Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
内容が濃くて面白い。23分があっという間だった。
見終わった後に23分あったんだって気付いた。
この人の動画は毎度毎度とても残酷な現実を突き付けられるから見るのにちょっと躊躇しちゃうけど、完成度高いから見て後悔はしない
ある意味、戦争や兵器を通じて、「日本人的なるモノ」の欠点を指摘してるんですよね。
この人の動画は淡々と事実を解説してくれるんですよね。
『仮想戦記世界』から救い出してくれる動画ですよね。
父は海軍、母は三菱お腹の中にいた頃から父母の喧嘩の絶えない環境に生まれた烈風は、生まれた時から忌子として敬遠された悲しい機体
20年前、当時の三菱OBのエンジニアに烈風の感想を聞く機会がありました。「あんな物のない時代にあんな馬鹿でかいモンつくって!俺は雷電くらいでちょうどいいと言ったんだ。」と散々な言われようでしたね。
堀越は完璧主義者だからゼロ戦くらいの縛りプレイで作らせないとドンドン凝りまくって終わらなくなる奴。あいつが適当に作ったくらい言うのでちょうどいい
陸軍の疾風の凄いところは当時の日本機としては完璧な防弾装備を備えていたこと、新規の技術を追わず手堅い設計でまとまられ、量産性が優れていたこと、そして最高速度がハ45搭載機では日本側の試験でも660km/hを達成していたこと。(従来の623km/hはハ45特エンジンによるもので通常の生産型はハ45)。烈風より間に合った兵器そのもの。
2000馬力をねらって実質失敗した誉エンジン1500馬力でも堅実な設計で量産できた金星エンジンおそらく想定燃料もオクタン91ぐらい無理のないものだったのでしょう
るからをを
ゼロ戦ばかりアイドルのようにもてはやされているけど、一式四式陸軍機も同じくらい活躍していてなぜ注目されないんだろう。やっぱ大陸側の戦闘なのと、陸軍だからかー?
@@igaguri9128 一式戦に関しては、それぞれのカタログ値が零戦よりも少しずつ劣るから、だと思う。速度、航続距離、武装など。防弾装備や飛行特性は注目されにくいし。あとはデザインの流麗さと海軍、そして戦後の宣伝の上手さ?四式戦は・・・なぜだろう。
かといって20mm機銃は当たらないからな対爆撃機用、対戦闘機なら13mm機銃4門あった方が当時の戦闘機には有効だと
つまり日本はすごかったんですよ!~さえあれば結果はわからない!って釘をさしておわる解説はもうお腹いっぱいだったのでこういう解説探してた「当時の戦況なら仕方ない」って擁護より「あーついにやりやがった」って感想混ぜてあるの大好き
長引けば長引くほど、アメリカはもっとすごい新型を出してくることを考えないからな。ベアキャットやらスカイレーダーやらシューティングスターやら。
これまでの烈風の評価は、堀越二郎技師らによる機体側の証言だけでは不十分で、発動機部門側からのハ43の開発進度から判定すべきと思っていたが、まさにこの動画が、その部分を埋めてくれる。
ライバル日本史航空機開発三菱対中島、陸軍、海軍航空隊編で三菱視点、中島視点で見てみたくなった
米国が蓄積したのはただの技術ではなく、むしろその合理的システムなんやろなあ一つ一つ技術の高さよりも技術をミックスし工業製品として完成させるまでのスピード感だろう
昔読んだ本に「風洞実験の呪縛」ってのが有った、単発牽引式の胴体には前から吹き付ける風に対する抵抗よりもプロペラが生み出す推力を如何に無駄無く後方に導くかが重要だと、それにはプロペラ直後を最大径にして後は絞って行くのが良いらしい、小山技師やタンク技師はそれを解っていたようだけれど堀越技師は解ら無いままだったらしい。
陸軍の四式戦闘機を完全自社製で完結させ、生産設備がグダグダな中で3,500機を生産した中島飛行機がまともに見えてきた。
海軍が頭を下げて、陸軍と協力して四式戦の海軍版を作ってれば特攻等と言う愚行は無かったかも?と思いたいですね。
@@クマのプー太郎-y9p 海軍向けの改造はかなーり大規模になりそうですねそれを加味すれば普通に海軍で独自に作るほうが早いと思います
昭和20年度機種統合整備計画表(昭和19年9月10日付)など、海軍の戦闘機整備計画にも陸軍4式戦がラインナップされてるものがありますね。この表には木製疾風のキ106も入ってます
昭和17年には海軍の零戦を陸軍に貸与しようなんて話もあったぐらいで、これは実現しませんでしたが、陸海軍の対立の在り方も我々の想像と実際とは異なっていた可能性を感じさせます。
実際現場じゃ陸軍の100式司偵を海軍に貸したりしてますからね。兵隊さん同士は意外と仲良くやってたりしてます。海軍疾風や陸軍零戦についても、誰が絵を描いて誰が潰したのか・・はたまた機体供給から来る工業力の限界か・・まだまだ自分の知らない事があるものです。
戦局に間に合って3000機を大きく超える生産数の四式戦の方を高く評価するべし
@@ゾン-w8x その頃の稼働率はどれも似たようなものだった。予備パーツの配給が追い付いて無かったんだよ。
所謂,重戦闘機として軸がぶれてないよね!空戦戦術もそれに合わせてるし。
@@5neko809 疾風は重戦闘機では無いよ。全ての性能が高水準のオールラウンダー機。疾風が重戦闘機なら屠龍とか月光とか爆撃機になっちまう。
陸軍飛行第四十七戦隊は稼働率百%を記録してます。「四式戦は飛ぶように出来てる、飛ばさないでどうする。」整備の隊長の言葉。現在の航空自衛隊はその後裔であると信じてる。実際同じF 104でドイツ空軍の二倍近い稼働率だって装備隊の奴が胸張ってた。
オクタン価100のガソリンを入れてあげったかったよね。ビュンビュン飛んだ。
大抵のプロジェクトって、前提と意思決定者に与えられていた判断材料を丁寧に拾っていくと「まあ、そうなるな」になるよね
実際に烈風の試作機のスペックを名古屋の三菱の工場で見せてもらった海軍の戦闘機乗りが「前線で欲しいのは2000馬力の零戦じゃない」と言ったという話を聞いた気がします。 その人には烈風はエンジン馬力が上がっただけの零戦のように感じられ、前線では損害だけが増える未来しか見えなかったのかもしれません。
烈風のテストパイロットを務めた志賀義雄少佐は、零戦を大きくしただけで使えないと評価しています。紫電改は評価していました。
米英じゃ時速700Km越え艦戦がもうすぐ完成って時に、日本じゃ時速600Km越え艦戦がようやく完成って。悲しいけどこれが大日本帝国の限界だったってことか
なお、艦上戦闘機としては完成していない模様。
@@こうぶん-q9x いわゆる重戦と軽戦の事ですね。
まぁ、エンジン技術がなぁ
米英のカタログ速度は条件で50kmは早いからそれほどズタボロではない。米空軍はもっと実用機は遅い
でも、最高速は大して問題じゃないんだよね、上昇加速力があれば、位置エネルギーを速度に変換できるから、2000馬力なんて贅沢を言わずに、在りもので手堅くまとめれば良い話、5式戦の活躍や、大戦末期でもP51をワンサイドキルした記録のある隼とかを見ると運用と戦術次第で、多少の速度性能差なんて、どうにでもなるかと思うんだよね。使える機体を数を揃えて迅速に戦線に送らないと意味がない。
海軍もちゃんと零戦の後継を考えていたって、分かっただけでも収穫。
だけど遅すぎたんだなぁ…………
@@アーカード-f3i 烈風が量産されて実戦配備される頃にはアメリカはジェット戦闘機量産してそうだもんなぁジェットじゃなくてもF8FとかA-1スカイレーダー相手じゃ烈風含めた日本機が全部ゴミになっちまう
@@影の薄い奴 F8Fの旋回が優秀って話、実は日本の都市伝説で海外にはそんな情報全く出回ってない。それどころか8月の時点では水平方向の機動力が不安定なのが発覚し改善された第二プロトタイプが10月に試験をパスしたとある。日本では8月に零戦と模擬戦したと言われてるがそんな記録どこにもない。模擬戦どころか旋回率だの零戦との性能比較の情報すらない。因みに海外のサイトだとF8Fはこう紹介されている「F8Fは、ついに退役するまで空戦をすることがなく、その空戦性能は未知数。ゆえに、航空ファンにとっては、自由な想像の余地がある機体である。あらゆるフォーラムで、F8Fの空戦ifは盛り上がる話題だ」
@@影の薄い奴 因みにF8FよりF4Uの方が優秀。紫電改あたりになると米軍の模擬戦によれば米軍のどの主力機にも勝てるらしい。得意分野は違うけど烈風と紫電改と疾風はだいたい互角でしょ。って言うか見た目とサイズだけなら烈風とF4U似てますよね。性能は真逆だけど。
@@こうでん-q6x F8Fは零戦ではなくFw190を参考にして作られてるって言われてますしね。プロトタイプでは水平安定性の欠如やパワー不足が指摘されていますが、戦後のアメリカ海兵隊やブルーエンジェルスからは初期のジェット戦闘機よりも性能がいいと評価されてたはずですよ。
ウォーターラインシリーズの模型に700分の1サイズの烈風が付いてくるのがあったけど、同サイズの零戦と比べるとでっかくてびっくりした思い出(鋤自語)
桜花と8機ずつ入ってるのあったな、クリアパーツで塗装しやすいやつ。
初めて烈風を見た方も、なにしろ大きくて面食らった、と述懐しておられますね。
@田中一郎 と言っても動画でも言ってる通り、F6Fと大差ないんですけどね
もう今では入手出来ないけど、1/144で烈風、天山、流星が発売されて狂喜して作ったところ、皆同じくらいの大きさにびっくりした記憶があります。零戦や紫電改よりも一回り大きい!!
烈風とF8Fの性能差を比較すると「烈風の対抗馬はF8FじゃなくてF6Fだ」ってやたら言ってくる連中がいるけど、戦争に間に合ってない時点でF6Fと比較するのすらもおこがましい失格兵器だと思う。
敵は待っててくれないからねw
まあ、世代的にはF6Fと同じなんだろうけど開発遅いからね
@@三毛猫だいすき 烈風・震電好きはそこに目を瞑るからなあ。まぁ震電はともかく烈風は自分も大好きな機体ではあるんだけど
@@太田貴志-m3m セガとダブる。プレステにメガドライブをぶつけるようなイメージ。
間に合わない烈風より間に合った零戦、F4Fの方が遥かに優秀とかいう悲しみ
このエンジン選定のゴタゴタ見ると川西がエンジンを自社開発しなかったのは自社開発するとどうしても自社エンジンを積みたくなってエンジン選定の幅を狭めて自由な開発が出来なくなると考えて敢えてエンジン開発はしなかったと言う話が有ったの思い出した。
この前三菱重工大江時計台航空史料室に行ってきて、烈風の開発年表も見てきたんだけど、この動画内で触れられてた初飛行の際の中島から来た発動機のパワーが全然足りてない問題もしっかり書かれててワロタ少なくとも三菱重工内では正史扱いなのか・・・
う~ん、日本機はエンジンが...と言う話はよく聞くけど、仮にR-2800のようなエンジンを日本が持っていたとして、名戦闘機が出たのか?と言われると、私は難しいと思ってます。と言うのも、R-2800は火星やハ42と同じ大型重量級エンジンなので、前方視界が~とか言って選定段階で弾かれてたと思われるからです。視界が悪いならCd値に目をつぶってF8Fのようにコクピットを1段高くすれば良いのに、日本機は正直デザインの幅が狭いので採用しなかったでしょう。悠長なと言われるかもしれませんが、どうも日本は「とにかくやってみよう」と言う発想が感じられないんですよね。
チャレンジしようと思う人がいないわけじゃないんだろうけど、結局各所の体面とか過去の経緯とか、セクショナリズムに堕してしまう。戦後色んなものが壊されたことで一旦リフレッシュされたけど、結局今の日本もおなじになってしまってる感がありますね。
日本社会では、有能な人=派閥や人間関係の立ち回りの上手い人でしかありませんからね。仮に「とにかくやってみよう」を奇跡的に行えても、失敗したら「それみたことか!これからは余計なことを言うな」と言って話が終わってしまいます。アメリカのように徹底的に検証をする所までやって初めて「とにかくやってみよう」は意味をなすんですが...
