Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
1984年12月6日に帯広から往復乗車しております。糠平ー十勝三股はマイクロバスによる代行でした。十勝三股での折り返し時間をどうしようかと思ってましたら、おばあさんが声をかけてくれまして家に上げていただきました。暖房器具にあたらせていただき、りんごの皮をむいていただき美味しくいただきました。その当時十勝三股には、そのおばあさんの家と代行バスを運転されている男性の家の二世帯だけ残っていると聞きました。
鉄道愛が感じられる駅跡を観ると、胸が張り裂けそうになりますね…何時も貴重な映像、有り難うございます。
待ってました。ダニや熊対策も必要なこの路線の取材と検索・編集を思うと感謝ばかりです。お疲れ様でした。
私は黒石平の幼稚園に通いここに住んでいました。昭和46年から49年まで。上空写真で私の住んでいた住居跡がはっきり判別できました。涙が出るほど嬉しいです。よくこのグランドで遊んだしその横の池でカエル捕まえてた思い出あります。
いい思い出ですね…
@@hiroring0323 黒石平の水力ダムに従事する電源開発株式会社の社員と家族だけがここに住んでいました。小さな店もあったし床屋さんガソリンスタンド、プール、テニスコートや独身寮、保育園、厚生棟などこの中にありました。黒石平の電力所前駅の向かい側にスキー場もあってここよくソリーで滑りました。幻かもしれないけど小学2年の冬オーロラをここで見ました。真夜中の緑色の空。
字幕にもありますが凄い立地ですね
@@johnmungship2 さん。それでも当時ちゃんと生活出来てましたよ。ガソリンスタンドも食料小売店も床屋さんもプールも保育園もありました。テニスコートも野球グランドもスキー場もあったんですよ。いっぱい楽しい思い出あります。オーロラも見ました。
@@pia55ありがとうございます。当時の賑わいに想いを馳せながら旅を続けたいと思います。
幌加駅跡、現存していて良かったです。毎回、いい動画ありがとうございます。
幌加駅跡はいいですね~
一時は完全に森に還ったんですよね。タウシュベツ橋梁が一般に知られるようになった頃(2000年前後だったか?)、一面の藪に埋もれていた線路・ホーム周りを除草し、看板を立てて整備。今のような廃線観光名所になりました。
この廃線跡は一度訪れたいところです。ありがとうございました。
01:13 帯広02:42 木野 案内板04:37 音更 車両保存 案内板07:37 駒場 案内板09:20 武儀10:50 中士幌 案内板12:12 新士幌仮乗降場13:35 士幌 木造駅舎 保存15:50 北平和17:00 上士幌18:44 荻ヶ丘20:32 清水谷22:23 黒石平24:20 電力所前仮乗降場26:45 糠平 資料館28:50 幌加 ホーム線路ポイント切替、案内板31:38 十勝三俣 食堂に駅名標レプリカ 幌加駅跡、好きです、ポイント切替できるし、綺麗にされたホームにいると幸せ気分になります。十勝三俣駅は壊される前に訪れたと思うのですが、写真は撮ったが記憶が無い、十勝三俣山荘もいい雰囲気でした。
北海道の鉄道遺構はきれいに残ってるか最初から何もなかったかのような両極端な物しかないイメージが
皮肉にも今音更町は帯広の一大ベッドタウンに…。もし帯広ー音更だけでも残っていたら結構利便性が高かったかもしれませんね。
士幌線て、なんか惹きつけられるものがありますね。かつて層雲峡から三国峠を越えて然別湖へ行った際の、糠平湖にあった鉄橋跡の写真が出てきました。今回も思い出深く拝見させていただきました。ありがとうございました😊
いつも貴重な映像をありがとうございます集落が消えたり道が消えたり…流石にすごいですね三股から帯広に抜けられるバスがあるだけでも凄いと思ってしまうほど
昨年、個人的にパートナーと共に路線巡りしました。タウシュベツ川橋梁が1番の目的でしたが、十勝三股の風景には愕然としました。数十年前まで、ここまで列車がやって来ていたとは到底思えない、聞いてはいたがいざ目の当たりにすると、北海道で鉄道を維持することの厳しさを改めて実感した次第でした。糠平から少し行ったパーキング付近で廃線跡を利用した自転車トロッコに乗れる所があり、そこがパートナーのお気に入りの場所です。また今年もお邪魔できればいいなと思いながらも、今の時柄行けず寂しい限りです。
音更、士幌、幌加の各駅跡はのんびり過ごしてみたい場所でしたね。自分が幌加駅に行ったのはアーチ橋ツアーでしたが、幌加駅前のかつての盛況ぶりを教えていただきました。(糠平温泉の集落はおよそ70人ほどがいらっしゃるそうです。)1度だけでなく、何度も行きたい場所ですね。
私の大好きな士幌線を取り上げていただきありがとうございます。士幌線の存在を知ったのは、2010年秋今は廃業したホロカ温泉に宿泊した時、たまたま立ち寄った幌加駅がきっかけでした。その後、タウシュベツ橋梁のことを知り現地にも3回行きました。木材産業が盛んな頃には賑わっていたと思いますが、産業が衰退すると一気に寂しくなってしまいますね。旧士幌駅など、形は違えどここに鉄道が通っていたんだよと、何らかの形で残っていることは素晴らしいと思います。
1983年8月に人生初の一人旅をしたとき、一番印象に残っている線でした。末端区間の代行バス、黒石平と電力所前、道内時刻表にも掲載されなかった新士幌等々鉄気分を高揚させてくれる唯一無二の路線でしたね。あの時の気持ちにさせてもらいました。ありがとうございます。
現役時に行かれていたんですね。羨ましいです…
黒石平と電力所前で2駅1役>勾配のせいなのか正式な旅客駅である黒石平(と言っても無人駅だが)は下り列車しか停車できなかったため、上り列車は隣の糠平との間にある電力所前という名の仮乗降場に停車するという変わった仕組みでした(と言っても正式な駅名ではなく、電力所前仮乗降場も黒石平駅の一員として扱われる)。最後に路線の北端がバスになっていた糠平~十勝三股間ですが、こちらは民間のバス会社が代行バスを走らせていたわけではなく、正確には地元のタクシー会社というか「上士幌タクシー」さんがマイクロバスを走らせることで対処していたそうです(そのために時刻表等では「糠平~十勝三股間はバスになります」の注意書きが添えられていたそうです)。
末端の代行バスは、小学生の少年1人が唯一の定期客だったと聞いた記憶があります。今は、いい年のおっちゃんになっているのかな。音更まで残して、本数激増にすれば今も残っていたかも知れませんね。国鉄再建法とその杓子定規な適用には、今も疑問を感じます。函館線の砂川支線と歌志内線、江差線と松前線、胆振線、鍛冶屋線の野村~西脇とか。
そうですね。帯広~音更は沿線人口が多いのに列車本数が少なすぎて、バスやマイカーに流れてしまいましたからね。
勝田線も博多の隣から別れてるのにやる気なかったバスとの兼ね合いで廃止
待ってました士幌線北海道は広尾線やこの士幌線、美幸線、深名線といった現役なら乗ってみたい路線が多いから良いですね。
現役時に乗ってみたかった路線がたくさんありますね。
ありがとうございます😊
黒石平駅跡の消失は残念です。電力所前駅跡もすごい所にありますね。熊が出てきそう。タウシュベツ橋梁、アーチ橋群もいつまでも残っていてほしい。貴重な動画ありがとうございます。
まさか黒石平付近で国道の付け替えがあるとは思ってもいませんでした…
糠平〜幌加〜十勝三股がバス代行になって4年弱が経過した、'82年8月に士幌線に乗りに行った時に撮った懐かしい写真と見比べながら動画を見ていて、幌加駅、十勝三股駅、と、両駅付近の変わりように驚いています‼️何もかもが『おっふ…』‼️逆に変わってないのが、十勝三股バス停の建物で、現在もそのまま残っているのが不思議なくらいです。当時は鉄道のバス代行輸送(鉄道は休止)扱いだったので、駅舎も含めて、鉄道関係の設備はほぼ全て残っていて、糠平〜幌加間の糠平湖北端付近の音更川を渡る鉄橋(ガーター橋)の(新線)第四音更川橋梁も健在でした。第四音更川橋梁と言うと、糠平ダム建設に伴う線路付け替え前の旧線のコンクリートのアーチ橋が有名で、ネット上で検索しても、新線の方がなかなか見つからず探すのに苦労しました😅新線の第四音更川橋梁ameblo.jp/mikanya000/image-12652678720-14890316231.html以下の、みかんやさんのブログより引用させて頂きました。みかんやさんのブログに士幌線関係のいろいろな画像、資料、説明が詳しく掲載されています。ameblo.jp/mikanya000/entry-12652678720.htmlみかんやさんのブログを全部見させて頂きましたが、私が'82年に撮った写真と同じような写真がたくさんあって、とても懐かしかったです。ひろりんさんとみかんやさんのお二人にとても感謝しております。
何も知らずに寄った鉄道資料館。あれが橋梁に興味をもったきっかけ。タウシュベツの間近にも何回か行った。三股にあった鉄道関係の建物や満開のノボリフジと戯れ登り、ドラマでも使われた幌加温泉にも泊まれた。しかし歳月人を待たず、世の中は変化していってしまうものだ。木野の街だけが栄えたのかもしれない。
自分はまだ深名線の廃線跡しか見たことがないので、いつか士幌線の跡も巡ってみたいです。特にタウシュベツ川橋梁はこの目で見てみたいですね。
タウシュベツ川橋梁はいいですね~毎年行っています…
@@hiroring0323 私は関東住みの学生なのですが、なかなか北海道へ行くことが出来ないので、毎年訪問されているのはとても羨ましいです。次の動画も楽しみにしています。
@@YRP野比 ありがとうございます!私も学生時代は旅行はほとんど行けませんでした…
@@hiroring0323 今はコロナのせいで旅行に行けていないので、収束したら直ぐにでも行きたいですね。余計なお世話かもしれませんが、どうかひろりんさんもコロナにはお気をつけ下さい。
いつも楽しみにしてます! 是非、歌志内線もよろしくお願いします!
