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個人的にはC57とC60のスタイルがバランスがとれていて好みです。SLは人間味溢れていて、それぞれに個性があるので親近感がわきます。「きかんしゃトーマス」が長く子供たちに愛されている理由も分かる様な気がします。私が幼少時は絵本や図鑑でしか見れなかった記録も現代では動画で知ることが出来ますこのチャンネルを通じてSLに興味を持つ子供たちも出てきそうですね。これからも貴重なSLの記録を楽しみにしております。
さやかさん、こちもご視聴ありがとうございます。C57はもちろん良いのですが、個人的にはボイラー細いわりに、ボックス動輪が重い感じしちゃいます。それならばC55、さらに突き詰めていけばC54になるのかな?と思います。でもC54は見たことがありません。
@@Yukkuri-Lab よく分かります!C55の動輪は品のある形態で、むしろこちらの方が貴婦人と言うべきかもしれませんが、あくまで個人的にC57やまぐち号が好きで親近感があるので贔屓に見てます…ただし模型では天賞堂のC55を愛でて満足していますww
山口線のC57というとあの集煙装置付きの時代からのファンでしょうか?
@@Yukkuri-Lab そうですね。でも集煙装置は無い方が断然いいですね!せっかくの貴婦人が台無しです……
あの姿は小郡で一枚だけ撮影したことがあります。
楽しい動画でした!盛り上がりに参加です。私はD52に国産エンジンとしての究極的魅力を感じます。そしてD52のボイラが活かされ縁ある東北本線を駆けたC62とD62。加えてC11も好きな蒸機です。ガキ時代に何とか会津若松駅にたどり着き、初めて間近で感じた現役C11の熱気とスチームは衝撃でした。
かつおくん、こちらもご視聴ありがとうございます。年末、年始にかけて、2回に分けアップデートした制式全部登場動画をアップしていますので、是非ご視聴ください。
私はC 58とC 59が好きです。非常にバランスが取れたいいデザインです。ただ8620や9600が後年まで活躍できたのはつくりが丁寧だったと聞いたことがあります。戦中、戦後の酷使をくぐり抜けたクラフトマンシップもいいものだと最近感じる様になりました。
ご視聴頂きありがとうございます。C58がお好きなのですね。私は関東地方にいたC58のイメージが災いしています。C59は非の打ち所がないスタイルで日本の機関車の中で持っても好きです。8620と9600は確かに長生きしましたね。数も多いと部品の使いまわしもできたのも理由だったはずですし、ボイラーの使用圧力も低いのが良かったのかもしれません。
@@Yukkuri-Lab ご返信いただきありがとうございます。ご存知の通り日本の製鉄技術は立ち遅れており、レールが自製は明治45年以降の話です。昭和初期までは輸入鋼板が主流であり、その後の日本製とは腐食の進み具合が違っていました。長生きの秘訣はそこら辺かなと思います。
なるほど。たとえばベアリングではスウェーデン鋼を使ったSKFが当時はリードしていましたね。
@@Yukkuri-Lab そうなんです。戦争を挟んでの機関車は材質も粗末ですし熟練工も少なくなっていった時代に作られました。明治、大正期の機関車は近代的な美しさはないものの人の手で丁寧に作られた良さがあります。
4:49日本の蒸気機関車といえば、やっぱりD51形蒸気機関車ですね!!「きかんしゃトーマス」に登場するヒロのモデルだけあってカッコ良いです!!!今日(5月13日・金曜日)に、雨の中の尾道のD51 422号蒸気機関車を撮影しに行ってきました。よろしかったら見に来てください。🙏お願いします。🙏
ご視聴いただきありがとうございます。後で必ず見ますね!
北海道、美唄の炭住で昭和30年生まれです。三菱美唄鉄道の機関車、大好きです。父親の転勤で幼稚園、小学校は東京でしたが大宮に出かけると煙がもうもうしていて楽しかったです。
ご視聴いただきありがとうございます。私も美唄には親戚の係累がいて縁が無いこともなく、昔から興味を持っていました。北海道は炭鉱はほぼ全滅に近いようですが、当時はそれこそ活気がありましたね。私も大宮あたりまで行くと煙もうもうで辟易しました。上野あたりでも煙が多かったです。新宿、渋谷あたりはもちろんありませんでした。
タイの日本製蒸機はボイラーが21世紀に入って重油焚きに換装されてるみたいです。王室関連の日に運行されています
ปาวา爺さん、ご視聴頂きありがとうございます。タイの動態保存されている三輌のパシフィックとミカドは元々重油炊きでした。その前は焚き焚きでした。10年ぐらい前でしょうか、日系のタイのボイラーメーカー(タイ・ヒラカワ社)がパシフィックの2輌を外部ボイラーで動くように改造したのですね。出力はかなり落ちましたが、客車を重連で何両も牽けるようにはなってます。残ったミカドは重油炊きのオリジナルのまま庫に居ますが、最近使われて今左遷。
昔は形式別に本を買いだめしてましたが今はこの動画を保存するだけです。便利になりました。地味であまり人気の無いC58が個人的には好きです。全国に配置され晩年まで稼働していたので次回是非C58詳しくお願い致します。
ご視聴頂きありがとうございました。苦手のC58なんですが、明日はC58の日ですね。天気悪くて秩父に動画撮りに行ってないです。しかし、来週メンバー様アンケートやってみて決めて見ようかと思います。
京都鉄道博物館所蔵のC62 2号機と静態保存状態の1号機・26号機をどうにかレストアして再び動態機として、1号機・2号機・26号機というC62三重連をぜひ見せてもらいたいものですがね。本当は北海道苗穂に保管されている3号機を持ってこれたらいいんでしょうが、たぶん無理でしょう。
ご視聴頂きありがとうございます。夢のようなお話大好きです。梅小路はいまでもたまには1号と2号を連結して並べたりするのでしょうか?この動画のサムネは単にずらっと並んでいるだけで、遠目で連結していたのかは定かではないのですが、こうやって並べるだけでも大迫力ですよね。
その費用を出してくれるスポンサーを探すことから始めないと。
@@heromr3352 クラファンだな😉
国鉄の蒸気機関車24機種の中で1台も保存されてないのはC54形とD62形の2台ですね!先車は現役引退まで福知山線を走った機関車で後車は東北本線から山陽本線とかの日本中の本線を走った貨物用機関車なんだから車両の1両や2両、3両以上くらい保存してほしかったです!
