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貴重なお話 有難うございます😃🙏拓郎さんが、時代時代でやり遂げてきた宝物を、一人のファンとして、大切にしていきます😃🙇 と わ に 💞
45年くらい前から拓郎さんのファンなので、こうした番組が見れてとてもうれしいです。Another Side of Takuro 25に「I'm in Love」「いつか夜の雨が「冷たい雨が降っている」といった曲が入っているのもうれしい。拓郎さんは2000年以降も「午前中に」とか「月夜のカヌー」とか素晴らしいアルバムを出しています。
元々、吉田拓郎を教祖として約半世紀生きてきて、最近みのミュージックさんをチャンネル登録したら、吉田拓郎が出て来て嬉しい限りです!
熱い、あつい対談でした。(自分が生まれた)半世紀前の人と人のぶつかり合いが想像できました。知らないことばかりでしたが、濃密な時間を過ごせました。ミノさん、後藤さん、ありがとう。
みのミュージックで吉田拓郎のディープな話が聴けるとは嬉しい驚きでした。高校生の時に元気です。をリアタイで買った世代で以来途中ちょっと飽きてw離れてますがすぐ復活して今でもファンです。アルバム元気です。を買ったのは私の経験談ですがその前にシングルの結婚しようよがラジオのヒットチャートでよく流れてそれで初めて吉田拓郎を知りファンになってのアルバム購入でした。
なお本日拓郎さんはラジオに復帰され、次回の新アルバム構想をお話しされるというw 拓郎さんのそういうお茶目なところ好きです😊
もう40年以上毎日聴いている、ぜんぜん飽きない
わたしもそうなんです。唯一飽きない。
こういう一つのアーティストを深掘る系の動画もっと出して欲しい!
後藤豊さんがこんなに詳しく話してくれて素晴らしいです。彼らが支えて拓郎ワールドが作られたんですね。
素敵なお話ありがとうございました!このアルバムを父の日の贈り物にすることにしました。
結婚しようよが売れて?商業主義だのなんだのと言われてライブで帰れ帰れなどと言われた頃の状況・・・アルバム「元気です」の中に封入された拓郎本人からのライナーノーツを読むと当時の雰囲気が伝わってきますね。当時の歴史的証言として貴重。
そうですね。フォーク全盛期に差し掛かる時に、「フォークじゃなくてもいいんです。僕は自分で詩を書いてメロディーをつけて自分で唄う。それがフォークと呼ばれようがフォークじゃなくても良いんです、と言ったようなことを書いてましたね。なんか高校生ながらフォークファンの反感を買うのではないか?と心配というか思ってました。ジャンルに囚われることなく自分の好きな歌を唄うというスタンスだったのかと感じてました。いつも良い意味で裏切り続けてきたのが拓郎さんですね💦
70年80年代の日本は多くの外国ミュージシャンが初来日を始めてブルースが若者の心を掴んだおかげで多くの優れたバンドが生まれ素晴らしい音楽が生まれた。その中の先頭にいたのが拓郎であり日本のボブディランだと思った。
まさかの後藤さんの登場!貴重な動画でのインタビュー回に感謝です
たどり着いたらいつも雨降り、めっちゃすき
最近個人的に拓郎ブーム来てて元気です。をずっとリピートしてる
日本ロック史において超貴重なお話。みのさんすごい!!
いい回でした!!ありがとうございます。
拓郎さんをフォークと思ってファーストアルバムから追って聴くとロック、ブルースやファンクな曲が出てきて驚く。
本人はフォークと言われることに違和感を感じていたみたいですね。
後藤由多加さんとの対談でしかも拓郎さんのお話とか嬉しいです。一気に当時の思い出が蘇ってます!!
音楽聞き始めて数十年。拓郎さん効いてみます。
デビュー当時から聞いて来て一度も離れたことも無いから、ベストに裏も表もないんだけど、みのさんってやっぱり後追い世代なんだなぁと思っちゃったな。今となっては全て懐かしいけど、後藤さんが共立講堂の受付近くに立っておられた光景もまだ覚えているし、そこで拓郎とジョイントしたコータローも賢司もマキさんもみな亡くなってしまって淋しい限りだ。
後藤由多加(豊)さん自体がレジェンド!!すごい!!
