【ゆっくり解説】木曾義仲はなぜ敗北してしまったのか

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  • Опубліковано 8 січ 2025

КОМЕНТАРІ • 33

  • @リアルキソー
    @リアルキソー 8 місяців тому +2

    先祖(?)の動画を作って頂いて誠に嬉しいです。特に八条院の名前が出たところで詳しく調べてらっしゃると思いました。八条院とも組んで後白河おろしするみたいな話も聞いたことが。

  • @silversurfer512
    @silversurfer512 8 місяців тому +6

    木曽義仲のストーリーなら、斎藤実盛のエピソードもお忘れなく✨
    木曽義仲が斎藤実盛の首を見て泣く場面が、平家物語の中で一番好きなシーンです。

  • @k2830
    @k2830 7 місяців тому +3

    武田家を裏切った木曽氏は実は血が繋がって無いみたいですね。戦国期の信州のキーマンが本当の子孫ならロマンがあるけど。

  • @ませあきたつ
    @ませあきたつ Місяць тому

    義仲の天下が短命だったのは、義仲の軍勢の多くが北陸地方の武士だった事、皇位継承に口出しした事、近畿地方での飢饉による食糧不足に加え、平家討伐に失敗した事だ。

  • @TinFoil_Head
    @TinFoil_Head 7 місяців тому +1

    頼朝は復讐の鬼と化した引きこもりヤンデレ坊っちゃんってイメージです。

  • @TReizei
    @TReizei 8 місяців тому +1

    21:11 歌人で藤原定家の盟友&ライバル藤原(従二位)家隆の親父さんでもありますわな。

  • @高田健一-l7l
    @高田健一-l7l 4 місяці тому +1

    義仲は人の上に立てるほどの人望がなかったようだ。
    しだいに武将たちが離れていった。
    頼朝も尊氏も獲得した領地を自分がとることはなく、すべて武将たちに分け与えている。

  • @凡天麿
    @凡天麿 7 місяців тому +1

    石川県の外れ仲山辺りに手塚山公園が有り斎藤光実を打ち取り首を洗ったら白髪が現れ木曽義仲がそれを見て号泣した逸話の首洗いの池が有る でそこから少し北にいわゆる安宅の関が有るがかなり近い? 何やら皮肉な気がする

  • @adominojp
    @adominojp 7 місяців тому +2

    頼朝が義仲に届く食糧を止めていた説😎

  • @よよよ-r4s
    @よよよ-r4s 7 місяців тому +2

    当時の伊予守は国司の最上位。
    色々思うところはあっただろう。

  • @user-hirotaka0123
    @user-hirotaka0123 8 місяців тому +6

    昔、無賃乗車を薩摩守と言ってたけど、平忠度が薩摩守だからなんだよね~😊

    • @pou-fou7748
      @pou-fou7748 8 місяців тому +1

      平家物語の忠度都落ちでは「薩摩守忠度は、いづくよりや帰られたりけん」との一文があるが、「無賃乗車で切符がないからどの駅から乗ったか判らない」という戯言もありましたなw

  • @sxxowo-t2w
    @sxxowo-t2w 8 місяців тому +16

    義仲の評価は少なくとも頼朝よりはマシだろう

    • @月村猛
      @月村猛 8 місяців тому +2

      自分みたいに頼朝が好きで、義経がしょうもないと思う人間は少数派かな

    • @こば-w4t
      @こば-w4t 8 місяців тому +2

      義経がドクズだった説もあるけど、頼朝って結局人望無さすぎて鎌倉幕府を開府したのは良いけど、自分が居なくなって源氏を守る後ろ盾まで無くしちゃった所を見るとねぇ

    • @月村猛
      @月村猛 8 місяців тому +1

      @@こば-w4t
      晩年頼朝はしょうもなかったみたいだから・・・アルツハイマーにかかったとも、糖尿病にかかったとも言われているけど😥
      後、カリスマ性は高かったんじゃないかな。人望がないってのは違うと思う

  • @大谷年中
    @大谷年中 8 місяців тому +5

    兵庫県川西市で毎年4月に開催している『源氏まつり』の懐古行列では、巴御前も登場している

  • @浮世離れ-s8y
    @浮世離れ-s8y 8 місяців тому +3

    巴御前のストーリーもお忘れなく

  • @ウエムラユーセン
    @ウエムラユーセン 7 місяців тому +1

    旭将軍源朝臣義仲公

  • @宮狂
    @宮狂 8 місяців тому +4

    1822年はあり得ん。江戸時代まで飛んでる。

  • @fox0927
    @fox0927 8 місяців тому +4

    義仲は頼朝の露払いになってしまいましたね😵

  • @sayaandmasa
    @sayaandmasa 8 місяців тому +4

    手塚兄弟って手塚治虫のご先祖様ですね。

  • @欣求浄土-r7e
    @欣求浄土-r7e 8 місяців тому +3

    火牛の計はどう考えても作り話でしょう😂

  • @moipa808
    @moipa808 8 місяців тому +3

    牛は焼肉にして美味しく頂きました🥩

  • @user-ht6lk2ol2c
    @user-ht6lk2ol2c 8 місяців тому +3

    200て
    減りすぎじゃんね

  • @biwa108
    @biwa108 8 місяців тому +2

    父方の祖母が倶利伽羅峠の戦いで活躍した義仲の家臣で、その後に御殿様だった末裔らしいがWikiなど検索しても何も出て来ない😅富山の資料館へ行って学芸員の人に聞かないと分からない。ちなみに義仲討伐を祈願した神社に行くと、神社にいたカラスに物凄い勢いで鳴かれた。嫌われているのだろうなだったが、不気味な神社であったが気の毒に思うほどだった(過疎化していてほぼ廃神社)

  • @王馬-y3p
    @王馬-y3p 8 місяців тому +1

    項羽に似てるような

    • @ませあきたつ
      @ませあきたつ Місяць тому +1

      「平家物語」の「木曾の最期」は「史記」の「項羽本紀」が本になっている。

  • @yhara6284
    @yhara6284 8 місяців тому +2

    義仲は戦だけ,頼朝は京を制圧後の明確なビジョンがあった。石橋山で敗れた後でも関東の豪族に担がれたように,頼朝は源氏の棟梁だけあって,担ぎ上げた時の値打ちが違う。

  • @matukawatositane
    @matukawatositane 8 місяців тому +1

    東蝦夷しくざ