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歴史の話になるとアンチが多そうですがわかりやすい説明でためになる内容楽しんでます青銅器の複製見たら確かに古代人にとって魅力のある美しさだと思いました
説明がすごくわかりやすく、聞いていてワクワクします!
朴訥な語り口が不思議な魅力。次回、「水田free」の回が楽しみです。TKS !!!
このシリーズ凄く感動ものです。感謝です。表に出てこないけど、もうひとつ。金という黄金が、潜んでいると思う。新羅は、黄金文化。その新羅の天の日矛がこの倭国へ(神話)
こういう話になると、どういうバイヤスを持っているかがすぐにわかりますね。
題名から鋳造技術の伝搬のお話を期待しました。
たたらが各地にあることから考えますと、海岸の砂鉄を原料としたことは考えられませんか?
淡路島、後100~200年。炉&銅鐸を追加すると、、、🤔。
中国南東部から直接伝わったと書いてあった。韓国経由の稲とDNAが違うと記してた。
呉が滅んだ頃から北部九州でも青銅器が大量に見つかってるのは、偶然ではないのでは?揚子江文明は青銅器製品が有名だし、青銅器製品を朝鮮半島の文化と特定する事に強烈な違和感を感じる。
紀元前10世紀に中国にさえなかった鉄器がまがりた遺跡から発見されたのはどう考えたらいいでしょうか?
まがりた遺跡の鉄器は『更生年代の特定が不可能』ということで、当初の報告(前10世紀)は現在は否定されています。
毎度、お世話になります。。今回も非常に勉強になりました。ありがとうございます。質問させて頂きたいことが2、3あります。一つは、青銅と鉄器は別々に伝わったようなご説明ですが、Wikipediaなどでは同時期に伝わったとしています。これも一つの説かもしれませんが、金属器に関して日本の後進性を考えるんと同時期と考える方が良さそうではないですか?2つ目は、鉄の製造に関する日本の歴史についてです。以前、動画で、九州北部(地名は忘れました)の人が、古式の生産法で鉄製品を作ろうとして失敗していました。結論として、鉄の生産は、中間製品までは朝鮮南部の弁韓で作っていたのだろうということです。弁韓自体も興亡があります。弁韓が役割を果たせなくなる頃、日本はどのように鉄製品を製造していたのか疑問です。まさか鉄鉱石や砂鉄から製鉄するようになれるのはもっと時代が後にならないとダメなような気がするのですが、どうでしょうか?3つ目。これはファンタジーになるかもしれませんが、6世紀に入って、福井の継体天皇と九州の磐井が鉄生産で競っていたということはないですか?単なる想像ですが。当時の状況というのは分かるものでしょうか?なかなか鉄のアプローチをする人は少ないように感じますので。それと、古事記のヤマトタケルですが、ヤワタノオロチを退治するとき、最初銅剣を使うと劣勢だったと記述があるそうで。しかし、その後ヤワタノオロチの尻尾から鉄剣を得たような話です。ヤマトタケル自身は景行天皇の子供ですよね。この辺りの年代設定と、神話の解釈をされると面白いような気がします。余計なことかもしれませんが…以上でございます。ありがとうございました。
ヤマタノオロチを退治したのはスサノオで、尻尾から出た天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)は、後にヤマトタケルの手に渡り、それで火を付けられた草原から脱出できたことから、草薙剣(クサナギノツルギ/三種の神器の一つ)になりました。この宝剣はおっしゃるように鉄の象徴だとされています。横から失礼しました。
古事記に書かれてた天孫降臨、北九州から高千穂にやって来たニギギの一団が地元の豪族である大山氏の娘、木花姫と出会い結婚して三人の子をもうける。この時大山氏はニギギが高貴な方と歓迎する。地元の豪族が北九州にはハイテクな鉄を使い稲作が盛んで繁栄している事を知っていて娘を差し出す事に躊躇いはない。むしろニギギとの従属で鉄が手に入り農具として米の増産に繋がり、さらに鉄製の武器で稲作に適した土地も増やせる。と天孫降臨を想像している。宮崎県西都市の古墳群に大山氏の古墳が存在している。隣にニギギと此花姫の古墳も有る。
凡ミスなのは承知の上ですが、ニギギはかわいいですねw
動画の字幕が、"愛知県"大久保遺跡になっています。
ご指摘くださりありがとうございます🙇♂️
20年前に歴史学者が主張していたファンタジーは発掘調査により悉くひっくり返された。そのことが取り上げられて、学術問題の時歴史学は科学ではなく思想ではないかSNSで叩かれた。20年後に歴史学者が馬鹿にされる恥ずかしい動画なんてつくらないことだ。
歴史の話になるとアンチが多そうですがわかりやすい説明でためになる内容楽しんでます
青銅器の複製見たら確かに古代人にとって魅力のある美しさだと思いました
説明がすごくわかりやすく、聞いていてワクワクします!
