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所有して執着が生まれることで、その所有物を失う不安が生まれる。その不安がいろんな重いものを引き寄せてしまい、現在のような混沌とした世界になっているんですよね。何も所有していないということは、それだけ何を失っても悲しまないという空の状態で、どこまででも広がっていける強さがあるんだと思います。
素晴らしい。ただただ素晴らしい。
断捨離の原理ですね。それ。
いつもありがとうございます✨昨年より、耕作放棄していた実家の畑を自然農で始めました。たくさん参考にさせて頂いています。後半のお話が、いつも沁みています。わたしが参考にしている書籍でも同じことを言っていました。縄文時代は所有の概念がなく、全て地球からの借りもので、食べ物も地球からみんなにくれたものとして、分け合って食べていたそうですね。争いなどない、愛と調和の時代が1万年以上続いたとのこと。しかもハイテクで、縄文土器は今の技術でも再現出来ないそうですね。そろそろ物質文明も終わりに来ていると思います。多くの人が精神性に氣付いて、所有と言う重い概念を手放していけるといいですね。これから混乱の時代になるでしょうが、その先に、愛と調和の時代が待っているので、楽しく乗り越えていきましょう✨✨
全く同感です。価値観の多様化といいながら、価値観を統一化されているのですね。
雑草の刈り方(片側だけ刈る)、大変参考になりました。今度私も試してみようと思います。「所有」について・・毎回勉強になります。自分のものでなくてもいいのですよね。今回もありがとうございました。
この地球も生きている事を心のどこかで感じられるようになれば、所有という小さな事にこだわりを捨てて全ての生命と共に成長し合う関係が本当の人類の役割のように感じてきますね。まずは自然の中に身を置く事で気が付く事が増えるのでしょうね。
自然農の勉強は勿論ですが、いつも後半の深いお話し楽しみにしております。所有と執着から解き放された時、本当の幸せと平和が訪れるのでしょうね。今回も心に響くお話し、ありがとうございました。
私は後半の説法の方がもはや好きに成っております。
畑を始めたばかりで、どんな風に草を刈ったら良いのか悩みながら試行錯誤していました。参考になりました。このサイトがあるおかげで、いつも助かっています。ありがとうございます😄最後の所有のお話し、踊り手として生きてきたため、自分の肉体は媒体だと思ってきました。共感できます。とても嬉しいです。ありがとうございました。
ありがとうございます。自然の農法もさることながら、手放すことによって自然と一体になれるってとても目からウロコでした。自分も今年引っ越しした自宅にて小さく野菜などを育て始めました。草刈り一つやったことなくて、すべて手探り情報探しで頑張ってます。心がけているのが自然に近い状態で育てましょうという事ですが、とても大変ですね・・農薬使えば終わるんだろうなぁ・・なんて考えたこともありますが、絶対使用しないと決めてますので・・がんばるべー!
