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ジョーダンはヤマハと決別後、ハートエンジンとの2年間で時折表彰台近くの上位を争って表彰台を獲得したりポールポジションを獲得したりと大躍進!一方別れたヤマハはティレルと契約してジャッドのエンジンをベースにしたエンジンを投入し低迷した中でティレルに最後の輝きを見せる躍進…右京さんにとってのキャリアハイにも貢献しました。それぞれが組んだ時は地獄を見たけど、その経験があってこそお互いに強くなれたのでしょうね!
明らかに91年と同じくフォードHBV8エンジンだったら素晴らしい成績残せたと思う
エンジンがゼテックRなら更なる躍進が期待できたかも。チェザリスがトップスピードが足りないと漏らしていたから。
@@スーツインナーゼテックRが登場したのは94年だから無理。
でももはや資金的にフォードを乗せるのは無理だった。前年の負債もヤマハに払ってもらったわけだし。
チーム資金が豊富だったらなあ、、、あと、セミワークス契約でも何とかならなかったのか?
モデナ、グージェルミンは良いドライバーだったよ。可哀想
この2人の体制発表で、驚きとガッツポーズが出た、遠き日の思い出…。
モデナはティレルホンダ時代に、モナコでセナの隣のフロントローにいた事がありましたね。腕はあったと思います。
グージェルミンはレイトンハウスで 頑張ってた印象。
ジョーダン・ヤマハには期待をしてしまった一人でした…。当時はあんなに資金繰りが怪しいチームだという報道もなく、成長株だったモデナ獲得で優勝も望めるというような論調が多かったように覚えています。ただ、ジョーダンだけではなく、当時はヤマハもかなり迷走していたような印象です。
レイトンハウスでコンビだったカペリがフェラーリ、グージェルミンがジョーダンに移籍したんで、2人揃っての躍進を本当に期待したんですが・・・・・・。見事に2人とも最悪なタイミングでの移籍になってしまったのは本当に残念でした・・・・・・・・・・。
イタリア人カペリには待望のフェラーリ。時期が悪かった。モナコのリタイアは笑い者。
ジョーダンは、スバル以外の日本メーカーのエンジンを全て搭載した、珍しいチームでしたよね。
あっ、そう言えばそうですね。
そして月日は流れ、オーナーも名前も変わり再びホンダワークスに。
トヨタありましたっけ?
@@スーツインナー ジョーダンGPとしてのラストイヤーになった2005年のEJ15がジョーダン・トヨタです。
@@廃墟人間 ありがとうございます。
1991年、1992年のティレルとジョーダンを考えると、当たり拾ったのがチェザリス、ハズレを拾ったのがモデナでしたね。
本当それですね。モデナの大ファンだった私はチェザリスの運の良さに腹立ってました😅
@@近藤洋文-o9z チェザリスは世渡り上手なんです。F1でのクラッシュ多数。リジェ突然解雇も次には違うチームにいました。勝てなかったけど、渡り歩いて9チーム(最終的にはもっと)と古舘伊知郎がいったほど。さすらいの渡り鳥、マルボロマネー、お坊ちゃん。何せたいした怪我もなく終えた。今は故人ですが、鈴鹿のスプーンを攻める走りは見ごたえありました。一緒にいた友達があれは誰?とんでもなくはやい。チェザリスと言ったら笑っていました。攻めすぎて失敗するのかなと。僕はモデナも好きだけど、チェザリスもいいですね。
@@近藤洋文-o9z そうですね。チェザリスとモデナ対照的なドライバーで特にモデナ選手に対しての古館氏の「シャイで根暗のイタリアン」のフレーズが忘れられない(笑)
このマシンで一番印象的なのは、最終戦オーストラリアでのグージルミンの壁摺りブレーキングですね。うまく行かなかったシーズンを象徴するようなシーンでした。パワフルでも大きくて重く、発熱量が大きくて燃費も悪いV12エンジンはマクラーレンのようなビッグチームでさえ扱いに苦労してましたし、時代はもうV12じゃないんだな、と思わされたものでした。
ブレーキがトラブった感じでした。重い=長いストレートが多いアデレードではきつかったのかも。
チェザリスが、ジョーダンからティレルイルモアに移籍したあとコンスタントに入賞していたのを見てシャーシとエンジンのバランスが必須なんだなぁと思いました。ジョーダンはヤマハと組んだオフシーズンテストを見て、多分厳しいシーズンになるかも、と思ってましたが、案の定厳しいシーズンになってしまいましたね。モデナも走らないジョーダンで可哀想だなあと思ってました。
チームとしてはリアヘビーを空力でカバーしようと企んだけど、バランス悪すぎてフロントのダウンフォースを増やせなかった(アンダー出まくってコーナーで踏めないから)らしいですね。逆にティレルは後ろが軽くなって良くなったっていう。
チェザリは長いストレートで低迷中のフェラーリを片手ハンドルでバイザー剥ぎ取りながら、スリップストリームも使わずに、弱小チームのマシンを周回遅れにするように簡単にパス。パッケージングの匠なのかなと。
成績で見れば失敗だが、後のジョーダンを考えるとある意味では正解だったと思うここで有償エンジンを使って資金不足で撤退となれば本末転倒な訳だし特にエディジョーダンは余計な負債を抱える前に早々にチーム手放すだろうし
ヤマハエンジン搭載でエンジンが冷えない→エンジン回転数を抑える→スピードが出ない→スピードが出ない分ダウンフォースを得られない→ダウンフォースが得られないからコーナリングスピードが落ちる→結果、タイムが出ない。2年目のジンクスにはまってしまったクルマでした。
ガショーは、91年後半でジョーダンを不本意ながら解雇されたけど、ベンチュリーに移籍していなければこのマシンではモナコでの6位もまずなかったので、結果オーライだったと思う。
V12は良い所より悪い所が目立つ印象。
昔のドイツホッケンハイムとかの高速サーキットでは速く、曲がりくねったサーキットでは躊躇してましたね。フェラーリはハンドルのギヤ比変えたほど。5速→2速飛びシフトダウン可能なモナコオールドヘアピン用に備えたセミオートマ。マンセルかプロスト。1周目クラッシュ。様々やっていましたね。メゾネットウィングとか。
ホンダはV12にしてからダメになったし、フェラーリはV10にしてから常勝軍団になった。結局ウィリアムズが正しかったんだよね、ドライバーの起用方法はおかしかったけどw
その後V10で大幅な軽量化とパワーを両立しつつも信頼性を得ながらボアピッチを詰める技術(フォードCR-1エンジン)が出てきて業界標準になったので早期にV12にこういうブレイクスルーが起こっていたら結果がまた違ったと思う
カート・エリートだったS.モデナは、F1でもチャンピオン・マテリアルの一人だと思っていたので、この年のJodanは相当厄介な車だったんだなと当時思っていました。でも、デビュー1-2年目のJodanは、文句なくかっこいいアピアランスでしたね。エディが関係解消後に大きな愚痴を言わなかったことに、好感を覚えたことを記憶しています。
