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さすが内容が濃いですね。どれほど覚悟があろうとも腹に刃を突き立てた瞬間激痛で体が跳ね上がってしまう事はかの三島由紀夫が証明したし、乃木希典はそうなる事を知っていたので足をしっかり縛って腹の血管を切るだけにしたとか。扇子腹という腹を切らない切腹が作法となったのも無理ないでしょうね。
倉之助の皺腹開くも[不調法]って奴だろ❓️、後ろに介錯が立ってるだろ❓️(嗤
基本、よほどの大物とみなされない限り介錯人がすぐに首をはねてしまうのだと思います。
江戸時代、藩から工事を命じられた武士が無事、工事を完成させたにも関わらず、竣工して間もなく切腹した例があるようです。この場合の理由は工事中、事故で亡くなった人を出したことへの自裁だったとか。責任を全うしたあげく死ぬわけですから、現代からは想像できない精神構造かと。
それ宝暦治水のことでしょ薩摩藩が木曽三川分流工事を幕府に命じられ、幕府からの様々な露骨な条件により、藩士の病死や自殺者が多く出た末に工事完成完成後に責任者の藩家老が切腹したという
責任の取り方として切腹が形式化された時期が、もう戦が無くなった時代であり、一度も戦に出たことがないのが当たり前の時代となり切腹本番で腹に短刀を刺せない、または急所に刺せずためらい傷ばかりが増えてなかなか死ねないその為、扇子腹で形だけ切る。または扇子を取るため、かがんだら介錯が入る(事実上の打ち首)に変化でも、幕末になると武士が武士らしさを示すために、本当に腹を切る形式を自ら選ぶ者も現れる
喧嘩両成敗で思い出したんですが、西部劇でお馴染みの「抜きな。どっちが早いか勝負だぜ」の早打ち決闘。あれは、先に抜いて当てた方が 過失になって、後から抜いた方は正当防衛になるから保安官が逮捕出来ないんだそう。同時 または後から抜いて先に当てれば罪に問われないという理屈であのようになってると聞きました。
宮本武蔵の後の先、相手に先に抜かせてこちらがさきにあてるという。
あーなるほどいかに自分の方が強いのか・余裕を示すものなのかと思っていましたが、よく考えてみたらしっかりと自己保身の意味合いもあるのですねぇまぁ、「自分が生き残る」という前提で言っているのは間違いないのですけどね
切腹とハラキリをごっちゃにしてはいけないと塩野七生先生がおっしゃっていたのを思い出しました。江戸時代の武士は今思えば、ほんとに大変な職業だなと改めて思いますね。
自ら切腹して、部下の命を助けた武将に「蔵田房信」というのがいます。大内家の城将だった彼は、尼子経久の軍に鏡山城を攻められた時、善戦したのに叔父の裏切りのせいで負け、尼子経久の情けに期待して切腹しました。マイナーな武将だけどもっと評価されるべき武将です。
鏡山公園だと、夜中には切腹した侍の怨霊が出る…なんて噂がありました(笑)覚悟の上での切腹なら、化けて出ることはなさそうですね…
叔父の蔵田直信個人はこの直後に尼子経久に粛清されました。大河ドラマ「毛利元就」でもこの話がありました。経久自ら刀で刺殺してました。(元就のメンツを潰す意味合いもあったが・・・)
近代の切腹は逆に本当に腹を切ってる率は高そう
大変よき学びになりました😀
いつも楽しみに見ています。時代劇に出てくる切腹のイメージしか知らないので、こういう動画は見ていて楽しいです。細かいことですが、「行司」「差し違え」では。
差し違えって何なん?
@@y8e-k2n 判定ミス
昔、呉支店勤務時代にパワハラ上司に『腹を切れ』と包丁突きつけられて切腹を命令されたことがありました『名誉』だとなんとか抜かした⑨本という奴が『土下座強制のうえで喚き散らし』て『名誉の切腹』を『許された』ことがあり、今でも『名誉のパワハラ』として語り継がれていますね
草ぼうぼうw
ぶっ飛んだ新人が受け取った包丁で上司の腹を掻っ捌いて「これでいいんですか?」と言う展開になって欲しいです。
@@saikawawawa 阪本に『切り方教えてやる!』と言われ刺されかけた琴ならありますね
切腹が野蛮なんて、アングロサクソンには言われたくないですね(笑)。今回もありがとうございます!
野蛮というか、もう「腹切りはイエスがもうやってくれた(から自決は自己満足でしかないし自殺はNGという教えに背いたから信徒ですら問答無用で地獄落ちる)」のにどういうことなの…」という困惑が先に来るからそりゃあビックリしたでしょうね…
赤穂浪士の10人が切腹した江戸の伊予松山藩屋敷跡はイタリア大使館になっています。
切腹にも歴史があり、最古は藤原保輔が何かの重罪で逮捕された時、責任逃れか無実だという身の潔白を証明するために自ら腹を切ったのが始まりという説があります。
腹こそ切らないが、政治家の汚職の証拠を抱えたまま秘書が自決、というのも何度かありましたね。こういうのもとても日本的。
外人が驚いたのは宗教で自殺が禁止されていたから市川海老蔵主演の「一命」の切腹シーンは凄かった。凄まじいの一言切腹ではないがどこの国かは忘れたけど殺人者や犯罪者の一族への罰として、その家族に殺人者や犯罪者を殺させるってのがあったな。例えば両親が盗みを働いたり、殺人を犯せばその子供に両親を殺させるって方法
赤穂浪士を預かった大名家の内、久松松平家では「切腹者が小脇差を取り上げ腹に当てる前に首を打つ」「左手で髻を持って落とした首をもち上げる」など無体な扱いをしたと言われている。
私の財布、真っ赤なんですよなんでかっていうと、買い物するときはいつも自腹を切ってしまうからなんです
大納言で切腹というと駿河の忠長卿か…小ネタも凝ってますね。
こう聞くと、幕末の時代に3回腹を切って死んだ武市半平太はすごい
同じ土佐藩士で堺港でフランス軍が乱暴狼藉を行い、警備をした土佐藩士と銃撃戦になりフランス側に死傷者が出てフランスは抗議して銃撃に参加した土佐藩士でフランス軍側と同じ死者と同じ数を死刑にしろと言ったので明治政府はフランス側の要求を受け入れて銃撃に参加した土佐藩士をくじ引きで切腹する事に成ってフランス軍の立ち会いで切腹になったが切腹する土佐藩士は意地を見せて切った腹から内蔵を掴みフランス軍に見せ付ける様にして果てて他の藩士も切腹をして行きフランス軍は切腹の光景にショックを受けて数人残して切腹中止を言って取り止めになった。
解説聞いてると葉隠の武士道とは死ぬことなりってホントは死ぬ気で働けって思えてきたなあ。
説明されていたように何かの本に切腹は十数時間苦しみ抜き果てるとのこと、恐ろしい。そのため介錯することによって長く苦しまずに済むとのこと。でもこちらも恐ろしい。
太平洋戦争終戦時に時の陸軍大臣阿南 惟幾大将が介錯なしでお亡くなりになってます、
今は頭でものを考えると思われてるけど、昔は腹でものを考えると信じられてたんだよねさらに最新だと脳は腸に操られてると一週回って正しかった
動画ありがとうございます。切腹を名誉とする考え方が修道と関係しているという話は大変興味深いと思います。近代の日本における新渡戸の武士道はむしろ欧米諸国との比較の中で絶えず葛藤し、劣等感を抱く知識人の想いの発露という側面が強く、新渡戸の武士道が江戸時代のそれなのかは個人的には疑問なところです。そして、何より問題なのは軍部において武士道が都合のいい形で解釈され、お国のために生命を軽んじることこそが大和魂であるとして利用されたということでしょう。
ここで補足させていただく。故名和弓雄氏の著書によると、切腹の用意に肩衣(かたぎぬ)をはね、もろ肌を脱ぎ、両袖を膝の下に敷く。これは、切腹の苦痛で後方にのけ反りたおれないようにするための用意である、とのこと。
安場一平「では、三方に乗せてある小刀に触れましたら介錯しますのでよろしくお願いします」大石内蔵助「あい分かった」江良清吉「では、三方に乗せてある小刀に触れましたら…」間新六「お先に御免!!(腹スバー」江良清吉「おいっ、話は最後まで聞けこのアホ!!」
映画では仲代達矢さん主演の「切腹」がオススメですね。切腹するぞ!って脅して大名家から金をせしめる武士。その顛末を描いた映画。
赤穂事件のドラマでは「以て瞑すべし 」を覚えてますねもちろん作り話ではあるのですが
「切腹」という白黒映画を見たのですが、金持ちの家に上がり込んで、庭で切腹させてくれとせがんで、庭が汚れるのが嫌な金持ちは「お金あげるからお引き取りください!」ってお金くれるのでありがたくいただいて帰る、というせこい稼ぎ方が流行した・・・・・・・・・という話があったのですが、完全な作り話ですか?
