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幕末四大愚公?・・・春嶽,斉昭,容堂,敬親、だろう?
詳しい解説ありがとうございます!
大政奉還は理解できましたが、その後「王政復古の大号令!」なんぞや!?と思っていたので、解説ありがたいです。後編も期待しています。
武士道さんの動画は最後まで楽しく拝見出来、とても分かり易くて楽しいです。詳しい解説、ありがとうございます。
なるほどなるほど、勉強になります。なんで、西郷どんが慶喜公をとことん追いつめたのか、その西郷どんの挑発に慶喜公が乗らずにいたのか。わかりました。
あの第23話の 西郷吉之助は、悪そうな演技だったなぁw(心配してたけど華丸で良かった) もう幕府だろうか、将軍だろうが おいが、決めたら ぶっ潰すだけでごわす。とか実際に考えてたんでしょうかね? 推理してしまう
@@y--sizuki 鈴木亮平さんの西郷どんの時は印象が良かったのですが、華丸吉之助さあーは悪かけん。まあ主人公によって演出がかわりますからね。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
慶喜の誤算は味方に対しては話せばわかる、と思っていたことですねぇ…。
ちょっと早いので0.75倍聞きました。普通に聞けました。主人が薩摩が嫌いな理由がわかりました。大河を見るたび、言ってます。
ブラボー武士道先生✌️ 倒幕は薩摩藩と徳川幕府の巌流島の決闘、ハイヌーンの真昼の決闘でしたね。 全国的な歴史ファンは何方を応援📣しているのでしょうか🙇
幕末の薩摩はかなり羽振りのいいイメージでしたが、実は火の車だったんですねあと、慶喜が優秀すぎたがために戦争が起きたといっても過言じゃないですねなんというか、むなしいですね…
慶喜公の先読みに他の幕臣や会桑がついていけなかった、という事ですかね。
先読み出来る人ほど、それを自分の中だけに納めてしまい、一団となって戦わなくてはならない身内に情報共有しない。それとも、本当に信頼できる者が誰もいなかったのか…家康以来の賢公と言われることも多いが、確実に違うのがチーム作りの上手さの点。
なるほど、西郷さんの考え方が良く分かりました。確かに慶喜と合わなさそうだな。
ますますシュッとしてきましたね😄
倒幕の密勅について解説お願いしたいです。
何年の何月の出来事なのか?から話が始まるともっといいですね。
名前がカッコいい(小並感)
こんばんは!武士道さん『王政復古の大号令』の解説、有り難う御座います今まで、私は徳川慶喜の人間性が理解出来ていませんでした今回の動画で、ハッキリと解りました頭脳派・柔軟・世渡り上手とくれば、『麒麟がくる』の細川藤孝を思い出しましたこの当時の幕府のシステム…腐りかけの家に大黒柱を新しくしても、全部腐っていて、いずれは崩れてしまう例え話は、大変解りやすいでした 幕臣である勝海舟も、幕府を批判していたようですね(ある本で読みました)戊辰戦争後に、小栗忠順は、新政府軍に斬首に処せられましたと、武士道さんの動画で見ましたが…今回の動画で何となく解りました 「長州、薩摩は潰しますよ!」と言っていた事が、引き金になっちゃったようですね
大河ここで3週中止はつらいです。オリンピックより大河が見たいです。
こんにちは!歴史好きな人にとっては、1週間に1日は『大河ドラマ』見るのがルーティンになっているから、確かにつまらないですね
慶喜が(色んな思惑があったにせよ)我慢して、我慢して、我慢してどうにか平和的に時代を移行しようとしていたのに対し西郷や大久保は何が何でも戦争を起こしたかった様にしか見えないんですよね(倒幕が真の目的なら、辞官納地が成立した時点で幕府は消滅していたはず)皮肉なのは、この2人はこの10年後には非業の最期を迎えて慶喜は穏やかに天寿を全うするところでしょうか。それにしても、長州藩が辞官納地に難色を示していたのは意外でした。
