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じいちゃんのじいちゃんから受け継いだ村田銃があったな。今は所持許可を持った自分が整備と保管をしています。
下敷きになった優れた銃があったにせよ、コイルバネではなく松葉バネを使ったり独特の薬莢を使うなど日本で生産可能なように工夫した点が素晴らしいですね。また電子化されていない紙の資料はもちろん、電子化されていても出会えるかどうかわからない資料を発掘してもらえる事も素晴らしいです。
銃火器におけるバネの重要さがキモなことは一般的にあまり認識されていないように感じます。戦時中苦労したエンジニアは「今度戦争になるようなことがあったらスウェーデンから大量にバネ鋼を輸入してストックしておくべき」と話していたのが印象的です。
当時の日本の技術ではスプリングを作れなかったけどそれを職人芸で補っているところが日本らしい。
ほえー。当時はコイルスプリングが国内製造できなかったんですね。勉強になります。
村田経芳という人物や、そのまわりの歴史や時代背景など詳しく知ることができました。300年遅れの銃火器の技術を世界最先端のレベルまで引き上げるって、すごすぎですね。この時代の「偉人」と呼ばれている人って、ジャンルを問わず、本当にすごいなぁ、と思います。
まぁ、明治時代の先人たちは、徳川260年の平和と引き換えに科学技術・制度の遅れを痛感していたから、一丸になって遅れを取り戻す戦いをせざるを得なかったんですなぁ。
@@五十嵐真一-h6v 逆に見れば、江戸時代はすんごい平和だったんですね。黒船と言う災いの到来で、日本は国際社会と言う弱肉強食の世界と突然向かい合う事になった。
ライフルが登場するのは19世紀になってからだ旋回運動を加えればジャイロ効果で弾の安定性は飛躍的に増すことは、15世紀にはすでに気づいていたのだが銃弾を横に旋回させるということがうまくいかず。長く実現できなかった。銃弾を俵型にするというコロンブスの卵的な発想でこれが実現された。これで銃の威力は四倍になり、銃器の性能は飛躍的に向上した
大久保らが欧州に視察に行った(岩倉使節団)のち、「日本の遅れは50年」と評価したそうです。鎖国時代まるまる後れを取ったのではない、と判断した(できた)ようです。
村田経芳は大河ドラマ「翔ぶが如く」にもモブ登場していた他「銀魂」の村田鉄也のモデルにもなったなぁ。
村田経芳は開発した銃を大久保利通のツテを頼ったが大久保利通の子孫で元内閣総理大臣で有り総理大臣で唯一のオリンピック選手でクレー射撃に出場した麻生太郎だが縁を感じる。
確かに手間もかかるし割に合わない面も多いけど、何時の時代もこう言う武器を自国で製造するのはほんと大切だよね。
だからこそ、昨年陸上自衛隊の制式小銃を国産のhowa5.56㎜アサルトライフルを20式小銃として採用したのも理由があるのではなかろうかと。
@@五十嵐真一-h6v 日本は基本国産化できない装備は制式/制定しない方針だから…
+rere popo様その逆をやらかしてしまったのがサダム・フセイン政権下のイラクで国連制裁下でも銃を売ってくれる国から片っ端から買い漁り、よりによってプロパガンダのために「イラク国産」の銘を付ける産地偽装までやらかしました。主にブルガリア,ハンガリー,中国製のAK-47「カラシニコフ」で、同じカラシニコフでもそれぞれの国が中身を勝手にいじくってるせいで造った国が違うだけで部品の互換性が全く利かないという致命的な欠点を抱えて同じ「イラク国産」のはずなのに部品交換ができないと大混乱をきたしました。
武器輸出できるようになっただけでも前進だと思ってる。
ウィンチェスター持ってた清兵弾詰まりや故障したらもう直せない、一方村田銃は現場て直した国産大事です!
雷管を発明したフォーサイスさんは狩りの名人だったんだよねー。銃の核心的開発に関わる人って銃の達人で性能に不満感じて作るんだよねー
二瓶鉄造の村田銃の銃床が短くなってないのは、払い下げでなく従軍した息子の遺品として渡されてたから?コレヨリノチノヨニウマレテヨイオトキケ二瓶の匂いと同じ位、村田銃に執着してる猟犬リュウは息子の生まれ変わりなんじゃないかと思う時があります🐾
矢口といえば「弓は中るが不思議。テッポーは中らぬが不思議」というくだりが印象深い
スポンサー島津。開発にあたり、なんて心強い!
二瓶鉄造の愛銃
るろうに剣心とそう変わらない時代に国産ライフルが出来ていたなんて、熱いです。
そう考えると志々雄を村田銃で狙撃すれば良かったのでは。
動画もしっかりしてるしソースもしっかりしていてとてもいいチャンネル
幕末から新旧の武器が入り雑じり最新鋭のライフルを製造するまでの工程がわかるから最高です
「村田銃発明物語」は上手いまとめ方をしている良書だよね。
東郷隆さんの「狙うて候」も良いですよ。
ムラタのマサカリ投法
村田銃といえば・・・セクシーマタギの源次郎ちゃんではないだろうか
谷垣ニシパ!?
日清戦争って最新の銃とか最新の軍艦の海戦もそうだけど、清軍が昔ながらの連弩とか大刀を使って来てそれに日本軍が刀とかで応戦した場面も結構あったらしい。
刀での斬り合いを本格的にやるようになったのは実は幕末以降だと、みなもと太郎先生の漫画にも描いてありましたね。
包囲された平壌城から騎馬部隊が突撃してきたが、たちまち瞬殺。銃の性能が上がったので、待ち構える側が圧倒的優勢に。
@原田隆久 あと風雲児たちには「幕末に竹刀と防具が発明されたことにより競技人口が大幅に増加、及び剣術のレベルが飛躍的に向上したから」とも描かれていました。
こんな短期間で高性能の軍用ライフルを作るとは凄い。こんな優れた銃を国内生産できること自体が驚かされるね。短期間で近代戦術を身につけて軍用ライフルを国内生産までするのだから驚異的しか言えないわ。
糸電話レベルからスマホにまで追いつく当時の技術者たち、頭がいいのは元より執念がなによりすげぇな。
ありがとうございます。コメント欄にありました国会図書館のリンクでPDF化された昭7年の戦前の青年向け図書 村田銃発明物語を読みました。PDFなので読みにくいのですが気がつくといつしか夢中で読みました。挿絵や写真も多くて素晴らしい本です。ありがとうございます。村田少佐が明治の初期に欧州に射撃と銃の製造を学びに行って各国の射撃学校で優勝する話は凄いです。村田さんは超すごい射撃名人だったのですね。
やっぱこのチャンネルはちゃんと資料を読み込んで作っててすげえなwiki丸写し系ゆっくりボイロ量産系と違って信頼出来るぜ
確かにWikipediaでは、有効射程が記されて居ませんね。Chassepot種類 歩兵銃製造国 フランスの旗 フランス帝国設計・製造 アントワーヌ・アルフォンス・シャスポー、サン=テティエンヌ造兵廠など仕様種別 ボルトアクション式小銃口径 .433口径 (11mm)銃身長 795mm使用弾薬 紙薬莢鉛弾25g(386グレイン)、黒色火薬5.6g装弾数 1発作動方式 ボルトアクション全長 1.31m(銃剣無)、1.88m(銃剣付)重量 4,635g銃口初速 410 m/s最大射程 1200 - 1700m ※長銃身型歴史 設計年 1866年製造期間 1867年 - 1874年配備期間 1867年 - 1874年配備先 フランス軍関連戦争・紛争 普仏戦争製造数 1,000,000以上
村田銃が当時最強クラス!?初めて知りました!しかも明治13と言う早期!よく考えてみれば、江戸時代は割りと学問の自由があって、オランダ経由でヨーロッパの学問が入っており、数学の出来る人が多くいました。勉強熱心な人々のお陰で明治維新を達成出来た事が良く分かります
動画のクォリティは投稿主の調査能力の賜物ですね。毎回楽しませて貰ってます。内容とは関係ありませんが、ガンラックがせり上がる演出は好きですw
苗字村田やからなんか嬉しい
素晴らしい!ガンマニア垂涎の回ですね。今後も期待していますね!ありがとうございました。
「ゴールデンカムイ」で登場していた村田銃のことが印象に残っています。この動画を見て小説「狙うて候」文庫版上下巻を買ってみることにしました。
二瓶の村田銃は息子さんの形見をそのまま届けてもらったからライフルリングが残っていたのかもしれないですね
あぅっ、ライフリングなかったらマスケット銃みないに50メートル離れたら命中率5パーになるのだ、政府も人が悪い!
