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砂かき(労働)の対価として住む場所を維持し、ほしい物(ラジオなど)を手に入れる。そのサイクルから逃げることは出来ない。今の私達の生活と何も変わりはありませんね。女と女が身籠った子がいなくなったら一番欲しかった自由を手に入れる機会(縄梯子)を得たことも皮肉ですね。現代社会に生きる我々も実は砂の穴にいる生活と同じだったとは…今の生活に思わずゾっとしてしまいます。
コメントありがとうございます。なるほどですね、確かにそう考えるとゾッとします。私はループの感覚です。都市生活⇔原始生活を行ったり来たりしたい人間の心理(現実からの逃避願望)を感じます。でも結局、どちらにも出口はありません。
いや、安部公房自身はたいそうなテーマを考えていたのではなく、「蟻地獄」というアイディアから想像を膨らませていくうちに、膨大な文章を書いてしまった。そこから無駄を削ぎ落としていく過程で次第にテーマが定まって来たというのが「砂の女」の創作経緯だろう。もとはもっと娯楽的な作品にする予定だったために、主人公の一人称文章にならなかった原因らしい。女や村人の心情を書き記した、挿入的な部分を削るかどうか悩んでいたことが、一人称形式に描き直すことを難しくしたようだ。ただこの時の逡巡を「箱男」で、一人称の語り手を不確定にするという、逆活用した印象を受けるが。
週刊誌で砂に苦しむ部落の写真を見たり、その後、砂の生成を興味を持ったりということで、まさに「蟻地獄」のアイデアが起点ですね。そして完成した作品は、異様な感覚を与える。そこには当時(高度経済成長)の気分(進化へのアンチ)を感じます。
成る程。そういう理解もありますかね。自由のありがたみ、はこう言う事態にならないと判りはしない!との自戒と昔理解したけど。
さまざまな解釈をうかがえると楽しいです。これからもよろしくお願いいたします!
映画は目で観て小説は前頭葉のそれで観るものだと最近思う。選択肢のなかにそれを選ぶ人間を描く公房が無限の裾野を魅せる問い掛けの様な気がします。
コメントありがとうございます。作者の想像力、凄いですよね。
主人公は砂の底で生き延びる為の留水装置の開発等に夢中になってしまい、いざ抜け出せるチャンスが訪れても見過ごしてしまうという選択をしましたが、留水装置の開発等にも飽きてしまったら、次にまた抜け出せるチャンスが訪れたら、今度こそちゃんと脱出するんでしょうかね?私的には本作のその後の話ががとても気になりました。猫じゃらしさんは主人公はその後どういう選択をすると思われますか?
作品の終りに、7年が経過して失踪届が受理(死亡扱い)されたとあります。ですので、この間は砂の女と一緒ではないでしょうか。それでもこの男の性格は、定着を嫌いますので、いつかは脱出を試みるかもしれません。ただ、この村は脱出不可能のようです。万が一、脱出に成功しても男は外の世界(都市生活)には戻らず、『続・砂の女(死んだはずの男)』は、放浪の旅を選ぶのではないでしょうか。そこでまた新たな不条理が・・・、そしてまた順応するという循環かもしれません。でも物語の流れからは、留水装置の開発等で才能が認められて、男は管理事務所(監視)側からも重宝されて、時々は穴の外にも出してもらい、いろんなアイデアで村に貢献し、最後には“砂の銅像”が立つ(笑)のでしょうか。それだと面白くないですね!
はい、読みました。いつの日(今は未定ですが)かチャレンジしたいです!
先日1Q84の動画も上げて欲しいという旨のコメントをさせて頂きましたが、最後まで読み終えた結果、少し印象が変わりました。ラストが駆け足になって雑な感じになっていたり、広げ過ぎた風呂敷を回収しきれていないという印象を受けました...きちんと全部読んだ上でコメントするべきでしたね、失礼致しましたm(_ _)m
了解しました!コメントありがとうございます。
集落の村人たちが穴の中の女を呼ぶ時に、老婆呼びしていたのは、なぜかわかりますか?
