【ゆっくり解説】 超絶名君 光武帝劉秀の欠点を暴く 【後漢】
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- 非の打ちどころのない名君、光武帝劉秀の粗を一生懸命探します。
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旧2chの「やる夫が光武帝になるようです」スレで新・後漢期の話を知ったので、どうしても光武帝の顔がやる夫AAで思い出されてしまいます……。
光武帝の人物像って前後の項羽と劉邦、三国志の時代の人物たちと比べると独特…というか異質に思うんだよね。
臣下や親戚からいろいろ苦言とか批判を言われてるエピソードが多くて、よく言えば親しみやすい、悪く言えばカリスマ性がない人間だったのかなと
威圧感がありすぎたのか「絶対に罰しないから俺の悪いところ批判してくれ」って言ってた李世民とは対照的
唯一、粛清や暗殺をしない人ですからね。
簡単に言えば臣下に舐められてたんでしょうね・・・李世民すら暗殺はしてますから。
そのせいで外戚が跋扈していき、お飾り幼帝ばかりになるので、
本当の欠点は優しすぎたとこかなー
李世民に劉秀という家臣がいれば滞りなく天下統一するだろうけど
劉秀に李世民という家臣がいたら衝突して共倒れすると思う
石勒は「劉邦だったら従うけど、劉秀だったら覇を競う」と言っていましたから、カリスマ性という点では劉邦や李世民に比べるとやや劣るのかも知れませんね。
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皇太子の兄を弟もろとも殺し皇帝の父を脅して退位させ即位した李世民が、大人しく家臣に甘んじるのは中華の数多い皇帝でも劉邦と朱元璋の2人だけでしょう。
決めにくい事をお告げのせいに出来るという有用性に気付いていたのかもね
なるほど。
劉邦の前例を知っていれば、予言で人事を決めでもしないと流血沙汰になりかねない、ってのは思ったでしょうね。
ベターな選択肢を選びつつ、選んだ理由をお告げにしてしまえば、納得するし混乱も制御できる範囲に留まるってことですね
「褒め称え崇め奉ることしかできないわ」ってフレーズめちゃくちゃいいですね
横山光輝に劉秀を書いてほしかったタイトルは「光武帝劉秀」で
同意します。
本当に歴史漫画の第一人者でしたね。
主さんが本気出して ここまで欠点がない劉秀ってスゴいな
桓譚の件はどうも自分自身でその正統性を疑っているように見える光武帝が拠り所としていた予言を否定されてさすがにカチンと来たという感があります。それだけに下手な皇帝だとまずいきなり殺されて終わるところを(結果はともあれ)左遷に留めたあたりは数少ない過失と美点が同居しているような…やっぱりいろいろな意味で規格外な英雄です
予言とかで人事昇格を決めるのは、意外と「ピーターの法則(実務能力が高い順に管理者に昇格させると組織が無能ばかりになるため、管理職はくじ引きで決めたほうがマシという法則)」を回避するための『くじ引き』として機能していたかもしれないですね
讖緯思想にハマったことが問題なのではなく、図讖を国家の上においたことが問題なんですよね。
武帝は儒教を重んじたけど、あくまで国家の管理下に置いていた。
ところが後漢では皇帝の言葉より予言書の内容(=儒家の言説)が上になってしまった。
今風の言葉で言うと、後漢は宗教国家に変容したということ。
讖緯説によってあれだけ回避した即位を決断したのに、それを迷信と切り捨てられたら、即位の正当性にもヒビが入りかねない、という面もあったのでは?