ミスター武士道さん、動画アップありがとうございます。いつも楽しく拝見しています🎵欧米列強が迫るこの時期に内乱を起こすのは、相手に付け入るスキを与えると思ったのですが、それでも討幕(内乱)しようとしたのは何故なんでしょうか?あと、イギリスという国の歴史を見ていると、武力で征服できないなら武器を売り、儲けて内部分裂させ疲弊させてから、漁父の利を得るという戦略に切り替えたのかな?と思いました。アメリカでインディアン同士を戦わせたのは誰なんでしょうか?現代でも国単位や個人単位でも自分に利がないと動かない人達なのかなと思いました。少々関係ない話になりました…スイマセン。。。😅
勉強不足な疑問ですが松平春嶽は戊辰戦争の時、何をしていたのですか?もはや強引な薩摩の前では何も出来なかったのか…小栗も詮議もろくにされず処刑されましたよね。近代国家を作ろうとしている割に野蛮な所も感じます。「幕臣たちの誤算」と言う本を今、読んでますが熟読して自分なりに考察したいです。後半、楽しみにしています。
ウィペディアによると、松平春嶽さんは、戊辰戦争に賛成していませんでしたが、新政府側に属していました。「明治」という元号を春嶽さんが命名したのは驚きでしたが。ちなみに、近代国家を作ろうと野蛮なことをしているのは、日本だけでなくヨーロッパも同じようなものです。モーツァルトが歌劇「魔笛」で皮肉ったほどですので。
@@toshinoribeck さん春嶽が元号を決めたのには驚きでした。どこの国でも新しい事を始める時はキレイ事だけではダメなのでしょうね。
@ぺけおっ さんいろいろとありがとうございます。小栗に関しては最後は恭順していたと思うので残念です。
王政復古と言うのが少し引っ掛かるんですよね。帝政復古なら分かるんですけどね。
大河で天皇を王って呼んで怒られてたよね。
王政復古の大号令は、岩倉具視と腹黒き大久保利通と西郷どんの策略で為されたことでしたね。ご不満であれば、江戸封建制に戻して下さいませ🙇
朝廷の解除??意味がよく分かりません、、、
@D Saito つまり平安時代の藤原道長みたいな変人が政治に関わりにくくなると言うわけですね
草彅慶喜になって、慶喜のイメージが私の中で上がりました。薩長と一括りにされますが、薩摩の台所が火の車なのは自業自得、陰で画策するところがなんか…幕府はなくなっても慶喜の活躍する明治維新見てみたかったです
一応慶喜も1902年に罪を許されて天皇への謁見も可能になったけど…全然明治維新期ではないんだよなぁ
ますます慶喜が純粋で薩長が腹黒く思えて来た。
そういう単純な問題じゃ無いよ 腹黒いのはフランス🇫🇷です このままフランスに依存する幕府の成れの果ては日本の領土割譲・植民地化ですよ フランスから借款を受けることが間違いなんですよ 西郷さんはそれをなにがなんでも止めさせたかったのです(^.^)
@@55tomokun66 そういう資料があるのでしょうか?もし幕府が全力で戦えばそうとうな内乱になったと思うのですが。素人考えですが。
@@pochicancan55 慶喜公は将軍になるとき、いきなり将軍職を継いだから、江戸のコアな家臣団とか纏められなかった、江戸留守居役に真田昌幸がいたらなあー。たらればの話です(笑)
@@Dayz-sb3bn 文久の改革の時に、慶喜を要職につけるよう提言したのは島津久光ですよ。その恩人を方向性が違うとはいえ、天下の大愚物と愚弄するのは、大久保のような討幕派に久光を洗脳するきっかけを自ら作りにいったようなものです。
@@pochicancan55 さま当時の欧米列強の世界史は植民地の分取り合戦 阿片戦争後の中国を目の当たりにしていた長州藩高杉晋作は、下関戦争(文久3年(1863年)と同4年(1864年)に、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、前後二回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件)で「彦島」の領土割譲を要求されるが断固拒絶しました また、ロシア軍艦対馬占領事件では、ロシア帝国🇷🇺の軍艦が対馬芋崎を占拠し、兵舎・工場・練兵場などを建設して半年余にわたって滞留した事件(ポサドニック号事件)など植民地化として狙いを定めていました 結果的にイギリス🇬🇧の仲裁で事なきを得ましたがイギリスも対馬を狙っていましたよ ハワイ王国はアメリカ🇺🇸に強制吸収されるご時世です あのフランス🇫🇷が無償のお人好しで借款するはずが無いことは「フランス史」をなぞれば明白ですね(^.^) 早くからヨーロッパに留学生を派遣していた長州藩や薩摩藩だからこそ、当時の欧米列強の情報収集と行動分析に長けていたのでは無いでしょうか 又、慶喜も其が解っていたから江戸城に逃げたと渋沢栄一の「徳川慶喜公伝」に記載あります 勝った負けたでは無くて、未来を展望し封建社会を終焉させたこと、内戦を回避して政権委譲したことに「慶喜」の功績があると思います