テラセン毎回楽しみ😊
介錯は首と胴を切り離したら斬首=罪人になるから首の皮1枚残してギリギリ繋げておかないといけない
myu Nomura様 なるほど勉強になります、私が読んだ説は切腹時に首と胴が離れると後ろに体が反り返るため、首の重みで前のめりに倒れるのを予定しての説でした、なるほど奥が深いです、
島原の乱では島原・天草の領主は切腹を許されず打首にされていましたね。
島原の領主が斬首されたのは確かだけど、天草の領主は改易処分で済んでいます。後に精神に異常をきたして自殺したとされていますが、斬首はされていません。
こういう動画は英語版が欲しいよね!
大賛成です。日本文化は、難しいね~
英語版があれば、全世界の人々が見られるのでgood!
切腹にもいろいろあるわけですね。最近、戊辰戦争に興味が、あって調べていますが、良くわからないのは、あれだけの戦いの戦争責任を一人の家老がとって、松平容保には謹慎だけ。後追い殉死を防ぐためなのか。神保修理の切腹も理解できない詳しく教えていただけると有り難いです
何処の藩か忘れましたけど切腹するほどの事じゃ無かったのに外人さんが「切腹が見たい」と言って数人に切腹させたけど惨たらしいので途中で「もう良い」と言い出したけどそのまま最後の人まで切腹させたという話があったような? 「もう良い」と言われた次の人が内臓を引きずり出して外人さんに投げつけ、その後の人も同じ事をしだして外人さん達が気絶した話があったと記憶しています うろ覚えでスミマセン💦
慶応4年に堺で起こった、フランス水兵と土佐藩警護役の顛末ですね。
@@大内山乳業 さん 有り難うございます🙇
上のものが責めを負わないというのは、現在に通じますね・・
切腹だけではなく、斬首刑でも普通は手足を拘束して目隠しをし、刑場に引き出されて斬られるものだった。だが、拘束されることも目隠しもなく自らの足で刑場に現れ、端然と座った状態で斬られたという話もあった。
今回も面白かったです!海外とのギャップの話は、ハリウッド映画「47RONIN」がいまいちな結果で終わったのは現代日本人がもはやハラキリを美徳として見ていない(=忠臣蔵があまりメジャーじゃない)ことを知らなかったのが敗因じゃないか、という切ない考察をなんとなく思い出しました。 介錯人の話も出てきたので、ぜひ山田浅右衛門についても取り上げて欲しいです!よろしくお願いします!
刑罰の遠島の話も聞きたいねどんな所へ流されてどんな生活をしていたのかも
勉強になります。有難うございます。赤穂浪士の討ち入りは再就職の目的もあったというお話がありましたが、具体的な根拠が有れば教えて頂きたく、お願い致します。
誰だっけ?介錯までに、自分の臓腑を並べて果てたってのはドクター秩父山の腹を割って話し合おうを思い出したり
寺戦師匠が何時向こうで件の縦ノリの会のアノ方を遣るのかでヒリヒリする。
7:05 その典型が織田信孝の辞世「昔より 主討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
御免!「昔より 主討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」その言葉の意味や、出来れば映画とか知りたいです!
@@花帆実太 様 源義朝が平治の乱に敗れて落ち延びる時に今の愛知県知多市内海近辺に立ち寄り時、家来の舅とその息子が平家の褒美に目がくらみ、義理の息子とそして風呂場で義朝を討った故事が元のようですが、野間大坊に義朝公のお墓があります、この辞世の句は後世の創作のようで、主討つ身は地名の内海にかけています、因みにその舅と息子はのちに息子の頼朝が勢力を盛り返して平家を追討しているときに、詫びを入れて頼朝より褒美は「美濃尾張でどうじゃ」の口頭打診に奮戦したようですが、平家追討後に褒美を交渉したら野間近辺の松に吊されて処刑をされたようですこの松は今でも残っています、頼朝は裏切り者親子の褒美は「身の終わり」と処刑前提で使役していたようで、似たような使い方に一休さんの「このはしわたるべからず」もあります、確かこのような内容だと思いましたご参考までに
@@strv1034 勉強になりました。有難う御座います。これからも勉強していきたいです!
切腹なら幕末に堺事件がありますね。あと、武市半平太の切腹は逸話ですが三文字切腹したとか
己れの失態を償いを潔いと受け止める精神的風潮は古の時代から己れの未熟さ故に起きた失態であり、それをすべて己れの未熟さを攻め、その償いとして切腹という形で自己完結し、己れの高潔さを守り身を清める形で命を絶つ。どこまでも高潔で潔白なものを求められる。恐らく今の中間管理職的な存在なんかはものすごくこの対象だったのだろう。主従に対する忠義心を守ることが、武士道としてどんなことよりも最優先させるものであったのだろう。確かに当時社会や組織の秩序を大きく乱すようなものはこう言った作法やしきたりによっていち早く摘み取られたのだろうが、いま考えればこういった言論や表現の自由が存在しなかった武家社会は延いては近代日本の大平洋戦争への突入とまた現代に通ずる縦割り社会に通ずる組織の閉塞感と異論や反論を許さぬ、また聞く耳もを持たぬ上役や上司のそれを理解する能力の無さにも相い通ずるところがある。組織の形骸化されたものに拘るよりもそれは組織がいかに機能し、いかに存続すべきかという実在価値や実戦的な意味合いに於ての在り方を円熟されるべきである。現代の組織に於ける個人の利益と肩書きを優先するあまり、その組織を司る連中の私欲や自己顕示に歯止めがかからず、己れの一身上の都合を極度に優先することが日常慢性化し、それが多くの管理職には通例となりそして緊張感も消え、組織の在り方や高潔さ、気高さを差し置き軽視する様は名前や肩書きだけが独り歩きする実に上司や上役にとって好都合で独善的な腐りきった形を作り上げてしまった。上役や上司が部下の失態の責任を取るどころかその尻拭いを部下におしつける様はもは武家社会とはその高潔さや崇高さは月とスッポンである。恥を知れ。
江戸時代では自裁の権利を唯一持つ階層が武士でした武士以外の町民や農民は罪を犯した際に裁判を経て罰を受ける必要がありました武士は裁判を経ずに自ら罰を受ける権利があったのです切捨て御免と言われるが実際に無礼討ちを行った武士は自裁、つまり切腹を行って果てました詰め腹や刑罰としての切腹(赤穂浪士のような)は本来の切腹とは少し意味が異なっています赤穂浪士の場合はすでに浪人身分なので本来は切腹ではなく斬首にすれば美化されることもなかったでしょう幕末の吉田松陰は浪人身分での犯罪者(老中暗殺未遂)斬首でした
新選組の隊士なんかの中には親族が集まって総出で身体を抑えつけて手に持たせた短刀を腹に突き刺してって…周りの者たちが大勢で手伝ったとかいう話があるようだけど、あれは切腹の実態を知らなかった者たちが武士として死ねるのだからと暴走しちゃった結果なんだろうな(´・ω・`)
切腹すれば、禄が保障されるしねー
アメリカ人から感じた和製英語の解釈-ちょっと昔「マイク!昔のニッポンにはすげー強いソルジャー がいたらしいゼ」「Oh crazy!」→Samurai (侍)「サムライは名誉のために自分の命を顧みないらしいゼ!自分の腹を切って死ぬらしいゼ」「Oh crazy!」→Harakiri (切腹)-現代「マイク!ニッポンにはチャクラを使ってビームを出すクレイジーソルジャー がいたらしいゼ!」「NARUTO!!! Rasen Gan!!」→Ninja (忍者)「ニッポンのworkersは仕事の入れすぎで死ぬらしいゼ!」「Oh… crazy…. (ちゃんと休めよ…)」→karoshi (過労死)
やったかもしれないけど大坂城代などを筆頭に城代という身分を解説して欲しいです
赤穂事件は討ち入る前から取り沙汰だったけどね…
相撲の世界の切腹といえば、伊之助さんはこれまで何度腹切ってる事が・・・wまぁ60歳近いおじいちゃんがスーパーアスリートの横綱大関の運動神経についていけるはずもないので、行司は伝統職で本当の審判は土俵下の紋付きの親方達(&ビデオカメラ)が現在の位置付けです。
4:33 この行司の話はトリビアの泉で聞いた。
えー、自分は、もっと昔の(ああ播磨灘)TVシリーズ劇中からでした。😅
切腹に対する幻想が壊れた…
首は完全に切り落とさず、皮一枚残す…。
18:58 質問です。ここで紹介している内々の自○、表向きには病死となるのだろうけど、これのやり方も動画後半で説明している扇子腹+介錯だったのですか? そして検死役が首が切れてるか検分したんでしょうか?
