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【補足】江戸幕府が対ヨーロッパの港まで限定したことについて…積極的に布教はしなさそうなオランダに対しても、幕府は油断はできませんでした。(そもそもカトリックとプロテスタントの区別がついていたかも微妙かも?)また戦国末期に貿易港で色々トラブルが多かったこともあって、管理しやすいように港を平戸・出島に絞ってそれ以外の出入りを禁止した、という背景があったそうな。【訂正】6:57 アメリカ大陸の南端は喜望峰じゃなくてマゼラン海峡もしくはドレーク海峡でした。申し訳申し訳。
島原の乱でオランダ艦隊が援護射撃したの今なら宗教戦争の一環だとわかるけど当時の幕府側にはマジで謎の行動と認識してた可能性があるのか
日本にもいろいろな仏教宗派があって対立関係があったのに、キリスト教にも宗派対立があってもおかしいとは思わんでしょ。特に当時のオランダのプロテスタンはカルヴァン派でかなり過激派。偶像崇拝禁止で本国の方でもカトリック教会襲撃して破壊しまくってた。十字架もキリスト磔刑なし。
@@oresama2621 スペインが庇護していたカトリック系修道士会のイエズス会やフランチェスコ会が当時の日本における島原等のキリスト教信者たちだったんで、彼らを憎悪、敵視していたオランダ系プロテスタントのオランダ東インド会社艦隊が幕府に与して援護射撃してくれても謎の行動なんて思っていないと思うぞ。 ある意味、欧州内の宗教対立がわかっていたからこそのカトリック信者あぶり出しの踏み絵実施もしていたわけで(蘭系プロテスタントは偶像崇拝禁止、偶像破壊していたから、偶像の象徴たるカトリック信者が崇拝するキリストやマリア像踏みつけるなど屁とも思わん)
こうした映像作成者による補足・訂正は上にコメント固定された方がよろしいかと存じます。
教義が全く違うので別宗教という認識はもってた模様@_@
この時代には日本は世界を視野に入れながら国の運営をしていたのが良く伝わりました。やはり徳川家だったから長期間にわたって国が維持できたんでしょう。しかし、どれだけの調査をしたらこれだけの動画が作れるのか感嘆します。
私はただ参考文献を読んだだけでして。本を書く先生たちは本当にすごいです。
@@old-mond とはいえ、これだけのエンタメに仕上げるのは、うぷ主の能力ですよ。
ありがたき幸せ
English (US)
投稿お疲れさまです。この頃って本当にいろいろな事情が絡み合ってたのですね。とても興味深かったです。改めて戦国時代の武将って戦が強いだけではダメで、内政も外交にも長けてないとならなかったんですね…。
あんまり知られてないけど、実は江戸幕府って末期でもアメリカの南北戦争とかペリーの来日時期を事前に良く調べてて、しっかり情報収集して外交に挑んでたとか。
殺されたイメージしかない井伊直弼も実はそうとう優秀だったりするんですよね。
rere popo精を出して情勢調査していても、幕府上層部の中でその情報が閉鎖されていて、当時の学者、知識人層ですらほとんどの人間はあまりよくわかっていなかったというのが困りものですね。少ない人間で知恵を出し合って混迷する上にその状態で独断専行するので市井が荒れて自分の首を絞める一方というか。
ペリー来航前のマンハッタン号事件とかビドル提督への乱暴狼藉を見る限り、江戸幕府はやはり硬直していて、うまい対応ができていたとは言えないと思う。
ま、オランダ風説書ずっと読んでたしね。ただナポレオンによってオランダが征服された時はその事風説書には書かれてなかったみたいだけどw。「流石に我が国征服されました」とは書けないからw
@@MarceRonald712 秀吉時代はオランダはそもそもスペインの植民地だからね。なんで、日本史でもきちんと教えないのだろう?慶長遣欧使節は、一仙台藩が派遣した軍艦だよ。仙台藩軍艦とスペイン艦隊の連合で、徳川家康に挑もうとした伊達政宗だ。しかし、スペインー英国の戦争でスペイン負けたから、独立できたオランダだ。この情報をいち早くつかんだ家康は、独立したオランダを使って、英国の東インド会社(英海軍)と取り引きを優先し、伊達政宗の野望をつぶしたんだ。オランダ商館って、実質英国東インド会社の極東支店。
家康vsビベロの百戦錬磨のキレ者同士の駆け引きは普通に面白いな。相手の条件を一部飲みながら自分の条件も一部飲んでもらうっていうのが強かさがあって好き。
逆にビスカイノは色々不運だった(;;)
すごく為になった。秀吉、家康。それぞれ思惑があっての行動だったとこの動画を見るまで想像もつかなかった。感謝。
秀吉から4部構成のシリーズでしたね。毎回とても興味深く拝見しましたし、目から鱗の知見もあって非常に勉強になりました。かなり労力を使って作成されたとのこと、質の高さに納得がいきました。ありがとうございます♪今後またエネルギーとお時間ができた際には、続きを作って下さると嬉しいです。いつもの軽め?動画も楽しみにしています。
正宗の使節団が、話だけはしばしば聞くけれども、経緯がすっ飛ばされている場合が多いので、人生においてやっと理解出来ました。ありがとうございます!日本史単独だと見えない話が良くわかり、これからも主の活動を応援しております!
家康の外交スキルが高すぎる。。。傑物なんだな、やっぱり。
このチャンネルも、海賊から始まり、いつの間にやら、日本の外交に話が移ってきていますね。 すごい!
当たり前かもしれませんが、名君と呼ばれるような偉人達は知的な好奇心が強い。
アレキサンダーやフリードリヒ大王、織田、孫子などなど
そもそもの話、当時の日本の体制を鎖国と言うなら当時の国家で鎖国していない方が珍しい日本と言う国家が現在まで存続出来ているのがどれ程の綱渡り外交を経ての事なのか、我々の先人たちの外交手腕がどれ程優れていたから成し得たのか、そう言う所まで学校でしっかり学ばせて欲しいですよね…
鎖国っていうのは江戸時代後期になってドイツの人が言った言葉を日本語訳したものだよね?確か。
ナショナリズムの結果論。諸外国と高理由して外に打って出てたら原爆を投下される側じゃなく投下する側になってたかもしれない。それが分からないなら20年くらいどこか別の国に住んできな。物事の見方が変わる筈だから。
この頃のガレオン船では東日本沿岸まで向かうのは大変だったのは想像に難くないですが、ほとんど漂着という形で付くのは想像以上黒潮は世界有数の高速海流だとうですが、それも関係しているのかなそしてこの250年後に無傷でその東日本沿岸に現れたペリー艦隊はすごかったんだなって
ガレオン船は帆船で完全に風任せ~ ですからね。発展途上とはいえ蒸気機関で航行できるペリーの船と比べるのは酷ってものでしょう。まぁ、ガレオン船は乗組員の忍耐力次第とはいえ順風が続けば一足飛びに太平洋を渡れるけど、蒸気船は補給基地が必要だし航続距離も短いしで太平洋は渡れず大西洋岸・インド洋岸に点在した補給基地経由でと大回りしていたいう苦労はあるんですけどね。
国内の商船もめちゃくちゃ苦労してたよ。黒潮から左に抜けて江戸湾に入るのがクソ難かったらしい。敢えて江戸湾に行くの諦めて茨城から利根川遡って川つたいで江戸に行くっていう航路を取る事もあったみたいだし。
4隻中蒸気艦は2隻だけだったらしいけどどう足並み揃えてたのか興味ある
素晴らしい動画をありがとうございました。当時の家康の対応力、外交力、分析力と状況判断力は凄まじいと感じますが、同時に外国勢も外国勢で海千山千の外交巧者が多いという印象を受けました。その上で、日本という立地と市場に対してどのような通商関係、外交関係を築けたかという点を見ても、1600年代におけるイギリス・オランダの飛躍と、スペイン・ポルトガルの失墜の根幹が視えてくるのではと感じました。新たに切り拓こうとする者達と、既得権益を守ろうとする者達、差というのは出るものなのですね。
まあオランダが日本市場獲得競争に勝ったのは宗教的な面もあるけどね。ゴイセン(プロテスタントのカルヴァン派)のオランダ人は布教ありきじゃなかった。カトリックのスペインからすると布教捨てて金儲け(貿易)に徹するのには抵抗があったからね。まあ勿論政治的背景が大きいのは確かだけど。アルマダ海戦負けて主力艦隊失った上に、ポトシ銀山の産出量激減したり価格革命で物価高騰したり戦争で出費が嵩んだりと国力、軍事力的にスペインが衰退してたのも大きい。
かなり詳細な解説ありがとうございます。お疲れのこと、お大事にされご自愛くださいませ、
すっごく内容濃くて面白かった👍考え直して、続きお願いw🤣
