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2007年頃たまたま本庄駅で臨時快速奥利根号で12系客車編成で停車していたので機関車から12系客車全編成を撮影をしたかな今は懐かしいかな、😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
ちなみに私の場合は国鉄型12系客車は乗らなかったけどとりあえず12系客車臨時快速と臨時列車をたくさん撮影をしたかな今は懐かしいね😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
12系解説というより、鉄道のブレーキ装置解説として、分かり易くよくまとめられている。素晴らしい。
たまたま秩父鉄道12系客車が運転があつたので熊谷駅に向かったしばらくしてから秩父鉄道12系客車やってきたので熊谷駅で12系客車を撮影したよその後高崎線で本庄駅向かったしばらくしてから臨時快速奥利根号12系客車がやってきたので本庄駅で機関車と12系客車全編成を撮影をしたかなまるで12系客車のざんまいをした感じかな今はコロナの関係で出来ないかな今は懐かしいね😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
万博に行くときに始めて乗りました。当時小学校4年生の夏。長門54号か59号の夜行急行。全く期待をしていなかった。ボロ客車のエアコンなしの寄せ集め客車と完全に思い込んでた。それがホームに出てみると、発電機のゴーとい音が聞こえてきて窓が曇っている。子供心に心が躍る。本当に嬉しかったな。
当時急行ながとではなくて宮島ではないか?あるいは夜行急行音戸が12系座席車でした。なにか勘違いしているのでは?
おー、なんと素敵な言葉使い。
ジエアール西日本12系客車は全車東武鉄道と秩父鉄道に譲渡したほうがいいよ廃車するはまだ早いかなあとは部品取り用充てるほうがいいかな、ら😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
12系客車新製の背景にはもう一つ理由があって、当時、国鉄は貨物輸送が急激に需要が少なくなっていた。そうなると、機関車が余剰気味であったことで、その結果、効率的に客車列車の増発設定をしたかった。。。
当時の急行用一般用の旧型客車は、営業最高速度は95 km/h、ドアは手動、車軸発電機のみの白熱灯等薄暗い車内、空調ナシ、振動のある金属バネ、貨車と同じ衝撃の強い自動連結器、自動空気ブレーキ、狭い座席間隔、等が普通だった。ここら辺の所が全て一新されたのが12系客車だった。110km/hの最高速度、自動ドア、ディーゼル機関による電源搭載で明るい車内と空調完備、振動の少ない空気バネ、衝撃の緩和された密着自動連結器、新開発の応答性に優れたCL形応荷重機構付自動空気ブレーキ、余裕のある座席間隔等。これで牽引機の制約もなくなり、EF65等の新型電機牽引でも高速運転が可能になった。12系客車は今となっては陳腐化してしまったが、これらのシステムは多方面に生かされ、当時としては急行形電車と同じような画期的な近代的客車だった。
もう一つ字幕式方向幕も初採用されています。急行型では!特急型では481系が確か最初で581系が続きました。それと客車では12系にユニット窓も採用されています。
何がスゴいかって、そりゃ「牽引車を選ばないところ」だろうな…と、模型鉄な自分が呟いてみる。実際、SLが牽いても良し、ELが牽いても良し、DLが牽いても良し。18きっぷで12系の普通列車には何度かお世話になったが、夏に乗ると寒いくらいよく効いた冷房が嬉しかった。何か、電車や気動車とはまた違う効き方だったんよね。車内の製造者銘板の「新潟鐵工所 昭和44年」とかいうのを見ては、ああこの車両も大阪万博輸送で活躍して、当時も冷房付きで喜ばれてたんだろうな(脳内BGM:世界の国からこんにちは/三波春夫)、と往年をしのぶという楽しみ方も出来た(※動画の12系は大阪万博後世代だが、その代わり今日まで生き残れた)。無理かもしれないけど、トキ鉄さんか大井川鐵道さんが譲受するとか、無いかしら。
東武も良いと思いました。
