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地元の古老からの証言、いいですね~。鉄道から古道まで交通の歴史をしっかり調査されていて、安心して拝見できます。
ありがとうございます!ちょっとゆかりのある地域なので、話が聞きやすい場所柄でもあったので…。また、頑張って動画を作っていきます。
陣場山ふもとにある、小さな温泉郷も風情あって良いですよねー
和田峠、今は狭いけれど走りやすくなりましたね昔(40年くらい前)は東京側は特に酷かったなぁ道幅が狭いうえに未舗装のため、大雨で道が削られて大きな凸凹がある道でした乗用車だとエンジンや車体の底を露出した石でヒットさせてしまう難儀な道でしたねしかし、甲州街道がなかった大昔は武蔵の国との行き来には重要なルートということが今回の動画で再認識することができました江戸期以前、基本的には全ての道は山道ですものねw
和田峠はグラベルロードで走ると面白いです!登りはキツいですが車が少ないので好きな峠ですね!
昔は陣馬山の登山口から神奈川山梨方面側は、暫く砂利道だったような……和田峠ルート、目的なく車で走る時はよく行きましたね。走り屋さんは大垂水なんでしょうけど、のんびり屋はこっち。みたいな。登山口の駐車場、昔は夜もタダで停められたので、夜空を眺めに何度か行きましたね。
山梨県の上九一色村のオーム真理教のサティアンが有ったころ警察の目を逃れるために和田峠を利用して都内に通っていたらしい。武田家滅亡の際には武田信玄の身内が逃れる経路に使われた話もあり松姫(四女)の事績も残っている。案下の旧家の納屋には刀など昔のものが残されていたという。体裁 ていさい ね たいさい ではない。
八王子の甲州街道がへの字に曲がるところが「追分」で、その意味も分かる。ここで北大通とも合流するが、ここから都道521号の陣馬街道が西方の山岳地帯へ分岐している(追分ている)。現在、陣馬街道を通って神奈川県に抜ける人は、あまりいない。陣馬街道というと、陣馬山等の登山目的のようなケースが普通は多いんだと思う。古いこの街道の名残りが、途中の一番目立つ大きなへの字カーブのところ(「切り通し」)で、地元の人たちのつくった北浅川にある非正規の手作り橋(「八王子流れ橋」)があったりもする。都道521号線の現在の陣馬街道は、上恩方にある「夕焼け小焼け(夕焼け小焼けの里:リクリエーション施設)」の500Mほど西の先にある北浅川と醍醐川の合流地点まではセンターラインのある道路だが、ここから先「和田峠」方面へはセンターラインもなくなり狭くなる。鉄道で言えば複線から単線になるようなものだ。ここから先は、坂も急な狭隘な区間で、大型車の通行は困難だ。途中では冷たくておいしい湧き水も出ている。クルマでも走れるが、どちらかというとバイクの方が向いていると思う。
陣馬街道ルートを何度か走った事がありますが、一度中央道が事故でめちゃくちゃ混んだらしく、陣馬街道に流れてきた事があって、ものすごく泣きそうになりました。あの時は本当に辛かった。
ここで交通量があるとかなりきついでしょうね…。私はすれ違いなく通ることが多いですが、いっぱいすれ違いだともうってなりそうです。
和田峠八王子側は昭和時代は案下のところまでダートでした。中央道の抜け道としても使われていた時期もありましたが、移動時間に大差ないと判明すると、あまり使われなくなりましたね。
時代によって、ルートが変わるのが面白いです。徒歩、馬、馬車、自動車、鉄道などそれぞれ違ったルートになりますからね。江戸時代の関西方面の大名を抑えるために「甲州」は重要で、甲州街道を整備するのが必須だったからでしょうね。(そろそろ青梅街道やってくれそうだなぁ。)
青梅街道も長いのでちょこちょこ区間を分けてになりそうですが、考案中なのと、花魁淵にどう触れようか1年くらい悩んでいます…
@@ryuuji.asakawa さま花魁淵の本当の場所は、慰霊碑がある場所からかなり上流で、じつは「国道沿い」にあります。まぁ、それがどうしたってのが正直なところ。「心霊スポット」なんざ、どうでも良いと思ってる人は多いです。(がしかし、動画で出すとインパクトがあるのは事実。実際見に行く人が出てしまうのは確かにあります。)実際の話、、、武田氏が滅亡後に「金山」の行方を隠す必要はまったく無いですよね。徳川家に武田の遺臣たちがこぞって就職してるんだし。普通に知られてるはずですわ。このチャンネルの動画で「大々的に」扱うのも見てみたい(笑)ですが、それをやる必要はないかと存じます。
小仏トンネルの回のリクエストにお答え頂いたもの!?ではないとは思いますが。どちらにしても楽しみにしておりました。ありがとうございます。
