうに😖
20m m4門はロマン
紫電改はパイロットと整備兵が優秀だったんでしょう。誉は当時の日本の技術水準を超えたエンジン。アメリカから輸入した1000馬力エンジンの生産ラインで2000馬力エンジンは無理ということも当時は理解できなかった。
一一型はマルJが魅力的ですよね運用されてたらどうなっていたか想像するとテンション上がりますw
この方の使ってるBGMが気になる
芙蓉部隊もお願いします
雷電については、航空戦史家・渡辺洋二氏の仕事によって「生涯総撃墜数が十数機にしか満たない」と結論付けられています。(世界の傑作機に書かれている。)紫電改についても「敵機をバッタバッタと叩き墜とした」みたいな“身内びいき”は止めて、ほんとうの処が語られて欲しいです。きっと、トータル戦果は雷電と大差ないのでは?
見に行きたい
同じ誉エンジン使ってこの紫電改や疾風ができたのになぜ三菱は烈風などという凡作なのか…
紫電改は10年程前に亡くなった父親が大好きだった戦闘機でした。というのも父は鶉野飛行場にあった川西航空機姫路工場に勤労動員され、そこで紫電改の部品(機銃砲)を製作していたからです。その工場で働く人達の間では「川西音頭」なる唄が流行っていて、「いいじゃありませんか川西は~」の出だしで始まるそうです。父曰く紫電改は飛行場の滑走路から滑り出してから離陸するまでの距離が非常に短く、あっという間に飛び立っていったそうです。そして紫電改は間違いなく世界一の戦闘機だと、戦闘機の事等何も分からない私に幾度となく自慢していました。
後に私は大学の就活で、川西航空機の後進となる新明和工業の方とお話しする機会がありました。その時紫電改の話題となり、私は父が鶉野飛行場の川西航空機姫路工場で勤めていたと話すと、新明和工業の方達はキョトンとした顔で川西航空機の姫路工場は存在しないと仰られましたので、紫電改の話は父の記憶違いだったんだなあと思い続けていました。
ところが2年程前、あるテレビ放送で鶉野飛行場の特集がされていました。川西航空機姫路工場は確かに鶉野飛行場の側にあり、紫電改もそこで生産されていたとの事でした。更にこの飛行場跡は滑走路や防空壕等の施設がほぼ完全な形で残っており、貴重な戦争遺産として社会見学等の超人気スポットとなっているそうです。私もそのテレビ放送を観た後直ぐに鶉野飛行場に行き、滑走路の端から端まで歩きました。父の青春がここに詰まっているんだと思うと感慨深い思いになりました。
姫路工場は京口あたりだったそうです。一度完成したらばらして、播但線で福崎駅まで運んで、福崎から鶉野飛行場までは、牛で運んで、鶉野飛行場で組み立てて戦地へ送り出していたらしいです。鶉野飛行場は戦闘機の倉庫みたいな物で、
終戦時もまぁまぁ数残っていたのを知って加西の管理している部署になぜ、地元の空襲に応戦に来てくれなかったのかと聞いたら、鶉野飛行場は、ただの倉庫で戦闘パイロットは居なかったそうな。そしてのんびりした話だなと思ったのが、終戦時、米軍にラスト飛行を許され、大阪まで飛んで帰ってくるラスト飛行もしたような事を聞いた事があります。
戦闘機のノウハウろくにない川西らしく欠陥機だけどな。終戦間際で使ってるとこもほとんど343だけだから表に出ないまま撃墜されて消耗したけど相当やばいとおもうぜ。ゼロ戦に乗ってたら死ななかったようなパイロットがぼろぼろ死にまくりだし。
「日本軍機に対して厳しい」のではなく、お花畑満開な日本軍機マンセーな動画がはびこる中、なかなか中立的で理性的な現実を丸裸にしたよい動画だと思う、このシリーズは。
亡き母方の祖父が海軍のテストパイロットとして、バルやジョージ(99式艦爆と紫電及び紫電改)を操縦したことがあったと生前
聴いたことがあります。
ところが、「戦争期に乗った飛行機で一番良かったのは?」という子供の当方の質問に対する答えが…
「敵さんから分捕ったB17だった。防弾性が高いから安心して操縦できる」との回答に少しがっくりした覚えが…
改って付いてるのがカッコよさをさらに増してる気が
杉田庄一
紫電改は戦闘機製造のノウハウがない川西だから保守的な設計ではなく当時の最新技術を注ぎ込んだハイテク機になったんだけどな
紫電のドラムマガジンからベルト給弾方式にして弾数倍増、主翼はp-51にも採用されている層流翼、川西オリジナルの自動空戦フラップ、さらにこれまでの海軍機では考えられない完全防弾対策(主翼、胴体内の燃料タンクは防弾化、自動消化装置など)
よく紫電改と比較される陸軍の四式戦は中島が設計したために特に代わり映えしない保守的な設計になった
@杉田庄一
キツイ評価だな
@杉田庄一
もうお前震電のアイコン剥がせw
@@赤穂浪士-r4e 操縦席背面の装甲板が間に合ってなくて木の板が貼ってあったとか、機体の表面仕上が悪いので層流翼の効果が発揮できてないとか、自動空戦フラップも不調とか、343空と戦った米軍の実際の損失数とか、昭和の頃の古~い資料ではわからなかった情報が今ではいろいろ明らかになり、紫電改の評価を下げてるわけですが
紫電が中翼の戦闘機というのは最近知った
去年愛媛へ唯一現存している紫電改を見に行きました。
施設は比較的小さいものの、かなり良かったので皆さんも是非行ってみて下さい
祖母、母から聞いた話を書いておく。
太平洋戦争中、祖父一家は松山市の道後に住んでいた。ある日、十代と思われる海軍兵が真っ青な顔で歩いており、
見かねた祖母が声をかけた。聞くと松山航空隊で、翌日に特攻出撃とのこと。外出許可が出て動物園に来たと言っていたらしい。
祖母はその青年を.家に招き入れ、家族とともに食卓を囲んだそうだ。祖父は基地に翌朝に帰隊ざせる旨、連絡を入れた。
青年は泣きながら食事をし、翌朝すっきりした顔をして礼を述べ基地に帰っていった。
しばらくした八月、母は北の空に強い光を見た。広島だった。
