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太平洋戦争時の日本の基礎技術レベルを痛感させられ悲しくなる反面その後の技術者諸兄の努力に想いを馳せると身の引き締まる思いだ
わかりみが深い。敵国より遥かに劣る技術力でよく頑張ったと思う。先人たちに感謝しかありません。
完成させて飛行させた事実は評価すべき、あの状況下でやり遂げたのは凄い。
@@ウギョ-o4u ふ
でも飛行機作ってるだけ凄いよ
まぁジェットエンジンに関しては、アメリカも最初は自国開発が出来なくて、イギリスのジェットエンジンを使ってたしな
高岡氏は、旧軍の唯一のジェット機橘花と、戦後初のジェット機T1の両方を初飛行させた。
つまり日本人初のジェットパイロットか
@@武闘派の猛毒 高岡少佐はパイロットですよ。
ジェットエンジン技術供与元のドイツでさえ、要求される金属(または合金)がなくて代用金属であてがってどうにか実用に耐えるエンジン作り上げたけど、それでもオーバーホールまでの期間が25時間程度だったしドイツ以上に基礎技術と資源がなかった日本で技術者達が血のにじむ努力の末に日本初のジェット機を飛ばした、この事は素直に胸を張ってもいいと思う。
火縄銃の国産化を推進した種子島時堯の子孫が初の国産ジェットエンジンとジェット戦闘機橘花を開発するとはなんと運命...
主さんの動画を観ていると基礎技術、研究開発、経験値(成功も失敗も)が重要だと再認識させられる。
自前主義にこだわらなかった結果、完成というスタートラインに立つことが出来たんだな
当時の日本のレシプロエンジンでさえが不安定 非力のてんこ盛り。ジェットエンジンがうまくいくとは言えるものでもなかったのが実情だったのか?それでも技術者の奮闘には頭は上がりません。
でも、結構早かったんよね研究は
必死に見えない限界に挑み続けた当時の日本の技術者たちの汗と苦悩が伺える動画でした。お疲れさまです。XF9、絶対に完成させてほしいです。
ネ20からXF9への進化は熱くなりますね
のちにホンダで第一期F1の開発者となる中村良夫氏は航研卒後空技廠技術士官として、ネ20の試験に携わったそうです。ノズルからの噴流に小石を投げ入れ後ろに飛ぶのを観察したとの事、長野の疎開実験場でのことだそうで、随分危険な地上実験をしていた模様です。
ネ20の弱点はクリスマスツリーをタービンに使わなかったこと、時間がなくて技術のブレイクスルーにたどり着けなかった。縮小図ではこの部分がつぶれて読めなかった。と文献に書いてあります。ネ20の実機をスミソニアンの別館で見ましたがBMWと比べて一回り小さいネ20を見た時、あの時代であれしかない時間で完成形に出来た事は、純粋に技術者として賞賛に値すると思い感動しました。私は、技術と努力は誇ってよいと思います。
本題からは逸れますが… XF9、私もニュースで知ったときは日本もここまで来たかと感慨に耽りました。心臓部たる戦闘機用の高性能エンジンを国産できてる国なんて本当に数える程ですからね。是非うまくいって欲しいものです。たとえ搭載する機体がなくてもこの知見が活かされるときは必ず来るでしょう。技術の集積はそれだけで宝ですからね。
@@佐藤正道-e9r くららの倉山氏いわく、「アメリカは味方と敵を間違える天才の国だと・」
@@佐藤正道-e9r 邪魔したことなど一度もないんだがね
@@jejejemm9096 F2戦闘機…
@@Soki_-pz8pl 邪魔しとらんよ別に「オタクが死ぬ気で開発したエンジンの設計図を何も言わずに売ってくんない?」とかほざく日本に対して、アメリカは実に大人の対応をしてくれた日本の招聘に応えて技術団を派遣し、「売ってやるのはいいけど、オタクのレベルで戦闘機開発はちときついぜ?」とという助言をして、日本側がその助言に従っただけだ韓国あたりが「XF9の図面を売れよぉ!」とか抜かしたら、ネトウヨどもは快諾するかい? 俺は代わりにミサイルをマッハで届けてやれと思うけどね
枢軸が耐熱素材で劣っていたのは耐熱素材として優秀だったクロムが取れなかったからですねだから耐熱温度の高いタービンが作れなかった(素材があった連合軍でも耐用時間の問題は戦後まで解決できず)またエンジンの製造技術に関しても戦中の高性能レシプロエンジンで既に実用品と言うよりも芸術品レベルの設計や工作精度が必要でジェットエンジン作ってたほうが楽だからジェットに変わりますまた技術的な遅れも発想の勝負が大きいジェットだとエンジン先進国から遠い日本では厳しかったですね
当時の日本の技術力と残された時間を考えると、普通に凄いことだと思うな。
@Evan_Bradock I AM いやいや、パクっただけなんてとうの昔に知っとるわ。当時の日本の技術力でドイツの物をパクった事が凄いんやで。
チェコ製軽機はパクれなかったがこれはパクれたの謎だよな
@Evan_Bradock I AM この人荒らしだから気をつけたほうがいいよ。
@Evan_Bradock I AM パクるほどドイツから詳細な情報は届かなかったみたいですよ。戦争開始後だったか遠心式ジェットエンジンを試作していた経験が、ドイツからの外観情報を参考に軸流式に生かされてギリギリでものになったのです。完パクリなのではないです。耐久性がドイツのものより数段劣っているところでも完パクリではないと言えるのです。技術者の努力は認めなきゃ。当時の政治家や軍の無能さはけなすとしても。
@Evan_Bradock I AM お宅の国はパクる以前に劣化するじゃんw
国の存亡を賭けた戦争だったから技術者も日々戦いだったに違いない。
プラモデル作ったことがあるけど、意外とメッサーシュミットに似てないだよね。
他国の技術に頼る事は何も悪い事じゃないし中佐の判断は正しかったと思う
ジェット軍用機では橘花もそうだしme262やキ201みたいな翼下に二発ぶら下げた最初機のやつが現行機まで含めても一番好きかな。
そもそも、優秀な耐熱合金を作るには、大量のニッケルが必要になる。日本には、ニッケルがない。
ニッケル不足はハ40とアツタで分かってた事なのにね
悲しい
それでタービンブレードをナメクジ断面にして妥協せざるを得なかったり工夫してますね。
44年、45年まで戦争をすればこう言う風にしかならない、と言うことなのだろう。 軍艦の製鋼技術など、部分的に世界レベルに達した分野もあるにはあったが、国家として見た時には工業全般のレベルが低いことや資源の面などから総力戦、長期戦に勝機はなく、かと言って短期間で戦争を終わらせる研究も成果を見出せなかった。 日露戦争ではないけども軍備を少し削減してひたすら科学と工業の進展を図る形の臥薪嘗胆、牙を研ぐような時間が、もっと必要だったのではないだろうか。 そして後世の我々はこの時代の世界情勢と国策の失敗をしっかり分析することで、現代の閉塞感を打破する教訓があるのではないかと思います。
やはり、分岐点は「桂・ハリマン協定」だったと思う。上記協定が締結されていれば、史実の日米安保体制より半世紀前倒しで北東アジアの安全保証をアメリカに肩代わりさせる事になり、日本は国内の経済・産業の強化に集中して史実以上の経済成長を達成し、二度の世界大戦も全て無傷の戦勝国として乗り切ることで史実よりも遥かに有利な立場に立っていたと思う。
大いなる和 そうですね、VH鋼や酸素魚雷、三式弾など個々のアイテムでは優れた技術もありましたが産業全般として見ると手が回っていない感があり、通信、電波方面や特殊合金鋼といった地味な分野で特に水を開けられていた印象ですね。翻って現代を見てみると5G、GAFA、多用されるメールソフトはLINEと、少し危機感を覚えてしまいます。
@@heinzwguderian4863 工作機械も殆ど輸入で、電線も紙巻きで信頼性が低かったり、工業規格も未整備で熟練工に頼ってたり色々早すぎましね。基本的に戦争で互いに利益がない関係でしたし。科研費や大学の予算が集中と選択の偽名のもとに削減されて、将来の技術や科学の進歩も困難でしょうし、官僚は何を考えているのかわかりませんね。行政がLINEで情報発信を始めたのも筋が悪いですし。
「よい餅の絵を書く技術力」と「絵の通りに餅を焼く技術力」。戦争が進むにつれ、高性能機や高性能エンジンを設計する技術(上記の例でいう前者)は短期間で急速な進歩を遂げ、精密加工技術や耐熱素材などの冶金技術(上記の例でいう後者)がぜんぜん追いついてなくて乖離が生じてしまった。その結果、よい餅の絵を描けるんだけど、実際に焼いたら使い物にならないというパターンが続発する事になり、ターボだろうとジェットだろうと、根源的な問題は同じ気がします。極端な話が、現代の高性能ジェットエンジンの設計資料一式を戦前戦中の日本に持っていっても、当時の生産現場では使い物にならないエンジンしか量産できない、みたいな。
荏原製作所さん…エンジン作ってたのか…そういやウチの会社に、戦中に作られた荏原のポンプが置いてあったなぁ…
ホンダF1の初代監督の中村氏(東大→中島飛行機→クロガネ→ホンダ)の手記だと、彼は大戦晩年で中島飛行機でジェットの開発をしていたが、『レシプロエンジンよりジェットエンジンの方が構造が簡単、工程が簡単且つ少なく、更に部品数が圧倒的に少なく機関としては技術の蓄積が無いだけで簡単だった』『回転部分が多くベアリング技術が劣る日本ではむしろジェットエンジンの方が今後に期待できると技術者はみんなそう思っていた』・・・と。
材料は無い時間も無いで無理くりでも飛ばしただけでも凄い事だ!
