五輪に込めた特命!国鉄最強タンク蒸気機関車E10 ~ JNR most powerful Tank Engine type E10

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  • Опубліковано 20 сер 2024
  • E10を取り上げるにあたり、日本の急勾配の機関車の使われ方を調べてみました。奥羽本線最大の難所板谷峠、北陸本線の倶利伽羅峠等は蒸気がブームの時には早々に無煙化が完了していて、皆さん蒸気の活躍になじみのない方のほうが多いでしょう。普通になじみ深いのははD51の矢岳峠、前回のD60の冷水峠でしょうね。
    奥羽本線は板谷峠がを通らずとも肋骨のようにバイパスの線路が北にありますから、これほどまでに国鉄が輸送力の拡大に執着したのは何故なのでしょうか。この板谷峠こそがE10を国鉄最後の新制蒸気として君臨させた、唯一の要因だったのです。
    今回最後に電気機関車EF58との共通点を見つけました。私は電気機関車は詳しくありませんが、もしさらに情報お持ちの視聴者様いらっしゃいましたらコメント欄でお知らせ頂きたいと思います。
    ※E10の第1、5動輪が曲線通貨のため横動と動画で魔理沙が言っておりますが、視聴者様のご指摘で第五動輪は横動しないことが分かりました。お詫びして訂正いたします。申し訳ございません。
    ※E10が線路への「横圧」が大きく・・・というくだりで、「横圧」を”よこあつ”と発声していますが、正しくは”おうあつ”です。お詫びして訂正いたします。申し訳ございません。
    #E10 #4110 #4100 #板谷峠 #倶利伽羅峠 #矢岳峠 #交直 #米原 #北陸本線 #奥羽本線 #肥薩線
    (Credit)
    朝鮮総督府鉄道サタイ形機関車.jpg
    commons.wikime... 鉄道史資料保存会, CC BY 4.0 creativecommon..., ウィキメディア・コモンズ経由で
    35 1097-1 & 50 3648-8 movie by Hugh Llewelyn flic.kr/p/2mF9Fei
    Young and old trainspotters, with DR 99 7244 at Stiege, Harz, DDR, Aug 1989
    Photo by Sludge G flic.kr/p/6fqmni
    Die Harzquerbahn. DR 99 7231-6 at Bahnhof Stiege, DDR, May 1990 photo by Sludge G
    flic.kr/p/7KCq4N
    Bertsdorf Bahnhof ,DDR, DR 99 1735-2. 10 November 1989 Photo by Sludge G flic.kr/p/7jLwk2
    003. 1980-05. Nordhausen, BR 99 0244. Deutsche Reichsbahn ( DDR ). Photo by Michel Huhardeaux flic.kr/p/9HYVi6
    014. 1980-05. Wernigerode Bw, 99 0244 beim Wasser tanken. Deutsche Reichsbahn ( DDR ). Photo by Michel Huhardeaux flic.kr/p/9J2PVG
    083. BR 95 0004 bei Breternitz (Saalfeld-Probstzella). Deutsche Reichsbahn DDR. Photo by Michel Huhardeaux flic.kr/p/8ofmi9

КОМЕНТАРІ • 106

  • @user-rz3tp5kb5z
    @user-rz3tp5kb5z 2 роки тому +6

    製造輌数は僅かに5輌の
    大型特殊タンク機関車…
    流れ流れて流浪の旅路に
    不思議な魅力を解き放つ!

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴頂きありがとうございました。
      サイドビューがE10はとても美しい造形を持っており、これがE型機関車の魅力だと思っています。

  • @user-vl7qn4gc3q
    @user-vl7qn4gc3q 9 місяців тому +1

    連合軍に鉄オタの英国人とかいてE10を見てひょっとしたら
    「Oh!日本製のThomasデス!」とか言ってくれたかも知れないっす。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  9 місяців тому +1

