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浅野家の子孫に私は学習院高等科で生物を教わりました。長愛、ナガチカと読みます。長愛先生は戦前の高等科でかの三島由紀夫と同期生で秀才で三島と競っていたそうです。勿論東京に住んでいましたが、時々帰省すると市長が出迎え、殿様と呼ばれていたそうです。私達と同年のお嬢さんがいましたね。懐かしいです。湘南の旅人。
@@孝之朝倉 浅野内匠頭に子孫はいないので、弟長広のご子孫でしょうか?
多分そうだと思います。担任が浅野家の歴代の人物画を見せてくれた事が有りましたが、なんと皆さん似ていてびっくりでした。地元に帰ると市長が出迎えて、殿様と言うそうです。湘南の旅人。
安芸広島の、本家浅野家の、直系ですよ!
1999年の大河ドラマ「元禄繚乱」で吉良を演じた石坂浩二さんのインタビュー記事で「吉良さん、あなたにも言いたい事がいっぱいあったでしょう。それを少しでも表現できれば・・・」という一文があったのを今でも覚えています。
それを表したセリフが「みどもを真の敵と思うてか?」だったんですね。
@@nunkomareta その思いをくみ取ったかはわからないが身分を偽って内蔵助に面会した徳川綱吉(水戸綱條を名乗っていた)に対して此度の件と今の政治の有りように物を申したのであった。
歴史家と言う人種は凄いですね。300年前のことをよくここまで解明できますね。
吉良さんの地元では墓所である華蔵寺で討ち入りの12月14日に吉良上野介義央の命日の法要が開催されて、赤穂市からも関係者の方が訪れています。
TVや小説であまり触れない吉良上野介・千利休の孫弟子。利休最後の弟子が晩年に最後の弟子として指導したため20代くらいには現存するただ一人の孫弟子だったらしい。そのため茶道の世界では尊敬され幕府重鎮、大大名、大商人と交流があった。・長身で美男子だったらしく、茶席に呼ばれて武家屋敷や商人の屋敷に行くと遠目にでも一目見ようと女たちが騒いだらしい。・上杉藩武家屋敷に赴いた時に藩主の妹・三姫に一目惚れされてしまう。・三姫(当時武士の姫には公式には名前がなかった、あだ名みたいなのはあったようだが)が「吉良様のお嫁さんになれないなら尼になります」と大騒ぎして困ったことにw吉良家は足利尊氏に連なる源氏の名門しかも家康の祖母が吉良家の出身、上杉も関東管領家で大大名ではあるが家格だけなら吉良が上、しかも上杉は外様だから無理だと説得しても聞き入れずハンストまでし始めたので老中に間を持ってもらって吉良家へ婚姻を申し込む。吉良家でも大大名とはいえ外様の姫との婚姻に反対意見もあったが結局は受け入れることに三姫は吉良家に嫁入りし以後「富子」を名乗る。・長男誕生で吉良家が湧いた半月にもならないころに上杉藩主(富子の兄)が早逝する、世継ぎはおらず、姉にもまだ子はない。富子様のお子様を上杉の跡継ぎにと懇願され泣く泣く生後1月にもならない我が子を手放すことに。これによって上杉家は存続した。(幕府中枢部は上杉の取り潰しを画策していたためこの件は吉良に対する悪感情を持たせた。屋敷替えで辺鄙なところに追いやられたり、事件後義周が不当な扱いを受けたのもそれが理由だという説もある)・夫婦仲は良好で、上野介は生涯妾を持たなかった。上杉に養子に入った長男以後、なかなか男子に恵まれずやっと授かった次男も8歳で亡くなってしまう。富子はお家存続のために側室を勧めたが上野介が断っている。討ち入りの時、屋敷には女性はいなかった。屋敷が改築中で埃っぽいのを嫌って富子が上杉邸で生活していたため屋敷の女たちも富子に従って行ったからで、吉良邸内には家人の長屋に家人の妻や娘がいただけだった。そのためよくドラマとかで見る押し入れから女中が・・・・みたいなのは創作。・浅野内匠頭が最初に饗応役を勤めた時の指南役も上野介で、上野介は内匠頭を大変可愛がり親切に指導したらしい。かなり気に入られたらしく、上野介が内匠頭の屋敷を訪問したりしている。当時内匠頭は叔父が増上寺刃傷事件を起こしたことのとばっちりを受けて亜久里との婚礼を差し止められていたが、饗応役を終えてしばらくして許しが出て婚礼をあげている。これには上野介の口添えがあったらしい。・よくドラマでは金に汚い人みたいな表現をされるが、本人はええとこのボンボンで金に対して無頓着だった。普段の生活も質素だったが茶の湯に関することだけは湯水のように金を注ぎ込んで家臣を悩ませてたらしい。・もともと良い領主だったが、次男を亡くしてからはそれまで以上に夫婦で信心深くなり領民に寄り添うようになったらしい。
@@tohokami-j2f 勉強になりました🙇♀️芝居の配役でもうちょっと🤏工夫があれば、もっと新しい視点が生まれるかもしれませんね。将来大河ドラマ「吉良上野介」でも制作されたら面白いかも🤗 浅野内匠頭が脳の病気だったのは気の毒だったけれど、討ち入りテロを主導した大石蔵之介が一番の問題でしょう。後世では英雄として描かれてるが故に厄介ですよね🤔
@@GeorgeWalker-jt3pq 菊池寛の「吉良上野の立場」がおすすめです。彼がこれを書いた頃、まだ世間は「四十七士は忠臣、内匠頭は被害者、吉良ざまぁ」みたいな時代ですから、よくこれを書いたものだと・・・・青空文庫から無料で読めますし、短編なのですぐに読み終われます。
@tohokami-j2f 菊池寛の小説にしても史実から遠い。そもそも饗応役というのは勅使への出納役が主で畳がどうのこうのは関係ない。あと浅野が饗応役をするのは二度目。要領はしっていたはず。吉良は京都に出張して帰ってきたばかり。両者の接点はほとんどなかった。浅野は吉良を後ろから斬りつけた卑怯者。要するに乱心。発狂したということ。そういう場合、病気として大名を隠退させて蟄居させれば、沙汰は済んだはず。弟に家督を譲らせることも可能だったはず。だが綱吉は激怒して即日、浅野に切腹を命じた。一番悪かったのは当時の江戸の町人たち。「仇討ち」をけしかけた。それと幕府。生類憐みの令などへの不満を逸らすために仇討ち騒ぎに便乗。吉良をわざわざ城外本所に引っ越しをさせて赤穂浪士たちの便宜をはかった。さらに気の毒なのは上杉家から養子(吉良の孫)としてきていた義周(よしちか)。討ち入りされたとき果敢に応戦したが気絶してしまう。当時十八歳。吉良家は断絶。義周は「当夜不行き届き至極」の処分で配流。三年後、病没😭
@tohokami-j2f 菊池寛「吉良上野の立場」読みました。というか聞きました。これもまだ若干偏見が入ってるようですが。歴史的事実としては、そもそも饗応役というのは勅使が使う金の管理だけで畳の種類とかは関係ないようですね。それでも「歴史的事実でも見る立場によって変わる」という点では、新しい視点だったと思います🙇
上杉 邦憲 博士は、米沢上杉家の当主であると同時にJAXAの教授でした。探査機「はやぶさ」のプロジェクトチームの一員でもあります。そして、吉良家に伝わっていた「折り紙」の技術がソーラーパネルの展開方法の参考になったとのこと。
@@ファルコネス 吉良家は三百十年後にやっと面目躍如したのかもしれません😳
三河の知立の者ですが、吉良上野介義央については、地元吉良では領内を常に見回り、領民たちの暮らしを気に掛ける名君と慕われています。松の廊下事件の原因には諸説ありますが、吉良も赤穂も共通の産業で、塩田開発がありそれが…という推測もあるようです。吉良と赤穂の仲直りは戦前にあったそうですが、やはりお互いの蟠りはまだ強い感じです。会津若松と萩程ではありませんが。
まあどっちも柳沢吉保に嵌められたのですが。浅野は塩独占、吉良は家系図改竄の口封じ柳沢吉保(と言うより江戸幕府)には両家を潰す理由があったし。もし水戸光圀が生きてたら幕府もヤバかった。
因みに地元知立の牛田には四十七士の一人吉田忠左衛門の奥方の墓地があり、討入の日には墓石の「お研き」を行う慣わしがありました。吉良では当然供養の奉納が行われています。
現在では浅野、吉良両家は既に事件から400年以上も経っているし、NHK 大河ドラマ「元禄繚乱」で盛り上がっていることもあって、どちらからともなく和解し良好な関係に戻ったとされている様子ですが、実際はどうなんでしょうか?ラジオ放送でそんな話を聞きましたが……。
地元の群馬県藤岡市白石でも吉良様は名君の誉れが高く、そこでは今でも忠臣蔵を視ないそうです。
@@興亜一心 やはり、そうでしょうねぇ……。不当にも「悪役」にされた吉良氏は「名君だった」と、私は親父から聞きました。例の柳沢の陰謀だったのでしょうか?
