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チャンネル登録お願いします🙏ホントにお願いします(泣)2021年1月10日追記 チャンネル名変更しました、ずっと探していた人、申し訳ございませんでした(泣)
能登半島地震で被害に遭われた方々にお見舞い申し上げます。
金沢ー蛸島よりも金沢ー大阪のほうが所要時間が短かったりしたのな
国鉄時代の七尾線には、名古屋から高山線経由で夜行で金沢にやってきた「のりくら9号」が更に折り返して珠洲行きとかあったからな。津幡に2回停まる列車でした。遅れると金沢にいかずに直接七尾線に入った事もあったそうです。
その「のりくら9号」で使われた車両は、間合い運用で急行「能登路8号」の運用で金沢のキハ58と併結することがあったようです。そしてこの「能登路8号」、普段は普通列車と併結。延長運転が行われる日は設備が変わってしまい、普段はモノクラス編成で運転されるのに、延長運転の日はグリーン車が付くのです。流石に日によって料金が違うのはマズイと判断したのか、なんとグリーン車を無料開放するというとんでもない列車でした。
金沢駅0番線ホームを黒煙と爆音をたてて走り去る雄姿🚋😲 今も内浦走っていたらねえ🙄
能登半島に向かう急行で確か高山線の急行のりくらに併結されて運転したやつもあったような…
今思うと金沢から能登半島へ1本で行けるってスゴイこと
輪島の自動券売機では蛸島のボタンがありませんでした。しかたなく有人窓口で蛸島まできっぷを買ったことを覚えています。のと鉄道に転換した後のことでした。
昭和50年代前半はそこにゆのくにやのりくらやしらゆきのアルバイト車輌も入る。つまり金沢局、大阪局、名古屋局、秋田局のキハ28、キハ58が走った。冷房付き、非冷房やキハ55も入って当たりハズレの差がある急行列車でした。
各局の車両に違いはあったんですか?
秋田局の車輌は基本グリーン車以外は非冷房でした。それから七尾線直通ゆのくには長野局と大阪宮原の車輌もありました。これは全車冷房付きでした。
30年前、自動車運転免合宿で七尾で約3週間過ごしたあと大阪に帰る時に能登路に乗りましたが、一部ロングシートの部分があり、「え~?急行やのにロングシートがあるやんかぁ~」と思いました。後に遜色急行と言う言葉を知り、この時の思い出が甦りました。
能登路って長くて輪島珠洲分割8両だったイメージ。5号は確か悲惨なことあったな
古君~鵜川間で折からの長雨で緩んだ線路の築堤が崩壊しての転落事故ですな>悲しい事柄
現在は特急「能登かがり火」に加え、「サンダーバード」の1往復がそのスタンスをかろうじて受け継いでいます。
道路網未整備、線路容量不足、限られた車両数~が原因の神ダイヤ。苦肉の策でもある。
遜色急行能登路5号も忘れられない存在だった
急行能登と能登路を乗り間違えたことある奴↓(笑
実は能登も14系の時代に七尾や輪島に臨時で乗り入れた事があります。七尾までは14系座席車·寝台車8両そのままで、輪島へは寝台車3両と座席車(オハフ15)1両で。この為に4号車オハフ15の向きが変えられました。
へー。そんなことがあったんですね。乗り間違えても能登方面に行けた訳だ(笑
急行能登路といえばシートを0系新幹線の転換クロスにし、車内でビデオを上映した「ロマンスカー」がありましたね当時の鉄道ファン誌で紹介されてました
一度でいいから能登路に乗ってみたかったなぁ…
末期は確か415系で1本運転していた気がしますね🚃
国鉄の時代の列車ってカオスな奴多いなぁ…
電車能登路を見たかった
この列車には急行券が必要です、と聞いて乗るのをやめた人、急行と知らずに飛び乗り車掌に請求されてしぶしぶ急行料金を払った人、御愁傷様の一言です。
能登路5号が415-800で運転してた
76年の夏に実際乗った☺️行きは輪島まで、バスでうろうろして珠洲から金沢に戻る👍往復「能登路」だけど、能登線の上りは普通列車でも穴水か七尾から急行になるよ👍キハ58系車両の宝庫だったな😁(笑)
なお、上野(上りは大宮)からの往復は急行「能登」、客車列車でA寝台、B寝台(3段?)、グリーン車、普通車の編成で、下りは普通車全車自由席(5両)上りは普通車の内2両が指定席になった。経路は長岡経由、当時は急行「越前」も運転しててそちらは長野経由でした✨下りはめちゃくちゃ混んでたけど、どさくさ紛れに座れた☺️いい思い出だよ👍
能登路を取り上げたのは良いと思いますが正直今回扱った84年頃のこの列車に迷な部分はありませんね
動画にできそうなネタをあげると、64年に能登路に統合される以前の七尾線準急群「そそぎ」「つくも」「へぐら」各列車の概要とか、七尾線電化後の和倉温泉発着列車に415系が使われた話とかでしょうか
ご意見ありがとうございます!
