Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
技術者が凄いと思うのは、図面、説明書がほとんど無くても、抜群の経験と分析力でなんとかしてしまうことですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。図面も部品もなければ自分で作ってしまうのが技術屋さんで、それを仕事にして楽しめる人たちですね。「作っていると、乗ったり眺めたりしてくれる人の目や顔が 思い浮かんでますます続けたくなる」と、当時のこのナデ復元の新聞記事にはありました。
@@qsht さん。さっそくのコメ返しありがとうございます。昔(いろいろな箇所が電子化される前)は、知識を持ち合わせた人がみれば、なにがどうなってここが故障しているか見当がついたもののようですが、あらゆるものが電子化された今では、ほぼ全てがブラックボックス化されていて、故障の原因になっているところの検討をつけて、ユニットごと交換するしか修理する方法(それを修理と呼べるのかどうかわからないですが)がないんですね。このままでは技術立国日本はどうなってしまうのてましょうか。不安です。
お久しぶりです🙇95年夏の大井工場イベントで 中に入りましたが 冷房も扇風機も無かったのに 車内が意外と涼しかったのを覚えています。『木造』ならではですね。復元には まだ抵抗制御の車が現役だった事も幸いしたのでしょうね。スタッフさんが『ラッパ』と呼んでいた警笛の音色は 営団銀座線の2000系までの車両とほぼ同じで 懐かしくなりました。『ニュースステーション』小林さんが ふくよかでお元気だった頃の映像も懐かしいです。
いつも、久しくご視聴いただきましてありがとうございます。キャスターの小林さんは、新聞記者時代は国鉄の記者クラブにいらっしゃった方なので、感慨が深い出来事だったと思います。
今は大宮のてっぱくにいるナデがなんでトロリーポールとパンタグラフが一緒になってるのかようやく分かりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。いまの架線は1本(シンプル)か2本隣り合わせ(ダブル)ですけど、この電車が走った時代は、2本線から2本ポールで電気とっていたんでしょうね。現代の架線では集電できないわけです。
こういう余裕がある時代に戻りたい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。日本だけでなく、世界中どこでも、どこからこんな "スキ間" が ない世の中になっちゃったんでしょうねぇ。
地方私鉄でお役御免となり廃車解体される寸前で助け出され、この方々の尽力のおかげで復活し、ちょうど20年後の2017年に国の重要文化財となります。現在は大宮鉄博に収蔵されて、ファンの目を楽しませています。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。番組では触れていませんが、日立電鉄の大甕駅の側線で物置同然に放置されているのを発見されたときに、車庫のある久慈浜へ回送するのが危ぶまれたほど朽ちていたようです。よくまぁ、元に戻ったものです。
日除けが鎧戸で内装は木製ニス塗りでかつての湘南型80系初期タイプがこのタイプでした。東海道本線でかつてよく乗りました〜
続けてご視聴いただきましてありがとうございます。鎧戸は上手に閉めませんと、ネクタイや指先を挟んでしまう上に、うまく止めておかないと、走行中の振動で外れたりして扱いが難しいのですが、太陽光は遮ってくれるけれど、破風がベンチレーターの役割もしてくれて風の出し入れもできたスグレものでしたね。
この頃はまだ国鉄の血が流れてましたからね。掠れた警笛がいい味出してます😊
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 この音色の警笛は、ラの♭ なんですが、この枯れた味のある音は、大阪の一部の地下鉄と、むかしの地下鉄銀座線の電車が引き継いでいました。地下で響いた音と、地上のそれは、味の素が利いていて、おっしゃる通り"いい味"ですね。
大井工場の匠の技は、曾てのマッチ箱客車を複製した事から始まる。 本動画のニュースステーションは、当時リアルタイムで観てました。 技術大国 日本の誇りに感じました。 (小並感)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 もうダメだろうと思うものに復活の息吹を与えてしまうのは、技術と粘りと知恵だと、19世紀の哲学者が言っています。国民性の尊い根性が形になって表れた秀作の一つですね。
@@qsht ご返信ありがとうございます。さて、残念ながら、ロスト テクノロジーが、存在します。 例えば、鉄道車輌の台車で、一体鋳造の物は、まともに伝承されませんでした。 新幹線や、東上線の台車に亀裂が生じた事象は、原因不明とされています。(長文失礼します)
名古屋のリニア鉄道館に復元保存のモハ1型も忠実に再現されています。ナデ6141は動態保存されていて大井工場にあるんですね、
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。そうですね、名古屋にも古典電車がありましたね。あれは省電スタイルですけど、どちらもワイパーが無いんですね。叩きつけるような雨の日はどうしたんでしょうかねぇ?