劉秀さん、子孫から才覚と寿命前借りしたんかってくらい2代目以降の後漢の皇帝パッとしませんよね…………
なんか悪いもの食べたの?ってくらいビックリするほど短命な皇帝だらけなんよね
光武帝の次に長生きしたのが乱世に生きた献帝ってどゆことよ
で、でも、明帝、章帝だって寿命〝以外は〟完璧だから…(震え声)
和帝さんもあの人材枯渇してる状況で外戚排除しつつ、西域安定させてるから才能は素晴らしいんですけどね
惜しむらくは30で亡くなった事だから
@@ranasyastikati8621
元も初代フビライは78歳の長生きでしたが、2代目以降は 短命な皇帝が続きフビライに次ぐ長命な皇帝は、紅巾の乱による戦乱の中から台頭してきた朱元璋の明の北伐を避け蒙古高原に逃れて死んだ最後の皇帝トゴン・テムルで、それでも49歳でした。
尚、フビライの廟号は奇しくも光武帝と同じ世祖でした。
@@user-zz2pl4ex6x 西域経営は章帝時代の班超の活動が成ったのが和帝即位後で、西域経営の成功に影響があったであろう北匈奴の討伐も和帝即位直後に政治的理由から竇憲主導で行った感じですから和帝がどこまで関わっていたかというと…
あと外戚竇氏の排斥については当時数え14歳の和帝の意思なのか、和帝の1歳年上の兄清河王劉慶(安帝の父)が主導したのか、やっぱり宦官鄭衆が主導してたのか、臨時に太尉と衛尉を兼任して竇憲の印綬返還の実行者となった丁鴻も深く噛んでたのか記述がバラバラでなんとも言えません。
動画作成お疲れ様です!自分の中でのSUPERHERO光武帝掘り下げ回、非常に楽しませてもらいました。人間だからこそ完璧超人なだけではいられないのは当然の事、あえて闇にスポットライトを当てる中国史専門チャンネルの心意気、存分に感じさせてもらった気がしています。この流れで雲台二十八将動画もいつか待ってます!鳥王朝万歳!!
多大なご支援……まこと感謝感激恐悦至極に存じます……!!
雲台二十八将動画!それもぜひ作りたいところですが、光武帝動画のリメイクもしたいですね~!
何かもう、「欠点が見当たらないのが欠点」をすら通過して、「こんな偉人を常人が真似るなんて無理、だから後世の参考にはなりません!」というのが欠点に見えてきました。
讖緯思想は前漢末から三国時代に至るまで後漢成立の前後を通じてずっと人々の意思決定に翳を落としていたように思いますし
劉秀ですらそうした時代性の束縛の中にあったことを思うと、あまり落ち度ではないのかもしれませんね。
てかこの時代に諡号が光武ってすごいよな。二つもついてる時点で並の皇帝じゃない
実は漢王朝は前漢も後漢も正式に即位した皇帝の諡号は、ほとんどが最初に孝の字が付いています。
例えば前漢の文帝は孝文皇帝で武帝は孝武皇帝が正式名称ですし、後漢も明帝は孝明皇帝で献帝は孝献皇帝が正式名称ですが煩雑なので、通常は孝を略して呼んでいます。
ただ例外も2人いまして1人は前漢の初代皇帝・劉邦で廟号が太祖で諡号が高皇帝ですが『史記』に高租本記があるため高租と呼ばれる事が多いです。
もう1人が後漢の初代皇帝・劉秀で廟号が世祖で諡号が光武皇帝で前漢の武帝と区別するため光武帝と呼ばれる事が多いです。
結局、この程度で済む欠点しかないのが光武帝のパーフェクトエンペラーたる所以ですねぇ。すごい……
それくらいの欠点だれにでもさすがにあるわ。という欠点を探すことすら難しいというのに。なんという挑戦。
後醍醐天皇は光武帝に憧れていたのかもしれませんね。
「仕官するなら執金吾、妻を娶らば陰麗華」
いくつか欠点がある=皇帝の資格なし
・・・・・とならないのが光武帝劉秀という人物・・・・・
指導力行動力に優れる覇者の資質を持っていた兄にくっついている冷静で欲の無いNO2が劉秀の本来の性質なんやろなあと思う
下から上の人間がどう見られているかどう対処するかの感覚が異常に優れてて
その感覚が皇帝になってからも錆びつかなかった
劉秀の数少ない欠点はここぞという大事な場面で鄧禹を重用し、期待に応えて?鄧禹がやらかすことくらいのような気がします。(※鄧禹は総合的にはめっちゃ優秀な人物なのは承知してます)
皇帝なのに城門閉められて城外で夜を明かすとか、無為無官の頃に義兄と官吏おちょくって捕まったりとか、憧れの女性を嫁さんにしたけど、つまらない冗談連発してその嫁に「あんたの冗談つまらん」って皇帝なのに言われちゃったりとか…現在の私達が先週どっかでやった様な出来事が、2000年経った今でもゴロゴロ伝わっているのが本当にすごいと思うんですよね~。
この流れで康熙帝 愛新覚羅玄燁の欠点を暴いてください🥲 南明粛正とか
これまた悪評の少ない大樹将軍・馮異さんも是非お願いします。
本邦の征夷大将軍の異名の元ネタさんじゃん