軽量コンパクトで成績を残したチームがメーカーワークスの重量級エンジンを積むと失速。この当時にはよく見られた光景ですね。
ブラバムにティレルにアロウズと、ヤマハの無償供給はかなり献身的なイメージが強い。ジョーダン以外はヤマハがいなくなった瞬間にひどいことになっているし。
ティレルとアロウズもヤマハとさよならしてから悲惨な結果に😱
ザクスピードのV8とこのエンジンまでは重量だけは軽いけどパワーと信頼性が足りてないかなって感じでかいのにアンダパワー・低信頼性じゃ話にならないよね
ブラバムもさようなら後に悲惨な結果に…
いやぁ…今までは買っていたコスワースすら買えない様になってどうしょうもなくなった印象。
まあ、無償エンジンに飛びつくチームの状況がいいはずないし当然っちゃ当然では…
1992年F1は全チームマシンが自然吸気式エンジンで新しくスタートした1989年から4シーズン目になりますが、ホンダとルノーだけが初めて挑戦して採用したV10エンジンが普及せずV8エンジンとV12エンジンのどちらかを選択するしか手段無かった事情も有りますね‼️🤗だからV8エンジンを搭載して成功したチームがV10エンジンを飛び越してV12エンジン搭載した難しさ弊害が出たって感じです。1989年からV12エンジンでスタートしたフェラーリとランボルギーニV12エンジン独占契約したラルース・ローラ、そしてV10エンジンで成功した後にV12エンジンでも成功したホンダとマクラーレンくらいでしょうか?良かったのは。もう1つ注目点としてジョーダンが初めて採用したシーケンシャル式ギヤシフトチェンジは、フットワークアローズもシーズン途中から採用しましたね‼️🤗シーケンシャル式ギヤシフトチェンジは、前↔️後でシフトレバー操作させるのでHパターン式よりも素早くギヤチェンジ出来るけれども飛ばしシフト(ギヤ段数を省略して一度にシフトダウンさせる事)が出来ないのが欠点でした。フェラーリやウィリアムズ、マクラーレンだけが採用するセミオートマチック式が普及するまでの暫定的なシステムがシーケンシャル式でしたね‼️🤗
リアヘビーになってしまうと、空力コンセプトはかなり違う物になってしまいますよね。そう考えると新興チームは資金面から…軽量、信頼性のパッケージングが最適解なのかな?と思います。私はアルファロメオに乗ってますが…直4です(笑)同じモデルでV6の4駆も有りますが…パーツ代も高額になります💧欲しい欲望と維持できる現実…2年目の躍進は伸るか反るか?の博打的な要素も有りますよね…。でも、7Upジョーダン見ていて爽快感の有る素敵な走りでしたね!と思う50代のオジサンです❤
この当時はとにかくマルチシリンダーエンジンが崇拝されていましたからね。確かにピークパワーやドライバビリティ面ではV10等よりも有利と思われていましたが その特性上どうしても避けられない“サイズ増大”の影響を補えるほどの恩恵はなかったようです。ルノーV10にヤラれ出したホンダも満を持してV12エンジンを投入しましたが 結果第二期黄金期を締め括る最後のエンジンになってしまいましたもんね。
この頃はフォードもV12開発してましたからねぇ。その技術をV8に転用したら大きな成果が出たので、やめたらしいですが
モデナはいいドライバーだったが、ことごとく選択を間違い続けた。
アンダーソンのクルマは綺麗なんですよねぇ。そのうち195と196の解説もお願いします。あれもパッとしなかったけど美しかった。
このマシンは処女作だったんです。だけどうまくいった。後からフォンドメタルのマシンも手掛けましたが、資金不足から鳴かず飛ばず。
ハセガワ1/24ジョーダン192YAMAHAを作っていますが結構綺麗ですよ。ただ実車ではジョーダン側とYAMAHA側の確執があったのですね。
90年代前半、ティレル・ホンダ020に見られたようなエンジンメーカーの変更によってバランスが崩れたマシンの一台がこのジョーダン192。軽量なV8のHBエンジンから、重厚長大なヤマハV12に乗せ換えたのにマシンコンセプトは前年のV8のままではうまくいかないのも必然のこと。それでも両者いがみ合いながらも撤退する、という最悪の結果は免れてどちらもその後躍進することができたのは幸運だったといえるのではないでしょうか?
あの頃のV12オンボードカメラの振動とかからするとHBV8が運転しやすいのかなと思ったりします。
最後に謝意を言えるところが商売上手なエディ・ジョーダンらしいな
192にイルモアV10あたりを積んだ世界線を見てみたかった
1991年のティレル・ホンダと似た過ちをしでかしてしまうジョーダン・ヤマハ…。1992年シーズンも最初からフォード・HB V8エンジンの1991年型にしておけばなぁ…。
まともに運転するのが難しいティレルホンダで2位表彰台をゲットしたモデナはすごすぎると思いましたね🏁ティレルが引き続きフォードV8エンジンを使っていれば中嶋さんはあと2〜3年ドライバー続けられたかも
のちにエディジョーダンが語ってますが、ここでヤマハの無償供給がなかったらチームは早々に終わってかもしれないと証言しているので、成績より資金面を優先したのだと思います
翌年まで我慢して、ヤマハエンジンを搭載する新シャシーを開発すれば・・・、でもV12はもうそのころには、時代遅れだったでしょうね。😥
モデナもホンダエンジンが仇になって、更にはジョーダンでV12が仇となり…あの91年モナコは完走してほしかったです。もしかしたら、セナに何かあれば優勝出来るかもしれないって思いながら中継見ていました。
まぁティレルにホンダエンジンが搭載されるのは『中嶋悟』というドライバーがいる&引退するという側面(商業的にも)がある以上は…
ジョーダンとヤマハ、両者にとっては屈辱の1年になってしまいましたね。特にヤマハの地元日本GPではフットワーク無限ホンダの鈴木亜久里選手にジョーダンヤマハのグージェルミンがバックストレートでオーバーテイクされてしまうというシーンもありました。余談ですが、その年のベルギーGPにてフジテレビがF1日本GP前夜祭の企画で有賀さつきアナがチームに肉じゃがを振る舞うという企画がありました。エディジョーダン始めドライバーやスタッフからも味は絶賛されて良かったみたいです(笑)。
その番組、覚えてます!肉じゃがを食べたエディ・ジョーダンが「アイリッシュ・シチューによく似てる」みたいな事を言っていて、アイルランド料理にも似たものがあるのか…と思いましたが、ジョーク好きの氏のことなので、本当かどうかは分かりません(笑)
V8エンジンを使って軽量コンパクトなマシンであれば低速市街地コースなどパワーサーキットでは無い所で性能発揮。対してV12エンジンを搭載する巨大ヘビー級のマシンは、イタリアのモンツァやドイツのホッケンハイム、イギリスのシルバーストーンなど超高速サーキットで直線番長的マシンに割り切っていれば勝てる場面あったのでは無いかと?やはりV8とV12の中間であるV10が、あらゆるサーキットに対応出来てオールラウンド的なマシン造りが出来る。V10に見切りを着けてV12に切り替えたホンダと最後までV10に拘り続けたルノーとの明暗が決まった1992年F1でも有りました‼️🤗その結果、V8もV12も両方消えてV10に統一されて標準化されました。