なぜオランダとの交易は続けたのか、ずっと謎だったけど詳しい背景から知らなかった出来事まで解説してくれてとてもわかりやすかった
日本は海に囲まれているおかげで外国から守られていたとよく言われますが、たしかに欧州のような地続きの場合と比べるとはるかに守りやすいとはいえ、それなりに防衛も侵攻も考えていたんですね。あと、長崎人なので、OP直後の出島の絵を見て「昔の海の形は現代と全然違うんだな」などと思ってしまいました。
よくある誤解。×日本は島国〇列島が一つの勢力に統一支配されてる期間が長いイギリスはアイル島とすら統一しきってないしスコットランド独立話もあったし現状に落ち着くにも時間かかったけどそれはなんでなの? キプロスはなんで代理戦争の島になっちゃってるの? ティモールはヨーロッパ人にもインドネシア人にも征服されたけどそれは彼らが何も考えてなくて莫迦だったからなの? 日本だけがよく考えたの?確かに日本は他より良く考えたかもしれない、じゃあ次にすべきはなんで良く考えられたのかを分析すべきなのに、みんなナショナリズム感情でおなか一杯になって俺ら優秀だからなって言って終わってしまっている。その慢心が次の滅びに繋がるというのに。分析の一つがこのチャンネルのコメ欄でも度々出てくる銃病原菌鉄でしょう。たまたま生産性の高い地理的条件だった事が大きいという見方。もし日本が北海道と本州と四国と九州で別々の国だったらあなたも全然違う事言ってるよね。本州の奴らむかつくとか、小島が乱立してるせいで列島民同士協力し合わないでアメリカ中国に漁夫の利をもってかれてるんだとか。でその状態にならないようにしたのが九州民的には島津家だろうけど、それも結果論という見方もすべきだし、地の利があったか(貿易で設けられたし幕府から遠くて日本を客観視もできた)という唯物的見方もすべきだし、優秀な人材が多かったと言いたいならなぜ他の班より優秀だったのかも掘り下げるべき。
こういう動画によって新しい発見があるたびに、嬉しさと同時に、今まで知らなかったという悔しさも覚える。
今まで全く知らなかった、江戸初期の外交史で、大変興味深く勉強させていただきました。キリスト教布教の存在は、利権問題と相当深く関わっていただようですね。
自分のような歴史好きがこの動画を見て、教科書だけでは「いわゆる鎖国」の経緯が一部しか述べておらず数十年も「?」となっていたのが氷解したが、「登録」しない理由が全く見当たらないくらい素晴らしい!コレ、小中学生に見せるべき最優先の動画の一つだわ。
歴史の教科書って情報量が少なすぎて理解が難しいです。
自然な導入で気持ちよく視聴できました
日本は本当にラッキーだった。まず信長から家康まで優秀な王が常にいてくれたこと、江戸幕府がスペイン・ポルトガルの本格的な日本進出に間にあったこと。そしてたまたま立場の弱いオランダが日本と仲良くしてくれて、布教にこだわらなかったこと。おかげで侵略されずにすんだね
いやそもそも日本と欧州じゃ軍事力が違う。スペインやポルトガルの国力では、日本を攻め落とすなんて不可能でしょう。
むしろ家康の時代はスペインとオランダの力関係逆転してたよw。布教にこだわらなかったのは宗教的要因。現世で何しようが天国行けるかは既に決まってる(予定説)って考えてたから布教してもしなくても天国行けるかは関係ない。なら目の前の仕事(商売)に集中すれば良い。布教捨てて金儲けするのに抵抗がなかったってわけ。当然ビジネスを考えれば布教して相手との関係悪化するのはデメリットでしかないからする必要はないわけで。
主語抜けてたけど、予定説信じてたのはオランダ人ね。オランダ人の殆どはゴイセン(カルヴァン派プロテスタント)だったから。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
面白い動画でした軽く触れられていましたが、タイミング的に島原の乱はフィリピン侵攻を防ぐ為に画策されたようにも思えますね
ワンチャンあるかもしれないですね。あと原因の一つとなった藩主が重税取り立ててたのもフィリピン出兵を考えてたからかな?なんて思いました。
徳川海軍の和製ガレオン船の建造技術が途絶えてしまったのはめちゃくちゃ残念。ひょっとしたら徳川ガレオン艦隊がインド太平洋の制海権を掌握して世界史が変わったかもしれん。
素晴らしい動画、教科書より100万倍おもしろく楽しめました。
リーフデ号事件の流れで、西洋の船を作ってあげたのは造船技術欲しさっていうのもあったと知り納得できた。
家康はキリスト教宣教師から「あなたの名前(イエヤス)は我々の崇める神の子(イエス。古代ラテン語ではより『イエヤス』により近い発音『イエスース』であった)と同じだ!」と聞かされて大変気をよくし、一時はキリスト教(イエス教)の国教化まで考えた・・・・・・ とかいう今パッと考えた大嘘\( 'ω')/
よくもだましたァァァァァァァ!!!
一瞬騙されたー
朝鮮出兵の動画、日本人奴隷貿易の動画、そして今回の動画と日本を世界史から見る事の面白さを知りました!ライフが0にならない程度に……また解説動画を…………🙏
面白い!日本は外交下手ではなかった
秀吉と家康の動画が最も面白いから何回も視聴してますよ。友人にも転送してます。ご足労した分、本当に興味深いです。
ありがとうございます!
政宗の話めっちゃ面白そう!楽しみにしてます!
以前の秀吉の朝鮮出兵の考察といい素晴らしい解説をありがとうございます。日本も別にキリスト教ヤバイ→即鎖国というわけではなく、紆余曲折あって鎖国と呼ばれる体制になったに過ぎなかったのですね。あ、最初の茶番も素晴らしかったです。今後の動画も楽しみにしています。ライフがゼロにならないようお気を付けください。
幕府って頭カッチカチで閉鎖的な人ばっかりだと思ってたけど西欧とバチバチにやり合って有能しかいない政府だったのすげぇ
徳川幕府の政治や役人の質が低下するのは、松平定信による「寛政の改革」によるところが大きいでしょう。あの政策で余りにも朱子学偏重・原理主義化を進め過ぎてしまいましたから。
徳川家康が日本史上最高の政治家と言う教授もいるくらいですからね(二番目は源頼朝、三番目は伊藤博文とかなんとか)
明治政府にも幕臣出身の人割といるしね。
分かりやすくて助かりました。有難うございます。少し穿った見方をすると、大御所・家康の最大のミスは、家康位の外交観、交渉力を持つメンバーを江戸幕府には残せなかったこと、ということですね。19世紀を見るとそれをひしひしと感じます。
江戸幕府だけでなく、その後の明治政府や戦後の日本政府にも残して欲しかったw
ゆっくりモンドちゃんねるさんの、まとめ力に脱帽😄👍🌟ほんと分かりやすいし、非常に筋が通っているし、トークはコミカルで飽きないし、素晴らしいですね。姉妹チャンネルも時々見させていただいてます。
そうそう、1580~1620年頃の欧州史知ってると東アジアの貿易の主役がスペイン⇒イギリス⇒オランダと移り変わってるんだよね。後秀吉もだが信長の海外進出が所詮夢物語だと実感するのが船の構造の違いが決定的なんですよね。個人的にはもし織田政権が樹立したとしても本格的な海外進出は秀信政権で漸くってIF考えてました。
後の幕府の政策や後世の作家らの影響で頭の固い保守的な印象持たれてるけど、実際はこの時代での日本で屈指の国際派と言う秀吉の次に台頭したのが家康だった事は日本にとって幸運だった(豊臣にとっては不運だが
作家らの描写に真実味がある気がします。家康は臣下や民衆にまで文化的な開放を許していたような振る舞いは見られませんから、他の西国や東海などの大名たちとは大きく違います。徳川家による独占を進める頑固で怒りっぽい人というイメージですね。王者の余裕、覇者の貫禄みたいなものが見られない、余裕の無さがあると思います。信長・秀吉と違って現実が能く見えていたシビアな政治家とも言えますね。
まあ朱印船貿易じゃんじゃんやってたしねー。今は日本史でも家康は結構国際派って感じで教えてるよ。
私の持論なんだが、小中高の歴史でザビエルによる「キリスト教伝来」は「カトリック伝来」と呼ぶように変えてほしい。それだけで当時の西欧の政治事情とか本動画のようなオランダ(と英国)が当時の日本政府とうまくやれたかが理解できる
それはおっしゃるとおりですね。
日本史世界史選択だったからその辺はめちゃくちゃ理解できたけど、小中は日本史メインだし、高校も日本史選択の人はキリスト教の宗派とかあんま分からないだろうから「カトリック伝来」って教えた方が理解できそう
ここら辺の各国の貿易の駆け引きは面白いですね
勉強になりました。
面白すぎます!