@@nakagaminobuhisa さん なるほど!!そのセン、結構、現実的かもしれません。
電磁直通ブレーキ打はない反応速度の速いブレーキ。解りやすく解説頂いてありがとうございました。
エアコン付き、さらには自動ドアと当時の急行客車のスペックを完全に覆した車両でしたね。西日本エリアでの乗車例はありませんが、つくば万博の臨時列車や碓氷峠廃止の際の臨時列車ではお世話になりました。
「みんな大好き『階段緩メ』」で盛大に吹いたw
12系のブレーキ装置はもともと10000系貨車向けに開発されたブレーキシステムで、ブレーキ力は貨車ほど強力で無くて良いので10000系貨車から電磁指令弁を抜いた構成をしています。貨車での三動弁の固渋問題は深刻であり、またその整備も面倒を極めるものだったためメンテナンスの省力化を図る目的で滑り弁の代わりにダイアフラムを用いたのですが、これが結果として応答速度の向上としてメリットを享受できたのが12系客車だったのかも知れません。牽引機を選ばないブレーキシステムという特徴はコンテナ貨車のコキ50000形にも使われましたが、こちらはブレーキ力の観点からブレーキシリンダーが大型化することから最高速度は95km/hで使用され、さらなる高速化には電磁指令弁が必須となりました。それにしてもイベント列車の「北びわこ号」が無くなったのは、残念です。
12系客車は、スハフ車に、冷暖房用の三相電源用エンジンと、発電機の他に、ベルトで駆動する車軸発電機も付いています。
12系と言えば、昔、急行「きたぐに」が旧型寝台+12系の編成だったころ、新潟以北で乗った経験が有る。確かあの当時、急行「きたぐに」の寝台車は大坂-新潟間のみの運用で新潟以北は切り離していた為、寝台に乗っていた人間は新潟駅に着くまでに12系客車に移動する必要が有った(上りは当然逆で、新潟駅で寝台車に乗り換える必要が有った)。私の場合、旧型客車切り離しのシーンが見たかったので新潟駅でそのシーンを見た後、移動していた。確かに旧型客車に比べると快適だったと記憶している。
その移動めんどくさいですね。もう乗り換え同然ですね。サービスで割引とかあってほしいよね。
旧型客車はオロネまたはオロネフ10型を除いてエアサスではなくてコイルばねでした。またきたぐにと同時期に急行音戸下りの2号と上りの1号も座席車が12系客車に変わっています。昭和48年10月ダイヤ改正からです。それときたぐににはコマウサントウダイヤ改正までにグリーン車のスロ62型も外されました。
@@あさま189-t2o割引っつーか、どうせ大半の客は周遊券🎫やな😉
12系は万博へ向けて開発・製造した客車だが、線路上どこにでもあるあたりまえな車輌であることを忘れてはいけまい✋☺🚃
昔は至る所、各地で見られた。この客車は、どのカマが牽いても絵になった。
昔の客車を知らないと、12系の良さはわからないよね。
旧客無くなってクーラー付きの12系はいいなって思った。まぁ日本に於いてはもう客車が纏まって増備されることは無いですからね。タイにいて中国製の新車寝台車乗って、日本製でこう言う車両は産まれないんだろうとつくづく思った
12系と言えば、JR九州、筑豊本線の50系に1両だけ連結された12系に約1年だけ通学で、そしてJR西日本の奥出雲おろち号に1度乗ったくらいでしょうか。おろち号はトロッコ車両に人が集まる中、悪天候時用の控車12系はリクライニングシートに改造されたくらいでほぼ元のままの12系に驚いた記憶があります。冷房も効いていて快適でした。おろち号も引退しちゃいましたから残念ですね。
20系は当初、エアサスのダンピングや戸閉め装置もブレーキ用のエアーから供給されてたんやけど設計陣の予想以上にエアーを食ってしまい試運転の際、ブレーキが効かないトラブルが発生した。そのため、各車両にベビーコンプレッサーを取り付けて対応するという非常に面倒臭い事になった。43-10改正で20系に電磁ブレーキ使用と同時に元空気ダメの引き通しがない機関車は基本的に牽引できひんっちゅう制約ができたけど臨時列車用っちゅう目的から12系に牽引機が限定されたら使いづらかったやろな
20系でドアエンジンを装備するのは後年12系と併結改造されたグループだけと記憶しておりますが?