地続きのようで実はボヤけかけている国内音楽史の筋の大事な部分を通してくれる貴重なインタビューをありがとう。90年代生まれでこの役割ができる人は国内ではあなたしかいないかな…
リアルタイムでした、ギターやってました😅みのミュージックを観て、サブスクで拓郎を振り返るこんな未来は想像していなかった😅
現代のように、何を言っても批判が伴う周辺環境に比べて、七十年当時は自己主張が最優先していた時代。我々、昭和の良さを闇雲に称賛する輩にとって、たくろうの功績は掛け値なく大絶賛すべき事項で、ガヤのタワゴトでしか無い批判は、全て無視していいレベル。たくろうなくしてフォークの世界構築はあり得ず、彼に触発されて登場してきたレジェンドたちも、それは認めざるを得ないのでは無いか。この動画のアフロみのの、全盛期フォークに関する見識は驚くべき。質問上手だし、後藤の聞き取り方も秀逸。小賢しい坂崎には無い中立な知識の開陳に拍手喝采します。
吉田拓郎の好きなのは我が身かわいくとホンダシビックです。
吉田拓郎、後追いで聴くとなんかフォークっぽくねえなあって肩透かし食らうんだけどそういうわけだったか。イズミヤも最初はロックやりたがってたそうだし日本のフォークの人たちもそれぞれいろんなバックボーンがあるんだな。拓郎の「字余り」感、実は後の青春パンクガガガSPなんかにも受け継がれて「泥臭さを出したきゃこれ」みたいな定番技になってるよね。
貴方ととてもお話ししたいです。このコメントに非常に感動しましたし、同意しました。吉田拓郎中心史観があっても良いくらいですよね、色んなバンドにこの「字余り感」が継承されて知らないところで影響を与えているように自分も感じます。
内田裕也だったかな?誰か言ってたんだけど当時ロックをやれた奴らは金持ちでエレキも買えないロック小僧はなくなくフォーク(アコースティック)に走ったと言ってた。
後藤由多加さんの顔を拝見するのは初めてです。文字としては良く拝見していたのですが。
いい対談だなあ
吉田拓郎は日本最高のレジェンドだよね。彼の作った曲、人脈にフォーカスして第二弾以降の続編をお願いします。
曲目チェックしたけど裏ベストがコンセプトならまだまだ足りない。名曲目白押しのB面曲やセールス的には芳しくなくなった80年以降にも世間的には殆んど知られていない超名曲多数。Vol.2 、 3のリリースを望みます。
フォーク時代からユーミン、中島みゆきみたいなシンガーソングライター時代に変わる間には吉田拓郎の絶対的な影響があったはずなのに、なぜか拓郎のことは触れられずに直でユーミンたちが語られることが多くてモヤモヤしてた
2022年の引退宣言を受けて『元気です。』のLP買ったらド級のポップ名盤で面食らった何でもかんでもジャンルで分ければ入門しやすいという発想は思い違いだと気付かされた
吉田拓郎さんと言うと岡本おさみさんという詩人の存在が大きくて、私的には吉田拓郎作品の魅力の半分以上は岡本さんの詞なのですが、対談で松本さんや喜多条さんに言及されてるのに岡本さんの名前がまったく出てこないのは違和感を感じました。
僕のひとまわり年上の知人が愛知県の篠島オールナイトライブを観たそうです。かなりの感激だったと言っていました。
篠島行きましたよ。長渕帰れ事件については、どちらかと言うと新入りのくせに生意気だという感じの「帰れ」コールでしたね。最前列に陣取った拓郎のコアなファンが「帰れ」コールを飛ばしてました。僕のような後ろの方でまったり見ている人たちは呑気に「頑張って歌えよー」とか言ってました。長渕は「俺は30分という時間をもらったんだ。最後まで歌う」と言って歌い切りました。なかなかやるなと思いました。ちなみに小室等もゲストで呼ばれてましたが、こちらは大歓迎されてました。
ビートルズ等他のマイフェイバリット同様、狂信的にのめり込んでは離れてを繰り返してまた拓郎に帰ってきてます
素敵なエピソード満載ですね😊次は拓郎さんご本人のインタビューも希望します
拓郎が30代のころ「フォーク」と括られるのを非常に嫌ってましたね。俺はフォークじゃねぇよみたいな感じでした。
拓郎聴いてたのちにボブディラン聴いてメンフィスブルースアゲインに出会って春だったねはこれだったんかと納得したもんです
このアルバム、エレック時代の曲一曲しか入ってないんですよね。吉田拓郎はフォークじゃない、R&Bです。エレック時代のとっぽい男のバラード、やせっぽちのブルース、野良犬のブルース、川の流れのごとく、笑え悟りし人よ。ほんとに凄いのはこのあたり。R&Bをこんなに消化してオリジナルを出してた人はいない。吉田拓郎が本当の意味で理解されてないのはこのあたりの曲をわかってる人が少ないから。
良く言ってくださいました、その通りですね。ほとんどの人が分かってないですね。一番の核心部です。
拓郎こそが、フォーク。甲斐よしひろの言葉。みんなで手をつないで仲良く歌うなんてフォークじゃない。フォークはあんな風にハードなものだ。これを忘れないな。
一般的なルールを無視した楽曲構成と、忘れた頃に挟まれる聴いたことのないような美しいメロディライン、が拓郎楽曲の魅力だと思います。80年代以降は、アレンジはマンネリ化はしてますが、楽曲そのものはクオリティを保ってると思います。「すなおになれば」はとても綺麗な曲です。
やはり拓郎さん取り上げてくれてありがとうございます。もし出来る事ならオフコースの解散のお話しや解散コンサートの事当時詳しくご存知の方のお話し聴いてみたいです。宜しくお願いします。
