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関東を除くとありますがキハ65の北限は中央東線のアルプスです、新宿まで来ていました(キハ58とキロ58ばかりの編成で電源確保のために2,3両入っていた)
トミックスのエーデル丹後、北近畿を買いました
国鉄末期〜JR初期にかけては日本列島🗾はジョイフルトレインのオンパレードで、中でもキハ65は展望席迄備えて華やかにリノベーション✨ 今観ても近未来感溢れる斬ッ新なStyle❣️特にエーデルファミリーのあの劇場型展望席💺は、近年はユニバーサルデザインって観点からか、採用されませんものね🈲🆖
「ゆぅトピア」のキロ65形は、1986(昭和61)年12月より、大阪〜和倉温泉間(大阪〜金沢間は特急「雷鳥」に併結)の臨時特急「ゆぅトピア和倉」として運行を開始し、1991(平成3)年9月1日に七尾線の津幡〜和倉温泉間が直流電化されるまで運行されました。七尾線の津幡〜和倉温泉間電化後の「ゆぅトピア」は、団体臨時列車での運用が中心となりましたが、1994年度冬季に、快速「味めぐり若狭」号として運行中に機関故障が発生して、その後復帰する事はなく、1995(平成7)年3月31日付で廃車となりました。
地元の路線にキハ65が走り始めた時は!当時小学生でも滅茶苦茶興奮しましたね~!なんたってある種憧れの車両でしたから....流れ転属でキハ57に65の500番台がサンドイッチされた編成で2度美味しい!47や40も入って来た時期でしたから....楽しかったですね~!わざわざ65の運用時に合わせて乗ってましたねー同時にキロ28グリーン車普通解放も始まった時期(数年で離脱廃車されましたが....)でもありましたなぁ....懐かしい....あの頃に帰りたいですねー!
伯備線非電化時代の急行「伯耆」は特急「やくも」が有り差別化する為か、キハ65系を併結する事は有りませんでしたが、急行「砂丘」等は併結されました。
JR西日本は、エーデルシリーズへの改造種車が足りず、JR四国から購入しました。それでも足りずに、極めつけはキハ58を改造。7301番。
50年近く前に宇和島から急行「うわじま」に乗ったら指定席車にキハ65が割り当てられていたけれど、シートピッチが広いのとエアサスが指定料金分のサービスということだったのかな・・・
私が子供のころ昭和50年代(1975年~1984年)キハ181系『やくも』(キサシ180連結)8両~11両超大編成を岡山駅もしくは伯備線内で見ていた。(両親の実家が岡山)あのころの津山線は朝夕一本ずつDE10形ディーゼル機関車(1000番台)牽引旧型客車列車が運行されていた。その中で急行『砂丘』がキハ58(キハ28)+キロ28+キハ65編成で岡山~玉柏を高速で突っ走っていた。キハ65系空気バネ台車(ディスクブレーキ車輪)が銀色に光っていたのが印象に残っている。当時、東京23区都内のマンションに住んでいて京王・小田急・東武・営団地下鉄などの旧型車両に乗ったりしていた。父親に連れられて上野駅にも何回か訪れたこともある。急行『出羽』・『いいで』・『ざおう』・『ときわ』などの気動車急行が発着していたもののキハ65だけは連結されていなかった。学生時代、北海道キハ56系気動車急行『宗谷』にも乗車したが、(二重窓・床が木製)ノロノロ運転でコイルばね台車で乗り心地がよくなかったのを覚えている。冬場で雪が降り積もっていたせいか縦揺れがすごかった。しかし、急行『砂丘』を冬に乗車したときは雪景色でもエアサス台車で乗り心地が良かったのだ。キハ91・キハ181・キハ65系統車両は旧国鉄の名車ともいえる。
ゆぅトピアは、大阪〜和倉温泉のゆぅトピア和倉が有名ですが、実は1990年頃に大阪〜高山(北陸線・高山線経由・大阪〜富山は特急雷鳥と併結していました。又使用車両は、ゴールデンエクスプレスアストルでした。)のゆぅトピア高山が運行されたことがありました。又2003年1月には、大阪〜氷見で、同じくゴールデンエクスプレスアストルを使用した急行氷見ぶりアストル号が運行されました。
JR東海須田寛初代社長の肝いりで誕生した快速[みえ]でも近鉄に対抗して大活躍した。
