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亡くなった祖母が最後の車としてC33後期2500メダリストクラブLに乗っていました。ボディーカラーはバーガンディパールという希少なワインレッドで内装は本革で走りはRB25DEの5速ATでボディーが軽い分しなやかに走った事を覚えています。この頃の日産は本当にいい車がたくさんあった。
バブル時代の日産を代表する1台。エンジン、グレードバリュエーションもこの時代までは豊富でしたね。
個人的にはC33が最高傑作👍
C33ローレルは私の教習車でしたクラブLとクラブSには当時憧れたものです。ピラーレスハードトップの外観も良かったですし、内装の雰囲気も良かった後のモデルよりも外観のバランス感はこっちの方が私は好きでしたまたローレルみたいな方向性を持った車種を出すといいのになと思う次第です
C33ローレル、歴代の中で最高傑作ですね。C32も好きですが、トータル的に見てもC33が一番。イメージキャラクターに坂東玉三郎さん、CMソングに宇崎竜童さん率いる「竜童組」を使うなんて、日産の社運を賭けた車ですね。
昔は5ナンバーでも魅力的なクルマが多かった。
そうですよね。バンパーの大きさが違 うだけで5ナンバーだけど、3ナンバーと同等の装備を持っていた充実満載の高品質クラスでしたよね。
今は5ナンバー3ナンバーで税金が課せられなくなったから、単純にナンバーの差は格の差みたいな感じになってきたよね。
今は、3ナンバーでも普通🤪
昔は5ナンバーでも立派な高級車、現在の車は3ナンバーでも高額な大衆車!
このモデルは、ミーハーでない車好きが乗るって感じでしたね。なにせマーク2三兄弟だらけでしたから、ヤンキーから普通の人、偉い人、爺さん様々なユーザーがいた三兄弟は当時のイケイケドンドン日本人の趣味嗜好に合致してたのがスゴイ。
C33ローレル好きな車です。当時うちの車庫には父親のC33、私のR33、弟のS14と並んでました。ボンネットもエアダンパーで持ち上げたりと高級でしたね。
我が家にもあったC33ローレル。スタイリングは最高にカッコいいし今でもこういう車が新車で売っていればなと思う😢最後の車、エクサかな?
ああ、懐かしい!今は亡き親父の愛車でした。大学生の時に免許取ってからはおさがりで私が乗ってたんですが、乗り心地が良くて本当にいい車でしたよ。(初心者が乗るには少しデカかったけど)最後の車はエクサですか。ウチの近所に止まってて「後部がなんか変な形だなあ」と思ってたら外してステーションワゴン(?)にできると後で知ってびっくりしたのを覚えてます。
日産C33型ローレルですね。坂東玉三郎さんのCMを見て欲しい車でした。デザインも大好きです。
歴代ローレルで最もデザイン性が高かったのがC33だったと思います。ヘッドライトの形状こそ全く違うもののグリル周りやA~CピラーにはY31シーマとほぼ同様の処理を施しA31セフィーロと共通の新世代プラットフォーム(R32スカイラインにも採用)しヒット作となりました。C34が再び「オッサン臭い」デザインになった事でC33人気が再燃しました。ライバルのマークⅡはX80系から90になった時に一気に若々しいデザインと質感が向上したのと対照的でした。
今見ても良い車です。
33ローレルが一番好きなデザインだった☺️。ピラーレスハードトップが最高。今なら側面衝突基準で作れないかも。最後の車はエクサクーペたな。日本では、キャノピーのゲートと交換できなかった😣💦⤵️
33ローレル懐かしいな〜通ってた教習所の車がC33前期のCA18、先輩の乗ってた車もC33前期のCA18…ウチの車がC33後期のRB20DE…免許取り立ての初心者にも運転しやすく車幅も程良いサイズ、さすが901活動のR32ベースでしたが、コレ以降の日産車は…
R33スカイラインやS14シルビアなど、醜悪デザインのC34ベースになって行き、見事に失敗作になりましたな。
89年ベストモータリングで徳大寺氏によるC33ローレルの新車解説動画がUA-camでも見れるよ。その動画で「今日乗った車の本革を、メーカーではホワイトベージュと言っていますが、正しくはオフホワイトなんです・・・」と言っていたのが印象に残ってる。この動画でもオフホワイトと言ってたので、もしかして動画主は徳大寺氏のローレルの解説動画見てたのかな?・・・・
是非、セフィーロ全般の開設を見たいな。家の親父が、このローレルに乗ってたなぁ。確かに良い車だったわ。
クレスタを買いに行ってあまりのカッコ良さからローレルクラブSを買ってしまった。事故って廃車にしてからまた普通のメダリストを買った。そこまで気に入ってた訳だが、やはり評価は高かったのか。嬉しいな😁
当時はずっとマークIIを乗り継いでたんですが、このローレルのパールツートンは本気でカッコいいと思いました😊
秀逸でしたね。自分はホワイトでした。中古ではパールツートンは高かったです。
33ローレルも好きだし、35ローレルもすきやんちゃなセダンって雰囲気でめちゃ好き。なのに中身は豪華って言う。良い意味で裏切られた車ですね(?)