毎回勉強になります。草の管理がまた一つ分かりました。
ありがとう。きょうは晴れてるから、ちょうど草刈しようとしてました。✨
貴重なお話をありがとうございます。
私も小雨・霧雨の畑作業が好きです。凉しくてやりやすいです。自然農法素晴らしいです。
尊敬しますね。私の思考概念を実行し代弁されているように感じています。
縄文と弥生のお話、「日本列島から日本人が消える日」という本の著者さんも同じ事を言っていました。UA-camの超次元ライブでもそんな事を言っています😊土地も作物も誰の物でもないし縄文のような平等な丸い社会になるといいですよね。
改めて草刈りの仕方が分かりました。 所有についても全くそうだと思います。自分も出来るだけ借り物でやって行くようにしてます。再認識させていただきありがとうございます
雨の日の草刈り☔️作業に集中できて楽しいなんて発想嬉しいです。気づきです。雨の日も疎わず草刈り行きます。
所有とは人間が作り出したルールに過ぎず、事実に基づかない妄想だと思います。お金も同じですね。一方、管理とは栽培、育成、メンテナンス等を示し、事実上の行動を示します。しかし自分は管理すら不可能だと思っています。親は子供を完全に管理はできませんし、完全に管理された子供は寧ろ病気になってしまうと思います。全ての存在は自立しており、他者ができる事は見守りサポートする事だと思います。そして最高のサポート方法が愛なのだと思います。但し現実には畑を借りて自然農をしていると、地主から返すように言われた時にその畑に注いだ努力が無に帰す事が多々あります。その為、お金があるならば、所有権を得るという人間界のルールを利用するのは望ましい事だと思います。いずれにせよ、畑を愛し、作物を愛する事が、自然にできる人間になっていきたいと思います。
自然農から「ワンネス」の概念。ありがとうございます。
農業の授業だけじゃなくて哲学の授業も楽しみです。
はじめてコメントさせていただきます。「所有」という概念が生まれることで不安を抱えることになるというお話、共感しました。仏教や神道でも説かれていることですが、なかなかそこに至りません。韓国でとても尊敬されているお坊さんが「無所有」という本を書かれたことを思い出しました。
自然農でも草刈りもあり、管理が大変なんですね。私もめげそうになりますが辛抱が大事と思いながらなんとかやってますw
所有という概念のお話を聴いて少し楽になりました。先祖からの土地を所有しておりますが、私たち姉弟に子はいない為、悩んでおりました。
直植えした野菜は雑草に負けてしまいました、やはりこの時期草取りは大切ですね。
自己を含めた物質や自然への所有欲を一旦手放すことで、それらに対する愛おしさを感じ取ることができるという事でしょうか?ありがとうございます。感謝
ゎを
山林伐採してメガソーラーってクリーンエネルギーなのかしら。
雑草も育成させる草刈り。なるほど。
育成期間の短いエダマメについても除草の様子を紹介していただけないでしょうか。
アメリカセンダングサ私も苦手で、花を咲かせないことを目標に草刈りしてましたが、向こうが気がついたのか?そういう風土なのか?既に花を咲かせ種までついてしまい、負けたわーとおもっていたのですが、動画を拝見して、考えを変えようと思いました。しかし、種だけは好きになれないので、合羽とビニテで作業できる涼しくなる時期まで、放置で(笑)
雑草は作物の根本だけを刈り取り空気の通過だけを考えてやります。刈った草が雨が多いと腐敗し、作物へ伝染します、私の畑では。天気が良ければ問題ないが。
見てるだけで癒されます( ´ ▽ ` )それだけじゃなく、勉強になるので有り難く拝見させて頂きノートにメモして学んでいます。最近、農地を購入しまして沢山あったカヤを掘り起こしました。このようなカヤだらけの場所でも作物は育ちますか?あと、動画を見て思ったのですが、この時期やはり蛇は出ますか?どうしても苦手で…😅なるべく草丈を短く刈っておこうかな、と思ってしまいます…
無毒なものはネズミなど補植してくれるので助かりますが、マムシなどの有毒なものは、姿かたちをしっかりと記憶して、近づかないように。
今日も素晴らしいお話しをありがとうございます。所有するというのはその物から自分が所有される、という言葉は分かりやすいです。弥生時代(渡来人?)の農耕地が初めての所有物だったのだと思います。前半の草取りの件の質問ですが、120センチの畝に二列で植えている場合は、どのように草を残せばよいでしょうか?
