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普通に考えてたら吉良邸討ち入りが成功するのがおかしい。明らかに幕府が見逃しているのが分かる。何故か、それは原因が天皇の扱いの違いに有るから。本来なら天皇の勅使の方が上座につくべきで、それを将軍側を上座にすげようとする吉良側は、室町幕府からの慣例によるもの。これは室町幕府が朝鮮使節等に権威を示すのが目的。だけど浅野家は天皇を上におくのが家訓。つまりこれは浅野家の幕府に対する抗議で有って、精神疾患とかでは無い。何故かと言うと百年後に浅野家の願いを受けて、幕府は天皇の勅使上座に置くに作法に切り替えているからだ。幕府としては余り知られない様にしたかっただけの事で、吉良はどちらかと言うと幕府に裏切られた形に成る。
確か、江戸城下に赤穂浪士のメンバーが多数潜入してる事を幕府は把握してたんですよね。それを放置してました。って事は幕府側も吉良を煙たく思ってたと思うのですが…。(^_^;)💧
コメントありがとうございます!そして、興味深い内容です!歴史ってやっぱり面白いです。
コメントありがとうございます。吉良が煙かったのはあるでしょうね。納得です。
みんなが討入りを黙認していたからですよ。柳沢吉保の元家臣のところに、堀部弥兵衛が討入りの文言について相談しにいき、お墨付きを得ています。表向き、主従関係がなくとも連絡を取り合っていた事から、当然、柳沢吉保は討入りの意図を察していたものと判断されます。トドメに、討入りの報告を素早く受けていながら、見殺しを決め込んだ老中もいましたしね(誰とは言いませんが、土屋相模守政直は、何もせず、吉良を見殺しにしました)。江戸まで百両(約一千万円)の軍資金を送ってくれた商人もいますし、討入りは言わば、みんなの共同作業に近いと思います。
そもそも、江戸城下で討ち入りと言う形の合戦をされては面子が立たないと言う事では?吉良の子息は上杉に養子入りしているから、吉良に上杉がつくのも抑制しているし、赤穂浅野家は広島が本家、上杉対浅野の戦いを太平の世に幕府の居城付近でやられたらと言う怖さはあるかと。そして、その原因が綱吉が喧嘩両成敗の法度を曲げて吉良を助けているところにあり、綱吉の政策に不満を持っていた庶民も多数いたかと。討ち入りを単なる私怨で片付ける事で、合戦に伴う暴動を抑えたかったのでは?
映画やドラマと史実を混同してる人って多いなあと思う。
コメントありがとうございます。おっしゃるとおり、ドラマと史実の混同、多いですよね。過去の話も、現在も・・・
この事件の最大の失敗は浅野でも吉良でもなく、綱吉の即断即決による処刑でしょうね。取り調べもろくにやらないで切腹させたのは大失敗だと思います。
コメントありがとうございます!綱吉の即断即決本当にこの部分、大失敗!生類憐れみの令の将軍なのに・・・と個人的に思います。
『松の廊下』は刃傷沙汰御法度で、そこで刀を抜いて、しかも血で汚したなんて、由々しき事態だからね。徳川家の家臣として、絶対に犯してはいけない罪を犯した事による切腹なんだよ。吉良上野介との確執とか関係ないからね。
喧嘩両成敗、それを守らなかった綱吉の行いが、浅野内匠頭切腹から討ち入りまでの全ての原因かと。
忠臣蔵はドラマや物語によって語られるような美談ではないと思う。あれは売れるように都合のいいように考えられた創作部分がおおいと思う。まあそれを言ったら殆どの物語がそうなるのかな。
コメントありがとうございます!おっしゃる通り。美談ではないですよね。創作しやすかったんでしょうね。
小林亜星 の作曲した 美空ひばりの歌 5:31 小林亜星のさっきよくした
忠臣蔵は幕府に対する庶民の不満によってできた物語と言ってもいいと思います。直接幕府批判ができないので、幕府の代わりが吉良上野介。庶民の代わりが赤穂浪士及び大石内蔵助というところでしょうね。
夢枕獏先生の「大江戸釣客伝」の文中では浅野氏は統合失調症であった可能性が高いと書いてありますね。
コメントありがとうございます!やっぱり、精神的な疾患持ちですよね。夢枕獏先生の「大江戸釣客伝」も読んでみます。情報ありがとうございます。
吉良を治療した医者が、同時に浅野も診察していて、「乱心ではなく、正常である」と診断しているのだから、精神病というのは間違いです。ただし、正義感は強くとも、強情で融通の利かないのが浅野の性格ですから、やむなく起きた事件とも言えます。この間の遺恨ではなく、「上野介め」と叫んで切りかかったのが真相です。大勢の面々の前で罵られて逆上したのが事実です。討入りには遅刻者はでるし、死んだふりして生き延びた吉良家の家臣もいれば、壁に穴を開けて逃げた家老もいます。専門家の研究を参照されると良いでしょう。古文の読み下し分も、簡単に手に入りますから。
事実である赤穂事件と劇である忠臣蔵とは、全く別物ですよ。創作である忠臣蔵の影響が大きすぎたんですね。作家冥利につきますねえ‼️
コメントありがとうございます。まったく別物。おっしゃる通りです!歌舞伎に取り上げられた時点で創作が99%になった感じですねw
徳川綱吉が浅野に即日切腹を命じたのは、この年の儀式は身分の低かった生母桂昌院に女性最高位の従一位の位を申請している最中だったからと思います。この年、年賀使として上洛したのも吉良ですからね。綱吉は尊皇家でもありましたのでさすがにあの怒りようは無理もないと思います
コメントありがとうございます。桂昌院の件も絡んでいるんですね。納得です。貴重な情報、ありがとうございます!
@@Cosono-Japanご返信ありがとうございました。
確かに。大内内蔵助の前任者も、浅野内匠頭の癇癪の尻拭いばかりさせられ、嫌気がさして辞めたと本で読んだ記憶がある。
コメントありがとうございます。尻拭いが大変そう・・・
大抵の殿様はそんなもんかと。子供の頃から甘やかせて育てられたら。今の時代にも、沢山の暴君を育てているバカママ達がいますので。
大変面白い視点だと思いました。次回作も楽しみにしています。
コメントありがとうございます!これからもがんばります。
内藤忠勝が取り上げられるなら、稲葉正休が大老・堀田正俊相手に起こした刃傷も該当するな。稲葉正休は、内藤忠勝とその妹・波知(浅野長矩の母)の従兄甥に当たる。
コメントありがとうございます!そして貴重な情報も感謝します。やっぱり一族に問題ありなんですね。
赤穂事件と忠臣蔵は別物ですよね。歴史にタラレバは駄目ですが江戸期各藩では主君に問題がある場合には『主君押し込め』と言って家中らが結託し、なかば主君を強制的に隠居させる事例があったとのこと。弟の浅野大学に家督相続しておけば家名は続いていたかもしれませんね。余談になりますが肥後藩主細川宗孝が江戸城内大広間脇の厠に立っ際、乱心した旗本の板倉勝該に突然背後から斬りつけられ、絶命した事案もありました。細川宗孝は後継藩主を決めてなかったので廃絶になるところでしたが側に通りかかった伊達藩主の機転で廃絶は免れたようです。細川公はまだ存命じゃ早う屋敷に送り治療するのじゃと細川家中に大声で申し聞かせたそうです。
この間の遺恨、と言っているのだから、それが本当なら、朝廷の使者を遇する考え方の違いによるものではなさそう。もっと個人的な恨みのようなものだと思われるが、それが逆恨みかどうかは判らない。
コメントありがとうございます!個人的な悩み。時代的に、いろいろ根深い物がありそうですね。
浅野内匠頭の持病の癇癪で引き起こした事件です。たまたま松の廊下で出会った吉良上野介と立ち話をしていたら処浅野内匠頭の癇癪の発作が出て突然抜刀して吉良上野介に切りかかったのです。だから喧嘩両成敗でなく、一方的に浅野内匠頭が起こした刃傷沙汰と裁定されました。だからその日うちに切腹を命じられたのです。その一報を聞いた大石内蔵助はとうとうやらかしたと思った事でしょう。家臣としては事の経緯はどうであれ、仇討ちとなったのです。仮名手本忠臣蔵では面白おかしくするために、浅野内匠頭を悲劇のヒーローに祭り上げて、吉良上野介を悪者にしたのです。
コメントありがとうございます。何かがあったと考えがちですが、ある意味、吉良は完全な被害者なんですよね。山形出身の方が怒っていたんですけど、納得ですね。
癇癪ではなく、大勢の目の前で罵られたことが理由で、たくさんの資料から証明されています。徳川実記にも、きちんと記されています。
@@kuru-qg1iu 徳川実記や他の資料を読まれたのですか?仮に罵られたとしても、浅野内匠頭は勅旨接待役は二度目で、書かれた内容も酷かったからだと思います。
極めて珍しい事態だったため、綱吉の裁定は別として、何が起きたのか、徹底的な聞き取り調査が行われています。その一部が徳川実記にあり、読み下し文はネットにも引用されていて、誰でも読める状態ですよ。わざわざ国会図書館に行かなくとも古文書に目を通せます。映画やドラマと異なり、近くに数十人が控えていて、事態を見ていた僧侶から聞き取り調査が行われ、それを正確に記録したのは、日本人特有の生真面目な性格によるものです。事件が起きたのは午前11時頃。鷹司信子(綱吉の正妻)からの伝言を伝えるため、梶川が浅野、吉良を探しに来ただけで、そこで事件が起きました。他国なら、事実をねじ曲げて記録した事でしょう。勅使三人は御休息の間にいて、綱吉との対面待ちでしたが、目の前の廊下で起きたため、式を続けて良いか聞かれた時、「血の汚れ。苦しからず」と言った事は有名です。事件の詳細を、浅野を畳にねじ伏せた梶川に書かせたり、幕府も対応に苦慮したようですが、吉良邸討入りの際は、報告を受けた老中(土屋政直)も、助けを出さずに見殺しにしています。いずれも、ちょっと調べれば簡単にわかる事ですから、改めて調べられる事をお勧めします。古文書の解説書が買えるのなら、若い時の吉良上野介は美形で、周りの反対を押切り、強引に嫁入りした奥さんの話も出てきますが、そこまでの知識は普通は必要ないです。松の廊下と討入りの詳細だけは、歴史マニアとかなら知るべきでしょう。まずは古文書の解読からですね。
江戸城内で元禄期に起こった「殿中松の廊下刃傷事件」は内匠頭を後ろから抱き止めた梶川与惣兵の「梶川日記」によれば「此間の遺恨覚えたか!」と叫び突然斬りつけたと記されているようです。梶川日記が事実を客観的に書かれたものであると言う前提で考えると、やはり内匠頭は是非はともかく吉良に何らかの遺恨があったのは確かだと思われる。梶川に抱き止められ、他の幕府要人数人に引き立てられて別室で目付に「先程の事は定めし乱心でござろう?」と詰問され…「乱心ではござりませぬ、吉良殿には兼ねてより遺恨がござりました。」と冷静に受け答えしている事、さらに取り押さえられた直面に「もはやこの期に及んでお上に対し奉り何の遺恨のござりませぬ」と恭順している事等々を考えると確かに、短気や短慮、と言った内匠頭が日頃持ち合わせていた欠点を爆発させてしまったのは現代の我々から見れば、批判されてしかるべきだとは思うが、浅野内匠頭の精神的疾患が原因とする説には少し疑問を感じる。要約すれば浅野内匠頭は元々短気で短慮な性格ではあったが、現代で言ういわゆる「精神疾患」ではなかったと言う事。
コメントありがとうございます!「梶川日記」存在を知りませんでした。探してみます!精神疾患ではなかったとのこと。なるほどです。もっと調べてみます。ありがとうございます!
