【筑肥線廃線跡('22版)】Google Earthで巡る鉄道廃線跡(3Dモデル合成)

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  • Опубліковано 7 лис 2024

КОМЕНТАРІ • 25

  • @まはせと25
    @まはせと25 15 днів тому +1

    福岡市に住み始めたのは、2000年過ぎてからですが、
    路面電車同様、筑肥線の存在、
    凄く気になっていました。
    スロウ再生で観ようと思っていたら
    復路が、あって
    めちゃくちゃ良かったです。

  • @chubahono3944
    @chubahono3944 9 місяців тому +4

    あの頃の筑肥線に乗車して
    あの頃の風景をもう一度この目で確認したいです・・・

  • @Niwaka_Kimagure
    @Niwaka_Kimagure 3 місяці тому +2

    この廃止区間、高架化で残っていたらどういう交通体系になってたんだろうなぁ....

  • @しばしば-f6l
    @しばしば-f6l 11 місяців тому +4

    ジョーキ。😊懐かしいです❗
    単線だったため、上り、下りの
    離合が楽しみでもありました。
    反対側の○両目の○○高校の
    女の子が可愛い‼😊なんて、それが
    離合の主な楽しみ、みたいな😊
    西新駅近くの工業高校卒業です。
    2年生から地下鉄に代わり
    現在の空港線西新駅から荒江まで
    歩く事になり、いつも遅刻ギリギリで
    通学していましたなぁ❗
    ほんとに懐かしく拝見致しました。
    ありがとうございます。😊

  • @柚雲
    @柚雲 5 місяців тому +3

    小学生時代に西新駅そばに住んでいました。
    西新駅ホームの博多側にどんと構えていた樹木まで再現頂きまして感謝申し上げます。
    今、おじさんになりどうしても同時に浸りたく筑肥線後に造られた筑肥新道沿いに住みまして、時折当時を思い出してます。
    小笹駅の駅舎へ昇る階段の入口の光景だけがどうしても思い出せなかったのです。小笹駅は福岡市動物園に行った際の往路だけの利用でしたのでアップ頂いた動画のおかげで「そういえば、ココの辺りにガーター橋がありくぐったな?」と思い出せました。
    ありがとうございました。
    私には主さまのような動画作製技術はありません。願わくば同時期に走っていた福岡臨港線も再現頂けますと幸いに存じます。
    筑肥線を取り上げて頂き誠にありがとうございました🙇

  • @あじごはん-h5c
    @あじごはん-h5c 11 місяців тому +3

    高宮遊歩道は盛り土の高架でした

  • @ななしうたひと
    @ななしうたひと 5 місяців тому +8

    東唐津-山本も見たいです

  • @HANUEL-LEE
    @HANUEL-LEE 3 місяці тому +1

    地下鉄か高架路線でJR鹿児島線直通復活したら便利なんでしょうね。
    JRが唐津(呼子)伊万里方面へ観光列車を走らせたでしょう。

  • @itikisima
    @itikisima 4 місяці тому +1

    幼少期に西新北側に住んでいたが、天神に直結しないのでウチはほとんど使っていなかったような、

  • @マイケルミヤタ
    @マイケルミヤタ Рік тому +7

    筑肥線の廃止区間の話し、趣味的にも参考になりました。
     混雑緩和のために廃止になったことも、この動画ではわかるようになっていると思います。
     鉄道はやはり駅までのアクセスや貨物にしても今はトラックで直接配送先のコンビニなどの店まで運ぶことができるため、鉄道の貨物駅で載せかえたりしていては効率も悪いし、荷物などの載せかえのための人出や人件費などを考えると、鉄道は必ずしも効率的ではなく、スピーディーさが求められる現代では、やはり筑肥線のこの区間の廃止はやむを得ない面もあったように思います。
     また動画中、画像だからこそできる、今の光景に列車を画像上で走らせるのもおもしろかったです。
     とにかく動画アップありがとうございました。(コメント終わり)

  • @のりみな-o3m
    @のりみな-o3m 7 місяців тому +7

    懐かしいです
    あれが、複線で6両なら廃止になってない

  • @貴美子本村
    @貴美子本村 Рік тому +2

    昭和58年福岡地下空港線博多ー姪浜駅

  • @増田一人-x9q
    @増田一人-x9q 5 місяців тому +2

    国鉄が大黒字で筑肥線高架計画ができたらドル箱路線でしたね

  • @ma1185ki
    @ma1185ki Рік тому +3

    修正版作成、お手数をおかけしました。
    ありがとうございました。
    このチャンネルでGoogleEarthstadioを知り、勉強中ですが足元にも及びません。
    今後も参考にさせていただくます。

  • @松中三冠王
    @松中三冠王 Рік тому +3

    小笹駅のSL懐かしい!