このC33がデビューした頃、私は小学生でしたがなんてカッコよくて価格も手頃で良い車だろう、当時台数も多くて目で追っていましたし、親戚も乗っていたんでマジマジと見ていました。この次のC34が93年にデビューして、安全性は上がったけどおじさん臭いデザインでなんでこうなったんだろ?とショックでした。その次のC35はなんかもう、コストダウンの塊みたいになってしまってローレルが終わりました。C35は新車当時も不人気であまり見かけませんでした。思えばC34の頃からマークII兄弟の天下になったように思います。日産は90年代から欧州車を目標にJAGUARを目指したようなデザインを連発して車の質は上がったけど、日本人ウケしないデザインへ方向転換して失敗したように思います。
ツアラーが話題になったJZX90マークⅡ三兄弟も、コストダウンが目立つ車になってたのよね。
@@5red90 90系マークII兄弟も先代よりコストダウンかあからさまでしたが、デザインは良かったと思います。ただ、各社激しいコストダウンの時期で、内装の質感もパッとせず、なんだかデカイコロナにしか思えませんでした。C33ローレルの特に前期が一番質感が高かったと思います。ただ、メーターパネルのフォントとシフト周りは後期のが洗練されていました。1990年から91年にかけてうちは大阪だったんですが、新聞の折り込み広告にこの車の特別仕様車、それも関西限定のテレビとゴールドオーナメント、専用キー付きの大阪バージョンという物が毎月カラーで掲載されていました。キーもゴールドでした。ベースが2.0メダリストで確か235万円程でした。下級グレードのグランドサルーンにムートンカバー、4スピーカーカセットとCDプレーヤーが付いた、大阪バージョン冬限定仕様車も215万円で載っていました。細かく覚えているのは、この広告を2008年まで実家に置いていたんですが、ある日母によって処分されていました。父に買ってと言ったんですが、トヨタ党で聞く耳もたずで愛車にはなりませんでした。親戚はこのローレルの前期から後期に乗り継いで、C34になってから日産とサヨナラをして他社の車になっていました。歴代ローレルの中でC33が一番上質で人気も高かったです。
C33ローレルはホントにセンスのいい上品なデザインだったよね。ターボのRB20DETエンジンはパワフルでスムーズな吹け上がりが気持ち良かった。C34は角張って地味なデザインなって自動車雑誌では走る仏壇なんて表現した評論家がいた(笑)
免許を取って間もない頃にぞっこん惚れ込んで買った一番最初のマイカーがこのC33ローレルの後期型モデルです。新規に設定されたシルキースノーパールの上質感も良かったのですけど、「ローレルなら内装はブラウン!」とメーカーオプションに合ったものを迷わずチョイス。とにかくエクセーヌのしっとりしていながらもさらさらの肌触りが本当に気持ちいい車でした。ただ予算的には最上級の片翼を担うクラブSには手が届かなかったのでセレクションSを選択したのですけど、ボンネットフードマスコットの取付穴を埋めたり専用エンブレムなどを装着したりしてクラブSもどきにして乗っていたのはいい思い出です。流れるような外装ラインやインパネデザインも素晴らしかったのですけど、何といってもパートナーコンフォタブルシートの優しく包み込むような背もたれの中折れ機構が一番のお気に入りでした。
新車で購入された事が羨ましいです。
この時代の日産車は良かった。1990年代の日産のセダン車はローレルに限らずサニー、パルサー、プリメーラ、ブルーバード、スカイライン、セフィーロ、セドリック、グロリア、シーマと豊富でした。私は今の車よりもこの時代の車の方が好きです。今の車は軽自動車、コンパクトカー、ミニバン、SUVだらけです。
この当時の日産は本当に好きなモデルを選び放題で魅力的なモデルが多かったですねクラブLの高級装備満載、32タイプMに負けない走りのクラブSやグランドクルーズなど自分も迷う…もしもSR20を載せてたらまた違う結果になったかもと思うと面白そうだし、まだまだ元気に33が走ってる姿を見ると懐かしくなりますしクラブSのターボは35ターボタイプXよりパワーはもちろん劣るけど当時ならではの熱い走りを楽しめそう
ローオーレール〜♪って昔のCMが思い出された。
C33ローレルは、私が、通っていた自動車教習所の車として使っていた車でした。高級感ありましたね。ロールと言えば、2ドアタイプ通称ブタケツと言われたヤンキーの方に好かれた車のイメージですが、4ドアタイプのローレル特にC33は高級感がありました。
昔33ローレル乗っていました名車と思いますオートマでしたが加速がよくスカイラインと同じエンジンでよく走りましたし4輪デスクでブレーキもよく聞きました。転職のためやもえず手放したのを今でも後悔しています。
コメント失礼致します。🙇33ローレル。今でもカッコいいですね。😁このローレル。実は親子して欲しいと思った1台。親父は33ローレル前期クラブLの新車を狙いディーラーへ行き何故か31後期セドリックの特別仕様車を吊り上げ😲息子の自分は33ローレル後期2000クラブSを狙い、中古車屋を攻めるも81後期最終マーク2を吊り上げと、残念な事に親子共に縁の無い1台となりました。😁何度かRB20ワンカムのメダリストを堪能しましたが、名機RB20と電子制御のATマルチリンクサスとの相性抜群❗️さらに内装のウッド、アナログ時計、助手席の中折れ機能、と、スポーツセダン味のスカイラインに高級感を足した1台。この味付けに親子は惚れたのです。😁😁🤔
アナログ時計がおしゃれだったね。
夜間は見づらかった。
小さな頃からc32が今でも憧れの車です。いつか絶対に乗りたい。。
このローレルは私の家が8代目クラウンのってた時に 親戚がこのローレル乗ってて 渋い車乗ってるなぁ~ 印象でした
売れましたね。マークII三兄弟の対抗車種、長さ、幅、高さのバランスが良かったのでスタイルが男前。スリーボックスタイプですが、キャビンから前の長さ、トランクの長さがバランスよくまとまっていた。角部分は丸みを付けて柔らかさをだしていた。やはり車も第一印象が大事だと云う見本の様な車でしたね。
友人が黒のクラブSに乗ってた。エアコンがデジタル表示じゃなく、4穴ホイールが残念だった…けど外見と内装のデザインがものすごく良かった。Y31のグランツよりも高級感あった!
シルビア並みなところありましたね。
動画ありがとうございます!ちょっと前まで乗っていました。よく走りましたしあちこち行った思い出の車です。
こんばんは、遅くなってすみません。今から見ますね、めっちゃめっちゃ懐かしいです!ローレルいいですね~!ありがとうございます。
V35スカイラインは当初ローレルで出す予定だったって日産のセールスから聞いた記憶がありありあります
クルマの販売は実車ではなく「車のあるライフスタイル」を売っているのだと思います。まだ日本の多くを中間層が占めていた時代の「ハイソセダン」は素敵でしたね。中間層が憧れるのはワンランク上の上流。欧米にある(と夢想される)上流の優雅なライフスタイルでした。ということで、上流の流麗で上品なカーデザインが好まれました。CMは白人ばかり(笑)でしたが、C33は玉三郎氏など日本のハイソがバブルで台頭してきたことを表していますね。ローレルC33は、その象徴的な存在でした。ただ流麗なだけに室内は狭いです。今は、かつての中間層が没落して、多くの貧困層とハゲタカ的な上級国民?になってしまいました。現代の口をアングリ開け、勝ち誇ったような高級車は、中国人好み?のデザインで、ハゲタカの残酷さとモラルの無さを象徴してるように見えます。
天井低くて、段差のショックで頭ぶつけたのはいい思い出😊
美しく優雅が一番似合う国産車だと思う。日産は、やればできる子ということをつくづく感じるかな
1時限目のAT教習と高速教習でこのローレルにお世話になりました。MT教習ではクルーだったので車格ともにローレルいいなぁと横目でみてました(´・ω・`)エクサですね(^^♪
33ローレルが良すぎて34ローレルが不人気だった!
