【寺社参詣】#34 大龍寺(神戸市中央区/神戸十三仏6番/東寺真言宗)~空海が2度訪れた山中の古刹~ Tairyuji Temple

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  • Опубліковано 26 лип 2024
  • 神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第34回は、港町・神戸の背後に横たわる六甲山地の西側、再度公園や外国人墓地がある再度山の山中にある、「中風除けの寺」「病気平癒の寺」東寺真言宗別格本山 再度山大龍寺です。
    奈良時代創建の古刹で、称徳天皇の勅願で、和気清麻呂によって開かれました。再度山は、古くは「多々部山」と呼ばれていましたが、大龍寺が創建された頃は「摩尼山」と呼ばれていました。
    延暦23(804)年、弘法大師空海が唐の国へ渡るのに際し、船旅の安全と唐の国での学業成就を祈願するため、「摩尼山」と呼ばれていた当地を訪れました。真言密教を携えて唐から帰国した空海は、しばらくの間太宰府に留め置かれましたが、大同4(809)年に入京を許されて京都へ向かう途中、無事帰国できたことを感謝するために再び当地を訪れたことから、山の名前が「再度山」と呼ばれるようになりました。現在では正式な山名であり、大龍寺の山号でもあります。
    標高470mの再度山山頂付近の南側に広がる伽藍は、兵火によって度々焼失しています。
    南北朝時代、再度山にあった「多々部城」は南朝方の城であったため、戦火に巻き込まれて焼失しましたが、播磨国守護大名・赤松則村(赤松円心)の支援を受け、室町時代に入った観応2(1351)年、後に「大龍寺中興の祖」と呼ばれる善妙上人によって再興されました。
    善妙上人には、中風に苦しむ後円融上皇を7日間の祈願で平癒させたという伝説が残っており、このときから「中風除けの寺」「病気平癒の寺」と呼ばれるようになりました。
    善妙上人によって再興された大龍寺でしたが、戦国時代になると兵火に巻き込まれて、その後しばらくの間荒廃していましたが、江戸時代に入り、寛文8(1668)年に尼崎藩2代藩主・青山幸利の助けを受けて実祐上人が再建・再興。現在の伽藍は、この時期以降に再建されたものです。明治の廃仏毀釈の際も、当時の住職や地元の人々が守り抜き現代に至ります。
    冬期を除く土・日・祝日には神戸市営バスが神戸の中心地・三宮から森林植物園まで運行され、途中大龍寺の山門前も経由し、アクセスは良好です。また、再度山には市内有数のハイキングコースがあり、休日には多くのハイカーも訪れます。
    また、境内にある霊明殿には、納骨堂の他、大龍寺の寺務所があり、中では休憩させていただくことができます。うp主も、このとき休憩させていただいたのですが、ご接待で名物「椎茸茶」が振る舞われました。「お茶」というよりも「お出汁」に近い感覚で、他では味わえない逸品です。購入することもできますので、興味のある方は是非。
    都会の喧噪から離れた山中に、太古の昔より続く祈りの息吹を今に伝える、東寺真言宗別格本山 再度山大龍寺の動画をご覧下さい。
    機 材:GoPro HERO8
    【リンク】
    再度山大龍寺 公式WEBサイト
    www.tairyuji.com/
    神戸十三仏霊場会 公式WEBサイト 再度山大龍寺(彌勒菩薩)
    13butsu.com/temple/006.php
    【使用BGM】
    「青い空に想う」(甘茶の音楽工房)
    amachamusic.chagasi.com/
    #神社仏閣巡り#大龍寺#神戸市中央区#お寺ガイド#東寺真言宗#神戸十三仏#パワースポット#お寺巡り

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