  • @kenichiro_uesugi
    @kenichiro_uesugi 3 місяці тому +1

    国鉄が赤字だから廃止がしょうがないのは分かるが、筑肥線博多ー姪浜を高架複線電化するのと廃止して地下鉄を作るのはどっちが建設費が安いんだろうか?
    建設費は必ず税金が使われるから、そう考えてしまう。
    当時の福岡市民は税金の使われ方を考えてたのかな?

  • @jinjinaraara3505
    @jinjinaraara3505 6 місяців тому +1

    まさに姪浜博多間を通学で使ってたけど、現在の地図に落とし込んでもピンとこない。全然街並みが変わってるもん。

  • @立直一発-f4d
    @立直一発-f4d Рік тому +4

    岡山の軽便鉄道、西大寺鉄道・下津井電鉄・井笠鉄道をぜひやってください

  • @Shio-Hana4087
    @Shio-Hana4087 5 місяців тому +1

    次は急行平戸号を走らせてほしい😅

  • @reisiein8853
    @reisiein8853 Рік тому +3

    単線で列車本数が少なかったので開かずの踏切は無かったと思います。

    • @GEarther
      @GEarther  Рік тому +5

      コメント、ありがとうございます。
      ま、東京や神奈川の開かずの踏切とは、わけが違ったかもしれませんが、当時、博多の進展にマイナスになるような、自動車交通の妨げになる状態は作り出していたようです。
      私自身、どの踏切なのかは絞り込めませんでした。
      また、そういう記事を書いた人がどう解釈して「開かずの踏切」としたかもわかりません。
      確かに、事故でもない限り、首都圏の開かずの踏切のようになる可能性は低いですね。
      もし、事実が良くわかっているなら、追記をお願いします。
      ただ、この線について議論している人を見て、場所や、思い出の深さの違いなどによって、これほどまでに、この線を惜しんだり、廃止されて当然と思う感情の温度差があることを知りました。
      私は、廃線鉄道を惜しむ側の動画を作っているので、本来、悪くは言いたくないですが、廃線で仕方なかったのだと納得する理由を知っておきたいとは思っています。
      転勤族の親の元、いくつかの廃線の沿線に住んだこともあり、「感情的な寂しさ」と、「理屈の上での仕方なさ」の両面の気持ちを知っています。
      見たり、コメントしていただく人が、この二つをきちんと認識していただけていると、幸いに思います。
      /すみかわ

    • @reisiein8853
      @reisiein8853 Рік тому +2

      @@GEarther さん
      返信を頂き有難うございます。
      懐かしさを感じる動画を有難うございます。
      走る列車がDE10と客車はとても良かったです😁
      自身この廃線区間に子供の頃から住んでいまして
      無くなったときは残念に思いました。
      子供の頃は気動車や客車を見るのが好きで
      たまに二人乗りのトロッコが走っていた記憶が有ります。笑
      かすかな記憶では蒸気と黒い貨車も
      子供のときから10数回しか乗った記憶が有りませんが
      列車本数が少なかったですが乗客は多かったように思います。

    • @ftyutegoursxsw8531
      @ftyutegoursxsw8531 Місяць тому

      @@GEarther 博多ではなく福岡市ね。廃止区間のどこも歴史上1度も博多エリアになったことがないからね。

  • @kouzi9561
    @kouzi9561 7 місяців тому +2

    下りのジョーキは博多駅の5番線だったかを発車して鹿児島本線を潜って、竹下の小運転線から筑肥線へ入って行った記憶があります。それぞれ通勤通学の方は大体乗車する場所が決まっていて、私は上りジョーキの3両目の前が定位置でした。なので話したことはありませんが顔馴染みが居ました。(笑)
    開かずの踏切とは朝の通勤時間の時で、実際には開くのですが駅での乗降に時間がかかり、交換列車の遅れなどで毎回遅延していたので、踏切で待つ方はイライラしていたでしょう。それでも気動車では緩い加速ですが直結で70kmまで出してました。朝の日赤通りを通過する時に見る車列の長さは結構ありました。そして割と通勤時間帯では信号待ちで、駅へ進入出来ずに国道踏切上でも数分止まることも単線ならでしょう。下りジョーキでは時々鳥飼駅へ入る手前の別府橋で止まって、数人はそのまま降りて帰ってました。都市圏でありながらローカルなままの設備だったので、筑肥線利用者には便利でしたが、度々分断される方の国道利用車は、通勤渋滞中を更に遅らせられるので廃止論者が多かったです。今思えば福岡市の道路行政が間に合って無かったとも思います。1979年頃の話です。

    • @淳浅野-w5h
      @淳浅野-w5h 6 місяців тому

      夕方の唯一の客車列車は7番線から出ていた記憶がある。願わくば機関車の番号と客車の編成、両数など知らされたい。朝の上りに戸口に捕まっていた高校生の姿を憶えている。