【毛利元就解説】第二十二話・毛利隆元の決断【豪族達と往く毛利元就の軌跡】

Поділитися
Вставка
  • Опубліковано 20 жов 2024
  • #毛利元就 #ゆっくり解説 #東方project
    第二十一話: • 【毛利元就解説】第二十一話・尼子晴久の逆襲【...
    第二十三話:2024年7月末予定
    初めましての人は初めまして、しかかくと申します。
    今回は毛利家最大のターニングポイント、防芸引分について解説します。今まで影の薄かった毛利隆元がここで大きく動きます。
    ・参考文献
    「毛利元就卿伝」「新裁軍記」「萩藩閥閲録」
    毛利博物館『毛利元就』
    光成準治編『戦国武将列伝9 中国編』
    新名一仁編『戦国武将列伝11 九州編』
    河合正治 『安芸毛利一族』
    岸田裕之 『毛利元就ー武威天下無双、下民憐愍の文徳は未だ』
    藤井 崇 『大内義隆ー類葉武徳の家を称し、大名の器に載る』
    池 享  『毛利領国の拡大と尼子・大友氏』
    原 慶三 「尼子氏の石見国進出をめぐってー石見銀山、吉川・小笠原氏との関係を中心にー」
    川岡 勉 「戦国期の権力秩序と出雲尼子氏」
    川岡 勉 「中世後期備後における守護支配と国衆」
    浅野 友輔「毛利氏の石見進出と江良房栄、備後三吉隆亮の動向」
    西田 智洋「大内義隆の官位に関する一考察」
    竹田直 「安芸毛利氏奉行人の蓮著順に関する考察」
    川岡勉 「毛利氏の覇権確立と家格上昇」
    西原寛太「戦国期毛利氏「家中」の形成」
    ・使用楽曲
    針の音楽: / @harimusic896
    『音降る神霊廟』『やまとごはん』『音降る幻想郷』より
    (アレンジ:白鷺ゆっきー 様)
    唯道是真         「音降る神霊廟」より
    斑鳩の伽藍        「やまとごはん」より
    ひび割れた金魚鉢     「音降る神霊廟」より
    かぐや姫の里       「やまとごはん」より
    夢の後          「音降る幻想郷」より
    大和に散らばる不思議な森 「やまとごはん」より
    ・使用サムネイル
    『豪族達の神楽祭』(絵:友部キヌコ 様)
    / kinuk
    ・使用立ち絵
    豊聡耳神子・物部布都・蘇我屠自古
    (原作:東方project、 絵:真田源次郎ベル助 様)
    / berusuke_sanada
    ・地図:国土地理院
    ・他イラスト:イラストAC
    ・効果音:効果音ラボ
    NicoNico; www.nicovideo.....
    Twitter; / squaredeerhorn​

КОМЕНТАРІ • 78

  • @亜脱臼
    @亜脱臼 3 дні тому +1

    大内義隆に近く古くから仕えてきた守護代衆が1番大内宗家の価値や重みを理解して無かったのが悲しいなぁ

  • @たいち-z6o
    @たいち-z6o Місяць тому +4

    4:53「陶が始めた物語」という言い回し大好き

  • @怠惰な貧乏神
    @怠惰な貧乏神 3 місяці тому +60

    隆元長生きしてればネガティブお手紙がもっと有名になってたんやろなぁ

    • @コミコミ-p5x
      @コミコミ-p5x 3 місяці тому +12

      父と毛利家中っていう過度のストレスを抱えた環境でどっちにしても長生き出来そうもない感じがしてしまいますが。

    • @小野田宇部
      @小野田宇部 26 днів тому +1

      @@コミコミ-p5x 真田の某殿は90台まで頑張っておられる、まあサイズと責任感は段違いだと思うけどね!

