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【参考文献】◯索引~の歴史 書物史を変えた大発明www.valuebooks.jp/bp/VS008782...【サポーターコミュニティへの加入はこちらから!】yurugengo.com/support【おたよりフォーム】forms.gle/BLEZpLcdEPmoZTH4A※皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!
すみません、「◯索引~の歴史 書物史を変えた大発明」のリンクが機能していないようです。リンクの一部が以下のように...になって正しいものになっていません。VS008782...
12:53 「目の前の人は引用を言うための装置ではない」最近、「同僚から嫌がらせを受けたかもしれない」という割と深刻な相談に対して「あ、それはハンロンの剃刀と言って〜♪」と隙あらばうんちく語りしてしまった結果、諦めと怒りの籠もった目で睨まれるという失敗をしてしまったので、この言葉を肝に銘じておきます
AIのほうがまだ温かみのある返答をしてくれますね…
「心は存在しない」「我々は人間性を捨てなければならない」の2人でお送りするゆるくたのしいラジオ
回を重ねるごとにパーソナリティのSAN値が低下していく、ゆるくたのしいラジオ....
AIに代替される可能性が高いパーソナリティ
ゆる人間性否定ラジオ
これはもう焚書しなければならない。
「ゆる」く人格崩壊する「ラジオ」ww
堀元さん、「難儀する」が語彙にすっかり入ってますね。
幼少期、教会で聖書を読む時「マタイによる福音書〇章〇節を開きましょう」みたいな感じで言われて、どこに何が書いてあるか分からなかった僕は「何でページ数で言ってくれんの…」って困ってたのを思い出しました。関係あるのかは全然分からないけど、今回のお話を聞いて索引がない頃の名残かも…?と思ったり
現代でも、各自の持っている聖書のページ数ってバラバラなんだろうね。
たしかに、違う訳の聖書を持ってきている人もいるだろうし、同じ訳の聖書でもいろいろな編集で出ているから、ページ数で指定したら、該当箇所を見つけられない人が出てきますよね。
確かに!教会ってマイ聖書持参の人が多いかもなのでページ数バラバラかもしれないですよね
でも章立てにする事自体、広義の索引なのでは…?って思っちゃいました。
聖書はね、どのページにどの文言が書かれているかが基本的に全部揃えてあるの。新しい共同訳と古い日本基督教団のものとは違ったりするけど、共同訳同士とか、日本基督教団のもの同士では、同じになるように印刷製本されているはず。まあ、だとしてもまずノンブルで指定したってバチは当たらんわな。その辺りは教会ごとの文化(というか神父や牧師の趣味)によっても違ってくるから、教会の役員とかになって役員会なんかで提言すれば、変わることもあると思う。まあ、その辺りも神父や牧師(あるいは実質的に教会運営の主導権を持っている人)次第かなぁ。
【循環定義】“無限ループ”参照と書かれていたので見に行ったら【無限ループ】“循環定義”参照そんな遊び心ある索引が好き
某書 pp248, pp256 ですね。僕も好きです。
アンサイクロペディアの盥回しみたいでおもろい
印象に残った索引と言えば、『ニンジャスレイヤーTRPGコアルールブック』の「ファンブル…このゲームにはないよ」です。読者が悪魔の証明に直面するのを防ぐ素晴らしい立項だと思いました。
本のジャンル分けにすると、え、これミステリーとも言えるしサスペンスとも言えるし…ってなったとき困る。グレーゾーンっぽいやつどうしようって。分類項目数が決まってるなら(レーベルならほぼ有限だから)そっち優先にしたい。探すとき絶対たどり着ける気がしてる。でも、あー今ミステリー読みたい気分だなあーってときは困るwんでそうなるとノーションくっそ便利じゃーーーー!ってなる。検索タグ複数つけられるし。デジタルありがとう。
26:42 音楽系のフライヤーとか出演者リストの (A~Z)の表記はここからの発明なんだな〜!という発見と、その上でスペシャルゲストには法則を無視して上段にデカデカと載せる行為、やっぱり人は完全にはサイコパスになりきれないんだなって安心する
ジャンルを跨いだ内容が書かれている本に対して、本を引きちぎってこっちのページは「歴史」こっちのページは「料理」みたいに分けている水野さんを想像したらよっぽどサイコパスだった。
新書とかしか読まないならジャンル分けは合理的だと思うけど、書店の大半の本は小説とかですからね小説、フィクションは必ずしも単純にジャンル分けできないので、著者あいうえおとかで分けるのが便利なんじゃないですかね
ページ数が違うのが一番の理由で、授業で使う教科書の版を指定する場合も最近は少なくないですよね。
ゆるコンもタイトルの引きがどんどん弱くなってきてるの逆に好き
アルファベット順のくだりで、漢数字のソート順を思い出しました。アルファベットとアラビア数字は明確に切り分けられておりアラビア数字は独自の順序をもっている一方。漢数字は漢字の1要素であり、漢字全体の順序に倣います。JIS (S-JIS) では音読みの順序が基準になっており、『一九五三四七二八六』の順になりますが。一方UNICODEのCJK統合漢字では部首の画数順になっており、『一七三九二五八六四』となります。これも、文字の中身・意味を無視した順序になっており、サイコパス味があると思えると感じました。ジョジョのコミックが第二部より第三部 が先に並べられていたら、そいつは漢数字でソートしているサイコパスです。
UNICODEが漢字の持つ意味で配列されていないのは、それをやるとものすごく使いにくいからです。数字のように量が少なくて普遍的な概念に従うものは簡単かもしれませんが、他の漢字はそういうわけにはいきません。使う人のことを考えた、とても人間的な発想だと思いますけどね。漢数字がアラビア数字などと違う扱いになっているのは、文字コードの世界で漢字文化圏が蔑ろにされているという側面もあるかもしれませんが、漢数字も漢字であるという当たり前の原則に従っただけなのだと思います。「サイコパス味がある」というおちゃらけにマジレスするのは、我ながら空気読めないなと思いますが、それもまた私の人間味ということで、ご容赦願えればと思います。
漢字辞典も同じ?