      緑地開発コキーナさん、ご視聴いただきありがとうございます。Thomasにしてはおデブさんすぎると思いますが、かなり目を引く機関車であることは間違い無いです。

  • @user-ig4qh4dj5z
    @user-ig4qh4dj5z Місяць тому +1

    日本の5軸動輪機関車はタンク機関車のみだが、実は第二次世界大戦中に5軸動輪の巨大な蒸気機関車が計画されており、d52をそのまま巨大化させたような蒸気機関車でd51やd52同様戦車や戦艦や飛行機、大砲などの部品や物資を輸送する目的で計画されていたが、全長がd52より大きく転車台に乗れなかったり、動輪がとても小さいからスピードが上がらない、重すぎて橋が崩落する危険性や線路が壊れてしまう問題もあり、世界大戦が悪化した事により、計画は中止になりました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Місяць тому +1

      kohki Lightningさん、ご視聴頂きありがとうございました。E10のボイラーはD52と同じ径(全長は?ですが)なので、ほぼほぼ戦時設計のコンセプトだったと思います。

  • @abbtk14
    @abbtk14 2 роки тому +8

    関東出張の際に思い立って青梅の鉄道公園に立ち寄ったら休館日、二回目はコロナで臨時休館、三回目も…という具合で妙に縁が無いですが、いずれE10を間近で見たいです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴ありがとうございます。あー、それは残念でしたね。博物館はどこでも月曜日休みですね。山道を登って疲れて到着したら休館だとガッカリされたことでしょう。
      写真を撮られるならば光線は午後のほうが良いと思いました。是非お出かけください。

  • @zaylion1987
    @zaylion1987 8 місяців тому +1

    E10 is a locomotive name in Indonesia, operate in sumatra

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  8 місяців тому

      Thank you for watching. i know the loco.

    • @zaylion1987
      @zaylion1987 8 місяців тому +1

      @@Yukkuri-Lab sure and I'm from Indonesia

    • @zaylion1987
      @zaylion1987 8 місяців тому +1

      @@Yukkuri-Lab steam in Indonesia and Japan are so different

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  8 місяців тому

      Agree

  • @user-sw5ph1zf9v
    @user-sw5ph1zf9v 2 роки тому +9

    本当はE10 1を保存する積もりだったのが手違いで廃車済だったのでE10 2が保存されたんだとか。手違い廃車と言えば C55の元流線型も割と有名。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +4

      ご視聴頂きありがとうございます。なんで2号機なのかなぁ。と思っていたのですがそういう背景なのですね。C55の30号機の事ですね。とてももったいないことしました。以前C55の動画でもアップしましたが、キャブ周りがかなり異なっていて、昔の面影をはっきり残す機体でした。

  • @jw1today110
    @jw1today110 Рік тому +2

    変態的な機関車(失礼…)
    めちゃめちゃ好きです❤

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +1

      まやかさん、ご視聴いただきありがとうございます。ぎっしり詰まっている感じが良いですね。

    • @jw1today110
      @jw1today110 Рік тому +1

      ​@@Yukkuri-Lab
      メカメカしくて良き❤

  • @homarejumo2134
    @homarejumo2134 2 роки тому +4

    当時のニュース映画でも運転席が後ろ向きと言うことが紹介されてましたね。
    タンク機関車なければいけない理由も初めて知りました。納得です。
    でも電化されてからも、当初のEF15はブレーキ能力不足でEF16に改造されましたし。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴頂きありがとうございます。板谷峠では4つのスイッチバックはブレーキによる熱を冷まして、タイヤの外れのリスクを避けるため停車が義務付けられていたそうです。
      E10の板谷峠越えって凄まじかったのでしょうね。見てみたかったです。

  • @user-kj6rh4nf9v
    @user-kj6rh4nf9v 2 роки тому +12

    E10形はGHQの気まぐれに翻弄された悲劇の機関車だったと言えるでしょう。
    少数派でありながら、保存機があるのがせめてもの慰めかも知れないですね。
    かなり昔に見た事がありますが、久しぶりに青梅鉄道公園に見に行きたいですね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +8

      ご視聴頂きありがとうございます。板谷峠専用機関車ですね。GHQが中止を言わなければ4110で何とか凌いでE10は無かったかもしれません。
      青梅のE10は手入れが良いのでお勧めです。保存機全般に言えますが、ロッド類の白ペンキは何とかならないでしょうか。

  • @mohtyan1
    @mohtyan1 2 роки тому +1

    自分が板谷峠でEF71+キハ181を撮影したのが1975年秋。
    その27年前に見た事も無いE10が板谷峠で走ってた・・・
    今は1975年から47年も経過してるんですよね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。
      この50年は国鉄が凋落していった時代でした。
      まさかこんなに趣味的にも面白くない鉄道になるとは思いませんでした。