1990年3月ダイヤ改正時に快速「みえ」の運転開始当時の記事は、鉄道ジャーナル1990年6月号に掲載されている。写真には、快速みえの車掌が、新幹線連絡の指定席の販売用として、アナログ携帯電話を使用してるのは、私自身は、びっくりしたなぁ⁉️🚅私自身が、写真ですが携帯電話を初めて見ました❓😊当時は、ものすごく高額な携帯電話だったので、全く一般には、普及していなかった⁉️国鉄末期の気動車の記事は、同1986年8月号に掲載されていました⁉️
キハ65の改造車は、有名ですし、目立ちました。あまり知られていないのが、500番台という17両しかなかった製造当初からのオリジナル車で、キハ65の寒冷地仕様車です。昭和50年に廃止になった気動車急行「アルプス」で2往復ほど、当該形式としては最も東の新宿まで来ていました。中央線の連続する急勾配と、都内の電車線区間での高速高密度運転に対応したものです。実はもっと東を走ったキハ65もありました。房総各線の夏季海水浴臨時列車としてかき集められた貸出車の中にもキハ65がありました。いずれも、実際に乗りました。
地元富山市民の鉄道マニアとしてアストルのラストランであるありがとうアストル号は必ず見に行きました、この運用は金沢発高山本線の猪谷行で富山駅でスイッチバックして高山本線に入って行きます。確か金沢から来た時は当時まだ地上駅の富山駅1番乗り場に入りそこからスイッチバックで高山本線に入って行きました、そして猪谷から金沢に戻る際は6番乗り場に入ってまたスイッチバックで北陸本線を走って行きましたね。あとエーデル鳥取とリゾートシュプール編成は越中八尾おわら風の盆臨時列車としてその時期だけキハ181系と共に関西から派遣されてましたね、ちなみに私はこのエーデル車がきっかけで鉄道マニアになりました
エーデルって確か「はまかぜ」の代走でも使われたはず…最高時速95kmなのに、よくキハ181の代走ができたな…
キハ181は変速機の都合上70Km前後まではノロノロ運転それを考慮されたスジになっていたキハ189に更新後暫くしてから余裕を切り詰めたスジになった国鉄時代は優等列車自体が遅延を調整出来るようにある程度は余裕を持ったスジが引かれていた
北海道でキハ22が100㎞/h超で走っていた。ほぼ均衡速度だと思う。キハ65の運転性能から130㎞/hでも加速はできたと思う。ちなみに10mレール区間だったので10秒で28~30回ジョイント音が
快速みえ号でエンジンの改造無しに110キロ運転が出来たから
@@えいちゃん-f2y あれ?換装されてるはずでは?と思ってWikipediaで調べてみたら、換装されたのはキハ58だけみたいですねただ、台車枠はいじったみたいですけど…
@@めっく-n6z さん、ブレーキ圧力も変更している?かな?北海道のキハ183系みたいに?非常ブレーキから600メートル以内に止まれるように?
キハ65が組み込まれいると、必ず冷房が稼働していたので、当時ローカル線を乗りつぶしてた際に嬉しかったのを思い出す。
逆に、キハ40系に混じって1両だけ組み込まれていた冷房搭載のキハ58に喜んで乗ったら冷房効いてなかった。冷房電源のことなんて知らないから国鉄ってケチでんな、って当時は思った。キハ58冷房車はそういうこともあるのでキハ28やキハ65と違って扇風機がある。途中で電圧が下がるせいなのかキハ58は冷房の効きが悪かったのでこの扇風機がありがたかった。
冷房車であっても優等列車末端区間で料金不要列車になった途端に容赦なく冷房を切るそれが國鉄
当時、冷房車と非冷房車の混結急行ならば、指定席⇒冷房車、自由席⇒非冷房車…だった。
改良型のキハ65系を量産しているのに、低馬力故に走行性能に問題ある、キハ58系も製造し続ける、国鉄の不思議さ🤔。
完全な間違いではないけど、それはちょっと違う。キハ58、キハ28は昭和43年度で製造が終了しており、キハ65が登場した昭和44年度にキロ28が13両だけ製造された。急行型気動車のグリーン車製造はおそらく最後だろうし編成に1両、多くても2両しか組み込まないんだからわざわざキロ65なんてもんを設計して作ることもなかろうということで屋根高さや雨樋位置をキハ65に合わせたり12系客車にならってトイレ、洗面所を車端部にもってくるという最低限の変更がされたキロ28が製造された。
そりゃトイレは必要だから
キハ65は2エンジン車主体の山岳路線向け冷房用電源車に過ぎない