青年は当然、戻ってくることはなかった。その代わり、しばらくして予科練に入っていて出撃直前だった長男(伯父)が帰ってきた。
当然一家は帰宅を喜んだが、同時に悲しかったと言っていた。
動物園を選ぶあたり、その彼の心情を思うと涙が止まりませんでした。
Heinkelさんの解説は結構辛辣で厳しいもので、やっぱり自分もまだまだ未熟ですがミリタリー系(特に第二次大戦中の軍艦、飛行機)が好きなのでこれまでの思考回路適に「そんな言い方は無いだろう」と言う気持ちになってしまう時があります、だけど他の解説者さんとは違う妥協の無い解説の仕方と内容が好きなんです、実際事実の事だと思いますしそれを知れて単純に嬉しいです。今回の「紫電改」は自分も大好きな機体の一つなので詳しい事を教えてくださりありがとうございます!これからもどうかお体に気をつけつつ頑張って行ってください。約二年半前の動画から、しかも長文ですがありがとうございました。
知れば知るほど旧日本群やその兵器には残念な点が多いですね(どの国も一緒だとは思いますが)。
現代でも賢い人ほどこの国に対して強烈な危機感を持っている場合が多いような気がします。
日本軍の少数精鋭みたいなイメージがね。。。
消耗戦の時点で、精鋭でも少数じゃどうにもならんのよね。
松山空戦以外部隊として戦っておらず、部隊として戦法の統一もとれずで、
特攻護衛に鹿児島に進出したが、防空は縦深がなさすぎで優位な占位につけず、大村まで下がったガ、補給ままならずで、そのうち本土決戦待機となる。
それでも、まとまった戦闘機隊があるのは意義があった。
愛媛県宇和島市には紫電改展示館といのがあって、宇和海から引き上げられた本物の紫電改が展示してあります。
世界に4機しか残ってない内の1つなんだっけ?
サルベージ直後の仮設展示のと今の施設が出来てからの2回見たこと有ったな
当時の写真等入れたアルバム回収し損なったのは痛かったな
ロマンに彩られた機体ではありますが、当時の日本の技術力や工業力がどの程度のものであったのか知れば知るほど、現実的にアメリカ製を上回る性能の戦闘機なんか作れたはずがないという切ない思いが強まります。せめて空力設計だけでも独創的で優れたものであって欲しかったですが、紹介されているように試作機段階で膨大な手直しを要するなどけっこう失敗しているんですよね…。
作ることはできるが維持できないからなあ。人はいても工作機械自体が劣ってるからしょうがない
虚飾を排した中立的な視点からの解説が聞ける、貴重な動画製作者さんだなと思って毎回見させてもらってます。
「紫電改という語感、それが醸すロマン」、本当にその通りですね笑
私も非常に納得しました笑
蓋し名言ですね。
語感とそのロマンだけで、数多のミリオタの目を曇らせたのは驚愕ですがw
ほんとに理想と浪漫だけでは戦はできないですよね。
やはり真実を知る為には色々な方向からのアプローチが必要ですね
こういう冷静な性能評価してる動画は為になるわ
空力的に洗練され、機能美を感じるものが多い日本機の中で、紫電、紫電改ほど"それなりに造ってみた"感が強い飛行機は珍しい。
紫電改はそこまで酷くないと思う。
@田中一郎 それ彩雲でよくない・・・?
@@user-mu5xc5wc8b 時期が時期だからね
四式戦はやたらエンジン、エンジン言われるのに、同じエンジンの紫電改や流星、彩雲はなぜかやたら名機というイメージが付いてしまってるのがよく分からん。
数が少ない分整備に余裕が有ったのでは
南方や中国戦線の外地に行かず、本土でわずかな期間、少数のみが運用されたからでしょう。台湾に進出した四式戦の誉は、本土との気温差だけで不調をきたしました。それでも紫電改やその他海軍機の誉エンジンは出力制限かかりっぱなしで、トラブルも頻発したようですが。
もし艦上装備などをつけて海上運用などしていたら、さらなる性能低下の上、不具合が続出したと思われます。
陸軍無能論の影響もあるのかも知れませんね
@山田電気 カタログスペックですか?本当の性能ですか?
誉はハイオクガソリン仕様の特殊超合金製軽量エンジンでした。「南方を占領すれば石油でも錫でも天然ゴムでも何でも手に入る。だからいいものを作れ。」との軍部の号令で設計されました。しかし戦争末期になると戦略物資の不足により合金の強度不足と熟練工の不足による工作不具合が重なり、性能低下が著しく大馬力が出せなくなりました。資材が豊富なときにに制作された誉エンジンは整備の難しさはありましたが、優秀な性能を発揮するエンジンでした。
343空司令の源田実は強引に他の航空隊から宝石より貴重なベテランパイロットと整備員を引き抜いたので航空隊部隊から嫌われた。
じつはそこまでやったのにそれ程戦果を上げていなかったという…まあ、末期戦だから仕方ないといえば仕方ないんだけども。
@@太郎冠者-p9d パイロットの割合で海軍兵学校出身者より予科練や兵や下士官で他兵科から航空科に転科したのが多いのに海軍航空隊の上層部は兵学校出身のパイロットを優遇し叩き上げのパイロットを消耗品扱いにした。神風特攻隊で初めて戦果を挙げたのは海軍予備学生出身の人だったが海軍上層部の面子で海軍兵学校出身の関大尉を特攻隊戦果1号にした。
73 moto 帝国海軍は誰と戦っているのやら
キマイラ隊が出て来るジョニーライデンの帰還でも、エースパイロットを集めた部隊なんて非合理扱いでばっさりだし。
大本営から特攻大規模攻撃の為に、各航空隊から1人の隊員を強制除隊させる指令が来たが、343空は拒否。大本営参謀が来て一緒に特攻するなら、従うよ、と息巻いている隊員もいた。
美談のように読めるが、「源田は秩序を乱しているという事」も示している。
もちろん大本営からの命令に従わないのであれば、憲兵を派遣して命令不服従で逮捕、銃殺刑並みの犯罪で裁く事をする必要がある。