こんにちは。編集の凄さに感服しました、、、是非とも後編を楽しみにしてます!1万回を超えましたね!北陸へ時たまくるのでとても興味があります!これからも頑張ってください
ありがとうございます!がんばります!
かつては大阪からの「ゆのくに」や名古屋からの「のりくら」もまぜこぜにしたカオスな運用をやってたな(「ゆのくに」の場合グリーン車込みの編成は下りは珠洲行に、上りは輪島発に繋がってたり)。さらに七尾線電化で失業したキハ58系は播但線に移動したり。因みにこの動画での「能登路9号」がディーゼル「ゆのくに」の末裔だったりする。
結構すごいスジですね(笑)
@@skiptrein3508 確か、珠洲に着いた列車はそのまま折り返しの金沢行き最終普通列車になって、翌朝の「能登路1号」で輪島に行った後、折り返しで大阪行き「ゆのくに」になってたな。
異なる愛称を連結したカオスな運用。かつての急行「わかさ」2号+「丹後」8号もその一つでした。まず「わかさ」2号として9時17分に敦賀3番線を発車、次に西舞鶴2番線で城崎発宮津線経由の「丹後」8号を出迎えて併結し、綾部でスイッチバックした末最終的に京都へ12時59分に到着するという段取りでした。
急行[能登路]、実に楽しそう!!
上り列車もぜひお願いします!
1万再生行ったら上りと概要欄に書いてあったがそれはどこへ?
分割併合や、種別変更はかつての地元(東北地方)ではそれほど珍しくはないですが、能登路7号のケースは面白いですね。これからの動画も楽しみにしています~。m(_ _)m
ありがとうございます!!がんばります!
確かに七尾で、普通↔急行に変わる列車が有ったね。by和倉温泉駅沿線住民
この当時の“急行能登路”に、旅行で乗りましたが…急行車輛も普通車輛も、共通の同じディーゼル車を使用していた記憶があります。そして、有料の急行では冷房を使用し、普通の場合は冷房無しで窓が開けられていました。このように使い分けされていたようです。
なお現在の敦賀地域鉄道部にいたキハ28・58形は1980年10月の段階では既に冷房化を完了していましたが、その後1982年には非冷房のキハ40形3両、キハ48形5両を新製配置したほか、1984年には七尾から同じく非冷房のキハ28 65・66の2両と郡山からはキハユニ26 56をそれぞれ迎え入れました。この際にキハ20 396・399は運用から外れたそうです。さらにJRになってからはキハ28・58形を6両ずつ近郊化改造する工事が実施され、この際に洗面台は撤去されただのフリースペースとなってしまいました。一連の近郊化改造を受けた敦賀在籍車両の内訳は以下の通りです。キハ28:2088・2166・2317・2327・2411・2412キハ58:200・437・538・559・679・682
415系の話は?
そんなにカオスでもなくない???
この列車よりもカオスなダイヤがあるのであれば是非教えて下さい!