ご視聴頂きありがとうございます。C54とD62がありませんね。でもD62はD52とまったく同じ外観ですから良しとしても、美しいC54が無いのはとても残念です。
B20にATSを搭載できたことに驚きました。くるくるぱーと言われると特殊信号発行機が頭に浮かびますね。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんです。私も調べて驚きました。鹿児島で石炭を引き取りに行く場所は本線を横切るところにあって、そのためだけにATSが必要なのです。クルクルパーを気になって調べましたらあの信号機のことをそう呼ぶのですね。知りませんでした。教えていただきありがとうございます。
2:51 自分(ワンマンエリックが中学時代の修学旅行にて、当時梅小路蒸気機関車館に訪れた頃からNゲージ模型を持ってるぐらい)大好きな、名機関車(D50 140)。
ご視聴頂きありがとうございます。D50-140は昭和46年4月にさよなら運転をやって、小倉で梅小路行きの化粧を施され、梅小路で汽笛の合唱なんかをやりました。しかし翌年筑豊の機関車が不足して急に呼び戻され現役復帰した奇妙な経歴を持ってます。
筑豊本線で石炭輸送に活躍先輩の9600や足まわりを改造したD60と共に黙々と走り続けた後ろ姿は私にとって良き道標です❗
活気のあった石炭産業の一端を鉄道の側からでも見ることができて幸いでした。
あー、このBGM(いや BG Sound かな…笑)は小海線の走行音ですね、これ正座して聴きました。
ご視聴頂きありがとうございます。そうです。以前の動画を削除したので、その音を使いました。ちょっと工夫が足りなかったですね。
C53が標準軌規格で作られていたらどんな性能だったのか非常に気になります。もし標準軌なら…と考えるだけでワクワクします!
ご視聴頂きありがとうございます。標準軌ですと満鉄のミカニが同じグレスリー弁を使う三気筒です。設計はALCOで少数輸入後国産化して汽車会社でも作られました。貨物機ですが80年代まで使われていましたので大したものですよ。
もし標準軌だったら動力近代化まで使われていたかもですね…
C57貴婦人最終ロッドは、神居古潭駅後で静かに静態保存されてますね
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよね。唯一四次系での生き残りですから大事にしてもらいたいですね。
C56160号機は、動態保存機として、各地のイベント列車に使われたが、台軸の損傷でSL機体びわこ号を最後に構内運転になった。
大坂孝幸 C56 160号機は確か炭水車の全長がd51とかと比べて短いから新型のATS装置を搭載出来なかった為2018年に本線運行を終了したんじゃ?
大事に使われていたのに残念ですね。小海線を走ってもらいたかったです。
ATSが理由だったのですか。小海線の一部区間をタブレット閉塞にして走ってもらいたいですね。
@@追分D51 確か、JR西日本のATSーSWが導入出来ないせいか、管内での運行不能となって、京都鉄道博物館での館内展示走行になった。ちなみに、SL北びわこ号は、C571号機が牽いていたが、台枠とボイラー不調により、D51200号機の牽引運行になっている。
C59は軸重が重いけど、動輪の板バネを緩くしなかったと思います。そのせいか、揺れが少なくどっしりしていました。C62は前後の従輪に荷重を載せて、動輪の荷重を下げたためか?よく揺れました。ポイントを通過するときはひっくり返るんじゃないか、というほど左右に揺れました。
akioさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。C59のチューニングの基本は時速95㎞までの乗車感を優先させたそうで、それ以上の速度域ですと、テンダーの前後動や、動輪の線路への影響が大きくなったとか、実用域では問題なく仕上げてあるそうです。
@@Yukkuri-Labさん 本機とテンダーの間はかなりの揺れで、前後左右に揺れまくります。ポイント通過時はとてもひどい。最高速トライでは真っすぐの鉄橋が選ばれたには大きな理由がそれです。道床もショックを吸収するために、ある程度は動き、線路自体もかなり上下に動きます。正確には左右にも動いています。
akioさん、C59はC53に比べ、二気筒ですのでモーメントが大きいわけで、ハンマーブローが高速域で酷くなります。ですから時速120kmぐらいではC53は平和だったというコメントになるのでしょう。でもほとんど出すような機会はないので、C59は時速95kmまでを重要視したとのことです。
C11は昔も今も使い勝手がいいせいか動態保存機も多いですね。大正期の8620や9630やD50は蒸気機関車の最後の方まで長生きでしたね。D51はナメクジやナメクジ改標準機や上煙板なしとかありましたね。C50は8620ほど目立った感じはないですね。C54からC55.C57と発展していきましたね。
C11が何で動態保存機が多いのか不思議です。タンク機だからってさほど違わないと思うのですが。保存機多くてスペアパーツの供給で有利なのが一因でしょうか。D51は重装備とは別にデフ無し入換専用もあってとてもレアなかたちしています。入換え特集で登場させたいと思います。その時はC50や8620も出すつもりです。
@@Yukkuri-Lab C11はタンク機故に転向不要(テンダ機は逆行時速度制限喰らう)であること、全長が短いので待避線有効長の短い線区にも入線させやすいこと、軸重の関係で所謂丙線にも入れること…その辺りが重宝される点でしょうか?また全国的に配備されていただけに動態保存復活時(現役蒸機引退後間もない頃)にはC11を扱った経験者がまだ現場に多く残っていた可能性も高くそして早くに大井川鐵道が復活させた分技術伝承もし易かったのでは?と愚考します。
@ SleeperExpressJNR 様 なるほど技術伝承という点ではC11はメリット高いかもしれませんね。私はC12のほうが好きなのですが。
個人的に思い入れの強いのは門デフ装備のC55になります!