完成しても特攻行きだろうな。自国初のジェット機を特攻でしか使わなかった、なんて歴史に残るよりは開発途中で終戦になったのはある意味幸運だったのかも
英国の産業博物館での「桜花」の説明には「ジェットの最初の利用は人間爆弾だった!(←was)」とあり、正直かなり屈辱を感じた。
@@草莽-b6d 桜花はロケットなんだよなぁ…
@@サヴァの味噌煮-b2o 11型(桜花の大半)は火薬ロケットだったけど22型はモータージェットなんだよなぁ...
特攻は道徳的、戦略的に見るとあれだが、戦術的に見るとこれだけ合理的な戦術は日本には無いかもな
@@patoriot7846 あの当時はなぁ
現代は提携でプラットフォーム共有したりファブレス企業自体が多くtsmcやらファウンダリとの分業が進んでるからその感覚はないけど、総力戦当たり前のこの時代は自国でほとんどの技術を育てなきゃいけない大変な時代だったんですよね、、たとえ末席であってもそこに参加できたことは大変に誇りに思います。
石川島播磨重工業(現)IHI?にネ20の現物があり、「日本初のジェットエンジン」として飾らていると聞きました。
日本の冶金技術は目覚ましい進化を遂げましたね。冶金技術の低さに泣いたネ20と、冶金技術の高さを活かしたXF9を較べると本当に感慨深いものがあります。橘花については、まがりなりにもジェット機を実用化した事を誇るべきでしょうね。XF9については、おそらく実用化の前に問題が発生するでしょうが克服できると思っています。かつてのように欧米諸国のものを導入して改良するといったレベルから脱却し、自らの手で生み出す実力が今の日本にはありますから。
終戦当時で明治維新から77年目。チョンマゲ刀時代から数十年ほどで急速な近代化を成し遂げたのは凄いがやはり急激すぎた急ぎすぎたって感じですかね。ソレが戦争で更に背伸びした。しかし技術陣は頑張ったと思うよ。戦後の工業の発展にも寄与したと思う。
この技術は決して無駄ではないと思う。
まぁまともな燃料がない末期なら粗悪な燃料でも使える橘花は優秀なのかな?
霧島さん 桜花は火薬じゃなかったっけ確か
om t あっ何故か橘花と間違えてましたすいません…修正しました
基本的に、ジェットエンジンは燃料を選ばないみたいで、適切な量を燃焼室へ送り込めばいいみたいですけど・・・・さすがに重油は無理っぽいかな?P80やF9F及び初代ファントムあたりは、ガソリンで飛んでたみたいで、ジェット燃料が開発されてからは切り替えられたみたいですがね。極端にオクタン価が低いガソリンでも、推力が多少落ちる程度でなんとかなったんとちゃうの?
レシプロエンジンは間欠燃焼。ピストンが最適の位置に来たとき最適なタイミングで燃焼しないといけないから、過熱による自然発火とかで勝手に爆発してもらっちゃ困るしエンジンぶっ壊れる。だからレシプロの高負荷運転にはアンチノック性が高い燃料が必要になる(オクタンが高いやつ)それに対してジェットエンジンは連続燃焼。燃料を燃焼室に送り込み次第、速攻で爆発してもらって構わない。したがってオクタン化が高くても低くてもあまり関係ない。
橘花なら、粗悪な燃料でも飛べるぞ
ゆっくり解説いつも拝見しています。うp主のポリシーが全くブレず強い筋が通っていて、とても見応えがあります。
アップ主とは意見は違うかもしれないですが、実際連合国は耐熱金属に必要なニッケルなどは供給に不安は無かったので、ALLOY80Aを開発することができたと思います。ネ20はタービーンブレードなどはステンレスですし、これもニッケル合金の使用が出来なかったので、当時の状況を考えると仕方がなかったと思います。供給される素材で出来るもので開発しているので、技術の限界かというより手に入る品物の限界でしょうね。ステンレス鋼は500℃付近では強度が低下しますし、ALLOY80Aは耐熱性は800℃以上あるので、現在でもガスタービンや高温にさらされる部品に使われます。物つくりをしていると分かると思いますが、基礎技術不足というけど、研究中のものなので、失敗はしかたがないのではと思います。戦後は航空機の研究開発禁止が長かったので、遅れたのはどうにもなりませんね。これらの技術的な見識や米軍機のオーバーホールで技術力を高めていったので、ライセンス生産でもエンジンを開発から製造まで出来るようになったのでは、先人たちからの賜りものだと思います。
資源が無いから戦争に突入し、資源が無いから戦争に負けた。
ブレードの取り付け方法だったか固定方法も違ってたと聞いたことが
@@sei-un ドイツは緩く取り付けでリング状の部品を何重にも組んでタービンを後ろに重ねて組み、タービンブレードの根元部分が球形になっていてリング状の部品の取り付け部分に嵌め込む感じ。日本は溶接してたかと?ブレードの角度修正にペンチで曲げたりしたらしい。
試験飛行時、加速力が凄まじく急上昇していると錯覚し、操縦かんを押しちゃんだろうね。そして海へ。
離陸補助ロケットの取り付け角度が不適切でエンジン故障?と思ったとかも言われてますね。ブレーキが零戦の転用で制動力が不足してたのもあるみたいです。
入手した米軍機(撃墜したF4Fだったか?)における機体の工作精度·装備品の品質に当時の技術者は「こりゃ、えらい国と戦争になったもんだ」と青くなったとか。基礎工業力の違いを思い知らされたんでしょうな。
このエンジンの開発に携わっていたのは初代ホンダF1監督の中村良夫氏。わが郷土の偉人。何故かプロジェクトXではいないことになっている。
まあ本国ドイツでも、ちょび髭野郎がもっと早くからジェットエンジンを評価していれば、ドイツ防空戦もマシにできただろうし形勢逆転も不可能だったかも。そうしたら、日本にももっと早くにジェットエンジンの技術がもたらされていただろうなあ。次は、梅花の話も聞きたい。
ヒトラーはポピュリストと同じく声がデカイ素人やからな…
ついでに核開発も
根本的な問題としては、レシプロのDB601ですら品質維持に苦戦してる水準の国に、もし早くにジェットエンジンの技術がもたらされたとしても、本来の品質より遥かに劣るものしか生産できないので結局活かせないという流れしか見えない・・(なまじ量産されて、首なし飛燕みたいな飛べない橘花で溢れたりしなかったのはむしろ救いか)
@@St-wood 軸流ジェットはむしろ技術力そんないらないはずです問題なのは冶金ですね 可動時間は30時間とされていたそうです
ドイツのMe262でも戦闘時の制限がありました。それはスロットルレバーを急激に開いてはいけないということ。燃焼室が耐えきれなかったからです。だから高空を一定速度で飛ぶ重爆に対する戦闘では効果があったけど対戦闘機のようなスロットルレバーの頻回な調節が必要な場面では運用に適さず撃墜されてたではないですか。ノボトニー少佐のように。