無垢材削り出しは技術者の浪漫と誇りです。
既にあるものを改良するのは得意な日本人不思議だなぁ…開発に必要な資質ってなんだろう
一般的に、技術が躍進するのは「戦争」か「エ〇」かって言われてますね。なので平和な後者でならワンチャン(ry
0から1にするのはドリーマー1から10にするのはリアリスト日本人の大多数は改革を望まないリアリスト
日本人は既に優れたお手本がある場合は改良しますが、お手本が無い場合は0から生み出そうとします。決して発明の才が無いわけでは無い。
この半世紀、日本はずっと発明側に回ってますよ。発明よりも改良する方が美味しいんだけどなあ…
村田氏やカラシニコフ氏っていう技術者は本当に凄い変態だよ。(笑)
歴代トップクラスの長尺動画でしたが、まったく長さを感じず楽しく興味深く拝見しました。国会図書館の資料は当時の少年向け書籍なんですね。古い言葉ですが理解できそうですwこれからじっくり読んでみます。
十三年式村田銃が生まれる前は複数の外国製銃を使っていたせいで使う弾薬も予備の部品も違うっていう、とにかく雑多な状況だった。それを解決したのがこの名銃。「敗戦国の銃だから」って理由で貶められることが多い三八式や九九式と同じく、どれも世界水準、一線級の代物ばかりなんだよなぁ。
そうですね、良い参考書に会うのってたいへんですよね!おつかれさまです!
村田銃は銃のテクノロジーが飛躍的に進歩を遂げている時にデヴューした為、比較的短期間にフルモデルチェンジをしたにも拘らず旧式化が進み、17年余りで第一線から退いていった銃です。 残念ながら積極的に最新鋭の技術を取り入れる姿勢が軍部、デザイナー両サイドに御釣りが来るほど溢れていた様ではなく、初のモデル十三年式とその改良型は チューブマガジンが既に登場していた頃に「単発」銃として設計され、連発の二十二年式は 多弾同時装填の「クリップ装填式」の時代に、一発ずつ詰めるチューブマガジン式でいっています(8連は魅力的ですが...)。
それも村田銃発明物語をみるとうかがいしれて おもしろいですよね
@@user-murabitoe 返信ありがとうございます。二十二年式が正式化した年にはマウザー1889年式が登場しています。対称的前方ロッキング・ラグのボルトを採用した高性能ロックシステムと5連ストリッパークリップ装填方式を導入したこの銃に追いつくには次の有坂技師の三十年式を待つことになりますね。
でもアメリカがやると枯れた技術の水平思考とかいって持ち上げられる(そう言ってられないジャンルだ、小銃の基本性能は、というのもわかるけどさ)
この動画 武器好きな人が多いけど同時に歴史のおさらいも出来るね
猟師の「村田銃」は軍用払い下げのものだけでなく村田少将自身が陸軍引退後の余生の仕事として高性能な国産猟銃の普及を目指して改造した散弾銃や火縄銃を村田銃方式の機関部をとりつけたものやライセンス品コピー品などみんなひっくるめて「村田式猟銃」なので。。。。
村田銃と言えばマンガの銀牙で猟銃として登場してたのを思い出す
いいですよね美しい、ただ試作で8発入り村田銃あったのに暴発頻発し単発に戻した、ナタにソケット付けたら最強かと!
おお、同じコメントしてた人がいた。ラストの赤カブトを撃ち抜くとこは、積年の思いが込められたいい画でした。リキは残念だったけど。
最終回で村田銃が単発でなく連発のライフル銃として描かれていた
@@塩ラーメン-j1y さん、死闘になるため死ぬ覚悟で暴発覚悟で連発村田銃使ったかと!