ありがとうございます!歌志内線も7月に行ってきたので、そのうち…
ほぼ無人地帯に綺麗に保存されている幌加駅が印象的ですね。ホームまでのアプローチが完全に原野を突っ切らないと行けそうも無いので季節によってはかなり大変そうですが。私もリアルポイント切り替えゲームをやってみたいですw
リアルポイント切り替えゲーム楽しいですよw
現地入りした人だけの特権みたいですね
2年前に訪れましたよ、バイクツーリングを兼ねて行きました保存ホームへは除雪ステーション兼休憩施設から遊歩道で行けます
幌加温泉という秘境温泉もあります。
清水谷駅、集落込みで完全に消滅してますね。すごいです…。
末端区間はバス輸送の為、鉄道車輌では行けない鉄道でしたね。この士幌線は廃線になっても話題が尽きない路線だと言えるでしょう。毎度ですが取材、撮影、動画配信ありがとうございます。
所々新し目の駅跡案内板や駅舎自体が残っているので、比較的大事にされているんだなと伝わってきますが、街ごとなくなっていることも多く壮絶ですね。
帯広駅の地下隧道、あのイメージからスッキリしすぎてしまって。士幌線名物(?)だった、末端の白バスの代行バス。 あれも乗りたかった。 ひろりんさんの、現地に行ってみましょう シリーズ、やみつきです。良い意味で。
士幌線は現役の頃に行ってみたかったです。
同じ思いです。当時の貧乏学生には、ただ見送るのみ。
1990年頃に十勝三股へ行ったことがあります。黒曜石とざくろ石の原石を採りに行ったのですが、カフェに立派な原石が飾ってありました。別の日に上川まで三国峠を超えて行ってみましたが、十勝三股から先はトンネルまで砂利道でした。上士幌-糠平の山の斜面に線路跡がちらちら見えてスノーシェッドや川に掛かるめがね型の橋の跡などもありましたが、ストリートビューを見ると見当たらなくなっているようです。
糠平の手前には山の斜面にスノーシェッドやアーチ橋も残っているんですが、冬以外だと草木が茂って見えなくなってしまうんですよね。
冬季は通行止めでした。駅前を超えて100-200mくらいですぐ一面の砂利道。走ると砂ぼこりがすごく、床下に返り石がボコボコ当たる音。とても新車では走りたくない道でした。バイクは対向車がまき上げた砂煙の中を延々疾走。三国峠ちかくはあんな立派な橋はなかったので、旧坂、急カーブでスピードを落とさないとお尻を振られました。
いつも貴重な映像ありがとうございます
👍
撮影お疲れさまでした.
うぽつです!流石に三国峠を越えるだなんて無理難題ですよね、、、
さすがに三国峠を越えて上川までは無理でしたね…
@@hiroring0323 ほんとですね後半は特に、あこの集落おっふするなと思いながら見てました。案の定ほとんど消えてましたねw
@@あー家 後半はおっふ祭りでしたw
十勝三股。今は何もありませんが、周辺に咲散らかっているルピナスがかつて多くの民家があった事を感じます。繁殖力の強い花なのか季節になると見応えがあるほど。
昔行ったときはルピナスが凄かったです。
ここも夏休みの時三国峠から自転車でダウンヒルして糠平まで行きました。十勝三股から先峠の方にも少し作った跡らしいのはありましたね。幌加はポイントの端から端まで歩きました。その間にトロッコ観たいのがあって少し乗り、そのあとタウシュベツ見ようとしたらもう埋まってて見れませんでしたね・・・糠平は資料館の中に入って少し見てみたら色々あって当時の前面展望もありました、黒石平は国道の付け替えのところだったんですね。萩ケ丘も清水谷は車からなんとなくでわかりましたけどここまでうっそうとしてるんですね
やはり自転車で行かれましたか!
北海道シリーズ拝見しています。駅や鉄路が消えてしまった後、それでも農地が残っていることに安堵します。北海道でも離農する方が多いと聞きますので、集落のみならず農地まで原野になってしまっている光景を見るのは忍びないです。
数年前、糠平温泉に宿泊し、士幌、糠平、幌加、十勝三股の駅跡に行ってきました。糠平ではトロッコに乗り、三股山荘では美味いコーヒーを飲んでのんびりしてきました。懐かしい風景です。
いいですね~
士幌~三国峠をバイクで2回走りました。タウシュベツ橋梁を筆頭に、いくつもの鉄道橋がツーリングをとても印象深いものにしてくれました。北海道ツーリングで、何度も走りたいルートの一つです。
出ました!真打ち登場ですね。大作を有り難うございます。いつもながら見ていてなんともいえない気持ちになります。同じ国鉄末期に羽幌線や湧網線などかなり長い路線が廃止になってますよね。それにしても大正~昭和初期にこれだけの線路を引いた先人の情熱には頭が下がります。今は宗谷本線や新幹線開通後の函館本線まで廃止議論が出ていてなんともはやです。地元民でない元乗り鉄の端くれとしての勝手な言い分ですが、新幹線なんて要らないんですけどね。
道路が整備されていない時代に苦労して敷いた路線が軒並み廃線になっていますからね…
1.5万人おめでとうございます。そして、毎回お疲れ様です。一緒に「おっふ…」言ってます。全国的に秋の気配となり、沿線の上士幌の今日の最低気温が5.9℃って道内ニュースで言ってました。帯広から糠平に近づくと、こんなところに線路通してたの!っていう発見がいっぱいある士幌線。先人の凄さを感じます。それでも三国峠を越えられなかった…。峠からの十勝側の景色が最高です。
ありがとうございます!三国峠からの景色は最高ですね~
士幌線は廃線雑誌で一番気になった路線でした。士幌線が今どうなっているのか気になりました。ほとんどが、駅舎も線路もない状態でしたね...。でも以外に保存車両は結構残っているなぁ~と僕的に思いました!
保存された除雪車立派ですね車内にかつての栄光を感じます
車内を見学できるのがいいですね~
廃止されてからかなり時が経ったあとですが、十勝三股に行って三股山荘で食事をしました。お店の方からいろいろ話を聞くことができました。廃止されたあともしばらくは建物は残っていたが、その後すべて取り壊されたような話も聞きました。
休止区間の解体や撤去は遅かったようですね。
駅舎やホームを解体整地した跡地は東屋や遊歩道つきのキレイな公園になりました。私も伺った話では、駅跡敷地を除草した際、SL時代の転車台が出てきて現役時代を彷彿させたそうですが、すぐに何事もなかったのように解体整地され短期間で消えたのだそう。(そんなものが出て来るとは思わず、整備&保存のための予算もあらかじめ計上していなかったのでしょう)。行政のやることはわからんですね。その公園さえも十分な維持管理ができず、お金だけかけて再び雑草生え放題の荒地に戻ったようです。
@@Su---- 16年前に行ったときは東屋や遊歩道があったと記憶しています。いつの間にか無くなっちゃいました…
@@hiroring0323 駅舎は倒壊寸前だったので仕方ないですが、ホーム跡や転車台はうまく活用すれば、タウシュベツ橋梁や幌加駅、森林トロッコとセットで廃線跡観光の起爆剤になり得たかも知れず残念です。
@@Su---- 勿体ないですね…
おはようございます。士幌線見所たくさん素敵でしたね(^^♪現役時代も最高の場所だつたですね何時もありがとうございます(*^^*)お疲れ様でした
士幌線は見所も多く、大好きな路線です!
帯広在住です。身近にこんな貴重な史跡があることに驚きました。まさに諸行無常だと感じました。作成お疲れ様でした。
帯広もかつては北に士幌線、南に広尾線が分岐していました。両線とも道内では遺構が比較的多く残されている路線ですね。
@@hiroring0323 現在、帯広に単身赴任で滞在中です。これだけ雄大な平原を走る列車を一度見たかったです。士幌線はタウシュベツ川橋梁跡等、遺構になっても人を惹きつけてくれます。いつか実際に行ってみたいです。ご返信ありがとうございます。
帯広ー士幌間は思った以上に住宅が残っていますね。(遠軽ー名寄もそうですが)とはいえ路線バスに乗ると、帯広市街地を過ぎるとも乗降がほとんどなく・・・北海道の公共交通離れは相当なものかもしれません。ひろりんさんの気持ちが伝わってくる渾身の作品ですね。一番変化の大きいのは動画でもふれられている通り幌加・十勝三股は現在、無人地帯。日本でかつて鉄道が走っていた場所が無人になるとはなかなかないですね。(道北には多少・・・)
やはり地方の移動手段はマイカーですからね…音更辺りまでは結構道も混むんですよね。解像度が低いので今回は使用しませんでしたが、1972年の航空写真を見ると幌加も十勝三股もそこそこの規模の街があったんですよね…
いつも渾身の作品をありがとうございますひろりんさんの作品で好きな点は、 旧)■当時の航空写真 新)■現在の航空写真この新旧比較と現在地訪問です。大変なご苦労が存在するとは思います。くれぐれも無理をなさらずに。
いつもありがとうございます!
編集お疲れ様です。。。北海道の線路は廃線になる前に制覇しておきたいですね。。。
廃線になりそうな路線がいくつかありますからね…
懐かしいですね、上士幌町出身です、各駅思いだしますね、友達の親が国鉄マンで官舎よく遊びにいったなぁ、士幌線ラストランには車で帯広まで一緒に走っていきました😊それから数年して自分も十勝離れてしまいましたが…
上士幌、黒石平、糠平には電源開発の官舎もありそこにも友達すんでたなぁ、あの頃は営林署も沢山人がいた思い出が、古き良き時代だったのかも😊
当時と比べると沿線は随分変わってしまいましたね…
人口かなり減りましたからね、9000から5000くらいまででも最近何十年ぶりかで増えたと役場にいる同級生言ってましたよ😅
士幌線は最終日に乗りに行きましたその頃はまだ十勝三股駅構内の鉄道施設は残っていたと記憶してます
取材、編集お疲れ様でした。今回もナイスおっふでした。ある意味北海道らしい廃線跡ですよね。いつも思うのですが、鉄道が廃線になった後、駅前や周辺に住んでいた方達はどこへ行ったのでしょう?建物や廃屋があるということはその土地を所有されているはずなんですが…
近くの大きな町に行ったのではないかと他の過疎化地域もそんな感じのはずだし
たまたまオススメで出て来まして初めて観ましたが、おっふで笑ってしまいました(笑)自分の故郷の過去の航空写真を見て、そういえば跨線橋あったなぁ~とか踏切を渡った子供の頃の記憶が甦って来ました、ありがとうございます。やっぱり車移動がメインになりがちで最後に汽車に乗ったのは高校時代で廃止寸前の広尾線でしたね~もっと乗っておけばなんて思いました。
航空写真で比較してみると沿線も随分変わりましたね。おっふになってしまった場所も…
幌加駅は度々テレビの鉄道番組でも紹介されてますよね。六角精児さん、中井精也さんイレギュラーの火野正平さんなど。確か、十勝三又駅跡辺りに現在は喫茶店があり鉄道に関係するものが飾られているとテレビ見て記憶しています。
幻になりつつあるタウシュベツ川橋梁も今のうちにその姿を収めておきたいですよね。
その喫茶店(三股山荘)の創業者が、かつて代行バスの運転手や、十勝三股発の国鉄きっぷ委託販売所の商店をされていた方です。
良き良き🙌🙌
ありがとうございます!