@@金澤華 キハ65に関して様々な見方や意見があると思う。キハ91(キハ90)試作車がデビューしたときは相当期待していたはず。キハ91という土台があったからこそ続くキハ181、キハ65が製造されたのだ。キハ65を元に九州地区ではキハ66・67系も製造された。ただ、東北・北海道地区では導入されなかった。かつて、北海道のキハ56急行列車に乗車したが、床が木製でしかも非力なエンジンでエンジン音が五月蠅くただノロノロ運転していた記憶がある。キハ65はエアサス台車でディスクブレーキ方式車輪を採用していたが、北海道のキハ56は乗り心地が悪く(103系や115系電車の台車とほぼ同じコイルばね台車)同じコイルばねか?と思ったほど。昭和50年代前半(1977年以降)、キハ40系・キハ47系・キハ48系(普通車用)気動車が製造されるが、キハ65よりも馬力が無いためかノロノロ運転で乗り心地(コイルばね台車)もよくなかった。キハ40系統こそ旧国鉄の失敗作だと思う。
キハ65、あまり注目したことありませんでしたが、こうやって見るとかなり`謎`ですね(特に西日本)。あとJR東日本のジョイフルトレインについて取り上げてほしいです!
1990年代、大糸線(糸魚川~南小谷)でシュプール号に充当されたエーデル車に乗りました。当時は普通列車を運休させてシュプール号を糸魚川~南小谷間で普通列車替わりに運用してたので何とか乗る事が出来た。当時中学生だった私はワクワクしながら展望席からの景色を眺めていた。
JR九州の一般改造の特急もこの位、原型を留めない形なら良いんだけどな…
キハ65はマッチョでカッコイイですよね。足元も素晴らしく、銀ピカのディスクブレーキを装備してね(キハ82、181二次車以降、横軽対応キハ57も然り)。あんなブレーキは今や新幹線くらいですかね。
民営化直後、バブル期にJR四国あたりでジョイフルトレインのイベントなかったですか?何となく他者さんの動画で見た事があります
確か北海道からトマムサホロエクスプレス 東日本からスーパーエクスプレスレインボーがEF65 1019号機牽引で四国に集結したと記憶してます当時はレインボー機が関西や四国に来るのは非常に珍しく(後に急行ちくま客レ最終日や瀬戸のブルトレ最終日 急行銀河牽引で来るように成りますが)関西方面を走る時にパニックに成ったと噂が有ります
急行だった由布は普段先頭は58だったが、編成の中に決まって65がついていた。たまに65が先頭についていたが、由布の先頭は指定席だったから明るくて少し広い65は適役だっただろう。キハ65が先頭の由布には妙な気合いを感じたな。結局58と65は「ゆふいんの森」に化けていくわけだ。ちなみに、ゆふいんの森のCM曲は同じ時期に肥前夢街道のCM曲や、さかえ屋なんばん往来のCM曲を歌っていた山崎まき子さん。福岡のCM女王。なんばん往来の初代のCMには本人が出演しているが可愛らしい。
この車輌が東北へも配置されていれば…おが、ざおう なども冷房化されていたのではないか? と思っていました😅
181系つばさ、でDML30エンジンに懲りていたのでしょう。東北線区間は120㎞で走ったそうですから。
当時は今と違って春、秋という季節があって暑いのは7月後半から9月頭くらいまでだったし暑いといっても30°C超えると異常気象だとか地球が滅亡するだとか大騒ぎするくらいだったから。東北地方では1年のうち10ヶ月くらいは稼動してない冷房装置は、非力な気動車にとっては「死重」だったんです。
東北なら冷房車が無くても暑ければ窓開ければ済んだ時代夏は度々冷夏になり米不作が心配された時代
@@金澤華 夜窓全開のままだと寒いくらい。でも蚊が凄くて、蚊取り線香焚いて車掌さんに大目玉喰らったのもいい思い出、
エーデル北近畿・鳥取車と言えば急行「だいせん」かな
キハ58の急行「たかやま」大阪ゆきに国鉄末期に乗ったことあるが、米原から関西新快速とデッドヒートし、挙句の果てに負けるという経験をした。「わざわざ急行券を買ったのにw まさに急いで行かない代名詞だな」と思ったものでした。
2軸駆動とするために、エアサス(しかも仮想心皿というボルスタレスの先駆け)台車を採用したんですね。
もうねー、この車両はエアコン付きだからといって友人に勧めたら振動と騒音が激しくて困った。エアサスで特急並みの乗り心地の筈がなんであんなに揺れるんだ??ちなみに気動車のエンジンはばね上重量なので客車内の軌道性振動特性は良いはずです。エンジンが揺らしよるのかなあ???
