Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
湯川専務懐かしいな…去年、誤嚥性肺炎で亡くなられたらしい。ご冥福をお祈りします
え、それは気の毒な。
まずは、・パワーVR2 NEC製のグラフィックチップですが、"かなり早い段階で"セガが望む供給量の確保は無理であることをNEC自身が発表してました。開発が遅れたこともありますが、そもそも製造ラインが足りなさ過ぎたことと、NECの自社新製品にもパワーVR2を使っていたためそちらへの供給も必要だったこと。当然セガも"早い段階で"そのことを知っていた。・GD-ROM ドリームキャストのソフト媒体は、CD-ROMよりも容量が多い"GD-ROM"というセガ独自の規格によるディスク媒体だった。当然ドリームキャストではDVDの再生はできず、CD-ROMの上位互換の独自ドライブを使用。さらに、"一万円投げ売りセール"の頃には"CD-ROMとの互換がないGD-ROMドライブ搭載"という新仕様だったため、旧仕様を求めてロットナンバーを見比べながらドリームキャストを選ぶという状態だった。・先行逃げ切り そもそもパワーVR2が足りない時点で先行逃げ切りができるはずもなく、ソニーにじっくり性能を見極められたのちに後発のPS2にぶち抜かれるという、メガドラvsSFCの二の舞になることはドリームキャスト発売前から噂されていた。・通信環境 モデムがユニットとして搭載されていたのは非常に画期的で有意義だったのだが・・・、ADSL対応の"ブロードバンドアダプター"が店頭販売せず、セガのweb通販でしか買えなかった。当時はweb通販も今日ほど盛んではなく、事実上"都市伝説の一品"という扱いだった。また"web通販のみのソフト"もいくつかあり、当時人気作だった「スペースチャンネル5」の続編が通販のみということで不評を買っていた。・ビジュアルメモリー(VM) 単体でも遊べるようにミニゲームを入れたバージョンなどもあり、その点ではライバルの一歩先を進んでいた。だが、いかんせん"ゲームに対してメモリー容量が足りない"という致命的な問題があり、あるゲームをセーブするためには"中のミニゲームを消さなければ入らない"というようなこともあった。結果、サードパーティーの大容量メモリーや、香港製の"PC転送メモリー"のお世話になることとなる。まあ、なんのかんの言ったところで、「負けるべくして負けたハード」だったのですねぇ・・・。
く、詳しい…関係者の方かな?
こうやって眺めていても全てに共通するのは「エンドユーザーの方を向いてない」ということなのだと思うセガは技術は高いのだが全てが作り手目線で一般の客のことを考えてない
元々は3dfxのチップを使う予定だったらしいですけどPowerVRに変えたらこんな結果に
PowerVRを設計したのは、ビデオロジック社ですが、同社がファブレスでチップ製造が出来なかったので、NECで生産されてました。一応、NECは共同開発した、と発表はしています。
ほんまそれ。最初の供給が間に合ってても大して状況変わってないよ。
仮想敵だったプレステ2が「DVDプレイヤー買うより易いDVDプレイヤー」として市場に送り込まれるから、セガじゃなくてもプレステ2に駆逐されるんだよあの頃…。
プレステ2はプレステ1ができるし、プレステ1のポリゴンの1000倍の表示能力とか嘘ついて動画をゲーム画面みたいに流した
@@カエル王子-u2w カタログスペック値は嘘ではないですよ。実際に発揮されていたは分からないですけど。sonyが公開していたデモムービーはちゃんとポリゴンでしたよ。他は知りませんが。
ぶっちゃけ任天堂もゲームボーイシリーズがなかったら今頃ゲーム業界として無かったかもしれない。まぁ、ほぼほぼポケモンという化け物のおかげ感があるけど。
別に供給遅れが問題じゃないよねこれ。リアル世代だけどDC欲しがってる奴なんてクラスに誰も居なかったわ(笑)ゲームショップでもDCが売り切れてるとか入荷待ちとか見たこともなかったし。みんな来年出る6600万ポリゴン&DVDのPS2の話題でもちきり。
ゲームによってプラットフォームは決まるし、インターネット接続が出来ると言っても魅力が伝わらなくって…ネットはwiiu以降かな?🙄
この動画や他の人のコメントを見る限り、任天堂は歯車が狂ってしまっても如何にその影響を最小限に抑えるのかを考えるのが上手い企業だと思う
みんなは据え置きだけを見ている。携帯機を見て見ろ!ゲームボーイとGBAの一強じゃねぇか!え?ワンダースワン?知らないなぁ。
@@rekitetsuotaku ゲームギア(ボソッ)
@@rekitetsuotaku アイムノットボーイ誰だってボーイを捨てるときが来るんだぜ?
@@メレンゲ犬 www
今のゲーム売り上げや人気ランキングを見るとほぼほぼswitchに占められていますしね。ぶっちゃけPS5で欲しいのがエルデンリングぐらいで他はswitchかsteamの方が遊びたいソフトが多いし……
「10年先を見据え、5年先の技術を持ち、来年度の決算を忘れるのがSEGA」というコメントを思い出した(((
ホントに10年早く販売してしまったために……。
だからこそ好きなんです
来年度の決算を忘れてる時点で、全く先を見据えきれていない件www
だから、ミスターワゴンセールなのさ、と、呆れるライトユーザーは、私だけではないでしょうな。
9:28 当時のセガの社長ってホンダの元副社長の入交昭一郎だった。技術畑からの叩き上げの人で、次のホンダの社長は既定路線と思われていただけに突然の辞任でビックリした思い出が有る。ホンダ技術部門の顔としてバイク雑誌とかでお顔も知っていたので、ドリキャス撤退のニュースでセガの社長として登場した時は『何でセガの社長とかやってんの !?』と、これまたビックリした思い出が有る。
のちのち、地元の純正装着メインホイールメーカーに来るも、今や、トピー工業の一部門な結末見ると経営者の実力?感。
動画で語られてないですが、ドリキャスは当時としては画期的なオンラインゲームが出来るハードだったが、ネットが普及してなかった時代な上に、ネット自体も電話回線を利用してたためにネット接続中は電話が出来なかったり、通信料金も高くついたりと、一般人には遊ぶためのハードルが高すぎたのも要因ですかね。時代を先取りし過ぎたハード。
セガにしては珍しく、しっかり考えて戦略練って作られた高性能ハードしかしせっかちな性質は抜けず、先行販売で出し抜こうといういつもの戦略が失敗の原因だと思う…ネット環境が整ってない時期にネット機能もまた先行すぎた…
セガはセッカ
私はネットしてたぞ。テレホーダイ以前から。ネット環境が整ってない時期と言うが多くの人がPSOしてた。環境はあるが情弱が多かった。たまごっちの時代。ぐるぐる温泉は良き思い出。
当時PSOしてたけどオンゲやネットサーフィンのために回線引くなんてオタクの道楽だったからね環境が整備されて一般的と言ってよくなったのはせいぜいMHGが流行したPS2発売から数年してから
@@鏡音リン-s9s 俺もPSOとぐるぐる温泉やってた。DCは通信機能が無かったらもっと早く廃れていたと思うんで、低速でも通信機能は有って良かったわ。
初動での本体供給不足とソフト不足・・・ソニーも今や他人事ではなくなったプレステ5がルーザーズ入りしないことを切に願う
今のしくじりの原因は、PS2時代からありそうなので、結構長編になりそう。
5000万台売れてるのでルーザーズではないでしょう
既に日本は主戦場じゃあないのでね。車なんかと同様に、その市場価値が無くなりつつある。EUと北米で売れる事が最優先。
DCの解説ありがとうございます。中学生~大学生でセガサターン、DCが発売されていた世代としてとても楽しく拝見しました。PS、SSどちらを購入するか、DCはいつ買うか、迷っていた頃が懐かしいです(結局全部買った)。
上手くいっていたとしてもハード戦争でPS2に勝つのは無理だったと思うただ、魅力的なソフトが多かったので、無理して逆ザヤで売らずに2番手ハードとして展開を続けてほしかったな続編が遊びたかったタイトルも多かったし
@とうや 逆に20世紀末の段階ではまだ「ネットに繋がること」はゲーム機にとってアドバンテージでは無かったよそもそもインターネット常時接続を前提にしたゲームも少なかったしそれを前提にした回線契約も無かった本当にインターネットの世界にハマりたい人はPC経由でテレホなんか使ってシコシコ夜中にやってたわけでまだコンシューマの出る幕ではなかった
当時のセガのゲームは挑戦的で好きだった。いまはシリーズ続編が多い。ドラクエとかFFとか嫌いだった。
ドリームキャストが計画通りの売り上げで推移していたら無理な値下げをすること無くハード事業からも撤退せずにドリームキャスト2が出ていたのかと思うと実に悔やまれます。
多分遅かれ早かれセガのハード撤退は避けられなかったと思います。 サターンの赤字最大の原因の生産性についてDCでも全く考慮されず同じ失敗を繰り返していたわけですから
初日に100万台うったPS2相手では覇権争いは無理だったでしょうね。任天堂と二番手を争ってパイを奪い合うことはできたかもしれない・・・。
仮にトントン拍子で事が運んだしてもPS2には絶対に勝てなかった。PS5が比にならないほど当時のPS2ショックはすさまじかった。・ネットーワークを売りにしながら当時電話回線とISDNくらいしかなかった。・旧世代機(サターン)との互換性無し(PS2は有り)・DVD非対応(これまたPS2は有り)結局笑いの神が下りてきちまった・・・
