Розмір відео: 1280 X 720853 X 480640 X 360
Показувати елементи керування програвачем
Автоматичне відтворення
Автоповтор
今回は石川県シリーズ第三弾【手取川の戦い】っす~戦国の有名な戦いの中でもこれまた謎が多い戦い。一応、分かる限りで謙信のやばさを紹介してみました!てか今回の謎の中で1番気になるのが秀吉の離脱。戦史では指揮下の将が勝手に離脱することはまぁ多々あるんだけど、この時の信長率いる織田家で、しかもこの加賀情勢の中で、いくら勝家と険悪になったからって戦線離脱するのがいまいちよくわからん。信長の指示だったらわかるけど、この後に信長しっかり秀吉にキレてるし・・・う~ん。ここらへん皆さんはどう思いますかね?いろいろ聞きたい。ちなみに戦国武将の中でも謙信好きなんですよね~。まっすぐだし、どこか謎めいてるというか神秘的というか、酒好きの猛将ってのもポイント高いwあと謙信が出てくるドラマや映画といえば「天と地と」だけど、大河ドラマ【風林火山】のガクト謙信が意外に良かった!最初は正直「え~」ってなったけど、ガクトさんが演じる謙信がもう何とも言えず神秘的で常軌を逸してる感じが謙信っぽいとうかなんとうか・・・これ副社長だけかな?どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
社長さんは生きていますか?笑笑
ハンニバルもトラシメヌス湖畔の戦いとか…初めて来た土地なのに伏兵とか…
自分もガクト謙信はその後地元のイベントに何度も来てくれて馬も乗りこなしていたからポイント高いです
俺は、島津家シリーズかな。あいつらは南のヤバい奴らですよ。耳川とか、関ヶ原東軍ぶち抜き作戦とかヤバ過ぎです。
ジョミニ兵学で此れを見てみると以外な事が分かる。「戦争概論」第一章、「戦争と政略」征服戦争での部分に「敵国民衆が抵抗力の中核としてかなりの規模をもつ正規軍をその背後にもっているならばこの国に対する侵略は甚だ困難なものになる。その場合侵略者は、ただその軍隊だけしか持たぬのに反し、敵は一切を挙げて抵抗手段化し共通の侵略者に対して相互に固く結びついている軍隊と武装民衆との両者を持っていることになる」。謙信は一向宗勢力を味方に引き入れた事により地元の勢力に織田軍団の妨害を積極的にしたと見える。何故なら、一向宗はお坊さんだけの表だった人数だけでなく数にはカウントされない民衆が含まれ彼は一向宗信徒で有り尚且、農民や町人又は職人である。そして彼等の親戚や友達や知人であり地理にも明るい。いつ何時に言った事さえ親戚や友達、知人に知らせる事が可能でありジョミニもどんな脇道や何処に通じているかを詳しく知っているし侵略者の軽微な動きすら嗅ぎ付け攻撃する。然るところ、ゲリラやパルチザン化して侵略者の補給部隊を襲い敵の進軍行動をままらなくしてしまう。ベトナム戦争のベトコンが北ベトナムの支援を受けてゲリラ戦を展開しアメリカ軍が痛い思いをしたり、アメリカ独立戦争にミニットマン等が正規軍の支援を受けイギリス軍をゲリラ戦で手酷く痛めつけた例と謙信が一向宗にした事が同じである。後、戦争とはアート(術)であるかサイエンス(科学)かをよく議論されてるが、私は戦争とはアート(術)と言う筆で描くサイエンス(科学)と考えます。見ている人はサイエンス(科学)として戦争と言う絵画としか見ていない、だが描き手はアート(術)と言う筆が描いた絵がサイエンス(科学)として評価されているかは全く持って見ていない。何せアート(術)としての絵画全てとして絵画を描いているから全てアート(術)としか見えていない。凡人が彼等が描いた絵であるアート(術)はどう頑張ってもサイエンス(科学)として全て見えてしまう。上杉謙信もアート(術)でアート(術)を全て見て描いた絵画だったと見て取れる。(毎度説明に長文極まりない文書を書いて申し訳ありません)
謙信の異常なまでの、勝負感が凄まじい。矢張、常識を越えた天才か。
最高の指揮官とそれを支える強兵。負ける訳ない。
17分でも短いと感じる解説力の凄さよ
4:20あたりで北条が動いたから謙信は関東に行ってすぐ戻ってきたと、サラっと言ってますがすごいですよね。謙信が留守の隙を突いて北条は動いてるんでしょうから、同時代人も舌を巻く行動力ですね。12:14から始まる指揮官に求められる三要素を謙信が持っていたことを裏付けていますね。
謙信の判断力はもはや神の域。
外交がね
謙信の攻め鳥肌たったわ400年後の今まで威圧感が届くなら、当時の信長軍はそうとう恐かったはず。
信玄の謙信に対する評価「太刀においては日本無双の名大将」
戦術戦略シリーズ大好き。わかりやすいし、上杉謙信も織田軍も調べたくなる構成してるから副社長の入念なリサーチが凄いと思う。
このシリーズホントに面白いですね。毎回楽しみです😆
新潟県の下越地区は当時、揚北衆と呼ばれた豪族の集まりが支配していて、しかもそいつらが越後国内でもべらぼうに強い集団で、上杉軍総兵力の7割を占める程だったらしいです。
新発田市辺りですね
自分的に謙信と信玄の強さを的確に表現しているのはセンゴクというマンガだと思う
織田軍は鉄砲隊を主力としていた部隊でしたけど、謙信は鉄砲が雨や夜の闇に弱いという弱点を熟知していたため、上杉軍は雨天時、夜間時に奇襲をかけて織田の軍勢を殲滅させていったんじゃなかったんでしたっけ。
野望シリーズで北条が「あんなのとまともにぶつかれば馬鹿を見る」って言って小田原に引っ込んだの正解過ぎて。
織田軍が撤退するだろうと読んで、遠路を急いで急襲したのだとしたら、凄い決断力ですね。
恐らく謙信はそれを読んでたんだと思います。自分の本隊を見たらどの攻撃隊でもたじろぐだろうと。相手が停止、もしくは撤退の素振りを見せたら迷わず全力攻撃。戦国最強100戦練磨の謙信にとっては、軽い相手だったでしょうね。
@@mishima1991 全く同意。忍びの軒猿衆を手足の様に使って居たのだろうが、判断能力と決断用兵能力速力は恐らく戦国時代1位だろう。相手より寡兵でも打ち破る算段は神の如く。
手取川を渡らない布陣を主張した秀吉が正しかったことになる。七尾城と柴田軍で上杉勢を挟撃できれば良いが、七尾城の情報が入らない状況では、増水した川を渡るのは危険、と判断した秀吉の戦術眼の鋭さが凄い。
勝家も終始逃げ腰なんだから無理することなかったのにね。
そうですね。謙信は言うほど強くないです。信玄も同じことが言えるが戦術レベルでは強いが戦略で戦う織田がその気になれば絶対に勝てるはずが無い。明智も秀吉も信長もいない戦場で負けてもね。結局勝家は討ち取れていないしね。秀吉からすれば謙信の考えは見え見えだったのでしょうが勝家とその与力で囲まれていたので自分の意見は通らないと考えたのでしょう。今回は勝家が無能すぎだね。情報収集も調略もせずに戦おうとしたわけだし。
@@soleil-rk2bi と現代の一般人が申しております。
@@soleil-rk2bi 別に強く無いなら織田信長は警戒しない。
@@soleil-rk2bi 強かったから今こうして軍神って伝えられてるんやで
10年位前に、戦国自衛隊の補給を考えて、新潟で産出する石油で90式3台稼動出来ると言う計算が出たのだけど、謙信が強すぎて占領は無理と言う結論に落ち着いた。
七尾城陥落の知らせを受けて織田軍が撤退、最後尾の殿部隊が川を渡りきる前に上杉軍に補足されて追撃を受けて壊滅してしまうでも大半の部隊は川を渡り終えていた為に上杉軍も川を渡って仕掛ける危険を避けて撤退七尾城救援を果たせなかった織田は目標達成ができず敗北するも、兵の損耗は意外と少なかった上杉軍は七尾城を落として勢力を拡大できたので勝利側ではあるが、織田主力を撃滅する様な戦果は無かったこんな感じで戦いはあっても小規模だったから被害が少なく、上杉も退いたのかなと思いました信長本隊が出陣してれば太田牛一も同行して信長公記に残ったと思うので残念ですね同じ理由で美濃攻略時に行われた北伊勢攻略も信長公記には残ってないです
私の評価では柴田勝家の統率力すげ〜となります。35000(私はこの兵数推し)中1000人の溺死者ってことは34000人の撤退をスムーズに終えたあとでノコノコ15000の謙信軍が1000名に対して突撃してきたとしか思えません。結果損耗率2.9%…浅井朝倉が織田に対して出したのより低い数字じゃん!ってところです。逆に壊滅っていうなら損耗率20〜30%でしょうけど、それだと柴田軍の総数が尾張の弱兵3500から5000ってことになり、謙信軍が15000に対して大善戦って事になります。どっちにしても織田家将帥の統率力恐るべし…というべきでしょう。
副社長の戦術解説、楽しみに待ってました!