@@Cosono-Japan 様恐縮です。だだこれはあくまでも私見です。松の廊下刃傷事件の歴史的資料はこの梶川日記が唯一の物とされているようです。わ
そもそも、これはテロ事件ではないのか? 復讐の先は不当な裁決をした幕府なのでは?
コメントありがとうございます。私も、そう思います!武士の世界、難しいです。
浅野内匠頭のやらかしって武士って視点で見てもかなり拙い。正々堂々ではなく卑怯にも背後からの不意打ちだったにもかかわらず爺さん(吉良上野介・59歳)一人討ち取れなかった挙句に老人(梶川頼照 54歳)に押さえつけられて終わりなんて武士としてこれほどの恥はない。武門の家で知られた浅野家だったのにその棟梁が爺一人討ち取れなかったなんて武士としても領主としても面目は丸つぶれ。そう考えるとこの事件はあまりにリスキー過ぎて正気ではなかったか何かの裏があるのではという考察もあり得ますよね。
確かに、若者もお爺さんですから、圧倒的な差があるんですよね。私も正気じゃなかったと思います!
浅野は57代清和天皇の源氏。ルーツは吉良の成り上がりと異なる!
さまざまな視点で楽しく観させて頂きました。双方のその後を考えると将軍綱吉及び幕閣の裁定ミスに巻き込まれたとしか思えません。
コメントありがとうございます!この当時は喧嘩両成敗が基本だったわけで、どんな事情があったにせよ、ロクに調べもせず、過失割合を10対0にするのはマズかったですよね。
12月14日は旧暦(太陰暦)で、新暦(太陽暦)では翌年の1月○日
故樋口清之氏は、吉良が浅野に意地悪をするようになったのは以下の理由と唱えている。赤穂側が吉良に製塩法を教わり、吉良が塩を売っていた江戸でも販売するようになるが、売り上げが芳しくない。そこで、大石義雄が幕臣に賄賂を贈り、将軍綱吉の歯磨き用に赤穂の塩を使ってもらうように仕向けた。その結果、吉良側の塩が売れなくなり、吉良にしてみれば製塩法を教えた恩を仇で返された。それをきっかけに吉良が浅野に意地悪をするようになった。しかし、自分も今は投稿主の説の方が納得できる。
コメントありがとうございます。私の知らない説です!おもしろい!ありそうな理由です。
全て今、これは否定されて学者レベルでは誰もいわない
現代でも、池田小事件とか秋葉原通り魔事件のように何の恨みもない相手に突然発狂して切りつける殺傷事件がいくらでもありますし、当時もそういう人間が希に現れても不思議では無いですよね。
コメントありがとうございます。今も昔も、ありますよね。世襲が定番の時代なので、困った殿様もいるでしょうし、一番困っていたのは家来かもしれません。
浅野のたくちゃんが、吉良くんに切りつけちゃった事から始まる物語、勅使饗応役を一代に二度、やる事は、無いって物のになのと、江戸家老が、付け届けを怠ってのもねって囁かれてますが、
コメントありがとうございます。付け届けを怠っても、だからって、ね~って感じですよね。そんなに心が狭かったわけはないでしょうし、真実はなんだったんでしょうね。本当に・・・
作り話で本当の事はわかりません、情報がわからないでしょう
コメントありがとうございます!歌舞伎とかで取り上げられると、ドラマチックになってしまうので、本当の事は少ないですよね。そこを探ると、都合の悪い部分がごっそりなくされていたり。でも、そこが面白かったりしてしまう、ヲタクです、笑
私の家は、赤穂浪士の磯貝十郎左衛門正久と同族で、戦国時代中期から群馬県の磯部温泉の近くにいました。徳川慶喜やその当時の幕臣からもらったという書が代々飾ってあります。お忍びで徳川慶喜ご一行が磯部温泉に来ていたのかも?
コメントありがとうございます!お忍びで・・・とか考えると、わくわくしますよね。
子どもの頃から忠臣蔵は不可解な話と思っていました。浅野内匠頭を殺したのは吉良上野介ではない。むしろ、切りつけた内匠頭が加害者なのに、吉良は逆恨みで殺されてしまった。これは、仇討ちでも何でもない道理の通らぬ話だと。この話は仇討ちではなく、主君の本懐を遂げる話でした。理由は重要ではなく、内匠頭は上野介の命を奪おうとしたのだが果たせなかった。四十七人の元藩士が、元主君に代わってその意図を貫徹したのでした。だから、忠臣なわけです。それが分かったのは、とうに大人になってからでした。遅い。
コメントありがとうございます!武士の世界って難しいです。でもだから、ステキだったりもします。
吉良上野介は、あの平和な江戸時代にもかかわらず、泥棒も人殺しにも手を染めていた事実を知って言っておられるのでしょうか?奥さんの兄を毒殺し(証言者 上杉家家老の千坂兵部)、「吉良殿が来ると、泥棒ばかりするから、重要なものを座敷に置いておくな(津軽家の言い伝え)」と言われたりしていた事を、ご存知ないのでしょうか?松の廊下で切りかかられた直後、「身から出た錆」と身内から酷評されているのも、それなりの理由があるからです。良く調べてからでないと、人物への評価は難しいです。
忠臣蔵って冷静になると色々となんかヘンだよなー
コメントありがとうございます!子どもの頃ドラマで見たときは、すごいなって思ったけど、その後、大人になって、「あれ?」って思ったストーリーです、笑
綱吉の悪政に犬猿の仲だった光圀が勅使の日に暗略した説もありますね
それは無い、松の廊下事件の2年前に光圀亡くなっているから。
コメントありがとうございます。そんな説もあるのですね!調べてみます。歴史って面白いですね。
コメントありがとうございます。先に亡くなっているんですね!いろいろ面白いです。
浅野一族の血塗られた歴史というタイトルに強い違和感を感じます。内藤事件は完全に無関係です。さらに、血塗られた一族というなら、四代遡ると、先祖が戦国武将の浅野長政なのをご承知でしょうか?浅野長政の三男が、笠間近辺に領地を与えられ、中には、徳川秀忠からもらった領地もありました。さらにその子の代で赤穂に転封となり、大野九郎兵衛や、堀部弥兵衛他の家臣も引き連れて行きました。長政、長重、長直、長友と受け継がれ、その子の長矩が、松の廊下で切りつけました。たまたま、事件を起こした人間が一人か二人いただけで、精神疾患とは又別物という研究結果が出ています。討入りに遅刻した浪士がいたり(堀部弥兵衛)、壁に穴を開けて逃げ出した吉良家家老もいるなど、事実をさらに深く追求すべきでしょう。ドラマや映画は、キレイに描かれ過ぎているのは、確かに解説通りですね。
浅野内匠頭の即時切腹はそんなにおかしい話にも思えない。勅使を迎えるにあたって不祥事を起こすことは、将軍の顔に泥を塗り付け、徳川幕府の威信を地に貶す行為に等しい。将軍としても、幕府としても毅然たる態度を諸侯に見せる必要がありますから。また、吉良上野介が何かをしたというのは考え難い。饗応役は勅使を迎えるという重要なお役目で、ここでのミスは良くて切腹、下手すれば藩の取り潰し。当然、指南役もほぼ同等の罰を受ける可能性が非常に高い。恐らくは浅野内匠頭が刃傷に及んだのは精神疾患というのがしっくり来る。どんなに短気な殿様も通常の神経を持っていれば、幾ら恨み浸透でも確実に藩が取り潰しになる殿中での刃傷事件は起こさない位の分別を持てますからね。ましてや五万石程度の木端大名なら、幕府にとって潰したとしても痛くも痒くもないですしね。
コメントありがとうございます!やはり精神疾患がしっくりきますよね。残された家臣のことを少しでも考えてくれると、刃傷沙汰にはならなかったのでは?と思うと、残念です。
浅野の殿様はイラチだったって有名?だよね
コメントありがとうございます。殿様は世襲が基本でしたから、中には困った殿様もいたでしょうね。家臣たちは大変そう・・・
ウソ
吉良の額の傷を6針縫ったとの事ですが、そんな治療できたんですね~😅
いろんな説があるんやね。😮
いつもコメントありがとうございます。いろいろな視点があって、クセになります。歴史❤️
塩田説に関すれば、吉良公の領地である吉良荘がある三河。元々此処は飛地が多くて、領地がパズルのように入り乱れてる所。そのため吉良公が治める土地に沿岸部分が無いですよね。塩田作りは無理。
コメントありがとうございます!飛び地が多かったとは知りませんでした。情報、ありがとうございます!