さらに、コントローラが使いにくい上にすぐに壊れる
異世界おじさんが記憶消去するレベルの悲劇
イキュラスキュオラ
………不可能かと思います。任天堂に負け続けていた、セガですから………。
@@サンダークロウ 最後は任天堂と共に多々買いプレステ初期を倒しましたね()
おじさんはドリキャスの記憶を消してないぜ!(これはあくまで作者が全く認識がないやつだから)
単行本10卷では最初にドリキャスの記憶を消してた事が判明しました
SEGAを滅亡に追いやったSCE(現SIE)が今は供給不足→ソフト延期→売上縮小という同じコンボを食らっているのがなんとも…はたしてPS6は出るのだろうか
SIEは外国で売上出すことに注力してるからね。仮に外国でxbox(Windows)に負けることがあれば経営的には結構厳しくなるかもね。
実はプレステって国内市場大きいから日本の売上捨てたっていうのは俗説なんですけどね
PS6とか出す意味あるんか?そこまでいったらもう名称変えた方がいいんじゃないかな?てか個人的にPSvitaの後継機所望。
自分の感覚だとドリキャスの失敗は、サターンソフト互換性が無いのと、あの尖って汎用性の無く重いコントローラーも原因の一つだと思う。SF3Wインパクト全クリすごく苦労した(^^;)
確かに、セガ機といえば格ゲーなのに、肝心の格ゲーがやりにくいあのコントローラーはいかがなものかと思いました。セガサターンと同じように全面に6ボタンあるだけでも全然違ったのに。
@@tact8812 後にサターン型コントローラーが出ましたけど一部のゲームにしか対応していませんでしたね
しかし、後方互換性?ありでのちの初代(以下略)
オラタンしかもってないからあのコントローラほとんど使ったことないわw
ドリキャスに下位互換がないことは、劣るというより、当時のハードで下位互換を実装したPS2が凄いと見るのが妥当でしょう。主戦場にいたゲームハードでもSFCもサターンもFCやメガドラの下位互換なんてないのが普通だったんだから。
急いで発売しようとしたのが問題だったんじゃないかな。当時のサターンはまだ戦えたと思うし、DVD機能が無いのも問題だった。できれば、サターンとの互換性も欲しかったけど、複雑な機構のサターンとの互換性はハードルが高すぎた。PS2は、DVD機能も初代プレステとの互換性も備えているからね。アメリカ市場でも32Xを発売したのにサターンを前倒しで販売して無理やりサターンへ移行させようとして大失敗している。それでメガドライブ(ジェネシス)市場も共倒れしたという・・・。
サターンのツインCPUというのがエミュレータ(後継機の互換性)の製作の難易度を上げたね昔のパソコンのFM-7もソフトを作るのが難しいと言われてたからね
サターンでまだ戦えていたよな。DCのソフトも少なかったので揃うまでサターンを引っ張っても良かったと思う。
PS2が売れに売れたのって、DVDプレイヤーとしても使えることを考えるとお買い得感が非常に強かったのもあると思います。またしてもゲームをしない一般層を大量に取り込むことに成功している。その上で初代PSのゲームがほぼ問題なく動くという神性能。相手が強すぎたんだよなぁ…
サターンと違ってSEGAの悪いところが出てたハードだと思うゲームギアで何も学んでいない具体的にはビジュアルメモリが特殊な電池式なのにあまりにも電池の持ちが悪いサターンとの互換性が無いサターンパッドと比べて操作性が悪いetcマスターシステムからのSEGAユーザーでしたが、ドリキャスだけは中古で値崩れしてから購入しました
確かに、サターンの6ボタンコントローラからドリキャスのコントローラを触った時に、え?何でサターンの後継機なのに、コントローラがやりにくくなっているの?と思った当時。
結局はソフトだからね。ドラクエやFFを取れなかったのが痛いんだろうな任天堂は自社ソフトというかキャラクターが強いからプレステが強い時に独自路線で生き残ってたけど、セガはソニックがあったとはいえ誰でもやってるほどの強さは無かった。終わり頃はギャルゲー機みたいになってたよね
世間の評価がどうあれ、自分にとってのドリームキャストはまさに夢のマシンでしたよ。スタンドアロンのゲームもかなり良質なものが多かったし、特にネットゲームを本格的に遊べる初めての家庭用ゲームとして、とにかくハードルが低くて楽しいゲームが多かった。今でも大好きなハード。
ドリームキャストのゲームは発売初期のPS2のゲームよりもグラフィックがきれいだった。ソウルキャリバーとか当時は本当にすごかった。しかしPS2でメタルギアソリッド2やFF10が発売したあたりで趨勢が完全に決まってしまった。
発色性能やテクスチャの解像度は、DCのほうが勝っていたようですね。
バーチャファイター4がDCで開発できなかったのが致命傷になった記憶サターンもバーチャ3が出せずに店仕舞に追いやられた感じで自社のアーケードタイトルを自社ハードに移植できなかったのは大問題
DCよりはるかに綺麗!って散々広報しまくっていざローンチタイトルでたらジャギジャギで酷いグラのゲームばっかりだったのは悪い意味で衝撃だったDCのグラ超えられたのも限界引き出した後期になってからだし、グラフィックに関しては完全にカタログスペックで騙し討ちした形だった
いつも時代を先取りしすぎる徒花のセガ
オーパーツすぎたかぁ・・・
昔、林原めぐみのハートフルステーションでセガの人がDC宣伝してるコーナーあったの思い出した。PS2発表の時「DVDも見れるしゲーム機と言うより家電なんですよ(震え)」ってなってたのが印象的だった
そうそう、「セガが次世代機出します」という最初のリーク第一報があの林原めぐみの番組内だったんですよね。よく覚えてます。
初動での圧倒的なソフト不足、汎用性の無いコントローラー、GD-ROMじゃなくて普通にDVD-ROMでビデオ対応してたらとかせめてサターンとの互換性が有れば・・・PS2はPS1のソフトでも遊べるってのも大きかったしそんなにゲームしない人等からしたらDVD再生機として使われてたりしてましたからね。ゲーム自体は面白いのが多かったんだけどなぁ テレホマン助けて―
サターンはハードウェアで5面のGB面重ね合わせ、更には回転拡大縮小がサポートされていたため、2Dの多重スクロールが極めて強力でした。この機能をドリキャスで再現するには相当な工夫を強いられる可能性が高いです。実際、PS2版のバーチャファイター2もアーケード基板MODEL 2に搭載されているハードウェア2D表示機能の再現だけで、グラフィックパワーの半分を使ってしまっているそうです。
ドリキャスは先進的ではあった、だがコントローラーは使いにくい、メモリ単体でゲームができるがするゲームが無い。ネット接続は時代が追いついていなかった(PSOとかは成功したとは思う)。
保育園児の時、シーマンとソニックアドベンチャーにハマったな。親が持っていて起動音がちょっと怖かった記憶があるけれど、最初に触れたゲーム機だったから思い出深い🤭
ぐるぐる温泉でネット麻雀してた。
当時の思い出は、ゲームを遊ばない会社の人がDVDが見れるからps2を買うと言ったのが印象的だった、ドリームキャストが十分に供給出来ても負けた気がする。
モデム機能を駆使した、出会い系が、出来れば、金持ちリーマンを取り込めた気が!!!セガが自前で、バーチャネットガールを大量に動員して、会う直前になってとんずら。本当に出会える確率は、1/1000ぐらいでも、おんな目当てで売れたかもw
CMは強烈なインパクトがあって、今でも記憶に残ってます。そういう意味では確かな足跡は残してますね。そして、またしても続編が作られる流れですねw
企業の内情を利用するって、オワコンだと思うがな。だって、他社だってみんな、厳しい社内事情は、抱えるでしょ。競争なんだから。なんなら、テトリスが販売できなかった時は、何で、CMでその内情を展開しなかったんだ。じゃあ、裁判事件にして、それを雑誌で扱ってもらうようにするとか。すると、裁判を利用した裁判商法とか、確立できるかもしれんが。
ドリームキャストを修理に出したら新品が送られてきたことはいい思い出です
ロールスロイスかな🤔
3ヵ月もしないうちに壊れて修理に出したけど異常なしと言われたけど壊れたままだった。ドリキャスはこれが正常なんだと思うことにして文鎮になった(しかし結構軽い)
新品と交換するのはメーカーからすると最悪の手段。どこの何がおかしいのかを調べないということは、すでに諦めているということだ。
1:43 のセガも懲りないねぇ霊夢ちゃんの顔面良すぎて元々好きだったこのチャンネルがもっと好きになった
供給不足を招いたフライング発売、それとDVDドライブではなかった事が敗因ですね。2000年発売のPS2もドリキャ同様最初はソフト不足でしたが、映画「マトリックス(マトリクス?)」がキラーソフトになりました。加えて極めて歩留まりの低いPOWER-VR2の製造ラインもロクに整っていない状態でのフライング発売・・・これではダメダメでしょう。
セガはドリキャスだけは買ったなぁ。サクラ大戦やアニメになったエr…ギャルゲとか美人な学校の先生達との恋愛ゲーとか12人もいる妹を愛でるゲーとかあったし、まぁその後だいたいプレステ移植してプレステででできるようになったけど…。でも残ったゲームやどうしても移植まで待たないで先取りしたかったゲームはドリキャスでやった。あと当初は電話線につなぐだけでインターネットができるというのが本当に良かった。親が居ないときにこっそりヤフーで検索したなぁ…色々。