拓郎、良いよね。不定期に聞き直します。
帰って来たヨッパライの印税の件は恐らく作詞の松山猛さんの話で、加藤さんの方にはかなり入って来ていたかと。フォークル解散後に69年製のD-45も購入しているし、ロールスロイスも1ポンド800円台後半の時代に1万2000ポンド程で購入して個人輸入したらしい(ちなみに、この時加藤和彦は免許を取得しておらず、しかも住んでいたアパートのガレージには車がデカすぎて入らず引っ越すというロックすぎる逸話が)。そして、フォークルの印税を全てはたいてWEMのPA機材を買い漁り、ギンガムを設立したとのこと。誰もPAを使っていなかった当時、どのロックバンドよりもアコギ一本の加藤和彦の方が遥かに爆音だったとか……w景山民夫とロールスロイス買いに行く話は傑作なんで是非読んでほしい
「ライブ’73」13曲中9曲が新曲の異例のライブ盤。このアルバムこそが日本のロックの最高名盤でありライブ盤の最高峰でしょうね。ソニー時代を一番よく知る前田仁氏が早くに亡くなってるのが痛い。ライブ73コンプリートのリリースを望みます
まさにその通り、50年以上経っても全く色褪せていない。
拓郎とフォーライフには75年つま恋、79年篠島、85年つま恋の完全版をぜひリリースしてほしい。これは日本ミュージック史の資料としても絶対貴重。
みのさん、ジジイころがしが上手ですね。まんまとハマりました。『元気です』と『ローリング30』はアナログ音源があるはずだからこれから探してこの週末に聴きます。新譜『裏ベスト』も検討します。
あさま山荘事件と「結婚しようよ」がほぼ同時期で、日本の若者を変えたのは間違いないですね。
「リンゴ」とか「高円寺」とかが忘れられないあと南こうせつ氏が出てくる「野の仏」とかもすきです考えたら岡本おさみ氏とコンビの作品が好みだった
先駆者て言葉がぴったりの人だね👍️
高橋洋子(女優、作家のほう)のファンで「旅の重さ」のDVDを買いましたが拓郎さんの音楽がとても見事に映像を引き立てていて感動ものでした。
坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLDがめちゃ面白い。お気に入りは、井上陽水がゲストの回。井上陽水が話すフォーライフのこともあります。それも面白い!
素晴らしい対談!みのさん?若いのに深く聴いていらっしゃる。後藤ユタカさんのお話はもっと聞きたい。今回のベストは、一見、新味がない曲の並びに感じたが、買って聴いてみるかな。
吉田拓郎中心史観があっても良いくらいに日本語でフォークやロックを始めたと言っても良いと思う。その泥臭さは他の人がおっしゃる通り、ガガガSPなど青春パンクなどに受け継がれていて、間違いなく今の音楽シーンにも多大な影響を与えていると思う。フォークの神様なんて言われるけど、日本語ロックの神様の一人として考えても遜色ない、過小評価されていると自分は感じる。
ガガガSPて笑🤣
吉田拓郎のレゲエについて少しだけ触れてくれて嬉しい
映画『トノバン』もあって加藤和彦さんの話もまとめて欲しいな…
最高!
Another Side Of Takuro 25で知ってる曲は7曲だけだな、記念に買うかもしれんなー
拓郎さんも、番組に呼んでください。エドサリバンショーがお気に入りですよ。
サブステージの「人間なんて」の演奏、狂騒とメインステージの討論会は全く関係はありません。時系列的にメインステージの討論会が拓郎の演奏の後だったので誤解があるのではないかと思いますが拓郎はとっくにその会場を去っていたのではないかな。そのくらい時間がった後の出来事です。メインステージはプログラム通りにJAZZの方達が演奏されていて安田南さんが歌っているときに政治活動家のような男がステージを占拠して演奏を止め討論会をやろうと言い出したのです。安田南さんはかなり抵抗していましたし観客もかなり騒然として怒号が飛びかい、すったもんだの挙句、観客の多数決でその問題の男を引きずりおろしました。しかし討論会は始まってしまったのです。私は翌朝まで寝ていました。因みに「人間なんて」は2時間の演奏と言われていますが、その場にいた私は1時間ぐらいではなかったのかなと体感では感じています。サブステージ全体がトランス状態に陥ていたので2時間ぐらいだったのかもしれません。
拓郎本人は1時間くらいじゃなかったかと言ってますね。あの場はみんな酒が入っていた(一升瓶の回し飲み?)そうで、あんな3コードの曲を大声でみんなが唄っていればほぼトランス状態でしょう。だいたい、別の場面でははしだのりひこと北山修がベロベロに酔ってウイスキーの取り合いをしていたとか、酒が大ぴらに入っていると、ですね。全日本フォークジャンボリーはアマチュア運営の悲しさで、地元スタッフはみんな仕事の合間にただ働きで参加。にもかかわらず第2回では赤字約140万円(70年当時ですよ)。第3回に至っては、あんな終わり方、しかもあんな人造湖で泳いで溺れ死んだ者がいて、見舞金を出したらそれで終わりだったと。元はと言えば、他の労音から拒否された高石さんと、地元のフォークグループが歌いたいために企画したジャンボリーなのに。世間じゃ第3回は「岡林から拓郎に時代が変わった瞬間」だなんだということになっていますが、主催した人たちにはどうでもいいことだったのでしょうね。
結婚しようよはマジで好きだな
加藤和彦 はっぴえんど 吉田拓郎 やはり日本の音楽シーンの核だと思います。この3つに追従、従事した者は数知れず。加藤さんの特集をお願いします!