満を持しての士幌線ですね!我が故郷の十勝の路線です!帯広駅が地上駅時代は6番線までありましたが、高架駅になって4番線までになったのは、士幌線と広尾線の配線の影響でしょうね!十勝川越えたらすぐの音更町木野は下手な帯広市内より、帯広市街地近く廃線当時も人口増加中だったのに、何故棒線駅だったんだろう…。音更町は北海道で1番人口のいる町なだけに、少しがんばれば、音更高校の最寄りになる駒場駅まで何とかなったはず、今の余市ー小樽より営業成績は良かったでしょうね!下手したら上士幌までなら残しても、留萌本線より営業成績良かったかもしれないです。除雪費も日本海側の留萌本線より太平洋側の士幌線の方が圧倒的に除雪回数が少ないので、だいぶ少なく済んだと思うのですが…。国道が綺麗に整備されているので、車が一番楽な移動手段になりますが、他の廃線路線より残す価値はあった路線だと思います!広尾線楽しみにお待ちしております。
広尾線もそのうちやります。
上士幌町ってタウシュベツとかモニュメント的なものが多く、割と財政が潤ってる自治体なのかな、っていつも思います。ちなみに自分の上士幌町のイメージはナイタイ高原牧場です
上士幌町は毎年ふるさと納税では上位にきていますね。
士幌線って上川まで繋がる計画だったんですね、無謀?壮大?すぎる計画ですが当時の日本はパワーに満ちていたんですね。糠平から十勝三俣が代行バスになってしまったこと、子供時代の記憶に残っております。ありし日の士幌線が思い浮かぶ素敵な動画ありがとうございます。
無謀すぎる計画だったので、さすがに着工はされなかったようですが…
北海道の廃線は「敗戦」とも書ける…。
北海道の廃線でも、現在でも市街地の大きいエリアが、多いですね。終盤は、行くのがキツイところが多そうで、ホントおつかれさまでした。。。
音更町辺りまでは廃線後も人口が増えていますからね。
旧士幌線の区間を道北バスの「ノースライナー号」(三国峠経由)で乗り通すことができます。一応というか、念のためというか、五の沢、幌加温泉入口、十勝三股に停留所が設置されていますが、当然ながら乗降は皆無!!以前は道北バスのほか、十勝バス・北海道拓殖バスが運行していましたが、空気輸送しているだけだからなのか、道北バスのみの運行になっています。
東京在住のオッサン、1978年からバイクで北海道を走って、現在は車で北海道を走ってます。萩ヶ岡にカブトムシという民宿があったのですが、現在は簡易郵便局になってました。1978年十勝三叉駅には、駅舎・ホーム・複数の線路・転車台・給水塔が残ってました、ここから三国峠へは、深い砂利道国道だったので、バイクで三国峠を越えるのはやめました。北海道は少し大きな街を外れると、廃線・廃駅、廃校、廃屋ばかりで、人口空白地帯が増えて寂しいです。
北海道は随分寂しくなりましたね…
私が通っていた小学校のグランドのすぐ横を士幌線が通っていて授業中に汽車に向かって手をふっていたのがなつかしい思い出です。いまではその場所に士幌線が通っていたことを知っている人も少なくなってきました。士幌駅。本当に大切に保存されていてありがたいですよね。糠平駅より先は残念ながら列車に乗ったことがなくて映像を見て乗った気分になりました。いつもありがとうございます(*´∀`*)
汽車という表現方法に道民を感じました
この路線は帯広から上士幌ぐらいまでなら辛うじて残せそうな雰囲気はありますねそれでも廃止は免れないと思いますがバス代行された糠平~十勝三股間は鉄道時代の末期に営業係数22500という数値を叩き出したらしいですが、それでも芸備線の備後落合~東城間には及ばないと
十勝三俣に最後に到着した汽車に乗りました。記念に駅に貼ってあったポスターをもらったのを思い出しました。中学までは、糠平スキー場に汽車で通ったのも良い思い出です。1日滑って、帰るときに駅舎のストーブで沸かしているお湯でカップヌードルを食べるのが楽しみでした。懐かしい思い出です。
十勝三股に列車で行かれていたとは…羨ましいですね~
帯広駅は、広尾線と士幌線が廃止されたばかりで、まだ廃線跡もあり地上駅だった1988年に初めて利用しました。確かに、航空写真にある様にゴチャゴチャした感じがしていました。旧木野駅や旧音更駅は、帯広のベッドタウン的存在の駅だったのですが、動画の中でも触れている様に列車の本数が少なければ自家用車等に流れてしまいますね。跡地も、早い時期に住宅地へ転換されてしまったのだろうと思います。展示車両も、雪が多い北海道ですから、こうして屋根を架けて欲しいところですが、今度はその屋根の雪下ろしをしなければならないというジレンマも生じます。旧武儀駅跡から北は、町の中心部でなければ駅跡も廃線跡も容易には辿れなくなっていると思います。旧萩ヶ岡駅跡は、この近く(といっても、相当歩きます)に親戚が住んでいます。1988年秋には廃止から1年ちょっとということで駅舎も廃線跡もありましたが、その後1993年に訪れた時にはもう何処に駅舎があったのか分からなくなっていました。家族旅行で初めて北海道を訪れたのは1977年の夏ですが、函館から上陸した後、札幌の親戚に泊まりました。その翌々日、萩ヶ岡の親戚で法要があるということで向かったのですが、当時小2の妹は、札幌の親戚のおばさんと別行動でこの駅を利用しているはずです。当時はまだ石勝線が開通していませんでしたから、札幌から根室本線経由だったと思います。因みに妹以外の5人(両親と伯父と当時小4の私と2歳の弟)は、日高から国道237号線・274号線を経由して十勝平野に入り(国道274号線の札幌方面は未開通)、まだ現役だった愛国駅へ行っています(お目当ては「愛国から幸福への切符)。ここから北は、さらに廃線跡を辿るのも難しくなり、よほど好きな人でないと足を踏み入れることはないでしょう。特に夏場はヒグマに襲われるという危険性もありますし。旧糠平駅跡はトロッコが運行されていますが、廃線跡を北へ辿れば温泉街へ行くこともできます。ただ、夏場でもどことなく異様な雰囲気を感じますが。ここから廃線跡に沿う様に国道273号線が通っていますが、私が初めて訪れた1977年は未舗装でした。旧幌加駅跡は別の機会に訪れていますが、ポイント切り替え機は錆びていて動かなかった気がします。旧十勝三股駅跡は、言われなければここに線路が通っていたと思わないでしょうね。全線廃止に先立って糠平とここの間が「バス代行」となりましたが、実際にはタクシーでも空席が出る程の閑散さだったみたいです。
お~~~ぉ 大好きな未乗の士幌線!!!まだ見ていません、のちほど拝見させていただきます!!今夜の楽しみにしておきます^^いつもありがとうございます。
士幌駅はすごい綺麗な状態で保存されていてびっくりしました今のうちに北海道の色々な地域の駅に行きたいと思います
士幌駅の保存状態は良いですね~北海道には素敵な駅跡がいくつもあるので、是非っ!
士幌駅舎はホームもですが、綺麗に保存されていますね、そこだけが時が止まっているかのように感じます。廃線から40年近くはたっているようには見えませんね。これからも大事に保存していただきたいです。
士幌駅舎はいいですよね~
@@hiroring0323最近は 鉄筋コンクリートの駅舎が多いと思いますが、士幌駅のような木造駅舎や、東京駅のようなレンガ等で出来ている駅舎の方が個人的には好きです。
先月、全駅を巡り、草深かった黒石平以外は映像の遺構や駅跡を確認してきました。あと糠平から幌加までの橋梁群も。さりげなく遺構が保存されている幌加駅が自分のお気に入りで、廃線巡りを始めたきっかけでした。訪れた時は糠平湖は満水で、タウシュベツ橋はもちろん、それに繋がる旧線路跡や旧糠平駅(移転前)などは全く判りませんでした。
私も幌加駅跡は大好きです!