が、大本営も腰抜けなので出来なかったのだ。
343空では源田は神格化されており、源田を捕らえると何を仕出かすか分からない集団になっていたからだ。言わばもう独立国家のようになっていたのである。まるで地獄の黙示録のカーツ大佐だ。
大本営は各航空隊の制御も出来なくなっていたのである。
何本もの毛根は救ってるから(震え声)
昔お世話になったのは秘密です。
初めに紫電改の名を知ったのは育毛剤。
それは戦後のカネボウ製っすよ
pon mitsuyama うわぁ…
@@ステライト今はリアップ使ってます。
戦争は数だよ兄さん。
昔話だけど源田さん、あまり良い印象無いです。元部下の方や空自や防衛庁の方々から、随分な話聴いたので……343空の件も自己宣伝だと散々でした。終戦間際から指揮ほっぽって云々とか……。
慰霊祭によく脚を運んで、一席ぶっていた(講演)が、源田許さずという者も集まってきたのでよく一悶着を起こしたという。
源田は対抗策として、右翼団体を引き連れるようになった、らしい。
343空の実態や源田の言動の記録から推察するに、有り得る話だ。
参謀とか司令に向いてないタイプなんだよね
指揮官なら優秀だけど参謀とかやらせるとマズイ人間が海軍に多すぎって問題
資源も不足する中で米軍相手にそれなりに善戦したというだけでもある意味奇跡ですね。
亡くなった親父が、百式偵で偵察任務をしてる
陸軍大村基地にいる時
海軍の飛行機が数十機三点着陸しながら降りて来て上手いなと思ったと
私と酒を飲むと語っていたな。
機種はと聞くと見たことない機種で分からなかったが戦後それが紫電改と分かった言っていたなぁ
零戦は学徒出陣(自分より少し年下やけど階級は上)操縦が多く離着陸が精一杯やった、
2、3日で南の
多分、知覧へ飛び立って行った。
これで沖縄や特攻に出撃しても辿り着くことは難しいやろなと思ったと悲しそうに言っていたなぁ。
ショックだったのは源田実が「撃墜されたときにパラシュートで脱出する奴は
おれが20mm機関砲で撃ち殺す」って言ったこと。味方パイロットの命をなんだと
思っているのか。源田実は特攻を考案したが自分は特攻せず、特攻作戦の責任を、
じっさいには考案していない大西中将に押し付けて割腹自殺させている。
坂井三郎…「彼(源田を指す)は戦闘機パイロットと自称していたが、自分は彼が戦闘機に乗って飛んでるとこは見た事ないし、聞いた事もない。」
源田や無駄口、富永は死んでも恥をかいてもらう。
@@kasinsatoru 開戦前、すでに航空艦隊参謀でしたので(当然、空戦歴はない)・・・ なお戦後はいろんなジェット戦闘機に乗ったとか
ふと思ったのですが、bf109やスピットファイア、P51等の主要な欧州機の解説がほとんど無いので、やってほしいです。
同感です。 日本人なのにガキの頃、一番のお気に入りはP-38ライトニングで個性的なスタイルと戦闘機なのに双発機というのに憧れてました(因みに山本五十六司令官搭乗機を撃墜した憎き機種というのは大人になって知った)
後は同じ米軍機のP-51マスタングと英国のスピットファイアで、どちらもスタイルが好み。
以前、菅野直さんのお墓へ行ってきて靖国にある手帳も見てきました。
終戦まで僅かな時に戦死は悔やまれますね
冷静かつ客観的な評価ですね。自動空戦フラップによる旋回半径の小ささと機動力が取り柄で、F4Uコルセアに十分対抗できると考えてたのですが。パイロットの練度もその性能を使いこなせるか否かに大きく影響するはずで、もうわずかしか残ってなかったのかなぁ?
いつも楽しく拝見しております、紫電改は亡き叔父が最後に乗っていた戦闘機でした。
詳しく覚えてはおりませんが、学徒出陣した叔父が最初彗星艦爆のパイロットになりのちに錬成中だった紫電改の部隊で中隊長だったそうです。
一番覚えている話は戦争末期ですから塗料が無くグラマンと間違えられて、訓練中に高射砲で撃たれたり陸軍機に迎撃されたと言っていました。
ではでは、これからも楽しい動画を期待しております。
10:29 ここの菅野大尉の来歴の説明が笑えるw
某漫画ネタ🤣
最近出た単行本での新撰組ネタはちょっと笑った
今までの零戦を筆頭に戦闘機のほとんどはエンジン性能に足を引っ張られてたのは辛すぎる。エンジンがよければ紫電改も傑作機になれたのかもしれない。後鶉野飛行場でみた紫電改は本当に美しいと思いました。
その大きさを肌身で感じられる数少ないところだと思いました。
@shikakuman2
まぁそれを言ってしまうと枢軸、というか米帝様しか130~140という高オクタン価達成できてないわけですし(科学バカ一代のドイツも100オクタン)、多少はね?
持たざるモノの限界ってのは悲しいですね。
@@かなしげ-n1x 本物はデコボコしていて、とても高速を出せるとは思えない
結局エンジンって基礎工業力の塊だから、エンジン開発が進まないって時点でもうね。
戦闘機ってほぼエンジン性能で決まりますからね。スピットファイアとマスタングのマーリン、メッサーシュミットのダイムラー、ヘルキャット、コルセア、サンダーボルトのダブルワスプなど。栄エンジンのおかげでゼロ戦や隼も名機になれた。
初期のダブルワスプやB-29のデュプレックスサイクロンなんかも、誉に負けず劣らずトラブルには悩まされていたようですので、決して誉が特別ダメだったとは言えないと思います。もう少し時間があれば名エンジンになっていたことでしょう。戦闘機のエンジンを自国で開発できた国はほんのひとにぎりなのです。
ただ、プロペラ制御装置が自国開発できなかった事実は、意外と知られていないかも。日本軍のプロペラは戦前のアメリカ製のライセンス生産ですから、1世代以上古いものだったので効率も悪く、エンジンの馬力の差以上に性能差は大きかったと思います。
2022年春には加西市に97艦攻のレプリカも作られます!