戦後アメリカで、クライスラーに払い下げられてガスタービンエンジンの研究に使われたという事実は小説よりも奇なり珍なりまた不思議なり。
11:56 >>みな言葉にはしなかったがいや、そこは言おうや。
と言うかそう言う言葉を言ったら連れてかれるんだよなぁ……(特高に)
サムネのタイトル、ものすごく懐かしい匂いがする。昔、こんな感じのタイトルのPCゲームがあったよね。
レシプロエンジンでコンプレッサを回すタイプは、瓦斯電でも試作されていたはずです。Jumo 004も耐久時間は20~30時間程度だったと思います。ドイツのターボジェットも、スロットルを操作した途端火を噴いたり、爆発したりで、大変だったようですね。ちなみに、当時の日本の関係者はターボジェット エンジンのことをタービン ロケットと言ったそうです。ネ‐20はネノフタマルです。
太平洋戦争が負け戦だと開戦前後に気付いていた関係者達がそれでも要求された職務を全うしたことで誕生した悲しい機体の一つだろうか。米軍はB29やP51などまだ持ってるのかと言わせるがごとく大軍を頻繁によこすわ、駆逐艦も空母も量産してるわという中で誕生した繊細なコ。
この機体のすごいところってバイオ燃料(松根油)で飛んでるところなんだよね。バイオ燃料使っててエコだし()当時はそういう次元の問題じゃなかったけどな…
油として粗悪品だったらしいですよ
@@とまちゃん-o9b 塗装に使ってたやつを燃えるから燃料に使えないか?とかだった気がするパルプ燃料とかも開発してたらしいけど
ドイツくんに人造石油技術教えて貰えてなかったもんな
@@赤い国のプーさん 教えてもらったしドイツ人技術者も招いていたよ準備している間に戦争突入して鋼材が足りなくて一部プラントの稼働に留まったのと稼働したプラント予定の1割以下の稼働率だったり…そもそもの技術力の差なのか設備の精度に劣っていたり1トンの石油を作るのに5トンの材料としての石炭とそれより多いエネルギーとしての石炭が必要だったりと露天掘りの無い日本にはきつい仕様だったというオチが
ガソリンに混ぜて使うのではなかったかな?松根油でも重油でコールタールみたいなドロっとしたモノだったそうですね。
松根油(しょうこんゆ)作るために、大量の松が全国で掘り出され、精製にたくさん女学生が動員されたらしい。カーボンニュートラルで現代ならブームになってもおかしくないのになぁ。
バイオマス燃料として杉が使われる日が来るかもしれませんね。二酸化炭素排出量は変わらないと思いますが
馬鹿にする人が多いけれど、ジャガイモやサツマイモでアルコール燃料を造ると人間の食べる分が無くなるので松根油はちゃんと考えられたモノだったと言えます。まぁ、焼け石に水でしたが。最近でもなんかアルコール燃料でトウモロコシの相場が高騰するという似たような話がありましたね。人類は変わらず愚かなのでしょう。
昔マンガでこの技術を手に入れるため潜水艦伊29の話がありましたね
昔の人って一概に言ってもこの日本でも優秀な科学者が多かったのに驚く。良くもまぁそこまで作れたな
最初のジェットエンジンの構造での仕組みの説明が違います。正しくは回転したコンプレッサー(圧縮機)が流入空気を圧縮→燃焼室で燃料と圧縮された空気を混合して燃焼(連続燃焼)→燃焼で生み出された高温・高圧・高速の燃焼空気がコンプレッサーと直結されたタービンに当たり風車のように回転してコンプレッサーを回転させる→燃焼空気のエネルギーの2/3から3/4がタービンを回すことで消費され、残りのエネルギーがエンジン後部がら勢いよく噴射→推進力となり機体を押す。初期のジェットエンジンはターボジェットエンジンとも呼ばれており、Me262と橘花に搭載されたエンジンは軸流圧縮式ターボジェットエンジンで構造はピストンエンジンより簡素であるが燃料消費量が多いのが難点ですね。今でも使用されているジェットエンジンも基本的な構造は同じですね。
橘花がB-29を迎撃する光景とか見たかったですね。
ネ230に関しては元ホンダf1チーム監督の中村良夫氏の著書にテストの様子が記載ありますね
「ガソリン」って言ってるのは燃料を現してるんであってHeinkelくんがケロシンのことを知らないなんてことはないと思うよ、お酒飲むとき「ガソリン飲まねーとよー」って言うのと同じじゃないかね?
ていうか、当たり前のように作戦として人命軽視の自爆攻撃を提案してる所に狂気を感じるそりゃ神風アタックが自爆攻撃の代名詞にもなるわ
だってそれくらいしか出来ることが…。
@@カステラ-d1z さん潔く負けを認めてさっさと降伏する一択でしたね。日本人に徹底的に欠落しているのがいかに上手く負けるか当時の日本はそれプラス明日のために今日の屈辱に耐える精神も欠落していた。と言うより真珠湾攻撃後中国式カネ爆弾(札ビラ)切って石油などを爆買いすべきでしたね。えらそーに言ってもカネで転ぶのが人間。山本五十六では無く五島慶太こそ必要だった。五島慶太の座右の銘札ビラ切って強盗働くだからね。
エンジニアの基礎技術ってのは数えきれないほどの基礎で構成されてるから、どこか勘違いがあったらその時点で崩壊しちゃうんだよね。エンジニア以外にはその難易度の高さが理解されないという悲しい現実。そして技術に疎い人ほどできると信じ込んでいてその差が永遠に埋まらないんだよね。
いくらエンジンの耐久性が低いとはいえせっかく完成させたジェット機を特攻機にしてしまうとは…
橘「花」そもそも特攻機として生まれたという説もあります
設計段階では特攻機じゃなかったけど採用段階で特攻専用機扱いされた例としては剣とか
最初は火龍と同じ戦闘機として作ってた筈、だけど戦闘機を作るくらいなら……って考えたんだろうね
特攻機として設計しました!って言わなければ軍に却下されるからじゃね?
一応爆弾は投下出来るようになっていたから通常の攻撃には使えるんだよな。
ジェットエンジンの燃料はガソリンじゃ無くてケロシン(灯油)だよ。
初期には、ガソリンも使用されてましたよ。米海軍のF9Fや初代ファントムはガソリンでしたし、同世代の米空軍も同じじゃ~ないかな?(ジェット燃料が開発されてからは、ケロシン系の燃料を使う様にはなったみたいですが・・・・・)米海軍の場合は、まだジェット燃料が開発されておらず、レシプロ機が多い中運用上もガソリンが都合が良かったんでね。(艦載機用燃料タンクの幾つかを、ジェット戦闘機用に別な燃料にするのも手間がかかります。)ジェットエンジン自体が、ゲテモノ食いの大食らいですから、各種重油以外は動くんとちゃう?