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴いただきありがとうございます。門デフC55いいですね。13号のK-2型も変わっているので、ua-cam.com/video/W2m8NGSzuPs/v-deo.html もご覧ください。
一番身近だったのは奈良線のC58、次が梅小路のC57ですかね。梅小路の汽笛、風向きによっては京都市内色んなところで聞こえますよ。
ご視聴頂きありがとうございます。その辺りの機関車は集煙装置付きが多かったですね。町中に汽笛が響くのって風情ありますね。
@@Yukkuri-Lab 様奈良線、転車台の無い桃山発着の貨物の片道と京都駅のホームで折り返す荷物列車の下りはC58の逆行運転でしたね。奈良線にわずか2両編成の荷物列車が運転されていたのも驚きですが。湘南顔のキハユニ16?が走っていたのを覚えてますが、荷扱いしてたのかは不明です。そうそう、今月の21日夜間ですが福線化工事の関係で桃山折り返しが復活。京都側から、1番線に入る進路が準備されていたので予想はしてましたが。
@Keihan Hiro様 奈良機関区の古い写真(ネガカラー)を見たらC58-352と-180が映っていました。これが奈良線で京都に行っていたのですね。(これら退色ひどくてまだサルベージしていません)キハユニは全く記憶にありません。蒸気以外にはあまり興味なかったものですみません。桃山駅の中心線とホームのずれの話は聞いたことがあります。
@@Yukkuri-Lab 様梅小路からの下り貨物は。東海道下り線を平面交差して奈良線に入ってましたね。今ではとても考えられ無い話ですが。あっ、まだ京都から草津は複線の時代ですが。
今は複々線なのですか?西の方は全然詳しくなくて。奈良の2輌のC58ですが昨日修復しましたがこれ以上は無理でした。→ twitter.com/berizym/status/1523075369980465153?s=20&t=Pj-nWHI9VdlsTMk5l99j0g
3:40で登場する9600はイカツクでカッコいいですが、模型で作るには、苦労します。
ご視聴頂きありがとうございます。二つ目ですね。北海道の9600で唯一形態写真撮りたくなる機関車です。追分にも原形の9600が最後までいましたが。
C52とC53が出てこないのは何故ですか?
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴ありがとうございました。昭和40年代の国鉄制式現役機種をまとめたもので、C 52,C 53,C10は省きましたが、4110が入っているのは変でした。
あ、あの...C10...宮古にいて、そのあと大井川鉄道に移って現役走行してる機関車...出てきてますか...?
Shotaro Itohさん、ご視聴いただきありがとうございます。そうですねC10が取り上げられていない事みなさんからご指摘受けていて、大井川に撮影に行かなくちゃと思いつつもまだ行けていないのです。必ずC10は取り上げますので、お待ちください。
@@Yukkuri-Lab さん、あとC53、C55の流線型バージョンのお写真、見つかりそうですか?
Shotaro Itohさん、C55はまだ借りることできていませんが、先日のC53特集の時、超特急つばめ牽引のC53の京都駅の姿を乗せていますのd、是非ご覧ください。
@@Yukkuri-Lab さん、ありがとうございます!楽しみにしています!
折尾育ちな還暦前のおっさんだけど、SLがバンバン目の前を走ってた記憶はあるが当時は形式なんて興味ないし、ガキにカメラ持たせてくれる時代でもなかった。室木線なんかはかなり後まで現役でハチロクが走っててカメラも持ってたけど、あの頃はブルトレばっか追っかけててSLは撮らずじまい。あんとき撮っておければなぁって今も悔やんでるw
ご視聴いただきありがとうございます。折尾は東京からの急行桜島で何度か行きました。立体交差で下が蒸気で上が電車とか楽しい駅でしたね。折尾から中間の間は蒸気の撮影には夢のような場所でした。やってくる頻度とバラエティが半端なかったです。
ブルトレといえば、ごく短距離ながらC11がさくらを牽いていたのでは?
50代のオッサンですが@東京23区なのでリアルSLは知らない😵復活SLは8620・C11・C12・C57・C58・C62・D51に牽かれました😉
ご視聴頂きありがとうございました。そうですか、50代の方々でも蒸気機関車を現役でご覧になられていないのですね。東京から無くなったのが、昭和45年ですね。最近時が風の様に速く過ぎるので戸惑ってます。C61はお好みではないですか?
@@Yukkuri-Lab C61&C56も牽かれたいのですが、最近までガラケーで情報不足で乗れてません。高崎はD51が出てくる可能性あるし、大井川は現在どのくらいC56走ってるんだ?😋
C56の44号はあまり出てこないのではないでしょうか?
この動画を見て思ったよ、蒸気機関車は最高だなぁって
ご視聴頂きありがとうございます。今回駆け足だったのは反省点です。
大丈夫だよ、いい動画だったよ〜!
素敵なご評価いただきうれしいです。ありがとうございます。
堪能出来たし
SL世代はある意味うらやましい😁
10:28最高すぎ!
ご視聴いただき、素敵なコメントまでいただきましてありがとうございます。これからも精進しますので、よろしくお願いいたします。
C51 D50は至高。再び走る姿を見る事は永遠にない。JRも機関車廃止とか、もう終わりなんだなぁ。
ご視聴頂きありがとうございました。JRが機関車廃止とは電気とディーゼルの事ではないのですか?流石に蒸気は取っておくでしょう。
D52は何号機か忘れたけど、どこかで空気圧縮を使って動いていた気がする。
ご視聴頂きありがとうございます。山北ですね。圧縮空気で静々と動きます。
何か機会有れば函館本線のD52の特集をして下さいお願いします。
ご視聴頂きありがとうございました。D62先日やったのでしばらく開けてから函館本線のD52はやりますね。
大型機より、中型機の方が使い勝手はよかったんですね。C59.60.62よりC57.61のほうが重宝されたのですかね?