  • @user-lw2mq6kv6u
    @user-lw2mq6kv6u 3 місяці тому +26

    なるほどあの有名な隆元のネガティブ長文手紙は、不安のあまりパニックのなかで書かれたものなのですね。
    資料を読む際に大事なのは、それを書いた人のその時の精神状態や、読み手の人生経験も重要そうですね。

    • @丸田大輔-j8f
      @丸田大輔-j8f 2 місяці тому +3

      戦国武将も人の子だったんですね

  • @麦焼酎-u5p
    @麦焼酎-u5p 3 місяці тому +15

    隆元の不安と覚悟が手紙からはっきり伝わってきて、毛利家がついに大博打に出たんだなと実感させられました。
    防芸引分の経緯は、軍記物での脚色がいらないくらい、一次史料から見える展開がすでにドラマの脚本みたいで、熱いものを感じますね。今回も楽しかったです。

  • @鬼美濃-w5s
    @鬼美濃-w5s 3 місяці тому +77

    やっぱり晴賢の動きひどすぎて笑えない
    ただでさえ主君弑逆しているのに自分の利益を優先して他の守護代を粛清したり各国の有力者を敵に回すのは非常にまずい
    対外的な立場も義隆を殺さない方が絶対によかったやんて結果になっている(無理な部分を妥協してでも義尊を生かして傀儡の当主にしておけば話は違ったんだろうけど…)
    晴賢って統治者にとって大切な最悪を見据えて行動するって考えが出来ていないように見えるのよね…
    失敗の仕方も論外だしその後のリカバリーも出来ていない…

    • @木場俊介-b9j
      @木場俊介-b9j 13 днів тому

      主君殺しだけでなく、前関白など、朝廷のお偉い様を、略奪した上で殺害しているので、本来ならば、陶隆房のやらかした事は、朝敵認定されても文句言えないものでした。
      明智光秀ほど孤立せず、陶に賛同する大内家臣団がいたのが逆に驚きです。
      余程、怖かったんだろうなぁ。
      元就も、なかなか全面対決するには決意が至らなかったのがわかります。

  • @MegaDardanos
    @MegaDardanos 3 місяці тому +9

    隆元お兄ちゃんは根はネガティブだけどスイッチが入るとイケイケになるのがとてもいい

  • @YY-rj4up
    @YY-rj4up 3 місяці тому +18

    優しい心を持ちながら深い怒りによって目覚めたスーパー隆元。

    • @TSUDATOSIYKI
      @TSUDATOSIYKI 3 місяці тому +5

      @@YY-rj4up
      陶晴賢「な…な…なにものだ」
      毛利隆元「俺は貴様を倒すためにやって来た、俺はスーパー安芸国人 毛利隆元だ!!」ということですね。

  • @梅-j6q
    @梅-j6q 3 місяці тому +29

    手紙が長いとこが父子一緒ってのが切なくも笑える🤣

  • @夜霧-d5h
    @夜霧-d5h 3 місяці тому +12

    隆元は自身を卑下していたけど隆元が早逝したのは毛利家にとって大打撃だったんですよねぇ

  • @三方ヶ原家康
    @三方ヶ原家康 3 місяці тому +10

    毛利三兄弟、それぞれ個性があって好きなのですが、隆元さんの人間味本当にいいですね。あの手紙WW(さん なんてつけたくなるような)大河ドラマ毛利元就での上川さんの演技も秀逸でした。松重さんの元春といい本当に素晴らしかった。
    いよいよ厳島合戦。逸話どおりではないにしても、工夫は興味深い戦いです。
    (そういえば大河ドラマでは厳島宮尾城の背後から陶勢が石を落としていたけど、跡地いったらそんな山なかったぞい。)

  • @みずさわ-s4g
    @みずさわ-s4g 3 місяці тому +26

    内藤興盛はどのような思いで最期を迎えたのだろうか。自分たちのしでかした所業の末が少しずつ明確になってきている恐怖か、逃げ切れたと思った安堵か。コンラン先生もおっしゃっていたが、陶より内藤の動きをもっと知るべきなのかもしれない