最近では若いお姉ちゃんと浮気した映画評論家が切腹したらしい腹を切っているのにとっても御元気そうでなにより
切腹の世界にディスカバリー!🤣🤣🤣🤣🤣🤣
ある意味恐ろしい時代だよね!今の時代に生まれて規定良かったよ。
松平図書頭は今でも長崎市の大音寺に眠っています。
切腹、武士がいた時代は覚悟のある行為だったが、明治以降は廃止になり、昭和では海軍中将大西瀧治郎が特攻で若者を死なせた罪を手紙に仕立てた後に「介錯なしに長く苦しむために」切腹したとか。三島由紀夫のアレは未だ不明な面が多いが。
うこ”くちゃんを自"〇"に追い"込みました!証拠をホ―ム画面に貼ってます。低評価は禁止です。”
バーちゃんちに脇差し??短い自殺する刀あるけど戦争のときに敵に捕まって拷問される前に楽に死ねるようにって言ってたなー!
鸚鵡ロウチュウキでは数行なので江戸以外では大した話題になってなかったという話もw
なにかで清水宗治の切腹を秀吉が褒めたとかで武士は切腹を名誉の最期としたという話を聞いたのですが、真相はこういうことだったのですね(*´∇`*) ちなみに切腹と言えば日根野弘就が腹を斬った時、処分してない書類の事を思い出して処分しに戻っていった話が私は好きです
ゆっくり幕末チャンネルぜひ!!
いずれにせよ、こんな苦痛を伴う自決をしてきたものだと驚嘆します。三島由紀夫もよくやったよなぁ!
最後の切腹刑は稲田事件この事件のせいで徳島藩の属国だった淡路島が兵庫県に編入されることになる
そう言われておりますが、最後の切腹刑は、稲田事件でなく明治5年11月4日には加賀本多家旧臣の敵討ち(明治の忠臣蔵と言われている)により切腹した12人だそうです。何故なら稲田事件により切腹したのが明治3年9月15日より後に裁判により切腹刑を受けたからです。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9#%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3
中華の話ながら、武則天に忠誠を示すため切腹した官吏がいたとか。手当てを受けて助かり、結構出世して長生きしたらしいので、腹を切っただけではすぐ落命しないことは明らかといえそう。
内臓、特に腸を破ったら速攻で腹膜炎起こして今でもまず助からんで
男色は武士の嗜み
首の皮一枚残すしてうつぶせに倒すというのも実際にあったのでしょうか?かなり難しい技術だとは思いますが。
比叡山の修行も短刀渡されるんだよねー。結構大事な精神だと思うけどねーー特に政治家には笑
不祥事をしても切腹も出頭もしたく無い者も当然居て其の時は親戚の者達が集まって来て無理矢理切腹させて検視させて腹を見せて切腹しましたって事にしてた事も多かったらしいね。家を守りたいから必死だよね。
自分は「切腹」の概念が歴史の文献を読んだり時代劇好きの祖母から聞いていたので割と早い年齢で知識としては知っていましたが、今回の解説は奥深いものがあり参考になりました。幕末で気になる人物としては慶喜公について詳しく知りたいです。
本当の意味での切腹は無かったみたいね!無惨でしかないからね、介錯がすぐ入るから。切腹ではないけど斬首に新刀の試し斬りが使われてたって言うのがあるけどどうなんだろ?
現代人は理解できない三島由紀夫&森田必勝 えっ
上を残して下を処罰するのは儒学の悪い部分
優秀な侍が切腹切腹してたらカスばかり残るんじゃないのか。
25:30辺り、解釈人でなく介錯人です。
関係ない武士まで殉死したのは岡田有希子が自SATSUした後、10代の後追いが続いたのと似てるのかも。
御免!感動して泣きそう!赤穂事件(忠臣蔵)は後世永遠に言い伝えてほしい。
二度目の勅使優待を命じられた、金持ち、赤穂藩失業者の逆恨みだろ❓️(呆松の廊下で刃傷沙汰って切腹案件で当たり前だろ❓️(呆
大納言って駿河大納言こと徳川忠長かな
切腹か…しかし、俺が切腹と聞いてまず思い出すのが江戸時代の武士よりも“三島由紀夫の割腹自殺”なんだよな…その次が寝ぼけて切腹して死にかけた武士の話か。
松平忠章のことですね、寝ぼけて切腹して死にかけたのは。そんな事件があったので跡継ぎにはなれなかった若様。
@@松ちゃん工房そうです、そうです。 本人はかなり父との人間関係に悩んでた(多分ノイローゼかな?)らしいので笑っちゃ駄目なんでしょうけど…笑っちゃうんですよね。
@@derkers3118 チャンネル登録しました!
むちゃくちゃ為になる動画だから、最初の茶番無くして最初から本題に入って欲しい。
自分は薩摩藩の子孫だが、確かにそういう教育は色濃くあった。若くてそういう土地柄でなく、そのての血脈で子供のころから教えこまれていない方には判らないだろうけど。
子連れ狼の拝一刀って元公儀介錯人って設定だったけど、そんな役職って実際は存在しないのね。切腹なんてそうそう有る事じゃなかったみたいだし納得だわ。世に言う首切り役人と言われた山田浅右衛門も御試御用っていう刀剣の試し斬りをする人で、しかも世襲ではなく名籍を継ぐ形式だったとか。相当な腕前がないと出来ない役職だろうし納得だわ。
切腹といえば三島由紀夫かな?
手打ちって手首を切り落とすことかと思ってた
自由と責任の問題 逃げ出す事もできるよ 今の政治家と公務員は無責任の職業 だから常に反発を食らう
介錯のない切腹=自裁、死にきれずもがき苦しむんだよな。切腹の最終工程は、結局頸動脈断切。腹切るだけでは死ねないよ。
江戸後期の武士に切腹できたのだろうか?
責任者が責任を取らない文化はこんなに根が深かったのか。現代の日本も江戸時代も変わらないのね。
三島と一緒に割腹した若い隊員は何か所も躊躇い傷があったというしなあせめてちゃんと作法を知ってれば・・・
切腹研究家によると、森田のは躊躇い傷ではなく、腹の皮だけをすっと切る高度な技で、作法に則った見事な切腹だそうだ。介錯人がいるのに刀を深く差し込んで、介錯をし辛くした三島の方が間違いだそうだ。
ぼくのお腹は綿しか詰まってないですよ!
背景の介錯人の刀が直刀なのに凄い違和感
幕末も含めて江戸時代なのに別ってのもおかしいような。。「戦国時代は室町時代と別」みたいな分け方は、室町の常識がない人による戦国時代の誤解が横行した原因だし、一緒のほうが理解しやすくて良くないですかねえ。
武士が切腹して絶命する訳では無く介錯人が首を切り落とす事で絶命すると思うけど
松平容保は腹を切るべきだったと思うなぁ。それで会津戦争も回避できたと思うわけで。
最初に切腹をしたのは源為朝といわれています
追腹っていうやつな
切腹の御沙汰というのは基本的にありません。基本的には切腹を差し許す。というのが、正しい考え方です。赤穂浪士事件の時の、綱吉の裁決に間違いがあった為に討ち入り事件に発展していきます。その辺りは、浅野内匠頭に聴取にあたった目付の日記、老中に上げられた報告に記載されて、記録として残っています。討ち入り事件も、大石蔵之介は吉良を討ち取ることより、浅野内匠頭への公儀の処分の間違いを正す為に、行っていますので。本来なら、泉岳寺において全員で切腹するのが正しい処置なんですが。大石蔵之介は自分達が、公儀に捕縛されることで公儀について浅野内匠頭への処分を正すのが目的でしたから。
旧軍の無責任体質は、武家社会を引きずってたってことかな?