エーデル鳥取、15年くらい昔に向日町操車場に留置してあるの見てた記憶ある……
JR東海もやってほしいなぁー
ちょっと,真意がわからないです、、よければもう少し詳しく教えてください!
@@ゆっくり旅チャンネル jr東海のキハ65は、近鉄特急対抗策として快速みえと急行かすが用に改造したクリームにオレンジラインのJR東海色に変更したうえ、0系新幹線の廃車発生のリクライニングシートを組み込み5000番台化した物や110キロ化のため台車枠をC-DT39C形・C-TR218C形した3000番台も存在し、キハ75形の登場まで走りました。
トロQの解説がな・・・・・💦
ゆふいんの森Ⅰ世号は、現在あそBOYとして活躍してます。 画像は現役のゆふいんの森Ⅱ世号です。
おや、あそぼーいはキハ183の新製車だと思っておりました.ちなみに画像は2世とは少し違う形状をしているように思ったため,1世として使わせていただきました
@@ゆっくり旅チャンネル ゆふいんの森I世は現在も「ゆふいんの森」用。
画像はゆふいんの森Ⅰ世キハ71で間違いないです。あそBOYのキハ183系は「ゆふDX」として増備されたもの。ゆふいんの森Ⅱ世は、ゆふDXの置き換え用です。ドヤ顔で間違った情報を出す前に、Wikipediaとかで調べたら?
キハ71はゆふいんの森1世、キハ183がゆふいんの森2世、キハ72がゆふいんの森3世ですね。@azma0299 キハ183はゆふDXとして増備?ドヤ顔で嘘つくの良くないよ。人に指摘する前に自分も調べてから書き込もうね。キハ183はオランダ村特急→ゆふいんの森ⅱ世→シーボルト→ゆふDX→あそぼーい。
関東を除くとありますがキハ65の北限は中央東線のアルプスです、新宿まで来ていました(キハ58とキロ58ばかりの編成で電源確保のために2,3両入っていた)
トミックスのエーデル丹後、北近畿を買いました
国鉄末期〜JR初期にかけては日本列島🗾はジョイフルトレインのオンパレードで、中でもキハ65は展望席迄備えて華やかにリノベーション✨ 今観ても近未来感溢れる斬ッ新なStyle❣️特にエーデルファミリーのあの劇場型展望席💺は、近年はユニバーサルデザインって観点からか、採用されませんものね🈲🆖
「ゆぅトピア」のキロ65形は、1986(昭和61)年12月より、大阪〜和倉温泉間(大阪〜金沢間は特急「雷鳥」に併結)の臨時特急「ゆぅトピア和倉」として運行を開始し、1991(平成3)年9月1日に七尾線の津幡〜和倉温泉間が直流電化されるまで運行されました。
七尾線の津幡〜和倉温泉間電化後の「ゆぅトピア」は、団体臨時列車での運用が中心となりましたが、1994年度冬季に、快速「味めぐり若狭」号として運行中に機関故障が発生して、その後復帰する事はなく、1995(平成7)年3月31日付で廃車となりました。
地元の路線にキハ65が走り始めた時は!当時小学生でも滅茶苦茶興奮しましたね~!なんたってある種憧れの車両でしたから....流れ転属でキハ57に65の500番台がサンドイッチされた編成で2度美味しい!47や40も入って来た時期でしたから....楽しかったですね~!
わざわざ65の運用時に合わせて乗ってましたねー同時にキロ28グリーン車普通解放も始まった時期(数年で離脱廃車されましたが....)でもありましたなぁ....懐かしい....あの頃に帰りたいですねー!