光武帝は予言書(赤伏符)を根拠にして皇帝に即位したので、
公式の場(皇帝の面前)で讖緯そのものを否定した桓譚の言葉は、
後漢王朝成立の正当性を正面から否定したに等しく、流石に許せなかったのでしょうね。
動画で説明されているとおり、桓譚の合理主義的思想を著した「新論」自体は光武帝に褒められており、
特に発禁・弾圧等はされていないので、
私的な思想や著作は、例え後漢王朝の公式見解に反するものであっても処罰しないが、
王朝に仕える廷臣が王朝の正当性を否定するような発言を公式の場でするのは認めない、
それが光武帝のスタンスであるように思います。
そういう光武帝の配慮やスタンスを理解できずに、献上した著作を褒められたのを、
自分の思想を皇帝が公認してくれたと勘違いして公私の別やTPOを弁えずに、
公式の場で不用意に王朝の公式見解を否定する発言をしてしまった桓譚さん…
利点はたくさん上げられるけど、欠点は2~3ほどしかないというのは、やっぱり優秀。
最後の桓譚話も、いくら優秀でも実直すぎて煙たがられるのは、現代でも同じ。
欠点が無いのが欠点
少しは隙を見せないと周りが付いてこれないみたいな
光武帝独立時の最初の敵となる王郎も占いで河北に天子の気があるから河北で劉子輿を名乗って勢力を築いたし、"劉秀"が天子になるらしいという図讖を信じて劉秀に改名した国師公劉歆など、当時は神頼みも政策の理由としておかしくはなかったんでしょう。(その図讖が仲間内で話題になった時に"劉秀"は国師公だろうと言われて「俺じゃないってなんで分かるのさ」と言った光武帝の話好き)
でも否定し続ける人も結局殺してないんですよね、直ぐ殺す皇帝ばかりを見てるいるのでやっぱり名君に思えます。
それに気に入らない書物も一応読んで目を通しているのも、なかなか出来る事じゃないですよね
6代皇帝の子孫だから
劉族ではあっても皇族といえる身分ですらなかったんだよなこの王子様
劉秀はいつか誕生から死まで生涯通しで動画にしてほしいなぁ。数少ない一代で統一王朝作った人だから本当に特別。
呉漢の監督不行届は果たして他の君主ならコントロール出来たかと言えばねえ
叛いた鄧奉が降伏してきた時、劉秀は「原因は呉漢が鄧奉の故郷で略奪したことである」と言って赦そうとしたけど、岑彭と耿弇に諫められて処刑している。
「代漢者 当塗高」を「漢に代わる者は姓は当塗、名は高」と解釈したのも確か光武帝なので、漢の天下もいつか終わるよ、と思っていたとすれば、ある意味凄い。
三国時代にその予言を袁術が自分の事だ!と解釈したり、実は「魏」を意味していて漢に代わるのは魏という意味だったと解釈されたり。
雲台二十八将の一人・馬武。初めて名前を聞いた時は私も「炭酸力」だって思いましたよ、エエ・・・。劉秀が図讖を得て皇帝に即位する経緯は宮城谷昌光氏の『草原の風』でも描かれていたので、イメージは十分に湧きました。
それはともかく図讖を否定されるという事は、図讖を根拠に即位した光武帝の即位正当性・根拠を否定される事と同義なので光武帝としては認める訳には行かなかったのでしょう。放置すれば新たな反対勢力を生みかねないので厳しい対応をしたのではないかと思います。
暴君特集観た後だと「えっ、欠点こんだけなの?」って思ってしまう不思議
欠点というか、即位に際して讖緯を利用してしまっているから、それを否定されると正統性がゆらぐからやめてよね、ってことでしょうな。
お告げ云々は当時を考えたら正当性や自分の考えを補強する為にあえて乗っかった感はあるなぁ
圧倒的な権力を持つ「権力者」は光武帝劉秀の様な、類稀な人徳を持つ方でも、注意しなければならないのかなと感じますね。「讖緯」(しんい)説なんて予言を信じていた劉秀の意外な一面を知る事が出来て、面白かったです。桓譚や張衡の様な、近代的で合理的な考えを持つ人々が当時いた事も、凄いですね。物事を人の言うままに妄信せずに、疑って確認してみるという事って、大切なんだと思いますね。お話し良かったです。長文すみません。
「欠点が無い事が欠点だ( ー`дー´)キリッ」
徳川吉宗みたいに途中なら親戚が皇帝になったほうがうまくいくよね🤔
フランスのカペー家はそれを800年やりましたから。ヴァロア朝もブルボン朝も元はカペーの分家ですし。
ラジオ的に聞いていたので、リュウゲンのツッコミのくだりを聞いた時、南漢の劉ゲン…かと思っちゃいました…笑
功臣粛清タイムがないだけでも、名君かと。
時に、魔理沙と霊夢が鳥陛下の欠点を暴くと、どうなる⁈
光武帝は優秀であるがゆえに、予言や占いにドハマりしても大きな判断ミスをせず切り抜けることができたという感じも。始皇帝や武帝はドハマりした上に判断ミスをしたのが大きく足を引っ張った。
ありがとうございます!