@@qsht 都電の話で恐縮ですが、窓硝子を表面張力のある植物の葉で、拭いていたそうです。 プラタナスとか。
警笛が銀座線や丸の内線なんかと同じタイプで謎の感動を覚えました
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。もともとこの警笛は、英国の地下鉄で使われていた音階と同じで、濃い霧の中でよく響く音だそうです。一回鳴らすあたりの圧縮空気の使う量が多すぎて、制動に影響が出るとして、その後の時代であんまり使われなくなったみたいです。どこかの私鉄の電気機関車に残ってるらしいのですが、どこだかわかりません。
@@qsht 福井鉄道のデキ11やえちぜん鉄道のテキ6とかがまさにそれですね!
現在では国鉄厨と呼ばれる中年が多いですがこの時代は国鉄車よりも鉄道省や鉄道院の車両を懐かしむ傾向が強かったみたいですね、祖父が写った写真も国鉄車より鉄道省の電車や鉄道院の汽車が多いです。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。 いま、40代後半から50代後半あたりまでの方は、国鉄がなくなる10年程度前に小中学生だった方たちですが、ブルートレインやエル特急のブームの陰で、軽便鉄道が無くなっていった最後の時代を目の前でご覧になっています。そこから ふた昔ほどさかのぼったところに、"院・省" の回顧世代があるとする、当時の国鉄の広報誌「R」に記事があります。写真で言えば白黒の時代ですが、懐古の掘り起こしが史料になって、技術や景色を承継する役に立っているのだと思います。
小湊鉄道キハ5800と同い年?ですね。地元では内燃気動車が登場する以前から車籍があったというオーパーツ扱い(冗談で)されてます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。小湊鉄道は一つの車両を大事に使い続ける古い鉄道会社ですが、蒸気機関車を運用していた創業当初あたりからしばらくは残っている史料がとても少なくて、「五井のキハ5800は、中川(浩一/茨大)先生に尋ねられて(日立のナデも念頭に)実車の床下もぐりこんで調べたのだが、どこまでが新製当初の電路なのか、さっぱり分からなかった」と、東京大学の曽根悟先生が電気車の科学誌に大変な苦労をしたと書かれています。それでも系譜が複雑で、換骨奪胎の最も確実な経緯を、千葉県教委文審は断定して市に答申したと千葉日報の記事にあります。古いと大変ですね。
工具を揮うのは漢のロマン。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。動画サイトでも、ノギスやペンチでも、隠れた使い方があることを紹介しているチャンネルがあります。とても勉強になるのですが、これらを油と汗にまみれた作業着を着た"野郎"が手捌き良く使いこなすのを見ると、後光がさしてきて拝みたくなってくるものです。
自走する姿は初めて見たな…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。牽っ張られたり 推されたりではなくて、自力で走るように修復して、けっこうお金かかったと思います。
ナデ6141をかつてクモハ12053が大川支線で活躍していました〜このナデ6141を短区間の大川支線で2往復くらい本線走行させたいです。
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。鶴見線で走らせたいタイプの電車ですけど、武蔵白石駅の急カーブは曲がれるんでしょうかね?