いつも楽しく勉強させていただいております!!上杉謙信シリーズを見てみたいっす!!!日本の軍神!!
謙信の動きは行き当たりばったりに見えるが、刻々と変化する戦況に対して柔軟に対応しているように思う。あと大事なのは、兵站・情報・謀略・地形・天候等の下準備が固い。孫氏兵法の基本に則った戦い方に見える。
同感です。川中島での信玄との戦いを精査すると、その凄さが良く理解できた。特に、兵站と戦時諜報とそれに基づく決断の早さ。そして、それに対応できる軍隊の日頃の調練と配下部将との信頼関係。
七尾城を細かく分析されてましたが、手取川を現代地図で表現してますね。実は手取川は昭和初期に氾濫しており1つの川となってますが昔は数本の支流を持つ巨大な川で松任城とはわずか数キロしか離れてませんでした。したがって補給ままならない織田軍が川を渡った瞬間に上杉本軍が対峙すれば退路の無い織田軍は勝手に崩壊するわけです。
この近辺は鶴来を扇頂とした手取川の海岸扇状地なので鶴来の近辺で土木工事をすれば任意の支流をせき止め別の支流に多く流すことが出来た。扇央部では伏流水が湧いてくるので川の流れ全部を止めることは出来ないが大幅に変えることが出来た。私の目には秀吉はその構想を自己の手柄として実現させたかったのであろうと見える。さらに工事を行なえば松任城の北側に水路を作ることも地形の傾斜上容易に出来たのである。私が太閤記を作ればかような筋である。近辺に粘土が無いが九谷で入手可能であろう。
地元の人間でも室町時代の河川の流域とかは知らないよ
なるほどー。史実とか考証は置いといて、土木大好きキャラの秀吉の戦略としてとても面白いです。喧嘩離脱の理由にもなるし。
不確定要素が多い戦場において、真っ先に戦死するのは、描いていた作戦。。謙信が、ざっくりとした作戦を立てるのは、それをよく熟知してたからでしょうね。機動性と指揮伝達の確実性、諜報と決断スピード、決断したら迷わず集中。状況の変化を見過ごさず、機をみて柔軟に素早く軌道修正。。リスクに対して恐怖心がないが故に迷いが常にない。常人は真似できない。
15:23位のところで、上杉軍が行軍隊形から戦闘隊形に変換するのが速かったという解説がありますが、おそらくこれが「車懸かり」と言われるものだと思います。現代的に言うと、逐次戦闘加入というものです。この戦いのような追撃戦や不期遭遇戦(第4次川中島の戦い)では、大きな戦果を期待できると思います。謙信さん、まさに軍神ですよ
家康と信長を戦で蹂躙した謙信と信玄の死は歴史を変えた
いつも勉強になる動画ありがとうございます!
謙信は、目まぐるしく戦況が変化する野戦で、決定的な勝機を見つけるのが異様にうまい感じがする。そして謙信が勝機と信じて突っ込んだ時、上杉軍の破壊力は、当時の日本で最強だった。なんせ、毘沙門天が先頭にいるんだから、負けるはずがないという思い込みの強さがスゴい。
@@nattotaro 怖すぎる!!(笑)しかも、北条方の史料に書いてあるから、恐ろしい真実(^_^;)
マジで天正壬午の乱直前の日本の情勢ってほんと色んな要素が絡むから面白いよね〜もっとこの時代付近の戦解説とかやってください!
いまの本願寺もこの頃とにとるよ
上杉謙信って鍔無しの刀を使っていたくらいだもんな、異常な才能だよ。
いつも観させて貰ってます饒舌な話し方がとても聞きやすくて面白いです
蹴散らしたあと「音に聞こえし織田信長とはこの程度か?」と言ったという逸話が軍神の強さを際立たせる
間違いない🎉
北条「アカン」武田「アカン」一向「アカン」織田「アカン」最上「アカン」秀吉「仲良したろ」←正解家康「逃げたろ」←正解軍神の御家には触れてはいけないらしい。
謙信伝説の多くが、米沢に転封されて以後の貧乏生活を紛らわすために作った架空の歴史って所に悲哀を感じる。
軍神には織田軍程度じゃ敵わないから仕方ない
天の時 (雨、松永の反乱)地の利 (氾濫した川、足元が悪 い加賀)人の和 (柴田と羽柴の不和)を活かした戦ぶり
忙しくてリアルタイムでは見る事が出来ないのですが本当に毎回面白い動画を観させて頂いて感謝して居ります😊いつも楽しく為になる動画を有難う御座います♪
軍神謙信の強さを非常に分かりやすく解説してくれる動画瞬発力というか気を見るに敏というのが現代の超有名起業家たちのそれと似てると思いました
謙信とアレキサンダー大王とかはまじで本能型だよね
中華だと白起も本能型ですね…韓信、李靖は知略型かな
本能型、源義仲、源義経 北畠顕家やや劣化して武田勝頼、長宗我部元親、島津四兄弟
スブタイは?
@@SirHumphryDavy1 モンゴル軍は脳筋に見えて情報収集を最重要にしたことから「知略型」かな
個人的にはその他にアレクサンドル・スヴォーロフ、ガイウス・ユリウス・カエサル、スキピオ・アフリカヌス、ゲルト・フォン・ルントシュテット、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン、マンネルヘイムは知略型、ハンニバル・バルカ、ナポレオン・ボナパルト、エルヴィン・ロンメル、島津系とかは本能型な気がする。リプで有る源義経とか、レオニダス一世とかは結構戦士的な感じな気がする。だけど、ガイウス・ユリウス・カエサルは知略も結構有って本能型では無くても、その場に行って戦術とかをで割と本能型に近い気がしてきた。個人的にはガイウス・ユリウス・カエサルは才能開花には経験がかなり必要でも開花した後はな気がする。
配信、感謝します。織田軍って、基本は騎兵隊じゃないので陣を敷けないとキッツいですよね。ガッチガチに戦場を作ってから戦うタイプ。 戦場のアドリブが活かしにくい。そこが要でしたね。
有数の駒場が織田家領内になかったんで仕方がないですね
当時騎兵はそんなに活躍してなかったと思う。弓隊や鉄砲隊が最前線でしょ。現代でも戦車は歩兵の餌食になって居る。騎兵が活躍したのは大草原をかけ巡る蒙古位じゃないか?