@@steeldust-x2s 20系のドアは開くのは手動やけど戸閉めだけは車掌室のスイッチで一斉にできたから
@@dai2asakaze 車掌スイッチで操作できるのは電磁ロックだけで、高崎で動態保存の旧客同様だったはずです。そもそもデッキがあり頻繁にドアを開閉しない特急車に半自動機能の必要性はありません。
12系と言えば万博列車。1970年でも北陸線は、急行越前だって廃止になる1982年までずっと旧型車両だった。冷房が効いていて、酷暑の1970年だったから嬉しかったな。車両が余っていたんなら、越前に使って欲しかった。結局、ディーゼル発電機を積んでいるから、保守が難しかったでしょうね。急行能登も489系電車化の前は、14系で快適に福井に帰れた。いずれにしても、583系並みの折り畳みドアだったし、ブルトレみたいな色で当時斬新でしたよ。1973年急行きたぐに?北陸トンネル火災事故の次の年だな。抜擢されたというか、あれだけの大惨事を起こしていたからそうせざる得なかったでしょう。
12系客車には、いろいろ思い出があります。神奈川県の大学に通っていた時代、1981年から1987年まで、札幌の実家と神奈川県内の下宿やアパートまでの帰省で、最初のうちは、本州内は昼行や寝台の特急を使っていましたが、道南ワイド周遊券を使ったり、長期間尾規制で片道の切符を使うとき、上野発の夜行急行、十和田や八甲田を利用していました。年末や2月の帰省で乗車した上野発青森行きの列車は、12系の列車を使っていて、21時ころ発車だったので、帰宅を急ぐサラリーマンも急行券を購入して乗車していて、まあまあ混んでいました。でも、宇都宮当たりからは、サラリーマンのお客さんはほとんど下車していて、その先の、仙台、盛岡、八戸、青森を目指すお客さんでした。山陰地方を旅行した際、雑客の普通列車乗車時、コーラの空き缶を座席の下に挟んで傾斜を作って、手すりを枕代わりにすることを覚えてからは、もっぱら、12系の急行列車は、閑散期や車内が空いている場合、コーラの空き缶を使っての枕替わりで片側の席を占領して、楽な汽車旅でした。でも、年末の臨時八甲田だったか十和田に乗車した際、留置線に眠っていた予備車もフル動員したみたいで、上野から仙台までは良かったのですが、盛岡から先は車窓が雪景色になると、なんと暖房が故障していたらしく、室内が寒くてたまらず、終点の青森まで震えていました。そして、逆に正月3日に青森から上野へと神奈川県に戻る際は、青森発0:02だったので、青函連絡船を下車する前から、席取りで船内で並んでいて、船が青森に着岸してすぐ、急行八甲田が待機しているホームまで、駆け足ダッシュの青森走りになり、急行八甲田の自由席に乗っても、帰省客で車内が混んでいて、八戸、盛岡、仙台と停車するたびに、お客が乗ってきて、車内に立ち客がでて上野までそんな状態でした。ただ、東北新幹線が開業していたので、始発の新幹線で移動する方は、途中下車をしていました。あと、夏に長野県に行ってから、大阪経由特急白鳥~特急北斗で札幌に帰省する際、松本から大阪まで、夜行の急行ちくまに乗車した際も、12系と20系の混結編成だったのを思い出しました。当時の国鉄が、東北の夜行急行の体質改善で、14系客車を導入したことは、14系座席車の簡易リクライニングシートにロック装置がないことと、通路側に座って寝ると、頭をもたげる手すりが14系客車にはないため、夜行で長時間乗車する場合、かなり疲れた記憶があります。やっぱり、夜行急行はボックス席に限りますね。こんな昔の旅の記憶を、思い出しました。
なんだかんだで12系は残ってるけど、14系は消えちゃったね😅
寝台特急列車が無くなりましたからね。地域分割民営化の弊害とも。
12系は1970年の大阪万博輸送の国鉄エキスポ号のために制作されたというイメージが強いのですが。。
その後昭和52年にはスハフ12型の100番台が製造されて電源車の出力がアップして6両まで給電可能になっています。外観では屋根上のクーラーセキで判別できます。オハ12型とオハフ13型は続番になっています。
今度また大阪で万博が有るので12系を作ったら良いと思いました。