やはり優秀だと思います。ちゃんと飛んでますから、この悔しさがいまのXF9に繋がる
これをまともに飛ばせるだけの技術的裏付けがあったなら、そもそも三式戦や四式戦がまともに飛んでいたのではなかろうか・・・
ドイツですらMe262の運用を苦労してたから日本が運用できたはちょっと疑問に思ってる。
結局は基礎的な技術が追い付かなかった故に橘花は完成することなく終戦を迎えた。更に昭和19年当時の国内産業基盤はかなりの部分で空襲によって破壊されており、更に夜勤技術の未成熟がエンジン部品の製造が出来なかったものと推察される。いずれにせよ日本でのこういった航空機は戦争が始まる前から取り組むべきものだったといえる。遅かりし由良助、だな。
うぽつです。お疲れ様です。
そういえばbgmはなんでしょうか
今のIHIのように、当時の日本にもエンジン専門のメーカー欲しかったな。
ジェットエンジンを作ってたのは知ってたけどターボプロップもあったのか…ターボプロップ震電とかキ64とか考案されてそう()
ターボプロップエンジンの飛行機試作してた気も
機械の見本市で展示されていたネ20を見た事がありますが、そのシンプルな外観に何とない寂しさを覚えました。一応飛ばしたと見るか、この程度の出来だったと見るかで悲哀の度が大きく変わる機体ですね。
10:55〜前者であると信じたい。
ある意味、5式戦飛燕も評価してほしいです、
うぽつです!
ニッケル等の希少金属をふんだんに使えなかった点は、ネ20は、誉等、他の日本の航空エンジンの泣き所だったわけだ。
うぽつです。 電撃戦の続き待ってます
タービンブレードの膨張と収縮による耐久性の低さが開発陣の頭を悩ませていたとかなんとか。ジェットエンジンの開発史に興味がある方は『ジェットエンジンに取り憑かれた男』お勧めです。前半がネ20の開発、後半が戦後のターボファンエンジンの開発記
産業革命に遅れを取って、必要資源が不足している状態で国運を賭けた戦争中に開発が本格化した、新型方式エンジンを実用軍用機にするとか無難な目標の攻撃機にしても無茶だったんだな。
梅花というドイツのV-1飛行爆弾を有人にした様なパルスジェット特攻機も計画されてました。
ドイツから設計図が届かなくて半分くらい独自設計しなきゃいけなくなったやつだっけこれ。
例え実用化が出来ていたとしても、結局日本が敗戦することは避けられなかっただろうね。
性能とか運用目的は別として、敗戦前にジェット機を飛ばせたこと自体が日本人技術者の執念を感じます。動画、最後のマトメがいいですね。
この動画を拝見し思い浮かんだのが NSUバンケル社が発表したロータリーエンジンです。いち早く社運をかけて技術提携を行った当時の東洋工業でした。NSUがアペックスシールの難題にお手上げで結局撤退したにもかかわらず 我が国の技術陣は見事量産化に成功しました。ドイツの技術を東洋の小国が模倣踏襲する。なんか 因縁のような気がしてなりません。
F86のアイドリングの出力しかないとか。
景雲改はペーパープランだったんか
陸軍がム砲とかロケットを使っていたのだから何とかならなかったのかな。ネ-20を作成出来て、取り合えず橘花の飛行は立派だと思います。普段の基礎技術の地道な努力が追いつきませんでした。話がそれますが空調の仕事の勉強でコアンダ効果と言うのが出てきて調べたらアンリ・コアンダと言う技士を知り、このルーマニアの技師は航空機の黎明期にタグデットファンの機体を作ってます。
最終的に解像度の低い写真しか持って帰られなかったのはロケットの方なんだったかな
ジェットにガソリンは使わないけどね灯油に近いケロシンです
初期には欧米でさえ、ガソリンを使ってましたよ。ケロシン系のジェット燃料が開発されてからは、ガソリンを使わなくなりましたが・・・・
黎明期の時はケロシンとか開発されてないと思うのは自分だけなのか......
@@アーカード-f3i だから、ケロシンはほぼ灯油!
マイゴジに出すなら陸軍の火龍が…と平成メカゴジラ=機龍つながりでちょっと思った
キ201の開発チームに居たのが、ホンダのF1監督をされた中村良夫氏で、終戦間際のエンジンテストで計画値をを出したそうです。昔連載してた雑誌に書かれてました。元々、日本の物は低い耐熱合金に合わせて計画さています。鉄にNi,Moみたいに、、海外ではベース金属はニッケルです。ハステロイNi80%これのアメリカが規格化しライセンスしたのがインコネル、イギリスは小メーカーが多く、少量でも発注に応じてくれたそうです。ま、戦後一掃されてしまいますが、それが書いてた人のマスプロメーカーててね。
日本のガスタービンエンジンがここまでだったとはもう少し早かったら排気タービンも行けたんじゃないかな?
P38が、実用的な排気タービンを装備した初めての戦闘機だったかな?その前に10年前後に渡って、試行錯誤しなから実用化するのに、時間がかかってますから、せめて昭和一桁の前半に取りかからなきゃ間に合いませんよ?
寿命が足りなすぎる。タービンジェットも使い捨て前提での採用な訳だし
無理、無理。日本での排気タービンの研究は航空機用ディーゼルエンジンに装備されるために始まりましたがその際の排気の温度は500℃、通常のエンジンでは排気の温度が800℃なので実用化のめどはなかった。
素材が追い付いたらソフトが追い付かない現実。。。。
初めまして、heinkelさん。私は、近現代軍の戦略や戦術、海戦について興味があるのですが、もしよろしければ、 何かおすすめ書籍等を教えて頂けないでしょうか?
普仏戦争でなぜ負けたかをフランス人の視点で書いている文献があります。名前は忘れましたが、それは戦争史・ドクトリンを学ぶ上ですべての基本となります。
@@quanhault879 ご返信ありがとうございます!!探してみます。
日本陸軍は噴進機関の夢を見ない。
もう飛べばなんでもよかっんじゃないかな?
まぁジェットエンジンは灯油に限りなく近いもの(ケロシン)が主燃料だし、低質燃料でも性能低下が比較的少ないしね。(ないとは言ってないw)そういう意味じゃ開発に必死だったのはあるだろう。その必死さは素直に称賛していいと思う。ただ気になるのが二点、まず一点目は名称が花な事、もう一点目はケロシン燃焼の高温に耐える金属開発ができたのかという事。
サラマンダーよりずっと早いってme162の事だと思ってた
すみません、今更なのですが、動画のBGMの曲名を教えてください。
電気羊?
なぜ対B29に桜花を使わなかったのだろうか?
単に桜花搭載時の一式陸攻の飛行性能では到底B-29に追随出来ないためだと思いますが。
そもそも桜花が高高度まで上昇できるほど燃焼時間がないと思われ43乙型が量産できてれば邀撃できたかもしれませんね。
対空特攻用に魔改造してもいいなら、桜花の弾頭の爆弾は不要なので、その分燃焼材を多く積載できるだろうとは思います。改造により重心が大きく移動するので主翼取り付け位置は後退するでしょう。
@@CX-EURO400 剣みたいな感じか、まぁあっちはベテランでも扱いにくかったらしいけど
対B29用のロケット戦闘機が秋水です。
Me262の劣化コピーかと思ってたけど参考にはしたけど全く別の独自機体だったんだな。
冶金技術の差をまざまざと感じる、足りないものはまぁ他にもいろいろありますけど。
親戚がこのエンジン作っていたらしいです
もっと構造が簡単なパルスジェット作ってれば良かったんじゃないかと思ってしまう
本当に何もない日本でよく頑張った。今の日本をこの技術者たちが見たらどう思うだろう。色々手に入るのに、日本で作れないなんて。
飛べただけでも良かったと思う。ろくに飛べなかった試作機に比べたら
冶金技術に劣っていたとも言えるが、そもそも、耐熱合金の素になる素材(ニッケルやコバルト)が得られない時点で詰んでおりますな。ものがないのに技術を極められる訳がない。
タイムマシンでXF9のエンジンを送れたらなぁ。タイムマシンの開発まで22世紀まで待たねばならないし、青いネコ型ロボットがセワシくんとやってくる必要もあるな。
それでf22でも送られたら…
もし 日本が 枢軸側ではなく 連合国側に ついていれば もしかしたら 実用化が できていたかも (・_・?)
