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たくさんのコメントありがとうございます。意外と乗った思い出のある方が多くて、びっくりしました。当時の状況色々聞けて、とても貴重です!
懐かしいです。走って当時間々田に住んでいて、当時から鉄道が好きで、つくばねが停車している時は、良く見に行ってました。あのグリーン車は憧れでした。
保育園の時、上野まで母親と一緒に行きそこから急行つくばねに乗って母方の田舎の岩瀬まで一人で行っていた。つくばねが廃止されてからは、小山での乗り換えを間違えないように必死に車内放送に耳を傾け水戸線への乗り換えをしていた。懐かしい動画ありがとうございました。
急行『つくばね』サボ、2種類持っています。一枚はグリーン車自由席用ですが、普通車と区別するためか、指定席と表示されています。
懐かしい。当時時刻表にも貨物線を通過するため小山駅は通らないというような記述があったと思います。
昔沿線の蓮田に住んでました。この急行列車は知名度が低くて懐かしいですね。ヘッドマークもついていなかったし…。東北本線は特急街道と言われるくらい特急・L特急・寝台特急の他、これを補完する急行・夜行急行・準急まで走っていました。でも急行列車は国鉄の赤字による増収対策による特急への吸収消滅で餌食になり、留めは東北新幹線の暫定開業で在来線特急の大幅減便挙げ句の果廃止で東北地方の主だった特急停車駅も軒並み廃れてしまいました。かつては急行停車駅でも駅弁が売られていた時期もあり、風情をかんじますが現在は早く到着出来る利便性を享受出来た分、何か大切なものを失った様な寂しさを感じます。
急行つくばねは急行上野勝田間の運用だけでなく、小山勝田間の普通列車としての運用もありました。小学生の頃、下館駅から新治駅までの一区間乗ってサッカーの試合に行くときに、小山方面から走ってきた列車がつくばねで使用している列車で当然グリーン車も連結されてました。グリーン車は営業されていたのかは記憶がありませんが、チームメイトの鉄道マニアはこの運用に歓喜しておりました。一区間とは言え乗れた事が嬉しかったようです。同時間帯に本家つくばね号は下館8:35発上野行きとなっていたと記憶しています。
母親の実家が岩瀬だったので盆と正月にはお世話になりました。上野から乗るときは始発なので家族そろって席が取れましたが帰りはバラバラでした。かなり人気のある列車だったんだと思います。
久喜に停まってくれた時期があり、ありがたく乗ったことがあります。古河にも停まり茨城県東西を乗り換えなしで結ぶ貴重で便利な列車でした。紅白の梅を連想させる色もよかったです。
田舎が下館なのでよく利用していました。
懐かしいですね、自分も昔サボを撮った思い出があります、上野発着の急行列車が最後の勇姿を見せていた時代ですね。
小山駅には停車せず、駅付近の短絡線を通過していた場面が最大の見せ所だった。
間々田短絡線は海水浴臨時電車「かわらご」でも通りました🍀急行「つくばね」の編成は常磐線「ときわ」と同じ🚃この当時の東北本線7両編成の急行「まつしま」「いわて」はビュッフェを連結してる☕ちなみに「つくばね」は全車自由席、グリーン車も自由席でした🎵
赤羽に住んでたので、この色の列車はたまに見かけました。湘南色や横須賀色とは違う色合いが結構好きでした。まだ幼稚園生だった頃は黄色いDC編成の急行も走ってました(いいで?)。さよなら記念切符は同時廃止の列車とまとめ手のものだったと記憶してます。いい時代でしたね。
今とは違って、色々な車両が走っていたので、駅に行って眺めてるだけで、飽きない時代でした。
小山での階段を使っての乗り換えが不要になるので便利でした。さらに時間帯も夕方のラッシュを避けて運転されていたので水戸線沿線到着が非常にいい時間帯でした。忘れられない急行電車です。
うわぁ、懐かしいです。あたしも子供の頃だったので、乗りたい列車でしたがお小遣いでわとても乗れなくて何度も親におねだりしましたが、ふざけるな!と怒鳴られて乗せてもらえませんでした。両毛線沿線在住なので、わたらせわ東京の親戚へ行く時に乗せてもらいました。あと、夏休みに海水浴に行った時に、帰りだけ大洗デメラルドという12系客車の臨時に乗せてもらいました。わざわざ大洗から間々田まで乗せてもらって、東北線で小山に戻り、両毛線で帰ったのを覚えてます。おかんに面倒な回り方させて、まったく!なんて文句言われながら乗りましたが、つくばねと同じルートで水戸から間々田まで乗れたのわ嬉しかったです。
「大洗エメラルド」EF80が引退する直前に、新治→岩瀬の沼で撮ったら、ラストナンバーの63号機がやって来たのが懐かしい。1985年の真夏のこと。結構時間ギリギリになってしまい、岩瀬からタクシーを飛ばしたのも懐かしい。つくばEXPO85開催中の多客輸送力確保のために、田端機関区EF80や勝田電車区401系(低運転台の初期車含む)が最後のご奉公をしていた頃(401系のうち、1966年に余剰電装部品の活用で製造されたロットだけは、その後しばらく残った)。
現在小山の貨物短絡線は動画内でも紹介があったように、軌道は撤去され、空き地どころか住宅も建っています。当時の遺構を探すことが徐々に難しくなっています。
そういえば、家も建ってたかもですね。意識して見ないと街に溶け込んでいってますね。
名鉄の新鵜沼短絡線跡も、家が建ってしまいました。全国各地の短絡線跡も、市街地かどうかで、様々な運命になっているようですね。
私も小学生時代に結城から上野まで乗車いたしました。本当に懐かしい急行電車ですね。余談ですが、私の知っている方が(水戸駅長をされた方です。)、国鉄時代にこの「つくばね」の車掌をされたことがあるそうです。ところで現在の水戸線は当然普通電車のみでしかもワンマン運転です。時代の流れなんでしょうか。
水戸線沿線(笠間以西)の住民にとって、つくばね号は東京方面へ行く時は非常に便利な列車でした。上りは朝の8時頃に発車して、下りは18時以降に到着するので、ダイヤ設定もかなり良かったですね。指定席が無かったから下りのつくばねに乗る時は、上野駅に早く行って席を取る為に並んだ事を良く覚えています。ちなみに間々田に停車したのは乗務員の交代の目的もあったようですね!