問題は牽引できる機関車が老朽化していることです。客車はづくっても機関車がないことだ。
JR東海では工事列車で機関車を牽くことも無くなり(レール輸送すら気動車)、機関車を運転できる人員も無くしました。このため東海道本線を牽引する客車列車の運行は不可能になりました。動力車操縦者免許上は電車や気動車と同じでも運転取扱に大きな違いのある機関車の運転士を養成するには手間が掛かるため、レール輸送等の工事列車の気動車化はJR東日本も実施しました。このため機関車の操縦はイベント向け蒸気機関車の機関士や車両の配給輸送用の限られた運転士だけになりそうです。
バラストを運ぶやつとか、新車廃車を牽引するやつとか、形式は電車とか気動車でも牽引したら良いと思いました。
若桜鉄道 DD16+スロフ12オロ12スロフ12運転に期待
90年代中盤くらいに上野→金沢で臨時夜行急行の加賀で乗りました。てっきり14系座席車が来ると思って12系が来てテンション下がった記憶あります。普通列車格下げも含め唯一乗った列車なので、もう少し味わって乗れば良かったと後悔です😢
夜行ですと正直14系のために簡易リクライニングシートより快適です。夜中にロックの効かない座席車を倒されてそのまま立つとかなりうるさく目が覚めてしまいました。シートピッチも狭く座席下の暖房カバーが邪魔で足も伸ばせず窮屈でした。空いていればいいですが!14系は夜行には向きませんでした。
特に、オハ12345が廃車になることが残念です。1両だけでもJR東日本か東武か大井川鐵道に行って欲しいです。
JR東日本だって12系客車は老朽化しているのでいつ廃車に至っても不思議ではない。SLばんえつ物語の12系客車も改造車なので客車を新製しないといつまでもつか?心配だ。特に12系以降の客車は軽量化されているので旧型客車に比べて陳腐化がおこりやすい。
今と違い機関車があったと言うのも大きそうですね。(当時はあまりにも当たり前で意識されなかったと思いますが)本か動画か忘れましたが「長期休暇時に余剰になる貨物用機関車を旅客用として利用するため」と言う理由も聞いたことがあります。(工場等がお休みになり貨物輸送が減るそうです。)それにしてもブレーキの解説、ここまでわかりやすいのは初めて見た気がします。
世代的に12系は東北から四国・九州まで乗ったが、何が素晴らしいかは未だにわからん😵🌀
2007年頃たまたま本庄駅で臨時快速奥利根号で12系客車編成で停車していたので機関車から12系客車全編成を撮影をしたかな今は懐かしいかな、😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
ちなみに私の場合は国鉄型12系客車は乗らなかったけどとりあえず12系客車臨時快速と臨時列車をたくさん撮影をしたかな今は懐かしいね😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
12系解説というより、鉄道のブレーキ装置解説として、分かり易くよくまとめられている。素晴らしい。
たまたま秩父鉄道12系客車が運転があつたので熊谷駅に向かったしばらくしてから秩父鉄道12系客車やってきたので熊谷駅で12系客車を撮影したよその後高崎線で本庄駅向かったしばらくしてから臨時快速奥利根号12系客車がやってきたので本庄駅で機関車と12系客車全編成を撮影をしたかなまるで12系客車のざんまいをした感じかな今はコロナの関係で出来ないかな今は懐かしいね😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
万博に行くときに始めて乗りました。当時小学校4年生の夏。長門54号か59号の夜行急行。全く期待をしていなかった。ボロ客車のエアコンなしの寄せ集め客車と完全に思い込んでた。それがホームに出てみると、発電機のゴーとい音が聞こえてきて窓が曇っている。子供心に心が躍る。本当に嬉しかったな。
当時急行ながとではなくて宮島ではないか?あるいは夜行急行音戸が12系座席車でした。なにか勘違いしているのでは?
