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2年程私自身の食事量を補い程度に減らしたら凄く体調良くなりましたw植物も生物も同じなんだと最近思います。化学肥料は、ジャンクフードみたいな物なのかなぁ
今日のお話はストンと腑に落ちたというか、自然農から得られる生命の在り方を、感じて納得することができました。いつも、たくさんのことを教えていただき、有り難うございます。
後半のお話とても感動しました!形を変えながら、壮大な流れの中に私たちは在るのだと胸が熱くなりました🙏✨✨今日も畑に行くのが楽しみです!ありがとうございます!泣きながら畑作業しないように気をつけます(笑)
泣きながらの作業は心地良いでしょう。涙は何もかも洗い流します。
大変分かりやすかったです。野菜の残渣を土に還して土壌の肥料になるのかを試していきたいと考えています。野菜の残渣がサラサラの土になる不思議は経験した人しか分からないでしょうね
配信有り難う😆💕✨ございます。ニンニクについて、参考になりまりました。やっと芽が出て成長してるので春まで様子観ながら楽しみます。
動画ありがとうございます。2年目の畑にはもう少し補いが必要かなぁと感じてます。冬の間に補いしておきます。命は方丈記の出だしですね。常に流れながら、水が入れ替わりながら、川の状態を維持しています。お米も野菜も私たちの体になり、また体から出ていきます。生き物の世界はとどまることはないと言うことですね。
今回も興味深い動画を拝見できて勉強になりました!
後半のお話し、どうしても科学をやっているものは、物質保存の法則は欠くことのできないアイテムですね。 潮風や雨水のなかに微量元素は入ってますよね。明らかに雨上がりは散水後より成長がいいですし。 私はそうやって納得しています。
星や宇宙が生まれては死を迎えるように、本当は生物と無生物の区別は無くて、この世界の全てが命の姿なのかな~と私は感じています。あと、当方は中山間地で自然農をしているせいもあり、補いとして糠やボカシを使うと野生動物を呼んでしまうために使用を控えています。畑やその周りの刈り草や落葉のみで野菜を育てることにやりがいを感じていて、姿はそれなりかもしれませんが、それでも毎年、我が家の糧として成長してくれる野菜に感動をいただいています。営農では難しいことかもしれませんが・・・(笑)愛をもって動き、命の調和を目指せば、野菜は応えてくれると感じています。
この世界の全てが生命の姿・・・まさにその通りです。実際、今ここ、に意識がしっかりと向かうと、身の回りにある全てのもの、生物・無生物の区別なく、生命感を鮮明に感じます。あらゆるもの、土も,石も、アスファルトも、信号機にも生命の沈黙を感じます。
山岡さんのお話、宗派・宗旨の派閥争いばかりの、職業僧侶の皆様にも、畑の中で説法して欲しい、素晴らしい叡智ですよね🙏😇🌳
自分も自然の中の1部であり、またその自然に帰っていく。そんな風に考えると、なんだか肩の荷が下りて楽になる氣がしました。「形を変える命」素敵なお話をありがとうございました。😊ところで、以前からすこし氣になっていたんですが、補いをするときに「糠・油糟半々」を何時も推奨されていますが、どちらか単品「糠だけ」「油糟だけ」と比べて効果の違いがあるんでしょうか?ご解答いただけると幸いです。
僕が検証したわけではないのですが、川口さんが長年使われて、この組み合わせが良いと教えていただきました。
確かに空気の8割窒素ですね命 所有じゃない 失うことも得ることもない
いつもお世話になっております。お忙しい中配信を、ありがとうございます。米糠ですが手に入れる事が出来ずス―パ―で漬物用糠床しかなく、そこには塩分が混ざっており使用していいものか?お時間がありましたらアドバイス願えますでしょうか?宜しくお願い致します。🙇⤵️🍀
塩分のあるものは使わない方が良いです。
@@島の自然農園 お忙しい中ありがとうございました。🍀
後半のお話しをお聴きして、神道でいうわけ御霊の考え方を思い出しました。何かの根源から生命をいただき輪廻してどこかへ戻って行くのかもしれませんね。
持ち出さず、持ち込まずという自然農法おもしろいと思います。大根、白菜、玉ねぎ、人参いろんな野菜を持ち出しています。窒素、リン、カリ、カルシウム、マグネシウムや微量成分を持ち出しています。昔は人糞を畑にまいて持ち出した野菜を返していました。完全な循環が存在しました。そういう意味では昔の日本の農業は自然農法だと思います。もちろんこの時代に人糞を使うのは難しいですが。
補いって、どのタイミングで与えれば良いですか?