んー、キ87にR2800とか興味深いなー。実機が残ってたらなー。ゼロ戦にもツインワスプ積んだりしてますしーw
2000馬力級のエンジンを開発、量産出来るだけの技術力と工作精度が有れば恐らく過吸気の開発も進んだだろうしそれなりの航空機も開発出来たとは思う、ただ当時の日本にはそれらが足りてなかった訳でそれが現実。逆に当時の日本は技術的には先進国に追い付け追い越せの中で戦争してた訳で海軍の要求を批判的に見るのも的外れと思う。現実的に作れる物では性能的には不足だし、身も蓋も無いけど高い技術力に工業力とそれらを維持出来るだけの教育と生活水準のアメリカ相手に戦争を始めた時点で個別の兵器の性能的な優位差なんてまぁ無意味な話。
F6FやP-47、I-16などの機体を性能を度外視して「カッコ悪い」と斬って捨てる人多いですからね。日本だと美的感覚やらなんやらでものにならない気がします。
飛行機開発は、エンジン開発競争です。日本は2000馬力級エンジンの開発に結果的に遅れた。これによって最高の1000馬力戦闘機ゼロ戦の後継機か開発できなかった。エンジンはつまるところ末端までの企業の技術力の集大成。当時の日本は特殊な高性能部品を品質を維持しつつ、大量に作る技術がなかった。手工業の延長で納屋の土間で部品を作っていた。末端がこれでは高性能部品を大量に作るなんて夢の夢。これが当時の技術力の限界だたと思う。 これを人の努力で乗り越えようとした当時の技術者には敬意しかない。
一般的に流布されているハ43換装後の烈風の最高速度も多数の飛行試験の中でたまたま1回だけ出た数値で殆どの飛行では600kmをちょい越えるのがやっとというのが実情だったそうですしね。そこへきて、実戦化するとなると武装強化、防弾装置の追加での重量増、堀越さん設計の飛行機全てに共通した理想体系の追求による後戻り(具体的には各種空気取り入れ口の拡大化)、誉と同様に起きるであろう初期不良低減の為のハ43の運転制限等が重なると・・・ 結局零戦52型よりも劣る戦闘機になってしまったのでは?という疑念はありますね
海軍が見放すのも無理はないなと思う。多分、烈風は競争試作すべき案件だった。仕様書の解釈をめぐって揉めたのは1社指名だったせいにも思える。
@@mosurusa 三菱と対抗だと中島と川西を誘うしか無いが
川西の強風は良さげだから川西を誘いたいが強風ベースに最初から艦上機にしたような機体がほしい
ハ43は意見が割れてんだよな、実戦は無理だと言った小福田少佐と生産可能でよく回るエンジンだと言った西村三男技師
@@ウキッキチンパン 他のハ43搭載機(キ83、震電)でもハ43自体に関連する問題で試験が進まずに終戦を迎えたわけですからそう言われても仕方ないように思えます
烈風が量産されるならその頃の相手はF8FとかP80だろうし、戦争が長引けばF86だって早く登場するだろうから未完で終戦迎えて良かった機体だと思う
P-51HとP-47N
F82ツインマスタングも来るだろう。
数十年前に聞いた話ですが、海軍〜空自を経た叔父は自衛隊で米軍機接してこんなモン作る国に勝てるわけないと言うてました。F86が一番好きな機体と聞いてる。
@@シゲのチャンネル サンダーボルトは足が短いから、太平洋向きではないな。やはりベアキャットだろう。
P-47のN型は太平洋戦線での運用を想定したもので燃料搭載量を大幅に増やしてる。航続距離はP-51Hに遜色ない。
言葉の選定が秀逸で飽きさせない
各々の運用思想の違いがあるとはいえ、設計にあまり口を出さなかった陸軍と割と口を挟む海軍の根本的な部分を垣間見てとれる話だな…
海軍は空技厰持ってて自分で夢飛行機設計してたからな~。
@@為元敏市 陸軍は空技研を持っている、祖父が陸軍のパイロットだったからその辺は普通に知ってる。その他大勢のベテラン勢だったけどな。海軍と飛行機に対する考え方がかなり違ってたと生前言ってたしな。
@@猫の道02様空技研は実戦機というより技術立証機っぽい機体ばかりですね。空技厰は彗星やら銀河やら作ってますが、空技研の作品はキ93襲撃機くらいしか思い付きません。やはり陸海の違いは大きいんですね。
@@為元敏市 様ハー43は試作品では二速加給機だったけれども量産品では三速加給機だったという説もあります。(もしかしたら烈風改のエンジンかも??)自分も結構としなので調べるのもめんどくさいのですがね(苦笑)
海軍は作る前から無茶を言う陸軍は作った後から無茶を言う
三菱MRJの話を聞いていると、結局この頃から三菱の悪癖があったんだろうなぁって感じる
珍しい比較やるなと思ったけど、ベアキャットとシーフューリーでトドメ刺してくれた。
ベアキャットならともかくシーフューリーじゃ勝ち目まったくない。最低でもレジプロ機だとダグラスA-1がいる。
@@papamori9469 あえてのカタログスペック比較で動画内の有り様ですし、個人的には8Fどころか6Fの相手も厳しかったろうと思ってます。仮に投入時期が重なっていたとして、A-1なら返り討ちに出来たかも知れませんね(投弾前は別)。
@@こうぶん-q9x ご意見ありがとうございます。ちょっと悲観的に物を見てた様で、正に仰る通りと思います。対紫電改なら上昇・横転がやや劣るくらいで、F6Fはやり易そうですね(ヘッドオンは無理筋だろうけど…)。F8Fの方は勉強不足でした。良いご示唆、感謝いたします。
@@こうぶん-q9x 普通に米軍の公式テストの文書でもF8Fの機動性について極めて良好って書かれてるがな。
F8Fの欠点は戦闘爆撃機的な運用が難しかった事とウィングチップの欠点です。戦闘機としての性能はかなり高かったですし、F8Fを対空戦に特化させ、対地、体艦攻撃はスカイレイダーに任せると言う運用を想定していたそうです。しかし、戦争終了とジェットの登場で相対的にメリットが消えたので早期退役となりました。
なんとも救いのない話ですな……最後の一言の皮肉が強烈です。歴史の検証と架空戦記を混同せず、この動画のように冷静に見ることが大切ですね。それをわかった上でロマンを夢見て架空戦記を創作するのは素敵なことだと思いますが。
三菱の社風と堀越二郎の性格が露見した戦闘機ですね。
烈風って名前がカッコ良すぎたんだろうなー
国力と基礎工業力ってやっぱり大事なんやなと.....
エンジニアの絶対数もですね。ソ連の真似して強引に徹底した理系偏重教育を行ってエンジニア大量育成が為されていれば史実とは様相が相当変わっていた筈と想像しますね。
紡錘形にすると空気が張り付いて高速になるほど抵抗が増す。近代の戦闘機は全て胴体中央を絞っている。車のブリスターフェンダーも同じ原理で高速走行時の空気抵抗を減らすのが目的。当時の風洞実験装置は風速が低いものだったんでしょう。
確かにもし3年早く制式化されてても逆に今以上に酷評されたかもしれんな。米兵から「鋭い旋回で一撃は躱されるがもう一撃する頃にはカモに早変わりする機体」的な表現をされても不思議はないかも。極端な例だけどBf109なんかは高い翼面荷重なのに対して徹底して小型軽量化&細く絞った機体のおかげで旋回半径の割に小回りが利いて、維持旋回性やエネルギーの保持性も良かったみたいだし三菱は機体よりハ43の完成に全力を注いだ方がよかった気がする。当時みたいに自機より常に高速な敵機が相手ならほぼ必ず不利な状況から戦闘が始まるわけで、最悪自分から攻撃を仕掛けられない上に攻撃を回避しながらすぐに加速したり速度を維持し続ける必要がある当時の環境を考えると烈風みたいに鈍重でエネルギーロスの大きい大柄な機体じゃそもそも割に合わない。
予告で悲運の戦闘機と書いたけど、実際は幸運な戦闘機だったのですね。戦わなかったことで、栄光を手にしたのだから。短期間だったけど。
用兵側というか搭乗員の意見を聞きすぎたんだよな。搭乗員の理想を無制限に取り入れていくと「複葉機。風防は邪魔。機銃は重い。防弾邪魔」
当時は中国やロシア機があいてだから。仮想てきは米軍なんて言ったらどんなことになるか
九七戦の時に審査したパイロットの意見で初期の機体は風防後半部分が着脱可能になっていたらしい密閉風防は視界を損ねるからか?
顧客の言うこと聞かずに勝手に飛行機作ったって予算はつかないし、そもそも軍の武器を軍無視して作れるわけがない。
実際に某空戦ゲームでも形状の違いだけで、操作感覚や空戦での強さは紫電改との差は殆ど感じられなかった昔の仮想戦記での持ち上げは凄かったけど、判明してるスペックで機体データを作ればそんなもんなんだなと思った
航続距離が長いのかな?