急行つくばねと筑波線岩瀬経由の水戸線は昔、子供の頃何度か乗りました。とてもなつかしいです
子どものころ、大宮駅でよく見ました。水戸に親戚があったので、次はこれで行ってみたいと思ってましたが、結局乗らずじまい。残念です。
グリーン車も自由度だったんですよね。記憶は不確かですが、時刻表にも、小山に停車しないことが記載されていたと思います。ひばりに乗っているとき、たまたま間々田に信号待ちした時に、貨物線を確認できました。今はないんですね。
関東鉄道筑波線の列車が水戸線に乗り入れていた理由が、水戸鉄道管理局管轄の気動車が足りず、それを補填する為とナニかの文献で見ました。関東鉄道とその前身の常総筑波鉄道は車両を国鉄の払い下げを買って運用しており、国鉄の気動車との相性も良かったのかも知れませんね。そんな時代って良いですよね。岩瀬駅に筑波線への連絡路が有ったのはそんな理由があったからと、知ったのは随分後になってからですが。
そうなんですか。意外な理由でしたね。昔の運用は変なところでフレキシブルですね。
国鉄時代の車両は、萌えまくりますわ。
急行つくばね号の映像大変ありがとうございました。また、急行つくばね号の編成の特長のひとつはグリーン車の連結位置が2号車になっている事ですね、他の東北急行は4号車がグリーン車の連結位置になっている事を考えるとこれは異色な列車ですね、また、グリーン車を含めて全車が自由席と言うのもつくばね号を利用する方からは気軽に安く利用できる事から大変喜ばれていて利用率も高かったんですね、また、この動画のところでもあったように急行つくばね号のもうひとつの特長として小山駅を通らない事でした。また、急行つくばね号のサボサイドボードの略した下のところに間々田経由の表示が有り小山駅に停車しない代わりに間々田駅に停車して間々田から水戸線の小田林までの短絡線を通って水戸線常磐線を通り勝田駅現在の茨城県那珂湊市勝田駅まで結んでいました。そして、この短絡線には直流1500ボルトから交流20000ボルトの交直デッドセクションの切り替えが有り国鉄の急行つくばね号はこの短絡線にある交直デッドセクションを通って水戸線に乗り入れて友部から常磐線に乗り入れていました。また、急行つくばね号は急行ときわ号現在の特急ときわ号と共通運用されていた水戸鉄道管理局勝田電車区略号水カツ所属の453系交直流急行型電車50ヘルツ用の7両編成で運用されていました。また、この動画のところの説明にもあった通り急行つくばね号が小山駅に停車できない理由のひとつとして小山駅の構内配線も大きく関係していました。そして、この異色急行つくばね号も東北上越新幹線が上野駅に開業した昭和60年1985年3月14日で廃止となりまた、この急行つくばね号が通っていた短絡線も同時に廃止されて今では当時の面影を見ることはできなくなってしまいました。貴重な映像を大変ありがとうございました。以上、
懐かしい!水戸線沿線に母親の実家があったので時々乗りました。
今やこういう末端線区から都心直通はみんな高速バスに取って代わられた感
益子町在住です。子供のころ「準急つくばね」に乗って東京に行った記憶があります、懐かしいですね。大学生時代には短絡線を走る「急行つくばね」に乗って帰省したのも覚えています。真岡鉄道も小山駅乗り入れができれば、うれしいなーーーー。とりあげていただいてうれしい限りです。
確かに行き先も経由地も地味だがなんか気になって夕方見に行ったりしたな
昔は間々田の短絡線も時刻表地図に載ってたね
小山駅周辺は交直デッドセクションが入り乱れて、455系がその性能を発揮していた様です。平成初期に小山駅手前のヤードの端に単線の廃線跡を見て、「つくばね」の通過線とすぐに気づきました。
入り乱れてってなによ?小田林との間(短絡線合流後)にあるだけだろ?
懐かしい!子供の頃に東京へ行く時に、何度かお世話になった列車です。水戸線唯一の急行車両、小山の短絡線を通った記憶も鮮明に残っています。
水戸線内でも、急行車両の普通列車が走ってたことありますよ。しかも、グリーン車も開放していて、乗ったことありますよ。
@@user-rk3xx2pe6z おぉ、そうなのですか。水戸線でそういう列車にはついぞ巡り会えませんでした。利用してみたかったです。
列車名は記憶にあったけどこんなルートだったとは知らなかったです。特急列車を補完しながら各支線へ直通運転列車を設定する当時の国鉄に敬意を表します。地平ホームに東北・常磐方面の速達列車がずらっと並んでいた光景は、今でも思い浮かびます。
電車化された当時は仙台所属の6両編成が使用され、4両目がグリーン車でした。途中から勝田所属の7両編成に変わりました。因みに早朝の勝田小山間を走る1往復はつくばね編成が使われていました。
この早朝の列車は確かグリーン料金不要でしたよね。
当時の時刻表ありがとうございました 電車化されたあとも 茂木発小山行DCが結城駅で接続していたのが判ります 確か小山発茂木行も接続していたはずです 直通は無くなっても動線は残っていたのですね
高校生時代に通学で乗っていました。普通列車区間でもグリーン車はグリーン券が必要でしたよ。
小学生の時によく乗ったなぁ。その頃は4両編成だった。湘南色の急行車両の路線だったから唯一違う色でくる「つくばね」が大好きだった。
路線上の始発駅である駅を通らない列車はレアです。つくばねは水戸線に運用された唯一の優等列車です。結城以東は普通列車として運転されていたのを記憶しています。
栃木県真岡の人間です。たまに真岡線から下館、小山経由で東京へ行く時に下館駅で急行つくばねを見ました。立ってるお客さんかなりいたような記憶あります。当時はガキで急行なんて夢の世界でした。子供には敷居の高い電車でした。乗ってみたかったです。
田舎が、下館だったので、里帰りの際、よく利用しました。
「つくばね」という列車は関東鉄道(常総筑波鉄道?)でも線内の急行列車で存在していたみたいです。
宮脇俊三先生は国鉄完全乗車の際に、小山駅の渡り線に乗りたくて敢えてこの列車に乗ったと記されていました、今はもう乗りたくても難しいですね
近場にありながら、乗れなかったのが自分でも残念です
懐かしいなぁ…アップありがとうございます😊次は、海水浴臨時電車『かわらご号』も、是非とも取り上げて下さい!