日本だと静岡県磐田市にあるヤマハ発動機 本社に展示されている。
4:56にあるてテストカー(orシェイクダウンver.)が、プラモで発売されている&未だに手に入るという事実日本においてF1バブル極まれりの時代
ジョーダンはYAMAHAとは結果が出なかったけど後の無限HONDAとのコンビは良かったよね デーモン・ヒルのおかげもあって
アロウズがフットワーク時代に逆パターンありましたね。ポルシェV12エンジンが全く走らず、急遽フォードV8エンジンを搭載、エンジン全長の足りない分はミッションとエンジンにスペーサー噛まして『取り敢えず走れば良いや』ってマシンが出来上がりましたね。
V6合体のエンジンですね。最後はモナコ。文句言われ、契約解消となったポルシェ陣営は、遅くて、重くて、壊れますよ―だ。みたいなことも。実に150㎏。ホンダが120㎏以下。イルモアはV10だが96㎏ほど。ポルシェはV6ターボ時代は速かったんです。
@@スーツインナー 様TAGポルシェターボの1500ccV6エンジンを2基ドッキングさせたと言われていますね‼️🤗だから同じVバンク角80度ですね。排気量も3500ccでは無くボアアップ化またはロングストローク化してなければ1500ccX2=3000ccかも知れない?それにエンジン2基を真ん中で繋ぎ合わせているので動力の出力取り出しを中央から行うセンターテイクオフ方式を採用して複雑なクラッチを使ってトランスミッションに伝達しているので駆動ロスも多いとか?まだランボルギーニ(クライスラー)V12の方が優れていました。
@@中村佳己-t4r 3500とのことですから、ボアアップでしょうね。ストローク伸ばすとトルクは出るが、背が高いエンジンになる。重すぎてモナコのプールサイドコーナーイン側にリヤタイヤ当てただけで、エンジンが車体から分離してしまった。予備予選組に回るも、久々に帰ってきたカフィは予備予選通過。今年最高の金曜日だよと。決勝はアルボレートさんが予備予選落ちしたので、決勝進出したカフィさんがフォードエンジンで完走。ウィニングランで軽く手をあげて走り去る姿はかっこよかったです。
@@中村佳己-t4r カフィさんのは鈴鹿でのことです。
モデナ&グージェルミン、80年代後半F1で活躍したドライバーがジョーダンでキャリアを終え、翌年バリチェロ、アーバイン、90年代後半〜2000年代を代表するドライバーが加入します。
この頃のチームは「載せるエンジンないなら普通にDFR乗っけとけよ」と思うマシンバランスさえ良ければ普通に入賞はできるだろうに、下手にパワーあるエンジン求めるからうまく行かないんだよなぁ
パワーよりかは信頼性と軽量化かと。
ただこの頃にはDFRもパワーアップのために改造しすぎて信頼性もかなり落ちてたんですよね。実際ラルースが91年に積んだ時はかなり壊れてましたし。
今にして思えば、ジョーダンヤマハを選ばなかったシューマッハにはツキがあった。逆に2年続けてハズレマシンに乗るカタチになったモデナはツキが無かった。
モデナは、いいドライバーだったよね。
ジョーダン好きだったなぁグランプリ天国のエディ・ジョーダンが面白かった
V8→V12でキープコンセプトはキツイよなぁ
懐かしい話ですねガショーチェザリスシューマッハーフォードエンジンと縁を切ったのが大間違いです。
結果は伴わなかったですがでも、YAMAHAのV12のサウンドはスッゲーいい音でした。
確か第二戦の予選ではかなり上位に付けていた記憶がありますね
スポンサーついてたり途中で増えたりチェザリスいたりでも大変だったのねえ
いつもとりあえずのフォードV8がけっこう優秀だったりする。確かに優勝するには一歩足りないエンジンではあった。
ジョーダンが使ってたフォードHBはジャガーへ行って、XJR14に積まれて、その後ミナルディに行ったんでなかったんでしたっけ。
カラーリングは好き。
フロントウイングの曲線美はかっこよかったです🥰
Ferrariがイイ感じでなければ誰も見向きもしなかったろうけど…夢と希望のあった時代なので、良くやったと言いたいな‼️
う〜〜ん………プライベーターがワークスエンジンを得て苦戦する……。さらなる飛躍を…というチームの勢いと希望を無情にも打ち砕く……。ジョーダンも例外なくハマってしまいましたね……。ホンダを得たティレル然り…フェラーリを得たミナルディ然り……。共通点はコスワースのV8エンジン…軽量コンパクト…だったから…良かったんですよ。軽量コンパクトでシンプル設計。シャシー、エアロは攻めた感がありましたがトータルバランスが良くてローパワーを車全体でカバーしてた感じですよね。そこへモアパワーのV10やV12を発展型のシャシーに積むと……対策はするでしょうが想定外の問題が多発する……。復活を狙う…躍進を狙う…プライベーターにはワークスエンジンは魅力的でしょう。しかしながら、その代償は想像以上に大きなものになってしまいましたね。こんな筈では…………っていう……。ステファノ.モデナは2年連続でミスマッチなマシンに翻弄されてしまいましたね……。速さはピカ一なのに運が無い……今現在、チャンピオンになれる可能性があった最後のイタリア人ドライバーではないでしょうか……???また、そういう部分が私的に…ロニーピーターソンに似てるな…と思いますね…。私は両名とも、好きなレーサーですね。
セブンナップカラー好きだったな。そんな金欠だったとは知らないった、フォードのエンジン続けられてたらと思わずにいられない。
エンジンメーカーのヤマハも試行錯誤で発展途上だった時期。コンビを組んだが結果が残らなかったジョーダンを1年で離れて次の年はティレルと組み今度はV10エンジンで再始動。だがこのティレルも2年落ちオンボロマシンで大苦戦し途中から投入された新車に変わっても状況が好転せず…
ブラバムのときはYAMAHAエンジンの問題点などあまり表に出なかったような…。😢前にも後にも、他のカテゴリーV12エンジンって、直6エンジンの倍って考えで作りやすかったのかな?😅
ヤマハV12は信頼性がイマイチでパワー上げるのとイタチごっこでしたね😅それと192シャーシも微妙…Xトラックのシーケンシャルシフトなど新基軸を盛り込んでましたが…空力的には191を踏襲して前年成功のパフォーマンスをそのままってコンセプトだったんでしょうが…それで通用するほどF1は甘くないですよね91年も後半戦はそれほど目立った成績残せてなかったですからね~😅そのマシンを引き継いだって92年は厳しいはずです。 確かに美しいマシンですが、性能より見た目を重視してる部分もあり92年辺りから、各チーム性能重視の機能的マシンが幅を効かす時代に突入しつつあったのかなと思います😊192はそんな過渡期の最後期の美しいマシンだと感じます!