私的には、ライブ73や、人間なんてのB面が拓郎さんの本筋だと思います。そこら辺の話を聞けなかったのは、残念です。特にライブ73こそは、70年代唯一無二のレコードだと思います。
吉田拓郎はブッカ―Tをプロデユーサーにして作品つくってましたね 由紀さんのルームライトは素晴らしい
「唇かみしめて」の歌詞が大好きだ💋(24/6/15)
拓郎のアルバム。。昔1980年に10枚以上。。を3000円で譲って失敗したあ
由多加さん・お元気そうで・なによりです🎸
拓郎さんはおんすてーじともだちが特に好きだなぁ
上下デニム。タキシードで行こうと言われ着替えたら、次の電話でジーンズでと言われ、それを何回か繰り返されて、嫌になったと、ヤングタウン東京で拓郎が自ら話してました。
みのさん、石原信一氏の著書「挽歌を撃て」を読んでみて欲しいな
タイムリー
本人が言うには本当に帰ったこともあったそうです。
ユイ音楽工房の後藤由多加さん?
そうですね。
フォークのイメージで捉えられ過ぎだよなシンガーソングライターとしてもだがプロデューサー コンポーサーとしても過小評価だと思う
拓郎さん帰れコールで何度か帰ってますけどね笑
後藤さんが言っている「俺は帰らんぞ」は長渕のことですね
「サマーピープル」という曲でズッコケた思い出
いい曲じゃないか。あの頃は「あいつの部屋には男がいる」って曲のほうが凄い。大学の部室で何気なく聴いてたら、なんでこんな傷に塩を塗るような歌があるんだ、って先輩に呆れられた思い出。
Don't trust over 40にでも行くのかと思いきやUnder30かよ笑
あの当時、反戦歌や貧乏自慢みたいな歌が多かった時に拓郎はチョット歌謡曲要素があったよーな。拓郎の男の悲哀を歌う歌はサイコーやな。女なら中島みゆきが歌う人間の醜さも。
吉田拓郎もボブ・ディランも、これだけのキャリアを重ねているので、安易にフォークの括りで語るのは本質とかけ離れてしまう気がする
みのさん凄い!フォーライフの後藤さんゲストに呼べるなんて!!けど名前は由多加だよ(本名は豊)😅昔漫才ブームで、ザ・ぼんちが「恋のぼんちシート」てヒット曲出したけど、あれをフォーライフレコードで出してもらうため吉田拓郎がザ・ぼんちのお二人に頼みに行って頭下げたらお二人もフォークの神様の頼みだから断れないって承諾したっていうエピソード、ホントですかね?😅
最初の引きの画面見て、え?高田純次?と思ってしまった。スタイリッシュな方ですね
植木等を知らない世代かな😅
トークうまいなあー!日本人なの?
チャボさんが出ることはないかな?
すげええこういう世代間継承はいい試み。はっぴいえんどなんか拓郎やかぐや姫の何十分の一何百分の一の知名度しかないのがリアルタイムのはずだけど。その誤解された現代解釈をとくのは数ある後追い評論に脚色されて困難になっちゃったけど、そのわずかな東京の業界に近いまたは当時大学生で暇でライブに学園祭に行ける近場にいた層で今70歳くらいな坂崎幸之助さんくらいの世代の東京に住んでた当時の大学生にでも聞けば、いいですね。そもそも当時の流通に乗っかってないんだから地方の人間は知るすべもないはずなんだよね。自費出版的で手売りに近い流通なんだから。シュガーベイブですらそう。意識高い系の雑誌は当時ありましたし、持ち上げられてたのは事実ですけどね。小劇場、演劇みたいなものだよね。はっぴえんど一派はそういう流れというものをリアルタイムじゃない過大評価の幻想を打ち砕くためにもこういう世代のひとにインタビューするのはとてもいい企画です。
さすみの🎉凄いパイプ持ってますねー😊
広島市なんとかする会社拓郎の知り合いの人がやっています。困った人の味方です。よろしく🌠🌝🌹🐺
13:18 「あるトラブル」って何だったのだろう…?
「金沢事件 虚言 冤罪」とかで検索してみて
あったなそーいえば。
メディアから鬼の首取ったみたいに総叩きされ、警察には話を全く聞いてもらえず一方的に容疑を決めつけられるみたいな感じだったらしいです。そりゃ堪えますよね。弁護士の精神的な支えがなければ心が折れてたらしいです。でもそれなりに早い段階で警察で「無実なんじゃないか?」みたいな感じになったとか
タクローさんまた詩を書いて下さい。
いつかプロデューサーとしての吉田拓郎、この時期の「音楽プロデューサー黎明期」に注目して欲しいです70年〜72年は、ようやくミュージシャンらが「音作り」を意識し始め、シングルやアルバムという形ででてきた時期だと思いますしかも4トラック〜8トラック〜16トラックのレコーダーが入ってきた時期でもあります(はっぴいえんどの1stは4トラック、2ndは8トラックなど1年違いで機材が大きく変わる)この時期、音作りを意識しはじめたのは、はっぴいえんど、加藤和彦(サディスティック・ミカ・バンド)、村井邦彦(赤い鳥、トワエモワ、荒井由実)らですが、拓郎は「人間なんて」のアルバムで1部の曲のプロデュースをロンドン帰りの加藤和彦に頼み、加藤はロンドンで受けた影響を試験的に試しました。そのうちの曲のひとつが「結婚しようよ」です(そうした親交もあり、加藤からトレードマークともいえるGibsonのギターを買っています)拓郎は加藤の作業を通して海外の音作りに触れ、「元気です」以降のアルバムを自身でプロデュース、またかぐや姫の1stアルバムのプロデュースも行っています
拓郎さんとか陽水さんが凄いの何で?と思ってる人は同時期の他の作品を勉強しないと凄さがわからない。
唇をかみしめて
アフロ版吉沢亮
サムネしか見てないやろ
はっや
みのさんがアフロ辞めたらこいつ死ぬんかな
一周回っていつまでもやってて欲しくなってきた
継続は力なりなアフロ
貴重なお話 有難うございます😃🙏
拓郎さんが、時代時代でやり遂げてきた宝物を、一人のファンとして、大切にしていきます😃🙇
と わ に 💞
45年くらい前から拓郎さんのファンなので、こうした番組が見れてとてもうれしいです。Another Side of Takuro 25に「I'm in Love」「いつか夜の雨が「冷たい雨が降っている」といった曲が入っているのもうれしい。拓郎さんは2000年以降も「午前中に」とか「月夜のカヌー」とか素晴らしいアルバムを出しています。
元々、吉田拓郎を教祖として約半世紀生きてきて、最近みのミュージックさんをチャンネル登録したら、吉田拓郎が出て来て嬉しい限りです!