20年ちょっと前にバイクツーリングでR273を北上し三国峠越えて旭川まで走ったんですけど、当時は鉄道に関する関心も知識もなく、一気に通り過ぎてしまいました。かすかに十勝三股付近は記憶があるかな?(三股山荘が突然ぽつっと視界に入った感じ)…知識があればタウシュベツ橋梁展望くらいはしたのに。残念なことをしました。
20年以上前だとタウシュベツ川橋梁までの林道も自由に通行できましたからね。(現在は事前予約が必要で1日10組限定)
やっぱり北海道の荒廃のした方が凄まじい
士幌線には,1983年と廃止直前に乗りました。上士幌駅を境に,大きく景色が変わる路線で,逆に言えば上士幌駅までは工夫次第で残せたのではと思えてならないところです。(今も十勝バスが結構な本数走っていますよね)逆に幌加や十勝三股は,当時からかなり寂しいものがあり,バス代行でもやむを得ないのかなと感じていました。ちなみに1983年の乗車当時,代行バスの「幌加温泉入口」で下車をして,宿の送迎で幌加温泉に泊まりました。それもまた,懐かしい思い出です。
私はスマホ変える前に調べた時は士幌線とか知らなかったので、当時の駅舎とか廃線跡見たら寂しい感じがします。広島だと可部線もそうですが、非電化区間は廃線なったものの、かつての橋梁とかは残ってます。未成線もあり、当時工事してたであろうトンネルも残ってます。こういうの見るとなんか知りたくなりますね👍
士幌駅の駅標正に昭和な雰囲気
これ好きなんですよね。
また、十勝三股駅のホームが残っていた頃に行ました!幌加駅が、あんなに残っていたなんて、知りませんでした。幌加と言えは、温泉しかありませんけどね(笑)
幌加と言えば温泉ですね~
@@hiroring0323 その温泉も1軒『幌加温泉旅館』は廃業し、もう一軒『鹿の谷』も食事提供なしにに代わり、風前の灯ですね。道内で残された数少ない混浴浴槽付きの秘湯です。国鉄代行バス時代には「幌加温泉入口」というバス停がありましたが、冬場だと30分近く歩いたような気がします。十勝三股駅北西の山奥にある野湯露天風呂『岩間温泉』も数年前の水害で流され崩壊したままのようです。
良くも悪くも、デラおっふ祭り♪♪♪車掌車に入れるの、初めて見たし、線路のポイント切り替えが動的保存されてるの、凄いすね!鉄民なら30分は時間潰せそぉwwwまたいつかタウシュベツ見に行くついでに寄ってみます♪♪♪個人的には岐阜県出身なんで、武儀が気になりましたねwそこは新十津川に倣って新武儀にはしなかったんすね♪今回も超大作でしたね☆お疲れちゃんでした(^o^)/
幌加駅に行くといつもポイント切り替えして遊んでしまいます。
お疲れ様。数年前、ノースライナーで層雲峡から帯広に向かいましたが、上士幌からは、帯広のベッドタウンという感じでしたねぇ。糠平あたりだと、温泉が無ければ自然に帰りますなぁ。
糠平の旅館もだいぶ減りましたしね…
高校1〜2年生の時期、音更〜帯広を利用してました。当時の帯広駅は地下にも改札口がありましたね。確か2階は喫茶店やゲームセンターみたいな所もありました。音更駅の跡地に行った時はちょっと寂しく感じました。
仮停車場駅の記憶が無いですでも糠平から帯広までの駅は覚えてます上士幌町出身なので駅の北側にあった跨線橋渡って汽車に乗ってました糠平方面は今もちらほら残っているのか山の斜面にあった覆道?半トンネル?がしばらく見えていたんですよね所々いまだに線路の盛土跡が残っている所もあって 「あぁ…そうだ…ここ走っていたんだよなぁ…」と思うことが有ります
👍️
北海道は広大な土地のわりに人口が少ないのでこのようなことになるのは仕方が無い事ですが鉄道ファンとしてとてもさみしい限りです明治になって土地を開拓してその住民のために鉄道が敷設される炭鉱がなくなって人口が減る=乗車人数も減る 赤字になる 経営ができなくなり廃止する当然の成り行きなのでしょうがとても寂しい気持ちになりますUPありがとうございました
初めてコメントさせていただきます。北海道の様々な動画を拝見しました。思ったことがあります。この地域(十勝)の廃線跡は、特異ですね。士幌線や広尾線。他の全道は、ほぼ壊滅か著しく衰退しているのに。素人考えなのですが、これはもしかするとうまく運用すれば、この2つの路線は維持出来たかもしれません(士幌線は帯広〜上士幌)。また、路線が不便すぎるのは、早い時点で投資して改善を計る。そうすれば、発展場所もある現在、僅かでもプラスに転じたかもと。ふっと、そう思いました。最後に、毎回、苦労が絶えないと思いますが、これからも、無理せずに頑張ってください。できる限り拝見させていただきます。
士幌線沿線だと音更町は廃線後に人口が増えていますからね。列車本数が少な過ぎて、使い物にならなかった感がありますね。広尾線は廃線後にほぼ同じルートで帯広広尾道が出来ていますし…
@@hiroring0323 今となっては結果論ですけどね。。あの国鉄末期の時代に、現在のイノベーションを求めるのは難しかったかもしれませんが。もったいなく感じます。何か、北海道はJRやバス、自治体がそれぞれ別の考えや動きをしているような気がしてならないのです。それぞれ単体では限界があります。もう、全てが一体となりこの大きな課題に立ち向かっていかないと、多くの方が予測されているように未来は衰退だけが残るということに。。
11:38 こんなボロッボロのヘキサゴンあるのか…
北海道だともっとボロいやつも…
音更駅 ああった 前には 音更農協があった 今でもその 音更農協は 少し大きくなって残っているね 昔はその音更農協の二階の食堂に 私のいとこの叔父が 音更農協の食堂をやっていたから よく食べに行ったよ その おじは 音更 駅から歩いて 興奮の線路沿いの 住宅に住んでいた だからよく覚えているよ 今はあのあたり しっかり整備されて綺麗になっちゃってるよね しかしあの当時に比べれば 少し 音更の町 寂しくなった気がするよな スーパーや商店があったけど 音更の街に 個人商店やスーパーが亡くなったのは悲しいね 寂しくなったよ
まあ言い出したらあれもこれもですが、士幌線は現役の頃乗りたかったなぁ。よくもまあ線路を敷きましたね。
私も士幌線は乗りたかった路線ですね。休止中の十勝三股駅に行ってみたかったです。
三股山荘というお店は調べるととても評価が高いのですね。このアクセスの悪い場所で今でも営業が成り立っているのは凄いですね。
あの立地ですからね…
代行バスのドライバーが三股山荘のご主人(故人)だったそうです。今は奥さんと娘さんが引き継いで営業中です! 通学定期の小学生は、お店で御本人に確認してください!
士幌線はタウシュベツ川橋梁が有名ですが、糠平から十勝三股までまだたくさんの橋梁、陸橋が残っています。冬季間から木の新芽が出るまでが見ごろですよ。
士幌線末端の橋梁も巡ってみたいですね…
やっぱり帯広市・音更町内と士幌町・上士幌町内の沿線は発展具合が逆転してるな・・・
そうですね。音更町は廃線後にかなり人口が増えていますしね…
関係ある仕事をしていたので分かりますが木野は帯広市内、音更はちょっと離れたベッドタウンでいいところだと思います
上士幌町は、ふるさと納税でも大人気、家族ぐるみでの北海道への移住の地として人気があって、税収も急上昇してますからね。
たしかに。上士幌までは、日に17往復、帯広からのバスがありますが、糠平となると日に4往復。モータリゼーションのお陰ですねぇ。
武儀駅跡の道路の僅かな盛り上がりが線路の踏切跡なのでしょうか?
気付きましたか!多分そうだと思います。
実は1度だけ地上駅時代の帯広駅を利用した事が・・・・・・・・・
私は無いんですよね…
@@hiroring0323 スーパーとかち7両編成・・・・・・・・・
動画とは関係ないですが先日鵡川駅から大狩部駅跡までサイクリングしてきました!途中で所々見られる遺構もすごかったですが、ぐにゃぐにゃに曲がった大狩部駅周辺の線路には圧倒されました。訪問当日は天候があまり良くなく波が線路まで飛沫を上げていて廃線になったのも納得だと感じました…
サイクリングいいですね~やはり大狩部駅付近の線路は凄まじいですよね…
元士幌線はヒロリンさん程ではありませんけど並行する国道を使い追跡調査した事はあります。その頃には既に道路や農地に化けていて跡形も無くなってました。山間部は多少残ってますが廃線になってから随分経てますからいずれは自然に還るのでしょうね。
かなり旧い話ですが、ジャーナルで士幌線の休止区間の写真見た時は言葉が出ませんでしたね。廃止対象路線を特集した記事でしたが。
私も子供の頃に休止中の十勝三股駅の写真を見たときは衝撃でした…
ひろりんさんのシリーズ動画に触発されて「国鉄監修交通公社の時刻表 1977年12月号 ¥450」をネット購入してしまいました。士幌線は日に5.5往復、その下の白糠線は3往復等々。利用者の減少そして廃線は避けられなかったのですね。
昔の時刻表は見ていて楽しいですよね…北海道のローカル線の本数は…
帯広って民家が多いなぁと思って人口調べたら16万人。けっこう大きな町なんですね。そんなに住みやすい街なのでしょうか。
十勝の平野部は北海道の中では温暖な気候ですから、住みやすいかも知れませんね。隣の音更町と市街地が続いていて、こちらも4万人以上の人口があります。
いつも良い動画ありがとうございます。道内では観光客のヒグマ被害がとにかく多く、人が食べられることもありますのでご注意ください!特に茂みからはクマが突然来ますよ!
クマには気を付けないとですね…
帯広、音更、士幌辺りはまだしも、そこら辺にクマ居そうなのでご注意くださいませ…
羆出没地帯なので、気を付けます!