短絡線上にホームがあったり、寝台特急が通過したりする折尾の様な派手さは無かったけど、ザ・短絡線という感じでしたね。
懐かしい列車をありがとうございます。幼少時に下り「つくばね」に乗った事がありましたが 確かに下館辺りまではお客さんも多く乗ってました。今でも「快速」または「特急」として走っていたら もしかしたら利用も見込めるかもしれませんね。記憶違いかもしれませんが筑波線からの直通列車も一時期「つくばね」を名乗っていた時期があったと古い資料で読んだ記憶があります。国鉄気動車に併結されて 小山・笠間へ直通していたのは 常総筑波鉄道自慢のキハ800(804・805)で 空気ばね台車で 国鉄車よりもハイグレードな車でした。私鉄ストで筑波線が運休していても 乗り入れ区間だけはいつも通り国鉄車と併結して走っていたそうです。
453系の車両、懐かしいです。帰省の時、急行『いわて』『まつしま』『もりおか』で乗りました。『つくばね』は、小・中学生の時、よく見かけました。結城の字が読めず、地図で調べた記憶があります(笑) 今なら、小旅行で乗りたい列車です。
何だかんだで、急行が充実していた時代でしたね。当時、遠くに帰省することがなかったので、急行や特急で帰省する人に憧れてました。
453系つくばね で使用された車両は勝田電車区ではなく 仙台運転所の車両です。又勝田~結城間はグリーン車も普通車扱いでしたのでグリーン券は不要でした。
てっきり「ときわ」との共用運用かと思ってました。仙台だと「まつしま」とかですかね?
仙台の6両編成でしたが、確か53.10改正で勝田の7両編成に移管になりました。間違ってたらごめんなさい。ちなみに、高校3年間つくばねで通学してました。水戸線朝7時代はこのつくばねしかなく、酷い混雑で乗降に時間がかかり何で急行車両を使用するのか、みんな腹が立ってました。
@@user-jt8dj1kr5r 合ってます。
地元が下館駅なのですが、一度でも良いので乗ってみたかったです。
遅くても59.2までかと思っていたら、新幹線上野開業の60.3まで生き残ってたんですねえ。急行まつしま+ばんだいといった長距離急行と違う、やたら短い列車は大宮辺りでは異色でした。
その短い編成も今や当たり前、というか地方では2両編成特急とか見ると、少し寂しくはありますね
昔、下館まで乗ってました‼️
そういえば友人でこんな人が短絡区間に乗りたいために上野5:55発仙台行に乗り、友部でその列車に乗り換え、短絡線に入ったところで…急行に変身中、踏切で自動車と衝突してしまい現場で列車を降ろされ、その後乗らぬまま廃線になったそうな(涙)
確かに小山⇔茂木 小山⇔筑波 勝田⇔桐生など本当に この時代は良かったです。レトロな駅舎もまだまだ 綺麗な駅舎も改築された駅舎も つくばね号の特集はありがとうございます。終夜運転は 小山⇔笠間間に置いて 帰りは 笠間⇒下館(時間調整の為)⇒始発⇒小山ってありましたね
普通列車区間があるから、グリーン車は自由席にしてたのかな。
笠間に母の実家があったので、つくばねに乗りたいと何度もせがみましたが、下りは笠間着が遅く、上りは笠間発が早いという理由で一度も乗らずに廃止されてしまったのが残念です。その代わりと言っては何ですが、急行ときわは電車・気動車どちらも何十回と乗り、今でもよく覚えています
急行のグリーン車、懐かしいわぁ🤣グリーン車で指定無しの自由席ってこと?