そういえば、7UPは1年限りのスポンサードだったのね
ヤマハの立場からすればタダで供給してるんやからマシンを合わせろやって所かな
カッコいい車だったのに。エンジンの重量が変わればシャシーも1から見直さないと通用しないんですよねF1は。マクラーレンも同じ誤ちを経験しました。
ヤマハV12は当初フォードHBよりも馬力が出てなかったので結果は推して知るべし。
ヤマハがジャッドと技術提携を結ぶのがあと1年早まっていれば(V12エンジンではなくV10エンジン)、史実よりマシな結果になっていたのかもしれない。
これのせいでox11の市販化がポシャった
開幕戦はモデナが予選落ちというのもショックだったけどそれ以上になんとベルモンドやキエーザにまで負けていて下はアマティしかいなかったということ。つまり実質予選最下位…。もしアマティじゃなくてヒルだったら本当に予選最下位だったかもしれなかった。ヤマハV12エンジンも2年目だからとみんな期待したのに。
壁ブレーキという言葉を教えてくれたマシンだ。
92年シーズンはV12花盛りィ、ホンダフェラーリは勿論、あのミナルディすらV12搭載(それで大変にw)。新興ジョーダンと後発ヤマハのジョイントは、やはりマシン熟成不足だった感。
ヤハマのF1での活動は日進月歩の世界での遅さと時代を読む力が悪かったのだとつくづく思う。94年と一部97年は噛み合ったけど…全体としては苦い。最後は供給を受けてくれるチームがいなくなっては…
ジャッドV10を搭載してたらまた違った結果になったかも。
銭ゲバのエディジョーダンらしいチョイス(ワークスエンジン無償供給)でしたが、ヤマハエンジンが発展途上であったこともあり最悪のシーズンになりましたね
9:23 シューマッハ 空飛んどる
フランスグランプリの赤旗再スタート後のアデレードヘアピンでモデナと接触したシーンですね。最初のスタート直後にシューマッハとの接触でリタイアしたセナが、再スタート前のシューマッハに説教していたシーンも印象に残っています。
やっぱりF-1って微妙なバランスが影響するレースなんだなぁ…
この頃のホンダと組んでいたらどうなっていた事だろうか?ヤマハがV8エンジンだったらどうなっていたのだろうか?なんて思っています。この年はロータスが躍進していました。
ヤマハはザクスピード時代にV8で失敗してるから、V12に拘ってたんだと思いますジョーダン供給前年はブラバムで何度か入賞してたし
V12を積むのにヤマハの要求事項を無視して車体を造ったモンだからクーリングが駄目だったエンジンはパワーも出てたからシャシーさえ良ければ…ヤマハはエンジンを活かせるシャシーに恵まれなかったな94’と97’の中盤以降くらいかな、エンジンのポテンシャルを引き出せた車体だったのは
トヨタ車に載らなかったスバルのフラット12が見たい
緑色とか、初期のベネトンみたいなカラーリング
取り扱いの難しいV12エンジンでしたが、1993年マクラーレンMP4/8B(ランボルギーニV12エンジンテスト仕様)に1992年MP4/7Aに搭載していたホンダV12を載せて欲しかったです。
このマシンもサソルブルーでなく7upグリーンだと、なぜか速そうに見えるんだよなぁ、開幕前テスト。7upグリーン、最強でしょ、もはや。なんでもうスポンサーにならんのか。NASCARのメローイエローのよーな、バルボリンみたいな、アレといえばコレ、みたいな存在になれたと思うんだが。安かったんかな? 金払いが。
ホンダもヤマハも「大艦巨砲主義」だったからなあ
ヤマハエンジンだと、事業が被る企業が多くてスポンサー集めに苦労するって誰かが言ってた様な。
辛い粗が目立つジョーダンヤマハV12でしたね。
ブラウンがジョーダンにモデナを乗せればスポンサーに付くとの口約束で契約したら、契約後に白紙となり無駄にギャラを支払う羽目に、ゲイリー・アンダーソンに「口約束でなく書類での約束しろと」怒られたようだ。
ヤマハ、2026年から参戦してもいいのですよ、誰も咎めません
出た!!世界最速の石炭自動車!!
素人目に見ても 機能するとは思えない無理なラジエター配置
欲望と野望の固まりエディ・ジョーダン。アンダーソン曰く、V12は長くて重い、バランスが悪い。V10ですらどうかとか。92年の成績は1ポイント。ステファーノ・モデナの鈴鹿6位のみ。チェザリスはマールボロドライバーにつき離脱。これは良かった。また壊し屋の異名が戻るところだった。
前年と同じくフォードV8だったら前年を上回る事も出来たでしょうね、ヤマハV12はホンダ休止後のマクラーレンに搭載しても良かったと思いませんか?^^
そもそもヤマハエンジシって一度でも成績が良かった事あった?。もしそれなりの性能なら、あのロン・デニスやフラビオ・ブリアトーレがほっとかなかったはずでは?。つまりは中堅以下のチームにしか相手にされなかったのではないかと。
ジョーダン192はヤマハエンジンのせいかたった1ポイントしか獲得しなかった
ピアノ屋のエンジンは音が大きいだけ
このマシンは有賀さつきさんの肉じゃがのイメージが強いです。笑
貧乏が産んだ悲劇ですね…
トヨタの犬になった時点で無理と気付かないのが敗因
この時代ヤマハは大きな?間違いを冒していたよ 後になりCP解析で5バルブの欠点がわかったものバルブ多ければ良し?では無く 効率の悪さだけが出る5バルブ機構 REのペリに似た欠点ペリとて最良最強と見られていたが CP解析では 排気がシリンダー内に逆流し残る?って人の感覚感じ?で機械物を作ってはならない””がわかった最後?のことだったかと?
ロータリーのペリフェラルポートは、サイドポートに劣るのですか?そのへんの話、不勉強なのでよかったらちょっと教えてくださいませ。
当時フェラーリも5バルブを採用していましたね。この後デビューした市販車のF355も5バルブ。後藤治氏がフェラーリに移籍して4バルブに戻しました。市販車でもヤマハが開発したトヨタの4A-GEもこの時期5バルブでしたね。
冗談だろ?って言いたいくらい遅かったな
確かにこのチームはいたね しかし直ぐに消えたような記憶です 冗談だったんだね
ジョーダンはヤマハと決別後、ハートエンジンとの2年間で時折表彰台近くの上位を争って表彰台を獲得したりポールポジションを獲得したりと大躍進!一方別れたヤマハはティレルと契約してジャッドのエンジンをベースにしたエンジンを投入し低迷した中でティレルに最後の輝きを見せる躍進…右京さんにとってのキャリアハイにも貢献しました。
それぞれが組んだ時は地獄を見たけど、その経験があってこそお互いに強くなれたのでしょうね!