攻殻機動隊のセリフを思い出しました。「コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなた達はその意味をもっと真剣に考えるべきだった」コンピューターは現状その極致ですが「情報」は往々にしてある種の人間性を手放す行為なのかもしれないですね
人形使いのセリフですね。人間性を排除しながら整理、最適化される情報。その情報の海から生まれた歪な「生物」が最後に求めたのが、自分の「人らしさ」を疑う草薙素子。いま流行りのAIもいよいよ人間らしくなってますが、その動作原理は脳を模倣した機械的なニューラルネット。話のオチが「そもそも人間性なんてものはなかった」なんてことにならないといいな、と思います。
釈迦の時代は、まだ冊子本がないので索引は無理じゃないかなと。巻子本(巻物)だと行番号を付けたりしないかぎり、書籍内の位置を特定できないので。お経(釈迦の言葉)が文字化されたのは釈迦入滅後100~500年後(諸説あり)とされ、釈迦の時代には巻子本すらなかった可能性も。
小学生の頃にノートにページ数がないことに不便を感じた私は天才かもしれない
これって、何かきっかけがあって不便性を感じられたんですか?
同じかわかりませんが、私は講義ノートにページ数を自分で書いていました。過去の記述と関連する内容を書くときに何ページ参照のように、前の記述の場所を確認しやすくするためにページを書いてました。
@@kmish5100理科の先生が2人いるのに対し、ノートを1冊しか買っていなかったので分けて使うために番号を振ってました
俺なんか教科書にF・ンガモボグガ数がないの不便に感じたからもっと天才やわ
26:55 「社内でエライ順番にIPアドレスを割り当てたい。どう管理すればいいか?」という笑い話(もしかして事実?)が有るらしいですね。
IPアドレスにも上座が存在する?!
第4オクテットが.254のIPアドレスを上司に割り当てるのは失礼ですからね!
31:23 divideって言われた瞬間、目が死ぬのおもろい
自分は「今読んでる部分が全体の何割部分か」とか,「3日で読み終わるためにはどのくらい読めばいいのか」をかなり気にするので,ページ番号を発明してサイコパス呼ばわりされていた可能性が高い
12:51 ここでやっと「引用」って言ったけれど、水野さんが言ってくれるのずっと待ってたんかな☺️
楽しみに待ってました
ぼーくも!
たのまち
たのまち!
devide and conquer好きすぎて出てきたときキャッキャしてしまった
カエサルか
はえー、「パルプ・フィクション」とか映画で聖書を引用するとき章や節をあげるのはなんでだろうと思ってたけど、そういう理由だったんですね
数字順や語順すらもズタズタに引き裂くハッシュ関数は究極のサイコパスですね
「言海」のあいうえお順には福沢諭吉がケチをつけています。完成品を受け取った時に「寄席の下足札が五十音でいけますか」と苦言を呈したそうです。(ただしこれは大槻文彦について書いた高田宏の著作『言葉の海へ』からの孫引きで、原文は参照してません。すみません。)
ページ数と言う概念、プログラミング言語で言うところのアドレスに近いような気がしたんですがもしそうだとすると、c言語以後(と表現するのが正しいかはわかりませんが)の言語がアドレスやポインタと言う概念を執拗に捨て去ろうとしてるのは、この話とは逆方向の発展だなと思いました
IT~AIにかけて、コンピュータサイエンスの発展は「より動物的に」進化する方向であることは、人類個人の成長とは逆方向になってますよね 人類は動物的な赤ちゃんから始まり経験と知識によって人間という社会の部品を目指しますが、マシンは社会の需要によって部品として生まれ、動物的冗長性に富んだ生存性を獲得しようとしています
@@もじゃろわかめそれ面白いですね〜人間は機械を目指し、機械は人間を目指して発展する…
電子書籍になって、ページの概念が再び怪しくなってるの面白いですよね。
水野「気球に乗せたのは羊、鶏、アヒル。2匹は飛べる」鶏「えっ」
一応、多少飛べる品種も居る
書いてから気づいたけど、アヒルも飛べないじゃん
まぁ鳩とか乗せても先に逃げちゃいそうだしね..
@@kgucci734 養鶏場の鶏はどうか知らないが田舎で放し飼いしている鶏は上に抛りあげると飛ぶよ、自発的に飛ぶことはしないが落下するときは羽ばたいて着地する。犬とかに追いかけられた時も羽ばたいて逃げる、歩くより飛んだ方が早いからね一応目撃済み。
@@必泰斗養鶏場の鶏も落下するときは羽ばたく。放し飼いよりは飛べない。
確かに自分のノートにページ付ける人いないな。
小学校の頃、ノートの目次を作りたくてページ数を必死に書いてたw結局ページ数書くのに時間かかるから非効率的だった
ページ数が振られてないと索引が機能しないのはもちろんだけど、うっかり本が破損してページがバラけちゃった時に元の順番が分からなくなって困りそう。
聖書の索引的な章立てや節ごとの区分けも、引用のしやすさや共有のためにとても大事ですねあれもかなり後年になってからやっと出来上がったものみたいです
26:23 形式のみで順番にまとめるという発想は確かに発想の飛躍と天才性と言った要素が必要で「サイコパス」と思われることに納得しますただこれはインナーサークル的な意見でもあるなとお話しを聞いていて思いました形式以外の内容を重視した分類は内容というコンテキストを理解しているのが当たり前のカルチャーの中では最もな発想である一方で内容を介さない外部から見れば排他的この上なく、形式で分けないとむしろ活用ができない私は会社に入った時すごくインナー向けの資料群をどうにかわかりやすく整理しようと四苦八苦した経験があり、その際の先輩社員から理解の得られなさの感覚が「サイコパスだなぁ」というリアクションから想起されたのかもしれません索引の歴史は本が一部の人間のための貴重な資源からより一般的な手法へと進化する過程で必要な“内容を無視した形式化”と“形式化や抽象化を肯定する需要の変化”を如実に表しているのかもしれません
ページ数の話はこじつけっぽい気もする…。索引もページ数も活版印刷に派生して導入された編書のためのノウハウなのかと思ってた。
そうだね。ページ数って索引のない本もそうだし、絵本にもあるんじゃないかな?