年末年始の風物詩「忠臣蔵」は昔はよく放送され、見るのが楽しみだったな。
上野介は色々な役者さんが演じて来たけど、私は何と言っても小沢栄太郎さんがダントツの嵌り役だったと思いますね。嫌らしいオヤジ役をやらせたら右に出る者がいなかった。ああいう個性派の名優はほんとに数少なくなってしまいましたね。とは言え、これはあくまでも創作物のキャラクターであって、実際の義央公は名君として地元ではいまだに慕われている存在だというのは有名な話ですね。
上杉の姫さんが上野介の奥さんで、息子を上杉家へ。で、孫を吉良の後継に、と縁が深かった。学生の時過ごした米沢では忠臣蔵は観ないと古老が言ってたな〜
討ち入りした途端民衆が喝采し、その後厚遇というのが、人間というもののいい加減さを感じる
そりゃあ家系図改竄がバレそうになったからね。但し商人はインチキ幕府にたんまり儲けさせて貰ってたから柳沢吉保支持だが
ただ実際は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りすることはバレていて、周りの屋敷には物見櫓が建てられていつでも討ち入りの様子を見ることができたとかいう話もあるようだけど。
@@maakyuunnjapaanerr4352 実家にあった漫画「のらくろ」にも、この「忠臣蔵」を芝居にして、のらくろが高岡研吾(すいません、正確な名前の漢字うろ覚えなんです。)を、そして吉良上野介をブル大佐(猛犬連隊隊長)が演じるというもの。 私の「忠臣蔵」ルーツはここです。
@@山本欣市 ただ実際に忠臣蔵は芝居になった。だけど事実を追求するよりも民衆受けを狙ったのか赤穂藩士を持ち上げ吉良上野介を一方的に悪役にして、さらには名場面を作るため赤穂浪士に一番初めに斬り殺された清水一学を二刀流にして堀部安兵衛と戦わさせた。そして太平洋戦争下では主君に忠誠を尽くす赤穂浪士の姿を天皇陛下に身を捧げる国民に見立て国威発揚の道具として使った。そして近年創作が多いことがわかって、地上波やBSあたりでは取り上げられなくなった。しかしこう言いながらも個人的には創作として見るなら面白いと思います。
@@maakyuunnjapaanerr4352 幕府が討ち入りを煽ってたのは確かでしょう。わざわざ吉良邸を城外に引っ越しを命じたのはいかにもです。吉良氏も覚悟して最後の茶会を開いたのでしょう😢何が狙いだったのでしょうか?綱吉は名君だったけれども、民衆へは不人気だったようです。生類憐みの令は必要だったかどうかは別にして、不人気な政策の代表みたいなものだったようです。そこで民衆の目を逸らすという意味で新たなヒーローを作りだす必要があった。そこで忠臣という大義名分をもったサムライヒーローを作りあげようとしたのでしょう。そもそも当時、家臣が主人の仇をとるというのは認められてはいたけど、ほとんどなかったようです。秀吉が光秀を討ったのはなんだったのでしょうか🤔 そもそも逆恨みだったのは明らかで、恨むんだったら浅野内匠頭に切腹を命じた綱吉公に対してですよね🙄
赤穂浪士の子孫は非常に人気で各藩が召し抱えたという話がありますね。大石内蔵助さんも「赦免されたなら我藩で召し抱えたい」と身柄を預かっていた細川家が公言していたそうで、「赤穂浪士が討ち入りしたのは再就職の為だった」という説もあるそうです。
@@アフサラールジャラル 赤穂浪士の再就職☜これは聞いたことあります。大石蔵之介は藩が取り潰されて元藩士の再就職が最大の関心事だったでしょう。それがいつのまにか周りからの同情心→義憤→討ち入りと心理的に追い詰められてしまった、というものです。浅野内匠頭の墓前での切腹も当初計画されてなかったのかもしれません。(実際すぐに切腹しなかった。赦免されると思ったのか🤔)そもそも吉良は何で自分が逆恨みされたのかわかってなかったフシがあります。幕府がわざと吉良邸を郊外に引っ越しさせて討ち入りされやすくさせたとか。「元禄赤穂事件」そのものが幕府がしかけた一種の茶番だったという説もありますよね🙄
おかげで討ち入りしなかった大半の元赤穂藩士は大変肩身が狭く再就職どころか家から追い出されて切腹を強要されたりエライ事になったんやな
@@アフサラールジャラル 完全にそうでしょうね。播州赤穂浅野家の分家として旗本が2家存在してて尚且つ内匠頭弟の大学も旗本でしたから厳密には浅野は残ってる。だけど、それらの家に自分たちが仕官できる可能性はほぼゼロ(仮にできても禄高は激減)。だったら功績を立てて新たな主君を探そうとなったのでは?
@@ひろたか-j9b 正直、浅野家の分家よりも国持ち大名の細川藩の方に就職したいでしょうしwww
@@アフサラールジャラル 大石の子孫はその後広島の浅野本家に1500石で召し抱えられてます。石高は赤穂藩家老の時と全く一緒なので、大石家としては(内蔵助と主税の犠牲はあったが)再就職に成功と言えますね。
接待の最中、接待係の役人と吉良上野介が「ちょっと押せ押せになってます どこかで巻をかけないといけませんね」「そうだな~」と話をしていたら浅野内匠頭が「おのれ~」といきなり抜刀吉良上野介に切りかり周りの侍たちに取り押さえられた なぜ切りかかったのか誰にも全く分からなかった怒った将軍綱吉は即日切腹を申し渡したが目付の役人が即日切腹などという処分は今までもなくまず理由を聞くべきかとの意見を述べたよいしょだけであそこまで登ったといわれる大老柳沢吉保が聞く耳持つわけもなく真相究明は封じられてしまった当然吉良上野介と浅野内匠頭の感情的なもつれも周りの者はみな否定した
だいたい浅野内匠頭は15歳の時に一度勅使対応していたので経験あるから吉良上野介に指導してもらわなくても仕事できたはずで…今日は主張すると色々言われそうですが、浅野内匠頭は一度てんかん起こしている例があり、このてんかん持ちの方が凶行する例はアレキサンダーや織田信長という例もありますし…。
高家筆頭の吉良家と浅野では立場が天地ほど違う。吉良が本当に浅野が嫌いなら、嫌がらせなど必要ない。
吉良上野介さん視点の話あればいいのに吉良さんが悪者の話ばかりしか聴かないのは残念
その視点の忠臣蔵があってもいいですね。けどただでさえ創作が多い忠臣蔵なので、吉良上野介が赤穂浪士が討ち入った時にどうやって寝床から蔵まで逃げたのかも創作になりそうですが(笑)
真水義範の小説で「上野介の忠臣蔵」という小説があります。吉良家に仕えた清水一学が主人公で、吉良家側からみた忠臣蔵の話です。
@@oyabinex 是非読んでみたいです。菊池寛の「上野の立場」もそれなりに面白いです
私が住んでいる長野県諏訪市に有る諏訪神社上社の隣には吉良上野介の養子の墓が有ります。諏訪には身分の高い人々が配流されていますので。😂
広島城を違法増築したとして「福島正則」も諏訪35000石になりましたしね芸州広島藩の後任には浅野家が後の播州赤穂家の本家でありますね
現在の常識だと、ただ吉良家が可哀そう
家、血筋を含めて詳細をありがとうございます。大学長広が将軍とお目見えの時、どんな話をしたんだろう…もし、義周があと10年生きてたら、赦免対象になってたのかな…個人的にはだれだれの血統がこういう形で残っている続いているというのが好きなので、この切り口で伝えてくれる動画は大好き。登録しました。
演劇/創作物としての「忠臣蔵」と「赤穂事件」は別物でまぜこぜにすべきではない。「赤穂事件」の前半「松の廊下の事件」と後半「吉良邸討ち入り」では背景がことなる。前者は突発的事件。朝廷からの使者を迎え入れる時に生じたのだが、この時点では吉良上野介=高家として接待責任者、浅野内匠頭=接待の実働部隊長(過去に経験あるため)。綱吉が母の桂昌院を従一位にすべく工作中であり、高家の吉良と経験のある内匠頭のペアで事に当たらせていた。創作物にあるような吉良の嫌がらせなぞ有るはずが無い。ミスを犯せば責任を取らされるのは責任者の吉良上野介である。しかも朝廷からの使者は毎年来るし、内匠頭も毎年参加しているのである。じゃあ何故?は内匠頭の恐らく「持病」にあったという他はない。後者(討ち入り)は、コメ蘭にもある通り色んな思惑が交錯しているから、単一の原因ではないだろう。徳川家(松平家)から見た場合、吉良家は1)足利源氏を始祖に持つ名門で、(一応)新田源氏の末裔とされる松平家と格が近い、2)戦国時代は矢作川の水の利権を巡って争っていた相手=旧敵、である。世が世なら潰したい相手だったが高家で朝廷とのパイプが太いため便利屋として使っていたと言う処だろう。赤穂事件で「吉良討つべし」の声が世の中に上がったことで、そろそろ「使い捨て」するか、という判断をしたと考える。