  • @user-mz3cp9hi5h
    @user-mz3cp9hi5h 2 роки тому +2

    子供の頃、絵本でタンクを前にしたE10の絵を良く見かけたが、変な機関車だなと思ってた。鉄道ファン誌が発刊されて直ぐ、E10の探訪記事が載ったので、米原まで写真撮影に行ったが、既に休車で、電機機関庫奥に押し込まれていた。まぁ取り敢えず、写真は撮って来ました。寂しい風景ではあるが、雑草の生えた線路に、静かに佇んでいる様子は好きです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございました。良いですね。米原で実物をご覧になられ。私は青梅の会館直後に行きました。その時は機関車によじ登れて楽しかったです。子供も喜びましたね。蒸気機関車はそのものだけでなく、やはり鉄道情景に溶け込んでいて初めて良いなぁと思えるので、そのシーンをご覧になられたことは羨ましいです。

  • @mkep82da
    @mkep82da Рік тому +2

    専用設計は導入先で仕事無くなると転用先に困り短命に終わりますが今も保存されてるのは奇跡かも…

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому +1

      Mr. Yattsunさん、ご視聴頂きありがとうございます。鉄道90年記念のタイミング、青梅の鉄道公園の開園というラッキーが重なったからでしょう。

  • @k.i1428
    @k.i1428 2 роки тому +1

    E10のような機関車は、使い道が少なく、流転の人生、短命、でも浪漫を感じます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴いただきありがとうございます。線路の負荷が高いことが使用線区を選んでしまいました。奥中山あたりは無理だったのかな?E10は煙室戸端面がアールがついていて好きです。

  • @user-df3fg3jj1u
    @user-df3fg3jj1u 2 роки тому +9

    E10が走行している映像
    「おやおや、この機関車バックで走ってますよ。」
    運転席と機関士の映像
    「いやいや、これはバックで走る機関車なのです。」
    (昔のニュース映画で、新製車輌E10の紹介)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +3

      いつもご視聴頂きありがとうございます。
      その動画有名の様ですが、見たことありません。バック運転自体はどんな機関車でもやっているのでやらせっぽいのですが。
      実際に運転席から見ると圧倒的にバック運転のほうが視界が良いです。しかし本当かどうか、機関士のナッパ服がボイラーに近すぎて焦げたそうです。

    • @user-df3fg3jj1u
      @user-df3fg3jj1u 2 роки тому

      @@Yukkuri-Lab さん、明らかにヤラセだと思います、蒸機のバック運転は特に珍しい事ではありませんですしね。

    • @N--jv3go
      @N--jv3go 2 роки тому +2

      E10の運転席が右側にあるのは元々の設計では煙突の無い側を先頭になるような設計で運転機器もこちら側についていた、除煙板が無いのもこのためと思われる、つまり左側に運転席があったという事です、これを後に煙突のある方を前になるように改造をした時に最小限の手直しで済むようにしたため運転席が右側となってしまった。青梅に保存されてる機は改造後の姿である。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      丁寧にまとめていただき有難うございました!

  • @user-gk6fi2kw4c
    @user-gk6fi2kw4c 2 роки тому +1

    Ê10、遠足で行った青梅で乗りました!。ボイラ、屋根の上。煙突覗き込んだり。一番前に荒々しいガキども10人ほど群がって撮った写真が懐かしい。批判もある青梅の展示方法でしたが、同じくかつて青梅にいて大宮に引っ越した86やマイテが、ガラスケースの中でひどく寂しげに見えます。子供好きだったお地蔵さんの話しを思い出します。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございました。私も何度も子供たち連れて行きました。運転席はもとよりボイラーでもテンダーでも自由に登れて楽しかった一方、今の子供に同じことさせられませんよね。

    • @user-gk6fi2kw4c
      @user-gk6fi2kw4c 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab
      こけて落ちたのがいました。そこそこ痛くてスリキズ打ち身あったと思いますが、無事に(?)帰宅。半世紀のちも元気に高級車で暴走してるから、タフでしたねえ昔のガキは。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      何でも自己責任の時代でしたから、ある意味良い時代でしたね。

  • @IC35L
    @IC35L Рік тому +1

    その当時の高◯新聞にE10土讃線に登場とかいう記事が載ってたんですが飛ばしですよね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      IC35Lさん、ご視聴頂きありがとうございます。四国はD51も無かったはずですよね?そこに重いE10はあり得ないと思うのですが。

  • @fujizen0111
    @fujizen0111 2 роки тому +7

    E10の車軸配置を1E2のテキサスから2C2のバルチックにすると、C62のタンク機版ができて格好良さそう。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +4

      ご視聴頂きありがとうございます。C62のタンクは面白いですね。その場合、動輪は2輪で1750㎜が好みです。満鉄ダブサみたいな構成でC62の顔ですね。

    • @user-wq1fn9nc8s
      @user-wq1fn9nc8s 2 роки тому +2

      2C2はハドソンではありませんか?