王政復古の大号令は日本史の中でも珍しいクーデター。普通に考えれば慶喜手動で改革が行われるのは誰の目にも明らかだし、慶喜自身もそう思って布石を打っていました。それを覆したのは剥き出しの権力に対する執念と気迫。前日の会議が象徴的なのですが、ここぞという時に発言し、気迫で会議の流れを変えてしまう。これが出来たのが岩倉具視でした。戊辰戦争時の錦の御旗を出すか出さないかの重要な会議でも岩倉が会議の主導権を握ります。本当に岩倉具視は怪物のような人物ですね、、、。王政復古のクーデターが成功した裏には松平春嶽や山内容堂などの重鎮が前日の会議で岩倉らの気迫に呑まれた事も大きいと思います。
正に謀られた
この時点、まだ五分五分だった思う。表向き西郷だが、大久保ー岩倉ラインが鍵だったかな。
岩倉具視という、ほならね理論を完全に潰した公卿の存在が慶喜の筋書きを完全に潰してしまう。公卿と言ってもヤクザみたいな存在だが。
藤原道長の例の句の意味を、別の解釈をしてましたね。『英雄たちの選択』では。次回のネタバレ慶喜「焼き討ちだと!?しまった!」
戦国Banashiさん、『王政復古の大号令』解説をありがとうございました。今回の解説と人物評では西郷隆盛を擁護し過ぎているのではと感じました。今で言えばオリパラの小山田氏と同じで、西郷の幼少期~青年期は人道・士道に外れた卑怯極まりない暴れ者だった記録が鹿児島南部の寺社の古書に残っているといわれています。それでも、残った記録が少ないのは、証拠隠滅のため、西郷や大久保が多くの寺院を放火したからともいわれています。あまりにも過去に問題が有り過ぎる人物です。西郷は私利私欲が強く、性格的にも異常に屈折していたから自己顕示欲のため活動したと考えるのが妥当でしょう。婦女の人身売買の証拠の一、薩摩藩の『人別帳』がほとんど遺っていないのは誠に残念です。
幕末四大愚公?・・・春嶽,斉昭,容堂,敬親、だろう?
詳しい解説ありがとうございます!
大政奉還は理解できましたが、その後「王政復古の大号令!」なんぞや!?と思っていたので、解説ありがたいです。後編も期待しています。
武士道さんの動画は最後まで楽しく拝見出来、とても分かり易くて楽しいです。詳しい解説、ありがとうございます。
なるほどなるほど、勉強になります。なんで、西郷どんが慶喜公をとことん追いつめたのか、その西郷どんの挑発に慶喜公が乗らずにいたのか。わかりました。
あの第23話の 西郷吉之助は、悪そうな演技だったなぁw(心配してたけど華丸で良かった)
もう幕府だろうか、将軍だろうが おいが、決めたら ぶっ潰すだけでごわす。とか実際に考えてたんでしょうかね? 推理してしまう
@@y--sizuki 鈴木亮平さんの西郷どんの時は印象が良かったのですが、華丸吉之助さあーは悪かけん。
まあ主人公によって演出がかわりますからね。
👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍👍
慶喜の誤算は味方に対しては話せばわかる、と思っていたことですねぇ…。
ちょっと早いので0.75倍聞きました。普通に聞けました。主人が薩摩が嫌いな理由がわかりました。大河を見るたび、言ってます。
ブラボー武士道先生✌️
倒幕は薩摩藩と徳川幕府の巌流島の決闘、ハイヌーンの真昼の決闘でしたね。 全国的な歴史ファンは何方を応援📣しているのでしょうか🙇
幕末の薩摩はかなり羽振りのいいイメージでしたが、実は火の車だったんですね
あと、慶喜が優秀すぎたがために戦争が起きたといっても過言じゃないですね
なんというか、むなしいですね…
慶喜公の先読みに他の幕臣や会桑がついていけなかった、という事ですかね。
先読み出来る人ほど、それを自分の中だけに納めてしまい、一団となって戦わなくてはならない身内に情報共有しない。
それとも、本当に信頼できる者が誰もいなかったのか…
家康以来の賢公と言われることも多いが、確実に違うのがチーム作りの上手さの点。