はえ~すごい勉強になりましたしかし、日本にとっては太平になりきっていない時代に外国からのアプローチがあって良かったですね戦国を生き抜いてる武将たちは賢いというか、したたかですなガチガチの武士たちを見て侵略が難しいと思わせれたのも良かった
その後250年の平和ぼけで軍事力が全く進化しなかったしねー。バチバチの宗教戦争やナポレオン戦争など(第二次英仏百年戦争)経験してきた英仏やイギリスと壮絶な独立戦争経て独立したアメリカとは大違い。日本なんか250年経っても平気で火縄重税使っちゃうレベルだからね...平和って皮肉。平和なのに自衛隊に防衛費しっかり積んじゃってるのも仕方ないのかななんて考えちゃうw
動画内では現在のフィリピンの領域にあったスペインの植民地を「スペイン領フィリピン」と呼称していますが正式な名称は「スペイン領東インド」です
昔のヨーロッパ人にとって、東の果てにある常夏の土地はみんなインドって呼んでいたのですかね。
アメリカは西インドだしね
秀吉の動画といい、これも世界史の副教材として使える内容。
この時期にオランダが来てくれるのはホント幸運だと思う、何せ17世紀はオランダの黄金時代で世界の中でも先進的な国だったからね
この頃(17世紀初頭)は覇権国がスペインからオランダに変わるころですね。
あとアンボイナ事件でイギリスを東南アジアから駆逐してくれたのも大きい。それによって東アジアにも来れなくなって、19世紀のアヘン戦争まで我々に関わる事がなかった。当のオランダもすぐに英蘭戦争に負けて衰退したから日本植民地化する余裕なんてなかったし。オランダの餌食になったのはインドネシアだけだったからねw
わ、また面白そうな題材持ってきてる。この人ただもんじゃないな(笑)初めてリマインダーオンにしたわ(笑)
サムネにあまり興味を惹かれず見る意欲が湧かなかったが冒頭の茶番でがっつり心をつかまれたw動画作るのって大変だねえ。
御宿の海岸に漂着した船がいたのは聞いてましたが、茨城県久慈浜にも漂着してたとは初めて知りました。
独眼鉄先輩いいヒトだし、相談すれば親身になってくれそう。
内戦を150年もやってて、最終的にそれを治めた連中だろ?外交力も交渉力もあるし、下手すりゃラスボスだらけじゃねえか、よく考えたら凄い時代だな
独眼鉄…🤣👍。学校授業では教わらなかった事ばかり。すごく勉強になりました。秀吉といい家康といい、独断採決する人がいると交渉もトントン進みますね。まあ細かい調整はあるんでしょうけど、それでも速い。
なおビスカイノは伊達政宗に気に入られ、仙台城の作りも難攻不落と絶賛。測量作業中に慶長三陸地震に遭遇したが、船上だったので助かった。なんとか陸地に帰るも村落は壊滅、丘の上にあって無事だった村長の家で持てなされ、事態が事態なだけあって伊達政宗に会おうとしたが政宗は事態に対処中で入れ違いになったり。その後に取引がふいになったので……。
世界史を学んでから日本史を眺めると、戦国から江戸時代にかけての日本の外交センスの良さに驚かされる。確かに「鎖国」なんてトンデモない言い方で、このタイミングでスペインとオランダを天秤にかけて、結局オランダを選べているのは、どう考えても当時のヨーロッパ情勢をかなり深く研究分析していた成果だろう。現在から眺めている俺達は、ここで付き合う相手を間違えていたら日本は大きな騒乱に巻きまれていただろうと想像できる。そして、この時代に結果を知らずに間違いを選択しなかったのは、結構凄いって事も。ぶっちゃけ、日本が外交のセンスを無くしてしまうのは明治以降だ。
ただオランダの没落以後もこの段階での外交関係を固定してしまっていたため当のオランダ人自身が「(出島に来て)ここは時が止まっている!(※)」と驚愕したという話が伝わっています 余談ですがこの『外交関係の17世紀での固定』が逆に(当時の)オランダに僥倖(?)を呼んだ事例としてナポレオン戦争時点でオランダは本国はおろか植民地各国も主権を喪失したことがあったのですがその段階でも出島は『(旧)オランダ主権下の外交施設』という立ち位置で国旗を掲揚し続け(『オランダの消滅』を出島側は江戸幕府には伝えなかったものの江戸幕府は『うっすら』その辺の事情は理解していて『黙認(旧オランダ政府を積極的に支持はしないが旧オランダ政府との外交関係は撤回しない)』していたらしいです)国際的には世界に残った(旧)オランダ領が『唯一のオランダ政府主権地域である出島』であったと認識される(異論もあります(※2))時代がしばらくあったという事です(^_^;) ※儀礼のためなのかに100年以上前の古臭い服装と生活道具を意図的に使用し続けていたのを本国人が見てビビったらしいです※2、無論出島が『オランダ領であった』という話ではなく、出島の商館が『日本政府(江戸幕府)施政下で外交特権たる治外法権を有するオランダ施設』、平たく言って『公的外交施設だったかどうか?』という話です。その場合(公的外交施設とする場合)『亡命政府』的な扱いにもなりえる(少なくともその統治の一端ではある)・・・という話ですね
明治時代には凄まじい外交センスを持っていますよそうじゃないとあの文明国以外全員奴隷化OKの大植民地時代に生き残れませんので…
勢いづいていたとはいえ約30年後に崩壊するプロイセンの憲法採用したり、満州国なんか作って国際社会敵に回したり、敗戦国となるファシズム陣営に加わったり...条約改正交渉も苦戦したしね。ただ最終的にはイギリスとロシアの敵対関係を上手く使って成功したけど。
ものづくりを国産化することはすごいこと
日本がラッキーだったのは、三浦按針が布教活動をしないプロテスタント人だったからです。
当初は「鎖国」とは言えない体制だったけど、この言葉を志筑忠雄がつくった19世紀初頭にはすでに幕府もこの意義を忘れていたんですよね。二百年経つころには、貿易をするための制度だったものが、貿易をしないための制度だと考えられる様になったんです。
幕末になると「鎖国は家康公以来の”祖法”だからかえちゃいかん」と信じられていたからなあ実際は祖法どころか鎖国と言う言葉さえ幕末近くになって生まれた概念だし
所謂「鎖国」は、スペイン・ポルトガルとの断交より寧ろ一般民衆の出入国禁止の方が重要のような気もします。
気が向いたら、とか、ついでのレベルで、いつになってもいいから、この話の続き聴きたい。ゆっくりやってね。^^)
家康の外交史って全く知らされないですよね
家康、秀忠、家光の江戸幕府3連コンボに付け入る隙は無いわな。
さようせい様こと4代家綱の時ならワンチャンあったかもw
欧州史視点で見て旧教国が新教国に徐々にやられていった経緯と理由がわかる
宗教寛容って大事だなとつくづく思うよね。フェリペ2世といいルイ14世といい宗教戦争しすぎて赤字財政となって衰退したし。アウラングゼーブもヒンドゥー教弾圧したせいでムガル帝国衰退してイギリスの餌食になったし。
慶長遣欧使節、期待してます
歴史番組で、日本は実は鎖国なんかしてなかったんですみたいな話が出ることがありますが、話の前提から間違っているんですよね。解説の最後にあるように、まさにリスクとメリットの取捨選択の結果。しかし後に密貿易が儲かるとあって横行、取り締まりの厳しさから鎖国じゃないかとなったのも無理からぬことではありますが。
まあペリーが通商求めてきた時に我々はオランダ、清としか貿易してこなかったから...なんつって「考えさせてくれ」ってなったけど、家光はオランダとだけやれなんて思ってないもんねw。スペインとの貿易を捨てただけで。
情報の少ないこの時代でも対外に関してこの程度の情報の取捨選択は出来て対等に渡り合っていた。2023現在の保身しか考えていない政治家や官僚が学んでほしい外交術!