機会損失は商売では一番やってはいけない初歩的なミス…現状ではTOYOTAや日産を始めとした車業界の大手がやらかしているから自動車産業もオワコン化しそうで怖い😓
発売初日に15万台のうち一台を買いました。自分のネットデビューのハードでもあります。電話回線をつないでインターネットに初めてつないだあのワクワク感。いい思い出です。ビジュアルメモリとかいいアイデアだと思ったけど、有効に使えたソフトはあまり無かった印象。
psoやってた時一、二度繋いだくらい料金的に頻繁に繋ぐ事は出来なかった
発売日に買えるように予約したのに入荷量が少なく、ソニックアドベンチャーの発売が1か月遅れたからそれに合わせて買うことを勧められた。やはりあの時点でヤバかったんだな・・・PSOやシェンムーといった後のゲームに影響を与える作品は多かったが、ほぼ踏み台だったなぁ。
ついに、ゲーセンのゲームを家庭用機に完全移植可能にした最高の本体だったな。
セガが天下とって、後継機種も出ていたら間違いなく頭文字Dのゲームも完全移植で出てたんだろうな、残念だわ
ネオジオ・・・
NAOMIやMODEL2のゲームはほぼ完全移植できる性能がありましたが、MODEL3は厳しかったらしく、多くは移植度が落ちていましたね。セガラリー2がわかりやすいです。
連邦vsジオンも再現率でいえばドリキャスがしっかりしてたなぁ。
サンダーフォースVlが、ドリームキャストに出ていれば、最低から、最高になっていたかもしれませんな。
いや、コレは何やっても成功出来たイメージが湧かなかったからね・・・というかPS2の勝ちと言うか圧倒的成功が発売前に雰囲気としてあったからね・・・値段、性能、ソフト、機能、しかもPSの需要自体まだあった時期に互換アリってそりゃ勝てないよ・・・その上でセカンドハード狙いってのはあったかもしれないけどね。
任天堂でさえ長い間負け続けたプレステ2に勝てるわけねー😭
ドリームキャストが失敗した理由はセガサターンの時に予定通りドラクエを発表出来なかったからでしかない。ドラクエは最初セガサターン用に開発が進んでいた。今より更にドラクエFF信仰が強かった時代に、それらのタイトルなしではどんだけ初動が成功しようが赤字幅が下がったかもしれないが覇権は取れなかった。FFDQが出てるプレステと互換性があるPS2には勝てない。
古のセガファン屋、セガ人には、旧エニックスと、鳥山明先生は、“ゲーム業界の、裏切り者NO.1だ、未完成でも、ドラクエが、セガサターンに出ていれば、セガ人は、オワコン人にならずに済んだのに”と、恨み節を、今も、吐き出していると思いますな。
プレステも1や2では覇者だったが、久多良木の暴走により3で敗北…その後、4で巻き返したはいいが、switchの登場やジム・ライアンのPC進出発言により、5は常に逆風という最悪な状態ちなみに携帯機はどちらも一発屋に終わった
このチップ(SH-4とPOWER VR2)の組み合わせが、のちに日本の2DIN一体型カーナビ(クラリオンはじめとして各社)に採用されて、そして1チップ化することになる。
PSも持っていたが、思い出深いのは圧倒的にサターンとドリキャス!バーチャ、サクラ、セガラリー、ファイティングバイパース、本当に楽しかった。まぁ経済的にはルーザーかもしれないけど。。
来ましたね(笑)ドリキャスは最初ソフトのラインナップが凄かったので、発売前は期待があったのは事実ですツインスティック買いましたけど何か?でも確かに最初は全然ソフトなかったなあとはいえ、バイオハザードとハウスオブザデッドとオラタンやったからなああとはソウルキャリバーとかバーチャファイターとか、元取ったって人多いのではただカプコンがバイオハザードリリース関連で嘘ついたりとか、色々不穏なハードだったのもまた事実当時の各社の開発スタッフが、入交社長のことしか良く言っていなかったのを強く覚えていますそれ以外は良くない、と言っていたように聞こえました飯野賢治さんとか、色々思うとこあったんじゃないかなあ
ドリキャスは作動音がちょっとうるさかったのがアレだったけど、グラフィックは最高だったしソフトも名作が多くて満足してた。ザハウスオブザデッド2やクレイジータクシー、マブカプなんかは指がちぎれるくらいプレイしたな。サンキューSEGA。
個人的にはサターンと互換性がないのが致命的だったなぁ。コントローラーも格ゲーやり辛い作りにビジュアルメモリをセットする仕様は微妙だった
いつも楽しくためになる動画ありがとうございます♪1点リクエストですチャンネル趣旨から少しズレますが、SEGAがSONYとの覇権争いに勝利した世界線のIF考察をして頂けないでしょうか?敗北経緯をテーマにした動画は他チャンネルでもよく見かけますが、上記テーマを取り扱ってる動画はまだ無いようでした
ドリキャスは今でも最高のハードだと思ってます。サードパーティーのソフトに恵まれませんでした😢
はっきり言って、初回出荷がかなりきつい状況だという事は上層部も確認していたと思う。それでも状況が好転することを信じ、プレステ2よりも早く出さなければ僅かな勝ち筋もなくなってしまうわけだからな・・・同時期に発売すれば、ソフト数、ユーザー数において圧倒した1との互換性能&DVD再生機能を持つプレステ2に敵うはずもないのだから。
98年11月27日時点でソニックアドベンチャーはマスターアップ出来ていない
シナリオを1本しか用意してないから、コケた時にリカバーできなかったんだよねぇ・・・失敗した時のことを考えないのは企業としてどうなんだ
コケた理由が理由だからどうしようもないスタートダッシュでハードが揃わず失敗なんて、そこしくじったらリカバリーなんてしようがない無理してでも何とかしないといけない事をしくじってる
それでも、ドリームキャストを買う選択を後悔した事は1度も無い、遊びがいのある良いソフトが本当にたくさんあった、コントローラーが壊れやすいのが難点だった。
他の動画にもカキコしたけど、当時ドリキャス向けの部品を作るメーカーに勤めており、グラフィックICの歩留まりと当社の生産数がリンクしていたので、ドリキャスの苦境は手に取るように分かった。SONYもICの生産で苦しんでるので、枯れた(一般化とも言う)技術を採用する任天堂の戦略もアリですね。
PSのコントローラーのフィット感が最高なんですよね。セガサターンは6ボタンが手元にあるのが魅力で負けていなかった(XYZも同じ大きさにしてほしかった)ドリームキャストはPSと64を足したような感じでゴツくなり馴染まなかったです。
このチャンネルでドリキャスがいつ紹介されるか首を長くして待ってました‼凄く嬉しいです🎵敗北は残念ですがね😂
当時、CMか何かで見たソニックのグラフィックに衝撃を受け、ナムコの裏切りにショックを受けたのが懐かしい。キャリバー1、PS2で欲しかった…。
ドリキャスの最大の失敗はヴィジュアルメモリーとコントローラーの関係だと思うSEGAお約束のAC移植が多かったうえに、再現率も高くて期待値も高かったんだけどね・・・1コンにVMを刺さないとセーブが出来ないゲームが多かったにも関わらず、SEGAは周辺機器の製造数にはさほど力を入れていなかったからソフトは出ているけどアケコンが無いって状態が続いていたからなぁ・・・当時だと他社メーカーでのアケコンと言ったらHORIだけどVMのせいでHORIがDCのアケコンを出した時にはすでにPS2にボコられた後だったから結局DC用のアケコンは生産数の少ないニッチな周辺機器になっちゃったからそりゃ勝てんよちなみに我が家のアケコンは3か月で壊れた・・・再購入しようにも商品在庫は無し、修理しようにも内部の部品は他と互換性が無く修理できず終了
ドリームキャストの失敗を見てかは知らないが、PS2にはPSソフトも遊べる互換性能が備わり、当時は珍しかったDVDの再生も出来る事で本体だけでも爆発的に売れましたとさ。
当初グラフィックチップはPOWER VR2ではなく当時3DFXのチップを使う案があったのだが、土壇場で変わった話は聞いた事がある。まあどっちにしても「DVDドライブでなかった」「使いにくいコントローラ」「煩いGD-ROM」などなどで自分にとっては魅力のないハードだと思った。
嫁に来てからも数年は義母(74歳)が『シェンムー』にハマってた。だけど2年位前に機械が壊れてしまい残念がってた。使える機械があればまだやってたと思う。嫁に来た時にゲームをやってる60代後半の婆に驚いた。
まだパソコンを持っていなかった頃、インターネットするのに非常にお世話になりました。あと、毎晩テレホーダイの時間になると夢中でネットゲーム(PSO)やってたなあ。本当にありがとうと言いたい。
妻「ねぇ貴方、毎晩遅くになると、画面向かって何やってるの?」夫「いや、別に・・・。残業の残りで・・・」妻「変な出会い系ゲームでも買ったんじゃないでしょうね?」
ここは、・魔理沙の解説が分かりやすい。・霊夢が、なんか色々可愛い(口調とかもから他の動画も全部楽しみに見ようと思いますb
嬉しいです。ありがとうございます!
最近異世界帰りのおじさんがよくセガについて語ってるからより楽しめた
………ライトユーザーには、楽しく無いです。
うぽつです!ドリキャス懐かしいので高評価押しときます!