旧プリンス陣営が開発していた初代ローレル。折しも510ブルーバードと開発時期が重なり、その510のリアサスペンションをセミトレーリングアームの独立にした背景には、ローレル用に既に開発されていたものを譲ったという説がある。
初めて同時期のスカイラインより売れたローレルなんだよね
35ローレル乗りですが、33ローレルも好き♫
この頃までの日産はまともなクルマ(ボディ)だったな。
会社が日産の下請けと言うことで61,71とマークⅡを乗っていた小生の机の上には毎日Y32セドの安いモデルのチラシが、、、そんな中で上司がこのC33ローレルの2.5メダリストVに乗り換えた、部下の私が格上のセドリックには乗れない、さらに現場では既に34ローレルの製造が始まっていました、、、ちょっと図面を見ると何とも😅悲しい、そこで同じ2.5メダリストVにあれこれオプションを付け金額は400万弱😵ここから営業マンに値引き交渉で最終的に310万まで、、、乗ってみると5ナンバー枠に2.5、これは軽くリミッター、、、しかし34ローレルの人気が全く無く、下取りも影響し役3年、走行28000キロで95万と嘘のような下取り価格にて手放しました、、、クルマとしてはマークⅡの2.5よりはるかに上でしたね、、、
昔は下級クラスの上位グレードと、上級クラスの下位グレードがクロスしているのは普通だったな
おっさんが乗るイメージを強くしたのは7代目ローレルでは?まあ、7代目2.0クラブS・8代目の2..5クラブSに乗りましたけど。8代目は、中古で買って30万キロまで乗りました。
C34後期のメダリスト系も好きでしたがやっぱC33がいいですね!センスのいい内装、品質が良さそうな塗装、今でも欲しい車です。この車の純正フロントスポイラーを加工して自分の車に付けていました。
C33は、わたくしが通っていた車校の教習車でした。当時、自宅から2キロくらいの場所にも別の車校があったにもかかわらず、FRのC33を運転してみたいという理由だけで親の反対を押し切って10キロ離れた車校に通ったのは佳き思い出です。免許とったら黒のクラブSに乗ろうと決めていたのですが、すでに同じ会社の同学年の人が乗っていたので、諦めたのも思い出です😂でも妥協して買ったHONDAの某車はすぐに飽きてしまって1年あまりで、ローン抱えてBG5レガシィにしたなぁ😅で、結局C33は、わたくしには縁が無かったのだけれど、今見ても内装、外装、中身全てにおいてバランスの取れた佳作だという印象は変わらないです。何か、片思いだった異性に20年ぶりくらいに会ったような気持ちです😊
ローレルの紹介動画嬉しいです🥹是非34,35の紹介もお願いしたいです!笑
C33 3台 A51 4台を乗り継ぎました。 大好きでした!いい車です。今でも乗りたいです!
約20年前の初購入マイカーがパープリッシュシルバーメタリックのC33ローレルでしかもMTというなかなか希少な組合せの個体でした。兄弟車のR32やA31と比べるとひときわ剛性感ないですが、ピラーレスハードトップの解放感、MTで走る爽快感は唯一無二の存在だと思います。とてもいい車だったなぁ。最後の車はエクサクーペですか?これも癖が強くて好きな車ですね。近所でたまにキャノピーはしってます!
内外装共にカッコ良かったです。対マーク2を考えた時、ピラーレスの功罪があったと思います。
前期型のリアのデザインは2代目プレリュードみたいでカッコよかった。
自分としては、平成元年にデビューした6代目が日産ローレルの完成形だと思う。先々代はユーロスタイル、先代はアメリカンスタイルというコンセプトがカオスだったが、平成元年のローレルはシンプルでした。😮
C33ローレルは好きでしたね。クラブSとクラブLは説明にもあったようにY31セドグロ(それもグランツーリスモ)が買える値段だったので数が少なかったですね。
ゆっくり走ろう~ 、おっお~ 、ローレル !
おじさんが乗っていました。今見てもカッコいいとおもうデザイン!日産の中でR32スカイラインと同じくらい素晴らしいデザイン!!!
電動可動式ドアミラーを世界で初めて搭載したのは「ローレル」。月桂樹の意味の「ローレル」好きだったなぁ。後に改名「ティアナ」になったんだよなぁ。 ティアナに乗っていたが燃費悪かった。 クリープ現象がかなりスピード出たから、気をつけなきゃいけなかった。ティアナの意は、ネイティブアメリカンの言葉で「夜明け」
日産か、なにもかも、みな懐かしい、
働くようになって最初の直属の上司が乗っていた。歓迎旅行の帰り道「お前運転せい」と言われ「へい!」と高速道路を運転したら、すぐに「リミッター」まで出ちゃうクルマで、「上司は後部座席で寝ていた」が、助手席の他の上司は黙ってひたすら「ラーク」を途切れることなく吸っていた。
亡くなった最愛の先輩が乗っていました。助手席によく乗っておりました.....。先輩の歳を遥かに越えたな。
免許取って初めての車がクラブS ターボでした。ボディ剛性はペナペナでしたがスタイルもRB20DETの音も乗り味も気に入っていました。今でも街中で見ると目で追ってしまいます。(めったに見ませんがw)まあこんな車に乗ったせいでずっとターボ付きのスポーティ車ばかり乗ることになるのですが...
デザインは後期のほうがさらに洗練されていてよいのですが、8:27まさにその通りで、内容は前期のほうがよかったんですよね。3ナンバー化でセドグロとの境目が曖昧になりましたよね。前に紹介されていたセフィーロもそうでした。この頃は、まだ珍しかった2500ccや5ATを後期型で投入する車がかなり多かったですね。後期からターボのスポーツグレードがなぜかATだけになったりとかも…。
A31の3ナンバー化は水増しが醜かったね。街で見たことは1回しかなかったけどさ。
先代ノートにあったメダリストグレードを見た時、真っ先にローレルを思い浮かべた。
昔所有してました!シートがスカイライン系がそのままポン付けできるので34GT-Rの純正シートを左右に付けたり、シルビアの車高調がそのまま付けられたり流用で部品には困りませんでしたローレルは手放したのに履かせていた4穴のマークⅠだけは、いつか使うだろう思いながら手放さないで今も持っていますけど、4穴114.3なんて今では珍しいし使わないままで終わりそうですw
当時、職場の先輩がディーゼルモデル(MT)に乗っていたのを思い出しました。
C33前期型は歴代日産車の中でS13と双璧をなすカッコイイスタイリングの車です。この頃の日産車のスタイリングは神だった。次のモデルはデザインちぐはぐでダメダメになったが。
デザインでハッキリ言ってこのローレルを超える4ドア車は、ない
フロントガラスの傾斜が低いのでC32に比べると狭く、圧迫感あったな。パールツートンカラーはC32の20周年アニバーサリー限定モデルから引き継がれたね♪
前期のパールツートン、後期のシルキースノーパールはいい色だったなボディ剛性は最悪、5ATの変速ショックもひどかったけど、サイズ感に使い勝手はいい車でした
C33メダリスト昔乗っていたなぁ・・・いい車だったなぁ・・・。
フロアパネルはセフィーロやスカイラインと共通してたからね❕楽しかったね❕
教習車がローレルでしたしかもディーゼル
7:13待てメダリストは3代目C230/231からあったぞ。
最後に出てくるクルマはエクサですね。乗ってました。キーに特徴があって、ドアノブがタテ型でした。かつ当時は「集中ドアロック」(運転席側と助手席側が同時にロック)が当たり前でしたが、通常キーを挿して操作するところ、ロックについては、キーを挿さなくても近づけるだけで磁石でロックする形でした。磁石はキーの根っことドアノブに仕込んである。他の採用例を知りませんが、その後はリモコンキーが普及したので、そのまますたれたと思います。ドアノブ自体は同色塗装ではありますが、鉄製でした。磁石の関係で鉄製になったのかもですが、冬場はときどきピリッと来ましたね。クーペとキャノピーは付替が話題でしたが、外した方のパーツを家の中におくのは邪魔だと、早々に諦めました。
まさしくC33からY32に乗り換えた口だけど、今思うとclubS+HICASの走りはY32より良かった。
c33ローレルは良かったな。ローレルなんて興味なかったけどこれは買おうかなと思った。皆セドグロにいってたけどデザイン性、エレガントさではこっちのが上だと思ってた。もう大人になるんだからこういうクルマを買わないといけないのかな。と思ったけど、結局FCを買っちゃった笑。いまだに乗ってる…泣。この写真しかなかったんか笑。ドアモール外れてるやん。
元愛車。RB20DETエンジンはよく走った。
今はエクセーヌの名前じゃなくて、イタリア製がアルカンターラ、日本製がウルトラスエードになってます次はパルサーの名前が取れた、2代目エクサですかこのクルマもNDIのデザインなんですよね初代テラノや後期Z31、NXクーペと同じく特に多少重いですがリアゲートの交換だけで、クーペかワゴンになるのはNDIらしいアイデアだと思います日本では運輸省に邪魔されましたけど
バブル崩壊に合わせて日産凋落がスタートした象徴が、アホNDIデザインのU13ブルーバードとレパードフェリーの、醜悪垂れ尻デザイン。
懐かしい。私はクラブSに乗っていました。黒の車体にゴールドのホイールで決めてました。
昔、C33のRB20Eメダリストのマニュアルを乗り回してました
日産からティアナが発売された時、この車はどういうポジションなのか分からなかったけどその後ローレル(セフィーロ)の後釜と知った。これまでローレルを乗り継いできたオーナーさんはティアナを見てどう思ったのだろうか?