私は縄文時代の最初の渡来人は里芋を持って来たと思っています。はじめから農耕文化だったと思います。この様な説は昔から有ります。しかし農耕文化は中国から伝わった、としておきたい方々の方が優勢なのです。
@@user-oy5cl6qg1l さん、思わず定説を書いてしまいました。そうですね。あれだけの火焔土器を作る縄文人が狩猟採集生活だけとは考えにくいです。近年の炭素判定か何かの調査で日本から大陸へ稲作が渡ったと証明されたと聞いたような気がします。渡来人が最初に持ってきたのが里芋というのは初めて聞きました。
弥生時代からの「所有」の概念の話、また一つ繋がりができました。私は絵画教室で教えたりするのですが、同じようなことが生徒さんにも起こります。ある程度描ける生徒さんは、表面的に綺麗な絵になりがちです。絵画にはその人の内面的なものが入っていないと「上手なんだけど何か表面的で物足りない」ものになりがちです。縄文式土器の魂を感じる形に対して弥生式土器は表面的で訴えるものが弱いということと同じことですね。そこには、「所有」することの恐れ・不安があったのですね。今までの様式化されたやり方・経験を手放せず、恐れでいっぱいなんですね。どんなに汚くなっても、失敗しても、飽くなき挑戦をし続け、自然との一体性を確かめながら生きる・行為を行う姿勢が、持続可能で本当の意味で豊かなことなんだな…とまた一つ強く思うことができました。みんながこのような原理を感じながら生きないと、この種は他を道ずれにして滅んでしまうのではないでしょうか。「自然農」の考え方は、先見の思想です。私がまだ知らないことをもっと知るために、本当の豊かさを感じるために「自然農」をはじめてみようと思います。
ここんところ毎日しっかり草刈りしています。なす、落花生、おくら、枝豆、第2段いんげん等々みんな、どこ行った?ってくらい草にうもってしまったので(笑)次草茂るとしてもその子(落花生以外)たちより草が大きくならないだろうと踏んで、畝と畝の間の人間歩くとこに草を置きました。と、言うのが、野菜とりながら部分的に草刈ってたその草のあるところが腐っていて、そこに近かった、キンカカブやビーツの葉っぱ等が一緒になって腐ったので…💦梅雨明けて草マルチするときに畝の歩くところに置いた草たち置いたらいいかなーと思っていますがどうなんでしょうか…梅雨前に株元に草置いてた、ナス科の株元も腐ってるとこがあったり…。自然農に移行して今年で3年?4年?です
初めまして。今年の1月より耕作放棄地の開拓と自然栽培を始めました。毎回楽しく拝見させていただきながら、勉強させていただいております。今回の草の手入れの内容など、私のFBでシェアさせていただいても大丈夫でしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
ツユクサ 抜いても土に置くと根がでてくる7:46 アメリカセンダン
昨年の動画ですが、自然農に切り替えて半年ほどの私にはとても勉強になりました。ありがとうございます✨草刈りをした後の畑の全体像も目指す畑のお手本となり、スクリーンショットさせていただきました。草と共に野菜を育てるという概念がまだ理解できておらず、草マルチが少ないこともありマメに草を刈って土の上に置いていました。全部刈らなくていいのですね。とてもよくわかりました。ありがとうございました😊ところでもし私がUA-cam動画を投稿することになったとき、島の自然農さんの動画がきっかけになったことをシェアさせていただいてよろしいでしょうか?