ゲームバランス取ってるゲームの話で現実語るのやめて
まあ紺碧ですらあんま性能いいようにはみえなかった
量産されて実戦配備されなかった代わりに、またそれゆえに、架空戦争ゲーム等ではエースになってる。遅すぎたゼロ戦の後継者という面でも知名度は非常に高い。しかしいろいろな意味で日本および日本人の性格を象徴する存在でもある。
実際フラップ閉じてれば降下と高速戦に優れフラップ広げれば零戦なみかそれ以上の旋回格闘能力って誰がどう考えても強すぎるんでゲームだと流石に零戦以下に抑えられてる場合が多いですね。
理想と技術力に振り回された理想機って所に落ち着きますね。末期になってくると余裕を持てる連合国と余裕がなくなる(そもそも余裕がない)枢軸国じゃスペック差が酷くなるのは当たり前、それに性能差に追いつこうと無理な要求が出るのも仕方がないこと。烈風は実は思うほど強くはないって事に残念に思うけど客観的に見ての機体解説、これからの自分の考え方の参考になりました。
当時の航空機そして今の自動車にしても計画から生産に至る期間は3~4年かかる。なので烈風は昭和17年試作開始なのでどう急いでも昭和20~21年生産開始なので太平洋戦争に間に合わせるのは難しい機体だった。海軍としてもそれはわかっててむしろ雷電の方を早急に昭和18年頃から生産したいのが本音だった。
勝手なことばかり書いてしまいましたが、企業の思惑という観点から「烈風の開発失敗の原因」に切り込んだのは新鮮でした。さっさと誉搭載で翼面荷重150㎏/㎡で設計開始していれば、それなりのものが出来てたでしょうにね。おそらく疾風や紫電改に似た、それらよりも少し軽く、少し強度に劣るものが出来てたでしょう。速度は同等あるいはやや速く、上昇力と運動性に優れたものになったのではないでしょうか。個人的には、仮想戦記で活躍して欲しかったのは、あの大きいやつではなくこちらの方なのですけどね。三菱が海軍側の翼面荷重のぐだぐだに甘んじていたのも、時間稼ぎの一環と考えると、もう嫌になっちゃいますね。
海軍は零戦にとらわれすぎてたのがダメって言う人よくいるけど、実際は零戦後継機を出そうと努力してたんだよなぁ
映画で堀越がいい飛行機作りたいんですよね といって烈風の開発がいつまでも終わらないで終戦になったのは皮肉。さすがパヤオはわかってる。
完成しなかったからこそのロマンがある(それしかない)
ただひたすら非情な現実を見せつけられるだけの動画ですけど夢とロマンとまれな例外の切り貼りで構成される日本素晴らしいの火葬戦史解説の群れの中で素晴らしい存在です,これからも現実を鋭く突いて下さい。
烈風は子供の頃読んだ本で三菱のエンジン載っけたらすごいいい感じになったで止まってたのでとても勉強になりました。まあ、子供ながらもたった200機で戦局の挽回?Me262は1000機作ってもダメだったのに??とは思ってましたが。
ですね。262の頃はドイツもボロボロだったから、マトモな262が無かったのも痛かったでしょうね。
新資料の発掘で、十六試艦上戦闘機(最初の案)の実戦配備は、昭和21年度に実戦配備となっていたらしいですね。ところが戦争が始まり、十七試艦上戦闘機は、昭和18年末に量産開始と、かなり無理のある開発計画になってしまったのも、難産だった理由でしょうね。一方見ていて気になったのは、烈風の機体重量が当初から4トンを超えていたことです。日本の航空母艦の昇降機や離発着偽装は4トンが限界だったので(大鳳と信濃は別)、もし十七試の計画通りに実戦配備化に成功していても、航空母艦での運用は難しかったのでは無いかなと思う。
そもそも載せて戦える航空母艦がなかった…
いや、目から鱗でした。勉強になりました。ありがとうございました。
秀作です。感想として「自国の安全を保障する防衛技術はたとえそれが航空分野や直接兵器に関係する分野でなくとも常に敵性国家の上を行っていなければいけない」と強く思った次第です。
英米どころか陸軍の疾風にも劣るガラクタが名機と呼ばれてることに驚きだよ
締めの言葉のBGMが全てを物語っているような機体かな?
子供のころに川又千秋の「ラバウル烈風空戦録」って小説で名前を知った思い出。なお烈風は全然出てこない模様
懐かしい。あの小説では陸海軍が戦闘機を共用することになって紫電改が登場しませんでしたね。疾風の海軍版が烈風となった記憶があります。
この動画で零戦の金星搭載が却下された話が出てます。7:10からですね。これのソースは昭和18年10月3日の「発動機生産状況を考慮し現用機の装備発動機変更に関する打合せ」と思われます。そもそもこの会議は、なかなか誉発動機の生産数が伸びないので、同じ中島製の栄を搭載する航空機を金星装備に切り替えることにして栄の減産を一気に進め、その分だけ誉への生産リソース投入を進めて生産促進を図ろうという考えが目的の1つに挙げられています。零戦の高性能化なんて目的欄には一言もかいてありません。つまるところ各エンジンの生産数の変動と航空機生産数の変動を擦り合わせ、首なし機を生むことなく戦線に戦力を投入するのがまず一番大切です。機体の生産能力はエンジンの生産能力と比べれば余裕があります。貴重品のエンジンをどう配分するかが重要です。後世の我々、特にネット界隈ではよく「この飛行機のエンジンを○から□にしたら高性能化できて良かったんだ」という発言を目にしますが、それらの発言者の中には、その飛行機の性能の事しか頭になくて軍全体を考えていない場合も見受けられます。新型機開発も基本は同じです。あのエンジンが欲しいと言っても生産リソースがそれを許さなければ、諦めて別のエンジンを積むことにするか、別の飛行機の搭載エンジンを変更して新型機用のエンジンを確保するしかありません。新型機のために現用機の首なし機が出現する事は許されません。蛇足。エンジンを金星50型改(60型の事)に変更すれば、栄の場合と比較して航続距離4割減と紹介されている通り、議事録「イ」の項目には実際そのように記録されていますが、「ロ」の項目によれば適度な補強を施せば航続距離2割減程度で速力12ノット増とも書かれています。その場合の翼面荷重や雷電との比較なども書かれていますが、・今から着手しても19年夏頃に生産の見込つく程度(※実戦化とはいってない)・来年度に三菱で生産予定の零戦1400機のうち1200機を雷電に切り換える事にして栄生産数を削れる・中島生産分は艦戦として必要なので烈風と交代する20年初頭まで(栄装備のまま)生産継続する必要があるという事で、結局は零戦に金星を装備する事なく進んだのでした
本来なら雷電、2式戦単座。に、成ってるはずが。何方も駄目でしたから。
MRJもそうだけど三菱ってこの頃から既に開発をグダらせる癖があるよな…
堀越さんを酷使すぎなんだよな
堀越さん96艦戦と雷電と零戦の設計して更に烈風も設計してるから凄すぎ
@@零式艦上戦闘機-g6v 堀越技師は途中で病床に臥したから烈風を仕上げたのは曽根技師よ
@@零式艦上戦闘機-g6v >堀越さん戦後はYS-11にも絡んでたよね
@@イナゴ大福 そりゃあ酷使し過ぎだよ
ベアキャットなんか相手にしてたら悲惨なことになってたな。やっぱ「れっぷう」っていう言葉の響きがカッコいいのと、漫画の影響がデカイんでは? あの漫画の中でも「本機200機あらば戦局逆転せりとも過言にあらず」的なセリフが合った。
いい夢、見させてもらいました。
やっぱ紫電改が海軍最後の戦闘機やったやなって。
あれは編隊空戦したいための機体だからな。
ちなみに、私も最近1/72の烈風11型を、完成しています。プラモデルの世界だけでも、末長く形をとどめておきたいです…。しかし、たしかにF6Fと大きさが、ほぼ変わんないですからね。
こういうの見ると、山本五十六が「半年は暴れて見せるので、その内に有利な条件で講和を」って言ってたのが間違いじゃ無かったんだろうって思うね。零式があまりにも戦果をあげちゃったもんだから、夢見ちゃったんだよなぁ。国力差って残酷。空母だってバランスとれた正規空母の翔鶴は僚艦の瑞鶴しか居なかったけど、米海軍は同格のエセックス級が毎月のように竣工していたし、あちこちで集めた残骸研究されて後継機にフィードバックしてるし。(まぁ、その辺はアチラさんも大変だったみたいだけど)工場の作業員が昼休みにボール遊びでリフレッシュしたりしている映像を見ちゃうと、あそこには勝てないって思うだろうなぁ。
まずアメリカ相手に半年好き勝手しといてそこから講和とか無理な話なんだよなぁ...
そもそも日露戦争の時点ですら講和に持ち込むまでに多大な労力と時間をかけてたのに、ロシア以上の国力を有するアメリカ相手にそれより短い期間でやろうっていう前提が既に破綻してる
昼寝してるジャイアンの頭をのび太が蹴とばしたらどうなるか。そら徹底的にボコられるわな。山本五十六って、小学生以下の知能だったんだよな。
関係ないけど、零戦(A6M)→アムロ・レイだと職場のおじさんに聞いて初めて知りました。紫電改は流石に分かってた。
烈風はデータが少ないから断言できないけど、性能見てると「紫電改で十分じゃない…?」と思ったりする…
実際海軍が見限った理由がそれ
一方、暇だった川西飛行機は水上戦闘機を勝手に陸上機に改造して海軍に売り込んだ。後の紫電、紫電改が海軍最強の優秀機と評価されたとか皮肉としか思えん(笑)
川西ェ……
川西と中島と海軍の思惑(仮想)「水上機の注文が来期は0ですか(;; うちはもう終わりじゃ」「陸に上がった河童作るんや、それしかうちが生き残る道はない」「フロート外して中島の誉はん使わせてもらうんや。中島はん誉ええですか?」「ええよ。川西はんバンバン使っとくなはれ(誉れのダメ出しのええ機会や)」「海軍様、いかがでっしゃろ誉を積んだ我が川西の紫電ちゅう戦闘機は?」「紫電?おっ!エンジンは誉か(エンジンでガタガタいう三菱の目を覚まさせてやるか)よし採用(仮)だ」「やったで、これでうちが潰れることはあらへんな」
そもそもエンジンの電装系コードの絶縁被覆ですら紙や布が主であり耐油性ゴム(燃料タンク防弾やシーリング)も量産できない工業力だったのですから1戦闘機の設計仕様や開発思想をどうこう考察しても無意味です。カタログスペックで兵器の優劣が決まらないのは皆様ご存知でしょうに。
どこで見た文献か忘れたが、あのデカい主翼は低速の商船改装で運用することも考慮したものとの説もあるそうだ。翼面過重が小さいと離発着が出来るだろうってことらしい。だけどあんなに機体がデカいと本当に運用できたか怪しいけどね。
確か「丸」に其の記述が在ったと記憶しております。更にいえば「赤城」・「加賀」の喪失が「烈風」を現在私達の知る形に決定付けた様なのです。(尤も空母用カタパルトや発艦用ロケットブースターの開発失敗も其の一因ですが)
戦標船ベースの特1TL型も烈風や流星の運用を(少なくとも発艦だけは)考慮してたみたいだし
@@アルト3606 やはり此処でもカタパルトや発艦促進用のロケットブースター(尤も此方の方は実用化したら其れは其れで色々とトラブルが多発しそうですが)開発失敗が影を落としている感がありますね。因みに余談ですが、かの小松崎茂画伯はスキージャンプ勾配艦首をあの英国海軍技術陣達よりも早く着想していたそうです。(もしも御本人の記憶違いでなければ此れは英国海軍より二十数年早いのですが)
高高度まで上昇するなら低翼面荷重のほうが有利だからあながち間違ってとはいえない
勉強になりました
もう、空襲が始まった時点で試作機を作れる様な状況じゃ無くなってたんだから仕方無い面も有る。苦労して試作機を作り上げた途端に空襲で破壊、これを何度繰り返した事か。
米国はすでにアブガス使ってたと言うし、単純なメカの差だけではなく、石油化学もまだ劣っていたと考えていいと思うけど、戦後なぜ日本のレシプロエンジンが十分世界市場で戦えるようになったのかはとても興味深い話ですね。
紫電改の翼面荷重が160kg/m2ちょっとなので、最初から誉最適で設計してたら四式戦と同じくらいにはゼロ戦後継機が空母に乗ってたんだよなあ。
基礎能力、基礎体力の不足は苦しいな
以前、LSの1/144の100円のプラモデルで烈風と雷電の2機セットがありました。他にはキ43とキ84のセットとか…。同じスケールで並べると烈風の巨大さが解りましたよ。あんなにデカくて零戦並みの運動性って絶対ムリだって子供ながらに思いました。