塩は作ってたみたいです。でも黄色くなってしまう。質がいまいちらしかったと聞いたことがあります。
浅野の刃傷で綱吉は将軍就任直後のころにあった、内藤忠勝の刃傷事件を思い出したかもしれませんね。
コメントありがとうございます。「またやつらか!」って思ったでしょうね。そんな恨みもあったかと。
昔、HARAKIRIってゲームがあって、大石一同はヨシムネ(綱吉じゃまい)を殺害してしまい、群雄割拠の戦国時代に逆戻り・・・恥ゲージが溜まると切腹してしまいます。
コメントありがとうございます。おもしろそうなゲームですね。見てみたかった・・・
今年も来ました、12月14日。討ち入りの日ですね!!精神病説、あるかもです💦何度も見たからこそ そんな気がします。大石内蔵助や家臣は大変でしたよね😅わたしは、東山くん演ずる浅野内匠頭が好きでした✨✨
コメントありがとうございます!「元禄繚乱」でしたっけ?東山くん、イケメンすぎてしびれましたよね♡
以前、殺傷事件の時の松の廊下の状況を再現した映像を見たことあるのですが、松の廊下は学校の廊下のような大きな窓は無く、当時の太陽の位置などから、松の廊下は人の顔を確認するのが困難なほど薄暗かったそうです。その映像では、斬りつけは吉良の声を頼りに行ったのではないかと言ってました。この辺りも、ドラマや映画で観たイメージとは全く違っているのが面白いところです。
松の廊下。縁側の大きい感じかと思っていました。歴史を調べるといろいろあって面白いですね。
衣装でわかるのでは?
殿中松の廊下の原因は浅野の精神異常説とする学者もおり、私もその説です。切腹した伯父の精神異常の遺伝、事件後の浅野の切腹するまでの坦々とした態度等、あながち突拍子もない説ではありません。
コメントありがとうございます!精神異常説、説得力ありますよね。私もこれかな・・・と思っています。
@@Cosono-Japan 様 御返信と貴重な御意見に深謝します。日本人なら誰でも知っているけれど謎が多く真相は不明、それが赤穂浪士討ち入りです。
事実は闇の中だけど浅野にとって吉良は切腹の危険をも上回る許しがたき何かが有ったことは確かでは無いでしょうか。
コメントありがとうございます!>切腹の危険をも上回る許しがたき何か現在の私たちには分からないことなのかも知れませんね。それを考察するのも面白いです。
播州弁が原因かと思っていたけど、やはり官僚政治の裏側ですかね?如何に理由を付けて相手を葬り去るか!でしょう。塩が絡むだけにええ塩梅って訳には行かなかったのかなぁ…
コメントありがとうございます。よく分からないですが、播州弁って荒々しいって言っている人がいました。それも関係あるのかもしれないですね。塩が絡むだけにええ塩梅って、うまい!
浅野内匠頭の先祖にも癇癪で場内で刃傷に及んだらしい。
コメントありがとうございます。他にもいるんですね!もっと調べなければですね。面白い情報をありがとうございます。
母方の叔父の内藤忠勝(享年26)ですね。1580年、増上寺で仲の悪い相方の永井尚長に嫌がらせを受け彼を刺殺したとのこと。彼は即日切腹にはならなかっただけ浅野内匠頭よりはマシ。母方に精神面に問題ある人が多かったのかな?
先祖じゃない
たぶん、浅野は精神的な病でストレスで吉良に襲い掛かったのかな~?接待のお金は全て自費な訳だから。
コメントありがとうございます!経費が自費って痛いですよね。豪華な時もあったでしょうけど、質素なときもあったはずだったと思います。
@@Cosono-Japan改易された時に金庫に三万両もあって藩札を六分で払い戻し、藩士全員に退職金を払えた裕福さですから接待費用や吉良への謝礼を弾んでも損はなかったのですが
浅野内匠頭はかなりケチだったらしい。
殿中松の廊下事件の当日(旧暦3月14日)は、いわゆる「木の芽どき」であった。
コメントありがとうございます!「木の芽どき」は不安定になりやすいんですよね。この言葉をすっかり忘れていました。ありがとうございます!
喧嘩両成敗とか言ってるけど内匠頭が勝手に斬りつけただけで吉良は被害者だと思うけど。
コメントありがとうございます。おっしゃるとおりですね。ずっと前のことですが、山形県人の方が憤慨していらっしゃって、そもそもの見方が違うことを知りました。ありがとうございます。
意外と刃傷事件って、多かったりするの?
コメントありがとうございます。感覚的なものですが、思ったよりは少ない(私が知らないだけ?)です。しかも、殿中でっていうのはないんじゃないかなと思います。・・・が、どうなんでしょうね。
多い。信用性80%でググりなさい
短刀を使うんだったら頸動脈を切ったり、後ろから心臓をブスリだよな。
コメントありがとうございます!本当に、確実性が低い部分を切りつけたわけで、ここも不思議なんですよね。
武士の作法を勉強しなさい。遺恨を晴らすためには、「この遺恨忘れたるや」と相手に伝えてから抜刀するのが作法。不意打ちが騙し討ちが好きなのはミカワ人だけ。
精神病の癇癪持ちで腫れ物扱いで育った人間だとして、わざわざ亡くなった君主のために赤穂浪士が死を覚悟で吉良を討ち取りに行くのかな?と疑問に感じました。
それは、自分達それぞれの家の評判を落とさない為では?現に志士の子孫は末代まで持て囃されているし。
コメントありがとうございます!おっしゃる疑問って、庶民にはわからない部分なのかもしれないですね。私も命はかけられないです。
コメントありがとうございます!家の評判、大切ですよね。取り潰しになるでしょうし。私は気が小さいので、命をかけることはできないですから、立派だったなと思います。
武士とは、そうゆうものです。
橫から失礼。結局主君のためというよりは、御家再興がならなかったことと、一か八か討ち入ることで、自身たちの再就職のためのパフォーマンスだったという説もありますね。😅
塩の利権問題が発端デス小刀と、言う、よりも、脇坂、小太刀という!
コメントありがとうございます。塩の利権、私はこれを知ったのは比較的遅かったので、まだ十分に調べられていないのかもしれないですね。小刀の正しい呼び方もお教えいただき、ありがとうございます。
なるほど 面白い説ですね 私は浅野が吉良を切りつけた理由は分からないが その後の幕府の 吉良に対する嫌がらせを 不審に思っていました 赤穂浪士が討ち入りをしやすいように 幕府はいろいろ画策しています また吉良藩に対する德川・尾張藩の嫌がらせもあります これは地元岡崎の德川家と 今川家本家の吉良家との確執があるのです 具体的に記すと長くなるので割愛しますが その後 吉良家もお家断絶を告げられていることがあまり知られてません 家康と大石内蔵助の姻戚関係もあります それは後の処分なのですが その前の事件の真相が闇でしたので 参考になりました ありがとぅございました
浅野はなぜ特別な日に切りつけたのか、吉良は本当に身に覚えがなかったのか、あったとしても言われたように本当のことは言いませんよね。これは現在も同じ事。でも中にはバカか正直者か「ああやってやったよ、そう言ったよ」いるかも知れませんが・・・・。321年前の事ですからね、実際は何が行われたか知る術はありません。知るにはあの世に行って確かめるしかないでしょう。会えればですが。
コメントありがとうございます!過去に戻るか、あの世で会うか。どっちにしても、一般民の私には無理そうですw
そもそも討ち入りはあったのか?。
コメントありがとうございます。討ち入りって言うとすごそうですけど、実際は地味な殴り込み程度のものだったのかもしれません。そのあたり、資料がなくて。今後の課題です!