なるほど、西郷さんの考え方が良く分かりました。確かに慶喜と合わなさそうだな。
ますますシュッとしてきましたね😄
倒幕の密勅について
解説お願いしたいです。
何年の何月の出来事なのか?から話が始まるともっといいですね。
名前がカッコいい(小並感)
こんばんは!武士道さん
『王政復古の大号令』の解説、有り難う御座います
今まで、私は徳川慶喜の人間性が理解出来ていませんでした
今回の動画で、ハッキリと解りました
頭脳派・柔軟・世渡り上手とくれば、『麒麟がくる』の細川藤孝を思い出しました
この当時の幕府のシステム…腐りかけの家に大黒柱を新しくしても、全部腐っていて、いずれは崩れてしまう例え話は、大変解りやすいでした 幕臣である勝海舟も、幕府を批判していたようですね(ある本で読みました)
戊辰戦争後に、小栗忠順は、新政府軍に斬首に処せられましたと、武士道さんの動画で見ましたが…今回の動画で何となく解りました 「長州、薩摩は潰しますよ!」と言っていた事が、引き金になっちゃったようですね
大河ここで3週中止はつらいです。オリンピックより大河が見たいです。
こんにちは!歴史好きな人にとっては、1週間に1日は『大河ドラマ』見るのがルーティンになっているから、確かにつまらないですね
慶喜が(色んな思惑があったにせよ)我慢して、我慢して、我慢して
どうにか平和的に時代を移行しようとしていたのに対し
西郷や大久保は何が何でも戦争を起こしたかった様にしか見えないんですよね
(倒幕が真の目的なら、辞官納地が成立した時点で幕府は消滅していたはず)
皮肉なのは、この2人はこの10年後には非業の最期を迎えて
慶喜は穏やかに天寿を全うするところでしょうか。
それにしても、長州藩が辞官納地に難色を示していたのは意外でした。
ミスター武士道さん、動画アップありがとうございます。
いつも楽しく拝見しています🎵
欧米列強が迫るこの時期に内乱を起こすのは、相手に付け入るスキを与えると思ったのですが、それでも討幕(内乱)しようとしたのは何故なんでしょうか?
あと、イギリスという国の歴史を見ていると、
武力で征服できないなら武器を売り、儲けて内部分裂させ疲弊させてから、漁父の利を得るという戦略に切り替えたのかな?
と思いました。
アメリカでインディアン同士を戦わせたのは誰なんでしょうか?
現代でも国単位や個人単位でも自分に利がないと動かない人達なのかなと思いました。
少々関係ない話になりました…
スイマセン。。。😅
勉強不足な疑問ですが松平春嶽は戊辰戦争の時、何をしていたのですか?
もはや強引な薩摩の前では何も出来なかったのか…
小栗も詮議もろくにされず処刑されましたよね。近代国家を作ろうとしている割に野蛮な所も感じます。
「幕臣たちの誤算」と言う本を今、読んでますが熟読して自分なりに考察したいです。後半、楽しみにしています。
ウィペディアによると、松平春嶽さんは、戊辰戦争に賛成していませんでしたが、新政府側に属していました。「明治」という元号を春嶽さんが命名したのは驚きでしたが。
ちなみに、近代国家を作ろうと野蛮なことをしているのは、日本だけでなくヨーロッパも同じようなものです。モーツァルトが歌劇「魔笛」で皮肉ったほどですので。
@@toshinoribeck さん
春嶽が元号を決めたのには驚きでした。
どこの国でも新しい事を始める時はキレイ事だけではダメなのでしょうね。
@ぺけおっ さん
いろいろとありがとうございます。
小栗に関しては最後は恭順していたと思うので残念です。
王政復古と言うのが少し引っ掛かるんですよね。帝政復古なら分かるんですけどね。
大河で天皇を王って呼んで怒られてたよね。
王政復古の大号令は、岩倉具視と腹黒き大久保利通と西郷どんの策略で為されたことでしたね。
ご不満であれば、江戸封建制に戻して下さいませ🙇
朝廷の解除??意味がよく分かりません、、、
@D Saito つまり平安時代の藤原道長みたいな変人が政治に関わりにくくなると言うわけですね
草彅慶喜になって、慶喜のイメージが私の中で上がりました。
薩長と一括りにされますが、薩摩の台所が火の車なのは自業自得、陰で画策するところがなんか…
幕府はなくなっても
慶喜の活躍する明治維新見てみたかったです
