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寝台列車を牽引していた機関車は、いつ見ても迫力があり、独特のワインレッドカラーも美しくて、いつまでも見ていたい気持ちにさせてくれますね。あけぼのは、初めて乗った夜行列車でして、思い出深いです。いいものですね。
このくらいの時期に東北周遊きっぷを使い、深夜の福島~仙台を上り、下りで行ったり来たりしてました。それくらいまだ夜行特急や急行が残ってた時代ですね・・・個人的に一番嬉しい発見は、福島駅の新幹線よりの留置線に旧型客車が大量に留置されていた思い出があったのですが、いろいろ探しても画像などが見当たらなく、記憶違いかと思いましたが、機関車入れ替えの一瞬にその姿が確認出来ましたので、やっぱりあったんだとわかりました。この時代が一番「鉄」にはまって、また面白い時代でしたのでとても懐かしいです。動画ありがとうございます。
板谷峠改軌する直前にはEF71重連が郡山まで来てましたよね。
ジブリの『おもひでぽろぽろ』で主人公が上野から山形まで乗ったあけぼの3号もこんな感じでしたね
まだ夜明け前でしょうか。ED75の連結で目が覚めますね。山形新幹線ができて羽越本線経由になったのですね。
1:41 右奥に仙石線を引退して廃回待ちの103系非冷房車がいますね。
仙石線用の103系は廃車回送の途中だったのですね。その後に旧型客車が少しだけ映っていますが、何番か記録に残しておかなかったのが残念です。
@@sakuchihafuku4260 旧客は構内の南側や松川駅中線にも留置されてましたがこちらはこの動画の数年前に無くなっていましたね。
ED78、ED75あけぼの重連連結、切り離し大好きです
あけぼのの後から2両目に付いてる引戸のオハネフ25-0ってまだ秋田配置だったのかな
青森始発の列車だったので青森か尾久のどちらかと思いますが、まだたくさんの24系が走っていたんですね。
いいですねぇ~!国鉄時代は17、18車両位の貨物車を牽引していたらしいです。貴重な動画Up有り難う御座います👍
「出世列車」の異名をもつあけぼのですが、平成に入ると寂しくなりましたね。A寝台2両連結している時が最盛期だったのかもしれません。九州人からすると貫通扉付きの機関車は何となく憧れがありました。非貫通しか見ないもので・・・
55:10改正後ぐらいから福島機関区にED71の廃車補充で700番代が秋田運転所から転入したけど東北本線の700番代はいまだに違和感あるわED78と交代したとこもこれから奥羽本線?って思ってしまった
700番代は91両も製造されて過剰かと思うけど、55-10より奥羽線の貨物列車の削減が始まり東北本線の老朽化が著しいED71置き換えに利用できましたね。しかしその頃というと製造開始されたEF64-1000も、数年後に貨物列車のヤードが全廃になるのに53両も製造されてしまったけど。
奥羽本線経由乗ってみたかったです。
あけぼのは寝台特急の中でも、特に特殊だった…。車両が近代化されても、機関車交換回数(EF65→ED75→EF71+ED78の重連→ED75700番台)も多かった。板谷峠から撤退し、3号あるいは2号陸羽東線経由に変更し、1号あるいは4号は"鳥海"に改称し、"出羽"と同じ高崎、長岡経由になった。陸羽東線ではEF71+ED78に代わり、DE10が牽引した。"出羽"が廃止になるとあけぼのと"鳥海"は直流電気機関車(それぞれEF651000番台、EF641000番台)の牽引から撤退し東北本線のあけぼのと高崎線の"鳥海"はEF81になった。それから、あけぼのは"鳥海"ルートを引き継ぎ、"鳥海"は廃止した。そして、"鳥海"を含め15年余り高崎の機関士は「EF81だと空転が多い」と大変な運転となってしまったことで、再びEF64に出番が回ってきた。しかし、長岡もEF64の台数は多くなく、上野から金沢間の北陸の廃止までは0番台が牽引した。それから廃止されるまで高崎線はEF641000番台になり、廃止まで続いた。