  • @sinhiro2256
    @sinhiro2256 3 місяці тому +18

    「右内心之儀ハ、奥意納之覚悟ニテ候」
    ここに隆元という人物の真価があると思った

  • @TSUDATOSIYKI
    @TSUDATOSIYKI 3 місяці тому +10

    陶が死んだ後に大内がやけに早く解体されたのって既にこれだけ領内が火だるまな状態なら納得。

  • @梅-j6q
    @梅-j6q 3 місяці тому +20

    元就···優秀過ぎる人ってそれ自体が欠点ですよね···。元就がいなければ隆元や五奉行だってもっと力を発揮できたのでは···。今回の隆元を見ると思いますねぇ。でも元就でなければこの時代をのりきれなかったでしょうし。難しい···。

  • @長ネギマン-f2q
    @長ネギマン-f2q 3 місяці тому +11

    20:43
    隆元公の柔和で誠実な人柄と教養の深さ、器量は大内義隆をはじめのちに舅となる内藤興盛のような重臣や他の大内家臣からも高く評価されてたんですよね。
    「毛利隆元公山口逗留日記」やその他様々な記録、逸話には当時栄華を極めた山口でいかに濃密な時間を過ごしたかよく分かります。
    7カ国の守護大名で、従二位まで上り詰めた身分の人がいつも自分に便宜を図ってくれるのはもちろん、細かいところでは見送りの際もわざわざ部屋の外まで本人が来たという話も…これに加えて筆頭家臣の守護代、内藤家の娘を養女として嫁がせてくれた。(もちろん大内義隆が養女として嫁がせたのは尾崎局ただ1人)
    これは有能な毛利元就の嫡男だから囲い込もうという思惑なんですが「無能な人物を扱い易い傀儡として」ではなく「人格・器量とも備わった人物を骨の髄まで大内家の身内として」取り込もうとしたのではないかと思います。
    いくら元就公の息子で大内義隆公の鶴の一声だからとはいえこれだけ身分違いで例外中の例外の婚姻にも関わらず、当然ながら派閥のような関係とあった大内家中で誰からも反対の声がなかったのはやはり異例ですね。
    隆元公の人柄からすれば、これに恩義を感じない訳がありません。
    その一方、元就公からは駆け引きをしろ!遊興にふけるな!もっと武将らしくあれ!と指摘され、2人の超がつくほど優秀な弟たちからはなんとなくナメられる始末…「評価する側次第でモノは言いよう」なんでしょうか…
    隆元公本人は謙虚さが仇になり、まるで現代人のように自身の才覚に疑問を覚えたり不安を感じたり苦労しています。実際は陶晴賢との対峙における決断力や大友家との合戦で当主・武将としての資質を十分に発揮してるんですが多分本人は亡くなるまで1ミリもそんな風に感じておられなかったでしょう。
    ということで大分脱線しましたが、思い入れある大内家と義隆公に仇をなした陶晴賢公に対して義憤に駆られたのは必然といえます。隆元公と陶晴賢公も山口館で親交が深かったはずですから、今風にいえば隆元公は陶晴賢公に対して「どうして」「もっと違うやり方があったはずだ」くらいには思ってたんじゃないでしょうか。

    • @シュレピッピ
      @シュレピッピ 3 місяці тому +6

      晴賢が当主すげ替えどころか父子共々討ち果たして命を奪ったと知ると、隆元は後にも先にも使わない強い言葉で晴賢を非難したのはその心情が見えてアツいよね。一方で元就は終始白々しい。

    • @丸山康平-l2f
      @丸山康平-l2f Місяць тому +2

      近い間柄だった義隆、晴賢、隆元。
      特に大内義隆と大内家との関係は
      元就と隆元では全く違いますよね。
      大寧寺の変に向かう三者の思惑や
      感情について思いを馳せつつコメント読ませて頂きました。ある意味では今川義元と松平元康に近い印象も
      ありますね義隆と隆元は、身内化という信頼を勝ち取った人質の立場の国衆の嫡男として。