「切腹が残酷」かどうかは、その背景となる「環境や文化」を考慮する必要がある。まず、ほとんどの切腹には「合理的な理由」があった。それに対して、例えばヨーロッパの「魔女裁判」には何一つ合理的な理由がなかった。魔女裁判は、欧米で13世紀から18世紀まで、つまり切腹と同時代に行われたが、「切腹は残酷だが、魔女裁判は理性的だ」と欧米人が考えているなら、どう考えても狂っている。---次に「環境」について考えてみると、日本人の平均寿命は、戦国時代で30歳前後、江戸時代でも30歳代後半だったと考えられている。これらは、戸籍に残らない流産や間引き、夭逝を含まないので、それらを含めた平均寿命は、20歳を下回っただろう。つまり、20歳を超えて結婚し、子供を作ったら、当時の人には「もう十分に生きた」という充実感があったはずなのだ。それは、現代社会で、50歳で未婚のフリーターをやっている人間には理解できない感情だ。それを、現代の50歳で未婚のフリーターが、「50歳のオレでも死にたくないのに、20歳で切腹するなんてどんなに辛かっただろう」と想像するのは愚かなこと。---もう一つ「環境」について考えると、江戸時代になっても「パイ(資源)」は少なかった。つまり、誰か一人を生かすためには、誰か一人が死ななければならない。自分が社会のプラスになっているうちは、胸を張って生きられるが、そうで無くなったら、潔く死んだ方がいい、という考え方は極めて一般的で、人間に限らず、動物でも見られる。これが「間引き」や「姥捨」の習慣の根底にあるが、これは「健全な社会」を維持するための「知恵」だ。もしこれを残酷だと言うなら、それは世界全体が残酷なのであり、そこに含まれる人間の責任ではない。また、「定年」という考え方も、基本的には「姥捨」と同じで、パイを譲るためにある。平成天皇の「退位」も基本は同じで、「天皇というパイ」は現代でも一つしかない。また、定年があるから「計画的にガンバれる」という利点もある。例えば、小さな会社で創業者が高齢までガンバると、創業者が死んだ途端に会社が潰れる。これは、後継者がなく、事業の引継ぎもされないからだ。定年や、その根底にある姥捨の習慣は、「元気なうちに後継者を育て、事業を引き継ぐ」ための知恵なのだ。ただし、「そうでない社会」も存在する。「中国と欧米」だ。彼らは戦争をやり過ぎたため、潔い人間が絶滅し、ズル賢い人間だけが残った。その結果、彼らはパイを独占し、不老長寿を求めるのが当たり前だと思っている。しかし、広く世界を知れば、むしろ彼らの方が「特殊(アンバランス)」なわけで、別に彼らの価値観や評価を気にする必要はない。---次に「文化」について考えると、「生贄」という文化が世界的に広く伝わっている。日本にも昔(紀元前)は伝統的な生贄文化があったようだが、中華文明の流入とともにそれは途絶え、「刑罰的」もしくは「税負担的」な生贄に変化した。そのため、現在の日本人は切腹には寛容だが、生贄には強い拒否反応がある。しかし、古い日本文化と関連のある南米の生贄文化を調べてみると、生贄になる子供は、そもそも「生贄となるべく生まれ、教育される」。つまり、彼らにとって、生贄は「立派な職業」であり、「生きる目的」なのだ。もし生贄を否定したら、彼らは生まれてくることさえできないので、もし生まれてくる前の彼らに選択肢を与えれば、「生贄でいいので、生まれさせてください」と答えるだろう。そもそも人には「分」がある。現代社会では、平均寿命が伸びて、高等教育が施されるようになった結果、「職業選択の自由」を保障できるようになったが、それでも「50歳で未婚のフリーター」とかがたくさん存在する。つまり、「現代社会は成功している。より幸せになった」とは言い切れない。ましてや、昔の社会で同じことをやれば、大半の人間が学校や会社で学んでいるうちに死んでしまい、子供ができず、社会は破綻する。だから、昔の社会では「職業や階層(階級)」があらかじめ決められていて、生贄は初めから生贄として生まれるし、貴族は初めから貴族として生まれる。確かに「不公平」ではあるが、それ以外に社会を回す方法がなかったのも事実。同様に「武士」も否応なしに「武士」として生まれた。そして、生贄は生贄として死に、少数の武士は切腹して死に、農民の多くは餓死か病死した。もちろん「隣の芝生は青く見える」だから、本人たちは他の生き方を羨んだかもしれないが、客観的に見れば、どの生き方を選んでも大差はない。---もう一つ「文化」について考えてみると、日本を含む多くの国には「輪廻」という考え方がある。輪廻は、少なくとも「物質や情報」というレベルでは正しい。例えば、ある人間の中にある「水分」は、ちょっと前までは海の中や他の生物の中にあった水分だ。同様にDNAも輪廻する。例えばコロナウイルスは、かつてどこかの生物のDNAの一部であったものがちぎれて独立し、それが人間の体内に入って増殖し、伝染している。生きている人間でもこれだけ物質や情報が輪廻しているのだから、「死ねば全体が輪廻するだろう」と考えるのは自然なことだ。この時、「記憶や意識」は輪廻しない、と考えられているが、それでも「形質」は確実に子供に輪廻(遺伝)しているので、それだけで十分だ。「せっかく築いた記憶や意識だから、ぜひ次の命でもそれを引き継ぎたい」と考えるのは尤もだが、もし次の命が「カエル」とかだったら、人間の記憶や意識に何の価値があるだろうか?また、そもそも容量的にカエルの脳に人間の記憶や意識を移すのは無理。また、もし次の命が「人間」だったとしても、それが「アメリカ人」だったら、「英語を話せない自分」の記憶や意識を引き継ぐことに何のメリットがあるだろうか?このように、「輪廻は確実に存在するが、限定的」というのが妥当な解釈で、今も昔も変わらない。そして、輪廻を自然と受け入れられる人間なら、「今回(の命)は失敗したな、次回はもう少し上手くやろう」ぐらいの軽い気持ちで切腹できると思う。ただし、「そうでない社会」も存在する。「中国と欧米」だ。彼らは戦争をやり過ぎたため、現生を生きるのがイヤになってしまった。だから「輪廻」を受け入れない。彼らは「現生でのお勤め」が終わったら「(現生より楽な)天国に行く」のを理想としているが、行けそうもない人が多く、そういう人は少しでも現生を長く生き、金儲けすることをよしとする。それに比べて、切腹してカエルに生まれ変わっても、「それもまた楽しい」と感じられる人間は幸せだ。
輪廻の捉え方は面白い。テセウスの船は永久に存在し続けることができるわけだ。人の細胞も組織の細胞も新陳代謝が止まれば長く生き続けられないのは事実。それは正しい。しかし永遠や無限に執着する人間の思想から生まれた産物に期待する効果ではないかな。たとえ人類が滅びても生物史の過程として残ると誇るのに、なぜたかが一種の存続に固執するのか。結局のところ滅ぶものは不適格という生物の不文律に逆らえていないからだ。まず切腹が野蛮とされる理由は単純で「敗者の理屈」だからだ。天国へ行くのが理想とされているのは厭世でもなんでもなく異教徒は奴隷にし異端は処刑し続けてきたら他の考えが淘汰されたからにすぎない。これが魔女狩りの合理性というやつだ。例え国や民が死に絶えても漢民族の概念は現在まで残り中華思想が掲げられ続ける恐ろしさは知らないわけではあるまい。それを呑気な幸福論の問題にすげ替え、数少ないパイなのに譲って当然などと甘え。笑わせる。小さな会社が潰れるのはそんな先のない事業を継ぐのは子供でもお断りだからだ。大きい企業なら後継者候補は頼まれなくても取って代わろうと自己研鑽に励み、虎視眈々だ。争い続け他に先んじる国家、企業にのみパイは分配され人はそれをさらに奪い合う。客観的に見てしまえば忠義もその手段の一つというだけのこと。許せないのは生臭どもが現世利益だとか貶しているものを、先人たちが腹を切ってまで広げてくれた遺産を軽んじてることだ。大国の戦争ビジネスのタネにされる紛争国のように食い扶持に余裕がなく間引きする経済状況の方が幸せだったか?もうたかが20年の人生で生み出す価値で充足感感じられてちゃ世界との競争についていけないんだよ。「50歳で未婚のフリーター」が何人消えたところでバイトのシフトが空くだけ。人には分があるとかいうなら日本経済を拡大できない無能な二世三世どもから簒奪し成り代わる覚悟でいけよ。そんなんだから切腹が失敗を誤魔化す道具って揶揄されるんだろ。そして一番問題があるのは生贄と切腹を同じ扱いにしていること。おそらく切腹を擁護するために世界で普遍的に行われている行為と同一化しようって考えだろうけど、逆に切腹が持っていた利点を否定することになっている。もし外国人が切腹と生贄や口減らしが同じと思ってたら弱ってた幕府は抵抗できずあっという間に植民地だったかも知れなかったんだからね。この国の文化が特殊(ユニーク)だからってそれこそ他国の評価を過剰に気にする必要ないのに、残酷と言われた程度で平凡(バランス)になりさがろうとするのはいただけない。 個人が現世から目を背けカエルになってもいいかと切腹してるわけではなく、残酷な世界とやらに生きる人々一人一人の選択が作り出した共同体の生んだ結果。でもそれが歴史なのだから変な正当化をする必要はない。アメリカや中国の歴史修正ブームに完全に流されてら。
俺を呼んだかい?