@@守屋克巳 猟師のじいさんが死んだので村の医者が銀を呼び寄せる為に村田銃を撃ったのだが薬莢がライフルのものだったあれは散弾銃なのだが
素晴らしい人物に開発された銃だったんだね。じっちゃんが良く言ってた「明治の人々は偉大だった」を実感。国会図書館で閲覧可能とは、政府も粋な事してくれる。日本の兵器開発って今も「追い付き、追い越せ」だけど実現出来ているのがまた凄い。基礎がしっかりしてるからだね。「300年遅れを一気に最先端へ」どっかで聴いた様な・・と思ったらバイクの「30年遅れを挽回して追い越した」ttレースと被ってた。
兵頭二十八氏の著作にいってい という本(漫画)がある。村田銃の成立に至る経緯が書かれている。絵は兵頭氏が描いたのでないです。この本で銃の制式製造の苦労を知りました。第二次大戦時点でも日本は一定品質でコイルスプリングを作るのに難があったように見えます。機関銃の類を見ると反動利用式よりガス圧駆動が多いので。
ゼロ戦とかもですが日本人は0から1を作るのは苦手だけど1から段階的に進化させる過程はすっ飛ばしちゃうんですね
0から生み出すのはイギリスやドイツが得意でその両国と仲が比較的良かったというのも良かったのではないかなと思う
製品とは、ドイツ人が発明し、アメリカ人が製品化し、イギリス人が投資し、フランス人がデザインし、イタリア人がPRし、日本人が小型化、高性能化して、中国人が海賊版を作り、韓国人が起源を主張する。
@@kagehito_kurotsuka 基礎材料・基本素材になると、日本がトップに来て、右に流れてゆきますな。光ファイバーも、基礎は確か日本人の発明だったような気がする。
既にお手本があるから改良しちゃうわけで、0からの開発が苦手ってわけでもないですよ。日本人でも、お手本がない場合は自分で作ろうとしますから。ただ近代の歴史では、西洋の産業の方が先行していたので(つまり優れた手本があった)、改良する事が多かったんだと思います。
今は日本が発明して、アメリカや中国が製品化してる気が…
確かに日本は江戸時代の長い平和の影響で軍事関連の技術は停滞したけど、江戸のからくり人形とかそれ以外は普通に凄い技術の土台があったんだよね。有名だけど全身麻酔の手術も江戸時代の日本が世界初。
技術が停滞じゃなくて新規の武器開発に伴う技術革新を幕府の命令で「凍結」してたって感じだよね。蘭学をはじめ細々とだけど基礎研究は続けられていたから幕末から維新後にかけて一気に西洋の技術を吸収出来たと。
@@realfordf1865 現実にはフリントロックは国産燧石の発火率が悪くて輸入に頼らざるを得なかったことから有事に止められると困るという戦略的判断からまたホイールロックは撃発までラグが長すぎるので特に猟師に嫌われた ってのも
内容が濃いですね。素晴らしい。
村田銃は、そのチューブ式弾倉が後に作動不良の原因になったけど、兵達は其れを補う為に右手の指に一発づつ挟み、ボルトを引いて薬室を開いた時に素早く指に挟んだ銃弾を込め機関部を閉鎖・射撃準備という芸当を実戦で覚えたらしい。三毛別ヒグマ事件で活躍した山本兵吉もその一人で、同様のテクニックでターゲットのヒグマ、通称「袈裟懸け」と言われたヒグマ体長2.7m頭が大きめの個体を心臓と眉間に命中させ仕留めたそうだ。もっとも、彼が使用した銃は、ロシアでの鹵獲したモシン・ナガンらしいけど。
家康「こんな奴らに武器開発を自由にさせてみろ、綱吉や吉宗辺りで超高性能銃でズギューンされて戦乱ふたたびとなってもおかしくないだろ…」
二瓶鉄造のイメージ強いなぁ
猟銃としてライフリングを削り落としたのは「村田式散弾銃」というやつですな1:33の画像のは、軍の払い下げ改造ではなく金丸銃砲店が新造した、前後に分割可能な新式取放自在村田式銃
まさか釣りキチ三平ネタがこんな所で聞くとはいやはや
村田と言えば「王将」じゃなくて「猟師・マタギ」。矢口高雄氏の漫画だけでなく、過去の各社少年漫画誌の猟師漫画でも主役銃を張ってるのが多い。
@@kenyamamoto1953 「マタギ」に出てくる主人公は釣りキチ三平にも1話だけ出てますね。その他「熊嵐」「爪王」も機会があれば。
流れ星銀に出てくる竹田のじっさまこと竹田五兵衛も村田銃を使ってましたね❗
鉄道輸送網を使って適切な場所に適切な戦力を運ぶというは当時のプロイセンの強み
村田経芳の事は知識がありました。参考になります!次は南部麒次郎をおねがいします!南部式拳銃の設計者のみならず機関銃も手掛けた人です!警察官の携帯拳銃ニュ―ナンブにも名前が伝わる日本を代表するガンスミスです。🤗🤭😅
有坂さんもね!
村田銃って聞くと個人的に最初に浮かぶのが邪眼は月輪に飛ぶの杣口 鵜平が使う村田銃28番口径。
幕末から明治にかけて物の発展が音速なのよなぁ…
村田少将といえば、村田刀も凄いですね。あとは、村田銃の銃剣も三十年式とは着剣方法が違うとも聞いた事があります。
4:28先日亡くなったみなもと太郎先生の風雲児たちによると、黒船来航により砲術を学ぼうとする者が急増しましたが、江戸時代の一般的な武士は武器が進化すると言う発想がなく、福沢諭吉はそんな武士たちに時代遅れの砲術指南書の写しを高値で売り付けてぼろ儲けしていたそうです。
時代遅れの御馬鹿さんと腹の中で笑っていたと思う福沢諭吉さん御馬鹿さん相手の商売はぼろもうけ
サイレンでもお世話になったり、敵が装備していると苦戦したりした思い出があります。
村田さんのこと書かれていた本に、維新の直前にイギリスから買った銃を見てこれなら自分たちで作ったほうがみたいな事書かれていたなぁ(薩英戦争で工場は破壊されていたから作れない状況でしたが)。南北戦争の残りものだからしょうがないのですけどね銃が上手でヨーロッパの大会(?)で優勝したりして当時の新聞に載ったりしているらしい
銀牙シリーズやリメインズ、ゴールデンカムイなど数多くの作品に登場したなぁ、ちなみに村田経芳は翔が如くにモブで登場したほか銀魂の村田兄妹の兄鉄也のモデルにもなっている。
昔銃砲店で村田式を幾つも見ました。ボルトアクションが完成されるまでの過渡期の製品と思います。撃針バネを松葉式にしているので折損事故が出やすくボルトハンドルの中に松葉バネが入っているのでボルトハンドルが太く扱い難い、松葉バネを固定するのにボルトハンドル先端にマイナスネジのふたが緩み易く、緩み止めにネジの端にセンターポンチで目打がされている物はふたが外れ難く撃針の手入れを行う為には松葉バネを外さないと出来ない等扱い難い銃でエキストラクターも細く折れやすいですね。ボルト止めはボルトハンドルの上の丸い円盤状の部品で操作を行うと緩んできました。雷管突破(バックファイヤー)時にボルト先端から5ミリにガス抜き穴が有りますが製造時期によりボルトを閉鎖した時に真上に向くタイプと右に向くタイプが有りどちらも漏れたガスが射手の顔面に吹付けるので扱いの悪い設計です。軍用払下げの村田式は銃床の前にクリーニングロッドの入る穴が有るので判ります。民間で作られた村田式は機関部の直径が軍用よりも5ミリ大きく機関部の長さも約10ミリ長いです。部品の構成あ同じですが部品の互換性は有りません。銃剣は銃の右側横に取り付けられるのでバランスが悪く照準時に右に傾くので良いとは思われません。フランスのグラースの影響を強く受けた銃で、開発された時代を考えると仕方が無いと思います。
「邪眼は月輪に飛ぶ(藤田和日郎)」でも、古参の猟師・杣口鵜平が村田銃を使っていたな。
村田銃は邪眼は月輪(がちりん)に飛ぶにも登場しましたね(藤田和日郎先生が描いてます。代表作はうしおととら、からくりサーカス、月光条例、双亡亭滅ぶべしです)
ミネルヴァをサジナワセた銃
西南戦争の吉次峠の戦いで篠原国幹を狙撃したのが村田経芳だったと言われてますね🤔
ヨルムンガンドで武器商人が「ミサイル売れなければ銃を売ればいい。銃が売れないのなら剣を。剣が売れないのなら石を」って言っていたな。武器屋だから有りだな。今まですいません。これからは応援してます。
そういえば我が家にも18年式村田銃がありましたな。薬莢や鉛、鉛を溶かして丸い弾を作るやつもあったような。
良い書籍ですね。こりゃまた凄そうな本が出てきた。高そうだなぁ・・と思いましたが、国会図書館で公開されていてよかったですね。昔は、国会図書館行っても、コピー機の枚数制限などで、数ヶ月通い詰めてコピーを取る状態だったのですが、デジタル化で良い時代になりましたね。
やはり国会図書館でしたか……あそこのデータベースは良い物だ……
村田銃の解説では秀逸です。脱帽(^^ゞ。
ゴールデンカムイの二瓶が使っていた銃
しれっと嘘をつくゆうちゃん、てぇてぇ
2:17 間違っていたらごめんなさい。恐らく左はマルティニヘンリーで右が二十二年式だと思います!