低くてシャープなボディーライン、とっても上質な内装、見た目は文句なかったね、ただちょっとえ?ってぐらい車内が狭かった、マークⅡの方が広かったパルサーEXA
皆さんおっしゃってますが、20世紀末の教習車はコレかマーク2セダンが主流でしたね。私もC33のディーゼルで免許を取りました。懐かしい車です。
パーソナルな印象を明確にしたスタイリッシュ4ドア
なつかしい車ですねうちの親父乗っておりました。
C33に限らないけど、ローレルはなんで頑なにリアシートのヘッドレストとシートバックの一体型に固執したんだろう?マークⅡは既にX50系の代でヘッドレストが可動式になっていたから、それと比べるとローレルのリヤシートは見た目が貧相だった。サニーやブルーバードとあまり差が無い感じで。
C33今でもホントカッコイイと思います。後期2500メダリストの特別仕様車所有しております。黒革シートに本木目の内装、ボディカラーはブルーブラックの希少色でフルノーマルで二桁ナンバー車です。私が死んだら日産に寄贈して後世に伝えてもらいたいです。
それは本当ですか!?!?一度お目にかかりたいです…
素晴らしい事ですね。写真か画像でも宜しいので見たいです。
10年くらい前に家にあった親のローレルがc33のクラブSターボX?やったなぁこの動画で思い出せてよかった
最後に映ったパルサーエクサ!懐かしい!
C32だったかな?世界初の電動可倒式ドアミラーをつけたのは。亡くなった徳大寺有恒さんが「世界で30番目でもいいから、実用的な装備が欲しい」と思いっきりディスっていました。
R32スカイライン2Lベースだから悪くない‼️
最後のクルマ、EXA(エクサ)ですね。それもキャノピーじゃなくてクーペを出してくるのが渋い。って乗ってました😅本来なら「クーペ」スタイルと「キャノピー」スタイルを自由に入れ替えができるように設計したのに、日本ではそれが許されなかったんですよね。(ってゲートヒンジ部分をちょっと改造すれば交換できましたけど、違法改造車扱い)エクステリアはこの前のモデルの「パルサーエクサ」を踏襲した「スリッパ」「矢印」デザイン。まあデザインは確かUSA日産(?)だったので「カリフォルニアが似合うように]だったかな(忘れた) 全車Tバールーフ仕様っていうのもサンルーフとは違う感じで好きでした。リアレンズが奇抜ですけど、実はフロントのリトラクタブルライトは、目を開けてもツリ目になるデザインでカッコよかったです。インテリアは、まあ基本は兄弟車のパルサーですが、ちょっとだけですけど「サテライトスイッチ」的なデザインでした。あと、オプションだったと思いますが、スピーカーにJBLが選べましたね。面白かったのは、ちゅうと半端なキーレスで、アンロックはキーを差し込まないとなのですが、ロックはドアノブにキーを近づけるとロックされるという機能もあって、友人に自慢していた記憶があります。懐かしくて、長々とコメントしました。スミマセン。
1988年ブルーバードV6ターボマキシマから買い換えたのがA31セフィーロ。いいクルマだったけど翌年ローレルがでてちょっと後悔した。当時のモーターファン誌にもR32とA31とこのローレルを同時に出せばマーク2三兄弟を駆逐した可能性が高いと書かれていました。それができなかったのが日産の基礎体力不足だったのか。惜しかったなぁ。蛇足だが、R32スカイラインは助手席足元が極端に狭かった。つま先立てて乗れなかったとR32からA31に運転手ごと乗り換えた助手席ビッチが言ってました。
88年に登場したと思ったが、89年1月発売だったのね。とにかくインパクトある車が数多く登場した89年だったが、このローレルにはその印象が薄い。まあ良い車だけどね。当時の週プレでカッコいいと、褒められてたな。
@@5red90 さん昭和最後の63年12月に発表されました。バブル時代で一流ホテルで開催したと思います。1月、昭和天皇が崩御され時代は平成に。そして1月中旬頃に発売しました。因みに3月納車のディーゼルメダリストのオーナーでした。
@@hiroshia5789 なんかS13シルビアと同時期にデビューした印象が強かったんですけど、実際はZ32・R32と同期でしたか。セフィーロより後とは驚きです。88年当時ではアヴァンギャルドなデザインだったセフィーロとは真逆に、コンサバなデザインになりましたね。
誤解を招きそうなので…メダリストに採用されたシートはファインベロアシートであり、エクセーヌが採用されたのはクラブS、セレクションSのみです…
ファインベロアは普通の布地でした。
@@hiroshia5789 おそらくそれはグランドクルーズ、グランドエクストラ、エクストラ用のフルカットトリコットシートだと思います。メダリストのファインベロアは普通の布地とは言えないですよ…今年4月まで持ってましたので間違い無いかと。
@@でいー-s9b メダリスト乗ってました。もう30年前乗ってたクルマでしたから。うろ覚えでした。因みに時代を感じるマルーンカラーでした。
この時代は、若者がこういった「渋い車」に乗るのがステイタスだった。しかしその後、映画「私をスキーに連れてって」の影響でスキーのブームが来て、チャラい若者はワゴンやSUVに走った。その若い人の人数分だけ次期型は販売数が減り、その次のC35の時代になるともう誰もセダンに乗らなくなって、ティアナに生まれ変わった。
C35ローレルもお願いします🙇🏻♂️
亡くなった祖母が最後の車として
C33後期2500メダリストクラブLに乗っていました。ボディーカラーはバーガンディパールという希少なワインレッドで内装は本革で走りはRB25DEの5速ATでボディーが軽い分しなやかに走った事を覚えています。
この頃の日産は本当にいい車がたくさんあった。
バブル時代の日産を代表する1台。エンジン、グレードバリュエーションもこの時代までは豊富でしたね。
個人的にはC33が最高傑作👍
C33ローレルは私の教習車でした
クラブLとクラブSには当時憧れたものです。ピラーレスハードトップの外観も良かったですし、内装の雰囲気も良かった
後のモデルよりも外観のバランス感はこっちの方が私は好きでした
またローレルみたいな方向性を持った車種を出すといいのになと思う次第です
C33ローレル、歴代の中で最高傑作ですね。C32も好きですが、トータル的に見てもC33が一番。イメージキャラクターに坂東玉三郎さん、CMソングに宇崎竜童さん率いる「竜童組」を使うなんて、日産の社運を賭けた車ですね。
昔は5ナンバーでも魅力的なクルマが多かった。
そうですよね。バンパーの大きさが違 うだけで5ナンバーだけど、3ナンバーと同等の装備を持っていた充実満載の高品質クラスでしたよね。
今は5ナンバー3ナンバーで税金が課せられなくなったから、単純にナンバーの差は格の差みたいな感じになってきたよね。
今は、3ナンバーでも普通🤪
昔は5ナンバーでも立派な高級車、現在の車は3ナンバーでも高額な大衆車!
