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汽車会社で窓ガラスはめてるの僕のおじいちゃんですビックリしました貴重な写真ありますよ
「鉄道ピクトリアル」昭和35年12月号に石井幸孝氏(国鉄臨時車両設計事務所技師)による「ディーゼル特急はつかり登場」の記事があり、この動画の解説もあります。19:47の走行中の撮影は「川越線でロケを行い、先頭車の前に(ヨ)を連結して撮影」とあります。そして「9月18日に試運転兼ロケーション列車が、エキストラを満載して上野駅をたち」「途中1,2等車、食堂車の撮影が行われた」「金田一駅では、臨時蒸気列車を仕立て、追い越すシーンの撮影・・・」「浅虫海岸、青森駅と好天に恵まれた・・」そして「連絡船(青函)をバックに青森駅に入構するはつかりに、海を渡ってこれからますます発展するディーゼル特急を暗示して結んでいる」と記しています。
エンジン関係は問題があったにしても、接客設備は当時としては抜群のグレードだったのでしょうね
超貴重な映像ですね。キハ81の再末期、くろしおに1両だけ組み込まれていた頃、ギリギリ乗ることが出来ました。売店が懐かしい。(涙)
昭和の薫り、プンプン。古き良き時代ですね。
この当時のVTRは好きだなぁ。ナレーションとかBGMとか。あと、フイルム映像も。
ナレーション、渋いなと思ったけど森本さんの声かな?かなり若いけど
キハ81が京都の鉄道博物館に残される価値のある車両とわかる映像ですね。
そうですね 実際の活躍しました先頭車で最後は南紀方面のくろしお号として活躍しましたね🎵
@@山県新之助 キハ81 3号車が京都鉄道博物館内1階フロアに静態保存扱いで展示されています。車籍こそないものの、これがキハ81形として現存する虎の子の1両ですが、同博物館側の取り決めにより車内への立ち入りはできないようになっています。
@@rhscm989 さんそりゃ、準鉄道記念物ですから。
@@たま寿限無 こんばんは。但し「月光」「つばめ」等の運用実績があるクハネ581などは、同博物館側の取り決めで「一定期間限定」を条件に特別に内部を公開しており(詳しくは同博物館公式HPでご確認下さい)、その時に限りまして車内への立ち入りを認めています(但し車内にはいくつもの注意書きが掲示されている)。
@@rhscm989 さん状態とかの総合判断とかでしょうね。
6分8秒の映像は旧千葉気動車区かな?現在は高架複々線化され気動車区位置だった部分は黒砂信号所なっております。内房・外房線方面から総武本線・成田線方面の列車に使い回しで折り返しに使用する事があります。
06:40「液体式」今までこの意味が全然わかりませんでした。今回の説明で仕組みを初めて見ました。
この動画、大好きです。なので、たまーに、もう一度見たくなるんです。
10:08からのトルクコンバーターの仕組みの動画、本当に解りやすくてありがたい
懐かしいの一言。千葉気動車区の側線が少ないので初期のころですね。大網のスイッチバックも今はありません。ブルーの旧塗装から赤の塗装に変わるところですね。さすが石井先生ありがとうございました。
車掌さんが、ユニットクーラーの調節を、何回も車両を歩きながら手動でしていた・・それにしても、乗客が信じられないぐらい、多いよなぁ・・・
はつかりは、堺市鳳にあった工場でも作られていました。私は、堺市西町で生まれて育ちました。育った長屋から鳳駅に歩いて行くには、羽衣線に作ってあった私設の踏切?を渡って、土手を上がって鳳駅に向かう道に出るのが便利でした。その私設の踏切の当たりの引き込み線には、貨物が駐まっていたり、出来立てのはつかりなどの列車が駐まっていたりしました。よく貨物の最後尾につないであった車掌車(?)に勝手に入り込んだりしたものです。なつかしいですね!
それでか最終運用が紀勢線だった
帝國車輛ね
この時代の車両がちょっと前まで走ってたんだから驚きだ
国鉄時代は、何かと労使紛争で叩かれていたが改めて見ると、国鉄技術陣は優秀だわ!
トルコンのメカニズムが良く分かる動画ですね
キハ81登場時は、初期故障が多発していたようで、"はつかり"ではなく"がっかり"だと揶揄されていましたね
一等車にお母様と乗れる坊やは裕福なお家柄なのでしょうね😊
義叔父がこの番組の再放送を、録画して送ってくれました。誰がなんと言おうと、キハ81が気動車で1番好きーーーィ‼️
あの時代の鉄道業界は覇気がありましたね!
蒸気機関車の冷遇の時代へ!
このキハ81系に限り、食堂車は動力なしのキサシ80が採用されていましたが、後継の改良型キハ82系では動力ありのキシ80が採用されました。また、北海道のすべてのキハ82系を用いる特急には必ず食堂車が連結されていたのも最大の特徴でした。
このキサシ80の存在が「はつかりがっかり事故ばっかり」の原因の1つに・・・。だからパワー不足を解消しようと動力ありのキシ80に変更したわけですね。
のちの181系もなぜかキサシ。EF71のお世話に。カトーの81系持ってたのに、EF71との連結やりたくてトミックスの81系も買ってしまった。
@@tydeentetuota5514 さん181系の食堂車が、キシではなくキサシだったのは、エンジンの高馬力化によって編成当たりの重量が重くなる事を避けたのでは?
キシはキッチンの水タンクの搭載場所が足りず、テーブル一つ分削減する必要があったとか。当時の気動車はいかに動力を確保するかに四苦八苦していたようですね。181系がキサシだったのは食堂車廃止までの繋ぎ的な位置付けで動力を省略されたのかも?