明らかに91年と同じく
フォードHBV8エンジンだったら
素晴らしい成績残せたと思う
エンジンがゼテックRなら更なる躍進が期待できたかも。チェザリスがトップスピードが足りないと漏らしていたから。
@@スーツインナーゼテックRが登場したのは94年だから無理。
でももはや資金的にフォードを乗せるのは無理だった。
前年の負債もヤマハに払ってもらったわけだし。
チーム資金が豊富だったらなあ、、、
あと、セミワークス契約でも何とかならなかったのか?
モデナ、グージェルミンは良いドライバーだったよ。可哀想
この2人の体制発表で、驚きとガッツポーズが出た、遠き日の思い出…。
モデナはティレルホンダ時代に、モナコでセナの隣のフロントローにいた事がありましたね。腕はあったと思います。
グージェルミンはレイトンハウスで 頑張ってた印象。
ジョーダン・ヤマハには期待をしてしまった一人でした…。当時はあんなに資金繰りが怪しいチームだという報道もなく、成長株だったモデナ獲得で優勝も望めるというような論調が多かったように覚えています。
ただ、ジョーダンだけではなく、当時はヤマハもかなり迷走していたような印象です。
レイトンハウスでコンビだったカペリがフェラーリ、グージェルミンがジョーダンに移籍したんで、2人揃っての躍進を本当に期待したんですが・・・・・・。
見事に2人とも最悪なタイミングでの移籍になってしまったのは本当に残念でした・・・・・・・・・・。
イタリア人カペリには待望のフェラーリ。時期が悪かった。モナコのリタイアは笑い者。
ジョーダンは、スバル以外の日本メーカーのエンジンを全て搭載した、珍しいチームでしたよね。
あっ、そう言えばそうですね。
そして月日は流れ、オーナーも名前も変わり再びホンダワークスに。
トヨタありましたっけ?
@@スーツインナー ジョーダンGPとしてのラストイヤーになった2005年のEJ15がジョーダン・トヨタです。
@@廃墟人間 ありがとうございます。
1991年、1992年のティレルとジョーダンを考えると、当たり拾ったのがチェザリス、ハズレを拾ったのがモデナでしたね。
本当それですね。モデナの大ファンだった私はチェザリスの運の良さに腹立ってました😅
@@近藤洋文-o9z チェザリスは世渡り上手なんです。F1でのクラッシュ多数。リジェ突然解雇も次には違うチームにいました。勝てなかったけど、渡り歩いて9チーム(最終的にはもっと)と古舘伊知郎がいったほど。さすらいの渡り鳥、マルボロマネー、お坊ちゃん。何せたいした怪我もなく終えた。今は故人ですが、鈴鹿のスプーンを攻める走りは見ごたえありました。一緒にいた友達があれは誰?とんでもなくはやい。チェザリスと言ったら笑っていました。攻めすぎて失敗するのかなと。僕はモデナも好きだけど、チェザリスもいいですね。
@@近藤洋文-o9z そうですね。チェザリスとモデナ対照的なドライバーで特にモデナ選手に対しての古館氏の「シャイで根暗のイタリアン」のフレーズが忘れられない(笑)
このマシンで一番印象的なのは、最終戦オーストラリアでのグージルミンの壁摺りブレーキングですね。
うまく行かなかったシーズンを象徴するようなシーンでした。
パワフルでも大きくて重く、発熱量が大きくて燃費も悪いV12エンジンはマクラーレンのようなビッグチームでさえ扱いに苦労してましたし、時代はもうV12じゃないんだな、と思わされたものでした。
ブレーキがトラブった感じでした。重い=長いストレートが多いアデレードではきつかったのかも。
チェザリスが、ジョーダンからティレルイルモアに移籍したあとコンスタントに入賞していたのを見てシャーシとエンジンのバランスが必須なんだなぁと思いました。ジョーダンはヤマハと組んだオフシーズンテストを見て、多分厳しいシーズンになるかも、と思ってましたが、案の定厳しいシーズンになってしまいましたね。モデナも走らないジョーダンで可哀想だなあと思ってました。
チームとしてはリアヘビーを空力でカバーしようと企んだけど、バランス悪すぎてフロントのダウンフォースを増やせなかった(アンダー出まくってコーナーで踏めないから)らしいですね。逆にティレルは後ろが軽くなって良くなったっていう。
チェザリは長いストレートで低迷中のフェラーリを片手ハンドルでバイザー剥ぎ取りながら、スリップストリームも使わずに、弱小チームのマシンを周回遅れにするように簡単にパス。パッケージングの匠なのかなと。
成績で見れば失敗だが、後のジョーダンを考えるとある意味では正解だったと思う
ここで有償エンジンを使って資金不足で撤退となれば本末転倒な訳だし
特にエディジョーダンは余計な負債を抱える前に早々にチーム手放すだろうし
ヤマハエンジン搭載でエンジンが冷えない→エンジン回転数を抑える→スピードが出ない→スピードが出ない分ダウンフォースを得られない→ダウンフォースが得られないからコーナリングスピードが落ちる→結果、タイムが出ない。
2年目のジンクスにはまってしまったクルマでした。
ガショーは、91年後半でジョーダンを不本意ながら解雇されたけど、ベンチュリーに移籍していなければこのマシンではモナコでの6位もまずなかったので、結果オーライだったと思う。
V12は良い所より悪い所が目立つ印象。
昔のドイツホッケンハイムとかの高速サーキットでは速く、曲がりくねったサーキットでは躊躇してましたね。フェラーリはハンドルのギヤ比変えたほど。5速→2速飛びシフトダウン可能なモナコオールドヘアピン用に備えたセミオートマ。マンセルかプロスト。1周目クラッシュ。様々やっていましたね。メゾネットウィングとか。
ホンダはV12にしてからダメになったし、フェラーリはV10にしてから常勝軍団になった。結局ウィリアムズが正しかったんだよね、ドライバーの起用方法はおかしかったけどw
その後V10で大幅な軽量化とパワーを両立しつつも信頼性を得ながらボアピッチを詰める技術(フォードCR-1エンジン)が出てきて
業界標準になったので早期にV12にこういうブレイクスルーが起こっていたら結果がまた違ったと思う
カート・エリートだったS.モデナは、F1でもチャンピオン・マテリアルの一人だと思っていたので、この年のJodanは相当厄介な車だったんだなと当時思っていました。でも、デビュー1-2年目のJodanは、文句なくかっこいいアピアランスでしたね。エディが関係解消後に大きな愚痴を言わなかったことに、好感を覚えたことを記憶しています。
軽量コンパクトで成績を残したチームがメーカーワークスの重量級エンジンを積むと失速。
この当時にはよく見られた光景ですね。
ブラバムにティレルにアロウズと、ヤマハの無償供給はかなり献身的なイメージが強い。ジョーダン以外はヤマハがいなくなった瞬間にひどいことになっているし。