このモデルは、ミーハーでない車好きが乗るって感じでしたね。なにせマーク2三兄弟だらけでしたから、ヤンキーから普通の人、偉い人、爺さん様々なユーザーがいた三兄弟は当時のイケイケドンドン日本人の趣味嗜好に合致してたのがスゴイ。
C33ローレル好きな車です。当時うちの車庫には父親のC33、私のR33、弟のS14と並んでました。ボンネットもエアダンパーで持ち上げたりと高級でしたね。
我が家にもあったC33ローレル。
スタイリングは最高にカッコいいし今でもこういう車が新車で売っていればなと思う😢
最後の車、エクサかな?
ああ、懐かしい!今は亡き親父の愛車でした。大学生の時に免許取ってからはおさがりで私が乗ってたんですが、乗り心地が良くて本当にいい車でしたよ。(初心者が乗るには少しデカかったけど)
最後の車はエクサですか。ウチの近所に止まってて「後部がなんか変な形だなあ」と思ってたら外してステーションワゴン(?)にできると後で知ってびっくりしたのを覚えてます。
日産C33型ローレルですね。坂東玉三郎さんのCMを見て欲しい車でした。デザインも大好きです。
歴代ローレルで最もデザイン性が高かったのがC33だったと思います。
ヘッドライトの形状こそ全く違うもののグリル周りやA~CピラーにはY31シーマとほぼ同様の処理を施し
A31セフィーロと共通の新世代プラットフォーム(R32スカイラインにも採用)しヒット作となりました。
C34が再び「オッサン臭い」デザインになった事でC33人気が再燃しました。
ライバルのマークⅡはX80系から90になった時に一気に若々しいデザインと質感が向上したのと対照的でした。
今見ても良い車です。
33ローレルが一番好きなデザインだった☺️。ピラーレスハードトップが最高。今なら側面衝突基準で作れないかも。最後の車はエクサクーペたな。日本では、キャノピーのゲートと交換できなかった😣💦⤵️
33ローレル懐かしいな〜
通ってた教習所の車がC33前期のCA18、先輩の乗ってた車もC33前期のCA18…ウチの車がC33後期のRB20DE…
免許取り立ての初心者にも運転しやすく車幅も程良いサイズ、さすが901活動のR32ベースでしたが、コレ以降の日産車は…
R33スカイラインやS14シルビアなど、醜悪デザインのC34ベースになって行き、見事に失敗作になりましたな。
89年ベストモータリングで徳大寺氏によるC33ローレルの新車解説動画がUA-camでも見れるよ。その動画で「今日乗った車の本革を、メーカーではホワイトベージュと言っていますが、正しくはオフホワイトなんです・・・」と言っていたのが印象に残ってる。この動画でもオフホワイトと言ってたので、もしかして動画主は徳大寺氏のローレルの解説動画見てたのかな?・・・・
是非、セフィーロ全般の開設を見たいな。
家の親父が、このローレルに乗ってたなぁ。
確かに良い車だったわ。
クレスタを買いに行ってあまりのカッコ良さからローレルクラブSを買ってしまった。
事故って廃車にしてからまた普通のメダリストを買った。
そこまで気に入ってた訳だが、やはり評価は高かったのか。嬉しいな😁
当時はずっとマークIIを乗り継いでたんですが、このローレルのパールツートンは本気でカッコいいと思いました😊
秀逸でしたね。自分はホワイトでした。
中古ではパールツートンは高かったです。
33ローレルも好きだし、35ローレルもすき
やんちゃなセダンって雰囲気でめちゃ好き。
なのに中身は豪華って言う。良い意味で裏切られた車ですね(?)