熱い、あつい対談でした。
(自分が生まれた)半世紀前の人と人のぶつかり合いが想像できました。
知らないことばかりでしたが、濃密な時間を過ごせました。
ミノさん、後藤さん、ありがとう。
みのミュージックで吉田拓郎のディープな話が聴けるとは嬉しい驚きでした。高校生の時に元気です。をリアタイで買った世代で以来途中ちょっと飽きてw離れてますがすぐ復活して今でもファンです。アルバム元気です。を買ったのは私の経験談ですがその前にシングルの結婚しようよがラジオのヒットチャートでよく流れてそれで初めて吉田拓郎を知りファンになってのアルバム購入でした。
なお本日拓郎さんはラジオに復帰され、次回の新アルバム構想をお話しされるというw 拓郎さんのそういうお茶目なところ好きです😊
もう40年以上毎日聴いている、ぜんぜん飽きない
わたしもそうなんです。唯一飽きない。
こういう一つのアーティストを深掘る系の動画もっと出して欲しい!
後藤豊さんがこんなに詳しく話してくれて素晴らしいです。彼らが支えて拓郎ワールドが作られたんですね。
素敵なお話ありがとうございました!このアルバムを父の日の贈り物にすることにしました。
結婚しようよが売れて?商業主義だのなんだのと言われてライブで帰れ帰れなどと言われた頃の状況・・・アルバム「元気です」の中に封入された拓郎本人からのライナーノーツを読むと当時の雰囲気が伝わってきますね。当時の歴史的証言として貴重。
そうですね。
フォーク全盛期に差し掛かる時に、「フォークじゃなくてもいいんです。僕は自分で詩を書いてメロディーをつけて自分で唄う。それがフォークと呼ばれようがフォークじゃなくても良いんです、と言ったようなことを書いてましたね。なんか高校生ながらフォークファンの反感を買うのではないか?と心配というか思ってました。ジャンルに囚われることなく自分の好きな歌を唄うというスタンスだったのかと感じてました。いつも良い意味で裏切り続けてきたのが拓郎さんですね💦
70年80年代の日本は多くの外国ミュージシャンが初来日を始めてブルースが若者の心を掴んだおかげで多くの優れたバンドが生まれ素晴らしい音楽が生まれた。その中の先頭にいたのが拓郎であり日本のボブディランだと思った。
まさかの後藤さんの登場!貴重な動画でのインタビュー回に感謝です
たどり着いたらいつも雨降り、めっちゃすき
最近個人的に拓郎ブーム来てて元気です。をずっとリピートしてる
日本ロック史において超貴重なお話。みのさんすごい!!
いい回でした!!
ありがとうございます。
拓郎さんをフォークと思ってファーストアルバムから追って聴くとロック、ブルースやファンクな曲が出てきて驚く。
本人はフォークと言われることに違和感を感じていたみたいですね。
後藤由多加さんとの対談でしかも拓郎さんのお話とか嬉しいです。
一気に当時の思い出が蘇ってます!!
音楽聞き始めて数十年。拓郎さん効いてみます。
デビュー当時から聞いて来て一度も離れたことも無いから、ベストに裏も表もないんだけど、みのさんってやっぱり後追い世代なんだなぁと思っちゃったな。
今となっては全て懐かしいけど、後藤さんが共立講堂の受付近くに立っておられた光景もまだ覚えているし、そこで拓郎とジョイントしたコータローも賢司もマキさんもみな亡くなってしまって淋しい限りだ。
後藤由多加(豊)さん自体がレジェンド!!すごい!!