茶番マジで好き笑笑
信長・秀吉・家康はスペイン・ポルトガルの危険度は認識してたけど、距離の防御があるからこそリスクとリターンをちゃんと計算してたと思う
大河ドラマどうする家康もここらへんやるのかな、この動画くらい面白いといいけど期待
まさかの仙台藩貿易拠点化ってやっぱすげー発想だわ
やっぱりこのチャンネル最高です!信長、秀吉もそうでしたが、戦国時代に切磋琢磨して?頂点に立った人達はみんな冴えていますね。最後に出来上がった体制の出来が良すぎてそのまま250年も通用してしまったのが不幸と言えば不幸でしょうか?
軍事力も進化しなかったしねー。度重なる宗教戦争で鉄砲や大砲など武器が次々に進化してた欧州に比べ、平和だった日本は250年経っても平気で火縄銃使っちゃうレベルだった。
江戸時代において、四つの外交窓口があった。長崎と対馬と薩摩経由の琉球と松前経由のロシア外交。長崎からの情報の信憑性が、特に半島や琉球からの情報で、担保されていた可能性がある。特に半島からくる船員の中に、大陸の情報を持っている船員がいた可能性がある。会話や書類は、漢語であり、半島でも大陸でも違いはなかった時代でもある。
今では鎖国という呼び方ではなくて、完全に閉ざしきってない海禁政策という認識に変わりつつあるそうですね。
いずれ教科書でも鎖国って使われなくなるのかな。俺去年まで高校生だったけど俺の教科書にはまだ鎖国って書かれてたけど。
支倉常長!やりましょう。ジャガーさんを!
長崎交易になったのは、船がそこまでしか安全に行けなかったからなのか。蒸気船が来るまでは 、日本は海流に守られ続けていた。
黒潮の流れがクソ速いからねw太平洋を時計回りで循環してるけど、日本側は海流のカーブが急で速いんだよねw。アメリカ側は緩やかなカーブだからそうでもないけどw。貿易風と偏西風の影響でそうなってる(高校の地学基礎でちょろっと習いやしたw)。
@@MarceRonald712 日本やスペインが黒潮大蛇行を知って警戒してたら胸熱
ウィリアムと言えばゲーム「NIOH」で主人公に取り立てられてましたね按針とは航海士、海の案内人でありそこから名前を取ったとも……
こういう背景に興味を持ってわかりやすく学べるというのはなかなかすごいことですね。動画内容とは関係がないので申し訳ないのですが、「オランダとイギリスのアジア貿易参入」の部分で使用されているBGMは何なのか教えて頂けないでしょうか?自分で探そうとも考えたのですが、引用元のサイトのURLのみとなるとなかなか………。
イギリスとかは貿易不振で自分から撤退してったんだよなあ…新興国だったオランダも、このあと幕府にとっても既得権益のようになり、オランダ側も側でナポレオン戦争で滅んでた時期でも建前はオランダ名乗らざる得なかったり・・・
イギリス東インド会社は経営不振で長崎の商館閉鎖して撤退、出島に移設にはならなかったからなあ。ただイングランド本国も秀吉時代にカトリック女王になりスペイン王との婚姻で共同統治、スペイン・イングランド連合王国となったり、その後もイングランドはカトリック王と国教会王対立でゴタゴタ続き、王制廃止派のプロテスタントが国王処刑しての共和制イングランドになったりと不安定すぎた。
大航海時代の船乗りはすごい タフさが同じ人間とは思えない
せめて欧州各国に幕府の公使館を置いて金銀の相場情報を集めるべきだったな。換金レートを知らずオランダに金銀を吸い取られてしまった。数か国と同時に国交を結んだ状態を維持した方が各国の人物が情報を得やすかったのに
金銀銅の国内交換レートで貿易商売やったもんだから、オランダ側も商社だから、幕府相手に大儲けできるゆえに国外交換レートを秘匿し続けたw 本国消滅情報も秘匿してたかもな。
欧州との貿易も視野に入れていた家康だが、松平定信のころには、「神君家康公からの遺訓により鎖国」になっていく謎。
検討だけで終わらないところが優秀
家康とビベロのやり取りはワクワクしますね。狐と狸の化かし合いというか三国志演義のような裏の読み合いが高度で言葉も出ないですが楽しいです。歴史にifは無いと言いますが、もし関ケ原の合戦に秀忠が上田城を素通りして間に合っていたら、外様大名に豊かな九州から追いやれていたらどうだったのかと思う。江戸時代鎖国していて世界の情勢に遅れていて明治維新によって近代化出来たみたいに思われていますが、近年改まっているようですね。鎖国という言葉も教科書から消す動きもあるようですが、あまりにも浸透しすぎていて消せないなど聞いたことがあります。きちんと貿易をしていたため、大陸の病気に対しても免疫を獲得していてインディアンみたいにならず、また植民地にもならずにわたり合えたのかなとも思う。
独眼鉄で吹いた。貴様も強敵と書いて友と呼びそうだな。
スペイン船って日本船より遭難しやすいのかな確率的に高そう
船の性能はこの当時間違いなくスペインがトップだったと思います。単に土地勘の問題かなあと。
船乗りを含めてもスペイン船の方が安定してますか?
日本の船も遭難しまくってたぞw江戸時代大阪から江戸に向かう航路でどれだけの船が遭難したことか...船の性能ではなく、チート級に速すぎる黒潮のせいかと。
江戸時代初めに日本製のガレオン船があったなんて凄いですね調べたら、せっかく復元したのに修理技術が失われたから解体とは・・・
なんという事だw
8:58 ニンジャスレイヤーの祖先
戦国時代の日本ってそこら中でバンバン戦をしてて戦闘に慣れてるからスペインが派兵したところで多勢に無勢でやられ損なんだよねぇ😅しかも当時蒸気エンジンすら無い時代で本国からだと何ヶ月もかけて移動しないとダメだから到着する頃には疲弊しきって士気もだだ下がりというね😁
テレビでもやってた歴史ですね。スペインの布教前提貿易では家康も相当警戒したはずですね。純利益思想のオランダの出現は渡りに船、だったろうし。家康の交渉力、先見力には驚きます。このときオランダから派遣されたビジネスマンにして重要人物のジャック•スペックスも紹介してほしいです。
ゴイセンのオランダ人は予定説(現世で何しようが予め天国行けるかは決められてる説)信じてたから布教しないで目の前の仕事(商売)に集中できたもんね。布教捨てて金儲けしたって何の問題もない。
面白かったです。長年続く戦国の世は、世界的に見ても屈指の軍事大国をつくっていたのですなあ。最後が家康で本当に良かった。人生とは重き荷を背負うて行くがごとし、急ぐべからず。ところで秀吉の件以降、豊臣方は外国に避けられていたのだろうか。
多分、秀吉が死んだ時点で次のボスは家康だと認識されていたので、外国勢は豊臣と付き合う理由はなかったのでしょうね。
いい動画
アカプルコと聞くと「恐怖のハイダイビング!成功です!アデラーンースー♪」を思い出す
NHK等はAIの考えを採用すると言っても、そのまま信じては駄目だろう、神の正しさに照らし合わせねば間違うだろう
ビスカイノたんかわいい
そんなこと全然学校で習わなかった。日本での船舶建造なんて甲板に瓦葺きの城が建っていたりするイメージだったのでびっくり。
教科書では知ることができないことができて幸せだ教科書だとたしかに受験の勉強にはなるけど、このチャンネルのように「もしかしたら?」と考える余地がないのが残念だ。まあ、残念なのは学生当時あんまり勉強熱心でなかった私自身ではあるが・・・。
大日本帝国構想はすでにあったんですね
山本七平「徳川家康」、お勧めします。
中の人のライフがゼロのところに何だけど、史料批判をきちんとこなせばこの動画の内容はそれなりに学術的なものになるんじゃないのかしら
やっぱり、政は、愛知県民が秀でているかもしれない。
間違いないwww2大都市である東京と大阪の繁栄に大きく貢献したのも愛知県の2人だしねw
【補足】江戸幕府が対ヨーロッパの港まで限定したことについて…積極的に布教はしなさそうなオランダに対しても、幕府は油断はできませんでした。(そもそもカトリックとプロテスタントの区別がついていたかも微妙かも?)
