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皆さんは驚かれると思いますが、記紀神話は江戸時代に作られたものなのです。詳細は「【驚愕!】記紀神話は江戸時代にできたの?」をご参照ください。猿田彦ですが、これは藤原不比等が建国時代の史実が不都合なので、神話を創作して隠し、人代の歴史も相当改ざんしたことが、考古学や民俗学の成果から判明しました。教導の神の猿田彦はニニギノミコトの天孫降臨の場面で、アメノウズメと共に登場します。猿田彦は本当の初代ヤマトの祭祀王応神天皇の父の、大国主として隠されたた、日本海沿岸部の縄文海人ムナカタ族を束ねる王久久遅彦です。魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗のことで、豊岡市久久比神社のご祭神で全国の上棟式の祭神でもある木の神なのです。つまり、木霊イタケル神であるスサノヲの子の子孫なのです。出雲・丹後王国の三代の王(八束命・日高彦・高野御子)ですが、記紀神話で日向三代の神話で誤魔化しています(詳細は「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!」参照)。猿田彦は倭国大乱の英雄で、菊池川の前線基地方保田東原遺跡付近で倭国王の急襲を受けて戦死しており、周辺には猿田彦の特殊な記号入りの石碑が数多く見られます(詳細は「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その3)狗古智卑狗の霊ライン?」参照)。この霊ラインが大国主の生誕地を教えてくれました(詳細は「【刮目天の古代史】2022年の大発見!(^_-)-☆」参照)。応神天皇は三輪山の大物主大神の祟りによって呼び寄せられた崇神天皇紀の大田田根子の話が、史実に近いものです。卑弥呼の死後の内戦に勝利して列島の大半を支配して倭国王となった久々遅彦(高野御子)を、纏向遺跡を王都とする狗奴国王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇)が討って日本が統一されます。しかし、280年に狗奴国の後ろ盾だったと推理した呉が西晋に討たれますので、倭国を滅ぼした狗奴国が次に討たれると不安になったので、大国主と台与の王子で、多分南九州に逼塞していたホムダワケを探し出して両親の鎮魂のために呼び寄せ、ヤマトの祭祀王としたのです。邪馬台国の女王卑弥呼・台与の後継者ということにしたので、纏向遺跡をヤマトと呼ぶことにしたと推理しました。ですから、応神天皇・大田田根子の史実を隠すために天孫降臨神話や神武東征で応神天皇の即位に導いた神を登場させたのです。神武東征では塩土老翁としています。猿田彦のペアのアメノウズメは台与のことです。なお、応神天皇の父を仲哀天皇として誤魔化していますが、その父日本武尊が薨去して38年後に生まれた計算になりますので、杜撰な作り話と直ぐに分かります。卑弥呼の死後の内戦は仲哀天皇の熊襲征伐の話にしています。住𠮷大神の神託を疑ったために崩御しますが、大神はスサノヲのことですが、その子孫の大国主のことなのです。仲哀天皇は、狗奴国王と同じ吉備のニギハヤヒ大王の子孫の尾張王ヲトヨノミコトです。イザナミが生んだ火の神カグツチとして秋葉神社に祀られています。イザナギに殺される話にしていますが、これもその子孫の大国主に殺されたことを意味します。秋葉神社は愛知県に最も多く見られます。そして、父ヲトヨノミコトを殺された尾張王建稲種命(熱田神宮祭神、日本武尊のモデル)が九州に遠征して大国主や台与を討ちました。これを仲哀天皇の祖父景行天皇の九州遠征の話にしていますし、記紀神話では大国主の国譲り神話としています(詳細は「国譲り神話は都合の悪い史実を隠すためだった!」参照)。古墳時代初頭(3世紀後半)の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べると、景行天皇の遠征ルート上で戦闘の痕跡を発見しています(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」参照)。建稲種命は九州の支配を狗奴国王卑弥弓呼の一族(物部氏の祖)に任せ、纏向遺跡に凱旋し、日本中の大国主傘下を征伐して統一を果たした英雄ですが、これも崇神天皇の四道将軍の遠征ルート上に戦闘の痕跡を発見しました。つまり250年から280年ころまでの史実を四道将軍の遠征から応神天皇即位までの約350年間の話に引き延ばして創作していたことが判明しました。詳細は「【検証19】日本建国のための戦いだ!」をご参照ください。長々とお邪魔しました。
猿田姓の方にDNA検査をして貰えば直系の方も居られるでしょうから出身地も解明されます 知っている人から観るとインド方面かなと
DNA検査、いいアイデアです。
猿田彦さまを、渡来系の人だから鼻長く、背とあってヨーロッパ系の人が日本に着いて鉄の製鉄技術発展したりと様々な説ありますキリストが修行の為に来たと話すユニークな歴史の先生もいました神職もしてました
猿田彦の「サルタ」は、サンスクリット語の「サールタ」に由来するのかもしれません。隊商、キャラバンの意味ですね。ラクダを正しい方向へと導く意味で、「導きの神」と言われているのかもしれません。
中央アジアは盲点ですよね。
猿田彦は銅鐸に関係すると言われいます。天孫族の前に弥生時代に日本に渡来し水田稲作や青銅技術を北部九州に伝えたと思われます。水田稲作や銅鐸のルーツは中国南部にあるようですから中国南部から来た東南アジアチベット系稲作民ではないでしょうか。
サルタヒコは、ハプログループがわかっていて、グループCです。これは先着縄文人です。国津神はだいたい縄文人なのですが、正しいようです。いまは、DNA分析ができるので、古文書に嘘があったらわかります。出雲族、天皇も縄文人です。藤原氏がグループOで、渡来系です。天皇は出戻り縄文人です。
サルタヒコのDNAが分かるなんて!すごい!