なぜ上杉鷹山公が素晴らしい君主であるのか‥?その答えは吉良上野介の浪費癖で米沢藩の財政をめちゃくちゃにしたからで、その後鷹山公が財政改革で藩を建て直したからで、赤穂事件の後日談も教えて欲しい。つまり吉良上野介は必ずしも名君ではない由(悪気はなくともどこかの知事の様に息子におねだりを 重ねたのです)
吉良の尻拭いの件もさることながら、元々上杉は会津120万石だったのが関ヶ原で負けたので米沢30万石へ。さらに時は下って3代藩主綱勝が跡取りを残さず死去し、本来ならそこで御家断絶のところを大老格の保科正之の尽力で吉良家から養子綱勝を迎え、御家断絶は免れたが15万石に半減。しかも家臣団は120万石当時からほとんど解雇しなかったから分不相応な膨大な家臣を養う必要がありました。これでは吉良や藩主の浪費が無くとも財政破綻になるのは当然です。
赤穂藩のナンバー2は、弟の浅野大学です。
コメントありがとうございます。浅野大学は、浅野長矩の弟でしたよね?ドラマなどでは影が薄く描かれることが多いですけど(私が知っているのがたまたまだったのかも)、もっとクローズアップしてもよい人物だと感じでいます。
ウソを書いてはいけない。分地した赤穂藩と浅野大学は無関係。綱吉が強引に関係者に仕立て上げた。その証拠に大学以外の浅野長矩血縁者は謹慎程度の処分。ウソを書く前に勉強しなさい
財政難の幕府が、赤穂藩の塩田を狙ってのでっち上げ事件。
コメントありがとうございます!幕府が絡んでるとなると、即刻切腹させたのも納得です。
なら、どうして最終的に森家が赤穂に封じられる?
綱吉が即刻切腹を言い渡したのは、殺生を禁止した生類憐みの令も関連してると思うのですが
生類憐みの令!まさに今、資料を見てるんです。関連付けてみると、新しい観点が見えそうです。ありがとうございます!
返信どうもです。個人的な考え方は なんですが、本来生類憐みの令は、もはや戦国では無いという観点から発布されたと思います。それを次期将軍家宣とその側近達が綱吉は悪行。自分達は善意ということでめちゃくちゃに改悪したと思われます。その考え方は、家宣政権の後の吉宗の享保の改革は、一部綱吉政権下の政策も取り入れていると言われてるため、その考え方にいたりました。
ありがとうございます!綱吉はそれほど悪い将軍じゃないんですよね。改悪説、深いです!
山鹿流との関連を勉強して出直した方がいいです。真実がまるでわかってませんね😪
動画ありがとうございます。この事件は、ずっと氣になってました。この事件の最大の謎、動機についての情報です。たま出版超脳霊視聴『忠臣蔵 松の廊下」白石秀行著タイトルの通り霊視と呼ばれる考察です。根拠は、薄いですが非常に興味深いです。私は歴史に疎いので検証はできません。もし氣になるなら検証して頂けると嬉しいです。ただ、内容的に世に出せないかもしれませんが。※因みに、個人的には幕末の因果関係もあるなでは? って氣がします。
コメントありがとうございます!面白そうな本のご紹介、感謝します。読んでみます!
女優の大原麗子さんは浅野内匠頭の末裔❤
コメントありがとうございます!大原麗子さん、めちゃくちゃ美人な方でしたよね。
子孫はいないよ
経緯はどうあれ刃傷を起こした浅野が加害者 吉良が被害者で 切腹を申し付けた将軍綱吉を仇討ちにて首を取るのが正しいのだわ。 吉良はとんだとばっちりで首を取られた。
吉良は優秀な人ですし、とばっちりです、ホントに…
付け届けは、内匠頭がしなくていいといっても賢いかしんがいたようですがそんな家臣なら黙ってたくさんの付け届け送りますよね〜😂
どうこういうことはない良識ある人はある程度はわかっているドラマはドラマでいいです、本当の事は誰もわからないそれでいい😊
コメントありがとうございます!
精神病説もいまいち説得力に欠けると思うが...
コメントありがとうございます!真実は分からないですもんね。きっと、当時の人も分からなかったのかもしれませんね。でも、だから探りたくなってしまうのですが・・・
勅使によっては食事の好み等嗜好が違うことを吉良はよく理解して粗相のないように吉良は教育役として浅野内匠頭に役目をきちんと努めてもらうために多少はきつく言う場面もあったと思う。それに内匠頭も一度この役をしていて吉良から教育を受けているはず
コメントありがとうございます!本当に不思議ですよね。不思議だから面白いのですが・・・
吉良上野介と家臣たちはテロ集団に襲われた被害者だと思う
そうですよね。まさにテロ!
なら神武天皇は虐殺者。武士の時代と原則国民平等の時代では、メンタルが違う
いくら癇癪持ちでも何もしない吉良に斬りかかるとは思えないしね。板倉が厠で細川藩主を切り付ける事件が有りましたがその時も板倉は精神病が原因でって書かれてますからね。吉良はお金の使い方が荒かったみたいだから浅野との間で金銭を巡る嫌がらせがあったんじゃ無いかな。
お金がらみになると、それぞれの藩によって懐事情も違うでしょうし、ややこしくなりますよね。
現代でも何もしない人に突然斬りかかる事件はたまにあります。知らないとは言わないよね。なら何もしない吉良に斬りかかることもあるんじゃない?
コメントありがとうございます。ありますね。怖い・・・
自分が何で小刀振り上げたかはわかって無い?て事か大石はじめ、47士は、再雇用難しかったメンバーか?そうなれば、吉良さんもやられ損やな美談にしてしまった仲間がいたて事になるな
おいおい、法被着て討ち入りとか・・・・
コメントありがとうございます!揃いのはっぴを着て・・・ってところは、後世の演出かも・・・と思ってます。
浅野内匠頭、シャブ中説は?
私は忠臣蔵の話は納得できず、感動したり好きになることはありませんでした。それは一国一城の主である浅野が、禁を犯して江戸城内で刃傷沙汰をする理不尽さゆえです。いきなり刃物で襲いかかるのは、現代でも頭のおかしい奴のすることです。ましてや国会議事堂に当たる城中ですよ。やった後どうなるか火を見るより明らかです。自分が咎められるだけなら兎も角、お家取り潰しとなり、家族のみならず家臣達も路頭に迷うことになるのです。そんな考え無しな行動を起こすのは、知的障害か発達障害、薬物乱用者位しかないですよ。吉良さんはなかなか常識のある、人に好かれる人だったとも聞いたことがあります。個人宅を48人で襲撃したなんて、226事件のようです。結局襲って仇討ちが終わったあと、若い赤穂浪士達は皆、切腹して果てました。誰も幸せにはならないお話です。私も浅野が沸点の低いアタオカか、突然神の声が聞こえちゃった人だと、常々思っていました。綱吉も基地外に饗応役を命じたのかと朝廷側に知られたくなくて、早々に切腹を命じたのではないでしょうか?
コメントありがとうございます!私の祖母が忠臣蔵が大好きだったのですが、「なんで?」ってずっと思っていました。全員不幸で、美談じゃないですよね。
当時の武士の心情は現代人には到底理解できないと思う。
内匠頭が精神病ならちゃんと調べなくてそんな大役に選ばれるのかな〜?
チッしゃあねぇな。いかねぇと後で陰口叩かれるわor言ってないけど行った事にしたろって奴がほとんどだったんじゃないかな
コメントありがとうございます。なんだか分かります・・・笑
忠臣蔵は、浅野のせいで関わってしまった人間が、不幸な結末を迎える話ですね。一番気の毒なのは、浅野を止めた人ですね。仕事場で老人に切りかかったら、止めます。しかし、無責任ヤロー共に非難されてしまいます。今でも好きでないし、これからも好きになれないでしょう。
コメントありがとうございます。多くの行動は、周りの人を巻き込んでしまうんですよね。よいことも悪いことも。私も気をつけようと思います。
Psycho I think so too
Thank you.
吉良が悪で浅野が正義でいいじゃん 真相がわからないのでそれで決まり。
事実だけ見たら浅野が悪で吉良は被害者じゃん。それが真相なのでそれ決まり。
コメントありがとうございます!分からないからこそ真相を探りたくなる、ただのヲタクです、笑
コメントありがとうございます!吉良が被害者。まさに!
吉良君可哀想😢唯の老人に対する集団私刑😨
吉良は、自分の藩では素晴らしい人だったんですよね。
唯の老人が賄賂を強要しないよ
@@提灯屋八郎衛門他の高家もやってましたけどね。吉良は4200石だから高禄なほうだけど、高家は1000石前後が一般的(大石の石高よりも低い)。それで大名格を維持しなければいけなかったから付け届けは幕府からも黙認されてました。付け届けは一般的にあり、あの松平定信でさえ自分の出世のために田沼意次に付け届けを送ってたくらいした。今のお中元お歳暮はその付け届けの名残です。
究極の老人の虐め
コメントありがとうございます!年齢から考えると、あり得ないですよね。本当に・・・
真相は誰にも分からないところが歴史の面白いところ。
コメントありがとうございます。本当に、誰にもわからないところがオタク心をくすぐりますw
普通に考えてたら吉良邸討ち入りが成功するのがおかしい。
明らかに幕府が見逃しているのが分かる。
何故か、それは原因が天皇の扱いの違いに有るから。
本来なら天皇の勅使の方が上座につくべきで、それを将軍側を上座にすげようとする吉良側は、室町幕府からの慣例によるもの。これは室町幕府が朝鮮使節等に権威を示すのが目的。だけど浅野家は天皇を上におくのが家訓。つまりこれは浅野家の幕府に対する抗議で有って、精神疾患とかでは無い。何故かと言うと百年後に浅野家の願いを受けて、幕府は天皇の勅使上座に置くに作法に切り替えているからだ。
幕府としては余り知られない様にしたかっただけの事で、吉良はどちらかと言うと幕府に裏切られた形に成る。
確か、江戸城下に赤穂浪士のメンバーが多数潜入してる事を幕府は把握してたんですよね。それを放置してました。って事は幕府側も吉良を煙たく思ってたと思うのですが…。(^_^;)💧
コメントありがとうございます!