そういうこと。急行の場合、普通車全部自由席+グリーン車も自由席、普通車全部自由席+グリーン車指定席、普通車一部または全部指定席ならグリーン車も指定席と、様々な列車がありましたね。俺はこのつくばね号には、縁がなかったんですが、近鉄特急の中川短絡線みたいなもんだなという印象があったので覚えていました。
懐かしい列車に、スポットを当てて下さり、有り難うございます。急行で乗ることはなかったのですが、水戸線内の普通列車区間を利用しました。小山まで行くのに、結城で乗り換えるのが面倒でしたが、何かリッチな気分になれた列車でした。
あの頃は🎵ハァ‼️複雑だ❗
結城住みです。当時は真岡線も直通運転して小山駅まで来てました✋
そうでしたね。小山直通は確か3両編成だったので、通勤時間帯とかに当たると、すごく混んでた思い出があります。
朝のラッシュ時にはキハ20系の6両編成でした。当時は小田林と東結城はホームが4両分しかなく6両編成の気動車列車は前2両はドアカットしてましたよ。小山駅発車時に小田林と東結城で降りる方は後寄り4両をご利用下さいとアナウンスがありました。
@@yuukiududhino ちなみに駅の名前は「おだばやし」そこの地名は「おたばやし」間違えてしまったんですかね(笑)
大宮鉄博で展示されているものと同型の首都圏色キハ10系が記憶に残っています。
今だったら大回り乗車で楽しめそうですね^^
待っていました。結城市民なので、興味深いです。短絡線をガキのころ、親父の実家が、野木町だったので、よく、見に行きました(^-^)
この当時の急行以下の列車は普通とグリ-ンのシ-ト格差が凄かったからなあ
急行・つくばね、水戸線経由で上野・勝田間を走っていたのですね?急行列車の車両が453系、私の知るかぎりでは、急行・まつしま、ばんだい、いわて?など、私の地元を走っていた急行列車の車両かと思っていました。名前は聞いた事がありましたが、常磐線直通だと思っていました。
東北本線系統の急行とは、違う編成ですよ。両数とグリーン車の位置が、全然違いますね。
さとちん さん、失礼しました。急行型453系は好きな電車なので、コメントしました。
つくばね号は、つくば万博があった1985年に廃止されたのは残念。万博会場の駅を経由しなかったとは言え、万博と名前が似ているし残してほしかった列車だ。
間々田過ぎると右手に木の架線柱が分かれますが、あれですね。水戸線は奥深くて、80年頃まで荷物車付き客車列車が走っていたり、工場引き込み線があったり、両端の小山石岡とも広い構内だったりして、高度成長期を彷彿させる、いい路線ですよね
それ以外にも臨時列車や回送列車など、普段見ない車両がよく通ったりしていて、当時は色々見に行きました。
@@hi-resolutionsound1938 石岡は鹿島線だった。すいません。友部だ。いいわけさせてもらうと、赤塚友部石岡、雰囲気似てません?
もう、連絡線も消滅しちゃいましたね。サロの冷房がau12ですなあ。
冷房装置といえば、今は屋根がすっきりしてるものが多く、何か物足りない気がするのは自分だけかな
青い古い列車で、ドアが自動で閉まらないものがありました。走るときに先頭車両からカチンガチンと音がしてきて、走るときに衝撃がかなりあるものでした。
急行つくばね、懐かしいです。母親の実家が岩瀬だったので、幼少期の帰省に両親は、いつもつくばねを利用していました。都内に戻る時も、朝のつくばねでした。
実家が茂木だったので幼い頃に準急時代のつくばね号に乗りました。急行色のキハ55でしたね。(当時コント55号が人気だったので忘れません。)上りは茂木から真岡は普通列車と併結だったので前の2両に乗りました。下館で真岡線はスイッチバックで併結は構造的に無理なので結城駅で待ち合わせで勝田方面からと併結していたように思います。下り列車は上野駅では茂木行きは後ろの2両に乗った記憶です。茂木〜上野直通は今では夢のようですね。
水戸線内 普通列車なんだよね まあ大宮とか東北線内に行くのには便利 当時岩槻に祖母が住んでいたからね 登録します
どこ通るねん!でフイたっ💦
急行つくばねは、父方の田舎が、旧大和村(現在は、岩瀬町、真壁町と合併して桜川市。水戸線に大和駅がありますが、つくばね運転当時は、ありません)にあったのでよく乗車しました。東京に住んでた私は、1984年の大晦日につくばねで、父と田舎へ行きました。その時、乗車中デッキでラジカセ持って間々田から岩瀬まで録音しました。短絡線を通る音をとりたかった為です。今で言う音鉄と言う奴です。しかしです!その貴重なカセットテープを親に捨てられてしまい当時、中学生だった私は、大変ショックでした。今、残ってれば大変貴重だっただけに残念です。覚えてるのは、間々田駅で駅員の放送があり、小山には行かない、と何度も放送してました453系、MT54モーター音もばっちし録音されてたのに、非常に残念です。UA-cam登録名も、大好きだったのでつくばねの名前にしてます。
1980年の夏、夕刻、小山駅構内で停電があり、水戸線利用者を間々田まで東北線上りで誘導し、間々田駅から急行つくばね号への振替乗車をした事がありました。
自分の記憶と違う、、って思って調べたらつくばね1711M/1712Mの編成は仙セン受持やないか53年9月の段階やったら1102Mあづま1号で上野到着後につくばねで水戸往復して1109Mまつしま5号で仙台に帰る運用ときわ担当の勝田電車区は一切関係ないやないか人に見せるんやったらきっちりリサーチせなアカンわ
1978(昭和53)年10月(2日)ダイヤ改正で、「つくばね」は勝田電車区に移管されている。
ありがたいありがたい。感謝、感謝です(´っ・ω・)っ
謎のルートですね 普通に勝田へ行くのならば常磐線を使えばいいだけですし、やはり水戸線沿線の方々が直通になるというのが肝なのでしょうか。
水戸線って交流電化区間だったの❓
小山(DC1.5kV) - 小田林(AC20kV - 50Hz)に交直デッドセクションがあります。常磐線の取手(DC1.5kV) - 藤代(AC20kV - 50Hz)のものと同じもん。途中駅の福原駅が、柿岡地磁気観測所から真北に約13kmしか離れてませんから、水戸線は交流にするしか無いわけですね。
@@user-mi1wk3ms1z あるいは、関東鉄道のように非電化、気動車で。
土浦発で水戸線・・・え?友部でスイッチバックしてたのか???って思ったら筑波線・・・あったなぁwあれ、でも筑波線の廃線跡を見る限りだと、岩瀬でスイッチバックしないと水戸線には乗り入れられないような???
古河駅に はじめて準急が停ま
るので
あのねのね
「つくばねの唄」ね。嘉門達夫がカバーしていましたね。
水戸線がトラムにならないかなとちょっと思っている。小山下館間だけでも。
ドゥワァ!センナナヒャク!!
「しかばね」みたいで縁起悪そうな名前
たくさんのコメントありがとうございます。
意外と乗った思い出のある方が多くて、びっくりしました。
当時の状況色々聞けて、とても貴重です!