時代を先取りしながらもドリームキャストは惨敗してセガは勢いが落ちてしまった感は否めない。
ゲーセンのそのままのグラフィックと音楽が流れるセガラリー2とかすごかったんだけどね。特に雪ステージとか。まああっちのグランツーリスモもすごかったが。
ドリームキャスト自体も悪くは無かったと思うけど、何よりその後に控えてたプレステ2が化け物過ぎたのよね。性能だけでなく、あの当時でDVDプレイヤー機能を搭載して、更にプレステ1のソフトとの互換性があって、おまけにFFやドラクエみたいなビッグタイトルのシリーズが確約されてる次世代ハードとか、出遅れた時点でドリームキャストには勝ち目は無かった・・・。
むしろPS2に先行しようなんて大それたこと考え無ければよかったのにと思うセガはなにやったって所詮セガなのだから分を分けまえてPS2に覇権は譲った上で、PS2に無いものを求める層向けに渋い二番手路線を歩むべきだったそのくらいのセガファンは居たのだから
ハード戦争では負けたけど個人的にはこの頃のSEGAが1番好きだよ。ソニアドシリーズ、ジェットセットラジオ、クレイジータクシーにシェンムーと尖った魅力のあるゲームがたくさん出てたし。
サンダーフォースVlが、此の頃に出ていたら、私も、セガに対して、肯定的になっていましたよ。
セガはハードをコロコロと変えすぎる社風がそもそもいけなかったんだと思うよ。ハードを変えるということは、古いセガのゲームを持っている人を切り捨てるのと同じ行為だからね。とくにゲーマーではない自分のような一般のライトユーザーにとっては、セガは「コアなファンだけがついてく会社」というイメージが付きすぎて、「どうせ新しいハード買ってもすぐ使えなくなるんだろ」としか思えなかったもの。
任天堂は旧ハードにも一定の需要が残存するのを理解していて、延命措置的なサービスや商品を出すことがありました(ex.ファミコン→AV仕様ファミコン・スーファミ→任天堂パワー)。また、新ハードが出てもしばらくは、旧ハードも並行でソフトを出していました。しかし、セガは古いハードはサポートもソフトのリリースも即切り落としていくスタイルだったと思います。SMS~サターンのころはそれが顕著でしたね。
その宿敵が現在同じような状況になりつつあるのは運命を感じてしまいますね。
後にセガはサミーと合併してセガサミーとなり、一方で家庭用ゲーム機市場ではセガの意志をマイクロソフトが受け継いでいる。
次は、セガのゲームセンター事業についてですかね?楽しみにしています!
これTV番組で見たけど、セガは調子いい時に、ゲームとなんら関係ない(というか世代的にゲーム馬鹿にしてそうなジジイ)他業種の人間を取締役に並べて悦に入った会議してたのであーこの会社おわんなとか思ってました。まだまだゲームwの世評だったからこそそういった他業種の有名どこ並べてイキりたかったんだろうけどゲーム知らない人間に経営握らせてもなんもうまくいくはずない案の定ユーザー無視のソフト揃えず性能競争とかダメとみたハードは即切り そりゃ不便で怖くて買えないですわ
まさにドリキャスがインターネット初体験でしたバーチャロン・ネットワークバーサスのやりすぎでコントローラーのトリガーボタンを壊したのは良い思い出です
S◯NY「ハードの供給不足で事業の立ち上げ失敗か……まさか我が身に降り掛かってくる日が来ようとは」
反論あるとは思うけど、PS3はもっと大きなレベルで失敗してると思う。しかしSONYは撤退せず、さらに資金を投入し続け、ながい時間をかけて巻き返しに成功した。しかし終盤の印象は悪くなかったものの、全期の収支では成功と呼ぶには程遠い結果だった。セガはそこまでの企業体力が無く、早々に撤退してしまった。つまりドリキャスが失敗したのではなく、セガが失敗した。PS3が成功したのではなく、SONYが負けを認めなかった。
いまお手軽にゲーム機で往年のセガのゲームをしようと思ったら何がいいですか?Switch?
実際にはPS2と性能の差はさほどないのに(発色ではドリームキャストの方が上)6600万ポリゴンというハッタリ数字とDVD再生、映画マトリックスの発売で話題を持っていかれた気がしますネット掲示板では決まって当時39800円という値段でDVDが見られるって画期的だったという意見が散見されますが実際にはTSUTAYAにてサムスン製のプレーヤー(しかもリージョンフリー)が29800円で販売されてましたヴィジュアルメモリに対しポケステで対抗したりネットで本体予約のキャンペーンしたりと販促に関してはソニーの方が上手だったって事でしょうか
欠点を上げるとキリがないだろうけど一番気に入らないのは…壊れやすいことだ。イベントで2台、自分で購入で1台持ってたが3,4年で全部壊れた。
ソフトはマジで名作が多いから、ただの負けハードじゃないっていうのを知ってほしい
メガドライブ時代から名作良作怪作全てに恵まれてはいたと思う
DC版こみっくパーティーが発売した時、肝心のドリキャス本体が売って無くて友達が学校サボってまで探しまくってたな。
タイミングが悪かった。十分な在庫を用意してから発売すべきだったな。出せば売れたんだから。今のPS5のようだ。2年も入手できなくて飽きられてきているPS5、しかも値上げ。DCは値下げしたのに売れなかったからな。末期はいいソフトが結構発売されたんだが・・・。
出た当時、まさに夢のようなゲームだと思ったなあ。遠くに住む知らない人と友達になれるってことが楽しみで仕方なかった。どうしてこうなった…
SEGAこそ私の青春でした。Dreamcast、セガサターンは最高のハードでした。ありがとうSEGA!
他はよかったけど、秋元康を使った時にああこれはダメかもと思った。なぜかはわからないが、この予感は当たった。
小さい時にソニックアドベンチャー1、2めっちゃ遊んでいたので、大好きなハードです。コントローラに刺さってるメモリーカードでチャオ育てるやつとか楽しかった。懐かしい。
セガ退社後の湯川専務一家の接客を担当したことあるドリキャス持ってたので当時感動したちなみに湯川「えいいち」専務ではなく湯川「ひでかず」専務ですな同名なので覚えてた
ゲーム機大戦の「セガ最後の戦い編」主人公ドリキャス、かっこよかった。セガ最後ハードとして、PS勢力と戦ったのだ。
懐かしいなあゲーム機大戦
セ〜ガ〜!!😭ドリキャスに限らず、時代を先取りした革新的な商品が失敗するというのは何とも悲しい…
「DCは時代を先取りしすぎた」と思ってたけど、改めて見直してみると、もしも時代は合っていたとしても、その時はその時でプレイヤーがどのようにゲームに触れるのかの想定、思いやりが全然できていない展開をしてコケていたのは間違いないと言っていいと思う。DCで実際出たソフト自体は名作も多いけれど、セガ上層部の仕事の粗さによって潰されたソフト系の計画もやっぱりたくさんあるし、振り返るとセガ上層部の仕事の粗さがとんでもなかったなって感じる。僕が子供の時に身近に感じたせがた三四郎や湯川専務といった宣伝キャラクターの存在自体が、セガの仕事の粗さの表れそのものでもある表裏一体のものだったのだと今は思う。
俺も負けてばっかだから、負けてる奴らを見ると安心するなぁ
昔は時代を先取りしすぎて今は時代に追い付いてない感があるSEGA…
(´;ω;`)事実なら全く笑えない
初動での供給不足という部分は、現行のゲームハードも他人事では無いなぁない袖は振れないとはいうものの、なんとか過去の過ちを繰り返さないようにして欲しいところ
次回ゲームセンター編かぁ…HoDシリーズとか好きでよく遊びに行ってたな
「君失礼だな」で声出して笑った
初期の生産トラブルがなくて潤沢に本体の在庫を用意出来ればもう少し違った未来があったかもしれない本体が普及してなければ他ソフトメーカーもソフト開発はしにくいので将来的にPS2に勝てたか?と聞かれるとそうは思わないけどあそこまで圧倒的な差はなかったかもね
ソニックアドベンチャー、シェンムー、オラタン、フレームグライド、ルーマニア#203、スペースチャンネル5、マブカプ、キカイオー、ソウルキャリバー、バンガイオー、ストIII3rd、JSR、ベルセルク、エターナルアルカディア、PSO,シーマン、セガガガ…面白いゲームは沢山あったのに…あったのに…(涙
シーマンはps2に移植されたしな…
良いハードだったけどね。ドリキャスに限らないけど、セガの作るものは実際に手にとって遊んだユーザーからは熱烈に支持されるが、商売はあんまり上手くない印象かなぁ。株主とか投資家ではないので面白けりゃ私は満足なんだけども
PowerVR2は開発の遅れじゃなくてバグだったはず発覚したのが発売の半年前でこの改修に手間取ってVR2の供給が滞ってしまったって聞いてたけどね、当時あとはCD-ROMと互換性のないGD-ROM、当時は早すぎたモデム搭載が価格面で足を引っ張って自滅した感じかねCMのセガなんてだっせーよなってのがそのまま跳ね返ってきて雰囲気も「あーセガの覇権は無理や」で落ち着いた気が付いたらPS2の足音が目の前だったし
私はドリームキャストくんを忘れないよ当時幼稚園〜小学校低学年だったけどぷよぷよとかチューチューロケットでめちゃくちゃ遊んでた、、🫶
廉価版のDC、ギアが金属からプラにコストダウンしたいせいでピックアップ読み込みエラー出るようになっちゃったんだよな・・・
安くなってから買ったけどサクラ3以外目当てがなくてほぼギャルゲー専用機みたいになってたなぁ…サターン互換ならまだ違ったかも。コントローラーが使いづらかったけど本体の形は結構好きだったのよね
最先端の先を行きすぎた結果、その先は崖だった…ブレーキ効かずに真っ逆さま…発送は良かったが、時代が追いつかず、SEGAは戦闘不能…しかし、ソフトやゲーセンで何とか一命は取りとめた……スペースチャンネル5とか面白いゲームはたくさんあったけどなぁ…惜しい!!持久力が足りなかった…
スト3サード、オラタン、クレイジータクシー、バーチャ3、ファイティングバイパーズ…当時ゲーセンで青春を過ごした自分にとっては今でもNO1ハード!