いい時代。貴重な映像ですね。
トルコンの仕組みをコレで理解した。凄く分かり易いと思う
そして2010年代、昭和から変わった平成も終わるかくらい、電気部門の目まぐるしい発展(とりわけ蓄電池とVVVFインバーター)により電気式気動車(ハイブリッド式気動車)の復権やそもそもディーゼルエンジン積んでない蓄電車の誕生が起こるとはこの時誰が予想していたのだろうか…
岩波の鉄道記録映画大好きです!適度な演出や脚色もねw特に音楽もヤバイwww イッチャッてるwww
冒頭の駅通過時のタブレット交換、あんな感じで引っ掛けていたんですね高速でガツーン!!てな感じで今じゃ考えられない方法ですね
タバコが、普通に車内販売されていた時代、ピースやハイライトが主要なめいがらだったんですね。まだ、セブンスターや、マイルドセブンは発売される前の時代ですね。
21世紀の今日、電気式ディーゼルカーは、VVVFインバータと交流モーターで軽量化され、液体式に勝る性能となっている筈。
@keikyuspirits of simens kyoichi 事故続出前の北斗が長く在来線最速でしたね。
蒸気機関車が旧型国電がーとか言う鉄道ファン、カルダン駆動に負けていることを知って少しでもその考えただした方がいいよ。103系電車に73系電車が置き換えられてそんなに悔しいのですか?カルダン駆動に負けたおいぼれ吊り掛け駆動の最後の姿見てみ。
HC85系ってこの動画の電気式のディーゼルカーですよね?最高速度が120㎞/hでまだ勝てないそうですね。
この時代のバスは、やはりダブルクラッチですね。
シンクロ(メッシュ)なかったからなぁ~( ̄~ ̄;)
日本の技術革新の一つにトルクコンバータの開発がありました。これが成功してなかったら、ディーゼルカーの躍進はおろか、自動車のAT車やハイブリッド車の登場はなかったかとも思われます。液体変速式気動車の開発はそれだけ重要な功績を担ったんですよね。ただ1つ誤算だったのは、変速運転時のエンジン負荷で過熱現象が多発したこと(エンジンの冷却問題)で、これが非電化区間のスピードアップの足枷になってしまったことです。直動大馬力エンジン開発、エンジン冷却方法の試行錯誤とともに変速機を改良して初めてスピードアップが実施されたのは国鉄分割民営化前後で、それまで開発に時間がかかってしまいました。
そうでしょうね。何しろギアミッションではいちいちギアのかみ合わせ方を変えなきゃならなかったのだから、とても苦労する構造でしたからね。
自動車へのトルコン搭載は米国は1940年代からやってたと思いますよ。日産もトヨタも海外からBWなどからライセンス買ってやってたと思います。日本って周辺技術は得意だが、革新技術って点は昔から弱いと思う。
自分の親が若い時代の映像だが映る景色の何と美しい事。開発と自然の調和が程よくみえる、この後経済成長とともに日本の景観が変わってしまうんだね、車両もステンレスにデジタル表示、ラッピング車両など本来の風景にはマッチしてないように思える。亡くなった祖父さんは満鉄の建設に行った人だが、その世代には鉄道自体が最新の未来の乗り物だったんだろうなあ。諸行無常です。
最後に出てきた青函連絡船ですが、まるで第一次世界大戦前の大西洋横断客船のような形してましたね。すごい!
いやあ、あれは洞爺丸型ですね。機関が蒸気スチームタービンで、その後のジーゼル機関の連絡船より静かでスムーズ立ったようです。洞爺丸で蒸気機関だと海水をかぶると止まってしまうという欠点が露呈し、ジーゼルに代わってしまったそうです。
ディーゼル列車のにおいが好き。
日本におけるディーゼル特急の歴史はこのキハ81系から始まったのですね。もちろん今のキハ261系「スーパー北斗」が活躍中なのもあの車両のおかげですね。3:50の車両は、さいたま市の鉄道博物館に保存されていますよ。
何気に総天然色映像ですね。
でも、トルクコンバーターに関する解説は本当に勉強になります。
凄く貴重な映像ありがとうございます房総東線の映像に一瞬、昔すんでいた家が写ってました。凄いなありがとうございます。
6:22のあたりの映像は大網駅?、12:08のあたりの映像は上総一ノ宮でしょうかね?
0622辺りの映像は大網駅だと思います。蘇我駅は分岐部分に大きな有人踏み切りがありましたし、房総西線は単線ではなかったのです新小岩操車場所属のD51が牽引する貨物列車が走る貨物線と側線が複数あったので線路が何本もありましたさらに川崎製鉄の社宅がびっしりと建ち並んでいました。蘇我駅付近には水田などの農地はありませんでした。千葉駅から蘇我駅は房総東線の所属なのに房総東線が支線みたいでした。DC時代の急行うち房と急行そと房の併結列車もうち房が遅れることが多く、そと房は蘇我駅構内にいれてもらえず延々と踏み切り手前で待たされました1208 付近の駅ですが これは大原駅です大原駅に浪花駅方向から進入する上り列車です近年古くなった跨線橋を付け替えてしまったのですが割りと最近まで三門よりに昔の跨線橋が残っていました。駅の雰囲気も残っていましたよ。
@@rom8880 ありがとうございます。大原駅だったんですね。ホームの配線が上総一ノ宮ぽかったのですが勘違いしました。蘇我駅は今でこそ外房線も内房線も平等な配線ですが、仰る通りかつては内房線が主で外房線が副の配線でしたね。内房線(房総西線)の上りは1番線にも2番線にも名入れるのに、外房線(房総東線)上りは2番線にしか入れないような配線でしたからね。
お役に立ててよかったです蘇我駅の構内配線も懐かしいですね大原駅付近の映像には昔すんでた家がちょっと写っていましたので確信が持てます。昔の上総一ノ宮は海側には側線がなかったと思います。(今もないですが)昔の大原駅1番線ホームは木原線運輸区の建物くらいまでの短めのホームだったと記憶してます。2、3番線も今に比べれば短いですけど大昔なので記憶が補正されているかもしれませんが岩波映画が製作した映画でおそらく同時期に作られた物にキハ17をメインに扱ったものがあり少しだけ大原駅構内が出てきます以前はUA-camにあったのですが削除されてしまったようです。
@@moguro1121 成東駅です。画面左が総武本線銚子方面、右が東金線大網方面です。
当時の機材を考えたら、良く撮ってある。。しかし、上野の駅名標は主張するなあ。。。🍀
北の玄関口ですからね、新幹線が出来るまでは面白かったのに…(私は平成生まれですが本などで読み楽しんでました)
尻内! 今の八戸ですね。 いやあ、タイムマシンがあったら、その時代に行って乗ってみたい列車だ。
最後に出てくる青函連絡船は4本煙突の洞爺丸型ですね。石炭焚き蒸気タービン(もしかすると洞爺丸事故の後、重油焚きに変更されていたかもしれませんが)時代のカラー映像はけっこう貴重なのではないでしょうか。
洞爺丸事故以後も缶の方式は変わっておらず、車両積み込み口に水密扉が付けられました。代わりに、津軽丸型への置き換えが急がれたのです。
なんていい時代なんだ
当時の設計思想がよくわかるいい映像でした!