帯広駅が変わりすぎてすごい。南側にビルや大型ショッピングセンターも増えたけど、それらが建ってる場所に昔広尾線が走っていたとは…。ちょっと想像できないですね。北側も高架化と分岐路線廃止でこれだけ変わるのか…。昔の北海道第4は釧路、今は帯広…。(ぶっちゃけ帯広の変化を見たくてこの動画を見に来たとは言えないよ…)
帯広は変わりすぎですね…
新士幌は士幌と中士幌の駅名標にも無視されてますね道内時刻表にも載らず種村直樹氏が本に書くまで鉄道ファンも存在を知らなかった
道内時刻表にも載らない仮乗降場がいくつかありましたね。
士幌線は今でも忘れられない存在感な旧国鉄ローカル線です。1978年秋頃かな? 糠平 ↔ 十勝三股間に措ける代行バス🚌運行区間は今でも重要な存在感ですね。
廃止にならず代行バスと言うのが、珍しかったですね。
@@hiroring0323 当時は「旅客が黒字級に盛り返せば復活!」という触れ込みでしたからねー。
3年前に行きました。幌加駅跡と、タウシュベツ橋梁を望む展望台、大型哺乳類と鉢合わせすることを恐れながら訪れた記憶があります。ありがとうございました。
末端部は大型哺乳類との鉢合わせの恐怖がありますね…
1984年12月6日に帯広から往復乗車しております。糠平ー十勝三股はマイクロバスによる代行でした。
十勝三股での折り返し時間をどうしようかと思ってましたら、おばあさんが声をかけてくれまして家に上げていただきました。
暖房器具にあたらせていただき、りんごの皮をむいていただき美味しくいただきました。
その当時十勝三股には、そのおばあさんの家と代行バスを運転されている男性の家の二世帯だけ残っていると聞きました。
鉄道愛が感じられる駅跡を観ると、胸が張り裂けそうになりますね…
何時も貴重な映像、有り難うございます。
待ってました。ダニや熊対策も必要なこの路線の取材と検索・編集を思うと感謝ばかりです。お疲れ様でした。
私は黒石平の幼稚園に通いここに住んでいました。昭和46年から49年まで。
上空写真で私の住んでいた住居跡がはっきり判別できました。涙が出るほど嬉しいです。よくこのグランドで遊んだしその横の池でカエル捕まえてた思い出あります。
いい思い出ですね…
@@hiroring0323 黒石平の水力ダムに従事する電源開発株式会社の社員と家族だけがここに住んでいました。
小さな店もあったし床屋さんガソリンスタンド、プール、テニスコートや独身寮、保育園、厚生棟などこの中にありました。
黒石平の電力所前駅の向かい側にスキー場もあってここよくソリーで滑りました。幻かもしれないけど小学2年の冬オーロラをここで見ました。真夜中の緑色の空。
字幕にもありますが凄い立地ですね
@@johnmungship2 さん。それでも当時ちゃんと生活出来てましたよ。ガソリンスタンドも食料小売店も床屋さんもプールも保育園もありました。テニスコートも野球グランドもスキー場もあったんですよ。
いっぱい楽しい思い出あります。
オーロラも見ました。
@@pia55ありがとうございます。当時の賑わいに想いを馳せながら旅を続けたいと思います。
幌加駅跡、現存していて良かったです。毎回、いい動画ありがとうございます。
幌加駅跡はいいですね~
一時は完全に森に還ったんですよね。タウシュベツ橋梁が一般に知られるようになった頃(2000年前後だったか?)、一面の藪に埋もれていた線路・ホーム周りを除草し、看板を立てて整備。今のような廃線観光名所になりました。
この廃線跡は一度訪れたいところです。ありがとうございました。
01:13 帯広
02:42 木野 案内板
04:37 音更 車両保存 案内板
07:37 駒場 案内板
09:20 武儀
10:50 中士幌 案内板
12:12 新士幌仮乗降場
13:35 士幌 木造駅舎 保存
15:50 北平和
17:00 上士幌
18:44 荻ヶ丘
20:32 清水谷
22:23 黒石平
24:20 電力所前仮乗降場
26:45 糠平 資料館
28:50 幌加 ホーム線路ポイント切替、案内板
31:38 十勝三俣 食堂に駅名標レプリカ
幌加駅跡、好きです、ポイント切替できるし、
綺麗にされたホームにいると幸せ気分になります。
十勝三俣駅は壊される前に訪れたと思うのですが、
写真は撮ったが記憶が無い、十勝三俣山荘もいい雰囲気でした。
北海道の鉄道遺構はきれいに残ってるか最初から何もなかったかのような両極端な物しかないイメージが
皮肉にも今音更町は帯広の一大ベッドタウンに…。
もし帯広ー音更だけでも残っていたら結構利便性が高かったかもしれませんね。
士幌線て、なんか惹きつけられるものがありますね。
かつて層雲峡から三国峠を越えて然別湖へ行った際の、糠平湖にあった鉄橋跡の写真が出てきました。
今回も思い出深く拝見させていただきました。ありがとうございました😊
いつも貴重な映像をありがとうございます
集落が消えたり道が消えたり…流石にすごいですね
三股から帯広に抜けられるバスがあるだけでも凄いと思ってしまうほど
昨年、個人的にパートナーと共に路線巡りしました。タウシュベツ川橋梁が1番の目的でしたが、十勝三股の風景には愕然としました。
数十年前まで、ここまで列車がやって来ていたとは到底思えない、聞いてはいたがいざ目の当たりにすると、北海道で鉄道を維持することの厳しさを改めて実感した次第でした。
糠平から少し行ったパーキング付近で廃線跡を利用した自転車トロッコに乗れる所があり、そこがパートナーのお気に入りの場所です。また今年もお邪魔できればいいなと思いながらも、今の時柄行けず寂しい限りです。
音更、士幌、幌加の各駅跡はのんびり過ごしてみたい場所でしたね。
自分が幌加駅に行ったのはアーチ橋ツアーでしたが、幌加駅前のかつての盛況ぶりを教えていただきました。(糠平温泉の集落はおよそ70人ほどがいらっしゃるそうです。)
1度だけでなく、何度も行きたい場所ですね。
私の大好きな士幌線を取り上げていただきありがとうございます。士幌線の存在を知ったのは、2010年秋今は廃業したホロカ温泉に宿泊した時、たまたま立ち寄った幌加駅がきっかけでした。その後、タウシュベツ橋梁のことを知り現地にも3回行きました。木材産業が盛んな頃には賑わっていたと思いますが、産業が衰退すると一気に寂しくなってしまいますね。旧士幌駅など、形は違えどここに鉄道が通っていたんだよと、何らかの形で残っていることは素晴らしいと思います。
1983年8月に人生初の一人旅をしたとき、一番印象に残っている線でした。末端区間の代行バス、黒石平と電力所前、道内時刻表にも掲載されなかった新士幌等々
鉄気分を高揚させてくれる唯一無二の路線でしたね。あの時の気持ちにさせてもらいました。ありがとうございます。
現役時に行かれていたんですね。
羨ましいです…
黒石平と電力所前で2駅1役>
勾配のせいなのか正式な旅客駅である黒石平(と言っても無人駅だが)は下り列車しか停車できなかったため、上り列車は隣の糠平との間にある電力所前という名の仮乗降場に停車するという変わった仕組みでした(と言っても正式な駅名ではなく、電力所前仮乗降場も黒石平駅の一員として扱われる)。
最後に路線の北端がバスになっていた糠平~十勝三股間ですが、こちらは民間のバス会社が代行バスを走らせていたわけではなく、正確には地元のタクシー会社というか「上士幌タクシー」さんがマイクロバスを走らせることで対処していたそうです(そのために時刻表等では「糠平~十勝三股間はバスになります」の注意書きが添えられていたそうです)。
末端の代行バスは、小学生の少年1人が唯一の定期客だったと聞いた記憶があります。今は、いい年のおっちゃんになっているのかな。
音更まで残して、本数激増にすれば今も残っていたかも知れませんね。国鉄再建法とその杓子定規な適用には、今も疑問を感じます。函館線の砂川支線と歌志内線、江差線と松前線、胆振線、鍛冶屋線の野村~西脇とか。
そうですね。
帯広~音更は沿線人口が多いのに列車本数が少なすぎて、バスやマイカーに流れてしまいましたからね。
勝田線も博多の隣から別れてるのにやる気なかったバスとの兼ね合いで廃止
待ってました士幌線
北海道は広尾線やこの士幌線、美幸線、深名線といった現役なら乗ってみたい路線が多いから良いですね。
現役時に乗ってみたかった路線がたくさんありますね。
ありがとうございます😊
黒石平駅跡の消失は残念です。電力所前駅跡もすごい所にありますね。熊が出てきそう。
タウシュベツ橋梁、アーチ橋群もいつまでも残っていてほしい。
貴重な動画ありがとうございます。
まさか黒石平付近で国道の付け替えがあるとは思ってもいませんでした…
糠平〜幌加〜十勝三股がバス代行になって4年弱が経過した、'82年8月に士幌線に乗りに行った時に撮った懐かしい写真と見比べながら動画を見ていて、幌加駅、十勝三股駅、と、両駅付近の変わりように驚いています‼️
何もかもが『おっふ…』‼️
逆に変わってないのが、十勝三股バス停の建物で、現在もそのまま残っているのが不思議なくらいです。
当時は鉄道のバス代行輸送(鉄道は休止)扱いだったので、駅舎も含めて、鉄道関係の設備はほぼ全て残っていて、糠平〜幌加間の糠平湖北端付近の音更川を渡る鉄橋(ガーター橋)の(新線)第四音更川橋梁も健在でした。
第四音更川橋梁と言うと、糠平ダム建設に伴う線路付け替え前の旧線のコンクリートのアーチ橋が有名で、ネット上で検索しても、新線の方がなかなか見つからず探すのに苦労しました😅
新線の第四音更川橋梁
ameblo.jp/mikanya000/image-12652678720-14890316231.html
以下の、みかんやさんのブログより引用させて頂きました。
みかんやさんのブログに士幌線関係のいろいろな画像、資料、説明が詳しく掲載されています。
ameblo.jp/mikanya000/entry-12652678720.html
みかんやさんのブログを全部見させて頂きましたが、私が'82年に撮った写真と同じような写真がたくさんあって、とても懐かしかったです。
ひろりんさんとみかんやさんのお二人にとても感謝しております。
何も知らずに寄った鉄道資料館。あれが橋梁に興味をもったきっかけ。タウシュベツの間近にも何回か行った。三股にあった鉄道関係の建物や満開のノボリフジと戯れ登り、ドラマでも使われた幌加温泉にも泊まれた。しかし歳月人を待たず、世の中は変化していってしまうものだ。
木野の街だけが栄えたのかもしれない。
自分はまだ深名線の廃線跡しか見たことがないので、いつか士幌線の跡も巡ってみたいです。特にタウシュベツ川橋梁はこの目で見てみたいですね。
タウシュベツ川橋梁はいいですね~
毎年行っています…
@@hiroring0323
私は関東住みの学生なのですが、なかなか北海道へ行くことが出来ないので、毎年訪問されているのはとても羨ましいです。
次の動画も楽しみにしています。
@@YRP野比
ありがとうございます!
私も学生時代は旅行はほとんど行けませんでした…
@@hiroring0323
今はコロナのせいで旅行に行けていないので、収束したら直ぐにでも行きたいですね。
余計なお世話かもしれませんが、どうかひろりんさんもコロナにはお気をつけ下さい。
いつも楽しみにしてます! 是非、歌志内線もよろしくお願いします!
ありがとうございます!