実はそのコメントを見て着想を得た動画です!ちょっと調査に時間がかかってしまいましたが…。
神奈川県民だけど和田峠と聞いて下諏訪と長野を結ぶ方の話かと思った😅元々走り屋やってたからだろうけど💦
「滝山に出ればなんとかなる」というのが藤野における交通事情だったのだ。
近郷のサイクリストにとって、ヒルクライムの登竜門だそうですね~
くねくねとした道が続く上に八王子からですと割と帰りやすい環境ではありますからね。鉄道を利用できるのであれば、中央線でも帰れますし。
昔ほったらかし温泉からの帰りで1度だけ通った事あります。その時は夜だったのですが、霧が立ち込めていてとても怖かったのを覚えています。八王子の市街地くらいまで来てめちゃくちゃホッとしました。
お邪魔しました。
陣馬街道って、大垂水峠の裏って感じで相模湖に抜ける事が出来る。ただ、八王子側は道幅が狭く、路面が結構ガタガタだから、車体の大きいく、また、車高の低い車は難しい。
主要路線[中央高速🛣][国道20号]をジャイアンツ🥎に譬えればマイナーな裏街道は阪神タイガース🐯になりそう.
実際陣馬街道を愛車で走ってみた影像を入れて欲しかったですね
うぷ主が言わないのでフォローしますが、以前の動画で走っています。ご興味がおありでしたら、ご覧になって下さいませ。
相模湖にドライブでよく行くついでにこの道も使ったことがあるので、非常に興味深く拝見しました。甲州街道の影に隠れた道という印象でしたが、甲州街道以前の古甲州道との関連性は全く思い至りませんでした。和田峠自体の歴史はいつくらいから始まったんでしょうかね?
佐野川地内は律令制度の時代から人の居住が見られたそうなので、使われていたという目線で見るとその辺りから使われていた可能性は高いですね。日本古代史は史料があやふやな部分もあり、確定できない部分もありますが興味深いところです。
和田峠までは藤野駅から和田のバスがあります。和田のバス停までは道は良さそうです。ただし旧藤野町のバス路線は神奈川中央交通から全て撤退を通告され、藤野駅から和田も廃止を通告された路線です。ハイキング利用があるので廃止は回避しましたがバスは少なくなりました。東京側のバスは手前の感じがします。
追分って道が分岐する場所って意味なので、納得感が高い
脇往還を旅人が選ぶ理由の一つに参勤交代を避けるというのがあったようですね。道中で大名行列と出くわすのも追いつくのも厄介ですし、宿場も宿が塞がってしまうので本街道から裏街道へ迂回することがよく見られました。当甲州街道は参勤交代に使う大名が高遠藩など限られていたのでまだマシだったようです。
確かに参勤交代に会うと頭を下げていないといけませんからね。大規模な藩ですと今でいう開かずの踏切みたいな感覚になってしまうんでしょうね。ちょっと不敬かもしれませんが。
多摩方面の大学に在学していた頃同級生の車で陣馬街道を制覇して山梨県に抜けました。小仏峠は旧甲州街道を使って途中まで車その後は登山して明治天皇の休憩所(?)の所まで行って新宿のビル群を見る事ができました。
子供の頃親と一度だけこの和田峠から陣馬山に登ったことあります
陣馬山越えは醍醐峠もあったけど車止めが出来てしまいましたね
醍醐林道、通行できた時期があったんですね!驚きです。
京王線の高尾山口駅から和田峠までハローサイクリングの電動自転車でギリギリ往復できました
笹子トンネルができる前は、ルートがだいぶ今とは違うわけですよね。
県道国道のちゃんとしたナンバリングも大事だけど、旧国名等を使った街道、往還という名称も大事にしてほしいですね。場所やら名前の意味を考えるのも地図の楽しみでもあるしw
こんにちは
よく使う裏道だ…
和田峠の存在が分かりました。
地元の古老からの証言、いいですね~。鉄道から古道まで交通の歴史をしっかり調査されていて、安心して拝見できます。
ありがとうございます!ちょっとゆかりのある地域なので、話が聞きやすい場所柄でもあったので…。また、頑張って動画を作っていきます。
陣場山ふもとにある、小さな温泉郷も風情あって良いですよねー
和田峠、今は狭いけれど走りやすくなりましたね
昔(40年くらい前)は東京側は特に酷かったなぁ
道幅が狭いうえに未舗装のため、大雨で道が削られて大きな凸凹がある道でした
乗用車だとエンジンや車体の底を露出した石でヒットさせてしまう難儀な道でしたね
しかし、甲州街道がなかった大昔は武蔵の国との行き来には重要なルートということが今回の動画で再認識することができました
江戸期以前、基本的には全ての道は山道ですものねw
和田峠はグラベルロードで走ると面白いです!登りはキツいですが車が少ないので好きな峠ですね!