    • @fujizen0111
      @fujizen0111 2 роки тому +2

      タンク機では2C2がハドソンではなくバルチックになるらしいですね。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому

      ロシア軍のバルチック艦隊。

  • @user-xn4iz2fl1s
    @user-xn4iz2fl1s 2 роки тому +5

    E10が国鉄最後の新規設計蒸気機関車で不運な機関車というのは知っていたつもりでも、D52と同じ太さのボイラーに、初耳でしたがEF58とほぼ同じ従台車と、何処かで生かせなかったのかこのハイスペックを…という気持ちがますます強くなってしまいました。煙室前面をアール付きにしていたのも、特命というか何らかの強い思い入れの現われかも、とも思ってしまいます。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +4

      いつもご視聴頂きありがとうございます。貴殿の思いと私の考えすべて全く一緒です。
      軸重も軽いし、最高速も65㎞でますから、もっと使おうと思えば有効活用できたかもしれませんね。検査における部品の入手やコストの問題でD51で良いじゃんという事みたいでしたが、それは建前で本音は成果が余りでなかった機関車だったから早く消し去りたかった。C52のような扱いだったのでは?と勘ぐっています。国鉄は官僚主義の権化みたいなところですから、本当のことは分かりませんね。

  • @user-hh7oy6jy9i
    @user-hh7oy6jy9i 2 роки тому +2

    国鉄で一番薄幸な蒸気機関車だったと思います。伊藤東作 氏は「むしろ生まれてこなかったC63の方が幸せだったと思う事がある。」と述べていました。
    4110型が昭和40年代まで美唄鉄道で使用されていたのに比べて短命な機関車でした。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。4110の図面をもとに追加で製造すればよかったですね。でもメーカーには仕掛部品があったことでE10という方向に向いたのでしょう。どこに持って行っても短期間で追い払われてしまったことが不運でした。でも1輌良い状態で保存されていてよかったです。

  • @fuhkin575
    @fuhkin575 Рік тому

    4100はクラウスじゃなくマッファイでしょ?
    「逆向きが正しい運転スタイル」は間違いじゃないけど、その姿勢をとるために機関士席は右側で後ろ向きに固定され、これに合わせて加減弁ハンドルとブレーキ弁と逆転機ハンドルが通常とは全く違う位置に設けられた事にも触れれば、視る人の理解が深まると思う。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  Рік тому

      Fuh Kinさん、ご視聴いただきありがとうございます。
      ご指摘の件、次からの動画に活かします。
      今後も御指南、ご指摘よろしくお願い申し上げます。

  • @CHIHATANK
    @CHIHATANK 2 роки тому +3

    E10はなんで島式先台車を履かなかったんだろう。構造が複雑だけど固定軸距対策にはぴったりのはずなのに。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。浅学で教えていただきたいのですが、島式先台車とは型色名はなんでしょうか?よろしくお願いいたします。

    • @CHIHATANK
      @CHIHATANK 2 роки тому +2

      @@Yukkuri-Lab 型式っていうよりかは特殊な先台車の機構って感じですね。8620型の「先輪と第一動輪が連動して首振るやつ」です。
      登場当時は一軸先台車を使用する機関車の曲線通過性能向上に頭を悩ませていた技術者達からは夢のような機構に思えたかもしれません。
      ハチロクが大正生まれの老いぼれでありながら蒸気機関車終末期までこき使われた要因のひとつです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      お知らせいただきありがとうございます。C50がメジャーになれなかった理由の一つのお話ですね。先台車についてについてちょっとC54の動画で触れていますが、8620の連動機構ののことには触れていませんでした。