子供の頃に零戦の後継機として烈風の写真や模型を見て、そんな強そうじゃないなと感じた。強力なエンジンと小型で重武装な機体が強いと感じていた。それに機体が大きいほど遅く小回りが効かない。月光やf8fでもそれは証明されている。烈風は間に合わなかった方が良かったと思う。誉エンジンも疾風に使わせた方が良かったし。また零戦52型は零戦としては良い進化してると感じる。エンジンを変更しなかったからラバウル防空戦に間に合い、太平洋の防勢をフルで対応出来た。防空戦でも主力として零戦は活躍してたし、紫電改は局所的でアメリカに1番損害を被らせたのは海軍では零戦52型だ。性能より数や運用性が重要だわ。
陸軍の方が海軍より柔軟。何より乗務員保護がずっとしっかりしている。
陸軍機のが防弾も無線もちゃんとしてたんだっけ。
@@momihog 一式戦と零戦の頃から防弾は陸軍の方がしっかりしてた、ノモンハン事変の戦訓と言われてます。中島九七戦とソヴィエトのポリカルポフの交戦で得られた戦訓なんでしょうね。大人一人分の重量の防弾板を外した搭乗員は居たようだが部隊に配置された時には付いてたし防漏タンクはそのまま使うしかない。無線機はどうか知らない、そもそも日電は米国WE社の日本法人だったしWE300Bと聞くと泣いて喜ぶ人達(真空管オーディオマニア)がいまだに居るしww体験的に電子管は東芝を信頼してるがずっと後の事。東芝6410Aと言う大型レーダー用の5MW のパルス出力を持つマグネトロン(デカイ、重い)の「ヂー」って言う動作音と水冷管なのでブンブン言うラジエーター(大型トラックのラジエーターくらいある)のファン音の中で働いてました@若い頃。
皮肉、揶揄を込めて、「短い夢」とはいい表現だ。
F6FとかP-47のプラモデル作った時に他の機体たちと比べるとめちゃくちゃデカイ。特にメッサーなんかと比べたら…
主人公が烈風に搭乗する小説が昔あってその時は凄い機体なんだなって思ってた時期がありました。
実際フラップ広げれば零戦なみでフラップ閉じてれば降下耐性高くて高速戦得意なんて誰がどう考えても強いからな。200機で戦局を挽回できると言わしめる程の完成度を誇っていたんであって実際に挽回出来たかどうかは別の話。
あれは架空の発動機『勲(いさお)』を搭載した紫電改くらいの規模な架空世界の戦闘機ですから……
信頼性以外はマトモな四式戦作ってた陸軍と中島がどれだけ良かったか…もう空母も無いんだから海軍も疾風使ってた方が良いと思うけれども、そう単純ではないのかなあ
紫電改や疾風のスペックが低いのはカタログ値通りに2000馬力出ていないのが原因だよな。それでいてそれより大きい烈風(A7M1)がお話にならないわけで。烈風の設計でおかしいのは運動性を良くすると言って翼面荷重に注文つけてでかい主翼にしたこと。機動性に優れたフォッケやベアキャットの設計を見ていたらなんでそうなるの。
運動性というよりも空母に着艦するための低速性能ですよね?特に残存する空母は小型ですから。
三菱の堀越チームは『シックスセンス』で才能が尽きたナイト・シャラマン監督みたいだな
何かの間違いで日本が連合国側で参戦してたらもっと早い時期に米国製エンジンを積んだ烈風が空を舞ってたんだろうか。
昔、烈風のテストパイロットが言っていたが採用されないで正解と言っていました。あんなでかい翼だったらすぐ彈があたってしまうといっていました。
素人目にも烈風のクソ長い主翼やうすらデカい胴体では、空気抵抗、重量、強度的に不利で、大戦後期の戦闘機のトレンドである速度性能を満たせない。機体の設計コンセプトが中途半端で的外れであることが、失敗の最大の原因であるように思える。
もはや劣風…
陸軍からも海軍からも似たような性能の飛行機を同じメーカーに発注して、お互いが「海軍には秘密」・・・「陸軍には秘密」で仕事をさせてたから、時間、人材、物資のない状況下で設計、製造は大変でしたね・・・
しかも途中まではネジの規格まで海軍と陸軍で違うっていうんだから。国力ないのに合理性よりメンツを優先してたら、そらアメリカには勝てんわな。
視聴させていただきました。
巨大なゼロ戦を作れ!って時点で敗北はすでに決定していたような・・・^^;陸軍の方がよほど考え方は合理的。三菱って、結局ゼロ戦以外は失敗作ばっかり。
エンジンに夢見すぎたんかな?カタログスペックで400も差があるのに、誉搭載の四式とか紫電改との性能差がそこまでな点を見るとそう感じる。
機体がデカすぎる。
日本の戦車も気になりますね、一式中戦車や三式、四式中戦車は決戦用に温存されていたようですが、実際どの程度やれたのだろうか
四式、五式あたりならシャーマンとも戦えそう、なお数
@@ラインマーカー-p3w 殴り合いはまるで不可能だな。相手より早く発見して確実に仕留めなくちゃいけない
@@t3233226 そんな重たいもん日本で運用できないからその点は大丈夫かと
@@ラインマーカー-p3w 陸上だと地の利も大きいからね。でも、結局は数^^;
@@t3233226 四式は箱根峠とかでも特に故障もなく走れたそうで機動性も良好だったらしい。五式はガソリンエンジンなので運用できそうにないけど…
遅くとも昭和18年には形にならなくてはいけない機体だったと読んだ覚えはあるな
重箱の隅をつつくような話ですが、、個人的に艦上戦闘機として考えた場合(まぁ実際は艦戦としては採用されていないわけですが)、機体の大型化+主翼折り畳み機構に起因する搭載機数の低下も評価を下げるポイントかと。烈風・流星コンビで搭載数が減少しているのは有名な話で、機動部隊の打撃力=搭載機数な訳ですからよしんば零戦よりも性能向上があったにせよトータルで見ると??と思うわけです。そこをいくとグラマンの折り畳み機構凄いですよね。もうどうしようもない差を見せつけられる。そういう意味でも間に合わなくてよかったね、と思いますねぇ
烈風は大きな期待だね。アメリカのF8Fは逆に小型化している。
主翼幅がある分、主翼折り畳み機構を内側に寄せざる負えないけどそうすると強度的によくないよなもし空母が健在のうちに実用化(折り畳み機構オミットができない状況)されていたらそれはそれで悲惨だったかもしれん
アメリカ「え、お前らの機体、翼も折れないの?」。
本土決戦になると下手すればソ連機とも当たる訳になるんだよね...
そこそこの能力の選手がまかり間違ってドラ1で採用。1軍に上がれずコーチ陣やOBにフォームや練習方法を色々いじられて本人もどうしていいか分からない内に戦力外通告を喰らう・・・やきうにたとえてみた烈風さん。
割とありそうだから困る
何となく・・・ハ○カ○王子っぽい印象なんだが(笑)(笑)(笑)
@@球磨五朗その人は実力あるけどプロ入る前から既に壊れかけ、最初はそれなりに活躍するけど完全に壊れて直らなくなるって感じですまともにデビュー戦迎えることも出来なかった烈風と同じにしちゃ失礼ですよ笑
Heinkelさんの動画大好きなんだけど、もしもニコニコに投稿したら物凄いバカミリオタがたくさん釣れそうで面白そうだなって邪なことを考えてしまった
話を聞いてても、結局は「仕切る人」が居なかった、って事ですか? 諸外国との性能差がドンドン開いていったのは工業力の差だけじゃなかったみたいですね。
まあ仕切る人がいたらどうにかなったか、というと微妙ではあるけどそれもあるでしょうね…
ネットのミリヲタの評価を独自の観点で反論するゆっくり解説者がいただろうか。
いや、いない。(反語)
あんなんミリヲタじゃなくて再生乞食じゃないかとにしても良質動画は伸びないね
@@田中太朗-d2n 日帝マンセーした方が視聴者ウケいいからしゃーなし
@@t3233226様正直言うと、小学生の頃に烈風のプラモ作った頃から、こんなデカくて鈍重そうなヤツが古い零戦よりも強い筈はないと思ってました。
F8はFM2の後継機だったのでは?あのころ米海軍は巨大空母に長距離巨人戦闘攻撃機の開発に勤しんでましたから。
「貧すれば鈍す」この烈風などの兵器に限らず、作戦立案や決定プロセス迄、この時期のすべてがこの言葉通りの思考と行動が官から民へと波及し侵食して行く様をまざまざと見せられて、時にいたたまれなくなります。負け戦、しかも徹底的にやられまくったのですから当然なのですが。
宮崎駿の格闘戦パイロットの要望を聞いて飛行機を作らせるとクルクルパーになるってイラストで死ぬほど笑った
ケリージョンソンが朝鮮戦争でパイロットの意見聞いて作ったF-104
陸軍は毎年戦闘機を作っているから余計海軍のダメさ加減が浮き出るね。雷電や紫電だって鍾馗で十分じゃないと言ってしまえばそれまでだし。
陸軍は予算不足から、軽戦はキ43、重戦はキ44からキ84って戦後のF-16とF-15の考え方を持っていたと思いましたが、海軍は何でもかんでも零戦にやらせて無駄に時間と予算と資源を費やした感じがしますね。
@@為元敏市 零戦にやらせる、というよりやれる子が零戦しかいなかった、というのが正しいのでは後継機の開発が難航してたのは動画見ての通りですし
日本の問題は、ベアリングとオイルを輸入に頼り切っていたことだなあ誉にしろ排気タービンにしろ、軸の焼き付きによって大問題になっておりこれらを国産化する前に戦争に突入してしまったのが運の尽きや
【低翼面荷重】の要求は「旋回性能重視」と動画では説明しているが、本当のところは「着艦性能」と「若手補充搭乗員の技量」を考慮した結果じゃないだろうか?設計上ゴタゴタし出したのは「ミッドウェー海戦」により大型空母2隻と中型高速空母2隻の計4隻喪失した以後で、残る正規空母は大型高速であれど「空母としては難あり」の「翔鶴」「瑞鶴」の2隻のみ。しかも「ミッドウェー海戦」直後の時点で4隻喪失を補完できる正規大型空母の就役予定が全く無かったため、暫くは商船改装の低速空母を主力にせざるを得ない厳しい状況からきた要求だと思える要求の上乗せで設計に混乱を来したのは日本海軍「烈風」だけではない。米国に於いても軍の要求がコロコロと変わって軍用機の試作計画が混乱に陥って失敗・開発中止に追い込まれたケースが日本以上に多く「死屍累々」と言っていい有様だったが─開戦後に開発され実戦にも間に合った戦闘機は「P-63」くらいではないだろうか?─米国に比べ余裕が無い日本では致命的だったと言える
高高度性能をあげるには低翼面荷重が有利だから、その狙いもあったんじゃないかなSR-72のばかでかい翼でも高高度では浮いてるのがやっとなんだそうです
翔鶴型の母艦のどの辺りが難ありなのか何方か教えてください
空母機動部隊がマリアナで壊滅したので少なくとも1943年末には間に合ってないとダメでした。またい号作戦によって貴重な母艦パイロットを失っていたので間に合っても無駄でした。
震電と同じく、実用化されなくて良かった機体ですね( ̄▽ ̄;)
内容が濃くて面白い。23分があっという間だった。
見終わった後に23分あったんだって気付いた。
この人の動画は毎度毎度とても残酷な現実を突き付けられるから見るのにちょっと躊躇しちゃうけど、完成度高いから見て後悔はしない
ある意味、戦争や兵器を通じて、「日本人的なるモノ」の欠点を指摘してるんですよね。
この人の動画は淡々と事実を解説してくれるんですよね。
『仮想戦記世界』から救い出してくれる動画ですよね。
父は海軍、母は三菱
お腹の中にいた頃から父母の喧嘩の絶えない環境に生まれた烈風は、生まれた時から忌子として敬遠された悲しい機体
20年前、当時の三菱OBのエンジニアに烈風の感想を聞く機会がありました。
「あんな物のない時代にあんな馬鹿でかいモンつくって!俺は雷電くらいでちょうどいいと言ったんだ。」と散々な言われようでしたね。
堀越は完璧主義者だからゼロ戦くらいの縛りプレイで作らせないとドンドン凝りまくって終わらなくなる奴。あいつが適当に作ったくらい言うのでちょうどいい
陸軍の疾風の凄いところは当時の日本機としては完璧な防弾装備を備えていたこと、新規の技術を追わず手堅い設計でまとまられ、量産性が優れていたこと、そして最高速度がハ45搭載機では日本側の試験でも660km/hを達成していたこと。(従来の623km/hはハ45特エンジンによるもので通常の生産型はハ45)。烈風より間に合った兵器そのもの。
2000馬力をねらって実質失敗した誉エンジン
1500馬力でも堅実な設計で量産できた金星エンジン
おそらく想定燃料もオクタン91ぐらい無理のないものだったのでしょう
るからをを
ゼロ戦ばかりアイドルのようにもてはやされているけど、一式四式陸軍機も同じくらい活躍していてなぜ注目されないんだろう。
やっぱ大陸側の戦闘なのと、陸軍だからかー?