伯備線非電化時代の急行「伯耆」は特急「やくも」が有り差別化する為か、キハ65系を併結する事は有りませんでしたが、急行「砂丘」等は併結されました。
JR西日本は、エーデルシリーズへの改造種車が足りず、JR四国から購入しました。それでも足りずに、極めつけはキハ58を改造。7301番。
50年近く前に宇和島から急行「うわじま」に乗ったら指定席車にキハ65が割り当てられていたけれど、シートピッチが広いのとエアサスが指定料金分のサービスということだったのかな・・・
私が子供のころ昭和50年代(1975年~1984年)キハ181系『やくも』(キサシ180連結)8両~11両超大編成を岡山駅もしくは伯備線内で見ていた。(両親の実家が岡山)あのころの津山線は朝夕一本ずつDE10形ディーゼル機関車(1000番台)牽引旧型客車列車が運行されていた。その中で急行『砂丘』がキハ58(キハ28)+キロ28+キハ65編成で岡山~玉柏を高速で突っ走っていた。キハ65系空気バネ台車(ディスクブレーキ車輪)が銀色に光っていたのが印象に残っている。当時、東京23区都内
のマンションに住んでいて京王・小田急・東武・営団地下鉄などの旧型車両に乗ったりしていた。父親に連れられて上野駅にも何回か訪れたこともある。急行『出羽』・『いいで』・『ざおう』・『ときわ』などの気動車急行が発着していたもののキハ65だけは連結されていなかった。学生時代、北海道キハ56系気動車急行『宗谷』にも乗車したが、
(二重窓・床が木製)ノロノロ運転でコイルばね台車で乗り心地がよくなかったのを覚えている。
冬場で雪が降り積もっていたせいか縦揺れがすごかった。
しかし、急行『砂丘』を冬に乗車したときは雪景色でもエアサス台車で乗り心地が良かったのだ。キハ91・キハ181・キハ65系統車両は旧国鉄の名車ともいえる。
ゆぅトピアは、大阪〜和倉温泉のゆぅトピア和倉が有名ですが、実は1990年頃に大阪〜高山(北陸線・高山線経由・大阪〜富山は特急雷鳥と併結していました。又使用車両は、ゴールデンエクスプレスアストルでした。)のゆぅトピア高山が運行されたことがありました。又2003年1月には、大阪〜氷見で、同じくゴールデンエクスプレスアストルを使用した急行氷見ぶりアストル号が運行されました。
JR東海須田寛初代社長の肝いりで誕生した快速[みえ]でも近鉄に対抗して大活躍した。
1990年3月ダイヤ改正時に快速「みえ」の運転開始当時の記事は、鉄道ジャーナル1990年6月号に掲載されている。
写真には、快速みえの車掌が、新幹線連絡の指定席の販売用として、アナログ携帯電話を使用してるのは、私自身は、びっくりしたなぁ⁉️🚅
私自身が、写真ですが携帯電話を初めて見ました❓😊
当時は、ものすごく高額な携帯電話だったので、全く一般には、普及していなかった⁉️
国鉄末期の気動車の記事は、同1986年8月号に掲載されていました⁉️
キハ65の改造車は、有名ですし、目立ちました。あまり知られていないのが、500番台という17両しかなかった製造当初からのオリジナル車で、キハ65の寒冷地仕様車です。昭和50年に廃止になった気動車急行「アルプス」で2往復ほど、当該形式としては最も東の新宿まで来ていました。中央線の連続する急勾配と、都内の電車線区間での高速高密度運転に対応したものです。実はもっと東を走ったキハ65もありました。房総各線の夏季海水浴臨時列車としてかき集められた貸出車の中にもキハ65がありました。いずれも、実際に乗りました。
地元富山市民の鉄道マニアとしてアストルのラストランであるありがとうアストル号は必ず見に行きました、この運用は金沢発高山本線の猪谷行で富山駅でスイッチバックして高山本線に入って行きます。
確か金沢から来た時は当時まだ地上駅の富山駅1番乗り場に入りそこからスイッチバックで高山本線に入って行きました、そして猪谷から金沢に戻る際は6番乗り場に入ってまたスイッチバックで北陸本線を走って行きましたね。
あとエーデル鳥取とリゾートシュプール編成は越中八尾おわら風の盆臨時列車としてその時期だけキハ181系と共に関西から派遣されてましたね、ちなみに私はこのエーデル車がきっかけで鉄道マニアになりました
エーデルって確か「はまかぜ」の代走でも使われたはず…
最高時速95kmなのに、よくキハ181の代走ができたな…
キハ181は変速機の都合上70Km前後まではノロノロ運転
それを考慮されたスジになっていた
キハ189に更新後暫くしてから余裕を切り詰めたスジになった
国鉄時代は優等列車自体が遅延を調整出来るようにある程度は余裕を持ったスジが引かれていた
北海道でキハ22が100㎞/h超で走っていた。ほぼ均衡速度だと思う。キハ65の運転性能から130㎞/hでも加速はできたと思う。ちなみに10mレール区間だったので10秒で28~30回ジョイント音が
快速みえ号でエンジンの改造無しに110キロ運転が出来たから
@@えいちゃん-f2y
あれ?換装されてるはずでは?と思ってWikipediaで調べてみたら、換装されたのはキハ58だけみたいですね
ただ、台車枠はいじったみたいですけど…
@@めっく-n6z さん、ブレーキ圧力も変更している?かな?北海道のキハ183系みたいに?非常ブレーキから600メートル以内に止まれるように?