朴訥な語り口が不思議な魅力。次回、「水田free」の回が楽しみです。TKS !!!
このシリーズ凄く感動ものです。感謝です。表に出てこないけど、もうひとつ。金という黄金が、潜んでいると思う。新羅は、黄金文化。その新羅の天の日矛がこの倭国へ(神話)
こういう話になると、どういうバイヤスを持っているかがすぐにわかりますね。
題名から鋳造技術の伝搬のお話を期待しました。
たたらが各地にあることから考えますと、海岸の砂鉄を原料としたことは考えられませんか?
淡路島、後100~200年。
炉&銅鐸を追加すると、、、🤔。
中国南東部から直接伝わったと書いてあった。韓国経由の稲とDNAが違うと記してた。
呉が滅んだ頃から北部九州でも青銅器が大量に見つかってるのは、偶然ではないのでは?揚子江文明は青銅器製品が有名だし、青銅器製品を朝鮮半島の文化と特定する事に強烈な違和感を感じる。
紀元前10世紀に中国にさえなかった鉄器がまがりた遺跡から発見されたのはどう考えたらいいでしょうか?
まがりた遺跡の鉄器は『更生年代の特定が不可能』ということで、当初の報告(前10世紀)は現在は否定されています。
毎度、お世話になります。。今回も非常に勉強になりました。ありがとうございます。
質問させて頂きたいことが2、3あります。
一つは、青銅と鉄器は別々に伝わったようなご説明ですが、Wikipediaなどでは同時期に伝わったとしています。これも一つの説かもしれませんが、金属器に関して日本の後進性を考えるんと同時期と考える方が良さそうではないですか?
2つ目は、鉄の製造に関する日本の歴史についてです。以前、動画で、九州北部(地名は忘れました)の人が、古式の生産法で鉄製品を作ろうとして失敗していました。結論として、鉄の生産は、中間製品までは朝鮮南部の弁韓で作っていたのだろうということです。弁韓自体も興亡があります。弁韓が役割を果たせなくなる頃、日本はどのように鉄製品を製造していたのか疑問です。まさか鉄鉱石や砂鉄から製鉄するようになれるのはもっと時代が後にならないとダメなような気がするのですが、どうでしょうか?
3つ目。これはファンタジーになるかもしれませんが、6世紀に入って、福井の継体天皇と九州の磐井が鉄生産で競っていたということはないですか?単なる想像ですが。当時の状況というのは分かるものでしょうか?なかなか鉄のアプローチをする人は少ないように感じますので。
それと、古事記のヤマトタケルですが、ヤワタノオロチを退治するとき、最初銅剣を使うと劣勢だったと記述があるそうで。しかし、その後ヤワタノオロチの尻尾から鉄剣を得たような話です。ヤマトタケル自身は景行天皇の子供ですよね。この辺りの年代設定と、神話の解釈をされると面白いような気がします。余計なことかもしれませんが…
以上でございます。ありがとうございました。
ヤマタノオロチを退治したのはスサノオで、尻尾から出た天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)は、後にヤマトタケルの手に渡り、それで火を付けられた草原から脱出できたことから、草薙剣(クサナギノツルギ/三種の神器の一つ)になりました。この宝剣はおっしゃるように鉄の象徴だとされています。横から失礼しました。
古事記に書かれてた天孫降臨、北九州から高千穂にやって来たニギギの一団が地元の豪族である大山氏の娘、木花姫と出会い結婚して三人の子をもうける。この時大山氏はニギギが高貴な方と歓迎する。地元の豪族が北九州にはハイテクな鉄を使い稲作が盛んで繁栄している事を知っていて娘を差し出す事に躊躇いはない。むしろニギギとの従属で鉄が手に入り農具として米の増産に繋がり、さらに鉄製の武器で稲作に適した土地も増やせる。と天孫降臨を想像している。宮崎県西都市の古墳群に大山氏の古墳が存在している。隣にニギギと此花姫の古墳も有る。
凡ミスなのは承知の上ですが、ニギギはかわいいですねw
動画の字幕が、"愛知県"大久保遺跡になっています。
ご指摘くださりありがとうございます🙇♂️
20年前に歴史学者が主張していたファンタジーは発掘調査により悉くひっくり返された。
そのことが取り上げられて、学術問題の時歴史学は科学ではなく思想ではないかSNSで叩かれた。
20年後に歴史学者が馬鹿にされる恥ずかしい動画なんてつくらないことだ。