また戦国末期に貿易港で色々トラブルが多かったこともあって、管理しやすいように港を平戸・出島に絞ってそれ以外の出入りを禁止した、という背景があったそうな。
【訂正】6:57 アメリカ大陸の南端は喜望峰じゃなくてマゼラン海峡もしくはドレーク海峡でした。申し訳申し訳。
島原の乱でオランダ艦隊が援護射撃したの今なら宗教戦争の一環だとわかるけど当時の幕府側にはマジで謎の行動と認識してた可能性があるのか
日本にもいろいろな仏教宗派があって対立関係があったのに、キリスト教にも宗派対立があってもおかしいとは思わんでしょ。特に当時のオランダのプロテスタンはカルヴァン派でかなり過激派。偶像崇拝禁止で本国の方でもカトリック教会襲撃して破壊しまくってた。十字架もキリスト磔刑なし。
@@oresama2621 スペインが庇護していたカトリック系修道士会のイエズス会やフランチェスコ会が当時の日本における島原等のキリスト教信者たちだったんで、彼らを憎悪、敵視していたオランダ系プロテスタントのオランダ東インド会社艦隊が幕府に与して援護射撃してくれても謎の行動なんて思っていないと思うぞ。 ある意味、欧州内の宗教対立がわかっていたからこそのカトリック信者あぶり出しの踏み絵実施もしていたわけで(蘭系プロテスタントは偶像崇拝禁止、偶像破壊していたから、偶像の象徴たるカトリック信者が崇拝するキリストやマリア像踏みつけるなど屁とも思わん)
こうした映像作成者による補足・訂正は上にコメント固定された方がよろしいかと存じます。
教義が全く違うので別宗教という認識はもってた模様@_@
この時代には日本は世界を視野に入れながら国の運営をしていたのが良く伝わりました。やはり徳川家だったから長期間にわたって国が維持できたんでしょう。しかし、どれだけの調査をしたらこれだけの動画が作れるのか感嘆します。
私はただ参考文献を読んだだけでして。本を書く先生たちは本当にすごいです。
@@old-mond とはいえ、これだけのエンタメに仕上げるのは、うぷ主の能力ですよ。
ありがたき幸せ
English (US)
投稿お疲れさまです。この頃って本当にいろいろな事情が絡み合ってたのですね。とても興味深かったです。改めて戦国時代の武将って戦が強いだけではダメで、内政も外交にも長けてないとならなかったんですね…。
あんまり知られてないけど、実は江戸幕府って末期でもアメリカの南北戦争とか
ペリーの来日時期を事前に良く調べてて、しっかり情報収集して外交に挑んでたとか。
殺されたイメージしかない井伊直弼も実はそうとう優秀だったりするんですよね。
rere popo
精を出して情勢調査していても、幕府上層部の中でその情報が閉鎖されていて、当時の学者、知識人層ですらほとんどの人間はあまりよくわかっていなかったというのが困りものですね。少ない人間で知恵を出し合って混迷する上にその状態で独断専行するので市井が荒れて自分の首を絞める一方というか。
ペリー来航前のマンハッタン号事件とかビドル提督への乱暴狼藉を見る限り、江戸幕府はやはり硬直していて、うまい対応ができていたとは言えないと思う。
ま、オランダ風説書ずっと読んでたしね。ただナポレオンによってオランダが征服された時はその事風説書には書かれてなかったみたいだけどw。「流石に我が国征服されました」とは書けないからw
@@MarceRonald712 秀吉時代はオランダはそもそもスペインの植民地だからね。
なんで、日本史でもきちんと教えないのだろう?
慶長遣欧使節は、一仙台藩が派遣した軍艦だよ。仙台藩軍艦とスペイン艦隊の連合で、徳川家康に挑もうとした伊達政宗だ。
しかし、
スペインー英国の戦争でスペイン負けたから、独立できたオランダだ。
この情報をいち早くつかんだ家康は、独立したオランダを使って、英国の東インド会社(英海軍)と取り引きを優先し、伊達政宗の野望をつぶしたんだ。
オランダ商館って、実質英国東インド会社の極東支店。
家康vsビベロの百戦錬磨のキレ者同士の駆け引きは普通に面白いな。相手の条件を一部飲みながら自分の条件も一部飲んでもらうっていうのが強かさがあって好き。
逆にビスカイノは色々不運だった(;;)
すごく為になった。
秀吉、家康。それぞれ思惑があっての行動だったとこの動画を見るまで想像もつかなかった。感謝。
秀吉から4部構成のシリーズでしたね。毎回とても興味深く拝見しましたし、目から鱗の知見もあって非常に勉強になりました。かなり労力を使って作成されたとのこと、質の高さに納得がいきました。ありがとうございます♪
今後またエネルギーとお時間ができた際には、続きを作って下さると嬉しいです。いつもの軽め?動画も楽しみにしています。
正宗の使節団が、話だけはしばしば聞くけれども、経緯がすっ飛ばされている場合が多いので、人生においてやっと理解出来ました。ありがとうございます!
日本史単独だと見えない話が良くわかり、これからも主の活動を応援しております!
家康の外交スキルが高すぎる。。。傑物なんだな、やっぱり。
このチャンネルも、海賊から始まり、いつの間にやら、日本の外交に話が移ってきていますね。 すごい!
当たり前かもしれませんが、
名君と呼ばれるような偉人達は
知的な好奇心が強い。
アレキサンダーやフリードリヒ大王、織田、孫子などなど
そもそもの話、当時の日本の体制を鎖国と言うなら当時の国家で鎖国していない方が珍しい
日本と言う国家が現在まで存続出来ているのがどれ程の綱渡り外交を経ての事なのか、我々の先人たちの外交手腕がどれ程優れていたから成し得たのか、そう言う所まで学校でしっかり学ばせて欲しいですよね…
鎖国っていうのは江戸時代後期になってドイツの人が言った言葉を日本語訳したものだよね?確か。
ナショナリズムの結果論。諸外国と高理由して外に打って出てたら原爆を投下される側じゃなく投下する側になってたかもしれない。それが分からないなら20年くらいどこか別の国に住んできな。物事の見方が変わる筈だから。
この頃のガレオン船では東日本沿岸まで向かうのは大変だったのは想像に難くないですが、ほとんど漂着という形で付くのは想像以上
黒潮は世界有数の高速海流だとうですが、それも関係しているのかな
そしてこの250年後に無傷でその東日本沿岸に現れたペリー艦隊はすごかったんだなって
ガレオン船は帆船で完全に風任せ~ ですからね。発展途上とはいえ蒸気機関で航行できるペリーの船と比べるのは酷ってものでしょう。
まぁ、ガレオン船は乗組員の忍耐力次第とはいえ順風が続けば一足飛びに太平洋を渡れるけど、蒸気船は補給基地が必要だし航続距離も短いしで太平洋は渡れず大西洋岸・インド洋岸に点在した補給基地経由でと大回りしていたいう苦労はあるんですけどね。
国内の商船もめちゃくちゃ苦労してたよ。黒潮から左に抜けて江戸湾に入るのがクソ難かったらしい。敢えて江戸湾に行くの諦めて茨城から利根川遡って川つたいで江戸に行くっていう航路を取る事もあったみたいだし。
4隻中蒸気艦は2隻だけだったらしいけどどう足並み揃えてたのか興味ある
素晴らしい動画をありがとうございました。当時の家康の対応力、外交力、分析力と状況判断力は凄まじいと感じますが、同時に外国勢も外国勢で海千山千の外交巧者が多いという印象を受けました。
その上で、日本という立地と市場に対してどのような通商関係、外交関係を築けたかという点を見ても、1600年代におけるイギリス・オランダの飛躍と、スペイン・ポルトガルの失墜の根幹が視えてくるのではと感じました。
新たに切り拓こうとする者達と、既得権益を守ろうとする者達、差というのは出るものなのですね。
まあオランダが日本市場獲得競争に勝ったのは宗教的な面もあるけどね。ゴイセン(プロテスタントのカルヴァン派)のオランダ人は布教ありきじゃなかった。カトリックのスペインからすると布教捨てて金儲け(貿易)に徹するのには抵抗があったからね。
まあ勿論政治的背景が大きいのは確かだけど。アルマダ海戦負けて主力艦隊失った上に、ポトシ銀山の産出量激減したり価格革命で物価高騰したり戦争で出費が嵩んだりと国力、軍事力的にスペインが衰退してたのも大きい。
かなり詳細な解説ありがとうございます。
お疲れのこと、お大事にされご自愛くださいませ、
すっごく内容濃くて面白かった👍
考え直して、続きお願いw🤣
なぜオランダとの交易は続けたのか、ずっと謎だったけど詳しい背景から知らなかった出来事まで解説してくれてとてもわかりやすかった
日本は海に囲まれているおかげで外国から守られていたとよく言われますが、たしかに欧州のような地続きの場合と比べるとはるかに守りやすいとはいえ、それなりに防衛も侵攻も考えていたんですね。
あと、長崎人なので、OP直後の出島の絵を見て「昔の海の形は現代と全然違うんだな」などと思ってしまいました。
よくある誤解。
×日本は島国
〇列島が一つの勢力に統一支配されてる期間が長い
イギリスはアイル島とすら統一しきってないしスコットランド独立話もあったし現状に落ち着くにも時間かかったけどそれはなんでなの? キプロスはなんで代理戦争の島になっちゃってるの? ティモールはヨーロッパ人にもインドネシア人にも征服されたけどそれは彼らが何も考えてなくて莫迦だったからなの? 日本だけがよく考えたの?