初めましてm(__)mナデは、231系、233系、235系の御先祖様(高祖母?)にあたる電車ですね。ナデ号から数えて235系は何世代になるのかなあ?と考えてしまいます(^^)動態復元修理を行った人達だって定年迎えていると思います。今じゃ動態復元修理出来ませんね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。鉄道博物館(さいたま)で、同じことを学芸員に質問していた方がいらっしゃいましたが、すぐには答えられなくて、困っていました。(たぶん六代前のご先祖様とか)人が変わっても技術と部品の承継が確実にされていれば、きっとずっと走らせることはできるはずだと思います。この動画はそれほど長くloadはしていませんので、時機を見てわたくしどもの独自の動画チャンネルに戻す予定ですがこのページの基本情報に、チャンネルのご案内を載せています。このたびはご訪問いただきありがとうございます。
大正3年製とは古いですね。100年以上前の車両を復活させる技術がす 2:52 ごいです。新製時にあったトロリーポールは電圧の関係上集電不可能でパンタグラフになったそうですがダミーとしてのこせばよく、運転はパンタグラフで。京阪60型びわこ号はパンタグラフとトロリーポールの2種類を装着したそうです。京阪電鉄60型びわこ号は静態保存され京阪電鉄寝屋川車両基地に保存されています。
ご視聴いただきましてありがとうございます。 このポール集電器は、でんでん虫みたいに、ゲージの広い並行配置ですから、鉄道院時代のような2本トロリーが架かっていないと、集電できませんから、いまのように、ダブルカテナリーの間隔が短かったり、シングルカテナリーですと、ちょっと無理がありますので、パンタグラフ(それも昔の東武電車のようなおおきなパンタグラフ)を選んだのでしょう。京阪の連接電車も高速で走るタイプの構造的には親戚筋ですね。
鉄道車両なので走らせることに意義はありますが、床下機器に関して台車以外ほぼ全取っ替えになってしまったようですね不動のままでもオリジナルの機器を残しておいて欲しかった気もしますが、難しいところ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。このテの復元は、予算の問題もあって、上物だけになることが多いですね。このナデについては、主電動機(DC1500V)も換装対象になっていますから、パンタグラフを載せてしまった段階で原型は損なわれてしまっていますが、新製当初の機器を博物館等でていねいに保管展示してもよかったのかもしれません。
熊本電鉄にあった広浜電車の元祖?、外観撮影した事あります。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。よく広浜鉄道をご存知ですね。熊本のアレと車体長が異なっていて、ご先祖様が少々異なるのですが、遮断器や抵抗器の最初に取り付けられていたメーカーは同じ系列です。旧型電気機関車によくある、主幹制御器の箱のピリッと来る感電と火傷するほど熱い外箱の構造は、血は争えないようです。
久米宏さんが若い
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。世代的には、Nステの司会に座る前の、ぴったしカンカンで飛ばした久米さんの滑舌の面影がまだ少々残っている時代のキャスター画面ですね。
技術者が凄いと思うのは、図面、説明書がほとんど無くても、抜群の経験と分析力でなんとかしてしまうことですね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
図面も部品もなければ自分で作ってしまうのが技術屋さんで、
それを仕事にして楽しめる人たちですね。
「作っていると、乗ったり眺めたりしてくれる人の目や顔が
思い浮かんでますます続けたくなる」と、
当時のこのナデ復元の新聞記事にはありました。
@@qsht さん。
さっそくのコメ返しありがとうございます。
昔(いろいろな箇所が電子化される前)は、知識を持ち合わせた人がみれば、なにがどうなってここが故障しているか見当がついたもののようですが、あらゆるものが電子化された今では、ほぼ全てがブラックボックス化されていて、故障の原因になっているところの検討をつけて、ユニットごと交換するしか修理する方法(それを修理と呼べるのかどうかわからないですが)がないんですね。
このままでは技術立国日本はどうなってしまうのてましょうか。
不安です。
お久しぶりです🙇
95年夏の大井工場イベントで 中に入りましたが 冷房も扇風機も無かったのに 車内が意外と涼しかったのを覚えています。
『木造』ならではですね。
復元には まだ抵抗制御の車が現役だった事も幸いしたのでしょうね。