ページ数、本を言語の塊じゃなくて商人の目線からするとページ数=原価なんだから枚数で考えるのは経済的な面から考えると自然な発想だと思いますがどうでしょうか😮
水野さんのモンゴルフィエ兄弟の分け方が完全にが~まるちょば初有人飛行川柳
16:05 この下り聞いて思ったのが、この発想は書く側じゃなくてビジネスする側、今で言う出版社の発想じゃないかなぁ、と紙を仕入れる枚数を確定して、写本師の報酬を確定して、トータルで本の価格を決めて…、と現在に通づる公平なシステムの元を考えた天才が居たんじゃないかなぁ…と思いを馳せる初夏の生ぬるい夜
30:30 極端なこと言わんと死ぬんか?の水野さんのツッコミおもろいw
ご紹介の本を未読なので書いてあるのかもしれませんが、目次はあったのか、目次でどのくらい探せたのかや、当時から理数系の書物はあったのにそういう本も検索性が低くて大丈夫だったのか、あと大量な写本文化とギリシャ哲学などの継承者だったイスラムの人々も情報検索はせずにすんだのか、といったあたりについても考察、話していただければうれしかったかも、と思いました。
ディバコン不足だったので助かりました
某チャンネルの LD50 みたいな言い草で草
本屋さんが何度か、タイトルの50音順で並べて展示してましたが、毎回定着せず元に戻していました。新たな思考を定着させるのは難儀ですね。
「索引のない名著は迷著になる」、本を読んでいて何度かそういう記述を見かけた覚えがある。
人間性を捧げよ
いつコンピューターの話になるんだろうと思って最後まで観てました
頁「数」の思いつかなかった原因の一つに所謂「位取り記数法」が未発見だったこともあると思いました。現代の位取り記数法に至るための重要な要素として「0」の発見があったのも事実だと思われます。
スマートフォンの普及で縦スクロールが主流になってきましたが、将来的に頁という概念が無くなる未来が来るかもと思っています印刷物は巻物で
経典は現代でも声に出して読みますね。
ページ数に関しては電子書籍が普及してきてるので、個人間での共有が難しくなってきてますね
子供の頃にはじめて本屋に入ったとき、何の説明もなく、出版社別の著作者名順が当然の並びであることに驚いたような記憶があります。図書館では十進法の分類だったので…
デジタルヒューマニティーズもこれの延長みたいなものだから合ってる一方でロジェのシソーラスがずっと読まれてるのも凄い
なんかIPアドレスを偉い人順に割り振るというわらえない笑い話をおもいだしたよ
悩みに雑学で答えた後の笑いツボです(笑)
devide and conquerは20回くらいオチになってた印象あるし、同じくらいプリンみたいな例え失敗で終わったイメージあります記憶って怖いですね
プリン and conquer とのフレーズを編み出して水野さんをびっくりさせるしかない…!
一部のプログラミング言語には、enumerateという配列や型に連番を振る関数がありますが、特定の記号群に順序を設定することそのものが大きな発明だったんですねー
生きていると記憶の総量は増えていく。だから脳の想起には経年劣化の仕組みがある(ないと気が狂う)。だから、いつまでたっても「同じ刺激から同じ内容に着くこと」自体がサイコパスなのかもしれない。
value books はジャンルごちゃ混ぜで仕入れた日順で並べてたよね
日本語フルテキスト検索は2文字とか3文字単位に分割してIndex化しているというのもサイコパス
最後に出てくるおすすめ再生リストが「ゆるコンピュータ科学ラジオ全まとめ(順番通り)」でサイコパス!!!ってなりました
考え事をしない水野さんに発明ができるとは到底思えないですね
アパレル関係の売り場でも、商品陳列の際に種類ではなくカラーで陳列することがあるけどそれもよく考えたらサイコパスだな
熱帯低気圧のページを調べようと思ったら低気圧の下に「熱帯─」という項目があるのはサイコパスになりきれなかった索引ですかね(笑)ドイツ語の分離動詞が調べ難い辞書もサイコパスになりきれてない気がします。
江戸時代の刊本見てると、ページ数ついてるのがたまにあるから、(活版印刷ではないにせよ)版本だとページ数振ろうって発想になるのかもね
索引は逆に人間的では?より便利にという概念は人間だから発想できた。便利に利用使用にしたいという概念は人間にしか無い思考な気がする。索引と言う発想が便利化に起源しているならって意味なら、サイコパスとは言い難いと思う。発明者はサイコパスの言い回しは好きw
『人間性を捨てなければならない』オイラー「わかる」
索引とコンピュータの関係みたいな切り口なら、是非おふたりには図書館学と図書館情報学を攻めてみてほしい。
索引のニーズはあったけど、手書きで写本していた時代にはページ数が一定でなかった。そのため手書き写本では索引を付すのに手間が多すぎたし、写本の度に数字を見直さなければならない。大量印刷が可能になり同じ本を大勢が持つようになってページ数が一定になり索引を付すことができるようになった。知らんけど
『索引の歴史』と「音読」で積読チャンネルとクロスオーバーするのアツい!