桶狭間とか、秀吉の戦い方や、一益の神流川とかを見るに結構、アドリブに見える戦いもあったりするけど、また、一歩一歩固める、潰していく常道作戦がメインなんだろうな。
@@栄健 今は騎兵が大きな役割を果たしていたというのが通説じゃないかな。一時期「騎兵はそれほど活躍していないのでは?」という論が流行った時期もあったけど。研究はどんどん進んでいくなあと感心します。
上杉って、機動力のある屈強な越後槍隊が前線を押し出して、綻びが出た所を謙信率いる騎馬隊が蹴散らす戦法だったみたいですね。やはり機動力のある上杉相手に織田は部が悪いのではないかと思います。
上杉謙信は織田家の鉄砲に対して夜の奇襲に打って出て打ち破ったって話もありますよねその際に合言葉で味方との連携を図ったらしい
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、前田利家、佐々成政などが率いる4万の織田軍でも勝てないとかほんと上杉謙信強すぎる
勝家に問題が有ったとしか思え無いが、それが秀吉が離反した根本原因でしょ。
あと織田軍自慢の三千丁鉄砲も夜や雨には弱い…白兵戦なら百戦錬磨の越後軍に敵無し
自分は幼少の頃から謙信が理屈抜きで好きなので、面白かった!👍
認めよう上杉軍が野戦最強だと
謙信はまさしく本能型やな
新潟下越地方に住んでます。バイクツーリングで春日山城と手取川合戦場跡に行く予定をしてたらこの動画見つけました。とても参考になりました😆
武田の「風林火山」もかっこいいが上杉の「毘」の旗がメチャかっこいい
今センゴク読んでるからこの辺の解説嬉しい!この辺の解説もっとしてほしい!!
センゴクの謙信はプーチンがモデルらしい。あの面構え怖いですよねw
軍神が軍神たる所以。兵力、統率力、判断力全てが柴田勝家とは桁が違うわ。
織田軍のオールスターとかそういうこの時代にそぐわない言葉選び好き
たぶん、皆さんが言う通りで、当時も謙信がいきなり目の前に現れたら、終わったなと恐怖でしかないでしょうね😣室町幕府への姿勢や、仏教への帰依とか、時代的に憧れもあるでしょうし。
謙信が軍を率いて急に目の前に現れたら絶望感しかないな
兵→(• ▽ •;)オワタ
三国志の「げぇ!関羽!」の日本版は「げぇ!謙信!」ですね
@@chironex4369 軍神かっこいい💕
げえ、謙信!
圧倒的終末感
そのうち、戦術で兵站をひっくり返した「砂漠の狐」ことロンメル将軍のガザラの戦い・エルアラメインの戦いやってほしいです。
上杉出現の絶望感やばい、ラスボスやん
謙信が急に体調的な問題が起きなければ謙信勝っただろうね…なんせ信玄、謙信考えても信長の運が良すぎた感じだよね
この戦いの後、大聖寺城も落としているから追撃はしてたと思われる天正6年の動員名簿に手取川より南の勝光寺が含まれてるから、加賀のほぼ全土を掌握してたのではないだろうか?
戦術的にはどの程度の戦いだったのかよくわからないのですが(織田軍でやられたのが川を渡りきれなかった1000人程度?)、戦略的には上杉方の勝利でしょうね。七尾城が落ちた時点で、織田の戦略の前提である後詰決戦が成り立たなくなったので、逃げるが正解なのでしょう。(高天神城落城のときと同じ)。むしろよく柴田が逃げたと思いますよ。「現地がどうなっているかさっぱりわからない」と信長に使者をおくるくらい情報遮断された状態で、織田方に七尾城落城のニュースが届いたのとほぼ同時に目の前に謙信着陣!!。ここから主力を手取川の南に逃がすことに成功できたのは、むしろ勝家の統率力を示すものでしょう。凡将ならパニックになって裏崩れをおこしていたかも。
コーエーのゲームでも上杉謙信の戦闘力又は統率力100はえげつない!シリーズでは上杉謙信に対抗できる武将は「武田信玄」「真田幸村」位
手取川の戦い、待ってました!
今回も、大変面白かったです。いつか「厳島の合戦」を取り上げてください。
8:13からが本編なわけだけど、そこまでの背景説明を見てるのと見ていないのとでは面白さが全然違うしそこまでの前半がまた面白いのも凄い。
軍神最後の煌めきですね。上杉謙信は深慮遠謀の人ではなく、臨機応変の人ですね。
謙信は戦に愛されていたかもしれないが、信長は時代に愛されていたんだろうなと思う。信玄やら謙信やら戦国時代の大物が次々と舞台を降りていくとか、そこだけ見たらとんでもない運の良さ。勿論「運」だけじゃないけれども、その時その時で強運としか思えない事態が起こるのが時代の英雄というやつなんでしょうね。
でも信長、最後に元を取られましたね。天下統一まであと一歩の所で明智光秀に殺されました。その後の織田家は瓦解してしまいましたし。上杉は、すんでの所で越後を守りましたし、上杉家も幕末まで続きました。
@@九条菊華 織田信雄の子孫ですが大名クラスでは柏原藩織田家、天童藩織田家としてのこってますよ。柏原藩織田家の現当主はコピーライターとして活躍されてますね。
@@nitro2525k 織田信雄の家系は生き残りましたが、信長存命の頃と比べると、ずいぶん寂しくなりましたよね。嫡男の信忠も本能寺の際に亡くなりましたしね。
@@九条菊華 血筋が途絶えてる謙信よりましだけどね。
@@nitro2525k 謙信は結婚しませんでしたからね。謙信は血筋を残すことはあまり重視してなかったのではないでしょうか。信心深く、自らを毘沙門天の化身と思っていたので。皇室でもないので、血筋を残すことがすごく大事、というわけではありませんから。謙信は、戦にかなり強かったし、敵に対して必要以上に追い詰めることはしなかったのでね。信長は、外交も含め、かなり強かったけど、本願寺戦では殲滅戦や騙し討ちをしたり、晩年は古くからの家臣を追放したりしてるのでね。私は謙信の方がましだと思いますね。
最近センゴク再読してたから増して面白い。もうロマンしかない。最高です。ありがとうございます!
謙信は天才的なひらめきでガンガン戦略を決めるから部下が大変だったみたいね。
こちらの動画は何回再生したかとか。本当に面白すぎるっ!引き続き応援します!ブレずに前進!上杉謙信!
秀吉が実は情報を掴んでいたとしたら面白いよな~
この手取川の戦いの伝承が残る太鼓があります。御陣乗太鼓は、この戦いで惨敗した織田軍が追手の上杉軍を少しでも止めるために、川岸で血まみれの亡霊に変装した兵士を並べて太鼓を打ち鳴らさせて上杉軍を驚かせ足止めしたとか…まあ、最初から無意味な追撃はしない予定だったのでしょうけど。そんな事までしないと逃げ延びられなかった織田将兵の気持ちは判りますね。
軍神謙信の噂もいいように味方して「げぇ!孔明」状態で織田軍混乱してるのが面白い
それ関羽やろ
個人的にですが、戦国ものの解説めっちゃ楽しいです。もっと日本国内の戦闘ネタをやってもらえると嬉しいです。
織田四天王相手に一方的に蹂躙する謙信の強さは異常どんな名将でも、謙信の前では凡将に見えてしまう
謙信が凄いのは間違いないけどこうやって持ち上げ過ぎてると「でもお前戦略的に失敗しかしとらんやろがい!」って思っちゃう。
信玄もかなり戦略的にはおバカですよね、、、
@@nwprq9320 失敗というか、関東にこだわったのは謙信の生き方ですから仕方ないです。北条、武田の戦国の両雄タッグに互角に戦ったのだから凄いです。
神の思慮を凡人が理解しようとするのは愚か
上杉謙信は武田信玄には結構苦戦してた気がするし、上杉謙信の方が強いにしても、武田信玄は上杉謙信と比較しても凡将は無さそう。
いつも面白いです。いつか立花宗茂、立花道雪などもやってほしいです。
17:15 の一言で全てまとめるの大好き。だって強いもんは強いんだもの💪
柴田勝家が信長死後の秀吉台頭を阻止できなかったのは、手取川での敗戦も影響してたと思うんですよね~。あれで勝家の脳筋イメージが当時の織田家武将達の間でも完全に定着してしまったでしょうし。
謙信が反織田に入ると、吉川元春は「私は何十連勝してますが、謙信さんの足下にも及びません」なんて、何倍もの国力の毛利は謙信に盟主を御願いしてるし、小さい勢力すら織田信長に舐めた口をきくようになり、勢力内では離反の嵐。どれだけ謙信の最強軍神っぷりが当時の日本にとどろいていたか理解できます。日本中から完全に織田は終わったと考えられていたのでしょう。謙信が酒好きでなければ織田は終わってたろうし、あのまま秀吉が天下人になっても、関東管領にこだわる謙信を差し置いて家康が関東に入ることはなかったでしょうね。
本当に「軍神」って感じがする
動画面白かったです!謙信、信玄両方好きなので、三方ヶ原の合戦が見たいです
織田軍はたった4万でよく頑張った
本当に面白いです。説明もわかりやすい。臨場感とかも伝わってくる。新しい動画が本当に楽しみなチャンネルです!