吉良上野介は、赤馬に乗って領内の様子等を見廻って、領民から大変慕われていたそうです。吉良上野介の赤馬に因んで、郷土玩具に吉良の赤馬という、木彫りの赤馬の玩具が有ります。
大石内蔵助の子孫は確か奈良県にいらっしゃると聞いてます
ああ、それは柳沢吉保の陰謀を知った織田家が柳沢家を改易危機から救う代わりに捨て扶持与える様にさせたからでしょ。ちなみにこの織田家にも家系図改竄疑惑があったりする。9年前青学史上最高の美女井口綾子さんが表紙になった週刊朝日でこの家系図改竄が取り上げられていたからね。
事の真相を知った織田家が柳沢吉保を訴えない代わりに大石内蔵助の末裔を匿い大石家側も主君だった浅野内匠頭は家系図改竄疑惑を闇に葬る為吉良上野介殺害を命じられたものの失敗して口封じに詰め腹切らされ、「吉良上野介を殺害したら浅野家再興を許す」と言う柳沢吉保の甘言に乗せられて吉良上野介を上意討ちしたものの真相発覚を恐れた柳沢吉保に裏切られて腹切らされたと言う本当の事を言わない条件で匿って貰ったからね。ちなみに匿った織田家にも家計改竄疑惑があり、柳沢吉保にもみ消して貰った恩があるので断れなかった。織田家家系図改竄疑惑については9年前青学史上最高の美女井口綾子さんが表紙の週刊朝日に掲載されたよ。どうせなら慶應史上最高の美女白木愛奈さん表紙の号で続編やって欲しかったがw
上杉綱憲から、母系を二世代挟んだのが、名君といわれた上杉鷹山。
おお上杉鷹山! 財政が傾いて謂わば「倒産寸前」だった米沢藩を、改革また改革の末、再興させた人物ですね。
大阪の箕面(みのお)市に、萱野三平(かやのさんぺい)という人の屋敷跡があります。萱野は48人目の赤穂浪士でしたが、吉良邸への討ち入りには参加しませんでした。なぜなら萱野は赤穂藩藩士でしたが奥方が上杉の人で「孝ならんとすれば忠ならず」という立場でした。結局切腹してしまいました。
配信を、ありがとうございます。もう、随分と前に、東京・高輪・泉岳寺の義士塚に参拝に行って来ました。武士の血が流れている私は、感極まって、墓前で落涙したものです。
吉良家がただただ気の毒…浅野内匠頭は君主としては無能。
事実を見る目を曇らせた『歌舞伎』などの音曲。それに国史連中も引きずられ、真実を考える視点がなかった。現在の『マスゴミ』に匹敵する、『国史』に関連した先生は、『万し』に値する(笑)。発端となった吉良上野介への付け届け無し。当時はそれが普通という説もあり、現代の価値観で判断させられる手法は、何かを隠蔽しているかも。よう知らんけどね
@@鈴木雅俊-s5iさん実は付け届け省略は製塩技術教えてやったのに謝礼がないから賄賂と謝礼で相殺と言う内匠頭に合理性の産物。
@@鈴木雅俊-s5i 誰もが分かってることを長々と書いてて草
無能だけならまだしも吉良家からすれば厄災でしょう。
@@多羅尾伴内-g1c いかなる時代・社会・家族関係でも全く思いもしなかった相手から逆恨みされることはある。大東亜戦争における日本軍による真珠湾攻撃にしても、アメリカ人にしてみれば日本人の逆恨みとしか思えなかった。
赤穂藩は、この事件以前にも、勅使饗応役をこなしています。大役を仰せつかり、吉良家が教育係にせよ、赤穂藩の関係者が、式次第を書き残していないはずは無いと思う。だから、いちいち、吉良にお伺いを立て(形式的には教えをこうだろうが)、吉良にイジワルされることは考えにくい。式次第なんて、そうそう変わるものじゃないから。
性格が 絶望的に相容れず 出会ってはいけななかっのだと思います。 私も絶望的な 人間関係 感じる時あります。そんな時は私から降ります✌️🤪
結局浅野から塩を奪い、吉良上野介を殺害して家系図改竄の口封じした柳沢吉保の陰謀でしょ
@@はもきさん性格以前に吉良と浅野は仲が悪く特に塩をめぐる争いや江戸幕府創設にどれだけ貢献したか(秀吉の血縁でありながら豊臣家を裏切った浅野家vs家系図改竄して徳川家を無理矢理新田義貞の子孫にでっち上げた)の対立がありましたからね。後赤穂浪士討ち入りは敵討ちではなく家系図改竄疑惑発覚を恐れた柳沢吉保による上意討ち
@@古家武史-f5d家系図改竄なんて当時から誰でも知ってたでしょそれで上意討ちなんて意味わからないそれと幕府への貢献を意識しての対立とかだったら全国の大名は全て仲が悪かったでしょ笑
多分今回は関係先へのワイロが不足したのではないでしょうか
吉良家は確か事件前に出雲藩主ともトラブルを起こして無かったか?(源氏巻きの説明文より)
浅野の母側の親族に変わった人がいて本人も周りの人からちょっと変わっているねと言われていたそうですね😓 血筋的に問題があったのかもしれませんね
酒鬼薔薇聖斗の母親も、かなり問題があったと言われていますね。
@@山の神-m4z さん、そうだったのですか〜 何か納得です
内藤忠勝ですね。将軍家菩提寺の芝増上寺の法要で刀を抜いて処刑されてます。江戸城など重要施設で正当な理由無く刀を抜くと死刑になります。元禄赤穂事件も浅野内匠頭が刀を抜いた罪(理由は問わず)で死刑になりました。
吉良は、江戸幕府のシンボル的大名だったので、明治政府になってから、この事件が、江戸幕府は✕で、逆らった浅野藩の浪人達は○と云う様に筋書きを脚色されたが、実際の処は、事件後に参加しなかった志士の1人以外は刑に処された😅この事件を明治政府になってから、江戸幕府のシンボル=吉良は✕、赤穂浪士は○に差替えられた。😅
吉良上野介は殿中松の廊下で刀を抜いてない。赤穂浪士が主張する喧嘩両成敗は違うと思う。吉良上野介は被害者なのに逆恨みで殺されたと思います。
しかも吉良は後ろから斬りかかられてるから、正面からいかなかった浅野は卑怯と言うこともできます。
@ひろたか-j9b ありがとうございます。吉良さんがどんなに悪役に描かれてる映画でも吉良さんは刀を抜いて無いし後ろからいきなりですよね。
@@高橋正義-q1n 浅野内匠頭によるテロの犠牲者。
浅野内匠頭は、年貢の比率を上げ、癇癪持ち。執念深い。地元の領民は。藩が潰れたとき赤飯を炊いて、喜んだ。
突然斬り付けられ、最後は殺された吉良上野介が浅野内匠頭にデタラメを教えるわけがないと思いますがね。一番責任ある立場の吉良上野介がデタラメを教えて、教えられた者が失敗すれば責任者吉良上野介もお咎めをうけるでしょうから。著者のお名前は忘れましたが、嘗て吉良の言い分と言うタイトルの小説を読んだことがあります。敗者目線の側から書かれた名作でした。
@@大源貴広 付け届けをすれば「よっしゃよっしゃ」と機嫌よく教えてくれたでしょう。
大藩が分知すると、それは一万石未満なら旗本になるんですね。一万石以上なら大名。大藩が外様大藩ですと、分知して万石以上なら外様小藩。しかし、一万石未満なら旗本ということでしようか? その後に、加増されると譜代大名になってしまうのでしようか? 幕府から加増の沙汰がある場合も、本藩から追加で分知されることもありうると思いますけども。
播州赤穂の浅野家は本家から分知された支藩ではなくて、本来はれっきとした独立大名です。元は関ヶ原の恩賞として下野真岡二万石を賜り、そこから常陸真壁→常陸笠間→赤穂と国替えをされました。
赤穂浅野家というのは単純な 外様大名ではないという事は様々な説でよく言われています、
吉良が結構名君だったのは分かるんだけど、最近はドラマとしての忠臣蔵にもそれを採り入れてきていて、吉良が切られてもいまいちスッキリしないんだよねドラマとしてなら吉良は極悪人で斬られてスッキリ!ってならないと面白くないし最近の忠臣蔵が人気でないのも分かるわって感じがする
当時はご存じ生類憐みの令で野良犬も「お犬様」だった時代。吉良家も邸内で犬を5・6匹でも飼っていれば、討ち入りもすんなりとは成功しなかったかもしれない。
忠臣蔵でヒールにされてしまった吉良様かわいそう。
真の悪は柳沢吉保だからね
@@古家武史-f5d 私は徳川綱吉だと思ってます。
どう考えたって「不当」ですよね。
統合失調症の浅野さんにぶち壊された吉良家さんカワイソ
赤穂浪士は史実とかけ離れていますね。浅野内匠頭は酷い癇癪持ちだったようです、勅旨接待役は二度目で、一回目の半分くらいに経費を抑えた見積もりを吉良上野介に見せたら、数字を指摘され嫌味を言われたので、持病である癇癪が爆発してしまい、刃傷に及んだのです。大石は松の廊下の刃傷の一報を受けたときに、やれやれとうとうやらかしたと思った事でしょう。その後の大石始め47人の討ち入りは大変だったことでしょう。吉良を憎々しく描き、浅野内匠頭は清廉潔白でイジメに耐えた姿にすれば、拍手喝采になりました。
群馬県藤岡市白石は吉良さまの領地で、吉良さまは領民のために灌漑施設を整えるなど名君ぶりを発揮。そのため白石の人はいまでも忠臣蔵を視ないとか?