今から楽しみで仕方ないです!
…実働機か!?🤨
宮野善治郎 実物大模型なので、実動機ではないと思います!
実動機なら本当に夢がありますけどね!
@@aka-et1sq
それでも、皆が忘れてはいない証として是非とも実現して欲しいですな…。
貴重な情報を有り難う。👍
97艦攻は吊るすとか言ってた気がする。(不確かですが)
加西市の実寸レプリカは僕も当日観に行きました。
ちゃんと姫路航空隊の慰霊碑にも手を合わせましたよ。自分の利益じゃない、日本の為に戦ってくれた方々ですから。
当日は色んな方とお話が出来て楽しかったです。
ちょっと公共交通機関の便は悪いですがたくさんの方に見に来てほしいです。
全く個人的な感情ですが、源田実って人が凄く嫌いです。零戦を安全性無視で作らせて、F6Fが出て来て全く歯が立たなく為ってた時にはダンマリを決め込んで、陸軍の疾風が出て来ても陸軍に交渉もしなくて、搭乗員を見殺しにしてて、何とかモノに成った紫電改が出来たらまた、しゃしゃり出て来て熟練搭乗員と何とか使える搭乗員を全部他部隊から引き抜いて、優秀な整備員も引き抜いて最後に一矢報いたぜ!って顔で戦後の航空自衛隊も作ったぜ!って姑息な印象操作が上手い人にしか思えません。戦後の航空自衛隊はアメリカ軍の指導のお陰で源田実の功績は無いと思いますが英雄扱いされてるのが、凄く嫌です。
同感
同じく大嫌いです。山本五十六に一目置かれて、いい気になっていた節が見える。
更に厄介なのは〇ルト指導者みたいな能力があった事。
パイロットを高揚させるのが上手かった。坂井三郎は口だけ男と見抜いていたみたいだが。
軍港が攻撃されてるのに、源田司令は戦闘機を狙えって言ってたんだよな。
戦闘機が負けるから戦争に負けてると言ってたみたいだから、そういう作戦を取らせたのかも。
@@KEITARO0312 確かにそういう理想で言ってたんでしょうけど、松山の海軍航空隊が呉の軍港を守れなくっちゃ本末転倒だろうと思います。源田司令は現実が見えてなかったのではないかという気がします。
源田司令、これを真面目に言っていたとしたら相当ロマンチストですね。
攻撃機、爆撃機を狙うと戦力が分散するから戦闘機に集中するのは作戦としてアリと思います。
@@KEITARO0312
作戦というのは「目的を達成する」ことが成功と言えます。そのためどんなに戦果を上げようが目的を達成できなければそれは失敗(珊瑚海海戦などがその例)なんです。
戦闘機隊の場合、迎撃任務であれば爆撃の阻止、護衛任務であれば護衛対象の任務完遂を支援すること。これらを達成してこそ成功と言えるのです。そのため敵戦闘機と交戦したからと言って必ずしも撃墜する必要はなく(もちろん撃墜できれば最高)、それはあくまで目的達成の手段に過ぎないのです。
前置きが長くなりました笑 そのため上で述べられているように軍港を防衛しなければならない局面で爆撃機には目もくれるな! というのは端から目的達成を度外視した発言と受けとれます。噛み砕いて言うと試合に負けてもいいから勝負には勝て!
さらに相手の立場からすれば護衛対象たる爆撃機を狙わずに護衛戦闘機に向かってくるのであれば、その時点で任務達成なんすね。
ただまぁ現場の方の心情という面で考えるとわからなくもないし、実際に戦闘していれば不測の事態は常に起こるでしょうからね。
しかしながらやっぱ海軍の中枢にいた方の発言とは信じたくないですな
wtで強風のフロートを地面にたたきつけて無理やり外して紫電にしてたなぁ
初めてやる時はミスって墜落するまでがテンプレ
紫電改は手堅くまとめられた良作機。雷電がもたつくので強風を陸上機かして売り込んだ紫電は経験不足がもろに出た出来の悪い飛行機だったが設計をやり直して大幅に完成度が上がったのが紫電改。烈風に変わって海軍主力戦闘機として大量生産計画されたがなされる前に終戦。
一番何がだめかって海軍の次期戦闘機開発。雷電と烈風。
もう少し長引けば343も壊滅してというのがこの戦争のむごさよ・・
厚木は無駄に元気だったぞ。
@@ほえほえ-w3x 「丸」での連載見てたから凄い分かる。
菅野の説明で吹いたわ(^ω^)
ドラゴンも撃墜数に含まれてるんだろうな
とにかく組織的な戦闘を行えたのはこの部隊が最後だったろう 🙏🙏🙏🇯🇵🇯🇵🇯🇵
今年の5月に愛媛県愛南町にある国内で唯一現存している紫電改を見に行ってきました。小さな博物館でしたが、紫電改の歴史や部品などを扱っており、非常に見る価値がありました。興味ある方はぜひ。
ぶっちゃけ戦闘機は陸軍機の方が性能が良い気がする。
大いなる和 零戦には制約はあっても雷電と紫電改にはないけどね
TIBER教育チャンネル 悲しいなぁ。
陸軍の方が割り切った運用コンセプトと、明確な設計コンセプトを持ってたというのが正しいかも知れん。
海軍名物無い物ねだりを満たした零戦は、軽量化の穴あけ等含めて生産効率も芳しくないし、防弾装備の追加もままならなかった。
(艦載機なので生産数が知れてる筈だったので、それでも本来は良かった)
後の後継機にも煮詰めきれてない無い物ねだりをゴリ押しした結果、ひとまず形になった紫電頼りという皮肉ぶりというね。
面白かったです。ロマンを排した冷徹とも言える解説ですが、逆に言えば、戦いで大事なのは個々の兵器の性能差のみならず、レーダーや兵站のバックアップなどを含めた「戦い方」なのかなぁと思いました。ともあれ当時あの終末的状況の現場で任務を果たしていた人たちは、既に凡庸では無いと私は思います。
同感
この動画の主は、対象をこき下ろして自分を優位に立たせる手法が好きだけど、与えられたもので任務を果たす人たちのことが何も考えられていないよね。まるで自分がこの世界で一番偉くなったかのように錯覚しているのだろうか。
@@hd580 評価内容が自身の思想に合わないと対象を扱き下ろすって表現になるんですね。当時の人間が頑張った!だけなら幼稚園児の感想文です。冷静に当時の状況を鑑みて彼我の差を考えた結果、そこにあるのは訓練時間の足りない新兵同然の即席パイロットの多数いる凡庸な飛行隊でしかありません。頑張った人を賞賛したいならいくらでも溢れてる日本賞賛動画でも見ればいいだけです。
@@hd580使い手含む日本軍全体の評価ならともかく、少なくとも兵器の設計・運用構想では運用者個人の努力の程度によらず成果を出さること(それを突き詰めると無人機とかになるのだろう)であることが求められるわけだから妥当な評価だと思うがね
この動画はカタログスペックで考えそうになった時に思考修正の時に使えて嬉しい…嬉しい…
というかいかにミリオタが数字だけ見てドクトリンや運用思想を見ていないかという好例だと思いますね。
@@quanhault879 あっ、その考えもありますねぇ
愛媛県愛南町にも当時撃墜された本物の紫電改があるよ!