その前に日中戦争終わらせなきゃ
もしそんなに、頭が柔らかかったらなら自国産の菊花よりもアメリカのp80のライセンス生産をしていただろ。
@@terutota7646 なーんで敵国からライセンスが取れると思えるんですからねぇ……
太平洋戦争時の日本の基礎技術レベルを痛感させられ悲しくなる反面その後の技術者諸兄の努力に想いを馳せると身の引き締まる思いだ
わかりみが深い。敵国より遥かに劣る技術力でよく頑張ったと思う。先人たちに感謝しかありません。
完成させて飛行させた事実は評価すべき、あの状況下でやり遂げたのは凄い。
@@ウギョ-o4u ふ
でも飛行機作ってるだけ凄いよ
まぁジェットエンジンに関しては、アメリカも最初は自国開発が出来なくて、イギリスのジェットエンジンを使ってたしな
高岡氏は、
旧軍の唯一のジェット機橘花と、
戦後初のジェット機T1の
両方を初飛行させた。
つまり
日本人初のジェットパイロットか
@@武闘派の猛毒 高岡少佐はパイロットですよ。
ジェットエンジン技術供与元のドイツでさえ、要求される金属(または合金)がなくて代用金属であてがってどうにか実用に耐えるエンジン作り上げたけど、それでもオーバーホールまでの期間が25時間程度だったしドイツ以上に基礎技術と資源がなかった日本で技術者達が血のにじむ努力の末に日本初のジェット機を飛ばした、この事は素直に胸を張ってもいいと思う。
火縄銃の国産化を推進した種子島時堯の子孫が初の国産ジェットエンジンとジェット戦闘機橘花を開発するとはなんと運命...
主さんの動画を観ていると基礎技術、研究開発、経験値(成功も失敗も)が重要だと再認識させられる。
自前主義にこだわらなかった結果、完成というスタートラインに立つことが出来たんだな
当時の日本のレシプロエンジンでさえが不安定 非力のてんこ盛り。
ジェットエンジンがうまくいくとは言えるものでもなかったのが実情だったのか?それでも技術者の奮闘には頭は上がりません。
でも、結構早かったんよね
研究は
必死に見えない限界に挑み続けた当時の日本の技術者たちの汗と苦悩が伺える動画でした。お疲れさまです。
XF9、絶対に完成させてほしいです。
ネ20からXF9への進化は熱くなりますね
のちにホンダで第一期F1の開発者となる中村良夫氏は航研卒後
空技廠技術士官として、ネ20の試験に携わったそうです。ノズルからの噴流に小石を投げ入れ後ろに飛ぶのを観察したとの事、長野の疎開実験場でのことだそうで、随分危険な地上実験をしていた模様です。
ネ20の弱点はクリスマスツリーをタービンに使わなかったこと、時間がなくて技術のブレイクスルーにたどり着けなかった。
縮小図ではこの部分がつぶれて読めなかった。と文献に書いてあります。
ネ20の実機をスミソニアンの別館で見ましたがBMWと比べて一回り小さいネ20を見た時、あの時代であれしかない時間で完成形に出来た事は、純粋に技術者として賞賛に値すると思い感動しました。私は、技術と努力は誇ってよいと思います。
本題からは逸れますが… XF9、私もニュースで知ったときは日本もここまで来たかと感慨に耽りました。心臓部たる戦闘機用の高性能エンジンを国産できてる国なんて本当に数える程ですからね。是非うまくいって欲しいものです。
たとえ搭載する機体がなくてもこの知見が活かされるときは必ず来るでしょう。技術の集積はそれだけで宝ですからね。
@@佐藤正道-e9r くららの倉山氏いわく、「アメリカは味方と敵を間違える天才の国だと・」
@@佐藤正道-e9r 邪魔したことなど一度もないんだがね
@@jejejemm9096 F2戦闘機…
@@Soki_-pz8pl 邪魔しとらんよ別に
「オタクが死ぬ気で開発したエンジンの設計図を何も言わずに売ってくんない?」とかほざく日本に対して、アメリカは実に大人の対応をしてくれた
日本の招聘に応えて技術団を派遣し、「売ってやるのはいいけど、オタクのレベルで戦闘機開発はちときついぜ?」とという助言をして、日本側がその助言に従っただけだ
韓国あたりが「XF9の図面を売れよぉ!」とか抜かしたら、ネトウヨどもは快諾するかい? 俺は代わりにミサイルをマッハで届けてやれと思うけどね
枢軸が耐熱素材で劣っていたのは耐熱素材として優秀だったクロムが取れなかったからですね
だから耐熱温度の高いタービンが作れなかった(素材があった連合軍でも耐用時間の問題は戦後まで解決できず)
またエンジンの製造技術に関しても戦中の高性能レシプロエンジンで既に実用品と言うよりも芸術品レベルの設計や工作精度が必要でジェットエンジン作ってたほうが楽だからジェットに変わります
また技術的な遅れも発想の勝負が大きいジェットだとエンジン先進国から遠い日本では厳しかったですね
当時の日本の技術力と残された時間を考えると、普通に凄いことだと思うな。
@Evan_Bradock I AM
いやいや、パクっただけなんてとうの昔に知っとるわ。当時の日本の技術力でドイツの物をパクった事が凄いんやで。
チェコ製軽機はパクれなかったがこれはパクれたの謎だよな
@Evan_Bradock I AM この人荒らしだから気をつけたほうがいいよ。
@Evan_Bradock I AM パクるほどドイツから詳細な情報は届かなかったみたいですよ。
戦争開始後だったか遠心式ジェットエンジンを試作していた経験が、ドイツからの外観情報を参考に軸流式に生かされてギリギリでものになったのです。完パクリなのではないです。耐久性がドイツのものより数段劣っているところでも完パクリではないと言えるのです。
技術者の努力は認めなきゃ。当時の政治家や軍の無能さはけなすとしても。
@Evan_Bradock I AM お宅の国はパクる以前に劣化するじゃんw
国の存亡を賭けた戦争だったから技術者も日々戦いだったに違いない。
プラモデル作ったことがあるけど、意外とメッサーシュミットに似てないだよね。
他国の技術に頼る事は何も悪い事じゃないし中佐の判断は正しかったと思う
ジェット軍用機では橘花もそうだしme262やキ201みたいな翼下に二発ぶら下げた最初機のやつが現行機まで含めても一番好きかな。
そもそも、優秀な耐熱合金を作るには、大量のニッケルが必要になる。
日本には、ニッケルがない。
ニッケル不足はハ40とアツタで分かってた事なのにね
悲しい
それでタービンブレードをナメクジ断面にして妥協せざるを得なかったり工夫してますね。
44年、45年まで戦争をすればこう言う風にしかならない、と言うことなのだろう。
軍艦の製鋼技術など、部分的に世界レベルに達した分野もあるにはあったが、国家として見た時には工業全般のレベルが低いことや資源の面などから総力戦、長期戦に勝機はなく、かと言って短期間で戦争を終わらせる研究も成果を見出せなかった。
日露戦争ではないけども軍備を少し削減してひたすら科学と工業の進展を図る形の臥薪嘗胆、牙を研ぐような時間が、もっと必要だったのではないだろうか。
そして後世の我々はこの時代の世界情勢と国策の失敗をしっかり分析することで、現代の閉塞感を打破する教訓があるのではないかと思います。
やはり、分岐点は「桂・ハリマン協定」だったと思う。
上記協定が締結されていれば、史実の日米安保体制より
半世紀前倒しで北東アジアの安全保証をアメリカに肩代わりさせる事になり、
日本は国内の経済・産業の強化に集中して史実以上の経済成長を達成し、
二度の世界大戦も全て無傷の戦勝国として乗り切ることで
史実よりも遥かに有利な立場に立っていたと思う。
大いなる和
そうですね、VH鋼や酸素魚雷、三式弾など個々のアイテムでは優れた技術もありましたが産業全般として見ると手が回っていない感があり、通信、電波方面や特殊合金鋼といった地味な分野で特に水を開けられていた印象ですね。
翻って現代を見てみると5G、GAFA、多用されるメールソフトはLINEと、少し危機感を覚えてしまいます。
@@heinzwguderian4863 工作機械も殆ど輸入で、電線も紙巻きで信頼性が低かったり、工業規格も未整備で熟練工に頼ってたり色々早すぎましね。
基本的に戦争で互いに利益がない関係でしたし。
科研費や大学の予算が集中と選択の偽名のもとに削減されて、将来の技術や科学の進歩も困難でしょうし、官僚は何を考えているのかわかりませんね。行政がLINEで情報発信を始めたのも筋が悪いですし。
「よい餅の絵を書く技術力」と「絵の通りに餅を焼く技術力」。
戦争が進むにつれ、高性能機や高性能エンジンを設計する技術(上記の例でいう前者)は短期間で急速な進歩を遂げ、精密加工技術や耐熱素材などの冶金技術(上記の例でいう後者)がぜんぜん追いついてなくて乖離が生じてしまった。
その結果、よい餅の絵を描けるんだけど、実際に焼いたら使い物にならないというパターンが続発する事になり、ターボだろうとジェットだろうと、根源的な問題は同じ気がします。
極端な話が、現代の高性能ジェットエンジンの設計資料一式を戦前戦中の日本に持っていっても、当時の生産現場では使い物にならないエンジンしか量産できない、みたいな。
荏原製作所さん…エンジン作ってたのか…
そういやウチの会社に、戦中に作られた荏原のポンプが置いてあったなぁ…
ホンダF1の初代監督の中村氏(東大→中島飛行機→クロガネ→ホンダ)の手記だと、彼は大戦晩年で中島飛行機でジェットの開発をしていたが、『レシプロエンジンよりジェットエンジンの方が構造が簡単、工程が簡単且つ少なく、更に部品数が圧倒的に少なく機関としては技術の蓄積が無いだけで簡単だった』『回転部分が多くベアリング技術が劣る日本ではむしろジェットエンジンの方が今後に期待できると技術者はみんなそう思っていた』・・・と。
材料は無い時間も無いで無理くりでも飛ばしただけでも凄い事だ!