歌志内線も7月に行ってきたので、そのうち…
ほぼ無人地帯に綺麗に保存されている幌加駅が印象的ですね。ホームまでのアプローチが
完全に原野を突っ切らないと行けそうも無いので季節によってはかなり大変そうですが。
私もリアルポイント切り替えゲームをやってみたいですw
リアルポイント切り替えゲーム楽しいですよw
現地入りした人だけの特権みたいですね
2年前に訪れましたよ、バイクツーリングを兼ねて行きました
保存ホームへは除雪ステーション兼休憩施設から遊歩道で行けます
幌加温泉という秘境温泉もあります。
清水谷駅、集落込みで完全に消滅してますね。すごいです…。
末端区間はバス輸送の為、鉄道車輌では行けない鉄道でしたね。
この士幌線は廃線になっても話題が尽きない路線だと言えるでしょう。
毎度ですが取材、撮影、動画配信ありがとうございます。
所々新し目の駅跡案内板や駅舎自体が残っているので、比較的大事にされているんだなと伝わってきますが、街ごとなくなっていることも多く壮絶ですね。
帯広駅の地下隧道、あのイメージからスッキリしすぎてしまって。
士幌線名物(?)だった、末端の白バスの代行バス。
あれも乗りたかった。
ひろりんさんの、現地に行ってみましょう シリーズ、やみつきです。良い意味で。
士幌線は現役の頃に行ってみたかったです。
同じ思いです。
当時の貧乏学生には、ただ見送るのみ。
1990年頃に十勝三股へ行ったことがあります。
黒曜石とざくろ石の原石を採りに行ったのですが、カフェに立派な原石が飾ってありました。
別の日に上川まで三国峠を超えて行ってみましたが、十勝三股から先はトンネルまで砂利道でした。
上士幌-糠平の山の斜面に線路跡がちらちら見えてスノーシェッドや川に掛かるめがね型の橋の跡などもありましたが、ストリートビューを見ると見当たらなくなっているようです。
糠平の手前には山の斜面にスノーシェッドやアーチ橋も残っているんですが、冬以外だと草木が茂って見えなくなってしまうんですよね。
冬季は通行止めでした。駅前を超えて100-200mくらいですぐ一面の砂利道。走ると砂ぼこりがすごく、床下に返り石がボコボコ当たる音。とても新車では走りたくない道でした。バイクは対向車がまき上げた砂煙の中を延々疾走。三国峠ちかくはあんな立派な橋はなかったので、旧坂、急カーブでスピードを落とさないとお尻を振られました。
いつも貴重な映像ありがとうございます
👍
撮影お疲れさまでした.
うぽつです!
流石に三国峠を越えるだなんて無理難題ですよね、、、
さすがに三国峠を越えて上川までは無理でしたね…
@@hiroring0323 ほんとですね
後半は特に、あこの集落おっふするなと思いながら見てました。案の定ほとんど消えてましたねw
@@あー家
後半はおっふ祭りでしたw
十勝三股。今は何もありませんが、周辺に咲散らかっているルピナスがかつて多くの民家があった事を感じます。繁殖力の強い花なのか季節になると見応えがあるほど。
昔行ったときはルピナスが凄かったです。
ここも夏休みの時三国峠から自転車でダウンヒルして糠平まで行きました。十勝三股から先峠の方にも少し作った跡らしいのはありましたね。
幌加はポイントの端から端まで歩きました。
その間にトロッコ観たいのがあって少し乗り、そのあとタウシュベツ見ようとしたらもう埋まってて見れませんでしたね・・・
糠平は資料館の中に入って少し見てみたら色々あって当時の前面展望もありました、黒石平は国道の付け替えのところだったんですね。
萩ケ丘も清水谷は車からなんとなくでわかりましたけどここまでうっそうとしてるんですね
やはり自転車で行かれましたか!
北海道シリーズ拝見しています。
駅や鉄路が消えてしまった後、それでも農地が残っていることに安堵します。
北海道でも離農する方が多いと聞きますので、集落のみならず農地まで原野になってしまっている光景を見るのは忍びないです。
数年前、糠平温泉に宿泊し、士幌、糠平、幌加、十勝三股の駅跡に行ってきました。
糠平ではトロッコに乗り、三股山荘では美味いコーヒーを飲んでのんびりしてきました。
懐かしい風景です。
いいですね~
士幌~三国峠をバイクで2回走りました。
タウシュベツ橋梁を筆頭に、いくつもの鉄道橋がツーリングをとても印象深いものにしてくれました。
北海道ツーリングで、何度も走りたいルートの一つです。
出ました!真打ち登場ですね。大作を有り難うございます。
いつもながら見ていてなんともいえない気持ちになります。
同じ国鉄末期に羽幌線や湧網線などかなり長い路線が廃止になってますよね。
それにしても大正~昭和初期にこれだけの線路を引いた先人の情熱には頭が下がります。
今は宗谷本線や新幹線開通後の函館本線まで廃止議論が出ていてなんともはやです。
地元民でない元乗り鉄の端くれとしての勝手な言い分ですが、新幹線なんて要らないんですけどね。
道路が整備されていない時代に苦労して敷いた路線が軒並み廃線になっていますからね…
1.5万人おめでとうございます。そして、毎回お疲れ様です。一緒に「おっふ…」言ってます。
全国的に秋の気配となり、沿線の上士幌の今日の最低気温が5.9℃って道内ニュースで言ってました。帯広から糠平に近づくと、こんなところに線路通してたの!っていう発見がいっぱいある士幌線。先人の凄さを感じます。それでも三国峠を越えられなかった…。峠からの十勝側の景色が最高です。
ありがとうございます!
三国峠からの景色は最高ですね~
士幌線は廃線雑誌で一番気になった路線でした。士幌線が今どうなっているのか気になりました。ほとんどが、駅舎も線路もない状態でしたね...。でも以外に保存車両は結構残っているなぁ~と僕的に思いました!
保存された除雪車立派ですね
車内にかつての栄光を感じます
車内を見学できるのがいいですね~
廃止されてからかなり時が経ったあとですが、十勝三股に行って三股山荘で食事をしました。
お店の方からいろいろ話を聞くことができました。
廃止されたあともしばらくは建物は残っていたが、その後すべて取り壊されたような話も聞きました。
休止区間の解体や撤去は遅かったようですね。
駅舎やホームを解体整地した跡地は東屋や遊歩道つきのキレイな公園になりました。私も伺った話では、駅跡敷地を除草した際、SL時代の転車台が出てきて現役時代を彷彿させたそうですが、すぐに何事もなかったのように解体整地され短期間で消えたのだそう。(そんなものが出て来るとは思わず、整備&保存のための予算もあらかじめ計上していなかったのでしょう)。行政のやることはわからんですね。
その公園さえも十分な維持管理ができず、お金だけかけて再び雑草生え放題の荒地に戻ったようです。
@@Su----
16年前に行ったときは東屋や遊歩道があったと記憶しています。いつの間にか無くなっちゃいました…
@@hiroring0323 駅舎は倒壊寸前だったので仕方ないですが、ホーム跡や転車台はうまく活用すれば、タウシュベツ橋梁や幌加駅、森林トロッコとセットで廃線跡観光の起爆剤になり得たかも知れず残念です。
@@Su----
勿体ないですね…
おはようございます。士幌線見所たくさん素敵でしたね(^^♪現役時代も最高の場所だつたですね
何時もありがとうございます(*^^*)
お疲れ様でした
士幌線は見所も多く、大好きな路線です!
帯広在住です。身近にこんな貴重な史跡があることに驚きました。まさに諸行無常だと感じました。作成お疲れ様でした。
帯広もかつては北に士幌線、南に広尾線が分岐していました。
両線とも道内では遺構が比較的多く残されている路線ですね。
@@hiroring0323 現在、帯広に単身赴任で滞在中です。これだけ雄大な平原を走る列車を一度見たかったです。士幌線はタウシュベツ川橋梁跡等、遺構になっても人を惹きつけてくれます。いつか実際に行ってみたいです。ご返信ありがとうございます。
帯広ー士幌間は思った以上に住宅が残っていますね。(遠軽ー名寄もそうですが)とはいえ路線バスに乗ると、帯広市街地を過ぎるとも乗降がほとんどなく・・・北海道の公共交通離れは相当なものかもしれません。ひろりんさんの気持ちが伝わってくる渾身の作品ですね。一番変化の大きいのは動画でもふれられている通り幌加・十勝三股は現在、無人地帯。日本でかつて鉄道が走っていた場所が無人になるとはなかなかないですね。(道北には多少・・・)
やはり地方の移動手段はマイカーですからね…
音更辺りまでは結構道も混むんですよね。
解像度が低いので今回は使用しませんでしたが、1972年の航空写真を見ると幌加も十勝三股もそこそこの規模の街があったんですよね…
いつも渾身の作品をありがとうございます
ひろりんさんの作品で好きな点は、
旧)■当時の航空写真
新)■現在の航空写真
この新旧比較と現在地訪問です。
大変なご苦労が存在するとは思います。
くれぐれも無理をなさらずに。
いつもありがとうございます!
編集お疲れ様です。。。
北海道の線路は廃線になる前に制覇しておきたいですね。。。
廃線になりそうな路線がいくつかありますからね…
懐かしいですね、上士幌町出身です、各駅思いだしますね、友達の親が国鉄マンで官舎よく遊びにいったなぁ、士幌線ラストランには車で帯広まで一緒に走っていきました😊
それから数年して自分も十勝離れてしまいましたが…
上士幌、黒石平、糠平には電源開発の官舎もありそこにも友達すんでたなぁ、あの頃は営林署も沢山人がいた思い出が、古き良き時代だったのかも😊
当時と比べると沿線は随分変わってしまいましたね…
人口かなり減りましたからね、9000から5000くらいまででも最近何十年ぶりかで増えたと役場にいる同級生言ってましたよ😅
士幌線は最終日に乗りに行きました
その頃はまだ十勝三股駅構内の鉄道施設は残っていたと記憶してます
取材、編集お疲れ様でした。
今回もナイスおっふでした。ある意味北海道らしい廃線跡ですよね。
いつも思うのですが、鉄道が廃線になった後、駅前や周辺に住んでいた方達はどこへ行ったのでしょう?建物や廃屋があるということはその土地を所有されているはずなんですが…
近くの大きな町に行ったのではないかと
他の過疎化地域もそんな感じのはずだし
たまたまオススメで出て来まして初めて観ましたが、おっふで笑ってしまいました(笑)
自分の故郷の過去の航空写真を見て、そういえば跨線橋あったなぁ~とか
踏切を渡った子供の頃の記憶が甦って来ました、ありがとうございます。
やっぱり車移動がメインになりがちで最後に汽車に乗ったのは
高校時代で廃止寸前の広尾線でしたね~もっと乗っておけばなんて思いました。
航空写真で比較してみると沿線も随分変わりましたね。
おっふになってしまった場所も…
幌加駅は度々テレビの鉄道番組でも紹介されてますよね。六角精児さん、中井精也さんイレギュラーの火野正平さんなど。
確か、十勝三又駅跡辺りに現在は喫茶店があり鉄道に関係するものが飾られているとテレビ見て記憶しています。
幻になりつつあるタウシュベツ川橋梁も今のうちにその姿を収めておきたいですよね。
その喫茶店(三股山荘)の創業者が、かつて代行バスの運転手や、十勝三股発の国鉄きっぷ委託販売所の商店をされていた方です。
良き良き🙌🙌
ありがとうございます!