ドリームキャスト持ってたけど、発売されたスパロボが、プレステよりかなり遅れた販売のα for Dream Castだけで、バージョンアップされてはいたんだけど次世代機のグラフィック性能を活かし切れてない残念な感じだったなぁ。
湯川専務懐かしいな…
去年、誤嚥性肺炎で亡くなられたらしい。ご冥福をお祈りします
え、それは気の毒な。
まずは、
・パワーVR2 NEC製のグラフィックチップですが、"かなり早い段階で"セガが望む供給量の確保は無理であることをNEC自身が発表してました。開発が遅れたこともありますが、そもそも製造ラインが足りなさ過ぎたことと、NECの自社新製品にもパワーVR2を使っていたためそちらへの供給も必要だったこと。当然セガも"早い段階で"そのことを知っていた。
・GD-ROM ドリームキャストのソフト媒体は、CD-ROMよりも容量が多い"GD-ROM"というセガ独自の規格によるディスク媒体だった。当然ドリームキャストではDVDの再生はできず、CD-ROMの上位互換の独自ドライブを使用。さらに、"一万円投げ売りセール"の頃には"CD-ROMとの互換がないGD-ROMドライブ搭載"という新仕様だったため、旧仕様を求めてロットナンバーを見比べながらドリームキャストを選ぶという状態だった。
・先行逃げ切り そもそもパワーVR2が足りない時点で先行逃げ切りができるはずもなく、ソニーにじっくり性能を見極められたのちに後発のPS2にぶち抜かれるという、メガドラvsSFCの二の舞になることはドリームキャスト発売前から噂されていた。
・通信環境 モデムがユニットとして搭載されていたのは非常に画期的で有意義だったのだが・・・、ADSL対応の"ブロードバンドアダプター"が店頭販売せず、セガのweb通販でしか買えなかった。当時はweb通販も今日ほど盛んではなく、事実上"都市伝説の一品"という扱いだった。また"web通販のみのソフト"もいくつかあり、当時人気作だった「スペースチャンネル5」の続編が通販のみということで不評を買っていた。
・ビジュアルメモリー(VM) 単体でも遊べるようにミニゲームを入れたバージョンなどもあり、その点ではライバルの一歩先を進んでいた。だが、いかんせん"ゲームに対してメモリー容量が足りない"という致命的な問題があり、あるゲームをセーブするためには"中のミニゲームを消さなければ入らない"というようなこともあった。結果、サードパーティーの大容量メモリーや、香港製の"PC転送メモリー"のお世話になることとなる。
まあ、なんのかんの言ったところで、「負けるべくして負けたハード」だったのですねぇ・・・。
く、詳しい…関係者の方かな?
こうやって眺めていても全てに共通するのは
「エンドユーザーの方を向いてない」ということなのだと思う
セガは技術は高いのだが全てが作り手目線で一般の客のことを考えてない
元々は3dfxのチップを使う予定だったらしいですけど
PowerVRに変えたらこんな結果に
PowerVRを設計したのは、ビデオロジック社ですが、同社がファブレスでチップ製造が出来なかったので、NECで生産されてました。一応、NECは共同開発した、と発表はしています。
ほんまそれ。最初の供給が間に合ってても大して状況変わってないよ。
仮想敵だったプレステ2が「DVDプレイヤー買うより易いDVDプレイヤー」として市場に送り込まれるから、セガじゃなくてもプレステ2に駆逐されるんだよあの頃…。
プレステ2はプレステ1ができるし、プレステ1のポリゴンの1000倍の表示能力とか嘘ついて動画をゲーム画面みたいに流した
@@カエル王子-u2w カタログスペック値は嘘ではないですよ。
実際に発揮されていたは分からないですけど。
sonyが公開していたデモムービーはちゃんとポリゴンでしたよ。
他は知りませんが。
ぶっちゃけ任天堂もゲームボーイシリーズがなかったら今頃ゲーム業界として無かったかもしれない。まぁ、ほぼほぼポケモンという化け物のおかげ感があるけど。
別に供給遅れが問題じゃないよねこれ。リアル世代だけどDC欲しがってる奴なんてクラスに誰も居なかったわ(笑)
ゲームショップでもDCが売り切れてるとか入荷待ちとか見たこともなかったし。
みんな来年出る6600万ポリゴン&DVDのPS2の話題でもちきり。
ゲームによってプラットフォームは決まるし、インターネット接続が出来ると言っても魅力が伝わらなくって…ネットはwiiu以降かな?🙄
この動画や他の人のコメントを見る限り、任天堂は歯車が狂ってしまっても如何にその影響を最小限に抑えるのかを考えるのが上手い企業だと思う
みんなは据え置きだけを見ている。携帯機を見て見ろ!ゲームボーイとGBAの一強じゃねぇか!え?ワンダースワン?知らないなぁ。
@@rekitetsuotaku ゲームギア(ボソッ)
@@rekitetsuotaku アイムノットボーイ
誰だってボーイを捨てるときが来るんだぜ?
@@メレンゲ犬 www
今のゲーム売り上げや人気ランキングを見るとほぼほぼswitchに占められていますしね。ぶっちゃけPS5で欲しいのがエルデンリングぐらいで他はswitchかsteamの方が遊びたいソフトが多いし……
「10年先を見据え、5年先の技術を持ち、来年度の決算を忘れるのがSEGA」
というコメントを思い出した(((
ホントに10年早く販売してしまったために……。
だからこそ好きなんです
来年度の決算を忘れてる時点で、全く先を見据えきれていない件www
だから、ミスターワゴンセールなのさ、と、呆れるライトユーザーは、私だけではないでしょうな。
9:28 当時のセガの社長ってホンダの元副社長の入交昭一郎だった。技術畑からの叩き上げの人で、次のホンダの社長は既定路線と思われていただけに突然の辞任でビックリした思い出が有る。ホンダ技術部門の顔としてバイク雑誌とかでお顔も知っていたので、ドリキャス撤退のニュースでセガの社長として登場した時は『何でセガの社長とかやってんの !?』と、これまたビックリした思い出が有る。
のちのち、地元の純正装着メインホイールメーカーに来るも、
今や、トピー工業の一部門な結末見ると経営者の実力?感。
動画で語られてないですが、ドリキャスは当時としては画期的なオンラインゲームが出来るハードだったが、ネットが普及してなかった時代な上に、ネット自体も電話回線を利用してたためにネット接続中は電話が出来なかったり、通信料金も高くついたりと、一般人には遊ぶためのハードルが高すぎたのも要因ですかね。時代を先取りし過ぎたハード。
セガにしては珍しく、しっかり考えて戦略練って作られた高性能ハード
しかしせっかちな性質は抜けず、先行販売で出し抜こうといういつもの戦略が失敗の原因だと思う…ネット環境が整ってない時期にネット機能もまた先行すぎた…
セガはセッカ
私はネットしてたぞ。テレホーダイ以前から。
ネット環境が整ってない時期と言うが多くの人がPSOしてた。
環境はあるが情弱が多かった。たまごっちの時代。
ぐるぐる温泉は良き思い出。
当時PSOしてたけどオンゲやネットサーフィンのために回線引くなんてオタクの道楽だったからね
環境が整備されて一般的と言ってよくなったのはせいぜいMHGが流行したPS2発売から数年してから
@@鏡音リン-s9s
俺もPSOとぐるぐる温泉やってた。
DCは通信機能が無かったらもっと早く廃れていたと思うんで、低速でも通信機能は有って良かったわ。
初動での本体供給不足とソフト不足・・・ソニーも今や他人事ではなくなった
プレステ5がルーザーズ入りしないことを切に願う
今のしくじりの原因は、PS2時代からありそうなので、結構長編になりそう。
5000万台売れてるのでルーザーズではないでしょう
既に日本は主戦場じゃあないのでね。車なんかと同様に、
その市場価値が無くなりつつある。EUと北米で売れる事が最優先。
DCの解説ありがとうございます。
中学生~大学生でセガサターン、DCが発売されていた世代としてとても楽しく拝見しました。
PS、SSどちらを購入するか、DCはいつ買うか、迷っていた頃が懐かしいです(結局全部買った)。
上手くいっていたとしてもハード戦争でPS2に勝つのは無理だったと思う
ただ、魅力的なソフトが多かったので、無理して逆ザヤで売らずに
2番手ハードとして展開を続けてほしかったな続編が遊びたかったタイトルも多かったし
@とうや
逆に20世紀末の段階ではまだ「ネットに繋がること」はゲーム機にとってアドバンテージでは無かったよ
そもそもインターネット常時接続を前提にしたゲームも少なかったしそれを前提にした回線契約も無かった
本当にインターネットの世界にハマりたい人はPC経由でテレホなんか使ってシコシコ夜中にやってたわけで
まだコンシューマの出る幕ではなかった
当時のセガのゲームは挑戦的で好きだった。
いまはシリーズ続編が多い。ドラクエとかFFとか嫌いだった。
ドリームキャストが計画通りの売り上げで推移していたら無理な値下げをすること無くハード事業からも撤退せずにドリームキャスト2が出ていたのかと思うと実に悔やまれます。
多分遅かれ早かれセガのハード撤退は避けられなかったと思います。
サターンの赤字最大の原因の生産性についてDCでも全く考慮されず同じ失敗を繰り返していたわけですから
初日に100万台うったPS2相手では覇権争いは無理だったでしょうね。
任天堂と二番手を争ってパイを奪い合うことはできたかもしれない・・・。
仮にトントン拍子で事が運んだしてもPS2には絶対に勝てなかった。PS5が比にならないほど当時のPS2ショックはすさまじかった。
・ネットーワークを売りにしながら当時電話回線とISDNくらいしかなかった。
・旧世代機(サターン)との互換性無し(PS2は有り)
・DVD非対応(これまたPS2は有り)
結局笑いの神が下りてきちまった・・・
さらに、
コントローラが使いにくい上にすぐに壊れる
異世界おじさんが記憶消去するレベルの悲劇
イキュラスキュオラ
………不可能かと思います。任天堂に負け続けていた、セガですから………。
@@サンダークロウ
最後は任天堂と共に多々買い
プレステ初期を倒しましたね()
おじさんはドリキャスの記憶を消してないぜ!
