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孤立無援になっても動員兵力12000はすごい
元就は緩急の付け方が上手で怖い
月山富田城はすごい城だし凄惨な逸話があまり残ってないのが更に凄いと思う
みんなの降伏を認めたため、戦死以外死者はいなかった
先代がいないとはいえ力攻めはきついし、元就は経久と晴久を認めてるからこそ、その城をできる限り無傷で手に入れたいと思ってたのかなと感じてます。
月山富田城跡地に行ったことあるけど、これは兵糧攻めでしか落とせないだろうなと納得した
MTh😂lr
元就は敵の家臣団を切り崩すのが大好きだよな。親戚、血縁関係とかを事前に把握するんだろうね。親戚が全員仲が良いってことはないから。
元就さん、幼少期には家臣に所領を横領されたり、家督相続時には弟との家督争いを尼子に誘発されたりしましたからね…身をもって学ばされて生き残った人は強いです。
徳川家康せやな(笑)
長編に感謝。面白かった。
ものすごい内容の濃い動画ですね。これだけのものを作ってしまう動画主を尊敬します。
この動画は元就六十歳から七十歳までの飛躍ですね 寿命以上に健康年齢の長さの凄まじさ
それよな、尼子晴久も急死しなければ違ってただろうにね。
元就も尼子経久も長寿すぎて、嫡孫が家督を継承してるのが凄いしかも経久と晴久の没年は20年しか違わないし
酒さえ飲まなければ70、80以上、生きられる。と。更に、恐ろしいのは73で側室との間に小早川秀包を設けてる😅
兄の興元が酒で亡くなっているので、酒を飲まなかったらしい。トランプ大統領みたいだ。
元就って信長秀吉家康どころか武田、島津にも手本となる戦術な気がする。北九州の攻防戦で地味だけど隆元さんは道雪と互角に殴りあってんだよな...惜しまれる人材
雷神さまと戦って一進一退という時点で、十分戦上手だわ。
父親や弟達が凄まじかった分地味な存在ですがかなりの力量だったんですよね、早くに逝去した事も不運なところ。
恐らく 暗殺やろね その現場に居なかったから真実は闇の中だけど
今回も面白かったです。
月山近くに住んでいたことがあって当時の戦いの様子が地図で分かりやすく解説されてたのであの場所でそんなことがと興味深く見ることが出来ました。城跡から川を挟んだ対岸にある酒蔵の酒「月山」は辛口好きにはお勧めです。
山中鹿之助の尼子復興運動も好き
我に七難八苦を与え給え
信長の野望でカッコいい人ですね
あの毛利元就でも、読み違いがあったり、相当手こずったんだなぁもっとスマートに攻略したものかと思ってた。
この辺りの戦国もなかなか面白いんですよね~😊 尼子晴久や陶晴賢など、もっと有名になって欲しいところ。
上目遣いで汗たらたらの「やべ~」って顔好きだw
大河ドラマだと尼子義久は中村獅童さんでした。
最後尼子義久の没年は慶長15年ですね慶長5年は関ヶ原合戦の年
毛利元就は、弱小豪族から中国地方を掌握するまで、凄まじい苦労を重ねた名将の中の名将だと思う。すごい武将だよね。
中国兵法の遠交近攻ですね。織田信長や上杉謙信なども、時々重大な裏切りにあって、割合、腕力で制圧してるイメージがありますが、毛利一族の場合、じわじわ格下の味方に引き入れている感じが続いていて、徳川幕府ですら、大名同士の協調を恐れているのに、毛利の場合、毛利についていた方が良いと思わせ続けられたのが不思議ですらあります。
一国衆から朝廷or幕府公認の数か国跨ぐような大名になったのは家康(三河守&管領と同レベルの左京太夫)と元就(室町将軍の将軍内定時に貰える官位の右馬頭)だけ真の「謀」は地道によく考えて動くこと、準備しておくこと 大内からの全幅の「信頼」を得たり(吉川・小早川家への養子入りも大内主導で認可を得たこと)、熊谷信直の父も殺してるけど信直からの忠も篤い→それだけ気配りしてるから、井上元兼粛清と同時に家臣団200人以上の官位・花押・署名の起請文提出で毛利の決裁権の確定…
@@フォード-i1w関東北条もですか?
元就が厳島の戦いに勝利したのが58歳の時。その時の領土は安芸1国。そこから10年で中国地方8か国を平定した。人間50年の時代にこれは驚異的だ。しかも元就は自分の死後の体制作りにも成功している。毛利両川体制はその後の織田軍の侵攻、豊臣政権を乗り切った。大内氏、尼子氏、駿河今川氏、甲斐武田氏など後継者問題で消えてい行った大大名が珍しくない中これも異彩を放つ。しかも毛利家(の人材)は明治維新でも主役であり近代日本を作った逸材も多い。最近の安倍元首相も山口県だった。元就は生前成し遂げた実績を見ても後世に日本に与えた影響を見ても戦国時代に登場した真の英雄だ。
祖先の大江広元が鎌倉幕府創設に関わって武士の世を創り上げ、子孫の長州が倒幕して武士の世に幕を引かせたのは胸熱。
詳しく解説しださってありがとうございます。毛利元就やはりえぐいですね。ヒューマニズムもある武将でありながら理があるとなると平気で残虐行為もやってます。織田信長の方が大義名分を気にしてた感じですかね。
36:49 良い言葉だ…
終盤の考え、「私の死後、毛利はどうなってしまうのか」と晩年に慨嘆した人間の考えとは思えない。しかし、70超えて戦うのはつらい。
まさか毛利が武家社会そのものに終止符を打つとは、元就も思っていなかっただろうな。
月山富田城はすごい城!!