12:37 急行アルプスがディーゼルカーで運行されていたのを初めて知りました。
その急行アルプスに併結して新宿から直通運転をするため、富士急行は自社線が電化されてるのにキハ58と同型の気動車を導入しましたそれが現在和歌山県の有田川鉄道公園で保存されてるキハ58003です
81系くろしお 働きはじめたので一度乗らなければと思いつつ乗車することもなくさよならしてしまいました。天王寺〜名古屋間乗ればよかったです 残念!
Amazing to see how advanced Japan was all those years ago.
いやいやいや、ご存知だとは思いますが「メイド喫茶」じゃなくて日本食堂の制服ですよ。
最近、千葉テレビで木下恵介アワー「二人の星」が再放送されてましたが、仙台~平(現在はいわき)が舞台であったのでキハ81「はつかり」のシーンがありました。
是れ日本映画専門チャンネルで今後放送でっせ。CSで見られるの感動。
ディーゼル特急で一番最初に思い出すのは「あさしお」かな?山陰線を走っていたのが印象的だった!今の特急「きのさき」は園部に停まるが「あさしお」は通過していたなぁ!
ディーゼル特急「あさしお」「はまかぜ」は1982年7月から従前までのキハ82系から、「やくも」の381系電車化により余剰となったキハ181系に置き換えられ、最終的に「あさしお」運用としては1996年3月まで、「はまかぜ」運用としては2010年11月までそれぞれ継続しました。なお、園部にすべての特急列車が停車するようになったのは、2004年10月からのことでした(それまでは時間帯並びに列車を選び抜いて停車していた)。
非電化単線時代の東北本線 今から考えると隔世の感がありますね
自分の親は東北本線の特急(上野~仙台)に乗ったことあると言ってました。親が小学生の時だから1980年代前半だけど、この時もまだ非電化単線区間があったらしいですね。
151系のデビュで路線格差が歴然としましたが、電化が遅れた東北エリア向けの特急気動車でしたが、キハ81は故障が多かった為に増備せずにキハ82が誕生しました。分割併合が可能な構造は重宝されました!画像のディーゼルエンジンはDM17と云うエンジンでキハ40系もこの系統を踏襲したものです!
これはDMH17、キハ40はDMF15です。
特急の分割併合はいま思えば割とびっくりな(まだ九州でもしてますが)運行形態だなと思ってまして、その中でもいちばんびっくりしたのが、特急白鳥に大阪と上野・青森とを結ぶ編成を直江津で増解結していたことがわずか4年のうちだけあったということでした。
今でこそドイツに迫る日本の工業力ですが、当時は開発途上で、300馬力以上のディーゼル機関が作れなかった、と言う工業力は、今の人には理解できないと思います。そんな中で占領政策制限から解放されて早く造り上げよう、と言う国鉄の意気込みは凄いものがうかがえます。その中でキハ81編成は、試作編成として3編成だけが造られ「はつかり」として運用されましたが、複雑な構造上初期故障が多く、現場の方々は大変苦労されたと思います。ですが、このご苦労があればこそ、改良されて今の工業力が確立された、と思います。たった6両しか生産されなかったキハ81は、まさにDC特急のエポックメーカーであり、今も京都博物館に保存されています。ああ、キサシ80の日本食堂のエビフライ定食をもう一度!
子供の頃、よくキハ81の保存車を交通科学博物館へ観に行ってたけれど、あれが唯一の保存車だったとは…知らなんだ。今は京都で元気にしとるか、良かった良かったw
僕は小学校から大学、会社まで丸ノ内線で通ったので、500型製造中のシーンが嬉しいです。
今ではスーパーはくとみたいな最高時速130 kmのディーゼル特急が走る時代。
うーん先人の技術開発が今に脈々と受け継がれているんだね
キハ181、キハ65,キハ66、キハ183₀、キハ40などのエンジンは、異なっていましたが(これらのエンジンも問題点が多かった。)、それ以外はほぼすべて、基本は戦前設計の、8気筒、無過給の17Lエンジンでした。変速機も特定のタイプのものをずっと使い続けていました。自動車業界などでは、目を見張る優れたエンジンが続々登場する中、気動車用エンジンは分轄民営化まで、ほぼ旧態依然としていました。
電子計算機はあっても現在のパソコンと呼べるようなモノではない時代よく人の手や頭で作り上げたと思います。現在の人間では無理か?