(これはあくまで作者が全く認識がないやつだから)
単行本10卷では最初にドリキャスの記憶を消してた事が判明しました
SEGAを滅亡に追いやったSCE(現SIE)が今は供給不足→ソフト延期→売上縮小という同じコンボを食らっているのがなんとも…はたしてPS6は出るのだろうか
SIEは外国で売上出すことに注力してるからね。
仮に外国でxbox(Windows)に負けることがあれば経営的には結構厳しくなるかもね。
実はプレステって国内市場大きいから日本の売上捨てたっていうのは俗説なんですけどね
PS6とか出す意味あるんか?そこまでいったらもう名称変えた方がいいんじゃないかな?
てか個人的にPSvitaの後継機所望。
自分の感覚だとドリキャスの失敗は、サターンソフト互換性が無いのと、あの尖って汎用性の無く重いコントローラーも原因の一つだと思う。SF3Wインパクト全クリすごく苦労した(^^;)
確かに、セガ機といえば格ゲーなのに、肝心の格ゲーがやりにくいあのコントローラーはいかがなものかと思いました。セガサターンと同じように全面に6ボタンあるだけでも全然違ったのに。
@@tact8812 後にサターン型コントローラーが出ましたけど
一部のゲームにしか対応していませんでしたね
しかし、後方互換性?ありでのちの初代(以下略)
オラタンしかもってないからあのコントローラほとんど使ったことないわw
ドリキャスに下位互換がないことは、劣るというより、当時のハードで下位互換を実装したPS2が凄いと見るのが妥当でしょう。
主戦場にいたゲームハードでもSFCもサターンもFCやメガドラの下位互換なんてないのが普通だったんだから。
急いで発売しようとしたのが問題だったんじゃないかな。
当時のサターンはまだ戦えたと思うし、DVD機能が無いのも問題だった。
できれば、サターンとの互換性も欲しかったけど、複雑な機構のサターンとの互換性はハードルが高すぎた。
PS2は、DVD機能も初代プレステとの互換性も備えているからね。
アメリカ市場でも32Xを発売したのにサターンを前倒しで販売して無理やりサターンへ移行させようとして大失敗している。
それでメガドライブ(ジェネシス)市場も共倒れしたという・・・。
サターンのツインCPUというのがエミュレータ(後継機の互換性)の製作の難易度を上げたね
昔のパソコンのFM-7もソフトを作るのが難しいと言われてたからね
サターンでまだ戦えていたよな。DCのソフトも少なかったので揃うまでサターンを引っ張っても良かったと思う。
PS2が売れに売れたのって、DVDプレイヤーとしても使えることを考えるとお買い得感が非常に強かったのもあると思います。またしてもゲームをしない一般層を大量に取り込むことに成功している。
その上で初代PSのゲームがほぼ問題なく動くという神性能。相手が強すぎたんだよなぁ…
サターンと違ってSEGAの悪いところが出てたハードだと思う
ゲームギアで何も学んでいない
具体的にはビジュアルメモリが特殊な電池式なのにあまりにも電池の持ちが悪い
サターンとの互換性が無い
サターンパッドと比べて操作性が悪いetc
マスターシステムからのSEGAユーザーでしたが、ドリキャスだけは中古で値崩れしてから購入しました
確かに、サターンの6ボタンコントローラからドリキャスのコントローラを触った時に、え?何でサターンの後継機なのに、コントローラがやりにくくなっているの?と思った当時。
結局はソフトだからね。
ドラクエやFFを取れなかったのが痛いんだろうな
任天堂は自社ソフトというかキャラクターが強いからプレステが強い時に独自路線で生き残ってたけど、セガはソニックがあったとはいえ誰でもやってるほどの強さは無かった。
終わり頃はギャルゲー機みたいになってたよね
世間の評価がどうあれ、自分にとってのドリームキャストはまさに夢のマシンでしたよ。
スタンドアロンのゲームもかなり良質なものが多かったし、
特にネットゲームを本格的に遊べる初めての家庭用ゲームとして、とにかくハードルが低くて楽しいゲームが多かった。
今でも大好きなハード。
ドリームキャストのゲームは発売初期のPS2のゲームよりもグラフィックがきれいだった。ソウルキャリバーとか当時は本当にすごかった。しかしPS2でメタルギアソリッド2やFF10が発売したあたりで趨勢が完全に決まってしまった。
発色性能やテクスチャの解像度は、DCのほうが勝っていたようですね。
バーチャファイター4がDCで開発できなかったのが致命傷になった記憶
サターンもバーチャ3が出せずに店仕舞に追いやられた感じで
自社のアーケードタイトルを自社ハードに移植できなかったのは大問題
DCよりはるかに綺麗!って散々広報しまくっていざローンチタイトルでたらジャギジャギで酷いグラのゲームばっかりだったのは悪い意味で衝撃だった
DCのグラ超えられたのも限界引き出した後期になってからだし、グラフィックに関しては完全にカタログスペックで騙し討ちした形だった
いつも時代を先取りしすぎる徒花のセガ
オーパーツすぎたかぁ・・・
昔、林原めぐみのハートフルステーションでセガの人がDC宣伝してるコーナーあったの思い出した。
PS2発表の時「DVDも見れるしゲーム機と言うより家電なんですよ(震え)」ってなってたのが印象的だった
そうそう、「セガが次世代機出します」という最初のリーク第一報があの林原めぐみの番組内だったんですよね。よく覚えてます。
初動での圧倒的なソフト不足、汎用性の無いコントローラー、GD-ROMじゃなくて普通にDVD-ROMでビデオ対応してたらとか
せめてサターンとの互換性が有れば・・・
PS2はPS1のソフトでも遊べるってのも大きかったしそんなにゲームしない人等からしたらDVD再生機として使われてたりしてましたからね。
ゲーム自体は面白いのが多かったんだけどなぁ テレホマン助けて―
サターンはハードウェアで5面のGB面重ね合わせ、更には回転拡大縮小がサポートされていたため、2Dの多重スクロールが極めて強力でした。この機能をドリキャスで再現するには相当な工夫を強いられる可能性が高いです。実際、PS2版のバーチャファイター2もアーケード基板MODEL 2に搭載されているハードウェア2D表示機能の再現だけで、グラフィックパワーの半分を使ってしまっているそうです。
ドリキャスは先進的ではあった、だがコントローラーは使いにくい、メモリ単体でゲームができるがするゲームが無い。ネット接続は時代が追いついていなかった(PSOとかは成功したとは思う)。
保育園児の時、シーマンとソニックアドベンチャーにハマったな。親が持っていて起動音がちょっと怖かった記憶があるけれど、最初に触れたゲーム機だったから思い出深い🤭
ぐるぐる温泉でネット麻雀してた。
当時の思い出は、ゲームを遊ばない会社の人がDVDが見れるからps2を買うと言ったのが印象的だった、ドリームキャストが十分に供給出来ても負けた気がする。
モデム機能を駆使した、出会い系が、出来れば、金持ちリーマンを取り込めた気が!!!
セガが自前で、バーチャネットガールを大量に動員して、会う直前になってとんずら。
本当に出会える確率は、1/1000ぐらいでも、おんな目当てで売れたかもw
CMは強烈なインパクトがあって、今でも記憶に残ってます。
そういう意味では確かな足跡は残してますね。
そして、またしても続編が作られる流れですねw
企業の内情を利用するって、オワコンだと思うがな。
だって、他社だってみんな、厳しい社内事情は、抱えるでしょ。競争なんだから。
なんなら、テトリスが販売できなかった時は、何で、CMでその内情を展開しなかったんだ。
じゃあ、裁判事件にして、それを雑誌で扱ってもらうようにするとか。
すると、裁判を利用した裁判商法とか、確立できるかもしれんが。
ドリームキャストを修理に出したら新品が送られてきたことはいい思い出です
ロールスロイスかな🤔
3ヵ月もしないうちに壊れて修理に出したけど異常なしと言われたけど壊れたままだった。
ドリキャスはこれが正常なんだと思うことにして文鎮になった(しかし結構軽い)
新品と交換するのはメーカーからすると最悪の手段。どこの何がおかしいのかを調べないということは、すでに諦めているということだ。
1:43 のセガも懲りないねぇ霊夢ちゃんの顔面良すぎて元々好きだったこのチャンネルがもっと好きになった
供給不足を招いたフライング発売、それとDVDドライブではなかった事が敗因ですね。
2000年発売のPS2もドリキャ同様最初はソフト不足でしたが、映画「マトリックス(マトリクス?)」がキラーソフトになりました。
加えて極めて歩留まりの低いPOWER-VR2の製造ラインもロクに整っていない状態でのフライング発売・・・
これではダメダメでしょう。
セガはドリキャスだけは買ったなぁ。サクラ大戦やアニメになったエr…ギャルゲとか美人な学校の先生達との恋愛ゲーとか12人もいる妹を愛でるゲーとかあったし、まぁその後だいたいプレステ移植してプレステででできるようになったけど…。でも残ったゲームやどうしても移植まで待たないで先取りしたかったゲームはドリキャスでやった。あと当初は電話線につなぐだけでインターネットができるというのが本当に良かった。親が居ないときにこっそりヤフーで検索したなぁ…色々。
機会損失は商売では一番やってはいけない初歩的なミス…現状ではTOYOTAや日産を始めとした車業界の大手がやらかしているから自動車産業もオワコン化しそうで怖い😓
発売初日に15万台のうち一台を買いました。
自分のネットデビューのハードでもあります。
電話回線をつないでインターネットに初めてつないだあのワクワク感。いい思い出です。
ビジュアルメモリとかいいアイデアだと思ったけど、有効に使えたソフトはあまり無かった印象。
psoやってた時一、二度繋いだくらい
料金的に頻繁に繋ぐ事は出来なかった
発売日に買えるように予約したのに入荷量が少なく、ソニックアドベンチャーの発売が1か月遅れたからそれに合わせて買うことを勧められた。
やはりあの時点でヤバかったんだな・・・
PSOやシェンムーといった後のゲームに影響を与える作品は多かったが、ほぼ踏み台だったなぁ。
ついに、ゲーセンのゲームを家庭用機に完全移植可能にした最高の本体だったな。
セガが天下とって、後継機種も出ていたら間違いなく頭文字Dのゲームも
完全移植で出てたんだろうな、残念だわ
ネオジオ・・・
NAOMIやMODEL2のゲームはほぼ完全移植できる性能がありましたが、MODEL3は厳しかったらしく、多くは移植度が落ちていましたね。セガラリー2がわかりやすいです。
連邦vsジオンも再現率でいえばドリキャスがしっかりしてたなぁ。
サンダーフォースVlが、ドリームキャストに出ていれば、最低から、最高になっていたかもしれませんな。
いや、コレは何やっても成功出来たイメージが湧かなかったからね・・・
というかPS2の勝ちと言うか圧倒的成功が発売前に雰囲気としてあったからね・・・
値段、性能、ソフト、機能、しかもPSの需要自体まだあった時期に互換アリって
そりゃ勝てないよ・・・
その上でセカンドハード狙いってのはあったかもしれないけどね。
任天堂でさえ長い間負け続けたプレステ2に勝てるわけねー😭
ドリームキャストが失敗した理由はセガサターンの時に予定通りドラクエを発表出来なかったからでしかない。ドラクエは最初セガサターン用に開発が進んでいた。今より更にドラクエFF信仰が強かった時代に、それらのタイトルなしではどんだけ初動が成功しようが赤字幅が下がったかもしれないが覇権は取れなかった。FFDQが出てるプレステと互換性があるPS2には勝てない。
古のセガファン屋、セガ人には、旧エニックスと、鳥山明先生は、“ゲーム業界の、裏切り者NO.1だ、未完成でも、ドラクエが、セガサターンに出ていれば、セガ人は、オワコン人にならずに済んだのに”と、恨み節を、今も、吐き出していると思いますな。
プレステも1や2では覇者だったが、久多良木の暴走により3で敗北…
その後、4で巻き返したはいいが、switchの登場やジム・ライアンのPC進出発言により、5は常に逆風という最悪な状態
ちなみに携帯機はどちらも一発屋に終わった
このチップ(SH-4とPOWER VR2)の組み合わせが、のちに日本の2DIN一体型カーナビ(クラリオンはじめとして各社)に採用されて、そして1チップ化することになる。
PSも持っていたが、思い出深いのは圧倒的にサターンとドリキャス!