満を持しての士幌線ですね!我が故郷の十勝の路線です!
帯広駅が地上駅時代は6番線までありましたが、高架駅になって4番線までになったのは、士幌線と広尾線の配線の影響でしょうね!
十勝川越えたらすぐの音更町木野は下手な帯広市内より、帯広市街地近く廃線当時も人口増加中だったのに、何故棒線駅だったんだろう…。
音更町は北海道で1番人口のいる町なだけに、少しがんばれば、音更高校の最寄りになる駒場駅まで何とかなったはず、今の余市ー小樽より営業成績は良かったでしょうね!
下手したら上士幌までなら残しても、留萌本線より営業成績良かったかもしれないです。
除雪費も日本海側の留萌本線より太平洋側の士幌線の方が圧倒的に除雪回数が少ないので、だいぶ少なく済んだと思うのですが…。
国道が綺麗に整備されているので、車が一番楽な移動手段になりますが、他の廃線路線より残す価値はあった路線だと思います!
広尾線楽しみにお待ちしております。
広尾線もそのうちやります。
上士幌町ってタウシュベツとかモニュメント的なものが多く、割と財政が潤ってる自治体なのかな、っていつも思います。ちなみに自分の上士幌町のイメージはナイタイ高原牧場です
上士幌町は毎年ふるさと納税では上位にきていますね。
士幌線って上川まで繋がる計画だったんですね、無謀?壮大?すぎる計画ですが当時の日本はパワーに満ちていたんですね。
糠平から十勝三俣が代行バスになってしまったこと、子供時代の記憶に残っております。
ありし日の士幌線が思い浮かぶ素敵な動画ありがとうございます。
無謀すぎる計画だったので、さすがに着工はされなかったようですが…
北海道の廃線は「敗戦」とも書ける…。
北海道の廃線でも、現在でも市街地の大きいエリアが、多いですね。終盤は、行くのがキツイところが多そうで、ホントおつかれさまでした。。。
音更町辺りまでは廃線後も人口が増えていますからね。
旧士幌線の区間を道北バスの「ノースライナー号」(三国峠経由)で乗り通すことができます。
一応というか、念のためというか、五の沢、幌加温泉入口、十勝三股に停留所が設置されていますが、当然ながら乗降は皆無!!
以前は道北バスのほか、十勝バス・北海道拓殖バスが運行していましたが、空気輸送しているだけだからなのか、道北バスのみの運行になっています。
東京在住のオッサン、1978年からバイクで北海道を走って、現在は車で北海道を走ってます。萩ヶ岡にカブトムシという民宿があったのですが、現在は簡易郵便局になってました。1978年十勝三叉駅には、駅舎・ホーム・複数の線路・転車台・給水塔が残ってました、ここから三国峠へは、深い砂利道国道だったので、バイクで三国峠を越えるのはやめました。北海道は少し大きな街を外れると、廃線・廃駅、廃校、廃屋ばかりで、人口空白地帯が増えて寂しいです。
北海道は随分寂しくなりましたね…
私が通っていた小学校のグランドのすぐ横を士幌線が通っていて授業中に汽車に向かって手をふっていたのがなつかしい思い出です。
いまではその場所に士幌線が通っていたことを知っている人も少なくなってきました。
士幌駅。本当に大切に保存されていてありがたいですよね。
糠平駅より先は残念ながら列車に乗ったことがなくて映像を見て乗った気分になりました。
いつもありがとうございます(*´∀`*)
汽車という表現方法に
道民を感じました
この路線は帯広から上士幌ぐらいまでなら辛うじて残せそうな雰囲気はありますね
それでも廃止は免れないと思いますが
バス代行された糠平~十勝三股間は鉄道時代の末期に営業係数22500という数値を叩き出したらしいですが、それでも芸備線の備後落合~東城間には及ばないと
十勝三俣に最後に到着した汽車に乗りました。記念に駅に貼ってあったポスターをもらったのを思い出しました。中学までは、糠平スキー場に汽車で通ったのも良い思い出です。1日滑って、帰るときに駅舎のストーブで沸かしているお湯でカップヌードルを食べるのが楽しみでした。懐かしい思い出です。
十勝三股に列車で行かれていたとは…
羨ましいですね~
帯広駅は、広尾線と士幌線が廃止されたばかりで、まだ廃線跡もあり地上駅だった1988年に初めて利用しました。確かに、航空写真にある様にゴチャゴチャした感じがしていました。
旧木野駅や旧音更駅は、帯広のベッドタウン的存在の駅だったのですが、動画の中でも触れている様に列車の本数が少なければ自家用車等に流れてしまいますね。跡地も、早い時期に住宅地へ転換されてしまったのだろうと思います。展示車両も、雪が多い北海道ですから、こうして屋根を架けて欲しいところですが、今度はその屋根の雪下ろしをしなければならないというジレンマも生じます。
旧武儀駅跡から北は、町の中心部でなければ駅跡も廃線跡も容易には辿れなくなっていると思います。
旧萩ヶ岡駅跡は、この近く(といっても、相当歩きます)に親戚が住んでいます。1988年秋には廃止から1年ちょっとということで駅舎も廃線跡もありましたが、その後1993年に訪れた時にはもう何処に駅舎があったのか分からなくなっていました。
家族旅行で初めて北海道を訪れたのは1977年の夏ですが、函館から上陸した後、札幌の親戚に泊まりました。その翌々日、萩ヶ岡の親戚で法要があるということで向かったのですが、当時小2の妹は、札幌の親戚のおばさんと別行動でこの駅を利用しているはずです。当時はまだ石勝線が開通していませんでしたから、札幌から根室本線経由だったと思います。因みに妹以外の5人(両親と伯父と当時小4の私と2歳の弟)は、日高から国道237号線・274号線を経由して十勝平野に入り(国道274号線の札幌方面は未開通)、まだ現役だった愛国駅へ行っています(お目当ては「愛国から幸福への切符)。
ここから北は、さらに廃線跡を辿るのも難しくなり、よほど好きな人でないと足を踏み入れることはないでしょう。特に夏場はヒグマに襲われるという危険性もありますし。
旧糠平駅跡はトロッコが運行されていますが、廃線跡を北へ辿れば温泉街へ行くこともできます。ただ、夏場でもどことなく異様な雰囲気を感じますが。
ここから廃線跡に沿う様に国道273号線が通っていますが、私が初めて訪れた1977年は未舗装でした。旧幌加駅跡は別の機会に訪れていますが、ポイント切り替え機は錆びていて動かなかった気がします。
旧十勝三股駅跡は、言われなければここに線路が通っていたと思わないでしょうね。全線廃止に先立って糠平とここの間が「バス代行」となりましたが、実際にはタクシーでも空席が出る程の閑散さだったみたいです。
お~~~ぉ 大好きな未乗の士幌線!!!
まだ見ていません、のちほど拝見させていただきます!!
今夜の楽しみにしておきます^^
いつもありがとうございます。
士幌駅はすごい綺麗な状態で保存されていてびっくりしました
今のうちに北海道の色々な地域の駅に行きたいと思います
士幌駅の保存状態は良いですね~
北海道には素敵な駅跡がいくつもあるので、是非っ!
士幌駅舎はホームもですが、綺麗に保存されていますね、そこだけが時が止まっているかのように感じます。
廃線から40年近くはたっているようには見えませんね。
これからも大事に保存していただきたいです。
士幌駅舎はいいですよね~
@@hiroring0323最近は 鉄筋コンクリートの駅舎が多いと思いますが、士幌駅のような木造駅舎や、東京駅のようなレンガ等で出来ている駅舎の方が個人的には好きです。
先月、全駅を巡り、草深かった黒石平以外は映像の遺構や駅跡を確認してきました。あと糠平から幌加までの橋梁群も。
さりげなく遺構が保存されている幌加駅が自分のお気に入りで、廃線巡りを始めたきっかけでした。
訪れた時は糠平湖は満水で、タウシュベツ橋はもちろん、それに繋がる旧線路跡や旧糠平駅(移転前)などは全く判りませんでした。
私も幌加駅跡は大好きです!
20年ちょっと前にバイクツーリングでR273を北上し三国峠越えて旭川まで走ったんですけど、当時は鉄道に関する関心も知識もなく、一気に通り過ぎてしまいました。かすかに十勝三股付近は記憶があるかな?(三股山荘が突然ぽつっと視界に入った感じ)…知識があればタウシュベツ橋梁展望くらいはしたのに。残念なことをしました。
20年以上前だとタウシュベツ川橋梁までの林道も自由に通行できましたからね。(現在は事前予約が必要で1日10組限定)
やっぱり北海道の荒廃のした方が凄まじい
士幌線には,1983年と廃止直前に乗りました。
上士幌駅を境に,大きく景色が変わる路線で,逆に言えば上士幌駅までは工夫次第で残せたのではと思えてならないところです。(今も十勝バスが結構な本数走っていますよね)
逆に幌加や十勝三股は,当時からかなり寂しいものがあり,バス代行でもやむを得ないのかなと感じていました。
ちなみに1983年の乗車当時,代行バスの「幌加温泉入口」で下車をして,宿の送迎で幌加温泉に泊まりました。それもまた,懐かしい思い出です。
私はスマホ変える前に調べた時は士幌線とか知らなかったので、当時の駅舎とか廃線跡見たら寂しい感じがします。広島だと可部線もそうですが、非電化区間は廃線なったものの、かつての橋梁とかは残ってます。未成線もあり、当時工事してたであろうトンネルも残ってます。こういうの見るとなんか知りたくなりますね👍
士幌駅の駅標
正に昭和な雰囲気
これ好きなんですよね。
また、十勝三股駅のホームが残っていた頃に行ました!