@@igaguri9128 一式戦に関しては、それぞれのカタログ値が零戦よりも少しずつ劣るから、だと思う。速度、航続距離、武装など。防弾装備や飛行特性は注目されにくいし。あとはデザインの流麗さと海軍、そして戦後の宣伝の上手さ?
四式戦は・・・なぜだろう。
かといって20mm機銃は当たらないからな対爆撃機用、対戦闘機なら13mm機銃4門あった方が当時の戦闘機には有効だと
つまり日本はすごかったんですよ!~さえあれば結果はわからない!
って釘をさしておわる解説はもうお腹いっぱいだったのでこういう解説探してた
「当時の戦況なら仕方ない」って擁護より「あーついにやりやがった」って感想混ぜてあるの大好き
長引けば長引くほど、アメリカはもっとすごい新型を出してくることを考えないからな。ベアキャットやらスカイレーダーやらシューティングスターやら。
これまでの烈風の評価は、堀越二郎技師らによる機体側の証言だけでは不十分で、発動機部門側からのハ43の開発進度から判定すべきと思っていたが、まさにこの動画が、その部分を埋めてくれる。
ライバル日本史
航空機開発
三菱対中島、陸軍、海軍航空隊編で三菱視点、中島視点で見てみたくなった
米国が蓄積したのはただの技術ではなく、むしろその合理的システムなんやろなあ
一つ一つ技術の高さよりも技術をミックスし工業製品として完成させるまでのスピード感だろう
昔読んだ本に「風洞実験の呪縛」ってのが有った、単発牽引式の胴体には前から吹き付ける風に対する抵抗よりもプロペラが生み出す推力を如何に無駄無く後方に導くかが重要だと、それにはプロペラ直後を最大径にして後は絞って行くのが良いらしい、小山技師やタンク技師はそれを解っていたようだけれど堀越技師は解ら無いままだったらしい。
陸軍の四式戦闘機を完全自社製で完結させ、生産設備がグダグダな中で3,500機を生産した中島飛行機がまともに見えてきた。
海軍が頭を下げて、陸軍と協力して四式戦の海軍版を作ってれば特攻等と言う愚行は無かったかも?と思いたいですね。
@@クマのプー太郎-y9p 海軍向けの改造はかなーり大規模になりそうですね
それを加味すれば普通に海軍で独自に作るほうが早いと思います
昭和20年度機種統合整備計画表(昭和19年9月10日付)など、海軍の戦闘機整備計画にも陸軍4式戦がラインナップされてるものがありますね。この表には木製疾風のキ106も入ってます
昭和17年には海軍の零戦を陸軍に貸与しようなんて話もあったぐらいで、これは実現しませんでしたが、陸海軍の対立の在り方も我々の想像と実際とは異なっていた可能性を感じさせます。
実際現場じゃ陸軍の100式司偵を海軍に貸したりしてますからね。兵隊さん同士は意外と仲良くやってたりしてます。海軍疾風や陸軍零戦についても、誰が絵を描いて誰が潰したのか・・はたまた機体供給から来る工業力の限界か・・まだまだ自分の知らない事があるものです。
戦局に間に合って3000機を大きく超える生産数の四式戦の方を高く評価するべし
@@ゾン-w8x
その頃の稼働率はどれも似たようなものだった。予備パーツの配給が追い付いて無かったんだよ。
所謂,重戦闘機として軸がぶれてないよね!空戦戦術もそれに合わせてるし。
@@5neko809
疾風は重戦闘機では無いよ。
全ての性能が高水準のオールラウンダー機。
疾風が重戦闘機なら屠龍とか月光とか爆撃機になっちまう。
陸軍飛行第四十七戦隊は稼働率百%を記録してます。「四式戦は飛ぶように出来てる、飛ばさないでどうする。」整備の隊長の言葉。現在の航空自衛隊はその後裔であると信じてる。実際同じF 104でドイツ空軍の二倍近い稼働率だって装備隊の奴が胸張ってた。
オクタン価100のガソリンを入れてあげったかったよね。ビュンビュン飛んだ。
大抵のプロジェクトって、前提と意思決定者に与えられていた判断材料を丁寧に拾っていくと「まあ、そうなるな」になるよね
実際に烈風の試作機のスペックを名古屋の三菱の工場で見せてもらった海軍の戦闘機乗りが「前線で欲しいのは2000馬力の零戦じゃない」と言ったという話を聞いた気がします。 その人には烈風はエンジン馬力が上がっただけの零戦のように感じられ、前線では損害だけが増える未来しか見えなかったのかもしれません。
烈風のテストパイロットを務めた志賀義雄少佐は、零戦を大きくしただけで使えないと評価しています。紫電改は評価していました。
米英じゃ時速700Km越え艦戦がもうすぐ完成って時に、日本じゃ時速600Km越え艦戦がようやく完成って。悲しいけどこれが大日本帝国の限界だったってことか
なお、艦上戦闘機としては完成していない模様。
@@こうぶん-q9x いわゆる重戦と軽戦の事ですね。
まぁ、エンジン技術がなぁ
米英のカタログ速度は条件で50kmは早いからそれほどズタボロではない。
米空軍はもっと実用機は遅い
でも、最高速は大して問題じゃないんだよね、上昇加速力があれば、位置エネルギーを速度に変換できるから、2000馬力なんて贅沢を言わずに、在りもので手堅くまとめれば良い話、5式戦の活躍や、大戦末期でもP51をワンサイドキルした記録のある隼とかを見ると運用と戦術次第で、多少の速度性能差なんて、どうにでもなるかと思うんだよね。使える機体を数を揃えて迅速に戦線に送らないと意味がない。
海軍もちゃんと零戦の後継を考えていたって、分かっただけでも収穫。
だけど遅すぎたんだなぁ…………
@@アーカード-f3i 烈風が量産されて実戦配備される頃にはアメリカはジェット戦闘機量産してそうだもんなぁ
ジェットじゃなくてもF8FとかA-1スカイレーダー相手じゃ烈風含めた日本機が全部ゴミになっちまう
@@影の薄い奴
F8Fの旋回が優秀って話、実は日本の都市伝説で海外にはそんな情報全く出回ってない。
それどころか8月の時点では水平方向の機動力が不安定なのが発覚し改善された第二プロトタイプが10月に試験をパスしたとある。
日本では8月に零戦と模擬戦したと言われてるがそんな記録どこにもない。模擬戦どころか旋回率だの零戦との性能比較の情報すらない。
因みに海外のサイトだとF8Fはこう紹介されている
「F8Fは、ついに退役するまで空戦をすることがなく、その空戦性能は未知数。ゆえに、航空ファンにとっては、自由な想像の余地がある機体である。あらゆるフォーラムで、F8Fの空戦ifは盛り上がる話題だ」
@@影の薄い奴
因みにF8FよりF4Uの方が優秀。
紫電改あたりになると米軍の模擬戦によれば米軍のどの主力機にも勝てるらしい。
得意分野は違うけど烈風と紫電改と疾風はだいたい互角でしょ。
って言うか見た目とサイズだけなら烈風とF4U似てますよね。性能は真逆だけど。
@@こうでん-q6x F8Fは零戦ではなくFw190を参考にして作られてるって言われてますしね。プロトタイプでは水平安定性の欠如やパワー不足が指摘されていますが、戦後のアメリカ海兵隊やブルーエンジェルスからは初期のジェット戦闘機よりも性能がいいと評価されてたはずですよ。
ウォーターラインシリーズの模型に700分の1サイズの烈風が付いてくるのがあったけど、同サイズの零戦と比べるとでっかくてびっくりした思い出(鋤自語)
桜花と8機ずつ入ってるのあったな、クリアパーツで塗装しやすいやつ。
初めて烈風を見た方も、なにしろ大きくて面食らった、と述懐しておられますね。
@田中一郎
と言っても動画でも言ってる通り、F6Fと大差ないんですけどね
もう今では入手出来ないけど、1/144で烈風、天山、流星が発売されて狂喜して作ったところ、皆同じくらいの大きさにびっくりした記憶があります。
零戦や紫電改よりも一回り大きい!!
烈風とF8Fの性能差を比較すると「烈風の対抗馬はF8FじゃなくてF6Fだ」ってやたら言ってくる連中がいるけど、戦争に間に合ってない時点でF6Fと比較するのすらもおこがましい失格兵器だと思う。
敵は待っててくれないからねw
まあ、世代的にはF6Fと同じなんだろうけど開発遅いからね
@@三毛猫だいすき
烈風・震電好きはそこに目を瞑るからなあ。まぁ震電はともかく烈風は自分も大好きな機体ではあるんだけど
@@太田貴志-m3m
セガとダブる。
プレステにメガドライブをぶつけるようなイメージ。
間に合わない烈風より間に合った零戦、F4Fの方が遥かに優秀とかいう悲しみ
このエンジン選定のゴタゴタ見ると川西がエンジンを自社開発しなかったのは自社開発するとどうしても自社エンジンを積みたくなってエンジン選定の幅を狭めて自由な開発が出来なくなると考えて敢えてエンジン開発はしなかったと言う話が有ったの思い出した。
この前三菱重工大江時計台航空史料室に行ってきて、烈風の開発年表も見てきたんだけど、
この動画内で触れられてた初飛行の際の中島から来た発動機のパワーが全然足りてない問題もしっかり書かれててワロタ
少なくとも三菱重工内では正史扱いなのか・・・
う~ん、日本機はエンジンが...と言う話はよく聞くけど、仮にR-2800のようなエンジンを日本が持っていたとして、名戦闘機が出たのか?と言われると、私は難しいと思ってます。と言うのも、R-2800は火星やハ42と同じ大型重量級エンジンなので、前方視界が~とか言って選定段階で弾かれてたと思われるからです。視界が悪いならCd値に目をつぶってF8Fのようにコクピットを1段高くすれば良いのに、日本機は正直デザインの幅が狭いので採用しなかったでしょう。悠長なと言われるかもしれませんが、どうも日本は「とにかくやってみよう」と言う発想が感じられないんですよね。
チャレンジしようと思う人がいないわけじゃないんだろうけど、結局各所の体面とか過去の経緯とか、セクショナリズムに堕してしまう。
戦後色んなものが壊されたことで一旦リフレッシュされたけど、結局今の日本もおなじになってしまってる感がありますね。
日本社会では、有能な人=派閥や人間関係の立ち回りの上手い人でしかありませんからね。仮に「とにかくやってみよう」を奇跡的に行えても、失敗したら「それみたことか!これからは余計なことを言うな」と言って話が終わってしまいます。アメリカのように徹底的に検証をする所までやって初めて「とにかくやってみよう」は意味をなすんですが...