ティレルとアロウズも
ヤマハとさよならしてから
悲惨な結果に😱
ザクスピードのV8とこのエンジンまでは重量だけは軽いけどパワーと信頼性が足りてないかなって感じ
でかいのにアンダパワー・低信頼性じゃ話にならないよね
ブラバムもさようなら後に悲惨な結果に…
いやぁ…今までは買っていたコスワースすら買えない様になってどうしょうもなくなった印象。
まあ、無償エンジンに飛びつくチームの状況がいいはずないし当然っちゃ当然では…
1992年F1は全チームマシンが自然吸気式エンジンで新しくスタートした1989年から4シーズン目になりますが、ホンダとルノーだけが初めて挑戦して採用したV10エンジンが普及せずV8エンジンとV12エンジンのどちらかを選択するしか手段無かった事情も有りますね‼️🤗
だからV8エンジンを搭載して成功したチームがV10エンジンを飛び越してV12エンジン搭載した難しさ弊害が出たって感じです。
1989年からV12エンジンでスタートしたフェラーリとランボルギーニV12エンジン独占契約したラルース・ローラ、そしてV10エンジンで成功した後にV12エンジンでも成功したホンダとマクラーレンくらいでしょうか?良かったのは。
もう1つ注目点としてジョーダンが初めて採用したシーケンシャル式ギヤシフトチェンジは、フットワークアローズもシーズン途中から採用しましたね‼️🤗
シーケンシャル式ギヤシフトチェンジは、前↔️後でシフトレバー操作させるのでHパターン式よりも素早くギヤチェンジ出来るけれども飛ばしシフト(ギヤ段数を省略して一度にシフトダウンさせる事)が出来ないのが欠点でした。
フェラーリやウィリアムズ、マクラーレンだけが採用するセミオートマチック式が普及するまでの暫定的なシステムがシーケンシャル式でしたね‼️🤗
リアヘビーになってしまうと、空力コンセプトはかなり違う物になってしまいますよね。
そう考えると新興チームは資金面から…軽量、信頼性のパッケージングが最適解なのかな?と思います。
私はアルファロメオに乗ってますが…直4です(笑)同じモデルでV6の4駆も有りますが…パーツ代も高額になります💧
欲しい欲望と維持できる現実…2年目の躍進は伸るか反るか?の博打的な要素も有りますよね…。
でも、7Upジョーダン見ていて爽快感の有る素敵な走りでしたね!と思う50代のオジサンです❤
この当時はとにかくマルチシリンダーエンジンが崇拝されていましたからね。
確かにピークパワーやドライバビリティ面ではV10等よりも有利と思われていましたが その特性上どうしても避けられない“サイズ増大”の影響を補えるほどの恩恵はなかったようです。
ルノーV10にヤラれ出したホンダも満を持してV12エンジンを投入しましたが 結果第二期黄金期を締め括る最後のエンジンになってしまいましたもんね。
この頃はフォードもV12開発してましたからねぇ。
その技術をV8に転用したら大きな成果が出たので、やめたらしいですが
モデナはいいドライバーだったが、ことごとく選択を間違い続けた。
アンダーソンのクルマは綺麗なんですよねぇ。そのうち195と196の解説もお願いします。あれもパッとしなかったけど美しかった。
このマシンは処女作だったんです。だけどうまくいった。後からフォンドメタルのマシンも手掛けましたが、資金不足から鳴かず飛ばず。
ハセガワ1/24ジョーダン192YAMAHAを作っていますが結構綺麗ですよ。
ただ実車ではジョーダン側とYAMAHA側の確執があったのですね。
90年代前半、ティレル・ホンダ020に見られたようなエンジンメーカーの変更によってバランスが崩れたマシンの一台がこのジョーダン192。
軽量なV8のHBエンジンから、重厚長大なヤマハV12に乗せ換えたのにマシンコンセプトは前年のV8のままではうまくいかないのも必然のこと。
それでも両者いがみ合いながらも撤退する、という最悪の結果は免れてどちらもその後躍進することができたのは幸運だったといえるのではないでしょうか?
あの頃のV12オンボードカメラの振動とかからするとHBV8が運転しやすいのかなと思ったりします。
最後に謝意を言えるところが商売上手なエディ・ジョーダンらしいな
192にイルモアV10あたりを積んだ世界線を見てみたかった
1991年のティレル・ホンダと似た過ちをしでかしてしまうジョーダン・ヤマハ…。1992年シーズンも最初からフォード・HB V8エンジンの1991年型にしておけばなぁ…。
まともに運転するのが
難しいティレルホンダで
2位表彰台をゲットした
モデナはすごすぎると
思いましたね🏁ティレルが
引き続きフォードV8エンジンを
使っていれば中嶋さんはあと
2〜3年ドライバー続けられたかも
のちにエディジョーダンが語ってますが、ここでヤマハの無償供給がなかったらチームは早々に終わってかもしれないと証言しているので、成績より資金面を優先したのだと思います
翌年まで我慢して、ヤマハエンジンを搭載する新シャシーを開発すれば・・・、でもV12はもうそのころには、時代遅れだったでしょうね。😥
モデナもホンダエンジンが仇になって、更にはジョーダンでV12が仇となり…
あの91年モナコは完走してほしかったです。
もしかしたら、セナに何かあれば優勝出来るかもしれないって思いながら中継見ていました。
まぁティレルにホンダエンジンが搭載されるのは『中嶋悟』というドライバーがいる&引退するという側面(商業的にも)がある以上は…
ジョーダンとヤマハ、両者にとっては屈辱の1年になってしまいましたね。
特にヤマハの地元日本GPではフットワーク無限ホンダの鈴木亜久里選手にジョーダンヤマハのグージェルミンがバックストレートでオーバーテイクされてしまうというシーンもありました。
余談ですが、その年のベルギーGPにてフジテレビがF1日本GP前夜祭の企画で有賀さつきアナがチームに肉じゃがを振る舞うという企画がありました。
エディジョーダン始めドライバーやスタッフからも味は絶賛されて良かったみたいです(笑)。
その番組、覚えてます!
肉じゃがを食べたエディ・ジョーダンが「アイリッシュ・シチューによく似てる」みたいな事を言っていて、アイルランド料理にも
似たものがあるのか…と思いましたが、ジョーク好きの氏のことなので、本当かどうかは分かりません(笑)
V8エンジンを使って軽量コンパクトなマシンであれば低速市街地コースなどパワーサーキットでは無い所で性能発揮。対してV12エンジンを搭載する巨大ヘビー級のマシンは、イタリアのモンツァやドイツのホッケンハイム、イギリスのシルバーストーンなど超高速サーキットで直線番長的マシンに割り切っていれば勝てる場面あったのでは無いかと?