現地に散歩に行って非常にユニークな歴史解説動画を上げてる方が居て月山富田城にも行っておられますがなかなか立派なというか堅牢そうな遺構が残っていますね。 さすが尼子家。
根切り、族滅は家臣に新しい領地を与えるために仕方なく行われた側面もありますよね。元就は家臣や同盟者に凄く気を遣っていましたから。そこは大内義長を見頃しにして九州北部を手に入れた大友疎林も同じ。大内という大勢力が混乱したことで突然所有権が曖昧になった大きな領地と付随する利権を手に入れた事で300貫しか持たなかった毛利家次男坊が西国覇者になったんだから。
待ってたぜこの時をよ
この戦が金田一耕助シリーズの八つ墓村につながるのか…。
「暴力を好むのはいいが、暴力が目的と化してしまうのは見下げ果てた者のやること」覇道とはそういうものだわな。王道でも帝道でもないけどね。
21歳で元就とやり合わないといけない義久、なんてかわいそう😂
この動画内で毛利元就は何度も難しい判断を迫られているが時に痛いロスカットを断行しつつ正しい方面に限られたリソースを振り向ける判断していることがすごいですね。この時の毛利家の権力はそこまで強いものではなく周囲の豪族の発言力が強い中、目の前の石見銀山の収入を短絡的に狙いたい意見も強かっただろうが(とても痛いロスカットを自身だけではなく周囲にも強いていたはず)、いそがば回れを実行できた政治力もすごい。状勢を判断するためには正確な情報が必要だがそのための情報網の整備にも心を砕いていたのでしょうね。
面白い!
おお!ついに元就2弾!!でも郡山城の戦いじゃないんかい笑
勉強になりました。晴久と元就の寿命が勝負の分かれ目、義久と元就では勝負にならなかった様ですね。義久に過ぎたるものが二つあり、月山富田城と山中鹿之助。
3:40これはもう楽勝だな。え!まだ34分もある!尼子氏頑張った。
実は、大森銀山(石見銀山)に所縁のある我が家系。いろいろな説も多いのですが、分りやすい解説で嬉しいです。というのも本家にも文献がほぼ残っておらず(昭和初期の2度の大水害)、詳しく調べようもなかったのです。
尼子氏と同家臣団を完全滅亡ではなく、名家として認めているがゆえに彼らを助命したことは元就の英断であり大変結構だと思います。その後尼子氏が毛利家の客分になったこともなかなか興味深いです。
徳川家康と今川氏真の様な関係ですかね。
そもそも尼子正当後継者の義久を幽閉することで尼子残党の影響力拡大を抑える事が狙いだったと思う。尼子が滅亡してもその後の尼子残党に毛利は頭を悩ませる種になっていたからね。完全に尼子残党を駆逐出来たのは尼子勝久·鹿之助一派を自害に追い込んだ事でやっと決着がついた感じですね。
@@ai_love_fox今川は出自のはっきりした名家だからなぁ
尼子は滅亡させた方が良かった思うけどな。経久にしても人間じゃ無い感じやし、晴久など従兄弟の嫁が死んだとたんに、叔父の国久を虐殺やからな
尼子宗家を幽閉の形で保護したからこそ、従った旧臣達の反発はいくらか抑えられ、尼子残党軍の旗頭たる勝久は当主と見做されず、強大になりきれずに鎮圧された。関ヶ原の戦いで主戦するも命は助けられ流罪になった五大老の宇喜多秀家のように、処分でも周りを納得させる方策は必要。対して大内は大寧寺の変で大内義隆と義尊の父子が死去で実質滅亡していたから助ける道理はなかった(九州の領地拡大と引き換えに大友義鎮が弟を見捨てたとも)。
西洋史には無い深い策略もまた日本史の大きな魅力なんだよなぁ
このサムネのおっさん兵糧攻めされた尼子の人かと思ったら毛利元就だったw
尼子義久も愚将扱いされているけど、たった1月で滅んだ朝倉と違って5年以上抵抗した。今川氏真程度の評価はできるのではないでしょうか。合戦歴史さんは経緯を長く紹介するから、短期決戦よりも小田原征伐のような大戦をやって欲しいですね。北条家の判断は決して誤りではなかった。想像の範疇をはるかに上回ったんだと思っています。
尼子義久は朝倉義景と違って攻めるべき時は攻めるけど義景は消極的なのがね···信長包囲網で信玄が西上作戦で徳川領に進行した時も義景は突如本国に帰還し信玄に糾弾されてる。
結果だけ見て、部下領民を抱えて、生きるか死ぬかの戦いをした人物を愚将と馬鹿にするの楽しい?お前の脳内では、敗者は全員愚か者なんだろうね、めでたい頭してるよこんなのがスワローズファンとか、情けないわ
@@黒ノ貴族北陸の雪はキツいらしいですよ。 柴田勝家も賤ヶ岳の戦いの際、雪で退路が絶たれるのを恐れて撤退してますし。
@@黒ノ貴族 信玄が遅いのよアレってどう考えても志賀の陣あたりは信長包囲網の主力やってる
義久は中央集権化の途中で親父が逝ったのが痛すぎる。、
大内義長を攻める為の大義名分からの視点が欲しいですね。
とても分かり易く良かったです。名家の名声を奪っていく戦い方は、織田家の甲州征伐に似てて重なる面がありました。しかし毛利家も、かなり危ない橋を渡っていたのですね。二正面作戦、目標を変えての転戦、そして寝返らせたはずが寝返られ・・・、しかし門司城の死守が素晴らしかったです。落城していたら、中国地方での挟撃は避けられません。大友軍を水軍で圧倒し、九州内に留めさせ置いたことが尼子家滅亡に繋がったのかな。同時に驚いたのが、毛利元就も残忍な事を結構やっていたのですね。籠城の食数者を増やしての兵糧攻めは、秀吉の干し殺し飢え殺しに通じます。毛利元就は英雄か?梟雄か?の話題では、私は梟雄の分類に入ってしまいます・・・。目的達成のためには、救済や人徳が余りないように感じました。しかしこれは私の感じた一意見に過ぎません。捉え方かな。
(゚∀゚) お邪魔します、主さんの近現代戦モノが好きです、特にバタビア沖海戦とか少しだけマイナーな海戦とかも取り上げて居られて、胸を躍らせながら何回も観させていただいてます、最近は戦国時代?武士モノ?ばかりですが、そろそろ現代戦もお願い申し上げます。
尼子家の末裔は今でもいます。flumpoolの尼川元気さんです。
晴久強いな後10年生きていれば歴史は変わったかな
なぜ戦国時代の武将が兵糧の重要性を理解した軍の展開ができて、80年前の旧日本軍ができひんねん💢旧日本軍の上層部は毛利元就1人よりも劣るってことじゃねーか!