そして、興味深い内容です!
歴史ってやっぱり面白いです。
コメントありがとうございます。
吉良が煙かったのはあるでしょうね。
納得です。
みんなが討入りを黙認していたからですよ。
柳沢吉保の元家臣のところに、堀部弥兵衛が討入りの文言について相談しにいき、お墨付きを得ています。
表向き、主従関係がなくとも連絡を取り合っていた事から、当然、柳沢吉保は討入りの意図を察していたものと判断されます。
トドメに、討入りの報告を素早く受けていながら、見殺しを決め込んだ老中もいましたしね(誰とは言いませんが、土屋相模守政直は、何もせず、吉良を見殺しにしました)。
江戸まで百両(約一千万円)の軍資金を送ってくれた商人もいますし、討入りは言わば、みんなの共同作業に近いと思います。
そもそも、江戸城下で討ち入りと言う形の合戦をされては面子が立たないと言う事では?
吉良の子息は上杉に養子入りしているから、吉良に上杉がつくのも抑制しているし、赤穂浅野家は広島が本家、上杉対浅野の戦いを太平の世に幕府の居城付近でやられたらと言う怖さはあるかと。
そして、その原因が綱吉が喧嘩両成敗の法度を曲げて吉良を助けているところにあり、綱吉の政策に不満を持っていた庶民も多数いたかと。
討ち入りを単なる私怨で片付ける事で、合戦に伴う暴動を抑えたかったのでは?
映画やドラマと史実を混同してる人って多いなあと思う。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおり、ドラマと史実の混同、多いですよね。
過去の話も、現在も・・・
この事件の最大の失敗は浅野でも吉良でもなく、綱吉の即断即決による処刑でしょうね。
取り調べもろくにやらないで切腹させたのは大失敗だと思います。
コメントありがとうございます!
綱吉の即断即決
本当にこの部分、大失敗!
生類憐れみの令の将軍なのに・・・と個人的に思います。
『松の廊下』は刃傷沙汰御法度で、そこで刀を抜いて、しかも血で汚したなんて、由々しき事態だからね。
徳川家の家臣として、絶対に犯してはいけない罪を犯した事による切腹なんだよ。
吉良上野介との確執とか関係ないからね。
喧嘩両成敗、それを守らなかった綱吉の行いが、浅野内匠頭切腹から討ち入りまでの全ての原因かと。
忠臣蔵はドラマや物語によって語られるような美談ではないと思う。あれは売れるように都合のいいように考えられた創作部分がおおいと思う。まあそれを言ったら殆どの物語がそうなるのかな。
コメントありがとうございます!
おっしゃる通り。
美談ではないですよね。
創作しやすかったんでしょうね。
小林亜星 の作曲した 美空ひばりの歌 5:31 小林亜星のさっきよくした
忠臣蔵は幕府に対する庶民の不満によってできた物語と言ってもいいと思います。
直接幕府批判ができないので、幕府の代わりが吉良上野介。庶民の代わりが赤穂浪士及び大石内蔵助というところでしょうね。
夢枕獏先生の「大江戸釣客伝」の文中では浅野氏は統合失調症であった可能性が高いと書いてありますね。
コメントありがとうございます!
やっぱり、精神的な疾患持ちですよね。
夢枕獏先生の「大江戸釣客伝」も読んでみます。
情報ありがとうございます。
吉良を治療した医者が、同時に浅野も診察していて、「乱心ではなく、正常である」と診断しているのだから、精神病というのは間違いです。
ただし、正義感は強くとも、強情で融通の利かないのが浅野の性格ですから、やむなく起きた事件とも言えます。
この間の遺恨ではなく、「上野介め」と叫んで切りかかったのが真相です。大勢の面々の前で罵られて逆上したのが事実です。
討入りには遅刻者はでるし、死んだふりして生き延びた吉良家の家臣もいれば、壁に穴を開けて逃げた家老もいます。
専門家の研究を参照されると良いでしょう。古文の読み下し分も、簡単に手に入りますから。
事実である赤穂事件と劇である忠臣蔵とは、全く別物ですよ。創作である忠臣蔵の影響が大きすぎたんですね。
作家冥利につきますねえ‼️
コメントありがとうございます。
まったく別物。
おっしゃる通りです!
歌舞伎に取り上げられた時点で創作が99%になった感じですねw
徳川綱吉が浅野に即日切腹を命じたのは、この年の儀式は身分の低かった生母桂昌院に女性最高位の従一位の位を申請している最中だったからと思います。この年、年賀使として上洛したのも吉良ですからね。綱吉は尊皇家でもありましたのでさすがにあの怒りようは無理もないと思います
コメントありがとうございます。
桂昌院の件も絡んでいるんですね。
納得です。
貴重な情報、ありがとうございます!
@@Cosono-Japanご返信ありがとうございました。
確かに。大内内蔵助の前任者も、浅野内匠頭の癇癪の尻拭いばかりさせられ、嫌気がさして辞めたと本で読んだ記憶がある。
コメントありがとうございます。
尻拭いが大変そう・・・
大抵の殿様はそんなもんかと。
子供の頃から甘やかせて育てられたら。
今の時代にも、沢山の暴君を育てているバカママ達がいますので。
大変面白い視点だと思いました。次回作も楽しみにしています。
コメントありがとうございます!
これからもがんばります。
内藤忠勝が取り上げられるなら、稲葉正休が大老・堀田正俊相手に起こした刃傷も該当するな。
稲葉正休は、内藤忠勝とその妹・波知(浅野長矩の母)の従兄甥に当たる。
コメントありがとうございます!
そして貴重な情報も感謝します。
やっぱり一族に問題ありなんですね。
赤穂事件と忠臣蔵は別物ですよね。
歴史にタラレバは駄目ですが江戸期各藩では主君に問題がある場合には『主君押し込め』と言って家中らが結託し、なかば主君を強制的に隠居させる事例があったとのこと。弟の浅野大学に家督相続しておけば家名は続いていたかもしれませんね。
余談になりますが肥後藩主細川宗孝が江戸城内大広間脇の厠に立っ際、乱心した旗本の板倉勝該に突然背後から斬りつけられ、絶命した事案もありました。
細川宗孝は後継藩主を決めてなかったので廃絶になるところでしたが側に通りかかった伊達藩主の機転で廃絶は免れたようです。細川公はまだ存命じゃ早う屋敷に送り治療するのじゃと細川家中に大声で申し聞かせたそうです。
この間の遺恨、と言っているのだから、それが本当なら、朝廷の使者を遇する考え方の違いによるものではなさそう。もっと個人的な恨みのようなものだと思われるが、それが逆恨みかどうかは判らない。
コメントありがとうございます!