懐かしいです。走って当時間々田に住んでいて、当時から鉄道が好きで、つくばねが停車している時は、良く見に行ってました。あのグリーン車は憧れでした。
保育園の時、上野まで母親と一緒に行きそこから急行つくばねに乗って母方の田舎の岩瀬まで一人で行っていた。つくばねが廃止されてからは、小山での乗り換えを間違えないように必死に車内放送に耳を傾け水戸線への乗り換えをしていた。懐かしい動画ありがとうございました。
急行『つくばね』サボ、2種類持っています。
一枚はグリーン車自由席用ですが、普通車と区別するためか、指定席と表示されています。
懐かしい。当時時刻表にも貨物線を通過するため小山駅は通らないというような記述があったと思います。
昔沿線の蓮田に住んでました。この急行列車は知名度が低くて懐かしいですね。ヘッドマークもついていなかったし…。東北本線は特急街道と言われるくらい特急・L特急・寝台特急の他、これを補完する急行・夜行急行・準急まで走っていました。
でも急行列車は国鉄の赤字による増収対策による特急への吸収消滅で餌食になり、留めは東北新幹線の暫定開業で在来線特急の大幅減便挙げ句の果廃止で東北地方の主だった特急停車駅も軒並み廃れてしまいました。
かつては急行停車駅でも駅弁が売られていた時期もあり、風情をかんじますが現在は早く到着出来る利便性を享受出来た分、何か大切なものを失った様な寂しさを感じます。
急行つくばねは急行上野勝田間の運用だけでなく、小山勝田間の普通列車としての運用もありました。
小学生の頃、下館駅から新治駅までの一区間乗ってサッカーの試合に行くときに、小山方面から走ってきた列車がつくばねで使用している列車で当然グリーン車も連結されてました。グリーン車は営業されていたのかは記憶がありませんが、チームメイトの鉄道マニアはこの運用に歓喜しておりました。一区間とは言え乗れた事が嬉しかったようです。同時間帯に本家つくばね号は下館8:35発上野行きとなっていたと記憶しています。
母親の実家が岩瀬だったので盆と正月にはお世話になりました。上野から乗るときは始発なので家族そろって席が取れましたが帰りはバラバラでした。かなり人気のある列車だったんだと思います。
久喜に停まってくれた時期があり、ありがたく乗ったことがあります。古河にも停まり茨城県東西を乗り換えなしで結ぶ貴重で便利な列車でした。紅白の梅を連想させる色もよかったです。
田舎が下館なのでよく利用していました。
懐かしいですね、自分も昔サボを撮った思い出があります、上野発着の急行列車が最後の勇姿を見せていた時代ですね。
小山駅には停車せず、駅付近の短絡線を通過していた場面が最大の見せ所だった。
間々田短絡線は海水浴臨時電車「かわらご」でも通りました🍀
急行「つくばね」の編成は常磐線「ときわ」と同じ🚃
この当時の東北本線7両編成の急行「まつしま」「いわて」はビュッフェを連結してる☕
ちなみに「つくばね」は全車自由席、グリーン車も自由席でした🎵
赤羽に住んでたので、この色の列車はたまに見かけました。湘南色や横須賀色とは違う色合いが結構好きでした。まだ幼稚園生だった頃は黄色いDC編成の急行も走ってました(いいで?)。さよなら記念切符は同時廃止の列車とまとめ手のものだったと記憶してます。いい時代でしたね。
今とは違って、色々な車両が走っていたので、駅に行って眺めてるだけで、飽きない時代でした。
小山での階段を使っての乗り換えが不要になるので便利でした。さらに時間帯も夕方のラッシュを避けて運転されていたので水戸線沿線到着が非常にいい時間帯でした。忘れられない急行電車です。
うわぁ、懐かしいです。
あたしも子供の頃だったので、乗りたい列車でしたがお小遣いでわとても乗れなくて何度も親におねだりしましたが、ふざけるな!と怒鳴られて乗せてもらえませんでした。
両毛線沿線在住なので、わたらせわ東京の親戚へ行く時に乗せてもらいました。
あと、夏休みに海水浴に行った時に、帰りだけ大洗デメラルドという12系客車の臨時に乗せてもらいました。
わざわざ大洗から間々田まで乗せてもらって、東北線で小山に戻り、両毛線で帰ったのを覚えてます。
おかんに面倒な回り方させて、まったく!なんて文句言われながら乗りましたが、つくばねと同じルートで水戸から間々田まで乗れたのわ嬉しかったです。
「大洗エメラルド」
EF80が引退する直前に、新治→岩瀬の沼で撮ったら、ラストナンバーの63号機がやって来たのが懐かしい。1985年の真夏のこと。
結構時間ギリギリになってしまい、岩瀬からタクシーを飛ばしたのも懐かしい。
つくばEXPO85開催中の多客輸送力確保のために、田端機関区EF80や勝田電車区401系(低運転台の初期車含む)が最後のご奉公をしていた頃(401系のうち、1966年に余剰電装部品の活用で製造されたロットだけは、その後しばらく残った)。
現在小山の貨物短絡線は動画内でも紹介があったように、軌道は撤去され、空き地どころか住宅も建っています。当時の遺構を探すことが徐々に難しくなっています。
そういえば、家も建ってたかもですね。意識して見ないと街に溶け込んでいってますね。
名鉄の新鵜沼短絡線跡も、家が建ってしまいました。
全国各地の短絡線跡も、市街地かどうかで、様々な運命になっているようですね。
私も小学生時代に結城から上野まで乗車いたしました。本当に懐かしい急行電車ですね。余談ですが、私の知っている方が(水戸駅長をされた方です。)、国鉄時代にこの「つくばね」の車掌をされたことがあるそうです。ところで現在の水戸線は当然普通電車のみでしかもワンマン運転です。時代の流れなんでしょうか。
水戸線沿線(笠間以西)の住民にとって、つくばね号は東京方面へ行く時は非常に便利な列車でした。上りは朝の8時頃に発車して、下りは18時以降に到着するので、ダイヤ設定もかなり良かったですね。指定席が無かったから下りのつくばねに乗る時は、上野駅に早く行って席を取る為に並んだ事を良く覚えています。
ちなみに間々田に停車したのは乗務員の交代の目的もあったようですね!