んー、キ87にR2800とか興味深いなー。実機が残ってたらなー。ゼロ戦にもツインワスプ積んだりしてますしーw
2000馬力級のエンジンを開発、量産出来るだけの技術力と工作精度が有れば恐らく過吸気の開発も進んだだろうしそれなりの航空機も開発出来たとは思う、
ただ当時の日本にはそれらが足りてなかった訳でそれが現実。
逆に当時の日本は技術的には先進国に追い付け追い越せの中で戦争してた訳で海軍の要求を批判的に見るのも的外れと思う。現実的に作れる物では性能的には
不足だし、身も蓋も無いけど高い技術力に工業力とそれらを維持出来るだけの教育と生活水準のアメリカ相手に戦争を始めた時点で個別の兵器の性能的な優位差
なんてまぁ無意味な話。
F6FやP-47、I-16などの機体を性能を度外視して「カッコ悪い」と斬って捨てる人多いですからね。
日本だと美的感覚やらなんやらでものにならない気がします。
飛行機開発は、エンジン開発競争です。日本は2000馬力級エンジンの開発に結果的に遅れた。
これによって最高の1000馬力戦闘機ゼロ戦の後継機か開発できなかった。
エンジンはつまるところ末端までの企業の技術力の集大成。
当時の日本は特殊な高性能部品を品質を維持しつつ、大量に作る技術がなかった。
手工業の延長で納屋の土間で部品を作っていた。末端がこれでは高性能部品を大量に作るなんて夢の夢。
これが当時の技術力の限界だたと思う。 これを人の努力で乗り越えようとした当時の技術者には敬意しかない。
一般的に流布されているハ43換装後の烈風の最高速度も多数の飛行試験の中でたまたま1回だけ出た数値で殆どの飛行では600kmをちょい越えるのがやっとというのが実情だったそうですしね。そこへきて、実戦化するとなると武装強化、防弾装置の追加での重量増、堀越さん設計の飛行機全てに共通した理想体系の追求による後戻り(具体的には各種空気取り入れ口の拡大化)、誉と同様に起きるであろう初期不良低減の為のハ43の運転制限等が重なると・・・ 結局零戦52型よりも劣る戦闘機になってしまったのでは?という疑念はありますね
海軍が見放すのも無理はないなと思う。
多分、烈風は競争試作すべき案件だった。仕様書の解釈をめぐって揉めたのは1社指名だったせいにも思える。
@@mosurusa
三菱と対抗だと中島と川西を誘うしか無いが
川西の強風は良さげだから川西を誘いたいが強風ベースに最初から艦上機にしたような機体がほしい
ハ43は意見が割れてんだよな、実戦は無理だと言った小福田少佐と生産可能でよく回るエンジンだと言った西村三男技師
@@ウキッキチンパン 他のハ43搭載機(キ83、震電)でもハ43自体に関連する問題で試験が進まずに終戦を迎えたわけですからそう言われても仕方ないように思えます
烈風が量産されるならその頃の相手はF8FとかP80だろうし、戦争が長引けばF86だって早く登場するだろうから未完で終戦迎えて良かった機体だと思う
P-51HとP-47N
F82ツインマスタングも来るだろう。
数十年前に聞いた話ですが、海軍〜空自を経た叔父は自衛隊で米軍機接してこんなモン作る国に勝てるわけないと言うてました。F86が一番好きな機体と聞いてる。
@@シゲのチャンネル
サンダーボルトは足が短いから、太平洋向きではないな。やはりベアキャットだろう。
P-47のN型は太平洋戦線での運用を想定したもので燃料搭載量を大幅に増やしてる。航続距離はP-51Hに遜色ない。
言葉の選定が秀逸で飽きさせない
各々の運用思想の違いがあるとはいえ、設計にあまり口を出さなかった陸軍と割と口を挟む海軍の根本的な部分を垣間見てとれる話だな…
海軍は空技厰持ってて自分で夢飛行機設計してたからな~。
@@為元敏市 陸軍は空技研を持っている、祖父が陸軍のパイロットだったからその辺は普通に知ってる。その他大勢のベテラン勢だったけどな。
海軍と飛行機に対する考え方がかなり違ってたと生前言ってたしな。
@@猫の道02様
空技研は実戦機というより技術立証機っぽい機体ばかりですね。空技厰は彗星やら銀河やら作ってますが、空技研の作品はキ93襲撃機くらいしか思い付きません。
やはり陸海の違いは大きいんですね。
@@為元敏市 様
ハー43は試作品では二速加給機だったけれども量産品では三速加給機だったという説もあります。(もしかしたら烈風改のエンジンかも??)
自分も結構としなので調べるのもめんどくさいのですがね(苦笑)
海軍は作る前から無茶を言う
陸軍は作った後から無茶を言う
三菱MRJの話を聞いていると、結局この頃から三菱の悪癖があったんだろうなぁって感じる
珍しい比較やるなと思ったけど、ベアキャットとシーフューリーでトドメ刺してくれた。
ベアキャットならともかくシーフューリーじゃ勝ち目まったくない。最低でもレジプロ機だとダグラスA-1がいる。
@@papamori9469
あえてのカタログスペック比較で動画内の有り様ですし、個人的には8Fどころか6Fの相手も厳しかったろうと思ってます。
仮に投入時期が重なっていたとして、A-1なら返り討ちに出来たかも知れませんね(投弾前は別)。
@@こうぶん-q9x
ご意見ありがとうございます。ちょっと悲観的に物を見てた様で、正に仰る通りと思います。対紫電改なら上昇・横転がやや劣るくらいで、F6Fはやり易そうですね(ヘッドオンは無理筋だろうけど…)。
F8Fの方は勉強不足でした。良いご示唆、感謝いたします。
@@こうぶん-q9x 普通に米軍の公式テストの文書でもF8Fの機動性について極めて良好って書かれてるがな。
F8Fの欠点は戦闘爆撃機的な運用が難しかった事とウィングチップの欠点です。
戦闘機としての性能はかなり高かったですし、F8Fを対空戦に特化させ、対地、体艦攻撃はスカイレイダーに任せると言う運用を想定していたそうです。
しかし、戦争終了とジェットの登場で相対的にメリットが消えたので早期退役となりました。
なんとも救いのない話ですな……最後の一言の皮肉が強烈です。
歴史の検証と架空戦記を混同せず、この動画のように冷静に見ることが大切ですね。
それをわかった上でロマンを夢見て架空戦記を創作するのは素敵なことだと思いますが。
三菱の社風と堀越二郎の性格が露見した戦闘機ですね。
烈風って名前がカッコ良すぎたんだろうなー
国力と基礎工業力ってやっぱり大事なんやなと.....
エンジニアの絶対数もですね。
ソ連の真似して強引に徹底した理系偏重教育を行ってエンジニア大量育成が為されていれば史実とは様相が相当変わっていた筈と想像しますね。
紡錘形にすると空気が張り付いて高速になるほど抵抗が増す。
近代の戦闘機は全て胴体中央を絞っている。
車のブリスターフェンダーも同じ原理で高速走行時の空気抵抗を減らすのが目的。
当時の風洞実験装置は風速が低いものだったんでしょう。
確かにもし3年早く制式化されてても逆に今以上に酷評されたかもしれんな。
米兵から「鋭い旋回で一撃は躱されるがもう一撃する頃にはカモに早変わりする機体」的な表現をされても不思議はないかも。
極端な例だけどBf109なんかは高い翼面荷重なのに対して徹底して小型軽量化&細く絞った機体のおかげで旋回半径の割に小回りが利いて、維持旋回性やエネルギーの保持性も良かったみたいだし三菱は機体よりハ43の完成に全力を注いだ方がよかった気がする。
当時みたいに自機より常に高速な敵機が相手ならほぼ必ず不利な状況から戦闘が始まるわけで、最悪自分から攻撃を仕掛けられない上に攻撃を回避しながらすぐに加速したり速度を維持し続ける必要がある当時の環境を考えると烈風みたいに鈍重でエネルギーロスの大きい大柄な機体じゃそもそも割に合わない。
予告で悲運の戦闘機と書いたけど、実際は幸運な戦闘機だったのですね。戦わなかったことで、栄光を手にしたのだから。短期間だったけど。
用兵側というか搭乗員の意見を聞きすぎたんだよな。搭乗員の理想を無制限に取り入れていくと「複葉機。風防は邪魔。機銃は重い。防弾邪魔」
当時は中国やロシア機があいてだから。仮想てきは米軍なんて言ったらどんなことになるか
九七戦の時に審査したパイロットの意見で初期の機体は風防後半部分が着脱可能になっていたらしい密閉風防は視界を損ねるからか?
顧客の言うこと聞かずに勝手に飛行機作ったって予算はつかないし、そもそも軍の武器を軍無視して作れるわけがない。
実際に某空戦ゲームでも形状の違いだけで、操作感覚や空戦での強さは紫電改との差は殆ど感じられなかった
昔の仮想戦記での持ち上げは凄かったけど、判明してるスペックで機体データを作ればそんなもんなんだなと思った
航続距離が長いのかな?