貴重な映像に感謝します。
何回見てもセルフ通行証受け渡し豪快すぎる
キハ81の最終運用の紀勢本線で数回乗りました。
はつかりは 常磐線のものだったのにぃ!!という、日立市民の主張。
オープニングからのBGMが凄いですね!ゴジラ映画かと(笑)
前に述べていますが、キハ81系では、副燃焼室ディーゼルという、旧式なエンジンで180馬力が標準でした、でも故障が多かった、キハ181系では、同じ旧式な副燃焼室ではあるけど、8気筒から12気筒にして500馬力としましたが、冷却装置を屋根に乗せる方式にしたために、トンネルや無風状態ではオーバーヒートを起こして、故障が続出しました。急行型のキハ65や、先頭車のキハ181は、最初から強制冷却の装置が搭載されて一切問題は無かったのです。
この頃は原子力は夢のエネルギーとして見られていたんだなあ。
おれの母方のじいさんは、昔、鳥栖駅の転車台で働いていた国鉄時代。燕というとC62
冒頭の金田一駅を通過する時、右手から子供が走って来るのが見えます。黒っぽい地味な車両ばかりだった東北線に新型車両が走るという事で、興味深く見に来たようですね。
終わりの走行シーン、どうやって撮ってるの?ていう感じ
はつかり型ですね。昔は阪和線でもくろしおとして見かけました。
非電化時代 単線・タブレット閉塞の東北本線の画像はとても貴重ですね
構想はあったと聞いてます。昭和30~40年代の子供向けの本にも、原子力列車は北海道から九州までウラン1グラムで走れるとか書いてありましたから・・・・・・踏切事故での炉心融解リスクとかと考えると、今では恐ろしい構想のように思えますが、当時は現実味がまだあったようです。
asakazefuji もしメルトダウン事故が(怖!
英語字幕は大歓迎です。この映画は、昭和の日本での生活がいかにあったかを示す非常に興味深いものです。
このときのエンジンてDMH-17ですよね?たしか、非力のはず
170馬力程度ですね
DMH17直列8気筒OHV副室燃焼式17000ccディーゼル。その後、後期型は180psにアップしたが非力。
葡萄色のDF50とは…初めて見ました…
昔々は、蒸気機関車の客車列車でトンネルに入ると煙でいぶされる旅でした。自分は信越本線、羽越本線、奥羽本線で経験しました。キハ81の顔は独特で、もう少しクハ151のようにカッコ良くならなかったのか?と思います。東武鉄道のDRCのけごん、きぬ号特急1720系などの顔も独特で、昔は面白かったです。まぁ、現代なら新幹線の顔の変化や南海特急の顔などでしょうか。
石炭から電気や石油、やがて原子力へ。当時は本気で原子力列車を考えていたんだろうな。
なんて恐ろしいことを。
丸ノ内線写ってた
19:28 ここすき
新型ディーゼル特急・HC85系投入目前。改めて、キハ81系の魅力を堪能すべきでしょうか…。
キハ17系も塗装の塗り替え過渡期ですね。
キハ82よりもキハ81の方が好きですね。上野駅で1回だけ見た事があります。
Is Kiha81 a Niigata/Kawasaki railbus which was also made in 762mm version?
「そしてやがて原子力へ」のフレーズに時代を感じた笑笑
レブザク なんなら原子力機関車とか作るつもりだったんだろうか
ここにピクッと反応するのは、自分だけじゃなかったのが笑える。いや、笑えんことなのだが。
当時は原子力こそパワーの時代だったからなぁ、アメリカでも原子力機関車計画あったし
歴史的映像ですなあ。
これでもヨーロッパの方がディーゼルエンジンの技術では上を行っていたんですよね。たしかドイツには戦前から100km/h以上で走る特急があったんですよね?
ありましたね。たしかフリーゲンダー・ハンブルガーってやつでしたね
全て白人の男達が産み出したの技術ですよ。
竹内洸 ディーゼルって言葉自体ドイツ人の名前だし
12:47 遊び心なのか、たまたまなのか気動車が電柱を通過するタイミングが音楽とドンピシャなんですけど。
昔地方の鉄道模型クラブにいて運転会を行った際、このビデオ制作会社に問い合わせて会場で上映する為のビデオの貸し出しと販売用チラシを提供して貰ったなぁ。KATOや TOMIXにも連絡して製品ポスター等も提供して貰ったっけ。
トルコンの原理を初めて理解出来ました。
通票閉塞区間で運用するとタブレット交換があります。70km/h位で通票を受け取るとキャリアのワイヤーが当たってかなり痛い筈、峰式タブレットキャッチャー?だとフックで引っ掛けて受け取るので楽になりますが、ときどきワイヤーかくの字に折れてしまう弱点も見られるようです。鉄道ビデオではバンと音が出てたと思います。
凄い
客室扉が引き戸でない件
なんか、きれいな映像ですね!
エレクトリックディーゼル復権の今、悩ましい。トルコンもそのままではホンダマチックだしなあ。技術の最適化は時代時代で結論が変わるんだな。
騒音や振動がない、というのは当時の基準で、いまの電車とロングレールに慣れた人間にはやっぱりキッツいw
数十年後の僕らも同じことを言われるのかもね...
戻るなら旧客の山陰線経由門司発福知山行に乗りたい。82系まつかぜも見られる時代
僕だったら京都を9時台序盤に発車する837列車(1980年10月改正の段階では出雲市行きで、京都から途中の綾部までは当時のダイヤで約2時間15分、現在の京都発車場面に当てはめると同区間は約1時間50分)といったところだろうか?現在だと道中の胡麻で後続の特急「きのさき」3号が普通を追い越すシーンを見届けることができる。
重そうな車両
「鉄道ピクトリアル」2015年9月号「ディーゼルカー」特集では、EV-E301を例に挙げ、十数年後には、ディーゼルカーの「葬式鉄」が鉄道趣味のひとつになるのではないか、と書いてあります。 2019年3月現在、九州の香椎線がBEC819系電車に置き換えられ、上記の記事が現実になり始めています。
そうですね 最近は九州地区ではHV車両が登場して環境に優しい時代に入りましたね🎵
トルクコンバーターの説明をもっとしてほしい!