新羅王
貴殿の動画を、少し見せていただいたのですが、並外れた 古文書への造詣で、執念に似たモノを感じますが、その 構成能力たるや、凄いモノで、尊敬していす。しかし、やはり、古文書だと我田引水なので、限界があるようで、真相には到達されておられないみたいですね、なので、もし よろしければ?、73代 竹内宿禰の睦泰さんが 殺された理由?となった、三重県在住の弟子の 大和竜二氏に暴露してしまった歴史の真相をお伝えできるのですが、どうしましょうか?。ロマンがあるから、知らない方がいいですか?。私の予想だと、貴殿の動画の 40%~60%が再構成になる可能性がありますが、一つだけお伝えすると、猿田彦は 瓊瓊杵尊が三つ子なので、3番目の弟です。関心がございましたら、他の話もさせていただきます。 m(__)m聖徳太子の三論宗 98年時 導士 白い兄こと 髙原義仁より2024年7月9日㈫ 16:42 書き込み・
コメントありがとうございます。引き続きよろしくお願いたします。
皆さんは驚かれると思いますが、記紀神話は江戸時代に作られたものなのです。詳細は「【驚愕!】記紀神話は江戸時代にできたの?」をご参照ください。
猿田彦ですが、これは藤原不比等が建国時代の史実が不都合なので、神話を創作して隠し、人代の歴史も相当改ざんしたことが、考古学や民俗学の成果から判明しました。
教導の神の猿田彦はニニギノミコトの天孫降臨の場面で、アメノウズメと共に登場します。猿田彦は本当の初代ヤマトの祭祀王応神天皇の父の、大国主として隠されたた、日本海沿岸部の縄文海人ムナカタ族を束ねる王久久遅彦です。魏志倭人伝の狗奴国の官狗古智卑狗のことで、豊岡市久久比神社のご祭神で全国の上棟式の祭神でもある木の神なのです。つまり、木霊イタケル神であるスサノヲの子の子孫なのです。出雲・丹後王国の三代の王(八束命・日高彦・高野御子)ですが、記紀神話で日向三代の神話で誤魔化しています(詳細は「日向三代神話は出雲三代がモデルだった!」参照)。猿田彦は倭国大乱の英雄で、菊池川の前線基地方保田東原遺跡付近で倭国王の急襲を受けて戦死しており、周辺には猿田彦の特殊な記号入りの石碑が数多く見られます(詳細は「【検証24】狗古智卑狗の墓発見!(その3)狗古智卑狗の霊ライン?」参照)。この霊ラインが大国主の生誕地を教えてくれました(詳細は「【刮目天の古代史】2022年の大発見!(^_-)-☆」参照)。
応神天皇は三輪山の大物主大神の祟りによって呼び寄せられた崇神天皇紀の大田田根子の話が、史実に近いものです。卑弥呼の死後の内戦に勝利して列島の大半を支配して倭国王となった久々遅彦(高野御子)を、纏向遺跡を王都とする狗奴国王卑弥弓呼(記紀の崇神天皇)が討って日本が統一されます。しかし、280年に狗奴国の後ろ盾だったと推理した呉が西晋に討たれますので、倭国を滅ぼした狗奴国が次に討たれると不安になったので、大国主と台与の王子で、多分南九州に逼塞していたホムダワケを探し出して両親の鎮魂のために呼び寄せ、ヤマトの祭祀王としたのです。邪馬台国の女王卑弥呼・台与の後継者ということにしたので、纏向遺跡をヤマトと呼ぶことにしたと推理しました。
ですから、応神天皇・大田田根子の史実を隠すために天孫降臨神話や神武東征で応神天皇の即位に導いた神を登場させたのです。神武東征では塩土老翁としています。猿田彦のペアのアメノウズメは台与のことです。なお、応神天皇の父を仲哀天皇として誤魔化していますが、その父日本武尊が薨去して38年後に生まれた計算になりますので、杜撰な作り話と直ぐに分かります。
卑弥呼の死後の内戦は仲哀天皇の熊襲征伐の話にしています。住𠮷大神の神託を疑ったために崩御しますが、大神はスサノヲのことですが、その子孫の大国主のことなのです。仲哀天皇は、狗奴国王と同じ吉備のニギハヤヒ大王の子孫の尾張王ヲトヨノミコトです。イザナミが生んだ火の神カグツチとして秋葉神社に祀られています。イザナギに殺される話にしていますが、これもその子孫の大国主に殺されたことを意味します。秋葉神社は愛知県に最も多く見られます。