どうぞ。よろしくお願いいたします。
@@user-rx5wc1wy4w ありがとうございます✨
お疲れ様です。なんだろ、お話伺っててなんか、なんか、兵法みたいだなって。。。素人のたわごとです。
センダングサ最高です
草の刈り方教えてくれてありがとう。片側だけ。いいですね。楽できます。自分は、ヤフーコメントできなくなりました。鬼畜米英による枠枠接種で世界人口5億人へと言う名前で投稿してました。
この命も借り物とわたしは思ってます。いつか返却するのです。
稲作が縄文時代にあったことは、遺跡の発掘で、明らかになっています。
最古の持込み作物は里芋だという説が有ります。しかし自然薯、クリ、ドングリ、銀杏やくるみは人間が移り住む前から日本に存在していたと思います。
所有して執着が生まれることで、その所有物を失う不安が生まれる。その不安がいろんな重いものを引き寄せてしまい、現在のような混沌とした世界になっているんですよね。何も所有していないということは、それだけ何を失っても悲しまないという空の状態で、どこまででも広がっていける強さがあるんだと思います。
素晴らしい。
ただただ素晴らしい。
断捨離の原理ですね。それ。
いつもありがとうございます✨
昨年より、耕作放棄していた実家の畑を自然農で始めました。
たくさん参考にさせて頂いています。
後半のお話が、いつも沁みています。
わたしが参考にしている書籍でも同じことを言っていました。
縄文時代は所有の概念がなく、全て地球からの借りもので、食べ物も地球からみんなにくれたものとして、分け合って食べていたそうですね。
争いなどない、愛と調和の時代が1万年以上続いたとのこと。
しかもハイテクで、縄文土器は今の技術でも再現出来ないそうですね。
そろそろ物質文明も終わりに来ていると思います。
多くの人が精神性に氣付いて、所有と言う重い概念を手放していけるといいですね。
これから混乱の時代になるでしょうが、その先に、愛と調和の時代が待っているので、楽しく乗り越えていきましょう✨✨
全く同感です。
価値観の多様化といいながら、価値観を統一化されているのですね。
雑草の刈り方(片側だけ刈る)、大変参考になりました。今度私も試してみようと思います。「所有」について・・毎回勉強になります。自分のものでなくてもいいのですよね。今回もありがとうございました。
この地球も生きている事を心のどこかで感じられるようになれば、所有という小さな事にこだわりを捨てて全ての生命と共に成長し合う関係が
本当の人類の役割のように感じてきますね。まずは自然の中に身を置く事で気が付く事が増えるのでしょうね。
自然農の勉強は勿論ですが、いつも後半の深いお話し楽しみにしております。所有と執着から解き放された時、本当の幸せと平和が訪れるのでしょうね。今回も心に響くお話し、ありがとうございました。
私は後半の説法の方がもはや好きに成っております。
畑を始めたばかりで、どんな風に草を刈ったら良いのか悩みながら試行錯誤していました。参考になりました。このサイトがあるおかげで、いつも助かっています。ありがとうございます😄最後の所有のお話し、踊り手として生きてきたため、自分の肉体は媒体だと思ってきました。共感できます。とても嬉しいです。ありがとうございました。
ありがとうございます。自然の農法もさることながら、手放すことによって自然と一体になれるってとても目からウロコでした。
自分も今年引っ越しした自宅にて小さく野菜などを育て始めました。草刈り一つやったことなくて、すべて手探り情報探しで頑張ってます。
心がけているのが自然に近い状態で育てましょうという事ですが、とても大変ですね・・農薬使えば終わるんだろうなぁ・・なんて考えたこと
もありますが、絶対使用しないと決めてますので・・がんばるべー!