こんばんは、歌舞伎での赤穂の47人の討ち入りは、大分脚色が入っている為に本当の赤穂事件とは、違って来ているとか、どうして江戸幕府は、赤穂と吉良を潰したかったのでしょうか?これってもう一つの戊辰戦争見たいですね、
忠臣蔵映画の成功の秘訣は憎まれ役上野介がいかに憎々しい人物に描かれたということにあります。東映映画赤穂浪士で演じた月形龍之介の吉良上野介が絶品だとおもいますね〜。
浅野家は子孫が結婚せず独身だったから途絶えた
@@luna8250 浅野家は続いてます。令和ではしらんけど。
私大石名字ですが家紋二つ巴ですね
大石以外の赤穂浪士は藩主とのお目見えが許されていなかった下士というのが笑える。結局のところ目的は再就職だったのでしょう。
赤穂浪士好きなんですけど隣町が吉良のお膝元で今でも吉良の殿様って地元じゃ慕われててめっちゃ赤穂浪士嫌われてるから複雑
浅野内匠頭の母の兄弟である内藤忠勝は、こともあろうに4代将軍徳川家綱の葬儀の時永井尚長と諍いを起こし刺殺している、また母のいとこである若年寄稲葉正休は大老堀田備中守を将軍御座所近くで刺殺している。このことにより内匠頭は精神異常的な血筋を受けた人物であったと思われる。
なるほどそうでしたか。稲葉正休と親戚だったとは。納得できる話です
岡山県津山市に津山城が有りそこに森藩と言う藩があったのですが、3代目の森氏の時に世継が生まれなかった為にお家は断絶したのですがね、断絶はしたのですがこの津山藩から赤穂浪士が3人出ていてそのお陰かどうか解りませんが、津山藩の森氏は赤穂へと国替されて明治まで赤穂で森氏は続いたそうですよ。そして今でも津山では三士祭と言う赤穂浪士で活躍した浪士を祭る士祭をしているそうですよ。
吉良様名君と伺ってます。いつになったら冤罪が晴れるか、時効が成立するのでしょうか?
柳沢は大老ではなく、側用人では?
多分「八代将軍吉宗」で柳沢吉保が「柳沢様は大老格…」と言われていたのを記憶しておられて徐々に風化しているのではないでしょうか。
暴力団の浅野組による逆恨みを仇討ちと言われるなんて吉良家はたまったもんではないね
浅野家は、断絶じゃないの?それで討ち入りを決行したんだと思った。
横手に送られた上野介さんも最初は優遇されてたって聞きます
本多正純
現代まで連綿と続く吉良上野介の末裔とはどなたでしょうか?上野介は長年悪役として扱われてきましたが、そろそろ名誉回復の動きもあるようです。そろそろカミングアウトしてもいいのではないでしょうか?😊
ウィキペディアによると吉良上野介の弟の家が三河吉良家の名籍を継いだけど大正時代に行方知れずとなったみたいです。
@末裔の方、 どこかの雑誌でみかけましたよ🤔
「ほーん」が好き。
商売を教えてくれた人にイヤミ言われたぐらいで喧嘩しかけて口喧嘩なのに真剣で切り付けて、しかも江戸城で。しかも逆恨みで江戸市内で武装集団をくんで老人を襲撃してさつがいするって。こんな輩が何で義士で主人公なんだ?
源氏 吉良 愛知県吉良町西尾市 蒲郡市 三河三谷 三河塩津 岡崎市 岡崎城 知立市 大府市
浅野家からは、浅野ゆう子とか…。吉良家からは、吉良の仁吉が。大石家からは、バニーズの…。🎉🎉🎉🎉😂
ほうぅ~😂あうぅ〜😅ふむふむ😅ほ〜んっ❤
十代の頃の浅野内匠頭が、指南役の吉良に叱られ。40歳直前に復讐。吉良は徳川本家だから、直接話せるはずはない。浅野は、『石高は自分のほうが上』だから、それが気に入ら無かったのかも。個人の妬みで、藩を潰した浅野内匠頭は、褒められる性格じゃない。
裏金大石家はゾンビ当選しました
一色町三河うなぎ
なるほど吉良の殿様良い殿様😮そうなんだ
松の廊下の一件での幕府の裁定ミスが結果的に赤穂浪士の討ち入りとなったわけで、上野介が可哀想ってのは違うと思うが。幕府が喧嘩両成敗の原則に乗っ取って、内匠頭も上野介も両名が切腹となっていれば、大石内蔵助以下が討ち入りに至ることもなかったはず。ホントそんなこと言ったら、ローマの暴君ネロほど可哀想な評価させてる人間もいないと思われ。
歴史ド素人のトンデモ意見ですね。江戸城内で正当な理由無く刀を抜くと罪罰は死刑です。刀を抜いた理由が喧嘩かどうかなど関係ありません。吉良上野介は刀を抜いていません。無罪の人を処刑できません。元禄赤穂事件以外の江戸城内での刃傷事件で喧嘩両成敗が適用されたことはありません。
仮に浅野吉良両人切腹となったとしても赤穂浪士は吉良家が続いてたら吉良邸討ち入りしたのでは?と思ってます。なんせ主君の仇討ちという前代未聞なことをやった集団ですから、何をするか分かりません。
大石家は、長続きしない家系だな
浅野も吉良も塩が採れたから、幕府が両方欲しがってああいう事件を捏造。いい迷惑。
真実はどうあれ、ドラマ忠臣蔵ではキラが極悪人でないとつまんないよねw
大石神社?はなあに 黒鳥がらの悪い黒い白鳥か播州赤穂の城の堀にいる😂
女優で元ジャニーズの大原麗子さんは浅野内匠頭の末裔❤
女優で元ジャニーズ・・・この時点で大原麗子さんじゃなくても、話が破綻してませんか?😅
浅野内匠頭には子供がいません、ので大原麗子さんは末裔ではありませんそれと元ジャニーズってなに?