隆元の急死はサクッと終わった。。
元就…意外に危ない…イチかバチか…チャレンジャーな戦が結構ありますね。
最近、孫子の様な知謀を発揮する何某(脇役、家臣)がちょうど良い案配に😂
それにしても調略や謀略で敵の足元を崩し先見性のある戦略や戦術で弱小国人から中国地方の覇者になるあの毛利元就が二度に渡って引き際を誤って敗北した石見銀山の業の深さよ……どれだけ優秀な人でも金や銀を前にすると目が眩んで目測を誤るという事なのかな……
心の動揺が計略の焦りとなって出てしまったんだろうな。
世界史上、時々世界各地でゴールドラッシュは起きますが、シルバーに関しては、石見銀山とポトシ銀山の2つが、経済面で世界のパワーバランスを変えたのが銀鉱山で不思議に感じます。プラチナやダイヤモンドの産地が大変偏っているのも不思議な感じ。最近、宇宙人は存在すると認め始めているのかなと思える報道がありますが、なんかこう、宇宙人に仕組まれた実験にすら感じます。
@@kazumasaotu6016 宇宙人に関してだけど、情報が徐々に出始めた理由は、極秘宇宙計画(SSP:Secret Space Program)の関係者(特にアメリカ海軍の主力組織、アメリカ空軍の秘密航空軍事組織、海兵隊のほぼ全部、NROやNSAといった有力な軍諜報組織の関係者)が10年程前から、行き詰った現在の文明社会の仕組みを変革するために段階的ながら情報公開を決定した事が大きいですよ。でも、それは同時に既存の権益にしがみつく支配層との対立を意味する為、情報公開計画が加速したトランプ時代に彼らと既存の支配勢力(便宜的に影の世界政府とかDSと呼ばれる)の暗闘が激化し、2020年の大統領選挙で前代未聞の混乱をもたらす事になり、アメリカは潜在的な内戦状態に陥ってしまいました。それでも情報公開は着々と進められているようです。なお、極秘宇宙計画に関わる技術情報もすごい物が大きいですからこれらが実社会に生かされる21世紀後半にはSFみたいな状況(太陽系内の各惑星に大量の民間人が行き来できる)になってしまうと思います。なお、この秘密の事業に大きく関与した国はナチスの残党(高性能宇宙船の技術を研究していた組織)、アメリカ、ロシア(ソ連時代から)、イギリス(カナダをも含む)、フランス、ドイツといった西洋主要国家に加えて、日本の名前もあります。特に暗殺されたA元首相の執政時代にかなり大きく関与しており、かなりの発言権を行使できる立場になっているそうです。A氏はやはり優秀な政治家だったのです。
だから信長の天下取りをサポートしたのは間違い無く武田信玄。そもそも信玄の協力が無かったら上洛そのものが不可能だった。もし大友対島津が20年早かったら毛利幕府もあり得たとなる。ただ海は防壁にはならないから九州四国情勢が安芸に与える影響も無視出来ない。やはり尾張は有利な位置。
その後尼子家再興の為、我に七難八苦を与えたまえの山中鹿之助が現れるのかな。
毛利元就の心理描写が広島県民って感じがしてすごい
「あまこ」ではなく「あまご」ですね。尼子は佐々木道誉の子孫で滋賀県甲良町尼子か勝楽寺出身。道誉の居城が勝楽寺。元々、天子と名乗ろうとしたが、天子(てんし)様に対して恐れ多いとし、尼子にした。
大内があっさりやられとるやん。陶晴賢もどこえやら。尼子晴久が長生きしたら尼子は、安泰だったのかな?毛利元就の方が上手に思えるが。
陶晴賢はとっくに滅んでいます
大和郡山城からの第一次月山富田城の戦いも是非ぜひ
武勇に優れる本城常光を無理やり処刑したことは後世では批判されていますね。これによって出雲平定に数年掛けることになってしまい、さらには毛利の名声にも傷がついてしまったと、地元中国地方では言われているようです。
広瀬に住んでたが月山はすごく良いところだよ!
待ってたわ禁断症状が現れ始めたところだった
元就って結構ピンチ多いよね
いつも最後のBGMを聴くと感傷的な気持ちになる。
「密約と牽制」…戦国って感じですね。元就さんの行う根絶やし、皆殺し、粛清は意味や政治的効果があるかどうかを基準にしているのですね。こういうのをリアリズムと言うのかもしれません・・・😰。
この頃の絵が一番すき
月山富田城、インパクトある。
尼子が関ヶ原に出ていたことに驚きw
隆元の急死は諸説在りすぎて怖い!