ご視聴頂きありがとうございます。先の3機種は軸重重く重量もあって、線路を選びますから。それとストップ・ゴーが多い普通列車だと石炭の消費も多いので面白くないはずですね。
C10がいない
尾方さん、ご視聴頂きありがとうございました。国鉄制式で昭和43年頃現役と区切ったのでC10を外しました。次回アップデートで入れますのでご容赦ください。
流石に元祖タンク機のC10はないですかいまだに大井川鉄道で現役のロンサムジョージなのですが
うーん。しばらく考えたのですが、C10は昭和43年当時は国鉄に無かったよな、でも同じような4110は入れたいしという事で、4110にしました。
@@Yukkuri-Lab 確かに、その頃は工場勤務で国鉄にいませんでしたからねしかし、国産初の本格タンク機関車であることを考慮すると、いないのは少々寂しくあります
ご指摘理解いたしました。次のアップデートには入れるようにしますね。
御殿場線は元々東海道本線だったので軌道は所謂特甲線規格。そして勾配がきつい分D52が重宝されたのでは?殊に東海道本線の熱海界隈で万が一の事態に陥った時には迂回路線として東海道の大単位貨物列車やフル編成のブルトレなどを迂回させる可能性を想定してのD52配備だったのでは?呉線も沿線の呉市が戦前は軍都として栄えていたのでここも東海道・山陽本線に準ずる規格で、東京・大阪直通の急行列車や現車12両に及ぶ通勤通学列車もあったのでC59が生き延びることが出来たのでしょう。後年平区からC62が[人事異動]してくるも、軽軸重機故に大単位列車の牽引に[踏ん張り]が効かずストーカーが無い不利を差し引いてもC59が重宝された由。
ご視聴頂きありがとうございます。詳細な解説もありがとうございます。素直に受け取るとご説明の通りなのですよね。御殿場線はD51もいたわけですから別にD52を置いておく必要はなかったし、呉線もC57/D51で大丈夫じゃないのか?と思ったわけです。自分の中では国鉄はそこまで面倒なことを考えているほど暇じゃなく、電化を控えているなら面倒なことは考えなくて良いと言うのが理由じゃないかなと思います。
D6213デフがÐ62じゃないし前端梁埋め込みの標識灯のD62は無いと思う、東北行ってからだと前照灯はダブルだと思われる。
ご視聴頂きありがとうございます。はいおっしゃる通りです。従いまして動画の中でお伝えしました。
C622号機と急行ニセコ号の会、お待ちしております。
ご視聴頂きありがとうございます。2号機特集早々にやりたいです。ご期待ください。
あと2時間。(ワクワク)
お気に召すといいのですが…
梅小路のハチロクはデフなしですよ
ご視聴頂きありがとうございます。そうです。デフ無しです。
蒸機の代表D51や貴婦人C57、「つばめ」のC62に比べると地味だけど1966年まで余剰廃車が無かったC58は凄い。
ご視聴頂きありがとうございます。C58はそうだったんですか?!長距離もこなせるしC58は万能ですね。私も夜行列車の急行大雪の臨時に乗っていて朝起きたらC58がけん引していて驚きました。なかなか速かったです。
@@Yukkuri-Lab さん、大陸輸送船が撃沈され沈没したり、事故廃車になった車輌以外無いんですよ。
当時最後まで残る蒸機と識者が異口同音に唱えていたのがC58。然し…DE10の登場がC58に引導を渡してしまいあとは堰を切ったように陥落。1975/昭和50年の時点では稼働機はいなかったのでは?1976/昭和51年3月(一応は昭和50年度)まで稼働していたのが何と古豪9600だったというのはなんとも意外でした(^^);
@@Yukkuri-Lab 1727レ(大雪崩れ)も末端区間はC58所定でしたね。おそらくD51・C57クラスだと軸重の関係で入線不可若しくは入線出来ても速度制限喰らうのでC58が用いられたのでしょう(天北線で14系客車化された急行[天北]の牽引にDE10が充てられたのも軌道条件からDD51だと50km/h制限喰らうところDE10なら75km/hまで許容されるからでした)。
@@SleeperExpressJNR さん、追分機関区の三輛ね。
B20とは、日本唯一動輪が2軸の機関車である、本線では走らなく、入れ替え機である。C10とは、レアな車両で現在は大井川鐵道で動態保存されていた。C11とは、タンク機関車で、後ろ向きで走る事もあった、車軸配置が4-6-2になるから。C12とは、C11型より軽くなり入れる路線が広くなった。C50 これも誰か〜説明して〜( ☓∀☓)・∵. グハッ!!(あったけ〜?)C51とは、戦前の特急燕を牽引した機関車で、性能が良く御召列車も牽引した。C52 誰か〜説明して〜( ☓∀☓)・∵. グハッ!!C53C54とは、性能が良い訳では無い、後輩機に置き換えられてしまった。C55とは、幹線用の機関車で、スポーク動輪はこの機関車が最後で、後継機はC57型である。C56とは、中型蒸気機関車で、今までタンク機関車だった区間に入り、タンク機関車より走行距離が長く、後方視界も良く万能だった。C57とは、C55型をボックス動輪したような物で、その細いボイラーから貴婦人と親しまれている。C58とは、86(8620型)の後継機として86を越せなかったが、一番成功に近い物となった。C59とは、幹線用大型蒸気機関車で戦前型と戦後型で違い改良されている。C60とは、C59型を改造してできた車軸配置4-6-4のハドソン型にした。C61とは、戦後余剰に余ったD51型の車軸配置を4-6-4のハドソン型にした。C62とは、戦後余剰に余ったD52型を車軸配置4-6-4のハドソン型にした。そして、D52型の大きなボイラーにより日本一の蒸気機関車になった。C63とは、設計されたが製造されなかった為、幻の蒸気機関車となった。E10とは、日本唯一の動輪が5軸の機関車である。
古谷さん、ご試聴いただき有難うございます。C52はALCOからの輸入機。C53はそれをパクって国産化した重パシフィックです。パクるなんて言うと叱られるかな。
@@Yukkuri-Lab そうでした、ありがとう御座います。まぁパクって失敗してるし、馬鹿にされるのもしょうが無いと思います。
スタイルは抜群なんですけどね。C53ですが。
@@Yukkuri-Lab 日本の狭軌幅のレールではキツかったですね。
はい、その通りです!