おー、なんと素敵な言葉使い。
ジエアール西日本12系客車は全車東武鉄道と秩父鉄道に譲渡したほうがいいよ廃車するはまだ早いかなあとは部品取り用充てるほうがいいかな、ら😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊😊
12系客車新製の背景にはもう一つ理由があって、
当時、国鉄は貨物輸送が急激に需要が少なくなっていた。
そうなると、機関車が余剰気味であったことで、その結果、効率的に客車列車の増発設定をしたかった。。。
当時の急行用一般用の旧型客車は、営業最高速度は95 km/h、ドアは手動、車軸発電機のみの白熱灯等薄暗い車内、空調ナシ、振動のある金属バネ、貨車と同じ衝撃の強い自動連結器、自動空気ブレーキ、狭い座席間隔、等が普通だった。
ここら辺の所が全て一新されたのが12系客車だった。110km/hの最高速度、自動ドア、ディーゼル機関による電源搭載で明るい車内と空調完備、振動の少ない空気バネ、衝撃の緩和された密着自動連結器、新開発の応答性に優れたCL形応荷重機構付自動空気ブレーキ、余裕のある座席間隔等。これで牽引機の制約もなくなり、EF65等の新型電機牽引でも高速運転が可能になった。
12系客車は今となっては陳腐化してしまったが、これらのシステムは多方面に生かされ、当時としては急行形電車と同じような画期的な近代的客車だった。
もう一つ字幕式方向幕も初採用されています。急行型では!特急型では481系が確か最初で581系が続きました。それと客車では12系にユニット窓も採用されています。
何がスゴいかって、そりゃ「牽引車を選ばないところ」だろうな…と、模型鉄な自分が呟いてみる。
実際、SLが牽いても良し、ELが牽いても良し、DLが牽いても良し。
18きっぷで12系の普通列車には何度かお世話になったが、夏に乗ると寒いくらいよく効いた冷房が嬉しかった。何か、電車や気動車とはまた違う効き方だったんよね。
車内の製造者銘板の「新潟鐵工所 昭和44年」とかいうのを見ては、ああこの車両も大阪万博輸送で活躍して、当時も冷房付きで喜ばれてたんだろうな(脳内BGM:世界の国からこんにちは/三波春夫)、と往年をしのぶという楽しみ方も出来た(※動画の12系は大阪万博後世代だが、その代わり今日まで生き残れた)。
無理かもしれないけど、トキ鉄さんか大井川鐵道さんが譲受するとか、無いかしら。
東武も良いと思いました。
@@nakagaminobuhisa さん なるほど!!そのセン、結構、現実的かもしれません。
電磁直通ブレーキ打はない反応速度の速いブレーキ。
解りやすく解説頂いてありがとうございました。
エアコン付き、さらには自動ドアと当時の急行客車のスペックを完全に覆した車両でしたね。
西日本エリアでの乗車例はありませんが、つくば万博の臨時列車や碓氷峠廃止の際の臨時列車ではお世話になりました。
「みんな大好き『階段緩メ』」で盛大に吹いたw
12系のブレーキ装置はもともと10000系貨車向けに開発されたブレーキシステムで、ブレーキ力は貨車ほど強力で無くて良いので10000系貨車から電磁指令弁を抜いた構成をしています。
貨車での三動弁の固渋問題は深刻であり、またその整備も面倒を極めるものだったためメンテナンスの省力化を図る目的で滑り弁の代わりにダイアフラムを用いたのですが、これが結果として応答速度の向上としてメリットを享受できたのが12系客車だったのかも知れません。
牽引機を選ばないブレーキシステムという特徴はコンテナ貨車のコキ50000形にも使われましたが、こちらはブレーキ力の観点からブレーキシリンダーが大型化することから最高速度は95km/hで使用され、さらなる高速化には電磁指令弁が必須となりました。
それにしてもイベント列車の「北びわこ号」が無くなったのは、残念です。
12系客車は、スハフ車に、冷暖房用の三相電源用エンジンと、発電機の他に、ベルトで駆動する
車軸発電機も付いています。
12系と言えば、昔、急行「きたぐに」が旧型寝台+12系の編成だったころ、新潟以北で乗った経験が有る。
確かあの当時、急行「きたぐに」の寝台車は大坂-新潟間のみの運用で新潟以北は切り離していた為、寝台に乗っていた人間は新潟駅に着くまでに12系客車に移動する必要が有った(上りは当然逆で、新潟駅で寝台車に乗り換える必要が有った)。
私の場合、旧型客車切り離しのシーンが見たかったので新潟駅でそのシーンを見た後、移動していた。