このC33がデビューした頃、私は小学生でしたがなんてカッコよくて価格も手頃で良い車だろう、当時台数も多くて目で追っていましたし、親戚も乗っていたんでマジマジと見ていました。
この次のC34が93年にデビューして、安全性は上がったけどおじさん臭いデザインでなんでこうなったんだろ?とショックでした。
その次のC35はなんかもう、コストダウンの塊みたいになってしまってローレルが終わりました。
C35は新車当時も不人気であまり見かけませんでした。
思えばC34の頃からマークII兄弟の天下になったように思います。
日産は90年代から欧州車を目標にJAGUARを目指したようなデザインを連発して車の質は上がったけど、日本人ウケしないデザインへ方向転換して失敗したように思います。
ツアラーが話題になったJZX90マークⅡ三兄弟も、コストダウンが目立つ車になってたのよね。
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90系マークII兄弟も先代よりコストダウンかあからさまでしたが、デザインは良かったと思います。
ただ、各社激しいコストダウンの時期で、内装の質感もパッとせず、なんだかデカイコロナにしか思えませんでした。
C33ローレルの特に前期が一番質感が高かったと思います。
ただ、メーターパネルのフォントとシフト周りは後期のが洗練されていました。
1990年から91年にかけてうちは大阪だったんですが、新聞の折り込み広告にこの車の特別仕様車、それも関西限定のテレビとゴールドオーナメント、専用キー付きの大阪バージョンという物が毎月カラーで掲載されていました。
キーもゴールドでした。
ベースが2.0メダリストで確か235万円程でした。
下級グレードのグランドサルーンにムートンカバー、4スピーカーカセットとCDプレーヤーが付いた、大阪バージョン冬限定仕様車も215万円で載っていました。
細かく覚えているのは、この広告を2008年まで実家に置いていたんですが、ある日母によって処分されていました。
父に買ってと言ったんですが、トヨタ党で聞く耳もたずで愛車にはなりませんでした。
親戚はこのローレルの前期から後期に乗り継いで、C34になってから日産とサヨナラをして他社の車になっていました。
歴代ローレルの中でC33が一番上質で人気も高かったです。
C33ローレルはホントにセンスのいい上品なデザインだったよね。ターボのRB20DETエンジンはパワフルでスムーズな吹け上がりが気持ち良かった。C34は角張って地味なデザインなって自動車雑誌では走る仏壇なんて表現した評論家がいた(笑)
免許を取って間もない頃にぞっこん惚れ込んで買った一番最初のマイカーがこのC33ローレルの後期型モデルです。
新規に設定されたシルキースノーパールの上質感も良かったのですけど、「ローレルなら内装はブラウン!」とメーカーオプションに合ったものを迷わずチョイス。とにかくエクセーヌのしっとりしていながらもさらさらの肌触りが本当に気持ちいい車でした。
ただ予算的には最上級の片翼を担うクラブSには手が届かなかったのでセレクションSを選択したのですけど、ボンネットフードマスコットの取付穴を埋めたり専用エンブレムなどを装着したりしてクラブSもどきにして乗っていたのはいい思い出です。
流れるような外装ラインやインパネデザインも素晴らしかったのですけど、何といってもパートナーコンフォタブルシートの優しく包み込むような背もたれの中折れ機構が一番のお気に入りでした。
新車で購入された事が羨ましいです。
この時代の日産車は良かった。1990年代の日産のセダン車はローレルに限らずサニー、パルサー、プリメーラ、ブルーバード、スカイライン、セフィーロ、セドリック、グロリア、シーマと豊富でした。私は今の車よりもこの時代の車の方が好きです。今の車は軽自動車、コンパクトカー、ミニバン、SUVだらけです。
この当時の日産は本当に好きなモデルを選び放題で魅力的なモデルが多かったですね
クラブLの高級装備満載、32タイプMに負けない走りのクラブSやグランドクルーズなど自分も迷う…
もしもSR20を載せてたらまた違う結果になったかもと思うと面白そうだし、まだまだ元気に33が走ってる姿を見ると懐かしくなりますしクラブSのターボは35ターボタイプXよりパワーはもちろん劣るけど当時ならではの熱い走りを楽しめそう
ローオーレール〜♪
って昔のCMが思い出された。
C33ローレルは、私が、通っていた自動車教習所の車として使っていた車でした。高級感ありましたね。ロールと言えば、2ドアタイプ通称ブタケツと言われたヤンキーの方に好かれた車のイメージですが、4ドアタイプのローレル特にC33は高級感がありました。
昔33ローレル乗っていました名車と思いますオートマでしたが加速がよくスカイラインと同じエンジンでよく走りましたし4輪デスクでブレーキもよく聞きました。転職のためやもえず手放したのを今でも後悔しています。
コメント失礼致します。🙇
33ローレル。今でもカッコいいですね。😁
このローレル。実は親子して欲しいと思った1台。
親父は33ローレル前期クラブLの新車を狙いディーラーへ行き
何故か31後期セドリックの特別仕様車を吊り上げ😲
息子の自分は33ローレル後期2000クラブSを狙い、中古車屋を攻めるも81後期最終マーク2を吊り上げ
と、残念な事に親子共に縁の無い1台となりました。😁
何度かRB20ワンカムのメダリストを堪能しましたが、
名機RB20と電子制御のAT
マルチリンクサスとの相性抜群❗️さらに内装のウッド、アナログ時計、助手席の中折れ機能、と、スポーツセダン味のスカイラインに高級感を足した1台。
この味付けに親子は惚れたのです。😁😁🤔
アナログ時計がおしゃれだったね。
夜間は見づらかった。
小さな頃からc32が今でも憧れの車です。いつか絶対に乗りたい。。
このローレルは私の家が8代目クラウンのってた時に 親戚がこのローレル乗ってて 渋い車乗ってるなぁ~ 印象でした
売れましたね。マークII三兄弟の対抗車種、長さ、幅、高さのバランスが良かったのでスタイルが男前。スリーボックスタイプですが、キャビンから前の長さ、トランクの長さがバランスよくまとまっていた。角部分は丸みを付けて柔らかさをだしていた。やはり車も第一印象が大事だと云う見本の様な車でしたね。
友人が黒のクラブSに乗ってた。
エアコンがデジタル表示じゃなく、4穴ホイールが残念だった…
けど外見と内装のデザインがものすごく良かった。
Y31のグランツよりも高級感あった!
シルビア並みなところありましたね。
動画ありがとうございます!ちょっと前まで乗っていました。よく走りましたしあちこち行った思い出の車です。
こんばんは、遅くなってすみません。今から見ますね、めっちゃめっちゃ懐かしいです!ローレルいいですね~!ありがとうございます。
V35スカイラインは当初ローレルで出す予定だったって日産のセールスから聞いた記憶がありありあります
クルマの販売は実車ではなく「車のあるライフスタイル」を売っているのだと思います。
まだ日本の多くを中間層が占めていた時代の「ハイソセダン」は素敵でしたね。
中間層が憧れるのはワンランク上の上流。
欧米にある(と夢想される)上流の優雅なライフスタイルでした。
ということで、上流の流麗で上品なカーデザインが好まれました。
CMは白人ばかり(笑)でしたが、
C33は玉三郎氏など日本のハイソがバブルで台頭してきたことを表していますね。
ローレルC33は、その象徴的な存在でした。ただ流麗なだけに室内は狭いです。
今は、かつての中間層が没落して、
多くの貧困層とハゲタカ的な上級国民?になってしまいました。
現代の口をアングリ開け、勝ち誇ったような高級車は、中国人好み?のデザインで、
ハゲタカの残酷さとモラルの無さを象徴してるように見えます。
天井低くて、段差のショックで頭ぶつけたのはいい思い出😊
美しく優雅が一番似合う国産車だと思う。日産は、やればできる子ということをつくづく感じるかな
1時限目のAT教習と高速教習でこのローレルにお世話になりました。
MT教習ではクルーだったので車格ともにローレルいいなぁと横目でみてました(´・ω・`)
エクサですね(^^♪
33ローレルが良すぎて34ローレルが不人気だった!
旧プリンス陣営が開発していた初代ローレル。
折しも510ブルーバードと開発時期が重なり、その510のリアサスペンションをセミトレーリングアームの独立にした背景には、ローレル用に既に開発されていたものを譲ったという説がある。
初めて同時期のスカイラインより売れたローレルなんだよね
35ローレル乗りですが、33ローレルも好き♫
この頃までの日産はまともなクルマ(ボディ)だったな。
会社が日産の下請けと言うことで61,71とマークⅡを乗っていた小生の机の上には毎日Y32セドの安いモデルのチラシが、、、
そんな中で上司がこのC33ローレルの2.5メダリストVに乗り換えた、部下の私が格上のセドリックには乗れない、さらに現場では既に34ローレルの製造が始まっていました、、、
ちょっと図面を見ると何とも😅悲しい、そこで同じ2.5メダリストVにあれこれオプションを付け金額は400万弱😵ここから営業マンに値引き交渉で最終的に310万まで、、、
乗ってみると5ナンバー枠に2.5、これは軽くリミッター、、、
しかし34ローレルの人気が全く無く、下取りも影響し役3年、走行28000キロで95万と嘘のような下取り価格にて手放しました、、、
クルマとしてはマークⅡの2.5よりはるかに上でしたね、、、
昔は下級クラスの上位グレードと、上級クラスの下位グレードがクロスしているのは普通だったな
おっさんが乗るイメージを強くしたのは7代目ローレルでは?