地続きのようで実はボヤけかけている国内音楽史の筋の大事な部分を通してくれる貴重なインタビューをありがとう。
90年代生まれでこの役割ができる人は国内ではあなたしかいないかな…
リアルタイムでした、ギターやってました😅
みのミュージックを観て、サブスクで拓郎を振り返る
こんな未来は想像していなかった😅
現代のように、何を言っても批判が伴う周辺環境に比べて、七十年当時は自己主張が最優先していた時代。我々、昭和の良さを闇雲に称賛する輩にとって、たくろうの功績は掛け値なく大絶賛すべき事項で、ガヤのタワゴトでしか無い批判は、全て無視していいレベル。たくろうなくしてフォークの世界構築はあり得ず、彼に触発されて登場してきたレジェンドたちも、それは認めざるを得ないのでは無いか。この動画のアフロみのの、全盛期フォークに関する見識は驚くべき。質問上手だし、後藤の聞き取り方も秀逸。小賢しい坂崎には無い中立な知識の開陳に拍手喝采します。
吉田拓郎の好きなのは我が身かわいくとホンダシビックです。
吉田拓郎、後追いで聴くとなんかフォークっぽくねえなあって肩透かし食らうんだけどそういうわけだったか。
イズミヤも最初はロックやりたがってたそうだし日本のフォークの人たちもそれぞれいろんなバックボーンがあるんだな。
拓郎の「字余り」感、実は後の青春パンクガガガSPなんかにも受け継がれて「泥臭さを出したきゃこれ」みたいな定番技になってるよね。
貴方ととてもお話ししたいです。このコメントに非常に感動しましたし、同意しました。
吉田拓郎中心史観があっても良いくらいですよね、色んなバンドにこの「字余り感」が継承されて知らないところで影響を与えているように自分も感じます。
内田裕也だったかな?誰か言ってたんだけど当時ロックをやれた奴らは金持ちでエレキも買えないロック小僧はなくなくフォーク(アコースティック)に走ったと言ってた。
後藤由多加さんの顔を拝見するのは初めてです。文字としては良く拝見していたのですが。
いい対談だなあ
吉田拓郎は日本最高のレジェンドだよね。
彼の作った曲、人脈にフォーカスして第二弾以降の続編をお願いします。
曲目チェックしたけど裏ベストがコンセプトならまだまだ足りない。
名曲目白押しのB面曲やセールス的には芳しくなくなった80年以降にも世間的には殆んど知られていない超名曲多数。
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フォーク時代からユーミン、中島みゆきみたいなシンガーソングライター時代に変わる間には吉田拓郎の絶対的な影響があったはずなのに、なぜか拓郎のことは触れられずに直でユーミンたちが語られることが多くてモヤモヤしてた
2022年の引退宣言を受けて『元気です。』のLP買ったらド級のポップ名盤で面食らった
何でもかんでもジャンルで分ければ入門しやすいという発想は思い違いだと気付かされた
吉田拓郎さんと言うと岡本おさみさんという詩人の存在が大きくて、私的には吉田拓郎作品の魅力の半分以上は岡本さんの詞なのですが、対談で松本さんや喜多条さんに言及されてるのに岡本さんの名前がまったく出てこないのは違和感を感じました。
僕のひとまわり年上の知人が愛知県の篠島オールナイトライブを観たそうです。かなりの感激だったと言っていました。
篠島行きましたよ。長渕帰れ事件については、どちらかと言うと新入りのくせに生意気だという感じの「帰れ」コールでしたね。
最前列に陣取った拓郎のコアなファンが「帰れ」コールを飛ばしてました。僕のような後ろの方でまったり見ている人たちは呑気に「頑張って歌えよー」とか言ってました。
長渕は「俺は30分という時間をもらったんだ。最後まで歌う」と言って歌い切りました。なかなかやるなと思いました。
ちなみに小室等もゲストで呼ばれてましたが、こちらは大歓迎されてました。
ビートルズ等他のマイフェイバリット同様、狂信的にのめり込んでは離れてを繰り返してまた拓郎に帰ってきてます
素敵なエピソード満載ですね😊次は拓郎さんご本人のインタビューも希望します
拓郎が30代のころ「フォーク」と括られるのを非常に嫌ってましたね。俺はフォークじゃねぇよみたいな感じでした。
拓郎聴いてたのちにボブディラン聴いてメンフィスブルースアゲインに出会って
春だったねはこれだったんかと納得したもんです
このアルバム、エレック時代の曲一曲しか入ってないんですよね。吉田拓郎はフォークじゃない、R&Bです。エレック時代のとっぽい男のバラード、やせっぽちのブルース、野良犬のブルース、川の流れのごとく、笑え悟りし人よ。ほんとに凄いのはこのあたり。R&Bをこんなに消化してオリジナルを出してた人はいない。吉田拓郎が本当の意味で理解されてないのはこのあたりの曲をわかってる人が少ないから。
良く言ってくださいました、その通りですね。ほとんどの人が分かってないですね。一番の核心部です。
拓郎こそが、フォーク。甲斐よしひろの言葉。
みんなで手をつないで仲良く歌うなんてフォークじゃない。フォークはあんな風にハードなものだ。
これを忘れないな。
一般的なルールを無視した楽曲構成と、
忘れた頃に挟まれる聴いたことのないような美しいメロディライン、が拓郎楽曲の魅力だと思います。
80年代以降は、アレンジはマンネリ化はしてますが、楽曲そのものはクオリティを保ってると思います。
「すなおになれば」はとても綺麗な曲です。
やはり拓郎さん取り上げてくれてありがとうございます。
もし出来る事ならオフコースの解散のお話しや解散コンサートの事当時詳しくご存知の方のお話し聴いてみたいです。
宜しくお願いします。
拓郎、良いよね。不定期に聞き直します。
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景山民夫とロールスロイス買いに行く話は傑作なんで是非読んでほしい
「ライブ’73」13曲中9曲が新曲の異例のライブ盤。このアルバムこそが日本のロックの最高名盤でありライブ盤の最高峰でしょうね。ソニー時代を一番よく知る前田仁氏が早くに亡くなってるのが痛い。ライブ73コンプリートのリリースを望みます
まさにその通り、50年以上経っても全く色褪せていない。
拓郎とフォーライフには75年つま恋、79年篠島、85年つま恋の完全版をぜひリリースしてほしい。
これは日本ミュージック史の資料としても絶対貴重。
みのさん、ジジイころがしが上手ですね。
まんまとハマりました。
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これから探してこの週末に聴きます。
新譜『裏ベスト』も検討します。
あさま山荘事件と「結婚しようよ」がほぼ同時期で、日本の若者を変えたのは間違いないですね。
「リンゴ」とか「高円寺」とかが忘れられない
あと南こうせつ氏が出てくる「野の仏」とかもすきです
考えたら岡本おさみ氏とコンビの作品が好みだった
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高橋洋子(女優、作家のほう)のファンで「旅の重さ」のDVDを買いましたが拓郎さんの音楽がとても見事に映像を引き立てていて感動ものでした。
坂崎幸之助と吉田拓郎のオールナイトニッポンGOLDがめちゃ面白い。お気に入りは、井上陽水がゲストの回。井上陽水が話すフォーライフのこともあります。それも面白い!