飯梨川(広瀬では富田川) 法勝寺(ほっしょうじ)
三村家親頑張ってるのになあ可哀想に
三村家は宇喜多がねえ我慢して毛利にしたがってれば
中国地方の戦国史は、しかかくの動画おすすめ。
腐れ外道って言わなくなって寂しい限り
強い言葉使うとすぐ、差別だ!って叩かれる時代だから仕方ないね
暴力を好むのはいいが それが目的になってしまうのはアホとなかなか言えない台詞だわ すごい
10年以上に渡って月山富田城の読み方を間違えていた…つきやまじゃないんですか、、
尼子晴久有能だったんだなぁ。
まずスタートの地図の時点で、毛利元就って異常だよな。二大強国の狭間にいるやつがなしてずんどこ両強国食ってでかくなるねん。真田正幸だって生き残るのにピーピーしとるだけやで。
そうそう、しかも大内も尼子も決して無能ではないしな・・・・。普通に戦争強いし、政治も知略もハイレベルだし・・・。
真田昌幸ね
次の信長の野望は尼子家で毛利を滅ぼすかな
恨み深いなら毛利一族は全員処断しとけ
尼子は大友と連携してなかったのかな?うまくやれば石見銀山位までは奪還出来そうな展開だったけど
尼子氏と連携して大友氏も動いていますよ。最終的には北九州の毛利勢によって抑え込まれ動画にあった講和となっています。しかし講和後も毛利側についていた北九州の一部の勢力が納得せず大友に下るのを拒んだのでこちらでも戦いとなっていました。
やはり遠方で連絡を取り合うのはラグができますし尼子滅亡後も陥落し得なかった門司城の存在も大きかったと思います
和睦を優先して福屋を見殺しにしたのは、武田勝頼が高天神城を救援できなかったのに似てますね。味方を見捨てて和睦するなんての後々禍根を残すのに、飛びついちゃうんだよなー苦しいと外交戦調略戦で負けているなら、少しでも戦力が残っているうちに決戦した方が良い。戦わずして勝つが机上の空論で終わるのはこういう事例を見ると分かる。戦えば万が一の勝ちがあるが、戦いを避けて譲歩を繰り返せば、戦うことすらできなくなる
勝頼を戦わずして勝つのを理想とする孫子と真逆の発想をしたとして批判する人がいますけど、勝頼の置かれている立場や状況考えると織田や織田を後ろ盾としている徳川を相手に戦わずして勝つのは無理だと思いますね。武田は織田や毛利と違って海がないから交易に不利、農耕に適した土地もない、だから領内は重税になるしかなく民は疲弊し、その状況を打開する為に領土拡大に励むがその為に更に税が重くなるという負の連鎖が続いていたのでしょう。戦わないで勝とうと調略したところで熱田や津島、伊勢、堺などの商業が発達した地を抑え、税が安く豊かな織田を離反し、金がなくて貧乏、税が重い武田に与する道理はないですよね。
しかも、武田の経済的強みだった甲州金山も、勝頼の頃には金が出てこなくなりましたからね。
この時代金山銀山は調略や土地を伴わない褒美にもってこいですが、無くなると致命傷ですね。どうもキャッシュフローの概念があり不渡りを出すと信用縮小が起きて資金不足で軍事活動が出来ず(後詰出来ず)更に信用失墜した形跡が。
毛利は博多の方にも手をかけてたんですよねめんどくさいヤッチャで
2:28 涙出た😢あの小国領主があの大友と交渉するくらいの大勢力になるなんて😢
尼子が元々は毛利を支配してたけど下剋上食らったみたいな。
石見銀山は昔教科書で大森銀山って書かれてたなぁ🤔
石見銀山とかいうチートよりも軍事・外交、はっきりわかんだね!
やはり汚い爺い達が液体を垂れ流しながら闘うこの絵面は我々の心を浄化してくれる。ありがとう汚い爺い達
そして八墓伝説となる
尼子氏の一族の一部は佐々木と改名して現在に至る。
最近よだれ垂らさなくなったな。
よだれとアホずらがまた見たい!笑
すでに死に体とは言え、大内の領国を併呑してすぐに大友と渡り合うなんて尋常じゃないな反毛利派もまだまだ居たはず大友も対毛利にばかり集中出来なかった、という事もあるだろうけど
今の第13旅団はさぞかし強いのだろーな?
時流を見る目が無かったのは福屋なのか尼子なのか
尼子の末裔はその後神某との名前に変えていったらしい多分出雲大社から取ってんだろうな
尼子の本当の滅亡は上月城の戦いでは?