謙信恐るべし!!!信長は謙信が怖かったと思いますネ。私は戦国武将の中で謙信が一番好きです!!
ホワイトボードの上杉領最西端の重要拠点魚津城の戦いも楽しみにしてます
アレキサンダーに例えたの納得戦場でのアドリブが天才ですわ
北国派遣軍は織田軍団のオールスターですねぇでも戦線離脱した秀吉が後々毛利攻めがあるにしても大したお咎め無しだったのも運が良い...
現地解説シリーズで、ぜひとも謙信の居城 春日山城をやって下さい。1回だけ登ったことあるのですが当時知識がなく、面白さが分からずに、とんでもない場所に登ってしまったなぁ…って、こんな高い山だとは思わなかったと、疲れて帰ってきた思い出しかありませんでした。
13:05 アレクサンドロス大王は、家庭教師が古代世界最強の学者の1人、アリストテレスだったので、本人が生まれつき戦術的に天才だっただけではなく、アレクサンドロス大王自身も、後に彼の幕僚となる幼なじみたちも、当時としては世界最高の学問や知識を学びながら育っていて、そういう最新の情報という面でも、飛び抜けて恵まれた環境だったんですよね。
この手の解説動画見て思うのは、「キングダム」等ではどこで使うのかな?さすがにそのまま使う事はないだろうが。藤崎版封神演義ではハンニバルの戦術を結構参考にしていたと思う。カンネーの戦いそのものをやっていたのもあったし。
謙信の戦争の強さは自然災害とか超常現象みたいなものだから。そこまで戦争に強くない織田が正面からぶつかって勝てるわけがない。謙信に戦争でなんとか対抗できた武田や北条は本当にすごい。
音に聞こえし織田はこの程度かと謙信が言ったという逸話は有名これで柴田勝家は弱い脳筋で無能ということがわかりますね
変な宗教カブレの様な事は言わないが、この戦国時代に歳もそんなに変わらない超人3人が同時に甲信越、関東平野の覇権を巡り対峙してた。もしかしたら、神様は人間を使い軍事シミュレーションゲームをしてるのかなと思ってしまう。
武田は白兵戦でもそれなりに引き分けな勝負が出来たが、北条はそれが出来なかった、だからこそ広大な領土を生かして堅城小田原城に誘い込み上杉官軍の瓦解を待った、 やり方は違うが謙信とやり合えた2大名も流石だよね、因みに上杉軍は謙信直接指揮してる時と謙信が居ない時の強さは全く違って謙信不在の軍は烏合の衆とまで酷評されていた(実際北条や武田に完敗している)
利家公大好きな金沢民の一人です。手取川に架かる橋を車で走りながら「手取川の戦い・・どんな感じだったのかな、死傷者も大勢でたのだろうな・・」などと漠然と想っていたのですが、今回の動画でよく理解できました。謙信公や勝家がここで戦っていた瞬間が確かにあった事が感慨深いです。父の母の実家(武家ではない・多分農民)が手取川に近いので、ご先祖がこの戦いに関わっていたかも・・などと妄想してみたり。
多分手取川に多数溺死した織田軍の死骸から金目の物を剥ぎ取って一儲けしてたんだと思います。あ。ご先祖さまを揶揄して申し訳有りません。
@@山岡鉄夫 さんいえいえ。全く問題ありません。当時の農民は怪我してる武士を殴り殺して武具を奪うくらいはやってたと思ってます。皆、生きる為に必死だった事でしょう。
"上杉に遭うては織田も手取川"
謙信やアレキサンダー大王は、キングダムでいう本能型の将軍って感じする
ありがとうございます!
謙信は長年交流があり上洛する際に協力してもらった越前朝倉氏を再興する思惑もあったみたいですね。
後退する勝家に対して、即座に戦端を行い、追撃もせずに、加賀を硬めたのは、流石、謙信と織田の再戦見たかった
三国時代の戦いの解説も待ってます!
平地で上杉軍と戦えば敵わないと察して謙信が疲れるまで籠城し続ける戦法を徹底した北条氏康はやっぱり有能だよね
北条氏の内政力は凄いですよね。守るに難しい関東平野に武田軍上杉軍の攻撃に耐えられる堅城をいくつも築城。秀吉は小田原城の何年でも耐えられる総構えのある城郭を見て、翌年から大坂城築城の仕上げをして全国の城にも波及した位ですしね。更に氏康は決戦となる野戦でも勝ってるし動員兵力では武田上杉を越えてたので派手さはないけど評価されて良いと思います。
@@markun2nd 氏康様は税金めちゃめちゃ安かったとか…今の糞政治家に見習って貰いたいものだ
@@markun2nd 天正壬午の乱では5万人動員したらしいあのとき5万の兵力を動員できる勢力は織田も含めてどこにもいなかっただろうな
@@七階堂ふみ-g1x 5万は笑う。その動員兵力と強大な拠点を持つ氏政が、豊臣に負けないと思い込むのも分かるわ
@@はる-n2y3m さん胡麻と百姓は搾り取るもの自民党の偉い人が言っ
いつも楽しく拝見してます。ありがとうございます。川中島もそうなんですけど、上杉謙信様はまるで一人だけ俯瞰してるみたいな勝ち方しませんかね。よっぽど読みが鋭いか、他家にない諜報機関持ってたか、どちらなんですかね。
あぁカッコよすぎる… 世界史選択だけど日本史もしっかり面白い。
ゲルマニアに侵攻して壊滅した,古代ローマ軍を彷彿とさせる織田軍が哀しい(´;ω;`)ゲリラ戦術と智謀のダブルパンチはいつの時代も有効。それを見抜いた秀吉の洞察力が地味にすごい。
こちらの情報は筒抜け、一方、向こうの情報は一切入らず。この状況で進軍を続けるのは自殺行為。ここで無理をすれば、それまで慎重に進軍した事が意味がなくなる。増水氾濫中の手取川まで到達出来た事が御の字。ならば、その増水氾濫を天然の壁と利用して、謙信軍を待ち構える。と同時に織田信長の本体を待つ。加賀を抑える事と、謙信軍を叩く事、主たる目的はどっち?と考えた時に、もともと七尾城の援軍としての行軍だけど、援軍要請が来た時点で、謙信相手に長く持たない、まして、援軍として進むにしては、手取川に着いた時点で時間がかかり過ぎている。加賀は、喉から手が出るほど欲しいけど、南側を抑えるだけで、謙信軍を充分挑発出来る。主たる目的は、挑発されてノコノコ出てきた謙信軍を叩く方。と、秀吉は判断した。そう推察出来そうですね。
織田陣営の指揮官が権六ではなく秀吉だったら流石の上杉も歯が立たなかったのでは。織田陣営とすれば秀吉撤退がターニングポイントだったと思う。
謙信が来ることが分かって撤退して、この場を事前に離れていた秀吉も凄い。信長の命に反してまで撤退したのは、七尾城の陥落が確実との情報が得られたからでしょう。秀吉の卓越した情報網は、このすぐ後の本能寺の変の際に本領を発揮することに。
古今東西の名将の共通点を見出す思考は面白いですよね。戦争だけでなくいろんな物事に活かせそうな気がします。
解りやすい解説ですね。スーッと頭に入る合いの手はいらないと思います
この後の武田滅亡~魚津城の戦い~本能寺の流れも見たいですね
上杉謙信が長生きしていたら、また歴史が変わっていたのかもしれないと思うと、ワクワクしますね。
源義経も臨機応変の天才
近代でいえばパットン将軍が謙信みたいなタイプですね。
今回は石川県シリーズ第三弾【手取川の戦い】っす~
戦国の有名な戦いの中でもこれまた謎が多い戦い。一応、分かる限りで謙信のやばさを紹介してみました!