村田銃は大抵マタギを題材とした作品によく登場していたな銀牙シリーズやイタズ熊、熊嵐、リメインズなどで有名だったな。
22年式は配備数の少なさ以前に歩兵から不評で「数発の予備弾を持った単発銃」って評価だった構造上途中で補充できない弾倉とか乱流を起こして最悪弾底から着弾する平頂弾とか…偶発的な長時間の散兵戦を強いられる騎兵からは8連化した22年式騎兵銃は概ね好評だったらしいけど
早速国会図書館の本流し見してきましたが、なかなかいろいろ率直に書いてありおもしろかったです。
これが無料というのがすごいですよね。 税金払っているかいがあります。
サイレンっていうゲームでマタギが22式村田銃所持してて超心強い(一発で屍人を無力化できる)
マタギ懐かしい漫画いい作品
長い動画は観る方にも重かったりしますよね、忍とも勘とも。 次は有坂閣下の話ですかね、楽しみ😄
村田さんにはSIRENでお世話になりました。
志村じいちゃん結構レアなやつ持ってたってことよね
一流の狙撃手・研究者・設計士・工作製造技師って強すぎるw
ゆうちゃんになんちゃって古語を喋らせ続ける動画を作って欲しい
薬×莢てゐてゐ
小説『狙うて候 銃豪村田経芳の生涯』もある程度参考になるかも……
「てふ無双」がよかった
銃の解説も感謝色々登場してるんですね。熊を打ち砕く銃すごい
国会図書館は法定納本図書館だから、大抵の本はある。足を運べる距離ならお薦めです。
村田経芳って、シモ・ヘイヘとミハイル・カラシニコフを足して2で割った人みたいな感じだな。
銃社会と平和は天秤にかけることはできないが、日本の技術革命は素晴らしいことだと思います。マタギに払下げ時に、ライフリングのそぎ落としは初めて聞きました。勉強になります。別に世界一ではなく、世界レベルで良いと思うのが凡人で追及していく日本人は誇りに思います。
そうよの一時間耐久欲しい
そ う よ(便乗)
丸パクりではなく改良発展型をつくるという気概が凄いですよね
そこがどこぞのC国やk国との違い
@@綾鷹さん-o5u劣化するからねかの国は
シャスポー銃は幕末期の幕府陸軍に採用されていました。幕府陸軍はフランス式を採用していたのでシャスポー銃が採用されました。
ナポレオン3世から江戸幕府に贈呈されたシャスポー銃は2000挺程度で、幕府陸軍全体で採用するには数が足りません。昔は伝習隊が装備していたという説が有力でしたが、最近の学説では伝習隊が装備していたのはミニエー銃であったという説が有力のようです。
@@fep2901 シャスポー銃は湿度の高い日本では、殆ど役に立ちませんでした。我に俺が尋ねたところ、シャスポー銃1挺と南北戦争で使った中古のエンフィールド銃3挺+弾薬のオマケ付きで、武器商人に交換して貰ったそうです。
おおガチムチラッコ鍋マタギさんの愛銃じゃあないですか
相撲しようぜ!
@@多々良長幸 ごっつぁんです
インカラマッ「オチウしようぜ!」
チカパシ [オチウ怖いい]
十三代目石川五右衛門に言わせれば「ピストルだ、ライフルだと西洋武道に・・・」といったところですなでもそれこそが日本人でもある。
8発入りあったし無駄に航空機狙える機能ある、たこ見て航空機想像してたのかな?19世紀に飛行機ねぇ、スゴイ銃だ!
2:18この写真ですが左からマルティニヘンリー小銃十三年式又は十八年式小銃二十二年式小銃以上の順番になっていると思われます
次は有坂ライフルかな?てか日本の銃器は結構種類があるけど特徴的な物も多いからやって欲しい
太平洋戦争の書籍は結構日本の評価にゲタ履かせてたり、日本に不利なこと書いてなかったりする事多いから、注意して読んだほうが良いと思う。
年代にも拠ると思われます。戦前あるいは戦争初期はまだ日本の国力に余裕があったためか、政治家・軍人・学者や一般の人々も理性的な考えが多かったようですけど、負けが込んでくる戦争中期〜末期だと…😢
うぽつ動画面白かったです
村田経芳のドラマ作るなら主演は香川照之だな顔ソックリ
いきなり友達が大物で笑った、てか関わる人物が有名人ばかり
2:17 一番左の銃、村田銃ではなくマルティニ・ヘンリー系列の銃に見えるのですが、気のせいですかね?