それを言うなら歴史を「西暦(紀元前)○○○○年」で語るのもサイコパス
索引についての本の索引をつける索引家、美術館の設計をする建築家みたいな感じがある
「索引」「ページNo.」という概念が無いのならば、当然「目次」もありえません(目次は索引の一種)。もしかして中世までの書名にやたら長いものが多いのはこのせいでは?つまりこの本の内容をどこかで示さないといけないので。(前書きも長そう)
なろう系小説もタイトルだけで内容が分かるように書名が長くなっているのですごい納得しました
試作機とかけまして初めて発明した人とときます。その心はどちらも覚えられないでしょう。メウッチです!そんな奴居たな〜居たか〜?そぉ〜れっ!ここ、イタリア!!(アントニオメウッチはイタリア生まれでキューバ、アメリカと移住して生き電話の試作機ができたのはアメリカらしいです。すみませんでした)
Codex 冊子本ができるまで、scroll 巻物だった「書物」は、索引を作るという発想から遠かった。ページ数すらなかったし。
質問の「痩せたいと思うのについ食べすぎてしまいます。どうしたらいいでしょうか?」の感じがリンダカラー∞みたいだった
ヨーロッパの製本職人って、文字読めてたんですかね?活字の時代に入ってからは、文字が読めないと印刷製本ができなくなりましたが。ページ数がふられてないと印刷や製本の作業が難しくなるのですが、製本の歴史上の識字率の変遷ってどうだったんでしょうかね。
索引からindexへ行ってデータベースの話になって、ACIDとか言い出して水野さんを困らせる回なのかと思ったら違った
二人の言う「サイコパス」が芸人いくよ・くるよの「どやさ」みたいだなって思ってしまいました
indexといえば文字列検索,すなわちデータ圧縮ですね.修論のテーマなので思い入れがあります.
電子書籍では漫画を除きデバイスの画面サイズに依ってページ数が変わるのでページ数の意味が薄れているのを感じます
今日はショート動画の日だったかぁ
出版社50音順→作品名50音順、で並べる傾向があるので。お二方からしたら「サイコパァス!!」ですね😂(なおその前に本の大きさを小さい(文庫)→大きい(B6コミックス→ハード)順に並べてますが。)
紙が高価だから何枚使ったかを知るために番号をふるってことはしなかったのかな?
メールの宛名を役職順に並べる風習ばかりはなくなった方が良いと思うもっとサイコパスになるべき
小中学生の頃は先生の教科書が欲しかったなぁ・・・
人間の認知可能な量(図書館なら冊数、コンピュータならアドレス)を遥かに超えた時にその物理デバイスの特性に依った情報整理をしないと適切な情報に辿り着くのが困難になるからかな
ページ数は売る側の都合で発明したんじゃないかなー紙の質の違いで量り売りができなくなったときに、ページ数の量で値段を決めそう
面白いな今回も!
真偽はわからないけど「だから聖書の引用は書籍名-第n章第m節って言い方するんだ!!!」って気づいて、高速道路運転しながら大興奮しました。
別館のLisp回と混ざった結果、参照渡しは(生成文法の)Traceの逆か?と思ったけど適切じゃないかもしれない
29:35 巻物だったらページ数どころかページが無いから索引もへったくれも無かったのでは
何巻とかいう単位になるのかな
索引の発明とサイコパスが結びつかない、たぶんサイコパスの認識を間違ってる人たちが話をしてるから関連付けが失敗してるんだと思う。船を編むとか見てから話を再開してほしいかな。この手の類はミスを訂正する能力が低いから、そこも併せて強化をよろしくね
写本する人からしたらページ数で仕事量を管理する動機がある
片付けるために法則性が必要になる
(本の場合)目次:ページ順、すなわち時系列順に見出しを並べた、ある種の要約・ダイジェスト。一次元的なピックアップ。索引:順番に関係なく、求める概念、単語など「キーワード」をピックアップし、それが「どこのページにあるか」を記載した物。二次元的なマトリクス(を、キーワードの音順(五十音・アルファベット・数字)に並べたリスト)。27:40 物による。小説やエッセイなら、作者で分け、出版順で並べる。シリーズものなら、シリーズの1番手の出版年で、シリーズ巻数順に並べる。実用書なら、ジャンルで棚を分け、判サイズなどのバランスや五十音順を組み合わせる。書棚を見た目でも揃えたい。
13:58 【章】なども、話の流れを区分したものではあるが、ページや目次の概念の前身であったかと。映像に変えて当てはめると、ページ=秒。読む順・観る順の、内容そのものには関係ない小単位。目次は、それを意味のある位置で、0:203:0420:33などの様に時系列に並べ(この例示の時間には、意味は無く適当です)、索引は、オープニング 0:20終盤トーク 20:33序盤トーク 3:04と、見出しやキーワードの音順に並べて、進む先を示すため、時系列的には前後する。
本の並べ方、あいうえお順でもジャンル別でもなんでもなく。なんとなく心地いい順にしてます
歴史は年号などで記録すると思うのですが、それと何がそこまで違うのでしょう?
本を並べる場合、索引視点だとジャンル分けは曖昧だよねえ
例えば羊皮紙職人とかなら枚数にのみ興味がいってた気もするんだけど現代人の感覚なのかなあ
ウェブ制作に関わっておりまして、改行位置でよく修正依頼が来ます。人間性を捨てる行為でデザインは人間に寄り添った行為なんだと認識できました。
本は大きさで分けます。さいこぱす、、、
初めての熱気球の有人飛行を成功した10日後、ボイル・シャルルの法則のシャルルが水素によるガス気球の有人飛行に成功したそうです。
今の本はシュリンクされてるので、立ち読みができない
【参考文献】
◯索引~の歴史 書物史を変えた大発明
www.valuebooks.jp/bp/VS008782...