城内の水不足を誤魔化す為に🐎に白米を掛けて水に見せた白米城伝説
義隆と元就は同世代というか義隆の方が少し若いどうしても途中省いて大内義興の後継者が元就だったように考えてしまう。人物としてはそれで良い。
山中鹿介の、子孫は、江戸時代は、鴻池家に繋がってる。😊😊😊息子が、鴻池初代鴻池新六。
慶長じゃなくて元亀じゃないの? 慶長だったら秀吉が台頭して来てるあたり
元号の表記だと、よほどの歴史ファンじゃない限りわからないです。西暦で表記していただきたいです。
毛利は元就の代では戦術で負けても戦略で勝ち戦略で負けても政略で勝つという最もシンプルで明確なやり方で基盤を強めていったのにその後の代が残念😢源平の戦いの頃や戦国時代に戦略で負けても戦術で勝てば良い、1+1=5にも10にもなる!なんて旧日本軍みたいな絵空事を根拠に戦ってたら直ぐに滅ぼされたんだろうね
新宮党粛清のタイミングが悪すぎたのがデカい跡を継いだ義久に力ある親戚が後見に居れば滅ばなかったかもしれんのに
それも毛利元就の策略が影響していますので
まだそんなこと言ってる人がいたのか普通に毛利の謀略は関係ないぞ
元就の顔w
元就は大内と尼子に散々、無理な事をやらされてた事を思うと、やっぱり中国地方では頭2個は!ぬけてたな
いいね
孤立無援になっても動員兵力12000はすごい
元就は緩急の付け方が上手で怖い
月山富田城はすごい城だし
凄惨な逸話があまり残ってないのが
更に凄いと思う
みんなの降伏を認めたため、戦死以外死者はいなかった
先代がいないとはいえ力攻めはきついし、元就は経久と晴久を認めてるからこそ、その城をできる限り無傷で手に入れたいと思ってたのかなと感じてます。
月山富田城跡地に行ったことあるけど、
これは兵糧攻めでしか落とせないだろうなと納得した
M
Th😂lr
元就は敵の家臣団を切り崩すのが大好きだよな。親戚、血縁関係とかを事前に把握するんだろうね。親戚が全員仲が良いってことはないから。
元就さん、幼少期には家臣に所領を横領されたり、家督相続時には弟との家督争いを尼子に誘発されたりしましたからね…
身をもって学ばされて生き残った人は強いです。
徳川家康
せやな(笑)
長編に感謝。面白かった。
ものすごい内容の濃い動画ですね。これだけのものを作ってしまう動画主を尊敬します。
この動画は元就六十歳から七十歳までの飛躍ですね 寿命以上に健康年齢の長さの凄まじさ
それよな、尼子晴久も急死しなければ違ってただろうにね。
元就も尼子経久も長寿すぎて、嫡孫が家督を継承してるのが凄い
しかも経久と晴久の没年は20年しか違わないし
酒さえ飲まなければ70、80以上、生きられる。と。
更に、恐ろしいのは73で側室との間に小早川秀包を設けてる😅
兄の興元が酒で亡くなっているので、酒を飲まなかったらしい。トランプ大統領みたいだ。
元就って信長秀吉家康どころか武田、島津にも手本となる戦術な気がする。
北九州の攻防戦で地味だけど隆元さんは道雪と互角に殴りあってんだよな...惜しまれる人材
雷神さまと戦って一進一退という時点で、十分戦上手だわ。
父親や弟達が凄まじかった分地味な存在ですがかなりの力量だったんですよね、早くに逝去した事も不運なところ。
恐らく 暗殺やろね その現場に居なかったから真実は闇の中だけど
今回も面白かったです。
月山近くに住んでいたことがあって当時の戦いの様子が地図で分かりやすく解説されてたのであの場所でそんなことがと興味深く見ることが出来ました。
城跡から川を挟んだ対岸にある酒蔵の酒「月山」は辛口好きにはお勧めです。
山中鹿之助の尼子復興運動も好き
我に七難八苦を与え給え
信長の野望でカッコいい人ですね
あの毛利元就でも、読み違いがあったり、相当手こずったんだなぁ
もっとスマートに攻略したものかと思ってた。
この辺りの戦国もなかなか面白いんですよね~😊
尼子晴久や陶晴賢など、もっと有名になって欲しいところ。
上目遣いで汗たらたらの「やべ~」って顔好きだw
大河ドラマだと尼子義久は中村獅童さんでした。
最後
尼子義久の没年は慶長15年ですね
慶長5年は関ヶ原合戦の年
毛利元就は、弱小豪族から中国地方を掌握するまで、凄まじい苦労を重ねた名将の中の名将だと思う。
すごい武将だよね。
中国兵法の遠交近攻ですね。
織田信長や上杉謙信なども、時々重大な裏切りにあって、割合、腕力で制圧してるイメージがありますが、
毛利一族の場合、じわじわ格下の味方に引き入れている感じが続いていて、
徳川幕府ですら、大名同士の協調を恐れているのに、毛利の場合、毛利についていた方が良いと思わせ続けられたのが不思議ですらあります。
一国衆から朝廷or幕府公認の数か国跨ぐような大名になったのは家康(三河守&管領と同レベルの左京太夫)と元就(室町将軍の将軍内定時に貰える官位の右馬頭)だけ
真の「謀」は地道によく考えて動くこと、準備しておくこと 大内からの全幅の「信頼」を得たり(吉川・小早川家への養子入りも大内主導で認可を得たこと)、熊谷信直の父も殺してるけど信直からの忠も篤い→それだけ気配りしてるから、井上元兼粛清と同時に家臣団200人以上の官位・花押・署名の起請文提出で毛利の決裁権の確定…
@@フォード-i1w関東北条もですか?
元就が厳島の戦いに勝利したのが58歳の時。その時の領土は安芸1国。そこから10年で中国地方8か国を平定した。人間50年の時代にこれは驚異的だ。しかも元就は自分の死後の体制作りにも成功している。毛利両川体制はその後の織田軍の侵攻、豊臣政権を乗り切った。大内氏、尼子氏、駿河今川氏、甲斐武田氏など後継者問題で消えてい行った大大名が珍しくない中これも異彩を放つ。しかも毛利家(の人材)は明治維新でも主役であり近代日本を作った逸材も多い。最近の安倍元首相も山口県だった。元就は生前成し遂げた実績を見ても後世に日本に与えた影響を見ても戦国時代に登場した真の英雄だ。
祖先の大江広元が鎌倉幕府創設に関わって武士の世を創り上げ、子孫の長州が倒幕して武士の世に幕を引かせたのは胸熱。
詳しく解説しださってありがとうございます。毛利元就やはりえぐいですね。ヒューマニズムもある武将でありながら理があるとなると平気で残虐行為もやってます。織田信長の方が大義名分を気にしてた感じですかね。
36:49 良い言葉だ…
終盤の考え、「私の死後、毛利はどうなってしまうのか」と晩年に慨嘆した人間の考えとは思えない。しかし、70超えて戦うのはつらい。
まさか毛利が武家社会そのものに終止符を打つとは、元就も思っていなかっただろうな。
月山富田城はすごい城!!