つまりオートマチックですよ。
九十九里鉄道だ‼︎
汽車会社で窓ガラスはめてるの僕のおじいちゃんです
ビックリしました
貴重な写真ありますよ
「鉄道ピクトリアル」昭和35年12月号に石井幸孝氏(国鉄臨時車両設計事務所技師)による「ディーゼル特急はつかり登場」の記事があり、この動画の解説もあります。19:47の走行中の撮影は「川越線でロケを行い、先頭車の前に(ヨ)を連結して撮影」とあります。そして「9月18日に試運転兼ロケーション列車が、エキストラを満載して上野駅をたち」「途中1,2等車、食堂車の撮影が行われた」「金田一駅では、臨時蒸気列車を仕立て、追い越すシーンの撮影・・・」「浅虫海岸、青森駅と好天に恵まれた・・」そして「連絡船(青函)をバックに青森駅に入構するはつかりに、海を渡ってこれからますます発展するディーゼル特急を暗示して結んでいる」と記しています。
エンジン関係は問題があったにしても、接客設備は当時としては抜群のグレードだったのでしょうね
超貴重な映像ですね。
キハ81の再末期、くろしおに1両だけ組み込まれていた頃、ギリギリ乗ることが出来ました。
売店が懐かしい。(涙)
昭和の薫り、プンプン。古き良き時代ですね。
この当時のVTRは好きだなぁ。ナレーションとかBGMとか。あと、フイルム映像も。
ナレーション、渋いなと思ったけど森本さんの声かな?かなり若いけど
キハ81が京都の鉄道博物館に残される価値のある車両とわかる映像ですね。
そうですね 実際の活躍しました先頭車で最後は南紀方面のくろしお号として活躍しましたね🎵
@@山県新之助
キハ81 3号車が京都鉄道博物館内1階フロアに静態保存扱いで展示されています。車籍こそないものの、これがキハ81形として現存する虎の子の1両ですが、同博物館側の取り決めにより車内への立ち入りはできないようになっています。
@@rhscm989 さん
そりゃ、準鉄道記念物ですから。
@@たま寿限無
こんばんは。
但し「月光」「つばめ」等の運用実績があるクハネ581などは、同博物館側の取り決めで「一定期間限定」を条件に特別に内部を公開しており(詳しくは同博物館公式HPでご確認下さい)、その時に限りまして車内への立ち入りを認めています(但し車内にはいくつもの注意書きが掲示されている)。
@@rhscm989 さん
状態とかの総合判断とかでしょうね。
6分8秒の映像は旧千葉気動車区かな?現在は高架複々線化され気動車区位置だった部分は黒砂信号所なっております。内房・外房線方面から総武本線・成田線方面の列車に使い回しで折り返しに使用する事があります。
06:40
「液体式」
今までこの意味が全然わかりませんでした。
今回の説明で仕組みを初めて見ました。
この動画、大好きです。なので、たまーに、もう一度見たくなるんです。
10:08からのトルクコンバーターの仕組みの動画、本当に解りやすくてありがたい
懐かしいの一言。千葉気動車区の側線が少ないので初期のころですね。大網のスイッチバックも今はありません。ブルーの旧塗装から赤の塗装に変わるところですね。さすが石井先生ありがとうございました。
車掌さんが、ユニットクーラーの調節を、何回も車両を歩きながら手動でしていた・・それにしても、乗客が信じられないぐらい、多いよなぁ・・・
はつかりは、堺市鳳にあった工場でも作られていました。
私は、堺市西町で生まれて育ちました。育った長屋から鳳駅に歩いて行くには、羽衣線に作ってあった私設の踏切?を渡って、土手を上がって鳳駅に向かう道に出るのが便利でした。
その私設の踏切の当たりの引き込み線には、貨物が駐まっていたり、出来立てのはつかりなどの列車が駐まっていたりしました。よく貨物の最後尾につないであった車掌車(?)に勝手に入り込んだりしたものです。なつかしいですね!
それでか最終運用が紀勢線だった
帝國車輛ね
この時代の車両がちょっと前まで走ってたんだから驚きだ
国鉄時代は、何かと労使紛争で叩かれていたが改めて見ると、国鉄技術陣は優秀だわ!
トルコンのメカニズムが良く分かる動画ですね
キハ81登場時は、初期故障が多発していたようで、"はつかり"ではなく"がっかり"だと揶揄されていましたね
一等車にお母様と乗れる坊やは裕福なお家柄なのでしょうね😊
義叔父がこの番組の再放送を、録画して送ってくれました。
誰がなんと言おうと、キハ81が気動車で1番好きーーーィ‼️
あの時代の鉄道業界は覇気がありましたね!
蒸気機関車の冷遇の時代へ!
このキハ81系に限り、食堂車は動力なしのキサシ80が採用されていましたが、後継の改良型キハ82系では動力ありのキシ80が採用されました。また、北海道のすべてのキハ82系を用いる特急には必ず食堂車が連結されていたのも最大の特徴でした。
このキサシ80の存在が「はつかりがっかり事故ばっかり」の原因の1つに・・・。
だからパワー不足を解消しようと動力ありのキシ80に変更したわけですね。
のちの181系もなぜかキサシ。
EF71のお世話に。
カトーの81系持ってたのに、EF71との連結やりたくてトミックスの81系も買ってしまった。
@@tydeentetuota5514 さん
181系の食堂車が、キシではなくキサシだったのは、エンジンの高馬力化によって編成当たりの重量が重くなる事を避けたのでは?
キシはキッチンの水タンクの搭載場所が足りず、テーブル一つ分削減する必要があったとか。
当時の気動車はいかに動力を確保するかに四苦八苦していたようですね。
181系がキサシだったのは食堂車廃止までの繋ぎ的な位置付けで動力を省略されたのかも?