    • @長ネギマン-f2q
      @長ネギマン-f2q Місяць тому

      ​@@シュレピッピ さん
      虎狼の心、ですね。
      隆元公は家臣らに説得する際、天罰が下るような謀反人(晴賢公)に与すると毛利にも害が及ぶ、等々述べてますので この時は元就公の石見出陣がかかってたとはいえ、一貫して陶に与同したくなかったのでしょう。
      信心深かった隆元公の放つ「天罰」の二文字は重いです。

    • @長ネギマン-f2q
      @長ネギマン-f2q Місяць тому

      ​@@丸山康平-l2f さん
      仰る通りだと思います。
      同じ家、親子でも立場が大きく違うのは面白いところです。
      しかかくさんの手前、あまり長々と語るのも失礼ではありますが(しかかくさんごめんなさい)
      元就公はご存知の通り毛利家を守るためいかに上手く立ち回るかという感じですよね。常に存亡をかけた修羅場に身をおかれていたので、全ての行動の起点が情や信念より利益・損得優先なのでしょう。調略も敵どころか味方まで欺くようなスタイルだったかもしれませんね。窮地に立たされてもとことん冷静ですしね。
      大寧寺の変に便乗してガッツリ勢力拡大したかと思えばちょうどいいタイミングで陶晴賢公と袂を分かって、「隆元も度々断交せえ言うとるしなぁ…せや!」みたいなノリで「あいつ上様(義隆公)の仇やから成敗しますわ」とか平気な顔して言ってますもん…
      隆元公の場合は若年の成長過程で
      過ごした山口で、ご本人の元来の性格と大内家の家風、当時の山口の文化・土地柄や思考がハマり
      「感化」されたのでは、と思います。元就公が気にしていたという隆元公の「山口がかり」ですね。
      隆元公は義隆公をはじめ尾崎局の父である内藤興盛公らとの信頼が見える逸話も多々ありますし。
      大内家にとって有力な国衆の頭領で一筋縄では行かないあの毛利元就の嫡男でありながら、素直で性格が良く自分たちの文化に馴染んでいた隆元公が信頼を勝ち得たのは必然な気がします。
      元就公からすれば大内家は利用できる強大な後ろ盾ぐらいにしか思ってなかったでしょうけど、隆元公は単純に義隆公とも多くの時間を共にしてましたし、他の家臣らをはじめ文字通り内側から大内家を見ていた人物という点でも元就公とは立場が違いますね。
      徳川家康公も似たような境遇でしたが、厚遇され身分違いの一門の美人を正室にもらっても桶狭間以降はとっとと独立して元康の「元」を捨てたり、なんなら正室もバッサリしてしまいましたし…
      隆元公は周知の通り正室はもちろん正室の父、とまで関係性もよく(元就公その子供たち世代もなので家風かも)
      建前であっても義隆公が亡くなってからも義理立てしていた隆元公が普通じゃないというかやっぱりそういう性格なんだしょうね。(ちなみに輝元公もそういう人間性というか律儀なところがあります)
      もし大内家が内部分裂せず、上手く続いていたら稀に見る良好な主従関係だったかもしれませんね。
      淡々と事実を調べるのも大切ですが、こうやって感情や思考に焦点を当てて歴史を見るのも楽しいですね。ありがとうございました!