そして、父ヲトヨノミコトを殺された尾張王建稲種命(熱田神宮祭神、日本武尊のモデル)が九州に遠征して大国主や台与を討ちました。これを仲哀天皇の祖父景行天皇の九州遠征の話にしていますし、記紀神話では大国主の国譲り神話としています(詳細は「国譲り神話は都合の悪い史実を隠すためだった!」参照)。
古墳時代初頭(3世紀後半)の鉄鏃・銅鏃の出土状況を調べると、景行天皇の遠征ルート上で戦闘の痕跡を発見しています(詳細は「【検証20】景行天皇が建国の父だった!(その1)~(その4)」参照)。建稲種命は九州の支配を狗奴国王卑弥弓呼の一族(物部氏の祖)に任せ、纏向遺跡に凱旋し、日本中の大国主傘下を征伐して統一を果たした英雄ですが、これも崇神天皇の四道将軍の遠征ルート上に戦闘の痕跡を発見しました。つまり250年から280年ころまでの史実を四道将軍の遠征から応神天皇即位までの約350年間の話に引き延ばして創作していたことが判明しました。詳細は「【検証19】日本建国のための戦いだ!」をご参照ください。長々とお邪魔しました。
猿田姓の方にDNA検査をして貰えば直系の方も居られるでしょうから出身地も解明されます 知っている人から観るとインド方面かなと
DNA検査、いいアイデアです。
猿田彦さまを、渡来系の人だから鼻長く、背とあってヨーロッパ系の人が日本に着いて鉄の製鉄技術発展したりと様々な説あります
キリストが修行の為に来たと話すユニークな歴史の先生もいました神職もしてました
猿田彦の「サルタ」は、サンスクリット語の「サールタ」に由来するのかもしれません。隊商、キャラバンの意味ですね。ラクダを正しい方向へと導く意味で、「導きの神」と言われているのかもしれません。
中央アジアは盲点ですよね。
猿田彦は銅鐸に関係すると言われいます。天孫族の前に弥生時代に日本に渡来し水田稲作や青銅技術を北部九州に伝えたと思われます。水田稲作や銅鐸のルーツは中国南部にあるようですから中国南部から来た東南アジアチベット系稲作民ではないでしょうか。
サルタヒコは、ハプログループがわかっていて、グループCです。これは先着縄文人です。国津神はだいたい縄文人なのですが、正しいようです。
いまは、DNA分析ができるので、古文書に嘘があったらわかります。出雲族、天皇も縄文人です。藤原氏がグループOで、渡来系です。天皇は出戻り縄文人です。
サルタヒコのDNAが分かるなんて!すごい!
新羅王
貴殿の動画を、少し見せていただいたのですが、
並外れた 古文書への造詣で、執念に似たモノを感じますが、
その 構成能力たるや、凄いモノで、尊敬していす。
しかし、
やはり、古文書だと我田引水なので、限界があるようで、真相には到達されておられないみたいですね、
なので、もし よろしければ?、73代 竹内宿禰の睦泰さんが 殺された理由?となった、
三重県在住の弟子の 大和竜二氏に暴露してしまった歴史の真相をお伝えできるのですが、
どうしましょうか?。
ロマンがあるから、知らない方がいいですか?。
私の予想だと、貴殿の動画の 40%~60%が再構成になる可能性がありますが、
一つだけお伝えすると、猿田彦は 瓊瓊杵尊が三つ子なので、3番目の弟です。
関心がございましたら、他の話もさせていただきます。 m(__)m
聖徳太子の三論宗 98年時 導士 白い兄こと 髙原義仁より
2024年7月9日㈫ 16:42 書き込み
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コメントありがとうございます。引き続きよろしくお願いたします。