そしてハーフライフルという日本だけの謎ライフル規格が出来たのであった
ライフルによる猟が禁止になる時期があるアメリカでもありまっせ。まあ製造も普及もこの二国だけと言う
ゆうちゃん、ソシャゲに嵌り過ぎやろって言いたくなった。しかし、300年の差を一気に縮めた村田銃の功績は偉大だったと痛感しますね
11mmか、対人小銃としては着弾時の殺傷力が半端ないですね。
マスケットの口径を引きずってる頃の銃だもんねぇ 1880~1900年台には多くの国で6~8mmに移行してる
無煙火薬だと音速の2~3倍なんだけど 黒色火薬時代の小銃は初速が拳銃並だから弾頭口径で殺傷力稼ぐしかなかったの
@@nekoneko1963 質量兵器ですんで、手っ取り早い解決方法ですね。
幕末から村田銃登場の頃までの開発は猛スピードだけど、38式小銃の原型ができたあとは終戦までほぼそのまんま。
@@ミックスミッキー-z2g 工業製品として生産ラインが構築されると変更するのは手間がかかるからね。6.5mmアリサカは海外に輸出もできたから、成功した方じゃないかな。
二瓶「猟師の魂が○起する!」
良いセンスだ
じいちゃんのじいちゃんから受け継いだ村田銃があったな。
今は所持許可を持った自分が整備と保管をしています。
下敷きになった優れた銃があったにせよ、コイルバネではなく松葉バネを使ったり独特の薬莢を使うなど日本で生産可能なように工夫した点が素晴らしいですね。また電子化されていない紙の資料はもちろん、電子化されていても出会えるかどうかわからない資料を発掘してもらえる事も素晴らしいです。
銃火器におけるバネの重要さがキモなことは一般的にあまり認識されていないように感じます。戦時中苦労したエンジニアは「今度戦争になるようなことがあったらスウェーデンから大量にバネ鋼を輸入してストックしておくべき」と話していたのが印象的です。
当時の日本の技術ではスプリングを作れなかったけどそれを職人芸で補っているところが日本らしい。
ほえー。当時はコイルスプリングが国内製造できなかったんですね。勉強になります。
村田経芳という人物や、そのまわりの歴史や時代背景など詳しく知ることができました。
300年遅れの銃火器の技術を世界最先端のレベルまで引き上げるって、すごすぎですね。
この時代の「偉人」と呼ばれている人って、ジャンルを問わず、本当にすごいなぁ、と思います。
まぁ、明治時代の先人たちは、徳川260年の平和と引き換えに科学技術・制度の遅れを痛感していたから、一丸になって遅れを取り戻す戦いをせざるを得なかったんですなぁ。
@@五十嵐真一-h6v
逆に見れば、江戸時代はすんごい平和だったんですね。
黒船と言う災いの到来で、日本は国際社会と言う弱肉強食の世界と突然向かい合う事になった。
ライフルが登場するのは19世紀になってからだ
旋回運動を加えればジャイロ効果で弾の安定性は飛躍的に増すことは、15世紀にはすでに気づいていたのだが
銃弾を横に旋回させるということがうまくいかず。長く実現できなかった。
銃弾を俵型にするというコロンブスの卵的な発想でこれが実現された。
これで銃の威力は四倍になり、銃器の性能は飛躍的に向上した
大久保らが欧州に視察に行った(岩倉使節団)のち、「日本の遅れは50年」と評価したそうです。鎖国時代まるまる後れを取ったのではない、と判断した(できた)ようです。
村田経芳は大河ドラマ「翔ぶが如く」にもモブ登場していた他「銀魂」の村田鉄也のモデルにもなったなぁ。
村田経芳は開発した銃を大久保利通のツテを頼ったが大久保利通の子孫で元内閣総理大臣で有り総理大臣で唯一のオリンピック選手でクレー射撃に出場した麻生太郎だが縁を感じる。
確かに手間もかかるし割に合わない面も多いけど、何時の時代もこう言う武器を自国で
製造するのはほんと大切だよね。
だからこそ、昨年陸上自衛隊の制式小銃を国産のhowa5.56㎜アサルトライフルを20式小銃として採用したのも理由があるのではなかろうかと。
@@五十嵐真一-h6v 日本は基本国産化できない装備は制式/制定しない方針だから…
+rere popo様
その逆をやらかしてしまったのがサダム・フセイン政権下のイラクで
国連制裁下でも銃を売ってくれる国から片っ端から買い漁り、よりによってプロパガンダのために
「イラク国産」の銘を付ける産地偽装までやらかしました。
主にブルガリア,ハンガリー,中国製のAK-47「カラシニコフ」で、同じカラシニコフでもそれぞれの国が
中身を勝手にいじくってるせいで造った国が違うだけで部品の互換性が全く利かないという致命的な欠点を
抱えて同じ「イラク国産」のはずなのに部品交換ができないと大混乱をきたしました。
武器輸出できるようになっただけでも前進だと思ってる。
ウィンチェスター持ってた清兵弾詰まりや故障したらもう直せない、一方村田銃は現場て直した国産大事です!
雷管を発明したフォーサイスさんは狩りの名人だったんだよねー。
銃の核心的開発に関わる人って銃の達人で性能に不満感じて作るんだよねー
二瓶鉄造の村田銃の銃床が短くなってないのは、
払い下げでなく従軍した息子の遺品として渡されてたから?
コレヨリノチノヨニウマレテヨイオトキケ
二瓶の匂いと同じ位、村田銃に執着してる猟犬リュウは息子の生まれ変わりなんじゃないかと思う時があります🐾
矢口といえば「弓は中るが不思議。テッポーは中らぬが不思議」というくだりが印象深い
スポンサー島津。
開発にあたり、なんて心強い!
二瓶鉄造の愛銃
るろうに剣心とそう変わらない時代に国産ライフルが出来ていたなんて、熱いです。
そう考えると志々雄を村田銃で狙撃すれば良かったのでは。
動画もしっかりしてるしソースもしっかりしていてとてもいいチャンネル
幕末から新旧の武器が入り雑じり
最新鋭のライフルを製造するまでの工程がわかるから
最高です
「村田銃発明物語」は上手いまとめ方をしている良書だよね。
東郷隆さんの「狙うて候」も良いですよ。
ムラタのマサカリ投法
村田銃といえば・・・
セクシーマタギの源次郎ちゃんではないだろうか
谷垣ニシパ!?
日清戦争って最新の銃とか最新の軍艦の海戦もそうだけど、清軍が昔ながらの連弩とか大刀を使って来て
それに日本軍が刀とかで応戦した場面も結構あったらしい。
刀での斬り合いを本格的にやるようになったのは実は幕末以降だと、みなもと太郎先生の漫画にも描いてありましたね。
包囲された平壌城から騎馬部隊が突撃してきたが、たちまち瞬殺。銃の性能が上がったので、待ち構える側が圧倒的優勢に。
@原田隆久 あと風雲児たちには「幕末に竹刀と防具が発明されたことにより競技人口が大幅に増加、及び剣術のレベルが飛躍的に向上したから」とも描かれていました。
こんな短期間で高性能の軍用ライフルを作るとは凄い。
こんな優れた銃を国内生産できること自体が驚かされるね。
短期間で近代戦術を身につけて軍用ライフルを国内生産までするのだから驚異的しか言えないわ。
糸電話レベルからスマホにまで追いつく当時の技術者たち、頭がいいのは元より執念がなによりすげぇな。
ありがとうございます。コメント欄にありました国会図書館のリンクでPDF化された昭7年の戦前の青年向け図書 村田銃発明物語を読みました。PDFなので読みにくいのですが気がつくといつしか夢中で読みました。挿絵や写真も多くて素晴らしい本です。ありがとうございます。村田少佐が明治の初期に欧州に射撃と銃の製造を学びに行って各国の射撃学校で優勝する話は凄いです。村田さんは超すごい射撃名人だったのですね。
やっぱこのチャンネルはちゃんと資料を読み込んで作っててすげえな
wiki丸写し系ゆっくりボイロ量産系と違って信頼出来るぜ
確かにWikipediaでは、有効射程が記されて居ませんね。
Chassepot
種類 歩兵銃
製造国 フランスの旗 フランス帝国
設計・製造 アントワーヌ・アルフォンス・シャスポー、サン=テティエンヌ造兵廠など
仕様
種別 ボルトアクション式小銃
口径 .433口径 (11mm)
銃身長 795mm
使用弾薬 紙薬莢鉛弾25g(386グレイン)、黒色火薬5.6g
装弾数 1発
作動方式 ボルトアクション
全長 1.31m(銃剣無)、1.88m(銃剣付)
重量 4,635g
銃口初速 410 m/s
最大射程 1200 - 1700m ※長銃身型
歴史
設計年 1866年
製造期間 1867年 - 1874年
配備期間 1867年 - 1874年
配備先 フランス軍
関連戦争・紛争 普仏戦争
製造数 1,000,000以上
村田銃が当時最強クラス!?