キハ65が組み込まれいると、必ず冷房が稼働していたので、当時ローカル線を乗りつぶしてた際に嬉しかったのを思い出す。
逆に、キハ40系に混じって1両だけ組み込まれていた冷房搭載のキハ58に喜んで乗ったら冷房効いてなかった。冷房電源のことなんて知らないから国鉄ってケチでんな、って当時は思った。キハ58冷房車はそういうこともあるのでキハ28やキハ65と違って扇風機がある。途中で電圧が下がるせいなのかキハ58は冷房の効きが悪かったのでこの扇風機がありがたかった。
冷房車であっても優等列車末端区間で料金不要列車になった途端に容赦なく冷房を切る
それが國鉄
当時、冷房車と非冷房車の混結急行ならば、指定席⇒冷房車、
自由席⇒非冷房車…だった。
改良型のキハ65系を量産しているのに、低馬力故に走行性能に問題ある、キハ58系も製造し続ける、国鉄の不思議さ🤔。
完全な間違いではないけど、それはちょっと違う。キハ58、キハ28は昭和43年度で製造が終了しており、キハ65が登場した昭和44年度にキロ28が13両だけ製造された。急行型気動車のグリーン車製造はおそらく最後だろうし編成に1両、多くても2両しか組み込まないんだからわざわざキロ65なんてもんを設計して作ることもなかろうということで屋根高さや雨樋位置をキハ65に合わせたり12系客車にならってトイレ、洗面所を車端部にもってくるという最低限の変更がされたキロ28が製造された。
そりゃトイレは必要だから
キハ65は2エンジン車主体の山岳路線向け冷房用電源車に過ぎない
@@金澤華 キハ65に関して様々な見方や意見があると思う。キハ91(キハ90)試作車がデビューしたときは相当期待していたはず。
キハ91という土台があったからこそ続くキハ181、キハ65が製造されたのだ。キハ65を元に九州地区ではキハ66・67系も製造された。
ただ、東北・北海道地区では導入されなかった。かつて、北海道のキハ56急行列車に乗車したが、床が木製でしかも非力なエンジンで
エンジン音が五月蠅くただノロノロ運転していた記憶がある。キハ65はエアサス台車でディスクブレーキ方式車輪を採用していたが、
北海道のキハ56は乗り心地が悪く(103系や115系電車の台車とほぼ同じコイルばね台車)同じコイルばねか?と思ったほど。
昭和50年代前半(1977年以降)、キハ40系・キハ47系・キハ48系(普通車用)気動車が製造されるが、キハ65よりも馬力が
無いためかノロノロ運転で乗り心地(コイルばね台車)もよくなかった。キハ40系統こそ旧国鉄の失敗作だと思う。
キハ65、あまり注目したことありませんでしたが、こうやって見るとかなり`謎`ですね(特に西日本)。あとJR東日本のジョイフルトレインについて取り上げてほしいです!
1990年代、大糸線(糸魚川~南小谷)でシュプール号に充当されたエーデル車に乗りました。当時は普通列車を運休させてシュプール号を糸魚川~南小谷間で普通列車替わりに運用してたので何とか乗る事が出来た。当時中学生だった私はワクワクしながら展望席からの景色を眺めていた。
JR九州の一般改造の特急もこの位、原型を留めない形なら良いんだけどな…
キハ65はマッチョでカッコイイですよね。足元も素晴らしく、銀ピカのディスクブレーキを装備してね(キハ82、181二次車以降、横軽対応キハ57も然り)。あんなブレーキは今や新幹線くらいですかね。
民営化直後、バブル期にJR四国あたりでジョイフルトレインのイベントなかったですか?
