秀吉の策略を逆転!毛利家を守った小早川隆景の驚異の智略

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  • Опубліковано 3 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 6

  • @藤田竜徳
    @藤田竜徳 13 днів тому +2

    隆景が秀俊をもらい受けたさいには隆景自身にも実子がいなかったのが大きかったみたいですね。
    しかし関ケ原の後に若くして秀俊(秀秋)が死んでしまい断絶してしまったのが本当に惜しまれますね。

  • @勇者ヒロユキ
    @勇者ヒロユキ 17 днів тому +5

    隆景が生きていれば西軍に毛利家が無かった可能性がある

  • @hibikiyamazaki8543
    @hibikiyamazaki8543 17 днів тому +3

    秀吉が亡くなった後の俗にいう豊臣五大老には、徳川家康、前田利家、毛利輝元、宇喜多秀家、上杉景勝が挙げられますが
    その前年の1597年に亡くなるまで、小早川隆景も彼らと同様の政務を行っていたので、五大老は計6人いたなんて話もありましたね

  • @crybabyhito
    @crybabyhito 14 днів тому +5

    隆景が生きていればそもそも関ヶ原自体なかったのでは?

  • @yugureyamanaka2730
    @yugureyamanaka2730 15 днів тому +2

    リクエストで、土佐という1国の領主になった「山内一豊」の出世物語の光と影の部分についても検討してみてください。

  • @木場俊介-b9j
    @木場俊介-b9j 4 дні тому +1

    長男隆元、次男元春が、まっすぐだった分、父、元就の謀略の部分を最も引き継いだのが、隆景だったと思いますね。
    小早川は、子宝に恵まれず、隆景、そして養子の秀秋の代で断絶した事が悔やまれます。
    一番平凡だった、毛利本家が続きます。吉川も、岩国で頑張りますが、3本の矢は、隆景の病没?老衰?をもって、終わりましたね。