  • @shangtian-i3c
    @shangtian-i3c 3 місяці тому +25

    これを見ると陶は大内家をどうしようとして大寧寺の乱を起こしたのか、ビジョンがなさすぎてガッカリする。
    対外的に見たら大内義隆ってけっこういい領主だと思う。

    • @丸山康平-l2f
      @丸山康平-l2f Місяць тому +3

      外海から大陸にまで繋がる
      大内世界を滅ぼして何を得たのか?
      明智光秀より陶晴賢の方が謎や闇が
      深いと思います。

    • @hiron114
      @hiron114 22 дні тому

      単に、陶をはじめとした各守護代や領民が疲弊していたのかな?
      大内義隆が、対外的に優良な殿様なのはそうだと思うけど、当然その分家臣の負担は重くなる訳だし。
      現代でも、優良ホワイト大企業の下請けは、どいつもこいつも"クソブラック企業"なんてのは、珍しく無い。

  • @nekosakura393939
    @nekosakura393939 3 місяці тому +37

    ここまで陶晴賢が酷いとは😅。
    よく大河ドラマなどで尼子晴久や武田勝頼が過小評価されるけど、晴賢は逆に過大評価されてる
    感じですかね。

  • @user-ad0125
    @user-ad0125 3 місяці тому +11

    西国一の侍大将と言ってもただの武辺に過ぎなかったのですね。
    養父の陶興房とは月とスッポンだったのか。

  • @平時国
    @平時国 3 місяці тому +3

    更新お疲れ様です、隆元は自分を卑下してますが彼がいなかったら陶と戦う決断が出来たかどうか・・
    いよいよ厳島の戦いですね次回も楽しみです。

  • @橋本遊
    @橋本遊 3 місяці тому +11

    陶晴賢は山口の商圏破壊しちゃったからねえ…

  • @quattrojulius7500
    @quattrojulius7500 3 місяці тому +14

    家臣は元就がボロクソに自分たち
    のこと叩いていたの知っていた
    のか気になる

  • @寺内央
    @寺内央 3 місяці тому +6

    自分にとって重大な悩みを持っていたのですが、毛利元就&毛利隆元の苦悩を知ってから、大したことないなと思うようになりました。ありがとうございます。

  • @アメアメフレフレ
    @アメアメフレフレ 3 місяці тому +15

    こういうのを見ると謀反や下克上がいかに難しいかがわかるな。事前に談合すれば情報が漏れるしいきなりやったら国人が分裂するし。

  • @user-kt6lh9nm1j
    @user-kt6lh9nm1j 3 місяці тому +22

    10年後信長の野望の陶晴賢のステが気になりますねえ

  • @蝶野喜栄
    @蝶野喜栄 3 місяці тому +13

    実際に厳島の戦いで打ち取った陶の首を「主君を自身の欲のために殺した反逆者だ」と元就が複数回鞭で打った、という逸話があるからな。
    まぁ、自分も後に大内家や尼子家といったかつて多少なりとも世話になった家を滅ぼしているから、自分の正当性を示すためのパフォーマンスでもあったのだろうが。

  • @河内少将
    @河内少将 3 місяці тому +2

    いよいよですね!結果を知ってるだけにワクワクします

  • @コミコミ-p5x
    @コミコミ-p5x 3 місяці тому +14

    元就さんは名将であっても名監督、名伯楽ではなかったんだろうなあ。息子の隆元さんですら物足りないと思ってたんだろうし。隆元さん自身が自分より親父を長生きさせてくださいって言って結果的に先立ったことも隆元さん本人は本望だったのかもしれないですね。

  • @kurbel-w2r
    @kurbel-w2r 3 місяці тому +15

    陶は疑心暗鬼になってたんだろうけどもやってきたことが毛利家安芸国衆を逆撫ですることだったからなぁ
    何のために安芸武田や厳島神主の友田とバチボコにやり合ってたのか忘れたわけじゃあるまいにな?
    それが無ければ毛利も陶に良い印象は抱かずとも離反とまではいかなかったと思うわな。

  • @JM-op7hd
    @JM-op7hd 3 місяці тому +5

    ゴルゴ13のあるエピソードで、「チェスで勝ち急ぐと逆転を食らう」みたいなセリフがありましたが、陶も勝ちを急ぐあまり露骨に攻めすぎた気もします。もちろん、最悪刃を交えても勝てる自信はあったのでしょうが、足元が固まらぬうちに外に出すぎたのかもしれませんね。