さすが内容が濃いですね。どれほど覚悟があろうとも腹に刃を突き立てた瞬間激痛で体が跳ね上がってしまう事はかの三島由紀夫が証明したし、乃木希典はそうなる事を知っていたので足をしっかり縛って腹の血管を切るだけにしたとか。扇子腹という腹を切らない切腹が作法となったのも無理ないでしょうね。
倉之助の皺腹開くも[不調法]って奴だろ❓️、後ろに介錯が立ってるだろ❓️(嗤
基本、よほどの大物とみなされない限り介錯人がすぐに首をはねてしまうのだと思います。
江戸時代、藩から工事を命じられた武士が無事、工事を完成させたにも関わらず、竣工して間もなく切腹した例があるようです。この場合の理由は工事中、事故で亡くなった人を出したことへの自裁だったとか。責任を全うしたあげく死ぬわけですから、現代からは想像できない精神構造かと。
それ宝暦治水のことでしょ
薩摩藩が木曽三川分流工事を幕府に命じられ、幕府からの様々な露骨な条件により、藩士の病死や自殺者が多く出た末に工事完成
完成後に責任者の藩家老が切腹したという
責任の取り方として切腹が形式化された時期が、もう戦が無くなった時代であり、一度も戦に出たことがないのが当たり前の時代となり
切腹本番で腹に短刀を刺せない、または急所に刺せずためらい傷ばかりが増えてなかなか死ねない
その為、扇子腹で形だけ切る。または扇子を取るため、かがんだら介錯が入る(事実上の打ち首)に変化
でも、幕末になると武士が武士らしさを示すために、本当に腹を切る形式を自ら選ぶ者も現れる
喧嘩両成敗で思い出したんですが、西部劇でお馴染みの「抜きな。どっちが早いか勝負だぜ」の早打ち決闘。
あれは、先に抜いて当てた方が 過失になって、後から抜いた方は正当防衛になるから保安官が逮捕出来ないんだそう。
同時 または後から抜いて先に当てれば罪に問われないという理屈であのようになってると聞きました。
宮本武蔵の後の先、相手に先に抜かせてこちらがさきにあてるという。
あーなるほど
いかに自分の方が強いのか・余裕を示すものなのかと思っていましたが、よく考えてみたらしっかりと自己保身の意味合いもあるのですねぇ
まぁ、「自分が生き残る」という前提で言っているのは間違いないのですけどね
切腹とハラキリをごっちゃにしてはいけないと塩野七生先生がおっしゃっていたのを思い出しました。
江戸時代の武士は今思えば、ほんとに大変な職業だなと改めて思いますね。
自ら切腹して、部下の命を助けた武将に「蔵田房信」というのがいます。
大内家の城将だった彼は、尼子経久の軍に鏡山城を攻められた時、善戦したのに叔父の裏切りのせいで負け、尼子経久の情けに期待して切腹しました。マイナーな武将だけどもっと評価されるべき武将です。
鏡山公園だと、夜中には切腹した侍の怨霊が出る…なんて噂がありました(笑)
覚悟の上での切腹なら、化けて出ることはなさそうですね…
叔父の蔵田直信個人はこの直後に尼子経久に粛清されました。
大河ドラマ「毛利元就」でもこの話がありました。経久自ら刀で
刺殺してました。(元就のメンツを潰す意味合いもあったが・・・)
近代の切腹は逆に本当に腹を切ってる率は高そう
大変よき学びになりました😀
いつも楽しみに見ています。
時代劇に出てくる切腹のイメージしか知らないので、こういう動画は見ていて楽しいです。
細かいことですが、「行司」「差し違え」では。
差し違えって何なん?
@@y8e-k2n 判定ミス
昔、呉支店勤務時代にパワハラ上司に『腹を切れ』と包丁突きつけられて切腹を命令されたことがありました
『名誉』だとなんとか抜かした⑨本という奴が『土下座強制のうえで喚き散らし』て『名誉の切腹』を『許された』ことがあり、今でも『名誉のパワハラ』として語り継がれていますね
草ぼうぼうw
ぶっ飛んだ新人が受け取った包丁で上司の腹を掻っ捌いて「これでいいんですか?」と言う展開になって欲しいです。
@@saikawawawa
阪本に『切り方教えてやる!』と言われ刺されかけた琴ならありますね
切腹が野蛮なんて、アングロサクソンには言われたくないですね(笑)。今回もありがとうございます!
野蛮というか、もう「腹切りはイエスがもうやってくれた(から自決は自己満足でしかないし自殺はNGという教えに背いたから信徒ですら問答無用で地獄落ちる)」のにどういうことなの…」という困惑が先に来るからそりゃあビックリしたでしょうね…
赤穂浪士の10人が切腹した江戸の伊予松山藩屋敷跡はイタリア大使館になっています。
切腹にも歴史があり、最古は藤原保輔が何かの重罪で逮捕された時、責任逃れか無実だという身の潔白を証明するために自ら腹を切ったのが始まりという説があります。
腹こそ切らないが、政治家の汚職の証拠を抱えたまま秘書が自決、というのも何度かありましたね。こういうのもとても日本的。
外人が驚いたのは宗教で自殺が禁止されていたから
市川海老蔵主演の「一命」の切腹シーンは凄かった。凄まじいの一言
切腹ではないがどこの国かは忘れたけど殺人者や犯罪者の一族への罰として、その家族に殺人者や犯罪者を殺させるってのがあったな。例えば両親が盗みを働いたり、殺人を犯せばその子供に両親を殺させるって方法
赤穂浪士を預かった大名家の内、久松松平家では「切腹者が小脇差を取り上げ腹に当てる前に首を打つ」「左手で髻を持って落とした首をもち上げる」など無体な扱いをしたと言われている。
私の財布、真っ赤なんですよ
なんでかっていうと、買い物するときはいつも自腹を切ってしまうからなんです
大納言で切腹というと駿河の忠長卿か…小ネタも凝ってますね。
こう聞くと、幕末の時代に3回腹を切って死んだ武市半平太はすごい
同じ土佐藩士で堺港でフランス軍が乱暴狼藉を行い、警備をした土佐藩士と銃撃戦になりフランス側に死傷者が出てフランスは抗議して銃撃に参加した土佐藩士でフランス軍側と同じ死者と同じ数を死刑にしろと言ったので明治政府はフランス側の要求を受け入れて銃撃に参加した土佐藩士をくじ引きで切腹する事に成ってフランス軍の立ち会いで切腹になったが切腹する土佐藩士は意地を見せて切った腹から内蔵を掴みフランス軍に見せ付ける様にして果てて他の藩士も切腹をして行きフランス軍は切腹の光景にショックを受けて数人残して切腹中止を言って取り止めになった。
解説聞いてると葉隠の武士道とは死ぬことなりってホントは死ぬ気で働けって思えてきたなあ。
説明されていたように何かの本に切腹は十数時間苦しみ抜き果てるとのこと、恐ろしい。そのため介錯することによって長く苦しまずに済むとのこと。でもこちらも恐ろしい。
太平洋戦争終戦時に時の陸軍大臣阿南 惟幾大将が介錯なしでお亡くなりになってます、
今は頭でものを考えると思われてるけど、昔は腹でものを考えると信じられてたんだよね
さらに最新だと脳は腸に操られてると一週回って正しかった
動画ありがとうございます。
切腹を名誉とする考え方が修道と関係しているという話は大変興味深いと思います。
近代の日本における新渡戸の武士道はむしろ欧米諸国との比較の中で絶えず葛藤し、劣等感を抱く知識人の想いの発露という側面が強く、新渡戸の武士道が江戸時代のそれなのかは個人的には疑問なところです。そして、何より問題なのは軍部において武士道が都合のいい形で解釈され、お国のために生命を軽んじることこそが大和魂であるとして利用されたということでしょう。
ここで補足させていただく。故名和弓雄氏の著書によると、切腹の用意に肩衣(かたぎぬ)をはね、もろ肌を脱ぎ、両袖を膝の下に敷く。これは、切腹の苦痛で後方にのけ反りたおれないようにするための用意である、とのこと。
安場一平「では、三方に乗せてある小刀に触れましたら介錯しますのでよろしくお願いします」
大石内蔵助「あい分かった」
江良清吉「では、三方に乗せてある小刀に触れましたら…」
間新六「お先に御免!!(腹スバー」
江良清吉「おいっ、話は最後まで聞けこのアホ!!」
映画では仲代達矢さん主演の「切腹」がオススメですね。切腹するぞ!って脅して大名家から金をせしめる武士。その顛末を描いた映画。
赤穂事件のドラマでは「以て瞑すべし 」を覚えてますね
もちろん作り話ではあるのですが
「切腹」という白黒映画を見たのですが、
金持ちの家に上がり込んで、庭で切腹させてくれとせがんで、庭が汚れるのが嫌な金持ちは「お金あげるからお引き取りください!」ってお金くれるのでありがたくいただいて帰る、というせこい稼ぎ方が流行した・・・・・・・・・
という話があったのですが、完全な作り話ですか?