現地に散歩に行って非常にユニークな歴史解説動画を上げてる方が居て
月山富田城にも行っておられますが
なかなか立派なというか堅牢そうな
遺構が残っていますね。
さすが尼子家。
根切り、族滅は家臣に新しい領地を
与えるために仕方なく行われた側面もありますよね。元就は家臣や同盟者に凄く気を遣っていましたから。
そこは大内義長を見頃しにして
九州北部を手に入れた大友疎林も
同じ。大内という大勢力が混乱したことで突然所有権が曖昧になった
大きな領地と付随する利権を手に入れた事で300貫しか持たなかった
毛利家次男坊が西国覇者になったんだから。
待ってたぜこの時をよ
この戦が金田一耕助シリーズの八つ墓村につながるのか…。
「暴力を好むのはいいが、暴力が目的と化してしまうのは見下げ果てた者のやること」覇道とはそういうものだわな。王道でも帝道でもないけどね。
21歳で元就とやり合わないといけない義久、なんてかわいそう😂
この動画内で毛利元就は何度も難しい判断を迫られているが時に痛いロスカットを断行しつつ正しい方面に限られたリソースを振り向ける判断していることがすごいですね。
この時の毛利家の権力はそこまで強いものではなく周囲の豪族の発言力が強い中、目の前の石見銀山の収入を短絡的に狙いたい意見も強かっただろうが(とても痛いロスカットを自身だけではなく周囲にも強いていたはず)、いそがば回れを実行できた政治力もすごい。
状勢を判断するためには正確な情報が必要だがそのための情報網の整備にも心を砕いていたのでしょうね。
面白い!
おお!ついに元就2弾!!
でも郡山城の戦いじゃないんかい笑
勉強になりました。
晴久と元就の寿命が勝負の分かれ目、義久と元就では勝負にならなかった様ですね。
義久に過ぎたるものが二つあり、月山富田城と山中鹿之助。
3:40
これはもう楽勝だな。
え!まだ34分もある!
尼子氏頑張った。
実は、大森銀山(石見銀山)に所縁のある我が家系。いろいろな説も多いのですが、分りやすい解説で嬉しいです。
というのも本家にも文献がほぼ残っておらず(昭和初期の2度の大水害)、詳しく調べようもなかったのです。
尼子氏と同家臣団を完全滅亡ではなく、名家として認めているがゆえに彼らを助命したことは元就の英断であり大変結構だと思います。その後尼子氏が毛利家の客分になったこともなかなか興味深いです。
徳川家康と今川氏真の様な関係ですかね。
そもそも尼子正当後継者の義久を幽閉することで尼子残党の影響力拡大を抑える事が狙いだったと思う。
尼子が滅亡してもその後の尼子残党に毛利は頭を悩ませる種になっていたからね。
完全に尼子残党を駆逐出来たのは尼子勝久·鹿之助一派を自害に追い込んだ事でやっと決着がついた感じですね。
@@ai_love_fox今川は出自のはっきりした名家だからなぁ
尼子は滅亡させた方が良かった思うけどな。
経久にしても人間じゃ無い感じやし、晴久など従兄弟の嫁が死んだとたんに、叔父の国久を虐殺やからな
尼子宗家を幽閉の形で保護したからこそ、従った旧臣達の反発はいくらか抑えられ、尼子残党軍の旗頭たる勝久は当主と見做されず、強大になりきれずに鎮圧された。
関ヶ原の戦いで主戦するも命は助けられ流罪になった五大老の宇喜多秀家のように、処分でも周りを納得させる方策は必要。
対して大内は大寧寺の変で大内義隆と義尊の父子が死去で実質滅亡していたから助ける道理はなかった(九州の領地拡大と引き換えに大友義鎮が弟を見捨てたとも)。
西洋史には無い深い策略もまた日本史の大きな魅力なんだよなぁ
このサムネのおっさん兵糧攻めされた尼子の人かと思ったら毛利元就だったw
尼子義久も愚将扱いされているけど、たった1月で滅んだ朝倉と違って5年以上抵抗した。
今川氏真程度の評価はできるのではないでしょうか。
合戦歴史さんは経緯を長く紹介するから、短期決戦よりも小田原征伐のような大戦をやって欲しいですね。
北条家の判断は決して誤りではなかった。
想像の範疇をはるかに上回ったんだと思っています。
尼子義久は朝倉義景と違って攻めるべき時は攻めるけど義景は消極的なのがね···
信長包囲網で信玄が西上作戦で徳川領に進行した時も義景は突如本国に帰還し信玄に糾弾されてる。
結果だけ見て、部下領民を抱えて、生きるか死ぬかの戦いをした人物を愚将と馬鹿にするの楽しい?
お前の脳内では、敗者は全員愚か者なんだろうね、めでたい頭してるよ
こんなのがスワローズファンとか、情けないわ
@@黒ノ貴族
北陸の雪はキツいらしいですよ。 柴田勝家も賤ヶ岳の戦いの際、雪で退路が絶たれるのを恐れて撤退してますし。
@@黒ノ貴族 信玄が遅いのよアレって
どう考えても志賀の陣あたりは信長包囲網の主力やってる
義久は中央集権化の途中で親父が逝ったのが痛すぎる。、
大内義長を攻める為の大義名分からの視点が欲しいですね。
とても分かり易く良かったです。
名家の名声を奪っていく戦い方は、織田家の甲州征伐に似てて重なる面がありました。
しかし毛利家も、かなり危ない橋を渡っていたのですね。
二正面作戦、目標を変えての転戦、そして寝返らせたはずが寝返られ・・・、
しかし門司城の死守が素晴らしかったです。落城していたら、中国地方での挟撃は避けられません。
大友軍を水軍で圧倒し、九州内に留めさせ置いたことが尼子家滅亡に繋がったのかな。
同時に驚いたのが、毛利元就も残忍な事を結構やっていたのですね。
籠城の食数者を増やしての兵糧攻めは、秀吉の干し殺し飢え殺しに通じます。
毛利元就は英雄か?梟雄か?の話題では、私は梟雄の分類に入ってしまいます・・・。
目的達成のためには、救済や人徳が余りないように感じました。
しかしこれは私の感じた一意見に過ぎません。捉え方かな。
(゚∀゚) お邪魔します、主さんの近現代戦モノが好きです、特にバタビア沖海戦とか少しだけマイナーな海戦とかも取り上げて居られて、胸を躍らせながら何回も観させていただいてます、最近は戦国時代?武士モノ?ばかりですが、そろそろ現代戦もお願い申し上げます。
尼子家の末裔は今でもいます。
flumpoolの尼川元気さんです。
晴久強いな
後10年生きていれば歴史は変わったかな
なぜ戦国時代の武将が兵糧の重要性を理解した軍の展開ができて、80年前の旧日本軍ができひんねん💢
旧日本軍の上層部は毛利元就1人よりも劣るってことじゃねーか!