いつもご支援いただき、感謝感激雨霰ッ……!
励みになりまくりでございます……!!
兄が誅殺された時に耐え忍んだ風潮あるよね
でもこの先劉秀兄弟が天下取れば一番邪魔なのは兄貴の劉エン…
光武帝という超絶傑物の腹の中なんて私にわかるはずもないけどね😂
昔、5chでやってた"やる夫が光武帝になる"シリーズは李通の話や統治の話、皇后の廃止などを結構詳しくやってたから面白かったです。
ただ、全てを読むには1週間は掛かると思います。
あれを見ると、功績云々以前の問題でいきなり大司空にされた王梁の振り回されっぷりがよく分かる。
まあ、それ以上に振り回された功臣もいましたがね。
ちなみに、あのシリーズでは桓譚は、あの"平沢唯"だったりする…
@daikon_yakusha
個人的にあのシリーズは兄貴の劉 縯がジョジョのDIO、部下の劉稷がヴァニラアイス、という人選はドンピシャすぎて笑えました。
うわ、懐かしい。ディオの兄貴にニート劉秀が無理やり働かせられてるの笑ったわ
光武帝、冒頭で霊夢があげていた馬援の不当な失脚と皇后との破局、そして今回メインの予言書どはまりぐらいで、劉邦・朱元璋・毛沢東らと比べるとやらかしのうんと少ない君主だったことは間違いないですね。
「おっええこと言うやんけ」と思ったCMが聖◯新聞のだった時の感情
全然違う話なのですが、、、昨日から鳥人間コンテストやってて
「鳥人間」って聞こえる度に主が脳内に。
なかなか劉秀のようなパーフェクトなフライトはないですが、楽しんでます。
「つまづいたっていいじゃないか、にんげんだもの」は相田みつをの書だが、「しざいにしてもいいじゃないか、こうていだもの」なノリで桓譚(簡単)に処罰されてはたまらない。それでも劉邦や朱元璋に比べれば限りなく聖人君子に近いことは変わるまい。
そもそも、光武帝が漢王朝再興の決め手にした拠って立つものを否定したらまずいでしょ。
しかも、じゃあ儒家の経典がそれに対してどれだけ合理的かなんて考えたら、神秘を否定しながら儒家の経典に従うのも不合理に思えるし。
問題視したのは儒家の経典こそ全く正しいと固定化した思考の方なのでは。
内容とは関係ありませんが、まさか冒頭で地元の百年桜が出てくるとは思いませんでした
多大なご支援!まことにありがとうございます!!
私のあの辺りに縁があるので何だか嬉しいです!!
ただ、やっぱりそれらを含めても、劉秀の皇帝ランクはSSRに変わりないんよなぁって。
横山光輝氏作の劉秀を主人公にした作品が見たかった。
光武帝の欠点は、歴史的に見たら皇帝権力の強化が間に合わなかったことじゃないかなぁ?
ただ、和帝以降の後漢の体制の問題であって、光武帝時代の問題じゃないんだよなぁ・・・
Thanks!
いつもご支援いただき、まことにありがとうございます!!
ありがたや……ありがたや……!!