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※皆様からの楽しいおたよりをお待ちしています!
すみません、「◯索引~の歴史 書物史を変えた大発明」のリンクが機能していないようです。リンクの一部が以下のように...になって正しいものになっていません。
VS008782...
12:53 「目の前の人は引用を言うための装置ではない」
最近、「同僚から嫌がらせを受けたかもしれない」という割と深刻な相談に対して「あ、それはハンロンの剃刀と言って〜♪」と隙あらばうんちく語りしてしまった結果、諦めと怒りの籠もった目で睨まれるという失敗をしてしまったので、この言葉を肝に銘じておきます
AIのほうがまだ温かみのある返答をしてくれますね…
「心は存在しない」「我々は人間性を捨てなければならない」の2人でお送りするゆるくたのしいラジオ
回を重ねるごとにパーソナリティのSAN値が低下していく、ゆるくたのしいラジオ....
AIに代替される可能性が高いパーソナリティ
ゆる人間性否定ラジオ
これはもう焚書しなければならない。
「ゆる」く人格崩壊する「ラジオ」ww
堀元さん、「難儀する」が語彙にすっかり入ってますね。
幼少期、教会で聖書を読む時「マタイによる福音書〇章〇節を開きましょう」みたいな感じで言われて、どこに何が書いてあるか分からなかった僕は「何でページ数で言ってくれんの…」って困ってたのを思い出しました。
関係あるのかは全然分からないけど、今回のお話を聞いて索引がない頃の名残かも…?と思ったり
現代でも、各自の持っている聖書のページ数ってバラバラなんだろうね。
たしかに、違う訳の聖書を持ってきている人もいるだろうし、同じ訳の聖書でもいろいろな編集で出ているから、ページ数で指定したら、該当箇所を見つけられない人が出てきますよね。
確かに!教会ってマイ聖書持参の人が多いかもなのでページ数バラバラかもしれないですよね
でも章立てにする事自体、広義の索引なのでは…?って思っちゃいました。
聖書はね、どのページにどの文言が書かれているかが基本的に全部揃えてあるの。新しい共同訳と古い日本基督教団のものとは違ったりするけど、共同訳同士とか、日本基督教団のもの同士では、同じになるように印刷製本されているはず。まあ、だとしてもまずノンブルで指定したってバチは当たらんわな。その辺りは教会ごとの文化(というか神父や牧師の趣味)によっても違ってくるから、教会の役員とかになって役員会なんかで提言すれば、変わることもあると思う。まあ、その辺りも神父や牧師(あるいは実質的に教会運営の主導権を持っている人)次第かなぁ。
【循環定義】“無限ループ”参照
と書かれていたので見に行ったら
【無限ループ】“循環定義”参照
そんな遊び心ある索引が好き
某書 pp248, pp256 ですね。僕も好きです。
アンサイクロペディアの盥回しみたいでおもろい
印象に残った索引と言えば、『ニンジャスレイヤーTRPGコアルールブック』の「ファンブル…このゲームにはないよ」です。読者が悪魔の証明に直面するのを防ぐ素晴らしい立項だと思いました。
本のジャンル分けにすると、え、これミステリーとも言えるしサスペンスとも言えるし…ってなったとき困る。グレーゾーンっぽいやつどうしようって。分類項目数が決まってるなら(レーベルならほぼ有限だから)そっち優先にしたい。探すとき絶対たどり着ける気がしてる。でも、あー今ミステリー読みたい気分だなあーってときは困るwんでそうなるとノーションくっそ便利じゃーーーー!ってなる。検索タグ複数つけられるし。デジタルありがとう。
26:42 音楽系のフライヤーとか出演者リストの (A~Z)の表記はここからの発明なんだな〜!という発見と、その上でスペシャルゲストには法則を無視して上段にデカデカと載せる行為、やっぱり人は完全にはサイコパスになりきれないんだなって安心する
ジャンルを跨いだ内容が書かれている本に対して、
本を引きちぎってこっちのページは「歴史」こっちのページは「料理」
みたいに分けている水野さんを想像したらよっぽどサイコパスだった。
新書とかしか読まないならジャンル分けは合理的だと思うけど、書店の大半の本は小説とかですからね
小説、フィクションは必ずしも単純にジャンル分けできないので、著者あいうえおとかで分けるのが便利なんじゃないですかね
ページ数が違うのが一番の理由で、授業で使う教科書の版を指定する場合も最近は少なくないですよね。
ゆるコンもタイトルの引きがどんどん弱くなってきてるの逆に好き
アルファベット順のくだりで、漢数字のソート順を思い出しました。アルファベットとアラビア数字は明確に切り分けられておりアラビア数字は独自の順序をもっている一方。漢数字は漢字の1要素であり、漢字全体の順序に倣います。JIS (S-JIS) では音読みの順序が基準になっており、『一九五三四七二八六』の順になりますが。一方UNICODEのCJK統合漢字では部首の画数順になっており、『一七三九二五八六四』となります。これも、文字の中身・意味を無視した順序になっており、サイコパス味があると思えると感じました。ジョジョのコミックが第二部より第三部 が先に並べられていたら、そいつは漢数字でソートしているサイコパスです。
UNICODEが漢字の持つ意味で配列されていないのは、それをやるとものすごく使いにくいからです。数字のように量が少なくて普遍的な概念に従うものは簡単かもしれませんが、他の漢字はそういうわけにはいきません。使う人のことを考えた、とても人間的な発想だと思いますけどね。漢数字がアラビア数字などと違う扱いになっているのは、文字コードの世界で漢字文化圏が蔑ろにされているという側面もあるかもしれませんが、漢数字も漢字であるという当たり前の原則に従っただけなのだと思います。「サイコパス味がある」というおちゃらけにマジレスするのは、我ながら空気読めないなと思いますが、それもまた私の人間味ということで、ご容赦願えればと思います。
漢字辞典も同じ?