完成しても特攻行きだろうな。自国初のジェット機を特攻でしか使わなかった、なんて歴史に残るよりは開発途中で終戦になったのはある意味幸運だったのかも
英国の産業博物館での「桜花」の説明には
「ジェットの最初の利用は人間爆弾だった!(←was)」
とあり、正直かなり屈辱を感じた。
@@草莽-b6d 桜花はロケットなんだよなぁ…
@@サヴァの味噌煮-b2o 11型(桜花の大半)は火薬ロケットだったけど22型はモータージェットなんだよなぁ...
特攻は道徳的、戦略的に見るとあれだが、戦術的に見るとこれだけ合理的な戦術は日本には無いかもな
@@patoriot7846 あの当時はなぁ
現代は提携でプラットフォーム共有したりファブレス企業自体が多くtsmcやらファウンダリとの分業が進んでるからその感覚はないけど、総力戦当たり前のこの時代は自国でほとんどの技術を育てなきゃいけない大変な時代だったんですよね、、たとえ末席であってもそこに参加できたことは大変に誇りに思います。
石川島播磨重工業(現)IHI?にネ20の現物があり、「日本初のジェットエンジン」として飾らていると聞きました。
日本の冶金技術は目覚ましい進化を遂げましたね。冶金技術の低さに泣いたネ20と、冶金技術の高さを活かしたXF9を較べると本当に感慨深いものがあります。
橘花については、まがりなりにもジェット機を実用化した事を誇るべきでしょうね。
XF9については、おそらく実用化の前に問題が発生するでしょうが克服できると思っています。
かつてのように欧米諸国のものを導入して改良するといったレベルから脱却し、自らの手で生み出す実力が今の日本にはありますから。
終戦当時で明治維新から77年目。チョンマゲ刀時代から数十年ほどで急速な近代化を成し遂げたのは凄いがやはり急激すぎた急ぎすぎたって感じですかね。ソレが戦争で更に背伸びした。しかし技術陣は頑張ったと思うよ。戦後の工業の発展にも寄与したと思う。
この技術は決して無駄ではないと思う。
まぁまともな燃料がない末期なら粗悪な燃料でも使える橘花は優秀なのかな?
霧島さん 桜花は火薬じゃなかったっけ確か
om t あっ何故か橘花と間違えてましたすいません…修正しました
基本的に、ジェットエンジンは燃料を選ばないみたいで、適切な量を燃焼室へ送り込めばいいみたいですけど・・・・さすがに重油は無理っぽいかな?
P80やF9F及び初代ファントムあたりは、ガソリンで飛んでたみたいで、ジェット燃料が開発されてからは切り替えられたみたいですがね。
極端にオクタン価が低いガソリンでも、推力が多少落ちる程度でなんとかなったんとちゃうの?
レシプロエンジンは間欠燃焼。
ピストンが最適の位置に来たとき最適なタイミングで燃焼しないといけないから、過熱による自然発火とかで勝手に爆発してもらっちゃ困るしエンジンぶっ壊れる。だからレシプロの高負荷運転にはアンチノック性が高い燃料が必要になる(オクタンが高いやつ)
それに対してジェットエンジンは連続燃焼。燃料を燃焼室に送り込み次第、速攻で爆発してもらって構わない。
したがってオクタン化が高くても低くてもあまり関係ない。
橘花なら、粗悪な燃料でも飛べるぞ
ゆっくり解説いつも拝見しています。うp主のポリシーが全くブレず強い筋が通っていて、とても見応えがあります。
アップ主とは意見は違うかもしれないですが、実際連合国は耐熱金属に必要なニッケルなどは供給に不安は無かったので、ALLOY80Aを開発することができたと思います。
ネ20はタービーンブレードなどはステンレスですし、これもニッケル合金の使用が出来なかったので、当時の状況を考えると仕方がなかったと思います。
供給される素材で出来るもので開発しているので、技術の限界かというより
手に入る品物の限界でしょうね。
ステンレス鋼は500℃付近では強度が低下しますし、ALLOY80Aは耐熱性は800℃以上あるので、現在でもガスタービンや高温にさらされる部品に使われます。
物つくりをしていると分かると思いますが、
基礎技術不足というけど、研究中のものなので、失敗はしかたがないのではと思います。
戦後は航空機の研究開発禁止が長かったので、遅れたのはどうにもなりませんね。
これらの技術的な見識や米軍機のオーバーホールで技術力を高めていったので、ライセンス生産でもエンジンを開発から製造まで出来るようになったのでは、先人たちからの賜りものだと思います。
資源が無いから戦争に突入し、
資源が無いから戦争に負けた。
ブレードの取り付け方法だったか固定方法も違ってたと聞いたことが
@@sei-un ドイツは緩く取り付けでリング状の部品を何重にも組んでタービンを後ろに重ねて組み、タービンブレードの根元部分が球形になっていてリング状の部品の取り付け部分に嵌め込む感じ。
日本は溶接してたかと?