個人的にはC57とC60のスタイルが
バランスがとれていて好みです。
SLは人間味溢れていて、それぞれに
個性があるので親近感がわきます。
「きかんしゃトーマス」が長く子供
たちに愛されている理由も分かる
様な気がします。私が幼少時は絵本
や図鑑でしか見れなかった記録も
現代では動画で知ることが出来ます
このチャンネルを通じてSLに興味を
持つ子供たちも出てきそうですね。
これからも貴重なSLの記録を楽しみ
にしております。
さやかさん、こちもご視聴ありがとうございます。
C57はもちろん良いのですが、個人的にはボイラー細いわりに、ボックス動輪が重い感じしちゃいます。それならばC55、さらに突き詰めていけばC54になるのかな?と思います。でもC54は見たことがありません。
@@Yukkuri-Lab
よく分かります!
C55の動輪は品のある形態で、むしろ
こちらの方が貴婦人と言うべきかも
しれませんが、あくまで個人的に
C57やまぐち号が好きで親近感が
あるので贔屓に見てます…
ただし模型では天賞堂のC55を
愛でて満足していますww
山口線のC57というとあの集煙装置付きの時代からのファンでしょうか?
@@Yukkuri-Lab
そうですね。でも集煙装置は無い方が
断然いいですね!せっかくの貴婦人が
台無しです……
あの姿は小郡で一枚だけ撮影したことがあります。
楽しい動画でした!盛り上がりに参加です。私はD52に国産エンジンとしての究極的魅力を感じます。そしてD52のボイラが活かされ縁ある東北本線を駆けたC62とD62。加えてC11も好きな蒸機です。ガキ時代に何とか会津若松駅にたどり着き、初めて間近で感じた現役C11の熱気とスチームは衝撃でした。
かつおくん、こちらもご視聴ありがとうございます。
年末、年始にかけて、2回に分けアップデートした制式全部登場動画をアップしていますので、是非ご視聴ください。
私はC 58とC 59が好きです。非常にバランスが取れたいいデザインです。ただ8620や9600が後年まで活躍できたのはつくりが丁寧だったと聞いたことがあります。戦中、戦後の酷使をくぐり抜けたクラフトマンシップもいいものだと最近感じる様になりました。
ご視聴頂きありがとうございます。C58がお好きなのですね。私は関東地方にいたC58のイメージが災いしています。C59は非の打ち所がないスタイルで日本の機関車の中で持っても好きです。8620と9600は確かに長生きしましたね。数も多いと部品の使いまわしもできたのも理由だったはずですし、ボイラーの使用圧力も低いのが良かったのかもしれません。
@@Yukkuri-Lab ご返信いただきありがとうございます。ご存知の通り日本の製鉄技術は立ち遅れており、レールが自製は明治45年以降の話です。昭和初期までは輸入鋼板が主流であり、その後の日本製とは腐食の進み具合が違っていました。長生きの秘訣はそこら辺かなと思います。
なるほど。たとえばベアリングではスウェーデン鋼を使ったSKFが当時はリードしていましたね。
@@Yukkuri-Lab そうなんです。戦争を挟んでの機関車は材質も粗末ですし熟練工も少なくなっていった時代に作られました。明治、大正期の機関車は近代的な美しさはないものの人の手で丁寧に作られた良さがあります。
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日本の蒸気機関車といえば、やっぱりD51形蒸気機関車ですね!!
「きかんしゃトーマス」に登場するヒロのモデルだけあってカッコ良いです!!!
今日(5月13日・金曜日)に、雨の中の尾道のD51 422号蒸気機関車を撮影しに行ってきました。
よろしかったら見に来てください。
🙏お願いします。🙏
ご視聴いただきありがとうございます。後で必ず見ますね!
北海道、美唄の炭住で昭和30年生まれです。三菱美唄鉄道の機関車、大好きです。
父親の転勤で幼稚園、小学校は東京でしたが大宮に出かけると煙がもうもうしていて楽しかったです。
ご視聴いただきありがとうございます。私も美唄には親戚の係累がいて縁が無いこともなく、昔から興味を持っていました。北海道は炭鉱はほぼ全滅に近いようですが、当時はそれこそ活気がありましたね。
私も大宮あたりまで行くと煙もうもうで辟易しました。上野あたりでも煙が多かったです。新宿、渋谷あたりはもちろんありませんでした。
タイの日本製蒸機はボイラーが21世紀に入って重油焚きに換装されてるみたいです。王室関連の日に運行されています
ปาวา爺さん、ご視聴頂きありがとうございます。タイの動態保存されている三輌のパシフィックとミカドは元々重油炊きでした。その前は焚き焚きでした。10年ぐらい前でしょうか、日系のタイのボイラーメーカー(タイ・ヒラカワ社)がパシフィックの2輌を外部ボイラーで動くように改造したのですね。出力はかなり落ちましたが、客車を重連で何両も牽けるようにはなってます。残ったミカドは重油炊きのオリジナルのまま庫に居ますが、最近使われて今左遷。
昔は形式別に本を買いだめしてましたが今はこの動画を保存するだけです。便利になりました。地味であまり人気の無いC58が個人的には好きです。全国に配置され晩年まで稼働していたので次回是非C58詳しくお願い致します。
ご視聴頂きありがとうございました。苦手のC58なんですが、明日はC58の日ですね。天気悪くて秩父に動画撮りに行ってないです。
しかし、来週メンバー様アンケートやってみて決めて見ようかと思います。
京都鉄道博物館所蔵のC62 2号機と静態保存状態の1号機・26号機をどうにかレストアして再び動態機として、1号機・2号機・26号機というC62三重連をぜひ見せてもらいたいものですがね。本当は北海道苗穂に保管されている3号機を持ってこれたらいいんでしょうが、たぶん無理でしょう。
ご視聴頂きありがとうございます。夢のようなお話大好きです。梅小路はいまでもたまには1号と2号を連結して並べたりするのでしょうか?この動画のサムネは単にずらっと並んでいるだけで、遠目で連結していたのかは定かではないのですが、こうやって並べるだけでも大迫力ですよね。
その費用を出してくれるスポンサーを探すことから始めないと。
@@heromr3352 クラファンだな😉
国鉄の蒸気機関車24機種の中で1台も保存されてないのはC54形とD62形の2台ですね!