スタッフさんが『ラッパ』と呼んでいた警笛の音色は 営団銀座線の2000系までの車両とほぼ同じで 懐かしくなりました。
『ニュースステーション』
小林さんが ふくよかでお元気だった頃の映像も懐かしいです。
いつも、久しくご視聴いただきましてありがとうございます。
キャスターの小林さんは、新聞記者時代は国鉄の記者クラブにいらっしゃった方なので、
感慨が深い出来事だったと思います。
今は大宮のてっぱくにいるナデがなんでトロリーポールとパンタグラフが一緒になってるのかようやく分かりました。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
いまの架線は1本(シンプル)か2本隣り合わせ(ダブル)ですけど、
この電車が走った時代は、2本線から2本ポールで電気とっていたんでしょうね。
現代の架線では集電できないわけです。
こういう余裕がある時代に戻りたい
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
日本だけでなく、世界中どこでも、
どこからこんな "スキ間" が ない世の中になっちゃったんでしょうねぇ。
地方私鉄でお役御免となり廃車解体される寸前で助け出され、この方々の尽力のおかげで復活し、ちょうど20年後の2017年に国の重要文化財となります。
現在は大宮鉄博に収蔵されて、ファンの目を楽しませています。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
番組では触れていませんが、
日立電鉄の大甕駅の側線で物置同然に放置されているのを発見されたときに、
車庫のある久慈浜へ回送するのが危ぶまれたほど朽ちていたようです。
よくまぁ、元に戻ったものです。
日除けが鎧戸で内装は木製ニス塗りでかつての湘南型80系初期タイプがこのタイプでした。東海道本線でかつてよく乗りました〜
続けてご視聴いただきましてありがとうございます。
鎧戸は上手に閉めませんと、ネクタイや指先を挟んでしまう上に、
うまく止めておかないと、走行中の振動で外れたりして扱いが難しいのですが、
太陽光は遮ってくれるけれど、破風がベンチレーターの役割もしてくれて
風の出し入れもできたスグレものでしたね。
この頃はまだ国鉄の血が流れてましたからね。
掠れた警笛がいい味出してます😊
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
この音色の警笛は、ラの♭ なんですが、この枯れた味のある音は、
大阪の一部の地下鉄と、むかしの地下鉄銀座線の電車が引き継いでいました。
地下で響いた音と、地上のそれは、味の素が利いていて、おっしゃる通り"いい味"ですね。
大井工場の匠の技は、曾てのマッチ箱客車を複製した事から始まる。 本動画のニュースステーションは、当時リアルタイムで観てました。
技術大国 日本の誇りに感じました。 (小並感)
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
もうダメだろうと思うものに復活の息吹を与えてしまうのは、
技術と粘りと知恵だと、19世紀の哲学者が言っています。
国民性の尊い根性が形になって表れた秀作の一つですね。
@@qsht
ご返信ありがとうございます。
さて、残念ながら、ロスト テクノロジーが、存在します。
例えば、鉄道車輌の台車で、一体鋳造の物は、まともに伝承されませんでした。 新幹線や、東上線の台車に亀裂が生じた事象は、原因不明とされています。(長文失礼します)
名古屋のリニア鉄道館に復元保存のモハ1型も忠実に再現されています。ナデ6141は動態保存されていて大井工場にあるんですね、
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
そうですね、名古屋にも古典電車がありましたね。あれは省電スタイルですけど、
どちらもワイパーが無いんですね。叩きつけるような雨の日はどうしたんでしょうかねぇ?
@@qsht
都電の話で恐縮ですが、窓硝子を表面張力のある植物の葉で、拭いていたそうです。 プラタナスとか。
警笛が銀座線や丸の内線なんかと同じタイプで謎の感動を覚えました
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
もともとこの警笛は、英国の地下鉄で使われていた音階と同じで、
濃い霧の中でよく響く音だそうです。
一回鳴らすあたりの圧縮空気の使う量が多すぎて、制動に影響が出るとして、
その後の時代であんまり使われなくなったみたいです。
どこかの私鉄の電気機関車に残ってるらしいのですが、どこだかわかりません。
@@qsht 福井鉄道のデキ11やえちぜん鉄道のテキ6とかがまさにそれですね!