  • @naoki080808
    @naoki080808 3 місяці тому +12

    隆元、立派になりましたねぇ
    元就は能力査定を自分・じーじを基準にしてるから凄い迷惑w
    ワイが家臣なら隆元はオアシスに見えると思う

  • @Y.H-g9g
    @Y.H-g9g 3 місяці тому +6

    クーデターで成り上がった政権は身内で周り固めるし旧政権と仲の良かった派閥は遠ざける
    下がってしまった求心力も大勝利があれば取り戻せると想定しての厳島って流れだろうな

  • @石井拓郎-t1r
    @石井拓郎-t1r 3 місяці тому +9

    この動画では毛利家の目線から陶晴賢とそれにまつわるゴタゴタを見ていた訳だけど、
    尼子家からの目線、ひいては尼子晴久の目には、陶晴賢のやりようとその結果に対してはどのように映っていたのだろうか?気になります。

  • @tn3518
    @tn3518 3 місяці тому +1

    ありがとうございます!

  • @鈴木光-n9o
    @鈴木光-n9o 3 місяці тому +14

    毛利隆元が生きてたら、足利義昭も来れなかったか追放してたと思う
    毛利輝元「親父が早死しちゃったから、信長とやり合うことになっちゃったじゃないか!」

    • @梅-j6q
      @梅-j6q 3 місяці тому +2

      ほんとこの時代、健康長生きってそれだけで才能であり、武器ですよねえ。隆元は長生きしてればもっと名を残したでしょうし、輝元もじっくり当主として勉強できたでしょうに。惜しい!

  • @ヨーカン-q6c
    @ヨーカン-q6c 3 місяці тому +6

    コーエーでの毛利家家臣団は一応史実での功績基準でステが決まってるっぽいですが、元就目線での評価だとどうなるか気になりますね(パーフェクト爺だけ80代で他は50〜60以下になりそう)

  • @yunama0718
    @yunama0718 3 місяці тому +2

    ちやりちゃん口調の江良房栄を見るとなんか安心する。

  • @名無し-q6y5w
    @名無し-q6y5w 3 місяці тому +6

    現毛利家当主の方に話を聞いたら、毛利家が陶を倒すきっかけは吉見正頼の抵抗、だそうです。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 3 місяці тому +12

    大大内家中と分国を切り回せる器では無かったか陶…

  • @sentimentalinuyama8399
    @sentimentalinuyama8399 3 місяці тому +5

    13:20 「うっせえわ」口羽通良

  • @大庭相模守
    @大庭相模守 3 місяці тому +4

    陶晴賢のやらかしぶりが酷いなぁ
    改めて安芸国内の毛利勢力を図で見ると、陶晴賢が警戒するのも納得
    次回も楽しみにしております

  • @橘黎-s9s
    @橘黎-s9s 3 місяці тому +2

    いよいよ次は折敷畑の戦い・・・ここまで来ましたね!

  • @ちっちゃいちゃん-g6s
    @ちっちゃいちゃん-g6s 3 місяці тому +4

    検非違使… 戦国時代に聞く官職とは思わなかった…

  • @ゴンベエ-c1l
    @ゴンベエ-c1l 3 місяці тому +6

    この時代の戦争も突然始めるんじゃなく、やっぱり大義名分は必要だったんだな。
    現代でも戦争を始める時、仕掛けた側は一応大義名分の元にやってるもんな。

  • @Miki_Nanase
    @Miki_Nanase 3 місяці тому +8

    元就と隆元の石見出陣討議も「まるでシナリオ通りの茶番」かもしれない!
    というのは妄想と言われても仕方ないですが、時間を稼ぐことによって
    大内・陶の本音を引き出すことになって決別の覚悟をする羽目(笑)になったことは事実でしょう。