急行つくばねと筑波線岩瀬経由の水戸線は昔、子供の頃何度か乗りました。とてもなつかしいです
子どものころ、大宮駅でよく見ました。水戸に親戚があったので、次はこれで行ってみたいと思ってましたが、結局乗らずじまい。残念です。
グリーン車も自由度だったんですよね。
記憶は不確かですが、時刻表にも、小山に停車しないことが
記載されていたと思います。ひばりに乗っているとき、たまたま間々田に
信号待ちした時に、貨物線を確認できました。今はないんですね。
関東鉄道筑波線の列車が水戸線に乗り入れていた理由が、水戸鉄道管理局管轄の気動車が足りず、それを補填する為とナニかの文献で見ました。
関東鉄道とその前身の常総筑波鉄道は車両を国鉄の払い下げを買って運用しており、国鉄の気動車との相性も良かったのかも知れませんね。そんな時代って良いですよね。岩瀬駅に筑波線への連絡路が有ったのはそんな理由があったからと、知ったのは随分後になってからですが。
そうなんですか。意外な理由でしたね。昔の運用は変なところでフレキシブルですね。
国鉄時代の車両は、萌えまくりますわ。
急行つくばね号の映像大変ありがとうございました。また、急行つくばね号の編成の特長のひとつはグリーン車の連結位置が2号車になっている事ですね、他の東北急行は4号車がグリーン車の連結位置になっている事を考えるとこれは異色な列車ですね、また、グリーン車を含めて全車が自由席と言うのもつくばね号を利用する方からは気軽に安く利用できる事から大変喜ばれていて利用率も高かったんですね、また、この動画のところでもあったように急行つくばね号のもうひとつの特長として小山駅を通らない事でした。また、急行つくばね号のサボサイドボードの略した下のところに間々田経由の表示が有り小山駅に停車しない代わりに間々田駅に停車して間々田から水戸線の小田林までの短絡線を通って水戸線常磐線を通り勝田駅現在の茨城県那珂湊市勝田駅まで結んでいました。そして、この短絡線には直流1500ボルトから交流20000ボルトの交直デッドセクションの切り替えが有り国鉄の急行つくばね号はこの短絡線にある交直デッドセクションを通って水戸線に乗り入れて友部から常磐線に乗り入れていました。また、急行つくばね号は急行ときわ号現在の特急ときわ号と共通運用されていた水戸鉄道管理局勝田電車区略号水カツ所属の453系交直流急行型電車50ヘルツ用の7両編成で運用されていました。また、この動画のところの説明にもあった通り急行つくばね号が小山駅に停車できない理由のひとつとして小山駅の構内配線も大きく関係していました。そして、この異色急行つくばね号も東北上越新幹線が上野駅に開業した昭和60年1985年3月14日で廃止となりまた、この急行つくばね号が通っていた短絡線も同時に廃止されて今では当時の面影を見ることはできなくなってしまいました。貴重な映像を大変ありがとうございました。以上、
懐かしい!水戸線沿線に母親の実家があったので時々乗りました。
今やこういう末端線区から都心直通はみんな高速バスに取って代わられた感
益子町在住です。子供のころ「準急つくばね」に乗って東京に行った記憶があります、懐かしいですね。大学生時代には短絡線を走る「急行つくばね」に乗って帰省したのも覚えています。真岡鉄道も小山駅乗り入れができれば、うれしいなーーーー。とりあげていただいてうれしい限りです。
確かに行き先も経由地も地味だがなんか気になって夕方見に行ったりしたな
昔は間々田の短絡線も時刻表地図に載ってたね
小山駅周辺は交直デッドセクションが入り乱れて、455系がその性能を発揮していた様です。平成初期に小山駅手前のヤードの端に単線の廃線跡を見て、「つくばね」の通過線とすぐに気づきました。
入り乱れてってなによ?
小田林との間(短絡線合流後)にあるだけだろ?
懐かしい!
子供の頃に東京へ行く時に、何度かお世話になった列車です。
水戸線唯一の急行車両、小山の短絡線を通った記憶も鮮明に残っています。
水戸線内でも、急行車両の普通列車が走ってたことありますよ。しかも、グリーン車も開放していて、乗ったことありますよ。
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おぉ、そうなのですか。
水戸線でそういう列車にはついぞ巡り会えませんでした。
利用してみたかったです。
列車名は記憶にあったけどこんなルートだったとは知らなかったです。
特急列車を補完しながら各支線へ直通運転列車を設定する当時の国鉄に敬意を表します。
地平ホームに東北・常磐方面の速達列車がずらっと並んでいた光景は、今でも思い浮かびます。
電車化された当時は仙台所属の6両編成が使用され、4両目がグリーン車でした。途中から勝田所属の7両編成に変わりました。因みに早朝の勝田小山間を走る1往復はつくばね編成が使われていました。
この早朝の列車は確かグリーン料金不要でしたよね。
当時の時刻表ありがとうございました 電車化されたあとも 茂木発小山行DCが結城駅で接続していたのが判ります 確か小山発茂木行も接続していたはずです 直通は無くなっても動線は残っていたのですね
高校生時代に通学で乗っていました。普通列車区間でもグリーン車はグリーン券が必要でしたよ。
小学生の時によく乗ったなぁ。その頃は4両編成だった。湘南色の急行車両の路線だったから唯一違う色でくる「つくばね」が大好きだった。
路線上の始発駅である駅を通らない列車はレアです。
つくばねは水戸線に運用された唯一の優等列車です。
結城以東は普通列車として運転されていたのを記憶しています。
栃木県真岡の人間です。たまに真岡線から下館、小山経由で東京へ行く時に下館駅で急行つくばねを見ました。立ってるお客さんかなりいたような記憶あります。当時はガキで急行なんて夢の世界でした。子供には敷居の高い電車でした。乗ってみたかったです。
田舎が、下館だったので、里帰りの際、よく利用しました。
「つくばね」という列車は関東鉄道(常総筑波鉄道?)でも線内の急行列車で存在していたみたいです。
宮脇俊三先生は国鉄完全乗車の際に、小山駅の渡り線に乗りたくて敢えてこの列車に乗ったと記されていました、今はもう乗りたくても難しいですね
近場にありながら、乗れなかったのが自分でも残念です
懐かしいなぁ…
アップありがとうございます😊
次は、海水浴臨時電車『かわらご号』も、是非とも取り上げて下さい!