攻殻機動隊のセリフを思い出しました。
「コンピュータの普及が記憶の外部化を可能にした時、あなた達はその意味をもっと真剣に考えるべきだった」
コンピューターは現状その極致ですが「情報」は往々にしてある種の人間性を手放す行為なのかもしれないですね
人形使いのセリフですね。
人間性を排除しながら整理、最適化される情報。
その情報の海から生まれた歪な「生物」が最後に
求めたのが、自分の「人らしさ」を疑う草薙素子。
いま流行りのAIもいよいよ人間らしくなってますが、
その動作原理は脳を模倣した機械的なニューラルネット。
話のオチが「そもそも人間性なんてものはなかった」
なんてことにならないといいな、と思います。
釈迦の時代は、まだ冊子本がないので索引は無理じゃないかなと。巻子本(巻物)だと行番号を付けたりしないかぎり、書籍内の位置を特定できないので。お経(釈迦の言葉)が文字化されたのは釈迦入滅後100~500年後(諸説あり)とされ、釈迦の時代には巻子本すらなかった可能性も。
小学生の頃にノートにページ数がないことに不便を感じた私は天才かもしれない
これって、何かきっかけがあって不便性を感じられたんですか?
同じかわかりませんが、私は講義ノートにページ数を自分で書いていました。過去の記述と関連する内容を書くときに何ページ参照のように、前の記述の場所を確認しやすくするためにページを書いてました。
@@kmish5100理科の先生が2人いるのに対し、ノートを1冊しか買っていなかったので分けて使うために番号を振ってました
俺なんか教科書にF・ンガモボグガ数がないの不便に感じたからもっと天才やわ
26:55 「社内でエライ順番にIPアドレスを割り当てたい。どう管理すればいいか?」という笑い話(もしかして事実?)が有るらしいですね。
IPアドレスにも上座が存在する?!
第4オクテットが.254のIPアドレスを上司に割り当てるのは失礼ですからね!
31:23 divideって言われた瞬間、目が死ぬのおもろい
自分は「今読んでる部分が全体の何割部分か」とか,「3日で読み終わるためにはどのくらい読めばいいのか」をかなり気にするので,ページ番号を発明してサイコパス呼ばわりされていた可能性が高い
12:51 ここでやっと「引用」って言ったけれど、水野さんが言ってくれるのずっと待ってたんかな☺️
楽しみに待ってました
ぼーくも!
たのまち
たのまち!
devide and conquer好きすぎて出てきたときキャッキャしてしまった
カエサルか
はえー、「パルプ・フィクション」とか映画で聖書を引用するとき章や節をあげるのはなんでだろうと思ってたけど、そういう理由だったんですね
数字順や語順すらもズタズタに引き裂くハッシュ関数は究極のサイコパスですね
「言海」のあいうえお順には福沢諭吉がケチをつけています。
完成品を受け取った時に「寄席の下足札が五十音でいけますか」と苦言を呈したそうです。
(ただしこれは大槻文彦について書いた高田宏の著作『言葉の海へ』からの孫引きで、原文は参照してません。すみません。)
ページ数と言う概念、プログラミング言語で言うところのアドレスに近いような気がしたんですが
もしそうだとすると、c言語以後(と表現するのが正しいかはわかりませんが)の言語がアドレスやポインタと言う概念を執拗に捨て去ろうとしてるのは、この話とは逆方向の発展だなと思いました
IT~AIにかけて、コンピュータサイエンスの発展は「より動物的に」進化する方向であることは、人類個人の成長とは逆方向になってますよね
人類は動物的な赤ちゃんから始まり経験と知識によって人間という社会の部品を目指しますが、マシンは社会の需要によって部品として生まれ、動物的冗長性に富んだ生存性を獲得しようとしています
@@もじゃろわかめそれ面白いですね〜人間は機械を目指し、機械は人間を目指して発展する…
電子書籍になって、ページの概念が再び怪しくなってるの面白いですよね。
水野「気球に乗せたのは羊、鶏、アヒル。2匹は飛べる」鶏「えっ」
一応、多少飛べる品種も居る
書いてから気づいたけど、アヒルも飛べないじゃん
まぁ鳩とか乗せても先に逃げちゃいそうだしね..
@@kgucci734 養鶏場の鶏はどうか知らないが田舎で放し飼いしている鶏は上に抛りあげると飛ぶよ、自発的に飛ぶことはしないが落下するときは羽ばたいて着地する。
犬とかに追いかけられた時も羽ばたいて逃げる、歩くより飛んだ方が早いからね一応目撃済み。
@@必泰斗養鶏場の鶏も落下するときは羽ばたく。
放し飼いよりは飛べない。
確かに自分のノートにページ付ける人いないな。
小学校の頃、ノートの目次を作りたくてページ数を必死に書いてたw
結局ページ数書くのに時間かかるから非効率的だった
ページ数が振られてないと索引が機能しないのはもちろんだけど、うっかり本が破損してページがバラけちゃった時に元の順番が分からなくなって困りそう。
聖書の索引的な章立てや節ごとの区分けも、引用のしやすさや共有のためにとても大事ですね
あれもかなり後年になってからやっと出来上がったものみたいです
26:23 形式のみで順番にまとめるという発想は確かに発想の飛躍と天才性と言った要素が必要で「サイコパス」と思われることに納得します
ただこれはインナーサークル的な意見でもあるなとお話しを聞いていて思いました
形式以外の内容を重視した分類は内容というコンテキストを理解しているのが当たり前のカルチャーの中では最もな発想である一方で内容を介さない外部から見れば排他的この上なく、形式で分けないとむしろ活用ができない
私は会社に入った時すごくインナー向けの資料群をどうにかわかりやすく整理しようと四苦八苦した経験があり、その際の先輩社員から理解の得られなさの感覚が「サイコパスだなぁ」というリアクションから想起されたのかもしれません
索引の歴史は本が一部の人間のための貴重な資源からより一般的な手法へと進化する過程で必要な“内容を無視した形式化”と“形式化や抽象化を肯定する需要の変化”を如実に表しているのかもしれません
ページ数の話はこじつけっぽい気もする…。索引もページ数も活版印刷に派生して導入された編書のためのノウハウなのかと思ってた。
そうだね。ページ数って索引のない本もそうだし、絵本にもあるんじゃないかな?