毎回勉強になります。草の管理がまた一つ分かりました。
ありがとう。きょうは晴れてるから、ちょうど草刈しようとしてました。✨
貴重なお話をありがとうございます。
私も小雨・霧雨の畑作業が好きです。
凉しくてやりやすいです。自然農法素晴らしいです。
尊敬しますね。
私の思考概念を実行し代弁されているように感じています。
縄文と弥生のお話、「日本列島から日本人が消える日」という本の著者さんも同じ事を言っていました。UA-camの超次元ライブでもそんな事を言っています😊土地も作物も誰の物でもないし縄文のような平等な丸い社会になるといいですよね。
改めて草刈りの仕方が分かりました。 所有についても全くそうだと思います。自分も出来るだけ借り物でやって行くようにしてます。再認識させていただきありがとうございます
雨の日の草刈り☔️作業に集中できて楽しいなんて発想嬉しいです。気づきです。雨の日も疎わず草刈り行きます。
所有とは人間が作り出したルールに過ぎず、事実に基づかない妄想だと思います。お金も同じですね。一方、管理とは栽培、育成、メンテナンス等を示し、事実上の行動を示します。しかし自分は管理すら不可能だと思っています。親は子供を完全に管理はできませんし、完全に管理された子供は寧ろ病気になってしまうと思います。全ての存在は自立しており、他者ができる事は見守りサポートする事だと思います。そして最高のサポート方法が愛なのだと思います。
但し現実には畑を借りて自然農をしていると、地主から返すように言われた時にその畑に注いだ努力が無に帰す事が多々あります。その為、お金があるならば、所有権を得るという人間界のルールを利用するのは望ましい事だと思います。
いずれにせよ、畑を愛し、作物を愛する事が、自然にできる人間になっていきたいと思います。
自然農から「ワンネス」の概念。ありがとうございます。
農業の授業だけじゃなくて哲学の授業も楽しみです。
はじめてコメントさせていただきます。「所有」という概念が生まれることで不安を抱えることになるというお話、共感しました。仏教や神道でも説かれていることですが、なかなかそこに至りません。韓国でとても尊敬されているお坊さんが「無所有」という本を書かれたことを思い出しました。
自然農でも草刈りもあり、管理が大変なんですね。私もめげそうになりますが辛抱が大事と思いながらなんとかやってますw
所有という概念のお話を聴いて少し楽になりました。先祖からの土地を所有しておりますが、私たち姉弟に子はいない為、悩んでおりました。
直植えした野菜は雑草に負けてしまいました、やはりこの時期草取りは大切ですね。
自己を含めた物質や自然への所有欲を一旦手放すことで、それらに対する愛おしさを感じ取ることができるという事でしょうか?ありがとうございます。感謝
ゎを
山林伐採してメガソーラーってクリーンエネルギーなのかしら。
雑草も育成させる草刈り。なるほど。
育成期間の短いエダマメについても除草の様子を紹介していただけないでしょうか。
アメリカセンダングサ
私も苦手で、花を咲かせないことを目標に草刈りしてましたが、向こうが気がついたのか?そういう風土なのか?
既に花を咲かせ種までついてしまい、
負けたわーとおもっていたのですが、
動画を拝見して、考えを変えようと思いました。
しかし、種だけは好きになれないので、
合羽とビニテで作業できる涼しくなる時期まで、放置で(笑)
雑草は作物の根本だけを刈り取り空気の通過だけを考えてやります。刈った草が雨が多いと腐敗し、作物へ伝染します、私の畑では。天気が良ければ問題ないが。
見てるだけで癒されます( ´ ▽ ` )
それだけじゃなく、勉強になるので有り難く拝見させて頂きノートにメモして学んでいます。
最近、農地を購入しまして沢山あったカヤを掘り起こしました。
このようなカヤだらけの場所でも作物は育ちますか?
あと、動画を見て思ったのですが、この時期やはり蛇は出ますか?
どうしても苦手で…😅なるべく草丈を短く刈っておこうかな、と思ってしまいます…
無毒なものはネズミなど補植してくれるので助かりますが、マムシなどの有毒なものは、姿かたちをしっかりと記憶して、近づかないように。
今日も素晴らしいお話しをありがとうございます。所有するというのはその物から自分が所有される、という言葉は分かりやすいです。弥生時代(渡来人?)の農耕地が初めての所有物だったのだと思います。前半の草取りの件の質問ですが、120センチの畝に二列で植えている場合は、どのように草を残せばよいでしょうか?