てか今回の謎の中で1番気になるのが秀吉の離脱。戦史では指揮下の将が勝手に離脱することはまぁ多々あるんだけど、この時の信長率いる織田家で、しかもこの加賀情勢の中で、いくら勝家と険悪になったからって戦線離脱するのがいまいちよくわからん。
信長の指示だったらわかるけど、この後に信長しっかり秀吉にキレてるし・・・う~ん。
ここらへん皆さんはどう思いますかね?いろいろ聞きたい。
ちなみに戦国武将の中でも謙信好きなんですよね~。まっすぐだし、どこか謎めいてるというか神秘的というか、酒好きの猛将ってのもポイント高いw
あと謙信が出てくるドラマや映画といえば「天と地と」だけど、大河ドラマ【風林火山】のガクト謙信が意外に良かった!
最初は正直「え~」ってなったけど、ガクトさんが演じる謙信がもう何とも言えず神秘的で常軌を逸してる感じが謙信っぽいとうかなんとうか・・・これ副社長だけかな?
どしどしチャンネル登録、評価、コメよろです~
社長さんは生きていますか?笑笑
ハンニバルもトラシメヌス湖畔の戦いとか…初めて来た土地なのに伏兵とか…
自分もガクト謙信はその後地元のイベントに何度も来てくれて馬も乗りこなしていたからポイント高いです
俺は、島津家シリーズかな。
あいつらは南のヤバい奴らですよ。
耳川とか、関ヶ原東軍ぶち抜き作戦とかヤバ過ぎです。
ジョミニ兵学で此れを見てみると以外な事が分かる。「戦争概論」第一章、「戦争と政略」征服戦争での部分に「敵国民衆が抵抗力の中核としてかなりの規模をもつ正規軍をその背後にもっているならばこの国に対する侵略は甚だ困難なものになる。その場合侵略者は、ただその軍隊だけしか持たぬのに反し、敵は一切を挙げて抵抗手段化し共通の侵略者に対して相互に固く結びついている軍隊と武装民衆との両者を持っていることになる」。謙信は一向宗勢力を味方に引き入れた事により地元の勢力に織田軍団の妨害を積極的にしたと見える。何故なら、一向宗はお坊さんだけの表だった人数だけでなく数にはカウントされない民衆が含まれ彼は一向宗信徒で有り尚且、農民や町人又は職人である。そして彼等の親戚や友達や知人であり地理にも明るい。いつ何時に言った事さえ親戚や友達、知人に知らせる事が可能でありジョミニもどんな脇道や何処に通じているかを詳しく知っているし侵略者の軽微な動きすら嗅ぎ付け攻撃する。然るところ、ゲリラやパルチザン化して侵略者の補給部隊を襲い敵の進軍行動をままらなくしてしまう。ベトナム戦争のベトコンが北ベトナムの支援を受けてゲリラ戦を展開しアメリカ軍が痛い思いをしたり、アメリカ独立戦争にミニットマン等が正規軍の支援を受けイギリス軍をゲリラ戦で手酷く痛めつけた例と謙信が一向宗にした事が同じである。後、戦争とはアート(術)であるかサイエンス(科学)かをよく議論されてるが、私は戦争とはアート(術)と言う筆で描くサイエンス(科学)と考えます。見ている人はサイエンス(科学)として戦争と言う絵画としか見ていない、だが描き手はアート(術)と言う筆が描いた絵がサイエンス(科学)として評価されているかは全く持って見ていない。何せアート(術)としての絵画全てとして絵画を描いているから全てアート(術)としか見えていない。凡人が彼等が描いた絵であるアート(術)はどう頑張ってもサイエンス(科学)として全て見えてしまう。上杉謙信もアート(術)でアート(術)を全て見て描いた絵画だったと見て取れる。(毎度説明に長文極まりない文書を書いて申し訳ありません)
謙信の異常なまでの、勝負感が凄まじい。矢張、常識を越えた天才か。
最高の指揮官とそれを支える強兵。
負ける訳ない。
17分でも短いと感じる解説力の凄さよ
4:20あたりで北条が動いたから謙信は関東に行ってすぐ戻ってきたと、
サラっと言ってますがすごいですよね。
謙信が留守の隙を突いて北条は動いてるんでしょうから、
同時代人も舌を巻く行動力ですね。
12:14から始まる指揮官に求められる三要素を謙信が持っていたことを裏付けていますね。
謙信の判断力はもはや神の域。
外交がね
謙信の攻め鳥肌たったわ
400年後の今まで威圧感が届くなら、当時の信長軍はそうとう恐かったはず。
信玄の謙信に対する評価
「太刀においては日本無双の名大将」
戦術戦略シリーズ大好き。
わかりやすいし、上杉謙信も織田軍も調べたくなる構成してるから副社長の入念なリサーチが凄いと思う。
このシリーズホントに面白いですね。
毎回楽しみです😆
新潟県の下越地区は当時、揚北衆と呼ばれた豪族の集まりが支配していて、しかもそいつらが越後国内でもべらぼうに強い集団で、上杉軍総兵力の7割を占める程だったらしいです。
新発田市辺りですね
自分的に謙信と信玄の強さを的確に表現しているのは
センゴクというマンガだと思う
織田軍は鉄砲隊を主力としていた部隊でしたけど、
謙信は鉄砲が雨や夜の闇に弱いという弱点を熟知していたため、
上杉軍は雨天時、夜間時に奇襲をかけて
織田の軍勢を殲滅させていったんじゃなかったんでしたっけ。
野望シリーズで北条が「あんなのとまともにぶつかれば馬鹿を見る」って言って小田原に引っ込んだの正解過ぎて。
織田軍が撤退するだろうと読んで、遠路を急いで急襲したのだとしたら、凄い決断力ですね。
恐らく謙信はそれを読んでたんだと思います。
自分の本隊を見たらどの攻撃隊でもたじろぐだろうと。
相手が停止、もしくは撤退の素振りを見せたら迷わず全力攻撃。
戦国最強100戦練磨の謙信にとっては、軽い相手だったでしょうね。
@@mishima1991 全く同意。忍びの軒猿衆を手足の様に使って居たのだろうが、判断能力と決断用兵能力速力は恐らく戦国時代1位だろう。相手より寡兵でも打ち破る算段は神の如く。
手取川を渡らない布陣を主張した秀吉が正しかったことになる。
七尾城と柴田軍で上杉勢を挟撃できれば良いが、七尾城の情報が入らない状況では、増水した川を渡るのは危険、と判断した秀吉の戦術眼の鋭さが凄い。
勝家も終始逃げ腰なんだから無理することなかったのにね。
そうですね。謙信は言うほど強くないです。信玄も同じことが言えるが戦術レベルでは強いが戦略で戦う織田がその気になれば絶対に勝てるはずが無い。明智も秀吉も信長もいない戦場で負けてもね。結局勝家は討ち取れていないしね。秀吉からすれば謙信の考えは見え見えだったのでしょうが勝家とその与力で囲まれていたので自分の意見は通らないと考えたのでしょう。今回は勝家が無能すぎだね。情報収集も調略もせずに戦おうとしたわけだし。
@@soleil-rk2bi
と現代の一般人が申しております。
@@soleil-rk2bi 別に強く無いなら織田信長は警戒しない。
@@soleil-rk2bi 強かったから今こうして軍神って伝えられてるんやで
10年位前に、戦国自衛隊の補給を考えて、新潟で産出する石油で90式3台稼動出来ると言う計算が出たのだけど、謙信が強すぎて占領は無理と言う結論に落ち着いた。
七尾城陥落の知らせを受けて織田軍が撤退、最後尾の殿部隊が川を渡りきる前に上杉軍に補足されて追撃を受けて壊滅してしまう
でも大半の部隊は川を渡り終えていた為に上杉軍も川を渡って仕掛ける危険を避けて撤退
七尾城救援を果たせなかった織田は目標達成ができず敗北するも、兵の損耗は意外と少なかった
上杉軍は七尾城を落として勢力を拡大できたので勝利側ではあるが、織田主力を撃滅する様な戦果は無かった
こんな感じで戦いはあっても小規模だったから被害が少なく、上杉も退いたのかなと思いました
信長本隊が出陣してれば太田牛一も同行して信長公記に残ったと思うので残念ですね
同じ理由で美濃攻略時に行われた北伊勢攻略も信長公記には残ってないです
私の評価では柴田勝家の統率力すげ〜となります。
35000(私はこの兵数推し)中1000人の溺死者ってことは34000人の撤退をスムーズに終えたあとでノコノコ15000の謙信軍が1000名に対して突撃してきたとしか思えません。
結果損耗率2.9%…浅井朝倉が織田に対して出したのより低い数字じゃん!ってところです。
逆に壊滅っていうなら損耗率20〜30%でしょうけど、それだと柴田軍の総数が尾張の弱兵3500から5000ってことになり、謙信軍が15000に対して大善戦って事になります。
どっちにしても織田家将帥の統率力恐るべし…というべきでしょう。
副社長の戦術解説、楽しみに待ってました!