バーチャ、サクラ、セガラリー、ファイティングバイパース、本当に楽しかった。まぁ経済的にはルーザーかもしれないけど。。
来ましたね(笑)
ドリキャスは最初ソフトのラインナップが凄かったので、発売前は期待があったのは事実です
ツインスティック買いましたけど何か?
でも確かに最初は全然ソフトなかったなあ
とはいえ、バイオハザードとハウスオブザデッドとオラタンやったからなあ
あとはソウルキャリバーとかバーチャファイターとか、元取ったって人多いのでは
ただカプコンがバイオハザードリリース関連で嘘ついたりとか、色々不穏なハードだったのもまた事実
当時の各社の開発スタッフが、入交社長のことしか良く言っていなかったのを強く覚えています
それ以外は良くない、と言っていたように聞こえました
飯野賢治さんとか、色々思うとこあったんじゃないかなあ
ドリキャスは作動音がちょっとうるさかったのがアレだったけど、グラフィックは最高だったしソフトも名作が多くて満足してた。ザハウスオブザデッド2やクレイジータクシー、マブカプなんかは指がちぎれるくらいプレイしたな。サンキューSEGA。
個人的にはサターンと互換性がないのが致命的だったなぁ。コントローラーも格ゲーやり辛い作りにビジュアルメモリをセットする仕様は微妙だった
いつも楽しくためになる動画ありがとうございます♪
1点リクエストです
チャンネル趣旨から少しズレますが、SEGAがSONYとの覇権争いに勝利した世界線のIF考察をして頂けないでしょうか?
敗北経緯をテーマにした動画は他チャンネルでもよく見かけますが、上記テーマを取り扱ってる動画はまだ無いようでした
ドリキャスは今でも最高のハードだと思ってます。サードパーティーのソフトに恵まれませんでした😢
はっきり言って、初回出荷がかなりきつい状況だという事は上層部も確認していたと思う。
それでも状況が好転することを信じ、プレステ2よりも早く出さなければ僅かな勝ち筋もなくなってしまうわけだからな・・・
同時期に発売すれば、ソフト数、ユーザー数において圧倒した1との互換性能&DVD再生機能を持つプレステ2に敵うはずもないのだから。
98年11月27日時点でソニックアドベンチャーはマスターアップ出来ていない
シナリオを1本しか用意してないから、
コケた時にリカバーできなかったんだよねぇ・・・
失敗した時のことを考えないのは企業としてどうなんだ
コケた理由が理由だからどうしようもない
スタートダッシュでハードが揃わず失敗なんて、そこしくじったらリカバリーなんてしようがない
無理してでも何とかしないといけない事をしくじってる
それでも、ドリームキャストを買う選択を後悔した事は1度も無い、遊びがいのある良いソフトが本当にたくさんあった、コントローラーが壊れやすいのが難点だった。
他の動画にもカキコしたけど、当時ドリキャス向けの部品を作るメーカーに勤めており、グラフィックICの歩留まりと当社の生産数がリンクしていたので、ドリキャスの苦境は手に取るように分かった。SONYもICの生産で苦しんでるので、枯れた(一般化とも言う)技術を採用する任天堂の戦略もアリですね。
PSのコントローラーのフィット感が最高なんですよね。
セガサターンは6ボタンが手元にあるのが魅力で負けていなかった(XYZも同じ大きさにしてほしかった)
ドリームキャストはPSと64を足したような感じでゴツくなり馴染まなかったです。
このチャンネルでドリキャスがいつ紹介されるか首を長くして待ってました‼凄く嬉しいです🎵敗北は残念ですがね😂
当時、CMか何かで見たソニックのグラフィックに衝撃を受け、ナムコの裏切りにショックを受けたのが懐かしい。キャリバー1、PS2で欲しかった…。
ドリキャスの最大の失敗はヴィジュアルメモリーとコントローラーの関係だと思う
SEGAお約束のAC移植が多かったうえに、再現率も高くて期待値も高かったんだけどね・・・
1コンにVMを刺さないとセーブが出来ないゲームが多かったにも関わらず、SEGAは周辺機器の製造数にはさほど力を入れていなかったから
ソフトは出ているけどアケコンが無いって状態が続いていたからなぁ・・・
当時だと他社メーカーでのアケコンと言ったらHORIだけどVMのせいでHORIがDCのアケコンを出した時にはすでにPS2にボコられた後だったから
結局DC用のアケコンは生産数の少ないニッチな周辺機器になっちゃったからそりゃ勝てんよ
ちなみに我が家のアケコンは3か月で壊れた・・・再購入しようにも商品在庫は無し、修理しようにも内部の部品は他と互換性が無く修理できず終了
ドリームキャストの失敗を見てかは知らないが、PS2にはPSソフトも遊べる互換性能が備わり、当時は珍しかったDVDの再生も出来る事で本体だけでも爆発的に売れましたとさ。
当初グラフィックチップはPOWER VR2ではなく当時3DFXのチップを使う案があったのだが、土壇場で変わった話は聞いた事がある。
まあどっちにしても「DVDドライブでなかった」「使いにくいコントローラ」「煩いGD-ROM」などなどで自分にとっては魅力のないハードだと思った。
嫁に来てからも数年は義母(74歳)が『シェンムー』にハマってた。
だけど2年位前に機械が壊れてしまい残念がってた。
使える機械があればまだやってたと思う。
嫁に来た時にゲームをやってる60代後半の婆に驚いた。
まだパソコンを持っていなかった頃、インターネットするのに非常にお世話になりました。
あと、毎晩テレホーダイの時間になると夢中でネットゲーム(PSO)やってたなあ。
本当にありがとうと言いたい。
妻「ねぇ貴方、毎晩遅くになると、画面向かって何やってるの?」
夫「いや、別に・・・。残業の残りで・・・」
妻「変な出会い系ゲームでも買ったんじゃないでしょうね?」
ここは、
・魔理沙の解説が分かりやすい。
・霊夢が、なんか色々可愛い(口調とかも
から他の動画も全部楽しみに見ようと思いますb
嬉しいです。ありがとうございます!
最近異世界帰りのおじさんがよくセガについて語ってるからより楽しめた
………ライトユーザーには、楽しく無いです。
うぽつです!ドリキャス懐かしいので高評価押しときます!