作物、畝の肥沃度、季節によって違います。安全なのは,作物の生育初期に、状態を見ながら補うと良いです。
死=肉体という容れ物から抜け出る ですね。わたくし達の真の姿は霊ですから、決して死んだり消滅したりすることはありませんね。世の中に、お母さんのお腹にいた時の記憶のある子供達がいますが、わたくしも胎内記憶があります。わたくしのそれは生まれ出る直前のもので、大変焦って居りました。「もう直ここから出なきゃならない。あぁ、嫌だなぁ」と。そして、ハタと「あ、でも、もう元居た処へは戻れないんだ!」と今更ながらに切実に理解し、絶望的な気持ちになりました。笑 この「元居た処」というのが、正に「全てがつながって一つで在る状態」のことです。で、その時わたくしは「この一生を生き終えなければ帰れないんだ。もう、しょうがない」と腹を括って生まれ出たというわけです。あはははは(((^▽^)))
川口さんも胎内記憶があると,おっしゃってましたね。
自然農の畑 = 地球 野菜 = 人間
生の糠油粕をそのまま置くと、鳥が食べに来ませんか?そこで糞をしてくれればそれでいいと思うのですが。
確かにたべにくることもありますね。そういう時は,ぼかしに変えます。
ありがとうございます!!
雑草も化学肥料も形態は違えど肥料として活用してると思うのですが間違ってます?雑草を刈り取って畑外に持ち出せば土は痩せていくとは思いますが最も養分を蓄えた野菜としては人間が取り込むのだから、その分養分は失われる訳で均衡させようと思うと外部からザ大想を持ち込むか、化学肥料に頼らざるを得ないと考えてます。勿論除草剤は論外で化学的な農薬は使う気は有りませんが、化学肥料に関しては特に問題とは思えなく使用してます、ただどの成分が撮りて他の成分が足りないかは有ると思います。それを一律な割合で投入する事でアンバランスには成るとは思います。肥料分よりも大切なのは微量成分要素が(3大肥料要素以外)が大切な気がしてます。それの補い方が理解出来ませんでした。残渣・落ち葉などで有ればバランスの取れた肥料で有る事は間違いなさそうなんですが、落ち葉に関しては有用な菌体も含まれてる気がします。腐熟が進行過程の落ち葉で有ればなおさら有用に思います。土作り過程においては化成肥料も有効と思いますが間違ってますか?
生命を成分に分けて理解できる、と考える事自体無理があると思います。科学者の方々も人間が生命を創り出すことはできない。ハエ一匹創り出すことはできない。と言っています。生命、特に健康な生命に必要な成分を全て記述する事ができるとはおもえません。生命は生命にしか創り出すことはできない。健康な生命は健康な環境にしか生み出せない事をベースに作業されたら良いと思います。
2年程私自身の食事量を補い程度に減らしたら凄く体調良くなりましたw
植物も生物も同じなんだと最近思います。
化学肥料は、ジャンクフードみたいな物なのかなぁ
今日のお話はストンと腑に落ちたというか、自然農から得られる生命の在り方を、感じて納得することができました。
いつも、たくさんのことを教えていただき、有り難うございます。
後半のお話とても感動しました!形を変えながら、壮大な流れの中に私たちは在るのだと胸が熱くなりました🙏✨✨今日も畑に行くのが楽しみです!ありがとうございます!泣きながら畑作業しないように気をつけます(笑)
泣きながらの作業は心地良いでしょう。
涙は何もかも洗い流します。
大変分かりやすかったです。
野菜の残渣を土に還して土壌の肥料になるのかを試していきたいと考えています。野菜の残渣がサラサラの土になる不思議は経験した人しか分からないでしょうね
配信有り難う😆💕✨ございます。ニンニクについて、参考になりまりました。やっと芽が出て成長してるので春まで様子観ながら楽しみます。
動画ありがとうございます。2年目の畑にはもう少し補いが必要かなぁと感じてます。冬の間に補いしておきます。
命は方丈記の出だしですね。常に流れながら、水が入れ替わりながら、川の状態を維持しています。お米も野菜も私たちの体になり、また体から出ていきます。生き物の世界はとどまることはないと言うことですね。
今回も興味深い動画を拝見できて勉強になりました!
後半のお話し、どうしても科学をやっているものは、物質保存の法則は欠くことのできないアイテムですね。
潮風や雨水のなかに微量元素は入ってますよね。明らかに雨上がりは散水後より成長がいいですし。
私はそうやって納得しています。
星や宇宙が生まれては死を迎えるように、本当は生物と無生物の区別は無くて、この世界の全てが命の姿なのかな~と私は感じています。
あと、当方は中山間地で自然農をしているせいもあり、補いとして糠やボカシを使うと野生動物を呼んでしまうために使用を控えています。
畑やその周りの刈り草や落葉のみで野菜を育てることにやりがいを感じていて、姿はそれなりかもしれませんが、それでも毎年、我が家の糧として成長してくれる野菜に感動をいただいています。営農では難しいことかもしれませんが・・・(笑)
愛をもって動き、命の調和を目指せば、野菜は応えてくれると感じています。
この世界の全てが生命の姿・・・
まさにその通りです。
実際、今ここ、に意識がしっかりと向かうと、身の回りにある全てのもの、生物・無生物の区別なく、生命感を鮮明に感じます。
あらゆるもの、土も,石も、アスファルトも、信号機にも生命の沈黙を感じます。
山岡さんのお話、宗派・宗旨の派閥争いばかりの、職業僧侶の皆様にも、畑の中で説法して欲しい、素晴らしい叡智ですよね🙏😇🌳
自分も自然の中の1部であり、またその自然に帰っていく。
そんな風に考えると、なんだか肩の荷が下りて楽になる氣がしました。
「形を変える命」素敵なお話をありがとうございました。😊
ところで、以前からすこし氣になっていたんですが、補いをするときに「糠・油糟半々」を何時も推奨されていますが、どちらか単品「糠だけ」「油糟だけ」と比べて効果の違いがあるんでしょうか?