ブレードの角度修正にペンチで曲げたりしたらしい。
試験飛行時、加速力が凄まじく急上昇していると錯覚し、操縦かんを押しちゃんだろうね。そして海へ。
離陸補助ロケットの取り付け角度が不適切でエンジン故障?と思ったとかも言われてますね。
ブレーキが零戦の転用で制動力が不足してたのもあるみたいです。
入手した米軍機(撃墜したF4Fだったか?)における機体の工作精度·装備品の品質に当時の技術者は「こりゃ、えらい国と戦争になったもんだ」と青くなったとか。
基礎工業力の違いを思い知らされたんでしょうな。
このエンジンの開発に携わっていたのは初代ホンダF1監督の中村良夫氏。わが郷土の偉人。何故かプロジェクトXではいないことになっている。
まあ本国ドイツでも、ちょび髭野郎がもっと早くからジェットエンジンを評価していれば、ドイツ防空戦もマシにできただろうし形勢逆転も不可能だったかも。
そうしたら、日本にももっと早くにジェットエンジンの技術がもたらされていただろうなあ。
次は、梅花の話も聞きたい。
ヒトラーはポピュリストと同じく声がデカイ素人やからな…
ついでに核開発も
根本的な問題としては、レシプロのDB601ですら品質維持に苦戦してる水準の国に、もし早くにジェットエンジンの技術がもたらされたとしても、本来の品質より遥かに劣るものしか生産できないので結局活かせないという流れしか見えない・・
(なまじ量産されて、首なし飛燕みたいな飛べない橘花で溢れたりしなかったのはむしろ救いか)
@@St-wood 軸流ジェットはむしろ技術力そんないらないはずです
問題なのは冶金ですね 可動時間は30時間とされていたそうです
ドイツのMe262でも戦闘時の制限がありました。それはスロットルレバーを急激に開いてはいけないということ。燃焼室が耐えきれなかったからです。だから高空を一定速度で飛ぶ重爆に対する戦闘では効果があったけど対戦闘機のようなスロットルレバーの頻回な調節が必要な場面では運用に適さず撃墜されてたではないですか。ノボトニー少佐のように。
戦後アメリカで、クライスラーに払い下げられてガスタービンエンジンの研究に使われたという事実は小説よりも奇なり珍なりまた不思議なり。
11:56 >>みな言葉にはしなかったが
いや、そこは言おうや。
と言うかそう言う言葉を言ったら連れてかれるんだよなぁ……(特高に)
サムネのタイトル、ものすごく懐かしい匂いがする。昔、こんな感じのタイトルのPCゲームがあったよね。
レシプロエンジンでコンプレッサを回すタイプは、瓦斯電でも試作されていたはずです。
Jumo 004も耐久時間は20~30時間程度だったと思います。
ドイツのターボジェットも、スロットルを操作した途端火を噴いたり、爆発したりで、
大変だったようですね。
ちなみに、当時の日本の関係者はターボジェット エンジンのことをタービン ロケット
と言ったそうです。ネ‐20はネノフタマルです。
太平洋戦争が負け戦だと開戦前後に気付いていた関係者達がそれでも要求された職務を全うしたことで誕生した悲しい機体の一つだろうか。
米軍はB29やP51などまだ持ってるのかと言わせるがごとく大軍を頻繁によこすわ、駆逐艦も空母も量産してるわという中で誕生した繊細なコ。
この機体のすごいところってバイオ燃料(松根油)で飛んでるところなんだよね。
バイオ燃料使っててエコだし()
当時はそういう次元の問題じゃなかったけどな…
油として粗悪品だったらしいですよ
@@とまちゃん-o9b 塗装に使ってたやつを燃えるから燃料に使えないか?とかだった気がする
パルプ燃料とかも開発してたらしいけど
ドイツくんに人造石油技術教えて貰えてなかったもんな
@@赤い国のプーさん 教えてもらったしドイツ人技術者も招いていたよ
準備している間に戦争突入して鋼材が足りなくて一部プラントの稼働に留まったのと
稼働したプラント予定の1割以下の稼働率だったり…
そもそもの技術力の差なのか設備の精度に劣っていたり
1トンの石油を作るのに5トンの材料としての石炭とそれより多いエネルギーとしての石炭が必要だったりと露天掘りの無い日本にはきつい仕様だったというオチが
ガソリンに混ぜて使うのではなかったかな?
松根油でも重油でコールタールみたいなドロっとしたモノだったそうですね。
松根油(しょうこんゆ)作るために、大量の松が全国で掘り出され、精製にたくさん女学生が動員されたらしい。カーボンニュートラルで現代ならブームになってもおかしくないのになぁ。
バイオマス燃料として杉が使われる日が来るかもしれませんね。二酸化炭素排出量は変わらないと思いますが
馬鹿にする人が多いけれど、ジャガイモやサツマイモでアルコール燃料を造ると人間の食べる分が無くなるので松根油はちゃんと考えられたモノだったと言えます。まぁ、焼け石に水でしたが。最近でもなんかアルコール燃料でトウモロコシの相場が高騰するという似たような話がありましたね。人類は変わらず愚かなのでしょう。
昔マンガでこの技術を手に入れるため潜水艦伊29の話がありましたね
昔の人って一概に言ってもこの日本でも優秀な科学者が多かったのに驚く。良くもまぁそこまで作れたな
最初のジェットエンジンの構造での仕組みの説明が違います。正しくは回転したコンプレッサー(圧縮機)が流入空気を圧縮→燃焼室で燃料と圧縮された空気を混合して燃焼(連続燃焼)→燃焼で生み出された高温・高圧・高速の燃焼空気がコンプレッサーと直結されたタービンに当たり風車のように回転してコンプレッサーを回転させる→燃焼空気のエネルギーの2/3から3/4がタービンを回すことで消費され、残りのエネルギーがエンジン後部がら勢いよく噴射→推進力となり機体を押す。
初期のジェットエンジンはターボジェットエンジンとも呼ばれており、Me262と橘花に搭載されたエンジンは軸流圧縮式ターボジェットエンジンで構造はピストンエンジンより簡素であるが燃料消費量が多いのが難点ですね。今でも使用されているジェットエンジンも基本的な構造は同じですね。
橘花がB-29を迎撃する光景とか見たかったですね。
ネ230に関しては元ホンダf1チーム監督の中村良夫氏の著書にテストの様子が記載ありますね
「ガソリン」って言ってるのは燃料を現してるんであってHeinkelくんがケロシンのことを知らないなんてことはないと思うよ、お酒飲むとき「ガソリン飲まねーとよー」って言うのと同じじゃないかね?
ていうか、当たり前のように作戦として人命軽視の自爆攻撃を提案してる所に狂気を感じる
そりゃ神風アタックが自爆攻撃の代名詞にもなるわ
だってそれくらいしか出来ることが…。
@@カステラ-d1z さん
潔く負けを認めてさっさと降伏する一択でしたね。
日本人に徹底的に欠落しているのが
いかに上手く負けるか
当時の日本はそれプラス
明日のために今日の屈辱に耐える
精神
も欠落していた。
と言うより真珠湾攻撃後中国式カネ爆弾(札ビラ)切って石油などを爆買いすべきでしたね。
えらそーに言ってもカネで転ぶのが人間。
山本五十六では無く五島慶太こそ必要だった。
五島慶太の座右の銘
札ビラ切って強盗働く
だからね。
エンジニアの基礎技術ってのは数えきれないほどの基礎で構成されてるから、どこか勘違いがあったらその時点で崩壊しちゃうんだよね。
エンジニア以外にはその難易度の高さが理解されないという悲しい現実。
そして技術に疎い人ほどできると信じ込んでいてその差が永遠に埋まらないんだよね。
いくらエンジンの耐久性が低いとはいえせっかく完成させたジェット機を特攻機にしてしまうとは…
橘「花」
そもそも特攻機として生まれたという説もあります
設計段階では特攻機じゃなかったけど採用段階で特攻専用機扱いされた例としては剣とか
最初は火龍と同じ戦闘機として作ってた筈、だけど戦闘機を作るくらいなら……って考えたんだろうね
特攻機として設計しました!って言わなければ軍に却下されるからじゃね?
一応爆弾は投下出来るようになっていたから通常の攻撃には使えるんだよな。
ジェットエンジンの燃料はガソリンじゃ無くてケロシン(灯油)だよ。
初期には、ガソリンも使用されてましたよ。
米海軍のF9Fや初代ファントムはガソリンでしたし、同世代の米空軍も同じじゃ~ないかな?(ジェット燃料が開発されてからは、ケロシン系の燃料を使う様にはなったみたいですが・・・・・)
米海軍の場合は、まだジェット燃料が開発されておらず、レシプロ機が多い中運用上もガソリンが都合が良かったんでね。(艦載機用燃料タンクの幾つかを、ジェット戦闘機用に別な燃料にするのも手間がかかります。)
ジェットエンジン自体が、ゲテモノ食いの大食らいですから、各種重油以外は動くんとちゃう?