みんな見にきてね!
海中で発見されて復元されたんでしたっけ?
自動空戦フラップにもっと突っ込んで欲しかった。
この機体の自動空戦フラップは日本機唯一の世界への自慢のタネですからね,これ以上の追及は日本最強を妄想する輩により誹謗中傷の嵐にさらされますからね。
須本さんの紫電改343はなかなか面白かったですね
学生の時に元343空の方が書いた本を読んで、ああ敗戦間際でも一部では日本が有利に戦っていたんだな、、と思っていたが米軍のデータ及びキルレシオを突きつけられると、ウリナラファンタジーの域を出ないことを思い知らされる
守勢で数度の戦いで壊滅しないは、零戦でも同じ感じやったけど。ただ元々ギリギリの運用してた部隊はすぐ疲弊してたけど。あと空襲は防げてないが。紫電改って性能的に零戦52型から飛躍的には変わってないんだよな。そこがね。物語ってるんだよね。
1万機以上製造してないと、戦闘機としては評価のしようがない、ってのが現実。
@TIBER教育チャンネル 知れば知るほど、アメリカ脅威過ぎよな…ムリやんあんなん
それでいけば、日本機はゼロ戦しか評価できませんね。
細かい点ですが、強風は『15試水上戦闘機』だったと思います。14試は『14試局地戦闘機』(雷電)の方では?
紫電改の速度に関しては動画内では全備重量で580キロというが、
343空搭乗員複数の証言では最低でも600キロ以上は確実に出ていたという。
練度に関しても意図的にフィリピンで実戦経験を積んだパイロットを集めたので
この辺も単なる飛行時間だけでは読み取れないところ。
プラモ作って眺めながらロマンを感じる機体ではありますね。
ヌシ様は、やっぱり航空機ネタになるといい感じですね
川西の社章かっこよすぎ
まぁ米側の自損害もかなり控えめに報告されているので、互角ぐらいじゃないですかね。343航空隊に関しては源田実の回顧録がかなり誇張されてましたからね。紫電改は結局、誉の調子次第だった
みたいですね。
@TIBER教育チャンネル 残念ですけどそうですよね。何せ物量が違いますからね。
米軍の損害過小報告のソースは?
@@イナゴ大福確かだいぶ前の歴史群像だったような。ラバウルとかビルマの航空戦でもお互い自軍の戦果は大きめ、被害は少なめでしたね。
@@イナゴ大福 現場を目撃した人しかわからんでしょ。
紫電もフィリピン決戦に飛行隊規模で間に合ったことを考えればもう少し評価してもいいかも
F6Fに対して優位に立っているのは20mm4門という火力くらいだろうって毎分発射速度、搭載弾数、ブローニングM2×6門のエネルギー総量考えたら99式2号4門が果たして火力でそんなに優位なのか疑問だけど・・・
エネルギー総量の考え方は抜きの話になっちゃうのですが、日本は反則生産量の米軍重爆達にも対抗せねばならないので、20mmは対戦闘機・対爆撃機をマルチにこなすためほぼ必須だったと言えると思います(M2ブローニングは確かに優秀だが対特攻作戦等における爆撃機阻止の場面において威力不足が指摘され、米艦戦も20mmを搭載する機体が製造されている)。
汎用性(対応力)が高いのは20mmと言えると思うのですよ。
@@かなしげ-n1x 同じ20mm口径でもアメリカさんの20mmAN-M3はルーツを辿ると九九式20mmとおなじエリコンFFシリーズですが九九式二号はエリコンFFLというのがベースで銃身長1200mm、使用弾薬が20×101mmRB弾で弾頭重量128gの弾丸を銃口初速750m/s発射するのに対してAN-M3はエリコンFFSというのがルーツで銃身長1300mmで使用弾薬は20×110mmRB弾で弾頭重量131gの弾丸を銃口初速830m/sで発射するのでより強力であったと言えます。
また、ドイツのMG151/20も使用弾薬は20×82mmで弾頭重量も92gですがこの弾薬は薄殻構造という薬莢も真鍮ではなく鉄を使用して当時のアメリカさんでも模倣をあきらめたプレス加工を用いて炸薬量を増やした特殊な弾薬を用いて1700mmもの銃身と組み合わせて弾種によっては800~900m/sを叩き出す強力な20mm機銃もあれば日本陸軍の二式20mm(ホ5)のようなブローニングM2をルーツに持ちながら各国の20mmクラスと比べると威力は低いがブローニングM2より本体重量は軽量で発射速度も悪くなく後世の評価は別に駄作でもなかったというような20mm機銃もあり、一概に20mm機関砲といってもそれぞれの設計思想や生まれたいきさつによって特色も多種多様で20mmでも12.7mm~15mmクラスに毛が生えたような威力もしくは同等と思われる20mmもあれば下手な短砲身の30mmに匹敵しうるパワー系の20mmまで色々あるのですが書いててめちゃ長くなって何が言いたかったんかよくわからなくなってきましたが多分20mmでも色々あるということが言いたかったのだと思います。
@@nkz_user1627
そうですね。一応そのへんの情報は頭に入っております!