時代を先取りしながらもドリームキャストは惨敗してセガは勢いが落ちてしまった感は否めない。
ゲーセンのそのままのグラフィックと音楽が流れるセガラリー2とかすごかったんだけどね。
特に雪ステージとか。
まああっちのグランツーリスモもすごかったが。
ドリームキャスト自体も悪くは無かったと思うけど、何よりその後に控えてたプレステ2が化け物過ぎたのよね。性能だけでなく、あの当時でDVDプレイヤー機能を搭載して、更にプレステ1のソフトとの互換性があって、おまけにFFやドラクエみたいなビッグタイトルのシリーズが確約されてる次世代ハードとか、出遅れた時点でドリームキャストには勝ち目は無かった・・・。
むしろPS2に先行しようなんて大それたこと考え無ければよかったのにと思う
セガはなにやったって所詮セガなのだから
分を分けまえてPS2に覇権は譲った上で、PS2に無いものを求める層向けに渋い二番手路線を歩むべきだった
そのくらいのセガファンは居たのだから
ハード戦争では負けたけど個人的にはこの頃のSEGAが1番好きだよ。ソニアドシリーズ、ジェットセットラジオ、クレイジータクシーにシェンムーと尖った魅力のあるゲームがたくさん出てたし。
サンダーフォースVlが、此の頃に出ていたら、私も、セガに対して、肯定的になっていましたよ。
セガはハードをコロコロと変えすぎる社風がそもそもいけなかったんだと思うよ。ハードを変えるということは、古いセガのゲームを持っている人を切り捨てるのと同じ行為だからね。とくにゲーマーではない自分のような一般のライトユーザーにとっては、セガは「コアなファンだけがついてく会社」というイメージが付きすぎて、「どうせ新しいハード買ってもすぐ使えなくなるんだろ」としか思えなかったもの。
任天堂は旧ハードにも一定の需要が残存するのを理解していて、延命措置的なサービスや商品を出すことがありました(ex.ファミコン→AV仕様ファミコン・スーファミ→任天堂パワー)。また、新ハードが出てもしばらくは、旧ハードも並行でソフトを出していました。しかし、セガは古いハードはサポートもソフトのリリースも即切り落としていくスタイルだったと思います。SMS~サターンのころはそれが顕著でしたね。
その宿敵が現在同じような状況になりつつあるのは運命を感じてしまいますね。
後にセガはサミーと合併してセガサミーとなり、一方で家庭用ゲーム機市場ではセガの意志をマイクロソフトが受け継いでいる。
次は、セガのゲームセンター事業についてですかね?
楽しみにしています!
これTV番組で見たけど、セガは調子いい時に、ゲームとなんら関係ない(というか世代的にゲーム馬鹿にしてそうなジジイ)他業種の人間を取締役に並べて悦に入った会議してたのであーこの会社おわんなとか思ってました。
まだまだゲームwの世評だったからこそそういった他業種の有名どこ並べてイキりたかったんだろうけど
ゲーム知らない人間に経営握らせてもなんもうまくいくはずない
案の定ユーザー無視のソフト揃えず性能競争とかダメとみたハードは即切り そりゃ不便で怖くて買えないですわ
まさにドリキャスがインターネット初体験でした
バーチャロン・ネットワークバーサスのやりすぎでコントローラーの
トリガーボタンを壊したのは良い思い出です
S◯NY「ハードの供給不足で事業の立ち上げ失敗か……まさか我が身に降り掛かってくる日が来ようとは」
反論あるとは思うけど、PS3はもっと大きなレベルで失敗してると思う。
しかしSONYは撤退せず、さらに資金を投入し続け、ながい時間をかけて巻き返しに成功した。
しかし終盤の印象は悪くなかったものの、全期の収支では成功と呼ぶには程遠い結果だった。
セガはそこまでの企業体力が無く、早々に撤退してしまった。
つまりドリキャスが失敗したのではなく、セガが失敗した。
PS3が成功したのではなく、SONYが負けを認めなかった。
いまお手軽にゲーム機で往年のセガのゲームをしようと思ったら何がいいですか?Switch?
実際にはPS2と性能の差はさほどないのに(発色ではドリームキャストの方が上)
6600万ポリゴンというハッタリ数字とDVD再生、映画マトリックスの発売で話題を持っていかれた気がします
ネット掲示板では決まって当時39800円という値段でDVDが見られるって画期的だったという意見が散見されますが
実際にはTSUTAYAにてサムスン製のプレーヤー(しかもリージョンフリー)が29800円で販売されてました
ヴィジュアルメモリに対しポケステで対抗したりネットで本体予約のキャンペーンしたりと
販促に関してはソニーの方が上手だったって事でしょうか
欠点を上げるとキリがないだろうけど一番気に入らないのは…壊れやすいことだ。イベントで2台、自分で購入で1台持ってたが3,4年で全部壊れた。
ソフトはマジで名作が多いから、ただの負けハードじゃないっていうのを知ってほしい
メガドライブ時代から名作良作怪作全てに恵まれてはいたと思う
DC版こみっくパーティーが発売した時、肝心のドリキャス本体が売って無くて友達が学校サボってまで探しまくってたな。
タイミングが悪かった。十分な在庫を用意してから発売すべきだったな。出せば売れたんだから。今のPS5のようだ。2年も入手できなくて飽きられてきているPS5、しかも値上げ。DCは値下げしたのに売れなかったからな。末期はいいソフトが結構発売されたんだが・・・。
出た当時、まさに夢のようなゲームだと思ったなあ。
遠くに住む知らない人と友達になれるってことが楽しみで仕方なかった。
どうしてこうなった…
SEGAこそ私の青春でした。Dreamcast、セガサターンは最高のハードでした。ありがとうSEGA!
他はよかったけど、秋元康を使った時にああこれはダメかもと思った。
なぜかはわからないが、この予感は当たった。
小さい時にソニックアドベンチャー1、2めっちゃ遊んでいたので、大好きなハードです。
コントローラに刺さってるメモリーカードでチャオ育てるやつとか楽しかった。懐かしい。
セガ退社後の湯川専務一家の接客を担当したことある
ドリキャス持ってたので当時感動した
ちなみに湯川「えいいち」専務ではなく湯川「ひでかず」専務ですな
同名なので覚えてた
ゲーム機大戦の「セガ最後の戦い編」
主人公ドリキャス、かっこよかった。
セガ最後ハードとして、PS勢力と戦ったのだ。
懐かしいなあゲーム機大戦
セ〜ガ〜!!😭
ドリキャスに限らず、時代を先取りした革新的な商品が失敗するというのは何とも悲しい…
「DCは時代を先取りしすぎた」と思ってたけど、改めて見直してみると、もしも時代は合っていたとしても、その時はその時でプレイヤーがどのようにゲームに触れるのかの想定、思いやりが全然できていない展開をしてコケていたのは間違いないと言っていいと思う。
DCで実際出たソフト自体は名作も多いけれど、セガ上層部の仕事の粗さによって潰されたソフト系の計画もやっぱりたくさんあるし、振り返るとセガ上層部の仕事の粗さがとんでもなかったなって感じる。
僕が子供の時に身近に感じたせがた三四郎や湯川専務といった宣伝キャラクターの存在自体が、セガの仕事の粗さの表れそのものでもある表裏一体のものだったのだと今は思う。
俺も負けてばっかだから、負けてる奴らを見ると安心するなぁ
昔は時代を先取りしすぎて今は時代に追い付いてない感があるSEGA…
(´;ω;`)事実なら全く笑えない
初動での供給不足という部分は、現行のゲームハードも他人事では無いなぁ
ない袖は振れないとはいうものの、なんとか過去の過ちを繰り返さないようにして欲しいところ
次回ゲームセンター編かぁ…HoDシリーズとか好きでよく遊びに行ってたな
「君失礼だな」で声出して笑った
初期の生産トラブルがなくて潤沢に本体の在庫を用意出来れば
もう少し違った未来があったかもしれない
本体が普及してなければ他ソフトメーカーもソフト開発はしにくいので
将来的にPS2に勝てたか?と聞かれるとそうは思わないけど
あそこまで圧倒的な差はなかったかもね
ソニックアドベンチャー、シェンムー、オラタン、フレームグライド、ルーマニア#203、スペースチャンネル5、マブカプ、キカイオー、ソウルキャリバー、バンガイオー、ストIII3rd、JSR、ベルセルク、エターナルアルカディア、PSO,シーマン、セガガガ…面白いゲームは沢山あったのに…あったのに…(涙
シーマンはps2に移植されたしな…
良いハードだったけどね。ドリキャスに限らないけど、セガの作るものは実際に手にとって遊んだユーザーからは熱烈に支持されるが、商売はあんまり上手くない印象かなぁ。株主とか投資家ではないので面白けりゃ私は満足なんだけども
PowerVR2は開発の遅れじゃなくてバグだったはず
発覚したのが発売の半年前でこの改修に手間取ってVR2の供給が滞ってしまった
って聞いてたけどね、当時
あとはCD-ROMと互換性のないGD-ROM、当時は早すぎたモデム搭載が価格面で足を引っ張って自滅した感じかね
CMのセガなんてだっせーよなってのがそのまま跳ね返ってきて雰囲気も「あーセガの覇権は無理や」で落ち着いた
気が付いたらPS2の足音が目の前だったし
私はドリームキャストくんを忘れないよ
当時幼稚園〜小学校低学年だったけどぷよぷよとかチューチューロケットでめちゃくちゃ遊んでた、、🫶
廉価版のDC、ギアが金属からプラにコストダウンしたいせいでピックアップ読み込みエラー出るようになっちゃったんだよな・・・
安くなってから買ったけどサクラ3以外目当てがなくてほぼギャルゲー専用機みたいになってたなぁ…サターン互換ならまだ違ったかも。コントローラーが使いづらかったけど本体の形は結構好きだったのよね
最先端の先を行きすぎた結果、その先は崖だった…
ブレーキ効かずに真っ逆さま…
発送は良かったが、時代が追いつかず、SEGAは戦闘不能…
しかし、ソフトやゲーセンで何とか一命は取りとめた…
…スペースチャンネル5とか面白いゲームはたくさんあったけどなぁ…惜しい!!
持久力が足りなかった…
スト3サード、オラタン、クレイジータクシー、バーチャ3、ファイティングバイパーズ…
当時ゲーセンで青春を過ごした自分にとっては今でもNO1ハード!
ドリームキャスト持ってたけど、発売されたスパロボが、プレステよりかなり遅れた販売のα for Dream Castだけで、バージョンアップされてはいたんだけど次世代機のグラフィック性能を活かし切れてない残念な感じだったなぁ。