いつも楽しく勉強させていただいております!!上杉謙信シリーズを見てみたいっす!!!日本の軍神!!
謙信の動きは行き当たりばったりに見えるが、刻々と変化する戦況に対して柔軟に対応しているように思う。
あと大事なのは、兵站・情報・謀略・地形・天候等の下準備が固い。孫氏兵法の基本に則った戦い方に見える。
同感です。川中島での信玄との戦いを精査すると、その凄さが良く理解できた。特に、兵站と戦時諜報とそれに基づく決断の早さ。そして、それに対応できる軍隊の日頃の調練と配下部将との信頼関係。
七尾城を細かく分析されてましたが、手取川を現代地図で表現してますね。実は手取川は昭和初期に氾濫しており1つの川となってますが昔は数本の支流を持つ巨大な川で松任城とはわずか数キロしか離れてませんでした。したがって補給ままならない織田軍が川を渡った瞬間に上杉本軍が対峙すれば退路の無い織田軍は勝手に崩壊するわけです。
この近辺は鶴来を扇頂とした手取川の海岸扇状地なので鶴来の近辺で土木工事をすれば任意の支流をせき止め別の支流に多く流すことが出来た。扇央部では伏流水が湧いてくるので川の流れ全部を止めることは出来ないが大幅に変えることが出来た。私の目には秀吉はその構想を自己の手柄として実現させたかったのであろうと見える。さらに工事を行なえば松任城の北側に水路を作ることも地形の傾斜上容易に出来たのである。私が太閤記を作ればかような筋である。近辺に粘土が無いが九谷で入手可能であろう。
地元の人間でも室町時代の河川の流域とかは知らないよ
なるほどー。史実とか考証は置いといて、土木大好きキャラの秀吉の戦略としてとても面白いです。喧嘩離脱の理由にもなるし。
不確定要素が多い戦場において、真っ先に戦死するのは、描いていた作戦。。
謙信が、ざっくりとした作戦を立てるのは、それをよく熟知してたからでしょうね。機動性と指揮伝達の確実性、諜報と決断スピード、決断したら迷わず集中。状況の変化を見過ごさず、機をみて柔軟に素早く軌道修正。。リスクに対して恐怖心がないが故に迷いが常にない。
常人は真似できない。
15:23位のところで、上杉軍が行軍隊形から戦闘隊形に変換するのが速かったという解説がありますが、おそらくこれが「車懸かり」と言われるものだと思います。現代的に言うと、逐次戦闘加入というものです。この戦いのような追撃戦や不期遭遇戦(第4次川中島の戦い)では、大きな戦果を期待できると思います。謙信さん、まさに軍神ですよ
家康と信長を戦で蹂躙した謙信と信玄の死は歴史を変えた
いつも勉強になる動画ありがとうございます!
謙信は、目まぐるしく戦況が変化する野戦で、決定的な勝機を見つけるのが異様にうまい感じがする。
そして謙信が勝機と信じて突っ込んだ時、上杉軍の破壊力は、当時の日本で最強だった。なんせ、毘沙門天が先頭にいるんだから、負けるはずがないという思い込みの強さがスゴい。
@@nattotaro
怖すぎる!!(笑)
しかも、北条方の史料に書いてあるから、恐ろしい真実(^_^;)
マジで天正壬午の乱直前の日本の情勢ってほんと色んな要素が絡むから面白いよね〜
もっとこの時代付近の戦解説とかやってください!
いまの本願寺もこの頃とにとるよ
上杉謙信って鍔無しの刀を使っていたくらいだもんな、異常な才能だよ。
いつも観させて貰ってます
饒舌な話し方がとても
聞きやすくて面白いです
蹴散らしたあと「音に聞こえし織田信長とはこの程度か?」と言ったという逸話が軍神の強さを際立たせる
間違いない🎉
北条「アカン」
武田「アカン」
一向「アカン」
織田「アカン」
最上「アカン」
秀吉「仲良したろ」←正解
家康「逃げたろ」←正解
軍神の御家には触れてはいけないらしい。
謙信伝説の多くが、米沢に転封されて以後の貧乏生活を紛らわすために作った架空の歴史って所に悲哀を感じる。
軍神には織田軍程度じゃ敵わないから仕方ない
天の時 (雨、松永の反乱)
地の利 (氾濫した川、足元が悪 い加賀)
人の和 (柴田と羽柴の不和)
を活かした戦ぶり
忙しくてリアルタイムでは見る事が出来ないのですが本当に毎回面白い動画を観させて頂いて感謝して居ります😊
いつも楽しく為になる動画を有難う御座います♪
軍神謙信の強さを非常に分かりやすく解説してくれる動画
瞬発力というか気を見るに敏というのが現代の超有名起業家たちのそれと似てると思いました
謙信とアレキサンダー大王とかはまじで本能型だよね
中華だと白起も本能型ですね…韓信、李靖は知略型かな
本能型、源義仲、源義経 北畠顕家
やや劣化して武田勝頼、長宗我部元親、島津四兄弟
スブタイは?
@@SirHumphryDavy1 モンゴル軍は脳筋に見えて情報収集を最重要にしたことから「知略型」かな
個人的にはその他にアレクサンドル・スヴォーロフ、ガイウス・ユリウス・カエサル、スキピオ・アフリカヌス、ゲルト・フォン・ルントシュテット、エーリッヒ・フォン・マンシュタイン、マンネルヘイムは知略型、ハンニバル・バルカ、ナポレオン・ボナパルト、エルヴィン・ロンメル、島津系とかは本能型な気がする。リプで有る源義経とか、レオニダス一世とかは結構戦士的な感じな気がする。だけど、ガイウス・ユリウス・カエサルは知略も結構有って本能型では無くても、その場に行って戦術とかをで割と本能型に近い気がしてきた。個人的にはガイウス・ユリウス・カエサルは才能開花には経験がかなり必要でも開花した後はな気がする。
配信、感謝します。
織田軍って、基本は騎兵隊じゃないので陣を敷けないとキッツいですよね。
ガッチガチに戦場を作ってから戦うタイプ。 戦場のアドリブが活かしにくい。
そこが要でしたね。
有数の駒場が織田家領内になかったんで仕方がないですね
当時騎兵はそんなに活躍してなかったと思う。
弓隊や鉄砲隊が最前線でしょ。
現代でも戦車は歩兵の餌食になって居る。
騎兵が活躍したのは大草原をかけ巡る蒙古位じゃないか?