浅野内匠頭に子供はいません
凶状持ちの田舎官吏(罰役)の巻き添え何て、民意とは言え[吉良は良い面の皮](呆
徳川家康の家系図改竄の巻き添えですよw
浅野家の子孫に私は学習院高等科で生物を教わりました。
長愛、ナガチカと読みます。
長愛先生は戦前の高等科でかの三島由紀夫と同期生で秀才で三島と競っていたそうです。
勿論東京に住んでいましたが、時々帰省すると市長が出迎え、殿様と呼ばれていたそうです。
私達と同年のお嬢さんがいましたね。
懐かしいです。
湘南の旅人。
@@孝之朝倉 浅野内匠頭に子孫はいないので、弟長広のご子孫でしょうか?
多分そうだと思います。
担任が浅野家の歴代の人物画を見せてくれた事が有りましたが、なんと皆さん似ていてびっくりでした。
地元に帰ると市長が出迎えて、殿様と言うそうです。
湘南の旅人。
安芸広島の、本家浅野家の、直系ですよ!
1999年の大河ドラマ「元禄繚乱」で吉良を演じた石坂浩二さんのインタビュー記事で
「吉良さん、あなたにも言いたい事がいっぱいあったでしょう。それを少しでも表現できれば・・・」
という一文があったのを今でも覚えています。
それを表したセリフが「みどもを真の敵と思うてか?」だったんですね。
@@nunkomareta その思いをくみ取ったかはわからないが身分を偽って内蔵助に面会した徳川綱吉(水戸綱條を名乗っていた)に対して此度の件と今の政治の有りように物を申したのであった。
歴史家と言う人種は凄いですね。300年前のことをよくここまで解明できますね。
吉良さんの地元では墓所である華蔵寺で討ち入りの12月14日に吉良上野介義央の命日の法要が開催されて、赤穂市からも関係者の方が訪れています。
TVや小説であまり触れない吉良上野介
・千利休の孫弟子。利休最後の弟子が晩年に最後の弟子として指導したため20代くらいには現存するただ一人の孫弟子だったらしい。
そのため茶道の世界では尊敬され幕府重鎮、大大名、大商人と交流があった。
・長身で美男子だったらしく、茶席に呼ばれて武家屋敷や商人の屋敷に行くと遠目にでも一目見ようと女たちが騒いだらしい。
・上杉藩武家屋敷に赴いた時に藩主の妹・三姫に一目惚れされてしまう。
・三姫(当時武士の姫には公式には名前がなかった、あだ名みたいなのはあったようだが)が「吉良様のお嫁さんになれないなら尼になります」と大騒ぎして困ったことにw
吉良家は足利尊氏に連なる源氏の名門しかも家康の祖母が吉良家の出身、上杉も関東管領家で大大名ではあるが家格だけなら吉良が上、しかも上杉は外様だから無理だと説得しても聞き入れずハンストまでし始めたので老中に間を持ってもらって吉良家へ婚姻を申し込む。
吉良家でも大大名とはいえ外様の姫との婚姻に反対意見もあったが結局は受け入れることに三姫は吉良家に嫁入りし以後「富子」を名乗る。
・長男誕生で吉良家が湧いた半月にもならないころに上杉藩主(富子の兄)が早逝する、世継ぎはおらず、姉にもまだ子はない。
富子様のお子様を上杉の跡継ぎにと懇願され泣く泣く生後1月にもならない我が子を手放すことに。
これによって上杉家は存続した。
(幕府中枢部は上杉の取り潰しを画策していたためこの件は吉良に対する悪感情を持たせた。屋敷替えで辺鄙なところに追いやられたり、事件後義周が不当な扱いを受けたのもそれが理由だという説もある)
・夫婦仲は良好で、上野介は生涯妾を持たなかった。上杉に養子に入った長男以後、なかなか男子に恵まれずやっと授かった次男も8歳で亡くなってしまう。
富子はお家存続のために側室を勧めたが上野介が断っている。
討ち入りの時、屋敷には女性はいなかった。屋敷が改築中で埃っぽいのを嫌って富子が上杉邸で生活していたため屋敷の女たちも富子に従って行ったからで、吉良邸内には家人の長屋に家人の妻や娘がいただけだった。
そのためよくドラマとかで見る押し入れから女中が・・・・みたいなのは創作。
・浅野内匠頭が最初に饗応役を勤めた時の指南役も上野介で、上野介は内匠頭を大変可愛がり親切に指導したらしい。
かなり気に入られたらしく、上野介が内匠頭の屋敷を訪問したりしている。当時内匠頭は叔父が増上寺刃傷事件を起こしたことのとばっちりを受けて亜久里との婚礼を差し止められていたが、饗応役を終えてしばらくして許しが出て婚礼をあげている。これには上野介の口添えがあったらしい。
・よくドラマでは金に汚い人みたいな表現をされるが、本人はええとこのボンボンで金に対して無頓着だった。普段の生活も質素だったが茶の湯に関することだけは湯水のように金を注ぎ込んで家臣を悩ませてたらしい。
・もともと良い領主だったが、次男を亡くしてからはそれまで以上に夫婦で信心深くなり領民に寄り添うようになったらしい。
@@tohokami-j2f 勉強になりました🙇♀️芝居の配役でもうちょっと🤏工夫があれば、もっと新しい視点が生まれるかもしれませんね。将来大河ドラマ「吉良上野介」でも制作されたら面白いかも🤗 浅野内匠頭が脳の病気だったのは気の毒だったけれど、討ち入りテロを主導した大石蔵之介が一番の問題でしょう。後世では英雄として描かれてるが故に厄介ですよね🤔
@@GeorgeWalker-jt3pq
菊池寛の「吉良上野の立場」がおすすめです。
彼がこれを書いた頃、まだ世間は「四十七士は忠臣、内匠頭は被害者、吉良ざまぁ」みたいな時代ですから、よくこれを書いたものだと・・・・
青空文庫から無料で読めますし、短編なのですぐに読み終われます。
@tohokami-j2f 菊池寛の小説にしても史実から遠い。そもそも饗応役というのは勅使への出納役が主で畳がどうのこうのは関係ない。あと浅野が饗応役をするのは二度目。要領はしっていたはず。吉良は京都に出張して帰ってきたばかり。両者の接点はほとんどなかった。浅野は吉良を後ろから斬りつけた卑怯者。要するに乱心。発狂したということ。そういう場合、病気として大名を隠退させて蟄居させれば、沙汰は済んだはず。弟に家督を譲らせることも可能だったはず。だが綱吉は激怒して即日、浅野に切腹を命じた。一番悪かったのは当時の江戸の町人たち。「仇討ち」をけしかけた。それと幕府。生類憐みの令などへの不満を逸らすために仇討ち騒ぎに便乗。吉良をわざわざ城外本所に引っ越しをさせて赤穂浪士たちの便宜をはかった。さらに気の毒なのは上杉家から養子(吉良の孫)としてきていた義周(よしちか)。討ち入りされたとき果敢に応戦したが気絶してしまう。当時十八歳。吉良家は断絶。義周は「当夜不行き届き至極」の処分で配流。三年後、病没😭
@tohokami-j2f 菊池寛「吉良上野の立場」読みました。というか聞きました。これもまだ若干偏見が入ってるようですが。歴史的事実としては、そもそも饗応役というのは勅使が使う金の管理だけで畳の種類とかは関係ないようですね。それでも「歴史的事実でも見る立場によって変わる」という点では、新しい視点だったと思います🙇
上杉 邦憲 博士は、米沢上杉家の当主であると同時にJAXAの教授でした。探査機「はやぶさ」のプロジェクトチームの一員でもあります。
そして、吉良家に伝わっていた「折り紙」の技術がソーラーパネルの展開方法の参考になったとのこと。
@@ファルコネス 吉良家は三百十年後にやっと面目躍如したのかもしれません😳
三河の知立の者ですが、吉良上野介義央については、地元吉良では領内を常に見回り、領民たちの暮らしを気に掛ける名君と慕われています。松の廊下事件の原因には諸説ありますが、吉良も赤穂も共通の産業で、塩田開発がありそれが…という推測もあるようです。吉良と赤穂の仲直りは戦前にあったそうですが、やはりお互いの蟠りはまだ強い感じです。会津若松と萩程ではありませんが。
まあどっちも柳沢吉保に嵌められたのですが。
浅野は塩独占、吉良は家系図改竄の口封じ
柳沢吉保(と言うより江戸幕府)には両家を潰す理由があったし。
もし水戸光圀が生きてたら幕府もヤバかった。
因みに地元知立の牛田には四十七士の一人吉田忠左衛門の奥方の墓地があり、討入の日には墓石の「お研き」を行う慣わしがありました。吉良では当然供養の奉納が行われています。
現在では浅野、吉良両家は既に事件から400年以上も経っているし、NHK 大河ドラマ「元禄繚乱」で盛り上がっていることもあって、どちらからともなく和解し良好な関係に戻ったとされている様子ですが、実際はどうなんでしょうか?ラジオ放送でそんな話を聞きましたが……。
地元の群馬県藤岡市白石でも吉良様は名君の誉れが高く、そこでは今でも忠臣蔵を視ないそうです。
@@興亜一心 やはり、そうでしょうねぇ……。不当にも「悪役」にされた吉良氏は「名君だった」と、私は親父から聞きました。例の柳沢の陰謀だったのでしょうか?