昔は陣馬山の登山口から神奈川山梨方面側は、暫く砂利道だったような……
和田峠ルート、目的なく車で走る時はよく行きましたね。走り屋さんは大垂水なんでしょうけど、のんびり屋はこっち。みたいな。
登山口の駐車場、昔は夜もタダで停められたので、夜空を眺めに何度か行きましたね。
山梨県の上九一色村のオーム真理教のサティアンが有ったころ警察の目を逃れるために和田峠を利用して都内に通っていたらしい。
武田家滅亡の際には武田信玄の身内が逃れる経路に使われた話もあり松姫(四女)の事績も残っている。
案下の旧家の納屋には刀など昔のものが残されていたという。
体裁 ていさい ね たいさい ではない。
八王子の甲州街道がへの字に曲がるところが「追分」で、その意味も分かる。ここで北大通とも合流するが、ここから都道521号の陣馬街道が西方の山岳地帯へ分岐している(追分ている)。
現在、陣馬街道を通って神奈川県に抜ける人は、あまりいない。
陣馬街道というと、陣馬山等の登山目的のようなケースが普通は多いんだと思う。
古いこの街道の名残りが、途中の一番目立つ大きなへの字カーブのところ(「切り通し」)で、地元の人たちのつくった北浅川にある非正規の手作り橋(「八王子流れ橋」)があったりもする。
都道521号線の現在の陣馬街道は、上恩方にある「夕焼け小焼け(夕焼け小焼けの里:リクリエーション施設)」の500Mほど西の先にある北浅川と醍醐川の合流地点まではセンターラインのある道路だが、ここから先「和田峠」方面へはセンターラインもなくなり狭くなる。鉄道で言えば複線から単線になるようなものだ。
ここから先は、坂も急な狭隘な区間で、大型車の通行は困難だ。途中では冷たくておいしい湧き水も出ている。
クルマでも走れるが、どちらかというとバイクの方が向いていると思う。
陣馬街道ルートを何度か走った事がありますが、一度中央道が事故でめちゃくちゃ混んだらしく、陣馬街道に流れてきた事があって、ものすごく泣きそうになりました。
あの時は本当に辛かった。
ここで交通量があるとかなりきついでしょうね…。私はすれ違いなく通ることが多いですが、いっぱいすれ違いだともうってなりそうです。
和田峠八王子側は昭和時代は案下のところまでダートでした。
中央道の抜け道としても使われていた時期もありましたが、移動時間に大差ないと判明すると、あまり使われなくなりましたね。
時代によって、ルートが変わるのが面白いです。徒歩、馬、馬車、自動車、鉄道などそれぞれ違ったルートになりますからね。
江戸時代の関西方面の大名を抑えるために「甲州」は重要で、甲州街道を整備するのが必須だったからでしょうね。
(そろそろ青梅街道やってくれそうだなぁ。)
青梅街道も長いのでちょこちょこ区間を分けてになりそうですが、考案中なのと、花魁淵にどう触れようか1年くらい悩んでいます…
@@ryuuji.asakawa さま
花魁淵の本当の場所は、慰霊碑がある場所からかなり上流で、じつは「国道沿い」にあります。
まぁ、それがどうしたってのが正直なところ。「心霊スポット」なんざ、どうでも良いと思ってる人は多いです。
(がしかし、動画で出すとインパクトがあるのは事実。実際見に行く人が出てしまうのは確かにあります。)
実際の話、、、武田氏が滅亡後に「金山」の行方を隠す必要はまったく無いですよね。徳川家に武田の遺臣たちがこぞって就職してるんだし。普通に知られてるはずですわ。
このチャンネルの動画で「大々的に」扱うのも見てみたい(笑)ですが、それをやる必要はないかと存じます。
小仏トンネルの回のリクエストにお答え頂いたもの!?ではないとは思いますが。どちらにしても楽しみにしておりました。ありがとうございます。