確かに日本は他より良く考えたかもしれない、じゃあ次にすべきはなんで良く考えられたのかを分析すべきなのに、みんなナショナリズム感情でおなか一杯になって俺ら優秀だからなって言って終わってしまっている。その慢心が次の滅びに繋がるというのに。分析の一つがこのチャンネルのコメ欄でも度々出てくる銃病原菌鉄でしょう。たまたま生産性の高い地理的条件だった事が大きいという見方。
もし日本が北海道と本州と四国と九州で別々の国だったらあなたも全然違う事言ってるよね。本州の奴らむかつくとか、小島が乱立してるせいで列島民同士協力し合わないでアメリカ中国に漁夫の利をもってかれてるんだとか。でその状態にならないようにしたのが九州民的には島津家だろうけど、それも結果論という見方もすべきだし、地の利があったか(貿易で設けられたし幕府から遠くて日本を客観視もできた)という唯物的見方もすべきだし、優秀な人材が多かったと言いたいならなぜ他の班より優秀だったのかも掘り下げるべき。
こういう動画によって新しい発見があるたびに、嬉しさと同時に、今まで知らなかったという悔しさも覚える。
今まで全く知らなかった、江戸初期の外交史で、大変興味深く勉強させていただきました。キリスト教布教の存在は、利権問題と相当深く関わっていただようですね。
自分のような歴史好きがこの動画を見て、教科書だけでは「いわゆる鎖国」の経緯が一部しか述べておらず
数十年も「?」となっていたのが氷解したが、「登録」しない理由が全く見当たらないくらい素晴らしい!
コレ、小中学生に見せるべき最優先の動画の一つだわ。
歴史の教科書って情報量が少なすぎて理解が難しいです。
自然な導入で気持ちよく視聴できました
日本は本当にラッキーだった。まず信長から家康まで優秀な王が常にいてくれたこと、江戸幕府がスペイン・ポルトガルの本格的な日本進出に間にあったこと。
そしてたまたま立場の弱いオランダが日本と仲良くしてくれて、布教にこだわらなかったこと。
おかげで侵略されずにすんだね
いやそもそも日本と欧州じゃ軍事力が違う。
スペインやポルトガルの国力では、日本を攻め落とすなんて不可能でしょう。
むしろ家康の時代はスペインとオランダの力関係逆転してたよw。布教にこだわらなかったのは宗教的要因。
現世で何しようが天国行けるかは既に決まってる(予定説)って考えてたから布教してもしなくても天国行けるかは関係ない。なら目の前の仕事(商売)に集中すれば良い。布教捨てて金儲けするのに抵抗がなかったってわけ。当然ビジネスを考えれば布教して相手との関係悪化するのはデメリットでしかないからする必要はないわけで。
主語抜けてたけど、予定説信じてたのはオランダ人ね。オランダ人の殆どはゴイセン(カルヴァン派プロテスタント)だったから。
大変勉強になりました。ありがとうございました。
面白い動画でした
軽く触れられていましたが、タイミング的に島原の乱はフィリピン侵攻を防ぐ為に画策されたようにも思えますね
ワンチャンあるかもしれないですね。あと原因の一つとなった藩主が重税取り立ててたのもフィリピン出兵を考えてたからかな?なんて思いました。
徳川海軍の和製ガレオン船の建造技術が途絶えてしまったのはめちゃくちゃ残念。ひょっとしたら徳川ガレオン艦隊がインド太平洋の制海権を掌握して世界史が変わったかもしれん。
素晴らしい動画、教科書より100万倍おもしろく楽しめました。
リーフデ号事件の流れで、西洋の船を作ってあげたのは造船技術欲しさっていうのもあったと知り納得できた。
家康はキリスト教宣教師から
「あなたの名前(イエヤス)は我々の崇める神の子(イエス。古代ラテン語ではより『イエヤス』により近い発音『イエスース』であった)と同じだ!」
と聞かされて大変気をよくし、一時はキリスト教(イエス教)の国教化まで考えた・・・・・・
とかいう今パッと考えた大嘘\( 'ω')/
よくもだましたァァァァァァァ!!!
一瞬騙されたー
朝鮮出兵の動画、日本人奴隷貿易の動画、そして今回の動画と日本を世界史から見る事の面白さを知りました!
ライフが0にならない程度に……また解説動画を…………🙏
面白い!日本は外交下手ではなかった
秀吉と家康の動画が最も面白いから何回も視聴してますよ。友人にも転送してます。ご足労した分、本当に興味深いです。
ありがとうございます!
政宗の話めっちゃ面白そう!楽しみにしてます!
以前の秀吉の朝鮮出兵の考察といい素晴らしい解説をありがとうございます。日本も別にキリスト教ヤバイ→即鎖国というわけではなく、紆余曲折あって鎖国と呼ばれる体制になったに過ぎなかったのですね。あ、最初の茶番も素晴らしかったです。今後の動画も楽しみにしています。ライフがゼロにならないようお気を付けください。
幕府って頭カッチカチで閉鎖的な人ばっかりだと思ってたけど西欧とバチバチにやり合って有能しかいない政府だったのすげぇ
徳川幕府の政治や役人の質が低下するのは、松平定信による「寛政の改革」によるところが大きいでしょう。あの政策で余りにも朱子学偏重・原理主義化を進め過ぎてしまいましたから。
徳川家康が日本史上最高の政治家と言う教授もいるくらいですからね
(二番目は源頼朝、三番目は伊藤博文とかなんとか)
明治政府にも幕臣出身の人割といるしね。
分かりやすくて助かりました。有難うございます。
少し穿った見方をすると、大御所・家康の最大のミスは、家康位の外交観、交渉力を持つメンバーを江戸幕府には残せなかったこと、ということですね。
19世紀を見るとそれをひしひしと感じます。
江戸幕府だけでなく、その後の明治政府や戦後の日本政府にも残して欲しかったw
ゆっくりモンドちゃんねるさんの、まとめ力に脱帽😄👍🌟
ほんと分かりやすいし、非常に筋が通っているし、トークはコミカルで飽きないし、素晴らしいですね。
姉妹チャンネルも時々見させていただいてます。
そうそう、1580~1620年頃の欧州史知ってると東アジアの貿易の主役がスペイン⇒イギリス⇒オランダと移り変わってるんだよね。
後秀吉もだが信長の海外進出が所詮夢物語だと実感するのが船の構造の違いが決定的なんですよね。
個人的にはもし織田政権が樹立したとしても本格的な海外進出は秀信政権で漸くってIF考えてました。
後の幕府の政策や後世の作家らの影響で頭の固い保守的な印象持たれてるけど、実際はこの時代での日本で屈指の国際派と言う
秀吉の次に台頭したのが家康だった事は日本にとって幸運だった(豊臣にとっては不運だが
作家らの描写に真実味がある気がします。家康は臣下や民衆にまで文化的な開放を許していたような振る舞いは見られませんから、他の西国や東海などの大名たちとは大きく違います。徳川家による独占を進める頑固で怒りっぽい人というイメージですね。
王者の余裕、覇者の貫禄みたいなものが見られない、余裕の無さがあると思います。信長・秀吉と違って現実が能く見えていたシビアな政治家とも言えますね。
まあ朱印船貿易じゃんじゃんやってたしねー。今は日本史でも家康は結構国際派って感じで教えてるよ。
私の持論なんだが、小中高の歴史でザビエルによる「キリスト教伝来」は「カトリック伝来」と呼ぶように変えてほしい。それだけで当時の西欧の政治事情とか本動画のようなオランダ(と英国)が当時の日本政府とうまくやれたかが理解できる
それはおっしゃるとおりですね。
日本史世界史選択だったからその辺はめちゃくちゃ理解できたけど、小中は日本史メインだし、高校も日本史選択の人はキリスト教の宗派とかあんま分からないだろうから「カトリック伝来」って教えた方が理解できそう
ここら辺の各国の貿易の駆け引きは面白いですね
勉強になりました。
面白すぎます!