先車は現役引退まで福知山線を走った機関車で後車は東北本線から山陽本線とかの日本中の本線を走った貨物用機関車なんだから車両の1両や2両、3両以上くらい保存してほしかったです!
ご視聴頂きありがとうございます。C54とD62がありませんね。でもD62はD52とまったく同じ外観ですから良しとしても、美しいC54が無いのはとても残念です。
B20にATSを搭載できたことに驚きました。くるくるぱーと言われると特殊信号発行機が頭に浮かびますね。
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんです。私も調べて驚きました。鹿児島で石炭を引き取りに行く場所は本線を横切るところにあって、そのためだけにATSが必要なのです。クルクルパーを気になって調べましたらあの信号機のことをそう呼ぶのですね。知りませんでした。教えていただきありがとうございます。
2:51 自分(ワンマンエリックが中学時代の修学旅行にて、当時梅小路蒸気機関車館に訪れた頃からNゲージ模型を持ってるぐらい)大好きな、名機関車(D50 140)。
ご視聴頂きありがとうございます。D50-140は昭和46年4月にさよなら運転をやって、小倉で梅小路行きの化粧を施され、梅小路で汽笛の合唱なんかをやりました。しかし翌年筑豊の機関車が不足して急に呼び戻され現役復帰した奇妙な経歴を持ってます。
筑豊本線で石炭輸送に活躍
先輩の9600や足まわりを
改造したD60と共に黙々と
走り続けた後ろ姿は私に
とって良き道標です❗
活気のあった石炭産業の一端を鉄道の側からでも見ることができて幸いでした。
あー、このBGM(いや BG Sound かな…笑)は小海線の走行音ですね、これ正座して聴きました。
ご視聴頂きありがとうございます。そうです。以前の動画を削除したので、その音を使いました。ちょっと工夫が足りなかったですね。
C53が標準軌規格で作られていたらどんな性能だったのか非常に気になります。もし標準軌なら…と考えるだけでワクワクします!
ご視聴頂きありがとうございます。
標準軌ですと満鉄のミカニが同じグレスリー弁を使う三気筒です。設計はALCOで少数輸入後国産化して汽車会社でも作られました。貨物機ですが80年代まで使われていましたので大したものですよ。
もし標準軌だったら動力近代化まで使われていたかもですね…
C57貴婦人最終ロッドは、神居古潭駅後で静かに静態保存されてますね
ご視聴頂きありがとうございます。そうなんですよね。唯一四次系での生き残りですから大事にしてもらいたいですね。
C56160号機は、動態保存機として、各地のイベント列車に使われたが、台軸の損傷でSL機体びわこ号を最後に構内運転になった。
大坂孝幸 C56 160号機は確か炭水車の全長がd51とかと比べて短いから新型のATS装置を搭載出来なかった為2018年に本線運行を終了したんじゃ?
大事に使われていたのに残念ですね。小海線を走ってもらいたかったです。
ATSが理由だったのですか。小海線の一部区間をタブレット閉塞にして走ってもらいたいですね。
@@追分D51 確か、JR西日本のATSーSWが導入出来ないせいか、管内での運行不能となって、京都鉄道博物館での館内展示走行になった。
ちなみに、SL北びわこ号は、C571号機が牽いていたが、台枠とボイラー不調により、D51200号機の牽引運行になっている。
C59は軸重が重いけど、動輪の板バネを緩くしなかったと思います。そのせいか、揺れが少なくどっしりしていました。C62は前後の従輪に荷重を載せて、動輪の荷重を下げたためか?よく揺れました。ポイントを通過するときはひっくり返るんじゃないか、というほど左右に揺れました。
akioさん、いつもご支援ご視聴頂きありがとうございます。C59のチューニングの基本は時速95㎞までの乗車感を優先させたそうで、それ以上の速度域ですと、テンダーの前後動や、動輪の線路への影響が大きくなったとか、実用域では問題なく仕上げてあるそうです。
@@Yukkuri-Labさん 本機とテンダーの間はかなりの揺れで、前後左右に揺れまくります。ポイント通過時はとてもひどい。最高速トライでは真っすぐの鉄橋が選ばれたには大きな理由がそれです。道床もショックを吸収するために、ある程度は動き、線路自体もかなり上下に動きます。正確には左右にも動いています。
akioさん、C59はC53に比べ、二気筒ですのでモーメントが大きいわけで、ハンマーブローが高速域で酷くなります。ですから時速120kmぐらいではC53は平和だったというコメントになるのでしょう。
でもほとんど出すような機会はないので、C59は時速95kmまでを重要視したとのことです。
C11は昔も今も使い勝手がいいせいか
動態保存機も多いですね。
大正期の8620や9630やD50は
蒸気機関車の最後の方まで長生きでしたね。
D51はナメクジやナメクジ改標準機や上煙板なしとかありましたね。
C50は8620ほど目立った感じはないですね。
C54からC55.C57と発展していきましたね。
C11が何で動態保存機が多いのか不思議です。タンク機だからってさほど違わないと思うのですが。保存機多くてスペアパーツの供給で有利なのが一因でしょうか。D51は重装備とは別にデフ無し入換専用もあってとてもレアなかたちしています。
入換え特集で登場させたいと思います。その時はC50や8620も出すつもりです。
@@Yukkuri-Lab C11はタンク機故に転向不要(テンダ機は逆行時速度制限喰らう)であること、全長が短いので待避線有効長の短い線区にも入線させやすいこと、軸重の関係で所謂丙線にも入れること…その辺りが重宝される点でしょうか?
また全国的に配備されていただけに動態保存復活時(現役蒸機引退後間もない頃)にはC11を扱った経験者がまだ現場に多く残っていた可能性も高くそして早くに大井川鐵道が復活させた分技術伝承もし易かったのでは?と愚考します。
@ SleeperExpressJNR 様 なるほど技術伝承という点ではC11はメリット高いかもしれませんね。私はC12のほうが好きなのですが。
個人的に思い入れの強いのは
門デフ装備のC55になります!