桶狭間とか、秀吉の戦い方や、一益の神流川とかを見るに結構、アドリブに見える戦いもあったりするけど、また、一歩一歩固める、潰していく常道作戦がメインなんだろうな。
@@栄健 今は騎兵が大きな役割を果たしていたというのが通説じゃないかな。一時期「騎兵はそれほど活躍していないのでは?」という論が流行った時期もあったけど。研究はどんどん進んでいくなあと感心します。
上杉って、機動力のある屈強な越後槍隊が前線を押し出して、綻びが出た所を謙信率いる騎馬隊が蹴散らす戦法だったみたいですね。やはり機動力のある上杉相手に織田は部が悪いのではないかと思います。
上杉謙信は織田家の鉄砲に対して夜の奇襲に打って出て打ち破ったって話もありますよねその際に合言葉で味方との連携を図ったらしい
柴田勝家、丹羽長秀、滝川一益、前田利家、佐々成政などが率いる4万の織田軍でも勝てないとかほんと上杉謙信強すぎる
勝家に問題が有ったとしか思え無いが、
それが秀吉が離反した根本原因でしょ。
あと織田軍自慢の三千丁鉄砲も夜や雨には弱い…白兵戦なら百戦錬磨の越後軍に敵無し
自分は幼少の頃から謙信が理屈抜きで好きなので、面白かった!👍
認めよう上杉軍が野戦最強だと
謙信はまさしく本能型やな
新潟下越地方に住んでます。バイクツーリングで春日山城と手取川合戦場跡に行く予定をしてたらこの動画見つけました。とても参考になりました😆
武田の「風林火山」もかっこいいが上杉の「毘」の旗がメチャかっこいい
今センゴク読んでるからこの辺の解説嬉しい!
この辺の解説もっとしてほしい!!
センゴクの謙信はプーチンがモデルらしい。あの面構え怖いですよねw
軍神が軍神たる所以。
兵力、統率力、判断力全てが柴田勝家とは桁が違うわ。
織田軍のオールスターとかそういうこの時代にそぐわない言葉選び好き
たぶん、皆さんが言う通りで、当時も謙信がいきなり目の前に現れたら、終わったなと恐怖でしかないでしょうね😣室町幕府への姿勢や、仏教への帰依とか、時代的に憧れもあるでしょうし。
謙信が軍を率いて急に目の前に現れたら絶望感しかないな
兵→(• ▽ •;)オワタ
三国志の「げぇ!関羽!」の日本版は「げぇ!謙信!」ですね
@@chironex4369 軍神かっこいい💕
げえ、謙信!
圧倒的終末感
そのうち、戦術で兵站をひっくり返した「砂漠の狐」ことロンメル将軍のガザラの戦い・エルアラメインの戦いやってほしいです。
上杉出現の絶望感やばい、ラスボスやん
謙信が急に体調的な問題が起きなければ謙信勝っただろうね…なんせ信玄、謙信考えても信長の運が良すぎた感じだよね
この戦いの後、大聖寺城も落としているから追撃はしてたと思われる
天正6年の動員名簿に手取川より南の勝光寺が含まれてるから、加賀のほぼ全土を掌握してたのではないだろうか?
戦術的にはどの程度の戦いだったのかよくわからないのですが(織田軍でやられたのが川を渡りきれなかった1000人程度?)、戦略的には上杉方の勝利でしょうね。七尾城が落ちた時点で、織田の戦略の前提である後詰決戦が成り立たなくなったので、逃げるが正解なのでしょう。(高天神城落城のときと同じ)。むしろよく柴田が逃げたと思いますよ。「現地がどうなっているかさっぱりわからない」と信長に使者をおくるくらい情報遮断された状態で、織田方に七尾城落城のニュースが届いたのとほぼ同時に目の前に謙信着陣!!。ここから主力を手取川の南に逃がすことに成功できたのは、むしろ勝家の統率力を示すものでしょう。凡将ならパニックになって裏崩れをおこしていたかも。
コーエーのゲームでも上杉謙信の戦闘力又は統率力100はえげつない!
シリーズでは上杉謙信に対抗できる武将は「武田信玄」「真田幸村」位
手取川の戦い、待ってました!
今回も、大変面白かったです。
いつか「厳島の合戦」を取り上げてください。
8:13からが本編なわけだけど、そこまでの背景説明を見てるのと見ていないのとでは面白さが全然違うしそこまでの前半がまた面白いのも凄い。
軍神最後の煌めきですね。
上杉謙信は深慮遠謀の人ではなく、臨機応変の人ですね。
謙信は戦に愛されていたかもしれないが、信長は時代に愛されていたんだろうなと思う。
信玄やら謙信やら戦国時代の大物が次々と舞台を降りていくとか、そこだけ見たらとんでもない運の良さ。
勿論「運」だけじゃないけれども、その時その時で強運としか思えない事態が起こるのが時代の英雄というやつなんでしょうね。
でも信長、最後に元を取られましたね。天下統一まであと一歩の所で明智光秀に殺されました。
その後の織田家は瓦解してしまいましたし。
上杉は、すんでの所で越後を守りましたし、上杉家も幕末まで続きました。
@@九条菊華 織田信雄の子孫ですが大名クラスでは柏原藩織田家、天童藩織田家としてのこってますよ。柏原藩織田家の現当主はコピーライターとして活躍されてますね。
@@nitro2525k
織田信雄の家系は生き残りましたが、信長存命の頃と比べると、ずいぶん寂しくなりましたよね。
嫡男の信忠も本能寺の際に亡くなりましたしね。
@@九条菊華 血筋が途絶えてる謙信よりましだけどね。
@@nitro2525k
謙信は結婚しませんでしたからね。
謙信は血筋を残すことはあまり重視してなかったのではないでしょうか。
信心深く、自らを毘沙門天の化身と思っていたので。
皇室でもないので、血筋を残すことがすごく大事、というわけではありませんから。
謙信は、戦にかなり強かったし、敵に対して必要以上に追い詰めることはしなかったのでね。
信長は、外交も含め、かなり強かったけど、本願寺戦では殲滅戦や騙し討ちをしたり、晩年は古くからの家臣を追放したりしてるのでね。
私は謙信の方がましだと思いますね。
最近センゴク再読してたから増して面白い。もうロマンしかない。最高です。ありがとうございます!
謙信は天才的なひらめきでガンガン戦略を決めるから部下が大変だったみたいね。
こちらの動画は何回再生したかとか。
本当に面白すぎるっ!
引き続き応援します!
ブレずに前進!上杉謙信!
秀吉が実は情報を掴んでいたとしたら面白いよな~
この手取川の戦いの伝承が残る太鼓があります。
御陣乗太鼓は、この戦いで惨敗した織田軍が追手の上杉軍を少しでも止めるために、川岸で血まみれの亡霊に変装した兵士を並べて太鼓を打ち鳴らさせて上杉軍を驚かせ足止めしたとか…まあ、最初から無意味な追撃はしない予定だったのでしょうけど。
そんな事までしないと逃げ延びられなかった織田将兵の気持ちは判りますね。
軍神謙信の噂もいいように味方して「げぇ!孔明」状態で織田軍混乱してるのが面白い
それ関羽やろ
個人的にですが、戦国ものの解説めっちゃ楽しいです。もっと日本国内の戦闘ネタをやってもらえると嬉しいです。
織田四天王相手に一方的に蹂躙する謙信の強さは異常
どんな名将でも、謙信の前では凡将に見えてしまう
謙信が凄いのは間違いないけどこうやって持ち上げ過ぎてると
「でもお前戦略的に失敗しかしとらんやろがい!」
って思っちゃう。
信玄もかなり戦略的にはおバカですよね、、、
@@nwprq9320 失敗というか、関東にこだわったのは謙信の生き方ですから仕方ないです。
北条、武田の戦国の両雄タッグに互角に戦ったのだから凄いです。
神の思慮を凡人が理解しようとするのは愚か
上杉謙信は武田信玄には結構苦戦してた気がするし、上杉謙信の方が強いにしても、武田信玄は上杉謙信と比較しても凡将は無さそう。
いつも面白いです。いつか立花宗茂、立花道雪などもやってほしいです。
17:15 の一言で全てまとめるの大好き。
だって強いもんは強いんだもの💪
柴田勝家が信長死後の秀吉台頭を阻止できなかったのは、手取川での敗戦も影響してたと思うんですよね~。
あれで勝家の脳筋イメージが当時の織田家武将達の間でも完全に定着してしまったでしょうし。
謙信が反織田に入ると、吉川元春は「私は何十連勝してますが、謙信さんの足下にも及びません」なんて、何倍もの国力の毛利は謙信に盟主を御願いしてるし、小さい勢力すら織田信長に舐めた口をきくようになり、勢力内では離反の嵐。
どれだけ謙信の最強軍神っぷりが当時の日本にとどろいていたか理解できます。日本中から完全に織田は終わったと考えられていたのでしょう。
謙信が酒好きでなければ織田は終わってたろうし、あのまま秀吉が天下人になっても、関東管領にこだわる謙信を差し置いて家康が関東に入ることはなかったでしょうね。
本当に「軍神」って感じがする
動画面白かったです!
