【寺社参詣】#73 射楯兵主神社(兵庫県姫路市)~二神一光 軍師官兵衛ゆかりの社~ Itatehyozu Shrine

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  • Опубліковано 24 сер 2022
  • 神社仏閣巡り「寺社参詣シリーズ」第73回は、兵庫県第二の都市 姫路市のシンボル、国宝姫路城の南東、かつては姫路城の「中曲輪」に位置し、旧西国街道の宿場町にほど近い場所に鎮座する、射楯兵主神社です。
    現在の主祭神である「射楯大神」と「兵主大神」は、それぞれ現在の姫路城の周囲で別々に祀られていましたが、後に一つの社に合座されて出来たのが射楯兵主神社です。いつ頃合座されたのかは定かではありませんが、延喜式神名帳には「射楯兵主神社二座」の記述があることから、延喜式神名帳が編纂された時代(西暦927年)には、既に合座されていたと考えられています。(この時は、現在鎮座している場所から、およそ500m北にあったとされています。)
    豊臣秀吉の姫路城築城の際に、現在の場所へ遷されてきましたが、遷座以前から歴代姫路城主や播磨國守護職からの信仰が篤く、その中には軍師・黒田孝高(官兵衛)の父・職隆も居て、永禄10(1567)年に拝殿や神門を修築。孝高(官兵衛)自身も、天正8(1580)年に大名にとなった際、旗幟(きし)を制定し軍旗の祈祷(きとう)7日間行い、父職隆とともに毎日参詣しました。天正12(1584)年には総社の保護のために制札(禁止事項や伝達事項を書いた立札)を与えました。
    第二次大戦では、昭和20(1945)年7月3日の姫路大空襲で境内の建物や宝物を焼失。戦後すぐの昭和23(1948)年には、市民による「復興奉賛会」が組織され、昭和40(1965)まで行われました。その後、平成の大造営では、境内西側に、総社御門を再建。朱塗りの御門は、高さ16m。幅26mで国内最大級の楼門です。
    境内には、播磨国の16郡(赤穂郡、佐用郡、宍粟郡、揖西郡、揖東郡、餝西郡、餝東郡、神西郡、神東郡、印南郡、賀古郡、賀茂西郡、賀茂東郡、多可郡、美嚢郡、明石郡)内にある大小明神174座(太神 24座、小社150座)を合わせ祀っており、「播磨国総社」と呼ばれています。本殿北側に、「西播総神殿」「東播総神殿」の2つの流見世棚造の社殿があり、8郡ずつに分けて祀られています。東西播磨の総神殿の間には、12の神を祀る流見世棚造の社殿があります。
    射楯兵主神社は、非常に多くの祭事が行われており、その中でも大規模なのが、20年に一度斎行される「三ツ山大祭」と60年に一度斎行される「一ツ山大祭」です。「三ツ山大祭」は「一ツ山大祭」の臨時祭で、かつては神事の内容が異なっていましたが、現在ではどちらも同様の神事が行われます。「一ツ山大祭」では、神の降臨を仰ぐ五色の布を巻いた「置き山」を1つ作り、「三ツ山大祭」では、五色の置き山に加えて東側に二色山、西側に小袖を飾った小袖山の3つの置き山を作ります。直近の「一ツ山大祭」は昭和62(1987)年に、「三ツ山大祭」は平成25(2013)年に行われました。
    「一ツ山大祭」「三ツ山大祭」は、国選択無形民俗文化財・兵庫県指定無形民俗文化財、「三ツ山」のひな形が国指定有形民俗文化財となっています。
    軍師黒田官兵衛ゆかりの社、国宝姫路城の守護で播磨国総社 射楯兵主神社の動画をご覧下さい。
    機 材:GoPro HERO8
    【リンク】
    射楯兵主神社 公式WEBサイト
    www.sohsha.jp/
    【使用BGM】
    ベートーベン 交響曲第7番 イ長調 作品92 第1楽章(リスト編曲・ピアノ)
    (クラシック名曲サウンドライブラリー)
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