さすらいのアルバトロスさん、ご視聴いただきありがとうございます。
門デフC55いいですね。13号のK-2型も変わっているので、ua-cam.com/video/W2m8NGSzuPs/v-deo.html もご覧ください。
一番身近だったのは奈良線のC58、次が梅小路のC57ですかね。
梅小路の汽笛、風向きによっては京都市内色んなところで聞こえますよ。
ご視聴頂きありがとうございます。その辺りの機関車は集煙装置付きが多かったですね。町中に汽笛が響くのって風情ありますね。
@@Yukkuri-Lab 様
奈良線、転車台の無い桃山発着の貨物の片道と京都駅のホームで折り返す荷物列車の下りは
C58の逆行運転でしたね。奈良線にわずか2両編成の荷物列車が運転されていたのも驚きですが。
湘南顔のキハユニ16?が走っていたのを覚えてますが、荷扱いしてたのかは不明です。
そうそう、今月の21日夜間ですが福線化工事の関係で桃山折り返しが復活。
京都側から、1番線に入る進路が準備されていたので予想はしてましたが。
@Keihan Hiro様 奈良機関区の古い写真(ネガカラー)を見たらC58-352と-180が映っていました。これが奈良線で京都に行っていたのですね。(これら退色ひどくてまだサルベージしていません)キハユニは全く記憶にありません。蒸気以外にはあまり興味なかったものですみません。桃山駅の中心線とホームのずれの話は聞いたことがあります。
@@Yukkuri-Lab 様
梅小路からの下り貨物は。東海道下り線を平面交差して奈良線に入ってましたね。
今ではとても考えられ無い話ですが。あっ、まだ京都から草津は複線の時代ですが。
今は複々線なのですか?西の方は全然詳しくなくて。
奈良の2輌のC58ですが昨日修復しましたがこれ以上は無理でした。
→ twitter.com/berizym/status/1523075369980465153?s=20&t=Pj-nWHI9VdlsTMk5l99j0g
3:40で登場する9600はイカツクでカッコいいですが、模型で作るには、苦労します。
ご視聴頂きありがとうございます。二つ目ですね。北海道の9600で唯一形態写真撮りたくなる機関車です。追分にも原形の9600が最後までいましたが。
C52とC53が出てこないのは何故ですか?
鉄道模型大好きおじさん、ご視聴ありがとうございました。
昭和40年代の国鉄制式現役機種をまとめたもので、C 52,C 53,C10は省きましたが、4110が入っているのは変でした。
あ、あの...C10...宮古にいて、そのあと大井川鉄道に移って現役走行してる機関車...出てきてますか...?
Shotaro Itohさん、ご視聴いただきありがとうございます。
そうですねC10が取り上げられていない事みなさんからご指摘受けていて、大井川に撮影に行かなくちゃと思いつつもまだ行けていないのです。必ずC10は取り上げますので、お待ちください。
@@Yukkuri-Lab さん、あとC53、C55の流線型バージョンのお写真、見つかりそうですか?
Shotaro Itohさん、C55はまだ借りることできていませんが、先日のC53特集の時、超特急つばめ牽引のC53の京都駅の姿を乗せていますのd、是非ご覧ください。
@@Yukkuri-Lab さん、ありがとうございます!楽しみにしています!
折尾育ちな還暦前のおっさんだけど、SLがバンバン目の前を走ってた記憶はあるが当時は形式なんて興味ないし、ガキにカメラ持たせてくれる時代でもなかった。室木線なんかはかなり後まで現役でハチロクが走っててカメラも持ってたけど、あの頃はブルトレばっか追っかけててSLは撮らずじまい。あんとき撮っておければなぁって今も悔やんでるw
ご視聴いただきありがとうございます。折尾は東京からの急行桜島で何度か行きました。立体交差で下が蒸気で上が電車とか楽しい駅でしたね。折尾から中間の間は蒸気の撮影には夢のような場所でした。やってくる頻度とバラエティが半端なかったです。
ブルトレといえば、ごく短距離ながらC11がさくらを牽いていたのでは?
50代のオッサンですが@東京23区なのでリアルSLは知らない😵復活SLは8620・C11・C12・C57・C58・C62・D51に牽かれました😉
ご視聴頂きありがとうございました。
そうですか、50代の方々でも蒸気機関車を現役でご覧になられていないのですね。東京から無くなったのが、昭和45年ですね。
最近時が風の様に速く過ぎるので戸惑ってます。
C61はお好みではないですか?
@@Yukkuri-Lab C61&C56も牽かれたいのですが、最近までガラケーで情報不足で乗れてません。高崎はD51が出てくる可能性あるし、大井川は現在どのくらいC56走ってるんだ?😋
C56の44号はあまり出てこないのではないでしょうか?
この動画を見て思ったよ、蒸気機関車は最高だなぁって
ご視聴頂きありがとうございます。今回駆け足だったのは反省点です。
大丈夫だよ、いい動画だったよ〜!
素敵なご評価いただきうれしいです。ありがとうございます。
堪能出来たし
SL世代はある意味うらやましい😁
10:28
最高すぎ!
ご視聴いただき、素敵なコメントまでいただきましてありがとうございます。これからも精進しますので、よろしくお願いいたします。
C51 D50は至高。再び走る姿を見る事は永遠にない。JRも機関車廃止とか、もう終わりなんだなぁ。
ご視聴頂きありがとうございました。JRが機関車廃止とは電気とディーゼルの事ではないのですか?流石に蒸気は取っておくでしょう。
D52は何号機か忘れたけど、どこかで空気圧縮を使って動いていた気がする。
ご視聴頂きありがとうございます。山北ですね。
圧縮空気で静々と動きます。
何か機会有れば函館本線のD52の特集をして下さいお願いします。
ご視聴頂きありがとうございました。D62先日やったのでしばらく開けてから函館本線のD52はやりますね。
大型機より、中型機の方が使い勝手は
よかったんですね。
C59.60.62よりC57.61のほうが重宝されたのですかね?