初めて知りました!
しかも明治13と言う早期!
よく考えてみれば、江戸時代は割りと学問の自由があって、オランダ経由でヨーロッパの学問が入っており、数学の出来る人が多くいました。
勉強熱心な人々のお陰で明治維新を達成出来た事が良く分かります
動画のクォリティは投稿主の調査能力の賜物ですね。毎回楽しませて貰ってます。内容とは関係ありませんが、ガンラックがせり上がる演出は好きですw
苗字村田やから
なんか嬉しい
素晴らしい!ガンマニア垂涎の回ですね。今後も期待していますね!ありがとうございました。
「ゴールデンカムイ」で登場していた村田銃のことが印象に残っています。この動画を見て小説「狙うて候」文庫版上下巻を買ってみることにしました。
二瓶の村田銃は息子さんの形見をそのまま届けてもらったからライフルリングが残っていたのかもしれないですね
あぅっ、ライフリングなかったらマスケット銃みないに50メートル離れたら命中率5パーになるのだ、政府も人が悪い!
無垢材削り出しは技術者の浪漫と誇りです。
既にあるものを改良するのは得意な日本人
不思議だなぁ…
開発に必要な資質ってなんだろう
一般的に、技術が躍進するのは「戦争」か「エ〇」かって言われてますね。なので平和な後者でならワンチャン(ry
0から1にするのはドリーマー
1から10にするのはリアリスト
日本人の大多数は改革を望まないリアリスト
日本人は既に優れたお手本がある場合は改良しますが、お手本が無い場合は0から生み出そうとします。
決して発明の才が無いわけでは無い。
この半世紀、日本はずっと発明側に回ってますよ。
発明よりも改良する方が美味しいんだけどなあ…
村田氏やカラシニコフ氏っていう技術者は本当に凄い変態だよ。(笑)
歴代トップクラスの長尺動画でしたが、まったく長さを感じず楽しく興味深く拝見しました。
国会図書館の資料は当時の少年向け書籍なんですね。古い言葉ですが理解できそうですw
これからじっくり読んでみます。
十三年式村田銃が生まれる前は複数の外国製銃を使っていたせいで使う弾薬も予備の部品も違うっていう、とにかく雑多な状況だった。それを解決したのがこの名銃。「敗戦国の銃だから」って理由で貶められることが多い三八式や九九式と同じく、どれも世界水準、一線級の代物ばかりなんだよなぁ。
そうですね、良い参考書に会うのってたいへんですよね!
おつかれさまです!
村田銃は銃のテクノロジーが飛躍的に進歩を遂げている時にデヴューした為、比較的短期間にフルモデルチェンジをしたにも拘らず旧式化が進み、17年余りで第一線から退いていった銃です。
残念ながら積極的に最新鋭の技術を取り入れる姿勢が軍部、デザイナー両サイドに御釣りが来るほど溢れていた様ではなく、初のモデル十三年式とその改良型は チューブマガジンが既に登場していた頃に「単発」銃として設計され、連発の二十二年式は 多弾同時装填の「クリップ装填式」の時代に、一発ずつ詰めるチューブマガジン式でいっています(8連は魅力的ですが...)。
それも村田銃発明物語をみるとうかがいしれて おもしろいですよね
@@user-murabitoe 返信ありがとうございます。二十二年式が正式化した年にはマウザー1889年式が登場しています。対称的前方ロッキング・ラグのボルトを採用した高性能ロックシステムと5連ストリッパークリップ装填方式を導入したこの銃に追いつくには次の有坂技師の三十年式を待つことになりますね。
でもアメリカがやると
枯れた技術の水平思考とかいって
持ち上げられる
(そう言ってられない
ジャンルだ、小銃の基本性能は、というのもわかるけどさ)
この動画 武器好きな人が多いけど
同時に歴史のおさらいも出来るね
猟師の「村田銃」は軍用払い下げのものだけでなく村田少将自身が陸軍引退後の余生の仕事として高性能な国産猟銃の普及を目指して改造した散弾銃や火縄銃を村田銃方式の機関部をとりつけたものやライセンス品コピー品などみんなひっくるめて「村田式猟銃」なので。。。。
村田銃と言えばマンガの銀牙で猟銃として登場してたのを思い出
す
いいですよね美しい、ただ試作で8発入り村田銃あったのに暴発頻発し単発に戻した、ナタにソケット付けたら最強かと!
おお、同じコメントしてた人がいた。ラストの赤カブトを撃ち抜くとこは、積年の思いが込められたいい画でした。リキは残念だったけど。
最終回で村田銃が単発でなく連発のライフル銃として描かれていた
@@塩ラーメン-j1y さん、死闘になるため死ぬ覚悟で暴発覚悟で連発村田銃使ったかと!