私の「日本は」という書き方が悪かったなと反省しております。話の流れとしては紫電改(プラス海軍機全般か)とF6Fの比較のため、20mmは99式二号銃を差すつもりでした。
99式二号銃に関しては豊富な情報をお持ちなので長々書く必要ないと思うので、要点だけ。
四型以降は間違いなく世界水準の20mm機関砲であり、まず優秀と言って差し支えないかと思います。これを四門搭載しているのは評価するべきところかなーと私的には思っております。
まぁこの辺はあまり突っ込むと20mm機関砲対ブローニングM2という終わりのない論争になるので、私はこの辺で逃亡します!笑
@@かなしげ-n1x
さすがに破壊力と正確な弾道が比例しないところが哀しいとこか…。
対戦闘機戦だと余程接近しないと有効弾が当たらないしょんべん弾を使うか弾道の正確な豆鉄砲を数当てて仕留めるかは搭乗員によって判断は分かれてたからなぁ…。🤔
弾幕の厚い対爆撃機には接近戦こそリスキーだが20ミリで有効弾を確実に与えるが為に急降下で弾幕の死角…コックピットを狙う戦法もあったぐらい。
ただ、爆撃機よりも高度をとる必要もあり、零戦では厳しい展開だったろう事は想像に難くないね。🥴
@@宮野善治郎-h6z
ションベン弾は2号銃になってある程度改善されとるで
投稿も早くて内容も最高!
ウチのジイさん元343空のパイロットだったそうな。
皆さん凄腕だったって言ってた。
@TIBER教育チャンネル
それあえて言う必要あるか?
@@チョムチョム-i8b そういう奴なんや、ガン無視でいいぜ
@@チョムチョム-i8b
そういう奴はどこでもいる
仕方ない……
@@アーカード-f3i そんなキツイ言葉
あえて言う必要あるか?
愛称の紫電改はいいと思うんだけど、紫電2「1」型というのがよくわからんかったりする。
実は紫電と呼ばれる紫電11型のエンジンは誉11型の1825HPなんだけど、
紫電改は誉21型の1990HP(これは海軍数値、陸軍数値は2000HP)だったりするんだよなぁ・・・
水偵の瑞雲も金星5Xから6Xに変えた時に12型にしたのにね。誉の21につられたんかね??
@TIBER教育チャンネル まぁ多分ハ43は命名に悩んだと思う。
火星まではいいとして木星を英語にするとジュピターだし、
それはライバル会社の中島が英国エンジンをライセンス生産したエンジンの名前だしねw
土星はサターンだから名付けにくいでしょw
@TIBER教育チャンネル それもあったのかもねw
紫電改は、愛媛県愛南町に海から引き上げられた機体が唯一の現存機として展示されていますね。
子供の頃に一度だけ見に行ったことがありますが、とてもかっこよく見えたことを覚えています。
個人的には、あの機体をリバースエンジニアリングして飛べる新造機を作ってほしいな~なんて思っています。
日本の法律では作っても飛ばせませんなんてことは?
@@jx6004 アメリカに残る零戦が日本の空を飛んだこともありますし、現行法に合うように無線機などを搭載すれば飛ばすことは出来ると思います。
紫電改はフルに稼働した機体は80程度だったとか、末期は20あるかないかだった。
航空機20程度で替えがきかないとか小軍閥クラスやんけ。。。
343空ってムスタングの戦果0なんだよな。逆に撃墜されたのは10数機で完敗してる。
ムスタングを初めて撃墜したのが陸軍の戦闘機隼とは皮肉
むしろムスタング自体がその時代のレシプロ戦闘機を凌駕する性能だったし、ドイツでもp-38ライトニングを戦闘機の役割から爆撃等の支援攻撃に回しているぐらいだから完敗するのが想像つきやすいかと...
@杉田庄一 シミュレーターの操作感で実機のしかも空戦を評価するのは荒唐無稽が過ぎますよ。。。
横空の赤松中尉は雷電で低空に追い込んでP51を撃墜してる。
その状況に持ち込むかが困難だと思うけど、機銃掃射に熱中してる間抜けを狙ったのかな?
@@KEITARO0312
赤松氏は50機編隊のP-51相手に単機で空戦して1機撃墜して戻ってくる化け物だから…
そう言えば松本零士先生も紫電は良く描かれていたけど、紫電改は記憶にないな。源田実が嫌いだったのかな。
可能性は高いですね。
とにかく好き嫌いが激しく、自身に憧れる者は仲良くして、嫌いな者には口も聞かない、という印象があります。
戦後、慰霊祭に顔をよく出していたようですが、(相手は頭空っぽの反戦団体?)言い合いになって険悪な空気を醸し出すのもよくあったらしく、右翼団体から護衛を引き連れて参加していたようです。
まるで〇クザですな。
まあ紫電改はギリ戦える戦闘機だったけど、壊滅日本軍の最後の輝きってとこかな。
急に思いついたけど、フランス人の第二次世界大戦オタク存在しない説
俺はF6Fが良いな…
この頃の日本の工業力は外国からの支援なしじゃ30年代の貯金を食い潰す感じだったんですね。組んだドイツとイタリーは技術は一流でも、あまりに距離(物理)が、、あり得ないけど何かの間違いでもし英米側で二次対戦に参加してたらどんな機体が見られたんだろう、と思ってしまう。
日本機あるある。
完成があと1年遅い。
それが日本の技術レベルの限界だったって事なんだろうな。
自動空戦フラップがついていたんだが、もう格闘戦の時代じゃなく成っていたのがな。
大戦初期に自動空戦フラップができていたら、もっと活躍できたかもなあ。
雷電やな
もともと実戦でのドッグファイトは禁じ手、隼にも空戦フラップついていたけどほとんど使われていなかったらしい。
「紫電改のタカ」好きだったなあ。本機の高評価は源田実の政治力でしょう。仮に343が小薗司令だったら戦功はなかったことにされたのでは?また、南方よりシステムが充実した松山なら、零戦のみで編制されていても同等のスコアでしょう。