直接の回答にはなりませんが、この女性は“未亡人”です。亭主と娘は、台風のときに砂に埋まって亡くなったと描かれています。それで、歳はとっていないけれど「おい、婆さんよぉ!」と呼んだのではないでしょうか。さらに付け加えると、男を安心させるためもあったのかもしれませんね。
砂かけ婆と引っ掛けているのかなと思いました。最初は見た目の変わらない妖怪的な存在?とも思いましたが普通の人間みたいですし、砂を掻くしか能のない女、として「あいつは砂掻き婆だ」なんて村民から笑われていたのかも…
ホントに懐かしく聞かせて頂きました。わたしにとっては余りいい本ではありませんでした。今の地球を考えるに、闇の勢力に支配されている地球に囚われている人類のようだ。だがもうすぐ地球が解放され、人類が真の自由と平等と幸せになる。
コメントありがとうございます。
そうは成らねぇ🎉
砂かき(労働)の対価として住む場所を維持し、ほしい物(ラジオなど)を手に入れる。そのサイクルから逃げることは出来ない。
今の私達の生活と何も変わりはありませんね。女と女が身籠った子がいなくなったら一番欲しかった自由を手に入れる機会(縄梯子)を得たことも皮肉ですね。現代社会に生きる我々も実は砂の穴にいる生活と同じだったとは…今の生活に思わずゾっとしてしまいます。
コメントありがとうございます。なるほどですね、確かにそう考えるとゾッとします。私はループの感覚です。都市生活⇔原始生活を行ったり来たりしたい人間の心理(現実からの逃避願望)を感じます。でも結局、どちらにも出口はありません。
いや、安部公房自身はたいそうなテーマを考えていたのではなく、「蟻地獄」というアイディアから想像を膨らませていくうちに、膨大な文章を書いてしまった。
そこから無駄を削ぎ落としていく過程で次第にテーマが定まって来たというのが「砂の女」の創作経緯だろう。
もとはもっと娯楽的な作品にする予定だったために、主人公の一人称文章にならなかった原因らしい。
女や村人の心情を書き記した、挿入的な部分を削るかどうか悩んでいたことが、一人称形式に描き直すことを難しくしたようだ。
ただこの時の逡巡を「箱男」で、一人称の語り手を不確定にするという、逆活用した印象を受けるが。
週刊誌で砂に苦しむ部落の写真を見たり、その後、砂の生成を興味を持ったりということで、まさに「蟻地獄」のアイデアが起点ですね。そして完成した作品は、異様な感覚を与える。そこには当時(高度経済成長)の気分(進化へのアンチ)を感じます。
成る程。そういう理解もありますかね。自由のありがたみ、はこう言う事態にならないと判りはしない!との自戒と昔理解したけど。
さまざまな解釈をうかがえると楽しいです。これからもよろしくお願いいたします!
映画は目で観て小説は前頭葉のそれで観るものだと最近思う。
選択肢のなかにそれを選ぶ人間を描く公房が無限の裾野を魅せる問い掛けの様な気がします。
コメントありがとうございます。作者の想像力、凄いですよね。
主人公は砂の底で生き延びる為の留水装置の開発等に夢中になってしまい、いざ抜け出せるチャンスが訪れても見過ごしてしまうという選択をしましたが、留水装置の開発等にも飽きてしまったら、次にまた抜け出せるチャンスが訪れたら、今度こそちゃんと脱出するんでしょうかね?
私的には本作のその後の話ががとても気になりました。
猫じゃらしさんは主人公はその後どういう選択をすると思われますか?
作品の終りに、7年が経過して失踪届が受理(死亡扱い)されたとあります。ですので、この間は砂の女と一緒ではないでしょうか。それでもこの男の性格は、定着を嫌いますので、いつかは脱出を試みるかもしれません。ただ、この村は脱出不可能のようです。万が一、脱出に成功しても男は外の世界(都市生活)には戻らず、『続・砂の女(死んだはずの男)』は、放浪の旅を選ぶのではないでしょうか。そこでまた新たな不条理が・・・、そしてまた順応するという循環かもしれません。でも物語の流れからは、留水装置の開発等で才能が認められて、男は管理事務所(監視)側からも重宝されて、時々は穴の外にも出してもらい、いろんなアイデアで村に貢献し、最後には“砂の銅像”が立つ(笑)のでしょうか。それだと面白くないですね!
はい、読みました。いつの日(今は未定ですが)かチャレンジしたいです!
先日1Q84の動画も上げて欲しいという旨のコメントをさせて頂きましたが、最後まで読み終えた結果、少し印象が変わりました。
ラストが駆け足になって雑な感じになっていたり、広げ過ぎた風呂敷を回収しきれていないという印象を受けました...
きちんと全部読んだ上でコメントするべきでしたね、失礼致しましたm(_ _)m
了解しました!コメントありがとうございます。
集落の村人たちが穴の中の女を呼ぶ時に、老婆呼びしていたのは、なぜかわかりますか?
直接の回答にはなりませんが、この女性は“未亡人”です。亭主と娘は、台風のときに砂に埋まって亡くなったと描かれています。それで、歳はとっていないけれど「おい、婆さんよぉ!」と呼んだのではないでしょうか。さらに付け加えると、男を安心させるためもあったのかもしれませんね。
砂かけ婆と引っ掛けているのかなと思いました。
最初は見た目の変わらない妖怪的な存在?とも思いましたが普通の人間みたいですし、
砂を掻くしか能のない女、として「あいつは砂掻き婆だ」なんて村民から笑われていたのかも…
ホントに懐かしく聞かせて頂きました。わたしにとっては余りいい本ではありませんでした。
今の地球を考えるに、闇の勢力に支配されている地球に囚われている人類のようだ。
だがもうすぐ地球が解放され、人類が真の自由と平等と幸せになる。
コメントありがとうございます。
そうは成らねぇ🎉