素晴らしい対談!みのさん?若いのに深く聴いていらっしゃる。後藤ユタカさんのお話はもっと聞きたい。
今回のベストは、一見、新味がない曲の並びに感じたが、買って聴いてみるかな。
吉田拓郎中心史観があっても良いくらいに日本語でフォークやロックを始めたと言っても良いと思う。
その泥臭さは他の人がおっしゃる通り、ガガガSPなど青春パンクなどに受け継がれていて、間違いなく今の音楽シーンにも多大な影響を与えていると思う。フォークの神様なんて言われるけど、日本語ロックの神様の一人として考えても遜色ない、過小評価されていると自分は感じる。
ガガガSPて笑🤣
吉田拓郎のレゲエについて少しだけ触れてくれて嬉しい
映画『トノバン』もあって加藤和彦さんの話もまとめて欲しいな…
最高!
Another Side Of Takuro 25で知ってる曲は7曲だけだな、記念に買うかもしれんなー
拓郎さんも、番組に呼んでください。エドサリバンショーがお気に入りですよ。
サブステージの「人間なんて」の演奏、狂騒とメインステージの討論会は全く関係はありません。時系列的にメインステージの討論会が拓郎の演奏の後だったので誤解があるのではないかと思いますが拓郎はとっくにその会場を去っていたのではないかな。そのくらい時間がった後の出来事です。メインステージはプログラム通りにJAZZの方達が演奏されていて安田南さんが歌っているときに政治活動家のような男がステージを占拠して演奏を止め討論会をやろうと言い出したのです。安田南さんはかなり抵抗していましたし観客もかなり騒然として怒号が飛びかい、すったもんだの挙句、観客の多数決でその問題の男を引きずりおろしました。しかし討論会は始まってしまったのです。私は翌朝まで寝ていました。因みに「人間なんて」は2時間の演奏と言われていますが、その場にいた私は1時間ぐらいではなかったのかなと体感では感じています。サブステージ全体がトランス状態に陥ていたので2時間ぐらいだったのかもしれません。
拓郎本人は1時間くらいじゃなかったかと言ってますね。
あの場はみんな酒が入っていた(一升瓶の回し飲み?)そうで、あんな3コードの曲を大声でみんなが唄っていればほぼトランス状態でしょう。
だいたい、別の場面でははしだのりひこと北山修がベロベロに酔ってウイスキーの取り合いをしていたとか、酒が大ぴらに入っていると、ですね。
全日本フォークジャンボリーはアマチュア運営の悲しさで、地元スタッフはみんな仕事の合間にただ働きで参加。にもかかわらず第2回では赤字約140万円(70年当時ですよ)。
第3回に至っては、あんな終わり方、しかもあんな人造湖で泳いで溺れ死んだ者がいて、見舞金を出したらそれで終わりだったと。
元はと言えば、他の労音から拒否された高石さんと、地元のフォークグループが歌いたいために企画したジャンボリーなのに。
世間じゃ第3回は「岡林から拓郎に時代が変わった瞬間」だなんだということになっていますが、主催した人たちにはどうでもいいことだったのでしょうね。
結婚しようよはマジで好きだな
加藤和彦 はっぴえんど 吉田拓郎 やはり日本の音楽シーンの核だと思います。
この3つに追従、従事した者は数知れず。
加藤さんの特集をお願いします!
私的には、ライブ73や、人間なんてのB面が拓郎さんの本筋だと思います。そこら辺の話を聞けなかったのは、残念です。特にライブ73こそは、70年代唯一無二のレコードだと思います。
吉田拓郎はブッカ―Tをプロデユーサーにして作品つくってましたね 由紀さんのルームライトは素晴らしい
「唇かみしめて」の歌詞が大好きだ💋
(24/6/15)
拓郎のアルバム。。昔1980年に
10枚以上。。を3000円で譲って失敗したあ
由多加さん・お元気そうで・なによりです🎸
拓郎さんはおんすてーじともだちが特に好きだなぁ
上下デニム。タキシードで行こうと言われ着替えたら、次の電話でジーンズでと言われ、それを何回か繰り返されて、嫌になったと、ヤングタウン東京で拓郎が自ら話してました。
みのさん、石原信一氏の著書「挽歌を撃て」を読んでみて欲しいな
タイムリー
本人が言うには本当に帰ったこともあったそうです。
ユイ音楽工房の後藤由多加さん?