@@守屋克巳
猟師のじいさんが死んだので
村の医者が銀を呼び寄せる為に村田銃を撃ったのだが
薬莢がライフルのものだった
あれは散弾銃なのだが
素晴らしい人物に開発された銃だったんだね。じっちゃんが良く言ってた「明治の人々は偉大だった」を実感。国会図書館で閲覧可能とは、
政府も粋な事してくれる。日本の兵器開発って今も「追い付き、追い越せ」だけど実現出来ているのがまた凄い。基礎がしっかりしてるからだね。
「300年遅れを一気に最先端へ」どっかで聴いた様な・・と思ったらバイクの「30年遅れを挽回して追い越した」ttレースと被ってた。
兵頭二十八氏の著作にいってい という本(漫画)がある。村田銃の成立に至る経緯が書かれている。絵は兵頭氏が描いたのでないです。この本で銃の制式製造の苦労を知りました。
第二次大戦時点でも日本は一定品質でコイルスプリングを作るのに難があったように見えます。機関銃の類を見ると反動利用式よりガス圧駆動が多いので。
ゼロ戦とかもですが
日本人は0から1を作るのは苦手だけど
1から段階的に進化させる過程はすっ飛ばしちゃうんですね
0から生み出すのはイギリスやドイツが得意でその両国と仲が比較的良かったというのも良かったのではないかなと思う
製品とは、ドイツ人が発明し、アメリカ人が製品化し、イギリス人が投資し、フランス人がデザインし、イタリア人がPRし、日本人が小型化、高性能化して、中国人が海賊版を作り、韓国人が起源を主張する。
@@kagehito_kurotsuka 基礎材料・基本素材になると、日本がトップに来て、右に流れてゆきますな。光ファイバーも、基礎は確か日本人の発明だったような気がする。
既にお手本があるから改良しちゃうわけで、0からの開発が苦手ってわけでもないですよ。
日本人でも、お手本がない場合は自分で作ろうとしますから。
ただ近代の歴史では、西洋の産業の方が先行していたので(つまり優れた手本があった)、
改良する事が多かったんだと思います。
今は日本が発明して、アメリカや中国が製品化してる気が…
確かに日本は江戸時代の長い平和の影響で軍事関連の技術は停滞したけど、江戸のからくり人形とか
それ以外は普通に凄い技術の土台があったんだよね。
有名だけど全身麻酔の手術も江戸時代の日本が世界初。
技術が停滞じゃなくて新規の武器開発に伴う技術革新を幕府の命令で「凍結」してたって感じだよね。蘭学をはじめ細々とだけど基礎研究は続けられていたから幕末から維新後にかけて一気に西洋の技術を吸収出来たと。
@@realfordf1865 現実にはフリントロックは国産燧石の発火率が悪くて輸入に頼らざるを得なかったことから有事に止められると困るという戦略的判断から
またホイールロックは撃発までラグが長すぎるので特に猟師に嫌われた ってのも
内容が濃いですね。素晴らしい。
村田銃は、そのチューブ式弾倉が後に作動不良の原因になったけど、兵達は其れを補う為に右手の指に一発づつ挟み、ボルトを引いて薬室を開いた時に素早く指に挟んだ銃弾を込め機関部を閉鎖・射撃準備という芸当を実戦で覚えたらしい。三毛別ヒグマ事件で活躍した山本兵吉もその一人で、同様のテクニックでターゲットのヒグマ、通称「袈裟懸け」と言われたヒグマ体長2.7m頭が大きめの個体を心臓と眉間に命中させ仕留めたそうだ。もっとも、彼が使用した銃は、ロシアでの鹵獲したモシン・ナガンらしいけど。
家康「こんな奴らに武器開発を自由にさせてみろ、綱吉や吉宗辺りで超高性能銃でズギューンされて戦乱ふたたびとなってもおかしくないだろ…」
二瓶鉄造のイメージ強いなぁ
猟銃としてライフリングを削り落としたのは「村田式散弾銃」というやつですな
1:33の画像のは、軍の払い下げ改造ではなく金丸銃砲店が新造した、前後に分割可能な新式取放自在村田式銃
まさか釣りキチ三平ネタがこんな所で聞くとはいやはや
村田と言えば「王将」じゃなくて「猟師・マタギ」。
矢口高雄氏の漫画だけでなく、過去の各社少年漫画誌の猟師漫画でも主役銃を張ってるのが多い。
@@kenyamamoto1953 「マタギ」に出てくる主人公は釣りキチ三平にも1話だけ出てますね。その他「熊嵐」「爪王」も機会があれば。
流れ星銀に出てくる竹田のじっさまこと竹田五兵衛も村田銃を使ってましたね❗
鉄道輸送網を使って適切な場所に適切な戦力を運ぶというは当時のプロイセンの強み
村田経芳の事は知識がありました。参考になります!次は南部麒次郎をおねがいします!南部式拳銃の設計者のみならず機関銃も手掛けた人です!警察官の携帯拳銃ニュ―ナンブにも名前が伝わる日本を代表するガンスミスです。🤗🤭😅
有坂さんもね!
村田銃って聞くと個人的に最初に浮かぶのが邪眼は月輪に飛ぶの杣口 鵜平が使う村田銃28番口径。
幕末から明治にかけて物の発展が音速なのよなぁ…
村田少将といえば、村田刀も凄いですね。
あとは、村田銃の銃剣も三十年式とは着剣方法が違うとも聞いた事があります。
4:28先日亡くなったみなもと太郎先生の風雲児たちによると、黒船来航により砲術を学ぼうとする者が急増しましたが、江戸時代の一般的な武士は武器が進化すると言う発想がなく、福沢諭吉はそんな武士たちに時代遅れの砲術指南書の写しを高値で売り付けてぼろ儲けしていたそうです。
時代遅れの御馬鹿さんと腹の中で笑っていたと思う
福沢諭吉さん
御馬鹿さん相手の商売はぼろもうけ
サイレンでもお世話になったり、敵が装備していると苦戦したりした思い出があります。
村田さんのこと書かれていた本に、維新の直前にイギリスから買った銃を見てこれなら自分たちで作ったほうがみたいな事書かれていたなぁ(薩英戦争で工場は破壊されていたから作れない状況でしたが)。南北戦争の残りものだからしょうがないのですけどね
銃が上手でヨーロッパの大会(?)で優勝したりして当時の新聞に載ったりしているらしい
銀牙シリーズやリメインズ、ゴールデンカムイなど数多くの作品に登場したなぁ、ちなみに村田経芳は翔が如くにモブで登場したほか銀魂の村田兄妹の兄鉄也のモデルにもなっている。
昔銃砲店で村田式を幾つも見ました。ボルトアクションが完成されるまでの過渡期の製品と思います。
撃針バネを松葉式にしているので折損事故が出やすくボルトハンドルの中に松葉バネが入っているので
ボルトハンドルが太く扱い難い、松葉バネを固定するのにボルトハンドル先端にマイナスネジのふたが
緩み易く、緩み止めにネジの端にセンターポンチで目打がされている物はふたが外れ難く撃針の手入れを
行う為には松葉バネを外さないと出来ない等扱い難い銃でエキストラクターも細く折れやすいですね。
ボルト止めはボルトハンドルの上の丸い円盤状の部品で操作を行うと緩んできました。
雷管突破(バックファイヤー)時にボルト先端から5ミリにガス抜き穴が有りますが製造時期により
ボルトを閉鎖した時に真上に向くタイプと右に向くタイプが有りどちらも漏れたガスが射手の顔面に
吹付けるので扱いの悪い設計です。
軍用払下げの村田式は銃床の前にクリーニングロッドの入る穴が有るので判ります。
民間で作られた村田式は機関部の直径が軍用よりも5ミリ大きく機関部の長さも約10ミリ長いです。
部品の構成あ同じですが部品の互換性は有りません。
銃剣は銃の右側横に取り付けられるのでバランスが悪く照準時に右に傾くので良いとは思われません。
フランスのグラースの影響を強く受けた銃で、開発された時代を考えると仕方が無いと思います。
「邪眼は月輪に飛ぶ(藤田和日郎)」でも、古参の猟師・杣口鵜平が村田銃を使っていたな。
村田銃は邪眼は月輪(がちりん)に飛ぶにも登場しましたね(藤田和日郎先生が描いてます。代表作はうしおととら、からくりサーカス、月光条例、双亡亭滅ぶべしです)
ミネルヴァをサジナワセた銃
西南戦争の吉次峠の戦いで篠原国幹を狙撃したのが村田経芳だったと言われてますね🤔
ヨルムンガンドで武器商人が「ミサイル売れなければ銃を売ればいい。銃が売れないのなら剣を。剣が売れないのなら石を」って言っていたな。
武器屋だから有りだな。
今まですいません。これからは応援してます。
そういえば我が家にも18年式村田銃がありましたな。薬莢や鉛、鉛を溶かして丸い弾を作るやつもあったような。
良い書籍ですね。
こりゃまた凄そうな本が出てきた。高そうだなぁ・・と思いましたが、国会図書館で公開されていてよかったですね。
昔は、国会図書館行っても、コピー機の枚数制限などで、数ヶ月通い詰めてコピーを取る状態だったのですが、デジタル化で良い時代になりましたね。
やはり国会図書館でしたか……あそこのデータベースは良い物だ……
村田銃の解説では秀逸です。脱帽(^^ゞ。
ゴールデンカムイの二瓶が使っていた銃
しれっと嘘をつくゆうちゃん、てぇてぇ
2:17 間違っていたらごめんなさい。恐らく左はマルティニヘンリーで右が二十二年式だと思います!