隆元の急死はサクッと終わった。。
元就…意外に危ない…イチかバチか…
チャレンジャーな戦が結構ありますね。
最近、孫子の様な知謀を発揮する
何某(脇役、家臣)が
ちょうど良い案配に😂
それにしても調略や謀略で敵の足元を崩し先見性のある戦略や戦術で弱小国人から中国地方の覇者になるあの毛利元就が
二度に渡って引き際を誤って敗北した石見銀山の業の深さよ……
どれだけ優秀な人でも金や銀を前にすると目が眩んで目測を誤るという事なのかな……
心の動揺が計略の焦りとなって出てしまったんだろうな。
世界史上、時々世界各地でゴールドラッシュは起きますが、
シルバーに関しては、石見銀山とポトシ銀山の2つが、経済面で世界のパワーバランスを変えたのが
銀鉱山で不思議に感じます。
プラチナやダイヤモンドの産地が大変偏っているのも不思議な感じ。
最近、宇宙人は存在すると認め始めているのかなと思える報道がありますが、
なんかこう、宇宙人に仕組まれた実験にすら感じます。
@@kazumasaotu6016
宇宙人に関してだけど、情報が徐々に出始めた理由は、極秘宇宙計画(SSP:Secret Space Program)の関係者(特にアメリカ海軍の主力組織、アメリカ空軍の秘密航空軍事組織、海兵隊のほぼ全部、NROやNSAといった有力な軍諜報組織の関係者)が10年程前から、行き詰った現在の文明社会の仕組みを変革するために段階的ながら情報公開を決定した事が大きいですよ。
でも、それは同時に既存の権益にしがみつく支配層との対立を意味する為、情報公開計画が加速したトランプ時代に彼らと既存の支配勢力(便宜的に影の世界政府とかDSと呼ばれる)の暗闘が激化し、2020年の大統領選挙で前代未聞の混乱をもたらす事になり、アメリカは潜在的な内戦状態に陥ってしまいました。
それでも情報公開は着々と進められているようです。
なお、極秘宇宙計画に関わる技術情報もすごい物が大きいですからこれらが実社会に生かされる21世紀後半にはSFみたいな状況(太陽系内の各惑星に大量の民間人が行き来できる)になってしまうと思います。
なお、この秘密の事業に大きく関与した国はナチスの残党(高性能宇宙船の技術を研究していた組織)、アメリカ、ロシア(ソ連時代から)、イギリス(カナダをも含む)、フランス、ドイツといった西洋主要国家に加えて、日本の名前もあります。
特に暗殺されたA元首相の執政時代にかなり大きく関与しており、かなりの発言権を行使できる立場になっているそうです。
A氏はやはり優秀な政治家だったのです。
だから信長の天下取りをサポートしたのは間違い無く武田信玄。そもそも信玄の協力が無かったら上洛そのものが不可能だった。もし大友対島津が20年早かったら毛利幕府もあり得たとなる。ただ海は防壁にはならないから九州四国情勢が安芸に与える影響も無視出来ない。やはり尾張は有利な位置。
その後尼子家再興の為、我に七難八苦を与えたまえの山中鹿之助が現れるのかな。
毛利元就の心理描写が広島県民って感じがしてすごい
「あまこ」ではなく「あまご」ですね。
尼子は佐々木道誉の子孫で滋賀県甲良町尼子か勝楽寺出身。道誉の居城が勝楽寺。
元々、天子と名乗ろうとしたが、天子(てんし)様に対して恐れ多いとし、尼子にした。
大内があっさりやられとるやん。陶晴賢もどこえやら。尼子晴久が長生きしたら尼子は、安泰だったのかな?毛利元就の方が上手に思えるが。
陶晴賢はとっくに滅んでいます
大和郡山城からの第一次月山富田城の戦いも是非ぜひ
武勇に優れる本城常光を無理やり処刑したことは後世では批判されていますね。これによって出雲平定に数年掛けることになってしまい、さらには毛利の名声にも傷がついてしまったと、地元中国地方では言われているようです。
広瀬に住んでたが
月山はすごく良いところだよ!
待ってたわ禁断症状が現れ始めたところだった
元就って結構ピンチ多いよね
いつも最後のBGMを聴くと感傷的な気持ちになる。
「密約と牽制」…戦国って感じですね。元就さんの行う根絶やし、皆殺し、粛清は意味や政治的効果があるかどうかを基準にしているのですね。こういうのをリアリズムと言うのかもしれません・・・😰。
この頃の絵が一番すき
月山富田城、インパクトある。
尼子が関ヶ原に出ていたことに驚きw
隆元の急死は諸説在りすぎて怖い!