一応慶喜も1902年に罪を許されて天皇への謁見も可能になったけど…全然明治維新期ではないんだよなぁ
ますます慶喜が純粋で薩長が腹黒く思えて来た。
そういう単純な問題じゃ無いよ 腹黒いのはフランス🇫🇷です このままフランスに依存する幕府の成れの果ては日本の領土割譲・植民地化ですよ フランスから借款を受けることが間違いなんですよ 西郷さんはそれをなにがなんでも止めさせたかったのです(^.^)
@@55tomokun66 そういう資料があるのでしょうか?もし幕府が全力で戦えば
そうとうな内乱になったと思うのですが。素人考えですが。
@@pochicancan55 慶喜公は将軍になるとき、いきなり将軍職を継いだから、江戸のコアな家臣団とか纏められなかった、江戸留守居役に真田昌幸がいたらなあー。たらればの話です(笑)
@@Dayz-sb3bn 文久の改革の時に、慶喜を要職につけるよう提言したのは島津久光ですよ。その恩人を方向性が違うとはいえ、天下の大愚物と愚弄するのは、大久保のような討幕派に久光を洗脳するきっかけを自ら作りにいったようなものです。
@@pochicancan55 さま当時の欧米列強の世界史は植民地の分取り合戦 阿片戦争後の中国を目の当たりにしていた長州藩高杉晋作は、下関戦争(文久3年(1863年)と同4年(1864年)に、長州藩とイギリス・フランス・オランダ・アメリカの列強四国との間に起きた、前後二回にわたる攘夷思想に基づく武力衝突事件)で「彦島」の領土割譲を要求されるが断固拒絶しました また、ロシア軍艦対馬占領事件では、ロシア帝国🇷🇺の軍艦が対馬芋崎を占拠し、兵舎・工場・練兵場などを建設して半年余にわたって滞留した事件(ポサドニック号事件)など植民地化として狙いを定めていました 結果的にイギリス🇬🇧の仲裁で事なきを得ましたがイギリスも対馬を狙っていましたよ ハワイ王国はアメリカ🇺🇸に強制吸収されるご時世です あのフランス🇫🇷が無償のお人好しで借款するはずが無いことは「フランス史」をなぞれば明白ですね(^.^) 早くからヨーロッパに留学生を派遣していた長州藩や薩摩藩だからこそ、当時の欧米列強の情報収集と行動分析に長けていたのでは無いでしょうか 又、慶喜も其が解っていたから江戸城に逃げたと渋沢栄一の「徳川慶喜公伝」に記載あります 勝った負けたでは無くて、未来を展望し封建社会を終焉させたこと、内戦を回避して政権委譲したことに「慶喜」の功績があると思います
王政復古の大号令は日本史の中でも珍しいクーデター。
普通に考えれば慶喜手動で改革が行われるのは誰の目にも明らかだし、慶喜自身もそう思って布石を打っていました。それを覆したのは剥き出しの権力に対する執念と気迫。
前日の会議が象徴的なのですが、ここぞという時に発言し、気迫で会議の流れを変えてしまう。これが出来たのが岩倉具視でした。戊辰戦争時の錦の御旗を出すか出さないかの重要な会議でも岩倉が会議の主導権を握ります。本当に岩倉具視は怪物のような人物ですね、、、。
王政復古のクーデターが成功した裏には松平春嶽や山内容堂などの重鎮が前日の会議で岩倉らの気迫に呑まれた事も大きいと思います。
正に謀られた
この時点、まだ五分五分だった思う。表向き西郷だが、大久保ー岩倉ラインが鍵だったかな。
岩倉具視という、ほならね理論を完全に潰した公卿の存在が慶喜の筋書きを完全に潰してしまう。公卿と言ってもヤクザみたいな存在だが。
藤原道長の例の句の意味を、別の解釈をしてましたね。『英雄たちの選択』では。
次回のネタバレ
慶喜「焼き討ちだと!?しまった!」
戦国Banashiさん、『王政復古の大号令』解説をありがとうございました。
今回の解説と人物評では西郷隆盛を擁護し過ぎているのではと感じました。今で言えばオリパラの小山田氏と同じで、西郷の幼少期~青年期は人道・士道に外れた卑怯極まりない暴れ者だった記録が鹿児島南部の寺社の古書に残っているといわれています。それでも、残った記録が少ないのは、証拠隠滅のため、西郷や大久保が多くの寺院を放火したからともいわれています。あまりにも過去に問題が有り過ぎる人物です。
西郷は私利私欲が強く、性格的にも異常に屈折していたから自己顕示欲のため活動したと考えるのが妥当でしょう。婦女の人身売買の証拠の一、薩摩藩の『人別帳』がほとんど遺っていないのは誠に残念です。