あまり戦記は読んでなかったのだけれど隼の話だったか、1日中戦い続けてやっと帰投して限界だから寝る、と思ったらまた敵襲で仕方なく飛んだとか。例えば敵が5倍いて、5交代で切れ目なく攻撃してこられたら、これはもう機体の性能どうこうじゃ勝てないなと思いました。キルレートで何対何とか言っても、全体で何対何で戦っていたのかまでは聞いたことがないですし。
秋山昌之さん
信濃沈没寸前に艦上機型の紫電改が離陸したとの記録を観たことがありますが。
そして、特攻専用の桜花は救助資材になった。
前に信濃について記されている本を読んだが、着艦試験をやったのは間違いないらしい。
ただその後どうなったか…が分からない。飛び去ったのなら、例の343空で使われていたはずだが、その記録はなさそうだ。
そのまま信濃に搭載され、一緒に沈んだのかもしれない。桜花もその時に呉に運ぶ為に確か30発ぐらい運んでいたのは、記されていた。
どうせ空母も運用できないんだし疾風に統一しておけば、
陸軍と海軍仲良く出来たならそれも出来たと思うけど
アメリカ陸海軍が仲が悪かったのは有名です。でも、機銃などは共用ですし、国力が大きいアメリカなら互いに反目していても問題はないのかもしれません。しかしアメリカの1/100以下の国力しか無い日本は少なすぎるリソースを選択と集中しなければならないのに、全く真逆なことばかり。戦闘機など世界で最も多く種類を揃えました。だいたい零戦以降の海軍の戦闘機には世界水準より大幅に劣るものしかなかったわけで、空母を失った1944年以降、共用で疾風を使えば、もっと数を揃えられ、戦果も上がったでしょう。しかし、海軍の敵はアメリカよりも陸軍なもんで、そんな合理的なことができるはずもありませんね。少なくとも紫電のような世紀の駄作機を1000機も作るよりは疾風を1500機作った方が戦局に寄与したと思います。
@@DB-eq4hd どこで疾風を1500機も作るの?川西でライセンス生産ってか?
紫電を開発してた頃の川西には、陸上機の生産設備も、テストのための滑走路すらなかったのに?
@@けん-b5o 三菱で良いのでは? 実際、雷電も烈風もやめて紫電改作れと言われたくらいだし。
愛媛に本物の紫電改があるから、コロナ終わったら見に行こうね!
見てきたぞ!
@@雫-j9k 結構デカいっすよね。
次は飛燕とか見たい。確か岐阜だったかな
紫電改の名称と集中運用したことで凡庸な機体のイメージじゃなく高性能機のイメージになっちゃった感じでしょうか。
お疲れ様です。初放送時からガンダムのパイロットの中で甲斐紫電が一番好きでしたよ。
富野さんがアニメックというアニメ雑誌の中で紫電改から名前をとったと言ってましたがどうでしたっけ?
ミライ、セイラ、フラウの3サイズにも言及していたなかw
343は豊田譲氏の本を読んでから誇張されるすぎと思ってました。戦闘機に関して個人的に海軍はゼロ戦以外に評価するものはいですね。
キッカは橘花でしょうね。もしかしたらレツは烈風、ハヤトは疾風からだったりして…?
343航空については豊田譲氏の書いたものが面白かった。
活劇として読めば痛快なんですけどね。
豊田穣という人物自体、
「海軍兵学校サイコー、そこ出た俺スゲー」
とでも云う様な海兵優越思想のみに凝り固まった感があり、ほとんどの作品の中でも、特務士官、学徒上がりの予備士官、下士官兵、陸軍を相当見下して描いている。
下士官兵は完全に士官のお手伝い扱いで、月光戦闘機のエース遠藤大尉については
「下士官上がりで安名司令との個人的繋がりから功に逸り過ぎた」
と言わんばかりの評を書いたり、臆病風に吹かれた学徒上がりの予備士官が桜花特攻から不時着で数回生還したなんぞと云う話(そんなことできたんか!?) を書いてみせたり と、相当なものである。
遠藤大尉が奮闘していた頃、豊田氏は敵の供する飯を食って生きていたわけだが、経歴詐称の特務士官を管理の米軍にチクった話をむしろ自慢げに「長良川」に記している。
捕虜一号ながら態度が極めて立派で米軍からも重んじられたという酒巻少尉(豊田氏の同期)とも大分違う。
松山空を描いた小説も、兵学校同期の鴛渕大尉、また菅野大尉の兵学校卒の活劇みたいな書き方だが、米軍相手に死闘を繰り返していた当の鴛渕大尉や菅野大尉らは、仮に豊田氏が敵線の向こうで敵の飯を食って生きていたのを知ったら、親しげに声なんかかけてくれたんですかね、と言いたい。
捕虜から帰ったら黙ってろとは全く思わないが、同じ時期に敵味方見ているんなら、戦後に書くのが活劇メインというのはあんまりではないのか。
(因みに、撃墜された豊田氏の機の同乗下士官は、戦後に自殺されている)
末期の兵学校を割りに優等で出ても(これもご本人は自慢げに書いている)この程度なもんかと思っている。
某惑星でやっとこいつに乗れるようになったけど、なんか紫電改より紫電の方が扱いやすい気がするのは俺だけ?
大艦巨砲主義 達人(リンクスさん)によると実際今は紫電の方が性能が良いそうです。
以前は同BR帯で無双出来たそうですが、アンチ日本機勢からのクレームが大きく弱体化されてしまったそうで。
Higashikan
紫電改はBRでヤル気が失せるし改修も大変。試されるのは紫電改への愛だよね。
@TIBER教育チャンネル ゲームの話ですから ハハハ
鶉野のレプリカも良いけど愛南の実機は感慨深い。7月24日の空戦で墜落した機体と判明していて、着水時の状態が良かったことから相当な腕前、座席が前寄りだったことから身長は高くないなど総合的に見て、かの武藤金義氏の機体だった可能性があるらしい。
343空では他にも鴛淵、林、菅野の3隊長や杉田庄一氏と言った名だたる搭乗員を失っていて終戦間際の劣勢ぶりが計り知れる。国を護り最期まで全力で戦ってくれた英雄に敬意を表したい。
何年も前ですが愛南町のミュージアム訪問しました。おぉ、まさかそんな考証があったとは…!