ご視聴頂きありがとうございます。先の3機種は軸重重く重量もあって、線路を選びますから。それとストップ・ゴーが多い普通列車だと石炭の消費も多いので面白くないはずですね。
C10がいない
尾方さん、ご視聴頂きありがとうございました。
国鉄制式で昭和43年頃現役と区切ったのでC10を外しました。次回アップデートで入れますのでご容赦ください。
流石に元祖タンク機のC10はないですか
いまだに大井川鉄道で現役のロンサムジョージなのですが
うーん。しばらく考えたのですが、C10は昭和43年当時は国鉄に無かったよな、でも同じような4110は入れたいしという事で、4110にしました。
@@Yukkuri-Lab 確かに、その頃は工場勤務で国鉄にいませんでしたからね
しかし、国産初の本格タンク機関車であることを考慮すると、いないのは少々寂しくあります
ご指摘理解いたしました。次のアップデートには入れるようにしますね。
御殿場線は元々東海道本線だったので軌道は所謂特甲線規格。そして勾配がきつい分D52が重宝されたのでは?殊に東海道本線の熱海界隈で万が一の事態に陥った時には迂回路線として東海道の大単位貨物列車やフル編成のブルトレなどを迂回させる可能性を想定してのD52配備だったのでは?
呉線も沿線の呉市が戦前は軍都として栄えていたのでここも東海道・山陽本線に準ずる規格で、東京・大阪直通の急行列車や現車12両に及ぶ通勤通学列車もあったのでC59が生き延びることが出来たのでしょう。後年平区からC62が[人事異動]してくるも、軽軸重機故に大単位列車の牽引に[踏ん張り]が効かずストーカーが無い不利を差し引いてもC59が重宝された由。
ご視聴頂きありがとうございます。詳細な解説もありがとうございます。
素直に受け取るとご説明の通りなのですよね。御殿場線はD51もいたわけですから別にD52を置いておく必要はなかったし、呉線もC57/D51で大丈夫じゃないのか?と思ったわけです。自分の中では国鉄はそこまで面倒なことを考えているほど暇じゃなく、電化を控えているなら面倒なことは考えなくて良いと言うのが理由じゃないかなと思います。
D6213デフがÐ62じゃないし前端梁埋め込みの標識灯のD62は無いと思う、東北行ってからだと前照灯はダブルだと思われる。
ご視聴頂きありがとうございます。はいおっしゃる通りです。従いまして動画の中でお伝えしました。
C622号機と急行ニセコ号の会、お待ちしております。
ご視聴頂きありがとうございます。2号機特集早々にやりたいです。
ご期待ください。
あと2時間。(ワクワク)
お気に召すといいのですが…
梅小路のハチロクはデフなしですよ
ご視聴頂きありがとうございます。
そうです。デフ無しです。
蒸機の代表D51や貴婦人C57、「つばめ」のC62に比べると地味だけど1966年まで余剰廃車が無かったC58は凄い。
ご視聴頂きありがとうございます。C58はそうだったんですか?!長距離もこなせるしC58は万能ですね。私も夜行列車の急行大雪の臨時に乗っていて朝起きたらC58がけん引していて驚きました。なかなか速かったです。
@@Yukkuri-Lab さん、大陸輸送船が撃沈され沈没したり、事故廃車になった車輌以外無いんですよ。
当時最後まで残る蒸機と識者が異口同音に唱えていたのがC58。然し…DE10の登場がC58に引導を渡してしまいあとは堰を切ったように陥落。1975/昭和50年の時点では稼働機はいなかったのでは?1976/昭和51年3月(一応は昭和50年度)まで稼働していたのが何と古豪9600だったというのはなんとも意外でした(^^);
@@Yukkuri-Lab 1727レ(大雪崩れ)も末端区間はC58所定でしたね。おそらくD51・C57クラスだと軸重の関係で入線不可若しくは入線出来ても速度制限喰らうのでC58が用いられたのでしょう(天北線で14系客車化された急行[天北]の牽引にDE10が充てられたのも軌道条件からDD51だと50km/h制限喰らうところDE10なら75km/hまで許容されるからでした)。
@@SleeperExpressJNR さん、追分機関区の三輛ね。
B20とは、日本唯一動輪が2軸の機関車である、本線では走らなく、入れ替え機である。
C10とは、レアな車両で現在は大井川鐵道で動態保存されていた。
C11とは、タンク機関車で、後ろ向きで走る事もあった、車軸配置が4-6-2になるから。
C12とは、C11型より軽くなり入れる路線が広くなった。
C50 これも誰か〜説明して〜( ☓∀☓)・∵. グハッ!!(あったけ〜?)
C51とは、戦前の特急燕を牽引した機関車で、性能が良く御召列車も牽引した。
C52
誰か〜説明して〜( ☓∀☓)・∵. グハッ!!
C53
C54とは、性能が良い訳では無い、後輩機に置き換えられてしまった。
C55とは、幹線用の機関車で、スポーク動輪はこの機関車が最後で、後継機はC57型である。
C56とは、中型蒸気機関車で、今までタンク機関車だった区間に入り、タンク機関車より走行距離が長く、後方視界も良く万能だった。
C57とは、C55型をボックス動輪したような物で、その細いボイラーから貴婦人と親しまれている。
C58とは、86(8620型)の後継機として86を越せなかったが、一番成功に近い物となった。
C59とは、幹線用大型蒸気機関車で戦前型と戦後型で違い改良されている。
C60とは、C59型を改造してできた車軸配置4-6-4のハドソン型にした。
C61とは、戦後余剰に余ったD51型の車軸配置を4-6-4のハドソン型にした。
C62とは、戦後余剰に余ったD52型を車軸配置4-6-4のハドソン型にした。そして、D52型の大きなボイラーにより日本一の蒸気機関車になった。
C63とは、設計されたが製造されなかった為、幻の蒸気機関車となった。
E10とは、日本唯一の動輪が5軸の機関車である。
古谷さん、ご試聴いただき有難うございます。
C52はALCOからの輸入機。C53はそれをパクって国産化した重パシフィックです。パクるなんて言うと叱られるかな。
@@Yukkuri-Lab そうでした、ありがとう御座います。まぁパクって失敗してるし、馬鹿にされるのもしょうが無いと思います。
スタイルは抜群なんですけどね。C53ですが。
@@Yukkuri-Lab 日本の狭軌幅のレールではキツかったですね。
はい、その通りです!