まあ、7代目2.0クラブS・8代目の2..5クラブSに乗りましたけど。
8代目は、中古で買って30万キロまで乗りました。
C34後期のメダリスト系も好きでしたがやっぱC33がいいですね!センスのいい内装、品質が良さそうな塗装、今でも欲しい車です。
この車の純正フロントスポイラーを加工して自分の車に付けていました。
C33は、わたくしが通っていた車校の教習車でした。
当時、自宅から2キロくらいの場所にも別の車校があったにもかかわらず、FRのC33を運転してみたいという理由だけで親の反対を押し切って10キロ離れた車校に通ったのは佳き思い出です。
免許とったら黒のクラブSに乗ろうと決めていたのですが、
すでに同じ会社の同学年の人が乗っていたので、
諦めたのも思い出です😂
でも妥協して買ったHONDAの某車はすぐに飽きてしまって1年あまりで、ローン抱えてBG5レガシィにしたなぁ😅
で、結局C33は、わたくしには縁が無かったのだけれど、
今見ても内装、外装、中身全てにおいてバランスの取れた佳作だという印象は変わらないです。
何か、片思いだった異性に20年ぶりくらいに会ったような気持ちです😊
ローレルの紹介動画嬉しいです🥹
是非34,35の紹介もお願いしたいです!笑
C33 3台 A51 4台を乗り継ぎました。 大好きでした!
いい車です。
今でも乗りたいです!
約20年前の初購入マイカーがパープリッシュシルバーメタリックのC33ローレルでしかもMTというなかなか希少な組合せの個体でした。
兄弟車のR32やA31と比べるとひときわ剛性感ないですが、ピラーレスハードトップの解放感、MTで走る爽快感は唯一無二の存在だと思います。
とてもいい車だったなぁ。
最後の車はエクサクーペですか?これも癖が強くて好きな車ですね。
近所でたまにキャノピーはしってます!
内外装共にカッコ良かったです。対マーク2を考えた時、ピラーレスの功罪があったと思います。
前期型のリアのデザインは2代目プレリュードみたいでカッコよかった。
自分としては、平成元年にデビューした6代目が日産ローレルの完成形だと思う。
先々代はユーロスタイル、先代はアメリカンスタイルというコンセプトがカオスだったが、平成元年のローレルはシンプルでした。😮
C33ローレルは好きでしたね。クラブSとクラブLは説明にもあったようにY31セドグロ(それもグランツーリスモ)が買える値段だったので数が少なかったですね。
ゆっくり走ろう~ 、おっお~ 、ローレル !
おじさんが乗っていました。
今見てもカッコいいとおもうデザイン!
日産の中でR32スカイラインと同じくらい素晴らしいデザイン!!!
電動可動式ドアミラーを世界で初めて搭載したのは「ローレル」。
月桂樹の意味の「ローレル」好きだったなぁ。
後に改名「ティアナ」になったんだよなぁ。 ティアナに乗っていたが燃費悪かった。 クリープ現象がかなりスピード出たから、気をつけなきゃいけなかった。
ティアナの意は、ネイティブアメリカンの言葉で「夜明け」
日産か、なにもかも、
みな懐かしい、
働くようになって最初の直属の上司が乗っていた。歓迎旅行の帰り道「お前運転せい」と言われ
「へい!」と高速道路を運転したら、すぐに「リミッター」まで出ちゃうクルマで、「上司は後部座席で寝ていた」が、助手席の他の上司は黙ってひたすら「ラーク」を途切れることなく吸っていた。
亡くなった最愛の先輩が乗っていました。助手席によく乗っておりました.....。
先輩の歳を遥かに越えたな。
免許取って初めての車がクラブS ターボでした。
ボディ剛性はペナペナでしたがスタイルもRB20DETの音も乗り味も気に入っていました。
今でも街中で見ると目で追ってしまいます。(めったに見ませんがw)
まあこんな車に乗ったせいでずっとターボ付きのスポーティ車ばかり乗ることになるのですが...
デザインは後期のほうがさらに洗練されていてよいのですが、8:27まさにその通りで、内容は前期のほうがよかったんですよね。3ナンバー化でセドグロとの境目が曖昧になりましたよね。
前に紹介されていたセフィーロもそうでした。
この頃は、まだ珍しかった2500ccや5ATを後期型で投入する車がかなり多かったですね。後期からターボのスポーツグレードがなぜかATだけになったりとかも…。
A31の3ナンバー化は水増しが醜かったね。街で見たことは1回しかなかったけどさ。
先代ノートにあったメダリストグレードを見た時、真っ先にローレルを思い浮かべた。
昔所有してました!
シートがスカイライン系がそのままポン付けできるので34GT-Rの純正シートを左右に付けたり、シルビアの車高調がそのまま付けられたり流用で部品には困りませんでした
ローレルは手放したのに履かせていた4穴のマークⅠだけは、いつか使うだろう思いながら手放さないで今も持っていますけど、4穴114.3なんて今では珍しいし使わないままで終わりそうですw
当時、職場の先輩がディーゼルモデル(MT)に乗っていたのを思い出しました。
C33前期型は歴代日産車の中でS13と双璧をなすカッコイイスタイリングの車です。
この頃の日産車のスタイリングは神だった。
次のモデルはデザインちぐはぐでダメダメになったが。
デザインでハッキリ言ってこのローレルを超える4ドア車は、ない
フロントガラスの傾斜が低いのでC32に比べると狭く、圧迫感あったな。パールツートンカラーはC32の20周年アニバーサリー限定モデルから引き継がれたね♪
前期のパールツートン、後期のシルキースノーパールはいい色だったな
ボディ剛性は最悪、5ATの変速ショックもひどかったけど、サイズ感に使い勝手はいい車でした
C33メダリスト昔乗っていたなぁ・・・いい車だったなぁ・・・。
フロアパネルはセフィーロやスカイラインと共通してたからね❕楽しかったね❕
教習車がローレルでした
しかもディーゼル
7:13
待て
メダリストは3代目C230/231
からあったぞ。
最後に出てくるクルマはエクサですね。乗ってました。
キーに特徴があって、ドアノブがタテ型でした。
かつ当時は「集中ドアロック」(運転席側と助手席側が同時にロック)が当たり前でしたが、通常キーを挿して操作するところ、
ロックについては、キーを挿さなくても近づけるだけで磁石でロックする形でした。磁石はキーの根っことドアノブに仕込んである。
他の採用例を知りませんが、その後はリモコンキーが普及したので、そのまますたれたと思います。
ドアノブ自体は同色塗装ではありますが、鉄製でした。
磁石の関係で鉄製になったのかもですが、冬場はときどきピリッと来ましたね。
クーペとキャノピーは付替が話題でしたが、
外した方のパーツを家の中におくのは邪魔だと、早々に諦めました。
まさしくC33からY32に乗り換えた口だけど、今思うとclubS+HICASの走りはY32より良かった。
c33ローレルは良かったな。ローレルなんて興味なかったけどこれは買おうかなと思った。皆セドグロにいってたけどデザイン性、エレガントさではこっちのが上だと思ってた。もう大人になるんだからこういうクルマを買わないといけないのかな。と思ったけど、結局FCを買っちゃった笑。いまだに乗ってる…泣。
この写真しかなかったんか笑。ドアモール外れてるやん。
元愛車。RB20DETエンジンは
よく走った。
今はエクセーヌの名前じゃなくて、イタリア製がアルカンターラ、
日本製がウルトラスエードになってます
次はパルサーの名前が取れた、2代目エクサですか
このクルマもNDIのデザインなんですよね
初代テラノや後期Z31、NXクーペと同じく
特に多少重いですがリアゲートの交換だけで、
クーペかワゴンになるのはNDIらしいアイデアだと思います
日本では運輸省に邪魔されましたけど
バブル崩壊に合わせて日産凋落がスタートした象徴が、アホNDIデザインのU13ブルーバードとレパードフェリーの、醜悪垂れ尻デザイン。
懐かしい。私はクラブSに乗っていました。黒の車体にゴールドのホイールで決めてました。
昔、C33のRB20Eメダリストのマニュアルを乗り回してました
日産からティアナが発売された時、この車はどういうポジションなのか分からなかったけどその後ローレル(セフィーロ)の後釜と知った。これまでローレルを乗り継いできたオーナーさんはティアナを見てどう思ったのだろうか?