テラセン毎回楽しみ😊
介錯は首と胴を切り離したら斬首=罪人になるから
首の皮1枚残してギリギリ繋げておかないといけない
myu Nomura様 なるほど勉強になります、私が読んだ説は切腹時に首と胴が離れると後ろに体が反り返るため、首の重みで前のめりに倒れるのを予定しての説でした、なるほど奥が深いです、
島原の乱では島原・天草の領主は切腹を許されず打首にされていましたね。
島原の領主が斬首されたのは確かだけど、天草の領主は改易処分で済んでいます。
後に精神に異常をきたして自殺したとされていますが、斬首はされていません。
こういう動画は英語版が欲しいよね!
大賛成です。日本文化は、難しいね~
英語版があれば、全世界の人々が見られるのでgood!
切腹にもいろいろあるわけですね。
最近、戊辰戦争に興味が、あって調べていますが、良くわからないのは、あれだけの戦いの戦争責任を一人の家老がとって、松平容保には謹慎だけ。後追い殉死を防ぐためなのか。
神保修理の切腹も理解できない
詳しく教えていただけると有り難いです
何処の藩か忘れましたけど切腹するほどの事じゃ無かったのに外人さんが「切腹が見たい」と言って数人に切腹させたけど惨たらしいので途中で「もう良い」と言い出したけどそのまま最後の人まで切腹させたという話があったような? 「もう良い」と言われた次の人が内臓を引きずり出して外人さんに投げつけ、その後の人も同じ事をしだして外人さん達が気絶した話があったと記憶しています うろ覚えでスミマセン💦
慶応4年に堺で起こった、フランス水兵と土佐藩警護役の顛末ですね。
@@大内山乳業 さん 有り難うございます🙇
上のものが責めを負わないというのは、現在に通じますね・・
切腹だけではなく、斬首刑でも普通は手足を拘束して目隠しをし、刑場に引き出されて斬られるものだった。だが、拘束されることも目隠しもなく自らの足で刑場に現れ、端然と座った状態で斬られたという話もあった。
今回も面白かったです!海外とのギャップの話は、ハリウッド映画「47RONIN」がいまいちな結果で終わったのは現代日本人がもはやハラキリを美徳として見ていない(=忠臣蔵があまりメジャーじゃない)ことを知らなかったのが敗因じゃないか、という切ない考察をなんとなく思い出しました。 介錯人の話も出てきたので、ぜひ山田浅右衛門についても取り上げて欲しいです!よろしくお願いします!
刑罰の遠島の話も聞きたいね
どんな所へ流されてどんな生活をしていたのかも
勉強になります。
有難うございます。
赤穂浪士の討ち入りは再就職の目的もあったというお話がありましたが、具体的な根拠が有れば教えて頂きたく、お願い致します。
誰だっけ?
介錯までに、自分の臓腑を並べて果てたってのは
ドクター秩父山の腹を割って話し合おうを思い出したり
寺戦師匠が何時向こうで件の縦ノリの会のアノ方を遣るのかでヒリヒリする。
7:05 その典型が織田信孝の辞世
「昔より 主討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
御免!「昔より 主討つ身の 野間なれば 報いを待てや 羽柴筑前」
その言葉の意味や、出来れば映画とか知りたいです!
@@花帆実太 様 源義朝が平治の乱に敗れて落ち延びる時に今の愛知県知多市内海近辺に立ち寄り時、家来の舅とその息子が平家の褒美に目がくらみ、義理の息子とそして風呂場で義朝を討った故事が元のようですが、野間大坊に義朝公のお墓があります、この辞世の句は後世の創作のようで、主討つ身は地名の内海にかけています、因みにその舅と息子はのちに息子の頼朝が勢力を盛り返して平家を追討しているときに、詫びを入れて頼朝より褒美は「美濃尾張でどうじゃ」の口頭打診に奮戦したようですが、平家追討後に褒美を交渉したら野間近辺の松に吊されて処刑をされたようですこの松は今でも残っています、頼朝は裏切り者親子の褒美は「身の終わり」と処刑前提で使役していたようで、似たような使い方に一休さんの「このはしわたるべからず」もあります、確かこのような内容だと思いましたご参考までに
@@strv1034 勉強になりました。有難う御座います。これからも勉強していきたいです!
切腹なら幕末に堺事件がありますね。あと、武市半平太の切腹は逸話ですが三文字切腹したとか
己れの失態を償いを潔いと受け止める精神的風潮は古の時代から己れの未熟さ故に起きた失態であり、それをすべて己れの未熟さを攻め、その償いとして切腹という形で自己完結し、己れの高潔さを守り身を清める形で命を絶つ。どこまでも高潔で潔白なものを求められる。恐らく今の中間管理職的な存在なんかはものすごくこの対象だったのだろう。主従に対する忠義心を守ることが、武士道としてどんなことよりも最優先させるものであったのだろう。確かに当時社会や組織の秩序を大きく乱すようなものはこう言った作法やしきたりによっていち早く摘み取られたのだろうが、いま考えればこういった言論や表現の自由が存在しなかった武家社会は延いては近代日本の大平洋戦争への突入とまた現代に通ずる縦割り社会に通ずる組織の閉塞感と異論や反論を許さぬ、また聞く耳もを持たぬ上役や上司のそれを理解する能力の無さにも相い通ずるところがある。組織の形骸化されたものに拘るよりもそれは組織がいかに機能し、いかに存続すべきかという実在価値や実戦的な意味合いに於ての在り方を円熟されるべきである。現代の組織に於ける個人の利益と肩書きを優先するあまり、その組織を司る連中の私欲や自己顕示に歯止めがかからず、己れの一身上の都合を極度に優先することが日常慢性化し、それが多くの管理職には通例となりそして緊張感も消え、組織の在り方や高潔さ、気高さを差し置き軽視する様は名前や肩書きだけが独り歩きする実に上司や上役にとって好都合で独善的な腐りきった形を作り上げてしまった。上役や上司が部下の失態の責任を取るどころかその尻拭いを部下におしつける様はもは武家社会とはその高潔さや崇高さは月とスッポンである。恥を知れ。
江戸時代では自裁の権利を唯一持つ階層が武士でした
武士以外の町民や農民は罪を犯した際に裁判を経て罰を受ける必要がありました
武士は裁判を経ずに自ら罰を受ける権利があったのです
切捨て御免と言われるが実際に無礼討ちを行った武士は自裁、つまり切腹を行って果てました
詰め腹や刑罰としての切腹(赤穂浪士のような)は本来の切腹とは少し意味が異なっています
赤穂浪士の場合はすでに浪人身分なので本来は切腹ではなく斬首にすれば美化されることもなかったでしょう
幕末の吉田松陰は浪人身分での犯罪者(老中暗殺未遂)斬首でした
新選組の隊士なんかの中には親族が集まって総出で身体を抑えつけて手に持たせた短刀を腹に突き刺してって…周りの者たちが大勢で手伝ったとかいう話があるようだけど、あれは切腹の実態を知らなかった者たちが武士として死ねるのだからと暴走しちゃった結果なんだろうな(´・ω・`)
切腹すれば、禄が保障されるしねー
アメリカ人から感じた和製英語の解釈
-ちょっと昔
「マイク!昔のニッポンにはすげー強いソルジャー がいたらしいゼ」
「Oh crazy!」
→Samurai (侍)
「サムライは名誉のために自分の命を顧みないらしいゼ!自分の腹を切って死ぬらしいゼ」
「Oh crazy!」
→Harakiri (切腹)
-現代
「マイク!ニッポンにはチャクラを使ってビームを出すクレイジーソルジャー がいたらしいゼ!」
「NARUTO!!! Rasen Gan!!」
→Ninja (忍者)
「ニッポンのworkersは仕事の入れすぎで死ぬらしいゼ!」
「Oh… crazy…. (ちゃんと休めよ…)」
→karoshi (過労死)
やったかもしれないけど大坂城代などを筆頭に城代という身分を解説して欲しいです
赤穂事件は討ち入る前から取り沙汰だったけどね…
相撲の世界の切腹といえば、伊之助さんはこれまで何度腹切ってる事が・・・w
まぁ60歳近いおじいちゃんがスーパーアスリートの横綱大関の運動神経についていけるはずもないので、行司は伝統職で本当の審判は土俵下の紋付きの親方達(&ビデオカメラ)が現在の位置付けです。
4:33 この行司の話はトリビアの泉で聞いた。
えー、自分は、もっと昔の(ああ播磨灘)TVシリーズ劇中からでした。😅
切腹に対する幻想が壊れた…
首は完全に切り落とさず、皮一枚残す…。
18:58 質問です。ここで紹介している内々の自○、表向きには病死となるのだろうけど、これのやり方も動画後半で説明している扇子腹+介錯だったのですか? そして検死役が首が切れてるか検分したんでしょうか?
最近では若いお姉ちゃんと浮気した映画評論家が
切腹
したらしい
腹を切っているのにとっても御元気そうでなにより
切腹の世界にディスカバリー!🤣🤣🤣🤣🤣🤣
ある意味恐ろしい時代だよね!