ゲームバランス取ってるゲームの話で現実語るのやめて
まあ紺碧ですらあんま性能いいようにはみえなかった
量産されて実戦配備されなかった代わりに、またそれゆえに、架空戦争ゲーム等ではエースになってる。遅すぎたゼロ戦の後継者という面でも知名度は非常に高い。しかしいろいろな意味で日本および日本人の性格を象徴する存在でもある。
実際フラップ閉じてれば降下と高速戦に優れ
フラップ広げれば零戦なみかそれ以上の旋回格闘能力って誰がどう考えても強すぎるんで
ゲームだと流石に零戦以下に抑えられてる場合が多いですね。
理想と技術力に振り回された理想機って所に落ち着きますね。
末期になってくると余裕を持てる連合国と余裕がなくなる(そもそも余裕がない)枢軸国じゃスペック差が酷くなるのは当たり前、それに性能差に追いつこうと無理な要求が出るのも仕方がないこと。烈風は実は思うほど強くはないって事に残念に思うけど客観的に見ての機体解説、これからの自分の考え方の参考になりました。
当時の航空機そして今の自動車にしても計画から生産に至る期間は3~4年かかる。なので烈風は昭和17年試作開始なのでどう急いでも昭和20~21年生産開始なので太平洋戦争に間に合わせるのは難しい機体だった。海軍としてもそれはわかっててむしろ雷電の方を早急に昭和18年頃から生産したいのが本音だった。
勝手なことばかり書いてしまいましたが、企業の思惑という観点から「烈風の開発失敗の原因」に切り込んだのは新鮮でした。
さっさと誉搭載で翼面荷重150㎏/㎡で設計開始していれば、それなりのものが出来てたでしょうにね。
おそらく疾風や紫電改に似た、それらよりも少し軽く、少し強度に劣るものが出来てたでしょう。
速度は同等あるいはやや速く、上昇力と運動性に優れたものになったのではないでしょうか。
個人的には、仮想戦記で活躍して欲しかったのは、あの大きいやつではなくこちらの方なのですけどね。
三菱が海軍側の翼面荷重のぐだぐだに甘んじていたのも、時間稼ぎの一環と考えると、もう嫌になっちゃいますね。
海軍は零戦にとらわれすぎてたのがダメって言う人よくいるけど、実際は零戦後継機を出そうと努力してたんだよなぁ
映画で堀越がいい飛行機作りたいんですよね といって烈風の開発がいつまでも終わらないで終戦になったのは皮肉。さすがパヤオはわかってる。
完成しなかったからこそのロマンがある(それしかない)
ただひたすら非情な現実を見せつけられるだけの動画ですけど夢とロマンとまれな例外の切り貼りで構成される日本素晴らしいの火葬戦史解説の群れの中で素晴らしい存在です,これからも現実を鋭く突いて下さい。
烈風は子供の頃読んだ本で三菱のエンジン載っけたらすごいいい感じになったで止まってたのでとても勉強になりました。
まあ、子供ながらもたった200機で戦局の挽回?Me262は1000機作ってもダメだったのに??とは思ってましたが。
ですね。262の頃はドイツもボロボロだったから、マトモな262が無かったのも痛かったでしょうね。
新資料の発掘で、十六試艦上戦闘機(最初の案)の実戦配備は、昭和21年度に実戦配備となっていたらしいですね。
ところが戦争が始まり、十七試艦上戦闘機は、昭和18年末に量産開始と、かなり無理のある開発計画になってしまったのも、難産だった理由でしょうね。
一方見ていて気になったのは、烈風の機体重量が当初から4トンを超えていたことです。日本の航空母艦の昇降機や離発着偽装は4トンが限界だったので(大鳳と信濃は別)、もし十七試の計画通りに実戦配備化に成功していても、航空母艦での運用は難しかったのでは無いかなと思う。
そもそも載せて戦える航空母艦がなかった…
いや、目から鱗でした。勉強になりました。ありがとうございました。
秀作です。感想として「自国の安全を保障する防衛技術はたとえそれが航空分野や直接兵器に関係する分野でなくとも常に敵性国家の上を行っていなければいけない」と強く思った次第です。
英米どころか陸軍の疾風にも劣るガラクタが名機と呼ばれてることに驚きだよ
締めの言葉のBGMが全てを物語っているような機体かな?
子供のころに川又千秋の「ラバウル烈風空戦録」って小説で名前を知った思い出。なお烈風は全然出てこない模様
懐かしい。あの小説では陸海軍が戦闘機を共用することになって紫電改が登場しませんでしたね。疾風の海軍版が烈風となった記憶があります。
この動画で零戦の金星搭載が却下された話が出てます。7:10からですね。これのソースは昭和18年10月3日の「発動機生産状況を考慮し現用機の装備発動機変更に関する打合せ」と思われます。
そもそもこの会議は、なかなか誉発動機の生産数が伸びないので、同じ中島製の栄を搭載する航空機を金星装備に切り替えることにして栄の減産を一気に進め、その分だけ誉への生産リソース投入を進めて生産促進を図ろうという考えが目的の1つに挙げられています。零戦の高性能化なんて目的欄には一言もかいてありません。
つまるところ各エンジンの生産数の変動と航空機生産数の変動を擦り合わせ、首なし機を生むことなく戦線に戦力を投入するのがまず一番大切です。
機体の生産能力はエンジンの生産能力と比べれば余裕があります。貴重品のエンジンをどう配分するかが重要です。
後世の我々、特にネット界隈ではよく「この飛行機のエンジンを○から□にしたら高性能化できて良かったんだ」という発言を目にしますが、それらの発言者の中には、その飛行機の性能の事しか頭になくて軍全体を考えていない場合も見受けられます。
新型機開発も基本は同じです。あのエンジンが欲しいと言っても生産リソースがそれを許さなければ、諦めて別のエンジンを積むことにするか、別の飛行機の搭載エンジンを変更して新型機用のエンジンを確保するしかありません。
新型機のために現用機の首なし機が出現する事は許されません。
蛇足。
エンジンを金星50型改(60型の事)に変更すれば、栄の場合と比較して航続距離4割減と紹介されている通り、議事録「イ」の項目には実際そのように記録されていますが、「ロ」の項目によれば適度な補強を施せば航続距離2割減程度で速力12ノット増とも書かれています。その場合の翼面荷重や雷電との比較なども書かれていますが、
・今から着手しても19年夏頃に生産の見込つく程度(※実戦化とはいってない)
・来年度に三菱で生産予定の零戦1400機のうち1200機を雷電に切り換える事にして栄生産数を削れる
・中島生産分は艦戦として必要なので烈風と交代する20年初頭まで(栄装備のまま)生産継続する必要がある
という事で、結局は零戦に金星を装備する事なく進んだのでした
本来なら雷電、2式戦単座。に、成ってるはずが。何方も駄目でしたから。
MRJもそうだけど三菱ってこの頃から既に開発をグダらせる癖があるよな…
堀越さんを酷使すぎなんだよな
堀越さん96艦戦と雷電と零戦の設計して更に烈風も設計してるから凄すぎ
@@零式艦上戦闘機-g6v
堀越技師は途中で病床に臥したから烈風を仕上げたのは曽根技師よ
@@零式艦上戦闘機-g6v
>堀越さん
戦後はYS-11にも絡んでたよね
@@イナゴ大福 そりゃあ酷使し過ぎだよ
ベアキャットなんか相手にしてたら悲惨なことになってたな。やっぱ「れっぷう」っていう言葉の響きがカッコいいのと、漫画の影響がデカイんでは? あの漫画の中でも「本機200機あらば戦局逆転せりとも過言にあらず」的なセリフが合った。
いい夢、見させてもらいました。
やっぱ紫電改が海軍最後の戦闘機やったやなって。
あれは編隊空戦したいための機体だからな。
ちなみに、私も最近1/72の烈風11型を、完成しています。プラモデルの世界だけでも、末長く形をとどめておきたいです…。しかし、たしかにF6Fと大きさが、ほぼ変わんないですからね。
こういうの見ると、山本五十六が「半年は暴れて見せるので、その内に有利な条件で講和を」って言ってたのが間違いじゃ無かったんだろうって思うね。
零式があまりにも戦果をあげちゃったもんだから、夢見ちゃったんだよなぁ。
国力差って残酷。
空母だってバランスとれた正規空母の翔鶴は僚艦の瑞鶴しか居なかったけど、米海軍は同格のエセックス級が毎月のように竣工していたし、あちこちで集めた残骸研究されて後継機にフィードバックしてるし。(まぁ、その辺はアチラさんも大変だったみたいだけど)
工場の作業員が昼休みにボール遊びでリフレッシュしたりしている映像を見ちゃうと、あそこには勝てないって思うだろうなぁ。
まずアメリカ相手に半年好き勝手しといてそこから講和とか無理な話なんだよなぁ...
そもそも日露戦争の時点ですら講和に持ち込むまでに多大な労力と時間をかけてたのに、ロシア以上の国力を有するアメリカ相手にそれより短い期間でやろうっていう前提が既に破綻してる
昼寝してるジャイアンの頭をのび太が蹴とばしたらどうなるか。
そら徹底的にボコられるわな。
山本五十六って、小学生以下の知能だったんだよな。
関係ないけど、零戦(A6M)→アムロ・レイだと職場のおじさんに聞いて初めて知りました。紫電改は流石に分かってた。
烈風はデータが少ないから断言できないけど、性能見てると「紫電改で十分じゃない…?」と思ったりする…
実際海軍が見限った理由がそれ
一方、暇だった川西飛行機は水上戦闘機を勝手に陸上機に改造して海軍に売り込んだ。
後の紫電、紫電改が海軍最強の優秀機と評価されたとか皮肉としか思えん(笑)
川西ェ……
川西と中島と海軍の思惑(仮想)
「水上機の注文が来期は0ですか(;; うちはもう終わりじゃ」
「陸に上がった河童作るんや、それしかうちが生き残る道はない」
「フロート外して中島の誉はん使わせてもらうんや。中島はん誉ええですか?」
「ええよ。川西はんバンバン使っとくなはれ(誉れのダメ出しのええ機会や)」
「海軍様、いかがでっしゃろ誉を積んだ我が川西の紫電ちゅう戦闘機は?」
「紫電?おっ!エンジンは誉か(エンジンでガタガタいう三菱の目を覚まさせてやるか)よし採用(仮)だ」
「やったで、これでうちが潰れることはあらへんな」
そもそもエンジンの電装系コードの絶縁被覆ですら紙や布が主であり耐油性ゴム(燃料タンク防弾やシーリング)も量産できない工業力だったのですから1戦闘機の設計仕様や開発思想をどうこう考察しても無意味です。カタログスペックで兵器の優劣が決まらないのは皆様ご存知でしょうに。
どこで見た文献か忘れたが、あのデカい主翼は低速の商船改装で運用することも考慮したものとの説もあるそうだ。翼面過重が小さいと離発着が出来るだろうってことらしい。だけどあんなに機体がデカいと本当に運用できたか怪しいけどね。
確か「丸」に其の記述が在ったと記憶しております。更にいえば「赤城」・「加賀」の喪失が「烈風」を現在私達の知る形に決定付けた様なのです。(尤も空母用カタパルトや発艦用ロケットブースターの開発失敗も其の一因ですが)
戦標船ベースの特1TL型も
烈風や流星の運用を
(少なくとも発艦だけは)
考慮してたみたいだし
@@アルト3606 やはり此処でもカタパルトや発艦促進用のロケットブースター(尤も此方の方は実用化したら其れは其れで色々とトラブルが多発しそうですが)開発失敗が影を落としている感がありますね。因みに余談ですが、かの小松崎茂画伯はスキージャンプ勾配艦首をあの英国海軍技術陣達よりも早く着想していたそうです。(もしも御本人の記憶違いでなければ此れは英国海軍より二十数年早いのですが)
高高度まで上昇するなら低翼面荷重のほうが有利だから
あながち間違ってとはいえない
勉強になりました
もう、空襲が始まった時点で試作機を作れる様な状況じゃ無くなってたんだから仕方無い面も有る。