ページ数、本を言語の塊じゃなくて商人の目線からするとページ数=原価なんだから枚数で考えるのは経済的な面から考えると自然な発想だと思いますがどうでしょうか😮
水野さんのモンゴルフィエ兄弟の分け方が完全にが~まるちょば初有人飛行川柳
16:05 この下り聞いて思ったのが、この発想は書く側じゃなくてビジネスする側、今で言う出版社の発想じゃないかなぁ、と
紙を仕入れる枚数を確定して、写本師の報酬を確定して、トータルで本の価格を決めて…、と現在に通づる公平なシステムの元を考えた天才が居たんじゃないかなぁ…と思いを馳せる初夏の生ぬるい夜
30:30 極端なこと言わんと死ぬんか?の水野さんのツッコミおもろいw
ご紹介の本を未読なので書いてあるのかもしれませんが、目次はあったのか、目次でどのくらい探せたのかや、当時から理数系の書物はあったのにそういう本も検索性が低くて大丈夫だったのか、あと大量な写本文化とギリシャ哲学などの継承者だったイスラムの人々も情報検索はせずにすんだのか、といったあたりについても考察、話していただければうれしかったかも、と思いました。
ディバコン不足だったので助かりました
某チャンネルの LD50 みたいな言い草で草
本屋さんが何度か、タイトルの50音順で並べて展示してましたが、毎回定着せず元に戻していました。
新たな思考を定着させるのは難儀ですね。
「索引のない名著は迷著になる」、本を読んでいて何度かそういう記述を見かけた覚えがある。
人間性を捧げよ
いつコンピューターの話になるんだろうと思って最後まで観てました
頁「数」の思いつかなかった原因の一つに所謂「位取り記数法」が未発見だったこともあると思いました。
現代の位取り記数法に至るための重要な要素として「0」の発見があったのも事実だと思われます。
スマートフォンの普及で縦スクロールが主流になってきましたが、将来的に頁という概念が無くなる未来が来るかもと思っています
印刷物は巻物で
経典は現代でも声に出して読みますね。
ページ数に関しては電子書籍が普及してきてるので、個人間での共有が難しくなってきてますね
子供の頃にはじめて本屋に入ったとき、何の説明もなく、出版社別の著作者名順が当然の並びであることに驚いたような記憶があります。図書館では十進法の分類だったので…
デジタルヒューマニティーズもこれの延長みたいなものだから合ってる
一方でロジェのシソーラスがずっと読まれてるのも凄い
なんかIPアドレスを偉い人順に割り振るというわらえない笑い話をおもいだしたよ
悩みに雑学で答えた後の笑い
ツボです(笑)
devide and conquerは20回くらいオチになってた印象あるし、同じくらいプリンみたいな例え失敗で終わったイメージあります
記憶って怖いですね
プリン and conquer とのフレーズを編み出して水野さんをびっくりさせるしかない…!
一部のプログラミング言語には、enumerateという配列や型に連番を振る関数がありますが、特定の記号群に順序を設定することそのものが大きな発明だったんですねー
生きていると記憶の総量は増えていく。
だから脳の想起には経年劣化の仕組みがある(ないと気が狂う)。
だから、いつまでたっても「同じ刺激から同じ内容に着くこと」自体がサイコパスなのかもしれない。
value books はジャンルごちゃ混ぜで仕入れた日順で並べてたよね
日本語フルテキスト検索は2文字とか3文字単位に分割してIndex化しているというのもサイコパス
最後に出てくるおすすめ再生リストが「ゆるコンピュータ科学ラジオ全まとめ(順番通り)」でサイコパス!!!ってなりました
考え事をしない水野さんに発明ができるとは到底思えないですね
アパレル関係の売り場でも、商品陳列の際に種類ではなくカラーで陳列することがあるけど
それもよく考えたらサイコパスだな
熱帯低気圧のページを調べようと思ったら低気圧の下に「熱帯─」という項目があるのはサイコパスになりきれなかった索引ですかね(笑)
ドイツ語の分離動詞が調べ難い辞書もサイコパスになりきれてない気がします。
江戸時代の刊本見てると、ページ数ついてるのがたまにあるから、(活版印刷ではないにせよ)版本だとページ数振ろうって発想になるのかもね
索引は逆に人間的では?より便利にという概念は人間だから発想できた。便利に利用使用にしたいという概念は人間にしか無い思考な気がする。索引と言う発想が便利化に起源しているならって意味なら、サイコパスとは言い難いと思う。
発明者はサイコパスの言い回しは好きw
『人間性を捨てなければならない』
オイラー「わかる」
索引とコンピュータの関係みたいな切り口なら、是非おふたりには図書館学と図書館情報学を攻めてみてほしい。
索引のニーズはあったけど、手書きで写本していた時代にはページ数が一定でなかった。
そのため手書き写本では索引を付すのに手間が多すぎたし、写本の度に数字を見直さなければならない。
大量印刷が可能になり同じ本を大勢が持つようになってページ数が一定になり索引を付すことができるようになった。
知らんけど
『索引の歴史』と「音読」で積読チャンネルとクロスオーバーするのアツい!