村田銃は大抵マタギを題材とした作品によく登場していたな銀牙シリーズやイタズ熊、熊嵐、リメインズなどで有名だったな。
22年式は配備数の少なさ以前に歩兵から不評で「数発の予備弾を持った単発銃」って評価だった
構造上途中で補充できない弾倉とか乱流を起こして最悪弾底から着弾する平頂弾とか…
偶発的な長時間の散兵戦を強いられる騎兵からは8連化した22年式騎兵銃は概ね好評だったらしいけど
早速国会図書館の本流し見してきましたが、なかなかいろいろ率直に書いてありおもしろかったです。
これが無料というのがすごいですよね。 税金払っているかいがあります。
サイレンっていうゲームでマタギが22式村田銃所持してて超心強い(一発で屍人を無力化できる)
マタギ懐かしい漫画いい作品
長い動画は観る方にも重かったりしますよね、忍とも勘とも。 次は有坂閣下の話ですかね、楽しみ😄
村田さんにはSIRENでお世話になりました。
志村じいちゃん結構レアなやつ持ってたってことよね
一流の狙撃手・研究者・設計士・工作製造技師って強すぎるw
ゆうちゃんになんちゃって古語を喋らせ続ける動画を作って欲しい
薬×莢てゐてゐ
小説『狙うて候 銃豪村田経芳の生涯』もある程度参考になるかも……
「てふ無双」がよかった
銃の解説も感謝
色々登場してるんですね。熊を打ち砕く銃すごい
国会図書館は法定納本図書館だから、大抵の本はある。足を運べる距離ならお薦めです。
村田経芳って、シモ・ヘイヘとミハイル・カラシニコフを足して2で割った人みたいな感じだな。
銃社会と平和は天秤にかけることはできないが、日本の技術革命は素晴らしいことだと思います。
マタギに払下げ時に、ライフリングのそぎ落としは初めて聞きました。勉強になります。
別に世界一ではなく、世界レベルで良いと思うのが凡人で追及していく日本人は誇りに思います。
そうよの一時間耐久欲しい
そ う よ(便乗)
丸パクりではなく改良発展型をつくるという気概が凄いですよね
そこがどこぞのC国やk国との違い
@@綾鷹さん-o5u
劣化するからねかの国は
シャスポー銃は幕末期の幕府陸軍に採用されていました。幕府陸軍はフランス式を採用していたのでシャスポー銃が採用されました。
ナポレオン3世から江戸幕府に贈呈されたシャスポー銃は2000挺程度で、幕府陸軍全体で採用するには数が足りません。
昔は伝習隊が装備していたという説が有力でしたが、最近の学説では伝習隊が装備していたのはミニエー銃であったという説が有力のようです。
@@fep2901
シャスポー銃は湿度の高い日本では、殆ど役に立ちませんでした。
我に俺が尋ねたところ、
シャスポー銃1挺と南北戦争で使った中古のエンフィールド銃3挺+弾薬のオマケ付きで、武器商人に交換して貰ったそうです。
おおガチムチラッコ鍋マタギさんの愛銃じゃあないですか
相撲しようぜ!
@@多々良長幸 ごっつぁんです
インカラマッ「オチウしようぜ!」
チカパシ [オチウ怖いい]
十三代目
石川五右衛門に
言わせれば
「ピストルだ、ライフルだと西洋武道に・・・」
といったところですな
でもそれこそが日本人でもある。
8発入りあったし無駄に航空機狙える機能ある、たこ見て航空機想像してたのかな?19世紀に飛行機ねぇ、スゴイ銃だ!
2:18
この写真ですが左から
マルティニヘンリー小銃
十三年式又は十八年式小銃
二十二年式小銃
以上の順番になっていると思われます
次は有坂ライフルかな?てか日本の銃器は結構種類があるけど特徴的な物も多いからやって欲しい
太平洋戦争の書籍は結構日本の評価にゲタ履かせてたり、日本に不利なこと書いてなかったりする事多いから、注意して読んだほうが良いと思う。
年代にも拠ると思われます。
戦前あるいは戦争初期はまだ日本の国力に余裕があったためか、政治家・軍人・学者や一般の人々も理性的な考えが多かったようですけど、負けが込んでくる戦争中期〜末期だと…😢
うぽつ
動画面白かったです
村田経芳のドラマ作るなら主演は香川照之だな
顔ソックリ
いきなり友達が大物で笑った、てか関わる人物が有名人ばかり
2:17 一番左の銃、村田銃ではなくマルティニ・ヘンリー系列の銃に見えるのですが、気のせいですかね?
そしてハーフライフルという日本だけの謎ライフル規格が出来たのであった
ライフルによる猟が禁止になる時期があるアメリカでもありまっせ。まあ製造も普及もこの二国だけと言う
ゆうちゃん、ソシャゲに嵌り過ぎやろって言いたくなった。しかし、300年の差を一気に縮めた村田銃の功績は偉大だったと痛感しますね
11mmか、対人小銃としては着弾時の殺傷力が半端ないですね。
マスケットの口径を引きずってる頃の銃だもんねぇ 1880~1900年台には多くの国で6~8mmに移行してる
無煙火薬だと音速の2~3倍なんだけど 黒色火薬時代の小銃は初速が拳銃並だから弾頭口径で殺傷力稼ぐしかなかったの
@@nekoneko1963 質量兵器ですんで、手っ取り早い解決方法ですね。
幕末から村田銃登場の頃までの開発は猛スピードだけど、38式小銃の原型ができたあとは終戦までほぼそのまんま。
@@ミックスミッキー-z2g 工業製品として生産ラインが構築されると変更するのは手間がかかるからね。
6.5mmアリサカは海外に輸出もできたから、成功した方じゃないかな。
二瓶「猟師の魂が○起する!」
良いセンスだ