いい時代。貴重な映像ですね。
トルコンの仕組みをコレで理解した。
凄く分かり易いと思う
そして2010年代、昭和から変わった平成も終わるかくらい、電気部門の目まぐるしい発展(とりわけ蓄電池とVVVFインバーター)により電気式気動車(ハイブリッド式気動車)の復権やそもそもディーゼルエンジン積んでない蓄電車の誕生が起こるとはこの時誰が予想していたのだろうか…
岩波の鉄道記録映画大好きです!適度な演出や脚色もねw
特に音楽もヤバイwww イッチャッてるwww
冒頭の駅通過時のタブレット交換、あんな感じで引っ掛けていたんですね
高速でガツーン!!てな感じで今じゃ考えられない方法ですね
タバコが、普通に車内販売されていた時代、ピースやハイライトが主要なめいがらだったんですね。
まだ、セブンスターや、マイルドセブンは発売される前の時代ですね。
21世紀の今日、電気式ディーゼルカーは、VVVFインバータと交流モーターで軽量化され、液体式に勝る性能となっている筈。
@keikyuspirits of simens kyoichi
事故続出前の北斗が長く在来線最速でしたね。
蒸気機関車が旧型国電がーとか言う鉄道ファン、カルダン駆動に負けていることを知って少しでもその考えただした方がいいよ。103系電車に73系電車が置き換えられてそんなに悔しいのですか?カルダン駆動に負けたおいぼれ吊り掛け駆動の最後の姿見てみ。
HC85系ってこの動画の電気式のディーゼルカーですよね?
最高速度が120㎞/hでまだ勝てないそうですね。
この時代のバスは、やはりダブルクラッチですね。
シンクロ(メッシュ)なかったからなぁ~( ̄~ ̄;)
日本の技術革新の一つにトルクコンバータの開発がありました。これが成功してなかったら、ディーゼルカーの躍進はおろか、自動車のAT車やハイブリッド車の登場はなかったかとも思われます。液体変速式気動車の開発はそれだけ重要な功績を担ったんですよね。
ただ1つ誤算だったのは、変速運転時のエンジン負荷で過熱現象が多発したこと(エンジンの冷却問題)で、これが非電化区間のスピードアップの足枷になってしまったことです。直動大馬力エンジン開発、エンジン冷却方法の試行錯誤とともに変速機を改良して初めてスピードアップが実施されたのは国鉄分割民営化前後で、それまで開発に時間がかかってしまいました。
そうでしょうね。何しろギアミッションではいちいちギアのかみ合わせ方を変えなきゃならなかったのだから、とても苦労する構造でしたからね。
自動車へのトルコン搭載は米国は1940年代からやってたと思いますよ。日産もトヨタも海外からBWなどからライセンス買ってやってたと思います。日本って周辺技術は得意だが、革新技術って点は昔から弱いと思う。
自分の親が若い時代の映像だが映る景色の何と美しい事。開発と自然の調和が程よくみえる、この後経済成長とともに日本の景観が変わってしまうんだね、車両もステンレスにデジタル表示、ラッピング車両など本来の風景にはマッチしてないように思える。亡くなった祖父さんは満鉄の建設に行った人だが、その世代には鉄道自体が最新の未来の乗り物だったんだろうなあ。諸行無常です。
最後に出てきた青函連絡船ですが、まるで第一次世界大戦前の大西洋横断客船のような形してましたね。すごい!
いやあ、あれは洞爺丸型ですね。機関が蒸気スチームタービンで、その後のジーゼル機関の連絡船より静かでスムーズ立ったようです。洞爺丸で蒸気機関だと海水をかぶると止まってしまうという欠点が露呈し、ジーゼルに代わってしまったそうです。
ディーゼル列車のにおいが好き。
日本におけるディーゼル特急の歴史はこのキハ81系から始まったのですね。もちろん今のキハ261系「スーパー北斗」が活躍中なのもあの車両のおかげですね。3:50の車両は、さいたま市の鉄道博物館に保存されていますよ。
何気に総天然色映像ですね。
でも、トルクコンバーターに関する解説は本当に勉強になります。
凄く貴重な映像ありがとうございます
房総東線の映像に一瞬、昔すんでいた家が写ってました。
凄いな
ありがとうございます。
6:22のあたりの映像は大網駅?、12:08のあたりの映像は上総一ノ宮でしょうかね?
0622辺りの映像は大網駅だと思います。
蘇我駅は分岐部分に大きな有人踏み切りがありましたし、房総西線は単線ではなかったのです
新小岩操車場所属のD51が牽引する貨物列車が走る貨物線と側線が複数あったので線路が何本もありました
さらに川崎製鉄の社宅がびっしりと建ち並んでいました。
蘇我駅付近には水田などの農地はありませんでした。
千葉駅から蘇我駅は房総東線の所属なのに房総東線が支線みたいでした。
DC時代の急行うち房と急行そと房の併結列車も
うち房が遅れることが多く、そと房は蘇我駅構内にいれてもらえず延々と踏み切り手前で待たされました
1208 付近の駅ですが これは大原駅です
大原駅に浪花駅方向から進入する上り列車です近年古くなった跨線橋を付け替えてしまったのですが
割りと最近まで三門よりに昔の跨線橋が残っていました。駅の雰囲気も残っていましたよ。
@@rom8880 ありがとうございます。大原駅だったんですね。ホームの配線が上総一ノ宮ぽかったのですが勘違いしました。
蘇我駅は今でこそ外房線も内房線も平等な配線ですが、仰る通りかつては内房線が主で外房線が副の配線でしたね。内房線(房総西線)の上りは1番線にも2番線にも名入れるのに、外房線(房総東線)上りは2番線にしか入れないような配線でしたからね。
お役に立ててよかったです
蘇我駅の構内配線も懐かしいですね
大原駅付近の映像には昔すんでた家がちょっと写っていましたので確信が持てます。
昔の上総一ノ宮は海側には側線がなかったと思います。(今もないですが)
昔の大原駅1番線ホームは木原線運輸区の建物くらいまでの短めのホームだったと記憶してます。
2、3番線も今に比べれば短いですけど
大昔なので記憶が補正されているかもしれませんが
岩波映画が製作した映画でおそらく同時期に作られた物にキハ17をメインに扱ったものがあり少しだけ大原駅構内が出てきます
以前はUA-camにあったのですが削除されてしまったようです。
@@moguro1121 成東駅です。画面左が総武本線銚子方面、右が東金線大網方面です。
当時の機材を考えたら、良く撮ってある。。しかし、上野の駅名標は主張するなあ。。。🍀
北の玄関口ですからね、新幹線が出来るまでは面白かったのに…(私は平成生まれですが本などで読み楽しんでました)
尻内! 今の八戸ですね。 いやあ、タイムマシンがあったら、その時代に行って乗ってみたい列車だ。
最後に出てくる青函連絡船は4本煙突の洞爺丸型ですね。石炭焚き蒸気タービン(もしかすると洞爺丸事故の後、重油焚きに変更されていたかもしれませんが)時代のカラー映像はけっこう貴重なのではないでしょうか。
洞爺丸事故以後も缶の方式は変わっておらず、車両積み込み口に水密扉が付けられました。
代わりに、津軽丸型への置き換えが急がれたのです。
なんていい時代なんだ
当時の設計思想がよくわかるいい映像でした!