私は縄文時代の最初の渡来人は里芋を持って来たと思っています。
はじめから農耕文化だったと思います。
この様な説は昔から有ります。
しかし農耕文化は中国から伝わった、としておきたい方々の方が優勢なのです。
@@user-oy5cl6qg1l さん、思わず定説を書いてしまいました。そうですね。あれだけの火焔土器を作る縄文人が狩猟採集生活だけとは考えにくいです。近年の炭素判定か何かの調査で日本から大陸へ稲作が渡ったと証明されたと聞いたような気がします。渡来人が最初に持ってきたのが里芋というのは初めて聞きました。
弥生時代からの「所有」の概念の話、また一つ繋がりができました。
私は絵画教室で教えたりするのですが、同じようなことが生徒さんにも起こります。ある程度描ける生徒さんは、表面的に綺麗な絵になりがちです。絵画にはその人の内面的なものが入っていないと「上手なんだけど何か表面的で物足りない」ものになりがちです。縄文式土器の魂を感じる形に対して弥生式土器は表面的で訴えるものが弱いということと同じことですね。そこには、「所有」することの恐れ・不安があったのですね。今までの様式化されたやり方・経験を手放せず、恐れでいっぱいなんですね。
どんなに汚くなっても、失敗しても、飽くなき挑戦をし続け、自然との一体性を確かめながら生きる・行為を行う姿勢が、持続可能で本当の意味で豊かなことなんだな…とまた一つ強く思うことができました。
みんながこのような原理を感じながら生きないと、この種は他を道ずれにして滅んでしまうのではないでしょうか。「自然農」の考え方は、先見の思想です。私がまだ知らないことをもっと知るために、本当の豊かさを感じるために「自然農」をはじめてみようと思います。
ここんところ毎日しっかり草刈りしています。
なす、落花生、おくら、枝豆、第2段いんげん等々みんな、どこ行った?ってくらい草にうもってしまったので(笑)
次草茂るとしてもその子(落花生以外)たちより草が大きくならないだろうと踏んで、畝と畝の間の人間歩くとこに草を置きました。
と、言うのが、野菜とりながら部分的に草刈ってたその草のあるところが腐っていて、そこに近かった、キンカカブやビーツの葉っぱ等が一緒になって腐ったので…💦
梅雨明けて草マルチするときに
畝の歩くところに置いた草たち置いたらいいかなーと思っていますが
どうなんでしょうか…
梅雨前に株元に草置いてた、ナス科の株元も腐ってるとこがあったり…。
自然農に移行して今年で3年?4年?です
初めまして。今年の1月より耕作放棄地の開拓と自然栽培を始めました。毎回楽しく拝見させていただきながら、勉強させていただいております。今回の草の手入れの内容など、私のFBでシェアさせていただいても大丈夫でしょうか?
どうぞよろしくお願いいたします。
ツユクサ 抜いても土に置くと根がでてくる
7:46 アメリカセンダン
昨年の動画ですが、自然農に切り替えて半年ほどの私にはとても勉強になりました。ありがとうございます✨
草刈りをした後の畑の全体像も目指す畑のお手本となり、スクリーンショットさせていただきました。
草と共に野菜を育てるという概念がまだ理解できておらず、草マルチが少ないこともありマメに草を刈って土の上に置いていました。全部刈らなくていいのですね。とてもよくわかりました。ありがとうございました😊
ところでもし私がUA-cam動画を投稿することになったとき、島の自然農さんの動画がきっかけになったことをシェアさせていただいてよろしいでしょうか?
どうぞ。よろしくお願いいたします。
@@user-rx5wc1wy4w ありがとうございます✨
お疲れ様です。なんだろ、お話伺っててなんか、なんか、兵法みたいだなって。。。素人のたわごとです。
センダングサ最高です
草の刈り方教えてくれてありがとう。
片側だけ。いいですね。楽できます。
自分は、ヤフーコメントできなくなりました。
鬼畜米英による枠枠接種で世界人口5億人へと言う名前で投稿してました。
この命も借り物とわたしは思ってます。いつか返却するのです。
稲作が縄文時代にあったことは、遺跡の発掘で、明らかになっています。
最古の持込み作物は里芋だという説が有ります。
しかし自然薯、クリ、ドングリ、銀杏やくるみは人間が移り住む前から日本に存在していたと思います。