それを言うなら歴史を「西暦(紀元前)○○○○年」で語るのもサイコパス
索引についての本の索引をつける索引家、美術館の設計をする建築家みたいな感じがある
「索引」「ページNo.」という概念が無いのならば、当然「目次」もありえません(目次は索引の一種)。
もしかして中世までの書名にやたら長いものが多いのはこのせいでは?
つまりこの本の内容をどこかで示さないといけないので。(前書きも長そう)
なろう系小説もタイトルだけで内容が分かるように書名が長くなっているのですごい納得しました
試作機とかけまして初めて発明した人とときます。
その心はどちらも覚えられないでしょう。
メウッチです!
そんな奴居たな〜居たか〜?
そぉ〜れっ!ここ、イタリア!!
(アントニオメウッチはイタリア生まれでキューバ、アメリカと移住して生き電話の試作機ができたのはアメリカらしいです。すみませんでした)
Codex 冊子本ができるまで、scroll 巻物だった「書物」は、索引を作るという発想から遠かった。ページ数すらなかったし。
質問の「痩せたいと思うのについ食べすぎてしまいます。どうしたらいいでしょうか?」の感じがリンダカラー∞みたいだった
ヨーロッパの製本職人って、文字読めてたんですかね?活字の時代に入ってからは、文字が読めないと印刷製本ができなくなりましたが。ページ数がふられてないと印刷や製本の作業が難しくなるのですが、製本の歴史上の識字率の変遷ってどうだったんでしょうかね。
索引からindexへ行ってデータベースの話になって、ACIDとか言い出して水野さんを困らせる回なのかと思ったら違った
二人の言う「サイコパス」が芸人いくよ・くるよの「どやさ」みたいだなって思ってしまいました
indexといえば文字列検索,すなわちデータ圧縮ですね.修論のテーマなので思い入れがあります.
電子書籍では漫画を除きデバイスの画面サイズに依ってページ数が変わるのでページ数の意味が薄れているのを感じます
今日はショート動画の日だったかぁ
出版社50音順→作品名50音順、で並べる傾向があるので。お二方からしたら「サイコパァス!!」ですね😂
(なおその前に本の大きさを小さい(文庫)→大きい(B6コミックス→ハード)順に並べてますが。)
紙が高価だから何枚使ったかを知るために番号をふるってことはしなかったのかな?
メールの宛名を役職順に並べる風習ばかりはなくなった方が良いと思う
もっとサイコパスになるべき
小中学生の頃は先生の教科書が欲しかったなぁ・・・
人間の認知可能な量(図書館なら冊数、コンピュータならアドレス)を遥かに超えた時にその物理デバイスの特性に依った情報整理をしないと適切な情報に辿り着くのが困難になるからかな
ページ数は売る側の都合で発明したんじゃないかなー
紙の質の違いで量り売りができなくなったときに、ページ数の量で値段を決めそう
面白いな今回も!
真偽はわからないけど「だから聖書の引用は書籍名-第n章第m節って言い方するんだ!!!」って気づいて、高速道路運転しながら大興奮しました。
別館のLisp回と混ざった結果、参照渡しは(生成文法の)Traceの逆か?と思ったけど適切じゃないかもしれない
29:35 巻物だったらページ数どころかページが無いから索引もへったくれも無かったのでは
何巻とかいう単位になるのかな
索引の発明とサイコパスが結びつかない、たぶんサイコパスの認識を間違ってる人たちが話をしてるから関連付けが失敗してるんだと思う。
船を編むとか見てから話を再開してほしいかな。この手の類はミスを訂正する能力が低いから、そこも併せて強化をよろしくね
写本する人からしたらページ数で仕事量を管理する動機がある
片付けるために法則性が必要になる
(本の場合)
目次:ページ順、すなわち時系列順に見出しを並べた、ある種の要約・ダイジェスト。一次元的なピックアップ。
索引:順番に関係なく、求める概念、単語など「キーワード」をピックアップし、それが「どこのページにあるか」を記載した物。二次元的なマトリクス(を、キーワードの音順(五十音・アルファベット・数字)に並べたリスト)。
27:40 物による。小説やエッセイなら、作者で分け、出版順で並べる。シリーズものなら、シリーズの1番手の出版年で、シリーズ巻数順に並べる。
実用書なら、ジャンルで棚を分け、判サイズなどのバランスや五十音順を組み合わせる。書棚を見た目でも揃えたい。
13:58 【章】なども、話の流れを区分したものではあるが、ページや目次の概念の前身であったかと。
映像に変えて当てはめると、ページ=秒。読む順・観る順の、内容そのものには関係ない小単位。
目次は、それを意味のある位置で、
0:20
3:04
20:33
などの様に時系列に並べ(この例示の時間には、意味は無く適当です)、
索引は、
オープニング 0:20
終盤トーク 20:33
序盤トーク 3:04
と、見出しやキーワードの音順に並べて、進む先を示すため、時系列的には前後する。
本の並べ方、あいうえお順でもジャンル別でもなんでもなく。なんとなく心地いい順にしてます
歴史は年号などで記録すると思うのですが、それと何がそこまで違うのでしょう?
本を並べる場合、索引視点だとジャンル分けは曖昧だよねえ
例えば羊皮紙職人とかなら枚数にのみ興味がいってた気もするんだけど現代人の感覚なのかなあ
ウェブ制作に関わっておりまして、改行位置でよく修正依頼が来ます。人間性を捨てる行為でデザインは人間に寄り添った行為なんだと認識できました。
本は大きさで分けます。さいこぱす、、、
初めての熱気球の有人飛行を成功した10日後、ボイル・シャルルの法則のシャルルが水素によるガス気球の有人飛行に成功したそうです。
今の本はシュリンクされてるので、立ち読みができない