ご解答いただけると幸いです。
僕が検証したわけではないのですが、川口さんが長年使われて、この組み合わせが良いと教えていただきました。
確かに空気の8割窒素ですね
命 所有じゃない
失うことも得ることもない
いつもお世話になっております。お忙しい中配信を、ありがとうございます。米糠ですが手に入れる事が出来ずス―パ―で漬物用糠床しかなく、そこには塩分が混ざっており使用していいものか?お時間がありましたらアドバイス願えますでしょうか?宜しくお願い致します。🙇⤵️🍀
塩分のあるものは使わない方が良いです。
@@島の自然農園 お忙しい中
ありがとうございました。🍀
後半のお話しをお聴きして、神道でいうわけ御霊の考え方を思い出しました。何かの根源から生命をいただき輪廻してどこかへ戻って行くのかもしれませんね。
持ち出さず、持ち込まずという自然農法おもしろいと思います。大根、白菜、玉ねぎ、人参いろんな野菜を持ち出しています。窒素、リン、カリ、カルシウム、マグネシウムや微量成分を持ち出しています。昔は人糞を畑にまいて持ち出した野菜を返していました。完全な循環が存在しました。そういう意味では昔の日本の農業は自然農法だと思います。もちろんこの時代に人糞を使うのは難しいですが。
補いって、どのタイミングで与えれば良いですか?
作物、畝の肥沃度、季節によって違います。
安全なのは,作物の生育初期に、状態を見ながら補うと良いです。
死=肉体という容れ物から抜け出る ですね。わたくし達の真の姿は霊ですから、決して死んだり消滅したりすることはありませんね。
世の中に、お母さんのお腹にいた時の記憶のある子供達がいますが、わたくしも胎内記憶があります。わたくしのそれは生まれ出る直前のもので、大変焦って居りました。「もう直ここから出なきゃならない。あぁ、嫌だなぁ」と。そして、ハタと「あ、でも、もう元居た処へは戻れないんだ!」と今更ながらに切実に理解し、絶望的な気持ちになりました。笑 この「元居た処」というのが、正に「全てがつながって一つで在る状態」のことです。
で、その時わたくしは「この一生を生き終えなければ帰れないんだ。もう、しょうがない」と腹を括って生まれ出たというわけです。あはははは(((^▽^)))
川口さんも胎内記憶があると,おっしゃってましたね。
自然農の畑 = 地球
野菜 = 人間
生の糠油粕をそのまま置くと、鳥が食べに来ませんか?そこで糞をしてくれればそれでいいと思うのですが。
確かにたべにくることもありますね。そういう時は,ぼかしに変えます。
ありがとうございます!!
雑草も化学肥料も形態は違えど肥料として活用してると思うのですが間違ってます?
雑草を刈り取って畑外に持ち出せば土は痩せていくとは思いますが最も養分を蓄えた
野菜としては人間が取り込むのだから、その分養分は失われる訳で均衡させようと思うと
外部からザ大想を持ち込むか、化学肥料に頼らざるを得ないと考えてます。勿論除草剤は
論外で化学的な農薬は使う気は有りませんが、化学肥料に関しては特に問題とは思えなく
使用してます、ただどの成分が撮りて他の成分が足りないかは有ると思います。それを一律な
割合で投入する事でアンバランスには成るとは思います。肥料分よりも大切なのは微量成分要素が
(3大肥料要素以外)が大切な気がしてます。それの補い方が理解出来ませんでした。残渣・落ち葉
などで有ればバランスの取れた肥料で有る事は間違いなさそうなんですが、落ち葉に関しては有用な
菌体も含まれてる気がします。腐熟が進行過程の落ち葉で有ればなおさら有用に思います。土作り
過程においては化成肥料も有効と思いますが間違ってますか?
生命を成分に分けて理解できる、と考える事自体無理があると思います。科学者の方々も人間が生命を創り出すことはできない。ハエ一匹創り出すことはできない。と言っています。
生命、特に健康な生命に必要な成分を全て記述する事ができるとはおもえません。
生命は生命にしか創り出すことはできない。健康な生命は健康な環境にしか生み出せない事をベースに作業されたら良いと思います。