個人的な悩み。
時代的に、いろいろ根深い物がありそうですね。
浅野内匠頭の持病の癇癪で引き起こした事件です。たまたま松の廊下で出会った吉良上野介と立ち話をしていたら処浅野内匠頭の癇癪の発作が出て突然抜刀して吉良上野介に切りかかったのです。だから喧嘩両成敗でなく、一方的に浅野内匠頭が起こした刃傷沙汰と裁定されました。だからその日うちに切腹を命じられたのです。その一報を聞いた大石内蔵助はとうとうやらかしたと思った事でしょう。家臣としては事の経緯はどうであれ、仇討ちとなったのです。仮名手本忠臣蔵では面白おかしくするために、浅野内匠頭を悲劇のヒーローに祭り上げて、吉良上野介を悪者にしたのです。
コメントありがとうございます。
何かがあったと考えがちですが、ある意味、吉良は完全な被害者なんですよね。
山形出身の方が怒っていたんですけど、納得ですね。
癇癪ではなく、大勢の目の前で罵られたことが理由で、たくさんの資料から証明されています。
徳川実記にも、きちんと記されています。
@@kuru-qg1iu
徳川実記や他の資料を読まれたのですか?仮に罵られたとしても、浅野内匠頭は勅旨接待役は二度目で、書かれた内容も酷かったからだと思います。
極めて珍しい事態だったため、綱吉の裁定は別として、何が起きたのか、徹底的な聞き取り調査が行われています。その一部が徳川実記にあり、読み下し文はネットにも引用されていて、誰でも読める状態ですよ。わざわざ国会図書館に行かなくとも古文書に目を通せます。
映画やドラマと異なり、近くに数十人が控えていて、事態を見ていた僧侶から聞き取り調査が行われ、それを正確に記録したのは、日本人特有の生真面目な性格によるものです。
事件が起きたのは午前11時頃。
鷹司信子(綱吉の正妻)からの伝言を伝えるため、梶川が浅野、吉良を探しに来ただけで、そこで事件が起きました。
他国なら、事実をねじ曲げて記録した事でしょう。
勅使三人は御休息の間にいて、綱吉との対面待ちでしたが、目の前の廊下で起きたため、式を続けて良いか聞かれた時、「血の汚れ。苦しからず」と言った事は有名です。
事件の詳細を、浅野を畳にねじ伏せた梶川に書かせたり、幕府も対応に苦慮したようですが、吉良邸討入りの際は、報告を受けた老中(土屋政直)も、助けを出さずに見殺しにしています。
いずれも、ちょっと調べれば簡単にわかる事ですから、改めて調べられる事をお勧めします。
古文書の解説書が買えるのなら、若い時の吉良上野介は美形で、周りの反対を押切り、強引に嫁入りした奥さんの話も出てきますが、そこまでの知識は普通は必要ないです。
松の廊下と討入りの詳細だけは、歴史マニアとかなら知るべきでしょう。まずは古文書の解読からですね。
江戸城内で元禄期に起こった「殿中松の廊下刃傷事件」は内匠頭を後ろから抱き止めた梶川与惣兵の「梶川日記」によれば「此間の遺恨覚えたか!」と叫び突然斬りつけたと記されているようです。
梶川日記が事実を客観的に書かれたものであると言う前提で考えると、やはり内匠頭は是非はともかく吉良に何らかの遺恨があったのは確かだと思われる。
梶川に抱き止められ、他の幕府要人数人に引き立てられて別室で目付に「先程の事は定めし乱心でござろう?」と詰問され…「乱心ではござりませぬ、吉良殿には兼ねてより遺恨がござりました。」と冷静に受け答えしている事、さらに取り押さえられた直面に「もはやこの期に及んでお上に対し奉り何の遺恨のござりませぬ」と恭順している事等々を考えると確かに、短気や短慮、と言った内匠頭が日頃持ち合わせていた欠点を爆発させてしまったのは現代の我々から見れば、批判されてしかるべきだとは思うが、浅野内匠頭の精神的疾患が原因とする説には少し疑問を感じる。要約すれば浅野内匠頭は元々短気で短慮な性格ではあったが、現代で言ういわゆる「精神疾患」ではなかったと言う事。
コメントありがとうございます!
「梶川日記」存在を知りませんでした。
探してみます!
精神疾患ではなかったとのこと。
なるほどです。
もっと調べてみます。
ありがとうございます!
@@Cosono-Japan 様恐縮です。だだこれはあくまでも私見です。松の廊下刃傷事件の歴史的資料はこの梶川日記が唯一の物とされているようです。わ
そもそも、これはテロ事件ではないのか? 復讐の先は不当な裁決をした幕府なのでは?
コメントありがとうございます。
私も、そう思います!
武士の世界、難しいです。
浅野内匠頭のやらかしって武士って視点で見てもかなり拙い。
正々堂々ではなく卑怯にも背後からの不意打ちだったにもかかわらず爺さん(吉良上野介・59歳)一人討ち取れなかった挙句に
老人(梶川頼照 54歳)に押さえつけられて終わりなんて武士としてこれほどの恥はない。
武門の家で知られた浅野家だったのにその棟梁が爺一人討ち取れなかったなんて武士としても領主としても面目は丸つぶれ。
そう考えるとこの事件はあまりにリスキー過ぎて正気ではなかったか何かの裏があるのではという考察もあり得ますよね。
確かに、若者もお爺さんですから、圧倒的な差があるんですよね。
私も正気じゃなかったと思います!
浅野は57代清和天皇の源氏。ルーツは吉良の成り上がりと異なる!
さまざまな視点で楽しく観させて頂きました。双方のその後を考えると将軍綱吉及び幕閣の裁定ミスに巻き込まれたとしか思えません。
コメントありがとうございます!
この当時は喧嘩両成敗が基本だったわけで、どんな事情があったにせよ、ロクに調べもせず、過失割合を10対0にするのはマズかったですよね。
12月14日は旧暦(太陰暦)で、新暦(太陽暦)では翌年の1月○日
故樋口清之氏は、吉良が浅野に意地悪をするようになったのは以下の理由と唱えている。赤穂側が吉良に製塩法を教わり、吉良が塩を売っていた江戸でも販売するようになるが、売り上げが芳しくない。そこで、大石義雄が幕臣に賄賂を贈り、将軍綱吉の歯磨き用に赤穂の塩を使ってもらうように仕向けた。その結果、吉良側の塩が売れなくなり、吉良にしてみれば製塩法を教えた恩を仇で返された。それをきっかけに吉良が浅野に意地悪をするようになった。しかし、自分も今は投稿主の説の方が納得できる。
コメントありがとうございます。
私の知らない説です!
おもしろい!
ありそうな理由です。
全て今、これは否定されて学者レベルでは誰もいわない
現代でも、池田小事件とか秋葉原通り魔事件のように何の恨みもない相手に突然発狂して切りつける殺傷事件がいくらでもありますし、当時もそういう人間が希に現れても不思議では無いですよね。
コメントありがとうございます。
今も昔も、ありますよね。
世襲が定番の時代なので、困った殿様もいるでしょうし、一番困っていたのは家来かもしれません。
浅野のたくちゃんが、吉良くんに切りつけちゃった事から始まる物語、勅使饗応役を一代に二度、やる事は、無いって物のになのと、江戸家老が、付け届けを怠ってのもねって囁かれてますが、
コメントありがとうございます。
付け届けを怠っても、だからって、ね~って感じですよね。
そんなに心が狭かったわけはないでしょうし、真実はなんだったんでしょうね。本当に・・・
作り話で本当の事はわかりません、情報がわからないでしょう
コメントありがとうございます!
歌舞伎とかで取り上げられると、ドラマチックになってしまうので、本当の事は少ないですよね。
そこを探ると、都合の悪い部分がごっそりなくされていたり。
でも、そこが面白かったりしてしまう、ヲタクです、笑
私の家は、赤穂浪士の磯貝十郎左衛門正久と同族で、戦国時代中期から群馬県の磯部温泉の近くにいました。徳川慶喜やその当時の幕臣からもらったという書が代々飾ってあります。お忍びで徳川慶喜ご一行が磯部温泉に来ていたのかも?
コメントありがとうございます!
お忍びで・・・とか考えると、わくわくしますよね。
子どもの頃から忠臣蔵は不可解な話と思っていました。浅野内匠頭を殺したのは吉良上野介ではない。むしろ、切りつけた内匠頭が加害者なのに、吉良は逆恨みで殺されてしまった。これは、仇討ちでも何でもない道理の通らぬ話だと。
この話は仇討ちではなく、主君の本懐を遂げる話でした。理由は重要ではなく、内匠頭は上野介の命を奪おうとしたのだが果たせなかった。四十七人の元藩士が、元主君に代わってその意図を貫徹したのでした。だから、忠臣なわけです。それが分かったのは、とうに大人になってからでした。遅い。
コメントありがとうございます!
武士の世界って難しいです。
でもだから、ステキだったりもします。
吉良上野介は、あの平和な江戸時代にもかかわらず、泥棒も人殺しにも手を染めていた事実を知って言っておられるのでしょうか?
奥さんの兄を毒殺し(証言者 上杉家家老の千坂兵部)、「吉良殿が来ると、泥棒ばかりするから、重要なものを座敷に置いておくな(津軽家の言い伝え)」と言われたりしていた事を、ご存知ないのでしょうか?
松の廊下で切りかかられた直後、「身から出た錆」と身内から酷評されているのも、それなりの理由があるからです。
良く調べてからでないと、人物への評価は難しいです。
忠臣蔵って冷静になると色々となんかヘンだよなー
コメントありがとうございます!
子どもの頃ドラマで見たときは、すごいなって思ったけど、
その後、大人になって、「あれ?」って思ったストーリーです、笑
綱吉の悪政に犬猿の仲だった光圀が勅使の日に暗略した説もありますね
それは無い、松の廊下事件の2年前に光圀亡くなっているから。
コメントありがとうございます。
そんな説もあるのですね!
調べてみます。
歴史って面白いですね。
コメントありがとうございます。
先に亡くなっているんですね!
いろいろ面白いです。
浅野一族の血塗られた歴史というタイトルに強い違和感を感じます。
内藤事件は完全に無関係です。
さらに、血塗られた一族というなら、四代遡ると、先祖が戦国武将の浅野長政なのをご承知でしょうか?
浅野長政の三男が、笠間近辺に領地を与えられ、中には、徳川秀忠からもらった領地もありました。
さらにその子の代で赤穂に転封となり、大野九郎兵衛や、堀部弥兵衛他の家臣も引き連れて行きました。
長政、長重、長直、長友と受け継がれ、その子の長矩が、松の廊下で切りつけました。たまたま、事件を起こした人間が一人か二人いただけで、精神疾患とは又別物という研究結果が出ています。
討入りに遅刻した浪士がいたり(堀部弥兵衛)、壁に穴を開けて逃げ出した吉良家家老もいるなど、事実をさらに深く追求すべきでしょう。
ドラマや映画は、キレイに描かれ過ぎているのは、確かに解説通りですね。
浅野内匠頭の即時切腹はそんなにおかしい話にも思えない。
勅使を迎えるにあたって不祥事を起こすことは、将軍の顔に泥を塗り付け、徳川幕府の威信を地に貶す行為に等しい。
将軍としても、幕府としても毅然たる態度を諸侯に見せる必要がありますから。
また、吉良上野介が何かをしたというのは考え難い。
饗応役は勅使を迎えるという重要なお役目で、ここでのミスは良くて切腹、下手すれば藩の取り潰し。当然、指南役もほぼ同等の罰を受ける可能性が非常に高い。
恐らくは浅野内匠頭が刃傷に及んだのは精神疾患というのがしっくり来る。
どんなに短気な殿様も通常の神経を持っていれば、幾ら恨み浸透でも確実に藩が取り潰しになる殿中での刃傷事件は起こさない位の分別を持てますからね。
ましてや五万石程度の木端大名なら、幕府にとって潰したとしても痛くも痒くもないですしね。
コメントありがとうございます!