ナナゴ700番代重連連結、雑だなあ
寝台列車を牽引していた機関車は、いつ見ても迫力があり、独特のワインレッドカラーも美しくて、いつまでも見ていたい気持ちにさせてくれますね。あけぼのは、初めて乗った夜行列車でして、思い出深いです。いいものですね。
このくらいの時期に東北周遊きっぷを使い、深夜の福島~仙台を上り、下りで行ったり来たりしてました。それくらいまだ夜行特急や急行が残ってた時代ですね・・・個人的に一番嬉しい発見は、福島駅の新幹線よりの留置線に旧型客車が大量に留置されていた思い出があったのですが、いろいろ探しても画像などが見当たらなく、記憶違いかと思いましたが、機関車入れ替えの一瞬にその姿が確認出来ましたので、やっぱりあったんだとわかりました。この時代が一番「鉄」にはまって、また面白い時代でしたのでとても懐かしいです。動画ありがとうございます。
板谷峠改軌する直前にはEF71重連が郡山まで来てましたよね。
ジブリの『おもひでぽろぽろ』で主人公が上野から山形まで乗ったあけぼの3号もこんな感じでしたね
まだ夜明け前でしょうか。ED75の連結で目が覚めますね。山形新幹線ができて羽越本線経由になったのですね。
1:41 右奥に仙石線を引退して廃回待ちの103系非冷房車がいますね。
仙石線用の103系は廃車回送の途中だったのですね。その後に旧型客車が少しだけ映っていますが、何番か記録に残しておかなかったのが残念です。
@@sakuchihafuku4260 旧客は構内の南側や松川駅中線にも留置されてましたがこちらはこの動画の数年前に無くなっていましたね。
ED78、ED75
あけぼの重連
連結、切り離し
大好きです
あけぼのの後から2両目に付いてる引戸のオハネフ25-0ってまだ秋田配置だったのかな
青森始発の列車だったので青森か尾久のどちらかと思いますが、まだたくさんの24系が走っていたんですね。
いいですねぇ~!国鉄時代は17、18車両位の貨物車を牽引していたらしいです。貴重な動画Up有り難う御座います👍
「出世列車」の異名をもつあけぼのですが、平成に入ると寂しくなりましたね。
A寝台2両連結している時が最盛期だったのかもしれません。
九州人からすると貫通扉付きの機関車は何となく憧れがありました。非貫通しか見ないもので・・・
55:10改正後ぐらいから
福島機関区にED71の廃車補充で700番代が秋田運転所から転入したけど
東北本線の700番代はいまだに違和感あるわ
ED78と交代したとこもこれから奥羽本線?って思ってしまった
700番代は91両も製造されて過剰かと思うけど、55-10より奥羽線の貨物列車の削減が始まり東北本線の老朽化が著しいED71置き換えに利用できましたね。
しかしその頃というと製造開始されたEF64-1000も、数年後に貨物列車のヤードが全廃になるのに53両も製造されてしまったけど。
奥羽本線経由乗ってみたかったです。
あけぼのは寝台特急の中でも、特に特殊だった…。車両が近代化されても、機関車交換回数(EF65→ED75→EF71+ED78の重連→ED75700番台)も多かった。
板谷峠から撤退し、3号あるいは2号陸羽東線経由に変更し、1号あるいは4号は"鳥海"に改称し、"出羽"と同じ高崎、長岡経由になった。陸羽東線ではEF71+ED78に代わり、DE10が牽引した。"出羽"が廃止になるとあけぼのと"鳥海"は直流電気機関車(それぞれEF651000番台、EF641000番台)の牽引から撤退し東北本線のあけぼのと高崎線の"鳥海"はEF81になった。
それから、あけぼのは"鳥海"ルートを引き継ぎ、"鳥海"は廃止した。そして、"鳥海"を含め15年余り高崎の機関士は「EF81だと空転が多い」と大変な運転となってしまったことで、再びEF64に出番が回ってきた。しかし、長岡もEF64の台数は多くなく、上野から金沢間の北陸の廃止までは0番台が牽引した。それから廃止されるまで高崎線はEF641000番台になり、廃止まで続いた。
ナナゴ700番代重連連結、雑だなあ