12:37 急行アルプスがディーゼルカーで運行されていたのを初めて知りました。
その急行アルプスに併結して新宿から直通運転をするため、
富士急行は自社線が電化されてるのにキハ58と同型の気動車を導入しました
それが現在和歌山県の有田川鉄道公園で保存されてるキハ58003です
81系くろしお 働きはじめたので一度乗らなければと思いつつ乗車することもなくさよならしてしまいました。天王寺〜名古屋間乗ればよかったです 残念!
Amazing to see how advanced Japan was all those years ago.
いやいやいや、ご存知だとは思いますが「メイド喫茶」じゃなくて日本食堂の制服ですよ。
最近、千葉テレビで木下恵介アワー「二人の星」が再放送されてましたが、仙台~平(現在はいわき)が舞台であったのでキハ81「はつかり」のシーンがありました。
是れ日本映画専門チャンネルで今後放送でっせ。CSで見られるの感動。
ディーゼル特急で一番最初に思い出すのは「あさしお」かな?山陰線を走っていたのが印象的だった!今の特急「きのさき」は園部に停まるが「あさしお」は通過していたなぁ!
ディーゼル特急「あさしお」「はまかぜ」は1982年7月から従前までのキハ82系から、「やくも」の381系電車化により余剰となったキハ181系に置き換えられ、最終的に「あさしお」運用としては1996年3月まで、「はまかぜ」運用としては2010年11月までそれぞれ継続しました。
なお、園部にすべての特急列車が停車するようになったのは、2004年10月からのことでした(それまでは時間帯並びに列車を選び抜いて停車していた)。
非電化単線時代の東北本線 今から考えると隔世の感がありますね
自分の親は東北本線の特急(上野~仙台)に乗ったことあると言ってました。
親が小学生の時だから1980年代前半だけど、この時もまだ非電化単線区間があったらしいですね。
151系のデビュで路線格差が歴然としましたが、電化が遅れた東北エリア向けの特急気動車でしたが、キハ81は故障が多かった為に増備せずにキハ82が誕生しました。分割併合が可能な構造は重宝されました!画像のディーゼルエンジンはDM17と云うエンジンでキハ40系もこの系統を踏襲したものです!
これはDMH17、キハ40はDMF15です。
特急の分割併合はいま思えば割とびっくりな(まだ九州でもしてますが)運行形態だなと思ってまして、その中でもいちばんびっくりしたのが、特急白鳥に大阪と上野・青森とを結ぶ編成を直江津で増解結していたことがわずか4年のうちだけあったということでした。
今でこそドイツに迫る日本の工業力ですが、当時は開発途上で、300馬力以上のディーゼル機関が作れなかった、と言う工業力は、今の人には理解できないと思います。
そんな中で占領政策制限から解放されて早く造り上げよう、と言う国鉄の意気込みは凄いものがうかがえます。
その中でキハ81編成は、試作編成として3編成だけが造られ「はつかり」として運用されましたが、複雑な構造上初期故障が多く、現場の方々は大変苦労されたと思います。
ですが、このご苦労があればこそ、改良されて今の工業力が確立された、と思います。
たった6両しか生産されなかったキハ81は、まさにDC特急のエポックメーカーであり、今も京都博物館に保存されています。
ああ、キサシ80の日本食堂のエビフライ定食をもう一度!
子供の頃、よくキハ81の保存車を交通科学博物館へ観に行ってたけれど、あれが唯一の保存車だったとは…知らなんだ。
今は京都で元気にしとるか、良かった良かったw
僕は小学校から大学、会社まで丸ノ内線で通ったので、500型製造中のシーンが嬉しいです。
今ではスーパーはくとみたいな最高時速130 kmのディーゼル特急が走る時代。
うーん
先人の技術開発が今に脈々と受け継がれているんだね
キハ181、キハ65,キハ66、キハ183₀、キハ40などのエンジンは、異なっていましたが(これらのエンジンも問題点が多かった。)、それ以外はほぼすべて、基本は戦前設計の、8気筒、無過給の17Lエンジンでした。変速機も特定のタイプのものをずっと使い続けていました。
自動車業界などでは、目を見張る優れたエンジンが続々登場する中、気動車用エンジンは分轄民営化まで、ほぼ旧態依然としていました。
電子計算機はあっても現在のパソコンと呼べるようなモノではない時代よく人の手や頭で作り上げたと思います。現在の人間では無理か?
貴重な映像に感謝します。
何回見てもセルフ通行証受け渡し豪快すぎる
キハ81の最終運用の紀勢本線で数回乗りました。
はつかりは 常磐線のものだったのにぃ!!