やはり精神疾患がしっくりきますよね。
残された家臣のことを少しでも考えてくれると、刃傷沙汰にはならなかったのでは?と思うと、残念です。
浅野の殿様はイラチだったって有名?だよね
コメントありがとうございます。
殿様は世襲が基本でしたから、中には困った殿様もいたでしょうね。
家臣たちは大変そう・・・
ウソ
吉良の額の傷を6針縫ったとの事ですが、そんな治療できたんですね~😅
いろんな説があるんやね。😮
いつもコメントありがとうございます。
いろいろな視点があって、クセになります。
歴史❤️
塩田説に関すれば、吉良公の領地である吉良荘がある三河。元々此処は飛地が多くて、領地がパズルのように入り乱れてる所。そのため吉良公が治める土地に沿岸部分が無いですよね。塩田作りは無理。
コメントありがとうございます!
飛び地が多かったとは知りませんでした。
情報、ありがとうございます!
塩は作ってたみたいです。でも黄色くなってしまう。質がいまいちらしかったと聞いたことがあります。
浅野の刃傷で綱吉は将軍就任直後のころにあった、内藤忠勝の刃傷事件を思い出したかもしれませんね。
コメントありがとうございます。
「またやつらか!」って思ったでしょうね。
そんな恨みもあったかと。
昔、HARAKIRIってゲームがあって、大石一同はヨシムネ(綱吉じゃまい)を殺害してしまい、群雄割拠の戦国時代に逆戻り・・・
恥ゲージが溜まると切腹してしまいます。
コメントありがとうございます。
おもしろそうなゲームですね。
見てみたかった・・・
今年も来ました、
12月14日。
討ち入りの日ですね!!
精神病説、あるかもです💦
何度も見たからこそ そんな気がします。
大石内蔵助や家臣は大変でしたよね😅
わたしは、
東山くん演ずる
浅野内匠頭が好きでした✨✨
コメントありがとうございます!
「元禄繚乱」でしたっけ?
東山くん、イケメンすぎてしびれましたよね♡
以前、殺傷事件の時の松の廊下の状況を再現した映像を見たことあるのですが、松の廊下は学校の廊下のような大きな窓は無く、当時の太陽の位置などから、松の廊下は人の顔を確認するのが困難なほど薄暗かったそうです。その映像では、斬りつけは吉良の声を頼りに行ったのではないかと言ってました。この辺りも、ドラマや映画で観たイメージとは全く違っているのが面白いところです。
松の廊下。
縁側の大きい感じかと思っていました。
歴史を調べるといろいろあって面白いですね。
衣装でわかるのでは?
殿中松の廊下の原因は浅野の精神異常説とする学者もおり、私もその説です。切腹した伯父の精神異常の遺伝、事件後の浅野の切腹するまでの坦々とした態度等、あながち突拍子もない説ではありません。
コメントありがとうございます!
精神異常説、説得力ありますよね。
私もこれかな・・・と思っています。
@@Cosono-Japan 様 御返信と貴重な御意見に深謝します。日本人なら誰でも知っているけれど謎が多く真相は不明、それが赤穂浪士討ち入りです。
事実は闇の中だけど浅野にとって吉良は切腹の危険をも上回る許しがたき何かが有ったことは確かでは無いでしょうか。
コメントありがとうございます!
>切腹の危険をも上回る許しがたき何か
現在の私たちには分からないことなのかも知れませんね。
それを考察するのも面白いです。
播州弁が原因かと思っていたけど、やはり官僚政治の裏側ですかね?如何に理由を付けて相手を葬り去るか!でしょう。
塩が絡むだけにええ塩梅って訳には行かなかったのかなぁ…
コメントありがとうございます。
よく分からないですが、播州弁って荒々しいって言っている人がいました。
それも関係あるのかもしれないですね。
塩が絡むだけにええ塩梅って、うまい!
浅野内匠頭の先祖にも癇癪で場内で刃傷に及んだらしい。
コメントありがとうございます。
他にもいるんですね!
もっと調べなければですね。
面白い情報をありがとうございます。
母方の叔父の内藤忠勝(享年26)ですね。1580年、増上寺で仲の悪い相方の永井尚長に嫌がらせを受け彼を刺殺したとのこと。彼は即日切腹にはならなかっただけ浅野内匠頭よりはマシ。母方に精神面に問題ある人が多かったのかな?
先祖じゃない
たぶん、浅野は精神的な病でストレスで吉良に襲い掛かったのかな~?接待のお金は全て自費な訳だから。
コメントありがとうございます!
経費が自費って痛いですよね。
豪華な時もあったでしょうけど、質素なときもあったはずだったと思います。
@@Cosono-Japan改易された時に金庫に三万両もあって藩札を六分で払い戻し、藩士全員に退職金を払えた裕福さですから接待費用や吉良への謝礼を弾んでも損はなかったのですが
浅野内匠頭はかなりケチだったらしい。
殿中松の廊下事件の当日(旧暦3月14日)は、いわゆる「木の芽どき」であった。
コメントありがとうございます!
「木の芽どき」は不安定になりやすいんですよね。
この言葉をすっかり忘れていました。
ありがとうございます!
喧嘩両成敗とか言ってるけど内匠頭が勝手に斬りつけただけで吉良は被害者だと思うけど。
コメントありがとうございます。
おっしゃるとおりですね。
ずっと前のことですが、山形県人の方が憤慨していらっしゃって、そもそもの見方が違うことを知りました。
ありがとうございます。
意外と刃傷事件って、多かったりするの?
コメントありがとうございます。
感覚的なものですが、思ったよりは少ない(私が知らないだけ?)です。
しかも、殿中でっていうのはないんじゃないかなと思います。
・・・が、どうなんでしょうね。
多い。信用性80%でググりなさい
短刀を使うんだったら頸動脈を切ったり、後ろから心臓をブスリだよな。
コメントありがとうございます!
本当に、確実性が低い部分を切りつけたわけで、ここも不思議なんですよね。
武士の作法を勉強しなさい。遺恨を晴らすためには、「この遺恨忘れたるや」と相手に伝えてから抜刀するのが作法。不意打ちが騙し討ちが好きなのはミカワ人だけ。
精神病の癇癪持ちで腫れ物扱いで育った人間だとして、わざわざ亡くなった君主のために赤穂浪士が死を覚悟で吉良を討ち取りに行くのかな?
と疑問に感じました。
それは、自分達それぞれの家の評判を落とさない為では?現に志士の子孫は末代まで持て囃されているし。
コメントありがとうございます!
おっしゃる疑問って、庶民にはわからない部分なのかもしれないですね。
私も命はかけられないです。
コメントありがとうございます!
家の評判、大切ですよね。
取り潰しになるでしょうし。
私は気が小さいので、命をかけることはできないですから、立派だったなと思います。
武士とは、そうゆうものです。
橫から失礼。結局主君のためというよりは、御家再興がならなかったことと、一か八か討ち入ることで、自身たちの再就職のためのパフォーマンスだったという説もありますね。😅
塩の利権問題が発端デス小刀と、言う、よりも、脇坂、小太刀という!
コメントありがとうございます。
塩の利権、私はこれを知ったのは比較的遅かったので、まだ十分に調べられていないのかもしれないですね。
小刀の正しい呼び方もお教えいただき、ありがとうございます。
なるほど 面白い説ですね 私は浅野が吉良を切りつけた理由は分からないが その後の幕府の 吉良に対する嫌がらせを 不審に思っていました 赤穂浪士が討ち入りをしやすいように 幕府はいろいろ画策しています また吉良藩に対する德川・尾張藩の嫌がらせもあります これは地元岡崎の德川家と 今川家本家の吉良家との確執があるのです 具体的に記すと長くなるので割愛しますが その後 吉良家もお家断絶を告げられていることがあまり知られてません 家康と大石内蔵助の姻戚関係もあります それは後の処分なのですが その前の事件の真相が闇でしたので 参考になりました ありがとぅございました
浅野はなぜ特別な日に切りつけたのか、吉良は本当に身に覚えがなかったのか、あったとしても言われたように本当のことは言いませんよね。これは現在も同じ事。でも中にはバカか正直者か「ああやってやったよ、そう言ったよ」いるかも知れませんが・・・・。321年前の事ですからね、実際は何が行われたか知る術はありません。知るにはあの世に行って確かめるしかないでしょう。会えればですが。
コメントありがとうございます!
過去に戻るか、あの世で会うか。
どっちにしても、一般民の私には無理そうですw
そもそも討ち入りはあったのか?。
コメントありがとうございます。
討ち入りって言うとすごそうですけど、実際は地味な殴り込み程度のものだったのかもしれません。
そのあたり、資料がなくて。
今後の課題です!