  • @keihanhiro1247
    @keihanhiro1247 2 роки тому +1

    試運転時に、汽車会社構内の分岐器付帯のR100で、中間動輪が落ちたという事を読んだ記憶が。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      ご視聴いただきありがとうございます。フランジレスのタイヤが脱輪したのでしょうか。
      きっとそのR100部分は線路の幅が広すぎたのでしょうね。また面白いお話あれば是非お知らせください。

    • @keihanhiro1247
      @keihanhiro1247 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab 様
      まあ、本線ではなく工場の中ですから。
      もしフランジが中間動輪についていれば、最悪線路破壊とか。

  • @user-bk1sp2gc8q
    @user-bk1sp2gc8q 2 роки тому +7

    そういえば、今年は北京で冬季の五輪でした
    五輪といえば戦前の計画で、9600形に代わるデカポッドの計画がありました
    しかし、台枠の上に火室を設ける関係で重心が高くなり、ハンマーブローの影響で速度が出なくなるので、ミカドのD50形になったそうです
    E10形は僅か5両の製造数で、保存機が残っているというところがいいですね

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      いつもご視聴頂きありがとうございます。オリンピックに引っかけた題名気づかれましたね。
      E10は5輌が汽車会社、後の5輌は日車の予定でした。動画でそれは言いましたが、なぜかというと日本車両の海外向けのカタログにE10-1とスペックが書かれたものがあるのです。1号機は汽車会社なのによく写真使ったよなぁと感心しました。著作権がどうなるのかわからなかったので動画にはアップしませんでしたが、とても興味深いカタログです。

    • @user-bk1sp2gc8q
      @user-bk1sp2gc8q 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab 別の人の動画では、インドネシア向けにE10形という形式の機関車が輸出されたことがあるそうです

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ドイツのMaschinenfabrik Esslingen (MFE)がインドネシア国鉄に輸出したE10タンクですね。
      この会社の最後の製造した蒸気機関車ということで出荷前に飾り立てた写真を見ました。

  • @ShunRailwayCh
    @ShunRailwayCh 2 роки тому +4

    4100はマッファイ社じゃないですか?EF58と同じなのは経費削減と言われていますね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      いつもご視聴頂きありがとうございます。流石ですね。後年クラウスとなった会社なので、そちらのほうが皆様に名が知れているので、クラウスと言いました。

    • @ShunRailwayCh
      @ShunRailwayCh 2 роки тому +2

      @@Yukkuri-Labいつも楽しく見させていただいてます。
      マクドネル社とダグラス社がマクドネル・ダグラス社になったのと同じようなことですね。Wikipediaのある画像にマッファイ社とあったのでずっと色々な方がクラウス社と言っている理由が分からなかったんですよ。

  • @Omoide_hozon_Railway
    @Omoide_hozon_Railway 2 роки тому +1

    E10は元々キャブフォワード設計でボイラー側が後位だった(見た目バックで走るのがデフォ)と思いましたが

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴いただき有難うございます。おっしゃる通りです。しかし制式仕様では煙突が前であるようです。

  • @user-ic2bi1vc6m
    @user-ic2bi1vc6m 2 роки тому +4

    いよっっ! 待ってましたっ!
    次は同じタンク機でも最小サイズ『形式B20』なんてどうですか?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +5

      ご視聴頂きありがとうございます!B20は鹿児島で見たことがあります。マスコットの様ですね。
      本線に行くことが許されないかごの鳥でした。最後にお情けで本線走らせてもらってよかったですよね。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +3

      今では、京都鉄道博物館にB2010号機が動態復元されて保存されている。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ちょっと装飾がやりすぎとは思いますが、動態なのは嬉しいです。

  • @user-qg2kl7cg8f
    @user-qg2kl7cg8f 2 роки тому +2

    E10の第五動輪は固定で横動しませんね。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      いつもご視聴頂きありがとうございます。調べなおしましたがおっしゃる通りです。第一動輪だけです。誤りご指摘ありがとうございます。

  • @corjioono7463
    @corjioono7463 2 роки тому +1

    板谷峠と矢武峠位か4110形置き換えだと使えそうなの

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。
      矢岳峠は線路を痛めすぎて6か月ぐらいで金沢に持っていかれたんですね