新幹線開業前の東北の気動車急行に比べたらねぇ…
突っ込みが過労死しそう。
チャンネル登録お願いします🙏
ホントにお願いします(泣)
2021年1月10日追記
チャンネル名変更しました、ずっと探していた人、申し訳ございませんでした(泣)
能登半島地震で被害に遭われた方々に
お見舞い申し上げます。
金沢ー蛸島よりも金沢ー大阪のほうが所要時間が短かったりしたのな
国鉄時代の七尾線には、名古屋から高山線経由で夜行で金沢にやってきた「のりくら9号」が更に折り返して珠洲行きとかあったからな。
津幡に2回停まる列車でした。
遅れると金沢にいかずに直接七尾線に入った事もあったそうです。
その「のりくら9号」で使われた車両は、間合い運用で急行「能登路8号」の運用で金沢のキハ58と併結することがあったようです。そしてこの「能登路8号」、普段は普通列車と併結。延長運転が行われる日は設備が変わってしまい、普段はモノクラス編成で運転されるのに、延長運転の日はグリーン車が付くのです。流石に日によって料金が違うのはマズイと判断したのか、なんとグリーン車を無料開放するというとんでもない列車でした。
金沢駅0番線ホームを黒煙と爆音をたてて走り去る雄姿🚋😲 今も内浦走っていたらねえ🙄
能登半島に向かう急行で
確か高山線の急行のりくらに併結されて運転したやつもあったような…
今思うと金沢から能登半島へ1本で行けるってスゴイこと
輪島の自動券売機では蛸島のボタンがありませんでした。
しかたなく有人窓口で蛸島まできっぷを買ったことを覚えています。
のと鉄道に転換した後のことでした。
昭和50年代前半はそこにゆのくにやのりくらやしらゆきのアルバイト車輌も入る。
つまり金沢局、大阪局、名古屋局、秋田局のキハ28、キハ58が走った。
冷房付き、非冷房やキハ55も入って当たりハズレの差がある急行列車でした。
各局の車両に違いはあったんですか?
秋田局の車輌は基本グリーン車以外は非冷房でした。
それから七尾線直通ゆのくには長野局と大阪宮原の車輌もありました。
これは全車冷房付きでした。
30年前、自動車運転免合宿で七尾で約3週間過ごしたあと大阪に帰る時に能登路に乗りましたが、一部ロングシートの部分があり、「え~?急行やのにロングシートがあるやんかぁ~」と思いました。後に遜色急行と言う言葉を知り、この時の思い出が甦りました。
能登路って長くて輪島珠洲分割8両だったイメージ。5号は確か悲惨なことあったな
古君~鵜川間で折からの長雨で緩んだ線路の築堤が崩壊しての転落事故ですな>悲しい事柄
現在は特急「能登かがり火」に加え、「サンダーバード」の1往復がそのスタンスをかろうじて受け継いでいます。
道路網未整備、線路容量不足、限られた車両数~が原因の神ダイヤ。苦肉の策でもある。
遜色急行能登路5号も忘れられない存在だった
急行能登と能登路を乗り間違えたことある奴↓(笑
実は能登も14系の時代に七尾や輪島に臨時で乗り入れた事があります。七尾までは14系座席車·寝台車8両そのままで、輪島へは寝台車3両と座席車(オハフ15)1両で。この為に4号車オハフ15の向きが変えられました。
へー。そんなことがあったんですね。乗り間違えても能登方面に行けた訳だ(笑
急行能登路といえばシートを0系新幹線の転換クロスにし、
車内でビデオを上映した「ロマンスカー」がありましたね
当時の鉄道ファン誌で紹介されてました
一度でいいから能登路に乗ってみたかったなぁ…
末期は確か415系で1本運転していた気がしますね🚃
国鉄の時代の列車ってカオスな奴多いなぁ…
電車能登路を見たかった
この列車には急行券が必要です、と聞いて乗るのをやめた人、急行と知らずに飛び乗り車掌に請求されてしぶしぶ急行料金を払った人、御愁傷様の一言です。
能登路5号が415-800で運転してた
76年の夏に実際乗った☺️
行きは輪島まで、バスでうろうろして珠洲から金沢に戻る👍
往復「能登路」だけど、能登線の上りは普通列車でも穴水か七尾から急行になるよ👍
キハ58系車両の宝庫だったな😁(笑)
なお、上野(上りは大宮)からの往復は急行「能登」、客車列車でA寝台、B寝台(3段?)、グリーン車、普通車の編成で、下りは普通車全車自由席(5両)上りは普通車の内2両が指定席になった。
経路は長岡経由、当時は急行「越前」も運転しててそちらは長野経由でした✨
下りはめちゃくちゃ混んでたけど、どさくさ紛れに座れた☺️
いい思い出だよ👍
能登路を取り上げたのは良いと思いますが正直今回扱った84年頃のこの列車に迷な部分はありませんね
動画にできそうなネタをあげると、64年に能登路に統合される以前の七尾線準急群「そそぎ」「つくも」「へぐら」各列車の概要とか、七尾線電化後の和倉温泉発着列車に415系が使われた話とかでしょうか
ご意見ありがとうございます!