年末年始の風物詩「忠臣蔵」は昔はよく放送され、見るのが楽しみだったな。
上野介は色々な役者さんが演じて来たけど、私は何と言っても小沢栄太郎さんがダントツの嵌り役だったと思いますね。嫌らしいオヤジ役をやらせたら右に出る者がいなかった。ああいう個性派の名優はほんとに数少なくなってしまいましたね。
とは言え、これはあくまでも創作物のキャラクターであって、実際の義央公は名君として地元ではいまだに慕われている存在だというのは有名な話ですね。
上杉の姫さんが上野介の奥さんで、息子を上杉家へ。で、孫を吉良の後継に、と縁が深かった。学生の時過ごした米沢では忠臣蔵は観ないと古老が言ってたな〜
討ち入りした途端民衆が喝采し、その後厚遇というのが、人間というもののいい加減さを感じる
そりゃあ家系図改竄がバレそうになったからね。
但し商人はインチキ幕府にたんまり儲けさせて貰ってたから柳沢吉保支持だが
ただ実際は赤穂浪士が吉良邸に討ち入りすることはバレていて、周りの屋敷には物見櫓が建てられていつでも討ち入りの様子を見ることができたとかいう話もあるようだけど。
@@maakyuunnjapaanerr4352 実家にあった漫画「のらくろ」にも、この「忠臣蔵」を芝居にして、のらくろが高岡研吾(すいません、正確な名前の漢字うろ覚えなんです。)を、そして吉良上野介をブル大佐(猛犬連隊隊長)が演じるというもの。
私の「忠臣蔵」ルーツはここです。
@@山本欣市 ただ実際に忠臣蔵は芝居になった。だけど事実を追求するよりも民衆受けを狙ったのか赤穂藩士を持ち上げ吉良上野介を一方的に悪役にして、さらには名場面を作るため赤穂浪士に一番初めに斬り殺された清水一学を二刀流にして堀部安兵衛と戦わさせた。そして太平洋戦争下では主君に忠誠を尽くす赤穂浪士の姿を天皇陛下に身を捧げる国民に見立て国威発揚の道具として使った。そして近年創作が多いことがわかって、地上波やBSあたりでは取り上げられなくなった。しかしこう言いながらも個人的には創作として見るなら面白いと思います。
@@maakyuunnjapaanerr4352 幕府が討ち入りを煽ってたのは確かでしょう。わざわざ吉良邸を城外に引っ越しを命じたのはいかにもです。吉良氏も覚悟して最後の茶会を開いたのでしょう😢何が狙いだったのでしょうか?綱吉は名君だったけれども、民衆へは不人気だったようです。生類憐みの令は必要だったかどうかは別にして、不人気な政策の代表みたいなものだったようです。そこで民衆の目を逸らすという意味で新たなヒーローを作りだす必要があった。そこで忠臣という大義名分をもったサムライヒーローを作りあげようとしたのでしょう。そもそも当時、家臣が主人の仇をとるというのは認められてはいたけど、ほとんどなかったようです。秀吉が光秀を討ったのはなんだったのでしょうか🤔 そもそも逆恨みだったのは明らかで、恨むんだったら浅野内匠頭に切腹を命じた綱吉公に対してですよね🙄
赤穂浪士の子孫は非常に人気で各藩が召し抱えたという話がありますね。大石内蔵助さんも「赦免されたなら我藩で召し抱えたい」と身柄を預かっていた細川家が公言していたそうで、「赤穂浪士が討ち入りしたのは再就職の為だった」という説もあるそうです。
@@アフサラールジャラル 赤穂浪士の再就職☜これは聞いたことあります。大石蔵之介は藩が取り潰されて元藩士の再就職が最大の関心事だったでしょう。それがいつのまにか周りからの同情心→義憤→討ち入りと心理的に追い詰められてしまった、というものです。浅野内匠頭の墓前での切腹も当初計画されてなかったのかもしれません。(実際すぐに切腹しなかった。赦免されると思ったのか🤔)そもそも吉良は何で自分が逆恨みされたのかわかってなかったフシがあります。幕府がわざと吉良邸を郊外に引っ越しさせて討ち入りされやすくさせたとか。「元禄赤穂事件」そのものが幕府がしかけた一種の茶番だったという説もありますよね🙄
おかげで討ち入りしなかった大半の元赤穂藩士は大変肩身が狭く再就職どころか家から追い出されて切腹を強要されたりエライ事になったんやな
@@アフサラールジャラル 完全にそうでしょうね。播州赤穂浅野家の分家として旗本が2家存在してて尚且つ内匠頭弟の大学も旗本でしたから厳密には浅野は残ってる。だけど、それらの家に自分たちが仕官できる可能性はほぼゼロ(仮にできても禄高は激減)。だったら功績を立てて新たな主君を探そうとなったのでは?
@@ひろたか-j9b 正直、浅野家の分家よりも国持ち大名の細川藩の方に就職したいでしょうしwww
@@アフサラールジャラル 大石の子孫はその後広島の浅野本家に1500石で召し抱えられてます。石高は赤穂藩家老の時と全く一緒なので、大石家としては(内蔵助と主税の犠牲はあったが)再就職に成功と言えますね。
接待の最中、接待係の役人と吉良上野介が「ちょっと押せ押せになってます どこかで巻をかけないといけませんね」「そうだな~」と話をしていたら
浅野内匠頭が「おのれ~」といきなり抜刀吉良上野介に切りかり周りの侍たちに取り押さえられた なぜ切りかかったのか誰にも全く分からなかった
怒った将軍綱吉は即日切腹を申し渡したが目付の役人が即日切腹などという処分は今までもなくまず理由を聞くべきかとの意見を述べた
よいしょだけであそこまで登ったといわれる大老柳沢吉保が聞く耳持つわけもなく真相究明は封じられてしまった
当然吉良上野介と浅野内匠頭の感情的なもつれも周りの者はみな否定した
だいたい浅野内匠頭は15歳の時に一度勅使対応していたので経験あるから吉良上野介に指導してもらわなくても仕事できたはずで…今日は主張すると色々言われそうですが、浅野内匠頭は一度てんかん起こしている例があり、このてんかん持ちの方が凶行する例はアレキサンダーや織田信長という例もありますし…。
高家筆頭の吉良家と浅野では立場が天地ほど違う。
吉良が本当に浅野が嫌いなら、嫌がらせなど必要ない。
吉良上野介さん視点の話あればいいのに
吉良さんが悪者の話ばかりしか聴かないのは残念
その視点の忠臣蔵があってもいいですね。けどただでさえ創作が多い忠臣蔵なので、吉良上野介が赤穂浪士が討ち入った時にどうやって寝床から蔵まで逃げたのかも創作になりそうですが(笑)
真水義範の小説で「上野介の忠臣蔵」という小説があります。
吉良家に仕えた清水一学が主人公で、吉良家側からみた忠臣蔵の話です。
@@oyabinex 是非読んでみたいです。菊池寛の「上野の立場」もそれなりに面白いです
私が住んでいる長野県諏訪市に有る諏訪神社上社の隣には吉良上野介の養子の墓が有ります。諏訪には身分の高い人々が配流されていますので。😂
広島城を違法増築したとして「福島正則」も諏訪35000石になりましたしね
芸州広島藩の後任には浅野家が後の播州赤穂家の本家でありますね
現在の常識だと、ただ吉良家が可哀そう
家、血筋を含めて詳細をありがとうございます。
大学長広が将軍とお目見えの時、どんな話をしたんだろう…
もし、義周があと10年生きてたら、赦免対象になってたのかな…
個人的にはだれだれの血統がこういう形で残っている続いているというのが好きなので、
この切り口で伝えてくれる動画は大好き。登録しました。
演劇/創作物としての「忠臣蔵」と「赤穂事件」は別物でまぜこぜにすべきではない。
「赤穂事件」の前半「松の廊下の事件」と後半「吉良邸討ち入り」では背景がことなる。
前者は突発的事件。朝廷からの使者を迎え入れる時に生じたのだが、この時点では吉良上野介=高家として接待責任者、浅野内匠頭=接待の実働部隊長(過去に経験あるため)。綱吉が母の桂昌院を従一位にすべく工作中であり、高家の吉良と経験のある内匠頭のペアで事に当たらせていた。創作物にあるような吉良の嫌がらせなぞ有るはずが無い。ミスを犯せば責任を取らされるのは責任者の吉良上野介である。しかも朝廷からの使者は毎年来るし、内匠頭も毎年参加しているのである。じゃあ何故?は内匠頭の恐らく「持病」にあったという他はない。
後者(討ち入り)は、コメ蘭にもある通り色んな思惑が交錯しているから、単一の原因ではないだろう。
徳川家(松平家)から見た場合、吉良家は1)足利源氏を始祖に持つ名門で、(一応)新田源氏の末裔とされる松平家と格が近い、2)戦国時代は矢作川の水の利権を巡って争っていた相手=旧敵、である。世が世なら潰したい相手だったが高家で朝廷とのパイプが太いため便利屋として使っていたと言う処だろう。赤穂事件で「吉良討つべし」の声が世の中に上がったことで、そろそろ「使い捨て」するか、という判断をしたと考える。
吉良上野介は、赤馬に乗って領内の様子等を見廻って、領民から大変慕われていたそうです。吉良上野介の赤馬に因んで、郷土玩具に吉良の赤馬という、木彫りの赤馬の玩具が有ります。