幌加駅が、あんなに残っていたなんて、知りませんでした。
幌加と言えは、温泉しかありませんけどね(笑)
幌加と言えば温泉ですね~
@@hiroring0323 その温泉も1軒『幌加温泉旅館』は廃業し、もう一軒『鹿の谷』も食事提供なしにに代わり、風前の灯ですね。道内で残された数少ない混浴浴槽付きの秘湯です。国鉄代行バス時代には「幌加温泉入口」というバス停がありましたが、冬場だと30分近く歩いたような気がします。
十勝三股駅北西の山奥にある野湯露天風呂『岩間温泉』も数年前の水害で流され崩壊したままのようです。
良くも悪くも、デラおっふ祭り♪♪♪
車掌車に入れるの、初めて見たし、線路のポイント切り替えが動的保存されてるの、凄いすね!
鉄民なら30分は時間潰せそぉwww
またいつかタウシュベツ見に行くついでに寄ってみます♪♪♪
個人的には岐阜県出身なんで、武儀が気になりましたねw
そこは新十津川に倣って新武儀にはしなかったんすね♪
今回も超大作でしたね☆
お疲れちゃんでした(^o^)/
幌加駅に行くといつもポイント切り替えして遊んでしまいます。
お疲れ様。数年前、ノースライナーで層雲峡から帯広に向かいましたが、上士幌からは、帯広のベッドタウンという感じでしたねぇ。
糠平あたりだと、温泉が無ければ自然に帰りますなぁ。
糠平の旅館もだいぶ減りましたしね…
高校1〜2年生の時期、音更〜帯広を利用してました。当時の帯広駅は地下にも改札口がありましたね。確か2階は喫茶店やゲームセンターみたいな所もありました。音更駅の跡地に行った時はちょっと寂しく感じました。
仮停車場駅の記憶が無いです
でも糠平から帯広までの駅は覚えてます
上士幌町出身なので駅の北側にあった跨線橋渡って汽車に乗ってました
糠平方面は今もちらほら残っているのか山の斜面にあった覆道?半トンネル?がしばらく見えていたんですよね
所々いまだに線路の盛土跡が残っている所もあって 「あぁ…そうだ…ここ走っていたんだよなぁ…」と思うことが有ります
👍️
北海道は広大な土地のわりに人口が少ないのでこのようなことになるのは仕方が無い事ですが鉄道ファンとしてとてもさみしい限りです明治になって土地を開拓してその住民のために鉄道が敷設される炭鉱がなくなって人口が減る=乗車人数も減る 赤字になる 経営ができなくなり廃止する当然の成り行きなのでしょうがとても寂しい気持ちになります
UPありがとうございました
初めてコメントさせていただきます。北海道の様々な動画を拝見しました。思ったことがあります。この地域(十勝)の廃線跡は、特異ですね。士幌線や広尾線。他の全道は、ほぼ壊滅か著しく衰退しているのに。素人考えなのですが、これはもしかするとうまく運用すれば、この2つの路線は維持出来たかもしれません(士幌線は帯広〜上士幌)。また、路線が不便すぎるのは、早い時点で投資して改善を計る。そうすれば、発展場所
もある現在、僅かでもプラスに転じたかもと。ふっと、そう思いました。最後に、毎回、苦労が絶えないと思いますが、これからも、無理せずに頑張ってください。できる限り拝見させていただきます。
士幌線沿線だと音更町は廃線後に人口が増えていますからね。列車本数が少な過ぎて、使い物にならなかった感がありますね。
広尾線は廃線後にほぼ同じルートで帯広広尾道が出来ていますし…
@@hiroring0323 今となっては結果論ですけどね。。あの国鉄末期の時代に、現在のイノベーションを求めるのは難しかったかもしれませんが。もったいなく感じます。何か、北海道はJRやバス、自治体がそれぞれ別の考えや動きをしているような気がしてならないのです。それぞれ単体では限界があります。もう、全てが一体となりこの大きな課題に立ち向かっていかないと、多くの方が予測されているように未来は衰退だけが残るということに。。
11:38 こんなボロッボロのヘキサゴンあるのか…
北海道だともっとボロいやつも…
音更駅 ああった 前には 音更農協があった 今でもその 音更農協は 少し大きくなって残っているね 昔はその音更農協の二階の食堂に 私のいとこの叔父が 音更農協の食堂をやっていたから よく食べに行ったよ その おじは 音更 駅から歩いて 興奮の線路沿いの 住宅に住んでいた だからよく覚えているよ 今はあのあたり しっかり整備されて綺麗になっちゃってるよね しかしあの当時に比べれば 少し 音更の町 寂しくなった気がするよな スーパーや商店があったけど 音更の街に 個人商店やスーパーが亡くなったのは悲しいね 寂しくなったよ
まあ言い出したらあれもこれもですが、士幌線は現役の頃乗りたかったなぁ。
よくもまあ線路を敷きましたね。
私も士幌線は乗りたかった路線ですね。
休止中の十勝三股駅に行ってみたかったです。
三股山荘というお店は調べるととても評価が高いのですね。このアクセスの悪い場所で今でも営業が成り立っているのは凄いですね。
あの立地ですからね…
代行バスのドライバーが三股山荘のご主人(故人)だったそうです。今は奥さんと娘さんが引き継いで営業中です! 通学定期の小学生は、お店で御本人に確認してください!
👍
士幌線はタウシュベツ川橋梁が有名ですが、糠平から十勝三股までまだたくさんの橋梁、陸橋が残っています。冬季間から木の新芽が出るまでが見ごろですよ。
士幌線末端の橋梁も巡ってみたいですね…
やっぱり帯広市・音更町内と士幌町・上士幌町内の沿線は発展具合が逆転してるな・・・
そうですね。
音更町は廃線後にかなり人口が増えていますしね…
関係ある仕事をしていたので分かりますが
木野は帯広市内、音更はちょっと離れたベッドタウンでいいところだと思います
上士幌町は、ふるさと納税でも大人気、家族ぐるみでの北海道への移住の地として人気があって、税収も急上昇してますからね。
たしかに。上士幌までは、日に17往復、帯広からのバスがありますが、糠平となると日に4往復。
モータリゼーションのお陰ですねぇ。
武儀駅跡の道路の僅かな盛り上がりが線路の踏切跡なのでしょうか?
気付きましたか!
多分そうだと思います。
実は1度だけ地上駅時代の帯広駅を利用した事が・・・・・・・・・
私は無いんですよね…
@@hiroring0323 スーパーとかち7両編成・・・・・・・・・
動画とは関係ないですが先日鵡川駅から大狩部駅跡までサイクリングしてきました!
途中で所々見られる遺構もすごかったですが、ぐにゃぐにゃに曲がった大狩部駅周辺の線路には圧倒されました。
訪問当日は天候があまり良くなく波が線路まで飛沫を上げていて廃線になったのも納得だと感じました…
サイクリングいいですね~
やはり大狩部駅付近の線路は凄まじいですよね…
元士幌線はヒロリンさん程ではありませんけど並行する国道を使い追跡調査した事はあります。その頃には既に道路や農地に化けていて跡形も無くなってました。山間部は多少残ってますが廃線になってから随分経てますからいずれは自然に還るのでしょうね。
かなり旧い話ですが、ジャーナルで士幌線の休止区間の写真見た時は言葉が出ませんでしたね。
廃止対象路線を特集した記事でしたが。
私も子供の頃に休止中の十勝三股駅の写真を見たときは衝撃でした…
ひろりんさんのシリーズ動画に触発されて「国鉄監修交通公社の時刻表 1977年12月号 ¥450」をネット購入してしまいました。士幌線は日に5.5往復、その下の白糠線は3往復等々。利用者の減少そして廃線は避けられなかったのですね。
昔の時刻表は見ていて楽しいですよね…
北海道のローカル線の本数は…
帯広って民家が多いなぁと思って人口調べたら16万人。けっこう大きな町なんですね。
そんなに住みやすい街なのでしょうか。
十勝の平野部は北海道の中では温暖な気候ですから、住みやすいかも知れませんね。
隣の音更町と市街地が続いていて、こちらも4万人以上の人口があります。
いつも良い動画ありがとうございます。
道内では観光客のヒグマ被害がとにかく多く、人が食べられることもありますのでご注意ください!
特に茂みからはクマが突然来ますよ!
クマには気を付けないとですね…
帯広、音更、士幌辺りはまだしも、そこら辺にクマ居そうなのでご注意くださいませ…
羆出没地帯なので、気を付けます!
帯広駅が変わりすぎてすごい。
南側にビルや大型ショッピングセンターも増えたけど、それらが建ってる場所に昔広尾線が走っていたとは…。
ちょっと想像できないですね。
北側も高架化と分岐路線廃止でこれだけ変わるのか…。
昔の北海道第4は釧路、今は帯広…。
(ぶっちゃけ帯広の変化を見たくてこの動画を見に来たとは言えないよ…)
帯広は変わりすぎですね…
新士幌は士幌と中士幌の駅名標にも無視されてますね
道内時刻表にも載らず
種村直樹氏が本に書くまで鉄道ファンも存在を知らなかった
道内時刻表にも載らない仮乗降場がいくつかありましたね。
士幌線は今でも忘れられない存在感な旧国鉄ローカル線です。
1978年秋頃かな? 糠平 ↔ 十勝三股間に措ける代行バス🚌運行区間は今でも重要な存在感ですね。
廃止にならず代行バスと言うのが、珍しかったですね。
@@hiroring0323 当時は「旅客が黒字級に盛り返せば復活!」という触れ込みでしたからねー。
3年前に行きました。幌加駅跡と、タウシュベツ橋梁を望む展望台、大型哺乳類と鉢合わせすることを
恐れながら訪れた記憶があります。ありがとうございました。
末端部は大型哺乳類との鉢合わせの恐怖がありますね…