低くてシャープなボディーライン、とっても上質な内装、見た目は文句なかったね、ただちょっとえ?ってぐらい車内が狭かった、マークⅡの方が広かった
パルサーEXA
皆さんおっしゃってますが、20世紀末の教習車はコレかマーク2セダンが主流でしたね。
私もC33のディーゼルで免許を取りました。懐かしい車です。
パーソナルな印象を明確にしたスタイリッシュ4ドア
なつかしい車ですね
うちの親父乗っておりました。
C33に限らないけど、ローレルはなんで頑なにリアシートのヘッドレストとシートバックの一体型に固執したんだろう?
マークⅡは既にX50系の代でヘッドレストが可動式になっていたから、
それと比べるとローレルのリヤシートは見た目が貧相だった。サニーやブルーバードとあまり差が無い感じで。
C33今でもホントカッコイイと思います。
後期2500メダリストの特別仕様車所有しております。
黒革シートに本木目の内装、ボディカラーはブルーブラックの希少色でフルノーマルで二桁ナンバー車です。
私が死んだら日産に寄贈して後世に伝えてもらいたいです。
それは本当ですか!?!?
一度お目にかかりたいです…
素晴らしい事ですね。
写真か画像でも宜しいので見たいです。
10年くらい前に家にあった親のローレルがc33のクラブSターボX?やったなぁ
この動画で思い出せてよかった
最後に映ったパルサーエクサ!
懐かしい!
C32だったかな?世界初の電動可倒式ドアミラーをつけたのは。亡くなった徳大寺有恒さんが「世界で30番目でもいいから、実用的な装備が欲しい」と思いっきりディスっていました。
R32スカイライン2Lベースだから悪くない‼️
最後のクルマ、EXA(エクサ)ですね。それもキャノピーじゃなくてクーペを出してくるのが渋い。
って乗ってました😅
本来なら「クーペ」スタイルと「キャノピー」スタイルを自由に入れ替えができるように設計したのに、日本ではそれが許されなかったんですよね。
(ってゲートヒンジ部分をちょっと改造すれば交換できましたけど、違法改造車扱い)
エクステリアはこの前のモデルの「パルサーエクサ」を踏襲した「スリッパ」「矢印」デザイン。まあデザインは確かUSA日産(?)だったので「カリフォルニアが似合うように]だったかな(忘れた) 全車Tバールーフ仕様っていうのもサンルーフとは違う感じで好きでした。リアレンズが奇抜ですけど、実はフロントのリトラクタブルライトは、目を開けてもツリ目になるデザインでカッコよかったです。
インテリアは、まあ基本は兄弟車のパルサーですが、ちょっとだけですけど「サテライトスイッチ」的なデザインでした。
あと、オプションだったと思いますが、スピーカーにJBLが選べましたね。
面白かったのは、ちゅうと半端なキーレスで、アンロックはキーを差し込まないとなのですが、ロックはドアノブにキーを近づけるとロックされるという機能もあって、友人に自慢していた記憶があります。
懐かしくて、長々とコメントしました。スミマセン。
1988年ブルーバードV6ターボマキシマから買い換えたのがA31セフィーロ。いいクルマだったけど翌年ローレルがでてちょっと後悔した。当時のモーターファン誌にもR32とA31とこのローレルを同時に出せばマーク2三兄弟を駆逐した可能性が高いと書かれていました。それができなかったのが日産の基礎体力不足だったのか。惜しかったなぁ。
蛇足だが、R32スカイラインは助手席足元が極端に狭かった。つま先立てて乗れなかったとR32からA31に運転手ごと乗り換えた助手席ビッチが言ってました。
88年に登場したと思ったが、89年1月発売だったのね。
とにかくインパクトある車が数多く登場した89年だったが、このローレルにはその印象が薄い。
まあ良い車だけどね。
当時の週プレでカッコいいと、褒められてたな。
@@5red90 さん
昭和最後の63年12月に発表されました。
バブル時代で一流ホテルで開催したと思います。
1月、昭和天皇が崩御され時代は平成に。そして1月中旬頃に発売しました。
因みに3月納車のディーゼルメダリストのオーナーでした。
@@hiroshia5789
なんかS13シルビアと同時期にデビューした印象が強かったんですけど、実際はZ32・R32と同期でしたか。
セフィーロより後とは驚きです。
88年当時ではアヴァンギャルドなデザインだったセフィーロとは真逆に、コンサバなデザインになりましたね。
誤解を招きそうなので…
メダリストに採用されたシートはファインベロアシートであり、エクセーヌが採用されたのはクラブS、セレクションSのみです…
ファインベロアは普通の布地でした。
@@hiroshia5789 おそらくそれはグランドクルーズ、グランドエクストラ、エクストラ用のフルカットトリコットシートだと思います。メダリストのファインベロアは普通の布地とは言えないですよ…今年4月まで持ってましたので間違い無いかと。
@@でいー-s9b
メダリスト乗ってました。もう30年前乗ってたクルマでしたから。うろ覚えでした。因みに時代を感じるマルーンカラーでした。
この時代は、若者がこういった「渋い車」に乗るのがステイタスだった。しかしその後、映画「私をスキーに連れてって」の影響でスキーのブームが来て、チャラい若者はワゴンやSUVに走った。その若い人の人数分だけ次期型は販売数が減り、その次のC35の時代になるともう誰もセダンに乗らなくなって、ティアナに生まれ変わった。
C35ローレルもお願いします🙇🏻♂️