杉田庄一
説得力があるね。
戦闘機乗りって、意外と小柄な人が多い気がするのですが・・・
源田はイメージ戦術では右に出るものなし・・・ただそれだけ。
自分の手柄を100倍に宣伝して己の栄光にしか関心のない小人。
ソースは?
@@チョムチョム-i8b
オレは戦闘機に乗って戦える指揮官だ!←坂井三郎氏…「彼(源田)はそう言っていたそうだが、私はその場面は見た事ないし、現実に聞いた事もない。」
ホラ吹き男爵、ミュンヒハウゼンに近いな。
遅すぎた傑作機ってよく言われてるけど傑作機ですらないじゃないか...
仮に傑作機だったとしても今更感しか無いというのが
剣部隊·····かっこいいなぁ
老いぼれゼロを出すよりは間違いなくマシではあったろうしね…
まあアメリカの戦果も日本の戦果も戦時中発表で、結局確実に信用できる情報なんてのは無いんだけど、日本海軍で一番可能性はあった戦闘機だった。
私見だが 「改」のネーミングは
不滅だ。
@TIBER教育チャンネル
元が酷すぎたから間違いではない。
エンジンを火星(もしくはハ214)のままにした紫電を作っていたらどうなっていたんだろ?
todo bk 癖の悪い失速起こしそうですね
誉信者の旁には悪いけど、火星は大戦末期でも故障が少ないエンジン?だし、そのまんまの方が良さげだった気がします。
または金星も、5式戦に付けられて意外と飛んでたみたいですね?
【精鋭を集めたエリート部隊】
「343空(2代目)」が戦後有名になったのは、「紫電改優先的配備」や「誇大戦果の鵜呑み」そして「源田実元司令官の宣伝の巧さ」が相まってのこと
実際関東方面に展開した零戦部隊も343空と同等、時にはそれ以上に激しい邀撃戦を繰り返していたし、動画にあるように、343空を構成する搭乗員の練度は他部隊と変わりはなく精鋭と呼べるものでは決して無かった
しかし基幹要員、指揮官クラスの搭乗員は比較的良い人材を揃え「継戦能力」を維持できたのが(他部隊に比べ)強味だったのかも知れない
あくまでも海軍の一部隊であり、「もし」紫電改の量産が進んで他部隊にも配備が拡がれば「紫電改部隊」の特色は薄まるはずだったのが終戦により「あの時点」では「唯一」になってしまっただけの感がある
第二次世界大戦に於いて【精鋭を集めたエリート部隊】と呼んで可笑しくないのは、ジェット戦闘機Me262を配備し鉄十字勲章佩用者を掻き集めた独空軍「第44戦闘団(JV44/Jagdverband 44)」くらいでは?と思う
隼君もお願いします!
343空の全戦果は米軍側の損失記録だと38機。逆に損失は96機。どう見ても負けてる。
どこにそれは書かれていましたか?
末期のキルレ20対1ってほんとえぐいよな。。
それを3対1にまで持ってく練度よ。。
@@チョムチョム-i8b 「源田の剣 第三四三海軍航空隊―米軍が見た「紫電改」戦闘機隊」ミリオタには有名な本
開発経緯、性能、生産機数、評価、そしてその実際など、陸軍の五式戦とあらゆる意味で似ている機体ですね。あちらも「感状」出てますし
紫電改との引き合いには四式戦闘機・疾風がよく出されますが、この機体が比定されるべきはあちらではないかと考えたりします。海軍には、陸軍の四式戦闘機に位置する機体が存在しなかった、とも言えますが
@TIBER教育チャンネル
でも四式重爆「飛龍」は海軍が頭下げて借りたらしい。
台湾沖航空戦での実績も残ってるし
海軍で疾風に相当するのは烈風のはずでした。隼が正式採用になった昭和16年の年末に疾風の開発が指示され、烈風も当初は零戦の正式採用の15年末に計画されていますから、疾風より1年早くできていてもおかしくなかった。烈風の開発をいったん断ったのは雷電に手こずっていたせいですから、雷電をさっさと見切り付けて紫電に賭けるか鐘馗を借りるかしていればあるいはというところでしょうか。
サムネ使われてますよ
ua-cam.com/video/3UL0N_jSKt4/v-deo.html
昔、ドキュメント劇画で、343空の事を書いた『撃墜王』ってありました。
菅野隊長機の、二番機の方が主人公だった。
色んなエピソードが書かれていて心に響くものがあった…。
@TIBER教育チャンネル その有名な作品は、名前だけは聞いた事があります(^_^)。
剣部隊ですね
戦争末期でも海軍専用に拘った所はパイロット達には気の毒だったね。疾風も最善とは言えないけれど1800馬力でマズマズの性能だったから疾風の海軍版を作ってれば助かった海軍パイロットも多かったと思うな。
もう陸軍に頭下げて疾風でいいんじゃ
海軍でもキ84を導入してれば、もう少し善戦できたろうに😖
20m m4門はロマン
紫電改はパイロットと整備兵が優秀だったんでしょう。
誉は当時の日本の技術水準を超えたエンジン。
アメリカから輸入した1000馬力エンジンの生産ラインで
2000馬力エンジンは無理ということも当時は理解できなかった。
一一型はマルJが魅力的ですよね
運用されてたらどうなっていたか想像するとテンション上がりますw
この方の使ってるBGMが気になる
芙蓉部隊もお願いします
雷電については、航空戦史家・渡辺洋二氏の仕事によって
「生涯総撃墜数が十数機にしか満たない」と結論付けられています。(世界の傑作機に書かれている。)
紫電改についても「敵機をバッタバッタと叩き墜とした」みたいな“身内びいき”は止めて、ほんとうの処が語られて欲しいです。
きっと、トータル戦果は雷電と大差ないのでは?
見に行きたい
同じ誉エンジン使ってこの紫電改や疾風ができたのになぜ三菱は烈風などという凡作なのか…