飯梨川(広瀬では富田川) 法勝寺(ほっしょうじ)
三村家親頑張ってるのになあ
可哀想に
三村家は宇喜多がねえ
我慢して毛利にしたがってれば
中国地方の戦国史は、しかかくの動画おすすめ。
腐れ外道って言わなくなって寂しい限り
強い言葉使うとすぐ、差別だ!って叩かれる時代だから仕方ないね
暴力を好むのはいいが それが目的になってしまうのはアホとなかなか言えない台詞だわ すごい
10年以上に渡って月山富田城の読み方を間違えていた…つきやまじゃないんですか、、
尼子晴久有能だったんだなぁ。
まずスタートの地図の時点で、毛利元就って異常だよな。
二大強国の狭間にいるやつがなしてずんどこ両強国食ってでかくなるねん。
真田正幸だって生き残るのにピーピーしとるだけやで。
そうそう、しかも大内も尼子も決して無能ではないしな・・・・。
普通に戦争強いし、政治も知略もハイレベルだし・・・。
真田昌幸ね
次の信長の野望は尼子家で毛利を滅ぼすかな
恨み深いなら毛利一族は全員処断しとけ
尼子は大友と連携してなかったのかな?うまくやれば石見銀山位までは奪還出来そうな展開だったけど
尼子氏と連携して大友氏も動いていますよ。最終的には北九州の毛利勢によって抑え込まれ動画にあった講和となっています。
しかし講和後も毛利側についていた北九州の一部の勢力が納得せず大友に下るのを拒んだのでこちらでも戦いとなっていました。
やはり遠方で連絡を取り合うのはラグができますし
尼子滅亡後も陥落し得なかった門司城の存在も大きかったと思います
和睦を優先して福屋を見殺しにしたのは、武田勝頼が高天神城を救援できなかったのに似てますね。
味方を見捨てて和睦するなんての後々禍根を残すのに、飛びついちゃうんだよなー苦しいと
外交戦調略戦で負けているなら、少しでも戦力が残っているうちに決戦した方が良い。戦わずして勝つが机上の空論で終わるのはこういう事例を見ると分かる。
戦えば万が一の勝ちがあるが、戦いを避けて譲歩を繰り返せば、戦うことすらできなくなる
勝頼を戦わずして勝つのを理想とする孫子と真逆の発想をしたとして批判する人がいますけど、勝頼の置かれている立場や状況考えると織田や織田を後ろ盾としている徳川を相手に戦わずして勝つのは無理だと思いますね。
武田は織田や毛利と違って海がないから交易に不利、農耕に適した土地もない、だから領内は重税になるしかなく民は疲弊し、その状況を打開する為に領土拡大に励むがその為に更に税が重くなるという負の連鎖が続いていたのでしょう。
戦わないで勝とうと調略したところで熱田や津島、伊勢、堺などの商業が発達した地を抑え、税が安く豊かな織田を離反し、金がなくて貧乏、税が重い武田に与する道理はないですよね。
しかも、武田の経済的強みだった甲州金山も、勝頼の頃には金が出てこなくなりましたからね。
この時代金山銀山は調略や土地を伴わない褒美にもってこいですが、無くなると致命傷ですね。どうもキャッシュフローの概念があり不渡りを出すと信用縮小が起きて資金不足で軍事活動が出来ず(後詰出来ず)更に信用失墜した形跡が。
毛利は博多の方にも手をかけてたんですよね
めんどくさいヤッチャで
2:28 涙出た😢あの小国領主があの大友と交渉するくらいの大勢力になるなんて😢
尼子が元々は毛利を支配してたけど下剋上食らったみたいな。
石見銀山は昔教科書で大森銀山って書かれてたなぁ🤔
石見銀山とかいうチートよりも軍事・外交、はっきりわかんだね!
やはり汚い爺い達が液体を垂れ流しながら闘うこの絵面は我々の心を
浄化してくれる。ありがとう汚い爺い達
そして八墓伝説となる
尼子氏の一族の一部は佐々木と改名して現在に至る。
最近よだれ垂らさなくなったな。
よだれとアホずらがまた見たい!笑
すでに死に体とは言え、大内の領国を併呑してすぐに大友と渡り合うなんて尋常じゃないな
反毛利派もまだまだ居たはず
大友も対毛利にばかり集中出来なかった、という事もあるだろうけど
今の第13旅団はさぞかし強いのだろーな?
時流を見る目が無かったのは福屋なのか尼子なのか
尼子の末裔はその後神某との名前に変えていったらしい
多分出雲大社から取ってんだろうな
尼子の本当の滅亡は上月城の戦いでは?
城内の水不足を誤魔化す為に🐎に白米を掛けて水に見せた白米城伝説
義隆と元就は同世代というか
義隆の方が少し若い
どうしても途中省いて
大内義興の後継者が元就だったように考えてしまう。人物としてはそれで良い。
山中鹿介の、子孫は、江戸時代は、鴻池家に繋がってる。😊😊😊
息子が、鴻池初代鴻池新六。
慶長じゃなくて元亀じゃないの? 慶長だったら秀吉が台頭して来てるあたり
元号の表記だと、よほどの歴史ファンじゃない限りわからないです。西暦で表記していただきたいです。
毛利は元就の代では戦術で負けても戦略で勝ち戦略で負けても政略で勝つという最もシンプルで明確なやり方で基盤を強めていったのにその後の代が残念😢
源平の戦いの頃や戦国時代に戦略で負けても戦術で勝てば良い、1+1=5にも10にもなる!なんて旧日本軍みたいな絵空事を根拠に戦ってたら直ぐに滅ぼされたんだろうね
新宮党粛清のタイミングが悪すぎたのがデカい
跡を継いだ義久に力ある親戚が後見に居れば滅ばなかったかもしれんのに
それも毛利元就の策略が影響していますので
まだそんなこと言ってる人がいたのか
普通に毛利の謀略は関係ないぞ
元就の顔w
元就は大内と尼子に散々、無理な事をやらされてた事を思うと、やっぱり中国地方では頭2個は!ぬけてたな
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