こんにちは。
編集の凄さに感服しました、、、
是非とも後編を楽しみにしてます!1万回を超えましたね!
北陸へ時たまくるのでとても興味があります!これからも頑張ってください
ありがとうございます!がんばります!
かつては大阪からの「ゆのくに」や名古屋からの「のりくら」もまぜこぜにしたカオスな運用をやってたな(「ゆのくに」の場合グリーン車込みの編成は下りは珠洲行に、上りは輪島発に繋がってたり)。さらに七尾線電化で失業したキハ58系は播但線に移動したり。因みにこの動画での「能登路9号」がディーゼル「ゆのくに」の末裔だったりする。
結構すごいスジですね(笑)
@@skiptrein3508 確か、珠洲に着いた列車はそのまま折り返しの金沢行き最終普通列車になって、翌朝の「能登路1号」で輪島に行った後、折り返しで大阪行き「ゆのくに」になってたな。
異なる愛称を連結したカオスな運用。かつての急行「わかさ」2号+「丹後」8号もその一つでした。
まず「わかさ」2号として9時17分に敦賀3番線を発車、次に西舞鶴2番線で城崎発宮津線経由の「丹後」8号を出迎えて併結し、綾部でスイッチバックした末最終的に京都へ12時59分に到着するという段取りでした。
急行[能登路]、実に楽しそう!!
上り列車もぜひお願いします!
1万再生行ったら上りと概要欄に書いてあったがそれはどこへ?
分割併合や、種別変更はかつての地元(東北地方)ではそれほど珍しくはないですが、能登路7号のケースは面白いですね。
これからの動画も楽しみにしています~。m(_ _)m
ありがとうございます!!がんばります!
確かに七尾で、普通↔急行に変わる列車が有ったね。
by和倉温泉駅沿線住民
この当時の“急行能登路”に、旅行で乗りましたが…
急行車輛も普通車輛も、共通の同じディーゼル車を使用していた記憶があります。
そして、有料の急行では冷房を使用し、普通の場合は冷房無しで窓が開けられていました。
このように使い分けされていたようです。
なお現在の敦賀地域鉄道部にいたキハ28・58形は1980年10月の段階では既に冷房化を完了していましたが、その後1982年には非冷房のキハ40形3両、キハ48形5両を新製配置したほか、1984年には七尾から同じく非冷房のキハ28 65・66の2両と郡山からはキハユニ26 56をそれぞれ迎え入れました。この際にキハ20 396・399は運用から外れたそうです。
さらにJRになってからはキハ28・58形を6両ずつ近郊化改造する工事が実施され、この際に洗面台は撤去されただのフリースペースとなってしまいました。
一連の近郊化改造を受けた敦賀在籍車両の内訳は以下の通りです。
キハ28:2088・2166・2317・2327・2411・2412
キハ58:200・437・538・559・679・682
415系の話は?
そんなにカオスでもなくない???
この列車よりもカオスなダイヤがあるのであれば是非教えて下さい!
新幹線開業前の東北の気動車急行に比べたらねぇ…
突っ込みが過労死しそう。