そうですね。
フォークのイメージで捉えられ過ぎだよな
シンガーソングライターとしてもだが
プロデューサー コンポーサーとしても過小評価だと思う
拓郎さん帰れコールで何度か帰ってますけどね笑
後藤さんが言っている「俺は帰らんぞ」は長渕のことですね
「サマーピープル」という曲でズッコケた思い出
いい曲じゃないか。あの頃は「あいつの部屋には男がいる」って曲のほうが凄い。
大学の部室で何気なく聴いてたら、なんでこんな傷に塩を塗るような歌があるんだ、って先輩に呆れられた思い出。
Don't trust over 40にでも行くのかと思いきやUnder30かよ笑
あの当時、反戦歌や貧乏自慢みたいな歌が多かった時に拓郎はチョット歌謡曲要素があったよーな。
拓郎の男の悲哀を歌う歌はサイコーやな。
女なら中島みゆきが歌う人間の醜さも。
吉田拓郎もボブ・ディランも、これだけのキャリアを重ねているので、安易にフォークの括りで語るのは本質とかけ離れてしまう気がする
みのさん凄い!フォーライフの後藤さんゲストに呼べるなんて!!
けど名前は由多加だよ(本名は豊)😅
昔漫才ブームで、ザ・ぼんちが「恋のぼんちシート」てヒット曲出したけど、あれをフォーライフレコードで出してもらうため吉田拓郎がザ・ぼんちのお二人に頼みに行って頭下げたらお二人もフォークの神様の頼みだから断れないって承諾したっていうエピソード、ホントですかね?😅
最初の引きの画面見て、え?高田純次?と思ってしまった。スタイリッシュな方ですね
植木等を知らない世代かな😅
トークうまいなあー!日本人なの?
チャボさんが出ることはないかな?
すげええこういう世代間継承はいい試み。はっぴいえんどなんか拓郎やかぐや姫の何十分の一何百分の一の知名度しかないのがリアルタイムのはずだけど。その誤解された現代解釈をとくのは数ある後追い評論に脚色されて困難になっちゃったけど、そのわずかな東京の業界に近いまたは当時大学生で暇でライブに学園祭に行ける近場にいた層で今70歳くらいな坂崎幸之助さんくらいの世代の東京に住んでた当時の大学生にでも聞けば、いいですね。そもそも当時の流通に乗っかってないんだから地方の人間は知るすべもないはずなんだよね。自費出版的で手売りに近い流通なんだから。シュガーベイブですらそう。意識高い系の雑誌は当時ありましたし、持ち上げられてたのは事実ですけどね。小劇場、演劇みたいなものだよね。はっぴえんど一派はそういう流れというものをリアルタイムじゃない過大評価の幻想を打ち砕くためにもこういう世代のひとにインタビューするのはとてもいい企画です。
さすみの🎉凄いパイプ持ってますねー😊
広島市なんとかする会社拓郎の知り合いの人がやっています。困った人の味方です。よろしく🌠🌝🌹🐺
13:18 「あるトラブル」って何だったのだろう…?
「金沢事件 虚言 冤罪」とかで検索してみて
あったなそーいえば。
メディアから鬼の首取ったみたいに総叩きされ、
警察には話を全く聞いてもらえず一方的に容疑を決めつけられるみたいな感じだったらしいです。
そりゃ堪えますよね。
弁護士の精神的な支えがなければ心が折れてたらしいです。
でもそれなりに早い段階で警察で「無実なんじゃないか?」みたいな感じになったとか
タクローさん
また詩を書いて下さい。
いつかプロデューサーとしての吉田拓郎、この時期の「音楽プロデューサー黎明期」に注目して欲しいです
70年〜72年は、ようやくミュージシャンらが「音作り」を意識し始め、
シングルやアルバムという形ででてきた時期だと思います
しかも4トラック〜8トラック〜16トラックのレコーダーが入ってきた時期でもあります
(はっぴいえんどの1stは4トラック、2ndは8トラックなど1年違いで機材が大きく変わる)
この時期、音作りを意識しはじめたのは、はっぴいえんど、加藤和彦(サディスティック・ミカ・バンド)、村井邦彦(赤い鳥、トワエモワ、荒井由実)らですが、
拓郎は「人間なんて」のアルバムで1部の曲のプロデュースをロンドン帰りの加藤和彦に頼み、
加藤はロンドンで受けた影響を試験的に試しました。
そのうちの曲のひとつが「結婚しようよ」です
(そうした親交もあり、加藤からトレードマークともいえるGibsonのギターを買っています)
拓郎は加藤の作業を通して海外の音作りに触れ、「元気です」以降のアルバムを自身でプロデュース、
またかぐや姫の1stアルバムのプロデュースも行っています
拓郎さんとか陽水さんが凄いの何で?と思ってる人は同時期の他の作品を勉強しないと凄さがわからない。
唇をかみしめて
アフロ版吉沢亮
サムネしか見てないやろ
はっや
みのさんがアフロ辞めたらこいつ死ぬんかな
一周回っていつまでもやってて欲しくなってきた
継続は力なりなアフロ