苦労して試作機を作り上げた途端に空襲で破壊、これを何度繰り返した事か。
米国はすでにアブガス使ってたと言うし、単純なメカの差だけではなく、石油化学もまだ劣っていたと考えていいと思うけど、
戦後なぜ日本のレシプロエンジンが十分世界市場で戦えるようになったのかはとても興味深い話ですね。
紫電改の翼面荷重が160kg/m2ちょっとなので、最初から誉最適で設計してたら四式戦と同じくらいにはゼロ戦後継機が空母に乗ってたんだよなあ。
基礎能力、基礎体力の不足は苦しいな
以前、LSの1/144の100円のプラモデルで烈風と雷電の2機セットがありました。他にはキ43とキ84のセットとか…。
同じスケールで並べると烈風の巨大さが解りましたよ。
あんなにデカくて零戦並みの運動性って絶対ムリだって子供ながらに思いました。
子供の頃に零戦の後継機として烈風の写真や模型を見て、そんな強そうじゃないなと感じた。強力なエンジンと小型で重武装な機体が強いと感じていた。それに機体が大きいほど遅く小回りが効かない。月光やf8fでもそれは証明されている。烈風は間に合わなかった方が良かったと思う。誉エンジンも疾風に使わせた方が良かったし。また零戦52型は零戦としては良い進化してると感じる。エンジンを変更しなかったからラバウル防空戦に間に合い、太平洋の防勢をフルで対応出来た。防空戦でも主力として零戦は活躍してたし、紫電改は局所的でアメリカに1番損害を被らせたのは海軍では零戦52型だ。性能より数や運用性が重要だわ。
陸軍の方が海軍より柔軟。何より乗務員保護がずっとしっかりしている。
陸軍機のが防弾も無線もちゃんとしてたんだっけ。
@@momihog 一式戦と零戦の頃から防弾は陸軍の方がしっかりしてた、ノモンハン事変の戦訓と言われてます。中島九七戦とソヴィエトのポリカルポフの交戦で得られた戦訓なんでしょうね。大人一人分の重量の防弾板を外した搭乗員は居たようだが部隊に配置された時には付いてたし防漏タンクはそのまま使うしかない。無線機はどうか知らない、そもそも日電は米国WE社の日本法人だったしWE300Bと聞くと泣いて喜ぶ人達(真空管オーディオマニア)がいまだに居るしww体験的に電子管は東芝を信頼してるがずっと後の事。東芝6410Aと言う大型レーダー用の5MW のパルス出力を持つマグネトロン(デカイ、重い)の「ヂー」って言う動作音と水冷管なのでブンブン言うラジエーター(大型トラックのラジエーターくらいある)のファン音の中で働いてました@若い頃。
皮肉、揶揄を込めて、「短い夢」とはいい表現だ。
F6FとかP-47のプラモデル作った時に他の機体たちと比べるとめちゃくちゃデカイ。特にメッサーなんかと比べたら…
主人公が烈風に搭乗する小説が昔あってその時は凄い機体なんだなって思ってた時期がありました。
実際フラップ広げれば零戦なみでフラップ閉じてれば降下耐性高くて高速戦得意なんて誰がどう考えても強いからな。
200機で戦局を挽回できると言わしめる程の完成度を誇っていたんであって実際に挽回出来たかどうかは別の話。
あれは架空の発動機『勲(いさお)』を搭載した紫電改くらいの規模な架空世界の戦闘機ですから……
信頼性以外はマトモな四式戦作ってた陸軍と中島がどれだけ良かったか…
もう空母も無いんだから海軍も疾風使ってた方が良いと思うけれども、そう単純ではないのかなあ
紫電改や疾風のスペックが低いのはカタログ値通りに2000馬力出ていないのが原因だよな。それでいてそれより大きい烈風(A7M1)がお話にならないわけで。
烈風の設計でおかしいのは運動性を良くすると言って翼面荷重に注文つけてでかい主翼にしたこと。機動性に優れたフォッケやベアキャットの設計を見ていたらなんでそうなるの。
運動性というよりも空母に着艦するための低速性能ですよね?特に残存する空母は小型ですから。
三菱の堀越チームは『シックスセンス』で才能が尽きたナイト・シャラマン監督みたいだな
何かの間違いで日本が連合国側で参戦してたらもっと早い時期に米国製エンジンを積んだ烈風が空を舞ってたんだろうか。
昔、烈風のテストパイロットが言っていたが採用されないで正解と言っていました。あんなでかい翼だったらすぐ彈があたってしまうといっていました。
素人目にも烈風のクソ長い主翼やうすらデカい胴体では、空気抵抗、重量、強度的に不利で、大戦後期の戦闘機のトレンドである速度性能を満たせない。
機体の設計コンセプトが中途半端で的外れであることが、失敗の最大の原因であるように思える。
もはや劣風…
陸軍からも海軍からも似たような性能の飛行機を同じメーカーに発注して、
お互いが「海軍には秘密」・・・「陸軍には秘密」で仕事をさせてたから、
時間、人材、物資のない状況下で設計、製造は大変でしたね・・・
しかも途中まではネジの規格まで海軍と陸軍で違うっていうんだから。
国力ないのに合理性よりメンツを優先してたら、そらアメリカには勝てんわな。
視聴させていただきました。
巨大なゼロ戦を作れ!って時点で敗北はすでに決定していたような・・・^^;
陸軍の方がよほど考え方は合理的。
三菱って、結局ゼロ戦以外は失敗作ばっかり。
エンジンに夢見すぎたんかな?カタログスペックで400も差があるのに、誉搭載の四式とか紫電改との性能差がそこまでな点を見るとそう感じる。
機体がデカすぎる。
日本の戦車も気になりますね、一式中戦車や三式、四式中戦車は決戦用に温存されていたようですが、実際どの程度やれたのだろうか
四式、五式あたりならシャーマンとも戦えそう、なお数
@@ラインマーカー-p3w 殴り合いはまるで不可能だな。
相手より早く発見して確実に仕留めなくちゃいけない
@@t3233226
そんな重たいもん日本で運用できないからその点は大丈夫かと
@@ラインマーカー-p3w 陸上だと地の利も大きいからね。でも、結局は数^^;
@@t3233226
四式は箱根峠とかでも特に故障もなく走れたそうで機動性も良好だったらしい。
五式はガソリンエンジンなので運用できそうにないけど…
遅くとも昭和18年には形にならなくてはいけない機体だったと読んだ覚えはあるな
重箱の隅をつつくような話ですが、、
個人的に艦上戦闘機として考えた場合(まぁ実際は艦戦としては採用されていないわけですが)、機体の大型化+主翼折り畳み機構に起因する搭載機数の低下も評価を下げるポイントかと。
烈風・流星コンビで搭載数が減少しているのは有名な話で、機動部隊の打撃力=搭載機数な訳ですからよしんば零戦よりも性能向上があったにせよトータルで見ると??と思うわけです。そこをいくとグラマンの折り畳み機構凄いですよね。もうどうしようもない差を見せつけられる。
そういう意味でも間に合わなくてよかったね、と思いますねぇ
烈風は大きな期待だね。アメリカのF8Fは逆に小型化している。
主翼幅がある分、主翼折り畳み機構を内側に寄せざる負えないけど
そうすると強度的によくないよな
もし空母が健在のうちに実用化(折り畳み機構オミットができない状況)されていたらそれはそれで悲惨だったかもしれん
アメリカ「え、お前らの機体、翼も折れないの?」。
本土決戦になると下手すればソ連機とも当たる訳になるんだよね...
そこそこの能力の選手がまかり間違ってドラ1で採用。1軍に上がれずコーチ陣やOB
にフォームや練習方法を色々いじられて本人もどうしていいか分からない内に戦力外
通告を喰らう・・・やきうにたとえてみた烈風さん。
割とありそうだから困る
何となく・・・
ハ○カ○王子っぽい印象なんだが(笑)(笑)(笑)
@@球磨五朗
その人は実力あるけどプロ入る前から既に壊れかけ、最初はそれなりに活躍するけど完全に壊れて直らなくなるって感じです
まともにデビュー戦迎えることも出来なかった烈風と同じにしちゃ失礼ですよ笑
Heinkelさんの動画大好きなんだけど、もしもニコニコに投稿したら物凄いバカミリオタがたくさん釣れそうで面白そうだなって邪なことを考えてしまった
話を聞いてても、結局は「仕切る人」が居なかった、って事ですか? 諸外国との性能差がドンドン開いていったのは工業力の差だけじゃなかったみたいですね。
まあ仕切る人がいたらどうにかなったか、というと微妙ではあるけどそれもあるでしょうね…
ネットのミリヲタの評価を独自の観点で反論するゆっくり解説者がいただろうか。
いや、いない。(反語)
あんなんミリヲタじゃなくて再生乞食じゃないかと
にしても良質動画は伸びないね
@@田中太朗-d2n 日帝マンセーした方が視聴者ウケいいからしゃーなし
@@t3233226様
正直言うと、小学生の頃に烈風のプラモ作った頃から、こんなデカくて鈍重そうなヤツが古い零戦よりも強い筈はないと思ってました。
F8はFM2の後継機だったのでは?あのころ米海軍は巨大空母に長距離巨人戦闘攻撃機の開発に勤しんでましたから。
「貧すれば鈍す」
この烈風などの兵器に限らず、作戦立案や決定プロセス迄、この時期のすべてがこの言葉通りの思考と行動が官から民へと波及し侵食して行く様をまざまざと見せられて、時にいたたまれなくなります。
負け戦、しかも徹底的にやられまくったのですから当然なのですが。
宮崎駿の格闘戦パイロットの要望を聞いて飛行機を作らせるとクルクルパーになるってイラストで死ぬほど笑った
ケリージョンソンが朝鮮戦争でパイロットの意見聞いて作ったF-104
陸軍は毎年戦闘機を作っているから余計海軍のダメさ加減が浮き出るね。
雷電や紫電だって鍾馗で十分じゃないと言ってしまえばそれまでだし。
陸軍は予算不足から、軽戦はキ43、重戦はキ44からキ84って戦後のF-16とF-15の考え方を持っていたと思いましたが、海軍は何でもかんでも零戦にやらせて無駄に時間と予算と資源を費やした感じがしますね。
@@為元敏市
零戦にやらせる、というよりやれる子が零戦しかいなかった、というのが正しいのでは
後継機の開発が難航してたのは動画見ての通りですし
日本の問題は、ベアリングとオイルを輸入に頼り切っていたことだなあ
誉にしろ排気タービンにしろ、軸の焼き付きによって大問題になっており
これらを国産化する前に戦争に突入してしまったのが運の尽きや
【低翼面荷重】の要求は「旋回性能重視」と動画では説明しているが、本当のところは「着艦性能」と「若手補充搭乗員の技量」を考慮した結果じゃないだろうか?
設計上ゴタゴタし出したのは「ミッドウェー海戦」により大型空母2隻と中型高速空母2隻の計4隻喪失した以後で、残る正規空母は大型高速であれど「空母としては難あり」の「翔鶴」「瑞鶴」の2隻のみ。しかも「ミッドウェー海戦」直後の時点で4隻喪失を補完できる正規大型空母の就役予定が全く無かったため、暫くは商船改装の低速空母を主力にせざるを得ない厳しい状況からきた要求だと思える
要求の上乗せで設計に混乱を来したのは日本海軍「烈風」だけではない。米国に於いても軍の要求がコロコロと変わって軍用機の試作計画が混乱に陥って失敗・開発中止に追い込まれたケースが日本以上に多く「死屍累々」と言っていい有様だったが─開戦後に開発され実戦にも間に合った戦闘機は「P-63」くらいではないだろうか?─米国に比べ余裕が無い日本では致命的だったと言える
高高度性能をあげるには低翼面荷重が有利だから、その狙いもあったんじゃないかな
SR-72のばかでかい翼でも高高度では浮いてるのがやっとなんだそうです
翔鶴型の母艦のどの辺りが難ありなのか何方か教えてください
空母機動部隊がマリアナで壊滅したので少なくとも1943年末には間に合ってないとダメでした。
またい号作戦によって貴重な母艦パイロットを失っていたので間に合っても無駄でした。
震電と同じく、実用化されなくて良かった機体ですね( ̄▽ ̄;)