短絡線上にホームがあったり、寝台特急が通過したりする折尾の様な派手さは無かったけど、ザ・短絡線という感じでしたね。
懐かしい列車をありがとうございます。
幼少時に下り「つくばね」に乗った事がありましたが 確かに下館辺りまではお客さんも多く乗ってました。
今でも「快速」または「特急」として走っていたら もしかしたら利用も見込めるかもしれませんね。
記憶違いかもしれませんが
筑波線からの直通列車も一時期「つくばね」を名乗っていた時期があったと古い資料で読んだ記憶があります。
国鉄気動車に併結されて 小山・笠間へ直通していたのは 常総筑波鉄道自慢のキハ800(804・805)で 空気ばね台車で 国鉄車よりもハイグレードな車でした。
私鉄ストで筑波線が運休していても 乗り入れ区間だけはいつも通り国鉄車と併結して走っていたそうです。
453系の車両、懐かしいです。帰省の時、急行『いわて』『まつしま』『もりおか』で乗りました。『つくばね』は、小・中学生の時、よく見かけました。結城の字が読めず、地図で調べた記憶があります(笑) 今なら、小旅行で乗りたい列車です。
何だかんだで、急行が充実していた時代でしたね。
当時、遠くに帰省することがなかったので、急行や特急で帰省する人に憧れてました。
453系つくばね で使用された車両は勝田電車区ではなく 仙台運転所の車両です。又
勝田~結城間はグリーン車も普通車扱いでしたのでグリーン券は不要でした。
てっきり「ときわ」との共用運用かと思ってました。仙台だと「まつしま」とかですかね?
仙台の6両編成でしたが、確か53.10改正で勝田の7両編成に移管になりました。間違ってたらごめんなさい。ちなみに、高校3年間つくばねで通学してました。水戸線朝7時代はこのつくばねしかなく、酷い混雑で乗降に時間がかかり何で急行車両を使用するのか、みんな腹が立ってました。
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合ってます。
地元が下館駅なのですが、一度でも良いので乗ってみたかったです。
遅くても59.2までかと思っていたら、新幹線上野開業の60.3まで生き残ってたんですねえ。
急行まつしま+ばんだいといった長距離急行と違う、やたら短い列車は大宮辺りでは異色でした。
その短い編成も今や当たり前、というか地方では2両編成特急とか見ると、少し寂しくはありますね
昔、下館まで乗ってました‼️
そういえば
友人でこんな人が
短絡区間に乗りたいために上野5:55発仙台行に乗り、友部でその列車に乗り換え、短絡線に入ったところで…
急行に変身中、踏切で自動車と衝突してしまい現場で列車を降ろされ、
その後乗らぬまま廃線になったそうな(涙)
確かに
小山⇔茂木 小山⇔筑波 勝田⇔桐生など
本当に この時代は良かったです。
レトロな駅舎もまだまだ 綺麗な駅舎も
改築された駅舎も つくばね号の特集は
ありがとうございます。
終夜運転は 小山⇔笠間間に置いて
帰りは 笠間⇒下館(時間調整の為)⇒始発⇒小山ってありましたね
普通列車区間があるから、グリーン車は自由席にしてたのかな。
笠間に母の実家があったので、つくばねに乗りたいと何度もせがみましたが、下りは笠間着が遅く、上りは笠間発が早いという理由で一度も乗らずに廃止されてしまったのが残念です。その代わりと言っては何ですが、急行ときわは電車・気動車どちらも何十回と乗り、今でもよく覚えています
急行のグリーン車、懐かしいわぁ🤣
グリーン車で指定無しの自由席ってこと?
そういうこと。急行の場合、普通車全部自由席+グリーン車も自由席、普通車全部自由席+グリーン車指定席、普通車一部または全部指定席ならグリーン車も指定席と、様々な列車がありましたね。俺はこのつくばね号には、縁がなかったんですが、近鉄特急の中川短絡線みたいなもんだなという印象があったので覚えていました。
懐かしい列車に、スポットを当てて下さり、有り難うございます。
急行で乗ることはなかったのですが、水戸線内の普通列車区間を利用しました。小山まで行くのに、結城で乗り換えるのが面倒でしたが、何かリッチな気分になれた列車でした。
あの頃は🎵ハァ‼️複雑だ❗
結城住みです。当時は真岡線も直通運転して小山駅まで来てました✋
そうでしたね。小山直通は確か3両編成だったので、通勤時間帯とかに当たると、すごく混んでた思い出があります。
朝のラッシュ時にはキハ20系の6両編成でした。
当時は小田林と東結城はホームが4両分しかなく6両編成の気動車列車は前2両はドアカットしてましたよ。
小山駅発車時に小田林と東結城で降りる方は後寄り4両をご利用下さいとアナウンスがありました。
@@yuukiududhino ちなみに駅の名前は「おだばやし」そこの地名は「おたばやし」間違えてしまったんですかね(笑)
大宮鉄博で展示されているものと同型の首都圏色キハ10系が記憶に残っています。
今だったら大回り乗車で楽しめそうですね^^
待っていました。結城市民なので、興味深いです。短絡線をガキのころ、親父の実家が、野木町だったので、よく、見に行きました(^-^)
この当時の急行以下の列車は普通とグリ-ンのシ-ト格差が凄かったからなあ
急行・つくばね、水戸線経由で上野・勝田間を走っていたのですね?