  • @channel-pj8sr
    @channel-pj8sr 2 роки тому +1

    こんにちは。動画を視聴しました。自分がE10を知ったのは、青梅鉄道公園が開園してからなので、現役時代は見ることが出来ませんでした。E10は、かつてD51に二度仕事を奪われていて、活躍の少なかった機関車でしたね。E10の1号機には、C60と同じ襟巻形煙よけを搭載していました。次回も楽しみにしております。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      いつも見ていただきありがとうございます。E10-1の除煙板ですが、あれー?と思い調べましたが、金沢の倶利伽羅峠の時代に襟巻タイプとは違う板を煙突にかぶせたようなものが出てきました。C60/C61タイプの襟巻をご存じでしたらリンクをお知らせ頂ければ嬉しいです。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +2

    悲劇のE10形蒸気機関車。最初の配置は庭坂機関区で、板谷峠に使用されたが、電化工事完成で、人吉機関区に転属して、矢岳越えに使われたが、北陸本線俱利伽羅峠越えに使われたが、最後は米原ー田村間の交直セクションに使用された。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +3

      ご視聴頂きありがとうございます。皆様悲劇のE10とおっしゃるのですが、わたしはボイラーの期限まで持てばそれで良しとされた機関車だと思っています。ですから10年以上生き永らえたのですから、まぁ幸せではないでしょうか。

    • @user-bf6lc9hb6o
      @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому

      @@Yukkuri-Lab さいたま大宮鉄道博物館のあとに青梅鉄道公園のE102号機を見て見たい。
      しかし、コロナウィルスオミクローン感染が収まらないと動けない。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      大宮〜青梅は車でさほど時間がかかりませんので、可能であればレンタカーで両方訪問されてはどうでしょうか。特に青梅は歩きだと山道歩かされて少々しんどいです。
      E10も良かったですが、初期型の8620、9600のSカーブ描くキャブ周りが見られて良かったですよ。

    • @N--jv3go
      @N--jv3go 2 роки тому +1

      @@Yukkuri-Lab 電車より車の方が早そうですね。青梅駅から現地まで少しですが山登りですし。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +2

      駐車場はタダです。公園のすぐ脇にあって便利です。駐車場の横の山に登って望遠でE10を木枝が邪魔しなければ上手く撮れるかもしれません。(立ち入れるのかは不明です)

  • @norakura0492
    @norakura0492 2 роки тому +2

    ちょっと青梅に行ってきますw

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +4

      ご視聴頂きありがとうございます。青梅はE10とC11、D51には屋根が無いんですよね。
      でも外観はとても綺麗です。ボイラーの下を除くと錆が酷くて、見なければよかったと思いました。
      屋根は付けて欲しいです。
      いろいろ勉強になる機関車です。車でないと山道歩かされるので、結構つらいですが。

  • @user-hf6us1lp1p
    @user-hf6us1lp1p 2 роки тому +1

    E10って数が少なく不運の機関車として意外と有名ですよね。
    c54とかネット情報はほぼないですし、モノクロ写真しかないですし。
    もとはE50のタンク型ですかね。 最初の動画は新しそうですが、日本ではない保存機による貨物列車ですね。
    4110って美唄鉄道型が駅舎とともに残っていましたよね。あと非公開で個人所有機があるとか。
    4100と4110って部品の互換性あるんですかね。
    関係はないですがほくほく線を蒸気機関車で走ったら窒息事故率90%超えそうですが、E10なら何とかなりそうだが。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      こちらもご視聴いただき有難うございます。様々な観点からコメントいただき参考になります。
      4110と4100の互換性ですが、部品品番レベルまで落とし込むと材質も違うでしょうから無いと思っています。パクリであってロイヤリティを支払って同じものを作ったわけでは有りませんから。
      ところでほくほく線のことお聞きするまで知りませんでした。

  • @user-ou8eg4tp9e
    @user-ou8eg4tp9e 2 роки тому +4

    まあ仕方がないですよ
    何せ保線から線路を傷つけるという苦情が
    たくさん上がってきたし
    それに機関車自体粗悪な材料を使ったうえに
    鉄や鉛に銅を節約したものだから
    老朽化の進行が著しく激しいからわずか10年で廃車になった
    私も一昨年青梅鉄道公園に行って見て来ました。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。線路の横圧酷かったので矢岳峠では6か月で追い出されましたね。肥薩線のあの辺りは蛇が多いところで、汽車の写真を撮るときは三脚を前にして歩けと言われたことがありましたから、当時保線の方も怒るのもやむを得なかったんだろうと思いました。列車本数も多かったですから。
      3年持てば良い仕様だったと思っています。