何となく他者さんの動画で見た事があります
確か北海道からトマムサホロエクスプレス 東日本からスーパーエクスプレスレインボーがEF65 1019号機牽引で四国に集結したと記憶してます
当時はレインボー機が関西や四国に来るのは非常に珍しく
(後に急行ちくま客レ最終日や瀬戸のブルトレ最終日 急行銀河牽引で来るように成りますが)
関西方面を走る時にパニックに成ったと噂が有ります
急行だった由布は普段先頭は58だったが、編成の中に決まって65がついていた。たまに65が先頭についていたが、由布の先頭は指定席だったから明るくて少し広い65は適役だっただろう。
キハ65が先頭の由布には妙な気合いを感じたな。
結局58と65は「ゆふいんの森」に化けていくわけだ。ちなみに、ゆふいんの森のCM曲は同じ時期に肥前夢街道のCM曲や、さかえ屋なんばん往来のCM曲を歌っていた山崎まき子さん。福岡のCM女王。
なんばん往来の初代のCMには本人が出演しているが可愛らしい。
この車輌が東北へも配置されていれば…おが、ざおう なども冷房化されていたのではないか? と思っていました😅
181系つばさ、でDML30エンジンに懲りていたのでしょう。東北線区間は120㎞で走ったそうですから。
当時は今と違って春、秋という季節があって暑いのは7月後半から9月頭くらいまでだったし暑いといっても30°C超えると異常気象だとか地球が滅亡するだとか大騒ぎするくらいだったから。東北地方では1年のうち10ヶ月くらいは稼動してない冷房装置は、非力な気動車にとっては「死重」だったんです。
東北なら冷房車が無くても暑ければ窓開ければ済んだ時代
夏は度々冷夏になり米不作が心配された時代
@@金澤華
夜窓全開のままだと寒いくらい。でも蚊が凄くて、蚊取り線香焚いて車掌さんに大目玉喰らったのもいい思い出、
エーデル北近畿・鳥取車と言えば急行「だいせん」かな
キハ58の急行「たかやま」大阪ゆきに国鉄末期に乗ったことあるが、米原から関西新快速とデッドヒートし、挙句の果てに負けるという経験をした。
「わざわざ急行券を買ったのにw まさに急いで行かない代名詞だな」と思ったものでした。
2軸駆動とするために、エアサス(しかも仮想心皿というボルスタレスの先駆け)台車を採用したんですね。
もうねー、この車両はエアコン付きだからといって友人に勧めたら振動と騒音が激しくて困った。エアサスで特急並みの乗り心地の筈がなんであんなに揺れるんだ??ちなみに気動車のエンジンはばね上重量なので客車内の軌道性振動特性は良いはずです。エンジンが揺らしよるのかなあ???
エーデル鳥取、15年くらい昔に向日町操車場に留置してあるの見てた記憶ある……
JR東海もやってほしいなぁー
ちょっと,真意がわからないです、、
よければもう少し詳しく教えてください!
@@ゆっくり旅チャンネル jr東海のキハ65は、近鉄特急対抗策として快速みえと急行かすが用に改造したクリームにオレンジラインのJR東海色に変更したうえ、0系新幹線の廃車発生のリクライニングシートを組み込み5000番台化した物や
110キロ化のため台車枠をC-DT39C形・C-TR218C形した3000番台も存在し、キハ75形の登場まで走りました。
トロQの解説がな・・・・・💦
ゆふいんの森Ⅰ世号は、現在あそBOYとして活躍してます。
画像は現役のゆふいんの森Ⅱ世号です。
おや、あそぼーいはキハ183の新製車だと思っておりました.
ちなみに画像は2世とは少し違う形状をしているように思ったため,1世として使わせていただきました
@@ゆっくり旅チャンネル ゆふいんの森I世は現在も「ゆふいんの森」用。
画像はゆふいんの森Ⅰ世キハ71で間違いないです。
あそBOYのキハ183系は「ゆふDX」として増備されたもの。
ゆふいんの森Ⅱ世は、ゆふDXの置き換え用です。
ドヤ顔で間違った情報を出す前に、Wikipediaとかで調べたら?
キハ71はゆふいんの森1世、キハ183がゆふいんの森2世、キハ72がゆふいんの森3世ですね。
@azma0299
キハ183はゆふDXとして増備?ドヤ顔で嘘つくの良くないよ。人に指摘する前に自分も調べてから書き込もうね。
キハ183はオランダ村特急→ゆふいんの森ⅱ世→シーボルト→ゆふDX→あそぼーい。