確かに旧型客車に比べると快適だったと記憶している。
その移動めんどくさいですね。
もう乗り換え同然ですね。
サービスで割引とかあってほしいよね。
旧型客車はオロネまたはオロネフ10型を除いてエアサスではなくてコイルばねでした。またきたぐにと同時期に急行音戸下りの2号と上りの1号も座席車が12系客車に変わっています。昭和48年10月ダイヤ改正からです。それときたぐににはコマウサントウダイヤ改正までにグリーン車のスロ62型も外されました。
@@あさま189-t2o割引っつーか、どうせ大半の客は周遊券🎫やな😉
12系は万博へ向けて開発・製造した客車だが、線路上どこにでもあるあたりまえな車輌であることを忘れてはいけまい✋☺🚃
昔は至る所、各地で見られた。この客車は、どのカマが牽いても絵になった。
昔の客車を知らないと、12系の良さはわからないよね。
旧客無くなってクーラー付きの12系はいいなって思った。まぁ日本に於いてはもう客車が纏まって増備されることは無いですからね。タイにいて中国製の新車寝台車乗って、日本製でこう言う車両は産まれないんだろうとつくづく思った
12系と言えば、JR九州、筑豊本線の50系に1両だけ連結された12系に約1年だけ通学で、そしてJR西日本の奥出雲おろち号に1度乗ったくらいでしょうか。おろち号はトロッコ車両に人が集まる中、悪天候時用の控車12系はリクライニングシートに改造されたくらいでほぼ元のままの12系に驚いた記憶があります。冷房も効いていて快適でした。おろち号も引退しちゃいましたから残念ですね。
20系は当初、エアサスのダンピングや戸閉め装置もブレーキ用のエアーから供給されてたんやけど
設計陣の予想以上にエアーを食ってしまい試運転の際、ブレーキが効かないトラブルが発生した。
そのため、各車両にベビーコンプレッサーを取り付けて対応するという非常に
面倒臭い事になった。
43-10改正で20系に電磁ブレーキ使用と同時に元空気ダメの引き通しがない機関車は基本的に牽引できひんっちゅう制約ができたけど臨時列車用っちゅう目的から12系に牽引機が限定されたら使いづらかったやろな
20系でドアエンジンを装備するのは後年12系と併結改造されたグループだけと記憶しておりますが?
@@steeldust-x2s 20系のドアは開くのは手動やけど戸閉めだけは
車掌室のスイッチで一斉にできたから
@@dai2asakaze
車掌スイッチで操作できるのは電磁ロックだけで、高崎で動態保存の旧客同様だったはずです。そもそもデッキがあり頻繁にドアを開閉しない特急車に半自動機能の必要性はありません。
12系と言えば万博列車。1970年でも北陸線は、急行越前だって廃止になる1982年までずっと旧型車両だった。冷房が効いていて、酷暑の1970年だったから嬉しかったな。車両が余っていたんなら、越前に使って欲しかった。結局、ディーゼル発電機を積んでいるから、保守が難しかったでしょうね。急行能登も489系電車化の前は、14系で快適に福井に帰れた。いずれにしても、583系並みの折り畳みドアだったし、ブルトレみたいな色で当時斬新でしたよ。1973年急行きたぐに?北陸トンネル火災事故の次の年だな。抜擢されたというか、あれだけの大惨事を起こしていたからそうせざる得なかったでしょう。
12系客車には、いろいろ思い出があります。
神奈川県の大学に通っていた時代、1981年から1987年まで、札幌の実家と神奈川県内の下宿やアパートまでの帰省で、最初のうちは、本州内は昼行や寝台の特急を使っていましたが、道南ワイド周遊券を使ったり、長期間尾規制で片道の切符を使うとき、上野発の夜行急行、十和田や八甲田を利用していました。年末や2月の帰省で乗車した上野発青森行きの列車は、12系の列車を使っていて、21時ころ発車だったので、帰宅を急ぐサラリーマンも急行券を購入して乗車していて、まあまあ混んでいました。でも、宇都宮当たりからは、サラリーマンのお客さんはほとんど下車していて、その先の、仙台、盛岡、八戸、青森を目指すお客さんでした。
山陰地方を旅行した際、雑客の普通列車乗車時、コーラの空き缶を座席の下に挟んで傾斜を作って、手すりを枕代わりにすることを覚えてからは、もっぱら、12系の急行列車は、閑散期や車内が空いている場合、コーラの空き缶を使っての枕替わりで片側の席を占領して、楽な汽車旅でした。でも、年末の臨時八甲田だったか十和田に乗車した際、留置線に眠っていた予備車もフル動員したみたいで、上野から仙台までは良かったのですが、盛岡から先は車窓が雪景色になると、なんと暖房が故障していたらしく、室内が寒くてたまらず、終点の青森まで震えていました。