はえ~すごい勉強になりました
しかし、日本にとっては太平になりきっていない時代に外国からのアプローチがあって良かったですね
戦国を生き抜いてる武将たちは賢いというか、したたかですな
ガチガチの武士たちを見て侵略が難しいと思わせれたのも良かった
その後250年の平和ぼけで軍事力が全く進化しなかったしねー。バチバチの宗教戦争やナポレオン戦争など(第二次英仏百年戦争)経験してきた英仏やイギリスと壮絶な独立戦争経て独立したアメリカとは大違い。日本なんか250年経っても平気で火縄重税使っちゃうレベルだからね...平和って皮肉。
平和なのに自衛隊に防衛費しっかり積んじゃってるのも仕方ないのかななんて考えちゃうw
動画内では現在のフィリピンの領域にあったスペインの植民地を「スペイン領フィリピン」と呼称していますが
正式な名称は「スペイン領東インド」です
昔のヨーロッパ人にとって、東の果てにある常夏の土地はみんなインドって呼んでいたのですかね。
アメリカは西インドだしね
秀吉の動画といい、これも世界史の副教材として使える内容。
この時期にオランダが来てくれるのはホント幸運だと思う、何せ17世紀はオランダの黄金時代で世界の中でも先進的な国だったからね
この頃(17世紀初頭)は覇権国がスペインからオランダに変わるころですね。
あとアンボイナ事件でイギリスを東南アジアから駆逐してくれたのも大きい。それによって東アジアにも来れなくなって、19世紀のアヘン戦争まで我々に関わる事がなかった。
当のオランダもすぐに英蘭戦争に負けて衰退したから日本植民地化する余裕なんてなかったし。オランダの餌食になったのはインドネシアだけだったからねw
わ、また面白そうな題材持ってきてる。この人ただもんじゃないな(笑)初めてリマインダーオンにしたわ(笑)
サムネにあまり興味を惹かれず見る意欲が湧かなかったが冒頭の茶番でがっつり心をつかまれたw
動画作るのって大変だねえ。
御宿の海岸に漂着した船がいたのは聞いてましたが、茨城県久慈浜にも漂着してたとは初めて知りました。
独眼鉄先輩いいヒトだし、相談すれば親身になってくれそう。
内戦を150年もやってて、最終的にそれを治めた連中だろ?外交力も交渉力もあるし、下手すりゃラスボスだらけじゃねえか、よく考えたら凄い時代だな
独眼鉄…🤣👍。
学校授業では教わらなかった事ばかり。すごく勉強になりました。
秀吉といい家康といい、独断採決する人がいると交渉もトントン進みますね。まあ細かい調整はあるんでしょうけど、それでも速い。
なおビスカイノは伊達政宗に気に入られ、仙台城の作りも難攻不落と絶賛。測量作業中に慶長三陸地震に遭遇したが、船上だったので助かった。なんとか陸地に帰るも村落は壊滅、丘の上にあって無事だった村長の家で持てなされ、事態が事態なだけあって伊達政宗に会おうとしたが政宗は事態に対処中で入れ違いになったり。その後に取引がふいになったので……。
世界史を学んでから日本史を眺めると、戦国から江戸時代にかけての日本の外交センスの良さに驚かされる。
確かに「鎖国」なんてトンデモない言い方で、このタイミングでスペインとオランダを天秤にかけて、結局オランダを選べているのは、どう考えても当時のヨーロッパ情勢をかなり深く研究分析していた成果だろう。
現在から眺めている俺達は、ここで付き合う相手を間違えていたら日本は大きな騒乱に巻きまれていただろうと想像できる。そして、この時代に結果を知らずに間違いを選択しなかったのは、結構凄いって事も。
ぶっちゃけ、日本が外交のセンスを無くしてしまうのは明治以降だ。
ただオランダの没落以後もこの段階での外交関係を固定してしまっていたため
当のオランダ人自身が「(出島に来て)ここは時が止まっている!(※)」と驚愕したという話が伝わっています
余談ですがこの『外交関係の17世紀での固定』が逆に(当時の)オランダに僥倖(?)を呼んだ事例として
ナポレオン戦争時点でオランダは本国はおろか植民地各国も主権を喪失したことがあったのですが
その段階でも出島は『(旧)オランダ主権下の外交施設』という立ち位置で国旗を掲揚し続け(『オランダの消滅』を出島側は江戸幕府には伝えなかったものの江戸幕府は『うっすら』その辺の事情は理解していて『黙認(旧オランダ政府を積極的に支持はしないが旧オランダ政府との外交関係は撤回しない)』していたらしいです)
国際的には世界に残った(旧)オランダ領が『唯一のオランダ政府主権地域である出島』であったと認識される(異論もあります(※2))時代がしばらくあったという事です(^_^;)
※儀礼のためなのかに100年以上前の古臭い服装と生活道具を意図的に使用し続けていたのを本国人が見てビビったらしいです
※2、無論出島が『オランダ領であった』という話ではなく、出島の商館が『日本政府(江戸幕府)施政下で外交特権たる治外法権を有するオランダ施設』、平たく言って『公的外交施設だったかどうか?』という話です。
その場合(公的外交施設とする場合)『亡命政府』的な扱いにもなりえる(少なくともその統治の一端ではある)・・・という話ですね
明治時代には凄まじい外交センスを持っていますよ
そうじゃないとあの文明国以外全員奴隷化OKの大植民地時代に生き残れませんので…
勢いづいていたとはいえ約30年後に崩壊するプロイセンの憲法採用したり、満州国なんか作って国際社会敵に回したり、敗戦国となるファシズム陣営に加わったり...
条約改正交渉も苦戦したしね。ただ最終的にはイギリスとロシアの敵対関係を上手く使って成功したけど。
ものづくりを国産化することはすごいこと
日本がラッキーだったのは、三浦按針が布教活動をしないプロテスタント人だったからです。
当初は「鎖国」とは言えない体制だったけど、この言葉を志筑忠雄がつくった19世紀初頭にはすでに幕府もこの意義を忘れていたんですよね。二百年経つころには、貿易をするための制度だったものが、貿易をしないための制度だと考えられる様になったんです。
幕末になると「鎖国は家康公以来の”祖法”だからかえちゃいかん」と信じられていたからなあ
実際は祖法どころか鎖国と言う言葉さえ幕末近くになって生まれた概念だし
所謂「鎖国」は、スペイン・ポルトガルとの断交より寧ろ一般民衆の出入国禁止の方が重要のような気もします。
気が向いたら、とか、ついでのレベルで、いつになってもいいから、この話の続き聴きたい。
ゆっくりやってね。^^)
家康の外交史って全く知らされないですよね
家康、秀忠、家光の江戸幕府3連コンボに付け入る隙は無いわな。
さようせい様こと4代家綱の時ならワンチャンあったかもw
欧州史視点で見て旧教国が新教国に
徐々にやられていった経緯と理由がわかる
宗教寛容って大事だなとつくづく思うよね。フェリペ2世といいルイ14世といい宗教戦争しすぎて赤字財政となって衰退したし。アウラングゼーブもヒンドゥー教弾圧したせいでムガル帝国衰退してイギリスの餌食になったし。
慶長遣欧使節、期待してます
歴史番組で、日本は実は鎖国なんかしてなかったんですみたいな話が出ることがありますが、話の前提から間違っているんですよね。解説の最後にあるように、まさにリスクとメリットの取捨選択の結果。しかし後に密貿易が儲かるとあって横行、取り締まりの厳しさから鎖国じゃないかとなったのも無理からぬことではありますが。
まあペリーが通商求めてきた時に我々はオランダ、清としか貿易してこなかったから...なんつって「考えさせてくれ」ってなったけど、家光はオランダとだけやれなんて思ってないもんねw。スペインとの貿易を捨てただけで。
情報の少ないこの時代でも対外に関してこの程度の情報の取捨選択は出来て対等に渡り合っていた。2023現在の保身しか考えていない政治家や官僚が学んでほしい外交術!