実はそのコメントを見て着想を得た動画です!ちょっと調査に時間がかかってしまいましたが…。
神奈川県民だけど和田峠と聞いて下諏訪と長野を結ぶ方の話かと思った😅
元々走り屋やってたからだろうけど💦
「滝山に出ればなんとかなる」というのが藤野における交通事情だったのだ。
近郷のサイクリストにとって、ヒルクライムの登竜門だそうですね~
くねくねとした道が続く上に八王子からですと割と帰りやすい環境ではありますからね。
鉄道を利用できるのであれば、中央線でも帰れますし。
昔ほったらかし温泉からの帰りで1度だけ通った事あります。
その時は夜だったのですが、霧が立ち込めていてとても怖かったのを覚えています。
八王子の市街地くらいまで来てめちゃくちゃホッとしました。
お邪魔しました。
陣馬街道って、大垂水峠の裏って感じで相模湖に抜ける事が出来る。ただ、八王子側は道幅が狭く、路面が結構ガタガタだから、車体の大きいく、また、車高の低い車は難しい。
主要路線[中央高速🛣][国道20号]をジャイアンツ🥎に譬えればマイナーな裏街道は阪神タイガース🐯になりそう.
実際陣馬街道を愛車で走ってみた影像を入れて欲しかったですね
うぷ主が言わないのでフォローしますが、以前の動画で走っています。ご興味がおありでしたら、ご覧になって下さいませ。
相模湖にドライブでよく行くついでにこの道も使ったことがあるので、非常に興味深く拝見しました。
甲州街道の影に隠れた道という印象でしたが、甲州街道以前の古甲州道との関連性は全く思い至りませんでした。和田峠自体の歴史はいつくらいから始まったんでしょうかね?
佐野川地内は律令制度の時代から人の居住が見られたそうなので、使われていたという目線で見るとその辺りから使われていた可能性は高いですね。
日本古代史は史料があやふやな部分もあり、確定できない部分もありますが興味深いところです。
和田峠までは藤野駅から和田のバスがあります。和田のバス停までは道は良さそうです。ただし旧藤野町のバス路線は神奈川中央交通から全て撤退を通告され、藤野駅から和田も廃止を通告された路線です。ハイキング利用があるので廃止は回避しましたがバスは少なくなりました。東京側のバスは手前の感じがします。
追分って道が分岐する場所って意味なので、納得感が高い
脇往還を旅人が選ぶ理由の一つに参勤交代を避けるというのがあったようですね。道中で大名行列と出くわすのも追いつくのも厄介ですし、宿場も宿が塞がってしまうので本街道から裏街道へ迂回することがよく見られました。
当甲州街道は参勤交代に使う大名が高遠藩など限られていたのでまだマシだったようです。
確かに参勤交代に会うと頭を下げていないといけませんからね。大規模な藩ですと今でいう開かずの踏切みたいな感覚になってしまうんでしょうね。ちょっと不敬かもしれませんが。
多摩方面の大学に在学していた頃
同級生の車で陣馬街道を制覇して山梨県に抜けました。
小仏峠は旧甲州街道を使って途中まで車
その後は登山して明治天皇の休憩所(?)の所まで行って
新宿のビル群を見る事ができました。
子供の頃親と一度だけこの和田峠から陣馬山に登ったことあります
陣馬山越えは醍醐峠もあったけど車止めが出来てしまいましたね
醍醐林道、通行できた時期があったんですね!驚きです。
京王線の高尾山口駅から和田峠までハローサイクリングの電動自転車でギリギリ往復できました
笹子トンネルができる前は、ルートがだいぶ今とは違うわけですよね。
県道国道のちゃんとしたナンバリングも大事だけど、旧国名等を使った街道、往還という名称も大事にしてほしいですね。
場所やら名前の意味を考えるのも地図の楽しみでもあるしw
こんにちは
よく使う裏道だ…
和田峠の存在が分かりました。