やはりV8とV12の中間であるV10が、あらゆるサーキットに対応出来てオールラウンド的なマシン造りが出来る。
V10に見切りを着けてV12に切り替えたホンダと最後までV10に拘り続けたルノーとの明暗が決まった1992年F1でも有りました‼️🤗
その結果、V8もV12も両方消えてV10に統一されて標準化されました。
日本だと静岡県磐田市にあるヤマハ発動機 本社に展示されている。
4:56にあるてテストカー(orシェイクダウンver.)が、
プラモで発売されている&未だに手に入るという事実
日本においてF1バブル極まれりの時代
ジョーダンはYAMAHAとは結果が出なかったけど後の無限HONDAとのコンビは良かったよね デーモン・ヒルのおかげもあって
アロウズがフットワーク時代に逆パターンありましたね。
ポルシェV12エンジンが全く走らず、急遽フォードV8エンジンを搭載、エンジン全長の足りない分はミッションとエンジンにスペーサー噛まして『取り敢えず走れば良いや』ってマシンが出来上がりましたね。
V6合体のエンジンですね。最後はモナコ。文句言われ、契約解消となったポルシェ陣営は、遅くて、重くて、壊れますよ―だ。みたいなことも。実に150㎏。ホンダが120㎏以下。イルモアはV10
だが96㎏ほど。ポルシェはV6ターボ時代は速かったんです。
@@スーツインナー 様
TAGポルシェターボの1500ccV6エンジンを2基ドッキングさせたと言われていますね‼️🤗
だから同じVバンク角80度ですね。
排気量も3500ccでは無くボアアップ化またはロングストローク化してなければ1500ccX2=3000ccかも知れない?
それにエンジン2基を真ん中で繋ぎ合わせているので動力の出力取り出しを中央から行うセンターテイクオフ方式を採用して複雑なクラッチを使ってトランスミッションに伝達しているので駆動ロスも多いとか?
まだランボルギーニ(クライスラー)V12の方が優れていました。
@@中村佳己-t4r 3500とのことですから、ボアアップでしょうね。ストローク伸ばすとトルクは出るが、背が高いエンジンになる。重すぎてモナコのプールサイドコーナーイン側にリヤタイヤ当てただけで、エンジンが車体から分離してしまった。予備予選組に回るも、久々に帰ってきたカフィは予備予選通過。今年最高の金曜日だよと。決勝はアルボレートさんが予備予選落ちしたので、決勝進出したカフィさんがフォードエンジンで完走。ウィニングランで軽く手をあげて走り去る姿はかっこよかったです。
@@中村佳己-t4r カフィさんのは鈴鹿でのことです。
モデナ&グージェルミン、80年代後半F1で活躍したドライバーがジョーダンでキャリアを終え、翌年バリチェロ、アーバイン、90年代後半〜2000年代を代表するドライバーが加入します。
この頃のチームは
「載せるエンジンないなら普通にDFR乗っけとけよ」と思う
マシンバランスさえ良ければ普通に入賞はできるだろうに、下手にパワーあるエンジン求めるから
うまく行かないんだよなぁ
パワーよりかは信頼性と軽量化かと。
ただこの頃にはDFRもパワーアップのために改造しすぎて信頼性もかなり落ちてたんですよね。
実際ラルースが91年に積んだ時はかなり壊れてましたし。
今にして思えば、ジョーダンヤマハを選ばなかったシューマッハにはツキがあった。逆に2年続けてハズレマシンに乗るカタチになったモデナはツキが無かった。
モデナは、いいドライバーだったよね。
ジョーダン好きだったなぁ
グランプリ天国のエディ・ジョーダンが面白かった
V8→V12でキープコンセプトはキツイよなぁ
懐かしい話ですね
ガショー
チェザリス
シューマッハー
フォードエンジンと縁を切ったのが
大間違いです。
結果は伴わなかったですが
でも、YAMAHAのV12のサウンドはスッゲーいい音でした。
確か第二戦の予選ではかなり上位に付けていた記憶がありますね
スポンサーついてたり
途中で増えたり
チェザリスいたりでも大変だったのねえ
いつもとりあえずのフォードV8がけっこう優秀だったりする。確かに優勝するには一歩足りないエンジンではあった。
ジョーダンが使ってたフォードHBはジャガーへ行って、XJR14に積まれて、その後ミナルディに行ったんでなかったんでしたっけ。
カラーリングは好き。
フロントウイングの曲線美はかっこよかったです🥰
Ferrariがイイ感じでなければ誰も見向きもしなかったろうけど…
夢と希望のあった時代なので、良くやったと言いたいな‼️
う〜〜ん………プライベーターがワークスエンジンを得て苦戦する……。さらなる飛躍を…というチームの勢いと希望を無情にも打ち砕く……。ジョーダンも例外なくハマってしまいましたね……。ホンダを得たティレル然り…フェラーリを得たミナルディ然り……。共通点はコスワースのV8エンジン…軽量コンパクト…だったから…良かったんですよ。軽量コンパクトでシンプル設計。シャシー、エアロは攻めた感がありましたがトータルバランスが良くてローパワーを車全体でカバーしてた感じですよね。そこへモアパワーのV10やV12を発展型のシャシーに積むと……対策はするでしょうが想定外の問題が多発する……。復活を狙う…躍進を狙う…プライベーターにはワークスエンジンは魅力的でしょう。しかしながら、その代償は想像以上に大きなものになってしまいましたね。こんな筈では…………っていう……。ステファノ.モデナは2年連続でミスマッチなマシンに翻弄されてしまいましたね……。速さはピカ一なのに運が無い……今現在、チャンピオンになれる可能性があった最後のイタリア人ドライバーではないでしょうか……???また、そういう部分が私的に…ロニーピーターソンに似てるな…と思いますね…。私は両名とも、好きなレーサーですね。
セブンナップカラー好きだったな。
そんな金欠だったとは知らないった、フォードのエンジン続けられてたらと思わずにいられない。
エンジンメーカーのヤマハも試行錯誤で発展途上だった時期。
コンビを組んだが結果が残らなかったジョーダンを1年で離れて次の年はティレルと組み今度はV10エンジンで再始動。
だがこのティレルも2年落ちオンボロマシンで大苦戦し途中から投入された新車に変わっても状況が好転せず…
ブラバムのときはYAMAHAエンジンの問題点などあまり表に出なかったような…。😢
前にも後にも、他のカテゴリーV12エンジンって、直6エンジンの倍って考えで作りやすかったのかな?😅
ヤマハV12は信頼性がイマイチでパワー上げるのとイタチごっこでしたね😅
それと192シャーシも微妙
…Xトラックのシーケンシャルシフトなど新基軸を盛り込んでましたが…空力的には191を踏襲して前年成功のパフォーマンスをそのままってコンセプトだったんでしょうが…
それで通用するほどF1は甘くないですよね
91年も後半戦はそれほど目立った成績残せてなかったですからね~😅
そのマシンを引き継いだって92年は厳しいはずです。
確かに美しいマシンですが、性能より見た目を重視してる部分もあり92年辺りから、各チーム性能重視の機能的マシンが幅を効かす時代に突入しつつあったのかなと思います😊
192はそんな過渡期の最後期の美しいマシンだと感じます!