現在では国鉄厨と呼ばれる中年が多いですがこの時代は国鉄車よりも鉄道省や鉄道院の車両を懐かしむ傾向が強かったみたいですね、祖父が写った写真も国鉄車より鉄道省の電車や鉄道院の汽車が多いです。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
いま、40代後半から50代後半あたりまでの方は、
国鉄がなくなる10年程度前に小中学生だった方たちですが、
ブルートレインやエル特急のブームの陰で、
軽便鉄道が無くなっていった最後の時代を目の前でご覧になっています。
そこから ふた昔ほどさかのぼったところに、"院・省" の回顧世代があるとする、
当時の国鉄の広報誌「R」に記事があります。
写真で言えば白黒の時代ですが、
懐古の掘り起こしが史料になって、
技術や景色を承継する役に立っているのだと思います。
小湊鉄道キハ5800と同い年?ですね。地元では内燃気動車が登場する以前から車籍があったというオーパーツ扱い(冗談で)されてます。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
小湊鉄道は一つの車両を大事に使い続ける古い鉄道会社ですが、
蒸気機関車を運用していた創業当初あたりからしばらくは
残っている史料がとても少なくて、
「五井のキハ5800は、中川(浩一/茨大)先生に尋ねられて(日立のナデも念頭に)
実車の床下もぐりこんで調べたのだが、
どこまでが新製当初の電路なのか、さっぱり分からなかった」と、
東京大学の曽根悟先生が電気車の科学誌に大変な苦労をしたと書かれています。
それでも系譜が複雑で、換骨奪胎の最も確実な経緯を、千葉県教委文審は断定して
市に答申したと千葉日報の記事にあります。
古いと大変ですね。
工具を揮うのは漢のロマン。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
動画サイトでも、ノギスやペンチでも、
隠れた使い方があることを紹介しているチャンネルがあります。
とても勉強になるのですが、
これらを油と汗にまみれた作業着を着た"野郎"が
手捌き良く使いこなすのを見ると、
後光がさしてきて拝みたくなってくるものです。
自走する姿は初めて見たな…
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
牽っ張られたり 推されたりではなくて、自力で走るように修復して、
けっこうお金かかったと思います。
ナデ6141をかつてクモハ12053が大川支線で活躍していました〜このナデ6141を短区間の大川支線で2往復くらい本線走行させたいです。
毎度ご視聴いただきましてありがとうございます。
鶴見線で走らせたいタイプの電車ですけど、
武蔵白石駅の急カーブは曲がれるんでしょうかね?
初めましてm(__)m
ナデは、231系、233系、235系の御先祖様(高祖母?)にあたる電車ですね。ナデ号から数えて235系は何世代になるのかなあ?と考えてしまいます(^^)動態復元修理を行った人達だって定年迎えていると思います。今じゃ動態復元修理出来ませんね。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
鉄道博物館(さいたま)で、
同じことを学芸員に質問していた方がいらっしゃいましたが、
すぐには答えられなくて、困っていました。(たぶん六代前のご先祖様とか)
人が変わっても技術と部品の承継が確実にされていれば、
きっとずっと走らせることはできるはずだと思います。
この動画はそれほど長くloadはしていませんので、
時機を見て
わたくしどもの独自の動画チャンネルに戻す予定ですが
このページの基本情報に、チャンネルのご案内を載せています。
このたびはご訪問いただきありがとうございます。
大正3年製とは古いですね。
100年以上前の車両を復活させる技術がす 2:52 ごいです。新製時にあったトロリーポールは電圧の関係上集電不可能でパンタグラフになったそうですがダミーとしてのこせばよく、運転はパンタグラフで。京阪60型びわこ号はパンタグラフとトロリーポールの2種類を装着したそうです。京阪電鉄60型びわこ号は静態保存され京阪電鉄寝屋川車両基地に保存されています。
ご視聴いただきましてありがとうございます。
このポール集電器は、でんでん虫みたいに、ゲージの広い並行配置ですから、
鉄道院時代のような2本トロリーが架かっていないと、集電できませんから、
いまのように、ダブルカテナリーの間隔が短かったり、
シングルカテナリーですと、ちょっと無理がありますので、
パンタグラフ(それも昔の東武電車のようなおおきなパンタグラフ)を選んだのでしょう。
京阪の連接電車も高速で走るタイプの構造的には親戚筋ですね。
鉄道車両なので走らせることに意義はありますが、床下機器に関して台車以外ほぼ全取っ替えになってしまったようですね
不動のままでもオリジナルの機器を残しておいて欲しかった気もしますが、難しいところ
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
このテの復元は、予算の問題もあって、上物だけになることが多いですね。
このナデについては、主電動機(DC1500V)も換装対象になっていますから、
パンタグラフを載せてしまった段階で原型は損なわれてしまっていますが、
新製当初の機器を博物館等でていねいに保管展示してもよかったのかもしれません。
熊本電鉄にあった広浜電車の元祖?、外観撮影した事あります。
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
よく広浜鉄道をご存知ですね。
熊本のアレと車体長が異なっていて、ご先祖様が少々異なるのですが、
遮断器や抵抗器の最初に取り付けられていたメーカーは同じ系列です。
旧型電気機関車によくある、主幹制御器の箱のピリッと来る感電と
火傷するほど熱い外箱の構造は、血は争えないようです。
久米宏さんが若い
いつもご視聴いただきましてありがとうございます。
世代的には、Nステの司会に座る前の、
ぴったしカンカンで飛ばした久米さんの滑舌の面影が
まだ少々残っている時代のキャスター画面ですね。