今の時代に生まれて規定良かったよ。
松平図書頭は今でも長崎市の大音寺に眠っています。
切腹、武士がいた時代は覚悟のある行為だったが、明治以降は廃止になり、昭和では海軍中将大西瀧治郎が特攻で若者を死なせた罪を手紙に仕立てた後に「介錯なしに長く苦しむために」切腹したとか。
三島由紀夫のアレは未だ不明な面が多いが。
うこ”くちゃんを自"〇"に追い"込みました!証拠をホ―ム画面に貼ってます。低評価は禁止です。”
バーちゃんちに脇差し??
短い自殺する刀あるけど
戦争のときに敵に捕まって拷問される前に楽に死ねるようにって言ってたなー!
鸚鵡ロウチュウキでは数行なので
江戸以外では大した話題になってなかったという話もw
なにかで清水宗治の切腹を秀吉が褒めたとかで武士は切腹を名誉の最期としたという話を聞いたのですが、真相はこういうことだったのですね(*´∇`*)
ちなみに切腹と言えば日根野弘就が腹を斬った時、処分してない書類の事を思い出して処分しに戻っていった話が私は好きです
ゆっくり幕末チャンネルぜひ!!
いずれにせよ、こんな苦痛を伴う自決をしてきたものだと驚嘆します。
三島由紀夫もよくやったよなぁ!
最後の切腹刑は稲田事件
この事件のせいで徳島藩の属国だった淡路島が
兵庫県に編入されることになる
そう言われておりますが、最後の切腹刑は、稲田事件でなく明治5年11月4日には加賀本多家旧臣の敵討ち(明治の忠臣蔵と言われている)により切腹した12人だそうです。何故なら稲田事件により切腹したのが明治3年9月15日より後に裁判により切腹刑を受けたからです。 ja.wikipedia.org/wiki/%E5%88%87%E8%85%B9#%E8%BF%91%E7%8F%BE%E4%BB%A3
中華の話ながら、武則天に忠誠を示すため切腹した官吏がいたとか。手当てを受けて助かり、結構出世して長生きしたらしいので、腹を切っただけではすぐ落命しないことは明らかといえそう。
内臓、特に腸を破ったら速攻で腹膜炎起こして
今でもまず助からんで
男色は武士の嗜み
首の皮一枚残すしてうつぶせに倒すというのも実際にあったのでしょうか?
かなり難しい技術だとは思いますが。
比叡山の修行も短刀渡されるんだよねー。
結構大事な精神だと思うけどねーー
特に政治家には笑
不祥事をしても切腹も出頭もしたく無い者も当然居て其の時は親戚の者達が集まって来て無理矢理切腹させて検視させて腹を見せて切腹しましたって事にしてた事も多かったらしいね。家を守りたいから必死だよね。
自分は「切腹」の概念が歴史の文献を読んだり時代劇好きの祖母から聞いていたので割と早い年齢で知識としては知っていましたが、今回の解説は奥深いものがあり参考になりました。幕末で気になる人物としては慶喜公について詳しく知りたいです。
本当の意味での切腹は無かったみたいね!無惨でしかないからね、介錯がすぐ入るから。
切腹ではないけど斬首に新刀の試し斬りが使われてたって言うのがあるけどどうなんだろ?
現代人は理解できない
三島由紀夫&森田必勝 えっ
上を残して下を処罰するのは儒学の悪い部分
優秀な侍が切腹切腹してたらカスばかり残るんじゃないのか。
25:30辺り、解釈人でなく介錯人です。
関係ない武士まで殉死したのは岡田有希子が自SATSUした後、10代の後追いが続いたのと似てるのかも。
御免!感動して泣きそう!
赤穂事件(忠臣蔵)は後世永遠に言い伝えてほしい。
二度目の勅使優待を命じられた、金持ち、赤穂藩失業者の逆恨みだろ❓️(呆
松の廊下で刃傷沙汰って切腹案件で当たり前だろ❓️(呆
大納言って駿河大納言こと徳川忠長かな
切腹か…
しかし、俺が切腹と聞いてまず思い出すのが江戸時代の武士よりも
“三島由紀夫の割腹自殺”なんだよな…その次が寝ぼけて切腹して死にかけた武士の話か。
松平忠章のことですね、寝ぼけて切腹して死にかけたのは。そんな事件があったので跡継ぎにはなれなかった若様。
@@松ちゃん工房そうです、そうです。
本人はかなり父との人間関係に悩んでた(多分ノイローゼかな?)らしいので笑っちゃ駄目なんでしょうけど…笑っちゃうんですよね。
@@derkers3118 チャンネル登録しました!
むちゃくちゃ為になる動画だから、最初の茶番無くして最初から本題に入って欲しい。
自分は薩摩藩の子孫だが、確かにそういう教育は色濃くあった。若くてそういう土地柄でなく、そのての血脈で子供のころから教えこまれていない方には判らないだろうけど。
子連れ狼の拝一刀って元公儀介錯人って設定だったけど、そんな役職って実際は存在しないのね。切腹なんてそうそう有る事じゃなかったみたいだし納得だわ。世に言う首切り役人と言われた山田浅右衛門も御試御用っていう刀剣の試し斬りをする人で、しかも世襲ではなく名籍を継ぐ形式だったとか。相当な腕前がないと出来ない役職だろうし納得だわ。
切腹といえば三島由紀夫かな?
手打ちって手首を切り落とすことかと思ってた
自由と責任の問題 逃げ出す事もできるよ 今の政治家と公務員は無責任の職業 だから常に反発を食らう
介錯のない切腹=自裁、死にきれずもがき苦しむんだよな。
切腹の最終工程は、結局頸動脈断切。腹切るだけでは死ねないよ。
江戸後期の武士に切腹できたのだろうか?
責任者が責任を取らない文化はこんなに根が深かったのか。
現代の日本も江戸時代も変わらないのね。
三島と一緒に割腹した若い隊員は何か所も躊躇い傷があったというしなあ
せめてちゃんと作法を知ってれば・・・
切腹研究家によると、森田のは躊躇い傷ではなく、腹の皮だけをすっと切る高度な技で、作法に則った見事な切腹だそうだ。
介錯人がいるのに刀を深く差し込んで、介錯をし辛くした三島の方が間違いだそうだ。
ぼくのお腹は綿しか詰まってないですよ!
背景の介錯人の刀が直刀なのに凄い違和感
幕末も含めて江戸時代なのに別ってのもおかしいような。。
「戦国時代は室町時代と別」みたいな分け方は、室町の常識がない人による戦国時代の誤解が横行した原因だし、一緒のほうが理解しやすくて良くないですかねえ。
うこ”くちゃんを自"〇"に追い"込みました!証拠をホ―ム画面に貼ってます。低評価は禁止です。”
武士が切腹して絶命する訳では無く介錯人が首を切り落とす事で絶命すると思うけど
松平容保は腹を切るべきだったと思うなぁ。
それで会津戦争も回避できたと思うわけで。
最初に切腹をしたのは源為朝といわれています
追腹っていうやつな
切腹の御沙汰というのは基本的にありません。基本的には切腹を差し許す。
というのが、正しい考え方です。
赤穂浪士事件の時の、綱吉の裁決に間違いがあった為に討ち入り事件に発展していきます。その辺りは、浅野内匠頭に聴取にあたった目付の日記、老中に上げられた報告に記載されて、記録として残っています。
討ち入り事件も、大石蔵之介は吉良を討ち取ることより、浅野内匠頭への公儀の処分の間違いを正す為に、行っていますので。
本来なら、泉岳寺において全員で切腹するのが正しい処置なんですが。大石蔵之介は自分達が、公儀に捕縛されることで公儀について浅野内匠頭への処分を正すのが目的でしたから。
旧軍の無責任体質は、武家社会を引きずってたってことかな?