大石内蔵助の子孫は確か奈良県にいらっしゃると聞いてます
ああ、それは柳沢吉保の陰謀を知った織田家が柳沢家を改易危機から救う代わりに捨て扶持与える様にさせたからでしょ。
ちなみにこの織田家にも家系図改竄疑惑があったりする。
9年前青学史上最高の美女井口綾子さんが表紙になった週刊朝日でこの家系図改竄が取り上げられていたからね。
事の真相を知った織田家が柳沢吉保を訴えない代わりに大石内蔵助の末裔を匿い
大石家側も
主君だった浅野内匠頭は家系図改竄疑惑を闇に葬る為吉良上野介殺害を命じられたものの失敗して口封じに詰め腹切らされ、「吉良上野介を殺害したら浅野家再興を許す」と言う柳沢吉保の甘言に乗せられて吉良上野介を上意討ちしたものの真相発覚を恐れた柳沢吉保に裏切られて腹切らされた
と言う本当の事を言わない条件で匿って貰ったからね。
ちなみに匿った織田家にも家計改竄疑惑があり、柳沢吉保にもみ消して貰った恩があるので断れなかった。
織田家家系図改竄疑惑については9年前青学史上最高の美女井口綾子さんが表紙の週刊朝日に掲載されたよ。
どうせなら慶應史上最高の美女白木愛奈さん表紙の号で続編やって欲しかったがw
上杉綱憲から、母系を二世代挟んだのが、名君といわれた上杉鷹山。
おお上杉鷹山! 財政が傾いて謂わば「倒産寸前」だった米沢藩を、改革また改革の末、再興させた人物ですね。
大阪の箕面(みのお)市に、萱野三平(かやのさんぺい)という人の屋敷跡があります。
萱野は48人目の赤穂浪士でしたが、吉良邸への討ち入りには参加しませんでした。
なぜなら萱野は赤穂藩藩士でしたが奥方が上杉の人で「孝ならんとすれば忠ならず」という立場でした。
結局切腹してしまいました。
配信を、ありがとうございます。
もう、随分と前に、東京・高輪・泉岳寺の義士塚に参拝に行って来ました。武士の血が流れている私は、感極まって、墓前で落涙したものです。
吉良家がただただ気の毒…
浅野内匠頭は君主としては無能。
事実を見る目を曇らせた『歌舞伎』などの音曲。それに国史連中も引きずられ、真実を考える視点がなかった。現在の『マスゴミ』に匹敵する、『国史』に関連した先生は、『万し』に値する(笑)。発端となった吉良上野介への付け届け無し。当時はそれが普通という説もあり、現代の価値観で判断させられる手法は、何かを隠蔽しているかも。よう知らんけどね
@@鈴木雅俊-s5iさん
実は付け届け省略は
製塩技術教えてやったのに謝礼がないから賄賂と謝礼で相殺
と言う内匠頭に合理性の産物。
@@鈴木雅俊-s5i 誰もが分かってることを長々と書いてて草
無能だけならまだしも吉良家からすれば厄災でしょう。
@@多羅尾伴内-g1c いかなる時代・社会・家族関係でも全く思いもしなかった相手から逆恨みされることはある。大東亜戦争における日本軍による真珠湾攻撃にしても、アメリカ人にしてみれば日本人の逆恨みとしか思えなかった。
赤穂藩は、この事件以前にも、勅使饗応役をこなしています。大役を仰せつかり、吉良家が教育係にせよ、赤穂藩の関係者が、式次第を書き残していないはずは無いと思う。だから、いちいち、吉良にお伺いを立て(形式的には教えをこうだろうが)、吉良にイジワルされることは考えにくい。式次第なんて、そうそう変わるものじゃないから。
性格が 絶望的に相容れず 出会ってはいけななかっのだと思います。 私も絶望的な 人間関係 感じる時あります。そんな時は私から降ります✌️🤪
結局浅野から塩を奪い、吉良上野介を殺害して家系図改竄の口封じした柳沢吉保の陰謀でしょ
@@はもきさん
性格以前に吉良と浅野は仲が悪く
特に塩をめぐる争いや江戸幕府創設にどれだけ貢献したか(秀吉の血縁でありながら豊臣家を裏切った浅野家vs家系図改竄して徳川家を無理矢理新田義貞の子孫にでっち上げた)の対立がありましたからね。
後赤穂浪士討ち入りは敵討ちではなく
家系図改竄疑惑発覚を恐れた柳沢吉保による上意討ち
@@古家武史-f5d
家系図改竄なんて当時から誰でも知ってたでしょ
それで上意討ちなんて意味わからない
それと幕府への貢献を意識しての対立とかだったら全国の大名は全て仲が悪かったでしょ笑
多分今回は関係先へのワイロが不足したのではないでしょうか
吉良家は確か事件前に出雲藩主ともトラブルを起こして無かったか?(源氏巻きの説明文より)
浅野の母側の親族に変わった人がいて本人も周りの人からちょっと変わっているねと言われていたそうですね😓 血筋的に問題があったのかもしれませんね
酒鬼薔薇聖斗の母親も、かなり問題があったと言われていますね。
@@山の神-m4z さん、そうだったのですか〜 何か納得です
内藤忠勝ですね。
将軍家菩提寺の芝増上寺の法要で刀を抜いて処刑されてます。
江戸城など重要施設で正当な理由無く刀を抜くと死刑になります。
元禄赤穂事件も浅野内匠頭が刀を抜いた罪(理由は問わず)で死刑になりました。
吉良は、江戸幕府のシンボル的大名だったので、明治政府になってから、この事件が、江戸幕府は✕で、逆らった浅野藩の浪人達は○と云う様に筋書きを脚色されたが、実際の処は、事件後に参加しなかった志士の1人以外は刑に処された😅この事件を明治政府になってから、江戸幕府のシンボル=吉良は✕、赤穂浪士は○に差替えられた。😅
吉良上野介は殿中松の廊下で刀を抜いてない。赤穂浪士が主張する喧嘩両成敗は違うと思う。吉良上野介は被害者なのに逆恨みで殺されたと思います。
しかも吉良は後ろから斬りかかられてるから、正面からいかなかった浅野は卑怯と言うこともできます。
@ひろたか-j9b ありがとうございます。吉良さんがどんなに悪役に描かれてる映画でも吉良さんは刀を抜いて無いし後ろからいきなりですよね。
@@高橋正義-q1n 浅野内匠頭によるテロの犠牲者。
浅野内匠頭は、年貢の比率を上げ、癇癪持ち。執念深い。地元の領民は。藩が潰れたとき赤飯を炊いて、喜んだ。
突然斬り付けられ、最後は殺された吉良上野介が浅野内匠頭にデタラメを教えるわけがないと思いますがね。一番責任ある立場の吉良上野介がデタラメを教えて、教えられた者が失敗すれば責任者吉良上野介もお咎めをうけるでしょうから。著者のお名前は忘れましたが、嘗て吉良の言い分と言うタイトルの小説を読んだことがあります。敗者目線の側から書かれた名作でした。
@@大源貴広 付け届けをすれば「よっしゃよっしゃ」と機嫌よく教えてくれたでしょう。
大藩が分知すると、それは一万石未満なら旗本になるんですね。一万石以上なら大名。
大藩が外様大藩ですと、分知して万石以上なら外様小藩。しかし、一万石未満なら旗本ということでしようか? その後に、加増されると譜代大名になってしまうのでしようか? 幕府から加増の沙汰がある場合も、本藩から追加で分知されることもありうると思いますけども。
播州赤穂の浅野家は本家から分知された支藩ではなくて、本来はれっきとした独立大名です。元は関ヶ原の恩賞として下野真岡二万石を賜り、そこから常陸真壁→常陸笠間→赤穂と国替えをされました。
赤穂浅野家というのは単純な 外様大名ではないという事は様々な説でよく言われています、
吉良が結構名君だったのは分かるんだけど、最近はドラマとしての忠臣蔵にもそれを採り入れてきていて、吉良が切られてもいまいちスッキリしないんだよね
ドラマとしてなら吉良は極悪人で斬られてスッキリ!ってならないと面白くないし最近の忠臣蔵が人気でないのも分かるわって感じがする
当時はご存じ生類憐みの令で野良犬も「お犬様」だった時代。
吉良家も邸内で犬を5・6匹でも飼っていれば、討ち入りもすんなりとは成功しなかったかもしれない。
忠臣蔵でヒールにされてしまった吉良様かわいそう。
真の悪は柳沢吉保だからね
@@古家武史-f5d 私は徳川綱吉だと思ってます。
どう考えたって「不当」ですよね。
統合失調症の浅野さんにぶち壊された吉良家さんカワイソ
赤穂浪士は史実とかけ離れていますね。浅野内匠頭は酷い癇癪持ちだったようです、勅旨接待役は二度目で、一回目の半分くらいに経費を抑えた見積もりを吉良上野介に見せたら、数字を指摘され嫌味を言われたので、持病である癇癪が爆発してしまい、刃傷に及んだのです。大石は松の廊下の刃傷の一報を受けたときに、やれやれとうとうやらかしたと思った事でしょう。その後の大石始め47人の討ち入りは大変だったことでしょう。吉良を憎々しく描き、浅野内匠頭は清廉潔白でイジメに耐えた姿にすれば、拍手喝采になりました。
群馬県藤岡市白石は吉良さまの領地で、吉良さまは領民のために灌漑施設を整えるなど名君ぶりを発揮。
そのため白石の人はいまでも忠臣蔵を視ないとか?