そして、逆に正月3日に青森から上野へと神奈川県に戻る際は、青森発0:02だったので、青函連絡船を下車する前から、席取りで船内で並んでいて、船が青森に着岸してすぐ、急行八甲田が待機しているホームまで、駆け足ダッシュの青森走りになり、急行八甲田の自由席に乗っても、帰省客で車内が混んでいて、八戸、盛岡、仙台と停車するたびに、お客が乗ってきて、車内に立ち客がでて上野までそんな状態でした。ただ、東北新幹線が開業していたので、始発の新幹線で移動する方は、途中下車をしていました。
あと、夏に長野県に行ってから、大阪経由特急白鳥~特急北斗で札幌に帰省する際、松本から大阪まで、夜行の急行ちくまに乗車した際も、12系と20系の混結編成だったのを思い出しました。
当時の国鉄が、東北の夜行急行の体質改善で、14系客車を導入したことは、14系座席車の簡易リクライニングシートにロック装置がないことと、通路側に座って寝ると、頭をもたげる手すりが14系客車にはないため、夜行で長時間乗車する場合、かなり疲れた記憶があります。やっぱり、夜行急行はボックス席に限りますね。
こんな昔の旅の記憶を、思い出しました。
なんだかんだで12系は残ってるけど、14系は消えちゃったね😅
寝台特急列車が無くなりましたからね。
地域分割民営化の弊害とも。
12系は1970年の大阪万博輸送の国鉄エキスポ号のために制作されたというイメージが強いのですが。。
その後昭和52年にはスハフ12型の100番台が製造されて電源車の出力がアップして6両まで給電可能になっています。外観では屋根上のクーラーセキで判別できます。オハ12型とオハフ13型は続番になっています。
今度また大阪で万博が有るので12系を作ったら良いと思いました。
問題は牽引できる機関車が老朽化していることです。客車はづくっても機関車がないことだ。
JR東海では工事列車で機関車を牽くことも無くなり(レール輸送すら気動車)、機関車を運転できる人員も無くしました。このため東海道本線を牽引する客車列車の運行は不可能になりました。
動力車操縦者免許上は電車や気動車と同じでも運転取扱に大きな違いのある機関車の運転士を養成するには手間が掛かるため、レール輸送等の工事列車の気動車化はJR東日本も実施しました。このため機関車の操縦はイベント向け蒸気機関車の機関士や車両の配給輸送用の限られた運転士だけになりそうです。
バラストを運ぶやつとか、新車廃車を牽引するやつとか、形式は電車とか気動車でも牽引したら良いと思いました。
若桜鉄道 DD16+スロフ12オロ12スロフ12運転に期待
90年代中盤くらいに上野→金沢で臨時夜行急行の加賀で乗りました。てっきり14系座席車が来ると思って12系が来てテンション下がった記憶あります。
普通列車格下げも含め唯一乗った列車なので、もう少し味わって乗れば良かったと後悔です😢
夜行ですと正直14系のために簡易リクライニングシートより快適です。夜中にロックの効かない座席車を倒されてそのまま立つとかなりうるさく目が覚めてしまいました。シートピッチも狭く座席下の暖房カバーが邪魔で足も伸ばせず窮屈でした。空いていればいいですが!14系は夜行には向きませんでした。
特に、オハ12345が廃車になることが残念です。1両だけでもJR東日本か東武か大井川鐵道に行って欲しいです。
JR東日本だって12系客車は老朽化しているのでいつ廃車に至っても不思議ではない。SLばんえつ物語の12系客車も改造車なので客車を新製しないといつまでもつか?心配だ。特に12系以降の客車は軽量化されているので旧型客車に比べて陳腐化がおこりやすい。
今と違い機関車があったと言うのも大きそうですね。(当時はあまりにも当たり前で意識されなかったと思いますが)
本か動画か忘れましたが「長期休暇時に余剰になる貨物用機関車を旅客用として利用するため」と言う理由も聞いたことがあります。
(工場等がお休みになり貨物輸送が減るそうです。)
それにしてもブレーキの解説、ここまでわかりやすいのは初めて見た気がします。
世代的に12系は東北から四国・九州まで乗ったが、何が素晴らしいかは未だにわからん😵🌀