「切腹が残酷」かどうかは、その背景となる「環境や文化」を考慮する必要がある。
まず、ほとんどの切腹には「合理的な理由」があった。
それに対して、例えばヨーロッパの「魔女裁判」には何一つ合理的な理由がなかった。
魔女裁判は、欧米で13世紀から18世紀まで、つまり切腹と同時代に行われたが、
「切腹は残酷だが、魔女裁判は理性的だ」と欧米人が考えているなら、どう考えても狂っている。
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次に「環境」について考えてみると、日本人の平均寿命は、戦国時代で30歳前後、
江戸時代でも30歳代後半だったと考えられている。
これらは、戸籍に残らない流産や間引き、夭逝を含まないので、
それらを含めた平均寿命は、20歳を下回っただろう。
つまり、20歳を超えて結婚し、子供を作ったら、
当時の人には「もう十分に生きた」という充実感があったはずなのだ。
それは、現代社会で、50歳で未婚のフリーターをやっている人間には理解できない感情だ。
それを、現代の50歳で未婚のフリーターが、「50歳のオレでも死にたくないのに、
20歳で切腹するなんてどんなに辛かっただろう」と想像するのは愚かなこと。
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もう一つ「環境」について考えると、江戸時代になっても「パイ(資源)」は少なかった。
つまり、誰か一人を生かすためには、誰か一人が死ななければならない。
自分が社会のプラスになっているうちは、胸を張って生きられるが、
そうで無くなったら、潔く死んだ方がいい、という考え方は極めて一般的で、
人間に限らず、動物でも見られる。
これが「間引き」や「姥捨」の習慣の根底にあるが、これは「健全な社会」を維持するための「知恵」だ。
もしこれを残酷だと言うなら、それは世界全体が残酷なのであり、そこに含まれる人間の責任ではない。
また、「定年」という考え方も、基本的には「姥捨」と同じで、パイを譲るためにある。
平成天皇の「退位」も基本は同じで、「天皇というパイ」は現代でも一つしかない。
また、定年があるから「計画的にガンバれる」という利点もある。
例えば、小さな会社で創業者が高齢までガンバると、創業者が死んだ途端に会社が潰れる。
これは、後継者がなく、事業の引継ぎもされないからだ。
定年や、その根底にある姥捨の習慣は、「元気なうちに後継者を育て、事業を引き継ぐ」ための知恵なのだ。
ただし、「そうでない社会」も存在する。「中国と欧米」だ。
彼らは戦争をやり過ぎたため、潔い人間が絶滅し、ズル賢い人間だけが残った。
その結果、彼らはパイを独占し、不老長寿を求めるのが当たり前だと思っている。
しかし、広く世界を知れば、むしろ彼らの方が「特殊(アンバランス)」なわけで、
別に彼らの価値観や評価を気にする必要はない。
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次に「文化」について考えると、「生贄」という文化が世界的に広く伝わっている。
日本にも昔(紀元前)は伝統的な生贄文化があったようだが、
中華文明の流入とともにそれは途絶え、「刑罰的」もしくは「税負担的」な生贄に変化した。
そのため、現在の日本人は切腹には寛容だが、生贄には強い拒否反応がある。
しかし、古い日本文化と関連のある南米の生贄文化を調べてみると、
生贄になる子供は、そもそも「生贄となるべく生まれ、教育される」。
つまり、彼らにとって、生贄は「立派な職業」であり、「生きる目的」なのだ。
もし生贄を否定したら、彼らは生まれてくることさえできないので、
もし生まれてくる前の彼らに選択肢を与えれば、
「生贄でいいので、生まれさせてください」と答えるだろう。
そもそも人には「分」がある。
現代社会では、平均寿命が伸びて、高等教育が施されるようになった結果、
「職業選択の自由」を保障できるようになったが、
それでも「50歳で未婚のフリーター」とかがたくさん存在する。
つまり、「現代社会は成功している。より幸せになった」とは言い切れない。
ましてや、昔の社会で同じことをやれば、大半の人間が学校や会社で学んでいるうちに死んでしまい、
子供ができず、社会は破綻する。
だから、昔の社会では「職業や階層(階級)」があらかじめ決められていて、
生贄は初めから生贄として生まれるし、貴族は初めから貴族として生まれる。
確かに「不公平」ではあるが、それ以外に社会を回す方法がなかったのも事実。
同様に「武士」も否応なしに「武士」として生まれた。
そして、生贄は生贄として死に、少数の武士は切腹して死に、農民の多くは餓死か病死した。
もちろん「隣の芝生は青く見える」だから、本人たちは他の生き方を羨んだかもしれないが、
客観的に見れば、どの生き方を選んでも大差はない。
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もう一つ「文化」について考えてみると、日本を含む多くの国には「輪廻」という考え方がある。
輪廻は、少なくとも「物質や情報」というレベルでは正しい。
例えば、ある人間の中にある「水分」は、ちょっと前までは海の中や他の生物の中にあった水分だ。
同様にDNAも輪廻する。
例えばコロナウイルスは、かつてどこかの生物のDNAの一部であったものがちぎれて独立し、
それが人間の体内に入って増殖し、伝染している。
生きている人間でもこれだけ物質や情報が輪廻しているのだから、
「死ねば全体が輪廻するだろう」と考えるのは自然なことだ。
この時、「記憶や意識」は輪廻しない、と考えられているが、
それでも「形質」は確実に子供に輪廻(遺伝)しているので、それだけで十分だ。
「せっかく築いた記憶や意識だから、ぜひ次の命でもそれを引き継ぎたい」と考えるのは尤もだが、
もし次の命が「カエル」とかだったら、人間の記憶や意識に何の価値があるだろうか?
また、そもそも容量的にカエルの脳に人間の記憶や意識を移すのは無理。
また、もし次の命が「人間」だったとしても、それが「アメリカ人」だったら、
「英語を話せない自分」の記憶や意識を引き継ぐことに何のメリットがあるだろうか?
このように、「輪廻は確実に存在するが、限定的」というのが妥当な解釈で、今も昔も変わらない。
そして、輪廻を自然と受け入れられる人間なら、「今回(の命)は失敗したな、
次回はもう少し上手くやろう」ぐらいの軽い気持ちで切腹できると思う。
ただし、「そうでない社会」も存在する。「中国と欧米」だ。
彼らは戦争をやり過ぎたため、現生を生きるのがイヤになってしまった。
だから「輪廻」を受け入れない。
彼らは「現生でのお勤め」が終わったら「(現生より楽な)天国に行く」のを理想としているが、
行けそうもない人が多く、そういう人は少しでも現生を長く生き、金儲けすることをよしとする。
それに比べて、切腹してカエルに生まれ変わっても、
「それもまた楽しい」と感じられる人間は幸せだ。
輪廻の捉え方は面白い。テセウスの船は永久に存在し続けることができるわけだ。
人の細胞も組織の細胞も新陳代謝が止まれば長く生き続けられないのは事実。それは正しい。
しかし永遠や無限に執着する人間の思想から生まれた産物に期待する効果ではないかな。
たとえ人類が滅びても生物史の過程として残ると誇るのに、なぜたかが一種の存続に固執するのか。
結局のところ滅ぶものは不適格という生物の不文律に逆らえていないからだ。
まず切腹が野蛮とされる理由は単純で「敗者の理屈」だからだ。天国へ行くのが理想とされているのは厭世でもなんでもなく異教徒は奴隷にし異端は処刑し続けてきたら他の考えが淘汰されたからにすぎない。これが魔女狩りの合理性というやつだ。例え国や民が死に絶えても漢民族の概念は現在まで残り中華思想が掲げられ続ける恐ろしさは知らないわけではあるまい。
それを呑気な幸福論の問題にすげ替え、数少ないパイなのに譲って当然などと甘え。笑わせる。小さな会社が潰れるのはそんな先のない事業を継ぐのは子供でもお断りだからだ。大きい企業なら後継者候補は頼まれなくても取って代わろうと自己研鑽に励み、虎視眈々だ。争い続け他に先んじる国家、企業にのみパイは分配され人はそれをさらに奪い合う。客観的に見てしまえば忠義もその手段の一つというだけのこと。
許せないのは生臭どもが現世利益だとか貶しているものを、先人たちが腹を切ってまで広げてくれた遺産を軽んじてることだ。大国の戦争ビジネスのタネにされる紛争国のように食い扶持に余裕がなく間引きする経済状況の方が幸せだったか?もうたかが20年の人生で生み出す価値で充足感感じられてちゃ世界との競争についていけないんだよ。「50歳で未婚のフリーター」が何人消えたところでバイトのシフトが空くだけ。人には分があるとかいうなら日本経済を拡大できない無能な二世三世どもから簒奪し成り代わる覚悟でいけよ。そんなんだから切腹が失敗を誤魔化す道具って揶揄されるんだろ。
そして一番問題があるのは生贄と切腹を同じ扱いにしていること。おそらく切腹を擁護するために世界で普遍的に行われている行為と同一化しようって考えだろうけど、逆に切腹が持っていた利点を否定することになっている。もし外国人が切腹と生贄や口減らしが同じと思ってたら弱ってた幕府は抵抗できずあっという間に植民地だったかも知れなかったんだからね。この国の文化が特殊(ユニーク)だからってそれこそ他国の評価を過剰に気にする必要ないのに、残酷と言われた程度で平凡(バランス)になりさがろうとするのはいただけない。
個人が現世から目を背けカエルになってもいいかと切腹してるわけではなく、残酷な世界とやらに生きる人々一人一人の選択が作り出した共同体の生んだ結果。でもそれが歴史なのだから変な正当化をする必要はない。アメリカや中国の歴史修正ブームに完全に流されてら。
俺を呼んだかい?
うこ”くちゃんを自"〇"に追い"込みました!証拠をホ―ム画面に貼ってます。低評価は禁止です。”