やはり優秀だと思います。ちゃんと飛んでますから、この悔しさがいまのXF9に繋がる
これをまともに飛ばせるだけの技術的裏付けがあったなら、
そもそも三式戦や四式戦がまともに飛んでいたのではなかろうか・・・
ドイツですらMe262の運用を苦労してたから日本が運用できたはちょっと疑問に思ってる。
結局は基礎的な技術が追い付かなかった故に橘花は完成することなく終戦を迎えた。更に昭和19年当時の国内産業基盤はかなりの
部分で空襲によって破壊されており、更に夜勤技術の未成熟がエンジン部品の製造が出来なかったものと推察される。いずれにせよ
日本でのこういった航空機は戦争が始まる前から取り組むべきものだったといえる。遅かりし由良助、だな。
うぽつです。
お疲れ様です。
そういえばbgmはなんでしょうか
今のIHIのように、当時の日本にもエンジン専門のメーカー欲しかったな。
ジェットエンジンを作ってたのは知ってたけど
ターボプロップもあったのか…
ターボプロップ震電とかキ64とか考案されて
そう()
ターボプロップエンジンの飛行機試作してた気も
機械の見本市で展示されていたネ20を見た事がありますが、そのシンプルな外観に何とない寂しさを覚えました。一応飛ばしたと見るか、この程度の出来だったと見るかで悲哀の度が大きく変わる機体ですね。
10:55〜
前者であると信じたい。
ある意味、5式戦飛燕も評価してほしいです、
うぽつです!
ニッケル等の希少金属をふんだんに使えなかった点は、ネ20は、誉等、他の日本の航空エンジンの泣き所だったわけだ。
うぽつです。 電撃戦の続き待ってます
タービンブレードの膨張と収縮による耐久性の低さが開発陣の頭を悩ませていたとかなんとか。
ジェットエンジンの開発史に興味がある方は『ジェットエンジンに取り憑かれた男』お勧めです。
前半がネ20の開発、後半が戦後のターボファンエンジンの開発記
産業革命に遅れを取って、必要資源が不足している状態で国運を賭けた戦争中に開発が本格化した、新型方式エンジンを実用
軍用機にするとか無難な目標の攻撃機にしても無茶だったんだな。
梅花というドイツのV-1飛行爆弾を有人にした様なパルスジェット特攻機も計画されてました。
ドイツから設計図が届かなくて半分くらい独自設計しなきゃいけなくなったやつだっけこれ。
例え実用化が出来ていたとしても、結局日本が敗戦することは避けられなかっただろうね。
性能とか運用目的は別として、敗戦前にジェット機を飛ばせたこと自体が日本人技術者の執念を感じます。
動画、最後のマトメがいいですね。
この動画を拝見し思い浮かんだのが NSUバンケル社が発表したロータリーエンジンです。いち早く社運をかけて技術提携を行った当時の東洋工業でした。
NSUがアペックスシールの難題にお手上げで結局撤退したにもかかわらず 我が国の技術陣は見事量産化に成功しました。ドイツの技術を東洋の小国が模倣踏襲する。
なんか 因縁のような気がしてなりません。
F86のアイドリングの出力しかないとか。
景雲改はペーパープランだったんか
陸軍がム砲とかロケットを使っていたのだから何とかならなかったのかな。ネ-20を作成出来て、取り合えず橘花の飛行は立派だと思います。普段の基礎技術の地道な努力が追いつきませんでした。話がそれますが空調の仕事の勉強でコアンダ効果と言うのが出てきて調べたらアンリ・コアンダと言う技士を知り、このルーマニアの技師は航空機の黎明期にタグデットファンの機体を作ってます。
最終的に解像度の低い写真しか持って帰られなかったのはロケットの方なんだったかな
ジェットにガソリンは使わないけどね
灯油に近いケロシンです
初期には欧米でさえ、ガソリンを使ってましたよ。
ケロシン系のジェット燃料が開発されてからは、ガソリンを使わなくなりましたが・・・・
黎明期の時はケロシンとか開発されてないと思うのは自分だけなのか......
@@アーカード-f3i だから、ケロシンはほぼ灯油!
マイゴジに出すなら陸軍の火龍が…と平成メカゴジラ=機龍つながりでちょっと思った
キ201の開発チームに居たのが、ホンダのF1監督をされた中村良夫氏で、終戦間際のエンジンテストで計画値をを出したそうです。昔連載してた雑誌に書かれてました。元々、日本の物は低い耐熱合金に合わせて計画さています。鉄にNi,Moみたいに、、海外ではベース金属はニッケルです。ハステロイNi80%これのアメリカが規格化しライセンスしたのがインコネル、イギリスは小メーカーが多く、少量でも発注に応じてくれたそうです。ま、戦後一掃されてしまいますが、それが書いてた人のマスプロメーカーててね。
日本のガスタービンエンジンがここまでだったとはもう少し早かったら排気タービンも行けたんじゃないかな?
P38が、実用的な排気タービンを装備した初めての戦闘機だったかな?
その前に10年前後に渡って、試行錯誤しなから実用化するのに、時間がかかってますから、せめて昭和一桁の前半に取りかからなきゃ間に合いませんよ?
寿命が足りなすぎる。タービンジェットも使い捨て前提での採用な訳だし
無理、無理。日本での排気タービンの研究は航空機用ディーゼルエンジンに装備されるために始まりましたがその際の排気の温度は500℃、通常のエンジンでは排気の温度が800℃なので実用化のめどはなかった。
素材が追い付いたらソフトが追い付かない現実。。。。
初めまして、heinkelさん。私は、近現代軍の戦略や戦術、海戦について興味があるのですが、もしよろしければ、 何かおすすめ書籍等を教えて頂けないでしょうか?
普仏戦争でなぜ負けたかをフランス人の視点で書いている文献があります。
名前は忘れましたが、それは戦争史・ドクトリンを学ぶ上ですべての基本となります。
@@quanhault879 ご返信ありがとうございます!!
探してみます。
日本陸軍は噴進機関の夢を見ない。
もう飛べばなんでもよかっんじゃないかな?
まぁジェットエンジンは灯油に限りなく近いもの(ケロシン)が主燃料だし、低質燃料でも性能低下が比較的少ないしね。
(ないとは言ってないw)そういう意味じゃ開発に必死だったのはあるだろう。
その必死さは素直に称賛していいと思う。
ただ気になるのが二点、まず一点目は名称が花な事、もう一点目はケロシン燃焼の高温に耐える金属開発ができたのかという事。
サラマンダーよりずっと早いってme162の事だと思ってた
すみません、今更なのですが、動画のBGMの曲名を教えてください。
電気羊?
なぜ対B29に桜花を使わなかったのだろうか?
単に桜花搭載時の一式陸攻の飛行性能では到底B-29に追随出来ないためだと思いますが。
そもそも桜花が高高度まで上昇できるほど燃焼時間がないと思われ
43乙型が量産できてれば邀撃できたかもしれませんね。
対空特攻用に魔改造してもいいなら、桜花の弾頭の爆弾は不要なので、その分燃焼材を多く積載できるだろうとは思います。改造により重心が大きく移動するので主翼取り付け位置は後退するでしょう。
@@CX-EURO400 剣みたいな感じか、まぁあっちはベテランでも扱いにくかったらしいけど
対B29用のロケット戦闘機が秋水です。
Me262の劣化コピーかと思ってたけど参考にはしたけど全く別の独自機体だったんだな。
冶金技術の差をまざまざと感じる、足りないものはまぁ他にもいろいろありますけど。
親戚がこのエンジン作っていたらしいです
もっと構造が簡単なパルスジェット作ってれば良かったんじゃないかと思ってしまう
本当に何もない日本でよく頑張った。
今の日本をこの技術者たちが見たらどう思うだろう。
色々手に入るのに、日本で作れないなんて。
飛べただけでも良かったと思う。
ろくに飛べなかった試作機に比べたら
冶金技術に劣っていたとも言えるが、そもそも、耐熱合金の素になる素材(ニッケルやコバルト)が得られない時点で詰んでおりますな。
ものがないのに技術を極められる訳がない。
タイムマシンでXF9のエンジンを送れたらなぁ。タイムマシンの開発まで22世紀まで待たねばならないし、青いネコ型ロボットがセワシくんとやってくる必要もあるな。
それでf22でも送られたら…
もし 日本が 枢軸側ではなく 連合国側に ついていれば もしかしたら 実用化が できていたかも (・_・?)
その前に日中戦争終わらせなきゃ
もしそんなに、頭が柔らかかったらなら自国産の菊花よりもアメリカのp80のライセンス生産をしていただろ。
@@terutota7646 なーんで敵国からライセンスが取れると思えるんですからねぇ……