謙信、信玄両方好きなので、三方ヶ原の合戦が見たいです
織田軍はたった4万でよく頑張った
本当に面白いです。
説明もわかりやすい。臨場感とかも伝わってくる。新しい動画が本当に楽しみなチャンネルです!
謙信恐るべし!!!
信長は謙信が怖かったと思いますネ。私は戦国武将の中で謙信が一番好きです!!
ホワイトボードの上杉領最西端の重要拠点魚津城の戦いも楽しみにしてます
アレキサンダーに例えたの納得
戦場でのアドリブが天才ですわ
北国派遣軍は織田軍団のオールスターですねぇ
でも戦線離脱した秀吉が後々毛利攻めがあるにしても大したお咎め無しだったのも運が良い...
現地解説シリーズで、ぜひとも謙信の居城 春日山城をやって下さい。
1回だけ登ったことあるのですが当時知識がなく、面白さが分からずに、とんでもない場所に登ってしまったなぁ…って、こんな高い山だとは思わなかったと、疲れて帰ってきた思い出しかありませんでした。
13:05 アレクサンドロス大王は、家庭教師が古代世界最強の学者の1人、アリストテレスだったので、
本人が生まれつき戦術的に天才だっただけではなく、
アレクサンドロス大王自身も、後に彼の幕僚となる幼なじみたちも、当時としては世界最高の学問や知識を学びながら育っていて、
そういう最新の情報という面でも、飛び抜けて恵まれた環境だったんですよね。
この手の解説動画見て思うのは、「キングダム」等ではどこで使うのかな?さすがにそのまま使う事はないだろうが。藤崎版封神演義ではハンニバルの戦術を結構参考にしていたと思う。カンネーの戦いそのものをやっていたのもあったし。
謙信の戦争の強さは自然災害とか超常現象みたいなものだから。
そこまで戦争に強くない織田が正面からぶつかって勝てるわけがない。
謙信に戦争でなんとか対抗できた武田や北条は本当にすごい。
音に聞こえし織田はこの程度かと謙信が言ったという逸話は有名
これで柴田勝家は弱い脳筋で無能ということがわかりますね
変な宗教カブレの様な事は言わないが、この戦国時代に歳もそんなに変わらない超人3人が同時に甲信越、関東平野の覇権を巡り対峙してた。もしかしたら、神様は人間を使い軍事シミュレーションゲームをしてるのかなと思ってしまう。
武田は白兵戦でもそれなりに引き分けな勝負が出来たが、北条はそれが出来なかった、だからこそ広大な領土を生かして堅城小田原城に誘い込み上杉官軍の瓦解を待った、 やり方は違うが謙信とやり合えた2大名も流石だよね、因みに上杉軍は謙信直接指揮してる時と謙信が居ない時の強さは全く違って謙信不在の軍は烏合の衆とまで酷評されていた(実際北条や武田に完敗している)
利家公大好きな金沢民の一人です。
手取川に架かる橋を車で走りながら「手取川の戦い・・どんな感じだったのかな、死傷者も大勢でたのだろうな・・」などと漠然と想っていたのですが、今回の動画でよく理解できました。
謙信公や勝家がここで戦っていた瞬間が確かにあった事が感慨深いです。
父の母の実家(武家ではない・多分農民)が手取川に近いので、ご先祖がこの戦いに関わっていたかも・・などと妄想してみたり。
多分手取川に多数溺死した織田軍の死骸から金目の物を剥ぎ取って一儲けしてたんだと思います。あ。ご先祖さまを揶揄して申し訳有りません。
@@山岡鉄夫 さん
いえいえ。全く問題ありません。
当時の農民は怪我してる武士を殴り殺して武具を奪うくらいはやってたと思ってます。
皆、生きる為に必死だった事でしょう。
"上杉に遭うては織田も手取川"
謙信やアレキサンダー大王は、キングダムでいう本能型の将軍って感じする
ありがとうございます!
謙信は長年交流があり上洛する際に協力してもらった越前朝倉氏を
再興する思惑もあったみたいですね。
後退する勝家に対して、即座に戦端を行い、追撃もせずに、加賀を硬めたのは、流石、謙信と織田の再戦見たかった
三国時代の戦いの解説も待ってます!
平地で上杉軍と戦えば敵わないと察して謙信が疲れるまで籠城し続ける戦法を徹底した北条氏康はやっぱり有能だよね
北条氏の内政力は凄いですよね。守るに難しい関東平野に武田軍上杉軍の攻撃に耐えられる堅城をいくつも築城。秀吉は小田原城の何年でも耐えられる総構えのある城郭を見て、翌年から大坂城築城の仕上げをして全国の城にも波及した位ですしね。更に氏康は決戦となる野戦でも勝ってるし動員兵力では武田上杉を越えてたので派手さはないけど評価されて良いと思います。
@@markun2nd 氏康様は税金めちゃめちゃ安かったとか…
今の糞政治家に見習って貰いたいものだ
@@markun2nd
天正壬午の乱では5万人動員したらしい
あのとき5万の兵力を動員できる勢力は織田も含めてどこにもいなかっただろうな
@@七階堂ふみ-g1x 5万は笑う。その動員兵力と強大な拠点を持つ氏政が、豊臣に負けないと思い込むのも分かるわ
@@はる-n2y3m さん
胡麻と百姓は搾り取るもの
自民党の偉い人が言っ
いつも楽しく拝見してます。ありがとうございます。川中島もそうなんですけど、上杉謙信様はまるで一人だけ俯瞰してるみたいな勝ち方しませんかね。よっぽど読みが鋭いか、他家にない諜報機関持ってたか、どちらなんですかね。
あぁカッコよすぎる… 世界史選択だけど日本史もしっかり面白い。
ゲルマニアに侵攻して壊滅した,古代ローマ軍を彷彿とさせる織田軍が哀しい(´;ω;`)
ゲリラ戦術と智謀のダブルパンチはいつの時代も有効。それを見抜いた秀吉の洞察力が地味にすごい。
こちらの情報は筒抜け、一方、向こうの情報は一切入らず。この状況で進軍を続けるのは自殺行為。ここで無理をすれば、それまで慎重に進軍した事が意味がなくなる。増水氾濫中の手取川まで到達出来た事が御の字。ならば、その増水氾濫を天然の壁と利用して、謙信軍を待ち構える。と同時に織田信長の本体を待つ。加賀を抑える事と、謙信軍を叩く事、主たる目的はどっち?と考えた時に、もともと七尾城の援軍としての行軍だけど、援軍要請が来た時点で、謙信相手に長く持たない、まして、援軍として進むにしては、手取川に着いた時点で時間がかかり過ぎている。加賀は、喉から手が出るほど欲しいけど、南側を抑えるだけで、謙信軍を充分挑発出来る。主たる目的は、挑発されてノコノコ出てきた謙信軍を叩く方。と、秀吉は判断した。そう推察出来そうですね。
織田陣営の指揮官が権六ではなく秀吉だったら流石の上杉も歯が立たなかったのでは。織田陣営とすれば秀吉撤退がターニングポイントだったと思う。
謙信が来ることが分かって撤退して、この場を事前に離れていた秀吉も凄い。
信長の命に反してまで撤退したのは、七尾城の陥落が確実との情報が得られたからでしょう。
秀吉の卓越した情報網は、このすぐ後の本能寺の変の際に本領を発揮することに。
古今東西の名将の共通点を見出す思考は面白いですよね。戦争だけでなくいろんな物事に活かせそうな気がします。
解りやすい解説ですね。スーッと頭に入る
合いの手はいらないと思います
この後の武田滅亡~魚津城の戦い~本能寺の流れも見たいですね
上杉謙信が長生きしていたら、また歴史が変わっていたのかもしれないと思うと、ワクワクしますね。
源義経も臨機応変の天才
近代でいえばパットン将軍が謙信みたいなタイプですね。