  • @user-bf6lc9hb6o
    @user-bf6lc9hb6o 2 роки тому +2

    悲劇のE10形蒸気機関車。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +3

      ご視聴頂きありがとうございます。悲劇、悲運と前置詞が付くのですが、わたしは暫定短期間持てば良いという目的で作られたので、それから見れば長生きできたし、静態ですが保存機もあってよかったのではなかったかと思っています。

  • @nws3260
    @nws3260 2 роки тому +1

    幼少のみぎり、シリンダーから前3軸が通常の形式で、第4・第5軸が独立台車構造でユニバーサルシャフトで伝達、なんていうのがあれば最強じゃん、なんて夢を見たこともありましたw

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴頂きありがとうございます。そうですか、お小さいころからメカニズムに関心が高かったのですね!

    • @user-mb2dl9tg8d
      @user-mb2dl9tg8d 2 роки тому +1

      過去、鉄道連隊に「ルッターメラ-式」という、第2.3.4軸はロッド連動で、第1.2軸と第4.5軸の間は幅広の歯車連動構造の機関車がいましたよ。

  • @user-ro6xo2hl5o
    @user-ro6xo2hl5o 2 роки тому +1

    十年一昔(まぁこれも死語だけど)というなら大昔(若くてお金も無かったもんだから)
    CDが世に出て数年、ようやくヤマハのCDプレイヤーを買った時にオマケで付いてきたサンプル音源CD
    (ピュアデジタル音源の民生普及の尖兵たるCDの普及期だったので「どうよ?」って感じでそういうのが付いてた)
    (世はオーディオブームで、そんじょそこらの家電量販店にも当たり前に防音の試聴室があったんですよ)
    (そもそも「単機能のCDプレイヤー」なんて最近お見掛けしませんね)
    ・・・に、小川がチョロチョロ小鳥がさえずる中、E10が登坂してくるシーンの音源が付いてて。
    岩壁にハーケンを打ち込みながら手元足許を踏み締めて昇るかのような、物凄いスローテンポと緊迫感でね、
    とっても印象的だったです。(アレどこ行っちゃったかな、オマケとはいえ、捨てては無い筈なんだけど・・・)

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому +1

      ご視聴頂きありがとうございます。なるほど。それは超貴重品ですね。私も是非お聞きしたいものです。私のオーディオマイブームの時はCDプレーヤーは無かったと思いますが、一時期すごい重いCDレコーダーを担いで近場の小海線とか中央西線で録音していたことがあります。これでも持ち運べないオープンリールより軽くて安
      かったですが、やはり写真と両立できずに止めました。

  • @user-ix2rp1qn4c
    @user-ix2rp1qn4c 2 роки тому

    日本唯一のキャブフォワードだったっけ?

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご視聴頂きありがとうございます。一般にはキャブフォワードと言われていますが、制式に於ける仕様ではボイラー側が前となっているようですね。

    • @user-ix2rp1qn4c
      @user-ix2rp1qn4c 2 роки тому

      @@Yukkuri-Lab なるほど…ありがとうございます

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      今回のC54の動画を作っていて、播但線のC54の窒息脱線転覆事故は逆行運転中トンネル内で窒息だということを知りました。しかも客車は回送です。トンネル内で止まってしまって引き出しに時間がかかったためかもしれませんが、逆行でもそのようなことが起きるのだと認識新たにしました。

    • @user-ix2rp1qn4c
      @user-ix2rp1qn4c 2 роки тому

      @@Yukkuri-Lab 調べてみたところC545号機は生野トンネル手前で昇圧不十分により停車。その後発車したが急勾配による速度不足でトンネル内部で機関士及び機関助士が失神して操縦不能になりそのまま走行を続け下り勾配に入って加速。そのまま速度超過で曲線を曲がりきれずに真名谷トンネル北口の壁面に脱線衝突。キャブは完全に潰れて機関士も機関助士も即死したそうです。

    • @Yukkuri-Lab
      @Yukkuri-Lab  2 роки тому

      ご返信有難うございます。そうなんです。事故の詳細についての記事を調べて読みました。あまりに凄惨なので動画では紹介できませんでした。トンネル内で止まったのは石炭の質が問題だったのでしょうか。