急行列車の車両が453系、私の知るかぎりでは、急行・まつしま、ばんだい、いわて?など、私の地元を走っていた急行列車の車両かと思っていました。
名前は聞いた事がありましたが、常磐線直通だと思っていました。
東北本線系統の急行とは、違う編成ですよ。
両数とグリーン車の位置が、全然違いますね。
さとちん さん、失礼しました。
急行型453系は好きな電車なので、コメントしました。
つくばね号は、つくば万博があった1985年に廃止されたのは残念。万博会場の駅を経由しなかったとは言え、万博と名前が似ているし残してほしかった列車だ。
間々田過ぎると右手に木の架線柱が分かれますが、あれですね。
水戸線は奥深くて、80年頃まで荷物車付き客車列車が走っていたり、工場引き込み線があったり、両端の小山石岡とも広い構内だったりして、高度成長期を彷彿させる、いい路線ですよね
それ以外にも臨時列車や回送列車など、普段見ない車両がよく通ったりしていて、当時は色々見に行きました。
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石岡は鹿島線だった。すいません。友部だ。いいわけさせてもらうと、赤塚友部石岡、雰囲気似てません?
もう、連絡線も消滅しちゃいましたね。サロの冷房がau12ですなあ。
冷房装置といえば、今は屋根がすっきりしてるものが多く、何か物足りない気がするのは自分だけかな
青い古い列車で、ドアが自動で閉まらないものがありました。
走るときに先頭車両からカチンガチンと音がしてきて、走るときに衝撃がかなりあるものでした。
急行つくばね、懐かしいです。
母親の実家が岩瀬だったので、幼少期の帰省に両親は、いつもつくばねを利用していました。
都内に戻る時も、朝のつくばねでした。
実家が茂木だったので幼い頃に準急時代のつくばね号に乗りました。急行色のキハ55でしたね。(当時コント55号が人気だったので忘れません。)
上りは茂木から真岡は普通列車と併結だったので前の2両に乗りました。
下館で真岡線はスイッチバックで併結は構造的に無理なので結城駅で待ち合わせで勝田方面からと併結していたように思います。
下り列車は上野駅では茂木行きは後ろの2両に乗った記憶です。
茂木〜上野直通は今では夢のようですね。
水戸線内 普通列車なんだよね
まあ大宮とか東北線内に行くのには便利 当時岩槻に祖母が住んでいたからね 登録します
どこ通るねん!でフイたっ💦
急行つくばねは、父方の田舎が、旧大和村(現在は、岩瀬町、真壁町と合併して桜川市。水戸線に大和駅がありますが、つくばね運転当時は、ありません)にあったのでよく乗車しました。東京に住んでた私は、1984年の大晦日につくばねで、父と田舎へ行きました。その時、乗車中デッキでラジカセ持って間々田から岩瀬まで録音しました。短絡線を通る音をとりたかった為です。今で言う音鉄と言う奴です。しかしです!
その貴重なカセットテープを親に
捨てられてしまい当時、中学生だった私は、大変ショックでした。今、残ってれば大変貴重だっただけに残念です。覚えてるのは、間々田駅で駅員の放送があり、小山には行かない、と何度も放送してました453系、MT54モーター音もばっちし録音されてたのに、非常に残念です。UA-cam登録名も、大好きだったのでつくばねの名前にしてます。
1980年の夏、夕刻、小山駅構内で停電があり、水戸線利用者を間々田まで東北線上りで誘導し、間々田駅から急行つくばね号への振替乗車をした事がありました。
自分の記憶と違う、、って思って調べたら
つくばね1711M/1712Mの編成は仙セン受持やないか
53年9月の段階やったら
1102Mあづま1号で上野到着後につくばねで水戸往復して
1109Mまつしま5号で仙台に帰る運用
ときわ担当の勝田電車区は一切関係ないやないか
人に見せるんやったらきっちりリサーチせなアカンわ
1978(昭和53)年10月(2日)ダイヤ改正で、「つくばね」は勝田電車区に移管されている。
ありがたいありがたい。感謝、感謝です(´っ・ω・)っ
謎のルートですね 普通に勝田へ行くのならば常磐線を使えばいいだけですし、やはり水戸線沿線の方々が直通になるというのが肝なのでしょうか。
水戸線って交流電化区間だったの❓
小山(DC1.5kV) - 小田林(AC20kV - 50Hz)に交直デッドセクションがあります。
常磐線の取手(DC1.5kV) - 藤代(AC20kV - 50Hz)のものと同じもん。
途中駅の福原駅が、柿岡地磁気観測所から真北に約13kmしか離れてませんから、
水戸線は交流にするしか無いわけですね。
@@user-mi1wk3ms1z あるいは、関東鉄道のように非電化、気動車で。
土浦発で水戸線・・・え?友部でスイッチバックしてたのか???
って思ったら筑波線・・・あったなぁw
あれ、でも筑波線の廃線跡を見る限りだと、
岩瀬でスイッチバックしないと水戸線には乗り入れられないような???
古河駅に はじめて準急が停ま
るので
あのねのね
「つくばねの唄」ね。
嘉門達夫がカバーしていましたね。
水戸線がトラムにならないかなとちょっと思っている。小山下館間だけでも。
ドゥワァ!センナナヒャク!!
「しかばね」みたいで縁起悪そうな名前