光武帝には(兄貴の)劉伯升という反面教師がいたから。
讖緯思想については、それによって即位した以上、貶めることができなくなっていたんでしょうね。
再び乱世に戻すくらいなら大きな害にならない範囲で程々に利用しておこうって態度だったんじゃないでしょうか。
そこへ面と向かって否定してきたら、光武帝の立場としては怒る以外できないでしょう。
人間だから当然欠点はあるけれど、業績が業績なだけに、つい「完全無欠のヒーロー」像を当てはめてしまいますね。
そんなの創作だけの存在だと思いましたが、例えば、ウルトラマンでも負ける時は負けるし、活動に時間制限があることを思うと、「完全無欠のヒーロー」は創作ですらいるかどうか怪しいと思う今日この頃。
讖緯思想という怪しげな予言書に従って行動して、それが非常にうまくいったので、それを全否定されると激怒したくなる気持ちはわかります。
光武帝の諱を避けて郷挙里選の「秀才」が「茂才」になりました。
@@user-pc2eh6oi3q
劉秀の先祖の劉邦の諱を避けて廷臣の最高位は秦までの「相邦」から漢からは「相国」になりました。
「相国」は前漢では建国の功臣の簫何と曹参が就いたため前漢では、ある種の不文律として「相国」は永久欠番のように扱われ、これは後漢にも受け継がれたが後漢末に至り『三国志演義』序盤の悪役の董卓が長年の不文律を破って「相国」に就いたが、これは前後漢を通じて実に360年ぶりだった。
桓譚の他にも何人かが讖緯を批判して舌禍に遭っていましたね
後漢成立の根幹にかかわる思想を揺るがす者には厳しく臨む必要があったんでしょう
中国帝王図の皇なつきのイラストいいよね
人物像と覇業の辻褄合わせにちょうど良かったんかなぁとひいき目にみてしまうのは崇め奉っているからなのかも
最近宮城谷昌光の呉漢を読み直していたのでありがたい
世の乱れを正したほうだからまあセーフだけど、世を乱した方だったたら「占いに傾倒した暗君」と叩かれるやつだ
それ、しんい思想と占星術で自身を神格化しようとして劉秀の目の前で失敗した王もうッスね
門限に間に合わずに締め出されるの草
図讖を頼りに皇帝即位したんだから、面と向かって否定されたらお前の皇帝即位はでたらめって言われてるようなもんだからそりゃ怒るよなぁ
まぁ桓譚が図讖否定派なの分かってて聞いてる光武帝が悪いが
王莽にも阿らなかったような良識派のトップが図讖による光武帝の正当性を否定しちゃったら、再興したばかりの漢王朝が反乱だらけになる危険もあったんじゃないかな? そのあたりの事情があるから、桓譚に折れてもらうことで危険を芽も出ないうちに摘んでしまいたかったのではと思います。
あら探しをしてもせいぜいの所、自身が有能過ぎて家臣団の名前が挙がらない事とスケベな事くらいしか思い付かない。
文字通り「後漢の世祖、光武帝劉秀ですら助走つけて飛び蹴りしてくるレベル!」
で、切れ散らかしたのね。
更始帝の解説をリクエストします
紅に染まった更始帝を慰めるやつはもういなかった。
光武帝は走り出すなにかに追われるよう。
想像以上に龍玄だった。
( ・ω・)フム
見終わって一言。
非が無さすぎるのが非ですな。
(´-ω-)ウム
緯書は煬帝が焚書にしたので、そのほとんど散逸してしまっているのが残念。
思想史的な面でもその内容が気になる。
わが国では世情が不安定になると、たびたび聖徳太子の未来記が「発見」されたりしてる面白い。
光武帝劉秀は自分に欠点が多く、弱点だらけだと自認していたのではないかなぁ。
だから、それを補おう、足元を掬われまいと懸命に名君になろうと頑張ったんじゃないかなぁ。
神秘思想に傾倒したのもその副作用みたいなものな気がする。
ただでさえトップに立つ者は孤独だと云うのに、弱味を見せまいとした反動の様な気がするな。
光武帝劉秀。しんどい一生だったろうなぁ。
谶緯儒、漢帝国~唐帝国に流行している。谶緯儒の六天上帝:皇皇上帝昊天(周武王の天父)、南方赤帝-赤熛怒(光武帝の天父)、東方青帝-霊威仰(夏禹の天父)、北方黒帝-葉光紀(始皇帝の天父)、西方白帝-白招拒(天乙の天父)、中央黄帝-含枢紐(唐太宗の天父)。宋代には理学儒に取って代わられた。理学儒は『天理』を至高の信仰とし、原神に登場する。
劉秀の時代
蜀の公孫術や荊州の秦豊や延岑
徐州の董憲や劉永、李憲
隴西の隗囂といるけど
なぜか江南の群雄っていないのよね・・・
劉秀は優秀。なんちて。
こんばんは。お!嬉野温泉の百年桜とは通な所突いてきますなあ。見に行った人がめちゃ大きくてキレイだったって感嘆してましたねえ。