という、日立市民の主張。
オープニングからのBGMが凄いですね!ゴジラ映画かと(笑)
前に述べていますが、キハ81系では、副燃焼室ディーゼルという、旧式なエンジンで180馬力が標準でした、でも故障が多かった、
キハ181系では、同じ旧式な副燃焼室ではあるけど、8気筒から12気筒にして500馬力としましたが、冷却装置を屋根に乗せる方式にしたために、トンネルや無風状態ではオーバーヒートを起こして、故障が続出しました。
急行型のキハ65や、先頭車のキハ181は、最初から強制冷却の装置が搭載されて一切問題は無かったのです。
この頃は原子力は夢のエネルギーとして見られていたんだなあ。
おれの母方のじいさんは、昔、鳥栖駅の転車台で働いていた国鉄時代。燕というとC62
冒頭の金田一駅を通過する時、右手から子供が走って来るのが見えます。
黒っぽい地味な車両ばかりだった東北線に新型車両が走るという事で、興味深く見に来たようですね。
終わりの走行シーン、どうやって撮ってるの?ていう感じ
はつかり型ですね。昔は阪和線でもくろしおとして見かけました。
非電化時代 単線・タブレット閉塞の東北本線の画像はとても貴重ですね
構想はあったと聞いてます。
昭和30~40年代の子供向けの本にも、原子力列車は北海道から九州までウラン1グラムで走れるとか書いてありましたから・・・・・・
踏切事故での炉心融解リスクとかと考えると、今では恐ろしい構想のように思えますが、当時は現実味がまだあったようです。
asakazefuji
もしメルトダウン事故が(怖!
英語字幕は大歓迎です。この映画は、昭和の日本での生活がいかにあったかを示す非常に興味深いものです。
このときのエンジンてDMH-17ですよね?
たしか、非力のはず
170馬力程度ですね
DMH17直列8気筒OHV副室燃焼式17000ccディーゼル。その後、後期型は180psにアップしたが非力。
葡萄色のDF50とは…初めて見ました…
昔々は、蒸気機関車の客車列車でトンネルに入ると煙でいぶされる旅でした。自分は信越本線、羽越本線、奥羽本線で経験しました。
キハ81の顔は独特で、もう少しクハ151のようにカッコ良くならなかったのか?と思います。
東武鉄道のDRCのけごん、きぬ号特急1720系などの顔も独特で、昔は面白かったです。
まぁ、現代なら新幹線の顔の変化や南海特急の顔などでしょうか。
石炭から電気や石油、やがて原子力へ。
当時は本気で原子力列車を考えていたんだろうな。
なんて恐ろしいことを。
丸ノ内線写ってた
19:28 ここすき
新型ディーゼル特急・HC85系投入目前。改めて、キハ81系の魅力を堪能すべきでしょうか…。
キハ17系も塗装の塗り替え過渡期ですね。
キハ82よりもキハ81の方が好きですね。
上野駅で1回だけ見た事があります。
Is Kiha81 a Niigata/Kawasaki railbus which was also made in 762mm version?
「そしてやがて原子力へ」のフレーズに時代を感じた笑笑
レブザク なんなら原子力機関車とか作るつもりだったんだろうか
ここにピクッと反応するのは、自分だけじゃなかったのが笑える。いや、笑えんことなのだが。
当時は原子力こそパワーの時代だったからなぁ、アメリカでも原子力機関車計画あったし
歴史的映像ですなあ。
これでもヨーロッパの方がディーゼルエンジンの技術では上を行っていたんですよね。
たしかドイツには戦前から100km/h以上で走る特急があったんですよね?
ありましたね。たしかフリーゲンダー・ハンブルガーってやつでしたね
全て白人の男達が産み出したの技術ですよ。
竹内洸
ディーゼルって言葉自体
ドイツ人の名前だし
12:47 遊び心なのか、たまたまなのか
気動車が電柱を通過するタイミングが
音楽とドンピシャなんですけど。
昔地方の鉄道模型クラブにいて運転会を行った際、このビデオ制作会社に問い合わせて会場で上映する為のビデオの貸し出しと販売用チラシを提供して貰ったなぁ。
KATOや TOMIXにも連絡して製品ポスター等も提供して貰ったっけ。
トルコンの原理を初めて理解出来ました。
通票閉塞区間で運用するとタブレット交換があります。70km/h位で通票を受け取るとキャリアのワイヤーが当たってかなり痛い筈、峰式タブレットキャッチャー?だとフックで引っ掛けて受け取るので楽になりますが、ときどきワイヤーかくの字に折れてしまう弱点も見られるようです。鉄道ビデオではバンと音が出てたと思います。
凄い
客室扉が引き戸でない件
なんか、きれいな映像ですね!
エレクトリックディーゼル復権の今、悩ましい。トルコンもそのままではホンダマチックだしなあ。
技術の最適化は時代時代で結論が変わるんだな。
騒音や振動がない、というのは当時の基準で、いまの電車とロングレールに慣れた人間にはやっぱりキッツいw
数十年後の僕らも同じことを言われるのかもね...
戻るなら旧客の山陰線経由門司発福知山行に乗りたい。82系まつかぜも見られる時代
僕だったら京都を9時台序盤に発車する837列車(1980年10月改正の段階では出雲市行きで、京都から途中の綾部までは当時のダイヤで約2時間15分、現在の京都発車場面に当てはめると同区間は約1時間50分)といったところだろうか?現在だと道中の胡麻で後続の特急「きのさき」3号が普通を追い越すシーンを見届けることができる。
重そうな車両
「鉄道ピクトリアル」2015年9月号「ディーゼルカー」特集では、EV-E301を例に挙げ、十数年後には、ディーゼルカーの「葬式鉄」が鉄道趣味のひとつになるのではないか、と書いてあります。
2019年3月現在、九州の香椎線がBEC819系電車に置き換えられ、上記の記事が現実になり始めています。
そうですね 最近は九州地区ではHV車両が登場して環境に優しい時代に入りましたね🎵
トルクコンバーターの説明をもっとしてほしい!
つまりオートマチックですよ。
九十九里鉄道だ‼︎