こんばんは、歌舞伎での赤穂の47人の討ち入りは、大分脚色が入っている為に本当の赤穂事件とは、違って来ているとか、どうして江戸幕府は、赤穂と吉良を潰したかったのでしょうか?これってもう一つの戊辰戦争見たいですね、
忠臣蔵映画の成功の秘訣は憎まれ役上野介がいかに憎々しい人物に描かれたということにあります。東映映画赤穂浪士で演じた月形龍之介の吉良上野介が絶品だとおもいますね〜。
浅野家は子孫が結婚せず独身だったから途絶えた
@@luna8250 浅野家は続いてます。令和ではしらんけど。
私大石名字ですが家紋二つ巴ですね
大石以外の赤穂浪士は藩主とのお目見えが許されていなかった下士というのが笑える。
結局のところ目的は再就職だったのでしょう。
赤穂浪士好きなんですけど隣町が吉良のお膝元で今でも吉良の殿様って地元じゃ慕われててめっちゃ赤穂浪士嫌われてるから複雑
浅野内匠頭の母の兄弟である内藤忠勝は、こともあろうに4代将軍徳川家綱の葬儀の時永井尚長と諍いを起こし刺殺している、また母のいとこである若年寄稲葉正休は大老堀田備中守を将軍御座所近くで刺殺している。このことにより内匠頭は精神異常的な血筋を受けた人物であったと思われる。
なるほどそうでしたか。稲葉正休と親戚だったとは。納得できる話です
岡山県津山市に津山城が有りそこに森藩と言う藩があったのですが、3代目の森氏の時に世継が生まれなかった為にお家は断絶したのですがね、断絶はしたのですがこの津山藩から赤穂浪士が3人出ていてそのお陰かどうか解りませんが、津山藩の森氏は赤穂へと国替されて
明治まで赤穂で森氏は続いたそうですよ。そして今でも津山では三士祭と言う赤穂浪士で活躍した浪士を祭る士祭をしているそうですよ。
吉良様名君と伺ってます。
いつになったら冤罪が晴れるか、
時効が成立するのでしょうか?
柳沢は大老ではなく、側用人では?
多分「八代将軍吉宗」で柳沢吉保が「柳沢様は大老格…」と言われていたのを記憶しておられて徐々に風化しているのではないでしょうか。
暴力団の浅野組による逆恨みを仇討ちと言われるなんて
吉良家はたまったもんではないね
浅野家は、断絶じゃないの?
それで討ち入りを決行したんだと思った。
横手に送られた上野介さんも最初は優遇されてたって聞きます
本多正純
現代まで連綿と続く吉良上野介の末裔とはどなたでしょうか?上野介は長年悪役として扱われてきましたが、そろそろ名誉回復の動きもあるようです。そろそろカミングアウトしてもいいのではないでしょうか?😊
ウィキペディアによると吉良上野介の弟の家が三河吉良家の名籍を継いだけど大正時代に行方知れずとなったみたいです。
@末裔の方、 どこかの雑誌でみかけましたよ🤔
「ほーん」が好き。
商売を教えてくれた人にイヤミ言われたぐらいで喧嘩しかけて口喧嘩なのに真剣で切り付けて、しかも江戸城で。しかも逆恨みで江戸市内で武装集団をくんで老人を襲撃してさつがいするって。こんな輩が何で義士で主人公なんだ?
源氏 吉良 愛知県吉良町西尾市 蒲郡市 三河三谷 三河塩津 岡崎市 岡崎城 知立市 大府市
浅野家からは、
浅野ゆう子とか…。
吉良家からは、吉良の仁吉が。
大石家からは、バニーズの…。
🎉🎉🎉🎉😂
ほうぅ~😂
あうぅ〜😅
ふむふむ😅
ほ〜んっ❤
十代の頃の浅野内匠頭が、指南役の吉良に叱られ。40歳直前に復讐。吉良は徳川本家だから、直接話せるはずはない。浅野は、『石高は自分のほうが上』だから、それが気に入ら無かったのかも。個人の妬みで、藩を潰した浅野内匠頭は、褒められる性格じゃない。
裏金大石家はゾンビ当選しました
一色町三河うなぎ
なるほど吉良の殿様良い殿様😮そうなんだ
松の廊下の一件での幕府の裁定ミスが結果的に赤穂浪士の討ち入りとなったわけで、上野介が可哀想ってのは違うと思うが。幕府が喧嘩両成敗の原則に乗っ取って、内匠頭も上野介も両名が切腹となっていれば、大石内蔵助以下が討ち入りに至ることもなかったはず。
ホントそんなこと言ったら、ローマの暴君ネロほど可哀想な評価させてる人間もいないと思われ。
歴史ド素人のトンデモ意見ですね。
江戸城内で正当な理由無く刀を抜くと罪罰は死刑です。
刀を抜いた理由が喧嘩かどうかなど関係ありません。
吉良上野介は刀を抜いていません。
無罪の人を処刑できません。
元禄赤穂事件以外の江戸城内での刃傷事件で喧嘩両成敗が適用されたことはありません。
仮に浅野吉良両人切腹となったとしても赤穂浪士は吉良家が続いてたら吉良邸討ち入りしたのでは?と思ってます。なんせ主君の仇討ちという前代未聞なことをやった集団ですから、何をするか分かりません。
大石家は、長続きしない家系だな
浅野も吉良も塩が採れたから、幕府が両方欲しがってああいう事件を捏造。いい迷惑。
真実はどうあれ、ドラマ忠臣蔵ではキラが極悪人でないとつまんないよねw
大石神社?はなあに 黒鳥がらの悪い黒い白鳥か播州赤穂の城の堀にいる😂
女優で元ジャニーズの大原麗子さんは浅野内匠頭の末裔❤
女優で元ジャニーズ・・・この時点で大原麗子さんじゃなくても、話が破綻してませんか?😅
浅野内匠頭には子供がいません、ので大原麗子さんは末裔ではありません
それと元ジャニーズってなに?
浅野内匠頭に子供はいません
凶状持ちの田舎官吏(罰役)の巻き添え何て、民意とは言え[吉良は良い面の皮](呆
徳川家康の家系図改竄の巻き添え
ですよw