今回は無理くりでも欠点を探す企画って面白い。じゃあ完璧超人にして聖王の欠点を教えてもらおうか!w
図讖にはまりすぎと言ってもそんなのちっとも欠点じゃないじゃん!!ジョルノ化する霊夢ww桓譚の件はまあいかんけどさ。そこまではない。
なんか自分の推しを否定されて激怒したヲタクにも見えてしまう。笑っちゃうけども。
反証可能性のない未来予測や教条に政治が振り回されることは現代でも同じですが、それが宗教とか占いとかという体裁か否かはあまり重要ではないと思います。
本人しか動かせない組織を作った事。
あぁ、これは組織のトップが決してやってはいけない事だね。
当時の合理思想が残ってないのは残念ですね。後代のルネサンス期のものと比べてみたかった。
光武帝の迷信傾倒は、神仙思想に取り憑かれた皇帝達と比較したらマシな部類だったと思う。
一応、ちゃんと政治に向き合って、長期政権維持できてた訳なので。
鳥人間さんも過去動画で言っていたが、光武帝の在位が長かったから後漢の基盤が盤石になった。
仮に不老不死を目指すとか、とち狂って毒物とか摂取してたら短命だったかもしれない。
歴史に、もしも?はありえないが、そうなっていたら、確実に後漢はもっと早くに崩れてたはずだ。
後世の我々から見ると燦然と輝く一番星でも当人から見たら劉縯兄ちゃんの永遠の二番手で、彼が道半ばで斃れた後は兄ならばどうするかって考えながら迷いながら行動するうちに時にメンヘラ占い女子みたくなっちゃったとしたらすごく性癖に合うなぁ。
実際の劉縯がどんな人物だったとしても光武帝劉秀のイマージナリー大哥だったら絶対聖人だし......
不安からそういうものに頼りたかったのだろうね
古代文明の人々の行動は現代人の価値観で優劣を語ることはできないな。
生きてる時から聖帝と呼ばれたが恥ずかしいと言う理由で禁止された
@@noha8350
サウザー「ふっ、小心者め」
実際に劉秀が心酔していたのか、もっと冷静に考えていたのかはわかりませんが、光武帝に対して完全には忠誠を誓っていなかった中原の人々をまとめるためには、儒教(的讖緯)が必要だったというのはありそうですね。
敵に囲まれたら敵陣に隕石落ちるとか、都合良すぎてオカルト信じちゃうのも無理なくない?
あの!Mr.完璧!劉秀の欠点だって???こいつぁ見逃せねぇぜ!
もっと見たかった光武帝の動画、ありがとうございます^_^
でも欠点とかキャラが凄い皇帝が中国史には多すぎて、オカルトマニアぐらいじゃあキャラが立たんという…(笑)
樊嫻都、劉元、郭聖通、陰麗華
司馬興男、司馬南弟、劉興弟、路恵男「次は必ず男の子を産みます。」
鄭金蓮、邢翠蓮、劉妙蓮、張金蓮「三寸金蓮!」女の子の名前にも歴史有り。
こういう話を聞くと、やっぱり血の通った人間だったのだな、と思います(小並感)
光武帝の最暗部は2点、一つは兄の死の際に喪を取らない事は知られているが、この時に陰麗華を娶っている。もう一つは主君劉玄への謀反だが、赤眉軍が西進して長安に攻め入った時には鄧禹を援護ではなく関中を取るために送り、劉玄側との直接交戦は馮異の挑発とそれに乗った朱鮪との戦いで、この頃劉秀は北方に賊を追っていて直接の関与は見せていない(本来は謀反)。
美人画(現代にしたらエロ本?)コレクションを自慢してたら家臣に全力で否定
堅物役人の揶揄 誇張 ネタな話なのに
「母親が商人から貰った餅を食べてた所に現れ 口を開かせて食べた餅まで吐かせたって本当?」って本人に聞いたり
笑える小話が多くて好きだなw
「糟糠の妻は堂より下さず」で諦めたりする良い話も好きですねぇ
まあ、優しい人を怒らすと、とんでもないことになるからね
予言にドハマりしてるって、まるでキバヤシだな..(;'ω')
まず名前が格好良すぎる
桓譚かっけえ
良いプレイヤーが良いプレイングマネージャーであり良いプレイングマネージャーは良いマネージャーであるという話は理想だが
人は出世していくと最もその能力が発揮されない場所で出世が終わるという話もある
そして良いプレイヤーが良いプレイングマネージャーであるとは限らず(以下略)とするならば出世させる人をランダムに(くじ引きで)決めた方がいいのではという学説もある
前漢王朝からして建国は大将軍に突然取り立てられるまではほとんど実績のない韓信の功績によるところが大なのだから実績のない人をいきなり取り立てるのも漢王朝としては受け入れがたい話でも無し
とするならば讖緯思想にて取り立てる者を決めたのも逆に賞賛される類の話なのでは?