なぜ上杉鷹山公が素晴らしい君主であるのか‥?
その答えは吉良上野介の浪費癖で米沢藩の財政をめちゃくちゃにしたからで、その後鷹山公が財政改革で藩を建て直したからで、赤穂事件の後日談も教えて欲しい。つまり吉良上野介は必ずしも名君ではない由
(悪気はなくともどこかの知事の様に息子におねだりを 重ねたのです)
吉良の尻拭いの件もさることながら、元々上杉は会津120万石だったのが関ヶ原で負けたので米沢30万石へ。さらに時は下って3代藩主綱勝が跡取りを残さず死去し、本来ならそこで御家断絶のところを大老格の保科正之の尽力で吉良家から養子綱勝を迎え、御家断絶は免れたが15万石に半減。しかも家臣団は120万石当時からほとんど解雇しなかったから分不相応な膨大な家臣を養う必要がありました。これでは吉良や藩主の浪費が無くとも財政破綻になるのは当然です。
赤穂藩のナンバー2は、弟の浅野大学です。
コメントありがとうございます。
浅野大学は、浅野長矩の弟でしたよね?
ドラマなどでは影が薄く描かれることが多いですけど(私が知っているのがたまたまだったのかも)、もっとクローズアップしてもよい人物だと感じでいます。
ウソを書いてはいけない。分地した赤穂藩と浅野大学は無関係。綱吉が強引に関係者に仕立て上げた。その証拠に大学以外の浅野長矩血縁者は謹慎程度の処分。
ウソを書く前に勉強しなさい
財政難の幕府が、赤穂藩の塩田を狙ってのでっち上げ事件。
コメントありがとうございます!
幕府が絡んでるとなると、即刻切腹させたのも納得です。
なら、どうして最終的に森家が赤穂に封じられる?
綱吉が即刻切腹を言い渡したのは、殺生を禁止した生類憐みの令も関連してると思うのですが
生類憐みの令!
まさに今、資料を見てるんです。
関連付けてみると、新しい観点が見えそうです。
ありがとうございます!
返信どうもです。個人的な考え方は なんですが、本来生類憐みの令は、もはや戦国では無いという観点から発布されたと思います。それを次期将軍家宣とその側近達が綱吉は悪行。自分達は善意ということでめちゃくちゃに改悪したと思われます。その考え方は、家宣政権の後の吉宗の享保の改革は、一部綱吉政権下の政策も取り入れていると言われてるため、その考え方にいたりました。
ありがとうございます!
綱吉はそれほど悪い将軍じゃないんですよね。
改悪説、深いです!
山鹿流との関連を勉強して出直した方がいいです。
真実がまるでわかってませんね😪
動画ありがとうございます。
この事件は、ずっと氣になってました。
この事件の最大の謎、動機についての情報です。
たま出版
超脳霊視聴『忠臣蔵 松の廊下」白石秀行著
タイトルの通り霊視と呼ばれる考察です。根拠は、
薄いですが非常に興味深いです。私は歴史に疎いので
検証はできません。もし氣になるなら検証して頂けると
嬉しいです。ただ、内容的に世に出せないかもしれませんが。
※因みに、個人的には幕末の因果関係もあるなでは?
って氣がします。
コメントありがとうございます!
面白そうな本のご紹介、感謝します。
読んでみます!
女優の大原麗子さんは浅野内匠頭の末裔❤
コメントありがとうございます!
大原麗子さん、めちゃくちゃ美人な方でしたよね。
子孫はいないよ
経緯はどうあれ刃傷を起こした浅野が加害者 吉良が被害者で 切腹を申し付けた将軍綱吉を仇討ちにて首を取るのが正しいのだわ。 吉良はとんだとばっちりで首を取られた。
吉良は優秀な人ですし、とばっちりです、ホントに…
付け届けは、内匠頭がしなくていいといっても賢いかしんがいたようですがそんな家臣なら黙ってたくさんの付け届け送りますよね〜😂
どうこういうことはない良識ある人はある程度はわかっているドラマはドラマでいいです、本当の事は誰もわからないそれでいい😊
コメントありがとうございます!
精神病説もいまいち説得力に欠けると思うが...
コメントありがとうございます!
真実は分からないですもんね。
きっと、当時の人も分からなかったのかもしれませんね。
でも、だから探りたくなってしまうのですが・・・
勅使によっては食事の好み等嗜好が違うことを吉良はよく理解して粗相のないように吉良は教育役として浅野内匠頭に役目をきちんと努めてもらうために多少はきつく言う場面もあったと思う。それに内匠頭も一度この役をしていて吉良から教育を受けているはず
コメントありがとうございます!
本当に不思議ですよね。
不思議だから面白いのですが・・・
吉良上野介と家臣たちはテロ集団に襲われた被害者だと思う
そうですよね。
まさにテロ!
なら神武天皇は虐殺者。武士の時代と原則国民平等の時代では、メンタルが違う
いくら癇癪持ちでも何もしない吉良に斬りかかるとは思えないしね。板倉が厠で細川藩主を切り付ける事件が有りましたがその時も板倉は精神病が原因でって書かれてますからね。吉良はお金の使い方が荒かったみたいだから浅野との間で金銭を巡る嫌がらせがあったんじゃ無いかな。
お金がらみになると、それぞれの藩によって懐事情も違うでしょうし、ややこしくなりますよね。
現代でも何もしない人に突然斬りかかる事件はたまにあります。知らないとは言わないよね。なら何もしない吉良に斬りかかることもあるんじゃない?
コメントありがとうございます。
ありますね。
怖い・・・
自分が何で小刀振り上げたかはわかって無い?て事か
大石はじめ、47士は、再雇用難しかったメンバーか?
そうなれば、吉良さんもやられ損やな
美談にしてしまった仲間がいたて事になるな
おいおい、法被着て討ち入りとか・・・・
コメントありがとうございます!
揃いのはっぴを着て・・・ってところは、後世の演出かも・・・と思ってます。
浅野内匠頭、シャブ中説は?
私は忠臣蔵の話は納得できず、感動したり好きになることはありませんでした。
それは一国一城の主である浅野が、禁を犯して江戸城内で刃傷沙汰をする理不尽さゆえです。
いきなり刃物で襲いかかるのは、現代でも頭のおかしい奴のすることです。ましてや国会議事堂に当たる城中ですよ。やった後どうなるか火を見るより明らかです。自分が咎められるだけなら兎も角、お家取り潰しとなり、家族のみならず家臣達も路頭に迷うことになるのです。そんな考え無しな行動を起こすのは、知的障害か発達障害、薬物乱用者位しかないですよ。
吉良さんはなかなか常識のある、人に好かれる人だったとも聞いたことがあります。
個人宅を48人で襲撃したなんて、226事件のようです。
結局襲って仇討ちが終わったあと、若い赤穂浪士達は皆、切腹して果てました。誰も幸せにはならないお話です。
私も浅野が沸点の低いアタオカか、突然神の声が聞こえちゃった人だと、常々思っていました。
綱吉も基地外に饗応役を命じたのかと朝廷側に知られたくなくて、早々に切腹を命じたのではないでしょうか?
コメントありがとうございます!
私の祖母が忠臣蔵が大好きだったのですが、「なんで?」ってずっと思っていました。
全員不幸で、美談じゃないですよね。
当時の武士の心情は現代人には到底理解できないと思う。
内匠頭が精神病ならちゃんと調べなくてそんな大役に選ばれるのかな〜?
チッしゃあねぇな。
いかねぇと後で陰口叩かれるわor言ってないけど行った事にしたろって奴がほとんどだったんじゃないかな
コメントありがとうございます。
なんだか分かります・・・笑
忠臣蔵は、浅野のせいで関わってしまった人間が、不幸な結末を迎える話ですね。一番気の毒なのは、浅野を止めた人ですね。仕事場で老人に切りかかったら、止めます。しかし、無責任ヤロー共に非難されてしまいます。今でも好きでないし、これからも好きになれないでしょう。
コメントありがとうございます。
多くの行動は、周りの人を巻き込んでしまうんですよね。
よいことも悪いことも。
私も気をつけようと思います。
Psycho I think so too
Thank you.
吉良が悪で浅野が正義でいいじゃん 真相がわからないのでそれで決まり。
事実だけ見たら浅野が悪で吉良は被害者じゃん。それが真相なのでそれ決まり。
コメントありがとうございます!
分からないからこそ真相を探りたくなる、ただのヲタクです、笑
コメントありがとうございます!
吉良が被害者。
まさに!
吉良君可哀想😢唯の老人に対する集団私刑😨
吉良は、自分の藩では素晴らしい人だったんですよね。
唯の老人が賄賂を強要しないよ
@@提灯屋八郎衛門
他の高家もやってましたけどね。吉良は4200石だから高禄なほうだけど、高家は1000石前後が一般的(大石の石高よりも低い)。それで大名格を維持しなければいけなかったから付け届けは幕府からも黙認されてました。付け届けは一般的にあり、あの松平定信でさえ自分の出世のために田沼意次に付け届けを送ってたくらいした。今のお中元お歳暮はその付け届けの名残です。
究極の老人の虐め
コメントありがとうございます!
年齢から考えると、あり得ないですよね。
本当に・・・
真相は誰にも分からないところが歴史の面白いところ。
コメントありがとうございます。
本当に、誰にもわからないところがオタク心をくすぐりますw