茶番マジで好き笑笑
信長・秀吉・家康はスペイン・ポルトガルの危険度は認識してたけど、距離の防御があるからこそリスクとリターンをちゃんと計算してたと思う
大河ドラマどうする家康もここらへんやるのかな、この動画くらい面白いといいけど
期待
まさかの仙台藩貿易拠点化ってやっぱすげー発想だわ
やっぱりこのチャンネル最高です!
信長、秀吉もそうでしたが、戦国時代に切磋琢磨して?頂点に立った人達はみんな冴えていますね。
最後に出来上がった体制の出来が良すぎてそのまま250年も通用してしまったのが不幸と言えば不幸でしょうか?
軍事力も進化しなかったしねー。度重なる宗教戦争で鉄砲や大砲など武器が次々に進化してた欧州に比べ、平和だった日本は250年経っても平気で火縄銃使っちゃうレベルだった。
江戸時代において、四つの外交窓口があった。長崎と対馬と薩摩経由の琉球と松前経由のロシア外交。長崎からの情報の信憑性が、特に半島や琉球からの情報で、担保されていた可能性がある。特に半島からくる船員の中に、大陸の情報を持っている船員がいた可能性がある。会話や書類は、漢語であり、半島でも大陸でも違いはなかった時代でもある。
今では鎖国という呼び方ではなくて、完全に閉ざしきってない海禁政策という認識に変わりつつあるそうですね。
いずれ教科書でも鎖国って使われなくなるのかな。俺去年まで高校生だったけど俺の教科書にはまだ鎖国って書かれてたけど。
支倉常長!やりましょう。ジャガーさんを!
長崎交易になったのは、船がそこまでしか安全に行けなかったからなのか。蒸気船が来るまでは 、日本は海流に守られ続けていた。
黒潮の流れがクソ速いからねw太平洋を時計回りで循環してるけど、日本側は海流のカーブが急で速いんだよねw。アメリカ側は緩やかなカーブだからそうでもないけどw。貿易風と偏西風の影響でそうなってる(高校の地学基礎でちょろっと習いやしたw)。
@@MarceRonald712 日本やスペインが黒潮大蛇行を知って警戒してたら胸熱
ウィリアムと言えばゲーム「NIOH」で主人公に取り立てられてましたね
按針とは航海士、海の案内人でありそこから名前を取ったとも……
こういう背景に興味を持ってわかりやすく学べるというのはなかなかすごいことですね。
動画内容とは関係がないので申し訳ないのですが、「オランダとイギリスのアジア貿易参入」の部分で使用されているBGMは何なのか教えて頂けないでしょうか?自分で探そうとも考えたのですが、引用元のサイトのURLのみとなるとなかなか………。
イギリスとかは貿易不振で自分から撤退してったんだよなあ…
新興国だったオランダも、このあと幕府にとっても既得権益のようになり、
オランダ側も側でナポレオン戦争で滅んでた時期でも建前はオランダ名乗らざる得なかったり・・・
イギリス東インド会社は経営不振で長崎の商館閉鎖して撤退、出島に移設にはならなかったからなあ。ただイングランド本国も秀吉時代にカトリック女王になりスペイン王との婚姻で共同統治、スペイン・イングランド連合王国となったり、その後もイングランドはカトリック王と国教会王対立でゴタゴタ続き、王制廃止派のプロテスタントが国王処刑しての共和制イングランドになったりと不安定すぎた。
大航海時代の船乗りはすごい
タフさが同じ人間とは思えない
せめて欧州各国に幕府の公使館を置いて金銀の相場情報を集めるべきだったな。
換金レートを知らずオランダに金銀を吸い取られてしまった。
数か国と同時に国交を結んだ状態を維持した方が各国の人物が情報を得やすかったのに
金銀銅の国内交換レートで貿易商売やったもんだから、オランダ側も商社だから、幕府相手に大儲けできるゆえに国外交換レートを秘匿し続けたw 本国消滅情報も秘匿してたかもな。
欧州との貿易も視野に入れていた家康だが、松平定信のころには、「神君家康公からの遺訓により鎖国」になっていく謎。
検討だけで終わらないところが優秀
家康とビベロのやり取りはワクワクしますね。狐と狸の化かし合いというか三国志演義のような裏の読み合いが高度で言葉も出ないですが楽しいです。
歴史にifは無いと言いますが、もし関ケ原の合戦に秀忠が上田城を素通りして間に合っていたら、外様大名に豊かな九州から追いやれていたらどうだったのかと思う。
江戸時代鎖国していて世界の情勢に遅れていて明治維新によって近代化出来たみたいに思われていますが、近年改まっているようですね。
鎖国という言葉も教科書から消す動きもあるようですが、あまりにも浸透しすぎていて消せないなど聞いたことがあります。
きちんと貿易をしていたため、大陸の病気に対しても免疫を獲得していてインディアンみたいにならず、また植民地にもならずにわたり合えたのかなとも思う。
独眼鉄で吹いた。貴様も強敵と書いて友と呼びそうだな。
スペイン船って日本船より遭難しやすいのかな
確率的に高そう
船の性能はこの当時間違いなくスペインがトップだったと思います。単に土地勘の問題かなあと。
船乗りを含めてもスペイン船の方が安定してますか?
日本の船も遭難しまくってたぞw江戸時代大阪から江戸に向かう航路でどれだけの船が遭難したことか...船の性能ではなく、チート級に速すぎる黒潮のせいかと。
江戸時代初めに日本製のガレオン船があったなんて凄いですね
調べたら、せっかく復元したのに修理技術が失われたから解体とは・・・
なんという事だw
8:58 ニンジャスレイヤーの祖先
戦国時代の日本ってそこら中でバンバン戦をしてて戦闘に慣れてるからスペインが派兵したところで多勢に無勢でやられ損なんだよねぇ😅
しかも当時蒸気エンジンすら無い時代で本国からだと何ヶ月もかけて移動しないとダメだから到着する頃には疲弊しきって士気もだだ下がりというね😁
テレビでもやってた歴史ですね。スペインの布教前提貿易では家康も相当警戒したはずですね。純利益思想のオランダの出現は渡りに船、だったろうし。家康の交渉力、先見力には驚きます。このときオランダから派遣されたビジネスマンにして重要人物のジャック•スペックスも紹介してほしいです。
ゴイセンのオランダ人は予定説(現世で何しようが予め天国行けるかは決められてる説)信じてたから布教しないで目の前の仕事(商売)に集中できたもんね。布教捨てて金儲けしたって何の問題もない。
面白かったです。
長年続く戦国の世は、世界的に見ても屈指の軍事大国をつくっていたのですなあ。最後が家康で本当に良かった。人生とは重き荷を背負うて行くがごとし、急ぐべからず。
ところで秀吉の件以降、豊臣方は外国に避けられていたのだろうか。
多分、秀吉が死んだ時点で次のボスは家康だと認識されていたので、外国勢は豊臣と付き合う理由はなかったのでしょうね。
いい動画
アカプルコと聞くと「恐怖のハイダイビング!成功です!アデラーンースー♪」を思い出す
NHK等はAIの考えを採用すると言っても、そのまま信じては駄目だろう、神の正しさに照らし合わせねば間違うだろう
ビスカイノたんかわいい
そんなこと全然学校で習わなかった。
日本での船舶建造なんて甲板に瓦葺きの城が建っていたりするイメージだったのでびっくり。
教科書では知ることができないことができて幸せだ
教科書だとたしかに受験の勉強にはなるけど、このチャンネルのように「もしかしたら?」と考える余地がないのが残念だ。
まあ、残念なのは学生当時あんまり勉強熱心でなかった私自身ではあるが・・・。
大日本帝国構想はすでにあったんですね
山本七平「徳川家康」、お勧めします。
中の人のライフがゼロのところに何だけど、史料批判をきちんとこなせばこの動画の内容はそれなりに学術的なものになるんじゃないのかしら
やっぱり、政は、愛知県民が秀でているかもしれない。
間違いないwww
2大都市である東京と大阪の繁栄に大きく貢献したのも愛知県の2人だしねw