  • @凹駱駝
    @凹駱駝 3 місяці тому +2

    元忠さんに対する才覚なく、正路人って奇抜なアイデアとかは出せないが奉行と言う仕事で言えば
    くそ真面目で融通が利かないような部分に適性があるという感じですかねぇ

  • @cleacreation
    @cleacreation 3 місяці тому +5

    格上の強国とはいえ、家中に内紛を抱えた形で毛利家と敵対している大内家はこの時点で以前のような強さはなかったのかも知れないですね。

    • @SAKURANOODLE
      @SAKURANOODLE 3 місяці тому +8

      そうは言っても、外から理解しやすいのは大内家の領地の大小や兵力の多寡なのだから、よくこのタイミングで決断したと思うよ。

    • @cleacreation
      @cleacreation 3 місяці тому +3

      @@SAKURANOODLE それはもう仰る通りです...!胸中に不安を抱きながら大内との開戦に踏み切った毛利隆元の決断は壮絶ですね。

  • @yutakikuchi7633
    @yutakikuchi7633 16 днів тому

    元就の場合若い頃から大内家の運営機構のダイナミズムを見てきた(自身もその一員だった)せいで
    大名を支える家臣とはかくあるべき、という人材に求めるハードルが異常に高くなってしまっているのかも…

  • @kazumasuishikawa2733
    @kazumasuishikawa2733 2 місяці тому

    毛利の長男が当主になっても元就が健在だったのは大きいね。

  • @伊藤宏憲-f6t
    @伊藤宏憲-f6t 3 місяці тому +2

    綸旨ということは本物があり、その書状の写しみたいなものなんでしょうかね?おそらく、後世の物のような感じの。

  • @丸山康平-l2f
    @丸山康平-l2f Місяць тому

    最後に爆弾/ロマンが仕掛けられてて
    少し驚きました。

  • @ギガス-s2l
    @ギガス-s2l 3 місяці тому +5

    問田のバカ弟のせいで大内家が崩れた

  • @蝶野喜栄
    @蝶野喜栄 3 місяці тому +2

    大内氏の資金源であった銀山を手に入れたり/関係のある寺社の当主を血縁者にしたり、って毛利家の井上衆と似たような動きをしているな。
    井上衆の場合は(一応の)主君である毛利家が一国人に過ぎず いつ尼子や大内に滅ぼされるか分からなかったから大きく動かなかった可能性もあるが、そうじゃなかったら同様に毛利家を内から侵食していたかもしれなかった訳か。
    ・元就さんと同じく、義隆さんが”大寧寺の変”直前の相良武任 襲撃事件の時に討たなかったのが悔やまれますね。
    陶隆房(晴賢)さんとしては大内家の重臣;陶家の血筋ではなかったことを気にして、自分の立場をしっかりとしたものにしたかったのかもしれないが、、、。

  • @北極星-m2b
    @北極星-m2b 3 місяці тому +1

    血生臭い話の中でちゆりやネムノ口調が落ち着きます……
    毛利とは逸れますが、龍造寺鑑兼は近年隆信ではなく、彼が剛忠の正統な後継者だったのではとも言われていますので、この点も今後気になるところですね

  • @akanyankoi
    @akanyankoi Місяць тому

    隆元の判断だとしても、生き残る可能性が無ければ元就が断固反対していたはず
    元就としては博打であっても勝つ為の算段はあったのでしょう
    村上水軍が陶から冷遇されはじめた事も当然知っていたはず
    仕方ないとはいえ陶は一度に敵を作り過ぎましたね

  • @milacleyan
    @milacleyan 3 місяці тому +3

    毛利と大内、同じく家中を粛清しても結果がこれだけ違う

  • @MK-fq8wz
    @MK-fq8wz 3 місяці тому +4

    隆元さんの背景の肖像が心持ち薄い..(笑)

  • @公三木元
    @公三木元 2 місяці тому

    従二位下って?