そういえば、7UPは1年限りのスポンサードだったのね
ヤマハの立場からすれば
タダで供給してるんやからマシンを合わせろや
って所かな
カッコいい車だったのに。エンジンの重量が変わればシャシーも1から見直さないと通用しないんですよねF1は。マクラーレンも同じ誤ちを経験しました。
ヤマハV12は当初フォードHBよりも馬力が出てなかったので結果は推して知るべし。
ヤマハがジャッドと技術提携を結ぶのがあと1年早まっていれば(V12エンジンではなくV10エンジン)、史実よりマシな結果になっていたのかもしれない。
これのせいでox11の市販化がポシャった
開幕戦はモデナが予選落ちというのもショックだったけどそれ以上になんとベルモンドやキエーザにまで負けていて下はアマティしかいなかったということ。
つまり実質予選最下位…。
もしアマティじゃなくてヒルだったら本当に予選最下位だったかもしれなかった。
ヤマハV12エンジンも2年目だからとみんな期待したのに。
壁ブレーキという言葉を教えてくれたマシンだ。
92年シーズンはV12花盛りィ、ホンダフェラーリは勿論、あのミナルディすらV12搭載(それで大変にw)。新興ジョーダンと後発ヤマハのジョイントは、やはりマシン熟成不足だった感。
ヤハマのF1での活動は日進月歩の世界での遅さと時代を読む力が悪かったのだとつくづく思う。94年と一部97年は噛み合ったけど…全体としては苦い。最後は供給を受けてくれるチームがいなくなっては…
ジャッドV10を搭載してたらまた違った結果になったかも。
銭ゲバのエディジョーダンらしいチョイス(ワークスエンジン無償供給)でしたが、ヤマハエンジンが発展途上であったこともあり最悪のシーズンになりましたね
9:23 シューマッハ 空飛んどる
フランスグランプリの赤旗再スタート後のアデレードヘアピンでモデナと接触したシーンですね。
最初のスタート直後にシューマッハとの接触でリタイアしたセナが、再スタート前のシューマッハに説教していたシーンも印象に残っています。
やっぱりF-1って微妙なバランスが影響するレースなんだなぁ…
この頃のホンダと組んでいたらどうなっていた事だろうか?ヤマハがV8エンジンだったらどうなっていたのだろうか?なんて思っています。この年はロータスが躍進していました。
ヤマハはザクスピード時代にV8で失敗してるから、V12に拘ってたんだと思います
ジョーダン供給前年はブラバムで何度か入賞してたし
V12を積むのにヤマハの要求事項を無視して車体を造ったモンだからクーリングが駄目だった
エンジンはパワーも出てたからシャシーさえ良ければ…ヤマハはエンジンを活かせるシャシーに恵まれなかったな
94’と97’の中盤以降くらいかな、エンジンのポテンシャルを引き出せた車体だったのは
トヨタ車に載らなかったスバルのフラット12が見たい
緑色とか、初期のベネトンみたいなカラーリング
取り扱いの難しいV12エンジンでしたが、
1993年マクラーレンMP4/8B(ランボルギーニV12エンジンテスト仕様)に1992年MP4/7Aに搭載していたホンダV12を載せて欲しかったです。
このマシンもサソルブルーでなく7upグリーンだと、なぜか速そうに見えるんだよなぁ、開幕前テスト。7upグリーン、最強でしょ、もはや。なんでもうスポンサーにならんのか。NASCARのメローイエローのよーな、バルボリンみたいな、アレといえばコレ、みたいな存在になれたと思うんだが。
安かったんかな? 金払いが。
ホンダもヤマハも「大艦巨砲主義」だったからなあ
ヤマハエンジンだと、事業が被る企業が多くてスポンサー集めに苦労するって誰かが言ってた様な。
辛い粗が目立つジョーダンヤマハV12でしたね。
ブラウンがジョーダンにモデナを乗せればスポンサーに付くとの口約束で契約したら、契約後に白紙となり無駄にギャラを支払う羽目に、ゲイリー・アンダーソンに「口約束でなく書類での約束しろと」怒られたようだ。
ヤマハ、2026年から参戦してもいいのですよ、誰も咎めません
出た!!世界最速の石炭自動車!!
素人目に見ても 機能するとは思えない無理なラジエター配置
欲望と野望の固まりエディ・ジョーダン。アンダーソン曰く、V12は長くて重い、バランスが悪い。V10ですらどうかとか。92年の成績は1ポイント。ステファーノ・モデナの鈴鹿6位のみ。チェザリスはマールボロドライバーにつき離脱。これは良かった。また壊し屋の異名が戻るところだった。
前年と同じくフォードV8だったら前年を上回る事も出来たでしょうね、ヤマハV12はホンダ休止後のマクラーレンに搭載しても良かったと思いませんか?^^
そもそもヤマハエンジシって一度でも成績が良かった事あった?。もしそれなりの性能なら、あのロン・デニスやフラビオ・ブリアトーレがほっとかなかったはずでは?。つまりは中堅以下のチームにしか相手にされなかったのではないかと。
ジョーダン192はヤマハエンジンのせいか
たった1ポイントしか獲得しなかった
ピアノ屋のエンジンは音が大きいだけ
このマシンは有賀さつきさんの肉じゃがのイメージが強いです。笑
貧乏が産んだ悲劇ですね…
トヨタの犬になった時点で無理と気付かないのが敗因
この時代ヤマハは大きな?間違いを冒していたよ 後になりCP解析で5バルブの欠点がわかったもの
バルブ多ければ良し?では無く 効率の悪さだけが出る5バルブ機構 REのペリに似た欠点
ペリとて最良最強と見られていたが CP解析では 排気がシリンダー内に逆流し残る?って
人の感覚感じ?で機械物を作ってはならない””がわかった最後?のことだったかと?
ロータリーのペリフェラルポートは、サイドポートに劣るのですか?そのへんの話、不勉強なのでよかったらちょっと教えてくださいませ。
当時フェラーリも5バルブを採用していましたね。
この後デビューした市販車のF355も5バルブ。
後藤治氏がフェラーリに移籍して4バルブに戻しました。
市販車でもヤマハが開発したトヨタの4A-GEもこの時期5バルブでしたね。
冗談だろ?って言いたいくらい遅かったな
確かにこのチームはいたね しかし直ぐに消えたような記憶です 冗談だったんだね